巻頭言 - 一宮基督教研究所

ICI for JEC : JECに伝えられた信仰の共有と発展を目指して
福野正和師-「異言の賜物」に焦点を当てて
目次:
皆様のお祈りに覚えていただき、
「ICI for JEC」の取り組みを継続さ
序
せていただけていることを感謝して
異言の賜物-考察 ①
福野正和師
1
ミラード・エリクソン
「教会のための神学者」
3
講義パワーポイント資料
第六章 啓示の保存:霊感
21
「キリスト教神学」要約版
『基督教教理入門』六章翻訳
24
C)基本路線」の「②伝えられた信仰
の共有と発展」に少しでも寄与せさ
ていただくことができたらと願って
います。
第六章 啓示の保存:霊感
電子メール講義録
35
『最後の事物』G.E.ラッド著
「第八章 審判」翻訳
75
日本福音主義神学会
全国研究会議案内・申込用紙
87
JECの第一世代の
教職者が召され、
第二世代の教職者
も高齢となられて
いるこの時期に適
切な論稿を
います。そして「日本福音教会(JE
JECの信仰のルーツとしてのスウェーデン
今回の内容を簡単に紹介させてい
ただきますと、今回より福野正和先
けない領域と思います。JECの第一
生がJEC教職者対象の連載を書いて
世代の教職者が召され、第二世代の
くださいます。今回のシリーズで
教職者も高齢となられているこの時
は、JECの福音理解にとって大切な
期に、ながらくJECの中堅の霊的
要素のひとつである「異言の賜物」
リーダーのひとりとして活躍してこ
に焦点を当ててくださっています。
られた福野先生に、JECの現在と将
内容としまては、1.聖霊のバプテ
来の世代の教職者に向けて、このよ
スマと異言、救いの確信に関して、
うに適切な内容のシリーズを書き
2.聖霊論と異言のこと、3.ポス
綴っていただけることを心より感謝
ト・モダンにおける異言の重要性、
しています。 今回の啓示論の中の
などを考えてくださっています。
「霊感論」研究と「異言の賜物」研
ちまたには多くの関連書籍が溢れて
究はともに聖霊の働きの多様性のひ
いますが、JECのユニークな深く豊
とつであることにも留意していただ
かな理解はJEC内部の先生にしか書
ければと思います。
日本宣教のための「神学教育の再編」
さて昨年の秋ころより、大田先生
ています。その発火点は、インドに
がJETS西部神学研究会議、KBIシン
おけるビクター・ジョン先生のリバ
ポジウム、JEC牧師会等でメッセー
イバルへの取り組みであったようで
ジや証しを分かち合われ刺激を受け
す。それは、日本宣教の遅々たる歩
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〝 啓示の保存:霊感論 〟研究 in JEC
日本宣教のための「神学教育の再編」
スウェーデン・バプテスト系
組織神学者ミラード・エリクソン著
みと閉塞感に対する痛烈なチャレンジ
KBIの特徴はながらく、ウォッ
です。それを耳にしながら、いろいろ
チマン・ニー著『キリスト者の標
と教えられること、考えさせられるこ
準』に解説されている“十字架と
とがありました。
聖霊”にペンテコステ・カリスマ
そして心に示されたひとつの事柄
的強調が加えられたものとして見
は、日本宣教のための「神学教育の再
られてきましたが、インドネシア
編」ということでありました。そのと
へ派遣されていた現在の大田裕作
きに、KBI50周年記念誌のオリジナ
師が院長に就任されて以来、オレ
ル原稿「KBI神学の特徴」に書いた
ブロ・ミッションとペンテコステ
「③宣教のメッセージ」のことを思い
諸教派の中に流れていた「世界宣
出しました。
教」のメッセージが大幅に強化さ
れました。
聖書は召命の物語であって、単なる回心の物語ではない
H.ベルコフ著『聖霊の教理』に
い。…聖書は召命の物語であっ
「最近になってわたしたちはよう
て、単なる回心の物語ではない」
やく、静的なクリスチャン像が、
とあります。KBIの神学の特徴と
いかに異端的であるかについて気
して、これまでの十字架と聖霊に
づき始めた。それは静的というよ
「宣教」が加えられ、強化されま
りもむしろ自己中心的である。自
した。これは救済論の第三次元と
分たちの永遠の救い(義認)と個人
いわれ「義認」「聖化」「召命(聖
的建徳(聖化)に没頭して、まだ聖
霊のバプテスマ、もしくは満た
霊の運動の達していない隣人のた
し)」と表現されています。
めに時間をさくことができな
「主は宣教の神」「聖書は宣教のメッセージ」
「教会は証しの共同体」「すべてのクリスチャンは世界的クリスチャン」
大田院長の下で、KBI神学教育
神学の場は「キリスト
の教会」、神学は「教
会に仕える学」、「教
会の働きの不可欠な一
部」としての神学
実の教会の中で起ったもの」で
は「世界宣教」スピリットを中心
す。その意味で神学は「教会の働
に再編されてきたといえます。H.
きの不可欠な一部」なのです。
ケインが「主は宣教の神」「聖書
KBIは神学をそのように位置づけ
は宣教のメッセージ」「教会は証
ている神学校です。『キリスト者
しの共同体」「すべてのクリス
の標準』“Normal Christian
チャンは世界的クリスチャン」が
Life”(求心的)に解説されている
いうようにです。
「義認と聖化」に深く根ざしつ
神学の場は「キリストの教会」
つ、“World Christian Life”(遠
であり,神学はその「教会に仕え
心的)に「召され、派遣される」神
る学」です。そもそも神学は「現
学校と要約できるかもしれませ
ん。
ICI for JEC ビデオ・サイト:http://www.aguro.jp/d/file/j/icd_for_jec.htm
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「福音主義者」として留意すべきガイドライン
宣教地「日本」のための、神学
ただ、そのプロセスにおいて私
教育内容の再編という視点で、
たちが失敗者とならないために、
JECにおける神学研究、またKBI
「福音主義者」として留意すべき
における神学教育を、①すでに構
ガイドラインがあると思います。
築(Construct)されてきた神学
それに対する配慮に欠けると、
教育内容に安住することなく、②
“異質なもの”(実例:レストレー
一度、分解・解体(De-
ション運動のワンネス・ペンテコ
Construct)して、③日本宣教に役
ステにおける三位一体の否定、
立つ内容に再構築(Re-
等)として福音的キリスト教の世
Construct)していく、不断の努力
界から排斥されていく危険もある
が求められるということです。
のです。
メイン・テキストの70%カット
された要約版
①聖書的適格性、②正統信仰の公同性、③現代的適応性、④自己革新性
さて、KBIにおける神学教育の
性”が絶えず自己吟味されていく
あり方が、日本の神学会またキリ
必要があります。ペンテコステ主
スト教会の中において、ひとつの
義には、多くのすぐれた神学的洞
意味ある選択(オプション)とし
察がみられます。ただ、内包する
て評価され、市民権を獲得しうる
課題としては極端な字義主義的な
かたちに成熟していくためには、
解釈の傾向(実例:ディスペンセー
一体どのような神学的特質に特色
ション主義聖書解釈法、等)があ
づけられている必要があるので
りますので、それらが克服される
しょうか。
ため、成熟した「聖書観」と熟達
その第一は、真に聖書的、福音
的であることです。“聖書的適格
した「聖書解釈方法論」を確立し
ていくことが課題です。
成熟した「聖書観」と熟達した「聖書解釈方法論」の確立
現在紹介していますエリクソン
第二に、分派的、自己流であっ
著『基督教教理入門』の「第一部
てはいけません。常に公教会的で
神学をすること」と「第二部 神の
あることが大切です。あらゆると
啓示」は、それぞれ、今日の福音
ころで、常に、すべてによって信
派における聖書解釈方法論の基本
じられてきた“正統信仰の公同
と、バランスのとれた聖書観を分
性”を反映するものでなければな
かりやすく解説していますので、
りません。歴史的経緯の中での論
今日と将来のJEC教職者にとって
争と対立の結果として、ペンテコ
の良きガイドラインとして用いて
ステ・カリスマ諸派は分派的また
いただくことができると思いま
自己流になる傾向があります。指
す。
導的教職者の神学的素養の欠如か
分派的、自己流であって
はいけません。常に公教会
的であることが大切です。
あらゆるところで、常に、
すべてによって信じられて
きた“正統信仰の公同性”
を反映するものでなければ
なりません。
〝ICI for JEC〟ブックレットとストリーミング・ビデオ
ICI for JEC
らの来る要素が多いのですが、いとも簡
単に「三位一体」を否定したり、「富と
一宮基督教研究所
健康の神学」等に走ったりした結果、そ
の後の四分五裂の歴史はよく知られてい
〒671-4135
兵庫県宍粟市一宮町安黒389
るところです。また今日、論争されてい
電話: 0790(72)0235
FAX: 0790(72)0235
電子メール: [email protected]
るテーマのひとつである「聖餐論」に関
しましても、私たちは福音主義神学に根
差す福音派の一員としてのペンテコステ
派またカリスマ派であることを認識し、
その「聖餐論」の福音主義的理解とは何
ICI for JEC ビデオ・サイト
http://www.aguro.jp/d/file/j/icd_for_jec.htm
かを、カリスマ的スウェーデン・バプテ
M.J.エリクソンと宇田進とG.Eラッド-四つの要素を宿すJECのための神学者
ストとしての旧オレブロ・ミッション
と危険、また果敢な勇気と誘惑とい
ト教神学」等は、JECの福音理
(現、インターアクト)のルーツとア
う両面で対処するタイムリーかつバ
解とKBIの神学教育が、日本の神
イデンティティにも照らし合わせつ
ランスのとれたガイドラインづくり
学会またキリスト教会の中におい
つ、軽はずみな言動を控え、絶えず福
が必要と思います。
て、中間派にとどまり、ひとつの
音主義的公同性を追及していくことが
第四に、“自己革新性”を不可欠
意味ある選択(オプション)とし
の属性としてもつものでなければな
て評価され、市民権を獲得しうる
第三に、“現代的適応性”と四つに
りません。改革された教会は常に改
かたちに成熟していくためにきわ
取り組むものでなければなりません。
革され続けなければなりません。雨
めて大切な資料源のひとつである
聖書の使信の高さ・深さ・広さを特定
の日、壊れた樋(とい)から溢れる
と思います。福音派に居場所がな
の文化言語と思惟様式において積極的
雨水を指さして、スンベリ師は「安
くなるような選択肢は取らない方
に立証することを不可避の機能として
黒兄、あの樋(とい)は気がついた
が良いと思います。
担うことが必要です。オウム返しに語
時に直さなければ、二十年間そのま
るのみではなく、新しく語らねばなり
まだよ!」と言われたことを忘れる
神学者」といわれる神学者であ
ません。単に要約するのみでなく、新
ことができません。昨年、わたしの
り、伝道と教会形成のための組織
しく理解されなければならないので
故郷の家も屋根、ベランダ、水回り
神学書(特に、要約版)を書き上
す。ペンテコスタリズムは、世界宣教
等々、数多くの部分の補修をしまし
げました。宇田師は教派を超えて
の進展の中で聖書の本質的メッセージ
た。建ててから四十年経過していた
敬愛されている神学者、またラッ
の文化脈化に最も成功していると高く
からです。JECまたKBIの流れにも
ドは、福音派が克服しなければな
評価されています。と同時に、地域に
多くのすぐれた部分と同時に補修が
らない課題としての「ディスペン
おいては行き過ぎた不健全なコンテク
必要な部分の両方があります。わた
セーション聖書解釈法」の克服に
スチュアリゼーションの結果として、
したちは私たちの時代において気が
生涯をささげた神学教師でした。
福音の本質的メッセージの変質をもた
ついた部分を補修して前進すれば良
ディスペンセーション主義の牙城
らす異教の世界観やこの世の価値観と
いのだと思います。次の時代には次
といわれ、ラッドと論争してきた
のシンクレティズムも、リバイバルの
の世代の教職者が気がついたところ
ダラス神学校は、敗者となり、大
地域において多くみられます。これは
を補修しつつ前進してくれると思い
きな変化と修正を繰り返し「45
宣教を進展させようとする取り組みの
ます。
年を経てついにラッドの背中に追
大切と思います。
中で必ず直面するグレイゾーンにおけ
る事柄です。KBIシンポジウム等様々
な機会を生かし、肯定と否定、可能性
エリクソンは、「教会のための
そのような中で、G.E.ラッドの
いついた」と言われています。そ
「聖書神学」、宇田進の「福音主義
れは荒野における無益な放浪では
神学」、M.J.エリクソンの「キリス
なかったのかと残念に思います。