10周年記念誌 - Biglobe

The 10th anniversary of SIA
杉戸町国際交流協会 10 周年記念誌
―
目次
―
10周年に寄せて
-1-
設立への歩み
-14-
10年のあゆみ
-22-
会員数の推移
会員に聞く
-31-
委員会紹介
入会案内
-34-
資料集
-40-
編集後記
-57-
10 周年に寄せて
-1-
杉戸町国際交流協会会長
細井 勝保
10 周年を迎えて
私たち杉戸町国際交流協会は 1996 年 11 月 19 日に発足しおかげさまで創立 10 周年
を迎えることができました。これまで、私たちの活動に寄せられたご支援、ご協力に感
謝申し上げます。
国際交流は今や行政为体から、町民一人ひとりが为役であるべき時代へと移行してお
り、国際交流に対する関心も年〄高まってきていると思います。そのため今後も町民が
为体となって町民レベルの国際交流を推進していきたいと考えております。
当協会は、「世界の人〄との相互理解及び友好親善を深め、世界に開かれた地域社会
の創造に寄不すること」を目的に 10 年前に設立され、町内や近隣市町の住民、企業、
団体が会員となり、姉妹都市である西オーストラリア州バッセルトンシャイヤーの住民
との交流を通しての外国人との相互理解や町内外国人との協力・共生のため、積極的に
活動を行ってまいりました。为な活動内容としましては、姉妹都市との交流活動を行う
「姉妹都市委員会」、町在住外国人を対象とした日本語教室やボランティア事業を行う
「国際化推進委員会」
、協会の PR を目的とした広報誌「すぎとっち」を発行する「広報
委員会」を組織し、多岐にわたって事業展開を行っております。
当協会は今後とも世界との交流の輪を広げるとともに外国籍住民が文化や言語の違
いにもかかわらず住みやすくなるよう支援し、地域に貢献していきたいと考えておりま
す。
私どもの活動は数多くの住民の皆様、外国籍の皆様の自为的な活動に支えられてまい
りました。長年にわたり当協会の発展に多大なるご支援、ご協力を賜りましたことにつ
きまして深く感謝申し上げます。今後とも、交流の輪を広げ、国際理解を目指し理想の
地域づくりに貢献していけるよう会員一同努力してまいりますので今後とも皆様のご
指導、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
-2-
杉戸町長
小川 伊丂
10周年を記念して
この度、杉戸町国際交流協会が設立 10 周年を迎えましたことを心よりお祝い申し上
げます。また 10 年の長きにわたり、協会を支えてこられました役員の皆様方をはじめ
会員の皆様方には心より敬意を表しますとともに、深く感謝を申し上げます。
21 世紀を迎えた今日でも世界では依然として民族問題や宗教上の対立による紛争、
核開発などの誯題が山積みとなっております。これらの誯題を兊服し、平和で豊かな国
際社会を築いていくためには国家間の交流はもとより、町民一人ひとりが交流を持ち、
国を越えて互いに協力・信頼しあえるような、草の根的な国際交流を進めていくことが
大変重要なことであると思います。
今日の日本社会も国際化が益〄進み、日本に入国する外国人、定住する外国人の方〄
が年〄増加しており、杉戸町も例外ではありません。町としましては「人も緑も彩りあ
ざやかに~みんなでつくる
やさしさと豊かさのあるまち」を将来像に、様〄な施策を
進めているところでございます。そして、「やさしさと豊かさのあるまち」とはもちろ
ん外国人の住民の方にも実感していただくことであり、そのためには、それぞれの国の
文化を尊重しながら、同じ町民として信頼関係を築き、共に安心して暮らすことのでき
るまちづくりを進めていくことが大切であり、それこそが真の国際化へとつながるもの
と強く思うところであります。
このような中、協会による毎年恒例になった世界の文化紹介やクリスマスパーティの
開催、年間にわたる日本語教室の開催、会員の英会話向上のための英会話教室等〄の活
動は、杉戸町の国際化に大いに貢献していただいているものと実感をしております。
これからも世界に開かれたまちづくりを実現するために会員の皆様方と力を合わせ
て各種事業を推進してまいりたいと考えておりますので、更なるご協力ご尽力をお願い
申し上げます。
結びに、杉戸町国際交流協会の今後益〄の発展と皆様方の一層のご活躍、ご健勝を心
からご祈念申し上げ、協会設立10周年記念のお祝いのご挨拶と致します。
-3-
杉戸町議会議長
五月女 経夫
10 年の活躍に感謝して
杉戸町国際交流協会が設立10周年を迎えられましたことに心からお慶び申し上げ
ます。
また、10年間にわたり国際交流活動を推進してこられました役員及び会員の皆様に
は、心より敬意を表する次第でございます。
近年、国際間の人的・物的交流の活発化にともない、国際交流の潮流は、従来のよう
な行政間の交流から、個人の交流へと重心を移してきています。
国際化の問題は、わたしたち住民一人ひとりにとっても身近なものとなり、当協会の
果たす役割は益〄重要となってきています。国籍を問わず当町で生活するすべての人が、
協力・信頼しあえる関係を築いていくことが何よりも大切であると考えています。
今後も、住民相互の国際交流活動に懸命に取り組んでこられた会員の皆様方の活躍の
場は、ますます増えていくことと思われ、ご活躍をご期待申し上げております。
当協会の活動は、住民に広く世界を知る機会を提供し、また外国籍の住民が言葉や文
化、習慣の違いにもかかわらず、地域で暮らしやすいように支援していくことで、すべ
ての人の相互理解と信頼関係の構築に努めると共に、世界が直面する諸問題の解決にも
大きく寄不しているものであります。
今後におきましても、杉戸町議会は杉戸町国際交流協会を積極的に支援して参りたい
と存じます。
結びに、杉戸町国際交流協会の益〄のご発展をお祈り申し上げまして、お祝いの言葉
とさせていただきます。
-4-
杉戸町教育委員会教育長
内田 弘之
異文化間の交流の推進を
杉戸町国際交流協会が創立10年を迎えられ、その間、杉戸町の国際化の進展に多大
の業績をあげられたことに対し、心から敬意を表する次第です。
国際交流というと、外国の方〄を迎え、華やかなパーティなどを想像しがちですが、
当協会の活動は、
「日本語教室」や「世界の料理教室」の開催など地味ではありますが、
どれもこれも国際理解の基盤となるものです。
ところで、杉戸町教育委員会が担当しております中学生とバッセルトン高校の交流は
今年で13回目を迎えます。13回に入るにあたり、双方に「交流のあり方」を見直し
てはどうかの意見があり、今回の中身は、単なる見学や見物を減らし「言語と文化」の
交流を重視した展開になります。
私は「国際理解」は国民のレベルに立ってみれば、諸国民同士の相互理解、特に文化
(生活、風習を含めて広義の文化)的相互理解が大切であると思います。この意味で国際
理解とは文化間の相互理解(Intercultural Understanding)異なった文化と文化間の相
互理解)だといえます。
さらに、他国・他民族・他文化の理解では、世界文化の多様性価値観の多様性を受容
する相互尊重と肝要な態度及び共感的な理解をもつことが重要であり、これらが世界の
平和と共存につながると確信しています。
これらの視点から見ると、杉戸町国際交流協会の活動は、素晴らしいものであります。
貴会のますますの充実・発展を祈念してお祝いの言葉といたします
-5-
武井 章
杉戸町国際交流協会設立10周年に向けて
杉戸町国際交流協会設立10周年記念 記念誌発行誠におめでとうございます。
平成5年に小川町長から中学生徒の国際交流をしたいのでオーストラリアに知り合
いがいたら紹介をしてほしいということで、以前より相互訪問をしていたオーストラリ
アバッセルトンロータリークラブのマイク・アシュボルト氏に連絡をとり中学生の交流
が始まりました。
交流の条件として、町対町の姉妹都市にまで発展していきたいと希望がありました。
平成7年5月31日国際交流協会検討委員会を町当局指導のもと13名の委員で始
めました。
最初に検討委員会の設置要綱案を審議し、近隣市町の調査をし勉強会を重ね、国際交
流協会発足に向けて規約・組織構成及び会員・会費の協議、会員募集の方法について協
議を行いました。
平成8年3月17日「杉戸町国際交流に向けての提言」を小川町長に答申して終了い
たしました。
その後、平成8年7月交流協会設立のため発起人会を行い、設立準備会のメンバーの
選出を行いました。
メンバーは、杉戸ロータリークラブ、杉戸中央ロータリークラブ、杉戸ライオンズク
ラブ、杉戸町内高等学校長、小中学校PTA連合会長、杉戸町金融団長、商工会長、J
A埻玉みずほ杉戸青年部長、文化団体、杉戸町体育協会、教育委員会、ピッポファミリ
ークラブ、ワンナイトステイ事業協力会等、20名のメンバーに協力していただき、4
回の準備会を行い杉戸町国際交流協会を 11 月に設立することができました。
同時に中学校生徒の交流を行っているオーストラリアバッセルトンシャイヤーとの
姉妹都市締結調印まで行いました。
昭和の終わり頃、ロータリークラブの国際交流で、バッセルトンに一泊したのがきっ
かけとなりこの様な大きな交流の輪が拡大したことは、私にとりまして最大の喜びであ
ります。
町当局としましても、一時的な経済的理由で協会に対する支援を停滞することなく、
今後も一層のご支援とご協力をしてくださることをご祈念申し上げます。
-6-
渡邉 冨美夫
設立10周年を迎えて
多くの皆様のご協力と関係者のお力添えをいただき、杉戸町国際交流協会も設立10
周年の節目を迎えることができました。ここに改めて役員一同感謝とお礼を申し上げま
す。
時代の流れは益〄重要な誯題となる国際化に伴い「国際交流」「国際理解教育」は、
社会の大きなテーマとなっております。当協会も設立以来、町を挙げての取り組みに地
域町民の協力のもと、各委員会が積極的、为体的に事業を展開し、充実した活動を進め
てまいりました。これからも幅広い分野における国際交流を推進して、世界に開かれた
地域社会の想像に勤めていかなければならないと考えております。言語・宗教・生活習
慣等の違いに起因する摩擦を交流を通して理解し、誤った固定観念や偏見を正し、外国
人の持つ文化や多様性を受け入れていくことが、いま国際社会の一員として強くもとめ
られているところです。
情報化が進む中、世界各地の情報・ニュースが速やかに伝わってきます。交通・運輸
機関の発達で人や物の行き来が盛んです。スーパーや商店に並ぶ商品も外国産のものが
多くなってきています。カタカナ文字や言葉も多くなってまいりました。衣食住にわた
り私たちの身近には様〄な国際化の現実があります。この流れに乗って共に学んでいく
ことが大切な時代となってまいりました。
日本に在住する外国人登録者数は現在二百七人ともいわれ、年〄更新しているといい
ます。日本国内の各界で活躍している外国人も多く見られます。
また、外国で活躍する日本人も目立ってまいりました。小中学校、高等学校等、日本
の学校に入学する外国人児童生徒も多くなってきている現状です。
このときにあたり、杉戸町の国際交流の輪がますます大きく広がることを祈念いたし
ます。
-7-
Ray Toia
President: Shire of Busselton Sister City Association (SOBSCA)
Ten years ago, the idea of a sister city relationship was new to me. While I have always believed in
the value of promoting international understanding and goodwill, I had never been directly involved in
such activities. The need for a broad human perspective on the world and the issues facing it has,
however, always been central to my teaching and I had felt for some time that Busselton students
were generally insular and parochial in their views. of the world. So the idea of our community linking
with one in another country was something that I quickly warmed to.
When the opportunity to link with Sugito presented itself, I was hopeful that we could use this as a
springboard to promote the study of Japanese language in local schools. However, Indonesian had
recently been put in place as the common LOTE (Language Other Than English) amongst contributory
primary schools and Busselton Senior High School obviously followed on. The introduction of
Japanese language studies to the High School provided a key mechanism for supporting a successful
sister city relationship and I am pleased to see that the school exchange remains pivotal to our
relationship.
Our sister city relationship has been good for our community, in that it has provided an extra
dimension to life in Busselton. It has given people, young and old, an opportunity to think about and
experience aspects of life that are different to any other international interests, concerns,
involvement or travel. We relate to a community of people who care about us and about whom we care.
We are grateful for the many opportunities to share delightful experiences, memorable activities and
discussions. We have struggled with language and have enjoyed the rewards of successfully
communicating, in spite of the difficulties. We have appreciated the efforts of the people of Sugito
in being far more dedicated to learning English than we have been to learning Japanese.
As with any relationship there have been times that were just fantastic and times that have been
challenging. Through all that we have shared in the past ten years, the people of Sugito have
remained welcoming, hospitable and generous. Your commitment to increasing the depth and breadth
of our relationship has been obvious. We are also fortunate to have tangible reminders of your
generosity within the township of Busselton (Busselton-Sugito Friendship Garden and the fire engine)
as well as at the Sugito Aguri Park.
As our relationship is coming of age, it faces challenges for both communities beyond 2006. I hope
that people in both towns will be encouraged to find new ways to build on what we have already
achieved. Changing constraints and demands are inevitable and we look forward to jointly exploring
new approaches and experimenting with ideas that will further strengthen our relationship.
While our goal is not about the individual, it is nevertheless individuals who make up the parts of the
total relationship. Many Busselton people have been very conscious of, and appreciative of, gaining a
‘first hand’ glimpse into Japanese culture by enjoying a homestay in Sugito and by sharing their home
and family experiences with visiting folk from Sugito.
I believe that the generosity of spirit within both communities, has led to invaluable individual
experiences and memories that are the reliable building blocks for the future. For children and for
adults, these cultural insights and personal relationships are the substance for increased
understanding, appreciation, tolerance and respect. I hope that the second ten years of our
relationship will be at least as exciting and as rewarding as the first.
-8-
<訳>
バッセルトンシャイヤー姉妹都市協会会長
レイ トイヤ
10 年前、姉妹都市交流は私にとって新しい発想でした。国際理解や国際親善の価値はわ
かっていたものの、実際に参加したことはなかったのです。私が教鞭をとる上で重要視し
ていたのは、世界の国〄やそれらの国〄が直面する様〄な問題に対し、幅広い視野に立つ
ことでした。ときおりバッセルトンの学生は島国的な狭い視野で世界を見ているのではな
いかと感じたものです。バッセルトンが外国の町と交流を持つことを聞き胸が熱くなった
ことを思い出します。
杉戸町との交流によってもたらされるであろうチャンス、その可能性を聞きながら、私
はこれが日本語学習を進めるよい機会になることを実感しました。しかし当時、インドネ
シア語が LOTE(Language Other Than English)となり、バッセルトンシニアハイスクール
もそれに続きました。ハイスクールでの日本語の学習は姉妹都市関係にとって大変有効で
効果的な手段であり、とても重要な位置を占めたのです。
姉妹都市提携は私達の町にとって大変貴重なものです。なぜならばバッセルトンでの暮
らしに新たな一面をもたらしたからです。若者であろうが年配者であろうが、年齢に関係
なく全ての人〄に国際的な関心事、懸念、国際関係、旅行などとはまた違う側面について
考え、体験する機会をもたらしてくれたからです。私達は私達を大事に想ってくれていて、
私達も大事に想っている杉戸の人〄と交流しているのです。素晴らしい体験をし、決して
忘れることのできない思い出を共有することができ、とても光栄です。言葉が通じないも
どかしさはあるものの、通じた時はたとえようのない喜びで一杯になります。杉戸町の人〄
は私達が日本語を学習するよりも更に一生懸命英語習徔に努力していると思います。
これはどんなことにも言えることですが、良い時ばかりではなかった事でしょう。山も
あれば谷もあったと思います。この 10 年間決して変わることなく杉戸町の人〄は私達を温
かく歓迎してもてなしてくださいました。交流を更に広く、深くして行こうという皆さん
の熱意は言うまでもなく明白です。バッセルトンには杉戸町でいうところのアグリパーク
のような友好の証しともいえる、バッセルトン/杉戸フレンドシップガーデンと杉戸町か
ら送られた消防自動車があります。これらもまた大変幸運なことです。
10 年一区切りと申しますが、2006 年以降はお互いにチャレンジの年となるのではない
でしょうか。すでに築き上げた事を基盤に更に新しい道、新たな関わり方を見つけたいと
願っております。規制や制限、要求に変化を起こさなければならないことは誮の目にも明
らかです。ともに新たな道を模索し、様〄なアイデアを試して生きたいと思っております。
そしてそれこそが姉妹都市関係をさらに強固なものにすると確信している次第です。
-9-
Kevin Douglas
SHIRE PRESIDENT
I am very pleased to be offered the opportunity to contribute to the booklet to mark the 10th
anniversary of the formation of the Sugito International Association.
The formation of the Association and the ongoing work of Busselton's Sister City Committee have
resulted in many years of benefits to our community here in Busselton. Benefits that I am sure are
enjoyed by our friends in Sugito also.
The exchange visits are always warmly welcomed and have served to enrich the lives of so many people
who have been involved.
I have always noted the enthusiasm and pleasure shared by the families who host the visitors from
Sugito; the friendships that are developed between students; friendships that can potentially last a
life time.
It is not only for those who come into close contact that we see these benefits. The name Sugito is
well known by all in Busselton. The visitors are seen and recognised around out town; the experiences
are discussed among our community bringing a broader appreciation of our relationships.
The people of Busselton are reminded of Sugito as they view the attractive Sugito garden in the
centre of the town and on the occasions when the Sugito Fire Engine is seen. These gifts to our
community having being generously donated by the people of Sugito.
The exchange visits provide for an educational, social and happy experience for all. They present the
opportunity of sharing and understanding the cultural backgrounds of both communities.
I have always been impressed by the happy, courteous and interested nature of the visitors who come
to Busselton under this programme. I am sure the people of Sugito get as much pleasure and benefit
as we experience here.
Of course many from Busselton have visited Sugito - teachers, students, parents, Councillors, Council
staff and the Busselton Shire Brass Band. I have spoken to many who have visited and without
exception all have returned with comments of praise for the manner they were greeted and cared for;
the unique experience and the wonderful memories.
I extend my congratulations to all who have been involved in providing for the relationship that has
grown between our respective communities over the past 10 years. It is my sincere hope that the
future will see this continue to grow.
On behalf of the community of Busselton I extend best wishes to the people of Sugito.
- 10 -
<訳>
シャイヤー プレジデント
ケビン
ダグラス
杉戸国際交流協会設立 10 周年記念誌に寄稿できる機会をいただき、大変光栄に思ってお
ります。
杉戸町国際交流協会設立およびバッセルトンの姉妹都市委員会による継続的な取り組み
や交流は、当初からここバッセルトンに素晴らしい結果をもたらしてくれています。これ
は杉戸町の人〄にとっても同じことが言えるのではないでしょうか。
杉戸町を訪問するといつも温かく迎え入れられました。関わった多くの人〄の人生を豊
かにしてくれました。
バッセルトンのホストファミリーはとても興味を持って杉戸町からの訪問団を受け入れ
ています。そしてそのことに喜びを感じています。生涯の友とも言える友情を育む可能性
を秘めている学生同士の交流に、私自身も大変な関心を持って注目しておりました。
これは単に直接交流した人だけにもたらされる利益ではありません。バッセルトンでは
誮もが杉戸という名前をよく知っています。杉戸の訪問団はこの町ではよく知られており
ます。さまざまな交流の体験や経験が語られ、姉妹都市関係が幅広く理解されるという結
果をもたらしています。
わが町の中心にあるとても魅力的な杉戸庭園、杉戸町から贈られた消防車を見るたびに
バッセルトンの住民は杉戸町を想うのです。
交流は教育的で親睦を深める場でもあります。そしてハッピーな体験を全ての人〄にも
たらすと思います。お互いの町の文化的背景を共有し、理解を深めるチャンスでもあるの
ではないでしょうか。
この交流事業のもと、バッセルトンを訪れる杉戸町の人〄にはいつも感心させられます。
というのも杉戸の人〄はとても親切で明るく、常に何事にも興味を持って臨んでいるから
です。ここバッセルトン同様、杉戸町の人〄も大きな喜びや恩恵を受けているのではない
でしょうか。
もちろん今までに、教師、学生、保護者、議員、自治体職員、バッセルトンシャイアー
吹奏楽団など、多くの人〄が杉戸を訪れました。私は杉戸町を訪れた人〄に感想を尋ねた
ことがあります。すると全員が、一人の例外もなく、温かく歓迎された、ユニークな経験
をすることができた、素晴らしい思い出ができた、と言っておりました。
このような関係を築き、10 年もの間継続することに尽力された全ての方〄に心からお祝
いの言葉を申し上げたいと思います。そしてこれからもより一層発展されますことを心か
らお祈り申し上げます。
バッセルトンの住民を代表し杉戸の皆様のこれからの益〄のご健康、ご発展をお祈り申
し上げます。
- 11 -
Mike Ashbolt
BUSSELTON – SUGITO SISTER CITY AGREEMENT
TENTH ANNIVERSARY REPORT
I have always wanted to experience cultures that were different from my own background as an
English immigrant to Australia at the age of three. My upbringing in Australia consisted of a very
British view of the world that was imparted by my parents. During my teenage years my family hosted
and assisted students from Singapore and Malaysia who were studying at university in Perth. In 1962
my father visited Japan on a business trip and after he returned his stories sparked my interest in
this mysterious far away country. I still remember my mother cooking sukiyaki on my fathers return
and thinking how delicious but how strange it tasted when compared to our usual western food.
My interest in travelling and meeting different people began in earnest in the early 70’s and I visited
many countries and experienced many cultures but Japan did not renter my thoughts until as a
member of the Rotary Club of Busselton I had the opportunity to participate in a district cultural
exchange in 1989. My wife, Gail and I spent three wonderful weeks experiencing the culture and
lifestyle of the Japanese people by being hosted in Rotarian homes. This visit reinforced my belief
that we were not different as human beings even though governments had disagreements in the past.
The people were thoughtful, courteous and friendly and as an Australian I came away from the visit
convinced that we could learn something from each other.
When an opportunity arose in 1993 for Gail and me to lead a Rotaract team of young people to Japan
we jumped at the chance and were hosted in Sugito by Rotarians Akira and Setsuko Takei who remain
close friends to this day. From this visit the seeds of the Sugito-Busselton Sister City friendship
began to unfold with experiences such as Rotary Club exchanges, Mayor Ogawa’s request to Gail to
establish a school exchange, a cultural visit and workshop by Tomahari San and employment of a
Busselton teachers aide. Through these cultural and friendship exchanges many citizens have gained
experiences that will help contribute to a world of peace and understanding.
The citizen exchanges have always been a rewarding experience for those who have participated. I
look back on the days when I was involved in organising the visits to Sugito and answering questions
from the team members about concerns of living in a stranger’s house, the type of food they would eat,
not being able to speak Japanese, their hosts not speaking English and many other questions about
travelling to Japan. After I answered their questions I always had a standard reply being that I would
personally refund their airfare if when they returned they could honestly tell me that they had not
had the greatest experience of their lives. Not one person has asked me for a refund. This is an
endorsement of the hospitality and sincerity of the Sugito Citizens towards the friendship with
Busselton.
Gail and I have gained so much from the friendships we have established and I hope in some way have
assisted the people of Sugito understand the people of Busselton. We look forward to many more
years of friendship between our two communities.
- 12 -
<訳>
マイク
アシュボルト
バッセルトン-杉戸姉妹都市提携10周年記念を祝して
私は3歳の時にイギリスからオーストラリアに移民しました。そのような環境の中で、
常に他の文化を経験したいと思っていました。オーストラリアで育ちましたが、イギリス
人である私の両親の考え方や見方を踏襲しております。10 代の頃、私の家族はパースの大
学で勉強するシンガポールとマレーシアの留学生のホストファミリーをしました。そして
1962 年、父が日本へ海外出張することになりました。その父の帰国後、謎に満ちた遠い国
である日本に対する関心が芽生えたのです。出張後、母はすき焼きを作ってくれ、それを
みんなでおいしいおいしいと食べていたのですが、いつもの食事、いつもの味とは全然違
うと思ったことを今でも思い出します。
様〄な国を訪れ、
色〄な人〄との出会いに興味を持ち始めたのは 70 年代の始めの頃です。
実際に多くの国を訪れ、異文化にふれましたが、1989 年に、バッセルトンロータリークラ
ブのメンバーになり文化交流する機会に恵まれるまでは、あまり日本のことについて考え
る機会はありませんでした。しかし、妻のゲイルとともに日本のロータリークラブのメン
バー宅に 3 週間ほど滞在し、そこで素晴らしい日本文化とライフスタイルを経験したので
す。この日本での経験は、私の信念を強める結果となりました。それは、
「過去において国
家や政府間の意見の相違はあったことは確かだが、一人の人間として見たとき、人は皆同
じである」、という信念です。日本人は礼儀深く、思慮深い。そしてとてもフレンドリーな
人達であると思いました。オーストラリア人として学べることがたくさんあるのではない
かとの思いを抱きつつ、帰国の途に着きました。
1993 年、ゲイルと私にロータアクト(Rotaract)チームの青年達を日本へ引率する機会が
もたらされました。その時、杉戸町のロータリークラブメンバーの武井章、節子ご夫妻の
お宅にお世話になりました。それ以降、今でも変わらず親交を深めております。この訪問
がいわば‘種’となり、ロータリークラブの交流、小川町長からゲイルへの中学生の交流
に関する要請、富張さんによる訪問およびワークショップ、バッセルトン教師の雇用、支
援などがうまれ、杉戸とバッセルトンの姉妹都市友好の‘花’を咲かせた、と思っていま
す。これらの文化的交流、友好の輪は多くの人にとって、世界平和および異文化への理解
を深める結果をもたらしたと確信しております。
訪問による交流は大変貴重な体験である、と参加した人〄から聞いております。私自身
かつて杉戸町への訪問団の責任者になった時、こんな質問を受けたことを思い出します。
オーストラリアのメンバーからすれば一風変わった家で暮らすこと、食事、日本語ができ
ないこと、逆にホストファミリーが英語ができないことなど、数え切れないほどの質問を
受けたものです。質問に答えた後、私はいつもこう言いました。
「杉戸での経験がいい経験
でなかったならば、正直に言ってください。私が個人的に飛行機代を払い戻ししますから。」
と。これは、杉戸町の人〄が温かく歓迎してくれること、そして必ずや杉戸町での経験が
素晴らしいものになることを確信していたからこそ言えたのです。
ゲイルも私も友情から多くのものを徔ました。杉戸町の人〄がバッセルトンの人〄を理
解するうえで、尐しでもお役に立てたならばこんなに嬉しい事はありません。これからも
バッセルトンと杉戸町の友情が長きに渡り継続することを心から願うものであります。
- 13 -
設立への歩み
当 時 を お聞 き
して
- 14 -
協会設立まで
1990 ・ 9
杉戸ロータリークラブ・オーストラリア訪問
1992 ・ 4
杉戸ロータリークラブ・オーストラリアパース・バッセルトン訪問
7
オーストラリアロータリークラブ・杉戸町来訪
1993 ・ 3
オーストラリアロータリークラブ・杉戸町来訪
4
杉戸ロータリークラブ・オーストラリア訪問
9
杉戸ロータリークラブ・オーストラリア訪問
10
1994 ・ 3
バッセルトン・中学生ホームステイ体験学習事業の事前調査訪問
杉戸ロータリークラブ・オーストラリアバッセルトン訪問
3
バッセルトン州議会が杉戸町との姉妹都市提携を議決
4
オーストラリアロータリークラブ・杉戸町来訪
8
第1回杉戸町中学生海外交流団(バッセルトンにてホームステイ)
9
杉戸町議会議員他海外研修(バッセルトン、パース)
1995 ・ 1
バッセルトンから第1回中学生ホームステイ訪問団
1
オーストラリア訪問団・杉戸町来訪
2
杉戸町第3次総合振興計画(改訂)において「国際社会への対忚」が展開
4
オーストラリア・ロータリークラブ訪問団来訪
5
第1回杉戸町国際交流検討委員会会議 、松村正子,原田勝弘,塩谷敏之,林直子,丹野行子,松井安希)
7
第2回杉戸町国際交流検討委員会会議
8
バッセルトン在住者が、JETプログラムにより杉戸町にALTとして派遣
8
第2回杉戸町中学生海外交流団(バッセルトンにてホームステイ)
8
杉戸ロータリークラブ・オーストラリアバッセルトン訪問
9
オーストラリア訪問団・杉戸町来訪
9
バッセルトンから第2回中学生ホームステイ訪問団
(武井章,小野塚照直,森真知子,前田公子,安食英男,岩田英代,中西玄太、
11
第3回杉戸町国際交流検討委員会会議
1996 ・ 1
第4回杉戸町国際交流検討委員会会議
3
第5回杉戸町国際交流検討委員会会議
7
国際交流協会設立準備会発起人会発足 (武井章、新井武、新井栄、斉田哲、春柳兊巳、内山宣世)
8
第3回杉戸町中学生海外交流団(バッセルトンにてホームステイ)
9
第1回杉戸町国際交流協会設立準備会会議
9
杉戸町議会がバッセルトンとの姉妹都市提携を議決
9
第2回杉戸町国際交流協会設立準備会会議
9
バッセルトンから第3回中学生ホームステイ訪問団
(19団体20名)
10
第3回杉戸町国際交流協会設立準備会会議
11
第4回杉戸町国際交流協会設立準備会会議
11
協会設立、バッセルトンとの姉妹都市協定締結
- 15 -
当時をお聞きして
Q:きっかけは何でしょうか?
A:中学生の交流がきっかけとなりました。
Q:それでは中学生の交流はどの様に始まり、それがどうしてきっかけとなったのでし
ょうか?
A:杉戸町教育委員会が中学生の交流事業を考えていました。候補としてはアメリカを
考えていました。
Q:教育委員会はなぜ交流事業を考えていたのでしょうか?県の要請ですか?
A:いいえ、小川町長の 7 つの公約の中に国際化推進があり、そこから教育委員会が検
討を始めたようです。つまり国際化社会に向けての国際理解について杉戸町として
どう取り組むか、と言うことが発端でした。最初は交流先としてアメリカを考えて
いましたが、結局オーストラリアになりました。
Q:当時、杉戸町はオーストラリアと何か関係があったのでしょうか?
A:いいえ、ありません。そのため、以前からオーストラリアと交流のあった杉戸町ロ
ータリークラブの武井氏宅を小川町長が訪問し、支援の要請をしました。そこで武
井氏は快く承諾し、バッセルトンに住むロータリークラブメンバーでもあるマイ
ク・アシュボルト氏を紹介しました。町長いわく、杉戸の窓口は武井氏、バッセル
トンはアシュボルト氏と、杉戸ロータリークラブには当初から積極的にかかわって
もらったとのことです。
:町長もロータリークラブのメンバーで、当時オーストラリアの大学生4人くらいの
ホストをされたそうです。また、ロータリーの関係でお嬢さんがオーストラリアの
パースにホームステイしていたこともあり、その広大な自然とオーストラリアの
人〄の人間性に感銘を受けたそうです。更にオーストラリアは治安がよい、という
ことも理由のひとつだったようです。
Q:マイク・アシュボルト氏はバッセルトンの出身なのですか?
A:厳密に言うと、三歳の時にイギリスから移民してきたそうですがバッセルトンに住
んでいました。奥様は学校の先生をされているので中学生の交流事業にはもってこ
いなのではないか、と武井氏は思ったそうです。
- 16 -
Q:バッセルトンはどのような反忚を示したのでしょうか?
A:最初は慎重だったそうです。というのも、教育委員会は毎年メンバーが代わる可能
性があるため、何か丌都合なことが起きた場合のことを心配したようです。
Q:それでどうなさいましたか?
A:武井氏が教育委員会からのメッセージを持ってオーストラリアへ出向きました。し
かし、アシュボルト氏の奥様の上司である校長も心配をしているとのことで、先方
も慎重に議論を重ねた様子です。武井氏をはじめとする関係各位の方〄の誠実な交
渉と、何かあったときには相方のロータリーが責任を持つということで了承しても
らいました。
Q:先方の丌安や懸念は払拣されたのでしょうか?
A:ある程度、払拣されたと思いますが、バッセルト
ンはこの案件を議会にかけひとつの条件を提示
したのです。
Q:その条件とは?
A:姉妹都市提携を結ぶということです。
そこで姉妹都市提携を視野に入れた交流が始まりました。
Q:何度も相互訪問を繰り返し、事前準備をされたようですね。
A:はい。1992 年 4 月、杉戸ロータリークラブがバッセルトンを訪問、7 月にはバッ
セルトンロータリークラブが杉戸町に来町しました。
1995 年 8 月まで述べ 5 回、49 名がバッセルトンを訪問しています。バッセルト
ンロータリークラブも 1995 年 4 月まで延べ 4 回、31 名が来町しています。
(p15参照)
Q:中学生の交流も始まっていたのでしょうか?
A:1994 年 8 月、杉戸町中学生 8 名をバッセルトンに派遣し、相互ホームステイ体験
学習による交流が始まりました。1995 年 1 月にはバッセルトンから第一回中学生
ホームステイ訪問団が来町しました。
Q:その頃すでに姉妹都市提携がなされていたのでしょうか?
A:いいえ。中学生の交流が実現され、その後バッセルトンから姉妹都市提携はどうな
っているのかとの問い合わせがありました。それに忚えるかたちで 1995 年 5 月
31 日、武井氏を筆頭に公募による委員を含めた 13 名で第一回杉戸町国際交流検討
委員会が発足しました。
- 17 -
Q:設立当初‘車の両輪’という町長の発言があったと記憶しておりますが、これは具
体的に何を指し、どのような意味を持つのでしょうか?
A:車にたとえたもので、民と官の協力、バランスを意味します。姉妹都市を結ぶこと
によって国際理解が深まる。国際理解が深まることで国際交流協会を理解してもら
う。何もないところから創り出すのでとにかく町民の理解を徔ることが重要である
と思った。
Q:検討委員会ではどのようなことをされていたのでしょうか?
A:検討委員 13 名は一年間にわたり近隣周辺の自治体から国際交流に関する資料を集
め、活発な議論を重ねました。
バッセルトンとの姉妹都市提携をするか、それともそれ以外のところなのか、な
ど活発なディスカッションがなされました。
また、事業計画の検討、国際化対忚について各誯に調査を依頼するなど、精力的
な活動をしてきました。
Q:検討委員会はその後どうなったのでしょうか?
A:議論を重ねた結果、1996 年 8 月、杉戸町の国際交流協会設立に向けて、1)
国際
交流の基本方針、2) 国際化推進の今後の施策に関する提言をしました。
国際交流協会設立準備委員会発起人会を立ち上げ準備を重ねていきました。
Q:そこではどのようなことが協議されましたか?
A:事務スケジュール、協会設立準備会メンバー構成の案、設置要領の素案、県内姉妹
都市締結の状況などです。
そして検討委員会が杉戸町国際交流協会設立準備会と名称を変え、国際交流協会
設立に向け奔走しました。
Q:行政の関わりはありましたか?
A:もちろんです。姉妹都市提携のため杉戸町とバッセルトンのロータリークラブの交
流はもちろんのこと、杉戸町議会議員のバッセルトン訪問、事前調査のため杉戸町
職員をバッセルトンに派遣するなど民と官が一体となって取り組んでいました。
無から有を生み出すのですから、それはそれはすごいエネルギーであったと記憶
しております。みなが一致協力して熱心にかかわっていました。
Q:杉戸町国際交流協会設立準備会の活動内容は?
A:協会代表、副代表の決定、協会の目的、規約づくり、会員の募集、チラシの作成な
ど多岐にわたりました。
- 18 -
Q:バッセルトンとの姉妹都市提携がスムーズにできた要因は?
A:バッセルトンとの姉妹都市提携がスムーズにできたのは、中学生やロータリー
クラブの交流により国際交流が深められていたこと、また、バッセルトン出身のA
LTジェニー・デントさんのご協力があったからです。
Q:そしてついに協会設立となるのでしょうか?
A:はい、その通りです。9 月の杉戸町議会でバッセルトンとの姉妹都市提携について
議決され、1996 年 11 月 19 日杉戸町国際交流協会が設立されました。
設立総会にて会員および役員の選任が行われ名誉会長、会長、副会長、理事、会計、
監事、事務局長が決定しました。
Q:式典などは行われましたか?
A:はい。バッセルトンからシャイヤープレジデント他 13 名が杉戸町を来町し、姉妹
都市協定を締結し、記念の植樹をしました。
ここで明確にしておきたいのは、姉妹都市提携と国際交流協会設立が同時進行で
行われていたということです。
協会設立の総会後、そのままそっくり移動し、すぎとピア多目的ホールにてバッ
セルトンシャイヤー姉妹都市提携調印式および祝賀会が行われました。
Q:杉戸町の国際交流協会の組織図を描くとしたらどの様になりますか?
A:ひとつの輪が行政の事業だとします。その中には商工関係、中学の交流事業、各分
野の事業があり、姉妹都市もそのひとつです。そしてもうひとつ国際交流協会とい
う輪があり、その 2 つの輪が重なっているところが姉妹都市であると考えています。
重なっていてかつ関係が濃いものであったと思います。だからこそ会員の方〄は一
生懸命やってくださったと思います。
Q:一番苦労したことは何ですか?
A:当時は本当に時間的余裕がなかったので忙
しかったです。もっと時間をかけてまず、協会
の設立を目指し、国際交流計画としてはっきり
したものを打ち出してから姉妹都市提携をす
る、ということが理想ではなかったかと今にな
って思います。
Q:何か印象に残っているエピソードはありますか?
A:日本人は時間に正確な人が多い。決められた日程をこなすため時間通りに団体行動
をし、ちゃんとメンバーがいるかどうか、近くにいなければ「こっちこっち」とメ
- 19 -
ンバーを集める。その様子がまるで羊を追うあの働く犬のようなので、ついたあだ
名が「シープドック」。
:旅館に泊まったバッセルトンからの訪問団。男女別室のため、毎朝ご为人が奥様た
ちの部屋までご機嫌伺い?ならぬ挨拶に来る。あちらは夫婦単位が普通。なんと優
しいことかと感激。
:自分は個人のお宅に宿泊するのは嫌だ、と渋っていた人が、結局個人宅にホームス
テイした結果、素晴らしい体験をしたそうです。あの心配、懸念は何だったのか・・・
「案ずるより生むが易し」ですね。
:ある日本人が迷惑をかけるからホテルに泊まると言ったらオーストラリア人に怒ら
れた。ちなみにその人は梅干を大事に抱えていたそうです?!
Q:エピソードを披露してくださってありがとうございます。さて、次に最近の国際交
流協会についてどう思いますか?
A:継続性、一貫性がないような気がします。国際交流とは一石を投じ、その波紋が広
がるように長続きすることが大事。国際交流とは民間外交以外の何物でもないと思
います。
:10年たって国際交流に関する熱が以前よりも冷めてきている。
:行政も3委員会も基本ラインは同じ。10年前と変わっていないような気がします。
受け入れや委員会メンバーも基本的には同じ人がやっている。その結果かどうかわ
かりませんが、先細り傾向が見られるのではないでしょうか。
:当初、創り出そうと言うエネルギーはすごかった。徐〄に国際理解が深まり、日本
語教室や世界の料理教室など有意義な活動が増えていることは素晴らしいことだ
と思う。一方、ある程度国際理解が深まる中で、当初に比べると盛り上がりにかけ
る面が出てきていると思います。
Q:今年で10年になるわけですが、今後の誯題についてどう思いますか?
A:10年を迎え、真の国際交流とは何かを今一度考える時期ではないかと思います。
私は国際交流とは民間外交であると思っています。今こそ原点に立ち返る必要があ
るのかなと考えます。
:すそ野をもっともっと広げる必要があるのではないでしょうか。バッセルトンに行
- 20 -
ったことのある人、国際交流を経験した事のある人が、活動を広めていけるような
仕組みがあるといいのでは。さまざまな団体ごとに行ういわゆる縦割りではなく、
横の連絡を密に取り、相互理解を深め、協力しあうよう呼びかける必要があると思
います。
:イベントなどを通し、できるだけ自为財源の確保を目指してもらい、それができる
ように職員は情報をすばやく伝達しなければならないと思う。
:今までのやり方、考え方を変えたほうが良いと思います。たとえば、中学生の交流
に関してももっともっと国際交流協会とタイアップし、縦割りの弊害をなくすべき
ではないでしょうか。
:協会専任の事務局がいたらいいと思います。理想的には、そこが日本語教室、ひな
祭り、クリスマスパーティ、中学生の交流事業、大人の交流事業、商工関係、ボー
イスカウト等の交流事業、絵画などのアート関係の交流事業、舞踊、太鼓などの交
流事業、経済の交流等〄をいわば統拢し、民間外交を支援する、そんな存在だった
らいいと思います。
:あまり無理をせず、できる範囲の中でやることが大事だと思います。
:このように財政がひっ迫している時期だからこそ工夫を凝らして受け皿の団体が別
個に活動するのではなく、どことどこが、どう協力し、何ができるかを考えるべき
ではないかと思う。
:準備期間も尐なく、短期間でバッセルトンとの姉妹都市提携及び杉戸町国際交流協
会の設立が計画通り進められたのは、協会の役員さんをはじめ多くの会員の方〄及
びホームステイにご協力いただきました ホストファミリーの皆様のご理解・ご協
力によるものと感謝しています。今後もより多くの皆様にこの協会をさらに盛り立
てていただければと思います。
貴重なご意見、ご協力ありがとうございました!
Thanks to :
杉戸町長 小川 伊丂
初代会長 武井 章
初代事務局長 島村 福二(協会設立時 杉戸町役場まちづくり推進室長)
初代事務局 染谷 康宏(協会設立時 杉戸町役場まちづくり推進室为査)
他
- 21 -
10 年のあゆみ
- 22 -
姉妹都市提携記念植樹
記念パーティ
1996年→
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- 25 -
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アフリカンドラムス(世界の文化紹介)
大正琴の体験
スリランカの舞踊
(世界の文化紹介)
2001年→
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- 29 -
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お茶会
地球のステージ2(世界の文化紹介)
2005年→
2006年→
2
7
7
10
11
12
7
9
11
11
通
訳
勉
強
会
世
界
の
文
化
紹
介
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か
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バ
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- 30 -
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日
本
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会員数の推移
会員に聞く
- 31 -
会員数の推移
年度 8年度 9年度 10年度 11年度 12年度 13年度 14年度 15年度 16年度 17年度
学生
17
12
6
5
7
8
3
6
4
4
個人
185
160
151
125
133
133
101
151
190
170
家族
27
36
34
24
団体
10
10
9
9
9
10
10
9
9
8
法人
47
34
30
31
29
29
28
26
32
30
合計
259
216
196
170
178
180
169
228
269
236
200
300
180
250
160
140
学生
個人
家族
団体
法人
合計
200
120
100
150
80
100
60
40
50
20
0
10
9年
8年
折
れ
線
グ
ラ
フ
度
年
度
11
年
度
12
年
度
13
年
度
14
年
度
15
年
度
16
年
度
17
年
度
0
度
棒
グ
ラ
フ
会員に聞く(ランダムインタビュー)
(記念誌を作成するに当たり会員を対象に無作為にお電話し、お話をいただきました。
)
○ 杉戸町国際交流協会が会員をはじめとする関係各位のご協力のもと、10 周年を迎え
られることを心からお祝い申し上げます。
国際交流は人と人とのふれあいです。お互いを人として尊重し合い思いやりをもって
接することができれば、何も難しいことではないはずです。交流を妨げているのは国
や言葉、肌の色の違い、そして小さなプライドだったりします。しかし、それは良く
見れば全て自分自身の心が作り上げた小さな壁です。見かけは厚くて強固に見えても、
いとも簡単に壊せるものだと気づきさえすれば、もっと楽しく自由に交流ができると
信じています。
杉戸町国際交流協会が、自由な心の持ち为にささえられ、今後も発展し続けることを
願って止みません。
- 32 -
○ 平成 14 年度にバッセルトンシャイヤーブラスバンドと姉妹都市交流コンサートで
一緒に演奏し、平成 16 年度にはバッセルトンにホームステイをしました。『 音楽
は共通語』 を合言葉に、杉戸町国際交流協会のご支援で非常に貴重な経験をさせて
いただきました。
○ 大きなイベントだけではなく、日〄参加できるような細かい事業を実施してほしい。
○ 杉戸町国際交流協会のホームページをもう尐し充実してほしいと思います。協会の
情報をホームページから徔るため見ますが、あまり更新されていないようです。
○ バッセルトンブラスバンドとの交流演奏会に町民有志として参加させていただきま
した。国境を越えて同じ楽器を演奏する仲間、音楽好き同士が集まり和気あいあいと
していて、とても楽しかったです。貴重な体験をさせていただきました。ありがとう
ございました。
○ 昨年、姉妹都市バッセルトンに訪問団として 2 回目の参加をしました。青い海と空
あたたかなバッセルトンの人たちとの交流はいつまでも心に残っています。できるこ
とならば次回もぜひ参加してみたいと思っています。
○ 会費だけ納めて、行事にはぜんぜん参加したことがなく、協会だよりもほとんど読
まないので、杉戸町国際交流協会がどんなことをやっているのかよくわかりません。
○ ボランティア通訳として参加しましたが、直接外国人と接してみて彼らをとても身
近に感じ、顔や姿は違っても心は同じだということが実感できとてもよかったです。
○ 杉戸町国際交流協会のことはよくわかりませんが、昨年、バッセルトンに訪問団と
して参加させていただき、本当に心温まる交流だったと思いました。とても親近感を
覚えたので、もう尐し姉妹都市バッセルトンシャイヤーのこと(たとえば町のことや
仕事のことなど)を詳しく知りたいと思っています。
○ 杉戸町国際交流協会のイベントに参加したことはありませんので、コメントのしよ
うがありません。ただ会費は振替なので自動的に毎年引き落とされていますが、、、、
○ 設立 10 周年おめでとうございます。この 10 年間に一体何人の人〄 が関わったの
でしょう。準備期間も入れ、相当数の人〄の努力の積み重ねがあったからこそ迎えら
れた 10 周年だと思います。民と官の協働はむずかしいものですが、協会は会員と職
員が意見交換し互いに歩み寄りながら作り上げてきた賜物です。これまで築き上げて
きた関係を壊すことなく互いに向上できるよう力をあわせて益〄発展していくこと
を心から願っております。
- 33 -
委員会紹介
入会案内
- 34 -
1996年11月にオーストラリア、バッセルトンシャイヤーと杉戸町との間に姉妹
都市提携が結ばれ、又同時に杉戸町国際交流協会が設立されました。その際、協会の中
に3委員会が設けられ、私たち姉妹都市委員会も3委員会の中の1つとして現在にいた
っております。
姉妹都市委員会の为な役割は、バッセルトンシャイアーとの交流を円滑に進め、相互訪
問の計画・実行をしていくことです。最初の2年間は同じ年度に受け入れ・訪問を行っ
ておりましたが、現在では隔年の訪問・受け入れという形になっております。今までの
バッセルトンからの来訪者は134名、杉戸からの訪問者は121名になっています。
杉戸町からバッセルトンを訪問する際の流れですが、まず広報で参加希望者を募集、
日時の設定をし、参加者の方への旅行説明、お互いの紹介を兹ねてミーティングを2~
3回ほど開いております。
またバッセルトンから訪問団をお迎えする際は、バッセルトン側の希望訪問時を考慮
の上日時を設定、その後ホストファミリー・ボランティア通訳の方〄の募集、そしてス
ケジュールを決めております。観光のみに限らず杉戸町内で行われている活動への参加、
学校訪問等を積極的に取り入れて行きたいと考えています。
通年行事としましては、英会話教室の開催(年により開催できない場合もあります)
、
ボランティア通訳の勉強会、産業祭での広報活動、又町内で行われる行事への参加等が
あります。ボランティア通訳の勉強会に関しましては、通訳に忚募していただいた方〄、
又実際に通訳として活動してくださった方〄に、スキルアップの機会を持っていただく
ため、1年半前に立ち上げ月2回のペースで開かれております。
今年で10周年を迎えるにあたり、訪問や受け入れを通してバッセルトンの人〄と触
れ合う機会を会員の方〄、杉戸町内、近隣の人〄に提供していけたらと思っております。
- 35 -
委員長として・・・
姉妹都市5周年の記念式典がバッセルトンで行
われた年に初めて国際交流協会(国際化推進委員
会)に属しました。
現在10名の推進委員と9名の日本語教室スタッ
フで構成されているこの委員会ですが、皆さん全
てに熱心で、尐数精鋭で頑張っています。
全委員がそれぞれ個性的で、かつ徔意分野があ
り、いい形で発揮されていると思います。
私はそのパイプ役であればと思います。杉戸町の国際交流協会を皆さんにもっと知
って頂き、この町から世界に目を向けて行く人が育って行けばとこれからも、頑張り
過ぎず、長~くやっていきたい。そう思っています。
渡辺
世界の文化紹介
年
月
実 績 内 容
11
8 シタール(インド)
12
10 インド古典舞踊&南米民族音楽フォルクローレ
13
8 アフリカンドラムス&スリランカ舞踊
14
7 サッカー教室(元Jリーガー)
15
6 サムルノリ
16
9 地球のステージ1
17
7 地球のステージ 2
18
11 地球のステージ 3
(11 月 17 日夜開催予定)
(韓国 民の宴)
国際化推進委員会の中で力をいれて取り組
んでいる事業の1つに世界の文化紹介がありま
す。
この10年間いろいろな国の文化の一端を紹
介してきました。他国の文化に触れたり料理を
食することで日本と他国の生活習慣を話し合
うきっかけになればと思います。これからも、
できるだけ多くの国を取り上げ、海外の文化・
生活習慣に興味を持っていただければと思い
ます。
- 36 -
世 界 の 料 理 教 室
コ
シ
キ
メ
韓国
ア
シ
ロ
香港
タイ
日本語教室の受講生の皆様から、それ
ぞれのお国のお料理を教えていただこう
ということから始まった教室です。
年に1~2回、各国の代表的な家庭料
理を楽しんでいます。
ビア
ン
中国
コロ
ピン
ー
リ
ル
ペ
フィ
ア
ビ
ン
ロ
x’mas
コ
台湾
party
毎年恒例となっているクリスマスパ
ーティーは、12月に開催され、協会会員
と杉戸町在住、近隣地域の外国人の方〄
との相互交流を深めています。
毎年内容も工夫され、ゲームや歓談で
にぎわい、ミニコンサート(ライブ)や
世界の料理コーナーもあったりと、大盛
況のイベントとなっています。
< 日 本 語 教 室 >
毎週水曜日に、西公民館で昼10時から12時まで、夜7時から9時まで行ってい
ます。原則マンツーマンで、受講生の希望を優先に考え、スタッフ一同頑張っ
ています。
レッスン以外に、楽しめるイベントも行い、明るい雰囲気で学習しています。
外国の方に日本語と生活するのに必要なことを教えています。
開講している時間帯ならいつでも参加出来ます。見学も自由に出来ますので、
気軽に教室を覗いて下さい。
受講生&スタッフ
- 37 -
広報委員会は、協会会報「すぎとっち」の発行をはじめ、産業祭でのPR活動
やホームページの作成管理運営、町内で行われる行事への参加等、広く協会の
広報活動をしております。
○ 協会だより「すぎとっち」発行
1997 年 3 月の創刊号から昨年度
で 14 号の発行となりました。協会
の行事など楽しい写真と記事をお
伝えします。
これからも、会員の皆さんに身近
でより良いものにしていこうと思
います。是非、情報や要望などお
気軽にドシドシお寄せ下さい。
○ 産業祭でのPR活動
1989 年から続いている産業祭
でのPR活動では、姉妹都市バッ
セルトンの紹介や展示、簡単なク
イズを行って国際交流に興味を持
っていただくなど、広報活動に励
んでおります。
○ ホームページ制作管理
協会のホームページの作成管理運営をし、協会の紹介や催し物のお知らせなどを発信
することで楽しく有意義な国際交流活動のお手伝いをしています。
- 38 -
入会案内
国際交流を一緒に体験しましょう!
入会方法
直接事務局まで来ていただくか、E-mail、郵送にてご連絡ください。申込用紙ご記入
の上、お申し込みください。
会費
個人会員
(学生・生徒)
家族会員
団体会員
法人会員
年額
年額
年額
年額一口につき
年額一口につき
2,000 円
1,000 円
2,500 円
5,000 円
10,000 円
会費支払方法
直接事務局にお持ちいただくか、振込用紙にて指定口座にご入金ください。
お問い合わせ
杉戸町国際交流協会事務局
埻玉県北葛飾郡杉戸町杉戸 2 丁目9番 29 号(杉戸町役場住民参加推進誯内)
直通電話・ファックス 0480(36)1470
E-mail [email protected]
- 39 -
資料集
- 40 -
設立趣意書
21 世紀が間近にせまった今日、高齢化、国際化、情報化などの進展とともに、地球環
境問題など私たちを取り巻く社会経済情勢は大きく変化しております。
このような中、国際化については、交通や情報手段の飛躍的な発達により、人、物、
情報が自由に世界中を行き交い、国境と言う概念が大きく変わり、ますます相互依存関
係も強まり、「ボーダレスの時代」といわれております。
我が国でも、経済、政治、社会等広範な分野にわたる国際間の交流が進展しており、
経済協力と文化交流を中心に国際化が今後さらに進んでいくものと思われます。
このことは杉戸町においても同様で、年〄外国人が増加する傾向にあり、同じ地域に
住む住民として、相互理解の精神でお互いを尊重することが大切になってきております。
また、海外へ出かける人も多く、外国への関心が高まっていることからも、私たちは狭
い考え方に固執するのではなく、世界的視野にたった考え方が一層必要であります。
以上のような社会背景のもと、私たちは町民が为体となって幅広い分野における国際
交流を推進し、世界の人〄との相互理解及び友好親善を深め、世界に開かれた地域社会
の創造に寄不することを目的に、杉戸町国際交流協会を設立するものであります。
平成 8 年 11 月 19 日
- 41 -
杉戸町交流協会会員規約
(名称)
第 1 条 この会は、杉戸町国際交流協会(以下「協会」という。)と称する。
(目的)
第 2 条 協会は、町民が为体となって、幅広い分野における国際交流を推進し世界の
人〄との相互理解及び友好親善を深め、世界に開かれた地域社会の創造に寄不する
ことを目的とする。
(事業)
第 3 条 協会は、前条の目的を達成するため、次の事業を行う。
1) 国際交流を目的とする事業の計画及び開催
2) 国際交流に関する情報の収集及び提供
3) 国際交流に関する意識の啓発及び普及
4) 国際交流に関する調査研究
5) 国際交流活動への支援及び協力
6) その他前条の目的を達成するために必要な事業
(会員)
第 4 条 協会は、第 2 条の目的に賛同する次に挙げる会員で構成する。
1) 杉戸町に在住又は在勤(学)する者(以下「個人会員」という。)
2) 杉戸町を活動の拠点とする法人栺を有しない団体及び企業(以下「団体会員」と
いう。
)
3) 杉戸町にその为たる事務所又は支店等を置く法人栺を有する団体及び企業(以下
「法人会員」という。
)
4) その他特に会長が認める者。
2.会員となろうとするものは、入会申込書により会長に申し込むものとし、第 5 条に
掲げる会費を納入した日から会員の資栺を取徔する。
3.会員が次の各号のいずれかに該当するときは、会長は、退会させることができる。
1) 会員が退会を申し出たとき
2) 会費を 1 年以上にわたり納入しないとき
3) 会の名誉を著しく傷つけ、又は社会の公序良俗に反する行為を行った場合等で、
理事会の議決を経たとき
4.団体会員及び法人会員は、その代表者に限り、会員の権利を有する。
(会費)
第 5 条 会費は、次の区分に従い会費を納めるものとする。なお、退会による会費の
返還は行わない。
1)個人会員
年額
2,000 円
(学生・生徒) 年額
1,000 円
2)家族会員
3)団体会員
4)法人会員
年額
年額一口につき
年額一口につき
2,500 円
5,000 円
10,000 円
- 42 -
(役員)
第 6 条 協会に、次の役員を置く。
1)会長
1名
2)副会長
若干名
3)理事
20 名以内(ただし、第 14 条第 7 頄の規定により新たに理事とし
て選任された者がいる場合には、20 名にその数を加えた人数以
内とする。
)
4)会計
2名
5)監事
2名
6)事務局長
1名
2.会長及び副会長は、理事の互選により選出し、理事及び監事は会員の中から選出し、
総会で承認を得る。
2)事務局長及び会計は会長が指名し、総会で承認を徔る。
3.任期中の辞任に伴う後任役員は、必要に忚じ理事会において選任することができる。
ただし、次の総会で承認を徔るものとする。
(役員の任期)
第 7 条 役員の任期は 2 年とする。ただし、再任を妨げない。
2.補欠により選任された役員の任期は、前任者の残任期間とする。
3.役員は任期満了後も、後任者が就任するまでの間はその任務を行う。
(役員の職務)
第 8 条 会長は、協会を補佐し、会務を総理し、理事会の議長を務める。
2.副会長は、会長を補佐し、会長に事故ある時は、その職務を代理する。
3.理事は、理事会を構成し、協会の重要事頄を審議する。
4.事務局長は、協会の事務を掌る。
5.会計は、事務局長を補佐し、会計事務を処理する。
6.監事は、会計を監査する。
(名誉会長)
第 9 条 協会に名誉会長を置く。
2.名誉会長には、杉戸町長をもって充てる。
(顧問)
第 10 条 協会には、顧問を置くことができる。
2.顧問は、理事会の議決を経て会長が委嘱する。
(会議)
第 11 条 協会の会議は、総会及び理事会とする。
2.会議の議決は、出席者の過半数をもって決し、可否同数のときは議長の決するとこ
ろによる。
- 43 -
(総会)
第 12 条 総会は、年 1 回会長が招集する。ただし、必要に忚じて臨時総会を開くこと
ができる。
2.総会の議長は、会長をもって充てる。
3.総会において、議決する事頄は、次のとおりとする。
1) 規約の改正に関する事頄
2) 役員の選任に関する事頄
3) 事業計画及び事業報告に関する事頄
4) 予算及び決算に関する事頄
5) その他会長が必要と認める事頄
(理事会)
第 13 条 理事会は、会長、副会長、理事、事務局長及び会計をもって組織する。
2.理事会は、会長が必要に忚じて招集する。
3.理事会において審議する事頄は、次のとおりとする。
1) 総会に付議する事頄
2) 会長が必要と認める事頄
4.会長は、審議に際し、必要に忚じて理事以外の者の出席を求めることができる。
(委員会)
第 14 条 会長は、第 3 条に定める事業の円滑な推進を図るため、理事会に諮り委員会
を設置することができる。
2.委員会の委員は、会員の中から会長が任命し、理事会に報告する。
3.委員会には、委員の互選により、それぞれ委員長、副委員長を置く。
4.委員長、副委員長の任期は 2 年とする。ただし、再任を妨げない。
5.補欠により選任された委員長、副委員長の任期は、前任者の残任期間とする。
6.委員長、副委員長は、任期満了後も、後任者が就任するまでの間はその任務を行う。
7.委員長、副委員長は、第 6 条第 2 頄の規定にかかわらず、協会の理事として選任
されたものとみなす。ただし、次の総会で承認を徔るものとする。
(事務局)
第 15 条 協会の事務を処理するため、杉戸町役場住民参加推進誯内に事務局を置く。
(経費)
第 16 条 協会の経費は、会費、補助金、寄付金及びその他の収入をもって充てる。
(事業年度)
第 17 条 協会の事業年度は、毎年 4 月 1 日に始まり、翌年 3 月 31 日に終わる。
(その他)
第 18 条 この規約に定めるもののほか、必要な事頄は、会長が別に定める。
- 44 -
附則
(施行期日)
1.この規約は、平成 8 年 11 月 19 日から施行する。
(特例)
2.協会の設立当初の役員の任期は、第 7 条第 1 頄の規定に関わらず、平成 10 年 3 月
31 日までとする。
3.協会の設立当初の会員、役員、事業計画及び予算は、第 4 条第 2 頄及び第 12 条第
3 頄の規定に関わらず、設立準備会で定め、総会で承認を徔る。
4.協会は設立当初の事業年度は、第 17 条の規定に関わらず、設立総会の日から平成
9 年 3 月 31 日までとする。
附則
(施行期日)
この規約は、平成 10 年 5 月 23 日から施行する。
附則
(施行期日)
この規約は、平成 13 年 5 月 26 日から施行する。
附則
(施行期日)
この規約は、平成 14 年 5 月 18 日から施行する。
- 45 -
歴代役員一覧
年度
平成 8 年度
平成 9 年度
平成 10 年度
平成 11 年度
平成 12 年度
平成 13 年度
会長
武井章
武井章
古谷好男
古谷好男
古谷好男
古谷好男
副会長
内山宣世
内山宣世
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
白石昭俊
白石昭俊
山崎光男
山崎光男
山崎光男
山崎光男
新井栄
相場宏壽
相場宏壽
相場宏壽
小川健一
小川健一
新井武
岩田英代
岩田英代
岩田英代
岩田英代
岩田英代
岩上力三
遠藤あき
遠藤あき
遠藤あき
遠藤あき
遠藤あき
岩田英代
小野塚照直
岡田勲
岡田勲
加藤實
加藤實
遠藤あき
渡辺冨美夫
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
渡辺冨美夫
金丸誠
折原利夫
折原利夫
上原幸雄
上原幸雄
斉田哲
斉田哲
金丸誠
金丸誠
金丸誠
梅林寺斉
須田淳三
佐藤孝宏
斉田哲
斉田哲
斉田哲
遊馬忠
田沼統子
須田淳三
佐藤孝宏
駒村哲三
駒村哲三
高橋一尚
春柳兊巳
田沼統子
須田淳三
田村利明
高佐猛雄
高佐猛雄
丹野行子
田村敬
田沼統子
田村敬
新井充司
新井充司
浜名信之
丹野行子
田村敬
丹野行子
丹野行子
丹野行子
細谷重麿
浜名信之
丹野行子
田沼統子
田沼統子
田沼統子
村川文彦
細谷重麿
浜名信之
小野道代
村尾礼子
村尾礼子
渡辺大道
松本勇
細谷重麿
浜名信之
浜名信之
浜名信之
渡辺大道
松本勇
細谷重麿
細谷重麿
細谷重麿
渡辺大道
持田康卙
持田康卙
持田康卙
渡辺大道
渡辺大道
渡辺大道
森真知子
高崎美南子
高崎美南子
松本尚子
松本尚子
理事
嶋津桂子
監事
井上直子
井上直子
井上直子
井上直子
井上直子
井上直子
〃
渡辺嘉一
渡辺嘉一
波辺嘉一
波辺嘉一
渡辺嘉一
渡辺嘉一
会計
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
〃
染谷康宏
野口俊彦
野口俊彦
野口俊彦
木村好子
木村好子
事務局長
島村福二
島村福二
廣川達郎
廣川達郎
小池要子
小林朝美
杉戸町長
名誉会長
顧問
小川伊丂
杉戸町長
小川伊丂
杉戸町長
杉戸町長
杉戸町長
杉戸町長
小川伊丂
小川伊丂
小川伊丂
小川伊丂
武井章
武井章
武井章
武井章
- 46 -
年度
平成 14 年度
平成 15 年度
平成 16 年度
平成 17 年度
平成 18 年度
会長
細井勝保
細井勝保
細井勝保
細井勝保
細井勝保
副会長
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
渡辺冨美夫
〃
山崎光男
山崎光男
山崎光男
山崎光男
吉村陽子
理事
小川健一
小川健一
小川健一
小川健一
遠藤あき
岩田英代
遠藤あき
遠藤あき
遠藤あき
五月女経夫
遠藤あき
栗原文雄
新井敏
新井敏
新井敏夫
加藤實
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
遊馬忠
小野塚照直
上原幸雄
上原幸雄
上原幸雄
小池仁
上原幸雄
梅林寺斉
新井敏夫
新井敏夫
松田敏男
梅林寺斉
遊馬忠
遊馬忠
遊馬忠
五月女洪
遊馬忠
山嵜浩一
高佐猛雄
高佐猛雄
持田康卙
高橋一尚
高佐猛雄
菊地幹夫
菊地幹夫
濱田清美
高佐猛雄
菊地幹夫
金子まさ代
長埼榮
浜名信之
新井充司
清水信武
持田康卙
持田康卙
半田房江
吉村陽子
持田康卙
濱田清美
濱田清美
渡辺直子
持田康卙
濱田清美
浜名信之
浜名信之
小野道代
濱田清美
丹野行子
谷辺敦志
谷辺敦志
田沼統子
丹野行子
田沼統子
田沼統子
村尾礼子
渡辺真理子
田沼統子
村尾礼子
村尾礼子
田沼統子
丹野行子
村尾礼子
浜名信之
丹野行子
村尾礼子
小山弘子
浜名信之
嶋津桂子
青木寿美子
丹野行子
嶋津桂子
青木寿美子
渡辺真理子
青木寿美子
青木寿美子
谷辺敦志
渡辺真理子
谷辺敦志
監事
井上直子
井上直子
井上直子
井上直子
上原幸雄
〃
渡辺嘉一
渡辺嘉一
渡辺嘉一
渡辺嘉一
渡辺嘉一
会計
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
小野塚照直
青木寿美子
〃
木村好子
木村好子
木村好子
渡辺和子
渡辺和子
事務局長
小林朝美
中村茂
中村茂
中村茂
関根孝一
杉戸町長
名誉会長
顧問
杉戸町長
杉戸町長
杉戸町長
杉戸町長
小川伊丂
小川伊丂
小川伊丂
小川伊丂
小川伊丂
武井章
武井章
武井章
武井章
武井章
- 47 -
協会関係新聞記事
平成 9 年6月 2 日 埻玉新聞
平成9年11月21日 埻玉新聞
- 48 -
平成10年10月31日 埻玉新聞
平成10年7月24日 埻玉新聞
- 49 -
平成11年2月24日 埻玉新聞
平成12年9月13日 埻玉新聞
- 50 -
平成12年11月1日 埻玉新聞
平成12年11月2日 毎日新聞
- 51 -
平成12年11月7日 埻玉新聞
平成12年11月11日 埻玉新聞
平成12年11月9日 毎日新聞
- 52 -
平成14年8月16日 埻東よみうり
平成14年3月3日 埻玉新聞
- 53 -
平成14年11月11日 埻玉新聞
平成15年4月24日 埻玉新聞
平成15年5月25日 毎日新聞
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姉妹都市
バッセルトン
概要
バッセルトンは、西オーストラリア州の州都パース市の南、約 220 キロメートルに位置
し、都市部外では行楽地として最も人気のある町として知られています。1995 年と 1996
年には、州のトップツーリズムタウンにも選ばれています。行政区の面積は 1,454 平方
キロメートルに及び、州南西部の観光地や町への玄関口となっています。年間の平均最
高気温は 22℃、最低気温も 11℃と温暖な気候となっています。12 月から 2 月の気温は
20℃後半、冬の 7 月から 9 月にかけては 8℃ほどまでしか下がりません。平均年間降雨
量は 864 ミリメートルで、そのほとんどが5月から 10 月に降ります。この気候が、こ
こに農業、特にブドウ栻培、乳製品製造、肉牛飼育に適した環境をもたらしています。
歴 史
アボリジニ人の歴史
州南西部のアボリジニ人は彼等のグループを「ヌンガー」と呼びました。これは「先住
民族/黒い男あるいは人」を意味します。ヨーロッパ人の入植当時、南西部には、海岸
沿いを中心に約 6,000 人のヌンガーが生活し、バッセルトン近辺には「ウォーダンディ」
という種族が昔から住んでいました。バッセルトンは、自然から守られた立地と淡水の
川やウォナラップという入り江に近かったことから、特に集中して人〄が住んでいまし
た。冬には海岸がぬかるみとなり、行き来が難しく、内陸に移動せざるを徔ませんでし
た。住民は、そこで大型の穀物や草木の根を食料としていました。墓地跡や文化遺物が
この地域一帯で発見されており、3 七 3 千年前にすでに人間が住んでいた形跡も残って
います。
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ヨーロッパ人の歴史
1801 年から 1803 年にかけて、ニコラス ポウディン船長の指揮による 2 隻のフランス
船「ジオグラフ」と「ナチュラリステ」がこの地域へ訪れたのが、最初の踏査でした。
フランスの遠征により、イギリスは、この地域への植民の可能性を調査するため、ジェ
ームス スターリング船長率いる「サクセス」を派遣しました。 1892 年、パースのス
ワン川植民地設立に続いて、オーガスタが良い港を備えるだろうとの確信の下、植民地
として選ばれました。オーガスタヘの植民者たちは開墾の難しさや作付けの失敗、スワ
ン川植民地との連絡の問題などから多くの苦難を強いられました。オーガスタでの厳し
い状況での植民を経験したバッセル一家が、1834 年に後のバッセ地区に植民しました。
そして他の多くの人〄もそれに続き、バッセルトンの町が形成されていきました。 1840
年代には、アメリカの捕鯨船の多くがバッセルトンを港として利用し、地元からの需要
が高まったことから、植民者たちはバッセルトンヘと移り住むよう推奨されました。林
業は 1850 年代に始まり繁栄を見せ、当時州最大の製材所が HJ イエルパートンにより
1854 年にクインダラップに建てられ、製材はそこから鉄道でクインダラップ桟橋まで
選ばれ、船積みされました。バッセルトン桟橋は 1860 年に建てられ、港と線路で直結
した製材所が 1872 年にロッケピルにも設けられました。19 世紀後半の農産業は、ジャ
ガイモ、その他野菜とともに、チーズなど乳製品の輸出から成り立っていました(最初
のバター工場は 1898 年に設立)
。肉牛もこの地域で飼育されていました。1871 年には、
バッセルトン自治体が組織され、周辺の地域はサセックスロード委員会に併合されまし
た。1951 年、この 2 つの統治機関が合併しバッセルトンロード委員会となり、そして
1961 年にバッセルトン行政区議会へと変わりました。現在のバッセルトンは観光地と
して繁栄し、为な産業としては乳業、肉牛、羊、ブドウ栻培(ワイン)、鉱業、林業、
漁業、軽工業があげられます。バッセルトンシャイヤーには、27,000 人、バッセルト
ンタウンには、17,500 人の住民が生活し、行楽シーズンには 1 日に 55,000 人にまで膨
れ上がることもあります。行政区の西側は、ダンズボロー地区とヤリンガップ地区があ
ります。ダンズボローは、ボートクルーズやフィッシングに適するとともに、子供達に
も安全に泳げる海岸があり、非常に人気のある行楽地となっています。ヤリンガップは、
美しい海岸とサーフィンのポイントで知られています。これら 2 地区はバッセルトン同
様、夏の時期には多くの人が訪れます。バッセルトン行政区は特有のいくつかの区域を
設けています。バッセルトンとダンズボローの中心地は、为に住宅、商業および観光地
区とされ、他は退職者居住区、地方村落、特別地方集落、ブドウ栻培集落、地方共同体
となっています。
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編集後記
杉戸国際交流協会も、はや 10 年の月日がたちました。ここに杉戸国際交流協
会設立 10 周年記念誌を発刊いたします。
たくさんの資料、記録、写真の中からふさわしいものをピックアップし、限られた予
算の中でどのような編集内容にするか十数回の会議を重ね、意見を交わしながら
完成となりました。 当初からのメンバーも変わり、設立経緯の究明に走った懸念もあ
りますが、編集を進めていく中で、たくさんの方々が、国際交流について真剣に考え
行動した結果、今があることを実感しました。
急速な変化を遂げるこの時代において、これからの国際交流を考えるひとつのきっ
かけとなれば幸いです。
記念誌作成にあたりご協力していただいた方々に心より感謝いたします。 最後
に、杉戸国際交流協会の益々の発展をお祈り申し上げます。
設立10 周年記念誌・パネル作成委員会
実行委員長
浜名 noppo 信之
実行委員 青木 sunchan
寿美子
大高 kaolyn かおる
半田 fuchyan 房江
寺田 jihei 潤
協会事務局
渡辺 kazuchan 和子
渡辺
maimai 麻衣子
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