石澤友康中学部長 入学式式辞全文

中学部入学式式辞
2014年4月7日
東洋英和女学院 中学部長
石澤友康
正門を通り抜け階段を降りた右手には、小さな桜の木が植えてあります。昨年植えたば
かりの小さな桜ですが、皆さんの入学を待つかのように花びらを枝に残してくれていまし
た。桜も皆さんと共に大きく成長してくれるのが楽しみです。
新入生の皆さん、東洋英和女学院中学部の入学、おめでとうございます。
中高部の教職員一同、皆さんをお迎えできたことを心から嬉しく思っております。
保護者の皆さんにおかれましても、お嬢様の入学にあたり、心よりお慶び申し上げます。
おめでとうございます。
皆さんは先ほど、ひとりひとり名前を呼ばれ、ここで晴れて東洋英和女学院の一員とな
りました。先月まではまだ小学生だった皆さん。ついこの前までランドセルを背負い、卒
業式には仲良しの友達や先生方とお別れをし、たくさんの思い出や希望を心の中に持った
まま、今日この日を迎えたことと思います。
いままでは小学校に行くと大好きな友達と先生方がいたと思いますが、今朝は、知って
いる友達のいない学校への登校となった人も大勢いることと思います。きっと嬉しさと共
に、不安や色々な思いを抱いてこの席に座っていることでしょう。
今から約110年前、皆さんと同じように、希望とちょっぴりの不安を胸に、鳥居坂の
急な坂道をお父さんに手を引かれ、この学校に入学してきた10歳の女の子がいました。
彼女は、のちに日本中の少女達に読まれる「赤毛のアン」の翻訳者、村岡花子さんです。
先週からはじまったNHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公のモデルになっ
た人です。皆さんはその番組を見ているでしょうか?
花子は山梨県甲府市の貧しい農家の家に生まれます。しかしお父さんは娘に才能を感じ、
それを何とか伸ばしてやりたいと思うようになります。熱心なクリスチャンでもあるお父
さんの努力で、花子は東京の学校に給費生(学費を免除されて勉強する生徒)として編入
学してきます。その学校が私たちの学校、東洋英和です。先週は幼いころの花子の物語が
放送されていましたが、今週はいよいよ東洋英和での学校生活が放送されると思います。
テレビでは東洋英和女学院は「修和女学校」となっています。当時のカナダ人宣教師の先
生達や生徒の様子が活き活きと描かれることでしょう。とても楽しみです。花子はここで
英語学や日本語学というプログラムで教育を受け、高い英語力と文学の素養を身に付けま
す。また個性的な友人との交わりを通して大きく成長していきます。花子は東洋英和を卒
業したあと、培った英語力を生かし姉妹校の山梨英和女学院で英語教師として赴任します。
その後、東京での編集者、家庭文学者、ラジオ番組の出演、などなどを通して、様々な人
や文学との出会い、また家族との悲しい別れを経験していきます。その中で花子は、自分
が東洋英和でカナダ人の先生の影響を受けたため、いつかカナダの文学を日本の子どもに
紹介したい、という望みを抱くようになります。様々な出来事の中で、その望みを叶える
糸口が見える日がきます。カナダの宣教師が戦時下の日本を離れるときに、見送りに来た
花子に一冊の英文の原書を手渡します。それがルーシー・モード・モンゴメリ作「Anne of
Green Gables」のちの日本語タイトル「赤毛のアン」だったのです。当時の日本はカナダ
とも敵対していましたが、宣教師が敢えてクリスチャンでありカナダ人を愛する花子を選
び、祖国の物語「Anne of Green Gables」を手渡したことには、深い意義がありました。
花子はそこに込められた深い思いを受け止め、平和の訪れを願うともに、翻訳することを
心に誓います。
その後、日本は戦争に突入し、状況がしだいに悪化していきます。東京も空襲に遭い、
街が焼野原になる中で、まさに命がけでこの本の翻訳を行います。
終戦後、この翻訳原稿が陽の目を見るのは、原書を手渡された日から13年の歳月が経
っていました。1952年(昭和27年)、日本に「赤毛のアン」が出版されました。花子
が52才だったそうです。
そして「赤毛のアン」は日本中の子どもや大人にも愛される名作と言われるようになりま
す。皆さんも読んだ人が多いと思いますが、村岡花子さんの翻訳の巧みさによって、主人
公アンのはじけるような明るさと逞しさが本当によく伝わってきます。
テレビの「花子とアン」の原作となった本は、お孫さんにあたる村岡恵理さんが書いた
「アンのゆりかご」という本です。その中でこのような文に出会いました。
「あの日、父に手を引かれカナダ系ミッションスクール、東洋英和女学校に
編入学しなければ、自分の人生は全く違うものになっていただろう。
翻訳の仕事にも、恐らく、儆三(夫の名前)にも出会わなかった。
カナダの婦人宣教師から受けた教育と精神的な感化が、貧しい茶商人の娘の
歩む道に光を与えてくれたのだ。
この本が、宣教師と共に遠いカナダから日本へと海を渡り、今、こうして
自分と戦禍を共にしていることに、花子は神の意志を感じないではいられな
かった。」
村岡花子さんは神様によって導かれて、東洋英和に入り、やがて「赤毛のアン」とも出
会いました。新入生の皆さんは、この東洋英和に入学するにあたり、一所懸命努力をして
勉強してきたものと思います。受験のとき、どの学校にしようか迷ったり悩んだりした人
もいると思います。小学部からの人は、当然のように中学部に入学するものと思っている
人も多くいることと思います。
しかし聖書にはこのような言葉があります。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」ヨハネ15:
16
皆さんは神様によって選ばれて、この東洋英和に導かれ、今、この席に座っているのです。
自分で選んだつもりでいても、実は、私たちは、知ることができない神様の大きな意志に
よって、その時に最もよいものが与えられているのです。皆さんは神様によって、今、自
分に最もよい学びの場として東洋英和に導かれたのです。
先ほど読んでいただいた聖書の箇所はこの学校が最も大切にしている言葉が書かれていま
す。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛し
なさい」マルコ12:30「隣人を自分のように愛しなさい」マルコ12:31
このことを「敬神奉仕」という4文字で表し、東洋英和の学院標語としています。
この新マーガレット・グレイグ講堂で、皆さんの正面の左右に掲げられた「敬神」と「奉
仕」の文字。神を敬い、隣人を愛する。
この3月には178名の高等部卒業生もこの席からこの言葉を見上げて卒業していきま
した。東洋英和は今年130周年という節目の年を迎えます。約2万人に及ぶ大勢の卒業
生達が、この「敬神奉仕」の精神を身につけて卒業し、大勢の人がこの神様の教えを自分
の生きる基盤にしています。皆さんも今日からの学校生活を通して、
「敬神奉仕」を行いと
してできる女性に育って欲しい、と心から願っています。
村岡花子さんは、この東洋英和で、青春時代をとてものびやかに過ごしました。様々な
人や多くの本や多くの学問との出会いが、その後の彼女の生きる支えとなりました。皆さ
んも彼女のように、是非この東洋英和で過ごす毎日をのびのびと、思い切り過ごしてくだ
さい。中学生のときにしか味わえないこともあります。高校生のときにしか体験できない
こともあります。そういった経験を大切にしてください。そこから多くのことを学び、そ
れが長い人生の礎となることでしょう。
そして、今日出会った友達を大切にしてください。全員がお父さんやお母さんや家族か
ら慈しまれ、神様に愛されている存在です。誰とも交換ができない、かけがえのない存在
です。私たち先生も、皆さんひとりひとりの存在そのものを大切にします。皆さんも、こ
のかけがえのない人達との出会いを大切にしてください。
そして、神様との出会いも大切にしてください。
これからはじまる東洋英和での毎日は何が待っているのか、ドキドキしますね。
村岡さんは、ご自身の人生の中で、何度も何度も自分の予期せぬ出来事にぶつかります。
まっすぐな道ではなく、何度も何度も曲がり角を曲がるような人生だったそうです。しか
し、その都度のおこる出来事を、良いものとして捉え、厳しい状況を生き抜いてきたそう
です。
村岡さんの支えとなった「赤毛のアン」に出てくる言葉があります。
「曲がり角をまがったさきになにがあるかは、わからない。でも、きっといちばんよいも
のにちがいない」
人は先が見えないと不安になります。でも村岡さんはそれを恐れなかった。明日何が起こ
るかなんて分からない。だから生きる価値があるんだと考えた魅力的な女性でした。
皆さんのこれからの学校生活がよいものとなりますように。神様の大いなるお守りがあ
りますようお祈りしております。
本日はご入学、まことにおめでとうございました。