赤毛のアンについて 佐知 ◎「赤毛のアン」Q&A 1.日本での「アン」の初翻訳について述べよ。 村岡花子さん(1893 年生まれ)が日本で初めて「赤毛のアン」を翻訳しました。翻訳 することになったいきさつは、カナダ人の宣教師ミス・ショーから友情の証として贈ら れた小説「Anne of Green Gables」原書でした。これを戦中、灯火管制下、言語統制の もとで密かに翻訳し、平和になったら日本の多くの人に読んでもらうためにと必死に原 書と自分が訳した原稿を大切にし、戦火をくぐり抜けました。出版のあてもないまま、 翻訳に打ち込み、翻訳し終えたのは戦争終結後でした。 1952 年に「Anne of Green Gables」を「赤毛のアン」として公刊しました。はじめ、 村岡花子は「窓辺に倚る少女」という邦題に決めていましたが、当時の編集者小池嘉考 が「赤毛のアン」という題を提案し、一旦は断った村岡ですが、それに賛同した娘のみ どりを見て、 「赤毛のアン」に変更となりました。 http://thepage.jp/detail/20140506-00000005-wordleaf http://anne.jp-keepexploring.canada.travel/hanako/ http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/an/04.html 2.アンとモンゴメリーの幼年時代について比較して述べよ。 アン モンゴメリ 生後 3 か月で両親を亡くす 1874 年にプリンスエドワード島のクリフト 8 歳までトマス小母さんと住む ンで生まれる。 (トマス夫人は貧乏。夫はアルコール依存症 1 歳 9 か月で母を亡くす 子だくさんで十分に面倒を見てもらえず) 母方の祖父母に引き取られた その後 10 歳までハモンド小母さんと住む 1890 年(16 歳)父と父の再婚相手に呼び寄 (子だくさんでアンは子守り役をしていた) せられたが、義母とうまくいかなかった ホープタウンの孤児院へ移された 1891 年 島に戻った 11 歳でカスバート家に引き取られた 両者ともに幼い時に親を亡くしており、親の愛情に飢えていたと考えられます。住む ところを転々とし、孤独で他人に理解してもらえないという境遇にありました。移り住 むところ(アンはトマス夫人とハモンド夫人の家、モンゴメリは父とその再婚相手の家) では、そこの人とうまくいかず、家族の愛を味わえずに過ごしていました。 環境を見てみると、両者とも自然豊かな場所で育っている点も共通しています。 Anne Montgomery http://www.transfer-theworldsgreat.com/other/lucy-maud-montgomery/ http://lmm.confederationcentre.com/japanese/tourists/tourists-2.html http://www.yjts7.net/masyu.html http://haijima-yuki.com/old_anime/akageno_anne/akageno_anne_kanso_5.html http://pds.exblog.jp/pds/1/201403/30/49/b0009849_1475572.jpg 3.<少女小説>としての「アン」の魅力について述べよ。 アンは人を引き付ける素敵な素質を持っています。アンは癇癪持ちで反抗することは ありますが、全く陰湿さがなく、自分の非は素直に認めて謝罪します。不幸な境遇であ ったにもかかわらず、持ち前の想像力と明るさで前向きに生きており、感受性豊かなア ンはちょっとした自然の美しさなどからでも幸福を感じられる素敵な人物です。何事に も積極的で前向きなアンの生き様が、「赤毛のアン」を読んだ少女たちの心に強く残り、 少女たちの考え方や過ごし方に少しは影響しているのではないかと考えます。 http://www.higashi-shingaku.jp/shosetu_shokai/shosetsu_vol21-40/no39.akagenoan.ht ml 4.アンがマシューに与えた影響について述べよ。 マシューは寡黙で結婚もせず、世間を避けるように生きてきていました。しかも、女 性が苦手で、妹のマリラと隣人のリンド夫人くらいしか話せないほど内気な人でした。 しかし、あんなにも女の子が苦手だったにもかかわらず、アンのおしゃべりを楽しんで いたのです。いつもアンのおしゃべりに耳を傾け、楽しんでいる様子からもマシューの 変化が読み取れます。アンがグリーン・ゲイブルズに来てから、マシューには守るべき 者ができ、愛情をもって接することを知り、共に過ごす幸せを味わうことができたのだ と感じました。 http://www.yjts7.net/masyu.html 5.アンに対するマシューとマリラの対応様態の違いについて述べよ。 マシューは常にアンに対して優しく、静かに、そして嬉しそうにアンのおしゃべりに 耳を傾けていました。アンのことを大変可愛がっており、アンの欲しがっていたパフス リーブのドレスを買ってきたり、アンがマシューに自分が男の子だったらよかったのに と言ったときにも、マシューは男の子が 1 ダースいるより、アンひとりのほうがいいと 言ったりするほど、アンのことを愛していました。優しく見守るマシューに対して、マ リラはアンを厳しく育てていました。マリラは信仰心が篤く、芯のある女性で、アンに 対して小言を言うこともありましたが、内心では深い愛情を抱いていました。比較する と、表面上のアンに対する態度は、マシューは優しく、マリラは厳しいものでした。 6.アンが周囲の人々に引き起こした変化について述べよ。 アンは出会う人たちと次々に事件を起こしていきます。しかし、そのなかで友情や人 間関係を築き上げていき、アンの持ち前の明るさと天然さでアン自身の生き方や周囲の 人の生き方を変えていきました。女性が苦手で内向的だったマシューがアンの話には聞 き入っていたり、厳格な態度をとるマリラも内心ではアンに対してどんどん愛情を抱い ていったりするところからもアンが引き起こした変化がよく分かります。また、ギルバ ートとの関係は喧嘩から始まり、学業において切磋琢磨しあう仲へとなっていきました。 お互いにライバル視していたことで、アンもギルバートも勉学で優秀な成績を修めるこ とができたのでしょう。 7.アンが周囲の自然に新たに命名することで輝きを増していった例について述べよ。 アンとマシューが初めて出会い、駅からグリーン・ゲイブルズへ向かう際、馬車で駆 け抜ける道のことをアンは“White Way of Delight”(歓喜の白い道)と言っています。 アンの感動と絶妙な木漏れ日が、より一層、歓びに満ちた緑あふれる道を輝かせている ようでした。また、この道中に見た湖についても、アンは命名しています。 “The Lake of Shining Waters” (輝く湖水)です。どこまでもキラキラと光る水面に雄大な自然を感じ、 アンのワクワクしている気持ちや表情、声色と眩しいくらいにキラキラと輝く水面がス トーリーの高揚感を高めていました。 8.静大の自然に詩的な名を与えなさい。 希望溢れる山の四季 Hillside Campus full of seasonal changes and hopes 9.自分なりの「アン」Q&A Q:アンとダイアナの性格や生き様について比較してみよ A:ダイアナはアンと違ってやや裕福な家庭で育ち、親に大事にされて過ごしていました。 性格についてはアンほど外向的ではありませんが、内向的でもありませんでした。家 が近く、 「腹心の友」を誓い合った二人は村の学校を卒業するまではよく一緒に過ごし ていました。しかし、村の学校を卒業後、二人の道はそれぞれ全く別のものとなりま す。アンが優秀な成績で進学し教師となる一方で、ダイアナは結婚して家事手伝いを しながら過ごしていたのです。ダイアナの古風で保守的な当時では平均的な女性の生 活に比べて、アンは進学や外で働くという女性の社会進出を試みたのです。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/1460/colum/anne5.html ◎感想 赤毛のアンは幼いころにミュージカルを見に行ったことがありますが、だいぶ時が経ち 忘れている部分も多くありました。改めて内容を確認していくと、アンばかりに視点を置 いていた幼い頃とは違って、今ではマリラやマシューの心情を深く理解し、考えられるよ うになった自分の変化に気づくことができました。アンの明るさや人を引き付ける魅力は さることながら、私の中ではマリラとマシューの愛情こそがこの物語には欠かせない大事 な要素だと感じています。マシューが亡くなった後にマリラがアンに言った「あんたには わたしがいるし、わたしにはあんたがいる」という言葉が私は大好きです。人は決して孤 独ではなく、想ってくれている人がいると思います。ただ、想うだけではなく、その想い を伝えることでどれだけ相手も自分も心強いだろうかと感じる一場面です。マリラのよう な厳格さの中にも愛情あふれる人柄が私にとって非常に魅力的で、教師を目指す上でも目 指していきたい人間像であると思いました。
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