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展示作品リスト
コレクションから、人体の生々しさをもつ作品を選んで構成します。身体を拓本のように押しつけて制作したクライン。左
耳だけを体内器官と一緒に切り取って彫刻にした三木富雄。身体を解体してゆくイプステギ。精神状態を身体の動きで表わ
したブルジョワ。自分自身の心臓音を作品に取りこんだボロフスキー。さまざまな方法で表現された“からだ”を内部と外
部から探って、その構造を感じてみましょう。
作家の言葉
彼女たちは生きた絵筆となった
イヴ・クライン
《人体測定―ANT 121》 1960年
金・和紙
=作品解説=
黒地に金色の女性のかたちが刻印され、どこか妖しげな雰囲気
を持つ作品です。
この作品は、裸のモデルに金色の絵具を塗り、紙に押しつけて
制作しています。一瞬の生の痕跡を残すことで、物質と非物質、
実体と空虚といったクラインの概念を表わそうとしているので
す。
クラインのモノクローム絵画には、青、ピンク、金の三色が使
われました。この三色は、クラインにとって宇宙を構成する三
原色で、金=「精神」、青=「空間」、ピンク=「生命」を象
徴しています。“ANT”は〈人体測定〉の略号で、〈人体測
定〉シリーズ121番目の作品という意味です。
作家の言葉
1928年、フランスのニースで芸術家の家庭に
生まれる。幼少時より絵画に親しみ、柔道を習
う。20歳の時に薔薇十字会に入会。空気、水、
火、土の四大要素を基礎にした神秘主義的な教
義は、後の制作活動に大きな影響を与えていく。
何もない“空虚”な個展を開いたり、人体に絵
の具を塗ってプリントを試みたり、パネルをガ
スバーナーで焼いて〈火の絵画〉を作るなど、
奇矯な行為が話題となった。1952年に来日。
柔道を学び、四段位を取得した。1962年5月、
カンヌ映画祭に〈人体測定〉の実演のため招待
された時に、最初の心臓発作に襲われた。同年
6月6日、パリで2度目の発作により34歳の若
さで亡くなる。
私が耳を選んだのではない
耳が私を選んだのだ
三木富雄
《耳 1.2.3》 1970-75年
アルミニウム
=作品解説=
3つ並んだ《耳》。その断ち切られた耳からは、「聞く」と
いうコミュニケーションを断たれた孤独感がうかがえます。
三木が初めて耳を発表したのは、1963年に開催された最後
の読売アンデパンダン展で、アルミニウムに鋳造された耳5
点からなる作品でした。その後も、ほとんど左耳ばかりを制
作しています。三木は「なぜ耳ばかり作るのか」という問い
に、「私が耳を選んだのではない、耳が私を選んだのだ」と
答えています。
三木の《耳》は、実物大のものから3メートルにおよぶもの
まであります。
1937年、東京に生まれる。執拗に耳のオブ
ジェを作り続けた作家として、国際的に知られ
ている。1958年、読売アンデパンダン展に初
出品。1963年から、初めは石膏で、次にアル
ミニウムの鋳造による耳を制作。翌年には第6
回現代日本美術展で受賞。以後、国際展で受賞
を重ね、1968年にヴェネツィア・ビエンナー
レに出品。1971年、ロックフェラー財団の招
きで1年間渡米した。1978年、40歳で亡くな
る。
作家の言葉
彫刻家は指先に目を持って
いなればならない
ジャン=ロベール・イプステギ
《湯浴みする女》 1966年
ブロンズ
=作品解説=
奔放なポーズで浴槽に身を沈める女性。まばゆいばかりの金色
の作品は、よく見ると太ももに空洞があき、足は3本あります。
顔にはマスクを付けていて、胴体はいくつかの部分に解体でき
ます。浴槽に取り付けられた壁を扉のように閉めると、女性の
身体は金属の中に沈んでしまいそうにみえます。
人の皮膚の下には何があるのかと問うような、見る者の潜在意
識を刺激する作品です。
作家の言葉
私にとって彫刻は身体であり、
私の身体が私の彫刻なのだ
ルイーズ・ブルジョワ
《ヒステリーのアーチ》
1993年
ブロンズ
=作品解説=
ヒステリー状態に陥り、のけぞった人体が宙づりになっていま
す。金色に輝く作品からは、苦痛から快楽、陶酔へと移りゆく
心情がうかがえます。
ブルジョワは、幼児期に父親の横暴や無理解に悩まされました。
創作活動は、少女時代に受けた心の傷を癒すための行為であっ
たと語っています。自伝的要素が強い作家といえます。
作家の夢日記
1920年、フランス北部のダン・シュル・ムー
ズに生まれる。初めは画家を目指していたが、
1954年に彫刻家に転身。1962年、パリのク
ロード・ベルナール画廊で最初の個展。1964
年、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品。以後、
カッセルのドクメンタなど数多くの展覧会に出
品した。2006年2月8日に亡くなる。
1911年、パリに生まれる。1938年にニュー
ヨークへ移住。1951年にアメリカ国籍を取得。
1982年、72歳の時に開催されたニューヨー
ク近代美術館の個展で再評価された。1990年
代からは巨大な蜘蛛のブロンズ作品を制作。
グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、テー
ト・モダン(ロンドン)、六本木ヒルズ(東
京)など世界各地に展示した。1993年のヴェ
ネツィア・ビエンナーレではアメリカ代表に選
ばれている。2010年5月31日、心臓発作のた
めマンハッタンで亡くなる。
赤いルビーをみつける夢をみた
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ジョナサン・ボロフスキー
《心臓をもった男》
1995年
グラスファイバー、塗料
電灯、コンピューター
=作品解説=
高さ3m75cm。緑色の身体の無表情な男の像です。胸の鮮や
かな赤いランプが点滅し、規則的な音が聞こえてきます。
この音は、作者ボロフスキーの心拍音で、生命のエネルギーを
表わしています。
ボロフスキーは、夢やおとぎ話から得たイメージを展開させて、
独特の世界を作りあげている作家です。この作品では、〈巨
人〉や〈赤いルビー〉といったボロフスキーの夢に登場するモ
ティーフが組み合わされています。〈赤いルビー〉は緑の巨人
に命を与えました。
1942年、ボストンに生まれる。8歳頃から本
格的に絵を習い始め、カーネギー・メロン大学、
エール大学で美術を学ぶ。1969年から毎日数
字のみを紙の上に書き留め続ける〈1から無限
へのカウンティング〉を始め、スケッチや走り
書きを制作するようになっても、署名の代わり
に数字を入れ続けた。1972年からは、自分の
見た夢を絵にするようになる。1976年、ヴェ
ネツィア・ビエンナーレに出品。1980年代初
め か ら 世 界 的 に 注 目 を 集 め 、 1984 年 か ら
1985年にかけてアメリカの代表的な5つの美
術館を巡回する大規模な個展が開催された。