年私 画家のアトリエ

【作品解説】「ギュスターヴ・クールベ 画家のアトリエ」『二枚の絵』2000年5月25日 毎日新聞社 116頁
鴨居 玲
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2年 私
カンヴァス 油彩
81
.6cm 横 259cm 昭和5
7年 (
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982)
縦1
石川県立美術館蔵
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ギュスタ ーヴ
クールベ
画家のアトリエ
カンヴァス 油彩
縦3
59cm 横 598cm 1
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5年
パリ オルセ一美術館蔵
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【作品解説】「ギュスターヴ・クールベ 画家のアトリエ」『二枚の絵』2000年5月25日 毎日新聞社 116頁
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鴨居玲
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絵の周囲を取り巻いているのは、鴨居玲がこれまでに描いてきた主役
影を引きずる庶民の姿である。だがその真っ只中にありながら、画家は
呆然自失のていで、虚空に顔を向けたままである。真っ白いカンヴアス
に向かって絵筆を取る意欲はすでに失せ、むしろ身を切るような孤独が
皇帝ナポレオン三世と、財務大臣フlルドや司祭服姿の御用評論家ヴイ
後に南米、ヨーロッパ各地を放浪し、つぶさに見た庶民生活の哀歓を描
鴨居玲は金沢に生まれた。金沢美大に学び、宮本三郎の薫陶を得たが、
痛々しい。
ヨらの取り巻き連だ、との説もある。そして中央には、周囲の閣を光明
くなかで、自己の表現世界を確立した。一九六九年、︽静止した刻︾で
安井賞を受賞。四十歳代半ばにスペイン、マドリlド近郊の村パルデペ
l ニヤスに暮らした頃が、生へのアイロニーにあふれた、重い手応えの
この作品は、日本へ戻ったのち、かつての緊張感ゲ乞再現できず、病が
秀作を次々と生み出したことによって特筆される。
にはル lヴル入りの栄に浴す。だが百五年の後︽アトリエ︾は︽オルナ
(宝木範義)
ちの生活にも倦んで、むしろ、のしかかる虚脱感、いやおそらくは自分
る意図を秘めた、ニヒルな乾坤一榔と言えるのではないか。
けんこんいってき
ンの埋葬︾とともに、セ l ヌ対岸に落成したオルセ l美術館に移送され
(稲賀繁美)
の死そのものを、正面から見据えたもの。近代絵画の創造概念を逆転す
その歴史的意義も大きな変更を迫られた。
た。大絵画の伝統の最後を飾る作品から、近代の幕開けを告げる作品へ。
が託したと目されるこの大作は、規定の﹁死後十年﹂を待たずに八一年
芸術による世界の救済。いささか誇大妄想的な希望をオルナンの巨匠
より生命を与えられて輝く。
へと変貌させる魔術のごとく、故郷オルナンの風景が、画家自身の筆に
画面右手の支持者に対して、左に描かれたのは密猟者に扮した仇敵、
語
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巧
言
たち。すなわちスペインの田舎で、あるいはパリで、かつて時間空間を
作え
副題には﹁現実的寓意﹂なる不思議な文句が添えられている。ホメ l
ゃに
分かちあった、酔っ払い、廃兵、物乞い、モデルといった、人生に深い
る手
﹁現実的﹂な友人たちだ。
ンだ
ロスが詩を、アリストテレスが哲学を寓意するというなら話も分かろう。
公開された。独立不罵のクlルベ、時に三十五歳。
ふき
白い下塗りだけのカンヴァスを前にして、絵が描けず途方に暮れてい
エク
﹁わがアトリエの精神的・物理的歴史﹂と自筆解説にある。パリ万国博
リノ
る画家自身を主題とした、極めて特異な自画像である。早すぎた死の三
1982年
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覧会出展を目論んだ作品だが、政府の意向に盾突く画家の倣慢な挙動ゆ
の〈
年前の個展で発表された、実質的な遺作と言っていい。
画がギ
えか、出品を拒絶され、会場ほど近くのモンテl ニユ街の私設仮小屋で
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はカ雪
出画
獄面
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116
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二枚の絵
二O O O年五月一 O日
二0 0 0年五月二五日
高階秀爾
平山郁夫
山本進
山本敦
和田誠
丸谷才 一
発行人
編集人
毎日新聞社
発印
行刷
大阪市北区梅田
u- 名古屋市中村区名駅
∞市山
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- 北九州市小倉北区紺屋町
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〒 -00182 東 京 都 千 代 田 区 一ツ橋
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