漱石文庫関係文献目録 「漱石文庫関係文献目録」は、夏目漱石旧蔵書(本学「漱石文庫」を含む)について言及している文献を収集したもので、 該当部分の記事を抜粋して収録しています。 ・収録データ数:300件(2003年10月31日現在) <凡例> 著者名 ◆タイトル ◇書名/巻号・編著者/出版者/出版年月/ページ >抜粋 V・H・ヴィリエルモ ◆メレディスと漱石 : 心理小説についての一考察 ◇「塔」/1(5)/羽田書房/1949.05/p30-33 >メレディスの死 (一九〇九年五月十八日) の翌日に於ける漱石の談話は、彼の受けた影響についての秤量を 示してゐる。漱石は即座に、メレディスの小説は大抵讀んだ、と言つてをり、又、本の餘白の書き入れを一瞥すれ ば、「リチャード・フェヴェレルの試練」(The Ordeal of Richard Feverel)「ローダ・フレミング」(Rhoda Fleming)「クロ エ物語」(The Tale of Chloe)「ヴィットリア」(Vittoria)「ビーチャムの生涯」(Beauchamp's Career)「悲劇的喜劇役者」 (The Tragic Comedians)「驚くべき結婚」(The Amazing Marriage)「サンドラ・ベロニ」(Sandra Belloni) を入念に讀ん だことが分る。彼は絶讃の口吻を抑へることが出來なかつた。 荒 このみ ◆ディクソンの辞書 ◇「英語青年」/125(7)/研究社出版/1979.10/p299-300 >「すばらしいものが見つかったんだよ。ほら」と言いながら、愛用の茶の皮かばんから分厚いゼロックスの写し を取り出した父は、にこにこと実に嬉しそうな顔をしていた。東北大学の図書館で、夏目漱石の蔵書を調べていて 発見したディクソンの辞書 (共益商社刊、1887年) には、余白にびっしり漱石の手になる書込みがあり、ほとんど 全般にわたっている。漱石の年表改訂に力を注いでいたこの数年であるが、最近では、英語教師として、英文学 者としての漱石の軌跡をたどろうとしていた。荒正人の遺志をついで、私どもは現在、この辞書を完成させる作業 を進めている。 荒 正人 ◆英文学者としての夏目漱石 ◇「英文学誌」/4/法政大学英文学会/1961.03/p33-55 >福原麟太郎が漱石とイギリス文学の関係にふれ、たとえば、『三四郎』の終りに出てくる「迷羊(ストレイ・シー プ)」という一句をあげ、この出典が判らぬと述べていた。『聖書』にはこれに近い用法があるが、そのままでない。 漱石が読んだ本をしらみつぶしに調べるほかないかもしれぬ。数年前、東北大学の図書館の一隅にある漱石文 庫を訪ねたことがある。英訳の『聖書』もむろんあった。漱石は、ロンドンの下宿で、朝から晩まで読みつづけた。 蝿の頭のような小さい字でノートを取りつづけた。イギリス文学を勉強する者として一層気になる。夏目漱石の英 文学者としての仕事を、年譜から拾い出してみたい。 荒 正人 ◆漱石とイギリス (1) : 「巴里ヲ発シ倫敦ニ至ル」 ◇「英語青年」/121(10)/研究社出版/1976.01/p464-465 >夏目漱石は、明治三十三年十月二十八日(日)の「日記」(小宮豊隆編集)に、こう書いている。「巴里ヲ発シ倫 敦ニ至ル船中風多シテ苦シ晩ニ倫敦ニ著ス」このほかには一字もない。Parisまで同行し、「万国博覧会」をともに 見物したのは、芳賀矢一、藤代禎輔(素人)、稲垣乙丙、戸塚機知であった。芳賀矢一の一行は、Berlinに向った が、漱石は一人で、Londonに出発した。漱石の「日記」を、三つに分けてみよう。(a)「巴里ヲ発シ倫敦ニ至ル」(b) 「船中風多シテ苦シ」©「晩ニ倫敦ニ着ス」それにしても、漱石は、ParisからLondonまで、どんな道筋を通ったもの であろうか。依然として霧に閉ざされている。 荒 正人 ◆倫敦への道 (1) ◇「法政大学文学部紀要」/24/法政大学文学部/1979.03/p47-81 >九月十二日(水)は、横浜港を出帆して、五日めである。夏目金之助(漱石)の日記(小宮豊隆校訂)は急に詳 しく、出帆以来四日の分の二倍を超える。逆に、芳賀矢一の日記は、前日の四分の一以下に減る。夏目金之助 (漱石)は「夢覚メテ既ニ故郷ノ山ヲ見ズ四顧渺茫タリ乙鳥一羽波上ヲ飛ブヲ見ル船頗ル動揺食卓ニワクヲ着ケ テ顛墜ヲ防グ,」と書き、芳賀矢一は、「睫起四海波際なくして山影を見ず波間時に飛魚の溌刺たるを見る甲板上 外人等種々の遊戯を試む」と書いている。両者ともに、甲板に出たものと推定される。前者は、燕を認め、後者は 飛魚を認めたのである。 安藤 久美子 ◆『三四郎』 : 「ハイドリオタヒィア」訳からみた三四郎 ◇「国文学解釈と鑑賞」/66(3)/至文堂/2001.03/p95-101 >三四郎の「ハイドリオタヒィア」の訳を原書において検討する。三四郎は、「水壺による骨の埋葬」を論じたこの 書に、<葬>ではなく、死における再生、<復活>の萌しを掴んでいるというのが結論である。漱石の所有する 「ハイドリオタヒィア」(和書名「壺葬論」)は、ロンドン版『ブラウン著作集』三巻の一巻にある。『漱石文庫目録』(東 北大学附属図書館 昭46・10・1)に拠れば、書き入れ傍線の記入はない。筆者の管見したのは、漱石と同じロン ドン版 “The Works of Sir Thomas Browne” 三巻の第三巻である。この中で、三四郎が目を留め翻訳するのは三 箇所、三四郎の翻訳部分を検討しよう。 池田 美紀子 ◆漱石とポオ ◇「比較文学研究」/33/朝日出版社/1978.05/p138-158 >漱石がスウィフトに感じたのと同じような親近感を覚えた作家がいたとしたら、それはおそらくエドガー・ポオで あったろう。漱石の東北大学所蔵の蔵書に残っている作品集は、詩集、Poems of Edgar Allan Poe with a Biographical Sketch by N.H. dole (G. Routledge & Sons, 1897)と短篇集Tales of Mystery and Imagination (Routledge & Sons, 1897)の計二冊である。二冊とも明治三十年年にロンドンで発行されたものであるが、漱石 はこれを大阪の丸善から買っている。推察するに、漱石は、五高の図書館かどこかで、まず他の版でポオを読 み、興味を覚えて、ただちにとり寄せたのではないだろうか。 1 ページ 漱石文庫関係文献目録 池田 美紀子 ◆漱石と世紀末の女性たち : ヒロインの肖像 ◇「比較文学研究」/57/朝日出版社/1990.06/p97-118 >スウィンバーンはD・G・ロセッティやバーン・ジョーンズが絵画に描いたテーマを劇詩にとりあげた(一八六〇)。 高慢で無慈悲な美女を、漱石がどう読んだかは「クレイグ先生」からは、うかがい知ることはできないが、クレイグ 宅に本を持って行き感想をもとめたところから考えると、漱石自身はすでに読み興味はいだいていたのではない か。現在、漱石所蔵の文庫に残されている『ロザモンド』には傍線も書き込みもないが、『カリドンのアタランタ』(一 八六五)は一八九九年版が残っており(Atalanta in Calydan, Lond, Chatto & Windus, 1899)、高雅な調べで有名な コーラスのひとつ全体に傍線がひいてある。 石垣 久四郎 ◆漱石文庫目録の改訂更新リスト ◇「東北大学附属図書館研究年報」/31・32/東北大学附属図書館/1999.12/p195-316 >昭和四十六年十月一日に編集刊行した「漱石文庫目録」は、当初から多くの研究者・利用者から利活用され、 時系列的に原資料との書誌不整合が若干見られ、訂正の指摘を受けるようになってきた。これらの指摘にたい し、長い間情報サービス課参考調査掛でレファレンスサービスを担当していた故高木氏は、数年前より自発的に 日常業務の合間を利用して書誌調査とその修正作業に力を注いできた。しかし、彼は大凡完了間際に体調を崩 された。本研究年報では、本学附属図書館参考業務の開拓・図書館学などでご活躍なされた故高木氏を偲ぶた めに、ここでは、漱石文庫目録改訂リストを報告することとした。 石垣 久四郎 ◆漱石文庫「身辺資料及び漱石関係収蔵資料」目録リスト ◇「東北大学附属図書館研究年報」/33/東北大学附属図書館/2000.12/p45-83 >漱石自筆日記・草稿や句稿資料及び身辺資料等の詳細な整理・目録作業は近年まで進められてきていたが、 平成一〇年三月仙台市文学館開館にともなう漱石文庫マイクロ化事業によりほぼ完了した。また、漱石文庫は データベースとして仙台市文学館開館に合せてインターネットのウェブ上で公開し、さらに平成十一年末には、身 辺自筆資料目録をイメージ画像データベースとしてウェブに公開した。ここでは、本誌三〇・三一合併号「漱石文 庫目録の改訂更新リスト」で割愛した、漱石文庫の「身辺自筆資料及び漱石関係収蔵資料」目録リストをその続 編として、報告することにする。 石崎 等 ◆『虞美人草』の周辺 : 漱石とズーデルマン ◇「跡見学園短期大学紀要」/11/跡見学園短期大学/1975.03/p55-65 >漱石の所蔵していたズーデルマンの著者は六冊で、しかも『雅歌』がドイツ語の原書であるほかは、すべて英 訳本である。『雅歌』をのぞきすべてに書き込みがある。おそらく漱石のドイツ語の語学力が増すのは、小宮豊隆 とアンドレーエフの『七死刑囚物語』の独訳を読む明治四二年三月から四月以降のことと考えると、『雅歌』の購 入もそれ以後のことに属すると判断してよいだろう。漱石の関心の最も強く寄せられているのは、『消えぬ過去』と 『レギーナ』の二著である。そこには女主人公の創造に対する漱石の異様な関心の程がうかがえ、小説構成技術 の巧みさに対する惜しみない賛嘆のことばが示されているのである。 石崎 等 ◆虚構と時間 : 『虞美人草』について ◇「評言と構想」/2/浅川書店/1975.07/p39-51 >漱石自身の京都旅行の体験を入れることは最初からあったにしても、プランと実作品とはかなりの相違点が見 受けられるのである。明治四十年・四十一年頃の「断片」として残されているプランについて、いま焦点を絞って 最初の四章にかぎって検討してみよう。≪一 叡山。死、D、F/二 保津川 童、女/三 E、I/四 F、G、H、≫ 人物関係図から推定すると、Dは甲野、Eは藤尾、Fは宗近、Gは井上孤堂、Hはその娘小夜子、Iは小野というこ とになる。つまり最初のプランを考えるかぎり、京都を舞台にした章は一、二、四の三章で、五章以降は東京にお いて小説は展開する予定であった。 石崎 等 ◆『三四郎』の方法 : 小説のすべての内的な筋は、時間の力に対する闘争にほかならない… : ル カーチ『小説の理論』 ◇「跡見学園短期大学紀要」/12/跡見学園短期大学/1976.03/p51-64 >「漱石山房蔵書目録」によると、漱石はイプセンの英訳書をかなり所蔵していたことが判る。そこには九冊がみ え、イプセンの主要作品をほぼ網羅しているのが知れる。「短評並に雑感」として書き込まれたものから推測する と、ズーデルマンに対するような熱っぽい鑑賞や積極的な批評は見受けられず、漱石のイプセンへの反応は冷 淡なものがあった。小説から多くのものを学び取ろうとしていた漱石にとってそれらが戯曲であったことも作用して いた。『三四郎』における漱石のイプセンに対する関心はほぼひとつに要約される。明治末期の青年男女に顕著 になり始めた自我覚醒の問題をどのようにとらえるかである。 石丸 久 ◆「虞美人草」について : 夏目漱石とG・メレディス(覚書) ◇『比較文学研究 1』/日本比較文学会編/矢島書房/1954.10/p177-195 >メレディスに対する漱石の関心とその傾向とは、その蔵するところのメレディスの著書(概ねこのメレディシアン が祖国に向って帰途についた一九〇二年までのLondon: Constable版)に対する書入等に看ることができる。所 蔵本への書入をみても、例えばThe Ordeal of Richard Feverel (London: Constable & Co. 1902. Colonial Library) の二〇五頁第一行以下に「此辺ノhumour頗る佳なり」とあり、The Amazing Marriage (London: Constable & Co. 1902)の三五頁第四章に「メレディスの書中ニハ必ズドコカニコンナ篇ガアル。情中ニ景ヲ写シ景中ニ情ヲ描ク頗 る詩趣アリ」などと記している。 2 ページ 漱石文庫関係文献目録 和泉 一 ◆メレディスと漱石 (一) : 受容と変質 ◇「近代」/35/神戸大学「近代」発行会/1964.02/p91-117 >漱石の語っている如く、メレディスは彼の最も親しんだ英国作家の一人であった。彼の蔵書目録を一つの基準 として、作品、資料のよく集められている英国小説家を挙げれば、オースティン、スコット、ジョージ・エリオット、ス ティーヴンソン、キプリング等と、メレディスであり、就中、詩集に至る迄の、作品全集の揃えられているのは、メレ ディスのみであることによっても裏付けられるであろう。漱石の蔵書中の彼の小説の大部分は、ロンドン滞在中に 蒐集されたもので、英国より帰国の行季の底にあった、これら作品の多くは、既に読み了えられていたと考えてよ かろう。 井田 好治 ◆『漱石のオセロ』について ◇「英学史研究」/7/日本英学史学会/1974.09/p147-161 >「漱石山房蔵書目録」ならびに『漱石文庫目録』(東北大学附属図書館,昭和46年刊)について、Othello関係書 目を点検してみると一巻本の沙翁全集The Leopold Shakespeare, With an Introduction by F.J.Furnivall, London: Cassell & Co. 1882(明治15年)をはじめ、The Works of William Shakespeareは、C. Knight編集の10巻本および7 巻本(Pictorial Edition),Sir H. Irving & F. A. Marshall編の14巻本があり、もちろんこのなかにはOthelloが収められ ている。またMacmillan社出版のいわゆるDeighton本は22巻が現存し、1893年(明治25年)版のOthelloが残されて いる。 稲垣 瑞穂 ◆漱石文庫(東北大学付属図書館) ◇『夏目漱石と倫敦留学』/稲垣瑞穂著/吾妻書房/1990.11/p233-235 >東北大学付属図書館には周知のように漱石所蔵本が五高前後のものから多数ある。この中、日本に持ち帰っ た多数の書物と蔵書の目録(東北大学付属図書館蔵「Catalogue of Books From November 1901」)について角 野喜六氏が言及しておられるが、その中に、「この西洋紙の所在はわからない。」と記されといる。近年私が調査 したところ、同館「漱石文庫」に、この西洋紙等が存在していることを知った。同館のご好意により、三度にわたっ て閲覧と撮影複写、および本書への転載引用が許されたので、明らかに留学中のものと見られるもののリストを 掲げる。 井上 ひさし ◆仙台駅頭の老夫婦への言付け ◇『夏目漱石展 : 「漱石文庫」の光彩』/仙台文学館編/仙台文学館/1999.03/p4-6 >文学者たちを地域という言葉で縛ってはまちがう。魯迅は中国の文学者だが、彼の医学から文学への転身の 決意が仙台医学専門学校の細菌学教室でなされたことは周知のこと、藤村は東北学院図書館のストーブのそば で『若菜集』に収められる詩篇と続々と案じ出し、太宰治は河北新報の一室で長篇『惜別』の細部材料をこつこつ と集め…。 となると、わが仙台文学館が夏目漱石展でその記念すべき開館を飾ることは、彼の愛蔵書が地元の 東北大学附属図書館に安らかに保管されているという機縁とも合わせて考えると、まことに時宜を得た企画だっ たのではないでしょうか。 井上 ひさし ◆2001年のシェイクスピアと漱石 ◇「國文學 : 解釈と教材の研究」/46(1)/学燈社/2001.01/p6-7 >漱石がシェイクスピアの専門家であったことは、「漱石山房蔵書目録」を見れば、よくわかる。彼はさまざまな版 のシェイクスピア全集を持っていた。 だいたい、留学先のロンドンで真っ先に教えを受けた例のクレイグ先生が シェイクスピアの研究家で、かつ全集の監修者でもあったから、その成果は、帰国後の東京帝国大学でのシェイ クスピア講義にはっきりあらわれた。 こんど全集を駆け足でめくってみて気がついたが、漱石はいたるところで シェイクスピアを引き合いにだしている。漱石は詩をつくる技術さえも、シェイクスピアから受け継いだのかもしれ ない。 井上 百合子 ◆夏目漱石と外国文学 ◇「英語研究」/61(8)/研究社出版/1972.10/p14-18 >ドウデエの『サフォ』(Sapho, Trans. By G.F.Mankschoold, London: Greening & Co., 1905)の見返しに、漱石は 書き付けている。明治41年7月1日の高浜虚子宛書簡に「ドーデのサッフォーと云う奴を一寸御読みにならん事を 希望致候 名作に御座候。」と書いているので、この書き込みをしたのがいつごろかは、ほぼ推定できる。(フロー ベルやモーパッサンへの書き込みも、ほぼこの前年かこの年と推定。)漱石は明治41年11月6日、内田魯庵か ら、訳した『復活』を贈られ、ただちに礼状を書いている。「小生実は英訳の『復活』を読まず」と書いてあるから、 魯庵から貰ってはじめて読んだと推定される。 井内 雄四郎 ◆夏目漱石とジェイン・オースティン : その会話をめぐって ◇「英文学」/68/早稲田大学英文学会/1992.02/p27-37 >これは、この夏集中的に二人の作家を読み比べているうちに、自ずと私の心に浮かんできた両者の会話の類 似性に関する断想、ないしは両者の共通性についてのヒントの如きものである。漱石の蔵書目録を収めた第十 六巻『別冊』(昭和四二年) 中の洋書目録には、オースティンの小説として『自負と偏見』(Pride and Prejudice)、 『分別と多感』(Sense and Sensibility)、『エマ』(Emma)、『マンスフィールド・パーク』(Mansfield Park) の四つが収め られており、このうち最初の三作には漱石の読後感を記したこまかい書込みがしてあって、彼が身を入れてオー スティンと取組んだ跡が如実にうかがえる。 3 ページ 漱石文庫関係文献目録 猪俣 浩 ◆漱石とシェイクスピアの《雲》 : 主に『三四郎』と『ハムレット』について ◇「学習院大学文学部研究年報」/20/学習院大学文学部/1974.03/p249-266 >『ハムレット』には漱石が若い頃から興味を持っていた事実があるが、明治三十七・八年頃の断片に『ハムレッ ト』を論じているものがあり、またテキストの余白の書きこみも極立って頻繁であることからも、このことは伺える。 断片に残した漱石のハムレット性格論には、時代の嗜好の影響が見られる。'Get thee to a nunnery' の句につい て、漱石はダウデン編のテキストに「此句無量ノ感慨ナリ 此句ヲ繰リ返す所尤も姿致アリ」と書きこんでいる。とり わけ『ハムレット』が色濃く影を落としていると私に思われるものは、『三四郎』である。私の小論の眼目は、ごく細 かい点であるが、漱石とシェイクスピアの雲のイメージに関してである。 伊村 君江 ◆夏目漱石とオスカー・ワイルド : 日本に於ける『獄中記』の波動 その二 ◇「鶴見女子大學紀要」/5/鶴見女子大学/1968.03/p73-99 >『草枕』のなかの最後より2つ目にあたる12章のところに、オスカー・ワイルドの名が見られる。わが国において 文学作品のなかにワイルドの名前が出てくるものとしては、これが最も早いものである。漱石の蔵書目録を開け てみると、ワイルドの著書は『獄中記』のほかには『ドリアン・グレイの肖像』と『サロメ』の二冊がみえるだけであ る。思うにワイルドの三冊は帰朝後に取り寄せたと推定される。The Picture of Dorian Gray はめずらしいことに、 ドイツの Leipzing Tauchnitz 版 (1908) を持っており、Salome はロンドンのJohn Lane 版 (1906) である。『ドリア ン・グレイの肖像』を開くと、その扉に相当長い読後の感想が記されている。 伊村 元道 ◆卵のフライ : 漱石の青春 (6) ◇「英語教育」/27(6)/大修館書店/1978.09/p71 >金之助が高等中学校で英語を習った先生の中で、たったひとり名前の分かっているのが、James Murdoch (1856-1921)である。この外人教師の面影は「博士問題とマードック先生と余」に活写されていて、それはまた英 学生夏目金之助を知るための絶好の資料でもある。高等中学校時代の金之助の書いた英作文が1篇だけ全集 に収められている。それはマードックの編集していた雑誌『みゅーぜあむ』の他の級友たちのものと共に載せられ た課題作文'Japan and England in the Sixteenth Century'で、内容は序論だけで尻切れトンボに終ってはいるが、 マードックの評価は高い。 伊村 元道 ◆そのころ彼が読んだ本 : 漱石の青春 (7) ◇「英語教育」/27(8)/大修館書店/1978.10/p35 >金之助が高等中学時代に読んだことが分かっている英書が何冊かある。いずれも当時評判だった本である。 Shakespeare's Tragedy of Julius Caesar. Ed. With Notes by W.J.Rolfe. New York: Harper & Brothers. 1887. (English Classics)「読至此齣始沙翁筆端有神矣」というような漢文の書込みが 'No man but Shakespeare could have written this scene.' という英文に添えられていることから、小宮豊隆が明治22年前後と推定したもの。第4 幕第3場の「ブルータスのテントの中」である。坪内逍遥による翻訳『自由太刀余波鋭鋒』がすでに5年前に出てい るが、それを彼は読んでいたかどうか。 上坂 信男 ◆『源氏物語』と夏目漱石 : 「宿世」と「偶然」をめぐって ◇「共立女子大学文芸学部紀要」/43/共立女子大学文芸学部/1997.01/p1-28 >『源氏物語』は世界的にも有名な作品だから、少なくとも部分的には読んでいるに違いない。漱石山房の蔵書 目録にも、『源氏物語』二十九冊と載っている。一応、所蔵してはいたが、全篇を読破していないと推測させること を、漱石自身が述べている。「徒にだらだらした『源氏物語』、みだりに調子のある馬琴、」「近松もの、さては上田 秋成の雨月物語なども好まない。」とも、はっきり言っている。(「余が文章に裨益せし書籍」) にもかかわらず、叙 述方法、思惟内容に『源氏』と漱石作品と両者共通するものがあるのは、興味深い。『源氏物語』における「宿世」 と同じ効果を与える言葉として、漱石が「偶然」を用いている。 江藤 淳 ◆マロリーと漱石 ◇『漱石とアーサー王傳説 : 『薤露行』の比較文學的研究』/江藤淳著/東京大学出版会 /1975.09/p106-144 >漱石の藏書に三種類のマロリーが含まれていることについては、すでに述べた。そのうちで、特に重要なの は、書入れと傍線の附せられている一九〇〇年(明治三十三年)のマクミラン版二巻本である。全二巻のうち、第 一巻は、キャクストン版のマロリー『アーサーの死』第一巻から第九巻までを含み、第二巻は、同じ第十巻から第 二十一巻までを含んでいる。四ヶ所に和紙の細片がはさんである部分がある。マクミラン版第二巻の二三八頁と 二三九頁のあいだにはさんである紙片には「明治大學分校」と毛筆で記した文字が書かれ、朱印が捺してある。 江藤 淳 ◆漱石とその時代 : 第三部(四) ◇「新潮」/88(4)/新潮社/1991.04/p349-359 >漱石はオーディン神話について、ロンドン大学のユニヴァーシティ・カレッジで二ヶ月間講義を聴いた、ウイリア ム・ペイトン・ケアから知識を得たに相違ない。漱石の蔵書のなかには、ケアのEpic and Romance : Essays on Medieval Literature(叙事詩と物語・中世文学論集・一八九七・明治三十年)とThe Dark Ages(暗黒時代・一九〇 四・明治三十七年)の二点の著書が含まれている。問題は西洋の叙事詩にあっては過去形で語られるべき物語 の時制が、『幻影の盾』では大胆不敵にも、ほとんど残りなく現在形に変換されているという、恐らくこの一点に 掛っているのである。 4 ページ 漱石文庫関係文献目録 江藤 淳 ◆漱石とその時代 : 第五部(九) ◇「新潮」/94(12)/新潮社/1997.12/p330-340 >自装本となった『心』の装幀で最も注目すべき点は、表紙に貼り付けられている「心」という文字とその字解に ほかならない。これは漢字の字典の字解をそのまま採ったものと覚しく、筍子解蔽篇の文字が、墨の罫のなかに 記されているというもので、「心」の字解は八行にわたっている。これはおそらく、『康熙字典』から採ったものに違 いない。「漱石山房蔵書目録」によれば、漱石は安永九年(一七八〇)京都風月堂刊の四十一冊本の『康熙字 典』を所持していて、江戸中期版のこの字典を日頃愛用していたものと思われるためである。 海老池 俊治 ◆漱石と英文学 : 『虞美人草』と『三四郎』の場合 ◇「言語文化」/2/一橋大学語学研究室/1965.11/p89-98 >現在東北大学図書館に蔵されている旧漱石蔵書中に、James Oliphantという著者のVictorian Novelistsという 書物がある。そのなかに、漱石自身の書き込みがあることはすでに知られているが、恐らく未発表と思われる、 簡単な、しかし、重要な、個所を見逃すべきではあるまい。書き込みは、彼がMeredithの、とくにThe Egoistの特徴 を確認したことを示している。で、それに加えて、The Egoistの顕著な観念"ego"を前面に押し出してみると、それ らがそっくりそのまま『虞美人草』の骨組みをなしていることは、疑いの余地がないように見える。 海老池 俊治 ◆メレデスとオーステン ◇「英語青年」/112(7)/研究社出版/1966.07/p448-449 >誰かが <則天去私> を具現した作品の例はときくと、漱石は The Vicar of Wakefield や Pride and Prejudice を あげたという。『文学論』中に、この小説の第1章をほとんど全部引用して、その写実的手法を称えている。漱石旧 蔵の Pride and Prejudice には、すでに知られているように、見返しに著者の平明な客観的態度を指摘している。 ところで、興味深いことに、本文につけられた最初のしるしは、21頁の俚諺に対する下線とその右欄外の斜線で あり、第二のしるしは、41頁の Elizabeth Bennet の機智に富んだ言葉の右欄外に引かれた縦線なのである。こ のような奇妙な矛盾(?)はいったい何を意味するのであろうか。 海老池 俊治 ◆「則天去私」と英文学 : ひとつの試論 ◇「英語青年」/113(9)/研究社出版/1967.09/p564-565,571 >「則天去私」と最も関係の深い英文学史上の作品は、Pride and Prejudiceらしい。が、そのほかに文学史的な 順列からいえば、それよりも半世紀以前のThe Vicar of Wakefieldがかかわり合っているようである。漱石は<自 然>という観念をどう理解していたのであろうか。彼がVicarを読んだ読後感が記録されていれば――が、残念な がら、その資料がない。東北大学図書館の旧漱石蔵書はVicarのテキストを三部含んでいる。そして、そのひとつ に、細かい書きこみがある。が、恐らく、彼が青年時代に書き記したらしいそのかすかな文字は、いま、ほとんど 判読できない。 大久保 純一郎 ◆漱石の『低徊趣味』と英米文学 ◇「英語と英文学 : 研究社月報」/28/研究社出版/1968.02/p6-9 >漱石は明治22年12月31日付の子規への手紙にMatthew ArnoldのLiterature and Dogma(1873)から受けた感 銘を書き送った。これは中村是公が漱石の求めに応じて買ってくれたというアーノルドの論文ではなかろうか。 「漱石山房蔵書目録」にはアーノルドの論文集は三種記載されている。その中『全集』が余白書き込みを収録した のはLiterature and Dogmaの1883年の第二版普及版のみである。漱石は意識の連続の問題を論じて、しばしば Jamesの名をあげた。おそらくPrinciplesの「意識の流れ」(the Stream of Thought)の章を検討したのであろう。 大久保 純一郎 ◆漱石とベルグソン (一) : 晩年の作品における時間の問題 ◇「心」/23(3)/生成会/1970.03/p14-22 >いつ頃から漱石がベルクソンの著作を読み始めたのだろうか、どんなきっかけからだったろうか、そしてそれは どんな影響を漱石に及ぼしているだろうか。結論をさきに云えば、漱石は明治四十四年、ベルグソンの第一の主 著である、Essai sur les donne immedicates de la conscience(1889)(「意識に直接与えられたものについての試 論」)が英訳されるや直ちに読み出し、これに共鳴した。「漱石山房蔵書目録」には、英訳本、Bergson: Time and Free Will. Trans. By F. L. Pogson. London: S. Sonnenshein & Co. 1910.がのっており、また同書に書きこまれた漱 石の賞讃の言葉は全集に収録されている。 大久保 純一郎 ◆漱石とベルグソン (二) : 晩年の作品における時間の問題 ◇「心」/23(4)/生成会/1970.04/p14-19 >漱石は、かねてウィリアム・ジェイムズを通じてベルグソン哲学の現代的意義を認識していたから、明治四十三 年出版の『時間と自由意志』を、翌年の初夏に読んだ。漱石は『アセニアム』誌(Athenaeum)の新刊紹介欄など で、英訳出版を知ったのであろう。同誌を彼は一九一〇年(明治四十三年)から購読したからである。第三章の終 わりの一節、「自我の二つの様相」(The two aspects of the self)に説かれる「質的時間」(time as quality)と「量 的時間」(time as quantity)というベルグソンの術語に、アンダーラインを引いている。この二つの理念が、漱石の 小説技法に、どのような影響を及ぼしたであろうか。 5 ページ 漱石文庫関係文献目録 大久保 純一郎 ◆漱石とベルグソン(完) : 晩年の作品における時間の問題 ◇「心」/23(5)/生成会/1970.05/p69-77 >ベルグソンは回想を「利得」(gain)であると考え、また、それがわれわれの「自由意志」(volonte libre)の根源の 役目をしてくれると述べている(「時間と自由意志」第三章)。しかしそれは「硝子戸の中」のような純粋持続の回 想である。それは「道草」の過去の場合とまったく異なる。「道草」の過去は経過してしまって、もはや現在に残ら 量的時間である。漱石は英訳書の百五十四頁の欄外に、「余ハ常ニシカ考エイタリ……」と書き込んでいる。その ベルグソンの時間論への共鳴を、「道草」の制作まで、漱石は三四年間抱きつづけたのである。 大久保 純一郎 ◆まえがき ◇『漱石とその思想』/大久保純一郎著/荒竹出版/1974.12/piii-iv >本書の内容をなすものは、部分的に「朝日新聞」、「英語青年」、「心」、「英語文学世界」などに掲載された。そ の間私は、機会をとらえて、主題と細部を再検討することができた。研究の機会とは、東北大学付属図書館の漱 石文庫である。そこの蔵書には漱石の書き入れがある。さらに、漱石文庫のメモ帳を繰ってゆくと、そこには、丹 念な細字の記入事項が、惜し気もなく赤ペンでもって抹殺され、つづいて一気に、達筆でかかれた書き直しが現 われる。そのような内容の漱石文庫に親しむことによって、私は漱石の物事の考え方と言いあらわし方をおのず から会得することができたように思う。 大久保 純一郎 ◆漱石の則天去私と The Vicar of wakefield ◇「英語青年」/121(6)/研究社出版/1975.09/p242-245 >GoldsmithのThe Vicar of Wakefield (1766)(以下Vicarと略)が西欧の近代小説の中で漱石が最も好きな小説 であったことは、一般にあまり知られていない。漱石文庫には現在Vicarのテキストが2種保存されている。一つは Vicar, Edinburg, William P. Nimmo, 1874, 208pp.である。もう一つのテキストは仏英対訳のものである。Le Vicaire / De Wakefield / Par Oliver Goldsmith / Traduction Nouvelle / Accompagnee Du Texte Anglais / Paris / Garnier Freres. 399pp.(以下Vicaireと略)。研究者の参考のためにVicaireの中の下線や書き入れのいくつかを紹 介しよう。思う。 大久保 純一郎 ◆漱石とドストエフスキーの小説 : 晩年の作品系列の側面 ◇「心」/29(1)/生成会/1976.01/p81-95 >「思い出す事など」第二十回及び第二十一回には、ドストエフスキーの人と芸術とが、どのようにとらえられて いるのか。そのようなインフォメーションを漱石はいったいどこから得たのであろうか。たとえばロシア文学の研究 書とか参考書であるが、東北大学付属図書館の漱石文庫目録には、この種の文献が二、三点掲載されている。 その中で大患期の漱石が読んだものに、ベアリングの『ロシア文学の巨匠たち』がある。Kaurice Baring: Landmarks in Russian Literature. London. Methuen.1910. 299p.である。ロシア文学研究のための新刊書を漱石 が購入したのである。 大久保 純一郎 ◆漱石とドストエフスキーの小説 (二) : 晩年の作品系列の側面 ◇「心」/29(8)/生成会/1976.08/p94-100 >「思い出す事など」の二十一で、ドストエフスキーもまた自分と同じように「死の門口まで引きずられながら、辛う じてあと戻りすることのできた幸福な人である」。この叙述にも、彼はベアリングの著書の中の「ドストエフスキー の生涯」を利用した。東北大学付属図書館の好意によって、必要な資料を提供されたので、改めてここで、上述し ておきたい。同じ文庫所蔵のメレジュコフスキーの『トルストイとドストエフスキー』の書き入れをも、私は参照する ことができた。Dmitri Merejkowski, Tolstoi As Man and Artist/With An EssayOn Dostoiewski / Westminster / Archbanld Constable / 1902である 大久保 純一郎 ◆漱石とドストエフスキーの小説 (三) ◇「心」/30(1)/生成会/1977.01/p79-90 >ドストエフスキーのライフを語ったベアリングは、残された百頁をドストエフスキーの小説の紹介にあてる。研究 書の三分の二が小説の概観にあてられたのである。当時のイギリスの読書界の要求にこたえたのである。同じ 事が明治四十年代のわが国の読書界にも云われうるのであって、たとえば当面の漱石であるが、彼はドストエフ スキーの主要小説の内容紹介を丹念に読んで、アンダーラインした。参考のために、その下線の部分の若干を 訳出しておこう。次に、キリーロフの自殺を契機として、私はここで、『心』の自殺の問題を考えてみたい。 大久保 純一郎 ◆漱石とドストエフスキーの小説 (四) : 『トルストイとドストエフスキー』再読 ◇「心」/30(2)/生成会/1977.02/p80-89 >漱石文庫所蔵のメレジュコスキーの著作、『トルストイとドストエフスキー』の書き入れを東北大学付属図書館で 一見したのは、一九七五年の秋であるが、その時衝撃を受けた感銘を私は忘れがたい。そこには始めから終り にいたる三百十頁の全巻にわたり、赤鉛筆でアンダーラインや傍線が施されている上に、黒鉛筆の書き入れも所 どころに散見される。それは本書を漱石が再読した事実を物語っていると私は考えた。試みに、図書館の係官の 所見をただしてみると、私と同じ意見であった。同一の文学書を漱石が再読するという事実は、彼の場合、極めて 珍しいケースである。 6 ページ 漱石文庫関係文献目録 大久保 純一郎 ◆漱石とドストエフスキーの小説 (五) : イギリス小説とロシア小説 ◇「心」/30(6)/生成会/1977.06/p81-100 >コンラッドの「ナーシサス」評価を要約して漱石は、人情小説にせずに、むしろ「自然情小説」への徹底すべき だったという。船長以下の他の船員たち、特に水夫たちの描写に彼は注目している。それは漱石文庫本に残され た書き入れによって知られる。'What is a Gentleman (p. 46)の書き入れであるが、文庫の初版本『ナーシサス』の 第四十六頁は第二章の始めに該当する。私はツルゲーネフの英訳本の出版に眼を転じて、ツルゲーネフの小説 がコンラッドの展開を促進したのではないか、という私見を提供する。漱石文庫にもガーネット訳の『ツルゲーネフ 全集』十五巻が所蔵されている。 大久保 純一郎 ◆Jane Austen を読む漱石 : 漱石文庫探訪ノート (1) ◇「英語青年」/123(8)/研究社出版/1977.11/p340-341 >文庫と私とのつながりは古い。この文庫寄贈の第一回分かが図書館へ搬入された昭和10年代の半ばに、当 時大学院生であった自分はさっそく案内されて、英文学書のページをひるがえし、漱石の東北大への定着をひそ かに感じた。というのは岡崎義恵先生が、直弟子の阿部次郎・小宮豊隆に代って、学問的な研究を展開されてい たからである。しかし間もなく仙台を去った私は、その集大成である先生の労作『漱石と則天去私』の出版も、ま た3千冊に及ぶ文庫の完全な搬入も知らなかった。正規の手続きをふんで私が始めて文庫へ出かけたのは、戦 後も昭和40年代に入ってからだ。 大久保 純一郎 ◆Meredith を Carlyle にむすぶ漱石 : 漱石文庫探訪ノート (2) ◇「英語青年」/123(9)/研究社出版/1977.12/p414-416 >「野分」の対話の個処によくにた赤い小説本とは誰の作品なのか。目ぼしい英国の現代作家のすべての書き 入れのコピーを順次にとってもらうように、文庫探訪の度ごとに図書館に依頼した。係官は、「アンダーラインまで 取れというのは貴君が始めてだ」と言ったが、あえて自分は両一年も続けただろうか。やがてそれと覚しき赤い全 集の一冊が現れた。The Works of George Meredith. London, Constable. 12 vols. 1902. 16゚.の中の、beauchamp's Career (1987) 527pp.である。そのほぼまん中、267-273頁(29章)の7頁にわたり、各パラグラフごとに、あたかも 強い共鳴を示すかのように、ペンで傍線が引かれている。 大久保 純一郎 ◆シェイクスピア劇と漱石の小説理論 : 続 漱石探訪ノート ◇「英語青年」/123(12)/研究社出版/1978.03/p568-570 >『全集』に散見する従来の資料を整理し、それによって『三四郎』にいたるまでの漱石の中短編小説とシェイク スピア劇との内面的関係をも明かにしておきたい。第三の資料は「作物の批評」(昭和40年1月1日「読売新聞」) の中の『オセロー』論である。『野分』と第三の資料の発表は、同じく明治40年1月である。それは如上の事情に よって、「三統一を破って、しかも立派に出来ているシェイクスピア劇」の概観という序言がつく。この序言の背後 には、その頃すでに四大悲劇やさきの史劇のみならず、他の多くの戯曲を、おそらく漱石文庫の書き入れ本15巻 のすべてを読み終えていた実績が想定される。 大久保 純一郎 ◆ケーベル先生と漱石 (二) : 哲学と詩 ◇「心」/32(11)/心編集委員会/1979.11/p78-85 >ウイリアム・クーパー(一七三一―一八〇〇)に関して一般の英文学史は、弁護士たらんとして挫折した厭世隠 遁の詩人というように書き流すが、漱石はクーパーが危機を克服して詩作を敢行した点に注目し、この憂悶の子 才の大量の詩作を珍重する。同憂の士としての共鳴である。今日漱石文庫にもその蒐集された資料の一部が残 されている。その中で最も注目さるべきものは『クーパー書簡集選』(Selection from Cowper's Letters, edited by Webb. 1897)である。所収書簡の一通(ジョンソン出版店主宛一七九〇、七、三十一日付)の一部分が、「英国天 地山川に対する観念」に引用されている。 大澤 吉博 ◆夏目漱石とイギリス文学 ◇『比較文学を学ぶ人のために』/松村昌家編/世界思想社/1995.12/p129-146 >まず、漱石がどのような本を読んだか、というレベルがあるであろう。それを知るためには、漱石がどのような 本を持っていたかということを知ることが重要である。夏目漱石の蔵書は今日、東北大学が漱石文庫として所蔵 している。その所蔵本の一覧表は現在、岩波書店発行の『漱石全集』に「漱石山房蔵書目録」として掲載されてい る。また、その蔵書に書き込まれた漱石のコメントは「蔵書の余白に記入された短評ならびに雑感」として全集に 収められ、容易に読むことができる。それを丹念に追うことで、漱石がどのような本を読み、どのような感想を抱 いたかを知ることができるのである。 大島 正 ◆セルバンテス ◇『欧米作家と日本近代文学. 3 ロシア・北欧・南欧篇』 (比較文学シリーズ)/福田光治, 剣持武彦, 小玉晃一編/教育出版センター/1976.01/p337-361 >夏目漱石のドン・キホーテ観にも注目したい。漱石は『文学論』の中、第二章 文学的内容の基本成分 のお わりのほうで、ドン・キホーテについて述べている。そして次に数例を挙げているが、「若い牝牛を提供されたら、 きっとつなぎ綱が傍にくっついている」といった調子のもので、全部で八例を数うる。漱石はドン・キホーテを英訳 で読んだらしいことは、その蔵書などによって明らかであるが、彼が『文学論』で引用している例はスペイン語の 原本と対比してみると、ほとんどが合致しない。いわゆる"また聞き"に類するものもあるのではないかと思えるほ どである。 7 ページ 漱石文庫関係文献目録 大島 正 ◆芥川龍之介と夏目漱石 : モーパッサンの評価をめぐって ◇「比較文学研究」/33/朝日出版社/1978.05/p159-183 >明治二十年代にはじめてその名がわが国に知られ、日本近代文学に大きな影響を与えたフランスの作家とし てモーパッサン(Guy de Maupassant, 1850-93)の存在は大きい。「漱石山房蔵書目録」には、英訳三冊、フランス 語の原書二冊、計五冊のモーパッサンがある。漱石は学生時代に不十分なまま終ったフランス語を勉強したいと いう気持ちを一生持ち続けていたが、結局はあまりものにならずに終ったようであるから、原書2冊は、買いはし たものの恐らく実際には読まなかったのではないかと思う。実際、漱石の書き込みの残っているのは、最初の三 冊の英訳本だけである。 大村 喜吉 ◆明治作家と英学 : 夏目漱石 ◇「東京教育大学文学部紀要. 西洋文学研究」/5/東京教育大学文学部/1956.02/p17-27 >漱石の蔵書目録を見れば、漱石はDixonの著作8冊を有している。吾々は工部大学に於けるDixonの斎藤秀三 郎への影響を過大評価してはならぬと同じように、文科大学に於けるDixonの夏目漱石への影響を過少評価して はならぬ。兎に角Dixonの下で漱石が、後年英文学(殊に散文文学)を驚く可き程の正確さをもつて味読すること を得せしめた、その英語の実力を鋭意養つていたことは否定することは出来ない。漱石の作家の言葉づかいや 文体に対する異常なる興味と関心は彼生来の特徴であることは勿論であるが、同時にその師たる英語学者 Dixonによつて触発されること大であった。 大村 喜吉 ◆ロンドンの夏目漱石 : 英学史的方法 ◇「Athenaeum」/4/アシニーアム・ソサイェテイ/1960.04/p82-88 >漱石が乗り込んだドイツ船プロイセン(Preussen)号は明治33(1900)9月8日横浜港を出帆した。この航海のこ とは、漱石の日記及断片や、妻鏡子そのほかの者に宛てた書簡の中に詳細に語られている。上海から乗船した 英米の宣教師の一人が、漱石を見込んで熱心に伝道を試みたが、漱石はこれに対して、神の存在と言うような 問題で、哲学的見地から対手をやりこめている。このことは「日記及断片」に書かれている漱石の英文の感想に なって表われている。漱石の宗教観を伺う上だけではなくして、漱石の英語に対するalmost perfect commandを 知る上にも貴重な文献である。 大村 喜吉 ◆「倫敦塔」の構成 ◇「Athenaeum」/6/アシニーアム・ソサイェテイ/1963.06/p79-88 >エインズワースの「ロンドン塔」のことは、漱石が「あとがき」の中で述べている通りで、現に漱石の蔵書のThe Tower of London (London: Cassell & Co. 1903)の中で断頭吏が歌を歌って斧を磨ぐ371頁には漱石はちゃんと 横線を引いている。しかし、私のこの小論の目的は、作品以外に一箇の資料を必要としたという事実である。東 北大学附属図書館所蔵の漱石文庫の中の一冊であるBaedeker's London(1898年版、11th Edition)の8. The Towerの記事で漱石によってunderlineされている箇所を中心として、「倫敦塔」の大体それに対応して書かれたと 判断される部分との比較である。 大村 喜吉 ◆漱石の作品における Polarity ◇「東京工業大学学報」/29/東京工業大学/1965.03/p1-9 >ここに一冊の本がある。それはGeorge BrandesのMain Currents In Nineteenth Century Literature Ⅱ The Romantic School In Germany (London: William Heineman)である。漱石全集に記載され(これは漱石山房蔵書目 録に載っているだけでなく、漱石書込の短評と感想が全集の中に記されている)ている本は1902版であり、さらに 漱石はロンドン留学から帰って来て、帝国大学において行ったその最初の講義である「英文学形式論」(1903)に おいて本書から引用してノヴァリス(Novalis)とティーク(Tick)の言葉を用いている。 大村 喜吉 ◆日本英学史上における夏目漱石 ◇「日本英学史研究会研究報告」/51/日本英学史研究会/1966.06/p1-5 >漱石はケンブリッジ大学に籍を置いて勉強することを断念して、下宿籠城主義を取り、食事を切りつめて、出来 得る限りの資力を傾けて英文学に関する書籍を購入して帰国せんとしたのであります。これはたしかに留学生と してはあるいはもっとも悪い典型の一つであるかもしれません。そのころの日本における英語・英文学の研究体 制はまだきわめて幼稚な段階でありました。このような時代背景から見ますれば、漱石のロンドン留学時におけ る態度はそれほど異常なものとはいえません。漱石がどのような本を持ち帰ったかは今日東北大学附属図書館 の所蔵の“漱石文庫”を見ますれば、ほぼ想像ができます。 大村 喜吉 ◆漱石の「神経衰弱」について ◇「Heron」/16/埼玉大学ヘロン編輯室/1982.03/p5-16 >ここに興味あることは、漱石が自己の蔵書の中に、神経衰弱に関する2冊の書物を持っていたことである。『神 経衰弱の予防法』(狩野病院長 狩野謙吾著 明治39年 新橋堂) と『神経衰弱自療法』(狩野病院長 狩野謙吾著 明治43年 新橋堂) ―これらはどの漱石全集の別冊 (漱石山房蔵書目録) にも記載されている。このことからも漱 石自身、「自分は神経衰弱にやられている」とは思っていたことは分る。しかしその「神経衰弱」を「狂気」と判断し た人々に対しては、すくなからざる憤りを覚えていたにちがいない。この不平と不満の捌け口が「猫」や「坊っちゃ ん」になってあふれでたことはきわめて興味がある。 8 ページ 漱石文庫関係文献目録 大森 一彦 ◆『漱石文庫目録』の記述について : 寅彦が贈った本の点検 ◇「書誌索引展望」/7(2)/日本索引家協会/1983.05/p33-35 >『漱石文庫目録』は、特殊文庫目録にふさわしい独創的な工夫がみられる。この中の「Ⅰ.洋書―4.科学」部門 には、門下の寺田寅彦が献呈したものと推定される本がいくつか含まれている。寅彦書誌に関する既知の知識 をもってそれらの記述をみると、若干の疑問点もあり、かねてより一見し確めてみたいと思っていた。昭和57年8 月13日、それらを実見し、目録と対照する機会を得た。その結果、記述にあたって省略された、目録上からは窺 い知れない書誌データが判明し、また記述を補足し、あるいは訂正を要する諸点をも見出した。調査の一端を記 し参考に供することとしたい。 大森 一彦 ◆漱石の「カーライル蔵書目録」考 ◇「書誌索引展望」/14(4)/日本索引家協会/1990.11/p1-7 >『漱石全集』第16巻「別冊」(岩波書店1967.4)には、ふたつの蔵書目録が収められている。ひとつは「漱石山房 蔵書目録」であり、いまひとつは「カーライル博物館所蔵カーライル蔵書目録」である。「カーライル蔵書目録」は 極めて特異な位置を占めているものといえるが、本稿はこれに照明をあて受容の経過を整理し、2・3の知見を提 供しようとするものである。Carlye's House(「漱石文庫目録」no.1077)のCatalogueと「カーライル蔵書目録」との具 体的な対応関係を精査し、典拠資料であることを実証することが出来た。さらに内容構成の一面を明らかにする ことが出来た。 岡 三郎 ◆漱石の夢想とルソーの『夢想』 : 『硝子戸の中』へのひとつの視点 ◇「現代思想」/2(7)/青土社/1974.07/p59-63 >偉大な文学者の書きのこした作品群のなかに、ときおり、その評価が定まるのが著しく遅れる重要作品がある ものである。例えばルソーの場合なら『孤独な散歩者の夢想』、ワーズワスの場合なら『序曲』がそれであった。夏 目漱石の場合、『硝子戸の中』という作品がとりのこされているように思われてならない。最後の節の文章の中に 注目されるのは、ヨーロッパにおける告白文の系譜に対する漱石の自己の作品の位置づけである。漱石山房蔵 書目録にはアウグスチヌスは見当らず、英訳のルソーの『告白』とドクインシーの『告白』が入っている。ルソーの 著作はほかに『エミール』が所蔵されているが『夢想』はない。 岡 三郎 ◆夏目漱石の「カーライル博物館」の解明 : その事実と夢想について ◇「青山学院大学文学部紀要」/16/青山学院大学文学部/1975.03/p25-46 >現在、東北大学附属図書館所蔵の漱石文庫のなかには一冊だけ<カーライルの家に關する案内記様のもの >が存在している。それは1900年The Carlyle's House Memorial Trustが発行者になっているCarlyle's House: Illustrated Descriptive Catalogue of Books Manuscripts Pictures and Furniture Exhibited Thereinと題された118 頁ほどの小冊子である。漱石はすでに1905年(明治38年)2月15日号の『学燈』に「カーライル博物館所藏カーラ イル所藏目録」を寄稿しているが、じつはこれらの目録は、この小冊子に記録されているカタログをそっくりそのま ま同じ順序に引き写したものである。 岡 三郎 ◆夏目漱石におけるヨーロッパ中世文学 : 「幻影の盾」の材源研究 <その一> ◇「青山学院大学文学部紀要」/17/青山学院大学文学部/1976.03/p1-21 >ヨーロッパ中世的素材のうえに成り立っている漱石の作品の研究の場合、とくに必要なのがその材源の検討 と、同一の主題ないし材源で創作された別の、とりわけヨーロッパの作家の作品との比較対照といった作業であ ろう。研究者のあいだに様々な推測がなされたり、すっきりしない説明が苦しまぎれになされるのも、「幻影の盾」 において漱石が利用した確実な典拠が現在まで判明していなかったからにほかならない。結論をさきに言えば、 それはまずJohn RutherfordのThe Troubadours(London, 1873)である。これは漱石文庫の一冊として所蔵されて いた文献でもある。 岡 三郎 ◆Aylwin 批評にみられる留学以前の漱石のイギリスへの関心 : 熊本時代の漱石〔I〕 ◇「論集」/19/青山学院大学一般教育部会/1978.11/p61-69 >漱石は、すでに学生時代に外国の雑誌にたえず注目するという知的習慣を身につけたのではないかと思われ る。今日、漱石文庫にはThe Athenaumは欠号が多くなっているが、1910年3月12日から1916年9月まで保存され ている。漱石のThe Athenaumの精読ぶりが注目される。しかも、相当長期にわたって購読していることが明らか である。The Athenaumの購読と精読を仮定すると、「小説「エイルヰン」の批評」のなかで述べている詳細で、か つ的確な叙述の謎がとけるように思われるのである。Aylwin批評のうちの、作品の外側から検討をすすめている 部分の解析を試みることにしてみる。 岡 三郎 ◆Tomas De Quincey と夏目漱石 : とくに文体と意識の問題に関連して ◇「英文学思潮」/51/青山学院大学英文学会/1978.12/p109-135 >1909[明治42]年8月6日の『国民新聞』に掲載された「テニソンに就て」と題した談話のなかで、De Quinceyの文 章を、英文学の散文のうちで、<調子>つまり広いリズムまたは文体の面白味が自分にもよくわかるもののうち に数えている。漱石はDe Quinceyの文章を、かなり若い時期から読んでいたようである。今日、東北大学付属図 書館に保存されている漱石文庫のなかには、五点のDe Quincey文献がある。去る1974年夏に、これらの文献に おける漱石の書き入れ、傍線・下線のひき方などを調査した。その後、どのような本を買って読んでいたかという 問題を、その資料の一部について述べておきたい。 9 ページ 漱石文庫関係文献目録 岡 三郎 ◆漱石の漢詩「古別離」と「雑興」の比較文学的研究:とくに『文選』との関連において 〔熊本時代の漱石 2〕 ◇「青山学院大学文学部紀要」/20/青山学院大学文学部/1979.03/p1-27 >「古別離」と従来「失題」として知られていたー作品が、「古別離」と「雑興」として、夏目漱石の署名で、この『龍 南會雑誌』の第七十七号(明治三十三年二月二十八日発行)の「文苑」欄(一〇四頁)に掲載されている。この二 首について、注目すべき点は『文選』との関係である。こんにち、東北大学付属図書館に所蔵されている「漱石文 庫」には、『文選』は三点がある。すでに熊本時代に少なくとも二点は自分で買い求めていた『文選』の、より完全 な板本を、大正元年に入手している事実は、漱石の『文選』に対する関心の深さとその持続性を物語っているよう におもわれる。 岡 三郎 ◆ロンドン留学期の漱石の思索と体験についての若干の調査研究 ◇「青山学院大学文学部紀要」/21/青山学院大学文学部/1980.03/p9-37,図版 >「漱石は<Monoconscious Theory>の項のノートを心理学の書物を中心に書きすすめながら、しきりに禅僧の 体験を連想しているのが特徴的である。漱石文庫のなかには、5点の白隠関係の文献が収蔵されている。/漱 石文庫のなかにはSainte-Beuveの文献が二点ある。ひとつはWilliam Sharpが編集した三巻本のThe Essay of Sainte-Beuveで、もう一点はThe Scott Libraryのなかの一冊で、Elizabeth Leeが序論をつけて訳出したものであ る。/Robert Burnsのインスピレーション体験の挿話を、English Men of LettersシリーズのなかのPrincipal Shairp のRobert Burnsによって知ったことが明らかである。 岡 三郎 ◆夏目漱石の 'monoconscious theory'(純一意識理論)の比較思想的解明 ◇「比較思想研究」/7/日本比較思想学会/1980.12/p28-37 >ここでは'Monoconscious Theory'の項目の比較思想的視点からの解明の一部を次に述べてみたい。この項目 において漱石が依拠している文献は1.Th. Ribot: The Psychology of the Emotions, 2. J.M.Guyau: Education and Heredity, 3. E. W. Scripture: The New Psychology, 4. C. L. Morgan: An Introduction to Comparative Psychology, 5.Casare Lombroso: The Man of Genius, 6. William James: The Varieties of Religious Experience,これら六点のう ち最初のリボーの書物が失われているだけで、他はすべて今日もなお東北大学付属図書館の漱石文庫のなか に所蔵されている。 岡 三郎 ◆東京大学教養学部図書館に発見された夏目漱石の書き入れ本 : 『文学論ノート』研究 (3) ◇「青山学院大学文学部紀要」/22/青山学院大学文学部/1981.01/p1-26,図版 >漱石がノートの作成のために直接参看した文献は約60点である。このうち4点を除いて、東北大学附属図書館 に「漱石文庫」として特別に保存されている。 1.H. R. Marshall: Pain, Pleasure and Asthetics, London, 1894. 2. Th. Ribot: The Psychology of the Emotions, London, 1897. 3.Bayard Tuckerman: A History of English Prose Fiction, New York & London, 1899. 4.C.T. Winchester: Some Principles of Literary Criticism, New York, 1902. Tuckermanの著書は、現在も東京大学教養学部図書館に収蔵されている。さらにWinchesterの著書も同じく現存 することが確認されたのである。 岡 三郎 ◆イギリス留学前半の漱石のこころの明暗 ◇『意識と材源』 (夏目漱石研究 ; 第1巻)/岡三郎著/国文社/1981.11/p123-227 >漱石は留学の目的の一つに書籍を買って帰国することを最初から考えていた。ロンドンにおける漱石は、大学 に在籍する費用はもとより、<衣食を節して書物丈でも買へる丈買はん>という意気込みであったから、書物が 買えれば<愉快>であり、買えなければ<不快>であり<不満>であったのである。「漱石文庫」の資料のひと つである「留学中のノート・断片」のなかの九枚におよぶ留学前期の図書購入メモによると、一八〇点のうち、ま ず二十一番から三十二番までの十二点について、一九〇〇年十一月二十日の日付がメモしてある。 岡 三郎 ◆新資料・自筆「蔵書目録」からみる漱石の英国留学 : Malory 購入時期などの確定 ◇「英文学思潮」/59/青山学院大学英文学会/1986.12/p1-19 >「漱石文庫」のなかには、日記・ノート断片などのほかに、漱石自筆の蔵書目録がある。この目録は、購入順に 記されているという点で、きわめて貴重な資料的な意味をもつものである。表題'Catalogue of Books / From November 1901. / K. Natsume'. 目録の通し番号は180から始まり1170で終る。ところでこの目録によると、二巻本 のマクミラン社版のMarolyのLe Morte D'Arthur購入日が次のように明記されている。三十六年十月十日。力点を おかなかった「帰国後海外発注した可能性」の方が明治36年10月10日購入という事実として確定したことになる。 岡田 晃忠 ◆夏目漱石とチョーサー作『公爵夫人の書』 ◇「日本大学理工学部一般教育教室彙報」/31/日本大学理工学部一般教育教室/1982.03/p29-32 >現在東北大学図書館に収められている漱石山房蔵書の目録は岩波版「漱石全集」に載っている。その中で、 英文学史関係を除いて、チョーサーの作品、およびチョーサーに関する本8点のうち、筆者が書き入れの有無を 調査したものは、4点である。今問題になるのはPaton版である。理由は、『公爵夫人の書』'The Book of the Duchess'を漱石が読んだのはこの版によってであろうということ、またこれがおそらく漱石がチョーサーの作品で 読んだ最初のものではなかったろうかと考えられるからである。漱石がこの本を購入したのは明治24年9月11日 であることは漱石自身の署名によって判明している。 10 ページ 漱石文庫関係文献目録 岡田 晃忠 ◆漱石が『カンタベリ物語』を読んだ時期について ◇「日本大学理工学部一般教育教室彙報」/33/日本大学理工学部一般教育教室/1983.03/p45-49 >『文学論』におけるチョーサーへの言及は八回ある。その中で特に問題にしたいのは『カンタベリー物語』中に ある『学僧の話』'The Clerkes Tale'への言及である。漱石がこの話を読んだのはSkeat版(The Student's Chaucer)によってであることは、同書にある書き入れ、行頭行末にある付線および下線がここに引用されている 個所と一致することから明らかである。Skeat版を購入した時期はイギリス留学中の明治34年9月30日であること は漱石自身が残している図書購入メモから判明している事実である。漱石がチョーサーを読み終えた時期を明 治37年以前と推定するのである。 小木曽 雅文 ◆漱石とショー ◇「実踐英米文學」/31/実践英米文学会/2001.03/p102-77 >「漱石文庫」のなかには、日記・ノート断片などのほかに、漱石自筆の蔵書目録がある。この目録は、購入順に 記されているという点で、きわめて貴重な資料的な意味をもつものである。表題'Catalogue of Books / From November 1901. / K. Natsume'. 目録の通し番号は180から始まり1170で終る。ところでこの目録によると、二巻本 のマクミラン社版のMarolyのLe Morte D'Arthur購入日が次のように明記されている。三十六年十月十日。力点を おかなかった「帰国後海外発注した可能性」の方が明治36年10月10日購入という事実として確定したことになる。 奥野 政元 ◆W・ジェイムズ著 "The Varieties of Religious Experience" への漱石の書き込み ◇「活水日文」/19/活水学院日本文学会/1989.03/p50-87 >夏目漱石の蔵書は、現在東北大学付属図書館に所蔵されているが、今回そのなかのW・ジェイムズ関係の三 点の著書を閲覧調査する機会を与えられたので、その内容につき、報告したい。三点の資料とは、1,The Principles of Psychology, 2,The Varieties of Religious Experience, 3,A Pluralistic Universe, である。最も多くの書 き込みがみられたのは、第二の著書である。書き込み量の大小によって、その著書からの影響を云々することは できないが、少なくとも漱石の文芸と思想を考える上での基礎的な資料となることは、否定できないであろう。 奥野 政元 ◆日本における Wordsworth (6) : 夏目漱石の場合 ◇「活水論文集. 日本文学科編」/32/活水女子大学・短期大学/1989.03/p79-97 >先に私は、漱石蔵書中のW.ジェイムス著"The Varieties of Religious Experience"に認められる書き込みにつ いて、調査報告をしたが、引続きここでは同じジェイムスの他の著書"A Pluralistic Universe"中の書き込みにつき 報告したい。報告の要領は、前回に倣うが、今回の著書には、傍線以外には書き込みがないので、書き込みの 種類は二種類である。また漱石の使用したテキストのページ数は、時間的余裕がなかったため、ここでは示し得 なかった。書き込みは、すべて赤鉛筆によるものであった。また漱石の棒線書き込みは、単語、文節、文章など、 任意なものが多い。 小倉 脩三 ◆漱石におけるウイリアム・ジェームズの受容について : 「坑夫」の周辺をめぐって ◇「日本文学」/32(1)/日本文学協会/1983.01/p11-20 >本稿は、明治40年から41年にかけて、つまり講演「創作家の態度」前後の漱石の内面的動きを明らかにする 一環として、むしろ「創作家の態度」時においても『心理学原理』がその歩みに重要にかかわっていたことを証す るために、作品「坑夫」と『心理学原理』の関連の深さを、改めて論証しようとするものである。この時期の内面的 動向全体を解明する鍵が、遺されている漱石の「明治40・41年断片」にあると考え、その断片中の、特に蔵書の 原文参照を示すメモの当該個所を、実際の漱石蔵書に当って調査した。きわめて重要な意義を持つと思われる のは、ジェームズに関するメモである。 小倉 脩三 ◆漱石におけるウィリアム・ジェームズの受容について (二) : 「意識の選択作用」の説をめぐって ◇「日本文学」/32(6)/日本文学協会/1983.06/p10-21 >漱石は「愛読せる外国の小説戯曲」で、現今の戯曲が、失われた詩趣的装飾を償うために、人間の意識の奥 へ奥へと割り込むようになり、その典型がイプセンであるというメーテルリンクの説を紹介している。このメーテル リンクの「戯曲論」というのは、漱石蔵書として現存する『二つの庭』(The Double Garden 1904)と題するエッセイ 集中の。「近代劇」(The modern Drama)という文章で、本文は、いわば近代劇がその個有の主題を求めての、模 索史というべき文章(おそらく講演録)である。蔵書には多くの個所に傍線が引いてあって、漱石が熱心に読み込 んだことがうかがえる。 小倉 脩三 ◆美禰子の愛 : 『三四郎』論 その三 ◇「国文学ノート」/25/成城短期大学日本文学研究室/1988.03/p45-70 >『三四郎』という作品の手法で特徴的なのは、多くのところで、三四郎の想像や推理が重要な役割を果たしてし ることである。引用するのは、漱石が『三四郎』執筆の模索期にあったと思われる明治40・41年ごろの「断片」に、 Conclusion James Vol. Ⅰ. P260というメモが記されてあり、東北大学所蔵の漱石蔵書に、その該当の二六〇 ページをたどったものである。この部分には、漱石の手で脇線が付されている。『心理学原理』上巻の第九章「意 識の流れ」(The Stream of Thought)の中の「意識の流れ」の「結論」(conclusion)に関する部分である。 11 ページ 漱石文庫関係文献目録 小倉 脩三 ◆序にかえて : 漱石とウィリアム・ジェームズ ◇『夏目漱石 : ウィリアム・ジェームズ受容の周辺』/小倉脩三著/有精堂出版/1989.02/p1-21 >漱石文庫として東北大学に所蔵されている漱石蔵書に、ジェームズの著書で所蔵されているのは、『心理学原 理』(The Principles of Psychology. Vol.Ⅰ.Ⅱ London ; Macmillan& Co. 1901 注―初版発行は1890)、『宗教的経 験の諸相』(The Varieties of Religious Experience. London ; Longmans, Green& Co. 1902)、『多元的宇宙』(A Pluralistic Universe. London ; Longmans, Green& Co. 1909)の三冊である。漱石文庫の中に、イギリス留学から 帰国後の購入図書に関して、漱石自身、逐次、書籍名を価格と共に記したノートがのこされている。 小倉 脩三 ◆Monoconscious Theory と『文学論』 : ロイド・モーガン『比較心理学』の影響 (一) ◇「国文学ノート」/30/成城短期大学日本文学研究室/1993.03/p85-103 >『文学論』は、冒頭において、(F+f)の「意識の波」をもってすべての現象を解釈するという方法が示される。そ れに関して、初期の漱石の心理学書渉猟の跡を示すのではないか、と思われるのが「Monoconscious Theory」と して収められている。漱石によって英国時代から書きつがれたノートである。「意識の波」の説明に援用されてい る、ルロイド・モーガン『比較心理学序説』(An Introduction to Comparative Psychology 1894)から取り上げたいと 思う。この書は心理学書として現在ほとんどかえり見られない。私が調べた限り、日本の大学、公共図書館等に も所蔵本はなく、東北大学の漱石所蔵本によった。 小倉 脩三 ◆東北大学所蔵『文学論』関係資料について ◇「漱石研究」/3/翰林書房/1994.11/p205-209 >『漱石資料――文学論ノート』に収められているメモ類は、現在、東北大学蔵「漱石文庫」に「英国留学時代 ノート」及び「ノート断片3」「ノート断片4」として整理されている。メモは多くノートをバラして、継ぎ目のところで切り 取った用紙に書かれ、特定の見出しのもとに、糊で貼り足されている。そこには漱石が各項目ごとに分類整理し てノートを取ろうとしたあとがうかがえるのであるが、現状のメモの残され方は、きわめて多様、雑多である。編集 に当って関係諸氏がそれへの対応に苦慮されたであろうことが想像される。今回の調査で、『ノート』に関し、留意 しなければならない問題がいくつか浮かんできた。 桶谷 秀昭 ◆漱石とドストエフスキイ : 病理・文明・小説 ◇「文學界」/36(1)/文芸春秋/1982.01/p270-293 >森田草平の回想によれば、漱石がロシア文学を含めて大陸文学を英語訳で読むやうになつたのは、朝日新聞 入社の前後からである。「漱石山房蔵書目録」にはロシア文学では、アンドレエフ、メレジュコフスキイ、ゴオリキ イ、チェホフ、トルストイ、ツルゲエネフがあるが、面白いことにドストエフスキイは一冊も持つてゐない。これは森 田草平から借りて読んだせゐであらう。『煤煙』を書いてからかなり後の頃、ガアネット訳の『白痴』をまづはじめに 森田草平は漱石に貸したといふ。森田草平は、漱石が「『白痴』から始めて、三四冊読破」したと書いてゐるが、 『白痴』以外はドストエフスキイの何を読んだのかわからない。 小田 忠雄 ◆「漱石文庫」の資料群 ◇『夏目漱石展 : 「漱石文庫」の光彩』/仙台文学館編/仙台文学館/1999.03/p96-97 >今後に残された課題としては、まず、「漱石文庫」に含まれる内容の公開性を高めることである。これまでの点 検作業の結果判明したところでは、『漱石全集』に収録されている書き入れは、全体の三分の二にすぎない。断 片資料についても、紹介は部分的にあるいは個別な範囲にとどまっている。次に、保存の問題がある。「漱石文 庫」の三分の二を占める洋書の殆どは、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて出版されたものであり、酸性 紙が使用されている。今のところボロボロに劣化したものはないが、現物そのものを良好な状態でいかに長く保 存していくかが今後の大きな課題である。 小田 忠雄 ◆漱石文庫 : 漱石研究の新たな手がかりとなる貴重な資料 ◇『日本の文学館百五十選』/淡交社編集局編/淡交社/1999.10/p26 >東北大学附属図書館が所蔵する「漱石文庫」は、文豪夏目漱石の旧蔵書を中心とした夏目漱石関連資料の 一大コレクションです。これらの「漱石文庫」資料は、それぞれが新たな漱石研究の手がかりとなり得る資料であ り、本学では資料の保全を第一と考える立場から、文庫全体を貴重図書扱いとして、一般公開は行っておりませ ん。但し、文庫の内容そのものは、ほぼ全てをマイクロフィルムまたはフォトCDに収録し、本学附属図書館本館 および仙台文学館で研究者の閲覧に供しています。また、インターネットによる公開もはじめており、漱石文庫目 録や資料の一部をホームページに掲載しています。 小田切 進 ◆漱石文庫(東北大学図書館) ◇『文庫へのみち : 郷土の文学記念館. 続』/小田切進著/東京新聞出版局/1981.12/p30-33 >東北大学の図書館には漱石の文庫がある。今度わたしは、昭和二十五年に第四回人間賞を受賞した小説「炎 の日――一九四六年八月六日」の作者で古い友人の広中俊雄法学部教授に保証人になってもらい、はじめてこ れを見せてもらった。地下一階の丁度真ん中辺りに貴重書庫(1)があって、漱石文庫が収蔵されている。湯本一 義書庫係長の案内で厳重に鍵のかかった書庫に入ると、二十三平方メートルの部屋全部が漱石コレクションに なっている。貴重書の閲覧室で漱石の日記と手帖をゆっくり見せてもらう。生まの日記・手帖は強い迫力でせまっ てくるものがある。 12 ページ 漱石文庫関係文献目録 小田切 進 ◆夏目漱石の滞英日記 : 明治三十年代 ◇「群像」/40(11)/講談社/1985.11/p272-282 >先年、東北大学図書館で、これらの日記及断片を手にとって見せてもらったが、無造作に書きとめられたのを 実際にみて、漱石は日記をそのまま公表する積りなどなかったのではないか、と感じた。横浜出港の日から、日 記は淡々としている。滞英中の日記は、翌明治三十四年は一月一日から再び始まって八月初め頃まで、ほとん どが一日一行ないし二行にすぎないが、まず欠けることが少く続いている。しかし次第に空白の日が多くなって いって、ついに十一月十三日を最後にプツリと切れ、帰国まで、断片のそのカケラのようなものさえない。<不愉快 > から <クダラヌ事> が気にかかって、もう日記をつける気持がなくなった、と考えるのが自然だろう。 越智 悦子 ◆漱石にとっての神 : 『吾輩は猫である』を緒に ◇「岡山商大論叢」/36(2)/岡山商科大学学会/2000.10/p332-317 >最後に資料の訂正をしておきたい。村岡勇編『漱石資料―文学論ノート』(岩波書店)は、漱石研究者にとって 全集を補う第一次資料として非常に貴重な労作である。数年前から東北大学付属図書館で「漱石文庫」を閲覧す る機会に恵まれ、漱石の癖のあるくずし字を誤読したために生じたと思われる翻刻ミスをいくつか見出した。この 稿と関係の深い個所では、第二九頁、十七行目「三味一体ト云異ナル¬ヲカツギ出シテ」とある「異」は、「愚」の 文字がくずされていることから来た翻刻の誤りで、「愚ナル¬」と読むべきと思われるので、この場を借りて訂正し ておきたい。 越智 悦子 ◆漱石文庫から見えてくるもの : 身辺自筆資料「日記」を中心に ◇「岡山商大論叢」/37(3)/岡山商科大学学会/2002.02/p348-323 >東北大学付属図書館の漱石文庫は、数ある文庫の中でも整備の行き届いた、つとに有名なものである。その 憧憬の的である漱石文庫を一九八八年四月から九月までの半年間にわたって、東北大学内地研修員として閲 覧調査する幸運に恵まれた。文庫の中心はA夏目漱石蔵書であり、これは I洋書、II和漢書、III附属―身辺自筆 資料の三種に分類され、このように分類されているもののうち、今までに手にとることのできたものは A の III附 属―身辺自筆資料を中心として II の一部と I の極めて僅少な部分にすぎない。この論稿では III を中心に閲覧 調査を通して得た興味深い諸点について、まとめておきたい。 景山 直治 ◆「ベーコンの二十三頁」 : 漱石のいたずらについて ◇「解釈」/2(5)/解釈学会/1956.05/p20-22 >『三四郎』の第一章で、主人公三四郎が、名古屋から東京へ来る汽車の中で、ベーコン論文集の二十三頁を 開いて読もうとするところがある。漱石山房蔵書目録によると、ベーコン論文集が二部ある。一つは、一八九二、 マクミラン刊、Selby編のBacons Essaysであり、一つは、一八七二年、マクミラン刊Wright編のBacons Essays and Colours of God and Evilである。漱石山房蔵書は現在、東北大学に保管されているので、同大学教授佐藤昌介 氏を煩わして、上記二書について、それぞれの二十三頁を書写して頂いた。漱石の読んだselby編、二十三頁を 開いて見ない限り、謎を解くことが出来ない。 柏木 隆雄 ◆漱石とメリメ : 美禰子の肖像をめぐって ◇「英語青年」/121(10)/研究社出版/1977.01/p482-484 >この小論は『三四郎』の池の出会いの場面が、実はMerimeeのCarmen (1845)から得られたものであることを証 明しようとするものである。当時の漱石のMerimeeに対する関心は、『吾輩は猫である』第十一で独仙に語らせた Cordovaの女の水浴の話、『野分』の中野青年が恋人に語るVenusの怪談など、それぞれ数頁を割いてCarmen やLa Venus d’Ille(1837)の部分を引用していることからも明らかである。Carmenを引用するに当っては、漱石の 書き込みのある東北大学図書館蔵書のC. G. Ives訳French Little Masterpieces (1903)中のそれに拠った。 柏木 秀夫 ◆『薤露行』の比較文学的考察 ◇「外国語・外国文学研究」/24/北海道大学文学部/1978.03/p33-81 >『薤露行』をギニヴィア擁護の書とした場合に重要な意味を持ってくるのがウイリアム・モリスの”The Defence of Guenevere”(一八五八年)である。漱石がこの作品を読んだ確証はない。しかし、次にあげる幾つかの事柄は、 漱石がその作品について知っていたという推断を許す傍証となるのではないだろうか。英国留学中の明治三十 四年の七月九日にクレーグの許で教えを受けたその足でスウインバーンの作品と一緒にモリスの作品を買って いること。「漱石山房蔵書」にはモリスに関してはThe Earthly Paradiseの一点しかないが、残された蔵書のリスト だけから漱石の読書範囲を限定することは危険である。 片野 孝保 ◆『漱石文庫』をマイクロ化・フォトCD化 ◇「木這子 : 東北大学附属図書館報」/22(4)/東北大学附属図書館/1998.03/p6 >平成10年2月、貴重書資料の劣化・保存対策の一環として、「漱石文庫」のマイクロ・フィルム化と自筆資料の フォトCD化が完了した。現在の情報メディアの形態等も考慮し、約1600枚に及ぶ自筆資料等についてデジタル 化(フォトCD化)も行った。仙台市が平成11年3月開館を予定している文学館の資料収集の一環として、東北大学 蔵で日本にとっても貴重である「漱石文庫」を広く市民に公開したいとの意向もあり本学に協力・要請があったも のである。東京都在住の漱石のご遺族である長男夏目純一氏(孫の夏目房之助氏同席)宅を訪問し、マイクロ化 の趣旨、状況等について報告し、賛同を得ている。 13 ページ 漱石文庫関係文献目録 加藤 二郎 ◆漱石と『禅林句集』 ◇「外国文学」/29/宇都宮大学外国文学研究会/1981.03/p1-16 >現在の「漱石文庫」(東北大学図書館)の中にある『禅林句集』は、『増補頭書 禅林句集』という題簽を持ち、 明治二十二年名古屋の文光堂の翻刻にかかる、乾・坤の二冊本である。そしてその翻刻の底本は、貞享戊辰正 月斎日 洛橋巽偶山阜己十子謹識の識語を持つ貞享五年(一六八八年)の版本である。併し漱石がこの本をい つどこで手に入れたものかは全く分からない。又漱石は所謂蔵書家愛蔵家であった訳ではないので、上の『禅林 句集』が終始漱石の下にあった唯一の『禅林句集』であったか否かも断定はし得ない。或いは一・二度の出入り はあったかも知れない。 角野 喜六 ◆留学中に購入した書物 ◇『漱石のロンドン』/角野喜六著/荒竹出版/1982.05/p223-229 >漱石が留学中に購入した書物を書き留めた帳面が現在、東北大学図書館に保存されている。その表紙には "Catalogue of Books From November 1901"と記されていて、第一頁は№180から始まっている。一号ヨリ179号迄 ハ別ノ西洋紙ニアリ。帳面ニアラズ。洋行以前ノ書物ノ目録ハ作ラズ」と記されている。帳面の350号の右横に12 /7/'03つまり一九〇三年七月十二日の日付けがあるから、漱石がロンドンで購入した書物は、349号以内で あったことになる。但し192号は重複しているので正しくは350号以内である。シリーズ物の巻数を計算したら冊数 は遥かに多くなる。帳面の複写を東北大学図書館の了解を得て掲載する。 加納 孝代 ◆漱石のキリスト教観 : 『イミタチオ・クリスティ(キリストにならいて)』を漱石はどう読んだか ◇『夏目漱石』 (作家の世界)/平川祐弘編/番町書房/1977.11/p206-213 >夏目漱石とキリスト教というテーマはどこかひとつの興味をそそるものをもっている。漱石のロンドン時代は注 目に価すると思われる。さてロンドン時代のキリスト教への関心のあり方を知る手がかりの一つはトマス・ア・ケン ピスの『イミタチア・クリスティ』の英訳本OF THE IMITATION OF CHRISTである。というのはこの小型の本のあち こちに漱石が読みながら英語で、時には日本語で合計四十個あまりの感想を書きつけたり、傍線や下線を施した りしているからである。この本を漱石が手に入れたのはロンドンに着いて約二ヶ月目の一九〇一年一月二日であ る。 嘉部 嘉隆 ◆漱石とトルストイ私見 ◇「解釈」/15(3)/教育出版センター/1969.03/p47-48 >漱石の蔵書目録を検すると、英訳本のトルストイの作品がいくつか見られる。『アンナ・カレーニナ』『戦争と平 和』はもとより、『コサック』『クロイッツェル・ソナタ』『セヴァストーポリ』その他があり、また『芸術とは何か』には相 当の短評・雑感が書き込まれている。しかし、これらはシェイクスピア作品の蔵書数、書き込みの量に劣ること言 うまでもない。蔵書数および短評雑感は必ずしも他の漱石が関心を抱いていた諸作家にまさるとは言えないので ある。特に短評雑感の書き込みのあるのが『芸術とは何か』であることは注意すべきであろう。漱石はトルストイ の文学をそれほど高く評価していなかったとも思われるからである。 加茂 章 ◆イプセン号上の漱石 ◇「日本文学」/30(7)/日本文学協会/1981.07/p68-85 >明治三十年十月の漱石の英語断片は英国留学途上のプロイセン号で書いたものだが、そこに漱石の思想形 成上の二つの重要な端緒を見ることが出来る。一つは、ある種の禅的エクスタシーをしばし体験したことであり。 もう一つは上海で乗船した宣教師と長崎で乗船したノット夫人から受けたキリスト教的思想である。それらの出来 事が起きた日ないし、記録した日を推定してみる必要がある。東北大学の漱石文庫にある現物の手帖は次のよ うになっている。B六判を少し小さくした十四行罫横長の手帖。開いた右頁は縦書で俳句九句。一部は明治三十 二年十二月十一日高浜清宛書簡にある句。左頁から断片が始まる。 川田 周雄 ◆漱石と Pater : 『夢十夜』と The Renaissance 及び Appreciations ◇「大阪医科大学紀要人文研究」/9/大阪医科大学/1978.03/p1-17 >漱石が東京大学で講義し、後に全集に収録されたものを年代順にあげれば、『英文学形式論』それに続く『文 学論』及び『18世紀英文学』の三編であり、18世紀の英文学者Addison, Steele, Swift, Pope, Defoeには各々数十 ページ以上を宛てて論じられているのに比べれば、Paterについてはごく僅かしか書かれていない。漱石の蔵書 目録を見ても、Paterについてはごく僅かしか書かれていない。漱石の蔵書目録を見ても、Paterの作品はThe RenaissanceとAppreciations(共に1901年のMacmillan版)だけであるから、それほど彼に打込んではいなかったと 云えるかも知れないが、私にはそうは思えないのである。 川並 秀雄 ◆漱石とマルクスの「資本論」 ◇「大阪商業大学論集」/25/大阪商業大学商経学会/1967.06/p77-90 >夏目漱石の蔵書のなかに、Karl Marx の「資本論」の英訳があることは、あまり知られていない。漱石所持の 「資本論」は Sonnenschein 版1902年3月出版だから、第八版で、Half Guinea International である。しかし、いざ 手にとって、この「資本論」を見ると、何一つ書き入れもなければ、アンダーライン一つ引いてもいなかった。私の 期待した興味は、すっかり消えてしまったのである。漱石が、如何なる程度に、「資本論」を読んだか、ということ は、結局判明しない。仮りに読んだとしても、その影響を適確に認めるところは見あたらない。しよせん漱石は、マ ルクスの「資本論」という、高い山を仰ぎみただけで、残念ながら、登頂はできなかった。 14 ページ 漱石文庫関係文献目録 河村 民部 ◆漱石『こころ』とアンドレーエフ『ゲダンケ』との比較文学的研究 ◇「文学・芸術・文化 : 近畿大学文芸学部論集」/9(2)/近畿大学文芸学部/1998.03/p282-259 >漱石が『それから』を朝日新聞に連載したのは明治四十二年年六月から十月にかけてであるから、その頃まで には少なくとも『七死刑囚物語』は読んでいたし、『ゲダンケ』もよんでいたと思われる。東北大学付属図書館の漱 石文庫の中に、英訳で、Leonidas Andreiyeff, A Dilemma, A Story of Mental Perplexity ; tr. By J.Cournos, Philadelphia, Brown Brothers, 1908 (Modern Auther’s Series)というのがあり、筆者がこの(1997)6月に同図書館 で調べた結果、これがなんと問題の『ゲダンケ』、つまりロシア語原書『ムイスリ』の英訳であることが判明した。 河村 民部 ◆漱石『行人』のソースをめぐって ◇「文学・芸術・文化 : 近畿大学文芸学部論集」/10(1)/近畿大学文芸学部/1998.12/p208-177 >女の貞節を試す古典的な物語といえばセルバンテス『ドン・キホーテ』の挿話であろう。漱石が『ドン・キホーテ』 を読んだであろうことは、彼の文学論その他でのこの物語への言及からして明らかである。また東北大学付属図 書館にある漱石文庫には、『ドン・キホーテ』の二つのヴァージョンがあるが、そのうちの一つ、Cervantes (M. de.) The history and adventures of the renowned Don Quixote;tr. W. the author’s life by T. Smollett (Edinb. Hill, 1815. 4 v.) には、上述の挿話の章題に色鉛筆でアンダーラインが施されている。『行人』におけるお直の貞節試 しのソースの一つになっているのは間違いないと見てよい。 神田 圭一 鈴木 誠 ◆漱石の庭園観に関する研究 ◇「ランドスケープ研究 : 日本造園学会誌」/65(5)/日本造園学会/2002.03/p389-392 >漱石の庭に対する関心については、「漱石山房」の蔵書目録の中に『文談花談』(明治40年)、『園藝文庫(1~12 巻、別巻)』(明治36、37年)などがあり、漱石自身の草花に対する興味をうかがわせる。また略年譜に記した「イギ リスの園藝」では、「全体イギリスの土地は多く石灰質の貝殻交じりである。」「イギリスの庭には全く苔がない、無 いばかりならそれほど怪しむに足らぬのであるが、有れば掻き落して仕舞ふという御挨拶には聊か驚き入らざる を得ない。」と述べる。これからも漱石はイギリスの地質自体が悪いという理由があったにせよ、日本の苔や石と いう自然になじむ庭の情緒を好んでいたといえよう。 菅野 孝彦 ◆漱石とニーチェ : 近代知識人のニーチェ受容の一断面 ◇「東海大学文明研究所紀要」/20/東海大学文明研究所/2000.03/p17-28 >夏目漱石という一人の近代日本を代表する知識人において、ニーチェ思想がいかに受け入れられ、批判され たのかを明らかにしたいと思う。漱石は、ニーチェの『ツァラトストラ』を読み、さまざまな感想を書き記している。そ のとき漱石が手にしたのは、ドイツの原本ではなく『ツァラトストラ』の英訳本 Thus Spoke Zarathustra, translated by A. Tille, London: T. Fisher Unwin, 1899. であったが、漱石は、その感想を英語で書いている。漱石が、この明 治32年に出版された『ツァラトストラ』の英訳本を入手した時期や読んだ日時を特定することはできないが、おお よそ明治38年から明治39年頃ではないかと思われる。 菊田 茂男 ◆漱石の蔵書 ◇「英語青年」/112(7)/研究社出版/1966.07/p494-496 >漱石研究は、これまで多くの場合、あまりにも印刷された資料によりかかりすぎてはいなかったか。漱石芸術 の成立と本質を、その根底において深く掘りおこし正しく理解するためには、やはりその形成の内的要因としての 蔵書の徹底的な調査をとおして、じかに彼の人間味に触れ、その読書傾向・読書法・関心事の所在などを明らか にし、外国文化にたいする共感と反撥の具体相を見究めることによって創作活動の複雑な契機を探りだすことが 要求される。特に比較文学的研究にとって、「漱石文庫」の検証は絶対不可欠の前提であるとさえ言えよう。 菊田 茂男 ◆漱石の身辺自筆資料 : 東北大学附属図書館所蔵「漱石文庫」の日記・断片・蔵書書き入れ・草稿 等を中心として ◇『図説漱石大観』/吉田精一, 荒正人, 北山正迪監修/角川書店/1981.05/p286-294 >漱石関係資料を、東京から仙台へ移送する作業は、資材不足、運輸事情悪化の時期と重なっていたことも あって、数回に分割して行われた。受け入れ登記が完全に終了したのは、昭和十九年二月二十五日のことであ る。二冊の欠巻を補った「日記」とともに、「蔵書目録」や雑件資料などが一括して購入登記されたのは、昭和二 十五年十月二十三日のことである。その後も、小宮豊隆・林原耕三両家に所蔵されていた漱石自筆原稿や句 稿・画軸などに加えて、初版本の類をも別途に受け入れ、再三にわたって「漱石文庫」の補充が行われた。 菊田 茂男 ◆「漱石文庫」の深層 ◇『夏目漱石展 : 「漱石文庫」の光彩』/仙台文学館編/仙台文学館/1999.03/p93-95 >夏目漱石の文学は、古今東西の文明・文化所産の多彩な織糸の数々による<引用>の織物をもとにして、自 らの身の丈にあわせて精巧に計算され尽くした着衣の世界である。漱石の脳は、日本人(男子)の平均より七十 五グラム重く、特に右の前頭葉の発達が著しい「天才的脳髄」の典型であると伝えられる。漱石的<引用>の織 物による生産工程の秘奥に迫ることは、不可能に近いというべきだろう。しかしながら、われわれは、漱石の<引 用>の織物の秘法の世界から、完全に冷たく疎外されてしまったわけではない。「漱石文庫」という有効な回路 が、逡巡するわれわれを誘い導いてくれるにちがいないからである。 15 ページ 漱石文庫関係文献目録 北住 敏夫 ◆東北大学附属図書館の漱石文庫 ◇「日本古書通信」/31(12)/日本古書通信社/1966.12/p1 >東北大学附属図書館には、狩野文庫を初めとして誇るべき特殊文庫が多いが、漱石文庫もその一つである。 多くの本に書込みがあるのは、漱石研究の資料としてすこぶる貴重である。見返しや巻末には全体的な批評の 言葉が見える。W. B. Worthfoldの"The Principles of Criticism"の二百二頁で、「若シ日本人ガ此想ヲアラハス時 ニハ十中八九共散文ノ形ヲ択ムベシ。吾人ノ詩ト云フ観念ト西洋人トハ根本ニ於テ余程違フナリ。未ダ此辺ヲ充 分ニ論ジタル者ナキハ遺憾ナリ」と記され、日本人と西洋人との考へ方の違ひに思ひをいたしてゐたことがうか がはれる。 北住 敏夫 ◆漱石の「人生論覚え書」 ◇「文化」/30(4)/東北大学文学部/1967.03/p119-125 >「漱石文庫」には、漱石の蔵書の外、日記や覚え書などの「断片」が含まれてゐる。「断片」は既刊の『漱石全 集』にも収録されてゐるが、公表されないまま今日に至ったものも少くない。そのうちの比較的まとまった長文の もの一篇をここに紹介する。内容の上から仮に「人生論覚え書」といふ題をつけ、三節に分れてゐると見られるの で、順次〔一〕〔二〕〔三〕の番号を附した。人生のいかなるものであるかといふこと、いかに生くべきかといふこと が、漱石にとっては極めて重大な問題であった。それについての見解を、正面からかなり秩序立った形で表明し たものとして、この覚え書は注目に値するのである。 木村 毅 ◆ツルゲェネフと日本文壇 ◇「新潮」/32(5)/新潮社/1935.05/p116-123 >夏目漱石は、えらい讀書家であつたが、只、眼だけで讀んでゐる。ハートを以て、魂を以ては、本を讀んだ事の ない人だ。それが『ルーヂン』をガーネットの英譯で讀んでかう書きこんでゐる。 ○此二三頁ヲ讀ンデ余ノ『虞美 人草』ガココカラアル hint ヲ得タ様ニ思フ人ガアルカモ知レヌト感ジタ。驚イタ。『虞美人草』ヲ書クマヘニ Rudin ヲ 讀メバヨカツタ。コンナ嫌疑ノ起ラヌ様ニカイタモノヲ。 『虞美人草』がメレディスの大模倣であり、サンドラ・ベロニ の縦册であることは棚に上げて、『ルーヂン』の模倣と見られはしないかと云う事のみ氣にしてゐるのは、一寸面 白い。 久野 真吉 ◆漱石と「ハムレット」 ◇「宮城學院女子大學研究論文集」/4/宮城学院女子大学/1953.12/p1-23 >漱石がいかに『ハムレット』を讀み、いかにそれを彼の作品に應用したかを調べるのが本稿の目的である。『ハ ムレット』に關する知識思想が、彼の捜創作に暗々裡の中に現はれることになる。漱石は『ハムレット』について は研究論文はなく、僅かにアーデン・シエイクスピア全集の『ハムレット』に書き入れられた「書き込み」と『ハムレッ トの性格』なる「斷片」があるのみである。然し、以上の二つの資料で、漱石が『ハムレット』をいかに讀んだかは 大體見當をつけることが出来るように思ふ。これから「書き込み」の中の問題とし得る個所と、『ハムレットの性格』 とを取り上げて少し檢討して見る。 久野 真吉 ◆漱石文庫のメレディスを見て ◇「英語青年」/100(8)/研究社出版/1954.08/p420-421 >漱石文庫のメレディスの「書き入れ」を調べ、漱石がいかにメレディスを読んだかを考えて見たいと思っていた。 漱石は「見返し」に短評覚書を書く癖がある。インクの色は褪せうすれて漱石の蔵書の「書き入れ」を完全に調べ るには急を要するように痛感された。漱石の蔵書には「書き入れ」以外に下線傍線が到る所にほどこされている。 そしてそれ等の部分は漱石の読書法を探る鍵であるとも考えられる。又下線や傍線を引いたりした個所の行外 の余白に短評を更に加えたところもある。印と×印とはその間に意味の差があるとは思われない。又下線と傍線 との間にも差があるとも思われない。 久野 真吉 ◆漱石と『マクベス』 : 文學の超自然的要素について ◇「宮城學院女子大學研究論文集」/7/宮城学院女子大学/1955.06/p1-21 >漱石の所謂「狂氣」を説明し、「狂氣」が彼自身にどのように働いてきたかを檢討したが、漱石が『マクベス』を いかに解釋したか、そしてその解釋が漱石の創作にどのように應用されたかを考へて見たい。漱石がいつ始め て『マクベス』を讀んだかは正確に知る由もないが、「書入れ」のある彼の藏書『マクベス』は、マクミラン社の英國 古典叢書中の一八九五年版である。一八九五年といへば明治二十八年だが、二十九年には漱石は第五高等學 校でシェイクスピアの課外講義をしてゐる。但し、「書入れ」は明治三十六年九月二十九日にはじまる大學におけ る購讀の時、準備のためになされたとするのが、妥當であらう。 久野 真吉 ◆漱石書入れ本の撮影 ◇「日本比較文学会会報」/4/日本比較文学会/1956.01/p1-2 >漱石のメレディスへの「書入れ」、下線、傍線等を調べて綜合的に結果を出す必要があるので、東北大學圖書 館にお願いして問題の頁を全部寫眞に撮った。「書入れ」の種類を分類する目やすとなるものに、『ローダ・フレミ ング』目次の下に書かれた規準"S style","M manner","Ph phrase","V view of life"がある。この讀書法は漱石 の他のメレディス作品を讀んだ場合にも應用されている。調べて見ないとハッキリ分からぬが、この方式はメレ ディス以外の作品にも用いられていると想像できる。こうした讀書法は創作家が他人の作品を讀む讀書法であ り、漱石が創作を始めたとき彼に大いに役立ったと思われる。 16 ページ 漱石文庫関係文献目録 久野 真吉 ◆Soseki Natsume and George Meredith : How Soseki has read Meredith ◇「比較文学」/4/日本比較文学会/1961.09/pxx-xxxii >Fortunately those books Soseki read and collected are perfectly preserved as the Soseki Library at the Tohoku University Library in Sendai, Japan. My intention in this thesis is to examine Soseki's readings of George Meredith referring to the Soseki Library. In Soseki's novels, especially "Gubijinso", we find not a few of the same characteristics as in Meredith's novels ― the use of wit or humour, psychological description and philosophical point of view (or artistic point of veiw). For the study of these fields, Soseki's entries into Meredith are, I believe, most effectively available. 久保 忠夫 ◆英文科学生時代 ◇「英語青年」/112(7)/研究社出版/1966.07/p483 >漱石は、明治23年9月、数え年24歳で東大英文科に入学、26年7月に卒業した。その研鑚の一大成果が「英国 詩人の天地山川に対する観念」(明26.3-6「哲学雑誌」)である。本稿においては、この論文と参考文献の2,3のも の(いずれも論文中に名の見える)との関係を考えてみたい。 (1)H. M. Posnett, Comparative Literature (1886) 漱石文庫に蔵されている。 (2)Sir Leslie Stephen, History of English Thought in the Eighteenth Century (1876) 2巻本(漱石文庫にはない)。 (3)Mrs. Oliphant, Literary History of England 1790-1825 (1886)「明治26年正月 ウード先生年玉に下さる 夏目金之助」と筆で謹書してある。 久保 忠夫 ◆漱石の中のパスカル ◇「東北学院大学論集. 一般教育」/78/東北学院大学文経法学会/1966.07/p119-116 >『吾輩は猫である』の「四」に鈴木藤十郎君と苦沙弥先生とのい間にやりとりがある。いま、東北大学にある"漱 石文庫"に保存されている、パスカルの著書は、The thoughts of Blaise Paise Pascal; tr. By C. Kegan Paul. London: G. Bell & Sons. 1905一冊だけである。一九〇五年は明治三十八年に当るから、在英中に手に入れたの ではなく、帰国後もとめたものと思われる。この場合にはむしろ、これも"漱石文庫"にあるギュイヨーGuyau, M. (1854-1888)の『教育と遺伝』(英訳Education and Heredity)に主としてよったと考えるべきであろう。 熊坂 敦子 ◆日記に見る漱石の一面 : 厭世主義 ◇「國文學 : 解釈と教材の研究」/9(10)/学燈社/1964.08/p46-51 >漱石の日記は明治三十九年九月八日より書きおこされた、大正五年七月二十七日まで書かれるが、その間断 続が見られる。この日記の切れ目と、日記を書きおこす漱石の意識に、どのような断続があったのであろうか。書 かれた日記の中で漱石が精神的真実の極点を究め尽くすのは、修善寺の大患においてである。大正年間の書 簡や断片にはこぞって死への讃美と、生への暗い調べがこめられている。大患以後の日記について、これは今 までの体裁から云うと、「断片」に書かれてあったことを日記の中にもち込んだことで、実際に「日記及断片」とな り、両者の見境がつかなくなっている。 熊坂 敦子 ◆漱石とベルグソン ◇「國文學 : 解釈と教材の研究」/16(12)/学燈社/1971.09/p143-150 >「思ひ出す事など」においてベルグソンの著書の第一巻が"Time and Free Will"(時と自由意志)としてゾンネ シャインから出版されたことを記している。夏目漱石文庫に収められているこの『時間と自由意志』を調べてみる と、その他十六箇所の漱石のアンダーラインが発見された。『時間と自由意志』を読んだ時より二年経て、夏目漱 石文庫を調べることによって、漱石は"Creative Evolution" (Macmillan and co, Limited St. Martin's street, London 1911)と"Laughter" macmillan and co, Limited St. martin's street London)に短いが力強いアンダーライン を施し、精読したあとが伺えたのである。 熊坂 敦子 ◆三四郎 : 西洋絵画との関連で ◇「國文學 : 解釈と教材の研究」/28(14)/学燈社/1983.11/p90-97 >漱石文庫には、漱石がロンドンで購入したと思われるミラーの「ウオーレンスクレクシヨンの画」(Lond. Pearson. 1902) という解説書がある。この一頁ずつを占めて「無邪気」と「悲しみ」というグルーズの描いた女の画が、掲載 されている。「無邪気」は、肩から半裸の胸がロココ調の衣裳をわずかにまとい、大きく見開かれた深いまなざし は、前方をながめながら愛らしさの蔭に、もの憂く媚びるように輝いている。しかも一匹の小羊を、横抱きにしてい る。三四郎が美学の教師から見せて貰ったのは、漱石が解説書中でも眼にして印象的に映ったグルーズの代表 作「無邪気」であったかもしれない。 剣持 武彦 ◆『神曲』地獄篇と漱石文学 ◇「比較文学」/14/日本比較文学会/1971.10/p1-9 >夏目漱石の蔵書中に袖珍版のダンテ『神曲』三冊がある。これはThe Temple Classicsという叢書本で、「地獄 篇」「煉獄篇」「天国篇」に分かれ、イタリア語の原文と英語の散文訳とを対訳にしてある。このなかで「地獄篇」 Infernoは、漱石が特によく読んだらしく、『漾虚集』に収められているこの時代の漱石の脳裡には、英国史や英国 文学との関連において、『神曲』地獄篇が去来していたようである。敢えて徴兵忌避をしてしまったという恐怖感 と、罪悪感、そして文明批評意識による戦争という「悪」に対する深い厭悪感は「趣味の遺伝」や「草枕」の底流を なしていたことは既述したとおりである。 17 ページ 漱石文庫関係文献目録 剣持 武彦 ◆夏目漱石『それから』とダヌンツィオ『死の勝利』 ◇「イタリア学会誌」/20/イタリア学会/1971.12/p20-32 >草平の『煤煙』に於ては朋子との恋の仲介が二冊のダヌンツィオの英訳本、The Triumph of DeathとThe Child of Pleasureによって行われている。漱石は『煤煙』の連載される直前の明治四十一年から、明治四十二年にかけ て、ダヌンツィオの『死の勝利』を読んだであろうことが推定される。漱石の蔵書及び蔵書への書き込みを全集に よって調べると、まず蔵書の方では、ダヌンツィオの本が四冊あり、すべて英訳本で、The Child of Pleasure, The Triumph of Death, The Flame of Life, The Daughter of Jorio,であり『死の勝利』と『快楽児』には読了後の書き込 みが、前者は日本文で、後者には英文でなされている。 剣持 武彦 ◆夏目漱石「こころ」と上田敏訳アンドレィエフ「心」 ◇「道」/11(1)/世代群評社/1981.01/p85-97 >上田敏訳アンドレィエフ「心」が刊行された明治四十二年六月より三ヶ月まえの同年三月七日から四月九日に かけて漱石は小宮豊隆とのドイツ語の勉強のテキストにドイツ語訳、アンドレーエフ「七刑人」を読んでいる。三月 七日の日記に「Die Geschichte von den sieben Gehenkten」とある。上田敏の「心」については、小宮豊隆が漱石 に話したに違いないし、木曜会の話題になったであろうことも想像される。漱石に贈られた書物は一切、蔵書目録 に記載されていないのでわからないが、上田敏が「心」を贈ったであろうことも当然考えられる。漱石と敏とはその 著書を寄贈しあうという関係はあったと思う。 剣持 武彦 ◆漱石文學と『ドン・キホーテ』 ◇「二松學舎大學東洋學研究所集刊」/12/二松学舎大学東洋学研究所/1982.03/p65-80 >漱石がセルバンテスの『ドン・キホーテ』を讀んだのはロンドン留學中であった。明治三十四年二月五日の日記 に『ドン・キホーテ』を購入したことが記されている。現在、東北大學圖書館に藏されている『ドン・キホーテ』は英 譯本の各四冊で二種類あり、一七三三年に刊行されたものと、トビアス・スモーレット譯(一七五五)の一八一五年 版である。一七三三年譯の方は多人數譯(Translated by Several Hands)でオゼルという人の校訂とあるが、漱石 はこちらの方の四冊本にはほとんど手をつけずに、もっぱらスモーレットの英譯の方で讀んだらしい。多人數譯 の方には全くアンダーラインもサイドラインも無い。 小泉 信三 ◆理論家漱石 ◇「思想」/162/岩波書店/1935.11/p629-638 >夏目さんは、倫敦留學中その思考力を更に鍛へ、蒐集された豊富なる材料の上に縦横に之を働かして作つた ノオトが「文學論」及び「文學評論」兩著述の基礎になつてゐるのであらう。それにしても自ら顧みて羨ましく思ふ のは、留學中の夏目さんの勉強である。高價な書籍を買ふ爲め、又讀書の時間を惜しむ爲め、社交を避け、極 端に衣食を節して下宿に立て籠つたことなどは、これは夏目さん一人の事ではない。たゞ夏目さんの如く、腑に落 ちぬ西洋學者の言説に根本的に疑を介み、既定のコオスを履まず、自ら新たに問題を提起して、全く獨力で自家 の文學論を打ち立てようと試みたといふやうな例は珍しい。 小玉 晃一 ◆夏目漱石とアメリカ文学 ◇「日本英学史研究会研究報告」/51/日本英学史研究会/1966.06/p1-5 >「漱石山房蔵書目録」によると、文学関係書640点中アメリカ文学関係のものがわずか26点ということは非常に 少ないが、それでも主な作家のものは読まれていたことがわかり、漱石が英文学ほどでは勿論ないにしても、アメ リカ文学を無視していたのではないことを知ることができる。H・ジェームズのThe Golden Bowlまた、エマンソンの Represetative menなど書き込みなどあるところを見ると、何冊かはかなり精読していたようだ。作品中最も多く引 用されている名前は、W・ジェームズで、ホイットマン、ポーという工合で、この二人の文学者については、それぞ れ独立した文章を書いている。 小玉 晃一 ◆スティーヴンソン ◇「英語青年」/112(7)/研究社出版/1966.07/p450-451 >漱石が初めてスティーヴンソンを読んだのは高等学校時代と推察され、本格的に英小説と意識して読んだの は、ロンドン留学した翌年の明治34年の前半であつことが日記でわかる。『英文学形式論』ではスティーヴンソン の特徴の極端に現われているのは The Master of Ballantrae だとして、彼の文体の特質を整理している。漱石が 詳しくスティーヴンソンを読んだことは、蔵書への書き込みによっても知られる。『漱石全集』第32巻にある The Dynamiter, Kidnapped, Catriona, The Black Arrow, The Master of Ballantrae, The Wrecker, Prince Otto などへ の書き込みは、漱石の英文学理解を示すよい資料である。 小宮 豊隆 ◆漱石三十三回忌 ◇『漱石 寅彦 三重吉』/小宮豊隆著/岩波書店/1942.01/p144-151 >先生の書齋と藏書とをどうして保存するかといふ事が、談合される例になつてゐた。然し今年はその問題は出 なかつた。私もそれを出さなかつた。その問題が當分解決される見込みがつかないのなら、せめて藏書だけでも 先にどうにかしたいといふ問題も起り得る。現在の家は、家番を置いて閉め切つてあるために、風通しが惡く、鼠 が暴れ、本が痛んでしやうがないからである。然し是を今、例へば何所かの圖書館に寄附し、一纏めに漱石文庫 として、人人が讀めるやうにしてもらふ事が出來るとしても、さうして藏書を取り去つたら、先生の書斎は齒の抜け たやうなものになつてしまふだらう。 18 ページ 漱石文庫関係文献目録 小宮 豊隆 ◆漱石先生とドイツ語 ◇「図書」/20/岩波書店/1951.05/p11-15 >漱石先生にドイツ語を教へたことがある。當時私は東新君からアンドレイエフの短篇のドイツ譯を紹介され、そ れにひどく感動してゐた時だつた。私が先生の爲の教科書として選んだのもアンドレイエフだった。その時丁度丸 善に『七刑人物語』が來てゐた。先生の日記を見ると、三月七日日曜日の項に「Die Geschichte von den sieben Gehenkten」とだけ書いてある。先生が亡くなつてから、先生の書棚の下の戸棚から、思ひも掛けず先生の大學 時代の試驗の答案が出て來た。調べて見ると、それには先生のドイツ語の答案もまじつてゐて。それが悉く九十 點だの九十五點だのといふ優秀な評點がついてゐるので、ちよつと驚ろかされた。 小宮 豊隆 ◆漱石文庫 ◇『人のこと自分のこと』/小宮豊隆著/角川書店/1955.05/p18-22 >漱石の藏書がほんの僅かの篤志家だけに使用されるのでは勿體ない。寄附するとすれば、本郷の大學は漱 石とも深い縁故があるし、第一東京なら恐らく利用率が一番高い。それで東京大學にその話をして見たが、しか し本郷の圖書館では、どの本もばらばらにほごしてそれそれの部門に列べる方針なのだそうで、漱石の藏書でも 例へば漱石文庫なら漱石文庫として一纏めに別置するわけには行かないといふのである。いろいろ考へた末、 丁度私が仙臺の大學の圖書館長をしてゐた關係上、漱石の藏書を思ひ切つて仙臺へ寄贈してもらふことにし た。 小宮 豊隆 ◆未發表の漱石日記について ◇「世界」/116/岩波書店/1955.08/p225-227 >これまで『漱石全集』に採録されなかつた漱石の「日記」と「斷片」とを、今度ここで發表することにした。今度發 表するにつき、更に長田君を煩はして、東北大學の圖書館に行き、原本を借り出してもらひ、改めて原稿と校合し た。漱石の藏書、漱石の日記、ノート、その他漱石の書齊に置いてあつたすべての文書は、仙臺の大學圖書館 に所藏され保管されてゐるのである。當時私がなぜ發表しなかつたかといふと、最も大きな理由の一つは、そこ に皇室に關する記事があつたからである。 小森 陽一 ◆金之助と漱石 ◇『夏目漱石をよむ』 (岩波ブックレット ; №325)/小森陽一著/岩波書店/1993.12/p11-29 >これまでの伝記研究の成果によれば、金之助がはじめて「漱石」という号を使用したのは、一八八九年五月二 五日頃だとされている。親友正岡子規の、友人むけの自筆回覧文集『七艸集』(東北大学「漱石文庫」所蔵)の巻 末余白に、九首の七言絶句の評を書いた後、金之助は「漱石」と書名した。その直前の五月九日に、子規は結核 で喀血している。金之助は五月一三日に子規を見舞い、帰宅後慰めの手紙を書く。末尾には、「帰らふと泣かず に笑へ時鳥」「聞かふとて誰も待たぬに時鳥」という俳句がそえられ、「金之助」という署名が付されている。本名 と号の間に、青年時代の屈折した思いが浮かびあがってくる。 小森 陽一 富山 太佳夫 ◆ロンドンに立つ漱石 ◇「文學」/4(3)/岩波書店/1993.07/p103-117 >[小森] ロンドンでいわば英語の研修と英文学の勉強を始めた夏目金之助の英文学についての水準は、ある 意味で言うと、本人自身が日記の中で軽蔑している同時代の女子供のレベルを大きく出ていないということは大 変よくわかったのですが(笑)、 [富山] 漱石の英語力からして、端的に言うと読める本はそんなに多くはない。哲 学とか心理学の当時の最先端のすぐれた研究をフォローしているひまは絶対なかったはずです。例えばハベロッ ク・エリスが編集した「コンテンポラリー・サイエンス・シリーズ」というシリーズがありますが、四十数冊のうち、漱 石は半分以上を持っている。その二十冊ほどのうち十冊近くは心理学の入門書です。 小山 貞夫 ◆「『漱石文庫』マイクロ・フィルム版目録」刊行によせて ◇『漱石文庫マイクロフィルム目録』/東北大学附属図書館編/仙台市/1997.--/p2 >「漱石文庫目録」が、特殊文庫目録シリーズの第一集として昭和46(1971)年10月1日に発行され、利用に供さ れてきたが、その後追加修正するべきことも多くなっていた。中でも、これまで明らかにされていなかった蔵書中 の約120枚の挿入紙片等を含む約1,600枚に及ぶ自筆資料が新たに目録化されたことは特筆すべきであろう。内 外の研究者にとって大きな関心でもあり本学にとっては長年の課題でもあった漱石文庫の自筆資料の整理は、 このマイクロ・フィルム化事業を契機として、奇しくも一応の完成をみたといってよいであろう。この目録が広く一般 に活用され役立つことが唯一の望みである。 斎藤 恵子 ◆夏目漱石のスウィフト論について ◇「比較文学研究」/15/朝日出版社/1969.04/p55-92 >漱石の蔵書には、スウィフトの本が三冊ある。このうち二冊は詩集だが、漱石はスウィフトの詩について全然論 じていないし、読んだ形跡もない。詩と散文を両方含んだ作品選集には、何ヶ所にも漱石の書込があり、大部分 は、岩波版全集に収録されている。その作品集は、The Works of Jonathan Swift. D.D. Ed. By D.L. Purves Edinburgh ; W.P. Nimmo, Hay & Mitchel 1897である。この本は、現在、東北大学附属図書館の漱石文庫に収めら れている。このパーヴィーズ編のスウィフト集は東大付属図書館、本郷の書庫に、出版年次が一八七六年になっ ているが内容は漱石所有の一八九七年版と同じものがある。 19 ページ 漱石文庫関係文献目録 相良 英明 ◆夏目漱石とジョウゼフ・コンラッド : 『タイフーン』と『二百十日』 ◇「詩と散文」/31/永田書房詩と散文の会/1976.12/p38-42 >漱石はコンラッドの『ナーシサス号の黒人』(The Nigger of the'Narcissus'1897)や「闇の奥」('Heart of Darkness'1899)、「青春」('Youth'1898)、『タイフーン』(Typhoon 1902)等の作品をいくつか読んでおり、それにつ いて彼自身、小論「コンラッドの描きたる自然に就いて」や「小説に用ふる天然」で触れている。ある一時期、ある 一点において、この二作家は、かなりはっきりと軌跡を交えているようにみえる。『二百十日』(1906)がコンラッド の『タイフーン』(1902)の影響下に書かれたのではないか、という推測が可能に見えるのである。 相良 英明 ◆漱石とコンラッド : 作家としての二つの軌跡 ◇「詩と散文」/32/永田書房詩と散文の会/1977.10/p45-55 >漱石の蔵書『ナーシサス号の黒人』の見返しにある書きこみを見てみると、ここで漱石は、コンラッドの描いた 自然とwillというものに注目しており、「willはitselfにおいて美なり」という書きこみは、若き日の漱石を髣髴とさせる ものです。作家が作家論を書く場合、しばしばある面で鋭く核心をついているものですが、漱石のコンラッド評にも それがいえましょう。その評者の作家としての資質が如実にあらわれてくるわけであります。とすると、漱石がコン ラッドの小説を、自然情小説と捉え、そこにwillを見出したということは、実に興味深いことです。 相良 英明 ◆夏目漱石とジョゼフ・コンラッド ◇「比較文学」/20/日本比較文学会/1977.12/p40-50 >漱石にコンラッドの影響があったかどうかを、特に『二百十日』と『坑夫』をとりあげて検討し、更に、漱石とコン ラッドを比較研究することの意味について考察してみたい。漱石はコンラッドの作品を読んでいた。それについて は、「コンラッドの描きたる自然に就て」、あるいは「小説に用ふる天然」におけるコメントや、「斷片」の記録や蔵書 の書きこみ等によって証拠づけることができる。明治三十八年ごろから、翌年秋『二百十日』を書く前の夏ごろま でのノートに、漱石は、「闇の奥」や「颱風」等、幾篇かのコンラッド作品の読後感を記している。 佐古 純一郎 ◆夏目漱石とキリスト教 ◇「国文学解釈と鑑賞」/32(6)/至文堂/1967.05/p191-197 >私も先年、東北大学の漱石文庫に入る機会を与えられ、高木氏が調べられた漱石愛用の聖書を見た。私はそ れよりも、漱石の愛読書のひとつとしてトマス・ア・ケンピスの『イミタチオ・クリスティ』に対するゆたかな書きこみを 重視する。そこにはじつに沢山の書きこみがなされていて、漱石がキリスト教の考えをどのように受けとつていた かが手にとるようにわかるのである。漱石が愛用したのは W. Scott の "Of the Imitation of Christ" であるが、 「是従天明ノ意ナリ」とか、"So were Budha and Confrcius" というように、むしろ漱石自身の中にあつた東洋的な 思想に翻訳して読みとつていることはれきぜんとしている。 佐々木 英昭 ◆漱石と草平のアイロニー : 「浪漫的アイロニー」と「俳味禪味」 ◇「比較文学研究」/51/朝日出版社/1987.04/p52-71 >「此洋語の意味がよく分らなかった」三四郎は浪漫的アイロニーを調べ、「獨逸のシユレーゲルが唱へ出した言 葉で、何でも天才と云ふものは、、目的も努力もなく、終日ぶらぶらぶら付いて居なくつては駄目だと云ふ説だ」と 知り「漸く安心」する…。彼が「此洋語」を仕入れた書物として、少くとも一つ立証可能なのはG・ブランデスのThe Romantic School in Germanyである(蔵書書き入れ、『文学論ノート』に拠る)。ブランデスがシュレーゲル一派に ついていう"idleness""purposelessness"に相当するわけだが、いうまでもなく、あくまでその論理的帰結の一つで あるにすぎない。 佐々木 英昭 ◆女という悪夢 : 漱石の読んだ女たち ◇「比較文学研究」/57/朝日出版社/1990.06/p128-143 >『ツァラトゥストラ』の余白に漱石は相当量の書き入れをしているのだが、そのうちにはニーチェが発した "innocence"の語にこだわって、本文の文脈とはほとんど無関係になされた、長い書き入れもある。漱石的「無邪 氣」とは、「人口性(技巧)」の逆として考えられているものであって、その「技巧」を体現するものの第一として「女」 があった。/今日ではほぼ完全に忘れ去られたドイツの作家、ズーダーマンに大漱石が与えた不釣合に高い評 価は、人も知るところである。英訳The Undying Pastの見返しに書きつけられた絶讃は、見事にはずれたといって よい。 佐々木 英昭 ◆人間の普遍性について : 小谷野敦の「部屋」と漱石的「自己本位」 ◇「比較文学研究」/72/恒文社/1998.07/p97-113 >『ノート』や蔵書の余白に頻出する自問の呟きが、「日本人ニワカルカ」(H.Blair, Lectures on Rhetoric and Belles Letters, 1824,ほかへの書き入れ)、「日本人ハ日本人トシテ此等ノ詩ヲ読マザルベカラズ」(W.B.Worsfold, The Principles of Criticism, 1897,への書き入れ)等々と、しばしば「余」ではなく「日本人」を主体としていることに も、その意識は歴然としている。ここではそれを敷衍すべく、『ノート』の漱石が普遍性を論じる場合に最もよく引き 合いに出すイギリスの文芸批評家にして、詩人、W・G・コータプにご登場を願うことにする。 20 ページ 漱石文庫関係文献目録 佐々木 満子 ◆日本における Wordsworth (5) : 夏目漱石の場合 ◇「學苑」/605/昭和女子大学近代文化研究所/1990.04/p1-11 >「英国詩人の天地山川に対する観念」についてはこれまでしばしば論じられて来た。筆者は東北大学附属図書 館所蔵の旧蔵書「漱石文庫」の書き込みを手掛りに、上記の論文や『文学論』その他に見られる彼の Wordsworth 観を探ってみたいと思う。ところで漱石はこの論文を書くまでに Wordsworth のどんな詩を読んでい ただろうか。まず「漱石文庫」の中から Wordsworth 関係の書物を拾ってみよう。ここではこの「英国詩人」が当時 の大学生の論文としてはまことにすぐれたものであり、Wordsworth をはじめ「漱石の近代英詩観のいわば原点」 として重要なものであることを述べておく。 佐々木 靖章 佐々木 浩 針生 和子 佐藤 和代 ◆漱石蔵書の書き入れ ◇「文藝研究」/54/日本文芸研究会/1966.11/p50-60 >「漱石文庫」について、書き入れ本の調査を進めて来たが、『漱石全集』(岩波書店発行、決定版第十八巻・新 書版第三十二巻)に採録されていない書き入れの多く含まれているもののうち、M. NordauのDegenerationとG. BrandesのMain Currents in Nineteenth Century Literatureを取り上げ、施線の箇所を除く書き入れのすべてを紹 介することにした。この両書は、近代ヨーロッパの文明や文芸思潮を理解するのに役立つもので、漱石も精読し たことがうかがわれる。なお全集にはMain Currents in Nineteenth Century Literature第二巻への書き入れが採 録されているが、同巻は現在「漱石文庫」に見当らない。 ◆漱石とジェイン・オースティン : 自由間接話法をめぐって ◇「人文科学研究」/88/新潟大学人文学部/1995.07/p97-133 >東北大学付属図書館蔵の漱石文庫中のオースティンの作品は『分別と多感』『自負と偏見』『エマ』『マンス フィールド・パーク』の四冊であるが、その中で『自負と偏見』の傷みが著しい。これが漱石の愛読書の一つであっ たことは周知の事実であり、別に不思議ではない。ここで注目したいのは、綴じ糸の切れている部分がこれまで に見てきた自由間接話法と非常に関係が深いという点である。内的独白から自由間接話法への移行段階ともい える引用符つき自由間接話法はオースティン以外にはあまり用例もなく、オースティンと漱石の手法上の関連を 強く示唆するものである。 佐藤 和代 ◆夏目漱石とウィリアム・ジェイムズ : 「意識の流れ」から「視点」へ ◇「人文科学研究」/111/新潟大学人文学部/2003.03/p23-47 >ウィリアム・ジェイムズ William James は『吾輩は猫である』に、ゼームス教授として登場して以来、漱石の作品 に何度も現れ、断片や日記でもしばしば言及され、蔵書に書き込みや下線等も多い。また、思想面での影響や、 「意識の流れ」という小説技法との関連で漱石のジェイムズに対する関心・共感を探った研究も数多くある。本論 では、ジェイムズを読み直したと思われる頃(明治40-41年)に書かれた「断片」でジェイムズに言及している三カ所 と、『心理学原理』に残されたかすかな手がかり (第一、第二各巻一カ所ずつの頁隅の折り目と第二巻の紙片を 挟んだ二カ所) をもとに、この時期の意識の問題に関する漱石の関心の在処を探る。 佐渡谷 重信 ◆あとがき ◇『漱石と世紀末芸術』/佐渡谷重信著/美術公論社/1982.02/p351-352 >私が本書で追跡した問題は漱石とヨーロッパ世紀末芸術との相互交渉という問題である。本書を上梓するに あたり、私は漱石文庫の所蔵してある東北大学図書館に赴き、そこで漱石が所蔵した美術館関係書すべて、お よび「ステューディオ」を全部閲覧させていただき、漱石の書き込みを見落しなく拝見することができた。それは漱 石の美術への関心の深浅を知るうえで比較的重要な仕事であった。その結果、漱石がロンドン留学中に文学と 美術の相互交渉に強い関心を抱き、その結果として作品の中で西洋美術への言及を数多く行ったのである。 重松 泰雄 ◆漱石晩年の思想 (上) : ジェイムズその他の学説を手がかりとして ◇「文學」/46(9)/岩波書店/1978.09/p1117-1128 >フェヒナー Gustav Theodor Fechner(1801-1887) については、ジェイムズはわざわざ第四講全部を割いて、彼 の思想の持つ独創的意義を力説する。このような『多元的宇宙』の一節が、「思ひ出す事など」十七章に見える、 漱石のフェヒナー論の原拠であることは疑いを容れぬだろう。ちなみに、漱石旧蔵書中にはフェヒナーの著作は 一冊も見当たらない。だがそれならば、なぜ自ら読みもせず、また、論証もきわめて粗雑でしかないフェヒナーの 説を、漱石はわざわざ取り上げるのだろうか。この疑惑を解く鍵の一つは、やはり『多元的宇宙』第四講の一節に あると言って良い。 重松 泰雄 ◆漱石晩年の思想 (中) : ジェイムズその他の学説を手がかりとして ◇「文學」/46(12)/岩波書店/1978.12/p1493-1504 >「心 (こゝろ)」の先生の「過去」と「生命」と、さらには「記憶」にかかわる指摘は、たしかに頷かれるものが多い。 しかもそれらが、ベルグソンとの関連において論じられるとき、その指摘はいっそう的確でまた貴重である。彼が 示唆を得たベルグソンの著書は、『物質と記憶』Matiere et memire (1896) には限らぬようである。漱石が触れて いる程度の記憶説についてだけなら、彼が確実に読んだベルグソンの他書からも、摂取できぬわけではないの である。現存の漱石手沢本中には、三書があり、いずれもアンダーライン (時には書き込み) が施されていて、漱 石の閲読を裏づけるが、この中から「記憶」についての知識を得ることは不可能ではない。 21 ページ 漱石文庫関係文献目録 重松 泰雄 ◆漱石晩年の思想 (下) : ジェイムズその他の学説を手がかりとして ◇「文學」/47(2)/岩波書店/1979.02/p78-90 >わたしは、最晩年の漱石思想をそれほど超論理的、超俗的な大悟徹底風の世界観と見ることができない。とく に老荘思想については、関係書が手沢本中に一冊も見当たらず、晩年の再読を裏づける証拠がない。その点、 「神ではなくて生活が、より多くの生命、より大きい、より豊かな、より満足を与えてくれる生命が、結局は、宗教の 目的なのだ」(漱石手沢本には、この部分全体にアンダー・ラインがある) と述べたリューバ (James Henri Leuba 1868-1946) の言にさえ同意を表明し、「有限の神」について説いた、ジェイムズのプラグマティックな <学説> の 方が、はるかに漱石の意に叶うものだったと思われてならないのである。 島田 謹二 ◆夏目漱石と英語英文学 ◇「英語研究」/42(4)/研究社出版/1953.04/p17-16 >一八八七年版ニュー・ヨーク出版のロルフ註「ジェーリアス・シーザー」に「読至此齣始知沙翁筆端有神矣」と か、「一句出意外妙也」「借「カシアス」問使読者知「ブルタス」所以憤老手老手「ポーシア」一句妙不可言不覚俯 頭低地」とか書きこませ、またそのころはやつたウォルター・スコットのラウトレッヂ版「ウェーヴァレー」に「叙田舎 光景纎巧如目賭」と評しカッセル版のリットン卿「如読韓非説難」と比較し、―すべて当時の漱石の「英文学」のよ み方をそれとなく語っている。漢籍を読み、かつ評する独特の角度がここには「英文学」の上に轉置されているよ うに感じても、むりではなかろう。 清水 一嘉 ◆「Ruskin ノ遺墨ヲ見ル」 : 漱石のロンドン日記から ◇「學鐙」/94(3)/丸善/1997.03/p14-17 >漱石がピトロクリを訪れたのは明治三五(一九〇二)年秋のことで、なぜ漱石はピトロクリに行ったのかという点 についてはいまもってわからない。その答えのヒントになるのがラスキンの絵だというのがわたしの考えである。 漱石はラスキンの「キリクランキーの山道にて」をサウス・ロンドン・ギャラリーで見ていたのである。そして「キリク ランキー」をいう名前は漱石の脳裏に深く刻み込まれたのである。それを裏づけるような資料をわれわれは漱石 の残した「断片」のなかに見出すことができる。そこには横に一列、「ホメル」「Contrast」「カイドリ」「父」などのこと ばとともに「キリクランキー」という文字が何の脈絡もなく置かれている。 清水 一嘉 ◆漱石とロンドンの古本屋 : 承前 ◇「學鐙」/95(10)/丸善/1998.10/p32-35 >私はさきに、漱石がロンドン日記に記した古本屋の所在を確かめたことがある。具体的には「ロチェ書店」 (ニュー・オックスフォード・ストリート)、「バンパス書店」(オックスフォード・ストリート)、エレファント・アンド・カース ルの手押し車の古本屋などであるが、いまだ不明のものや推量の域を出ないものがあった。最近ロンドン在住の 愛書家竹之内戊坦氏からつぎのような本の存在を教えられた。The Book's Directory of Booksellers, Publishers, and Authors (London: Hodder and Stoughton, 1893)これはそれまで不明だったことを一挙に解決してくれる得が たい本であった。 清水 一嘉 ◆漱石とイギリスのことわざ ◇「図書」/597/岩波書店/1999.01/p6-10 >漱石がイギリスのことわざに関心を持ったことは、ロンドン時代の日記 (一九〇一年三月一〇日) を見ればわ かる。 Red sky at night Is the shepherd's delight. Red sky in the morning Is the shepherd's warning. Morning red and evening gray Send the traveller on his way. Morning gray and evening red Send the rain on his head. 前半の二連四行と後半の二連四行ではいっていることが矛盾しているのである。これはオリジナル日記からの転 写ミスではないかと思い、東北大学図書館所蔵の日記帳 (といってもただのポケット手帳だが) に当たってみた が、やはり漱石の間違いであることが判明した。漱石の間違いはそれだけではない。 清水 一嘉 ◆「小便所ニ入ル」 : 漱石ロンドン日記の疑問 ◇「図書」/608/岩波書店/1999.12/p24-29 >漱石のロンドン日記を読んでいて、疑問点はいくつかあるが、私が最も疑問に思う個所のひとつが明治三四年 五月十六日のつぎの記述である。 小便所ニ入ル… 私はこの疑問を晴らすために、東北大学図書館所蔵の日 記に当たってみることにした。もともと私はロンドン日記の原本をいちど見ておきたいと思っていたので、学会をい い機会に仙台まで足を運んだのである。当の日記を目の前にした私の最初の感想はといえば、エエッ、これが日 記帳?というものだった。というのは、それはごく小さなポケット手帳であり、およそ日記帳というのにはほど遠い ものだったからである。 清水 茂 ◆漱石に於けるジェーン・オースティン : 「明暗」研究のための一覚書 ◇「比較文学年誌」/20/早稲田大学比較文学研究室/1984.03/p178-190 >漱石がジェーン・オースティンの文学と出会ったのはいつ、いかようになるのか。「漱石山房蔵書目録」中には、 英文学関係のうち、一八九八、九年にMacmillan's Illustrated Standard NovelsとしていずれもロンドンのMacmillan & co.から刊行された『Pride and Prejudice』、『Sense and Sencibility』、『Emma』、『Mansfield Park』の四冊が記録 されているが、このうちすくなくとも『良識と感受性』、『エマ』は明治三十四年一月中に通読しており、読了の日付 は書き入れていない『高慢と偏見』も、おそらくほぼこの前後に通読したものと推察できるのではないかと思う。 22 ページ 漱石文庫関係文献目録 清水 茂 ◆漱石「明暗雙雙」と、そのベルグソン、ポアンカレーへの関聯について : 「明暗」第二回の位相の ◇「比較文学年誌」/26/早稲田大学比較文学研究室/1990.03/p66-89 >漱石が読んだポグソン訳の英訳本『Time and Free Will』は、こんにち東北大学附属図書館に漱石旧蔵書とし て保管されている。筆者の調査によると、漱石書き入れは、岩波版『全集』の「短評竝に雑感」の提出する二短文 のほかに、漱石自身によると推定される同じ赤鉛筆で書き入れられたアンダーライン、赤丸じるし、及び赤はりが みが、かなり多くの箇所に施されているのが認められた。比較的長く漱石によってアンダーラインを施された数箇 所を、うち三箇所はポグソン訳漱石蔵本の原文とあわせ、他は竹内芳郎訳本の該当部分のみを、引用しておこ う。 清水 孝純 ◆「草枕」の問題 : 特に「ラオコーン」との関連において ◇「文學論輯」/21/九州大学教養部文学研究会/1974.03/p51-76 >漱石は英訳「ラオコーン」の書き込みの中で、クライマックスを写すことは、造形美術は避けるべきだというレッ シングの見解を再三問題にしている。漱石は、一面その見解に賛成しつつも、一面疑問を提出している。その当 否はとにかく、それらの書き込みから見ても、現実の再現という問題について、漱石はレッシングの理論に刺激さ れ、暗示を受けたことは容易に推察されるのである。「絵ニナルガ故ニ必ズシモ善詩ナラズ絵ニナラヌカラトテ悪 詩ニモアラズ」とか記されていることからみても、レッシングの理論は絵になるかならないかという点での省察の 一契機になりえたであろう。 寿岳 文章 ◆漱石の英国的思考 ◇「英語青年」/107(5)/研究社出版/1961.05/p246-247 >明治38年から39年に書いた断片の中には、『天下に英国人程高慢なる国民なし。』とか『英国風ヲ鼓吹スル者 アリ。気ノ毒ナコトナリ。』とかの感想がある。広義の英文学との接触が最も緊密であった時期とみてよい。漱石は 本音を吐いているのである。これらの本音から、漱石における英国的思考が引き出されてくるように思う。漱石が Arnold の Culture and Anarchy を読んだのはいつだか知らぬが、Literature and Dogma は明治22年の歳末に読 んでいる。"To enliven morality with wit, and temper wit with marality" を特色とする初期の漱石文学にも、 Addison や Steele 以上に、19世紀の反骨英文学の性格のあることを、見のがしてはなるまい。 杉山 和雄 ◆ウイリアム・ジェームズの漱石への影響 ◇「比較文学」/3/日本比較文学会/1960.09/p65-73 >現在残っている漱石の蔵書の中、ウイリアムのものは「心理学原理」、「宗教的経験の諸相」それに「多元的宇 宙」である。前二者について漱石が「文学論において、それぞれ六三頁、三九六頁に言及している所を見れば、 彼が熱心にそれらを読んだことが分る。「日記及断片」の明治四十年頃の部に、数頁の英文がある。そしてそれ は彼が同じ年東京美術学校で行った「文芸の哲学的基礎」という講演と内容的に一致している。漱石が使用した と思われるジェームズの'Principles of Psychology'N. Y. Holt, 1890からこの講演中の部分と内容的に類似してい ると思われるものを抜き出して、両者を比較対照してみよう。 杉山 和雄 ◆漱石に及ぼした英文学の本質 ◇「主流」/25/同志社大学英文学会/1964.01/p148-158 >漱石が「余が一家の読書法」で語ったAristotleもArnoldも、W. Jamesとともに彼の「文芸の哲学的基礎」の根拠 となった人々であると私は信ずる。まずアリストテレスから述べることにしよう。漱石の蔵書の中でAristotleの書 は、The Ethics of Aristotle,(The Nicomachean Ethics)Trans. By D. P. Chase, newly revised; ed. With Introductory Essay by G. H. Leaves, London: W. Scott.(Scott Library)の一冊だけである。博学の漱石のことであ るから、かれはこの哲人の他の書も読んでいたに違いないが、ここでArnoldと比較しているのは確にこの本に よったもののように思われる。 杉山 和雄 ◆William James の心理学と漱石文学 ◇「現代英語教育」/7(11)/研究社出版/1971.02/p48-49 >Jamesは、当時、ハーヴァード大学教授で、ちょうど漱石のロンドン留学中の1901年から1902年にわたって渡 英し、エディンバラ大学で「宗教経験の諸相」という題で講演をして、好評を博していた。その講演は、当時、学会 の寵児であった心理学を扱ったものであったから、心理学を研究していた漱石が、これに関心をもったことは当 然であった。この講演は、単行本として1902年ロンドンで出版された。漱石が、その前年同所で発行された教授 の『心理学原理』とともに、さっそく購入して熱心に読んだことは、現在残っているこれらの書物の中の彼の書き込 みから推量できる。 杉山 和雄 ◆「則天去私」についての私見 ◇「比較文学」/15/日本比較文学会/1972.10/p54-62 >漱石は、修善寺の大患を境として、ウイリアム・ジェイムズ的人生観からベルグソン的人生観へ徐々に移って いったのである。ジェイムズの推奨している英訳書を早速註文して読んだらしく、彼の蔵書の'Time and Free Will' の中に書き込みしているのを見てもベルグソンへの共鳴の程度がわかる。彼の蔵書の中にベルグソンのものと しては、外に英訳書'Creative Evolution'と'Laughter'の二冊がある。けれども後者は後年出版されたものであるか らこの場合影響はない。ベルグソンがこれら二書の中で漱石に大きな影響を与えたと思われる部分を要約してみ よう。 23 ページ 漱石文庫関係文献目録 鈴木 善三 ◆漱石のポープ論 ◇「文藝研究」/65/日本文芸研究会/1970.10/p34-43 >『文学評論』の第五編「アレキサンダー、ポープと所謂人工派の詩」を取り上げ若干の考察を試みたいと思う。 私は漱石のポープ論を先ず今日のポープ研究の実情に照らして考え、次に漱石がポープ論を執筆するにあたっ て参照したと思われる文献を「漱石文庫」によって確かめ、最後にその批判的鑑賞の特徴にも及びたいと思う。こ こでは「漱石文庫」に収められている中で『文学評論』以前に出版されている本を中心として、その書き込みなど を手掛りとして論を進めていきたい。「漱石文庫」の中で、十八世紀英文学を論じた本は数多くある。主にアン ダーラインや書き込みによって漱石が実際に読んだと思われるものに限っていることを断っておきたい。 鈴木 善三 ◆漱石のポープ像 ◇「比較文学」/21/日本比較文学会/1978.12/p11-21 >漱石がアディソンとポープの伝記を明治三十四年一月二日購入のアーサー・マーフィー(Arthur Murphy)編の 『サミュエル・ジョンソン著作集』(Ths Works of Samuel Johnson)で読んでいることがわかる。同年一月二日の日 記に「JohnsonのBritish Poets 75 vols.及びRestoration Drama 14 vols.等ヲ買フTottenham Court Road Rocheニ テ」と記している。東北大学漱石文庫所蔵のマーフィ編の『サミュエル・ジョンソン著作集』の見返しに〔Jan. 2, 1901〕と書かれているところから、漱石がこの本をジョンソンの『英国詩人選集』と一緒に買ったことは確かであ る。 鈴木 保昭 ◆夏目漱石とホイットマン ◇「専修商学論集」/14/専修大学学会/1973.03/p99-130 >「文壇における平等主義の代表者『ウォルト・ホイットマン』Walt Whitmanの詩について」と題する論文の末尾の ところで、この一文から、漱石がいかにホイットマンの詩を心から熟望し、熟読したい欲求に駆られていたかが窺 えるのである。「漱石山房蔵書目録」の中のWhitmanの項の中に、The Poems of Walt Whitman (selected) With an Introduction by E. Rhys. London : W. Scott 1886 (Cantebury Poets)と記されていることから、漱石は、「ホイッ トマン論」の中で引用していないが、このE. Rhys.編集の「ホイットマン詩集」を読んだことは明らかである。 関谷 由美子 ◆『倫敦塔』 : ジェーン・グレイの目 ◇「国文学解釈と鑑賞」/66(3)/至文堂/2001.03/p54-62 >『倫敦塔』の文学史的受容の方向性を考える場合、ゴシック・ロマンスの流れからはややそれるが、ゴーチェの 『ポンペイ夜話』は、形式・内容共に逸し難い。蔵書「Little French Masterpiece 1903」の見返しに、「現代日本の 小説家は概して短篇作家なり 去れども未だ一人も此著者の如き程度に達せるものなし」。また「Arria Marcella」 (『ポンペイ夜話』の原題)の末尾余白に感嘆している。漱石がこれをいつ読んだかは特定し難いのだが、『吾輩 は猫である(一)』『倫敦塔』『カーライル博物館』と、たて続けに創作の興がのっていたこの時期のものと考えられ る根拠がある。 瀬藤 芳房 ◆漱石と Conrad : 「普遍的血縁」の感覚 (3) ◇「徳島大学教養部紀要. 人文・社会科学」/13/徳島大学教養部/1978.03/p1-36 >漱石はConradの作品をいくつ読んでいるであろうか。それは『断片』に読後感想の記されているTyphoon, Tomorrow, Youth, Heart of Darkness, The End of the Tetherと、他に書物自身に感想の書き込みのあるThe Nigger of the “Narcissus”の6つの作品であるが、更に読んだかも知れないが、それを証明する読後感想も書物 への書き込みもない、現在The Nigger of the “Narcissus”とともに東北大学漱石文庫に保存せられているがThe Mirror of the Seaがある。ここでは『坑夫』との関係上、以上7つの作品のうちHeart of Darknessのみについて論 ずることにしよう。 瀬藤 芳房 ◆漱石と Conrad : 「普遍的血縁」の感覚 (5) ◇「徳島大学教養部紀要. 人文・社会科学」/15/徳島大学教養部/1980.03/p119-196 >漱石所有のThe Nigger of the the “Narcissus”はHeinemannは1898年新版(new impression)のものであるが、 書物の見返しに、THE MARUZEN KABUSHIKI KAISHA/(Z.P.Maruya & Co. Ltd)/BOOKSELLERS & ATATIONERS/TOKYO & OSAKAというシールが貼られていることから、漱石が帰国(1903年1月)後に購入され ていることになる。漱石は『二百十日』、『野分』以前にThe Nigger of the the “Narcissus”を読んでいることにな る。このような詮索をしなければならないのは、影響が問題になる場合、いかなる版本を、いかなる時期に、いか に読んでいるかが、決定的な要素になるからである。 瀬藤 芳房 ◆「偉大なる暗闇」の系譜 : 漱石とコンラッドの共鳴 ◇「比較文学」/32/日本比較文学会/1990.03/p7-19 >漱石が『闇の奥』を読んだ時期は、明治三十九年三月頃から七月十七日の間であった。コンラッドは、漱石が 作家へと転換する内的葛藤の最も激しい時期に集中的に読まれている。「断片」に感想文のある五作品の外、 『ナーシッサス号の黒奴』(The Nigger of the "Narcissus"一八九七年。漱石所有のものは一八九八年版で、東北 大学漱石文庫にある)には漱石の書き入れがあり、更に一冊書き入れがない『海の鏡』(The Mirror of the Sea 一九〇六年。漱石所有のものは一九〇七年版で、東北大学漱石文庫にある)がある。従って書き入れのない後 者を除いて少くとも六作品が読まれていることになる。 24 ページ 漱石文庫関係文献目録 高木 武之助 ◆漱石文庫とその環境 : 東北帝大圖書館の一隅から ◇「東北文學」/1(12)/河北新報社/1947.12/p22-26 >片平丁の通りから東北帝國大學の正門を入つて、通路の右側、法文學部の第一研究室と並んだ二階建コンク リート建物、圖書館本屋と並んだ、鐵筋コンクリート五階建の書庫には、總数約三十五萬四千冊に及ぶ和洋書が 収藏され、特殊文庫の二、三が食み出している状態である。日記や斷簡を含む大小十四冊の手帳類と五十九枚 の紙片は、近代日本文學史上燦然たる光芒を放つてゐる文豪漱石の貴重な肉筆原稿として、國寶として指定さ れた「孝文本記第十」と「類聚國史巻二十五」に次いで、東北帝大付属図書館の誇る秘藏書(別置本)の一つとな つてゐるのである。 高木 武之助 ◆漱石文庫のこと ◇「東北地区大学図書館協議會誌」/7/東北地区大学図書館協議会/1958.09/p1-2 >和漢書では画帖や拓本類が圧倒的に多く、此処で気の付くことは俳句俳文を除き、国文学の本が極めて少い ことで、和歌国文共13点に過ぎません。漱石の文学が、当時極めてユニークなもので、日本文学の伝統といった ものが殆ど認められないことを考えると、成程とうなずかれるものがあるように思います。これに反し俳句俳文の 本が多いのは、漱石の文学の随所にあらわれて来る軽妙しゃ脱な警句や皮肉に通じるものがあります。漱石文 庫にあらわれている集書傾向は、そのまま漱石文学のしゅく図を見るような思いがされるのであります。 高木 文雄 ◆漱石と聖書 : 復活への希求をめぐって ◇「国文学解釈と鑑賞」/33(13)/至文堂/1968.11/p25-30 >現存する漱石所蔵の聖書は、一九〇〇年十月十日にプロイセン号上で、ノット夫人から与えられたものであ る。この聖書の小口の下半分には手垢が着き膨れが見られる。漱石が屡々開いた事は確かである。「漱石山房 蔵書目録」によれば漱石は一九〇四年刊の(詰り「教師をしている時分」の)『旧新約聖書』(和文元訳聖書)を持 つていた。この実物は失われてしまつているので、何処に線を引き、どんな書込みをしたかが分からないが、英 文学購読上の参考書とは言えない蔵書である。漱石の言葉上での否定があるにも拘らず、断片的な相当数の聖 書の文句が摂取されていた事は確かである。 高木 文雄 ◆漱石・老舎・倫敦 (一) ◇「金城学院大学論集. 国文学編」/33/金城学院大学/1991.03/p31-52 >ノツト夫人が漱石に贈つた聖書は現在東北大學圖書館漱石文庫に所藏されてゐる。革表紙の、小口に金箔 のついたA五判ぐらゐの大きさの聖書である。ノツト夫人が自分で現在使つてゐる聖書を贈つたと考へるのは抵 抗がある。誰かに贈る用意に重い聖書を旅行中持つて歩いたとも考へ難い。汽船の賣店で賣つてゐたのであら うか。この聖書には何度も讀んだ痕跡が歴然と殘つてゐる。小口の下半分は上半分の倍近く膨れてゐる。そこに は指の觸れた蹟で黒ずんでゐる。歸國後『文學論』中の例文を捜した時なのかも知れない。しかし、手澤の度が 甚だしい。職業上の必要だけからではなく、個人的な拘泥から繙いた證據と見て誤りあるまい。 高桑 法子 ◆二つの夜 : クリンガーと漱石 ◇「漱石研究」/8/翰林書房/1997.05/p31-40 >漱石がロンドン滞在時から美術雑誌"The Studio"を購読していたことは東北大学附属図書館の蔵書によって よく知られている。現在見ることのできる漱石の収集は一九〇一年二一巻から始まっているが、一九〇九年まで を調査したかぎりではクリンガーの『死について、第一部』を掲載している号は見あたらなかった。しかしながら、 "The Studio"は創刊号(一八九三年)でオーブリー・ビアズレーの特集を組み、第五巻(一八九六年?)でマック ス・クリンガーの版画をとりあげている。さらに、一九〇二年に夏季特集号として"Modern Etching and Engriving" を出版しており、漱石はこの特集号を所蔵していた。 高橋 勤 ◆罪の三角関係 : 漱石『こゝろ』とホーソーン「ロジャー・メルヴィンの埋葬」 ◇「英語英文学論叢」/43/九州大学英語英文学研究会/1993.02/p89-100 >漱石山房蔵書目録にはホーソーンの『七破風の家』(The House of the Seven Gables) が含まれており、『それ から』を含めて、『漱石全集』には五ケ所ホーソーンへの言及が見られる。その中には「ホーソーン流の不可思 議」という言葉も見られ、漱石がホーソーンの作品を読み、その神秘的で象徴的な作風に興味を抱いていたこと が窺える。この小論では、主人公の罪の意識とその人間関係のなかにパラレルを見出し、東西文学に見られる 罪という普遍的なテーマを考察する。さらに、『こゝろ』において先生と妻静の関係、そして静の役割について、 ホーソーンの作品との比較を通して、新たな角度から考察したい。 高橋 美智子 ◆夏目漱石の『文学論』におけるリボーの『感情の心理学』 ◇「文藝研究」/54/日本文芸研究会/1966.11/p42-49 >リボーは、フランス現代心理学の祖といわれる学者で、『感情の心理学』La psychologie des sentiments, 1896・ 『感情の論理学』La logigue des sentiments, 1905 などの著書を出した。漱石が『文学論』に引用したのは『感情 の心理学』で、これには The psychology of Emotions, 1897 と題された英訳があり、漱石はこの英訳本によったも のと思われる。ただし『漱石全集』所載の「漱石山房蔵書目録」に見えず、漱石文庫 (東北大学附属図書館) にも 現存しない。リボーの他の著書で Essay on the Creative Imagination, 1906 というのが残っており、『文学論』の原 稿の完成前に出たものであるけれども、『文学論』中にはこれに言及した箇所はない。 25 ページ 漱石文庫関係文献目録 高橋 美智子 ◆漱石文庫所蔵 Tolstoy:What is Art? にみられる漱石の書き入れについて ◇「比較文学」/15/日本比較文学会/1972.10/p25-40 >東北大学図書館の漱石文庫に、漱石が書き入れをしたトルストイの『芸術とは何か』の英訳本が収められてい る。漱石はこれを明治三十四年英国留学中に手に入れたらしく、見返しに"K. Natsume Jan. 2. 1901"と記されて いる。トルストイの近代芸術に対する批判は、その背後にそれらを生んだヨーロッパ社会への批判を基盤とする と思われる。人々は当代の生活は複雑だと考えているが、実はそれはごく詰らない三つの心得「"the feeling of pride, the feeling of sexual desire, and the feeling of weariness of life"」に帰着する、と述べている。これに漱石 は"quite so!"と書く。 高宮 利行 ◆漱石と三人の中世英文学者 ◇「慶應義塾大学言語文化研究所紀要」/14/慶應義塾大学言語文化研究所/1982.12/p163-177 >留学した二年間に、漱石が求めて逢いに出かけた数少ない英国人について、J. W. HalesとF. J. Furnivallの人 物像を紹介し、併せてW. P. Kerについても再考するのが、本稿の目的である。漱石山房蔵書目録の中にみえる kerの著作は、よく知られた二点である。この他に目録中にあるEnglish Prose Selections, ed. By Sir Henry Craik, 5vols., London, 1893-96はkerとの関連で無視できない。漱石文庫の中には、Bohn's Standard Libraryに収められ た普及版の編者Prichardによる序文では、HalesとFurnivallの仕事が高く評価されている。Halesの編著書として は、数点が山房蔵書中にみられる。 高宮 利行 ◆ユニヴァーシティ学寮の講義と漱石 ◇「英語青年」/129(5)/研究社出版/1983.08/p224-226 >漱石が短期間ながら講莚に列した、W. P. Ker 教授の講義表を入手できないものか尋ねてみた。ケンブリッジ 大学図書館に勤める書誌学者 David Mckitterick 氏が、University College, London: Calendar, Session MDCCCC-MDCCCCI (1900) の該当部分について、コピーを送付してくれたのである。。漱石山房蔵書目録を調 べてみると、講義要項に挙げられた諸作品のうち、Shelley、Chaucer、Lamb、More、Marlowe、Shakespeare、 Browning の作品については、漱石は所有している。ところが、古英語・中英語のテキスト、文法書、あるいはゴー ト語の文法書などは、蔵書の中に見当らない。 高宮 利行 ◆「水の女」としての美禰子 : 『三四郎』におけるマーメイドを中心に ◇「國文學 : 解釈と教材の研究」/42(6)/学燈社/1997.05/p34-40 >『三四郎』の第四章で、三四郎が縁側に腰掛けていると、「池の女」美禰子と印象的な出会いをもつ。ここに描 写された絵が、イギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの油彩『マーメイド』ではないかと、初めて指 摘したのは芳賀徹氏である。『ア・マーメイド』が完成したのは一九〇〇年、ようやく翌年の六月に始まる王立美術 院の夏季展覧会に間に合った。漱石がロンドン留学中に各種の美術館を訪れた事実と、一九〇二年の王立美術 院第一三四回夏季展覧会の目録が漱石文庫にあることからも、出掛けた可能性なしとしない。 多久和 新爾 ◆小説と悪 : ホーソン、ヘンリィ・ジェイムズ、漱石の小説における共通性 ◇「英文学論叢」/10/九州大学英語英文学研究会/1960.03/p57-62 >漱石がジェイムズのある作品を読み、且つその数冊を所有していたことは、少くとも漱石がジェイムズをどのよ うに評価していたかを示している。先ず、1904年に初版が出た、ジェイムズの小説、「黄金の鉢」The Golden Bowl (London: Methuen & Co. 1905. "Colonial Library")の余白に残された書き入れは、かの長々しい心理描写の文 体を、漱石は嫌ったのであろう。も一つの書き入れは、ジェイムズの「ゾラ」論Notes on Novelists (London: J. M. Dent & Sons. 1914)に対してである。これは、前者と違って、真向からの賛成の言葉が手短かに記入されてい る。 武田 勝彦 ◆漱石と Pater ◇「白山英文学」/10/東洋大学英米文学会/1964.04/p39-49 >資料的な正確さから漱石とPaterの接点を求めてみると、大体明治34年(1901年)以降明治36年(1903年)まで にPaterのThe RenaissanceとAppreciationsを読んだのではないかと思われる。なぜなれば、「漱石山房蔵書目 録」の中の"A Catalogue of Foreign Books"によれば、漱石の所蔵していたPaterの2巻の書はいずれも1901年版 である。36年1月の下旬に帰朝し、4月に東京帝国大学英文学科の講義を開始するに至るとPaterが何回かその 講義の中に顔を見せるようになる。本稿ではその断面図を描き、その中から、漱石の英文学観を形成する一資 料をまとめ上げてみたい。 武田 勝彦 ◆漱石の東京 : 「門」を中心に ◇「教養諸学研究」/91/早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会/1992.01/p67-94 >宗助は当時の小川町に歩みを移す。つづいて、洋傘屋、西洋小間物店、呉服店、半襟屋を見て歩く。洋傘屋 は十四番地の野邊辰五郎の天満屋であろう。小間物店は老舗の十二番地の美好堂で、この頃店主は細井ギン から細井富五郎に移っていた。明治四十二年の一月頃から六、七月頃までの「断片」には、「門」の背景や登場 人物が書き付けられている。 ○洋傘屋の看板。ポスト、烟草屋の暖簾、勉強堂の看板。小包郵便車。電柱。風 船玉。あか暖簾。半襟 また「断片」の他の個所で「甲州の反物屋」と書き込んでいるのも、坂井家で出逢った行 商人を思わせる。 26 ページ 漱石文庫関係文献目録 武田 勝彦 ◆漱石ロンドン生活の基底 (五) ◇「比較文学年誌」/35/早稲田大学比較文学研究室/1999.03/p56-78 >エッジヒル夫人が漱石に福音書を読む契機を与えたことは重視すべきだ。二回目のエッジヒル家訪問に先立 ち、文学、語学プロパーの学者にしては専門的なウイリアム・スミス卿(Sir William Smith)のA Dictionary of the Bible, comprising its antiquities, biography, geography and natural history. 3vol. London, 1860-63に基いて刊行さ れた同名の一八九六年一挙三巻刊行を購入していることを指摘しておきたい。なお、オリジナル三巻本と漱石所 持の三巻本では内容の相違はないが、後者のタイトル・ペイジと序文の組版が新しくなっている。 田中 英道 ◆漱石、鴎外、天心とイタリア美術 ◇「日本文化」/6/拓殖大学日本文化研究所/2001.10/p69-77 >漱石は『夢十夜』(一九〇八年)で、《運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでる》のを見に行くところがある。この木 に埋まっている眉や鼻という話は、漱石がサイモンズの『イタリア・ルネサンスの美術』(A. J. Symonds, The Renasissance, The fine arts, London, 1887) のミケランジェロの話を呼んでヒントをえたものであろう。東北大学の 漱石文庫の中に、英語のこの本が見出される。そこに彫刻とは「取りのぞくことによって造られる」ことが、ミケラン ジェロの言葉で語られている。サイモンズはヴァザリーの『ミケランジェロ伝』を典拠にしていたと考えられる。 田中 裕 ◆漱石とヘッセ ◇「Dissonanz」/3/ディソナンツ会/1976.12/p46-62 >漱石とヘッセ、この何等の関係もなさそうに思われる二人は、実は同時代人である。漱石山房蔵書目録によれ ば、漱石は雑誌「新展望」(Neue Rundeschau)の一九一一年年一月号から一九一四年十月号迄の四十六号を 所蔵しているが、この雑誌の発行元フイッシャーはヘッセの「ペーター・カーメンチイト」以来のなじみの出版社で あり、当時ヘッセはこの雑誌に主要な作品を発表してはいなかったが、それに又漱石がこの雑誌すべてに目を通 したこともまず考えられないが、あるいは広告等でヘッセの名前位には接していたかも知れないと推測される。 田鍋 幸信 ◆スティーブンソン ◇『欧米作家と日本近代文学. 1 英米篇 1』 (比較文学シリーズ)/福田光治, 剣持武彦, 小玉晃一編 /教育出版センター/1974.12/p227-250 >漱石の小説の中でスティーヴンスンの名前が出て来るのは『吾輩は猫である』と『彼岸過迄』である。『新亜刺 比亜物語』は明治四十三年(一九一〇)、若月紫蘭、帆引徹巌によって、一冊の書物として始めて訳出されるが、 もちろん漱石は原文で読んだもので、蔵書目録にも一九〇一年のものが、スティーヴンスンの他の作品十二冊と ともに出ている。スティーヴンスンのものが<奇で面白い>とは「独歩氏の作に低徊趣味あり」でも指摘しており、 漱石のスティーヴンスン観の一面を示したものと言える。『彼岸過迄』において構成をスティーヴンスン『新亜刺比 亜物語』に学んだとの説を検討してみよう。 谷本 泰子 ◆H. ジェイムズと夏目漱石 : 二作家の異質性 ◇「英語青年」/121(9)/研究社出版/1975.12/p392-393 >漱石の蔵書には H. ジェイムズの作品は少なく、小説は The Golden Bowl 一冊だけである。その他 French Poets and Novelists (1878)、Partical Portraits (1888)、Notes on Novelists (1914) の三冊があり、彼がジェイムズ の作家論には関心を持たざるを得なかったことを示しているが、三冊の作家論は、当時の日本でも良く知られ、 比較的入手し易かったものと想像される。The Golden Bowl に挑戦した漱石は、最後まで読み通したようだが、途 中でその複雑さに驚き、あるいはいささか辟易したらしく、批判的な意見を漏らしている。漱石は、H. ジェイムズと いう小説家とは体質的に相容れないと感じたのではないだろうか? 谷本 泰子 ◆H. ジェイムズと夏目漱石 : 二作家の異質性・再説 ◇「英語青年」/122(10)/研究社出版/1977.01/p486-488 >明治38-39年にかけての「断片」の該当個所を紹介し、漱石の H. ジェイムズ評を窺ってみよう。毒舌家の漱石 にしても、このような口調で英国人を批評している文章は他にあまり例がない。よほど虫の居どころが悪かった か、コンプレックスの裏がえしか、それとも彼自身の神経衰弱の兆候を示すのか、日頃親しんできた英文学者一 般を指して「阿片に耽溺せる病人」と言っているのである。その典型的な例として H. ジェイムズの "minute analysis" をあげているのである。この記述は The Golden Bowl を読んだ時期とほぼ一致している。手帳に書き つけた「断片」の中に漱石の本心が正直に吐露されている。 塚本 利明 ◆「文芸の哲学的基礎」の背景 : 「壮」の理想と「技巧」とを中心に ◇「専修人文論集」/14/専修大学学会/1974.12/p45-68 >ブレア Hugh Blair (1718-1800) の『修辞学講義』Lectures on Rhetoric and Belles Lettres (1783) はエディンバ ラ大学の初学年生を対象にした講義をまとめたもので、内容は包括的であるが初歩的であり、体系にも欠けてい る。漱石の蔵書には一八二四年版のものがあり、それには相当の書込みがあるばかりか「英文学形式論」にもブ レアが引用されている。その中では「崇高」をかなり重視し、さらに崇高の一変種として「ヒロイズム」をあげている のだ。漱石の蔵書目録には、ロバーツ訳の崇高論 W. Rhys Roberts, Longinus on the Sublime (1899) がみられ る。これは当時最新の版であり、また注解等の点で最も信頼し得るとされていたものである。 27 ページ 漱石文庫関係文献目録 塚本 利明 ◆ギニヰ゛アの「夢」について ◇「専修大学人文科学研究所月報」/57/専修大学人文科学研究所/1977.12/p9-18 >漱石は、ギニヰ゛アがみた夢の中心にある蛇のイメージをなんらかの作品によって示唆されなかっただろうか。 漱石がテニソンを読んでいたとき、蛇のイメージにかなりの関心をもっていたことにまず注目するべきであろう。こ の場面からも多少の示唆を受けたと思われる。しかし、「蛇」のイメージを心に抱いたとき、連想の糸につながって 出現するべき作品はなんであろうか。それはキーツ John Keats (1795-1821) の傑作『レイミア』Lamia (1819) で なければならないだろう。漱石所蔵にかゝるキーツの詩集 The Poetical Works of John Keats (1899) の見返しに 貼付された紙片には、この詩集に収録された作品の評価とおぼしき記号が記されている。 塚本 利明 ◆「倫敦塔」の背景 ◇「比較文学」/20/日本比較文学会/1977.12/p14-17 >「倫敦塔の歴史はボーシヤン塔の歴史であって、ボーシヤン塔の歴史は悲酸の歴史である」という。描くにさい して重要な材源になったのは、漱石山房蔵書目録に残っているところの、W. R. Dick著A Short Sketch of the Beauchamp Tower― And also a Guide to the Inscriptions & Devices Left on the Walls thereofである。表紙下部 には"Sold by the Warders at the Tower-Price Sixpence"とある。漱石はこれをロンドン塔内で六ペンスで買った のである。この冊子は"Preface"二頁、"Introduction"四頁および本文四十八頁からなる。漱石とこの小冊子とが 明らかな対応を示すものを列挙してみよう。 塚本 利明 ◆漱石のホイットマン論について ◇「専修大学人文科学研究所月報」/68/専修大学人文科学研究所/1979.09/p1-16 >漱石がはじめて執筆した英米文学関係の論文「文壇に於ける平等主義の代表者『ウオルト、ホイツトマン』Walt Whitman の詩について」(明治二十五年) は、わが国における最も早いホイットマン紹介のひとつである。論文の 最後の部分で、漱石は「幸に『ダウデン』の論文を覧ることを得て稿を草するの際裨益を受けたること多し」と述べ る。漱石が用いたテキストは、現在蔵書目録にあるアーネスト・リース Ernest Rhys (1859-1946) 編『ホイットマン 詩集』The Poems of Walt Whitman (1886) であって、漱石はリースの「序文」をも参照したことが知られている。そ れらを参照しつつ、筆者なりの考察を進めたい。 塚本 利明 ◆漱石とドラローシュ ◇「専修大学人文科学研究所月報」/81/専修大学人文科学研究所/1982.02/p1-20 >「倫敦塔」のあとがきに、「二王子幽閉の場と、ジエーン所刑の場に就ては有名なるドラロツシの絵画が尠から ず余の想像を助けて居る事を一言して聊か感謝の意を表する」という一節がある。私がこの問題を追究するに は、二つの方法しかないように思われた。一般の美術史に手掛かりを見出せない以上、第二の方法に移って、漱 石が読んだ―あるいは見た―ものの中になんらかの鍵を求めなければならない。漱石文庫の分類では、美術関 係の書物は「5 美術」の項目に整理されており、これはナショナル・ギャラリーのカタログ類を含む三十七冊が載 せられている。これらの書物を調査することは、楽しい仕事であった。 塚本 利明 ◆ロンドンの地下鉄 : 漱石のロンドン塔訪問に触れつつ ◇「専修英米研究」/2/専修大学英語英米文学会/1984.03/p101-131 >不案内な土地を歩くとき、まず頼りにするのは地図と案内書以外にはあるまい。漱石が、当時最も信頼されて いた案内書―つまりBaedeker's and its Environs(1898)―を所有していたことは、すでに述べた。ところが、東北 大学図書館所蔵のこの本では、巻末に折りこまれていたはずの詳細な地図が失われている。このことはたぶん、 ロンドン滞在中に彼がくりかえし「地図を披いて」いたために、それがぼろぼろに摩切れてしまったことを意味して いると思われる。漱石が最も頼りにしていたのは、『ベデカ』の地図だったのである。そしてこの『ベデカ』には、ロ ンドン塔にいたる道順が、はっきりと示されている。 塚本 利明 ◆漱石とスコットランド ◇「専修英米研究」/4/専修大学英語英米文学会/1986.03/p83-115 >東北大学図書館に所蔵されている漱石文庫の一冊に、Baedeker's Great Britain(1898)がある。これはおそら く、渡英の前に漱石が購入にたものであろうが、その460ページに折り込まれたRailway Map of Scotlandを見る と、3ヶ所にかなりはっきりと、1ヶ所にやや小さく、インクで印がつけられている。それはAyr, Glasgowおよび Dunkeldである。ピトロクリはこの地図には載っていないから、印もつけられていない。しかし、少なくとも漱石がイ ンクで印をつけた地点には、なんらかの関心を抱いていたことは否定することができまい。 塚本 利明 ◆はじめに ◇『漱石と英国 : 留学体験と創作との間』/塚本利明著/彩流社/1987.09/p1-7 >漱石におけるイギリス体験の前史とも言うべきものを考える必要はないか。漱石は渡英直前に、当時最も信頼 し得るとされていた旅行案内書を三冊購入した。それは、Baedeker's Great Britain(1897)' Baedeker's London and its Environs(1898)およびBaedeker's Northern France(1899)で、これらはいずれも東北大学附属図書館に残 されている。未知の国を訪れるには、ある程度の予備知識を得ておくのが当然の心構えである。これらの案内書 は、即物的な生活上の情報を与えてくれるばかりでなく、かなり高度の歴史的・文化的背景をも解説してくれるの だ。 28 ページ 漱石文庫関係文献目録 塚本 利明 ◆「薤露行」の基本構造 : マロリー、テニソン、漱石 ◇「専修英米研究」/9/専修大学英語英米文学会/1991.03/p32-59 >「幻影の盾」では、時間軸上の自由な移動が、はるかに重要な意味をもっている。「盾」そのものの材源が Lacombe, Arms and Armour(1876)に載せられている<メジューサの盾>であることは岡三郎氏が指摘した通り だが、漱石所蔵本の図版ではこの盾には創がない。これは十六世紀の作であり、実戦には使用されていないか らである。ところが漱石は、「盾には創がある」とし、「右の肩から左へ斜に切りつけた刀の痕が見える」とした。こ の創の由来を語るために、物語は盾の所有者ヰリアム「四世の祖」まで遡り、そしてかくして遡った盾の由来のな かに一種の予言が含まれる。 塚本 利明 ◆漱石と「キリクランキーの狭間」 : J. M.ディクソンを通して ◇「英語青年」/138(9)/研究社出版/1992.12/p458-461 >私見によれば、漱石がJ.H.ディクソンの招待に応じてスコットランド旅行を思い立ったそもそものきっかけは、文 科大学入学直後の英詩の講義、より正確に言えば、当時の外国人教師James Main Dixon (1856-1933)の講義 にあり、このことは、東北大学付属図書館所蔵の資料によって充分立証することができる。当面の問題を検証す る手掛かりは、漱石文庫の一冊、J.M.Dixon編Simpler English Poems (Tokyo, Hakubunsha, 1890)への書き込みで ある。この詩集は、四六判101ページ、ミルトン以下19世紀末までの英米の詩作品68編(抜粋を含む)を載せた英 詩の入門書で、これを教科書として使用した漱石が、ここに様々な書き込みをしているのである。 塚本 利明 ◆あとがき ◇『漱石と英文学 : 「漾虚集」の比較文学的研究』/塚本利明著/彩流社/1999.04/p587-594 >私が心掛けたことは、どのような作品にせよ、最初は入手しやすい版で読むが、最終的にはできるだけ漱石自 身が読んだ版、すなわち東北大学附属図書館に残されている漱石手沢本に眼を通すよう努める、ということで あった。振り返ってみると、このやり方によって裨益されたことはまことに大きい。この意味では、最も重要な文献 は東北大学附属図書館に残されている漱石文庫だということになろう。本書を纏めるにあたっては、多くの方々 のご指導とご協力とをいただいたが、特に東北大学附属図書館には、再三にわたって貴重書「漱石文庫」の閲 覧、撮影、掲載を許可していただいた。 恒松 郁生 ◆漱石とロンドンの古本屋 : 今昔 ◇「漱石研究」/8/翰林書房/1997.05/p215-221 >漱石の蔵書が東北大学図書館に所蔵されているのはご存知でしょう。私は個人的な蒐集癖で漱石蔵書と全く 同じ本(同一発行年、同一シリーズ)のコレクションを二〇年近く探索続けており、いずれ記念館内に「漱石蔵書」 のコレクションを再現し公開できればと考えております。漱石の作品や日記を眺めますと、あちこちに「古本屋」と か「書籍」が出てきます。漱石が蔵書を処分したであろうことは明らかです。作品の中で言及されている本が、東 北大学の漱石文庫に含まれていないからと言って漱石が読んでいないとは言えません。木曜会の弟子もしばし ば漱石の本を借りており、それらの本が返却されていないのもあるからです。 出口 保夫 ◆カーライル博物館 ◇『ロンドンの夏目漱石』/出口保夫著/河出書房新社/1982.09/p179-198 >八月三日、漱石は池田菊苗を訪ね、その足でチェルシーにあるカーライルの家を見に行った。玄関を入ると居 間とダイニング・ルームがあって、その居間に訪問者用の分厚い記帳簿が置いてある。この記帳簿を見ると、一 九〇一年八月三日土曜日のところに、他の幾人かの名前とともに、日本人池田菊苗と夏目金之助の署名が認め られる。この署名は従来、漱石のものではなく、池田が漱石の分まで書いたように考えられてきた。漱石文庫の 中にある何冊かの洋書には、「K. Natsume」の署名がなされているが、これらの署名と、カーライル博物館のそれ と照合して見ると、両者には明らかに類似点が認められる。 ◆紹介 東北大学附属図書 ◇『漱石文庫目録』 (東北大学附属図書館所蔵特殊文庫目録シリーズ ; 1)/東北大学附属図書館 館調査研究室 編/東北大学附属図書館/1971.10/p2-3 >この目録はまだまだ完全というには距離があり、今後本館館員の努力によって積極的に進めなければならな い。(1)漱石文庫として集注すべき関係図書を全館から探索して少くともそのビブリオグラフィーを作ること、(2) 目録の記述を一層整備すること、(3)書物を読んだ時期を明らかにする1つの資料である「購入時の年月とK. NATSUMEのサイン」の調査と目録への登載(洋書の場合この数は非常に多い)など、仕事は多い。さらに(4)新 発見の書入れの解読ないしはすべての書入れ、傍線部分の写真版の作成、(5)新発見の書入れを使用しての 漱石研究の基礎を培う学問的作業など、館員の負担すべきことである。 富山 太佳夫 ◆漱石の読まなかった本 : 英文学の成立 ◇『ポパイの影に : 漱石/フォークナー/文化史』/富山太佳夫著/みすず書房/1996.01/p145-184 >アメリカでは英文学をどのように教えようとしていたのであろうか。アメリカの高校生や大学生用に作られた英 文学の本は存在する。因みに、漱石文庫で調べてみると、彼の利用した教科書がやはりこの形式のものである。 このような記述の形式自体は、今でもよく見かけるものであるが、やはり興味をひくのは時代の区分とそこであつ かわれる作家の名前である。その時代区分の表と第八期の内容目次をこの本から引きだしてみると、次のように なる。アメリカの作家の占める割合が大きいことを別にすれば、文学、歴史、伝記、神学などの混淆型であって、 イギリスの国内における考え方にほぼ対応すると考えていいだろう。 29 ページ 漱石文庫関係文献目録 仲 秀和 ◆夏目漱石の研究 : 「漱石文庫」瞥見と、『こゝろ』について ◇「私学研修」/139・140/私学研修福祉会/1995.12/p96-105 >現在、岩波書店から「原稿に基づいた本文」と銘うった漱石全集が刊行中であり、今まで収録されなかった 「ノート」「講義録」、新発見の「評論」「談話」「書簡」「俳句」あるいは「『明暗』草稿」「『道草』草稿」なども加えられ るということで、その実際の資料を調査したかったのである。「漱石文庫」をみると、たとえば留学中のノートのとこ ろでは、B5より少し小さめの半紙に漱石が細かい文字で必死にメモをとり考えている様子が目にうかぶようであ り、また、日記は正式な当用日記は二冊のみ(一冊は留学日記)で後は手帖のようなものに、左から右へ、ある いは右から左へ書かれており、備忘録的なメモ、感想といった印象をうける。 中川 浩一 ◆「デベカ」と『倫敦塔』 ◇「ちくま」/191/筑摩書房/1987.02/p11-13 >東北大学附属図書館が、貴重図書の扱いで収蔵する「漱石山房蔵書」を、地下書庫に入って閲覧する機会に 恵まれた。『デベカ旅行案内』ロンドン篇が、『倫敦塔』執筆に際し、参考図書になっているのではないかと考え、 実物で検証しようと思いたったのが、仙台にでむいた目的のひとつであった。おめあての図書は、表見返しにK. Natsumeのサイン入り、加えてThe Tower(一五二~一六二ページ)の個処に、無数のアンダーラインが施されて いた。この『デベカ旅行案内』のコピーを手にして、ロンドン塔The Towerを訪ねてみると、事実を異なる叙述を漱 石が行った個処を、いくつか発見できる。 中島 国彦 ◆漱石・美術・ドラマ (上) : 英訳『ラオコーン』への書込みから ◇「文學」/56(11)/岩波書店/1988.11/p82-99 >わたくしは、早稲田大学図書館の所蔵本をかつて手にする機会を持った。今年の春、東北大学図書館で漱石 蔵の『ラオコーン』英訳の調査をする機会を持った。そして、漱石の蔵書が、全て早大図書館所蔵本のそれと同 一であったことを確認した。『漱石全集』での紹介は重要な書込みは網羅しているものの、全てではない。書込み 以外に部分的にアンダーラインが引かれているのも注意される。『人類の教育』の部分には全く書込みやアン ダーラインが見られないのに対し、『ラオコーン』と『ハンブルク演劇論』の二つの部分には同程度に書込みやアン ダーラインが見られる。この二作品を、確かに続けて通読している。 中島 国彦 ◆漱石・美術・ドラマ (下) : 英訳『ラオコーン』への書込みから ◇「文學」/57(1)/岩波書店/1989.01/p112-122 >ロンドンの下宿で文学勉強のやり直しを始め、英書の横文字と格闘し始めてから数年、その何処かの時点で 書込んだはずの英訳『ラオコーン』への書込みをもう一度見据える時、その演劇論・美術論がどういう形で漱石の 想念を解放し、深めていったかの姿は、改めて注目せざるを得ないように思う。自己の矛盾をつきとめる前に病 歿した樗牛、その矛盾の極点で自己破壊した藤村操―そうした姿を相対化しつつ、漱石はあの秘密に満ちた芸 術的感興の世界の内実を見つめ、それを生み出すエネルギーの源泉と方法とを、レッシング体験から見据えよう としたのではなかったか。 永嶋 昌子 ◆漱石とロセッティ ◇「實英文学」/55/実践英文学会/2003.01/p123-125 >『草枕』の国文学的意義は専門家に任せるとして、今回はこの小説を、試みに19世紀イギリスの詩人・画家、 D.G.ロセッティをもとに読み説いていくこととしたい。漱石が所蔵するロセッティ資料は、実に大きな影響を漱石に 与えていたと考えられる。漱石がイギリスで購入した書物の中に、"DANTE GABRIEL ROSSETT" (THE EASTER ANNUAL ADVERTISER, 1902) という美術雑誌別冊に掲載された文献がある。彼はこの文章の一節に下線を施 している。さらに注目すべきは、この波線部分は、現在東北大学附属図書館「漱石文庫」自筆資料の中にある、 "Art for Art" と題したメモの冒頭に、波線部分そのままが抜書きされているという点である。 中野 記偉 ◆漱石・英文学・キリスト教 : マルヂナリアの一考察 ◇「英米文学研究」/10/上智大学英文学会/1968.03/p5-8 >Leon DickinsonがA Guide To Literary Studyのうち小説の章で、物語を理解する一方法として「図表」化をすす めていたのを記憶している人が多いであろう。漱石がGeorge Gissing(1857-1903)の歴史小説Veranilda(London. Constable & Co. 1904)に書き込んでいた「図表」が念頭に去来し、かたがたGissingの描いた六世紀のローマの 美姫、勇士の姿が二重、三重に折り重つた。本稿がとりあげるのは、実は漱石の「図表」とそれにつけた書き込み である。そこから漱石の英文学受容の一面をキリスト教に対してとつた彼の姿勢を考察しようと思う。 中野 記偉 ◆夏目漱石におけるG・ギッシング体験 : 『門』に関連して ◇「比較文学」/15/日本比較文学会/1972.10/p1-13 >漱石がギッシングを読んでいた事実はもっと注目されてよい。漱石山房蔵書目録にはG・ギッシングが四冊み えている。The Unclassed. 1895, The Town Traveller.(年代記載なし), New Grub Street. 1901, Veranilda. 1904,が それで出版社名は略したが、四冊とも異なったところから発行されているので、ギッシングが売れない作家として 敬遠されていたのがわかる。やや意外と思われるのは、ギッシングの最も人気のある、実は随筆のThe Private Papers of Henry Ryecroft. 1903,の見あたらないことである。漱石がギッシングの衝撃力をどうひきいれて、それ をどう漱石化して表出しているかを検討してみたい。 30 ページ 漱石文庫関係文献目録 中野 記偉 ◆漱石とギッシング : 『草枕』をめぐって ◇「英語青年」/122(10)/研究社出版/1977.01/p473-474 >G.ギッシングが四十六歳を一期として生涯を終えたのは明治36年12月であった。蔵書目録にはその翌年の版 のG.ギッシングが二冊、New Grub Street (初版は1891)とVeranilda (初版)、それに出版年不詳のTown Traveller (初版1898)とThe Unclassed (1895,初版1884)の計四冊が載っている。先年、現物を東北大学附属図書館でみる 機会をえた。Veranildaの書き入れは判読可能なものにのみとどめたのであって、漱石自身はもっと多く書きこん でいることがわかった。現地体験に裏打ちされたVeranildaの読書体験が『草枕』のsettingにまでも影響を及ぼし ていると私は考える。 中野 記偉 ◆漱石の正義 : 英語文学化したプラトニズムに関連して ◇「比較文学」/20/日本比較文学会/1977.12/p1-13 >世紀の変わり目に文庫本形式の古典双書が大流行する。これらの双書は平均一シリングの廉価本であった。 漱石山房の蔵書には割合に全集が少ない。彼は素人的に大づかみに、しかしそれだけに西洋古典の核心を直 観的に把握しようとする一人であった。そういう漱石には、プラトンはスコット・ライブラリイ所収の二冊『理想国』 『プラトン名篇抄』でこと足りたと思われる。蔵書目録によるかぎり彼のもっていたプラトンはこの二冊きりである。 漱石が正義を追求した跡をたずね、英語文学化したプラトニズムとの関連に着目しつつ、『草枕』から『坊ちゃん』 へ、そして『吾輩は猫である』にまで遡った。 中野 好夫 ◆漱石寸感 : 東西文化の対決者として ◇「明治大正文學研究」/7/東京堂/1952.06/p17-22 >漱石の藏書目録を見ると、ニーチェに關しては、わずかに「ツァラトストア」の英譯本一册を見出すにすぎない。 しかし同書の欄外書入れを見ると、實に丹念に、むしろニーチェと格闘的な意氣込みで精讀して、一々こまかく英 文で感想を書いていつている。最も書入れ量の多い書物の一册である。英語などで書入れしたのは、どう見ても まだ若い頃のことに相違ないから、「猫」の最後を書いたのが、明治三十九年前半期として、彼が「ツァラトストラ」 を讀んだのは、それよりもまだ相當に前のことではなかつたろうかと思える。この對決に身をもって、彼自身のう ちに苦悩した最も早い日本人の一人だつたのである。 中原 章雄 ◆漱石の『英国詩人の天地山川に対する観念』の意味 ◇「立命館大学人文科学研究所紀要」/18/立命館大学人文科学研究所/1968.05/p123-150 >漱石の蔵書目録を見てみよう。マーシュウ・アーノルド編のものと、あと一種類の (恐らく教科書風の) 選集と "The White Doe of Rylstone" 及び "Lyrical Ballads" の註釈本、それに三種類の散文の選集―それが蔵書目録 にのっているウォーヅウォース関係の図書のすべてである。これまた、この事実だけから何らかの結論を引き出 すことは危険であるが、意外に蔵書が貧弱であるという印象を受けずには居られないであろう。このように漱石が 日本の普通の英文学研究者がウォーヅウォースを読む以上に特にウォーヅウォースを愛読したとか、深く研究し たとかいう証拠は『英国詩人』以外のところには何もないのである。 中原 章雄 ◆『文学論』と「現代科学叢書」 : 留学生漱石の知的環境 (一) ◇「立命館文學」/386・387・388・389・390/立命館大学人文学会/1977.10/p1231-1249 >一九〇一年九月二三日の日記には彼は次のように書いている。 King's College ニ至ル Ethics 及ビ Origin of Art ヲ買フ この origin of Art 即ち『芸術の起源』は言うまでもなくヒルンの著書である。この本で彼にとって有益 であったのは、巻末の詳細な十五ページにもおよぶ「引用書目 (AUTHORITIES QUOTED)」だったと思われる。東 北大学の漱石文庫本『芸術の起源』の「引用書目」のリストには、うち約五〇点に×印がつけられている。芸術論 に関して古典的なものから最初の研究書までを網羅した包括的なリストが、漱石のその後の読書計画にこの上 ない指針となったであろうことは、疑う余地がない。 中原 章雄 ◆シドニーの『18世紀のイギリスとイギリス人』と『文学評論』 : 『文学評論』第二編について (2) ◇「外国文学研究」/77/立命館大学外国語科連絡協議会/1987.07/p35-52 >本文中で漱石がこの著者と書物の名を挙げているのは、一節ただ一度だけであるために、漱石の「大変参考 になった」という言葉にもかかわらず、シドニーの本が第二編ほぼ全面にわたって材源として果たした役割は、こ れまで十分に認識されなかったように思われる。東北大学付属図書館の漱石文庫に収められているシドニーの 『18世紀におけるシギリスとイギリス人』の二巻本には、ほとんど総てのページにわたって漱石により明らかに講 義のノートのためと分かるような下線や傍線が施されており、いくつかのページの余白には短い要約的な書き入 れが記されていて、いかに丁寧に漱石がこの本を読んだかが歴然としている。 中原 章雄 ◆アディソン論の意義 : 漱石の『文学評論』を読む ◇「外国文学研究」/78/立命館大学外国語科連絡協議会/1987.11/p35-62 >漱石は、アディソンの歴史的位置をサミュエル・ジョンソンの「アディソン伝」からの引用に従って紹介している。 「アディソン伝」は、ジョンソンの『イギリス詩人伝』全体のなかでも優れたものに属し、特にバランスのとれた記述 で有名である。東北大学付属図書館の漱石文庫の『イギリス詩人伝』を見ると、『文学評論』を講義するさいに漱 石が行ったと思われる書き入れが「アディソン伝」の随所に見られる。これも漱石文庫所蔵のアディソンの著作を 見ると、その序文の伝記的記述を漱石が書き入れをしながら、丁寧に読んでいることが分かる。しかも、伝記的 要素を積極的に活用しようとする傾向さえかなり見られるのである。 31 ページ 漱石文庫関係文献目録 長峰 宏 ◆漱石と鴎外 (二) ◇「教育の研究」/17/宮崎大学教育研究所/1953.12/p69-76 >いま二人の畄学の模様をその日記について見ると、鴎外は大学卒業以来の宿志がはらされた喜びをおさえる ことができず、意気さかんな詩をつくっており航海はきわめて快適で、食欲も好奇心も旺盛である。これに反して 漱石は洋行は別段それほど望んでいたわけでもなく、その日記のどこにも胸をおどらすような記事は見出されな い。きわめて無愛想な投げやりな文章である。漱石のは言わば浴衣がけのぞんざいな文体で、片仮名と平仮名 とがまじりあい、文語・国語・俗語がごっちやになった全くの書きなぐりで、しかも文字がまちがっていたり、所々ぬ けたりしている。心持は、その後ロンドン畄学期間を通じて一貫して変らないものである。 中村 寛夫 秋山 豊 ◆新『漱石全集』刊行にあたって、岩波書店編集部にきく ◇「漱石研究」/1/翰林書房/1993.10/p104-130 >[小森]東北大学の漱石文庫の書き込みなども、かなり現実に再現していくというか、その、報告していくんで しょうか。[秋山]まだ、なかなかそこまでの見通しは持ちにくいのですが、当たるところは全部当たり直したいと 思っています。[石原]文学論ノートなんかもあらたにやり直しということになるようですね。村岡さんの仕事は、あ の読み難い蝿の頭ぐらいの文字を実によく解読していますけれども、糊付けされた束を下の紙から上の紙へと活 字に起こすべきところを、逆に上から下に起こしているところが、かなりありますね。断片も、まだ活字化されてい ないものが、漱石文庫にたくさん眠っていますから。 難波 喜造 ◆「草枕」と処女入水伝説 ◇「日本文学」/30(1)/日本文学協会/1981.01/p84-88 >漱石の創作ノートに、「あきづけば、をばながうへに、おくつゆの、けぬべくもわは、おもゆるかも」の歌が「日置 長枝娘子歌(万葉集八 四十一)」として、「見菟負処女墓歌一首并短歌(万葉九ノ四十九丁ヨリ)」同三十五ヨリ の全文と並べてメモされていることは(「断片―明治三十九年―」)、つとに指摘されてきた。念のため「漱石山房 蔵書目録」を当ってみたら、万葉集では『万葉集略解(目録附)橘千蔭著、寛政十二年名古屋東壁堂板、三十二 冊』があるのみであった。それならよくわかる。「小竹田」を「ささだ」と訓じたのは賀茂真淵の『万葉考』と千蔭の 『略解』である。 仁木 久恵 ◆漱石の英詩 "Life's Dialoue"" ◇「明海大学外国語学部論集」/13/明海大学外国語学部/2001.03/p61-74 >漱石が "Life's Dialogue" を書いたのはイギリスに留学してから半年以上経った頃のことで、漱石からこの詩を 見せられたクレイグは数か所ほど訂正をしてから、この詩はブレイクに似ているが、incoherent (首尾一貫してい ない) と評したというのである。漱石がブレイクの詩を読み込んでいたことは確かである。"Life's Dialogue" を書 いた3か月ほど前 (4月16日) に The Poetical Works of William Blake, Lyrical and Miscellaneous (1890) を購入し た漱石は、そのうち何篇かの詩に "mystic" (神秘家) というコメントをつけた。そして、"Auguries of Innocence" の冒頭のスタンザには、「奇句」という添え書きを残している。 仁木 久恵 ◆英文学者漱石と『ハムレット』 ◇『漱石の留学とハムレット : 比較文学の視点から』/仁木久恵著/リーベル出版/2001.04/p80-103 >『ハムレット』の評釈が始まったのは明治三十七年十二月五日。使ったテキストは、ロンドン留学中に指導を受 けたクレイグやダウデンが監修した注釈シリーズ『アーデン版シェイクスピア』(The Arden Shakespeare)で、当時 の一流の学者が分担執筆したものである。作品には詳細な序文がついており、語句の解釈や背景の説明もくわ しい。テキストの余白の書き込みから、漱石が『ハムレット』のどんな点に興味をもったかを窺うことができる。この 書き込みと「ハムレットの性格」(『断片』十八)は漱石の『ハムレット』理解を示すよい資料なので、その中から注 目すべき点をいくつかあげてみることにしよう。 韮澤 嘉雄 ◆ロンドンの夏目漱石 : 漱石研究の一つの盲點 ◇「中央公論」/71(3)/中央公論社/1956.03/p244-251 >大藏省の『金融事項參考書』によれば、明治三十三年の一圓の對ポンド相場は、平均二シリング〇〇、三四九 であつた。十圓で約二十シリングすなわち一ポンドになる勘定だ。うんと安い下宿へ越して「下宿籠城讀書主義」 に徹底しよう。こう固く決意した漱石は、一ヵ月後にはカンバーウェル・ニューロードのフロッデン・ロード六番地へ 越していく。事實、漱石はこの下宿に籠城した四ヵ月ばかりのあいだに、日記に購入金額を記しているものだけで も百八十八圓の本を買つている。書名だけで購入金額を書入れてないものまで含めれば、恐らく二百五十圓、英 貨にして二十五ポンド近くの本を買つたと推定される。 沼野 恭子 ◆『虞美人草』と『ルージン』 ◇「比較文学研究」/57/朝日出版社/1990.06/p172-179 >「露西亜の小説」を、狭くドストエフスキーの小説にのみ限って考える必要はないだろう。というのは、漱石所蔵 の英訳ツルゲーネフ全集の中に、大正五年の断片の内容を思わせる漱石自身の批評が書き込まれているから である。それはC・ガーネット訳の『ルージン』の半ばあたりにある(一一一頁)書き込みである。「露西亜の小説」 である『ルージン』を読んで、自分が書いたここと同じことが書いてあるのに驚いたわけである。彼が『ルージン』を 読んだ時期は、『虞美人草』脱稿の明治四十年九月以降、翌年の四月までの間だったと推定することができる。 32 ページ 漱石文庫関係文献目録 野上 素一 ◆漱石とイタリア文学 ◇「比較文学」/2/日本比較文学会/1959.09/p23-32 >ガブリエレ・ダヌンツィオの「死の勝利」の見返しに文字がある。『快楽』(英訳ではThe child of pleasureとなって いる)の批評を英文で書いている部分はさらに一層注目に値する。彼の蔵書目録を検討すると、ダンテの「神曲」 はスカルタツィーニの監集した原書のもの一冊、テンプル・クラシックスの叢書で、地獄篇、浄罪篇、天堂篇の英 訳一冊ずつ、ボッカチオの十日物語の英訳一冊、その外フォガッツァーロ、レオパルディ、タッソ、マキアヴェル リ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどの英訳もあり、辞典としては伊英・英伊を一冊もっている。イタリア文学にもかなり の関心をよせていたことが明白であると云えよう。 野上 豊一郎 ◆漱石と STERNE ◇「英文学研究」/17(1)/日本英文学会/1937.02/p106-116 >漱石先生は小説家としての生活は最後の十年間であつたが、英語學者、英文學者としての生活は―中に三 年間の海外留學期間を挾んで―前後十五年に亙つてゐた。此の十五年は殆ど間斷なき讀書生活であつたか ら、最後の十年間の創作生活に對して長い準備時代であつたと見ることができる。その藏書目録が示すやうに、 主として英文學の範圍内の物を讀んでゐられた。英文學の中でもどんな物を讀んでゐられたかといふと、各時代 を通じ、各種類に亙つて讀んでゐられたやうであるが、どちらかというと韻文よりは、散文の方をおもに讀んでゐ られたやうである。散文の中でも殊に小説を多く讀んでゐられたやうである。 芳賀 徹 ◆夏目漱石 : 絵画の領分 ◇『絵画の領分 : 近代日本比較文化史研究』/芳賀徹著/朝日新聞社/1984.04/p353-518 >漱石旧蔵書中のFrederick Miller, Pictures in the Wallace Collection, London, 1902(『ウォーリス・コレクション 所蔵絵画』)という解説書は、おそらく漱石がマンチェスター・スクエアに同美術館を訪ねたときに購入したもので あったろう。漱石はここで約二十点ほどのグルーズを、他の英仏十八世紀絵画の作品とともにたっぷりと鑑賞し たのであったと思われる。西洋美術史や美学についてもなみなみならぬ素養と見識をもっていたことは、その蔵 書目録や、何冊かの美術書への自在で辛辣な書込みからもうかがわれる。 長谷川 公一 ◆漱石の手紙・阿部先生の遺言状 : 阿部次郎記念館の開館 ◇「宙」/6/東北大学出版会/1999.11/p5-7 >片平キャンパスの近く米ヶ袋三丁目四-二九に、十月二十三日、東北大学文学部の阿部次郎記念館が開館 した。開館記念展を開催中だが、十二月九日漱石逝去当日の感慨が注目される大正五年の日記(ペン書き、黒 革装)も展示されている。「天気陰寒、夏目先生死す(中略)、通夜、雪とまがふ月夜、死面。狩野先生の注意の眼 を寒ず」などとある。簡潔だが、臨場感があり、詩的でもある。ちなみに狩野先生は、「漱石文庫」とともに、東北 大学総合図書館が誇る「狩野文庫」の狩野亮吉氏のことである。阿部先生の一高時代の校長でもあった。「阿部 次郎と漱石」などの企画展も予定している。 林 修三 ◆漱石と推理小説 ◇「ファイナンス : 大蔵省広報」/2(1)/大蔵省/1966.04/p24-25 >「猫」の第一一章の中頃に、迷亭君が、この間、ある雑誌を読んだらこんな話が出ていたといって、ある巧妙な 詐欺のやり方を紹介する。近頃、外国の古い短編推理小説を集めた本を読んでいたら、図らずも、この迷亭君の 話にあたると思われるものを発見したのである。それは、英国のロバート・バーの「The Absentminded Coterie」 (放心家組合) という短編である。近代的推理小説は、エドガー・アラン・ポオに端を発し、コーナン・ドイルの シャーロック・ホームズもので大隆盛をきたしたことは周知の事実である。漱石全集にのっている漱石の蔵書目 録をみると、ポオについては、詩集と推理小説集の二冊がみえるが、ドイルのものはないようである。 林原 耕三 ◆思ひ出すことども ◇「不死鳥」/31/南雲堂/1970.01/p2-3 >先生には英詩が数篇ある。その中で、ロンドンで、シェイクスピアの個人購読を受けてゐたクレイグ氏に示して その批評を仰いだ一篇がある。氏は一読して、参考に数個所加筆を試みた。漱石先生オリジナルの原稿も(それ らのコピーも!)岩波にはなく、当時幼なかった純一(長男)さんの手許にも残ってをらず、小宮さんの手を通じて 今は東北大学の図書館にあるといふので、私は最近同大学の英文科教授村岡勇氏と司書の大原美治氏の労を 請うて、そのゼロックス(?)のコピーを送って貰った。それによってこの稿をしたためているのであるが、読者の 便宜のため、その詩の全部を引用する。 原 千代海 ◆漱石とイプセン (一) ◇「図書」/646/岩波書店/2003.02/p26-29 >「漱石全集」を繙くと、イプセンの名がさかんに現れる。にもかかわらずイプセンを単なる問題劇、社会劇の作 家としてのみとらえてきた偏見のせいか、数ある漱石研究の中で漱石のイプセンの関係に論じたものはひとつも ない。漱石山房の蔵書目録を一見すると、エドマンド・ゴスやウィリアム・アーチャーの英訳のイプセン戯曲が『社 会の柱』『人形の家』以下ほとんど全部入っている。そしてそのうちの幾冊かには短い読後感の記入がある。また 蔵書の中にはG・ブランデスの『十九世紀文学主潮』があり、そうすると、彼の『ヘンリック・イプセン』もマクミラン 版の英訳で読んでいたと思われる。 33 ページ 漱石文庫関係文献目録 原 千代海 ◆漱石とイプセン (三) ◇「図書」/648/岩波書店/2003.04/p28-31 >漱石が『坑夫』において手に入れたのは「意識の流れ」という斬新な小説技法であった。ここに至ってようやく漱 石もイプセンと同じ地点に立ったように思われる。談話筆記「愛読せる小説戯曲」の中で、漱石はマーテルリンク から得た智識としてイプセンを語っている。漱石山房の蔵書目録には『二重の庭園』というマーテルリンクの英訳 のエッセイ集が入っており、漱石はその中の「近代劇」なる一章を読んで「意識」の問題に興味を持った。それが 『坑夫』のモチーフになったのだろう。『坑夫』を書き上げた漱石は、半年もたたないうちに、次作『三四郎』を執筆 している。そして今度は直接、それも大幅にイプセンを作品の中へ引っ張り出した。 原田 隆吉 ◆漱石文庫について ◇「木這子 : 東北大学附属図書館報」/1(3)/東北大学附属図書館/1976.10/p1-2 >数量的に注目される点は、①全蔵書の実に26.4%に記入がある。②洋書は34.8%、和漢書は4.4%となって、その 相違に驚く。③洋書でも特に文学書37.0%が高く、その中で専門の英文学が35.0%、である。④その他特に高いの は他国文学47.3%、文学一般48.0%、哲学書の51.1%で、注目に値する。加えて、以上のような比率の高い分野は 総点数も多い。漱石が英文学プロパーにとどまらず、他国文学、文学一般、哲学へと、困難な文学論や人生論の 根本問題へと掘り下げて行ったあとをここに推量してもよいのではないだろうか。 原田 隆吉 ◆東北大学附属図書館「漱石文庫」の成立 ◇「図書館学研究報告」/9/東北大学附属図書館/1976.12/p265-255 >漱石文庫が、東北大学附属図書館の蔵書となったのは、第2次大戦もたけなわの昭和19年(1944)2月ごろの ことであった。片平丁の大学構内の中央講堂で、その蔵書の大学への受入を記念した、漱石講演会が開催され た。聴衆は学生よりも市民――それもかなり教養の高そうな人々が多く、一杯であった。講師は法文学部の小宮 豊隆教授、阿部次郎教授の2人と、わざわざ来仙した安倍能成一高校長であり、この順に壇に立った。それから 何ヶ月か経過して図書館の大閲覧室の、メインカウンターに一番近い席に「漱石文庫図書目録」が置かれてい た。 原田 隆吉 ◆東北大学附属図書館「漱石文庫」のインスペクション ◇「図書館学研究報告」/13/東北大学附属図書館/1980.12/p388-360 >漱石文庫の図書群と目録とのインスペクション(点検)の結果をまとめて、ここに発表することとした。点検の実 際の場面において、もっとも大きな問題になったのは、本館に受入れられる以前の漱石山房蔵書と、本館に受入 れられて後の漱石文庫との、具体的な出入誤差であった。前者は漱石没後(大正5年)、早くから散逸しないよう に十分な配慮をめぐらして、嗣子夏目純一氏が久しく保管されたもので、その目録は「漱石山房蔵書目録」として 出来上っており、「漱石全集」に収載されている。本来東北大学「漱石文庫目録」とは相違があるはずはない。とこ ろが両者の間には、意外にもかなりの相違がある。 針生 和子 ◆漱石とマシュウ・アーノルド覚え書 ◇「文藝研究」/54/日本文芸研究会/1966.11/p61-69 >漱石がアーノルドから受けた影響には、注目すべきものがあると思われる。「漱石文庫」にあるアーノルド関係 の書物を、出版年代順にあげて解説しておこう。(1)Literature and Dogma. (2)On Translating Homer. (3)Culture and Anarchy. (4)H.Ellis. The New Spirit. (5)W.B.Worsfold. The Principles of criticism: An Introduction to The Study of Literature. (5)Poems of Wordsworth. Chosen and ed. By M.Arnold. (6)Selected Poems of Matthew Arnold. ⑦W.J.Courthope. Life in Poetry: Law in Taste. (8)L.Magnus. Introduction to Poetry. (9)H.W.Paul. Matthew Arnold. (English men of letters). 針生 和子 ◆漱石の「草枕」における非人情 ◇「文化」/33(2)/東北大学文学部/1969.09/p187-216 >現実界が意識界だという思想は、「吾輩は猫である」でも見られる。この十一章の覚え書と思われる明治三十 八、九年頃の断片に、「自覚心」に照応すると思われる "self-consciousness" という用語が見える。 ○ Selfconscious の age は individualism を生ず。社会主義を生ず、 ○ Self-consciousness の結果は神経衰弱を生 ず。神経衰弱は二十世紀の共有病なり。 したがって、「自覚心」は「意識」に関係があり、さらに "consciousness" に関わっている。ところで、東北大学付属図書館蔵の、漱石「文学論」の草稿と思われる未発 表資料には、James. (W.), cons., consciousness, と書き記されたものが多数ある。 半藤 一利 ◆英文学者の漢詩好き : 漱石俳句探偵帖 第二十三回 ◇「俳句研究」/65(11)/富士見書房/1998.11/p130-133 >御存知のように漱石は、文部省の第一回留学生としてイギリスにまでいっている。また、蔵書をみると、英米の 作品はもちろん原書であるし、仏独ソそのほかの国の作家の作品もすべて英訳本で読んでいる。森鴎外や二葉 亭四迷と違い、漱石訳の翻訳本は一冊もないものの、ご自身の小説や文学論や文芸評論にでてくる引用外国文 献の漱石訳は、実に見事なものである。左様、いちばんいい例がある。『草枕』九章のなかで主人公の画工が、 那美さんのもとめに応じ、メレディスの小説『ビーチャムの生涯』の第八章「アドリアの海の一夜」の一節を、即席 の日本語訳で読んできかせるところがある。 34 ページ 漱石文庫関係文献目録 飛ヶ谷 美穂子 ◆漱石文庫のメレディス : その基礎事項に関する覚書 ◇「三田國文」/8/三田国文の会/1987.12/p74-64 >漱石文庫として保管されている旧漱石山房蔵書に、漱石自身による数多くの書き込みのあることは、よく知ら れている。シェークスピアやニーチェへの書き込み等は、資料的価値を越えて、それ自体が研究の対象となりうる ほどの内容を持つものである。メレディス(George Meredith)の作品の場合、漱石文庫所蔵の18巻のうち16巻に 書き込みが見られるが、『全集』に記載のあるのは、その中の10巻のみで、それにも遺漏がある。本稿は、漱石 文庫とその他周辺資料を基に、漱石のメレディス受容をめぐって基礎事項の整理を試みるものである。 飛ヶ谷 美穂子 ◆喜劇と悲劇と : 『リチャード・ヘヴァレルの試練』と『虞美人草』 ◇「藝文研究」/52/慶應義塾大学芸文学会/1988.01/p186-204 >『リチャード・フェヴァレルの試練―或る父子の物語―』(The Ordeal of Richard Feverel―A History of A Father and Son)は、メレディスが発表した初めての本格的長編小説である。本稿は、先学の麒尾に付して、両作品の比 較を通し、漱石がメレディスから読み取っていたものの一端を跡づけようと試みるものである。漱石は1902年発行 のConstable's Indian & Colonial Library版でこの作品を読んだ。東北大学漱石文庫蔵本には、鉛筆とインクによ る書き込みが37ヶ所に亙って見られ、漱石がこの作品を精読し、かつ楽しんだ事がしのばれる。 飛ヶ谷 美穂子 ◆漱石文庫のメレディス (二) ◇「三田國文」/14/三田国文の会/1991.06/p56-50 >本稿では、『シャグパッドの毛剃り』(The Shaving of Shagpat, 1855)、『ヴィットリア』(Vittoria, 1866)、『ビーチャム の生涯』(Beauchamp's Career, 1875)、『喜劇論』(An Essay on Comedy, 1877) の4作品について、書き入れを紹 介する。まず『シャグパッドの毛剃り』と『ビーチャムの生涯』の2作は、それぞれ作品の一部が『草枕』に引用され ている。『ヴィットリア』は、『坊っちゃん』の材源となった『サンドラ・ベロニ』の続編とも云うべき作品である。『喜劇 論』は、『文学論』や『虞美人草』にその投影が感じられるほか、漱石の喜劇観・文学観の形成にも大きく与ったと 思われる。 飛ヶ谷 美穂子 ◆『三四郎』とメレディスのヒロインたち : 美禰子の結婚をめぐって ◇「日本近代文学」/54/日本近代文学会/1996.05/p14-27 >漱石文庫所蔵の図書購入メモ等周辺資料は、彼が明治三十八~九年頃―即ち作家となって最初の一、二年 で集中的にメレディス作品の大半を読破していたことを物語っている。『三四郎』においては、総体的な印象から 云えば、美禰子は那美や藤尾以上にメレディスのヒロインたちを髣髴させる。またこの作品のそこここには、『草 枕』や『虞美人草』に投影した『ビーチャムの生涯』と『クロスウェイズのダイアナ』の印象が、なおも尾を引いてい るように思われる。本稿では、まず『ビーチャムの生涯』を取り上げ、美禰子像に新しい光を投じようと試みるもの である。 飛ヶ谷 美穂子 ◆書き入れは語る ◇『漱石全集. 第27巻 月報28』/ /岩波書店/1997.12/p1-4 >私の場合漱石文庫に足を運んだそもそものきっかけは、ヘンリー・ジェイムズの長編小説『黄金の盃』と『明暗』 との比較研究を論文のテーマに考えており、それにはまず漱石手沢本The Golden Bowlを一目見ておきたいとい う、しごく単純なものだった。ごく若い時期の書き入れを見るのも、また別の意味で愉しい。一高時代読んだ『エリ ア随筆』Essays of Eliaの中に語注や下調べの跡をみつけると何だか嬉しくなるし、大学一年の時購入にした『仏 蘭西文典』French Conversation-Grammarの題扉に、署名とともに「Lit. College/I.U.J.」(帝大文科大学)と誇らし げに記してあるのも微笑ましい。 飛ヶ谷 美穂子 ◆「漱石文庫」逸聞考 ◇「文學」/1(2)/岩波書店/2000.03/p107-117 >東北大学図書館特殊文庫には、「漱石文庫」のほかにも、「土井晩翠文庫」「ケーベル文庫」「ヴント文庫」など さまざまな学者文人の蔵書が収められているが、なかでも「漱石文庫」とならんでひときわ重きをなすのが、「狩野 文庫」―すなわち漱石の学生時代以来の親友狩野亨吉の旧蔵書である。爾来、東北大学大学図書館には貴重 な個人蔵書などを別置収蔵する「特殊文庫」のシステムが生まれた。「風が吹けば―」式にいえば、狩野の並外 れた蒐書趣味が旧友漱石の蔵書を仙台に呼びよせ戦火から救ったことになる。「漱石全集」および「岩波書店」 の文字は、ともに狩野の筆に成るものである。 飛ヶ谷 美穂子 ◆漱石の愛蔵書 ◇「図書」/630/岩波書店/2001.10/p26-31 >漱石文庫には「六ペンス」を名に冠した叢書が十数点残っている。そのなかに一種奇異な印象を与える本が二 冊ある。ブルワー=リットンの小説『朝な夕な』および『ポール・クリフォード』である。『朝な夕な』の扉には鉛筆 で、かろうじて「May 5/88」と判読できる日付や、試験の成績表らしい文字と数字の列などがなぐり書きされ、さら にそれを塗りつぶすように無茶苦茶に線が引いてある。『ポール・クリフォード』の扉にも、鉛筆のいたずら書きに 交じって、「30.3/88 Y.Yoneyama」というインク書きの署名が読みとれる。これらの本は、漱石の学生時代の親友 で早世した天然居士こと米山保三郎の遺品だったのである。 35 ページ 漱石文庫関係文献目録 飛ヶ谷 美穂子 ◆漱石自筆図書購入ノート 翻刻 ◇『漱石の源泉 創造への階梯』/飛ヶ谷美穂子著/慶応義塾大学出版会/2002.10/p25-45 >本稿は、東北大学附属図書館「漱石文庫」に保管されている漱石自筆資料のうち、「蔵書目録」として扱われて いる一冊のノートの翻刻 (部分) である。このメモは、冒頭に「Catalogue of Books/From November 1901/K.Natsume」と記されているように、内容は漱石が英国留学中の明治34 (1901) 年11月からほぼ十年余に わたり、購入した書籍 (おもに洋書) について、著者・タイトル・値段などをその都度記録したもので、蔵書の入手 時期や読んだ時期までを推定するうえで、貴重な手がかりとなる。漱石文庫の自筆資料中「洋書目録19」としてま とめられた一連の紙葉 (留学前半に購入した179点の図書購入メモ) に続く性質のものと考えられる。 平川 祐弘 ◆地獄の門 : 鴎外、敏、漱石の文体 ◇「比較文学研究」/19/朝日出版社/1971.07/p1-18 >漱石が持っていた『神曲』はLondon J.M.Dent & Co.から一九〇一年に出たTemple Classicsの英伊対訳本で、 英訳はカーライルの弟のJ.A.Carlyleの手になるものであった。その本の二十七頁、地獄篇の第三歌の英文の頁 に書入れがあった。読む人の恐怖心をかきたてるような要素が、漱石の訳文では(厳密にいえば誤訳であるが) 命令形式に訳することによって示されたといえるだろう。『倫敦塔』を書く時巧みにこの句を挿入して利用したので ある。その際訳文は修正された。漱石の日本語はダンテの詩に近い生命のリズムを感じさせる。 平川 祐弘 ◆夏目漱石の『ツァラトゥストラ』読書 ◇『ニーチェとその周辺 : 氷上英廣教授還暦記念論文集』/氷上英廣教授還暦記念論文集刊行委 員会編/朝日出版社/1972.05/p629-759 >漱石の『ツァラトゥストラ』読書をその書入れを分析しつつ追体験するという試みは、漱石の心的世界をなまな ましく現前させてくれた感があった。小宮豊隆教授が東北大学で『ツァラトゥストラ』を講義した際に、なぜ東北大 学図書館の漱石蔵書の書入れに留意しなかったのかなどとも思った。Nietzsche: Thus Spake Zarathustra, translated by A. Tille, London: T. Fisher Unwin. 1899というその本は、ほかの漱石の旧蔵書とともに現在、東北大 学附属図書館にたいせつに保存されている。漱石は『ツァラトゥストラ』から非常な―時には「異常な」といいたくな るほどの―刺戟を受けていたのである。 平川 祐弘 ◆詩の相会うところ、言葉の相結ぶところ : 漱石における俳諧とシェイクスピア ◇「すばる」/22/集英社/1975.12/p168-206 >西洋と東洋の間で激しく揺れた漱石の心理が露骨に示されているドキュメントは、漱石の英訳本『ツァラトゥスト ラ』欄外余白に書入れた英文の感想である。その感想の一端は日本語に移されて『断片』にも記入され、最終的 には芸術的に加工されて作品中に再三姿を現わした。漱石の「東洋への回帰」の自己主張はまず『吾輩は猫で ある』の最終章に現われ、ついで『草枕』の中で本格的な論となる。そしてその余波は『虞美人草』の文体にまで 及ぶのである。西洋詩歌との対照裡に俳諧の功徳が話題となるのも、そのような前後関係の中においてである から、その経緯をいま順を追ってたどってみよう。 平川 祐弘 ◆ハーンの『草ひばり』と漱石の『文鳥』 ◇「人文学研究 : 福岡女学院大学人文学研究所紀要」/3/福岡女学院大学人文学研究所 /2000.03/p125-153 >漱石は先輩ハーンの『草ひばり』を読んで、それを念頭において『文鳥』を書いたのではないだろうか。漱石は 『猫』でも『文学評論』でも談話でも手紙でも、もちろん『三四郎』でも、ハーンにたびたび言及し、その英語の文章 を何度かほめている。それなのにどうしたわけか「漱石山房蔵書目録」には、漱石が所有したハーンの書物として は、最晩年に求めたハーンの Interpretation of Literature しか残されていない。しかし両者の間にたとい事実的 な関係がなかったとしても、すなわち影響関係の有無を研究の前提条件とするような比較文学研究は成立しない としても、『草ひばり』と『文鳥』の二作の比較は、無意味ではなかったのではあるまいか。 福島 君子 ◆「漱石と象徴」 : その歴史的及び思想的背景について ◇「比較文学」/31/日本比較文学会/1989.03/p129-142 >本稿においては、象徴的手法がどのようなところから生まれてきたものであるかを、明治文壇との関係、及び 思想的背景を明らかにすることによって考察してみたい。漱石は、シモンズ訳のPoems in Prose from Charles Baudelaire(明治三十八年版)や、ボードレール伝説も載ったハネカーのEgoists, a Books of Supermen(明治四 十二年版)のいずれも初版を所蔵しており、ボードレール及び象徴主義に関心を持ち続けていたことがわかる。し かし漱石の象徴観に影響を及ぼしたのはそれだけではなく、ここに他方面の背景を検討してみよう。 福島 君子 ◆漱石文学の対話性 : 『猫』・スターン・ドストエフスキー ◇「國士舘士舘大學教養論集」/50/国士舘大学教養学会/2000.03/p71-86 >明治三十九年の「断片」に、「三ノ人物ヲ取ツテ相互ノ関係ヲ写ストキ此六個ノ分岐ヲ生ズ。之ヲ交錯シテ用ゐ るトキ無限ノ波瀾ヲ生ズ」という言があり、六種類が図示されている。この四つの説明に現れる "a circle of~" に も円環の構造が見える。またこの「三の人物」を「彼我の境」で循環的に描けば「無限ノ波瀾」=対話性が生まれ ると言えよう。ここで注意すべきは『猫』の例のように、登場人物の対話性と読者との対話性がいつも外見に現れ る構造を取るとは限らない。極端な場合は独白であっても、「彼我」が内在されていれば、多数の声が、内なる声 が響きあうものとなる。 36 ページ 漱石文庫関係文献目録 福田 真人 太田 昭子 ◆漱石と西洋美術 : 倫敦・明治三十五年前後 ◇「比較文学研究」/42/朝日出版社/1982.11/p15-68 >漱石にとって重要なことは、英国留学によって、西洋絵画のいわば精髄をその本場において実際に見た経験 である。この小論では、漱石のロンドン留学における美術体験といったものを、出来る限り、実証的に跡付け検討 してみたい。まず漱石の日記。手紙を手がかりに、彼のロンドン留学中の美術に関する行動を探り、蔵書の一部 からそれを補充して、その行動との相関関係を見てみる。とりわけ王立絵画院で行なわれた特別展のカタログへ の書込みをもとに、実際漱石が見たであろう絵画を探し出し、それに対する彼の簡単な評釈を検討しつつ、後年 の創作活動との関わりにも言及することにする。 福原 麟太郎 ◆漱石の蔵書目録 ◇「英語研究」/50(5)/研究社出版/1961.05/p20-21 >夏目漱石の所蔵本はいま東北大学図書館へ移っているということだが、その目録は、漱石全集の、私の持っ ている版でいうと、別冊(大正十四年七月)の中に入っている。それを見ているといろいろの連想や回想が起り、 漱石のこと、英文学のことが頭にうかんでくる。この冊数全部読まなかったかも知れないと同時に、この以外を図 書館などで読んだろうし、また自分の蔵書は友人やお弟子によく贈るものだから、愛読の書のないものもあるで あろう。史書、思想書、科学、芸術、語学など、漱石を形作った教養の源を示す書物が蔵書目録にはあるわけ で、目録を眺めてみるのも一興と思い、試みに書いてみた。 藤尾 健剛 ◆漱石・クロージャー・マルクス ◇『日本文学・語学論攷』/奥津春雄編/翰林書房/1994.02/p137-161 >夏目漱石のロンドン留学時代、特にその後半期は、猛勉強に打ち込んだ時期であった。影響の深浅はともか く、漱石が少なからぬ刺戟と啓発を受けたものに、John B. Crozier の著書があった。漱石所蔵の Civilization and Progress と The History of Intellectual Development の両書には、おびただしい量の書き入れやアンダー・ライン が残されており、『文明と進歩』に対しては、『文学論ノート』にも、多くの引用や言及がなされている。『文明と進 歩』が読まれたのは、明治三十五年二月ないし三月頃であったと、極めて高い蓋然性に基づいて推測することが できる。『知性発達の歴史』が読まれたのも、同じ時期と考えるべきである。 藤尾 健剛 ◆夏目漱石「キディングス・ノート」翻刻 ◇「日本文学研究」/36/大東文化大学日本文学会/1997.02/p15-32 >東北大学附属図書館漱石文庫には、岩波書店版全集に収録されていない自筆資料が所蔵されている。その 一つに、「漱石文庫ノート断片 第1冊」と分類されているノート類がある。「ボサンケ・ノート」(7枚)、「キッド・ノー ト」(5枚)、「ギディングス・ノート」(8枚)、「スタウト・ノート」(2枚)、「リボー(感情)ノート」(13枚)、「ボールドウィン・ ノート」(14枚)である。主眼は書物の内容それ自体を整理することに置かれている。ただし、「キディングス・ノー ト」は、『社会学入門』(The Elements of Sociology, 1898)の要約が六枚で、残りの二枚には読書から触発された 漱石自身の見解が記されている。 藤尾 健剛 ◆夏目漱石「ボールドウィン・ノート」 : 翻刻と解題 ◇「文藝と批評」/8(5)/文芸と批評の会/1997.05/p72-52 >現在刊行中の『漱石全集』には、旧全集未収録の資料も少なからず収められているが、六種類のノートは、今 回も収録されないとのことである。そこで、本稿では、そのなかから「ボールドウィン・ノート」を選んで翻刻する。 『精神発達の社会的倫理的解釈』(1897)に関するノート14枚である。これは、縦20.3cm、横16.4cmの紙に黒イン クで書かれている。用紙には女性像をかたどったデザインのすかしが見える。特に表題があるわけではなく、左 上角に「baldwin」「baldwin2」などと、小さく記されているだけである。内容の要約や抜粋が大部分であるが、むら のない記述がなされている。 藤尾 健剛 ◆「集合意識」と「明治の精神」 : 漱石のボールドウィン受容 ◇「漱石研究」/8/翰林書房/1997.05/p189-205 >ロンドン留学中、『文学論』の準備のために漱石が繙いた書物の一冊に、J・M・ボールドウィンの『精神発達の 社会的倫理的解釈』(一八九七)があった。東北大学附属図書館の漱石文庫に「ボールドウィン・ノート」と呼ばれ る十四枚にわたるノートが残されている。そこには、『精神発達の社会的倫理的解釈』の要約が丹念に記されて いる。本稿では、『精神発達の社会的倫理的解釈』との関連に焦点を当てて、「集合意識」が漱石の文学・思想の なかでどのような軌道を描いているかを検討した。追跡の及んだのは『心』までで、それ以後のゆくえをたどること はできなかった。今後の課題としたい。 藤尾 健剛 ◆トルストイからギョイヨーへ? : 夏目漱石『文学論』成立の一背景 ◇「大東文化大学紀要. 人文科学」/36/大東文化大学/1998.03/p1-20 >『漱石全集』第二十一巻 (平成9・6) に収録された「ノート」の「Imitation」や「Suggestion」の項目を見ると、ボード ウィンやル・ボンの著書の他にも、多くの研究書から「模倣」や「暗示」の概念を学んでいることが分かる。ここで は、「Suggestion」の項目で触れられているギョイヨー (Jean-Marie Guyau) の『教育と遺伝 (Education and Heredity)』との関連に注目したい。新全集収録の「ノート」でこの本に言及されている箇所は十四カ所にのぼり、 手沢本にも下線や書き込みが少なからず残されている。『教育と遺伝』は、一言でいえば、「暗示」の教育学的効 用を説いた書物である。 37 ページ 漱石文庫関係文献目録 古川 久 ◆漱石と漢文学 ◇「 東京女子大學附属比較文化研究所紀要」 /8/東京女子大学附属比較文化研究所/1959. 10/p1 -24 >東北大学に保管されてゐる漱石蔵書中、明治四十年発行の『校補點註 禅門法語集』(山田孝道編)には、ま るで真剣勝負を思はせるやうな激しい語調で随所に書き入れがしてあり、この頃の心境を思はせるものがある。 『門』第十八回から第二十一回にわたる宗助参禅の描写は、これより約十五年の昔、明治二十七年暮から二十 八年にかけて十日間程、漱石自ら鎌倉円覚寺の一塔頭である帰源院に過した経験が基礎となつてゐる。そして これは四十一年『三四郎』に先立つ『夢十夜』の第二夜にも、一度小品化した素材であつた。当時の禅に対する 関心は二十七年九月四日附子規宛書簡に述べてゐることからも察せられる。 枡田 啓三郎 ◆漱石が愛読したウィリアム・ジェームズ (上) ◇「図書」/249/岩波書店/1970.05/p39-43 >漱石が読んだジェイムズの著書は、『多元的宇宙』のほかでは、「蔵書目録」に記載されているThe Principles of Psychology. 2 vols. 1901. The Varieties of Religious Experience. 1902.の二冊だけであったと思われるが、そ のうち、所蔵の『心理学原論』(初版は一八九〇年)は一九〇一年の印刷本であるから、この年に出た第何刷か の本を、『宗教的経験の諸相』は出たばかりの初版本を、漱石はロンドンで買い求めて熟読したのであろう。とくに 前者に含まれているいくつかの中心的な、重要な思想が、漱石の文芸理論において大きい役割を果たしているこ とは、よく知られているところである。 枡田 啓三郎 ◆漱石が愛読したウィリアム・ジェームズ (下) ◇「図書」/250/岩波書店/1970.06/p36-41 >『漱石全集』第十六巻所載の「蔵書の余白に記入されたる短評並に雑感」を見ると、『宗教的経験の諸相』に書 き込みが読まれる。七ヶ所の書き込みは、およそ百冊の「短評及論文其他」の記入のなかでも決して量の多い方 ではなく、むしろ少ない方に属しよう。けれども、この僅かな書き込みにも、よく注意してみると、漱石の宗教に対 する関心のもち方とジェイムズに対する共感の一端がうかがわれるのである。漱石の所蔵にかかるジェイムズの 書物三冊は、漱石を「育てた」という「書斎に積まれた」数多い書物のなかでも、漱石がとりわけ共感をもっていく たびか繙いた愛読書であったことは疑いあるまい。 増見 利清 ◆漱石の『ハムレット』 ◇「悲劇喜劇」/33(1)/早川書房/1980.01/p10-11 >漱石が『ハムレット』について書きとめている文章を、全集から拾い出してみた。そのおもなものは「ハムレット の性格」と名付けられた一文で「明治三十四年の断片」におさめられている。漱石がシェイクスピアに深く傾倒して いたことは、「文学論」や岩波版全集に整理されているアーデン版テキストへの書きこみから十分知ることができ る。漱石のハムレット観に特に興味を覚えるのは、私がロンドンに滞在していた時のペンションが、漱石のロンド ンの第一の下宿から通り一つへだてた歩いて二、三分の距離にあったという個人的理由にもよるのだが、この下 宿からクレイグ教授宅に通っていた漱石は、ここでこの断片をしたためた可能性もあるのである。 松浦 暢 ◆キーツ ◇『欧米作家と日本近代文学. 5 英米篇 2』 (比較文学シリーズ)/福田光治, 剣持武彦, 小玉晃一編 /教育出版センター/1975.06/p41-70 >夏目漱石の場合は、キーツを客観的冷静に批判して、受容反発をみせている。総じてロマン主義的感情優位 の文学よりも、合理的・理知的な十八世紀文学に興味をしめした漱石にしてみれば当然のことだった。漱石は蔵 書目録からすると、キーツをAldine Edition(一八九九)の詩集で読んだらしいが、その余白の短評には「滑稽ナ リ、馬鹿々々シイ、不用ナリ、醜ナル例」の表現が多く<佳>は少ない。「子の愛読書」でスチヴンソンは簡潔でク ドクドしい処や女々しい処がないから好きだとのべているが、漱石の評価規準を暗示し、これがキーツにも適用さ れているように思われる。 松村 達雄 ◆漱石と西洋文学 ◇「国文学解釈と鑑賞」/33(13)/至文堂/1968.11/p18-24 >創作家となつてからの漱石となると、もはや西洋文学は必ずしも英文学に集中的に限定されてはいない。書 簡、日記、断片等を通読し、また蔵書目録の書物の刊行年度などを点検してみて、創作家となつてからの漱石 は、折にふれて大陸文学にも親しむようになつていることがわかる。漱石の蔵書目録を詳細に点検すると、英訳 のフランス文学やロシア文学、その他の大陸文学の作品がかなり数多く見出される。大正四年の「断片」(七)に、 ニーチェとドストエフスキーを比較した英文の書き込みがある。ニーチェのプロシア人ぎららい、愛国心の蔑視と 比べて、ドストエフスキーの協同精神、同胞愛を優れりとする。 松村 昌家 ◆夏目漱石とディケンズ ◇「Queries」/9/大阪市立大学大学院英文学研究会/1969.11/p41-47 >漱石がどれだけのディケンズの作品に親しんでいたか、つまびらかではない。蔵書に入っているのは、『ピック ウィック・ペイパース』、『マーティン・チャズルウィット』及び『二都物語』の三冊である。この中で『二都物語』には、 いろいろな短評が書きこんである。そして、特別な関心をもっていた。しかし、「現時における小説及び文章に付 て」の中でのサッカレとの比較をはじめ、諸所における言及からみても、このほかにも、少くとも初期の作品には よく親しんでいたことは否定できない。最も注目すべきことは、明治三十九年六月『中学世界』にのせた「文学断 片」におけるディケンズへの言及である。 38 ページ 漱石文庫関係文献目録 松村 昌家 ◆『倫敦塔』とドラローシュの絵画 ◇「神戸女学院大学論集」/26(2)/神戸女学院大学研究所/1979.12/p25-34 >あるとき偶然にかねてから手に入れたいと思っていた書物に出くわした。黄色い表紙の小冊子に、瞬間的な魅 力を感じて、手にとって表題をみると、"A Short Sketch of the Beauchamp Tower, Tower of London : and also a Guide to the Inscriptions and Devices Left on the Walls thereof."とある。著者はW. R. Dick.この本が漱石の蔵書 の中に含まれていることは、『漱石全集』第二巻に収められている『倫敦塔』の注解にも指摘はされている。しばら くしてから同じ問題に関する考証が、塚本利明氏によって、ほとんどなしつくされているのを知った。ここでは ディックの著書について、一言補足を加えておく。 松村 昌家 ◆漱石日記「女皇ノ遺骸市内ヲ通過ス」の謎 ◇「図書」/630/岩波書店/2000.10/p32-36 >漱石は葬儀見学より一週間前の一月二十六日の日記に、関連事項を書き記している。「女皇ノ遺骸市内ヲ通 過ス」というものである。女王の遺骸は、二月一日まではオズボーン・ハウスに安置されていた。そして漱石は二 十八日の日記に前日のありさまをふり返っている。英語混じりに書かれた漱石の一日おくれのこの日記は、彼の 直接の見聞というよりも、二十八日発行の新聞記事などをよりどころとして書かれたものだと考えることはできな いだろうか。だとすれば、「女皇ノ遺骸市内ヲ通過ス」も、ひょっとすると、翌二十七日の追悼礼拝に関する情報か ら生じた早合点、あるいは勘違いだった、という推定が成り立つのである。 松本 倫枝 ◆漱石と「荘子」 : 則天去私への一考察 ◇「実践女子大学文学部紀要」/13/実践女子大学 : 実践女子短期大学/1970.12/p111-116 >漱石の漢詩について、私はその用語の上から「荘子」との関連をみて来たのであるが、これらの漢詩には又多 くに禅に関係のある語句が用いられている。漱石の蔵書の中にある多くの禅関係の図書の示すように、また既に 論じられているように漱石の禅への傾斜は、漢詩の上にもあきらかにそのあとを示している。漱石山房蔵書目録 の中には禅に関する本が多く、また「論語」「詩経」「文選」などはあるが老荘の書名は見あたらない。「荘子」の思 想が禅にとり入れられ、また陽明学などにも流入しているとすれば、漱石と「荘子」との関連の中には、それらの ものを経ている面もあることは当然考え得ることである。 丸谷 才一 ◆あの有名な名前のない猫 ◇「現代」/34(2)/講談社/2000.02/p196-235 >ジェローム・K・ジェロームといふ、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて活躍したイギリスのユーモア作家 がゐる。彼の作品は人気があったし、日本でもよく英語の教材になつた。漱石はこの作家が好きで、藏書のなか にも四冊ほどあつて、うち一冊『ぶらぶら歩き三人男』(一九〇〇)には線が引いてあるページもある。この『ぶら ぶら歩き三人男』の前篇とも言うべき一八八九年の『ボートの三人男』(漱石藏書にはあるが線は引いていない) が『猫』にかなりの刺戟を与へてゐる、とわたしはかねがね思つてゐる(このことを言つた人がゐるかどうか、わた しは知らない)。 水谷 昭夫 ◆「トーマス・ア・ケムピス」書き込み : 漱石とキリスト教への一考察 ◇「人文論究」/23(2)/関西学院大学人文学会/1973.02/p1-20 >漱石はT・ア・ケムピスを、何よりもむき出しの人間として気ままに読んでいる。反撥し共鳴し、皮肉り、深く頭を 下げ、沈黙する。漱石文芸におけるキリスト教受容の研究というものに、近年多くのすぐれた仕事がなされている が「The Imitation of Christ」の書きこみを通じて、この間の事情が考慮されてもいいように考える。漱石文庫にあ る書き込みであるが、インキその他の変色が目立ちはじめていて、リコピーやゼロックスをお願いする事に気が ひけてならない。にもかかわらずその調査が如何に大切であるかという事の一端が、明らかになればと考えた次 第である。 水谷 昭夫 ◆漱石のロンドン ◇「人文論究」/25(1)/関西学院大学人文学会/1975.06/p33-50 >歩く事に馴れた漱石にとって、ガワー・ストリートから倫敦塔まで、そう遠い道のりではない。「冬の初めとはい ひながら物静かな日である」と漱石は書いている。ここでもう一度日記にかえる。Tower Bridge, London Bridge, Tower, Mounument を見るとある。当時見て歩いたものを順を追って並べたものか、橋をまずまとめて書いておい て、建物は建物とわけて書いたのかも知れない。ただ、前者であるなら、漱石は、タワー・ブリッジからロンドン・ブ リッジを眺めたことになる。私は、タワー・ブリッジもロンドン・ブリッジも見えない橋を、漱石は渡ったにちがいない と考えた。 みなもと ごろう ◆『こころ』と『二都物語』 ◇「大妻女子大学文学部紀要」/9/大妻女子大学/1977.03/p19-35 >漱石が『こころ』執筆の際に意識したと思われる、下敷きになった作品が指摘できるのではないかと考えてい る。私見によれば、それは、チャールズ・ディケンズの小説『二都物語』(A Tale of Two Cities)である。この稿で は、その『二都物語』と『こころ』との関係を記述してみたい。漱石は、ディケンズの『二都物語』を読んでの感想、 あるいはメモをその蔵書に書き込んでいる。どちらかといえば批判的な面が強いが、それだけに身を入れて読ん でもいるわけで、いわば、同様のモチーフで漱石が筆を執るならばという、未だ姿をなさない小説像を暗黙のうち に前提としての行為と考えてもよいだろう。 39 ページ 漱石文庫関係文献目録 宮崎 孝一 ◆漱石におけるディケンズ ◇「英語青年」/125(12)/研究社出版/1980.03/p549-551 >漱石のディケンズの作品に対する批評が比較的具体的になされているのは A tale of Two Citties (The Walter Scott Publishing Co. 版) に書き込まれた marginalia である。 この所面白し。探偵の葬式はこんな目に逢ふが当 然なり。 探偵とは Roger Cly で、Darnay の裁判のとき彼に不利な証言をした男である。漱石はその作品の随所 で、変質的なほどに「探偵」に対する反感を表明しているが、この書き込みもその気持の表れであろう。『二百十 日』には「ヂッキンスの両都物語り」について問答するくだりがある。少し影響の跡が明瞭に認められると私が思う のは、『草枕』の那美さんに対する perfield 中の人物 Betsey Trotwood の場合である。 宮本 盛太郎 関 静雄 ◆漱石はキッドをどう読んだか ◇『夏目漱石 : 思想の比較と未知の探究』 (Minerva21世紀ライブラリー ; 57)/宮本盛太郎, 関静雄 著/ミネルヴァ書房/2000.02/p218-229 >漱石のキッド観には相当きびしいものがある。『社会進化』と『西洋文明の原理』に書き込みをしながら読み『漱 石全集』第二一巻所載のノートでもしばしばキッドに言及している。このノートにはキッドと明記されていなくても、 キッドの文章がある。漱石のキッド読書には、批判・賛同以外のもう一つの重要な側面がある。それは、キッドの 二著がいわば西洋思想史百科事典の性格をもっていて、政治学・経済学の原典をほとんど読まなかった(社会 学の原典は読んでいるが)漱石が、キッドの二著から知識として得たものが少なくなかったと思われることであ る。 村岡 勇 ◆漱石と英文学 ◇「文藝研究」/54/日本文芸研究会/1966.11/p33-42 >漱石の大学予備門時代の成績を見て注意を惹かれることは数学の成績が他の学科の成績に比して圧倒的に 優れていることである。大学時代に用いたノートに "Introdnction to Philosophy" という題のノートがある。 'scientific' に関連して、'What is a science?' という設問があり、この問いに対して 'arrangement of materials,' 'basis,' 'character,' 'means' の四つの面から答えている。数学が得意だった漱石には、科学がどういうものか、漠 然とではあるが、既に分っていたに相違ないけれども、しかしこのような説明に出会ってはじめて、漱石は眼から 鱗の落ちるような思いをしたのであろう。 村岡 勇 ◆まえがき ◇『漱石資料 : 文学論ノート』/村岡勇編/岩波書店/1976.05/pv-xi >昭和37年7月、当時の東北大学附属図書館長、世良晃志郎教授から話があって、北住敏夫教授(国文学科)と 私(英文学科)が未整理のままになっている漱石文庫所蔵の漱石資料を整理することになった。北住教授はその 資料の中からひと綴りの漱石のノートを選ばれたが、間もなく整理し終えられた上、これを筆写、「人生論覚え書」 という仮題をつけて、東北大学文学部出版の『文化』30巻、4号(昭和42年3月)で公表された(本書の一部となる べきだと考え、その本書への転載を教授にお願いしたところ、ご快諾を得たのでここに収載することができた)。 村松 昌家 ◆日本近代文学と英文学 : 比較文学的視点から ◇『英文学を学ぶ人のために』/坂本完春/世界思想社/1987.04/p305-317 >三四郎のありようを、メレディスのリチャード・フェヴァレルの場合と比較してみたい。池のほとりにおける三四 郎と美禰子との出会いの描写には、メレディスの描いたリチャードとルーシとの出会いの情景が、明らかに影を 落としているからである。漱石文庫蔵の『リチャード・フェヴァレルの試練』(一九〇二版)には、その情景が展開す る第十四章の終わりの部分から次章にかけて、漱石の感動賞讃の跡をしるす多くの書き込みや下線・傍線がつ いている。だが、問題は、三四郎と美禰子との出会いのあとの成り行きである。ルビコン川を渡ったリチャードと三 四郎との違いが、はっきり出てくるのである。 森 美穂子 ◆『明暗』と The Golden Bowl ◇「英語青年」/121(5)/研究社出版/1975.08/p212-213 >The Golden Bowl(GBと略記)は、明治37年11月発表されたHenry James(HJと略記)の大作である。『文学論』 第三編第一章及び第四編第三章にも、HJについて言及がある。漱石蔵書のGB(東北大漱石文庫蔵)の該当箇 所には、「千余字」を出すための語数計算が走り書きされ、漱石の熱意と細心とをしのばせる。『明暗』がGBと 様々な共通点を持つのは、興味深いことである。『思ひ出す事など 三』の記事や、蔵書中の4冊のHJの著書に、 Notes on Novelistsが含まれることから見ても、漱石はこの同時代作家に対し、深い関心を抱き続けていたらし い。両作品を、その一部を引用しつつ比較してみよう。 森 美穂子 ◆『明暗』と The Golden Bowl・再説 ◇「英語青年」/122(2)/研究社出版/1976.05/p74-76 >漱石が The Glden Bowl を読んだ一つの契機として、私は、明治33-35年の留学中のHJに関する見聞、それに Academy 誌1905年2月及び Athenaeum 誌1905年3月のGBについての詳細な匿名批評を考えていた。蔵書目録 には両誌とも1910年3月以降のナンバーが記されている。シャーロック・ホームズいわく、情況証拠というものは、 同じほど確定的に全く異ったものを指すことがある。蔵書目録に残っている著書の冊数、蔵書への書込み云々は まさに情況証拠であって、文学研究の第一等資料は常に作品そのものである。両作品が似ているか否か、どこ が似ていてどこが違うのか、再び両作品を比較してみよう。 40 ページ 漱石文庫関係文献目録 森川 隆司 ◆漱石の学生時代の英作文三点 ◇「英学史研究」/21/日本英学史学会/1988.10/p185-204 >漱石全集第12巻の "Japan and English in the Sixteenth Century" と題する文章の末尾には "to be continued" と記されていて、次号に続篇が掲載されることを予告している。ところが『ザ・ミューセアム』4号以下の どの号を捜しても続篇は出てこないのである。東北大学図書館で閲覧することを得た漱石の「学生時代の試験答 案並びに作文」は7冊のアルバムに収められていた。"J. E. S. C." が収納されていた最後のアルバムに手が届い たのは2日目の午後であった。写し得た三つの英作文を披露することにより、漱石研究の資料が三つふえたとい うことになれば、筆者の喜びこれにすぐるものはない。 森谷 佐三郎 ◆「虞美人草」の比較文学的考察 ◇「英語青年」/106(7)/研究社出版/1960.07/p346-347 >漱石の作品に対する Shakespeare の影響の可能性を示すものとして、Shakespeare が漱石の初期の一時代 の大きな関心の的であったことは、大学における購読、蔵書の中の書き込みから明らかであり、また「虞美人草」 の中に Hamlet や Antony and Cleopatra への直接言及が目立つ程あることは今更言うまでもない。Hamlet 関係 では、甲野は Hamlet、亡父は亡王、継母は Gertrude (母)と Claudius (継父)の二役、糸子は Ophelia、宗近は Laetes (愛人の兄で行動家)と Horatio (友人)の二役、宗近老人は Polonius である。Antony and Cleopatra 関係 では、藤尾 Cleopatra、小野 Antony、小夜子 Octavia、狐堂先生 Octavius の対応がある。 屋名池 誠 ◆縦書き書きの日本語史 1 : 漱石の書き入れから ◇「図書」/627/岩波書店/2001.07/p48-52 >杜の都仙台は東北大学の図書館に、夏目漱石の没後自宅に残された蔵書や自筆資料が一括して収まってい る。一昨年の春、私がここを訪ねたのは漱石文学の研究とは全く無縁の目的からだった。明治の日本語の書字 方向にはどんなバラエティ、可能性の幅があったかを知りたかったのだ。文豪とし断簡零墨も現在まで大切に保 存されている漱石、英文学の研究者としても当時第一級の存在で英語と日常的に接していた漱石―その自筆資 料は書字方向の種々相を知るには格好の資料なのである。今回はその自筆資料の中からいくつか興味深い例 を紹介し、日本語の書字方向の多様性とその変遷を考えてゆく手掛かりとしたい。 矢野 萬里 ◆日本におけるR.L.スティーヴンソン : 主としてハーン、漱石の場合 ◇「英学史研究」/4/日本英学史学会/1972.04/p39-48 >「英文学形式論」の中で論述の一つとして取り上げられているのに、スティーブンソンの「バラントレーの領主」 の一節があります。このスティーブンソン愛好は、漱石の文章各所に散見されるところです。また、漱石の残した 蔵書の余白に書き込まれている読後の感想や批評に、「ダイナマイター」(続新アラビア夜話、1885)1907版の マージナルノートに非常な賞賛が見出されます。「彼岸過迄」の敬太郎と「バラントレーの領主」のマッケラーとの 役割りに、著しい役割り上の一致点を認めて間違いなければ、そのつながりは小説家漱石とスティーブンソンの 間にも延長されるとして間違いないとしきりに感ぜられます。 山田 風太郎 ◆漱石と「放心家組合」 ◇「文藝春秋」/49(2)/文芸春秋/1971.02/p85-87 >江戸川乱歩が選んだ古今の推理小説ベストテンの中に、ロバート・バーの「放心家組合」(あるいは「健忘症連 盟」)という作品がある。私は、この「放心家組合」を読んだとき、そのアイデアそのものにはそれほど感心しな かった。なぜかというと、このアイデアは漱石の「猫」に出て来るからである。しかし、おそらく事実は逆だ。「放心 家組合」を含むロバート・バーの短篇集「The triumph of Eugene Valmont」(ウジェーヌ・ヴァルモンの敏腕)が出版 されたのは一九〇六年、漱石の「猫」の一節を含む第十一回が書かれたのは、同年すなわち明治三十九年であ る。漱石の蔵書目録にはこの書名はない。 湯本 智子 ◆漱石文庫の整理にたずさわって (1) : 蔵書中の挿入物について ◇「木這子 : 東北大学附属図書館報」/21(1)/東北大学附属図書館/1996.06/p8-11 >3000冊の蔵書の中に挿入されていたさまざまな物は、静かに現状維持され続けてきた。おそらく、何年も前よ りこれらの挿入物は漱石の門下生、岩波書店の編集者、漱石研究者等によって確認されていたのであろうが漱 石の足跡を正確に留めようとする暗黙のルールにより、脈々と受け継がれてきた。/漱石自筆の断片、紙片類 21枚/名刺類5枚/丸善の納品書19枚/漱石以外の人物が書いたと思われる断片・手紙類4点/印刷物14点 /押し花15枚/新聞紙/新聞紙を除いて、資料はすべて挿入蔵書書名、挿入頁を記録し保存の観点より他の 自筆資料、身辺資料と共に別置することとした。 湯本 智子 ◆漱石文庫の整理にたずさわって (2) : 書簡について ◇「木這子 : 東北大学附属図書館報」/21(2)/東北大学附属図書館/1996.09/p5-9 >漱石文庫の中に収蔵されている書簡は、5点である。 1.博士号辞退事件に関連する文部省よりの一連の公文 書 3通 2.正岡子規の関甲子郎宛書簡 封書1通と葉書1通 3.漱石の手帳に挿入されていた小宮豊隆の漱石宛 書簡 葉書4通 4.雑辺資料中に収納されていた太田祐三郎の漱石宛書簡 葉書1通 5.蔵書中に挿入されていた 皆川正禧の漱石宛書簡 葉書1通(前号で紹介) しかし、漱石と親交のあった土井晩翠宛の漱石自筆の書簡2通 が晩翠文庫の中に発見されている。ここでは、これまであまり知られていない正岡子規と本学の図書館長であっ た小宮豊隆の漱石宛の書簡を紹介したいと思う。 41 ページ 漱石文庫関係文献目録 湯本 智子 ◆漱石文庫の整理にたずさわって (3) : 自筆資料に見られる用紙と未翻刻断片について ◇「木這子 : 東北大学附属図書館報」/21(3)/東北大学附属図書館/1996.12/p5-10 >ノート断片が書かれた用紙について/1.PARKINS & GOTTO'S IVORY LAIDというすかし文字がある紙/ 2.THE NEW NORTH MILL SUPERFINEというすかし文字と女性のすかし模様がある紙/3.会社のマークがなく罫 線がすかしで入っている紙/4.BRITISH EMPIRE NOTEというすかし文字のある紙/5.薬紙のような薄い紙/ 6.F.R Co. 1903というすかし文字がある紙/7.K.B. 1904というすかし文字がある紙/8.Royal Vellumと王冠のマー クのすかし模様がある紙/9.RIVERDALE 139 SUPERFINEというすかし文字のある紙/10.冊子体のノートを切っ た紙/11.西洋紙/12.カード形態の紙/13.灰色の紙/14.印刷物の裏 湯本 智子 ◆漱石文庫の整理にたずさわって (4) : 蔵書目録をめぐって ◇「木這子 : 東北大学附属図書館報」/21(4)/東北大学附属図書館/1997.03/p9-13 >死後漱石の蔵書約3000点は「漱石山房蔵書目録」(大正14年発行、岩波書店)として、公表された。この中に は、外国雑誌12点が含まれるが、その中の数点には漱石が記事を主題毎に分類しようと試みた雑誌が何点か みられる。又、漱石研究者にとってバイブルともいえる山房目録に記載されていない資料が2点存在する。本稿で は、これらの雑誌から2点、および「漱石山房蔵書目録」に記載されていない資料2点をとりあげ、それらの資料が 保存されていた状況やそこから推量される事等を紹介してみたい。整理者としての立場より4回に渡って執筆した 拙文を終わりたい。 尹 相仁 ◆漱石の世紀末的感受性 : 水底幻想を中心にして ◇「新潮」/84(11)/新潮社/1987.11/p184-200 >十九世紀の英文学を広く渉猟していた漱石は、当然ながら、E・A・ポーやスウィンバーン、テニスンらの詩に繰 り広げられる幻想的な水の世界にたびたび接することができた(漱石の蔵書目録にはこの三人の作品集がそれ ぞれ入っている)。『文学論』の中で『ルネッサンス』の一節を英文で引用した後、評語を加えている。ところで、ペ イターを丹念に読んでいた漱石がペイターの文体を論じる中で、ことさらこの条りを引き合いに出している点は注 目を要する(漱石の蔵書目録には、一九〇一年版の『ルネッサンス』を含めて、二冊のペイターの本が含まれて いる)。 尹 相仁 ◆群集のなかの漱石 : ロンドン体験における都市の発見 ◇「新潮」/86(6)/新潮社/1989.06/p206-216 >漱石はロンドンに着いた当初自らが置かれた状況を振り返りながら、ドイツの精神病理学者M・ノルダウの有 名な『堕落論』(一八九二―三)に触れているが、その文脈からして、洋行前にこの書物に接したことがうかがわれ る。なるほど東北大学付属図書館所蔵の漱石文庫にはいっているノルダウの同書(英訳、一八九八年版)には、 傍線や書き込みが数多く見えており、五六〇ページもあるこの分厚い書物を実に丹念に読み通した跡がくっきり と残っている。これを細かに調べてみると、『倫敦塔』の叙述が、同書の第一編第四章「病因」の中で大都市の群 居生活を論じている箇所と基本的に一致していることがわかる。 尹 相仁 ◆『夢十夜』第十夜の豚のモティーフについて : 絵画体験と創作の間 ◇「比較文学研究」/55/朝日出版社/1989.06/p113-120,112 >第十夜の豚のイメージには、ロンドン留学中の漱石が見たと思われる「野猪の群れの絵」が直接の素因となっ ている可能性が大きくなってくる。一九〇〇年にイギリスのナショナル・ギャラリーから発行された所蔵品の総合カ タログThe National Gallery ed. By Edward J. Pointer. 3vols. Cassell & Company, 1899-1900の第三巻British and Modern Schoolに載っている《ガダラの豚の奇跡》The Miracle of Gadarene Swine. 1883がそれである。但し東北 大学図書館所蔵の漱石文庫にはいっているナショナル・ギャラリー発行のA Catalogue of the National Gallery of British Artには、この絵は載っていない。 尹 相仁 ◆すまいの風景 : 『門』における空間の象徴的描法 ◇「比較文学研究」/57/朝日出版社/1990.06/p159-171 >漱石が所蔵しているメーテルランクの著作は全部で五冊で、劇作家としてはイプセンの九冊に次いで多い。『モ ンナ・ヴァンナ』『ペレアスとメリザンド』『室内』『タンタジルの死』など主な作品を収録している戯曲集が三冊、エッ セイ集としては『蜜蜂の生活』『二重庭園』の二冊となっている。作品集以外にメーテルランクについて論じた評論 や研究書などがある。マックス・ノルダウの『堕落論』Degenerationの第二部第六章「神秘主義の下手なまね」に は、かなり詳しく論じられている。このほかにも、漱石蔵書目録から、A・シモンズの『象徴主義文学運動』とE・E・ ヘイル『現代の劇作家』があげられる。 尹 相仁 ◆漱石文学における「世紀末」 ◇『世紀末と漱石』/尹相仁著/岩波書店/1994.02/p73-115 >漱石は「世紀末」の用法をどこから学んだだろうか。漱石手沢本R・A・スコット=ジェームズの『モダニズムとロ マンス』三二―三三ページの記述に、漱石が脇線を引いた箇所を私が掲げた理由は、ここに述べられている内 容が『三四郎』における「世紀末」を語をめぐる記述と概ね一致していると認められるからである。脇線のほかに、 "Decadents"の語には下線を引いている。このほかにも、彼が「世紀末」という語の用例を習得した経路としては つぎの二つのケースがさらに想定できる。オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの画像』と、マックス・ノルダウの 『堕落論』である。 42 ページ 漱石文庫関係文献目録 和田 利男 ◆漱石と陶淵明 ◇「ももんが」/15(2)/乙骨書店/1971.02/p2-6 >数年前、銀座松坂屋で催された夏目漱石展で、淵明の「帰去来辞」前編を揮毫した漱石の書を見たことがあ る。総字数三三八字にのぼる原文であるから、ずゐぶん長尺の巻物になつてゐた。淵明に対する愛好の度の 並々ならぬことを示すものであらう。因みに「漱石山房蔵書目録」に拠ると、淵明関係のものとしては、清の陶・の 「靖節先生集」と、同じく「靖節先生年譜攷異」が挙げてある。「靖節」は淵明の諡である。なほ明治二十九年一月 十七日付正岡子規宛の書簡に、「帰途米山より陶淵明全集を得て目下誦読中甚だ愉快なり」とあるが、その「全 集」が「靖節先生集」を指してゐるのかどうかは明らかでない。 和田 利男 ◆漱石と王維 ◇「ももんが」/15(3)/乙骨書店/1971.03/p2-6 >南画を好んで画いた漱石が、王維の詩を愛誦したのは自然なことと言はなければならない。『草枕』一に見え る東洋の詩歌論のところでは、王維は陶渕明と並んでいつも引合ひに出されてゐる。漱石は王維の詩境を深く愛 好してゐたが、その作品の上に受けた影響はどうかといふと、渕明の場合ほどはつきりしたものは見出せない。 「漱石山房蔵書目録」に見える王維関係の書籍は、『唐賢三昧集』などの多数の詩人の集は別として、『王孟詩 集』の名が出てゐるだけである。孟とは王維と並び称せられる孟浩然のことであるが、漱石の全集中、この詩人 に言及した文字は一つも見当らない。 和田 利男 ◆漱石と杜甫 ◇「ももんが」/15(4)/乙骨書店/1971.04/p2-6 >漱石が杜詩を愛好し、自作の漢詩にもその影響を受けてゐることは、容易にその証を指摘することができる。 大正二年七月三日付橋口貢宛の漱石の書簡を見ると、杜甫の詩に関する次のやうな記述がある。病中は御恵 与の杜甫を読み苦悶を消し候杜詩を一通り眼を通したのは今回が始めてに候是も御好意の御蔭と深く喜び居 候。杜甫はえらいものに候。「漱石山房蔵書目録」には『杜律集解』『杜詩鏡銓』『杜詩偶評』『杜工部文集註解』等 の書名が載ってゐるが、橋口氏から贈られた書物といふのも前三者の中のどれかであらう。とにかく、それが機 縁となつて杜詩に親しむやうになつたものと思はれる。 和田 利男 ◆漱石と高青邱 ◇「ももんが」/16(1)/乙骨書店/1972.01/p2-6 >大正五年九月一日付の漱石の書簡の中に、明の詩人高青邱に言及したところがある。漱石の言つてゐる高 青邱の詩といふのは、「青邱子歌」と題する長篇の古詩を指してゐるのだと思はれる。森鴎外もこの詩篇に心引 かれた一人であつた。彼はこの「青邱子歌」を和訳して、明治二十三年十月、「国民之友」に発表してゐる。漱石 が、鴎外のこの訳詩を読んでゐたかどうかは詳かではない。「漱石山房蔵書目録」を見ると、斎藤拙堂の選にな る『高青邱詩醇』が載つてゐるが、「青邱子歌」はもちろんこの中にも収められてある。鴎外がさうであつたよう に、漱石が青邱の詩に親しんだのも若い頃からであつたらしい。 無署名 ◆附属図書館 ◇『東北大学五十年史. 下』/東北大学編/東北大学/1960.01/p1675-1732 >戦時中の図書館は、いろいろの面で沈滞期の容相を呈したのは当然のことであるが、一面プラスとなつた面も 少くない。洋書の輸入は殆ど杜絶の状態となり、一方国内出版物も印刷用紙などの統制で発行が制限されて、 勢い図書館購入費に余裕が生じる結果となつた。ケーベル文庫・第二次狩野文庫・漱石文庫・和田文庫などが、 昭和十七年から十九年にかけて、いずれも三月の年度末に購入されているのはこの間の事情を物語るものであ ろう。太平洋戦争の間にこれらの貴重な特殊文庫が購入されたということはまことに感慨深いものがある。 無署名 ◆漱石文庫(東北大学附属図書館) ◇『東北の文庫と稀覯本』/河北新報社編集局学芸部編/無明舎出版/1987.06/p12-13 >かつて東京・早稲田南町の「漱石山房」にあった夏目漱石の旧蔵書が、そっくりそのまま東北大の図書館に保 管されている。納められたのは昭和十九年で、当時の同大附属図書館長はドイツ文学の小宮豊隆教授。この人 抜きで文庫の成立を語ることはできない。漱石関係者はこの文庫を「漱石研究の重要資料」としているが、その一 つとして挙げられるのが、漱石の蔵書への自筆記入。これについては附属図書館調査研究室長の原田隆吉さん が丹念に調べた。蔵書のほかでは、日記、ノートと別に学生時代の試験の答案や自ら謄写版で刷った試験問題 などがある。 43 ページ
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