四 - 北海道師範塾

北海道師範塾
北海道師範塾「
道師範塾「教師の
教師の道」
塾頭通信 400号
00号刊行記念冊子
刊行記念冊子
題名「牛の歩み」は、
塾頭吉田洋一の座右の銘である
怠らず行かば千里の外も見ん
牛の歩みのよしおそくとも(新渡戸稲造)
に拠るものです。
~400 号までの歩
までの歩み~
第301号
第302号
第303号
第304号
第305号
第306号
第307号
第308号
第309号
第310号
第311号
第312号
第313号
第314号
第315号
第316号
第317号
第318号
第319号
第320号
第321号
第322号
第323号
第324号
第325号
第326号
第327号
第328号
第329号
第330号
第331号
第332号
第333号
第334号
第335号
第336号
第337号
第338号
第339号
第340号
第341号
第342号
第343号
第344号
第345号
第346号
第347号
第348号
第349号
第350号
選択するということ
原発ゼロの日
13%対56%
ムンクの叫び
母の日
懲りない面々
沖縄復帰40年
「消えた子ども達」の怪
啐啄同時
言葉の力
尊厳死
5月病
「普通」って何?(1)
「普通」って何?(2)
平成の禁酒法?
天気晴朗なれども浪高し(1)
天気晴朗なれども浪高し(2)
就職難と自殺
密議
おいで、一緒に行こう
生活保護と扶養義務
教師でいること
8020
「免職」は重すぎる?
この大いなる平和
髭の殿下
トリアージ
パソコン時代の終焉(1)
パソコン時代の終焉(2)
認識の違い
子どもの貧困
ストレス解消法
学校の責任
国民の選択
社会還元?
障がい児への虐待
森林の常識
きみはいい子(1)
大義はいずこに?
きみはいい子(2)
きみはいい子(3)
きみはいい子(4)
一炊の夢
犬税
解けないはずを解く
確証バイアス
蓋然性
人間の死に方
「愛の献血」助け合い
高嶺の花
第351号
第352号
第353号
第354号
第355号
第356号
第357号
第358号
第359号
第360号
第361号
第362号
第363号
第364号
第365号
第366号
第367号
第368号
第369号
第370号
第371号
第372号
第373号
第374号
第375号
第376号
第377号
第378号
第379号
第380号
第381号
第382号
第383号
第384号
第385号
第386号
第387号
第388号
第389号
第390号
第391号
第392号
第393号
第394号
第395号
第396号
第397号
第398号
第399号
第400号
海の日
地球の限界
声をあげよ
E=mc2
育成人材目標
11・25自決の日
11・25自決の日(2)
ウナギが消える
栄冠は君に輝く
ロンドンオリンピック
真の自立を目指せ
基準は変えず
エンカレッジ
高校生と発達障害
何を裁こうとするのか
爽やかな敗北、見苦しい失格
そろばんの日
孤独と脳
道、なお遠し
終活
近いうちに
世界一からの転落
心の糸が切れる
立待月
暴力では何も解決しない
ペットの効用
いじめられている君へ
善玉ハッカー、悪玉ハッカー
平泉
女性ジャーナリストの死
パラリンピック始まる
未来の自分を知りたいか
悲しい居場所
出生前診断
折れた葦にはなるな
甘くはないか
大卒ニート
高度専門職業人(1)
高度専門職業人(2)
余りに幼稚
悩む力
天使の書(金澤翔子書道展)
3261人
福祉制度の限界
敬老の日
35人学級
三酔人経綸問答
ニセモノはなぜ、人を騙すのか
銀の滴降る降るまわりに(1)
銀の滴降る降るまわりに(2)
塾頭通信400号刊行記念冊子
牛の歩み 四 発刊に寄せて
お祝いのメッセージ
日頃のご活躍に敬意を表します。前吉田教育長様との出会いから今日まで、
変わらぬご指導等に感謝しています。
私は現在、深川市に本校を有するクラーク記念国際高等学校(学校長三浦
雄一郎)をはじめ大学・高校・専門学校・幼児教育・公益活動を行っている、
神戸市に本部を置く創志学園(大橋博理事長)にお世話になっていますが、
吉田先生からは常日頃ご指導いただいており、感謝しています。
塾頭のメッセージも数を数えて、ここに400号を記念発刊されますこと
に心から敬意を表します。継続は力とは申せ、ご見識豊かな先生のご指導に
期待すると共に、相手の立場に立たれてのお仕事に感謝し、ますますのご自
愛でのご活躍を念じます。
河野
順吉
塾頭の引き出しの多さと深さと広さに、ただただ尊敬のひと言です。毎号
楽しみにしております。ずっと続けてください。
菅原
綾子
四季折々、時の流れなどを映し出し、その裏に隠された真実などを分かり
易く説明された塾頭通信、ただひたすら吉田塾頭様に感謝あるのみです。
鈴木
重男
「400」というのは、たぶん私の世代にとってはけっこう「大きな意味」
を持つ数字ではないでしょうか。一つの「壁」であったと言ってもいいかも
しれません。
400号が達成される「その日」をドキドキしながら待っています。
これからも硬派の塾頭通信を期待しております。
長野
藤夫
400号達成おめでとうございまます。心よりお祝い申し上げます。いよい
よ500号が目前に迫ってきました。独特の立場に立つ通信でありながら、主
張や題材の公正さに対して世界的評価を得ている(笑)
Best wishes for your continued success!
トラピスト伝道師小山内
小山内
仁
いつも興味深く、愛読させていただいております。私は塾頭通信を読んで
物事をいろんな角度から見てみることの大切さを学んでいます。日々の学校
現場でも、問題解決をしてくために、様々な立場の情報を元に判断していく
ことが求められます。
これからもしっかりと塾頭の教えを心に刻みながら、学校運営に力を注い
でいきたいと思います。400号おめでとうございます。
佐々木
朗
塾頭通信400号おめでとうございます。いつも読ませていただきありがと
うございます。未成年の飲酒(306号)、お笑いタレントの母親の生活保護受
給(321号)、浦河町の教師の復職(322号)、いじめ問題(347号・353号・3
61号)、オリンピックでの失格(366号)など、気になる時事的な話題が多数
ありました。8月6日に起きた中学生のアルバイト中の事故のニュースは自分
では忘れかけていたニュースでしたが、8月30日の塾頭通信が思い出させて
くださりました。
また8月3日の364号では、特別な教育を必要とする児童生徒は約6%と記述
されております。これは本年7月1日に行われました平成25年度
幌市公立学校教員採用候補者選考検査の教養問題
北海道・札
第21問の問1の空欄2の答
えになります。まさに試験に出る塾頭通信ですね。
343号では「救いなのは、残っている砂の量が分からない」とありますが、
砂が落下するスピードを遅くしていただき長寿を全うしていただきたいです。
今後とも長期連載よろしくお願いします。
大瀬
輝哉
塾頭通信400号達成おめでとうございます。
正に「切るが如く、磋くが如く、琢つが如く、磨ぐが如し」とはこのこと
と、強く感じているところでございます。この400という便りのひとつひ
とつを大切にし、たゆまぬ努力の継続ということについて、改めて自分自身
に問いかけながら生活してみようと思いました。
今後もよろしくお願いいたします。
非会員(無記名)
第301号
平成24年5月7日
選択するということ
先日、池上学院高等学校からご案内を頂き、入学式に出席しました。
池上学院高等学校は、ご存知の方も多いと思いますが、札幌市内にある単位制の通信制
高校で、毎日通学して学ぶ総合コースと通信教育で学ぶ一般コースがあります。入学式は
コースごとに分かれて行っており、私は総合コースの入学式に出席したのですが、生徒の
皆さんからは、緊張の中にもこれから高校生活が始まるという期待や頑張ろうという思い
が伝わってきて、胸が熱くなりました。
池上学院の門を叩く子ども達の多くは、それまでの学校生活を通じて、友達関係や自身
の健康、更には学校との関係等に悩みや苦しみを抱えています。その悩みや苦しみは、子
ども達一人ひとり違うはずですが、いずれの子ども達も学校生活に行き詰まりを感じ、挫
折を経験し、希望を持てずに苦しんで来たのではないかと感じています。
それでも、彼らは、高校生としての学びの道を進みたいと思い、そのために行動を起こ
したことを、彼らのために喜びたいと思います。
中学生が高校進学を選択する場合、公立高校にするか私立高校にするか。また、普通科
にするか職業科にするか、あるいは、中高一貫校にするか、総合学科の高校や単位制の高
校にするか。更には、全日制にするか定時制・通信制にするか等、実に沢山の選択肢があ
ります。
人間の一生は、選択し続ける一生ともいえますが、高校を選択するということは、長い
人生の中での最初の本格的な選択の作業といえるでしょう。
選択には、積極的選択と消極的選択があります。積極的選択は、選択した結果に自信と
確信を持っており、仮に選択の結果がうまくいかなくても誰かのせいにしたりはしないで
しょう。一方、消極的選択をした場合は、そうした選択そのものに意義を見出せず、折角
の貴重な時間を無駄に浪費してしまうことになりかねません。また、そういう選択をせざ
るを得ない自分が許せず、自己嫌悪に陥ったり、自分の本意ではない選択を強いる周りに
対して攻撃的になったりする場合もあります。
従って、途中経過はあれもダメ、これもダメで、結局残ったものはこれということかも
しれないけれど、最後は「仕方なく」ということではなく、自分自身が納得して、能動的
に選択することが必要であり、周りの人たちも、そうした動機付けに繋がるような様々な
支援をしていく必要があります。
私たちは、あらゆるところで選択の場面に晒されており、そこから逃げられる人はいま
せん。
勿論、選択するためには、それなりの選択肢が用意されていなければなりませんし、選
択肢についての情報も十分提供される必要があります。そうしなければ、フェアな選択が
出来ませんが、ただ、現実は、必ずしもそうなっておらず、厳しい状況の中で、無理にで
も選択せざるを得ない場面もあるはずです。
それでも私たちは、何かを選ばなければなりません。仮に、選択の場面から逃げたとし
ても、それは結果として「逃げる選択」をしているに過ぎません。結論を先送りしようと
し て い る 人 は 、「 結 論 を 先 送 り す る 選 択 」 を し よ う と し て い る と 考 え る べ き で す 。
幼い子ども達は親が守ってくれますから、選択という厳しい風に当たらなくても済みま
すが、ある年齢(個人差はありますが)を超えたら、自分で考え自分で選択できる力を身
に付けなければなりません。その力こそ「生きる力」だと思います。
池上学院高等学校に入学した生徒達の、選択にいたるプロセスは分かりませんが、様々
な選択肢の中から、自分にとって相応しいと思う道を見つけ、選んだのだと思います。少
なくとも、彼らにとって学び続けたいという欲求を満たせる場所が池上学院にあったとい
うことであり、生徒の皆さんにとってこれからの3年間が、意義ある3年間となるよう祈
って止みません。
第302号
平成24年5月8日
原発ゼロの日
今 年 の「 こ ど も の 日 」は 、い つ も の 年 と は 違 い 記 憶 に 残 る「 こ ど も の 日 」と な り ま し た 。
それは、全国に50基ある原子力発電所が、唯一稼動していた泊原子力発電所の停止に
よって、全ての原子力発電所が停止することになったからです。
我が国における商業用の原子力発電は、1966年7月東海発電所の原子炉が運転を開
始したのがスタートということになりますが、その後各地に原子力発電所が建設され、原
子力による発電は全国の発電量の3割(北海道内では4割)を占めるに至りました。
私が子どもの頃は、しばしば停電や断水がありましたが、今では電気が使えないという
ことは想像も出来ない程、電気を大量に消費して生活しています。そして、それを支えて
きたのが原子力発電所ともいえるでしょう。
私達は、日常の中で原子力発電の危険性に対する意識は希薄になっていたように感じま
すが、それは3・11の福島第一原発事故によって一変しました。そして、事故から僅か
1年数か月で、国内の原子炉は全て稼動を停止することになったのです。
国 内 に あ る 原 子 力 発 電 所 の 全 部 停 止 と い う の は 、1 9 7 0 年 以 来 4 2 年 ぶ り の こ と で す 。
しかし、1970年当時は2基の原子力発電所しか稼動していなかったことを考えると、
今回の全面停止による影響は計り知れません。
まず、原子力発電所が占めている、国内の発電量の3割をどのような形で代替させるか
と い う 問 題 が あ り ま す 。自 然 エ ネ ル ギ ー は 、ま だ ま だ 発 電 量 も 安 定 性 に も 課 題 が あ り ま す 。
当面は、化石燃料に頼らざるを得ないでしょうが、このままでは、二酸化炭素排出量の2
5%削減という国際公約は果たせそうもありません。
当然、我々も節電に努力しなければなりませんが、このままでは企業活動への影響を避
けることはできません。
こうした中、既存の原子炉の再稼動をどうするのかといった問題を含め、今後の対応策
を早急に決める必要があります。しかし、残念ながら先の見通しは暗いといわざるを得ま
せん。
今回の福島第一原発事故によって、二つのことが浮き彫りになりました。
一つ目は、原発への安全神話が崩れたこと。
二つ目は、原発政策に対する安心感が失われてしまったことです。
大 飯 原 子 力 発 電 所 の 再 稼 動 を は じ め 、原 子 炉 の 再 稼 動 に 関 す る 議 論 が 殆 ど 進 ま な い の は 、
「安全」と「安心」という、原子力発電所にとって最も重要な点が共に、国民から信頼を
失ってしまっているからに外なりません。
原子力発電が制御の極めて難しい技術であることは、福島第一原発事故を見てもよく分
かります。
しかも、事故直後からの政府や東京電力の混乱と迷走ぶり、更には、政府の場当たり的
な対応は、原子力発電に対する安全神話を覆しただけでなく、政府や電力会社に対する信
頼を大きく損なう結果を招いています。
昨年6月、当時の海江田経済産業大臣が「安全宣言」を出した直後、菅前総理大臣は全
て の 原 子 力 発 電 所 に つ い て「 ス ト レ ス テ ス ト 」を 実 施 す る と 宣 言 し ま し た 。し か し こ れ は 、
海江田大臣の顔を潰しただけでなく、折角の「安全宣言」を台無しにしてしまいました。
また、福井県の大飯原子力発電所について「ストレステスト」を行った結果、3・11
並の地震が来ても炉心は損傷しないことが明らかになったにもかかわらず、野田総理大臣
は、再稼動に当たって「暫定安全基準」を作ると発言しました。しかし、折角作った安全
基準も、急ごしらえだったため、拙速の感を免れず、大飯原子力発電所再稼動のタイミン
グをも失することになりました。
そもそも、福島第一原発事故の原因調査も終わっていないうえに、脱原発とか、脱原発
依存といいながらその中身も示されておりません。加えて、第三者の立場で原子力発電所
を監視するはずの原子力規制庁も発足のめどが立っていません。
こうした状況の中で、政府が、今後想定される電力不足を解消するために原子力発電所
の再稼動をしたいといっても、国民のコンセンサスを得ることは難しいように思います。
まず、政府としては、政府の原子力政策への国民の信頼を構築しなければなりません。
そのためには、何といっても科学的な根拠に基づく安全の確保であり、国民に正しい情報
を積極的に開示して、理解を得る為の努力を尽くすべきです。
また、国民の方にも問題がないわけではありません。あれもダメ、これもダメと政府を
批判するだけでは、何も解決しません。
仮に、原子力発電はNOというのであれば、原子力エネルギーを必要としない社会をど
う作っていくのか、日本の産業への影響をどう考えるのか、環境の改善にどう貢献してい
くのか、更に省エネ節電を含め我々に何が出来るかといった課題に、正面から受け止め、
冷静に議論すべきです。
原子炉の稼動がゼロとなった今、我が国における電力供給の形は確実に変わろうとして
います。しかも、これは単に発電をどういう形で行うかということに止まらず、将来の日
本をどういう国にしていくのかということにも繋がる大きな変化なのです。こういう時だ
からこそ、国民は主体性を発揮すべきです。
少なくとも、国任せでは何も進まないことははっきりしているのですから。
第303号
平成24年5月9日
13%対56%
13%というのは、国会議員の歳費削減幅です。つまり、今年の5月1日から2014
年 4 月 3 0 日 ま で の 2 年 間 、 国 会 議 員 の 歳 費 と 期 末 手 当 に つ い て 12.88% 削 減 さ れ る こ
と に な り ま し た 。こ れ に よ る 削 減 額 は 、一 人 5 4 0 万 円( 1年 間 2 7 0 万 円 )と な り ま す 。
国会議員は、衆参合わせて722人ですから、歳費削減の効果は約39億円になります。
一方、56%というのは、来年度の国家公務員の新規採用数の削減幅を示しています。
つまり、2013年度の新規採用は、2009年度(採用数約8500人)と比較して5
6%減の3280人に抑えるというものです。
国家公務員の新規採用については既に抑制されてきており、2011年度は対2009
年比37%減の5333人、2012年度は同じく26%減の6336人でしたから、新
規採用数は、3年間で実質1万人以上削減されることになります。
政府のこうした取り組みは、消費税の増税を最大の政策課題となっている中、それを実
現するためにも、まずは国民に対して身を切る努力をしていることを見せようということ
だと思います。
多くの国民は、我が国の厳しい財政状況の中で、医療や年金の仕組みを維持していくた
めには増税も止むを得ないと受け止めていると思いますが、同時に、政府においては増税
の前にやるべきことがあるはずだということもまた、共通した思いでしょう。
それでは、今回の国会議員の歳費削減や国家公務員の新規採用抑制は、国民の思いに応
えているといえるのでしょうか。
国民が増税を容認するとすれば、それは、国の予算が真に国民のために使われていると
実感できる場合でしょう。そして、そう実感できるようにするためには、
・無駄な公共事業を見直す等予算の効率的な執行に努めること
・行政改革を徹底し、行政サービスの効率化を図ること
などに取り組む必要があります。
まず、予算の効率的な執行については、国民が民主党政権に一番期待した点だと思いま
すが、しかし残念ながら、国民の期待に十分応えているとはいえません。
次に、行政改革の徹底という観点から見た場合、国会議員の歳費削減や国家公務員の新
規採用抑制は国民にどう映るでしょうか。
国会議員については、1人当たり歳費や立法調査費、文書交通費、公設秘書の人件費等
で合わせて7千万円を超える予算が使われており、これに政党助成金を加えると、実に1
億円以上の予算が使われています。これに対して今回の措置は、1年間で270万円の歳
費を削減するものであり、しかも2年間の時限の措置となっています。
仮に、国会議員の方々が、歳費の13%削減で「自ら血を流す努力をしている」という
のであれば、国民の生活実感からははなはだ遠いといわざるを得ません。
また、国家公務員の新規採用抑制についてはどうでしょうか。
民主党は、そのマニフェストで、国家公務員の総人件費を2割削減するとしています。
人件費を削減するためには、公務員の給与水準を下げる、公務員の数を削減する、ある
いはその両方を抱き合わせて行うという方法が考えられます。
既に、国家公務員の給与について削減措置が講じられていますが、それだけでは総人件
費の2割削減は不可能でしょうから、職員数の削減に手をつけざるを得ないのだと思いま
す。
しかし、我が国の公務員の数は、欧米諸国と比べても非常に少なく、既に小さな政府に
な っ て い る と も い え ま す 。勿 論 、今 の ま ま で 良 い は ず も な く 、不 断 に 組 織 の 効 率 化 を 図 り 、
人員の削減に努力すべきですが、考えなければならないことは、組織の職員数は、その組
織 が 提 供 す べ き サ ー ビ ス の 質 や 量 と の 兼 ね 合 い で 決 ま っ て く る と い う こ と で す 。で す か ら 、
組織に無駄があれば削減するのは当然ですが、いたずらに削減すれば、かえってサービス
の低下を招きかねません。
組織をスリム化するためには、まずは仕事を減らすこと、そのために権限を国から地方
に 委 譲 す る 、あ る い は 民 間 に 業 務 委 託 す る な ど 様 々 な 工 夫 が 必 要 に な っ て き ま す が 、今 回 、
新規採用を減らし、実質的に職員数を削減するに当たって、そうした検討がどこまでなさ
れたのか全く分かりません。大した議論のないまま、人だけ減らそうとしているように感
じられてなりません。
政治主導といいながら、国会議員の削減はさっぱり先が見えません。政治家の皆さんの
負担は出来るだけ軽く、手を付けやすいところから手をつける、しかも、若い人に一方的
に付けが回される、というようなやり方は、感心いたしません。
第304号
平成24年5月10日
ムンクの叫び
先日、ノルウェーの画家ムンクの代表作「叫び」のうちの1点がニューヨークでオーク
ションにかけられ、手数料込みで約1億2千万ドル、日本円にして約96億円で落札され
た と の 報 道 が あ り ま し た ( 5 月 4 日 付 読 売 新 聞 )。
競売を実施したサザビーズによると、競売で売られた美術品としては、2010年5月
に約1億650万ドルで落札されたピカソの「ヌード、観葉植物と胸像」が過去最高だっ
たそうですから、今回の「叫び」はそれを上回る、文字通りの史上最高額となりました。
世の中には、とんでもないお金持ちがいるものだと思います。
96億円という金額を聞いて、私は、思い出したくもありませんが、今から20数年前
に北海道で行われた「世界・食の祭典」のことを思い出しました。
「世界・食の祭典」は、当時道庁が総力を挙げて取り組んだ一大イベントでしたが、見
事に失敗し90億円を超える損失を出してしまいました。ムンクの「叫び」の96億円と
いうのは、芸術とは余りにもかけ離れた話であり、比較するも如何とは思いますが、その
位凄い額だということです。
エ ド ヴ ァ ル ド ・ ム ン ク は 、1 8 6 3 年 1 2 月 に ノ ル ウ ェ ー の ロ イ テ ン と い う 所 で 生 ま れ 、
その翌年にはオスロに移住しています。成長の過程で、母親や姉を病気で失い、自身も病
弱であった為、死というものを身近に感じていたと思われます。彼は、人間の中にある孤
独や嫉妬、不安といったものを人物画に表現していますが、幼い頃から死を身近に実感し
て来たことが、彼の芸術に大きな影響を与えたといわれています
ム ン ク は 、 1 9 4 4 年 1月 オ ス ロ で 亡 く な っ て い ま す 。 8 0 歳 で し た 。 彼 は 、 ノ ル ウ ェ
ーでは国民的画家として評価されており、ノルウェーの紙幣(1000ノルウェー・クロ
ーネ)に肖像画が描かれている程です。
「叫び」という絵は全部で4点あり、その内2点はムンク美術館に、1点はオスロ美術
館にそれぞれ所蔵されており、今回競売に付されたのは個人が所蔵していたものです。
「叫び」という絵には、橋の上で、目を見開き、口を開いて何かを叫んでいるような人
物が描かれています。しかし、その人物は耳を塞いでいます。聞きたくないものから逃れ
ようとしているようにも見えます。
薄暗く、淀んだ背景からは、自分の置かれている不安な状態を示しています。人は、押
さえられない不安に遭遇したとき、何かを叫ばずにはおられません。しかし同時に、人々
の 不 安 な 気 持 ち か ら 逃 れ よ う と す る 叫 び 声 も ま た 恐 怖 を 煽 り ま す 。力 な き 者 は 、ひ た す ら 、
恐怖におののきながら耳を塞いで立ちつくすしかないのでしょうか。
ムンクの「叫び」は、自分の心の弱さを抉り出しているのかも知れません。
さて、ムンクの「叫び」という作品は余りにも有名ですから、競売で高値が付くのは分
かりますが、それにしてもどうしてこんなに高い値が付くのだろうと思ってしまいます。
美術品自体には、値段はあってないようなものですし、金持ちの道楽といってしまえばそ
れまでですが、少なくとも、購入者には、それだけの価値があったということでしょう。
絵の価値には3つの側面があると思います。
「 作 品 の 出 来 」、「 作 者 は 誰 か 」 そ し て 「 作 品 の 稀 少 性 」 と い う こ と で す 。
作品の出来が如何に良くても、作家が無名ですと評価額は低く押さえられますし、著名
な画家の場合は、名前だけで高値が付いてしまいます。
今から10年程前のことですが、ゴッホの修業時代の油彩画「左向きの農婦の頭部」が
売りに出されたことがありました。この絵は当初、作者不詳だったため落札予想価格は1
~2万円だったのですが、競売の直前になって実はゴッホの真作だということが分かった
のです。すると、その絵の落札額は一挙に跳ね上がって6600万円の値が付きました。
この絵を落札したのは、広島県のウッドワン美術館館長ですが、かれは、報道でその絵
がゴッホの真作であることを知って入札に参加したということですから、ゴッホの名前に
大枚を払ったようなものです。まあ、貧乏人の遠吠えみたいなものですが・・・。
人がその絵を欲しがるのは、その絵が素晴らしいだけでなく、世界に一つしかない、し
かも再生不能の一品だからに他なりません。
他人の持っていない物を持っていたいというのは、人間の本能的な欲望といえます。で
も、大抵の場合、その欲望を満足させるだけの力はありませんから、現実に妥協するので
すが、自己満足のためにはいくらお金を掛けても良いという価値観と力の持ち主がいると
いうことです。それがまた、美術品の流通を維持しているという面もあります。
そんなこんなで、ムンクの「叫び」には途轍もない高値が付いたのですが、余りの高値
に今頃は、当のムンク自身が、墓場の中で驚きの叫びを上げているかも知れませんね。
第305号
平成24年5月11日
母の日
5月13日は「母の日」です。
「母の日」は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日とされていますが、その歴
史を辿ると、1907年5月、アンナという方が亡き母を偲び白いカーネーションを贈っ
たというのが、アメリカにおける「母の日」の事実上の起源とされています。
日 本 の「 母 の 日 」は 、1 9 3 1 年 に 昭 和 天 皇 の 皇 后 様 の 誕 生 日( 3 月 6 日 )を「 母 の 日 」
としたのがスタートとされており、その後、1945年頃からアメリカに倣って5月の第
2日曜日を「母の日」として祝うようになったといわれています。
私の母は既にこの世を去って久しいのですが、にもかかわらず母という言葉を聞くと何
かしら胸が騒ぎます。それは、幼い頃の記憶と重なるせいかも知れません。
「親孝行、したい時には親はなし」というのはその通りだと実感しています。
私は、母親を泣かせるようなことだけはすまいと思って生きてきましたが、果たしてど
うだったでしょうか。今となっては、確かめる術はありません。
たわむれに母を背負いてその余り
軽きに泣きて三歩あゆまず
これは石川啄木の歌です。
私の母はある日突然倒れ、意識を回復しないまま13年間療養を続け、病院で亡くなり
ま し た の で 、母 を 背 負 う 機 会 は な か っ た の で す が 、今 は 亡 き 父 を 背 負 っ た こ と が あ り ま す 。
父が病に倒れ、一端入院先から自宅に戻った時、車から家の中まで父を背負い運んだので
すが、肩幅も広く頑丈だった父が私の背中に納まる程に小さく、軽くなってしまったこと
に驚くと共に、こうなる迄に、息子としてもっと為すべきことがあったはずだという悔悟
の気持ちがこみ上げてきたものです。啄木の気持ちも、あるいは同じものだったのかも知
れません。
今劇場で公開されている「わが母の記」の中にも、主人公の伊上洪作が海岸で母親の八
重を背負うシーンが出てきます。この映画は、作家井上靖氏の自伝的作品であり、見応え
のあるものとなっています。
洪作は、幼少の頃家族から離れ、1人曾祖父の妾だったおぬいの元に預けられます。こ
のため洪作は、ずっと「自分は母親に捨てられた」と思いこんでおり、それが母親との深
い 確 執 と な っ て い ま し た 。そ の 母 八 重 は 、痴 呆 症 が 進 行 し て 殆 ど の 記 憶 が 消 え て い き ま す 。
つ い に 息 子 の こ と ま で 分 か ら な く な っ て し ま う の で す が 、「 洪 作 を お ぬ い の 所 に 預 け た の
は一生の不覚だった」というのです。
ある時、母八重は勝手に家を出てしまい、家族総出で捜した結果、洪作は沼津の小浜海
岸で母八重と再会します。洪作は、母八重を背負いながら、何もかも分からなくなってい
るはずの母から息子を手放さざるを得なかった経緯を聞かされます。そして、息子を手放
したくないと思いながらも、おぬいに預けざるを得なかった母としての苦しみや悲しみ、
そして息子への尽きせぬ愛情を知ることになります。
ど ん な に 記 憶 が な く な っ て も 、息 子 と の 別 れ の こ と を だ け は 鮮 明 に 覚 え て い る 。洪 作 は 、
母を背負いながら、その母の愛情の深さに触れて、昔年の確執が氷解していきます。
結局、洪作が「自分は母に捨てられた」と思い込み母を恨んで来たのは母親に対する愛
情の裏返しであり、母も息子もちゃんと臍の緒で繋がっていたということでしょう。
この映画の中では、井上靖さんの邸宅も撮影に使われていますが、改めて大作家の生活
ぶりと書斎の凄さに圧倒されました。
旭川市内には井上靖記念館がありますが、この度井上靖邸から書斎応接間を移設し、リ
ニューアルオープンいたしました。行って見たい衝動に駆られています。
第306号
平成24年5月14日
懲りない面々
小樽商科大学で、学生の飲酒を巡る不祥事が発生し、1人は依然として意識不明の重体
となっています。
今回の不祥事は、同大学のグラウンドで花見目的のバーベキューパーティーを催して飲
酒していた、アメリカンフットボール部員60人の内9人が急性アルコール中毒とみられ
る症状で病院に搬送されたというもので、その内の7人は未成年でした。
小樽商科大学では、一昨年の6月にも未成年のサッカー部員10人に飲酒させるなどし
たとして2~4年生の部員25人を停学処分にすると共に、部活動も翌年3月まで停止さ
せるという措置を講じています。また、こうした事態に危機感を抱いた大学側では、学生
に対して、過度の飲酒の怖さや未成年は飲酒禁止であること等について指導してきたとの
ことですが、にもかかわらず再び飲酒を巡る不祥事が発生したことは誠に遺憾です。
北 海 道 新 聞 の 社 説 で は「 悲 劇 を も う 繰 り 返 す な 」と 書 い て い ま す が 、今 回 の 不 祥 事 に「 悲
劇」という言葉をあてることは如何でしょうか。何故なら、今回の不祥事は、不可抗力で
発生したものではなく、当然避けることが出来たはずであり、それだけに学生自身の責任
は極めて重大です。
こ れ ま で も 、度 々 飲 酒 に よ る 事 故 が 発 生 し 、最 悪 の 場 合 は 死 亡 事 故 ま で 起 き て い る の に 、
何故同じことが繰り返されるのでしょうか。
根っこにあるのは、日本の社会は比較的「酔っぱらい」に対して寛容であり、それがま
た 、「 酔 っ ぱ ら い 」 自 身 の 甘 え に も 繋 が っ て い る よ う に 感 じ て い ま す 。 勿 論 、「 酔 っ ぱ ら
い 」に 対 す る 世 間 の 目 は 昔 と 比 べ る と 随 分 厳 し く な っ て き て い る の で す が 、
「酔っぱらい」
の 方 に は 、「 酒 の 上 で の こ と な ら 大 目 に 見 て く れ る だ ろ う 」 と い う 甘 え が 、 依 然 と し て あ
るように感じています。
そうはいっても、大学側では、学生に対して飲酒に関する指導をしてきたわけで、それ
にもかかわらず再び不祥事が発生したのは何故でしょうか。
今 回 の 不 祥 事 に つ い て は 、学 生 に 第 一 の 責 任 が あ る こ と は 当 然 で す 。規 則 が ど う で あ れ 、
大学側からどんな指導があろうと、自分たちはやりたいことをするというのでは、判断力
は子ども以下であり大学生を続ける資格もありません。
学 生 達 に は 、「 あ な た 方 は 自 由 を は き 違 え て い る 」 と 申 し 上 げ た い と 思 い ま す 。 少 な く
と も 、酒 の 上 の こ と な ら 何 で も 許 さ れ る 時 代 で は な く な っ て い る こ と を 肝 に 銘 ず べ き で す 。
下級生に酒を強要し、結果、死亡事故に繋がるような事態になったら誰が、どういう責
任を取るつもりだったのでしょうか。勿論、当人達の中でそうしたことを考えた形跡はあ
りません。情けない限りです。
また、今回の不祥事に関しては、大学側の指導の甘さも否定できません。
小樽商科大学は自由な校風が持ち味で、前回の不祥事が発生した後も「学生の自主性を尊
重する」との理由から、学内での飲酒は禁止せず、売店でもビールやワインを販売してき
たといいます。
今日、殆どの企業では、職場内での飲酒を禁止していると思います。道庁でも相当以前
から、職場での飲酒は全面禁止になっています。大学が、校内での飲酒を禁止もせず、し
かも売店で酒を販売しているというのでは、大学側の指導が甘く見られても致し方ありま
せん。
「学生の自主性を尊重する」といいますが、教育機関である以上、学生がやらねばなら
ないこと、また、やってはいけないことについては、場合によっては学生に強制してでも
そ れ を 守 ら せ る 必 要 が あ り ま す 。「 自 主 性 を 尊 重 す る 」 と い う 美 名 の も と 指 導 に 徹 底 を 欠
くというのでは、大学側の責任放棄という誹りは免れません。
小樽商科大学におかれては、今回の不祥事に対して厳しく対処すると共に、徹底した再
発防止策に取り組んでいただきたいと思います。
第307号
平成24年5月15日
沖縄復帰40年
5 月 1 5 日 は 、 今 か ら 4 0 年 前 ( 1 9 7 2 年 )、 沖 縄 の 施 政 権 が ア メ リ カ か ら 日 本 に 返
還された日です。
その日のことは、私も「沖縄が返ってくる」という思いで、気分が高揚したことを覚え
ています。
沖 縄 は 、第 二 次 世 界 大 戦 後 の 1 9 5 1 年 に 締 結 さ れ た サ ン フ ラ ン シ ス コ 講 和 条 約 に よ り 、
アメリカの施政権下に置かれることになりました。その結果、アメリカは、沖縄に行政機
関として「琉球政府」を、立法機関として公選の議員で構成される「立法院」をそれぞれ
設 置 す る な ど 一 定 の 自 治 を 認 め ま し た が 、最 終 的 な 意 志 決 定 権 を 握 る こ と に な っ た の で す 。
その後、1950年には朝鮮戦争が、1960年にはベトナム戦争が起こるなど、東西
冷戦を背景とした国際的な緊張の中に、沖縄は丸ごと巻き込まれていきます。つまり、沖
縄は、その地勢的条件により、当時のソ連や中国、北朝鮮等の東側諸国に対峙する米軍の
重要な軍事基地として、その存在感を高めていきます。
ベ ト ナ ム 戦 争 の 際 は 、 沖 縄 の 基 地 か ら 巨 大 な B2 9 爆 撃 機 が ベ ト ナ ム に 向 か っ て 飛 び 立
っ て い き ま し た 。あ の 爆 音 に 晒 さ れ 続 け た 沖 縄 県 民 の 苦 痛 は 如 何 ば か り だ っ た で し ょ う か 。
アメリカは、施政権をもとに各地に基地や施設の建設を続け、県民の生活を圧迫しただ
けでなく、アメリカ軍兵士による悪質な事件や事故も後を絶たず、このため、県民は本土
復 帰 を 目 指 し 運 動 を 始 め 、1 9 6 0 年 に は 沖 縄 県 祖 国 復 帰 協 議 会 が 結 成 さ れ る に 至 り ま す 。
転 機 が 訪 れ た の は 、1 9 6 9 年 の 佐 藤 総 理 大 臣 ・ ニ ク ソ ン 大 統 領 に よ る 首 脳 会 談 で し た 。
ニクソン大統領は、ベトナム戦争の終結が近いことなどから、日米安全保障条約の延長
と引き換えに沖縄返還を約束したのです。
更に、1970年、沖縄県中部のコザ市(現沖縄市)で、アメリカ軍兵士による2件の
交通事故を契機にコザ暴動が発生しました。常日頃の沖縄県民に対する不当な差別への怒
りが表面化したものであり、アメリカ軍による統治が限界に来ていることを内外に知らし
めることになりました。
そして、遂に1972年5月12日、沖縄は日本への復帰を果たすことになったのです
が、それは、沖縄県民が本当に願い、期待したものだったのでしょうか。
沖縄の日本への復帰は実現しましたが、課題は今なお多く残されています。その一番大
きな問題は普天間基地など米軍基地の問題です。沖縄県には、米軍専用施設面積の内7割
以上が集中しており、しかも、沖縄本島では米軍基地が約2割も占めています。
また、アメリカ兵による悪質な事件が度々引き起こされているだけでなく、問題を起こ
した米兵は日米地位協定によって守られていることは、沖縄県民のみならず、我々にとっ
ても許容しがたい現実です。
ただ、国際情勢の現状に目をやれば、北朝鮮の動向や中国の膨張政策は、軍事的な戦略
上沖縄の重要性をますます高めており、沖縄県から基地を無くすという県民の願いは果た
されそうにありません。
こうした中、沖縄県民の負担を如何に軽減していくかは、沖縄県民の問題というより、
国民の共通の課題と認識しなければなりません。何故なら、日本の平和は、沖縄県民の負
担と犠牲の上に維持されてきた、といっても過言ではないからです。
最近行われた毎日新聞による世論調査の結果、沖縄県への米軍基地の集中については、
沖縄県民の69%が不平等だと認識しているのに対して、全国の国民の中でそのように認
識しているのは33%と、約半分に止まっています。
一方、国民の37%は現状をやむを得ないとしていますが、沖縄県民では22%となっ
ています。国民の間での、米軍基地を巡るこうした意識の差は、決して小さな問題ではあ
りません。
私 の 手 元 に 1 冊 の 本 が あ り ま す 。そ れ は 、大 田 昌 秀 さ ん の 編 著 に な る「 こ れ が 沖 縄 戦 だ 」
というものですが、その中で、大田氏は「沖縄戦は、日本軍11万人が、米軍54万8千
人に立ち向かい、その間に住民がはさまれた残酷極まりない戦闘であった。大本営は、沖
縄 を 本 土 決 戦 の 捨 て 石 と 考 え た 。( 中 略 ) 住 民 の 犠 牲 1 0 余 万 人 。 将 兵 の 戦 死 者 数 を 上 回
り 、 当 時 の 人 口 の 3 分 の 1 に 当 る 。 ま さ に 「 醜 さ の 極 地 」 で あ っ た 。」 と 述 べ て い ま す 。
沖 縄 戦 は 、6 月 2 3 日 、沖 縄 守 備 軍 首 脳 が 自 決 し 事 実 上 終 結 し て い く こ と に な り ま す が 、
その直前の6月6日、大田実沖縄根拠地隊司令官から海軍次官宛てに一通の電文が打たれ
て い ま す 。そ の 中 で 彼 は 、沖 縄 全 土 が 戦 場 と な っ た 中 沖 縄 県 民 が 如 何 に 戦 闘 に 巻 き 込 ま れ 、
悲惨な戦いを強いられたかを記すと共に、その末尾に「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ
後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と訴えています。今の沖縄を見て、現地司令官の最後
の叫びは聞き届けられたといえるでしょうか。
私は沖縄県に3度訪問したことがありますが、あの紺碧の海は本当に素晴らしいもので
した。しかし同時に、沖縄は戦中・戦後を通じ、沢山の悲劇を体験した島であることを、
その沖縄の痛みを、私たちは決して忘れてはならないのだと思っています。
第308号
平成24年5月16日
「消えた子ども達」の怪
先月のことになりますが、大阪府の富田林市で9歳の男児の安否が不明となっているこ
とが判明し、祖父母等が生活保護費を不正受給した疑いで逮捕されるという事件が発生し
ました。
こ う し た 事 態 を 受 け 全 国 の 状 況 を 確 認 し た 文 部 科 学 省 に よ る と 、昨 年 5 月 1 日 現 在 で「 不
明児」とされる小中学生が1191人も存在することが判明し、大変驚いています。
また、道教委でも道内の状況を確認したところ、5月1日現在で1年以上居場所が分か
らない小中学生は21人となっています。
「 不 明 児 」 と い う の は 、 学 校 が 居 場 所 を つ か め ず 、 1年 以 上 も 「 行 方 不 明 」 と さ れ て い
る小中学生のことですが、そういう子ども達が日本国内に1千人以上も存在するというの
は、一体どういう事なのでしょうか。
昨年高齢者の所在不明が、大きな社会問題となりましたが、高齢者に限らず多くの子ど
も達が所在不明になっている現実に直面し、日本社会の劣化がここまで進んでいるのかと
暗澹たる気持ちになります。
子ども達が所在不明となっている背景には、親の離婚や経済苦、更には家庭内暴力など
複雑な家庭事情が考えられます。
どこか別の学校に通っていて安否が確認できた子どもいるようですが、多くは所在が掴
めず、教育を受けているのかどうかはもとより、元気に生活しているのか安否さえも確認
できません。もしかしたら事件に巻き込まれているのではないか、といった最悪の可能性
もあり心配です。
就学年齢になっている子どもを、親が所要の手続きを行わず、子どもが学校に通えない
というのは、どのような事情があるにせよ、子どもに対する虐待と考えるべきではないで
しょうか。
例えば、ドメスティック・バイオレンスから逃れるため、やむを得ず所在を隠して生活
している場合もあるようですが、そうした場合でも、関係機関と十分連携すれば、子ども
を 保 護 し な が ら 学 校 に 通 わ せ る こ と も 可 能 だ と 思 い ま す 。保 護 者 は も と よ り 行 政 や 学 校 も 、
何ら努力をせずに子どもから学ぶ機会を奪ってはなりません。
富田林市における男児の場合は、小学校入学を控えた2009年3月、共に住民登録さ
れている曽祖母が市に「男児とは一緒に住んでいない。父親から児童養護施設にいると聞
いている」と説明したにもかかわらず、市は学校への在籍を認めています。しかし、男児
は登校せず、1年後に「不明児」の扱いになりましたが、市は、曽祖母が昨年8月に「ひ
孫の住民登録を消して欲しい」と訴えるまで、2年5カ月の間男児の安否を確認していま
せんでした。
富田林市では「もう一歩突っ込んだ形で消息を確認すべきだった」と対応の誤りを認め
ていますが、行政や学校が家庭の問題に深く介入できないという難しさがあるとはいえ、
まずは危機感を持って子どもの所在確認に当たるべきで、今回のケースは行政の怠慢とい
われても致し方ないでしょう。
住民票を移さなくても希望すれば意見先の学校に通うことが出来るという状況の中で、
子どもの所在確認が難しくなっている面もありますので、住民票を持たずに通学している
子ども達の情報が共有出来る仕組みなども含め、対応策を考える必要があると思います。
ま た 、 今 回 の 行 方 不 明 児 の 問 題 に 付 随 し て 浮 か び 上 が っ て き た 問 題 は 、「 日 本 国 籍 を 持
たない子ども達はどうなっているのだろう」ということです。
日本国籍をもつ就学年齢の子どもは、市区町村教委が作成する学齢簿によって把握され
ますが、日本国籍を持たない子どもたちは全く埒外に置かれています。日本国内には、日
本国籍を持たない15歳未満の子ども達が20万人いるともいわれていますが、これらの
子ども達の教育環境が把握されていません。
日本の国内にいる子ども達は、国籍の如何にかかわらず、必要な教育が受けられるよう
配慮すべきであることは、いう迄もありません。
第309号
平成24年5月17日
啐啄同時
「啐啄同時」は、禅書「碧厳録」の第16則に出てくる言葉です。
「 啐 」 は 、 卵 の 内 側 か ら 雛 が 卵 の 殻 を つ つ く 音 を 意 味 し 、「 啄 」 は 親 鳥 が 殻 を つ つ い て
雛が出るのを助けることを意味しています。
つまり、
「 啐 啄 同 時 」と は 、卵 の 中 の 雛 が 成 熟 し 、孵 化 し よ う と 内 側 か ら 殻 を つ つ く 時 、
その音を敏感に察知した親鳥が、外からもつついてやって孵化を助けることをいいます。
なお、この言葉は、碧巌録の「鏡清啐啄機」に出てくるものです。
先日、トキの雛が36ぶりに誕生しましたが、5月は野鳥にとって新しい命の誕生の季節
です。それぞれの巣の中では、卵の中の雛と親鳥との命を巡るドラマが演じられているこ
とでしょう。
何事にも、逃してはならない絶妙のタイミング(つまり機)というものがあります。
雛が卵から孵化する場合、親鳥が卵の殻をつついて割ってやるタイミングが早過ぎても
遅 過 ぎ て も 、 折 角 の 命 は 世 に 出 る こ と が 出 来 ま せ ん 。 ま さ に 、「 啐 」 と 「 啄 」 は 同 時 で な
ければならないのです。
これは親子の関係、教師と生徒との関係にもいえることではないでしょうか。親は我が
子を愛し、慈しんで育てますが、やがて子は、親の懐から飛び出ようとします。その機を
逃さず、親が子の背中を押すことが出来れば、その子は自立への一歩を踏み出すことが出
来るでしょう。もし仮に、我が子を溺愛する余り、何時までも我が懐で守ろうとすれば、
その子は自立のきっかけを失い、生きる力を失いかねません。また、親離れしようとしな
い子に対して、ただ突き放すだけでもダメなことはいうまでもありません。
学校教育ではどうでしょうか。教師の皆さんは、日々、一人ひとりの子ども達に、自ら
の力で生きていける力をしっかりと身に付けさせるよう、教育実践をしているはずです。
いずれ子ども達は、自ら自分の殻を破って飛び出そうとする時期が来ますが、自分の殻
を打ち破って成長しようとする力を与えてやるのも教師の大きな仕事であり、その時が来
たら、子ども達が自分の殻を打ち破ることができるよう、上手に導いていかなければなり
ません。
碧 巌 録 で は こ う 記 し て い ま す ( 大 森 曽 玄 著 「 碧 厳 録 上 巻 」 よ り )。 中 国 に 鏡 清 禅 師 と い
う偉い禅僧がいらっしゃったのですが、修行僧の一人が鏡清禅師に「学人啐す、請う師
啄せよ(私はもう充分悟りの境地に達しました。どうか一つ、カラを破って躍り出させて
頂 き と う ご ざ い ま す 。)」 と い い ま す 。
禅師が修行僧に「還って活くることを得るや(そうか、つついてやってもいいが、お前
さ ん 生 命 は 大 丈 夫 か な )」と 尋 ね る と 、そ の 僧 は「 も し 活 せ ず ん ば 、人 に 怪 笑 せ ら れ ん( も
し 私 が 悟 れ な か っ た ら 、 老 師 は 世 間 の 物 笑 い に な り ま す よ )」 と い い ま す 。 と ん で も な い
開 き 直 り で す ね 。 す る と 禅 師 は 「 是 れ 草 裏 の 漢 ( こ の 大 た わ け め が っ )」 と 修 行 僧 に 一 喝
します。ここでいう「草裏」というのは、妄想の草の中に埋まっている状態を指している
のだそうで、その意味からすると、私も修行僧とは50歩100歩というところでしょう
か。
「啐」と「啄」の響き合いにはこういう厳しい側面があるということですが、一番の
難 し さ は 、「 啐 啄 の 機 」 を 見 極 め る と い う こ と に あ り ま す 。
子ども達に背伸びする力、自立する力を身に付けさせるのは、親や教師の勤めであり、
また、子ども達にその力が備わったかどうか見極めることも親や教師の大きな責任です。
そして、その時が来たら、機を逸せず手を差し伸べ、背中を押してやる必要があります。
そのためには、親鳥が雛の発するシグナルを決して聞き逃さないように、親や教師もま
た、子ども達の発するサインを見逃さぬよう最新の注意を払わなければならぬと、今更の
ように我が身に問うているところです。
第310号
平成24年5月18日
言葉の力
5月18日は「言葉の日」です。
こんな日があるなんて、私は知りませんでした。それで、何故この日が「言葉の日」な
のかというと、5と10と8の単なる語呂合わせらしいのです。誰が考え出したことなの
か分かりませんが、この機会に、普段何気なく使いお世話になっている「言葉」について
考えてみることは、とても大切なことのように思います。
一体「言葉」とは、何なのでしょう。
広 辞 苑 の 力 を 借 り る と 、 ま ず 「 言 語 」 に つ い て は 、「 音 声 又 は 文 字 を 手 段 と し て 、 人 の
思 想 ・ 感 情 ・ 意 志 を 表 現 ・ 伝 達 し 、ま た 理 解 す る 行 為 。ま た 、そ の 記 号 体 系 」と あ り ま す 。
次に、
「 言 葉 」を 引 い て み る と「 意 味 を 表 す た め に 口 で い っ た り 字 に 書 い た り す る も の 」
とあります。簡単にいうと、自分の考えを表現する道具ということだと思いますが、そう
はいっても私は、その道具の扱いにてこずる日々です。
だ か ら 、「 時 計 の 針 が 前 に 進 む と 「 時 間 」 に な り ま す 。 後 ろ に 進 む と 「 想 い 出 」 に な り
ま す 。( 寺 山 修 司 )」 な ん て い う 言 葉 に 触 れ る と ぞ く ぞ く し て し ま い ま す 。
「他人が困っているときに優しくできるか。幸福のすぐ隣に哀しみがあると知れ。大人
に な る と は 、そ う い う こ と だ( 伊 集 院 静 )」な ん て い う 言 葉 を 聞 く と 、胸 が 熱 く な り ま す 。
自分の脳みそをどう絞ってみても、こんな言葉は出てきそうにありません。
作 家 の 片 岡 義 男 氏 は 、「 あ な た と は い っ た い 、 な に で す か 」 と い う 問 い に 対 し て 、 自 分
の個体を指しながら「僕とは、この自分です」といういい方があっても良いが、答えには
な っ て い な い 。「 個 体 の な か に 宿 る 言 葉 こ そ が 僕 な の だ 」 と い っ て い ま す 。 確 か に そ の 通
りだと思います。
私は今、ほぼ毎日のように「塾頭通信」を発信し続けていますが、結局それは、私の思
いが言葉となって表出したものであり、私自身に他なりません。
今年の本屋大賞の受賞作は、三浦しをんさんの「舟を編む」という作品です。
そ の 作 品 の な か で 三 浦 さ ん は「 何 か を 生 み 出 す た め に は 、言 葉 が い る 」と い っ て い ま す 。
そ し て 、大 渡 海 と い う 大 国 語 辞 書 の 編 集 部 員 で あ る 岸 辺 を 通 し て 次 の よ う に 語 り ま す 。
「は
るか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。混沌とし、た
だ蠢くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉と
いう落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象られ、
昏 い 海 か ら 浮 か び あ が っ て く る 。」
私は、周りの方から「塾頭通信を毎日書くというのは大変でしょうね」といわれます。
確かに、毎日、悪戦苦闘しながら言葉を連ねているのですが、もしも「言葉」というもの
がなければ、私は、確たる自分に出会うことが出来ないでしょうし、塾頭通信を書くこと
を通して新しい自分と出会うという喜びも味わうことが出来ないに違いありません。
勿 論 、「 言 葉 」 と い う も の は 誠 に 不 思 議 な 存 在 で 、 ま る で 石 こ ろ の よ う に 無 機 質 で あ る
かと思えば、それ自体が生き物のように一人歩きしたりする。だから「言葉」を使うこと
は難しいのだと実感しています。
「言葉には力がある」とよくいわれます。それでは「言葉の力」の源は何なのでしょう
か。
国 語 の 辞 書 づ く り を さ れ て い る フ リ ー プ ロ デ ュ ー サ ー の 藤 岡 和 賀 夫 氏 は 、「 言 葉 の 力 」
は 、「 環 境 と し て の 力 」で あ り「 風 景 の 力 」で あ る と い っ て い ま す 。人 々 が 生 ま れ 、育 ち 、
生活する、その営みの力こそ言葉の力だというのです。環境としての風景に力があれば、
「言葉」も力を失うことはないでしょうが、彼は「その大切な風景が、間伐が過ぎた森の
よ う に ど ん ど ん 痩 せ て き て い る 。」 と 懸 念 を 表 明 し て い ま す 。
「言葉」を大切にするということは、日々の暮らしの中で、これまで息づいてきた風景
を大切にしていくことでもあるのだと感じています。
第311号
平成24年5月21日
尊厳死
先般、超党派の国会議員で作る「尊厳死法制化を考える議員連盟」が一つの法案の骨子
を 明 ら か に し ま し た ( 3 月 2 3 日 付 朝 日 新 聞 )。
そ れ は 、「 終 末 期 医 療 の 意 思 尊 重 に つ い て の 法 案 ( 骨 子 )」 と い う も の で 、 そ れ に よ る
と
・「 終 末 期 」 と は 、 適 切 な 医 療 を 受 け て も 回 復 の 可 能 性 が な く 、 死 期 が 間 近 な 状 態
・その判定は、2人以上の医師による
・延命措置を希望しないという意思が明らかな患者に延命措置を講じなくても、医師は
責任を問われない
というもので、医師が患者から延命装置を外すような行為は想定していません。
「尊厳死」というのは、有体にいえば「人間らしい死」ということになりますが、しか
し 現 実 に は 、「 死 期 が 迫 っ て い る 状 態 」 や 「 無 駄 な 延 命 治 療 」 と は 一 体 ど う い う も の な の
か 、 更 に は 、「 人 間 ら し く 尊 厳 を 保 っ て 死 ぬ 」 と は ど う い う こ と な の か 、 議 論 は 尽 き ま せ
ん。
実際、医療体制や社会体制が不備のまま「尊厳死」が法制化された場合、重篤な患者や
高齢者に死の選択を迫る圧力になりかねないと懸念する声もあり、障がい者や難病患者へ
の 差 別 に 繋 が り か ね な い と し て 反 対 し て い る 方 々 も 多 く お り 、「 尊 厳 死 法 制 化 を 考 え る 議
員連盟」においても、今後引き続き検討を進めていくとしています。
尊厳死や安楽死といった問題は、古くて新しい問題です。
私が子どもの頃は、まだ「尊厳死」という言葉はなく「安楽死」という言葉が使われて
いたように思います。大人達が、重篤な患者が死にきれず苦しんでいるのを見て、何とか
安 楽 に 死 な せ て や れ な い も の か と 話 し て い る の を 聞 い た こ と が あ り ま す 。 そ の 頃 は 、「 安
楽 死 」 の 意 味 も 分 か ら ず 、 子 ど も 心 に 、「 病 院 の 先 生 も 一 生 懸 命 治 療 し て い る の に 、 ど う
してそんなことをいうのだろう」と思ったものです。
高校生になって、森鴎外の「高瀬舟」を読んだとき、はじめて「安楽死」の持つ意味を
理解したように思います。
「 高 瀬 舟 」は 主 人 公 喜 助 と 弟 の 物 語 で す 。喜 助 は 弟 と 貧 し い 暮 ら し を し て い る の で す が 、
その内弟が病気になって働けなくなります。弟は兄にだけ苦労かけることに絶えられなく
なり、とうとう自殺を決意し、兄が留守の間に剃刀で喉を切るのですが死にきれません。
そこに喜助が帰ってきます。弟は兄に向かって剃刀を旨く抜いてくれれば死ねるだろうか
ら「どうぞ手を借して抜いてくれ」と頼みます。喜助は逡巡しながら遂に剃刀を抜いて弟
を死なせてしまうというものです。
当時私は、この小説を読んで、喜助は果たして人殺しと云えるだろうか、これで罪人と
して島送りとなったのでは余りにも理不尽であり、可哀想ではないかと思ったものです。
今もその気持ちに変わりはないのですが、一方では、喜助が捕らわれず無罪放免されたと
したらどうなっただろうかと考えます。
「 高 瀬 舟 」 は 、「 安 楽 死 」 と い う も の の 持 っ て い る 問 題 の 難 し さ を 示 し て お り 、 喜 助 は
裁かれて遠島となったことで、彼自身もまた救われたのかもしれないなというのが、率直
な感想です。
次 に 、「 尊 厳 死 」 や 「 安 楽 死 」 の 問 題 を 私 に 突 き つ け た の は 、 1 9 7 6 年 に ア メ リ カ で
発生したカレンさんの事件です。
この事件は、カレン・アン・クインランさん(当時21歳)が友人のパーティーで酒を
飲んだあと精神安定剤を服用して昏睡状態に陥り、意識がないまま呼吸も停止し,人工呼
吸 器 に つ な が れ 、彼 女 の 生 命 は 機 械 の 力 で か ろ う じ て 保 た れ て い る と い う 状 態 に な り ま す 。
それから3ケ月後、彼女のご両親は「機械の力で惨めに生かされるより、厳かに死なせて
やりたい」と主張しますが医師団に反対され、裁判になったというものです。
ニュージャージー州高等裁判所は、尊厳死を認めませんでしたが、州最高裁判所は「人
命尊重の大原則よりも死を選ぶ個人の権利が優先されるべきで、治療を続けても回復の見
込みがない場合には人工呼吸器を止めても良い」という画期的な逆転判決を下しました。
私は、カレンさんのご両親が、愛する娘の為にあえて厳しい選択をされたものであり、
その判断を深い同情と共に、今でも重く受け止めています。カレンさんの事件は、私に、
「人が人らしく生き、人らしく死ぬということはどういう事なのか」を考えるきっかけを
与えてくれたのでした。
誰しも、仮に自分が意識もなく、自発呼吸も出来ない。ベッドに横たわったまま機械の
力 で 生 か さ れ て い る と し た ら 、「 そ れ で も 私 は 生 き て い る と い え る の だ ろ う か 、 ま た 、 生
きている意味があるのだろうか」と問いかけずにはいられないでしょう。この問いにどう
答えるかは、その人の生き方や人生観、宗教観に左右され、答えは決して一つではないは
ずです。
自 分 自 身 の こ と な ら 、 意 識 も な く 、 チ ュ ー ブ に 繋 が れ た 状 態 で あ れ ば 、「 そ う ま で し て
生きていたいと思わない」と答える人が多いかも知れません。しかし、それが、自分の親
や か わ い い 子 ど も で あ っ た な ら ど う で し ょ う か 。「 ど の よ う な 形 で あ れ 、 生 き て い て 欲 し
い 」 と い う 願 い と 、「 こ れ 以 上 苦 し ま せ た く な い 」 と い う 思 い と が 交 錯 す る に 違 い あ り ま
せん。
「人は如何に死ぬべきか」を考えるということは「人は如何に生きるべきか」を考える
ことでもあります。
「尊厳死」の問題から我々は、逃げるわけにはいきません。
第312号
平成24年5月22日
5月病
ゴールデンウィークも明け、学校や会社での新1年生の皆さんは、そろそろ緊張の糸が
緩み始める一方、疲れも感じ始めているのではないかなと思います。
かつては、今頃になると「5月病」の話題に事欠きませんでしたが、最近は、余り「5
月病」という言葉を耳にしなくなりました。しかし、それは「5月病」というものがなく
なったということではなくて、むしろ季節を問わずにメンタルの問題が広がっているとい
うことのようであり、心配しています。
そもそも「5月病」というのは、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症
状をいいますが、特に5月という季節は、4月に環境が大きく変化した人達が、周りから
期待され、また、自分でも頑張ろうと思うのだけれどその新しい環境に適応できない人達
が比較的多くなり、しかもその症状がうつ病に似た状態を示すことから「5月病」と呼ば
れているものです。もっとも、サラリーマンの場合は6月にずれ込んで似たような症状が
出るケースも多いことから「6月病」という場合もあるそうです。
た だ 、「 5 月 病 」で あ れ「 6 月 病 」で あ れ 、明 確 な 定 義 が あ る わ け で は あ り ま せ ん の で 、
医 学 的 な 診 断 名 と し て は 、「 適 応 障 害 」 あ る い は 「 う つ 病 」 と 診 断 さ れ て い ま す 。
誰しも、ゴールデンウィークのように長期間休んでしまうと休み癖が付いてしまい、何
となく学校や会社に足が向かないということがあると思いますが、それでも普通は、周り
から背中を押されたり、上司の顔を思い浮かべたりしながら、重い腰を自分の力で上げる
ことができるものです。それが、自分としては出かけなければという思いは強いけれど、
疲労感が抜けず、どうしても気が重くて身体が動かないというような「5月病」に罹って
しまうのは何故なのでしょう。
私は専門家ではありませんので、良くは分かりませんが、やはりストレスが一番の要因
として考えられるようです。従って、まずはストレスをためない様にしなければなりませ
んが、そう考えること自体がストレスになったりして、事はそう簡単ではありません。
「5月病」にならないためにはどうすべきか。色々調べていましたら、精神保健の専門
家で、企業のメンタルヘルス制度導入のアドバイスや運用に関わっておられる谷崎 恵さ
ん が 、「 5 月 病 」 に な ら な い た め の 1 0 か 条 と い う 、 比 較 的 分 か り や す い 方 法 を 示 し て い
ますので、皆さんに紹介しましょう。
そ の 1 :「 ○ ○ せ ね ば ! 」 の 完 璧 主 義 を や め る
その2:焦らない
そ の 3 : 1人 で 悩 ま な い
その4:自分を知る
その5:規則正しい生活をする
その6:食生活に気をつける
その7:睡眠を十分にとる
その8:気分転換する
その9:自分の時間を確保する
その10:不必要なプライドを捨てる
1から10まで並べてみましたが、如何でしょうか。この種のことは今迄もいわれてい
ることで、特別なことは何もありませんが、簡単そうで意外に難しいというところかも知
れません。多分、気分転換が上手な人は「5月病」には罹りそうもないなと感じています
が 、こ の 1 0 か 条 の 中 で も 、私 は「 1 人 で 悩 ま な い 」こ と と「 不 必 要 な プ ラ イ ド を 捨 て る 」
というのがとても大事なことではないかと思っています。
一 般 的 に は 、「 5 月 病 」 と い う の は 新 し い 環 境 に 慣 れ れ ば 症 状 も な く な る と い わ れ て い
ますが、勿論放置しておけば本当の「うつ病」になってしまう恐れもありますから、十分
気を付けなければいけません。
最近、疲れがたまっている、不眠が続いている、イライラしている、意欲が湧かない。
そんなことを感じたら「5月病」を疑ってみる必要があります。本人は頑張ろうとしてい
て意外にそのことに気付かないばあいもあるでしょうから、周りの方々も気を付けてあげ
ることが必要でしょう。
第313号
平成24年5月23日
「普通」って何?(1)
子どもの質問には、時に核心を突いており答えに窮することがあるものです。
先日、新聞の投書欄を見ていたら、埼玉県和光市の宮崎君という中学生の書いた投書が
目に飛び込んできました。
その中身は、
僕 が プ レ ー を す る 野 球 チ ー ム で 、コ ー チ に よ く 言 わ れ ま す「 も っ と 普 通 に プ レ ー し ろ 」
と。僕にはその意味がわかりません。
また、バスの中で3歳くらいの男の子が、がやがや騒いでいると母親が「もうちょっ
と普通にして」と言い聞かせていた。その男の子は「普通」の意味など分からず「静か
にして」と注意されたと感じるでしょう。
「普通」とはみんなと同じこと、常識的なことという意味なのでしょうか。もし僕が
「野球も普通に、勉強も普通に頑張ります」といえばコーチや先生から怒られそう。こ
れも「普通」のことなのでしょうか?
大 人 の 普 通 と 子 ど も の 普 通 。そ れ が 違 う の は 困 り ま す 。こ れ は「 普 通 」じ ゃ な い で す 。
というものです。
まず、普通というのは、広辞苑によると
①あまねく、一般に通じること。
②通常であること。なみ、一般。
とあります。
改めて考えてみると、私も結構「普通」という言葉を、余り注意せずに使用しているこ
とに気付かされます。
投書に出てきた野球のコーチは、宮崎君に「あまり肩に力を入れず、普段どおりのプレ
ーを心掛けなさい」という趣旨で「普通に」といったのではないかなと想像します。少な
く と も 、「 そ う そ う 頑 張 ら ず に 、 他 の 人 並 み の プ レ ー で 良 い 」 と い う 意 味 で は な い よ う に
思います。
また、母親が3歳の子どもにいった「普通に」というのは、公共の交通機関に乗る際は
「皆さんが周りの迷惑にならないよう静かにしているのだから、お前も静かにしていなさ
い」ということだろうと思いますが、宮崎君の言うように3歳の子には理解不能でしょう
ね。むしろ、3歳の子なら、乗り物に乗るのは大好きで、ついはしゃぎたくなるのが「普
通」でしょうから。
ですから、コーチや母親は「普通に」という言葉ではなく、もっと明確に、分かりやす
いメッセージを出すべきでしょうね。そうしないと、メッセージを出した側と受け手の側
とで共通の認識を持つことが難しくなります。
そもそも「普通」という言葉自体は、場面によっても、対象となる人によってもその意
味するところは違ってきますから、そこを曖昧にしたままだと、伝わるはずのものも伝わ
らなくなるのは当然です。
宮 崎 君 が 、「 大 人 に と っ て の 普 通 と 子 ど も に と っ て の 普 通 が 違 う の は お か し い 」 と 疑 問
を呈していますが、私は、違って当たり前だと思っています。それは、大人の住む世界と
子どもの住む世界の違いともいえるでしょう。
また、野球チーム一つとっても、宮崎君の所属するチームとそれ以外のチームとでは、
それぞれ、その中での伝統や人間関係も違いますから、仲間の間では「普通」にまかり通
っていることでも、他のチームでは通用しないということが当然あるはずです。
つ ま り 、「 普 通 」 で あ る か ど う か に つ い て は 、 絶 対 的 な 判 断 基 準 が あ る わ け で は あ り ま
せんから、いくら自分にとってそれが「普通」だと主張しても、その中身について共通の
理解が得られない限り「普通」とはなりません。
第314号
平成24年5月24日
「普通」って何?(2)
大阪市が教育委員会を除く全職員約3万4千人について入れ墨の有無を尋ねたところ、
110人の職員が「入れ墨をしている」と回答したことが明らかとなり(5月17日付朝
日 新 聞 )、 驚 い て い ま す 。
大 阪 市 は 、 今 後 、「 入 れ 墨 」 を 禁 じ る 規 定 を 作 る 他 「 入 れ 墨 」 を 消 す よ う 促 す と 共 に 、
市民に接することのない職場に配置転換することを検討するとしていますが、規定を作ら
なければ「入れ墨」が規制できないということに対しても、二重の驚きです。
橋 下 市 長 は 、「 入 れ 墨 を ど う し て も や り た い な ら 、 市 役 所 を 辞 め て 民 間 に い け ば い い 」
と述べたと伝えられていますが、橋下市長がそういいたくなる気持ちも分かります。
もっとも、橋下市長が「入れ墨したいなら民間に」というのは、民間に対して誠に失礼
な話で、例外はあるでしょうけれど、どのような会社であれ、職員の「入れ墨」は許容し
ないのが「普通」だと思います。
こうした大阪市の対応に対して、漫画家の倉田真由美さんは「入れ墨調査は、中学校等
での持ち物検査みたい。確かに役場の窓口で職員の入れ墨を見たらぎょっとするかもしれ
な い 。 で も 、「 じ ゃ 金 髪 は ? 」「 鼻 ピ ア ス は ? 」 と 線 引 き が 難 し い 。 個 人 の 自 由 に ど ん ど
ん メ ス を 入 れ て い く と 、 息 苦 し い 」 と い っ て い ま す ( 5 月 1 7 日 付 朝 日 新 聞 )。
「息苦しい」と感じるかどうかは個人差があるでしょうけれど、少なくとも、どのよう
な職場であれ、その場に相応しい服装や態度というものがあるはずです。それは、殊更規
則で定めなくてもその職場に所属する以上は十分配慮すべきことであり、それを個人の自
由だからといって勝手な行動を許せば、組織として成り立たなくなることは明らかでしょ
う。
窓口の職員が腕に入れ墨をしているというのを想像すると、決して気持ちの良いもので
あ り ま せ ん 。自 分 の 服 装 や 態 度 で お 客 様 に 不 快 な 感 じ を 与 え な い よ う に し よ う と い う の は 、
最低限のルール、マナーです。
倉田さんは「金髪」も「鼻ピアス」も線引きが難しいといいますが、その二つとも、お
役所では決して「普通」のことではありません。
学校を訪問すると、時に、ジャージ姿の教師を見かけることがあります。それは、教師
の間では「普通」のことかも知れませんが、私からするとジャージ姿で執務しているよう
なもので、非常に違和感があります。保護者の中には、私と同じように感じている方も多
いのではないでしょうか。
更に申し上げれば、昨年の会計検査院の検査の結果、出勤簿の整理がきちんと出来てい
な い 学 校 が 沢 山 あ り ま し た 。 こ れ も 、「 朝 出 勤 し た ら 、 ま ず 出 勤 簿 に 押 印 す る 」 と い う 当
然のルールが行われていなかったということであり、そうした学校では、世間には通用し
ない「普通」がまかり通っていたということになります。
あるところでは「普通」のこととして通用することが他のところでは通用しないという
ことは少なくありませんが、それだけではなく、みんなが「普通」だと思っていること自
体が変だという場合があります。つまり、関係者全員がそのおかしさに気付いていないと
いうことです。そして、そのことに気付いた貴方は、周りから「お前は普通じゃない」と
いわれかねないのですが、逆に、周りからそういわれるような選択の方こそ、正しい場合
もあるでしょう。
こ の よ う に 、 一 口 に 「 普 通 」 と い っ て も 、 何 が 「 普 通 」 な の か 、 ま た 、「 普 通 」 で 良 い
のかは、所属する社会や組織、更には自分の人生経験などによっても異なるものです。
ですから、私は、投書の主である宮崎君には、世の中の「普通」といわれていることに
対して、自分の目、自分の耳で、それが本当に「普通」のことなのか否かを、よく見極め
て欲しいと思っているのです。
第315号
平成24年5月25日
平成の禁酒法?
福岡市長は、市職員による酒の上での不祥事が相次いでいることを受け、5月21日、
臨時の幹部会議を開き、職員に対して1ヵ月間自宅外での飲酒を禁ずる旨の通知を出しま
した。
早 速 市 民 の 間 か ら は 賛 否 両 論 の 意 見 が 寄 せ ら れ て い る よ う で す が 、 中 に は 、「 3 ヵ 月 位
禁酒すべき」とか「自宅での飲酒も禁止すべき」といった厳しい意見もあるようです。市
長 は 、「 飲 酒 を 規 制 す る 法 的 な 根 拠 が な い た め 要 請 に 止 め た が 、 外 出 先 な ど で の 飲 酒 が 発
覚すれば厳しい対応で臨む」としています。
福岡市では、2月に、酔った消防士が盗んだ車を運転したとして逮捕され懲戒免職とな
っています。また、4月には市立小学校の教頭が酒気帯び運転で摘発され、同じく懲戒免
職になっています。更に、今月18日には、酔った市職員2人がそれぞれ暴行と傷害容疑
で逮捕されるというように、飲酒に絡んだ不祥事が続いています。
これでは、市役所職員は相当弛んでいる、組織自体の緊張感が足りないといわれても致
し方ありませんし、市長ならずとも「酒を止めろ」といいたくなる気持ちは分かります。
この原因がどこにあるのかは定かでありませんが、少なくとも、職員の間に問題が共有
さ れ ず 、「 自 分 は 大 丈 夫 」 と い う 意 識 が 強 い の で は な い か と 思 わ れ ま す 。
今回の禁酒令は全職員が対象ですから、その意味では、全職員を捲き込んでしっかり出
直そうという市長の意思表示ともいえるでしょう。市長のその思いが、職員に浸透するこ
と を 祈 り た い と 思 っ て い ま す が 、市 民 か ら は 、市 長 の 方 針 に 賛 成 の 意 見 ば か り で な く 、
「市
長 の パ フ ォ ー マ ン ス 」 に 過 ぎ な い と か 「 や り す ぎ 」 と い っ た 批 判 や 、「 期 間 中 で も 、 飲 む
者は飲むだろう」と冷ややかに見ている人もいるようです。また、飲食店からは、損失は
50万円以上との嘆き節も聞こえています。
今回の禁酒令、果たして効果を上げることができるでしょうか。禁酒令は1ヵ月間限定
ですから、この間、酒の上での不祥事が起きないようにということであれば効果はあるか
も 知 れ ま せ ん 。た だ 、今 回 の 禁 酒 令 は 飲 酒 そ の も の を 禁 じ て い る わ け で は あ り ま せ ん か ら 、
職員が、市長の思いや危機感を共有し、自分の問題として受け止めない限り、のど元過ぎ
れば再び不祥事が発生するという恐れは否定できません。
今回の福岡市における禁酒令のニュースを見て、私はアメリカにおける国家禁酒法のこ
とを思い出しました。
アメリカでは、1919年から1933年までの14年間にわたり、国家禁酒法(ボル
ステット法)により、消費のためのアルコールの製造・販売・輸送が全面的に禁止されて
いました。この14年間は、アメリカの暗黒の時代といわれています。
面 白 い こ と に 、こ の 法 律 で は ア ル コ ー ル の 製 造 や 販 売 等 は 全 面 的 に 禁 止 さ れ て い ま す が 、
酒を飲むこと自体は禁止されていませんでした。つまり、今回の「禁酒令」と同様、自宅
で飲むことはオーケーということです。実際には、この法律を守ろうとする人は殆どおら
ず 、結 果 、闇 で 製 造 さ れ た ア ル コ ー ル が 闇 で 流 通 す る よ う に な り ま す 。ニ ュ ー ヨ ー ク で は 、
禁酒法の時代に闇酒場が3万軒から3万5千軒もあったといわれています。更に、この法
律はアメリカ以外では何の効力もありませんから、多くのアメリカ人が酒を求めて国境を
越えるようになりました。
また、闇に流れる金を巡ってギャングが横行し、犯罪も多発しました。この暗黒の時代
に我が物顔に振る舞ったのがアル・カポネです。その時代のことは「アンタッチャブル」
という映画でもリアルに描かれています。
如何に理想が高くても、余りに現実から乖離した法律や仕組みであれば、結局、国民か
らは守られることなく混乱を招くだけであることを、
「 国 家 禁 酒 法 」は よ く 示 し て い ま す 。
第316号
平成24年5月28日
天気晴朗なれども浪高し(1)
今から107年前(1905年)の5月27日から翌28日にかけて、日本海の対馬沖
では日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊による熾烈な戦いが繰り広げられました。
この戦闘において連合艦隊は、東郷長官の指揮の下ロシア艦隊を撃滅する一方、連合艦
隊の損害は極めて軽微という一方的な勝利を日本にもたらしました。後世、これを「日本
海 海 戦 」 と い い ま す が 、 こ の 戦 い に お け る 日 本 の 一 方 的 勝 利 は 、「 ポ ー ツ マ ス 講 和 会 議 」
への道を開くことになったという意味でも特筆すべきものです。
5 月 2 7 日 未 明 、九 州 西 方 海 域 に お い て 索 敵 し て い た 信 濃 丸 が バ ル チ ッ ク 艦 隊 を 発 見 し 、
旗艦三笠に対して「敵艦見ユ」と一報を入れます。
当時、バルチック艦隊がどのような航路をとってウラジオストクへ向かおうとしている
のかは、大問題でした。想定される航路は対馬海峡経由、津軽海峡経由、そして宗谷海峡
経由ですが、万が一、バルチック艦隊の捕捉に失敗し、そのままウラジオストクに入られ
た場合には制海権確保が困難になり、それは同時に、満州に展開する日本軍への物資輸送
にも困難を来たし、大陸での日本軍の敗北は必至でした。
ジリジリする時間が過ぎる中、遂に信濃丸からの一報によって、連合艦隊は対馬海峡で
敵を待ち受けることが出来たのですが、もしもバルチック艦隊の発見が1日遅れたら連合
艦隊は北海道に向かっていたかも知れず、その場合には日露戦争そのものの帰趨は全く違
ったものになった可能性があります。
信濃丸から一報を受けた三笠は、大本営に対し「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ
直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」と打電します。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」という一文は秋山参謀の筆になるもので、美文といわ
れ て い ま す が 、 こ の 一 文 に つ い て 、 作 家 の 司 馬 遼 太 郎 氏 は 、「 天 気 晴 朗 」 と い う の は 視 界
が 遠 く ま で 届 き 、敵 を 取 り 逃 が す こ と は な い と い う こ と を 濃 厚 に 暗 示 し て お り 、
「浪高シ」
という物理的状況は、射撃訓練の十分な日本側の方に利し、ロシアの軍艦において大いに
不 利 で あ る 。 従 っ て 、「 本 日 天 気 晴 朗 ナ レ ド モ 浪 高 シ 」 と い う 状 況 は 、「 き わ め て 我 が 方
に有利である」ということを、この一句で象徴したのである、と述べています(司馬遼太
郎 著 「 坂 の 上 の 雲 」 か ら )。
5時過ぎ、連合艦隊に出動命令が下され、遂に、バルチック艦隊との決戦の火蓋が切ら
れ ま す 。 こ の 時 、 旗 艦 三 笠 の 艦 上 に 掲 げ ら れ た の が 「 Z旗 」 で す 。 こ の 「 Z旗 」 は 、 イ ギ
リスのネルソン提督が1805年のトラファルガー海戦の時に初めて用いたと云われてお
り、日本海海戦においても、これに倣い掲揚したといわれています。
そ の 意 味 す る と こ ろ は 、「 皇 国 の 興 廃 此 の 一 戦 に 在 り 、 各 員 一 層 奮 励 努 力 せ よ 」 と い う
ものですが、まさに日本海海戦は、日露戦争の帰趨を決める極めて重要な一戦となったの
です。<続く>
第317号
平成24年5月29日
天気晴朗なれども浪高し(2)
もし日本が日露戦争に敗れれば、多額の賠償金を取られ、北海道もロシアのものとなる
かも知れず、国民は塗炭の苦しみに喘ぐ事になることは避けられず、日本にとっては、何
があっても負けられない戦いでした。しかし、当時の日露両国を比較すると、国土の面積
では56倍、人口では2倍、国家予算では8倍、更に常備兵力では15倍というように、
彼我の国力差は圧倒的でした。ですから、日本は極力ロシアとの戦争を避けるために努力
するのですが、それにもかかわらず小国日本がロシアという大国に戦いを挑んだ背景は、
何だったのでしょうか。
当時の世界情勢は、欧米列強が植民地の獲得競争に明け暮れ、中国はそれら諸外国に多
くの富と領土を簒奪されていました。日本にとっては、それを間近に見ながら如何に国家
として独立を維持するかが焦眉の急でした。しかし、日本は、開国してから50年、明治
政府が樹立して僅か40年という、誕生したての弱小国家であり、ようやく近代国家への
入口に足を踏み入れたに過ぎません。一方、極北の大国ロシアは不凍港の獲得を目指し南
下を続けていたのです。
日本は、日清戦争に勝利し下関条約により遼東半島の割譲を受けますが、これに対して
南下を目論むロシアはドイツ、フランスと共に遼東半島を清に返還するよう日本に圧力を
かけます。これが世にいう「三国干渉」ですが、ロシアは、日本が返還した遼東半島を中
国から租借し、そこに海軍基地を建設してしまいます。
更に、1900年、中国に義和団事件が起きると、日本・ロシア・イギリス・フランス
・アメリカなどが派兵し、これを鎮圧するのですが、ロシアは、事件が終結した後も大軍
を満州に駐屯させ、居座りを続けるだけでなく、朝鮮半島への進出をも目論み、日本への
圧力を日増しに強めていきます。
新興国日本にとって、超大国ロシアの南下は脅威であり、当時の日本においては、独立
と安全を守る為には朝鮮半島へのロシアの進出を阻止するという選択肢しかなかったのだ
と思います。
日露戦争は、朝鮮半島や満州を舞台に戦われましたので、中国や朝鮮半島の人々にとっ
ては、日本もロシアも共に侵略者ということになります。そして、その立場で歴史を見れ
ば、日本は自国の利益のために、ロシアと共に中国や朝鮮に多大の損害を与えたことはけ
しからんということになるでしょう。しかし、日本の歴史を日本の側から見れば、独立を
守るために止むを得ず超大国ロシアに戦いを挑んだ日本の姿が見えてくるのではないかと
思います。
当時ロシアは、小国日本など歯牙にもかけぬ勢いでした。恐らく、ロシア国内では、ロ
シアが日本と戦って負けることがあるなどと想像できたひとは皇帝ニコライ二世はじめ誰
もいなかったのではないかと思います。
一方、日本の側からすれば、如何に大国といえども陸軍の大半はヨーロッパに配置され
ており、満州に駐屯する軍隊となら十分戦える力があり、また、海軍についても、ロシア
は英仏に次ぐ海軍国ではありましたが、戦力を太平洋、バルト海、黒海の3つに分散して
いたため、太平洋艦隊とだけなら日本海軍は十分に勝算があったのです。
結果、日本は日露戦争で勝利を得ましたが、それは圧倒的な強さで勝利したものではあ
りません。確かに、日本海海戦では連合艦隊の一方的勝利に終わりましたが、大陸では戦
線 は 膠 着 し て い ま し た 。そ の ま ま 戦 い が 長 引 け ば 日 本 の 国 家 財 政 は 破 綻 し た こ と で し ょ う 。
従って、満州のロシア軍を完全に駆逐することなど不可能なことだったのです。
そうした中、当時の日本のリーダー達は戦争に勝つために脳漿を搾りました。
日英同盟を基軸に国際的な孤立を避けると共に、早期の戦争終結に向け、アメリカの理
解と協力を取り付け、更には、開戦当初から明石大佐を通じてロシアの革命勢力を資金援
助する等して、ロシア軍の後方をかく乱したこと等、当時のリーダー達は大きな戦略を描
きそれを実行していきます。
そして、203高地の激闘はじめ、日本海海戦など幾多の戦闘において、優れた戦術、
兵士の忍耐力と犠牲的精神を以って良く戦い、かつ、幾つかの僥倖が重なって日本軍はつ
いに勝利します。
しかし、この日露戦争の勝利という成功体験が、その後の日本の進路を誤らせ、悲惨な
結 果 を 招 く に 至 っ た こ と は 、歴 史 の 大 き な 教 訓 と し て 忘 れ て は な ら な い こ と だ と 思 い ま す 。
第318号
平成24年5月30日
就職難と自殺
警察庁の調査によると、昨年、大学生など150人が就活の悩みなどで自殺しており、
そ の 数 は 0 7 年 の 2.5倍 に 達 し て い る こ と が 分 か っ た と の こ と で す ( 5 月 8 日 付 読 売 新
聞 )。
そもそも、我が国は年間の自殺者が3万人を超えるという自殺大国で、こうした異常な
状態が1998年以来14年連続して続いています。
自殺の原因には、自身の病気や失業、事業の失敗、家庭内の不和等様々であり、自殺し
た人には、それぞれに止むに止まれぬものがあったに違いありません。しかし、どのよう
な 事 情 が あ っ た に せ よ 、自 殺 す る こ と 以 外 の 選 択 肢 を 見 つ け る こ と が 出 来 な か っ た こ と は 、
誠に残念に思います。
自殺するということは、これからの人生の全て、将来の可能性までも含めて全て断ち切
っ て し ま う こ と に な り ま す 。「 自 分 の 命 な の だ か ら 、 自 殺 し よ う と ど う し よ う と 勝 手 だ 」
と考えているとすれば、それは大いなる過ちです。我々は、人知の及ばざる力によって誕
生し、様々な人々の支えによって生きてきたのであり、決して自分の勝手にして良いとい
うものではありません。
特に、
「 就 職 に 失 敗 し た こ と が 理 由 で 自 殺 」と い う こ と を 聞 い て 、私 は 愕 然 と し ま し た 。
社会に巣立つ第一歩から躓くというのは、悔しいだけでなく、将来への不安も大きいと
思います。また、沢山の会社にエントリーしながら悉くはねつけられれば、自分の全て、
人格までもが否定されたかのように感じてしまうのも止むを得ません。
自殺を決意させるというのは、それだけ絶望が深いということでしょう。しかしそれで
も、あえて私は「就職に失敗した位で、何故自殺なんかするんだ!」と申し上げたいと思
います。
今 年 春 の 就 職 戦 線 は 、 一 区 切 り 付 き ま し た 。 結 果 は 、 大 卒 の 就 職 率 は 93.6% と 過 去 最
低 だ っ た 前 年 を 2.6ポ イ ン ト 上 回 っ て い ま す 。 ま た 、 高 卒 の 就 職 率 も 94.8% と 前 年 を 3.4
ポイント上回っています。このように、今年の就職率を見る限り、最悪の状況を脱したか
に見えます。にもかかわらず、就職に失敗して自殺する若者が増えているという現実は、
余りにも悲しい皮肉としかいいようがありません。
勿論、就職率が向上したとはいえ、就職できた若者達の中には、妥協して希望とは違う
選択をした人も多いと思います。また、正社員としてではなく、派遣職員や非正規の職員
として就職した人もいることでしょう。そういう意味では、若者達の就職戦線には依然と
して厳しいものがあります。
その一方では、就職難といわれていながら、中小企業では人材の確保が難しいという雇
用のミスマッチが起こっています。若い方達には、大企業に寄りかかって安定を求めるだ
けでなく、たとえ中小企業であっても、自分の力を活かすことによって、自分も会社も共
に成長を目指すという道もある、ということを分かって欲しいと思います。
「死ぬ気になれば何でもできるはずだ」等と軽々しくいうべきでないことは、分かって
いるつもりです。しかし、死ぬという重大な決断をする前に、一度立ち止まって考えて欲
しい。今までの選択の方向は適当だったか、これしかないと思っていた道が本当に自分に
とって相応しい道だったのかどうか、ということを。
先程、自殺をするというのは、それだけ絶望が深いからと申し上げましたが、東京大学
の玄田有史教授は「希望の作り方」という本の中で、絶望の反対語は希望ではなくユーモ
アだと思うと述べています。私たちは、良く若者に夢や希望を持てといいますが、何より
もまず、ユーモア精神を忘れるなというべきかも知れません。
そもそも人間は、
「 死 ん で 花 実 が 咲 く も の か 」で す 。生 き て い る か ら こ そ 悩 み も す る し 、
苦労もするのです。
就活で汗をかいている皆さん、そのご苦労は、生きている証拠です。諦めず頑張ってく
ださい。
第319号
平成24年5月31日
密議
関西電力大飯原発の再稼働を巡って、再稼働を急ぐ政府と反対の周辺自治体との間で、
議論が暗礁に乗り上げています。
政 府 は 、「 需 要 や コ ス ト を 勘 案 」 し て 再 稼 働 が 必 要 と 主 張 し て い ま す 。 ま た 、 原 発 が あ
る福井県は、再稼働に慎重ではありますが反対を鮮明にしているわけではありません。む
しろ、政府が責任を持って再稼働に向けた方針を示すことを求めています。一方、消費地
であり、かつ事故が発生した場合には影響を受けることが懸念される滋賀県や京都府等周
辺自治体は、国の安全基準に対しても不信感を抱いており、再稼働反対の姿勢を崩してい
ません。
原 発 を 再 稼 働 さ せ る か 否 か は 、原 発 の 安 全 性 に つ い て の 評 価 に よ っ て 判 断 す べ き で あ り 、
それが技術的、客観的に確認されれば、本来再稼働が可能なはずです。ところが、大飯原
発の再稼働に向けた議論が不透明で、先に進まないのは何故なのでしょうか。それは、一
言でいえば、政府の原発政策に対する国民の信頼感の喪失といって良いと思います。
福島第一原発事故後の政府の対応の拙さ、特に、国民、就中被災地の方々に適宜適切に
情報を提供するという、肝心要のことが十分なされていないことが、国民の政府への不信
を増幅させているのではないかと思われます。
こうした中で、内閣府の原子力委員会が核燃料サイクルの推進側だけを集め、20数回
にわたり秘密の勉強会を開いていたことが明らかとなりました。また、この勉強会には近
藤委員長も4回出席していたといわれ、事実上、この秘密の勉強会に一定のお墨付きを与
えていたといわれても致し方ないでしょう。
この20数回というのは、本来の担当として核燃料サイクルの問題を検討している小委
員会の審議の回数を上回っているということですから、原発推進に随分と入れ込んでいる
という感じがします。
特に、勉強会の中で核燃料サイクルの今後のあり方に関する小委員会の報告書原案が、
小委員会開催前にもかかわらず配付されたことは問題だと思います。
この件に関して、藤村官房長官は「専門的なデータや知見の提供を求める場だった。問
題 と は 思 わ な い 。」 と し て い ま す ( 5 月 2 6 日 付 朝 日 新 聞 )。 ま た 、 秘 密 の 勉 強 会 に 4 回
出席した近藤委員長も「挨拶しただけで問題ない。ただ資料の配付まではやり過ぎだっ
た 。」 と 述 べ て い る よ う で す が 、 そ う い う 問 題 で は な い で し ょ う 。
政府関係者は否定していますが、勉強会を通じて小委員会の報告書原案を推進派に有利
に働くよう書き換えた、という批判がでてくるのは、勉強会のメンバーの顔ぶれと、秘密
性の故でしょう。
出来うるかぎり客観的、科学的、専門的データ情報を収集することは必要である、とい
うのはその通りですが、それを何故推進派だけで、しかも秘密裏にする必要があるのでし
ょう。
原発推進派による密議は、勉強会と銘打ってはいますが、できるだけ国民に分からぬよ
うに、目に触れぬところで仲間が集まって対策を講じる謀議の場、そんな図にしか見えな
いのは誠に残念です。マスコミからも「原子力ムラ」と揶揄される所以です。
今こそ、日本の将来を見据え、しっかりとした政策議論をしなければなりません。政府
も原発推進派の方々も姑息な対応をせず、堂々と国民に説明すべきであり、また反対派の
方々も感情に流されず、その是非を考えるべきです。そして、そうした環境を作るために
は、政府に対する国民の信頼の再構築こそ急務であることを、特に申し上げたいと思いま
す。
第320号
平成24年6月1日
おいで、一緒に行こう
これは、福島第一原発事故によって飼い主と離れ離れになった犬や猫を保護する、ペッ
トレスキュー隊の活動を描いた本の題名です。
著者は作家の森絵都さんで、本の中に登場する人物はいずれも実名が使われており、文
字通りのノンフィクションです。
3月11日、あの東日本大震災、そして福島第一原発の事故によって、被災地では突然
人が消え、数多くのペットや、家畜が取り残されました。彼ら動物たちは、いったい何が
起こったのか分からず、ただ去っていった飼い主達を待つばかりの状況に追いやられてし
まったのです。
被災者の中には、車で逃げる時飼い犬がどこまでも追いかけてきて、スピードを上げて
振 り 切 っ て 逃 げ て 来 た と い う 人 が い ま す 。「 お い で 、 一 緒 に 行 こ う 」 と い う 本 を 読 ん で い
ると、彼らにはその時の記憶が心の奥底に哀しみの澱となって沈殿し、今なお苦しみ続け
ているのだということが分かります。
あの混乱した状況の中では、人間の安全確保が最優先されるのは当然です。そのことは
理屈では分かっていても、それで自分の心が癒やされるという訳ではないというのは、我
が家にも我が儘な同居人(愛犬)がいますので、良く理解できます。
かつて有珠山が噴火した際、私は現地対策本部で対策に当たっていたのですが、その折
りにも、避難が長引く中で、被災者からペットや家畜を助けたいという切実な声を多く聞
きました。被災者の中には、避難命令を無視してペットや家畜に餌をやるため自宅に戻る
人達も出てきて二次災害を心配したものです。
このように、災害が発生した場合、住民の安全だけではなく、人間と生活を共にしてき
た動物達をどう守るかは決して無視できない問題なのですが、現実には、今回の災害にお
いても、この問題は後回しにされたままになっています。
被災地では、多くの動物たちが、飼い主を待ち続けながら死んでいったと思われます。
しかし同時に、地元住民達が被災地圏内に残された動物を不憫がり、徒歩や自転車で餌や
りに通っている人がいるらしく、厳しい環境の中でも逞しく生き延びている犬や猫が沢山
いるという話を聞くと、少しはほっとします。
震 災 発 生 か ら 2 ヵ 月 程 経 っ た 頃 、 著 者 の 森 さ ん は 、「 被 災 地 の 犬 や 猫 た ち は ど う な っ た
のだろう。生きているのか死んでいるのか。水や餌はどうしているのか」が気になり、取
材を始めます。そうした折、福島でペットレスキューの活動をしている中山あきこさんを
知り、彼女に同行し、ほぼ半年余りにわたって密着取材することになります。
中山さん等のレスキュー隊は、災害発生の直後から犬や猫の救出活動に当たってきてお
り、福島第一原発から20キロ圏内への立ち入りの規制が始まった4月20日以降も、規
制区域内でレスキュー活動を続けています。
当然20キロ圏内への立ち入りは許されていませんので、検問の目を逃れ、時にはバリ
ケ ー ド を 動 か し 、 警 察 に 見 つ か れ ば 「 ご め ん な さ い 。 す ぐ に 出 ま す 。」 と 謝 り 、 進 入 路 は
ごまかす。という訳で、悪いことをやっているわけではないのにどこか後ろめたさを感じ
ながら活動をしている、というのが実態のようです。
勿論、行政もペットの問題について手を拱いていたわけではないようで、福島県は、3
月11日から4月27日にかけて20キロ圏内のペットの実態調査と保護活動を実施した
そうですが、著者の森さんは、その際福島県が保護したのが犬8頭という少なさに驚いて
います。早い段階から、行政が愛護団体等と連携して対応すれば、より多くの命を救えた
のではないかと思われます。
森 さ ん は 著 書 の 中 で 、「 行 政 は 、 被 災 者 に ペ ッ ト を 置 い て 行 け と 強 い た の な ら 、 事 態 が
ある程度収束したら、ペットを救う助成ぐらいはすべきではないか」という一被災者の声
を載せていますが、これは被災者の率直な感想といって良いでしょう。
被災者は、少し落ち着くと残してきたペットのことが心配になり、ペットレスキュー隊
に救助を求めてくるそうですが、レスキュー隊自体、人手も犬猫の預かり先も不足してい
るのが現状といわれています。それでも、中山さん等レスキュー隊の人達が福島に行くの
は 何 故 な の か 。 著 者 の 森 さ ん は 、「 ペ ッ ト を 失 っ た 飼 い 主 の た め 、 ペ ッ ト 自 身 の た め 、 そ
して恐らく彼女自身の止むにやまれぬ性分にもよる」と書いていますが、その止むにやま
れぬ思いは著者自身のものでもあったのではないでしょうか。
ま た 、 森 さ ん は 、「 行 く 度 に 状 況 は 悪 く な っ て い る の に 、 過 去 と し て し か 伝 え ら れ な い
無力感があった」とも書いています。しかし、誰かが語らねば何も伝わりません。森さん
には、これからも現代の語り部として、書き続け、伝え続けてくれることを期待していま
す。
第321号
平成24年6月3日
生活保護と扶養義務
先日、お笑いタレントの河本準一さんが、高額所得があるにもかかわらず母親が生活保
護を受けていたという報道があって以来、生活保護を巡る議論が活発になっています。
この件について、当事者の河本さんは記者会見を開き、認識の甘さを謝罪すると共に保
護費の一部返納を表明しましたが、生活保護制度見直しに向けた議論は納まる気配はあり
ません。
一連の経過は、報道などによると、河本さんが病気で働けなくなった14、15年前か
ら、母親が生活保護を受けるようになったといいます。仕事がなかった当時の河本さんに
は、母親を扶養する力がなかっただろうことは容易に想像できます。しかし、その後テレ
ビ番組に出演するなど知名度も上がり収入も増え、福祉事務所側からも母親の援助ができ
ないか打診があったようですが、結局、今年の4月に母親が申し出るまで、生活保護費が
支給されていました。
この件については、4月発売の女性向けの雑誌にスクープされるや、他の雑誌やネット
上 で も こ の 問 題 が 取 り 上 げ ら れ 、河 本 さ ん へ の 批 判 が ヒ ー ト ア ッ プ し て い き ま す 。更 に は 、
国会でもこの問題が取り上げられるなど波紋が広がり、ついに河本さんの謝罪会見となっ
たものです。
河 本 さ ん へ の 批 判 の 論 点 は シ ン プ ル で 、「 年 収 5 千 万 円 の タ レ ン ト の 母 親 が 生 活 保 護 を
受けていて良いのか」ということに尽きます。
一連の騒動については、河本さんが人気タレントだったため、生活保護見直しのスケー
プゴートにされたのではないかという意見もあるようですが、今回の件が、生活保護のあ
り方そのものに一石を投じたことは間違いありません。
生活保護制度は、生活困窮者にとって、憲法で保障された最低生活を維持するための最
後の手段です。最後の手段である以上、生活保護受給者自身、少しでも早く生活の自立に
向けた努力が求められるはずです。それでもなお支援を必要とする人に、しっかりとした
支援の手を差し延べてこそ、生活保護制度の趣旨は活かされるといえましょう。
現実に、生活保護費の不正受給が問題となる一方、生活保護を受けて当然の思われる生
活困窮者が、何ら必要な支援を受けられず餓死するという事件が起きており、行政の対応
が批判されてもいます。こうした中、明らかに母親を扶養するだけの十分な所得がありそ
う な の に 、「 も ら え る も の な ら 、 も ら っ て お け ば 良 い 」 と い う 河 本 さ ん の 姿 勢 は 生 活 保 護
制度の根幹を揺るがしかねませんし、そこに批判が集中したことは、気の毒ではあります
が、止むを得ないと思います。
扶養義務に関しては、民法上「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければな
ら な い ( 7 3 0 条 )」 と 規 定 さ れ て い ま す の で 、 保 護 の 申 請 が あ る と 、 福 祉 事 務 所 で は 親
子や兄弟姉妹等に年収や生活援助の可能性について照会することになります。ただ、回答
は自己申告で、それが正確なものか否かを把握することは困難というのが実態です。
また、扶養義務といっても、民法が出来た時代と今とでは家族関係が大きく変わってき
ていますし、経済環境も厳しいものがありますから、たとえ親子や兄弟姉妹だからといっ
て画一的に扶養義務を果たすよう求めることは、困難だと思われます。
今や生活保護受給者は、205万人を超え過去最高となり、生活保護費も3兆7千億円
に達しています。こうした中、不正受給は後を絶たず、2010年度は130億円といわ
れており、生活保護制度の運用の厳格化は避けられない問題となっています。
厚生労働省の社会保障審議会では支給水準の妥当性について検証を進めていますし、小
宮山大臣は、親族が扶養義務を果たせない場合、説明責任を義務付ける法改正を検討する
としていますが、いずれにせよ、生活保護が「最後の安全網」という本来の趣旨が十分機
能するよう、少なくとも、本当に支援を必要とする人に光が当たるような仕組みとなるよ
うに、慎重な議論を望みたいと思います。
第322号
平成24年6月5日
教師でいること
一人の男性教師の任用上の扱いが、物議をかもしています。この教師は、日高管内浦河
町の中学校の教師で、昨年12月、女子高校生のスカートの中を盗撮しようとして現行犯
逮捕され、道迷惑防止条例違反の罪で罰金刑を受けています。
北海道教育委員会では、この刑事処分を踏まえ、今年3月28日付けで停職2か月の処
分を行ったものですが、この教諭は処分後も退職せず、5月29日に元の職場に復職しま
した。
今回のように、破廉恥な事件で停職処分という重い処分を受けた教師が、処分後もその
まま学校に復帰するというのは私も聞いたことがありません。
北海道教育大学釧路校の広田准教授は「教員が処分を受けた後に復職の権利はある(5
月 3 0 日 付 道 新 )。」 と 述 べ て お ら れ る よ う に 、 職 員 の 非 違 行 為 に 対 し て 一 定 の 懲 戒 処 分
が行われれば、それでその非違行為については一定の決着が付いたことになりますから、
その後は、処分を受けた案件で再度処分が行われる事はありません。これを一事不再理と
いい、処分後に退職を強要されれば二重処分との批判も招きかねません。しかしながら、
事 故 者 が 教 師 の 場 合 、「 復 職 の 権 利 が あ る 」 と い う だ け で は 問 題 は 解 決 し ま せ ん し 、 単 純
に元の職場に戻るということも難しいことは、現実がよく示しています。
何故なら、不祥事の事実は消えてなくなりませんし、一度失われた信頼を取り戻すこと
は極めて難しいからです。
今回の件について、当事者である男性教師は「復帰へのハードルは低くはないと思って
い た が 、 教 師 を 続 け た い ( 5 月 3 0 日 付 道 新 )。」 と 話 し て い る よ う で す が 、 厳 し く 申 し
上げれば、こうした考えの甘さが不祥事を引き起こすのだと思います。
教育は、教える者と教えられる者との間に一定の信頼関係がなければ成立しません。信
頼 関 係 は 、 単 に 好 き 嫌 い と い う こ と で は な く 、 少 な く と も 、「 こ の 先 生 の 話 に は 耳 を 傾 け
なければいけないな」と感じさせる程の師弟の関係が成立していなければ、教育などとい
うものは出来るはずもありません。
今回の男性教師は、復職後、一体子ども達とどのように向き合い、何を教えるつもりだ
ったのでしょうか。子ども達に、社会のルールを守れとは恥ずかしくて教えられないし、
子ども達もまともに聞いてくれないという関係になってしまっては、教師は続けられない
と考えるのが自然ではないでしょうか。
浦河町教育委員会と中学校側では、復職前に男性教師に「生徒や保護者の気持ちを考え
れば教壇には立たせられない」と伝えると共に、日高教育局に対して、学校以外の施設に
復職させるよう要望したそうですが、同教育局からは「制度上、教育職と事務職では身分
が違い難しい」との回答があったそうです。
このため、同中学校では、5月25日の夜、保護者説明会を開いたところ、保護者から
「何故この学校に復帰させるのか」といった疑問の声が相次ぎ、最終的に、北海道教育委
員会では人事異動を検討することになったようです。
不祥事を起こした職員が、処分後に同じ職場に復帰させるか否かは、その職員の位置付
けや不祥事の中身によって一様ではありません。今回のように破廉恥な問題を起こし停職
処 分 に な っ た 教 師 の 場 合 、 保 護 者 に し て み れ ば 、「 自 分 達 の 子 ど も に 対 し て 再 び 同 じ よ う
な問題を起こすのではないか」と懸念するのは自然なことであり、復帰に反対の声が出る
ことは容易に想像できたはずです。
教育局は、型どおりの対応をしたのでしょうが、例えば、復職した日と同日付で異動を
か け る こ と に す れ ば 、同 じ 職 場 に 復 帰 す る と い う 事 態 は 事 実 上 避 け ら れ た は ず で す 。ま た 、
学校以外の職場はないわけではありませんし、現在検討されているように研究機関に配属
して再教育するという選択もあり得たでしょう。
少なくとも、今回のように問題が沸騰してから対処するというやり方は、決して生産的
ではありません。
第323号
平成24年6月6日
8020
今 週 の 6 月 4 日 か ら 1 0 日 は 、「 歯 の 衛 生 週 間 」 で す 。
ところで、皆さんは「8020」運動というのをご存じですか。この運動は、80歳に
なっても自分の歯を20本は残そうというものです。
私は歯(歯だけではありませんが)は残念ながら弱い方で、部分入れ歯のお世話になっ
ていますが、何とか自分の歯を20本というのはクリアしています。
若い頃は、いよいよどうしようもなくなってから歯医者さんのところに行って、結局歯
を抜かれてしまうことが一度ならずありました。痛い思いを何度もしているはずなのに、
どういう訳か歯医者さんにはなかなか足が向きません。それでも最近は、若い頃の姿勢を
反省して、定期的に歯医者に出かけ(歯医者から催促の葉書が来るからですが)チェック
してもらっています。
年 齢 の 「 齢 」 と い う 字 に は 、「 歯 」 と い う 字 が 使 わ れ て い る こ と で も 分 か る よ う に 、 昔
の人は、人間はじめ動物の寿命に「歯」が深く関わっているということを良く知っていた
のですね。
野生の動物は、歯がなくなれば死ぬしかありません。それは人間だって同じで、歯がな
くなれば健康に生活することは難しくなります。年をとったら食べることだけが楽しみな
んていう人がいますが、それが出来るのも「歯があればこそ」でしょう。
さて、これからが本題ですが、文部科学省の調査によると、12歳の永久歯の1人当た
り 虫 歯 の 本 数 を 調 査 し た と こ ろ 、 平 成 2 3 年 度 は 全 国 平 均 1.2本 に 対 し て 北 海 道 は 2.3本
と 沖 縄 県 の 2.6本 に 次 い で ワ ー ス ト 2 と い う 状 況 に な っ て い ま す 。 全 国 的 に は 、 虫 歯 の 本
数は減る傾向にありますが、北海道の場合は横ばいという状況で推移しています。北海道
と 沖 縄 県 が ワ ー ス ト 1位 、 2 位 を 争 う と い う の は 、 学 力 調 査 と 似 て い ま す ね 。 余 り 感 心 し
ませんが。
他都府県と比較して北海道の子どもに虫歯が多いのは、生活習慣や食生活等の影響が大
きいと思われますが、それだけでなく、各県との虫歯予防の取組の違いが大きいと思われ
ます。
現 在 、虫 歯 予 防 に は「 フ ッ 化 物 洗 口 」と い う 方 法 が 非 常 に 効 果 が あ る と い わ れ て い ま す 。
この「フッ化物洗口」というのは、低濃度のフッ化物水溶液で口をすすぐと、歯を構成す
るミネラルが歯に戻る「再石灰化」を促す効果があるといわれており、学校内で定期的に
行うことにより、各家庭での食習慣や歯磨きの習慣にかかわらず虫歯予防の効果があると
されています。事実、全国トップとなった新潟県はじめ上位県では、いずれも学校単位で
「フッ化物洗口」を行って効果を上げています。これに対して、北海道では、各学校にお
け る 取 組 は 必 ず し も 進 ん で い る と は い え ま せ ん 。そ れ は 、各 学 校 に お け る「 フ ッ 化 物 洗 口 」
に対する理解の不足ということ以上に、中毒等のリスクや教師の負担に対する抵抗感が依
然としてあるということではないかと思います。
確かに、濃度が高い溶液だと中毒を起こす恐れがありますが、管理を適切に行えばそう
したリスクは避けられますし、実際「フッ化物洗口」で事故が起こったという話は聞きま
せん。
ま た 、「 フ ッ 化 物 洗 口 」 を 学 校 ぐ る み で 実 施 す る と い う こ と に な れ ば 、 教 師 の 皆 さ ん に
新たな負担がかかるといいますが、それは工夫次第で解決できるはずです。
北 海 道 教 育 委 員 会 で は 、「 フ ッ 化 物 洗 口 」 を 普 及 促 進 す る と し て い ま す が 、 市 町 村 教 育
委員会や学校現場の理解と協力がなければ実効性は上がりません。
人が生涯にわたって健康に生活するためにも、国民病ともいわれる虫歯を子どもの段階
で予防することは非常に重要です。この事を分かっていながら、教師の負担やリスクを理
由にして、学校としてなし得る努力をしないというのは、怠慢といわざるを得ません。
第324号
平成24年6月7日
「免職」は重すぎる?
三笠市役所の職員時代に、酒気帯び運転を理由として懲戒免職された20代の男性が、
処分の取り消しを求めて市の公平委員会に申し立てを行ったとの記事を目にしました。
飲酒運転に対する処分基準は、2006年に福岡市職員が飲酒運転により幼児3人を死
亡させた事故以来、厳罰化の傾向にありました。しかしその後、飲酒運転で免職となった
公務員が処分取り消しを求めた裁判で自治体側が敗れるケースが全国で相次いでおり、三
重県や佐賀県などでは自治体側が敗訴し確定しています。申し立てを行った職員は、公平
委員会で自分の申し立てが認められない場合は裁判を起こすとしていますが、恐らく最近
の裁判の動向を見て、あわよくば自分も復職できるのではないかと考えたのだろうと思い
ます。
懲戒免職の原因となった事件は、今年の4月、自宅で飲酒した後自家用車で外出し、岩
見沢市内で自損事故を起こし、酒気帯び運転の疑いで現行犯逮捕されています。
三 笠 市 で は 、「 職 員 の 酒 気 帯 び 運 転 の 場 合 は 、 免 職 、 停 職 、 減 給 の い ず れ か と す る 」 と
していますが、本件の事案について、市では「職員全体の信用を著しく傷つけた」として
事故を起こした職員を免職にしたものです。これに対して、当該職員は「自損事故のみで
の免職は重すぎる」として公平委員会に申し立てをしたというのが、一連の経緯です。
現在、道内においても処分基準の見直しの動きが出てきており、三笠市の判断が注目さ
れるところです。
こ の 通 信 を ご 覧 に な っ て い る 方 の 中 で も 、 免 職 処 分 は 「 厳 し 過 ぎ る 」、「 厳 し く て 当 然 」
な ど 様 々 な ご 意 見 が あ る と 思 い ま す が 、 私 自 身 は 、 飲 酒 運 転 は 「 悪 意 を 以 っ て 」、 つ ま り
「やる気でやった」非常に悪質な行為であり、懲戒免職は至極当然だという立場を取って
います。
一方、こうした考え方に対して、NPO自治体政策研究所の森啓理事長は「飲酒運転で
刑事罰を受ける職員に、行政が追い打ちをかけるように免職や停職などとするのは問題が
あ る 。厳 正 な 処 分 は 、不 正 や 怠 慢 な ど 職 務 に 関 し て 定 め ら れ る べ き だ( 6 月 5日 付 道 新 )」
と指摘されていますので、この問題についてもう少し考えてみたいと思います。
まず、森理事長のいい方に従うなら、刑事罰を受けた場合には、市としては免職などの
重たい処分が出来ないことになってしまいます。本来は、刑事罰と行政処分は別物で、刑
事罰を受けたら行政処分は行わないとか軽くするなどということは、有り得ないのではな
いでしょうか。
ま た 、「 厳 正 な 処 分 は 職 務 に 関 し た も の に す べ き 」 と い う の も 理 解 し 難 い と こ ろ で す 。
公 務 員 に は 、「 職 務 上 の 義 務 」 の 他 に 「 身 分 上 の 義 務 」 が あ り 、 仮 に 職 務 と 直 接 関 係 が な
い行為であっても、地域住民の行政に対する信頼、あるいは公務員に対する信頼を損なう
行為を行った場合、懲戒処分の対象となるのは至極当然のことです。
処分の中でも「免職」は、経済的にも社会的にも不利益が大きい処分です。このため、
飲 酒 運 転 を し た と い う 行 為 と 被 処 分 者 の 不 利 益 を 天 秤 に か け 、「 免 職 」 は 厳 し 過 ぎ る と い
う 考 え 方 も 出 て く る の だ と 思 い ま す 。 し か し 、 件 の 職 員 は 、「 飲 酒 運 転 を 行 え ば 免 職 」 と
なることは知っていたはずであり、知っていて飲酒運転をした以上、今更、厳しい処分に
文句をつける筋合いではなかろうと考えます。
「 飲 酒 運 転 」に よ る 交 通 事 故 は 依 然 と し て 後 を 絶 た ず 、大 き な 社 会 問 題 と な っ て い ま す 。
このため、いずれの自治体においても、市民を巻き込み「飲酒運転撲滅」に取り組んでい
ます。こうした最中に、市民に範を示すべき市職員自らが、市の方針に反して飲酒運転を
し、しかもその行為に対して市が毅然とした措置を講じないということになれば、市民の
市政に対する信頼を大きく失墜させることになるでしょう。私は、その事を恐れます。
公務員の皆さんは、公務員という職業を選択した以上、仕事中はもとより、仕事を離れ
たところでも、より高い規範意識が求められているのだということを、自覚して頂きたい
と思います。
第325号
平成24年6月8日
この大いなる平和
昨 日 、 何 の 気 な し に テ レ ビ の ス イ ッ チ を 入 れ る と AKB4 8 の 選 抜 総 選 挙 の 模 様 が 実 況
中継されており、大変驚きました。
い く ら 芸 能 音 痴 の 私 で も 、 AKB4 8 の 名 前 ぐ ら い は 知 っ て い ま す し 、 フ ァ ン に よ る 人
気投票が行われるということも承知していますが、これ程の熱気とは想像外であり、いさ
さか複雑な心境です。
今 の 社 会 状 況 に 目 を や れ ば 、 消 費 税 増 税 や 年 金 の 一 体 改 革 の 問 題 、 TPPや 沖 縄 の 普 天
間基地等を巡る外交問題、一向に先の見えない構造的不況等々国内外が揺れている状況に
あり、そうした中で、一芸能グループのファンの人気投票がまるで国政選挙のように実況
中継されることに、一瞬の戸惑いと違和感を覚えたというのが率直な感想です。
勿 論 、 若 い 方 々 を 中 心 に そ れ だ け AKB4 8 の 選 抜 総 選 挙 は 関 心 が 高 い と い う こ と で も
あり、報道関係者からすれば、視聴率を取れる絶好の機会ですから実況中継するのは当然
でしょうし、そうそう目くじら立てる程のことではないという声があることも想像に難く
あ り ま せ ん 。私 も 、目 く じ ら 立 て て い る 訳 で は あ り ま せ ん が 、つ く づ く「 日 本 は 平 和 だ な 」
と思ってしまいます。
AKB4 8 の 生 み の 親 は 秋 元 康 さ ん で す が 、 AKB4 8 の 今 の 人 気 は 、 彼 の 才 能 と 戦 略 に
負うところが大でしょう。
AKB4 8 は 、 当 初 か ら 今 の よ う な 人 気 を 得 て い た わ け で は あ り ま せ ん 。 東 京 の 秋 葉 原
に あ る 「 AKB4 8 劇 場 」 が オ ー プ ン し た て の 頃 は 、 2 5 0 人 入 る 劇 場 に お 客 さ ん が 7 ~
8 人 と い う 状 況 で あ り 、「 い つ か 劇 場 が 満 員 に な っ た ら い い ね 」 と い う と こ ろ か ら ス タ ー
トしたそうです。
AKB4 8 の 選 抜 総 選 挙 は 、 ニ ュ ー シ ン グ ル に 参 加 す る メ ン バ ー を 選 抜 す る た め の 、 フ
ァンによる人気投票であり、ファンにとっては、自分がスターを育てるといったような感
覚 に な る か も 知 れ な い と 思 い ま す 。 ま た 、 投 票 資 格 は 、 シ ン グ ル CDの 購 入 者 や フ ァ ン ク
ラ ブ 会 員 等 に 与 え ら れ る こ と に な っ て い ま す か ら 、 こ の 総 選 挙 は 、 CDの 売 上 や フ ァ ン の
獲得に大きく貢献することになり、一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなっているようで
す。
AKB4 8 は 、 当 初 か ら フ ァ ン を 大 事 に し 、 フ ァ ン の 声 を 取 り 入 れ な が ら 成 長 し 、 進 化
してきたといえます。過去、国民的アイドルと称される芸能人は沢山おりますが、これ程
ア イ ド ル と フ ァ ン と の 距 離 が 近 い と い う の は な か っ た の で は な い か と 思 い ま す 。で す か ら 、
たとえそれが秋元さん等の戦略、戦術の結果であるとしても、ファンの皆さんが熱狂する
のは分かる気がします。
とはいえ、私が気になるのは、若者達のエネルギーの矛先です。今の日本は、若者達を
取り巻く環境が非常に厳しく、展望も開けないという、気分的には閉塞感が漂っている状
況にあるにもかかわらず、若者達のエネルギーが社会の変革を求める方向に必ずしも働い
ていません。若者達と一括りでいっては問題があるとは思いますが、日本の将来より自分
の明日を考える、そういう若者が増えているように感じます。
社会が混乱するような形で若者達のエネルギーが爆発することは決して好ましい事では
あ り ま せ ん が 、 AKB4 8 の 選 抜 総 選 挙 に 熱 狂 し て い る 若 者 達 を 見 る と 、 や っ ぱ り 日 本 は
平和なのだと嘆息してしまうのです。
第326号
平成24年6月11日
髭の殿下
「髭の殿下」こと三笠宮寛仁様は、去る6日逝去されました。享年66歳、人生80年
時代を迎えた中では、早すぎる死といえましょう。
殿下は、昭和21年1月5日、三笠宮家の長男として誕生され、大正天皇の孫、天皇陛
下の従兄弟に当たられます。
また、殿下は、平成3年に食道がんの手術をお受けになって以来、喉にできたがんのた
め、これまでに16回の手術や治療を受けてこられました。更に、平成20年の手術によ
って声を出すことができなくなり、人工喉頭と呼ばれる器具を使用して会話をされるよう
になっていました。
この他、アルコール依存症や不整脈の治療のためたびたび入院されており、文字通り満
身創痍といった状態でした。
殿下は、元々大変なスポーツマンで、スポーツ振興にも積極的に取り組まれました。道
内で開かれたスキー大会にも数多く参加されており、北海道との縁の深い皇族のお一人で
す。
報道でも色々な方がお話になっていますが、大変明るく、非常に気さくな方だったよう
で、私も殿下にお目に掛かった経験から、同じように感じています。
私が殿下にお会いしたのは、教育長をしていた時だったように記憶しています。殿下が
宮 様 ス キ ー 大 会 の 関 連 で 来 道 さ れ 、歓 迎 の 夕 べ を 開 い た 際 お 目 に 掛 か る こ と が 出 来 ま し た 。
殿下のご挨拶は、なかなか軽妙で、ウイットに富んだお話をされたのがとても印象的で
した。
また殿下は、みずからを「福祉の現場監督」と呼び、福祉団体の会長として障がい者の
自立を支援したり、障がい者のスキーの指導に当たったりするなど、障がい者の福祉にも
積極的に取り組んで来られました。
去年5月には、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県を訪れ被災した人たちを励ま
すなど、精力的に公務を続けてこられました。
殿下は、天皇陛下と同様、国民に寄り添うお気持ちが大変強かったと拝察しており、そ
の意味でも、私は、殿下の死を大変残念に思っています。
殿下には、まだまだやり残したことが沢山お有りだったに違いありません。特に、皇室
の行く末には、殊の外思いがお有りだったのではないでしょうか。最近では、皇位継承の
あ り 方 を め ぐ り 、 積 極 的 に ご 発 言 な さ っ て い ま す が 、 そ の ご 主 旨 と す る と こ ろ は 、「 初 代
の神武天皇から連綿と男系が続いているからこそ皇統は貴重なのであり、男系天皇の維持
を 図 る べ き で あ る 。」 と い う も の で あ り 、 私 も 個 人 的 に は そ の お 考 え に 共 感 し て い ま す 。
スポーツマンだった殿下が、後半生は病魔との壮絶な闘いに明け暮れる日々となりまし
たが、それを支えたのは、スポーツによって鍛えられた精神力と共に、皇室を支えるとい
う強い意志のせいだったのかも知れません。
皇 室 は ま た 1人 、 大 切 な 方 を 失 い ま し た 。
心より殿下のご冥福を祈ります。
第327号
平成24年6月12日
トリアージ
皆さんは、トリアージという言葉を聞いたことがあると思います。
こ の ト リ ア ー ジ ( triage) と い う の は 、 1 9 9 5 年 に 発 生 し た 阪 神 ・ 淡 路 大 震 災 で 我 が
国でも広く知られるようになりましたが、大きな災害や事故などにおいて多数の負傷者が
発生した際、医師や救急隊員が治療の優先順位を付ける行為をいいます。
救急患者が同時に多数発生した場合、できる限り多くの人命を救うには医療施設や医師
など医療関係者、医薬品などの医療資源を効率的に配分する必要があります。トリアージ
は、医師が、負傷者を短時間で
①
最優先治療者
②
非緊急治療
③
軽処置
④
不処置群
に 振 り 分 け 、荷 札 の よ う な ト リ ア ー ジ タ ッ グ を 次 々 に 患 者 の 手 首 や 足 首 に 付 け て い き ま す 。
タッグには名前や年齢、血液型、簡単な症状を記入すると共に、多くの医療関係者が一目
でわかるよう、赤、黄、緑、黒のカラー表示をするのが一般的とされています。黒は、殆
ど死亡状態か救命不能の状態にある重症患者で、黒のタッグが付けられた患者の措置は後
回しにされることになります。
ある対策を講じる場合に、緊急性や事態の深刻さ等に応じて優先順位を決めるという行
為は、医療行為におけるトリアージに止まりません。
例えば、現在、国会などで大きな問題となっている大飯原発の再稼働や消費税増税につ
いても、政府において、様々な条件の下で選択され、優先順位を付けられて打ち出された
ものです。
トリアージという行為における一番の難しさは、短時間の間に優先順位を決めなければ
ならないということでしょう。
医師は、患者の命に関わる選択をし、政府、政治家は国民や国家の将来に関わる大きな
選択をしているのであり、その責任は誠に重大です。
さて、今や、大飯原発の再稼働と消費税増税の議論は、佳境に入ってきました。特に、
大飯原発の再稼働は既定事実の様になってきており、今週中にも再稼働が決定されそうな
状況になっています。また、消費税の増税についても、政府の考えを聞いていると、増税
は必然であり、他の選択肢がないように見えます。
政府が、大飯原子力発電所の再稼働と消費税の増税の為に、形振り構わず突き進んでい
るように見えるのは、果たして私だけでしょうか。
上述の二つの政策課題は、いずれも日本の将来にとって極めて重要なものであり、問題
の先送りは当然許されませんが、しかし、検討は慎重であるべきです。
大飯原発に関していえば、原発の安全性に対する国民の信頼が失われていることが、最
大の課題なのです。
福島第一原発の事故原因の究明も終わっておらず、原子力安全・保安院がまとめた安全
基 準 自 体 も 暫 定 的 な も の に 過 ぎ な い 中 で 、「 全 電 源 が 失 わ れ る 事 態 で も 炉 心 損 傷 に 至 ら な
い」といくら総理大臣が説明しても、それだけでは国民の納得を得るのは難しいのではな
いかと思われます。
また、消費税増税についても、国の財政状況や、医療・年金制度の維持のために増税は
避 け て 通 れ な い と い う こ と は 、国 民 の 多 く は 認 識 し て い る と 思 い ま す が 、た だ 、そ の 前 に 、
やることがあるのではないかというのが、共通の思いではないでしょうか。
議員の削減など国会改革、公務員制度の改革、年金・医療制度の改革、更には歳出の見
直しなどやるべき事が山積している中で、これらの課題を積み残したまま増税に向けて走
っている事に国民は厳しい目を注いでいます。
まさに、政府における政策のトリアージが問われています。
ちなみに、毎日新聞による世論調査(6月2日、3日)の結果によると、大飯原子力発
電 所 の 再 稼 働 に 関 す る 質 問 に つ い て「 急 ぐ 必 要 は な い 」と 答 え た 人 は 7 1 % に 達 し て お り 、
「急ぐべきだ」の23%を大きく上回っています。
また、消費税引き上げに関する質問について、消費税を2014年4月に8%、201
5 年 1 0 月 に 1 0 % に 引 き 上 げ る 政 府 案 に 対 し 、「 賛 成 」 と の 回 答 は 3 6 % に と ど ま り 、
「反対」が57%に上っています。
世論調査に引き摺られて何も決められないのは最悪ですが、国民の不安や懸念に丁寧に
対応し、説明責任を果たす努力が求められています。
第328号
平成24年6月13日
パソコン時代の終焉(1)
ア イ フ ォ ー ン や ア イ パ ッ ド を 開 発 し た ス テ ィ ー ブ ・ ジ ョ ブ ズ 氏 は 、「 パ ソ コ ン 時 代 に 終
止 符 を 打 っ た 男 」 と い っ て 良 い で し ょ う 。 何 故 な ら 、「 ポ ス ト PC時 代 の 到 来 」 は 、 ジ ョ ブ
ズ氏自身が予言していたことだからです。
ジョブズ氏が亡くなったのは昨年の10月5日のことですから、早いもので、もう8ヵ
月にもなります。
ジョブズ氏といえばアップルを興し、
1984年に現在のパソコンの原型とされるマッキントッシュを発売、
2001年にはアイポッド、
2007年にはアイフォーン、
2010年にはタブレット端末アイパッドと、
次々に多くの新しい製品やサービスを世に送り出し、しかも、いずれも大ヒットさせてい
ます。
パソコンを初めて手にした時の驚きは、忘れられません。そして、パソコンの登場は、
我々の生活スタイルを大きく変化させてきました。インターネットを通じて、様々な情報
を容易に手にすることが出来るようになりましたし、居ながらにして買い物したり、飛行
機の予約をしたりと、非常に便利にもなりました。また、メールのやり取りで、瞬時に数
多くの人達とコミュニケーションを取ることが出来るようになりました。
パ ソ コ ン が な け れ ば 夜 も 日 も 明 け ぬ 、仕 事 も 生 活 も 出 来 な い 様 な 状 況 に な っ て い ま す が 、
しかし、ジョブズ氏が開発したアイフォーンやアイパッドの登場によって、今や、そのパ
ソコンを使わなくてもパソコンとほぼ同じ事ができるようになりました。まさに、ジョブ
ズ氏が予言したとおり、パソコンの時代からスマートフォンの時代に突入したといえるで
しょう。
ジョブズ氏が亡くなった時、世界中の人々が彼の死を惜しみ悲しみました。1人の経済
人の死が、これ程世界の人々に衝撃を与え、涙させたのは珍しいことだと思います。
ジョブズ氏は毀誉褒貶の激しい人だったようです。彼の才能に引き寄せられた人が沢山
いる反面、彼の思いが理解されず離れていった人達も少なくありません。
彼は、1985年に一旦アップルから追放されてしまいます。しかし、12年後の19
97年には再びアップルに呼び戻されたことでも分かるように、彼が提案してきた新しい
生活スタイルは時代を先取りするものであり、時代が彼を必要としていたということだと
思います。
私 は 、 IT技 術 や IT産 業 に つ い て 門 外 漢 で す の で 、 そ う し た 観 点 か ら 彼 の 業 績 に つ い て 語
る術はありませんが、ジョブズ氏の残した言葉からは、彼の独創性が単に天才的な才能の
閃きだけではなく、モノ作りへの執念や真摯な姿勢、そして、大変な努力の積み重ねの中
から生み出されたものであるということを理解することができます。
そ れ を 、「 ス テ ィ ー ブ ・ ジ ョ ブ ズ 全 発 言 ( 桑 原 晃 弥 氏 著 )」 の 中 か ら 幾 つ か 紹 介 し た い
と思います。<続く>
第329号
平成24年6月14日
パソコン時代の終焉(2)
ジョブズ氏はアイパッドの開発に当たって、開発現場に「曲を選択するまでに3回以上
もボタンを押させるな」と要求した。
また、ぶ厚く難解なマニュアルが横行する中、マッキントッシュの開発チームの会議に
おいてライターの1人が「高校3年生でも読めるように書かなくては」といったところ、
ジ ョ ブ ズ 氏 は「 小 学 生 が 読 め る よ う に す べ き だ 。い っ そ 小 学 生 に 書 い て も ら っ た ら ど う だ 」
と反論した。
こ れ ら の エ ピ ソ ー ド か ら は 、 ジ ョ ブ ズ 氏 が IT器 機 や ソ フ ト の 開 発 に 当 た っ て 、 常 に シ ン
プルさと利便性を追い求めて止まなかった事が分かります。
ジョブズ氏は、インターネットの可能性を理解する一方、限界も感じていたようです。
それが「インターネットは驚異的だが感動をよびおこすことはない。感動的なことをコン
ピューターで実現したいのだ」という発言になって現れます。確かに、今では、インター
ネットを通じて映画を見、音楽を聴くことが出来る世の中になりました。それは、インタ
ーネットが単なるデータを運ぶだけでなく、感動を運ぶツールへと進化してきたというこ
とだと思います。
「過去ばかり振り向いていたのではダメだ。自分がこれまで何をして、これまで誰だっ
た の か を 受 け 止 め た 上 で 、 そ れ を 捨 て れ ば い い 。」
私たちは、僅かな成功体験に引き摺られて自己改革を怠り、結局新しい時代に乗り遅れ
てしまうということが往々にして起こります。
1985年、ジョブズ氏は30歳の誕生日を迎え、誕生パーティには1000人もの人
が集まったといいます。それは、彼がマッキントッシュを世に送り出した大成功者だった
からです。しかし彼は、その大成功者という殻を自ら打ち破ることで、新たな時代を切り
開くことに成功したのです。
「美女にライバルがバラを10本贈ったら、君は15本贈るかい? そう思った時点で
君 の 負 け だ 。」
「アップルが勝つためにマイクロソフトを負かさなければならないとしたら、アップル
は 負 け る こ と に な る 。」
ジョブズ氏が常に求めていたのは、独創と革新です。例えば、ライバルが10本のバラ
なら自分は15本という発想では改善の域から脱することが出来ず、真の革新的な技術を
生み出すことはできません。
また、マイクロソフトとの関係についても、マイクロソフトからシェアを奪うことが勝
利なのではなくて、マイクロソフトには真似の出来ないほどの革新を続けること、ユーザ
ーを喜ばせることが真の勝利なのだと考えていたのだと思います。
「 必 要 な 治 療 は コ ス ト 削 減 で は な い 。 苦 境 か ら 抜 け 出 せ る 革 新 を 行 う こ と だ 。」
この指摘は、法人を経営している立場からすると、結構耳の痛いところです。単なるコ
ストカッターでは、次への展望を開くことは出来ないということです。
ジ ョ ブ ズ 氏 は 、2 0 0 4 年 膵 臓 癌 が 見 つ か り 、2 0 1 1 年 CEOを 辞 任 す る に 至 り ま す 。
「この地上で過ごせる時間には限りがある。本当に大事なことを本当に一所懸命出来る
機会は、二つか三つくらいしかない」
「今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいか?」
これらは、ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式で述べたスピーチの一節です。
誰 に で も 、 必 ず 死 は 訪 れ ま す 。「 そ の 限 ら れ た 時 間 を 無 駄 に せ ず 、 大 事 な こ と を 一 所 懸
命にしなければならない」というのは普遍の真理です。
ジョブズ氏はそのことを、身を以て示し、学生達に語ったのでした。
彼が今もなお元気であったなら、これから先どんな世界を我々に見せてくれたことでし
ょうか。
享年56歳、ジョブズ氏の死は余りに早く、残念でなりません。
第330号
平成24年6月15日
認識の違い
日 本 PTA全 国 協 議 会 が 行 っ た 、平 成 2 3 年 度 の「 子 ど も と メ デ ィ ア に 関 す る 意 識 調 査 」
の結果によると、携帯電話やゲームなどの利用を巡り、保護者と子の認識の違いが浮き彫
りになっています。
こ の 意 識 調 査 は 、 全 国 の 小 学 5 年 生 ( 2 4 0 0 人 ) 及 び 中 学 2年 生 ( 2 4 0 0 人 ) 並 び
にその保護者(4800人)を対象として、子ども達のテレビの視聴状況や携帯電話の活
用状況、ゲームソフトの遊び方等について調査したもので、今回で10回目となります。
今 で は 自 宅 で パ ソ コ ン を 持 っ て い る 小 中 学 生 は 8 割 を 超 え 、 そ の 内 の 9割 の 家 庭 で は イ
ン タ ー ネ ッ ト と 接 続 し て い ま す 。 ま た 、 自 分 用 の 携 帯 電 話 や PHSを 持 っ て い る 子 ど も 達
は 、小 学 5 年 生 で 2 3 % と ほ ぼ 4人 に 1人 、中 学 2年 生 で は 4 5 % と 半 分 に 迫 る 勢 い で す 。
このように、現代の子ども達は、様々な情報器機に取り巻かれ、膨大な情報の海の中で
泳いでいるようなものです。
パソコンや携帯電話等は、情報を収集したりコミュニケーションの道具としては極めて
有 効 で す が 、同 時 に 、料 金 を 過 大 に 請 求 さ れ た り 、虐 め の 温 床 に な っ た り す る 場 合 が あ り 、
更に、有害サイトへのアクセスや出会い系サイトから犯罪に巻き込まれたりするケースが
相次いでいます。
こ う し た 状 況 に 対 し 、 例 え ば イ ン タ ー ネ ッ ト の 使 用 上 の マ ナ ー に つ い て 、 小 学 5年 生 で
は 74.7% 、 中 学 2年 生 で は 61.4% の 子 ど も 達 が 親 か ら 教 わ っ た と 答 え て い る よ う に 、 保
護者の危機意識も高まってきているように感じます。しかしその一方では、携帯電話にフ
ィ ル タ リ ン グ 機 能 が 付 い て い る か ど う か を 聞 い た と こ ろ 、 小 学 5年 生 で は 26.0% 、 中 学 2
年 生 で は 37.8% と 非 常 に 少 な く 、 危 機 意 識 が 具 体 的 な 対 応 に 結 び 付 い て い る と は い え ま
せん。
子ども達が情報器機と上手に付き合っていくためには、パソコンや携帯電話、ゲームな
どの活用について家庭内で十分話し合い、ルールを決めていくことが大切ですが、この一
番肝心なところがいささか不安な状況です。
例えば、携帯電話等の利用について家庭内にルールがあるか聞いたところ、
項
目
区
分
小学生
利用の時間数
中学生
小学生
利用の時間帯
中学生
対
象
ルールがある
児童
16.8
保護者
49.1
生徒
13.4
保護者
53.2
児童
29.0
保護者
51.1
生徒
18.1
保護者
48.1
項
目
区
分
小学生
利用の内容
中学生
小学生
利用の方法
中学生
対
象
ルールがある
児童
44.4
保護者
56.3
生徒
34.4
保護者
62.0
児童
33.2
保護者
53.2
生徒
39.7
保護者
60.4
という結果になっています。
こ の 表 を 見 て も 分 か る よ う に 、家 庭 内 で の ル ー ル 作 り は 増 え て き た と い わ れ て い ま す が 、
まだ十分とはいえません。まして、保護者と子ども達との間で、ルールについての理解や
認識に非常に大きな差があることは驚きです。また、こうした傾向は、携帯電話等に限ら
ずパソコンやゲームの利用についても全く同様であり、これ程大きな差があれば、家庭内
でルールがあるとはいっても、その実効性には?マークを付けざるを得ません。
保護者と子ども達との間で、ルールについての理解や認識にどうしてこのような違いが
生じるのでしょうか。
まず考えられることは、子ども達の強かさという事もさりながら、保護者の自己満足に
原因があるのではないかと思われます。
折角子ども達と話し合い、ルールを作っても、後で子ども達の勝手な解釈を許してしま
うような曖昧さを残している、ということはないでしょうか。余り詰めた話をすると子ど
もに嫌がられる、あるいは反発されるということがあるかも知れませんが、家庭内で子ど
もと話をしただけで安心しているようなところはないでしょうか。
様々な事故や事件が発生している中で、パソコンや携帯電話等の持つ利便性と危険性に
つ い て 、保 護 者 と 子 ど も 達 と の 間 で 共 通 認 識 が 得 ら れ る よ う 十 分 話 し 合 う 必 要 が あ り ま す 。
少なくとも、子どものいいなりは決して良いことではありません。子どもがどんなに興
味を持っているものであっても、保護者の立場からダメなものはダメという毅然としたと
ころも必要です。子どもを信頼するということと放任とは、違うのですから。
第331号
平成24年6月18日
子どもの貧困
国連児童基金(ユニセフ)のまとめによると、日本の18歳未満の子どもの貧困率は1
4.9% で 、 先 進 3 5 カ 国 中 2 7 位 、 悪 い 方 か ら 数 え て 9 番 目 と い う 状 況 で あ る こ と が 分 か
りました。
14.9% と い う こ と は 、 子 ど も の 7 人 に 1人 が 貧 困 の 状 態 に 置 か れ て い る と い う こ と で
あり、今や世界第2位の地位を中国に譲ったとはいえ、依然として経済大国の日本におい
て、かくも子どもの貧困率が高いということは深刻です。
貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」という概念があります。
ま ず 、「 絶 対 的 貧 困 」 と は 、 一 般 的 に 「 そ れ ぞ れ の 国 や 地 域 で 生 活 し て い く た め の 必 要
最低限の収入が得られないもの」とされていますが、必要最低限がどのようなレベルかに
ついては、国や地域によって異なることになります。
次 に 、「 相 対 的 貧 困 」 と は 、 O E C D に よ る と 「 等 価 可 処 分 所 得 の 中 間 値 の 半 分 に 満 た
な い も の 」 と さ れ て い ま す 。 簡 単 に い う と 、「 標 準 的 な 世 帯 の 手 取 り 収 入 の 半 分 以 下 で 生
活している状態」を貧困の状態といい、そのような家庭で生活する18歳未満の子ども達
は「 子 ど も の 貧 困 」状 態 に あ る と さ れ て い ま す 。ユ ニ セ フ の 分 析 は 、こ の「 相 対 的 貧 困 率 」
を示しており、日本の子ども達の貧困率は、
2 0 0 0 年 12.2%
2 0 0 5 年 14.3%
2 0 0 7 年 14.3%
そ し て 今 回 発 表 さ れ た の が 、 2 0 0 9 年 の 14.9% と い う 数 字 で 、 回 を 重 ね る ご と に 上 昇
してきています。
私が小学生の頃は、非常に貧しい家が多く、学校給食がスタートする以前は、昼食時間
になるとそっと教室を離れる子がいました。当時の私は子どもだったせいもあり、事情は
良く分からなかったのですが、今考えれば、弁当を持ってくることが出来ない程に貧しか
ったんだなと容易に想像できます。ただ、当時はまだ戦後の復興期にあり、貧しいという
ことが特別のことではありませんでした。
しかし、戦後60年余が経過し、大きく経済発展を遂げた我が国において、親が保険料
を納められないために国民健康保険証がない「無保険」の子どもが3万人以上もいるとも
いわれていますし、食事がまともに取れず、学校給食で栄養のバランスを取っている子、
お金がないために修学旅行に行けない子や高校を中退せざるを得ない子も少なくありませ
ん。
こうした貧困の状態に置かれている子ども達は、非常に厳しい経済環境の中で今後ます
ます増えていく可能性があり、懸念されます。
保護者の経済状況によっては、子ども達にも我慢しなければならないことが出てきます
し、また、我慢を覚えることも子どもの成長にとって必要なことではあります。しかしな
がら、成長期にある子ども達が、保護者の経済的な理由によって満足に食事も取れず、必
要な教育も受けられない。夢や希望を持てず、将来の可能性さえも奪われてしまっている
現実を、看過して良いはずはありません。
今、貧困が貧困を生むという「貧困の連鎖」も問題となっています。貧しい家の子は結
局貧しさから抜け出せない、こうした「貧困の連鎖」は断ち切らねばなりません。その為
にも、それぞれの家庭、それぞれの子どもの置かれている状況などに応じ、きめ細かな支
援策を講じるべきです。
「児童は、人として尊ばれる。児童は、社会の一員として重んぜられる。児童は、よい
環 境 の な か で 育 て ら れ る 。」
これは児童憲章の一節です。
未来に生きる子ども達が、日々を伸びやかに、心豊かに生活できるように、そして、一
人ひとりの子ども達が、良い環境の下で学び成長できるように、今を生きる大人達に出来
ることは、まだまだ沢山あるはずです。
第332号
平成24年6月19日
ストレス解消法
ス ト レ ス を 全 く 感 じ ず に 生 活 し て い る 人 な ど 、こ の 世 に は い な い の で は な い で し ょ う か 。
中 に は 、「 自 分 は ス ト レ ス と は 無 縁 だ 」 と い う 人 が い ま す が 、 そ れ は 多 分 、 自 覚 が な い だ
けではないかと思います。勿論、本当にストレスなく生活している人がいたら、それは本
当に幸せな人です。
自分のことを振り返っても、日々の暮らしの中で、精神的にも肉体的にもストレスを感
じない日はありません。
そもそもストレスというのは材料力学上の言葉で、物質に力を加え、伸ばしたり曲げた
り、あるいは縮めたりすると物質の内部から反発する力を感じますが、そうした物質の内
部の応力のことをストレスというのだそうです。それが、外部から何らかの刺激を受けた
時の生物学的反応についても、いうようになったとされています。
ストレスの原因(ストレッサー)は、物理的、生物的、心理的と様々で、かつ、ストレ
スによる反応も人によって異なります。
例えば、初めての会社を訪問したり、とても気むずかしい人と会う時は、中にはあっけ
らかんと平気な人もいますが、大抵の人は心臓がドキドキするもので、これもストレスが
原因です。
最近は、シックハウス症候群とかソバアレルギーなど昔では考えられないようなものも
沢山出てきています。更に、介護ストレスといったような、社会の歪みの中で抱えざるを
得ないストレスもあります。
ストレスがたまる原因は、仕事や勉強、子育てもさりながら、人間関係によるものが一
番多いそうですが、皆さんは如何でしょうか。ストレスも、我慢しすぎると心身に様々な
影響が出てきて、放置していると本当の病気になりかねませんので、気を付ける必要があ
ります。特に、自分にはストレスはないと思っている人は、気を付けてください。それは
感じていないだけかも知れません。ある日突然、ポキッと折れてしまうことのない様にし
て欲しいと思います。
そこで、朝日新聞がストレス解消法を調査していますので、紹介しましょう。
1位 美 味 し い も の や 甘 い も の を 食 べ る
2位 と に か く 寝 る
3位 酒 を 飲 む
4位 本 を 読 む
5位 ス ポ ー ツ を 楽 し む
以下、買い物に行く、散歩する、友人や家族とおしゃべりする、映画を見る、泊まりが
けで旅行する等々、と続きます。
仲間と飲んだり食べたりというのは、ストレス解消に効果がありそうですし、運動で汗
を流すというのも健康的で良さそうですね。私にとっては、本から離れることがストレス
解消になりますが、寝るというのは良さそうですが、悲しいかな年を取ってくると寝るこ
と自体がままなりません。
結局のところ、人それぞれのストレス解消法があるということだと思います。
しかし、これらのストレス解消法は、ストレスの原因を取り除いているわけではありま
せん。いくら一時は気持ちがすっきりしたように感じても、原因がなくならない限り、ス
トレスは続くことになります。その意味では、ストレスの原因を見極めることが大切です
し 、 ス ト レ ス か ら 逃 げ る と い う よ り 、「 ス ト レ ス と 上 手 に 付 き 合 う 」 と い う 気 持 ち も 大 切
だと感じています。
第333号
平成24年6月20日
学校の責任
朝 日 新 聞 の 報 道 ( 6月 6 日 付 ) に よ る と 、 自 殺 し た 私 立 高 知 中 学 校 1年 生 の 男 子 生 徒 の
両親が、校内でのいじめが原因の疑いがあるのに調査を怠ったとして学校側に対し計80
0 万 円 の 損 害 賠 償 を 求 め て い た 訴 訟 に つ い て 、 高 知 地 裁 は 6 月 5 日 、「 調 査 へ の 消 極 姿 勢
が、両親の悲しみや絶望を深めた」として、学校に慰謝料計190万円の支払いを命じる
判決を行いました。
以下、新聞報道を基に経過を説明します。
男子生徒は、2009年に自宅で自殺したのですが、死を暗示させるメモや友人の証言
な ど か ら 、両 親 は 自 殺 の 原 因 を い じ め と 考 え 、学 校 側 に 対 し て「 い じ め の 全 校 調 査 と 報 告 」
を求めます。しかし、学校側は「生徒の精神面に悪影響を与える」などの理由から、自殺
の事実を伏せるなどし、ごく一部の生徒からの聞き取りにとどめたといいます。
判 決 で は 、 こ う し た 学 校 の 対 応 に 問 題 が あ る と し て 190万 円 の 慰 謝 料 の 支 払 い を 命 じ
たのですが、今回の判決での大きなポイントは「両親の心情を真摯に受け止め、自殺の事
実を多数の生徒に伝えたうえで、いじめや嫌がらせの有無を全校的に調べる義務が学校に
はある」ということを明確に指摘したことです。
学校側は、全校調査は「生徒の精神面に悪影響を与える」という、いわゆる「教育的配
慮」を持ち出して、調査という名には値しない対応で済ませようとします。こうした学校
側 の 対 応 は 、「 教 育 的 配 慮 」 の 名 の 下 に 臭 い も の に 蓋 を し よ う と し て い る の で は な い か と
疑ってしまいますし、少なくとも、事実を解明し、再発防止に繋げようという姿勢は微塵
も感じられません。
こうした学校の姿勢に対して、判決は「自殺の原因の解明は事実上不可能となり、ただ
日を過ごすしかない両親の精神的苦痛を思うと、学校側の調査報告義務違反は取り返しが
つかない」と厳しく学校側の責任を問うています。
いじめへの対応について、いまだにこういう対応しかできない学校があるのかと驚くば
かりですが、道内の各学校においても他山の石にしていただきたいと思います。
道教委では、危機管理のマニュアルでも示しているように、まずは「管理職と生徒指導
部、学年主任、担任などで、いじめの事実を正確に把握」することを求めています。事実
を正確に把握するためには、全校調査をしなければならない場合もあるでしょう。少なく
とも、一番してはいけないことは、事実から目を逸らすこと、事実を矮小化して風の過ぎ
去るのを待つような姿勢を取ることです。
学校側は「代理人と相談して今後の対応を決めたい」としており、今後の展開が注目さ
れますが、学校側には猛省を促したいと思います。
この他に、判決では、担任教諭が両親に対し、霊媒師の話として「男子生徒は3年前か
ら死ぬことに興味を持ち、今は騒ぎになったのを後悔している」等と伝えたことも「生徒
の人格の冒涜で、魂の平穏を願う両親への配慮を欠いた」と指摘していますが、これは論
評する気持ちも起きません。
一体、いじめ調査をするに当たって、何故霊媒師が登場するのか理解できません。
いじめの事実を解明しようともせず、息子を失った両親の心情に配慮することすらでき
ない、こんな担任教諭は教師として失格です。
第334号
平成24年6月21日
国民の選択
経済破綻の危機に直面しているギリシャでは、6月17日に国会の再選挙が行われ、こ
の結果、ギリシャ国民はユーロ圏残留という意思を示しました。
今回の再選挙は、5月に行われた総選挙において緊縮財政推進派が過半数の議席を獲得
できず、連立交渉も不調に終わり新しい政権を作ることができなかったために、改めて国
民の意思を問うために行われたものです。
ギリシャの経済危機はユーロ圏の危機であり、それはまた日本はもとよりアメリカや中
国など諸外国の経済にとっても大変大きな影響を与えることになりますので、世界中がギ
リシャ国民の選択に注目していました。その意味では、今回の選挙結果に、世界の国々は
とりあえずホッとしているというところでしょうか。
しかし、緊縮財政派が勝利したとはいえ、再選挙の結果を見ると、実に微妙な匙加減だ
ったことが分かります。欧州からの「離脱おそれ、緊縮派へ」という見出しを書いている
新聞もありましたが、ギリシャ国民は雪崩を打って緊縮派に票を投じたという訳ではあり
ません。
各政党の、今回と前回の獲得議席数を比較すると下表のとおりですが、
政 党 名
今 回
5 月
※新民主主義党
129
108
※全ギリシャ社会主義運動
33
41
急進左派連合
71
52
独立ギリシャ人
20
33
黄金の夜明け
18
21
※民主左派
17
19
共産党
12
26
(注)※は、緊縮財政推進派
新民主主義党が議席を増やした一方、反緊縮財政派の急進左派連合も議席を伸ばしていま
す。
緊縮財政派の新民主主義党が第1党となったとはいえ反緊縮派の急進左派連合の支持も
高 く 、 結 局 、 ギ リ シ ャ 国 民 は 、 無 条 件 に 緊 縮 策 を 受 け 入 れ た の で は な く 、「 厳 し す ぎ る 緊
縮策には批判的だけれども、ユーロ圏からの離脱も避けたい」という、微妙な、揺れ動く
意思表示をしたといえます。
今 回 の 選 挙 結 果 を 見 る と 、「 1 票 の 重 さ 」 と い う こ と が 良 く 理 解 で き る と 思 い ま す 。 一
人ひとりは、それぞれ自分の考えで1票を投じたに過ぎませんが、それが塊となった時、
まるで生き物のように一つの意思を表し始めます。
「たかが1票、されど1票」ということです。
さて、財政危機といえばギリシャだけではありません。アイルランド、ポルトガル、ス
ペイン、イタリア等も軒並み厳しい環境に置かれています。
マスコミは、ギリシャにおける総選挙の結果を以てしても、欧州の金融危機は一向に先
行き不透明であると報じています。ギリシャの財政規模は決して大きくはありませんが、
経済のグローバル化が進展する中、その動向は欧州はじめ諸外国に大変大きな影響を与え
ることになります。
今後、新民主主義党が中心となって政権を樹立することになりますが、ギリシャの再生
に向けて、一日も早く力強く動き出すことを期待しています。
第335号
平成24年6月22日
社会還元?
北教組は、6月20日に開催された定期大会において、主任制度に反対して受け取りを
拒否している「主任手当」について、7月以降に集める手当を「就学支援などに社会還元
する」とする方針を正式に決定しました。なお、過去に集めた数十億円に上る積立金の使
途は決まっていないようです。
北海道の教育にとって、この主任制度の問題は喉に刺さった骨のようなもので、未だに
根本的な解決に至っていないことは、非常に残念に思っています。
北教組が問題としている主任制度は、学校教育法施行規則の改正に伴うもので、北海道
においては1978年に導入されています。
こ の 主 任 制 度 に 対 し て 北 教 組 は 、「 教 員 に 対 す る 管 理 体 制 の 強 化 で あ り 、 手 当 を 支 給 し
管理職意識を植え付ける事により、組合組織の弱体化を図るものである」と主張し反対す
ると共に、組合員から主任手当相当額を毎月徴収し道教委に返還するという運動を繰り広
げてきました。1981年には、約1億円の現金を道教委に持ち込むという示威行為を行
い、道教委が受け取りを拒否するという事態も起こっています。その後も、毎月為替証書
を 道 教 委 に 送 り 付 け 、道 教 委 は そ れ を 北 教 組 に 送 り 返 す と い う こ と を 繰 り 返 し て い ま し た 。
し か し 、私 が 教 育 長 在 任 中 の 2 0 0 7 年 1 2 月 、北 教 組 か ら 送 ら れ て き た 為 替 証 書 を「 受
け取らず、返還せず」という方針を立て破棄して以降、北教組は道教委に対して、為替証
書の送付はもとより何らの返還行為も行っていません。
北教組の方々は、教員としては皆同じ立場であり、階層を設ける等の差をつけることは
おかしいとお考えなのかもしれません。
勿論、教員免許を取得しているという意味では教員の皆さんは皆同じですけれど、しか
し、教育の実践力について見れば、教員間に差があることは明白です。ベテランと新人の
間はもとより、同時期に教員になった方々の間にも力量に差があることは否定できないと
思います。それを、教員は皆同じだと擬制することは、私には悪い冗談としか思えません
し、皆同じという空気の中では他者から学ぶという意識も意欲も薄れてしまうのではと、
懸念されます。
また、教員の間に差をつけることについて、別の角度から考えてみます。
如何なる組織といえども、組織として機能し成果を上げるためにはリーダーの存在が不
可欠です。構成員が全くフラットな組織が、組織として円滑に機能するとは思えません。
勿論、学校もその例外ではなく、校長は、それぞれの学校のトップリーダーですから、学
校経営の責任者としてリーダーシップを発揮していかなくてはなりません。また、副校長
や教頭もトップリーダーを支える管理職として、学校経営に責任を持つべきです。
同じように、各主任も単に組織上の役職ということに止まらず、業務ごとのリーダーと
考えるべきでしょう。従って、各主任は校長のリーダーシップの下、担当業務のマネジメ
ントをしっかりと行い、学校経営が円滑に行われ、成果を上げることができるよう努めな
ければなりません。もしも、主任に対して周りの教員が「教員は皆同じだから貴方のいう
ことには従いません」というようなことをいい始めたら、その組織は機能せず、成果も上
げられません。そんなことがまかり通る学校では、子ども達に対して、学校としても、教
員としても責任を果たすことにはならないと考えます。
北 教 組 の 大 会 に お い て は 、 主 任 手 当 に 関 す る 今 回 の 決 定 に つ い て 、「 ど の よ う な 形 で あ
れ使うことは受け取ることになり、反対運動が成り立たない」等の声も出た(6月21日
付朝日新聞)ようですが、こうした発言が出る背景には事実誤認があるように思います。
つまり、主任手当については、下の図にあるように、
道教委
支給
教
員
拠出
北教組
内部留保
道教委からは、各主任に対して毎月主任手当が支給されており、また、各主任は手当を受
領していますので、道教委と主任との間では手当の支給行為は完結しています。一方、主
任が北教組に納付している「主任手当見合いの額」は、飽く迄も個々の組合員が組合の活
動に賛同して拠出したものであり、主任手当そのものでないことは明らかです。つまり、
「どのような形であれ使うことは受け取ることになる」という迄もなく、既に主任の皆さ
んは主任手当を受け取っているのです。しかも、現在は、北教組から道教委への返還行動
も行われていないことは先ほど述べたとおりです。
北教組の長年にわたる主任制度反対闘争や主任手当返還闘争は、一体何を生み出してき
たのでしょうか。私は、今回の北教組の方針を聞き、時代が大きく変わろうとしていると
感じています。北海道のこれからの教育を考える時、こうした不毛な行為はもう止めにす
べきであると、強く思っています。
第336号
平成24年6月25日
障がい児への虐待
障がい児に対する虐待というと、真っ先に保護者による虐待を思い浮かべますが、実態
は必ずしもそうではないようです。
NPO法 人 PandA- Jの 調 査 に よ る と 、 学 校 の 中 で の 障 が い 児 に 対 す る 体 罰 等 の 虐 待 が
後を絶たない実態が、明らかとなりました。しかも、下表のように、学校における虐待が
他と比べて非常に多いというのは驚きです。
○「虐待などを受けた」と保護者が答えた場所
区 分
ある
あるかも
ない
その他
保育施設
9.1
5.0
68.7
17.1
小中高校
24.2
7.7
52.5
15.6
登下校中
14.3
6.8
59.3
19.6
福祉施設等
9.2
5.4
64.5
20.9
就労先
9.8
4.3
67.9
18.0
街中等
11.3
6.8
57.1
24.8
家庭
9.3
7.9
76.2
5.6
5月24日付の朝日新聞には「私語をやめなかった児童の口に粘着テープを貼った(愛
知 県 )」 ケ ー ス や 「 注 意 を 聞 か な い 女 児 の 頭 を た た い た ( 北 海 道 )」 ケ ー ス 等 が 紹 介 さ れ
ています。私も気になってインターネット等で調べてみると、体罰をはじめとする暴力行
為、更には性的虐待など様々な問題が、一部とはいえ、学校において起こっていることは
極めて深刻だと思っています。
特に、仮に自分が被害を受けてもその事を旨く伝えられないというハンディキャップが
ある上に、保護者の方にも学校に対して多少の遠慮がある、こうした状況に置かれている
障がい児に対して、教師が体罰などの虐待を行うという事は、卑劣であり、許されること
ではありません。
学 校 教 育 法 1 1 条 は 、「 校 長 及 び 教 員 は 、教 育 上 必 要 が あ る と 認 め る と き は 、文 部 科 学 大
臣 の 定 め る と こ ろ に よ り 、学 生 、生 徒 及 び 児 童 に 懲 戒 を 加 え る こ と が で き る 。た だ し 、 体 罰
を 加 え る こ と は で き な い 。」 と 規 定 さ れ て い る よ う に 、 体 罰 は 明 確 に 禁 止 さ れ て い ま す 。
にもかかわらず、体罰が一向になくならないのは何故なのでしょうか。
一つには、依然として、多少の体罰は教育指導上必要だと考えている教員が存在すると
いうことです。また、指導力の足りない教員が、いうことを聞かせるために体罰に走って
しまうという事も現に起こっています。
もう一つは、教師と子ども達との関係が絶対的な力関係にあり、しかも、学校は密室性
が高いために第三者の目が届きにくく、従って教員の体罰問題も外に出にくいという事が
あります。
これまでも、各学校においては、教職員に対する継続的な研修、相互監視体制の整備な
どに取り組んできていますが、結果として、その成果が十分でないことは明らかです。
2 0 0 0 年 1 1 月 に 施 行 さ れ た 「 児 童 虐 待 の 防 止 等 に 関 す る 法 律 ( 児 童 虐 待 防 止 法 )」
においては、学校での体罰は対象とされていませんが、児童虐待を禁止すると共に、児童
虐待の予防及び早期発見などの措置を促進し、児童の権利利益を擁護しようという同法の
求めているものは、学校においても何ら変わるものではありません。
子ども達にとって学校は、安全な居場所でなければなりません。だからこそ、学校での
虐待はあってはならないことであり、徹底した防止策が求められていることを、教育関係
者は肝に銘じていただきたいと思います。
第337号
平成24年6月26日
森林の常識
森林ジャーナリストの田中淳夫氏が上梓した「森林の新常識」によると、森林に関する
我々の常識は、その多くが実は非常識であるらしいのです。
田 中 氏 が 指 摘 す る 森 林 に 関 す る 非 常 識 は 、 3 1 項 目 に 及 ん で い ま す 。 中 で も 、「 森 林 の
常識にはウソがいっぱい」という第一部で取り上げられている
・森は二酸化炭素を吸収しない
・森に水源涵養機能はなかった
というのは、今までの認識を180度変えるものであり、随分と考えさせられることばか
りです。
田 中 氏 に い わ せ る と 、「 森 林 は 二 酸 化 炭 素 を 吸 収 し 、 酸 素 を 出 す 」 と い う の は 、 森 林 を
巡 る 最 大 の ウ ソ ら し い の で す 。「 森 林 は 、 基 本 的 に 酸 素 を 出 さ な い 」、「 森 林 は 、 我 々 の 呼
吸する酸素の供給源ではない。二酸化炭素も吸収しない」といわれると、誰しもが耳を疑
ってしまうのではないでしょうか。
そこで、樹木や草の「光合成」や「呼吸」について、田中氏の著書を基に、その仕組み
について整理をして見ましょう。
皆 さ ん も ご 存 知 の と お り 、「 光 合 成 」 と い う の は 光 エ ネ ル ギ ー に よ っ て 水 と 二 酸 化 炭 素
から有機物を合成して酸素を放出する仕組みで、主に葉緑体を持つ植物が行っています。
一 方 、「 呼 吸 」 と い う の は 、 有 機 物 を 酸 素 に よ っ て 分 解 し て エ ネ ル ギ ー を 取 り 出 す と 共 に
二 酸 化 炭 素 と 水 を 放 出 す る 機 能 で 、「 光 合 成 」 と 「 呼 吸 」 は 裏 返 し の 関 係 に あ る と い え ま
す。
その上で考えなければならないことは、鳥獣や人間は「呼吸」するだけですが、植物は
「呼吸」もするし「光合成」もする、ある意味、植物は自給自足をしているということで
す。
田中氏の説明では、成長する植物の「呼吸」による酸素消費量と「光合成」により酸素
を 放 出 す る 量 は 1 : 2 の 比 率 と な っ て お り 、「 光 合 成 」 の 力 が 圧 倒 的 の 大 き い の で す が 、
問題は森林にあります。
森林は、樹木や草だけで構成されているわけではなく、昆虫や鳥獣、総量が大きいのは
茸やカビなどの菌類、アメーバーやゾウリムシ、粘菌類などの原生生物、という多様な生
き物達で構成されています。枯れた植物は腐って分解され土に還りますが、その作業をす
るのは菌類で、しかも、彼らはその作業をするときに膨大な酸素を消費しています。
というわけで、森林全体を見ると、酸素の消費量と酸素放出量は1:2から2:2とな
り、森林は酸素を出しもしなければ外の二酸化炭素も吸収しないというのが実態とのこと
です。改めて説明されれば、なる程と納得せざるを得ません。
また、森林の「水源涵養機能」というのも、田中氏によると、そんなことは「実際には
な い 」の だ そ う で す 。
「 森 林 は 水 を 溜 め る ど こ ろ か 、水 を 消 費 し て 総 量 を 減 ら し て し ま う 」
といわれると、思わず耳を疑ってしまいます。
田 中 氏 は 、森 林 に は 樹 木 や 草 、野 生 鳥 獣 、昆 虫 ‥ ‥ と さ ま ざ ま な 生 物 が す ん で い ま す が 、
これらの生物が生きていくためには必ず水を消費しているはずと説明しています。
ま た 、 日 本 の 気 象 条 件 下 で は 、 降 水 量 の 2割 か ら 4 割 が 蒸 発 し て い る そ う で す が 、 水 の
蒸 発 に 関 し て い え ば 、森 林 か ら の 蒸 発 散 量 は 水 面 蒸 発 量 の 1.1か ら 1.5倍 も あ る そ う で す 。
つまり、一見水面からの方が蒸発しやすいように感じるけれども、実は森林の方が水の消
費者であるというのが現実のようです。
では、一体水は何処に溜まるのかという事ですが、田中氏によると、水が染み込み溜ま
るのは森林土壌ではなく、もっと深い岩(基盤岩層)であり、森林が水を溜めているわけ
ではないということで、これも従来の常識に反するものですね。だからといって、森林は
必要ないかというとそういうことはなくて、森林は裸地や草地に比較して蒸発散量は多い
が、そのことは洪水を緩和する効果があるし、何より、山地が森林で覆われている最大の
利点は、土壌浸食を防ぐ点にあるとしています。
田中氏は更に、原生林の自然の方が人工林よりも生物多様性が低く、生物の多様性や量
という点から見ると、雑木林の方に軍配が上がるとしています。それは、原生林至上主義
に陥ってはいけないという指摘でもありますが、例えば、ゴルフ場は里山的であるという
のも意外でした。森林を切り開いてゴルフ場を造成することについては、自然保護関係者
からはしばしば批判されるのですが、生物多様性ということからすると里山とよく似てい
るというのは、ゴルフ場を利用する者の一人として少し安心する思いです。
この他にも、今までの常識が本当は違うということに気付かされ、新鮮な驚きを感じて
います。
最 後 に 、田 中 氏 は 、
「 人 類 は 自 然 へ の 寄 生 に 傾 い て い な い か 」と 警 鐘 を 鳴 ら し て い ま す 。
「今、必要なのは、人類も含めた形で生態系を保全することではないか。そのために人
類は、生態系維持もコストの一部に取り込み、人類にも取り分のある関係を自然界と結ぶ
必 要 が あ る だ ろ う 。( 中 略 ) 現 在 の 人 類 は 、 自 然 環 境 へ 一 方 的 に 寄 生 す る 面 が 増 え た よ う
に感じるが、再び共生にもどす努力をするべきではないか。それが、持続的で美しい人と
自然の関係なのだと思う」という田中氏の主張には、賛同する人も多いことでしょう。
第338号
平成24年6月27日
きみはいい子(1)
「 き み は い い 子 」 こ れ は 、 中 脇 初 枝 さ ん が お 書 き に な っ た 小 説 の 題 名 で 、「 サ ン タ の 来
ない家」など児童虐待をテーマとした5つの短編からなっています。
「サンタの来ない家」という作品では、虐待を受けている少年とその少年と関わりなが
ら成長していく新米教師が描かれています。
夕方5時を過ぎなければ家に入れてもらえなくても、食事も満足に食べさせてもらえな
くても、そして、サンタが家に来なくても「自分が悪い子だから」と耐える少年。そして
少 年 は つ ぶ や き ま す 「 ど う し た ら 、 い い 子 に な れ る の か な あ 。 ぼ く 、 わ か ら な い ん だ 。」
こ の 少 年 の 素 直 さ に は 、胸 が 締 め 付 け ら れ ま す 。教 師 は 、少 年 に 対 し て「 君 は 悪 く な い 。」
「 君 は い い 子 だ 」 と い い な が ら 、「 自 分 が い っ た ん じ ゃ だ め な ん だ 」 と い う こ と に も 気 づ
いています。
新米教師は初めのうち、この少年の存在そのものに気づかなかったのですが、やがてこ
の少年が虐待されていることに気づきます。
ある時、学校の保健室で、副校長と保健の先生の立会いのもと、この少年の長袖をめく
ったり、膝丈の半ズボンをめくったりして虐待の跡がないか確かめるのですが、特にあざ
ややけどの跡はありません。少年に聞くと、少年は虐待を否定します。そこで、少年のト
レーナーの裾に手をかけようとした時、保健室に入って来た校長は、トレーナーをぬがす
の を 止 め る よ う 指 示 し ま す 。「 服 ま で ぬ が し た こ と が わ か る と 、 親 が 怒 鳴 り 込 ん で く る か
も し れ な い の よ 。 あ く ま で 、 服 は 着 た ま ま で ね 。」 と い う 訳 で す 。「 で も 、 そ れ じ ゃ 、 お
なかとか背中とかがわからないじゃないですか」という新米教師に対して、その校長は次
の よ う に い い ま す 。「 ま あ 、 で も 、 本 人 が た た か れ て い な い と 言 っ て い る ん だ か ら 。」
世間では虐待防止が声高に叫ばれていても、恐らくはこんなやり取りが、いろんなとこ
ろで繰り返されているのではないかと思います。現実を見れば、大人たちの、責任逃れと
も取れる姿勢によってどれ程多くの悲劇が繰り返されていることでしょうか。
新米教師は、この少年やクラスの子ども達を通じて大事なことに気づかされます。
「こどもは、ひとりひとり違う。一人ひとりが違う家に育ち、違う家族に見守られてい
る 。 そ し て 、 学 校 に や っ て き て 、 同 じ 教 室 で 一 緒 に 学 ぶ 。 一 枚 の Tシ ャ ツ だ っ て 、 一 本 の
鉛筆だって、この子のためにだれかが用意してくれた。そのひとたちの思いが、この子た
ち一人ひとりにつまっている。そのだれかは、昨日はその子たちにごはんを食べさせ、風
呂に入れ、ふとんで寝かせ、今朝は朝ごはんを食べさせ、髪をくくったりなでつけたりし
て、ランドセルをしょわせ、学校に送り出してくれたのだ。そんなあたりまえのことに、
ぼ く は や っ と 気 づ い た 。 ぼ く は 、 こ の 思 い に こ た え ら れ る ん だ ろ う か 。」
この新米教師の自分への問い掛けは、とても重たいものです。一人ひとりの子どもたち
を見、寄り添い、向き合えば向き合う程、現実から目を背け、逃げることなどできないは
ずです。
あ る 雨 の 日 、校 庭 に 出 る と 、ま だ 5 時 前 だ と い う の に 、い つ も の 少 年 の 姿 は あ り ま せ ん 。
砂場には、少年が昨日作った砂の島が残されたままです。
新 米 教 師 は 走 り 出 し ま す 。き っ と 少 年 は 自 分 が 来 る の を 待 っ て い る に 違 い な い と 。彼 は 、
少年の家のブザーを押しますが壊れています。この家は、まるで外の世界とのつながりを
持つことを拒んでいるようです。
「ぼくはダメ教師だから、クラスのこどもたちさえ救えない。……だけど、この子を救
う こ と は で き る か も し れ な い 。 今 、 ぼ く に は で き る 、 た っ た ひ と つ の こ と 。」 こ れ は 、 新
米 教 師 が 自 分 の 殻 を 打 ち 破 っ た 瞬 間 か も し れ ま せ ん 。 こ の 小 説 は 、「 ぼ く は こ ぶ し を に ぎ
り し め 、 思 い っ き り 、 扉 を た た い た 。」 と い う と こ ろ で 終 わ っ て い ま す 。
主人公の少年の置かれている状況は、全く理不尽であり、怒りさえ感じますが、一人の
教師との出会いによって、もしかしたら少しは明るい日が差し込むかもしれないという予
兆を感じさせます。
また同時に、児童虐待に対して、それは問題だと批判しているだけでは解決しないとい
う事も明らかであり、私たち大人に対して、一歩踏み込む勇気を持てと訴えているようで
もあります。
第339号
平成24年6月28日
大義はいずこに?
一 昨 日 ( 6 月 2 6 日 )、「 消 費 税 率 引 き 上 げ を 柱 と す る 社 会 保 障 ・ 税 一 体 改 革 法 案 」 が
衆議院本会議で採決され、民主党・自民党・公明党などの賛成多数で可決され、参議院に
送付されました。これによって消費税は、2014年4月から8%、更に2015年10
月から10%に引き上げられることになりました。
今 回 の「 消 費 税 率 引 き 上 げ を 柱 と す る 社 会 保 障 ・ 税 一 体 改 革 法 案 」は「 消 費 税 改 正 法 案 」
や 「 社 会 保 障 制 度 改 革 推 進 法 案 」 な ど 全 部 で 8 本 の 法 案 か ら な っ て い ま す 。 こ の 内 、「 消
費税法改正案」の採決では、民主党内部から小沢氏はじめ57人の議員が反対票を投じる
と共に、16人が欠席するという事態となり、民主党は分裂の危機を迎えています。
もっとも、民主党は主義主張の違う方々の集まりであり、いずれ分裂騒ぎが起きると思
っていましたのでさして驚きはしませんが、民主党の醜態は、出来の悪い芝居を見せつけ
られているようです。
野田総理が今回、政治生命をかけてまで消費税増税に拘った背景は、年々膨らんでいく
社会保障費と破綻に瀕している国家財政の現状にあり、この問題の解決への道筋をつける
ことが、消費税増税の大義といえるでしょう。
野 田 首 相 は 、次 の よ う に 述 べ て お ら れ ま す 。
「将来の世代につけを回すのは限界であり、
社会保障の安定財源を確保し財政健全化を達成するのが一体改革の意義である。国民に負
担をお願いするのは本当につらく、避けられるならば避けたいと誰もが思う。何かをやっ
てからその後に、という理屈で、これまで決めるべきタイミングをずっと逃してきた。国
難から逃げる政治ではなく、国難に立ち向かう政治。決断し、実行する政治に道筋をつけ
た い 。」
しかし、消費税増税は、2009年の衆院選における民主党のマニフェストには掲げら
れ て い ま せ ん し 、 野 田 総 理 自 身 も 、 か つ て は 消 費 税 増 税 に 反 対 し て い た こ と も あ り 、「 民
主党は政権を取って変節した」と受け取られても致し方ないでしょう。
野 田 総 理 が い わ れ る よ う に 、「 何 か を や っ て か ら そ の 後 に 、 と い う 理 屈 で 、 こ れ ま で 決
め る べ き タ イ ミ ン グ を ず っ と 逃 し て き た 。」 と い う の は そ の 通 り で す が 、 そ れ が 社 会 保 障
の全体像も示されず、国会改革や公務員改革も進まない中で増税先行を容認する理由にな
るでしょうか。
国民に対しては更なる負担を求めながら、自らやる気になればできるはずの「飛行機や
JRの 無 料 パ ス 」 と い っ た 国 会 議 員 の 特 典 す ら 手 付 か ず の ま ま と い う の で は 、 い く ら 「 決
断し、実行する政治」といわれても、国民の気持ちは冷めたままだろうと思います。
一 方 の 小 沢 氏 は 、「 消 費 税 増 税 は 国 民 へ の 約 束 違 反 で あ り 、 マ ニ フ ェ ス ト の 原 点 に 返 る
べきである。増税に反対する我々こそ正義である」と主張し、民主党として決定した増税
方針に反対票を投じました。
しかし考えてみれば、元々のマニフェストが非現実的なものであり、そこに帰れという
のは、全く荒唐無稽な話です。つまるところ、彼は、反対のための理屈としてマニフェス
ト を 持 ち 出 し た の で あ り 、「 国 民 の た め に 」 と い う 言 葉 を 額 面 通 り に 受 け 取 る 国 民 は 、 ど
の位いるでしょうか。
私は、今回の騒動を見ながら、久しぶりに「造反有理」という言葉を思い出しました。
野 田 総 理 も 小 沢 氏 も 共 に 、「 我 に 理 」 あ り 、「 我 ら こ そ 正 義 」 と い っ て い ま す が 、 所 詮
は国民不在のコップの中の権力争いにしか見えません。
民主主義は、熟議の中でしか育ちません。反対意見、少数意見にも良く耳を傾け、しっ
か り 議 論 を 重 ね た う え で 総 意 を 図 り 、 決 ま っ た こ と に は 従 う 。 こ の 事 な し に は 、「 決 め る
政治」の実現など「夢のまた夢」です。
大人たちの体たらくを、子ども達は何と見ていることでしょうか。
第340号
平成24年6月29日
きみはいい子(2)
「 子 ど も は 親 を え ら べ な い 。 住 む と こ ろ も 、 通 う 学 校 も え ら べ な い (「 サ ン タ さ ん の 来
な い 家 」 か ら )。
子ども達は、生まれた環境が全てであり、自分の力ではどうすることもできません。
子ども達は、親に愛されるためにこの世に生を受けたはずなのに、親からの虐待によっ
て、楽しい夢や美しい夢を見ることもなくこの世を去った子ども達の多いことに愕然とし
ます。
子ども達にとって親の存在は絶対であり、親に逆らっては生きていけないことを、子ど
も達は本能的に知っています。どのような親であっても、子はその親に寄り添って生きる
ほかありません。
こうした関係の中で、児童虐待が起こっている事は、悲しい現実です。そして、もっと
悲劇的なのは、親から虐待を受けた子が親になった時、我が子に対しても同じように虐待
してしまう虐待の連鎖という呪縛から逃れられず苦しんでいる親の存在です。
「児童虐待は止めろ」というだけでは、児童虐待はなくなりません。これまで、行政機
関をはじめ様々な方々が児童虐待防止を叫んでも、一向に児童虐待がなくならない現実が
そのことを良く物語っています。
こ う し た 中 、「 べ っ ぴ ん さ ん 」 と い う 作 品 は 、 問 題 解 決 に 向 け て 大 事 な こ と を 私 た ち に
示しています。
主人公の「私」は「あやね」という女の子の母親。公園に行くと、ママ友がいて、みん
な笑顔を振りまいている。私も、いつも公園では笑顔にしている。でも私は知っている。
「 き っ と み ん な 家 で は 子 ど も を 叩 い て い る は ず だ 。 だ っ て 、 あ た し が そ う だ も の 。」 と 思
っている。
「 あ や ね 」 は 、 私 が い つ も 笑 っ て い る 公 園 が 好 き で 、 家 に 帰 る の を 嫌 っ て い る 。「 あ や
ね」は、外では叱られないことを知っているから、好きなように振る舞っている。そんな
娘の様子を見ながら、私の体の中の澱んだ水かさが増えていく。
家に帰って玄関の扉を閉じた時、がしゃんという音と共に、私の顔から最後に浮かべた
笑顔がはがれ落ちる。
私は、子どもの頃、親から虐待を受けて育ち、手の甲にはたばこを押し付けられた傷跡
が残っている。
「あやね」は、靴を履くとき右と左を間違える。その都度私は「あやね」の足をひっぱ
たく。そんなことの繰り返し。
ある時、近所の「はなちゃんママ」の家に「あやね」と行くことに。そこで、とうとう
私 は 「 あ や ね 」 を 虐 待 し て い る こ と が 分 か っ て し ま う 。「 あ や ね 」 の 投 げ た ボ ー ル が 私 の
手 に 当 た り 、 私 が 立 ち 上 が っ た だ け な の に 、 そ れ を 見 た 「 あ や ね 」 が 、「 ご め ん な さ い 、
ごめんなさい……」とけたたましく叫びだし、頭を両手でかばいながらその場にうずくま
る。
そ の 時 で し た 。「 は な ち ゃ ん マ マ 」 が 私 に 抱 き つ い て 、 こ う い い ま す 。「 虐 待 さ れ た ん
で し ょ う ? わ た し も だ よ 。 だ か ら わ か る 。 つ ら か っ た よ ね 。」
鈍 い と 思 っ て い た 「 は な ち ゃ ん マ マ 」 は 、 鈍 く な か っ た 。「 は な ち ゃ ん マ マ 」 は 見 て い
た 。「 あ や ね 」 の ふ と も も の 指 の 跡 、 青 い 痣 を 。「 あ や ね 」 が 、 私 と 手 を 繋 が な い で 、 距
離を開けて歩くことを。
以 上 が 、「 べ っ ぴ ん さ ん 」 と い う 作 品 の あ ら す じ で す 。 < 続 く >
第341号
平成24年7月2日
きみはいい子(3)
ここで「はなちゃんママ」は、大事な事を主人公の私に打ち明けます。
「近所におばあちゃんがいてね。あたしが外にいると、家の中に入れてくれたの。ご飯
も食べさせてくれたの。家に入れんといてくれってお父さんに言われたら、一緒に外にい
て く れ た の 。」
「一度、おとうさんに外でたたかれたとき、おばあちゃんが走ってきて、あたしを抱い
てかばってくれたの。たたいたらいかん。この子はなんちゃあ、わるいことしちょらんっ
て 言 っ て 。」
そのおばあちゃんというのは、朝鮮から来た人で、きっと大きな苦労を背負って生きて
きただろうということは想像に難くありません。
二 人 の 手 の 甲 に 残 っ て い る た ば こ の 傷 跡 。「 そ の 傷 の 痛 み 。 消 え な い 親 の 怒 り 。 自 分 の
体に刻まれたそのしるしを見るたびに、自分は、親に嫌われている、世界で一番悪い子だ
と 思 い 知 る 。 い く つ に な っ て も 消 え な い 、 世 界 で 一 番 悪 い 子 の し る し 。」
今もどこかで、こんな風に体と心に深い傷を負っている子ども達がいるかと思うと、心
が痛みます。
最後に「はなちゃんママ」は、主人公の私に「あたしだって、おばあちゃんがいなかっ
た ら 、虐 待 し て い た と 思 う 。こ ど も が か わ い い な ん て 、思 え な か っ た と 思 う か ら 。だ っ て 、
そうでしょ。自分で自分がかわいいと思えなくて、こどもがかわいいって思えるわけない
よ 。」
「おばあちゃんがね、いつもあたしに言ってくれたの。会うたんびに。あたしを見るた
ん び に 。 べ っ ぴ ん さ ん だ っ て 。」「 だ か ら 、 わ た し も 「 あ や ね ち ゃ ん マ マ 」 に 言 っ て あ げ
た い の 。「 あ や ね ち ゃ ん マ マ 」 だ っ て 、 べ っ ぴ ん さ ん な ん だ よ 。」
その言葉を聞いて、母親が死んでも泣けなかった主人公の私は、自分が泣いていること
に気づきます。
私は、この作品を読みながら、心の痛みに寄り添うことが如何に大切かを、改めて感じ
させられました。
こ の 作 品 は 、「 は な ち ゃ ん マ マ 」 の 家 か ら 帰 る 時 の 玄 関 で の シ ー ン で 幕 を 閉 じ ま す 。
「あやねは上がり框に腰掛け、自分の足とあたしの持つ靴を見くらべたあと、一瞬迷っ
て右足を出した。あたしが持っていた靴は左足だった。あたしは手に持っていた靴をたた
きに下し、右の靴を持ち上げて、あやねの出した右足に履かせた。不安げに自分の足をみ
つ め て い た あ や ね は 、 ぱ っ と 顔 を 上 げ 、 あ た し の 顔 を 見 て 、 笑 っ た 。」
主人公の私が、虐待の連鎖から解放されようとする確かな手応え、確かな希望を感じさ
せます。
第342号
平成24年7月3日
きみはいい子(4)
児童虐待は、物理的な暴力、言葉による暴力、ネグレクトなど、様々な形を取って現わ
れます。また、その背景も、児童虐待のケースごとに皆違うといった方が良いでしょう。
子どもは親を求めています。特別の事ではありません。親の愛情を、その肌で確かめた
いと思っているだけです。ただそっと手を伸ばしてやりさえすれば、その子供たちの切な
いほどの思いに応えてあげることが出来るのに。そうすれば、子供はその手を掴み、親の
愛情を感じ取ることが出来るのに、その簡単なことさえ出来ない親がいます。
そ の 距 離 の 遠 さ に 、 子 ど も 達 は 絶 望 し て し ま い ま す 。「 自 分 が 悪 い 子 だ か ら 」 と 。 親 は
現状から逃避することができても、子ども一人の力では、親から逃れて生きるすべはあり
ません。
「うばすて山」という作品は、主人公である私と痴ほう症にかかり何もわからなくなっ
ている母との葛藤を描いています。主人公である私の母は、私が子どもの頃、言葉では表
せない程のひどい仕打ちをしたのだけれど、今は痴ほう症のために何もかも分からなくな
っています。勿論私は、母から受けた仕打ちを忘れたことはありませんし、今も恨んでい
ます。普段は、妹が母の世話をしているのだけれど、事情があって数日間だけ預かること
になります。その数日間、母と生活する中で、昔の記憶がよみがえって来ます。
「みちこちゃんのおかあさんは、おかあさんと呼んだら、わらってふりかえってくれる
んだ。うらやましくてたまらなかった。家に帰ると、おかあさんは、台所で大根を切って
い た 。 わ た し は 、 そ っ と う し ろ に 近 づ い て 、 声 を か け て み た 。「 お か あ さ ん 。」 お か あ さ
ん は 返 事 も せ ず に 、 勢 い よ く ふ り か え っ た 。 わ た し は 思 わ ず 後 ず さ っ た 。「 な に よ 。」 お
か あ さ ん の 顔 は 怒 っ て い た 。 お か あ さ ん は 、「 用 も な い の に 呼 ば な い で ち ょ う だ い 。 こ っ
ち は 忙 し い ん だ か ら 」 と 怒 鳴 っ た 。」
そ こ で 、 主 人 公 の 私 は こ う 考 え ま す 。「 そ う だ 、 み わ ち ゃ ん の お か あ さ ん は 、 庭 で タ オ
ル を 取 り 込 ん で い て 、お か あ さ ん は 、台 所 で 大 根 を 切 っ て い た 。違 う こ と を し て い た か ら 、
反 応 が 違 っ た ん だ 。」
子 ど も っ て 、こ ん な 風 に 考 え る の で す ね 。ど こ ま で も 、母 親 の 方 に 気 持 ち を 寄 せ て い く 。
読んでいて切なくなります。そうして、主人公の私は、おかあさんが洗濯物を取りこんで
いるときに、もう一度呼んでみます。しかし、結果は同じでした。おかあさんはふりかえ
る な り 、「 う る さ い 」 と 怒 鳴 っ た の で す 。 主 人 公 の 私 は 思 い ま す 。「 は あ い っ て 、 言 っ て
ほ し か っ た だ け な の に 。 ふ り か え っ て 、 わ ら っ て ほ し か っ た だ け な の に 。」 こ ど も の 願 い
はおかあさんの笑顔。でも、母親の心が閉ざされていれば、そのささやかな願いさえ届く
ことはありません。
「おかあさんはおかあさんであって、みちこちゃんのおかあさんとは違うことに、わた
しは気づかなかった。それから何度も何度も裏切られて、今は知っている。おかあさんは
お か あ さ ん だ と い う こ と を 。」 そ れ で も 、 主 人 公 の 私 は 、 お か あ さ ん が 嫌 い な 自 分 は 悪 い
子だという思いから逃れることもできずにいます。そんな私を救ってくれたのは学校の先
生 で 、「 ひ ど い 事 を す る 人 を 好 き に な る 必 要 は な い 」 と い わ れ 、「 お か あ さ ん を き ら い な
自分をきらいになる必要がない」事を知ります。
最後にこういうシーンが出てきます。雨のそぼ降る公園で、子どもの頃は決して繋いで
くれなかった母の手を繋ぎながら揺れるブランコを見ていた時、風が吹いて私の目に砂が
入ります。痛くて仕方ありません。その時、おかあさんが痛くて閉じようとしている私の
目を無理に指で広げ、私の目を舌でぺろんと舐めます。わたしは目を開きますが、もうど
こも痛くありません。約束の日が来て、おかあさんを妹のところに連れて帰ることになり
ます。それは、私にとって母を捨てることでもあるのですが、でも、最後に母が自分にし
てくれた事は絶対に忘れまいと思うのです。
どんなに憎しみが深くても、母と子の邂逅の深さを感じずにはおられません。
第343号
平成24年7月4日
一炊の夢
時間が過ぎるのは、本当に早いものです。
今年も、あっという間に半年が過ぎ、7月になってしまいました。この半年間、いった
い何をしてきたのだろうと、反省する事しきりです。
7 月 2 日 は 私 の 誕 生 日 な の で す が 、 最 近 は 、 毎 年 7月 に な る と 、 積 み 重 な っ た 年 齢 の 重
さと共に、過ぎ去った年月の速さに唖然とするばかりです。特に60歳を過ぎてからとい
うもの、ますますその感じが強くなっており、まるで坂を全速力で駆け下りているようで
す。
若い頃は、まだまだ沢山時間があると思っていました。しかし、今は、砂時計の砂がど
ん ど ん 減 っ て い く よ う で 、残 さ れ た 時 間 に 限 り が あ る こ と を 実 感 し て い ま す 。救 い な の は 、
残っている砂の量が分からない、という事でしょうか。
このように、貴重な日々の積み重ねなのに、過ぎてしまえばそれは一瞬です。
中国には「一炊の夢」という故事がありますが、これは、唐の盧生という青年が趙の都
の邯鄲で呂翁という名の道士から枕を借りて人生50年の栄華の夢を見るのですが、覚め
て み る と 、 炊 き か け の 栗 が ま だ 煮 え 切 ら な い ほ ど の 短 い 時 間 で あ っ た ( 広 辞 苑 か ら )、 と
いうもので、まさに「人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」です。こ
れは幸若舞の一つ「敦盛」の一節で、織田信長が好んで歌ったといわれているものです。
今川義元が尾張に攻め込んできた時、桶狭間の戦いを前にして、信長が清州城でこの「敦
盛」を謡いながら舞うシーンは有名ですね。
過 去 を 振 り 返 れ ば 、 功 成 り 名 を 遂 げ た 人 で も 、「 人 生 と い う も の は 、 は か な い も の だ 」
という感傷から逃れることは、難しいようです。
何事も夢まぼろしと思い知る 身には憂いも喜びもなし
これは室町時代の8代将軍、足利義政の辞世と伝えられているものです。銀閣寺を建立
し栄耀栄華を極めたはずの人生も、死を目前にしては誠に虚しいものに映ったようです。
位人身を極めたといえば関白太閤殿下も、その辞世は
露とおち露と消えにしわが身かな 難波のことも夢のまた夢
というものでした。
露は葉の上につく水滴ですが、太陽が昇ると、瞬く間に蒸発してしまいます。つまり、
自分の人生が、朝露のように頼りなく、夢でも見ているようにはかないものだったという
ことです。
人 と い う も の は 誰 し も 、「 自 分 の 人 生 は 満 足 す べ き も の だ っ た 」 と 感 じ て 死 に た い と 思
っているのではないでしょうか。足利義政にしても太閤殿下にしても、それは同じだった
はずですが、彼らは結局、自分の人生には満足しきれなかったようです。
人というものは、幾らお金持ちになっても、どれ程出世しても、それだけでは心の満足
を得られないものだという事を、彼らは示してくれています。人としてどう生きるか、人
生の目的をどう考えるかによって、その人の人生の最後の帳尻は変わってくるのだと思い
ます。
天 下 統 一 に 向 け て ひ た 走 り に 走 っ て い た 織 田 信 長 は 、そ の 目 的 を 達 成 し よ う と す る 目 前 、
明 智 光 秀 に 背 か れ 本 能 寺 で 横 死 し ま す 。 信 長 は 死 に 臨 ん で 、「 敦 盛 」 を 謡 い 、 舞 っ た と い
われていますが、事実なら信長らしいと思います。しかし同時に、彼がもし生きながらえ
て天寿を全うしたなら、死に臨んで如何なる辞世を詠んだであろうかと、興味は尽きませ
ん。
第344号
平成24年7月5日
犬税
大阪府泉佐野市の千代松市長は、放置された犬の糞害対策の一環として、犬の飼い主に
対する「犬税」の課税について検討していることを明らかにしました。市長としては、早
ければ2年後にも条例を制定したいとしています。
総務省によると、犬の飼い主への課税は1955年頃には2686自治体が実施してい
たそうですが、その後徐々に減少し、1982年3月に長野県四賀村(現松本市)が取り
止めたのを最後に、今では「犬税」を設けている自治体はないとのことです。
勿論、今でも、自治体が独自に条例を定め、総務相が同意すれば「犬税」を導入するこ
とは可能なのですが、早速市民からは賛否様々な声が上がっているようです。
ま ず 、「 犬 税 」 を 導 入 し よ う と す る 市 側 の 事 情 に つ い て 、 見 て み ま す 。
市の説明によると、市では現在約5400匹の犬が登録されているそうですが、飼い主
の中にはマナー違反の人がいて、犬の糞害が問題になっています。
市では、2006年
に施行した市環境美化推進条例において、飼い犬などの糞の放置を禁止すると共に、今年
1月からは、違反者から千円を徴収すると定めています。しかし、これまでのところ徴収
例はなく、糞害の方も一向に改善されないため、業を煮やした市では、市民への啓発や取
り 締 ま り を 強 化 す る と 共 に 、「 犬 税 」 を 導 入 し 、 そ の お 金 を 、 道 路 の 清 掃 や 見 回 り を 行 う
巡視員の人件費に充てる考えだといいます。
一方、マナーを守って、犬の糞は持ち帰っている大多数の飼い主からすると、一部のマ
ナ ー 違 反 者 の た め に 自 分 た ち ま で 税 金 を 負 担 す る の は お か し い と い う 事 に な り ま す 。ま た 、
飼い犬の中には、家の中で飼われているものもいて、そういう犬についてまで課税の対象
にするのかという問題もあります。
糞害に悩まされている市が、新たに「犬税」を導入してでも何とかしようという気持ち
は分かりますが、実際に課税するとなれば、考えなければならない点が幾つかあります。
先程も述べたように、
「 犬 税 」そ の も の は か つ て 多 く の 自 治 体 で 導 入 さ れ て い ま し た が 、
その位置づけは一種の贅沢税とされていたようです。終戦後間もない頃は食糧事情も悪か
ったですから、犬を飼うというのは難しく、贅沢と思われていたのでしょう。また、犬を
飼えるという事は、それだけ担税能力があるとも見られていたのだと思います。
しかし、現在では、犬を飼うというのは特別の事ではなくなりました。中にはセレブ犬
を飼っている方もいますが、犬を飼っているから贅沢だと思う人はいないでしょう。
また、犬以外のペットを飼っている方も多くおりますから、犬だけを課税対象にする事
に合理的な理由があるといえるでしょうか。
犬は散歩のとき、道路や公園を使用するからという考えもあると思われますが、家の中
で飼われている犬もいますから、そういう犬は課税対象から外すのでしょうか。
犬の糞害が問題であることは当然ですが、糞害を解消するためには、その原因、つまり
飼い主のモラルを向上させることが第一です。
仮 に 、「 犬 税 」 に モ ラ ル 違 反 に 対 す る ペ ナ ル テ ィ の 意 味 を 持 た せ る と す れ ば 、 モ ラ ル を
守っている飼い主にまで課税するというのは妥当でしょうか。
穿った見方をすれば、マナーを守らない、最後まで面倒を見ないなど無責任な飼い主が
横行する中、一定程度税金を掛けることで、そうした無責任な飼い主を減らすという効果
を期待しているのかも知れません。
この「犬税」に関して、三重大学の手塚先生は面白い事をいっています(三重大学教育
学 部 研 究 紀 要 1 9 8 9 )。
そ れ に よ る と 、「 犬 保 有 税 」 が 制 度 化 さ れ い る ド イ ツ の マ ン ハ イ ム で は 、 犬 を 連 れ て い
る飼い主がまるで堂々と犬に道路で用を足させている姿を何度が目にしたそうです。
こ れ に つ い て 、 手 塚 先 生 は 、 こ の 飼 い 主 の 態 度 、感 覚 は 、恐 ら く 彼 等 の 支 払 っ て い る 「 犬
保 有 税 」 に そ の 一 因 が あ る よ う で あ り 、ド イ ツ の 人 々 は 、そ の よ う な わ け で 、犬 の 糞 に 余 り
め く じ ら 立 て ず 、い た っ て 寛 容 な 態 度 で あ る よ う に 感 じ た と 述 べ て い ま す 。
今回の「犬税」検討の背景には泉佐野市の厳しい台所事情があるという話もあり、それ
が事実だとすると、取れるところから取るという発想は安直だといわざるを得ません。
「犬税」とはいっても、実際に課税するとなれば、その政策的意図や実効性が問われる
ことになりますし、税金を負担する側の不公平感を増幅させるものであってはならないと
思います。
特に、マンハイムの事例のように、折角の「犬税」が、かえって飼い主のモラル低下を
助長するということになっては、元も子もありません。
第345号
平成24年7月6日
解けないはずを解く
情報通信研究機構と九州大学等による研究チームは、解読に数十万年かかるとみられて
いた「ペアリング暗号」を、コンピューター21台を使って148日で解くことに成功し
た そ う で す ( 6 月 1 9 日 付 読 売 新 聞 )。
暗号といえば、身近なところではクレジットカードなどの暗証番号や、ネットで買い物
をする際パスワード等がありますが、これらで使用される記号はせいぜい4桁から8桁位
のものです。しかし、今回のペアリング暗号は278桁ということで、どんな暗号なのか
皆目見当もつきませんが、解くのはほぼ不可能というのは理解できます。
そもそも、現代の暗号の世界は、分からないことだらけで、まず、ペアリング暗号なる
ものが分かりません。色々調べてみましたが、資料を見れば見る程、私の能力では理解不
能だという事を自覚しました。何はともあれ、極めて複雑な数学の計算問題を解くような
ものだと思うしかありません。
さて、暗号というものは、通信の内容を第三者に知られないように、特別の知識がなけ
れ ば 解 読 で き な い も の に 置 き 換 え て 表 記 す る も の で す が 、 古 く は 、 紀 元 前 19世 紀 ご ろ の
古代エジプトの時代に、既に暗号文が使用されていたようです。
時代は下って、1895年にモールス信号による無線通信が出現すると、文書による通
信と違って、電波による通信は味方だけでなく敵も傍受することが可能となりますので、
暗号は無線通信を行う場合の必需品になっていきます。
暗号といえば、かつて太平洋戦争中、日本軍の暗号はアメリカ軍に筒抜けだったといわ
れておりますが、日本は軍隊同士の戦いだけでなく情報戦争でもアメリカに敗北していた
といえるでしょう。
更に、第二次世界大戦後はコンピューターの時代に入り、文章の暗号化も暗号の解読も
飛躍的に高度化し発展することになります。
今や、日常生活においてクレジットカードを使ったネットショッピングは当たり前の世
の中になっていますが、ここでも、重要な情報が漏れないよう暗号が使用されています。
それでも、コンピューターの進歩に伴い暗号の解読技術も向上しており、情報漏れの事故
や事件が後を絶ちません。
こうした中、企業においては、情報セキュリティや個人情報保護のため、より安全の高
い暗号が求められており、こうした中で開発されたのが前述のペアリング暗号といわれる
ものです。この暗号は、解読はほぼ不可能といわれて来ましたが、研究チームはペアリン
グ暗号を解読する新しい「攻撃法」を開発したという訳です。
研究チームによると、ペアリング暗号は「思ったより脆弱であることが実証された。よ
り 大 き い 桁 数 の 暗 号 を 使 う 必 要 が あ る ( 6 月 1 9 日 付 読 売 新 聞 )」 と し て い ま す が 、 こ れ
ではイタチゴッコで際限のないゲームをしているようなものです。
「 人 間 が 考 え 出 し た も の で あ る 以 上 、 人 間 に 解 け な い は ず は な い 。」 と い う こ と で し ょ
うか。げに恐ろしきは、人間の知恵ですね。
第346号
平成24年7月9日
確証バイアス
一 橋 大 学 の 沼 上 幹 商 学 部 長 は 、東 京 電 力 女 性 社 員 殺 害 事 件 に 関 連 し て 、我 々 の も の を 見 、
理解する上での姿勢について、警鐘を鳴らしています。
東 京 電 力 女 性 社 員 殺 害 事 件 と い う の は 、 1 9 9 7 年 3月 、 都 内 渋 谷 区 円 山 町 に あ る ア パ
ー ト の 1階 空 室 で 、 東 京 電 力 東 京 本 店 に 勤 務 す る 女 性 ( 当 時 3 9 歳 ) が 殺 害 さ れ 、 同 じ ア
パートに住んでいたネパール人のマイナリさんが強盗殺人の容疑で逮捕されたというもの
です。
この事件について、1審は無罪だったものの2審では一転して無期懲役、最高裁でも上
告棄却となり、無期懲役が確定しますが、マイナリさんは一貫して冤罪を主張、無期懲役
確 定 後 も 獄 中 か ら 再 審 請 求 を 求 め 続 け 、 遂 に 2 0 1 2 年 6 月 、 東 京 高 裁 は 、「 被 害 者 の 体
内 に 残 っ て い た 体 液 や コ ー ト に 付 着 し て い た 血 痕 な ど の DNA鑑 定 で 、 第 3 者 が 真 犯 人 だ
った可能性が出てきた」として、再審と無期懲役の執行停止を認めるに至りました。
マイナリさんは、既にネパールに帰国していますが、彼の失われた15年は余りにも重
たいものであり、再審を素直に喜ぶことはできません。
まして、冤罪を作り出すような捜査当局の捜査姿勢に対しては、大きな憤りを感じてい
ます。
こうした捜査当局の捜査姿勢の問題に関していえば、今回の事件に留まりません。例え
ば、2009年6月、厚生労働省の村木局長(当時)が虚偽公文書偽造、同行使容疑で逮
捕されるという事件を思い出す人も多いと思います。これは、一人の検事によって創作さ
れた冤罪事件でしたが、この事件は国民の検察に対する信頼を一挙に崩してしまったとい
っても過言ではありません。
また最近では、小沢一郎元民主党代表の政治資金規正法違反事件において、検察官によ
る捜査報告書の偽造という事件が発覚し、担当検事などが懲戒処分されています。
捜査当局の、こうした捜査姿勢が改まらない限り、我が国において冤罪事件は無くなら
ないだろうと暗澹たる気持ちになります。そして同時に、頭脳明晰なはずの彼らがどうし
て同じ過ちを繰り返すのか、不思議でもあります。
上 述 の マ イ ナ リ さ ん の 事 件 に 関 し て い え ば 、DNA鑑 定 の 技 術 的 な 問 題 を 抜 き に し て も 、
捜査当局者は自分たちの描いたストーリーに沿った捜査と証拠の採用に固執しています
が、沼上先生は、それは「確証バイアス」のせいであると述べています。つまり、人間に
は 、「 自 分 の 抱 い た 仮 説 を 直 接 確 か め る た め の 作 業 に 引 き 込 ま れ て し ま い 、 ラ イ バ ル 仮 説
を 否 定 す る 傾 向 が あ る 」 ら し い の で す ( 6 月 1 5 日 付 朝 日 新 聞 )。
例えば、犯罪が発生した場合、真犯人に結びつくストーリーラインは一つだけとは限り
ません。ある人を真犯人だと考えると多様な証拠のつじつまが合うとしても、同様にうま
くつじつまを合わせてくれる真犯人の可能性も残っているはずです。ですから、沼上先生
は「ある人を犯人だと立証する作業と同時に、別の犯人の可能性を潰す作業が不可欠だ」
と 指 摘 し て い ま す ( 6 月 1 5 日 付 朝 日 新 聞 )。
にもかかわらず、マイナリさんの事件において捜査当局は、マイナリさんを真犯人にす
る証拠ばかりを集めて真犯人に仕立ててしまったわけですが、こうした問題は決して犯罪
捜査に限ったことではないことを、我々は肝に銘じておく必要があります。
私の職場でも、将来の経営に影響を与えるような課題がしばしば生じますが、こうした
場合に、如何に客観的な情報を集め、冷静に検討を加えるかが重要になってきます。往々
にして思い込みで物事を進め、後で、もう少し別なやり方があったなと思うことがありま
す 。今 か ら 考 え る と 、そ ん な 時 は 、私 も「 確 証 バ イ ア ス 」に 陥 っ て い た の か も 知 れ ま せ ん 。
沼上先生にいわせると、個人が「確証バイアス」を克服するためには、単に軽く「他の
選 択 肢 を 考 え て み る 」 と い う だ け で は 難 し い ら し く 、「 自 分 の 判 断 が 間 違 っ て い る か も し
れないと考える。そして、間違っているとしたら、その理由は何かということまで突き詰
める」事が必要だとしています。
如 何 な る 場 合 で も 、正 し い 選 択 を し よ う と す れ ば 、安 直 な 道 が あ る は ず も あ り ま せ ん が 、
「確証バイアス」に陥らないためには、少なくとも、徹底して自己批判する力がなければ
ならず、同時に、その自己批判に対する心の葛藤にも耐え得るだけの精神力を持たなけれ
ばならないのだと、改めて感じています。
第347号
平成24年7月10日
蓋然性
大津市立中学校2年生の男子生徒(当時13歳)が昨年10月自殺した問題が、非常に
大きな波紋を呼んでいます。
子どもが自殺する度にマスコミも世間も大騒ぎしますが、直ぐに熱が冷めて、同じよう
な問題が繰り返し発生することに、憤りさえ感じます。
さて、今回の男子生徒の自殺が大きな問題になっているのは、大津市教委や中学校の、
いじめ問題解決への姿勢にあるといえます。
市教委は、男子生徒が自殺した事を受け、昨年の10月下旬、全校生徒対象のアンケー
ト調査を実施し、翌11月2日に市教委がアンケートの一部結果を公表しました。それに
よ る と 、「 い じ め が あ っ た 」 こ と は 認 め ま し た が 、 自 殺 と の 関 係 に つ い て は 「 い じ め が 自
殺の原因と断定できない」と事実上否定しています。
自殺した男子生徒の両親は、これを不満として、今年の2月、市や同級生らに損害賠償
を求め大津地裁に提訴しましたが、市側は争う姿勢を示しています。
と こ ろ が そ の 後 、 ア ン ケ ー ト 調 査 の 中 で 、「 自 殺 し た 男 子 生 徒 は 、 自 殺 の 練 習 を さ せ ら
れていた」などと回答した生徒が15人もいたことが明らかとなることや、マスコミなど
を通じて一挙に問題が沸騰するに至り、いじめていたという生徒の実名までがネット上に
流れるという事態になっています。
今回の混乱の最大の原因は、市教委や学校側が全校の生徒を対象に行ったアンケート調
査の結果について、自分たちに都合の悪そうなことはオブラートに包んで公表しないよう
にするという、姑息な情報操作を行ったことにあるでしょう。
こうした姿勢からは、市教委にも学校側にも、いじめ問題に真剣に取り組むという姿勢
が感じられません。恐らく、多くの人は、彼らは問題から逃げている、責任逃れをしよう
としていると感じているのではないでしょうか。
まして、いじめたとされる生徒二人が亡くなった生徒に暴力を振るっているのに、傍に
いた担任教師は止めずに「やりすぎんなよ」といって笑っていたという生徒の証言(7月
6 日 付 朝 日 新 聞 ) に は 驚 く ば か り で す 。 問 題 の 教 師 は 、「 あ ま り や り 過 ぎ る な よ 」 と い っ
たのは、行為を止めさせる趣旨だったと主張している(7月6日付朝日新聞)ようです。
し か し 、「 や り 過 ぎ る な 」 と い う の は 行 為 の 程 度 を 問 題 に し て い る の で あ り 、 如 何 な る い
じめも絶対に許さないという毅然とした姿勢はそこにはありません。
また、いじめと自殺の関係についても、こうした問題が発生する度、市教委や学校側か
らは、必ずといって良い程「いじめが自殺の原因とは断定できない」といった発言がなさ
れます。
確かに、いじめだけが自殺の原因だったのか、他に自殺のきっかけがなかったのかは、
本人が遺書などによって明確に意思表示でもしていない限り、断定は難しいでしょう。
しかし、今回のように、自殺した男子生徒は不断に暴力的ないじめを受けており、しか
も「自殺の練習」までさせられていたとすれば、いじめと自殺との因果関係は深い、即ち
蓋然性が高いと考えるべきではないでしょうか。
2003年3月、一人の青年が遺書を残して自殺しました。本人は、パワハラが原因で
鬱 に な る な ど し 、 結 局 、 自 殺 し た の で す が 、 労 基 署 は 、「 上 司 の 態 度 は 指 導 ・ 助 言 の 範 囲
内であって心理的負荷は過重ではなかった」などとして、業務と自殺との因果関係を否定
し、労災不支給を決定します。
しかし、その後の行政訴訟で、裁判所は、上司の普段の言葉や態度などを総合判断し、
青 年 の 死 亡 は 業 務 に 起 因 す る と の 判 断 を 示 し て い ま す ( 2 0 0 7 年 1 0 月 )。 こ れ は 裁 判
所が、上司のパワハラが自殺の原因となった蓋然性が高いと評価した結果であるといえま
す。
市教委も学校も捜査機関ではありませんから、自殺の原因を断定することなど不可能な
ことです。だからといって、初めから、いじめと自殺の問題から逃げようとすることは、
許されることではありません。
常にいわれていることですが、教育機関はじめ関係者は、いじめは何処にでもあり、何
処にでも起こり得るとの前提に立って、その根絶に向けて取り組んでいただくことを、切
に望みます。
第348号
平成24年7月11日
人間の死に方
日 本 老 年 医 学 会 は こ の ほ ど 、「 高 齢 者 ケ ア の 意 思 決 定 プ ロ セ ス に 関 す る ガ イ ド ラ イ ン 」
をまとめました。
このガイドラインでは、高齢者の終末期における「胃ろう」の導入や中止、差し控え等
を判断する際の指針を示しています。
「胃ろう」というのは、口から食べられなくなった時に人工的に栄養や水分を補う方法
で、おなかに直径5ミリほどの穴を開けて管を通し、胃の中に直接流動食や水分、薬を入
れるものです。
こ の よ う に 、「 胃 ろ う 」 は 生 命 維 持 の 重 要 な 手 段 で は あ り ま す が 、 同 時 に 、 介 護 す る 側
からすると手間が軽くなるという事情もあり、国内では4,50万人が利用しているとい
われています。しかし、中には高齢で回復の見込みがなく、意識もない終末期の患者が胃
ろうによって何年も生きられるケースもあり、そうした延命行為の是非も問題となってい
ました。
全国老人福祉施設協議会の調べによると、特別養護老人ホーム(特養)入所者に「胃ろ
う」を行うかどうかの決定には、本人の意思や施設の説明よりも、医療従事者からの説明
が大きく影響しているとしており、医療従事者主導の下で「胃ろう」が行われているのが
実態のようです。
ま た 、「 胃 ろ う 」 の 期 間 に つ い て は 、
1年以上3年未満
36.1%
3年以上10年未満
35.8%
10年以上
1.3%
となっており、これらを合わせると、7割以上の方が1年以上「胃ろう」を付けて生活し
ていることになります。
こうした状況の中で、今回、高齢者の終末期における「胃ろう」に関して、3項目から
なるガイドラインが示されたものです。
ま ず 、 1 の 「 医 療 ・ 介 護 に お け る 意 思 決 定 プ ロ セ ス 」 で は 、「 医 療 ・ 介 護 ・ 福 祉 従 事 者
は、患者本人及びその家族や代理人とのコミュニケーションを通して、皆が共に納得でき
る合意形成とそれに基づく選択・決定を目指す」としています。
2 の 「 い の ち に つ い て ど う 考 え る か 」 で は 、 医 療 ・ 介 護 ・ 福 祉 従 事 者 は 、「 本 人 の 人 生
をより豊かにし得る限り、生命はより長く続いたほうが良い」という価値観に基づいて、
個別事例ごとに、本人の人生をより豊かにすること、少なくともより悪くしないことを目
指 し て 、ど の よ う な 介 入 を す る 、あ る い は し な い の が よ い か を 判 断 す る 。」と し て い ま す 。
最 後 に 、 3 の 「 胃 ろ う 導 入 に 関 す る 意 思 決 定 プ ロ セ ス に お け る 留 意 点 」 で は 、「 胃 ろ う
導入及び導入後の減量・中止についても、以上の意思決定プロセス及びいのちの考え方に
つ い て の 指 針 を 基 本 と し て 考 え る 。」 と し て い ま す 。
今回のガイドラインにおいては、非常に重要な考え方が示されていると思います。
ここでは、如何に延命させるかではなく、如何に人として最善の終末を達成するかとい
う視点が明確にされています。いい換えれば、人間としての尊厳をどう守るかという事で
す。
「意識もないまま、胃ろうを外さないよう両手をベッドに括られて生きている」という
姿は、悲惨だと思います。そのようにしてただ生きながらえていることは、果たして本人
の為といえるでしょうか。
今回、終末期の「胃ろう」等についてガイドラインが示されましたので、医療機関や介
護施設等においては、今後このガイドラインに沿って、本人の意向にそぐわないと判断さ
れれば胃ろうを差し控えたり、あるいは中止したりするケースが出てくると思われます。
また、今回のガイドラインは医療関係者や介護関係者向けに作成されたものではありま
すが、実は、我々自身の問題としても受け止め、考えていく必要があります。
自分の親など家族に対してどう判断するかという事もありますし、何より自分が重篤な
病 気 に な っ た 時 、そ れ で も 延 命 治 療 を 求 め る の か ど う か 、と い う 事 に も か か わ っ て き ま す 。
「そんな事態になったら、どうせ意識もないから好きにしてくれ」といいたいところです
が、本来はそれでは済まない筈です。
「無駄な延命治療はするな」と予め家族に伝えておくのも、家族への愛情といえるでし
ょう。
第349号
平成24年7月12日
「愛の献血」助け合い
7月1日から31日までの1カ月間、全国で「愛の献血助け合い運動」が展開されてい
ます。
毎年夏の季節になると、夏休み等の影響もあって献血者が減少する傾向にあるのだそう
ですが、私は随分昔から、献血が趣味と自負する位献血をして来ました。日赤から感謝状
もいただいています。
献血という方式は今では当たり前のスタイルですが、戦後スタートした血液事業は、民
間による買血方式でした。
血液が売買されるという事になると、失業等によってお金に困っている人の中には、自
分の血を売ってお金を得ようとしている人が出てきます。やがて、頻繁に売血する人の健
康 問 題 や 、「 黄 色 い 血 」 と い わ れ た 質 の 悪 い 血 液 が 出 回 る な ど し た た め 、 買 血 制 度 そ の も
のへの批判が高まり、昭和39年8月の閣議決定で、輸血用血液は献血のみによって確保
する事が決定されます。その後、いくつかの変遷を経て今日に至っていますが、国民に安
全な血液を供給するためには、一人でも多くの献血者を必要としている状況は変わりませ
ん。
今日のように医学が進歩しているのに、何故献血を必要とするのかといえば、血液は、
依然として人工的には造れないからなのだそうです。
また、血液製剤は長期間保存できず、中には、血小板製剤等のように有効期限が採決後
4日間しかないという短いものもあります。
輸血を必要としている方々に安全な血液を安定的に供給する為にも、季節を問わず、常
に多くの方々に献血していただかねばなりません。
日赤の調査によると、平成22年は、全国で延べ532万人の方々が献血に協力してい
ます。大変多くの方々が献血に協力していますが、15年前の平成7年の献血者数は延べ
630万人でしたから、当時と比較すると約15%も減少しています。
また、献血者数を年代別に見てみると、30代の方はほぼ変わらず、40代以降の方は
むしろ増える傾向にありますが、少子化の影響もあり、10代と20代の献血者は大幅に
減っています。このままでは、いずれ献血の絶対量を確保する事が難しくなるのではと、
懸念されます。
献血にも年齢要件があり、献血の種類によって異なりますが、健康な方であれば16歳
から69歳まで献血することが可能です。という事になると、私が献血できる期間もあと
僅か、少し寂しい気分です。
第350号
平成24年7月13日
高嶺の花
札幌市中央卸売市場では、先日(10日)朝、道東沖の太平洋で水揚げされたサンマの
初競りが行われましたが、お値段は、なんと1匹3300円というから驚きです。
こ れ で は 、「 サ ン マ で も 食 べ よ う か 」 等 と 失 礼 な こ と は い え ま せ ん 。
この高値の原因は、ご祝儀相場というより、不漁の為に入荷量が大きく減ったことが大
きいようですが、このまま不漁続きだと、サンマはますます高値の花になりそうで心配で
す。
一体何故、サンマが不漁なのか、また、この不漁が一過性なのか、今後も続くのかが気
になるところです。
一つ考えられることは、海水温の上昇です。海水温が上昇するとサンマの漁場が北に移
動し、いずれ我が国周辺の漁場が大幅に縮小するという説もあります。
今年のサンマ漁の不漁が海水温の上昇に原因があるとすると、今後も不漁が続く恐れが
あります。
また、イワシやサバ,サンマなどの青魚に関しては、経年的に漁獲量が魚種ごとに移り
変わって行くという「魚種交替説」というのがあります。この説は、日本の海洋学者農学
博士の河井智康氏らが提唱しているものです。
その構造は、魚食性プランクトンが大量発生すると、その時の主役となっている魚の小
魚 が 大 量 に 捕 食 さ れ 、次 の 主 役 と な る べ き 魚 種 が 大 量 に 繁 殖 す る 、と い う も の で 、例 え ば 、
太平洋側では「マイワシ→サンマ→マサバ」というように主役となる魚種が交代していく
としています。
もしもサンマの不漁が魚種交替によるものだと、次の最盛期まで十数年待たねばならな
いことになります。そうなると、辛いものがありますね。
さて、昔から「サンマが出ると按摩が引っ込む」という諺があるように、旬のサンマを
食べた人は元気になって按摩に行く必要がなくなるといわれる程、旬のサンマは脂がのっ
ていて美味しく、栄養も豊富といわれています。
「按摩に行かなくても済む」程の効能があるかどうかは分かりませんが、大根おろしが
添えられたサンマの塩焼きは格別です。サンマにも色々な調理法があると思いますが、私
な ど は 、「 目 黒 の サ ン マ 」 を 引 き 合 い に 出 す ま で も な く 、 ま ず は シ ン プ ル に 焼 い て 食 べ る
のが一番だと思います。
サンマは、秋刀魚という字が示すように秋を代表する魚です。旬はこれからですから、
不漁、不漁と余り心配せず、秋風の吹き始めるのを待つことにしましょうか。
第351号
平成24年7月17日
海の日
7 月 1 6 日 は 「 海 の 日 」、 多 く の 方 は 3 連 休 を 楽 し ま れ た こ と と 思 い ま す が 、 残 念 な が
ら 、「 海 の 日 」 に 対 す る 人 々 の 関 心 は 余 り 高 い よ う に は 思 え ま せ ん 。
「 海 の 日 」 は 、「 海 開 き の 日 」 と 勘 違 い し て い る 人 が い な い と も 限 り ま せ ん が 、 元 々 は
「海の記念日」といわれていたものです
この「海の記念日」は、明治天皇が1876年(明治9年)東北・北海道を巡行された
際、7月16日青森で灯台巡視の汽船「明治丸」にご乗船され、函館を経由して7月20
日 横 浜 港 に 無 事 帰 着 さ れ た 事 を 記 念 し 、1 9 4 1 年( 昭 和 1 6 年 )に 制 定 さ れ た も の で す 。
その後「海の記念日」は、1995年(平成7年)に「海の恩恵に感謝するとともに、海
洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とする「海の日」として国民の祝日に加えられる事に
なりました
「海の日」の制定当初は7月20日でしたが、2003年(平成15年)の祝日法改正
に よ る ハ ッ ピ ー マ ン デ ー 制 度 に よ り 、7 月 の 第 3 月 曜 日 に 変 更 さ れ 、今 日 に 至 っ て い ま す 。
私が子供の頃、日本は資源のない小さな島国で、外国から資源を輸入し、工業製品を輸出
することでなりたっている貿易立国であると教わりました。
確 か に 、 日 本 は 、 国 土 面 積 が 約 3 8 万 k m 2、 世 界 の 中 で 6 0 番 目 と い う 小 さ な 島 国 で
すから、諸外国との関わりの中で生きていかなければならないという構造は、今日におい
ても変わるものではありません。しかし、日本が資源のない小さな国という従来のイメー
ジは、今後、日本を取巻く海によって大きく変わっていくだろうと思います。
世界の海は、国際的に次の3つに分けられています。
・領
海:沿岸国の主権が及ぶ海域(領海の基線から12海里以内)
・接 続 海 域:沿岸国が密輸や不法入国を取り締まる権利を有する海域(領海の基
線から24海里以内)
・排他的経済水域:沿岸国に経済的な管轄権が与えられているが、他国の航海に際して
は自由通航となっている海域(領海の基線から200海里以内)
日 本 は 、 先 ほ ど 述 べ た よ う に 、 国 土 面 積 は 約 3 8 万 ㎞ 2に 過 ぎ ま せ ん が 、 領 海 と 排 他 的
経 済 水 域 を 合 わ せ た 面 積 は 国 土 面 積 の 約 1 2 倍 、 約 4 5 0 万 ㎞ 2も あ り 、 こ れ は 世 界 で 6
番目という大きさです。しかも、この海域には莫大な資源が眠っている可能性があります
ので、日本は、小さな島国というより、大きな海洋国家というべきでしょう。
とはいえ、海に囲まれているというだけでは、海洋国家としての発展は難しいというの
も現実です。
今後、漁業資源や鉱物資源を如何に開発していくか、海の安全を如何に守っていくか、
更には海の環境を如何に保全していくか、こうした大きな課題に対して、国を挙げての取
組が問われています。
特に、日本は、中国や韓国と尖閣諸島や竹島などの領有権を巡って厳しいせめぎあいが
続いていますが、その背景は海底に眠る資源にあり、対応を誤れば、領土も資源も事実上
失うことになりかねません。
政府には、海洋資源の開発にしっかりとイニシアティブを取って欲しいと思いますし、
何より、領有権問題で揺れる周辺諸国とは、国益を失うことのないよう、強力な外交力を
発揮して頂きたいと思います。
国 で は 、「 海 の 日 」 を 挟 ん で 7 月 1 日 か ら 3 1 日 ま で を 「 海 の 月 間 」 と 定 め て お り 、 全
国各地で海に対する知識や理解を深めるための様々なイベントが行われています。
私たちもこの機会に、海洋国家日本の将来に思いを馳せてみては如何でしょうか。
第352号
平成24年7月18日
地球の限界
6月の20日から22日にかけ、ブラジルのリオデジャネイロにおいて、国連加盟国1
88か国等の首脳はじめ閣僚級の方々、各国の政府関係者や国会議員、地方自治体、国際
機 関 、企 業 及 び 市 民 社 会 か ら 約 4 万 人 が 参 加 し て「 国 連 持 続 可 能 な 開 発 会 議( リ オ + 2 0 )」
が開催されました。
1 9 9 2 年 に 「 環 境 と 開 発 に 関 す る 国 連 会 議 ( 地 球 サ ミ ッ ト )」 が 行 わ れ て い ま す が 、
その会場も今回と同じリオデジャネイロでした。以来20年、今回の会議は、このかけが
えのない地球において、持続可能な開発をどう進めるか、特に、環境を保全しながら経済
成長と貧困削減を目指す「グリーン経済」への移行が大きなテーマになっていました。
結果は、環境保全と経済成長を両立させる重要性を確認した文書を採択して会議は閉幕
しましたが、内実は乏しい成果だったというのがマスコミの辛口評価です。
会議に対する期待とは裏腹に、合意形成の難しさについては、各国ともに想定していた
のではないかと思います。というのは、環境保全と開発をどう調和させるかという問題に
ついては、これまでも、各国間、特に先進国と発展途上国との利害が衝突して来たからで
す。発展途上国からは、地球環境の破壊を招いたのは先進国の経済活動であり、環境保全
については先進国がより重い責任を果たすべきであるとの主張がなされてきました。
1 9 9 7 年 に 京 都 で 行 わ れ た 気 候 変 動 枠 組 条 約 締 約 国 会 議 ( COP3 ) で は 、 こ う し た
途上国側の主張に配慮して、温室効果ガスの削減目標は先進国が負う形となっています。
し か し 、 COP3 以 降 の 世 界 の 状 況 を 見 る と 、 発 展 途 上 国 の 一 員 で あ っ た 中 国 が 今 で は
アメリカを抜いて世界最高の温室ガス排出国になっているというように、地球環境をめぐ
る状況は大きく変化しています。最早、地球環境の保全は、先進国だけの力で何とかなる
程甘い状況ではなくなっています。
今回の「リオ+20」では、大変重要な報告がなされています。それは、ストックホル
ム大学の研究機関「ストックホルム・レジリアンス・センターによる「地球の限界」につ
いての研究成果です。
こ の「 地 球 の 限 界 」に よ る と 、「 1 万 年 前 の 氷 河 期 以 降 、地 球 は 例 外 的 に 安 定 し て お り 、
こ れ を 維 持 す る に は 「 気 候 変 動 」「 成 層 圏 オ ゾ ン の 減 少 」「 海 洋 酸 性 化 」 な ど 9 つ の 分 野
で 限 界 点 を 超 え な い よ う に す る 必 要 が あ る と し て い ま す 。 そ し て 、 既 に 「 気 候 変 動 」「 生
物 多 様 性 の 損 失 速 度 」「 窒 素 循 環 」 の 3 分 野 で は 限 界 点 を 超 え て い る と 指 摘 し て い ま す 。
確かに、人間社会は、18世紀に始まった産業革命以降、地球という資源を貪欲に食い
つぶしながら急速に発展して来ましたが、その利益の大半は先進国が呑み込んでしまって
います。こうした中、発展途上国の人々が、自分たちも先進国のような豊かな生活をした
いと考えるのは当然であり、そのために経済発展を目指すのも理解できます。
しかし、私たちが住むこの地球は、漆黒の闇の中に、青い宝石のように浮かぶ誠に小さ
な存在です。この小さな地球が、限界点を超えて崩壊すれば、先進国の人々はもとより発
展途上国の人々にとっても、地球が安心して住めるところではなくなってしまいます。つ
まり、地球環境を維持していくことは、人類共通の利益なのです。
かつて、ローマクラブが、地球の資源には限りがあり、人口増加や環境汚染などがこの
まま続けば100年以内に地球上の成長は限界に達する、と警鐘を鳴らしています。
ローマクラブの指摘を待つまでもなく、人類社会が今と同じように経済的な発展を追い
求める限り、そう遠くない時期に、資源が枯渇し、環境が回復不能な程に破壊されてしま
うに違いありません。
そ う し た 最 悪 の シ ナ リ オ を 避 け る た め に も 、「 リ オ + 2 0 」 に お い て 採 択 さ れ た 宣 言 文
「 The Future We Want( 我 々 の 望 む 未 来 )」 に 向 け て 、 各 国 間 が 利 害 を 超 え 、 人 類 の
英知を発揮することを望みますし、日本が、この環境の分野にこそ、もっとイニシアティ
ブを取ってくれる事を期待しています。
第353号
平成24年7月19日
声をあげよ
大津市で昨年10月、中学2年生の男子生徒が自殺した問題で、地元の教育委員会や中
学校が厳しい批判に晒されています。
報道されている内容が事実であれば、教育委員会や学校のいじめに対する認識の甘さ、
対応の拙劣さに言葉を失いますが、多くの子ども達がいじめに気付きながら、どうして最
悪の事態を防げなかったのでしょうか。
「生徒がトイレでいじめられている」と別の生徒が学校側に伝えたにもかかわらず、そ
の情報を受けた教師の側の認識が「けんかで負けていたようだ」というのでは、折角の情
報を生かすことはもとより、最悪の事態を防ぐことが出来なかったのも当然といえるでし
ょ う 。そ し て 、何 よ り も 心 配 な 事 は 、生 徒 達 が 学 校 を 信 頼 し な く な る の で は と い う 事 で す 。
ただ、同時に思う事は、情報の発信が一人ではなく、複数の生徒が声を上げたとしたら
どうだったでしょうか。一人の声は小さいかもしれませんが、幾人もの人が声を上げれば
それは学校を動かす大きな力になったのではないかと思います。
勿論、声を上げるという事は、もしかしたらその事によって、今度は自分がいじめの対
象にされるかも知れませんので、とても勇気のいる事に違いありません。
しかし、教師といえども完ぺきではありませんから、いわなければ分からないという事
も沢山あり、気が付いた誰かが声を上げなければ、事態は何も変わらないのです。
ジャーナリストの江川紹子さんは、自分のために声を上げてほしいと、次のように述べ
ています。
「いじめを傍観するのも、いじめの一種。被害を出さないためにも、自分が何もしなか
っ た こ と で し ん ど い 思 い を し な い た め に も 、声 を 上 げ て ほ し い( 7 月 1 6 日 付 朝 日 新 聞 )。」
声を上げなければならないのは、いじめに気付いた人だけではありません。いじめられ
ている本人が、勇気を奮って声を上げてほしいと思います。
中学生時代いじめを受けていたというボクシング元世界王者、内藤大助さんは「少しで
も嫌な事があれば自分だけで抱え込むな。親でも先生でも相談したらいい。先生にチクっ
たといわれたって、それはカッコ悪い事じゃない。あきらめちゃいけないんだ(7月14
日 付 朝 日 新 聞 )」 と 述 べ て い ま す が 、 そ の と お り 、 決 し て 諦 め て は い け な い の で す 。
私は、教育長になった2006年の11月、道内の子ども達に充てて発した「生き抜く
勇気を」という一通のメッセージの事を今でも鮮明に覚えています。
生き抜く勇気を
児童生徒の皆さんへ
もう死ぬのはやめてください。
新聞、テレビで子どもたちの自殺が報道されています。そんなニュースは、もう見たく
ありません。悲しすぎます。
自殺は、自分を殺すことです。死んだら決して生き返ることはないんですよ。
私は、3年前に息子を亡くしました。突然のことでした。
親より先に子どもが死ぬことは、残された家族にとって、どんなに悲しいことかわかり
ますか?
そして、残された家族は、その悲しみを一生引きずっていかなければならないんです。
その辛さがわかりますか?
死にたくなるような辛いことがあっても、もう、自殺なんてやめてください。
家族を悲しませないでください。
辛いことがあったら、周りの人に相談する勇気をもってください。
お父さん、お母さん、先生、兄弟、友達、近所の人たちに。
誰でも良いですから、今の辛い気持ちを訴え続けてください。相談する勇気を出してく
ださい。
必ず相談に乗ってくれる人がいます。
電話で相談できるところも用意してあります。
もう自殺なんて考えないで、生き抜く勇気をだしてください。
最後に、全ての児童生徒の皆さんに言いたいことがあります。
いじめは絶対に許されないことです。
あの時の一言、あの時のメール、あの時の自分の行動を、いま一度、自分の身に置き換
えて考え直してみてください。
当 時 は 、滝 川 市 を は じ め 全 国 各 地 で 、い じ め を 苦 に 自 殺 す る と い う 事 件 が 起 こ っ て お り 、
ま た 、学 校 な ど に 自 殺 予 告 の 手 紙 な ど が 頻 繁 に 届 け ら れ る と い う 深 刻 な 状 況 に あ り ま し た 。
そ の 後 、い じ め 問 題 に つ い て は 、行 政 も 学 校 も 様 々 な 対 策 を 講 じ て き て い る は ず な の に 、
大津市でのいじめ問題への対応を見ると、行政や学校の体質が何も変わっていない、過去
に学んでいないとしか感じられず、残念でなりません。
いじめの問題に対しては、行政も学校も、教師も保護者も、子ども達と関わる全ての者
が 、 ま ず は 「 逃 げ な い 」「 は ぐ ら か さ な い 」「 隠 さ な い 」 と い う 姿 勢 を 貫 く こ と が 、 何 よ
りも重要だと思っています。
第354号
平成24年7月20日
E=mc2
Eは エ ネ ル ギ ー 、 m は 質 量 、 c は 光 の 速 さ を 意 味 し て お り 、 結 果 、 E= m c 2 と い う 方 程
式 は 、「 エ ネ ル ギ ー は 質 量 に 光 の 速 さ を 2 回 か け た も の 」 で あ る と い う こ と を 意 味 し て い
ます。
この方程式は、アインシュタインが1905年6月に発見したものですが、大変有名な
方程式で、ピタゴラスの定理と同じ位、もしかしたらそれ以上に有名で、重要かも知れま
せん。といいますのも、この方程式は、アインシュタインによる特殊相対性理論の最も深
遠な予言を表現している(大栗博司著「重力とは何か」から)とされているからですが、
勿論私は、この相対性理論という難解な話を語ろう等と、大それた事を考えているわけで
はありません。
皆 さ ん も ご 承 知 の 通 り 、 E= m c 2 と い う 方 程 式 に ま つ わ る 光 ( c ) と 質 量 ( m ) に 関
して2つのニュースがありましたので、そのことについて考えてみようと思っています。
まず、光(c)の方の話題ですが、昨年9月に、ニュートリノ素粒子が光より早く移動
するという実験結果が発表されましたが、ご記憶の方も多いと思います。しかし、先般、
国 際 研 究 グ ル ー プ ( OPERA) は 、 あ の 実 験 結 果 は 誤 り で あ っ た と 発 表 し ま し た 。
も し か し た ら と い う 思 い は あ り ま し た が 、や っ ぱ り 間 違 い だ っ た か と い う の が 実 感 で す 。
それと同時に、粒子の速さを測り、秒速30万キロメートルという光の速さより早いか遅
いかを確認するという技術そのものに驚きです。
もしも光より早い粒子が有ったらどういう事が起こるのでしょうか。
少なくとも、アインシュタインの相対性理論は覆され、タイムマシンが実現するかもし
れません。
しかし現実は、光の速さは宇宙の制限速度であるという宇宙の大法則を再確認すること
になりました。アインシュタインは凄いですね。
光の速さは無限ではないと気付き、その速さを測ろうとした、そうした人間の好奇心が
今日の科学の発展をもたらしました。
光は、実態がなく感じることしか出来ませんが、例えば、今私たちが何気なく使ってい
る 1 メ ー ト ル と い う 長 さ が 、 1 9 8 3 年 以 来 光 が 1 秒 間 に 進 む 距 離 の 299792458分 の
1と 定 め ら れ て い る と い う 話 を 聞 く と 、 掴 ま え 所 の な か っ た 光 が 急 に 身 近 な も の に 感 じ ら
れませんか。
も う 一 つ の 話 題 は 、「 ヒ ッ グ ス 粒 子 」 の 発 見 に つ い て で す 。 世 界 の 科 学 者 達 が 4 0 年 余
に わ た っ て 探 し 続 け て き た も の で す が 、 遂 に 、 欧 州 原 子 核 研 究 所 ( CERN) が 、「 ヒ ッ グ
ス粒子とみられる新粒子を発見した」と発表しました。
宇宙の誕生の直後40万年位は超高温のプラズマ状態であったといわれています。すべ
ての素粒子が自由に動きまわる、いわば混沌の世界ですが、ヒッグス粒子が光速で飛び回
る 素 粒 子 に 作 用 し て 動 き に く く さ せ た と 考 え ら れ て い ま す 。こ の「 動 き 難 さ 」こ そ 質 量( 重
さ )で あ り 、こ れ に よ っ て 、「 ヒ ッ グ ス 粒 子 」は 万 物 に 重 さ( 質 量 )を 与 え た「 神 の 粒 子 」
といわれて来ました。
「ヒッグス粒子」は、英国のヒッグス博士らが1964年に提唱したものですが、その
発想の基は日本人でノーベル化学賞を受賞した南部陽一郎氏の理論だったといわれていま
す。
理 論 的 な 事 は 理 解 不 能 な の で す が 、「 ヒ ッ グ ス 粒 子 」 が な か っ た と し た ら 、 宇 宙 の 姿 は
今とは全く違っていたでしょうし、勿論、地球も存在していなかった事は理解できます。
さ て 、ア イ ン シ ュ タ イ ン 以 前 は 、エ ネ ル ギ ー( E)は「 エ ネ ル ギ ー 保 存 の 法 則 」に よ り 、
物質の質量(m)は「質量保存の法則」により、それぞれ保存されるものと考えられて来
ました。
こ れ に 対 し て ア イ ン シ ュ タ イ ン は 、 エ ネ ル ギ ー ( E) と 質 量 ( m ) は 同 じ も の で あ る か
ら変換することが出来ると主張しました。
そして、変換の際のレートとして使われているのが光速(c)であり、これを方程式に表
し た の が 、 冒 頭 の E=m c 2 と い う も の で す 。
この数式を見ると、例え僅かな質量であっても、光速(秒速3億メートル)の二乗をか
け れ ば 非 常 に 大 き な エ ネ ル ギ ー ( E) に な る こ と が 分 か り ま す 。 こ の 方 程 式 が 原 子 爆 弾 や
原子力発電へと繋がったことは周知のとおりです。
人類は、膨大なエネルギーを生み出す技術を開発しましたが、その技術をコントロール
す る た め に は 、新 し い 技 術 を 生 み 出 す 以 上 の 遙 か に 大 き な 努 力 と 英 知 が 必 要 で あ る こ と を 、
歴史は示しています。
な お 、 蛇 足 な が ら 「 外 見 = 人 間 性 × c 2」 と い う 公 式 を 見 つ け ま し た ( さ く ら 剛 著 「 感
じ る 科 学 」 か ら )。 著 者 の 言 を 借 り る と 、 人 間 の 「 中 身 」 は 心 で あ り 「 外 見 」 は 器 と 、 そ
れぞれは違うという認識が一般的かも知れないが、実はそうではない。純真な心は瞳に表
れ、思いやりを忘れず常に他人の幸福を願っている人には素敵な笑顔が備わります。つま
り、人間の「中身」は「外見」に転換が可能だというのです。
これもまた、宇宙の真理かも知れません。
第355号
平成24年7月21日
育成人材目標
日 本 経 済 新 聞 の 報 道 ( 6月 8 日 付 ) に よ る と 、「 文 部 科 学 省 は 、 高 校 に 具 体 的 な 教 育 目
標 の 設 定 と 達 成 度 評 価 の 公 表 を 求 め る 制 度 の 検 討 を 始 め る 。」 と し て い ま す 。
そ の 理 由 と し て 同 紙 は 、「 高 校 生 の 7 割 が 普 通 科 に 通 う 中 、 学 力 や 進 路 希 望 な ど の 実 態
は多様化。大学受験以外の目的意識が曖昧になり、中堅校を中心に学力低下も懸念されて
い る 。高 校 ご と の 位 置 付 け や 目 標 を 明 ら か に し て 、実 態 に 沿 っ た カ リ キ ュ ラ ム 作 り を 促 し 、
学 力 を 底 上 げ す る 。」 た め と し て い ま す 。
文部科学省では、従来の教育目標は抽象的なものが多かったことから、今後は、生徒層
の実態に応じて、各高校で目指す人材像を明確化することとし、その参考例として
・社会の基盤を担う人材を育成する学校
・工業科、商業科など専門的な職業人を育成する学校
・難関大学を目指すなど、社会のリーダー層を育成する学校
・芸術・スポーツなどの特別な才能を伸ばす学校
・不登校などの経験を持つ生徒を受け入れる学校
を示しています。
文部科学省では、こうした考え方について年内にも結論を出すとしていますが、高校を
類型化することに対しては以前から学校の「序列化につながる」と反対の声がありますの
で、今後の議論が注目されるところです。
さて、今何故、文部科学省は「高校ごとの教育目標の明確化」をいい出したのでしょう
か。背景として考えられるのは、高校生の学力低下が大きいと思います。
今 や 高 校 は 実 質 全 入 の 時 代 に な っ て い ま す が 、 中 で も 、 普 通 科 に は 7割 の 生 徒 が 入 学 し
て い ま す 。そ れ だ け 大 学 進 学 を 考 え て い る 生 徒 や 保 護 者 が 多 い と い う 事 を 示 し て い ま す が 、
「大学に進学するため、取り敢えず普通科を選択している」という生徒も多いと思われま
す。
このため、同じ普通科といっても、生徒の中には、目標を持ってしっかりと勉強してい
る生徒がいる一方、はっきりとした目標も持てず勉強に集中できていない生徒や、そもそ
も高校生にふさわしい基礎学力を持っていない生徒も多数存在しています。
普通科は、もともと農業高校や工業高校と異なり特色を出すことが難しい面があります
が、それでも、それぞれの学校では、地域や、入学する生徒の状況に応じ特色ある学校づ
くりに努めて来ています。
また、道教委としても、医進類型校の指定や入学試験における選択問題の導入などによ
り、より特色のある学校づくりを推進して来ました。こうした現状の中、文部科学省が示
している参考例は余り参考になるとは思えませんが、教育課程が弾力化され特色あるカリ
キュラム作りがやり易くなるなら、歓迎すべきことでしょう。
ただ、高校生の学力不足問題は、単に高校教育だけの問題ではありません。幼児教育か
ら初等中等教育、更には高等教育へと接続する中で起こっている問題と考えるべきで、大
学 の 入 試 制 度 を ど う す る の か と い う 事 ま で 含 め た 、総 合 的 な 対 策 が 必 要 だ と 思 っ て い ま す 。
また、難関大学と社会のリーダーとを結びつけて考えているのを見ると、文部科学省は
変 わ っ て い な い な ー と 感 じ ま す 。更 に 、
「不登校などの経験を持つ生徒を受け入れる学校」
といういい方も、不自然です。
私は、高校教育(高校だけではありませんが)において重要な事は、一人ひとりの子ど
も達が学校を卒業した時に、自分の目標に向かって社会の中でしっかりと生きていける力
を身に付けさせる事ではないかと考えています。
自分の人生をどう考えるか、人としてどう生きるか、社会の中でどのような役割を果た
していくか、その事を自ら考え行動に移していく、そうした力を育てていくキャリア教育
の充実に、もっと力を入れて行くべきでしょう。
第356号
平成24年7月24日
11・25自決の日(1)
【三島由紀夫と若者たち】
こ れ は 、 若 松 孝 二 監 督 に よ る 映 画 の 題 名 で 、 先 週 ( 7月 2 0 日 ) ま で シ ア タ ー キ ノ で 放
映されていたものです。
この映画は、今から42年前の昭和45年(1970年)11月25日に、作家三島由
紀夫氏が楯の会のメンバー4人と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を一時占拠すると共に、三
島氏自らバルコニーで自衛隊員の決起を促す演説を行った後、総監室で割腹自殺するとい
う衝撃的な事件を描いたもので、5月に行われたカンヌ映画祭でも上映され、現地で注目
を集めています。
私はこれまで、不明にして若松監督の映画を見たことはありませんが、同監督はピンク
映画『甘い罠』でデビュー、反体制の視点から描く手法は当時の若者たちから圧倒的に支
持されたといわれています。最近では、2007年に制作した「実録・連合赤軍あさま山
荘への軌跡」は2008年に行われたベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞し
ています。こうした若松監督が、今度は、三島氏の起こした市ヶ谷駐屯地襲撃事件をどう
描くのか興味がありました。
昭和45年当時というと、私は自治省(現総務省)で勤務していたのですが、丁度昼食
を取るため食堂にいた時、突然「三島氏が市ヶ谷を占拠した」とのニュースが飛び込んで
来て、とてつもなく大きな衝撃を受けたことを、今でも覚えています。しかも、割腹自殺
したという事を知り、二重のショックを受けたものです。
ただ、ノーベル文学賞の候補とまで評価されていた高名な作家が、何故陸上自衛隊の市
ヶ谷駐屯地を占拠し、割腹自殺するに至ったのかということは、当時も今も理解できてい
ません。その意味で、今回の映画は、三島氏が楯の会を作り、やがて割腹自殺へと突き進
んで行く軌跡を解き明かしてくれるのではないかと期待していました。
私がこの映画を見た日は、観客はそう多くはありませんでしたし、見に来た人は私と同
じ世代の方が多かったように思います。20代、30代の若い方々に取っては、三島由紀
夫という作家は知っていても、三島事件は遠い話しで、余り興味は持たれなかったのかも
知れません。一方、私と同年代の方は、私と同じような期待を持って劇場に足を運んだの
で は な い か と 思 い ま す 。( 続 く )
第357号
平成24年7月25日
11・25自決の日(2)
まず、映画を見た感想から申し上げると、私にとっては、少し不完全燃焼でした。つま
り、三島という作家を割腹自殺する所まで突き動かして行ったものの正体は、私にとって
は今でも闇の中です。
私の手元には、三島氏が市ヶ谷駐屯地を占拠した際、自衛隊員の決起を促すために撒い
た 「 檄 文 」 の 写 し が あ り ま す 。「 檄 文 」 は 、 三 島 氏 独 特 の 、 硬 質 な 字 体 で B 4 版 用 紙 に 細
かい字でびっしりと書き込まれています。
三島由紀夫による檄文(直筆)の写し
私は、小説家三島由紀夫の作品のファンではありませんし、彼の思想についても理解し
ている分けではありませんが、この「檄文」から、三島氏の思いの一端を窺い知る事は出
檄
われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でも
あり、兄でもある。その恩義に報いるのに、このような忘恩的行動に出たのは何故
であるか。
(中略)
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民
精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白
状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計
は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史
と伝統を潰していくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
(中略)
国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名
を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなしてきている
のをみた。
(以下略)
三 島 氏 は 、戦 後 日 本 の 経 済 的 繁 栄 と 道 義 の 退 廃 に 焦 燥 し て い た の で は な い か と 感 じ ま す 。
特 に 、 檄 文 の 根 幹 に あ る の は 、「 戦 後 民 主 主 義 の 欺 瞞 を 最 も 象 徴 し て い る も の と し て 自
衛隊を取り上げ、その自衛隊の“目ざめる日”を求める」ものであったといってよいでし
ょ う ( 保 阪 正 康 著 「 三 島 由 紀 夫 と 楯 の 会 事 件 」 か ら )。
即 ち 、「 自 衛 隊 は 違 憲 の 存 在 で あ り 、 広 く 国 民 に 認 知 さ れ た 存 在 で は な い 。 し か も 、 国
防という国家の基本に係わる権利を、戦後政治体制が曖昧にしてきたために、文化や伝統
まで崩壊し、民族の歴史的基盤まで変化している」というのが、三島氏の主張するところ
と 考 え ら れ ま す ( 保 阪 正 康 著 「 三 島 由 紀 夫 と 楯 の 会 事 件 」 か ら )。
三島氏は、私財を投じて「楯の会」という組織を作っています。それは、多分に右翼的
色彩の強い、民間の祖国防衛隊(民兵組織)でした。
「楯の会」が創設されたのは昭和43年(1968年)のことであり、その当時は、既
成左翼によるデモ等が激しく行われると共に、大学紛争、ベトナム戦争反対、沖縄返還闘
争、成田新空港反対闘争などのいわば反体制的運動が大きなうねりとなっており、そのエ
ネルギーは、今では想像すらつきません。
その年の10月21日に行われた国際反戦デーのデモは大荒れに荒れ、街頭には火炎瓶
が投げられ、炎がいたるところで舞い上がるという事態となりました。これに対して、警
視庁は騒乱罪を適用し、暴動と化したデモ隊を鎮圧します。それは、国内の治安維持の為
に自衛隊が出動する機会はない、という事を明確に示すことになりましたが、そうした事
態は、三島氏にとって痛恨事であったに違いありません。しかし私には、三島氏が、自衛
隊を日本の伝統や文化の守り手、また、日本的精神の支柱足らしめようとした事は、如何
に時代を憂い、憂国の思いが厚かったにせよ、理解することは出来ません。
若松監督は、連合赤軍と楯の会の若者達について「どちらも日本を憂いて何かをやろう
と立ち上がり、命を懸けた若者たちだ。日本にもこういう若者がいたということを歴史の
1 ペ ー ジ と し て 残 し て お き た か っ た 。」 と 、 彼 ら の 行 動 を 評 価 す る 発 言 を し て い ま す ( 6
月 2 1 日 付 道 新 )。
それに比べて今どきの若者は、という事になるのかも知れませんが、私たちは、世界の
平和の為に殉じた秋野豊さん、3・11の東日本大震災で、最後まで住民の避難を呼びか
けながら自分は津波に呑まれた遠藤未希さん等のように、命がけで自己の使命を果たそう
と努力した人々の存在を知っています。
私には、そうした彼らの行動こそ、尊く、美しいと思っています。
第358号
平成24年7月26日
ウナギが消える
今年の土用の丑の日は、7月27日です。土用の丑の日といえばウナギという事になり
ますが、今年は、ウナギの値段が、まさに「ウナギ上り」に高騰しており、このままだと
庶民の食卓からウナギの姿が消えてしまいそうで心配になります。
何故、こんなにウナギの値段が高騰しているのかというと、このところウナギの稚魚で
あるシラスウナギの不漁が続いているためです。水産庁調査によると、国内のシラスウナ
ギ の 捕 獲 量 は 、 2 0 0 9 年 は 24.7ト ン だ っ た の に 対 し て 昨 年 は 9.5ト ン と 激 減 し て お り 、
これがウナギの値段を高騰させている原因となっています。こうした中、ウナギを扱う業
者の中には、これまで日本ではほとんど出回っていなかったアフリカ産や大西洋産のウナ
ギを輸入するという動きが出ていますが、値段の高騰は止まっていません。
こうした事態に追い打ちをかけているのがアメリカの動きです。新聞などでも報道され
ていますが、水産庁によると、米国政府は、減少しているアメリカウナギだけではなく、
ニ ホ ン ウ ナ ギ な ど す べ て の ウ ナ ギ に つ い て 、「 輸 出 す る 場 合 に は 輸 出 国 政 府 の 許 可 書 の 発
行を義務付ける」というウナギの国際取引の規制を検討しているとのことです。
国内でのウナギの消費量については詳しい統計がなく分かりませんが、生産面から見る
と、平成23年度の国内の生産量は約2万千トン、これに対して中国や台湾などから約3
万4千トンを輸入しており、国産のシェアは4割弱となっています。この為、仮に、米国
の考えている通りに規制されれば、国内でのウナギ不足は相当深刻になり、価格の一層の
高騰が避けられそうもありません。そうなるとウナギは、庶民の口には入らない高級魚に
なってしまう恐れがあります。
ウナギは日本の伝統食と思っていましたが、欧米でもよく食されている魚だそうです。
中でも最も良く獲られているのはヨーロッパウナギだそうですが、その漁獲量は1970
年をピークに減少し続けており、この為ヨーロッパウナギは、2007年から資源保護の
ため輸出入が規制されています。
シラスウナギ激減の原因は、乱獲、海の環境変化などいくつか考えられているようです
が、よく分かっていません。
ま し て 、 ウ ナ ギ の 生 態 も よ く 分 か っ て お ら ず 、「 輸 入 が 出 来 な い な ら 養 殖 で 」 と い う 訳
にもいきません。ウナギの養殖については、研究が進んでいるとはいえ卵から完全に人工
的に養殖する技術は確立されているとはいえません。2010年には、水産総合研究セン
ターが人工孵化したウナギを親ウナギに成長させ、さらに次の世代の稚魚を誕生させると
いう「完全養殖」に世界で初めて成功したと発表していますが、実用化にはまだまだ時間
がかかるでしょう。
夏の土用の丑の日ぐらい、財布の中を心配せずにウナギを食べたいものですが、まさか
平成の御世に、庶民の食べ物だったウナギが高級魚に変身するなんて、平賀源内さん(土
用の丑の日にウナギを食べようというアイデアを考え出した、江戸時代の大発明家)も驚
いていることでしょう。
第359号
平成24年7月27日
栄冠は君に輝く
今年もまた、心燃え立つ高校野球の季節が到来しました。
甲子園球場で、8月8日から始まる夏の大会に向けて、道内でも予選が行われ、北北海
道大会は旭川工業高校、南北海道大会は札幌第一高校がそれぞれ優勝し、北海道の代表に
決まりました。
北北海道代表の旭川工業高校は、エース官野投手の力投と堅い守備によって激戦を勝ち
抜いてきました。特に、官野投手は、46回投げて失点はわずかに5点といいますから、
素晴らしいですね。本番の甲子園での力投を、期待しています。
南北海道代表の札幌第一高校は、粘りの野球をモットーに、機動力と継投策で強豪を破
ってきました。
旭川工業高校は7年ぶり5度目、札幌第一高校は3年ぶり3度目の甲子園出場となりま
す。初戦突破を目指して、全員野球で頑張って欲しいと思います。
今、全国各地で、続々と甲子園夏の大会に向けて代表校が名乗りを上げていますが、今
年の地方大会(福島大会)で、昨年の東日本大震災の被災地から合同チームが参加して話
題を呼びました。
このチームの名前は「相双福島」といい、双葉高校、原町高校、相馬農業高校の3校に
よる連合チームです。これらの学校は、いずれも福島第一原発事故で被災し、部員の転校
などでチーム編成が困難となり、昨年の8月に結成したものです。なかなか3校合同の練
習は出来なかったそうですが、それでもチームとしての力は強く、今一歩のところまで相
手チームを追い詰めながら力尽きたというところです。勝つチャンスがあっただけに、選
手たちは号泣しながら抱き合ったそうですが、青春の涙は最高ですね。
連合チームを率いた双葉高校の田中監督は、試合後のミーティングで「本当にいいチー
ムだった。最高の夏でした。長い夏をありがとう」と優しく語りかけたとのことですが、
選手や監督はもとより、彼らを応援した沢山の人達にとっても、記憶に残る夏となったこ
とでしょう。
「夏といえば甲子園」という程、高校野球夏の大会は、今や夏には欠かせない一大イベ
ントです。野球ファンもそうでない人も、全国の人達を引きつける高校野球の魅力って何
なのでしょうね。
何といっても、最後まで諦めない粘り、その球児達のひた向きさに、観客はしびれるの
ではないでしょうか。まさに、
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に答え
いさぎよし 微笑む希望
(「 栄 冠 は 君 に 輝 く 」 か ら )
ですよね。一球ごとに選手たちは躍動し、応援スタンドは熱気で揺れます。
プロ野球では、今日は負けても明日があるかも知れませんが、高校野球はそうはいきま
せん。負けたら、それで終わりです。ですから、選手たちは、最後の最後まで、必死に食
らいつく、それこそ青春のエネルギーの凝縮です。
勝負である以上、勝者がいれば敗者がいます。勝者は、勝利に歓喜し、敗者は、敗戦の
悔しさに涙します。私などは何時も、大きな体をした高校生が臆面もなく涙する姿に、若
いっていいなあと思ってしまいます。
そ ん な 彼 ら に こ そ 、「 栄 冠 は 、 君 に 輝 く 」 と い う 言 葉 を 贈 り た い と 思 い ま す 。
勝者にとっても敗者にとっても、仲間と共に同じ夢に向かってひたすら汗を流してきた
日々の重さと輝きは、何ら変わりありません。
甲子園という晴れ舞台に立った選手の皆さんには、全力を出し切って戦う事を期待して
います。何故なら、選手の皆さんのひた向きに努力するその姿は、眩しくかけがえのない
ものであり、多くに人に勇気と感動を与えて来たからです。
今年の夏の甲子園、どんな戦いが繰り広げられるのか今から楽しみです。
旭川工業高校 札幌第一高校 ガンバレ!!
第360号
平成24年7月30日
ロンドンオリンピック
いよいよ、4年に1度のオリンピックが始まりました。
2 7 日 に 行 わ れ た 開 会 式 は 、 華 や か で 、 躍 動 感 が あ っ て 、 素 晴 ら し か っ た で す ね 。「 人
間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進する」という「オリンピズムの根本原則」
を彷彿とさせる演出でした。
今回の大会では世界の204の国と地域から1万人を超える選手がロンドンに結集して
おり、8月12日の閉会式まで熱い戦いが繰り広げられることになりますが、テレビ観戦
する私達は寝不足になりそうです。
今回の日本選手団は、男子137名、女子156名、総勢293名という大舞台です。
日本が初めてオリンピックに参加したのは今から100年前(1911年)に開催された
ストックホルム大会で、その時は短距離とマラソンから2名の選手が派遣されています。
結果は、参加することに意義があるという状態でしたが、それが今では、金メダルの数が
話題になる程、スポーツ界においても日本は先進国の仲間入りをしています。
オリンピックというと、どうしても国を背負って戦うという雰囲気になり、選手の皆さ
んには相当プレッシャーがかかっていると思いますが、開会式での選手の皆さんの様子を
見ていると、リラックスして開会式を楽しんでいるという事が伝わってきて、とても良か
ったなと感じています。
オリンピックというと、私にとっては1964年に開催された東京オリンピックが忘れ
られません。この大会は、アジア地域で初めて開催されたオリンピックであり、第二次世
界大戦で敗戦し焦土と化した日本が、短期日の間に急速に復活を遂げつつあることを、内
外にアピールする事になりました。
高校生だった私は、テレビを見ながら、開会式で整然と入場する日本選手団の姿に感激
した事を覚えています。
さて、今回の大会では、26の競技が行われますが、金メダルの期待がかかる競技も沢
山あり、楽しみです。
既にサッカーの試合が始まっており、男女共に勝ち星スタートしており、更に、重量挙
げの三宅選手や柔道の平岡選手も銀メダルを獲得する等、勢いを感じます。是非、この良
いムードが他の選手にも伝播して、大いに活躍して欲しいと思います。
「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉がありますが、それはただ単
に、試合を楽しめば良いといっているのではないはずです。オリンピズムが求めているの
は「努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任・・・」であ
るとオリンピズム憲章は謳っています。
オリンピックは、最高のアスリートたちが、最高の技と力で競うからこそ輝いて見える
のです。
私は、選手の皆さんの、最高のパフォーマンスを期待しながら、応援するつもりです。
また、ロンドンオリンピックに引き続いて、8月29日から9月9日まで、夏季パラリ
ンピックロンドン大会が開催されます。日本からは、35名の選手が参加されますが、い
ずれも活躍が期待されています。ロンドンオリンピックと同様、パラリンピックの方も皆
さんで応援しましょう。
第361号
平成24年7月31日
真の自立を目指せ
大津市の中学2年の男子生徒が自殺した問題で、大津市教育委員会や男子生徒が通って
いた中学校は、連日大きな批判に晒されています。こうした中、滋賀県警が暴行容疑の関
連などで市教委や中学校に捜索に入る、更には、市教委を支援する為、文科省から職員が
派遣されるという状況を見ると、市教委も中学校も当事者能力を失ってしまっているので
はと心配になります。
いじめの問題については、これまでも全国各地で発生しており、問題が発覚する度、そ
の時は大きな騒ぎになるのですが、喉もと過ぎてしまうとあっという間に過去の話になっ
てしまう。そうした、世間の健忘症、風化作用によって、何時まで経っても、いじめに絡
む子ども達の自殺が後を絶たないことは、誠に遺憾です。
今回の男子中学生自殺の問題に対する市教委や中学校の対応は、古い活動写真を見せつ
けられているようで暗然とします。つまり、いじめと疑われる事態に対しても「子ども同
士のけんか」と矮小化する、あるいは「子ども同士のけんか」と思い込もうとする、こう
した市教委や中学校の姿勢からは、いじめ問題に真摯に向き合い、解決していくという強
い意思を感じることができません。
この事は、男子中学生が自殺した直後に開催された市教育委員会の様子からも窺い知れ
るところです。当日の委員会においては、生徒へのいじめが報告されたにもかかわらず、
この事に何ら質疑が行われず、委員としての意見もなかったと報道されています(7月1
8日付朝日新聞)が、これが事実なら、教育委員の皆さんの危機感のなさに怒りさえ覚え
ます。
こうした状況の中で、平野文部科学大臣は、先日、文科省内に大臣直轄のいじめ問題へ
の支援チームを設置する考えを示しました。平野大臣は、支援チームについて、いじめが
分かった際に学校や教育委員会を支援して原因究明や保護者への対応を図るほか、再発防
止策づくりなどにも関与すると説明しています。
報 道 で は 、 国 と し て 、「 教 育 現 場 で い じ め が 原 因 と み ら れ る 自 殺 が 後 を 絶 た な い 現 状 を
重くみたもので、防止・根絶への取り組みを強めていきたい考えだ」としていますが、ひ
ねくれ者の私としては、何を今更という気分です。確かに、いじめ問題に地方の教育委員
会や学校現場が適確に対応しきれていない現実は否定しませんが、さりとて、これまでい
じ め 問 題 に 有 効 な 手 立 て を 講 じ て こ な か っ た と い う 意 味 で は 、国 も 同 罪 だ と 思 っ て い ま す 。
文科省の中でどのような組織を作ろうとそれは文科省のお考えですが、あたかも現場に
問題があるから文科省が乗り出すというのは、国民の批判が自分達の方に向かないように
逸らそうとしているのではないかと思ってしまいます。
また、大津市長は、文科省に対して「市が設置する外部有識者による調査委員会の人選
などについて助言」を受ける為、職員の派遣要請をしています。助言を受ける為に文科省
から幹部職員等の派遣を求めるという市の姿勢にも、世間の風圧を少しでも避けようとい
う意図が感じられてなりません。
更に、一連の問題について、滋賀県教委の姿がほとんど見えないことも気がかりです。
大津市が文科省などに学校におけるいじめについて、正式の報告書を提出していなかっ
たことが文科省や滋賀県教委の対応が遅れた一因との報道もありますが、文科省はともか
く 、滋 賀 県 教 委 の 方 は い い 訳 に も な り ま せ ん 。中 学 生 が 自 殺 し た と い う 報 道 を 目 に す れ ば 、
まずいじめを疑うのは当然で、市教委から報告を待つまでもなく、事態の把握に動くべき
でしょう。結局、県教委も当事者意識が欠如していたといわれても致し方ありません。
事態がここまで深刻化すれば、文科省としても動かざるを得ないという事は理解できま
すが、まずは、県や市の教育委員会、中学校が、当事者として主体的に問題を解決してい
く意思と行動が求められます。これは、いい換えると、国に対して地方が自立するという
事でもあるのです。その意味からすれば、軽々に国を引っ張り出す事は必ずしも適切とは
いえません。
国の決めた枠組みの中で行動する、国のお墨付きをもらって対応するという発想からは
抜け出すべきです。
自分たちの子どもは、何としても自分達の力で守る。その強い意思は、問題解決の一歩
に過ぎませんが、しかし、大事な大事な一歩だと思っています。
第362号
平成24年8月1日
基準は変えず
私 は 毎 年 人 間 ド ッ ク を 受 診 し て い る の で す が 、 毎 回 、「 あ な た は 、 生 活 習 慣 病 予 備 軍 で
す」と指摘されています。今年も、腹囲を測った際、担当のうら若き看護士から「昨年よ
り増えましたね」と、にやっと笑われてしまいました。自分としては、そんなに「太って
い る 」、 と は 思 っ て い な い の で す が 、 腹 囲 が メ タ ボ の 基 準 を 超 え て い る ( 名 誉 の た め に い
いますと若干です)のですから致し方ありません。
さて、メタボ健診というのは、2008年4月から、40歳から74歳を対象に導入さ
れたものですが、その目的は、メタボリック症候群を早期発見し、医療費を抑えようとい
うものです。
「お腹が少々出ている位で」とはいうものの、メタボリックシンドロームやその予備軍
と診断された人は、生活習慣病予防に取り組まなければなりません。それを余計なお世話
といってしまっては、国民の健康、いや医療費の増嵩を心配している国には失礼かもしれ
ません。
作家の小檜山博さんは腹囲が91センチメートルもあって、人間ドックでは「メタボリ
ッ ク シ ン ド ロ ー ム 予 備 群 に 該 当 」 と 診 断 さ れ て 不 愉 快 に 思 っ て い る よ う で 、「 ぼ く の ま わ
り に は 1 0 0 セ ン チ あ る 人 が ご ろ ご ろ し て い る の だ 。 6 セ ン チ ぐ ら い 問 題 な し 。」 と 開 き
直 っ て い ま す ( 同 氏 著 「 人 間 賛 歌 」)。
メタボ基準というのは国民の健康を考えれば必要なものかもしれませんが、周りを見る
と 、小 檜 山 さ ん も い う よ う に 8 5 セ ン チ メ ー ト ル を 超 え て い そ う な 人 は ご ろ ご ろ い ま す し 、
第一に疑問なのは、男性85センチメートルに対して女性は90センチメートルと、平均
身長の低い女性の基準が緩やかというのはどういうことでしょうね。
また、痩せていても内臓脂肪の多い人がいますから、腹囲85センチメートル以下だか
ら大丈夫という事でもないだろうと思います。
そんなこんなで、このメタボ基準については、専門家からも疑問視する意見が出されて
おり、昨年4月から厚生労働省の有識者検討会で基準の見直しについて議論が行われて来
ました。
その結果、7月13日に行われた有識者検討会において、現行の基準を「2013年度
以 降 も 5 年 間 維 持 す る 」 と の 意 見 で ま と ま り ま し た ( 7 月 1 4 日 付 北 海 道 新 聞 )。 そ の 理
由 が 面 白 く て「 基 準 変 更 の 根 拠 と な る 科 学 的 知 見 が 見 つ か ら な か っ た た め 」と し て い ま す 。
しかし、そもそも現在の基準に対して科学的根拠に疑問が出されていた事を考えると、学
者の皆さん方も、一度決めたことは変えられないという前例踏襲シンドロームに罹ってい
ない事を祈りたい気持ちです。
第363号
平成24年8月2日
エンカレッジ
道教委では、毎年、高校生の学力を把握するため学力実態調査を行っていますが、その
結果を見ると、基礎学力の不足という問題が浮かび上がって来ます。
その原因は、義務教育段階で身に付けるべき基礎基本を身に付けないまま、いわば心太
の よ う に 押 し 出 さ れ て 高 校 に 進 学 し て い る と い う 実 態 に あ り ま す 。そ れ を 許 し て い る の は 、
高校全入時代を迎え、特別勉強しなくても高校には入れるという現実にあります。
基礎学力がないまま高校生活を続けても、高校生としての授業についていけず、お客さ
んのままで卒業してしまう高校生も少なくないと思われます。
中途退学の原因の一つは、授業についていけないことにありますから、生徒に授業を面
白いと感じさせ、授業への参加意欲を高めることが出来れば、中途退学を減らすことが出
来るでしょう。
現在、東京都では、都立高校の「エンカレッジスクール」が人気を集めているようです
( 7 月 2 7 日 付 日 経 新 聞 )。 こ の 「 エ ン カ レ ッ ジ ス ク ー ル 」 と い う の は 、 学 力 に 不 安 の あ
る生徒に基礎から教えようとするもので、小中学校の内容から学び直すのが特徴とされて
おり、現在、都立足立東高等学校他5校が指定されています。一般入試の状況を見ると、
全 日 制 の 平 均 の 応 募 倍 率 が 約 1.5倍 で あ る の に 対 し て 、前 述 の 足 立 東 高 等 学 校 は 約 2.6倍 、
「 エ ン カ レ ッ ジ ス ク ー ル 」の 一 つ で あ る 練 馬 工 業 高 校 は 約 2.7倍 と 高 い 人 気 を 得 て い ま す 。
そ の 人 気 の 理 由 は 徹 底 的 な 基 本 学 習 に あ る よ う で す ( 7 月 2 7 日 付 日 経 新 聞 )。
ま た 、「 エ ン カ レ ッ ジ ス ク ー ル 」 で は 、 学 び 直 し に 加 え 農 業 体 験 活 動 な ど 生 徒 の 登 校 意
欲を高める取り組みも行っています。
「 エ ン カ レ ッ ジ ス ク ー ル 」で は 中 途 退 学 者 が 減 少 し て い る と い わ れ て い ま す が 、そ れ も 、
こうした取り組みの成果といえます。
ただ、進路が定まらないまま卒業する生徒が全日制普通科の生徒と比べると多いという
実態にあり、キャリア教育の充実が課題といえそうです。
北 海 道 で も 、 札 幌 白 陵 高 等 学 校 が 1年 生 を 対 象 に 、 中 学 校 の 教 科 内 容 を 教 え る 学 び 直 し
に取り組み、成果を上げていると聞きます。
「学び直し」に取り組んでいる学校は他にもありますが、特徴的なのは、独自の科目を
設け、正式の授業として行っていることにあります。白陵高等学校ではキャリア教育にも
力 を 入 れ て い ま す の で 、「 学 び 直 し 」 と 共 に 、 そ の 成 果 に 期 待 し て い る と こ ろ で す 。
「エンカレッジ」というのは、
・ 勇気づけること。励ますこと
・ 発達などを促進すること
を意味していますが、高等学校における「学び直し」の取り組みは、義務教育段階での学
びの不足が招いた、いわば緊急避難的なもので根本的な解決策ではありません。
小学校や中学校という義務教育の段階で学ぶべき内容は、それぞれの小学校や中学校に
おいてしっかりと身に付けさせることが基本であり、本道においては、結果において、そ
うした取り組みが十分とはいえません。子ども達の発達段階に応じて、学ぶべき内容をし
っかりと学ばせ、身に付けるべき基礎基本をしっかり身に付けさせてこそ、学校はその責
任 を 果 た し 得 る と い う も の で あ り 、そ の 意 味 で は 、全 て の 学 校 が「 エ ン カ レ ッ ジ ス ク ー ル 」
であるべきだと考えています。
第364号
平成24年8月3日
高校生と発達障害
北海道教育委員会の調査によると、学習障害や自閉症などの「発達障害」が疑われ、学
校の個別支援を受けている生徒が、道立高校(全日制211校、定時制35校)の内12
3 校 に 4 8 5 人 在 籍 し て い る 事 が 分 か り ま し た 。 在 籍 率 は 0.7% と な っ て い ま す ( 6 月 1
9 日 付 北 海 道 新 聞 )。
発 達 障 害 と は ど の よ う な 障 害 か と い い ま す と 、 広 汎 性 発 達 障 害 ( 自 閉 症 な ど )、 学 習 障
害、注意欠陥多動性障害など、脳機能の発達に関係する障害をいい、発達障害のある子ど
もは、他人との関係づくりやコミュニケーションなどがとても苦手なため周りから理解さ
れ に く い と い う 側 面 が あ り ま す 。一 方 、優 れ た 能 力 が 発 揮 さ れ て い る 場 合 も あ り ま す の で 、
発達障害の人たちが個々の能力を伸ばし、社会の中で自立していくためには、子どものう
ち か ら の 「 気 づ き 」 と 「 適 切 な サ ポ ー ト 」、 そ し て 、 発 達 障 害 に 対 す る 私 た ち 一 人 ひ と り
の 理 解 が 必 要 と さ れ て い ま す ( 政 府 広 報 か ら )。
文部科学省によると、平成15年3月に「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必
要とする児童生徒の全国実態調査」の結果などを踏まえ、LD、ADHD、高機能自閉症
を含む特別な教育的支援を必要とする児童生徒は約6%の割合で通常の学級に在籍してい
る可能性があるとしています。また、こうした障害を持った子ども達の多くは高校に進学
しているものと想定されますが、これまで詳しい実態は分かっていませんでした。
文 科 省 が 示 し た 6 % と い う 比 率 に 対 し て 、 道 教 委 の 調 査 に よ る 0.7% と い う の は 感 覚 的
に少し少ないような感じがしますが、今回道教委が独自に高校生の実態調査に着手したこ
とは、今後の生徒達への教育的サポートを進めていく上で意義があると思います。
道教委の調査では、発達障害の生徒が学校から受けている支援の内容は、学習面233
人、生活面209人、対人関係133人となっています。道教委では「発達障害などの影
響で、支援の必要な生徒が相当数に上ることがわかった」ことから、今後、専門知識を持
つ職員を各学校に派遣するなどして、よりきめ細やかな対策に当たりたいとしています。
実は、こうした発達障害を持つ生徒の存在は、大学においても同じで、日本学生支援機
構の2011年の調査によると、約半数の大学で発達障害の学生が在籍しているとしてい
ます。また、同機構の調査では、大学院を含む全学生302万人の内、発達障害の診断書
があるのは1179人、ない者も含め何らかの教育上の配慮を受けている学生は2918
人 に 上 る と し て い ま す 。こ う し た 学 生 へ の 支 援 は 、各 大 学 共 に 大 き な 課 題 に な っ て い ま す 。
従って、今後、道教委として発達障害を持った子ども達への教育的支援を進めるに当た
っては、小中学校や大学との接続を念頭に、これまで以上に学校間の連携をより積極的に
進めて行く必要があると思っています。
第365号
平成24年8月6日
何を裁こうとするのか
去 る 7月 3 0 日 、 大 阪 地 方 裁 判 所 は 、 大 阪 市 平 野 区 の 自 宅 で 姉 ( 当 時 4 6 歳 ) を 刺 殺 し
た と し て 、 殺 人 罪 に 問 わ れ て い た 無 職 の 大 東 一 広 被 告 ( 4 2 歳 ) に 対 し 、「 再 犯 の 恐 れ が
あり、刑務所収容が社会秩序維持に資する」として、求刑の懲役16年を上回る懲役20
年の判決を言い渡しました。
量刑は、犯罪行為の中身で判断されるべきで、悔悛の情、再犯の可能性などは付帯的な
判断材料とすべきものだと思います。
今回の判決では、求刑を超える懲役刑が言い渡されていますが、その理由が犯罪行為そ
のものよりも再犯の可能性に重点が置かれているという点で、異例の判決ではないかと思
います。
懲役16年の求刑を20年に引き伸ばしたことについて、判決理由では、約30年間引
きこもり状態だった被告が姉に逆恨みを募らせた動機の形成などにアスペルガー症候群の
影響があったと認定した上で、
(1)十 分 に 反 省 し て い な い
(2)親 族 が 被 告 と の 同 居 を 断 り 、 社 会 内 で ア ス ペ ル ガ ー 症 候 群 に 対 応 で き る 受 け 皿 が 用
意されていない
の 2 点 か ら 再 犯 の 恐 れ が あ る と 指 摘 し 、「 許 さ れ る 限 り 長 く 刑 務 所 に 収 容 し 内 省 を 深 め さ
せ る こ と が 社 会 秩 序 の 維 持 に も 資 す る 」 と 述 べ て い ま す ( 7 月 3 1 日 付 北 海 道 新 聞 )。
犯罪行為の悪質性、残虐性というよりも、反省が足りない、再犯の恐れがあるというこ
とが、求刑を超える懲役刑を科する理由になっています。
私が良く理解できないのは、判決では、姉を殺害した動機にアスペルガー症候群の影響
があったと認定した上で、減刑は考慮する必要がないとしている事です。
アスペルガー症候群というのは、社会性に困難のある「広汎性発達障害」の一種で、人
とのコミュニケーションを取ることが旨く出来ないといった特徴があります。判決で「反
省が足りない」とされていますが、反省の態度を表現できないという事もアスペルガー症
候群の影響が大きいと考えるべきではないでしょうか。
また、アスペルガー症候群だからといって、犯罪を犯しやすいといったデータもありま
せん。
大東被告は12歳から30年間引きこもり、それが高じて実の姉に対して逆恨みの感情
を持つに至ったという事ですが、そもそも引きこもりの原因自体もアスペルガー症候群に
あったと考えられます。
発達障害は早期発見、早期治療によって症状が改善されるといわれていますが、大東被
告はアスペルガー症候群という発達障害を抱えながらどのように育って来たのか、そうし
た点も丁寧に見て行くべきです。
発達障害を抱えているのは、大東被告のせいではありません。特に、彼の発達障害に対
して適切な治療や自立へのサポートが行われていたら、逆恨みで姉を殺してしまうという
悲劇は避けられたかもしれませんが、そうした社会的なサポート体制が十分でないことも
また、大東被告の責任ではありません。
にもかかわらず、発達障害の故に再犯の恐れがあるとされ、社会的な受け皿がないとい
う理由で刑務所内に隔離しようという発想は、余りにも、アスペルガー症候群等の発達障
害に対して無理解であり、偏見だと言わざるを得ません。
大東被告の弁護士は、今後控訴を検討するとしていますので、控訴審での議論の行方を
注目して行きたいと思います。そして同時に、今回の判決は、発達障害を持つ人々への社
会的な支援体制を充実させていく契機とすべきだと考えています。
第366号
平成24年8月7日
爽やかな敗北、見苦しい失格
オリンピック男子競泳、平泳ぎの200メートル決勝で、立石選手が3位に入り、北島
選手は4位に終わりました。
北 島 選 手 に つ い て は 、 競 泳 平 泳 ぎ 1 0 0 メ ー ト ル 、 2 0 0 メ ー ト ル で の 3連 覇 が 期 待 さ
れていましたが、結果は、新旧交代を印象付ける事になりました。
北島選手は、前半は非常に良いペースで全体を引っ張る形となり、それが優勝タイムの
世界新に繋がったのではないかと思います。ただ北島選手は、最後のところでそのスピー
ドについていけず、4位に沈んでしまいました。
レース終了直後に、プールの中で北島選手が立石選手の銅メダルを祝福しているシーン
は感動的でした。
北島選手は「メダルを取れなかったのは悔しいけど、諒がメダルを取ってくれたので悔
い は な い 。」「 前 半 か ら と ば し た の は 、 今 の 自 分 に で き る 精 一 杯 の 泳 ぎ 。 こ の 4 年 間 は 自
分への挑戦だった。ここまでサポートしてくれたすべての人に感謝したい」と語っていた
のは、とても爽やかで印象的でした。
北島選手の立ち居振る舞いを見ながら、アスリート達がその持てる力と技の限りを尽く
して闘う、その姿に人々は感動するのだということを改めて感じました。
さて、オリンピックというような大舞台では様々なトラブルがつき物とはいえ、先日行
われた女子バドミントンで、負けを狙った「無気力試合」をしたとして中国、韓国、イン
ドネシアの4組8人が失格になったという問題は、前代未聞であり、折角のオリンピック
が後味の悪いものになってしまいました。
女子ダブルスの1次リーグ最終戦、中国ペアと韓国ペアの対戦会場では、余りの無気力
ぶりに、満員に近い観客からは地鳴りのようなブーイングが響いたとのことです。その直
後に行われた韓国とインドネシアの対戦でも同様のことが起きています。
失格処分の理由は「試合に勝つために最大の努力をしなければならない」という世界バ
ドミントン連盟規則に抵触したためということですが、失格となった4ペアは、いずれも
最終戦を前に決勝トーナメント進出を決めており、最終戦の勝敗で準々決勝の相手が決ま
る こ と に な っ て い ま し た 。こ の た め 、決 勝 ト ー ナ メ ン ト で は 強 敵 と 対 戦 し な い よ う 、ま た 、
同じ国のチーム同士がぶつからないよう、それぞれ負けを狙ったとされています。
中国では、失格になった選手が引退を表明する事態となっています。今回の一件につい
て 、 ト ー ナ メ ン ト 戦 で は な く リ ー グ 戦 に し た こ と が 原 因 と い う 話 も あ り ま す が 、「 無 気 力
試合」を制度のせいにするのは潔くありません。
ま た 、「 や る か ら に は 勝 ち を 目 指 す べ き だ 」「 戦 略 と し て 当 然 」 な ど 様 々 な 意 見 が 出 て
いますが、常に忘れてならない事は、オリンピックの精神であり、一生懸命応援している
人々の存在でしょう。
いくら戦略、戦術といっても、負けるために戦うなどという事は八百長試合でもない限
り有り得ないでしょうし、そんな試合を見せ付けられる観客はたまったものではありませ
ん。
また、失格の議論にはなっていませんが、なでしこジャパンが南アフリカとの試合で意
図的に引き分けを狙ったというのも、私は問題だと思っています。特に、監督の発言とし
ては、軽率だったというしかありません。
な で し こ ジ ャ パ ン の 佐 々 木 監 督 は 、南 ア フ リ カ 戦 の 試 合 後 、
「引き分けを狙いに行った」
ことを表明、後半から投入した川澄には「ゴールを狙うな」と指示をしたといいます。私
は、テレビで監督の話を聞きながら、始めは「点数を取れなかった負け惜しみかな」と思
いましたが、良く聞くと随分と傲慢な態度であり、南アフリカ選手に対しても非常に失礼
なことだと不愉快に感じました。だいたい、点数が入らずはらはらしながら応援していた
日本のファンの事を、どう考えているのでしょうか。
「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」
これはオリンピックの理想を表現する名句として知られています。すなわち、オリンピッ
クは、ただ勝てば良いという事ではないということです。
オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」には「オリンピック精神は友情、連携
そしてフェアプレーに基づく相互理解が必須である」と謳われています。そして、オリン
ピズムが求めているのは「文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよ
ろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとに
した生き方」の創造なのです。
手抜きの無気力なプレーがフェアプレーとは思えませんし、努力のうちに見出される喜
びとも感じられません。
オリンピックが、世界中からトップアスリートが集い、互いに競い合い、高めあう最高
の舞台である事を、競技関係者には忘れて欲しくないと思います。
第367号
平成24年8月8日
そろばんの日
8月8日は、そろばんの日です。そろばんの玉を「ぱちぱち」と弾く音の語呂合わせで
はありますが、全国珠算連盟が1968年に制定したものです。
私が就職したての頃は、事務の仕事はそろばんが必須のアイテムでした。暫くして、事
務所に手回し式のタイガー計算機(といっても若い人は全く分からないでしょうね)とい
うのが入って来た時は、便利なものが出来たと思ったものです。もっとも、私以外の人は
そろばんの方が早いといって、誰も使用していませんでしたが。
そろばんの歴史を調べてみると、そろばんの原型は紀元前のメソポタミアで誕生したと
いわれています。それが中国に伝わり、現在のように珠を串刺しにする方式に進化しまし
た。かなり現在のそろばんに近いものでしたが、中国の算盤は、ひとつの位に0~15ま
での数が置けるように上珠が2個、下珠が5個ありました。これは当時の中国は16両で
1斤という16進法が使われていたからです。
このそろばんが日本に伝わってきたのはいつ頃なのか詳しいことは分かりませんが、今
から500年程前の室町時代ともいわれています。その当時の日本は、4進法(1両は4
朱,1朱は4分に換算)でしたから、そろばんもそれに合うよう上珠1個、下珠5個に改
良されていきます。ますます現在のそろばんに近くなりました。
まったく現在のそろばんと同じように上珠1個、下珠4個になったのは、1935年に
文部省令が出てからのことです。このそろばんは10進法の計算機ですので、メートル法
の下での計算には打って付けの道具といえるでしょう。
そろばんは長い間、計算の道具として広く使われて来ましたが、やがて電卓が普及し始
め る と そ ろ ば ん は だ ん だ ん 部 屋 の 片 隅 に 追 い や ら れ 、や が て コ ン ピ ュ ー タ ー が 登 場 す る と 、
計算はコンピューターが自動的に処理する時代になり、電卓もほとんど使用されなくなっ
てしまいました。
このように、世の中は便利になり、そろばんを使って計算する必要はなくなったのです
が 、そ ろ ば ん が 、計 算 す る 上 で 洗 練 さ れ た 素 晴 ら し い 道 具 で あ る こ と に 変 わ り あ り ま せ ん 。
私も、はるか昔そろばんを習ったことがありますが、その経験からすると、そろばんが
上達すると共に計算力が身に付き、数字にも強くなるような気がしています。
電卓を使って計算する場合は、計算そのものは電卓がしてくれますが、そろばんの場合
は、目と指と頭を使って確かに自分で計算することになります。そろばんが、事務処理の
機器としてより計算の道具として根強い人気があるのも、そうしたところにあるのだと思
います。
小学校の学習指導要領において、
・第3学年では、そろばんによる数の表し方について知り、そろばんを用いて簡単な加法
及び減法の計算ができるようにすること、
・第4学年では、そろばんを用いて加法及び減法の計算ができるようにすること、
がそれぞれ定められています。
昔は小学校の教室に大きなそろばんが置いてあり、それで教わったものです。
そろばんは、10進法を視覚的に学ぶことが出来、また、計算力や集中力が身に付くと
いう利点がありますので、各学校においては、もっと積極的にそろばんを習得させるべき
ではないでしょうか。
第368号
平成24年8月9日
孤独と脳
育児放棄(ネグレクト)が脳にどのような影響を与えるかを調べている横浜市立大学の
高 橋 琢 哉 教 授 ( 生 理 学 ) の グ ル ー プ は 、「 乳 幼 児 期 の ラ ッ ト を 母 親 と 他 の 子 ど も か ら 引 き
離して孤立させると、環境に適応したり新しいことを学習したりする脳の回路に異常が生
じる」ことが分かった、と米医学誌(オンライン版)に発表しました(6月20日付朝日
新 聞 )。
子 ど も の 脳 は 身 体 的 な 経 験 を 通 じ て 発 達 し て い く も の で あ り 、「 こ の 重 要 な 時 期 に 虐 待
を受けると、厳しいストレスの衝撃が脳の構造や機能に消すことのできない傷を刻みつけ
てしまう」といわれています。
実際、子どもの頃に激しい虐待を受けると、脳の一部が旨く発達できず、それが大人に
なってからも様々な精神的トラブルの要因になっているという事は、多くの研究結果から
明らかになっています。
児童虐待によって脳に障がいが生ずるのは、脳自身が虐待を感じないようにするため環
境に適応した結果だという説もありますが、だとすると余りにも悲しい事です。
今回の高橋教授らの研究は、虐待が暴力や暴言といったものだけではなく、成長の過程
で、孤独な状況に置かれた場合にも脳の発達に大きな影響が生ずることを明らかにしたも
のです。
今回のネズミを使った実験では、ラットを人間の幼少期にあたる生後4~7日目、又は
7 ~ 1 1 日 目 に か け て 毎 日 6 時 間 1 匹 だ け で 飼 育 し 、 1 4 日 目 に 脳 を 調 べ た と こ ろ 、「 通
常は記憶や学習に作用するタンパク質が神経細胞の表面に出現し、神経に伝わった情報を
別の神経に伝える現象が起こるが、隔離したラットはストレスにより、タンパク質が少な
くなっていた」ということです。
高 橋 教 授 に よ る と 、「 育 児 放 棄 な ど 社 会 的 隔 離 の 影 響 を 細 胞 レ ベ ル で 示 し た も の 」 と し
ていますが、そうであれば、人でもラットと同じようにネグレクトによって脳に異常が起
きている可能性は大きいと思われます。
今後、高橋教授らの研究によって、ネグレクトが脳に障がいを与えるメカニズムが解明
され、治療法へと結びつくことを期待していますが、しかし、こうした研究成果は如何に
素晴らしいものであっても、どこか虚しさを感じます。
今も、日本の空の下で、親の愛情にくるまれて幸せであるべき子ども達が、親の育児放
棄(ネグレクト)によって命の危険に晒されている子どもがいるかと思うと、胸塞がれる
思いがします。
児童虐待防止が声高に叫ばれる一方では、皮肉な事に児童虐待は増え続けています。ま
るで、緑の大地に砂塵が吹き込み砂漠化していくような気配です。この荒れ果てて行く大
地に、もう一度綺麗な花を咲かせなければなりません。
その為にも、教育関係者はもとより行政、医療機関、警察、児童相談所などあらゆる力
の結集が求められているのです。
第369号
平成24年8月10日
道、なお遠し
文部科学省は8月8日、小学校6年生と中学校3年生を対象に行った全国学力・学習状
況調査の結果を発表しました。
その結果は下表のとおりとなっています。
◎小学校
国語A
国語B
算数A
算数B
理 科
北海道
79.0
53.5
69.6
55.8
58.8
全 国
81.6
55.6
73.3
58.9
60.9
秋田県
86.9
63.0
79.5
64.0
68.4
北海道
74.2
63.1
60.8
48.1
50.5
全 国
75.1
63.3
62.1
49.3
51.0
秋田県
79.7
70.3
67.4
56.7
56.1
◎中学校
国語A
国語B
算数A
算数B
理 科
今回の調査結果について、文部科学省は「ほとんどの自治体の平均正答率は全国平均の
上下5%以内にあり、上位と下位の自治体を除けばばらつきは小さく、自治体間の順位も
入 れ 替 わ っ て お り 、 固 定 化 の 認 識 は な い 」 と 評 価 し て い ま す ( 8 月 9 日 付 読 売 新 聞 )。
しかし、上記の表を見てもわかるように、北海道の子ども達の正答率は、小中学校共に
全国平均を下回っており、学力調査を始めた当初と比較するとその差は縮まって来たよう
に感じますが、しかし大変残念な結果となっています。
また、全国平均に近づきつつあるとはいっても、学力上位県の秋田県と比較すると、そ
の差は歴然としています。
2011年に北海道の高橋教育長は「2014年度の調査までに、道内の学力を全国平
均以上にする」と宣言し、子ども達の学力向上に向け独自のテスト問題の配布や指導に優
れた教員による巡回指導の拡充など、対策を強化して来ました。今回の学力調査は、そう
し た 道 教 委 の 取 り 組 み の 成 果 が 問 わ れ る 事 に も な り ま し た が 、 結 果 は 、「 道 、 な お 遠 し 」
というのが現実です。この点について、道教委の武藤義務教育課長は「改善の兆しはみら
れるが、全体としては極めて深刻。全教科とも基礎部分が足りない」として(8月9日付
北海道新聞)危機感を募らせています。
結局、今回の学力調査の結果は、学力向上については短兵急に成果が出るものではない
という、当たり前の事を改めて示した形となっています。何故なら、小学6年の学力調査
は、小学1年からの学習の成果が問われているのであり、中学3年の学力調査は、中学1
年からの学習の成果のみならず、小学1年からの接続した学習の成果が問われている訳で
すから、学力向上に取り組んでもその成果が見えるまでにはそれ相応の時間が必要だとい
うことです。従って、学力向上は、焦っても仕方がありませんが、今後も着実に、しかも
継続して対策を講じて行く必要があります。
まず大事な事は、教育委員会や学校は今回の調査結果を良く分析し、自分達の取り組み
の成果をしっかりと検証する事だと思います。自分達としては最善の取り組みだと思って
いても、実際にそれが成果を出したのかどうか検証しない限り、いたずらに先に進んでも
意味がありません。特に、各学校、各教師の皆さんは、個々の子ども達に光を当てて、教
育実践とその結果について客観的な評価をすべきです。
頑張るのは当たり前で、頑張った結果がどうだったのかという検証こそが重要です。
教師の皆さんが、自分の教育実践に対する検証や評価を恐れ、避けるなら、子ども達の
学力向上など望むべくもありません。
第370号
平成24年8月13日
終活
「 就 活 」 は 、 就 職 を 目 指 し て 企 業 訪 問 な ど の 活 動 を す る こ と で あ り 、「 婚 活 」 は 、 結 婚
相手を見つけるためにお見合いパーティに参加するなどの活動する事です。これに対して
「 終 活 」 は 、 人 生 の 終 わ り の た め の 準 備 活 動 の こ と を い い ま す が 、「 就 活 」 や 「 婚 活 」 と
同 様 、「 終 活 」 も ま た 、 そ う そ う 自 分 の 思 う 通 り に は な ら な い も の で す 。
「ある日突然、ぽっくりと人生にオサラバするというのが理想」とは誰しもがいいます
が、残念ながら、病院のベッドに繋がれたまま人生の終局を迎えるという人の方が圧倒的
に多いのが現実です。
「 タ タ ミ の 上 じ ゃ 死 ね な い 。こ の 言 葉 は や く ざ 渡 世 人 の た め の も の だ っ た が 、い ま で は 、
タ タ ミ の 上 で 死 ね た ら 憧 れ の 死 に 方 と い え る ( 永 六 輔 著 「 大 往 生 」 か ら )」 と い う 、 考 え
てみれば厳しい世の中になってしまいました。
で す か ら 、 自 分 の 人 生 は 、 少 し で も 自 分 な り に 理 想 的 に 終 え た い と 考 え 、「 終 活 」 を 真
剣に考えている人は少なくないと思います。
昨年「エンディングノート」という映画が、シアターキノで上映されました。
この映画は、営業マンとして高度成長期の会社を支え、40年以上も勤め上げた会社を
退職した砂田知昭さんが主人公です。彼が会社を退職して、第二の人生を歩み始めた矢先
に健康診断で胃ガンである事が分かります。既にガンは相当に進行しており、この事を知
った砂田さんは、家族のため、そして自分の人生を総括するため「エンディングノート」
を作成し、人生最後のプロジェクトを成し遂げようとします。そして、そんな砂田さんを
映像作家の娘が撮り続け「エンディングノート」という作品にまとめたものです。自分の
死 を 覚 悟 し 、家 族 の 為 、自 分 の 為 に 、よ り 良 く 生 き 、よ り 良 く 死 の う と す る 砂 田 さ ん の「 生
き様」は、私の到底及ばぬものです。それは、自身の終末を意識しながらも、なお、現実
感が薄いせいかも知れません。
「終活」は具体的には、自分のための葬儀や墓の準備、自分の財産の処分の仕方など、
自分が死んだあと、残されたものが困らないように計画することが主な内容になっていま
す。また、自分の思いや意思、願いなどをノートに書いておくといった人もいます。
更 に 、「 終 活 」 を 通 し て 死 や 人 生 を 見 つ め 直 す と い っ た 人 も 多 い と 聞 き ま す 。
厚生労働省が発表している平均余命(平成22年)を見ると
65歳
男性
18.86
女性
23.89
70歳
男性
15.08
女性
19.53
75歳
男性
11.58
女性
15.38
となっており、定年後の人生、つまり人生の最終章の期間はかなりの長さですから、これ
を考えると、これまでの人生を見つめ直すと共に、これからの人生の最終章をどう生きる
か は 、「 終 活 」 の 中 で も と り わ け 重 要 な テ ー マ と い え る で し ょ う 。
五 木 寛 之 氏 に よ る と 、古 代 の イ ン ド に は 人 生 を「 学 生 期 」「 家 住 期 」「 林 住 期 」「 遊 行 期 」
の 4 つ に 分 け る 思 想 が あ っ た そ う で す ( 同 氏 著 「 遊 行 の 門 」 か ら )。
「 学 生 期 (が く し ょ う き )」 世 間 に 生 き る す べ を 学 び 、 体 を 鍛 え 、 来 る べ き 社 会 生 活 の 為
にそなえる青少年の時期
「家住期」大人になって職業につき、結婚して一家をかまえる。やがて実生活をリタイ
ヤする日がやってくる。
「林住期」職業や家庭や世間のつきあいといったくびきから自由になって、じっくりと
己の人生を振り返ってみる時期
「遊行期」人生の最後の締めくくりである死への道行きであるとともに、幼い子どもの
心に還っていくなつかしい季節
第2の人生を生きている私は、さしずめ「林住期」の中にいるという事になるのでしょ
う が 、毎 日 色 々 な 方 々 と 関 わ り 合 い 、時 間 に 追 わ れ る よ う な 生 活 を し て い る と 、と て も「 林
住期」の心境には程遠いものがあります。
そ れ で も 、 自 分 が 「 林 住 期 」 に あ り 、「 遊 行 期 」 に 差 し 掛 か っ て い る こ と は 自 覚 し て い
ます。重たい荷物は軽くして、身辺整理も必要だと感じているところです。
永六輔さんの著作(大往生)には、彼が子ども電話相談室で「どうせ死ぬのに、どうし
て生きてるの?」という質問に絶句したことが紹介されています。貴方ならどう答えるで
しょうか。
人 は 誰 で も 、必 ず 死 を 迎 え ま す 。か つ て「 不 老 長 寿 」の 薬 を 追 い 求 め た 人 が い ま し た が 、
つ い に 叶 う 事 は あ り ま せ ん で し た 。「 エ イ ジ レ ス 」 と い う 言 葉 は あ り ま す が 、 し か し 、 如
何なる人も、人生の終焉に向かって歩みを止めることはありません。
医者から余命何月と告げられたような人だけではなく、どんなに元気に生活している人
でも、死に向かって一歩一歩近づいていることに変わりはないのです。
「自分の死を考えるということは縁起でもない」と感じる人もいるかもしれませんが、
人というものは必ず死ぬものであるという厳然たる事実に向き合えば、どのように死ぬか
を考える事はどのように生きるかを考えるのと同じ位大切な事だと分かるでしょう。
第371号
平成24年8月14日
近いうちに
「社会保障・税一体改革法案」が成立しました。この法案を巡っては、民主党と自民党
が厳しい対立を繰り広げていましたが、一転解決の方向に動いたのは、8月8日の夜、野
田総理大臣と谷垣自民党総裁との会談が行われ、衆議院の解散時期を双方が確認した事に
よります。
一 日 で も 早 く 政 権 に 復 帰 し た い 自 民 党( 選 挙 の 結 果 自 民 党 が 勝 つ と は 限 ら な い の で す が )
と選挙をしたくない民主党(誰だって負けると分かっている試合はしたくないですよね)
は、国民の生活に直結する重要法案の審議をそっちのけにして、解散総選挙を何時にする
のか互いに相手を牽制し、腹の探り合いをして来ました。こうした、場外乱闘もどきの騒
動を見せつけられている国民はたまったものではありませんが、これに決着をつけたのが
「近いうちに国民に信を問う」という野田総理の発言でした。
し か し 、「 近 い う ち に 」 と い う 言 葉 は 誠 に 曖 昧 で す 。 数 日 先 の 場 合 も あ れ ば 、 大 地 震 の
発生予測では数十年先は「近いうち」です。また、社交辞令で「また近いうちにお会いし
ましょう」という事もありますが、このような場合は大抵「近いうち」が来ることはあり
ません。
こ の よ う に 、「 近 い う ち に 」 と い う の は 解 釈 の 仕 方 で 如 何 様 に で も な り ま す か ら 、 こ れ
で 実 質 合 意 す る と す れ ば 、「 近 い う ち に 」 と い う 言 葉 の 意 味 が 当 事 者 の 間 で は 暗 黙 の 合 意
がある場合だけでしょう。当事者以外には本当の事を知られたくないのであえて曖昧な表
現を取るというのは、政治の世界では止むを得ないとはいえ、国民不在の談合政治といわ
れても仕方ありません。
既に国会では、この「近いうち」という言葉の意味を巡って風雲ただならぬ状況になっ
ているようですが、再び国会が衆議院の解散時期を巡って混乱するようなことになれば、
野田・谷垣会談は何だったのか、取分け谷垣総裁は何を以て良しとしたのか、その政治判
断が問われることになるでしょう。曖昧なまま契約して思惑と違ったことになったとして
も 、そ れ は 曖 昧 な 事 を 承 知 の 上 で 契 約 し た 者 の 責 任 で あ り 、相 手 を 責 め る 事 は で き ま せ ん 。
ともかく国民の一人としては、国民に目を向けた政治をしていただきたいという事に尽き
ます。
議員バッチにしがみつき、保身の為に曖昧な言葉を弄ぶ。そして何より、国民を置き忘
れて党利党略に走る政治は、政治という名に値しないということを政治家の皆さんには特
に申し上げたいと思います。
第372号
平成24年8月15日
世界一からの転落
世界一からの転落といっても、オリンピックのメダル争いの事ではありません。女性の
2011年の平均寿命が27年ぶりに世界1位の座を香港に明け渡し、世界第2位となっ
た事について考えてみたいと思います。
こ れ は 、厚 生 労 働 省 が 7 月 2 6 日 に 発 表 し た「 簡 易 生 命 表 」で 明 ら か に な っ た も の で す 。
この「簡易生命表」は、厚生労働省によると「日本にいる日本人について、1年間の死
亡状況が変化しないと仮定したときに、各年齢の人が1年以内に死亡する確率や平均して
あと何年生きられるかという期待値などを死亡率や平均余命などの指標(生命関数)によ
っ て 表 し た も の 」 と さ れ て い ま す 。 ま た 、 0 歳 の 平 均 余 命 は 、「 平 均 寿 命 」 と し て 広 く 活
用されています。
さて、2011年の日本人の平均寿命はといいますと
女 性 85.9歳
( 対 前 年 ▲ 0.4歳 )
男 性 79.44歳 ( 対 前 年 ▲ 0.11歳 )
となっています。
ちなみに、世界一になったのは、男女共に香港で
女 性 86.7歳
男 性 80.5歳
となっていますが、日本の女性85歳、男性79歳というのも立派なもので、世界1位の
座を明け渡したとて何のことがありましょう。
とはいえ、どうして平均寿命が下がったのかは気になるところです。
厚生労働省によると、平均寿命の前年との差について「男女とも悪性新生物、脳血管疾
患などの死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いているが、不慮の事故、肺炎などの
死亡率の変化が平均寿命を減少させる方向に働いている。特に、不慮の事故の再掲である
地 震 に よ る 死 亡 率 の 変 化 が 大 き く 影 響 し て い る 。」 と 分 析 し て い ま す 。 昨 年 の 東 日 本 大 震
災はこういうところにも大きな影響を与えているのですね。
さて、人には寿命があり、いずれこの世ともお別れしなければなりません。この宿命か
らは如何なる人も逃れることは出来ません。
人生50年といっていた時代からすると、現代人は長生きになりましたが、それでも、
100歳を超える人は稀であり、中でも、自立して元気で生活している方は極めて少ない
のが現状です。
そ ん な 中 で 、 多 く の 人 が 願 っ て い る の は PKO、 即 ち
P( ぴ ん ぴ ん 元 気 で )
K( こ ろ り と )
O( 往 生 )
という事だと思います。
「 長 生 き し た い 」 と い う の は 当 然 で す が 、 そ れ 以 上 に 、「 よ り 良 く 生 き た い 」 と い う の
が人々の共通した思いではないでしょうか。
不老長寿は人類の夢ですから、これからも、衣食住の改善や医学の進歩等によって平均
寿命は延びていく可能性があるでしょう。しかし、平均寿命は如何に延びても、実際には
平均寿命以上に生きる人もいれば、幼くして亡くなる方もいます。元気なまま突然亡くな
る方もいれば、病と闘いながらの一生という人もいます。
ど の よ う な 一 生 も そ の 人 の 一 生 で あ り 、 貴 重 な も の で す 。 だ か ら こ そ 、「 死 を 迎 え る 直
前 ま で そ の 生 を 全 う し た い 」 と 思 い 、「 そ の 生 を 全 う し た い 」 と 思 う か ら こ そ 、「 生 涯 現
役 」「 死 ぬ ま で 元 気 ! 」 で い た い と 、 誰 し も が 願 っ て い る の だ と 思 い ま す 。
第373号
平成24年8月16日
心の糸が切れる
心の糸だって、擦り切れることがあるものです。
先日、またもや大変悲しい事件が発生しました。
その事件というのは、認知症で寝たきりの母親(80歳)をまめに介護してきた43歳
の息子が、6月30日の明け方、トイレに行きたいという母親を突然殴り、首を絞め殺そ
うとしたというものです。母親は、一命を取り留めましたが、意識がない状態が続いてお
り、息子は警察に逮捕されています。
殺 人 未 遂 容 疑 で 逮 捕 さ れ た 息 子 は 、 警 察 の 調 べ に 対 し て 、「 介 護 用 の ポ ー タ ブ ル ト イ レ
で は な く 家 族 用 の ト イ レ を 使 い た が る 母 に 怒 り が こ ら え き れ な か っ た 」と い っ て い ま す( 7
月 1 1 日 付 朝 日 新 聞 )。
彼は「深夜にたびたびトイレに行きたいと起こされ、睡眠不足だった。そういう状態が
3 カ 月 く ら い 続 い た ( 7 月 1 1 日 付 朝 日 新 聞 )」 と い う 事 で す か ら 、 心 身 共 に 相 当 追 い 詰
められていたのではないかと推察できます。
彼は、兄弟の中で一人だけ大学院に行き、パソコン教室のインストラクターとして仕事
をしていたそうですが、3年前に母親が認知症の診断を受けたことから勤めを辞め、母の
介護に専念するようになります。彼にとっては、月に数回のショートステイの日に居酒屋
でビールを飲むのがささやかな息抜きだったといいますが、どこかに無理を重ねていたの
ではないかと思います。
張りつめた糸が切れる、ということは、誰にでもあり得ることですが、それにしても、
我々は一体、幾度こういう悲しい事件を見聞きすれば済むのでしょうか。
警察庁の調査によると、介護や看護疲れなどを背景とする殺人などの事件は増加傾向に
あり、今後、ますます増えていくのではないかと懸念されます。
核家族化、高齢化が進む中では、自宅で親を介護するという事は非常に難しくなってい
ます。大家族であれば、誰か彼かが交代で面倒を見ることも出来ますが、家族が少なけれ
ば、先程の息子のように、親の介護のために仕事を辞めざるを得ないというケースが出て
きます。そうすると、親の介護どころか、自分の生活を維持することすら難しくなってし
まいます。
去る8月10日、社会保障と税の一体改革法案が参議院を通過し成立しました。今後、
国においては、持続可能な医療制度や社会保障制度の構築に向けて検討が進められて行く
事になりますが、この機会に、今回のような大変悲しい事件を防ぐためにも、高齢者を介
護している家族の精神的ストレスに対するケアや孤立を防ぐ事、働きながら介護できるよ
うな支援の仕組み、サポート体制の充実等について、しっかり検討して欲しいと思ってい
ます。
第374号
平成24年8月17日
立待月
陰 暦 8 月 1 5 日 の 月 は 「 十 五 夜 」 と い い ま す 。「 十 五 夜 」 は 真 丸 な 月 で 、 満 月 と い い 、
名 月 と も い い ま す が 、 こ の 他 に も 「 望 月 (も ち づ き )」、「 望 の 夜 」、「 良 (り ょ う )夜 (や )」 と
様々に表現されています。
「望月」といえば、藤原道長の
この世をば
我が世とぞ思う望月の
かけたることもなしと思えば
という有名な歌を思い出しますね。
ま た 、 日 本 人 は 昔 か ら 、 見 え る 月 ば か り に で は な く 、「 無 月 」 や 「 雨 月 」 の よ う に 、 何
かに隠れて見えない月にさえ、表現する言葉を与えて来ました。それは、日本語の持つ豊
かさであると同時に、日本人の感性の豊かさが生み出した表現の数々でもあります。
さて、もう少し月の話を続けましょう。
「 十 五 夜 」 の 前 日 の 夜 の 月 は 何 と い う の で し ょ う 。 そ れ は 、「 待 (ま つ )宵 (よ い )」 と い
います、この他に「小望月」という表現もあります。
「 待 宵 」 と い う の は 、「 来 る は ず の 人 を 待 っ て い る 宵 ( 広 辞 苑 )」 と い う 意 味 で す が 、
そ れ は「 十 五 夜 」の 満 月 を 心 待 ち に し て い る と い う 心 境 に も 通 じ る と い う こ と で し ょ う か 。
待宵のささえ切れずに降り出でぬ
芽明
と詠めば、とうとう降り出した雨への恨めしさが伝わってきます。
「 十 五 夜 」 の 次 の 日 は 「 十 六 夜 (い ざ よ い )」 と い い ま す が 、 一 体 何 故 「 い ざ よ い 」 と い
うのでしょう。実は「いざよい」は「いさよい」の濁った形で、元の意は「進もうとして
進 ま ぬ こ と 。 た め ら う こ と ( 広 辞 苑 )」 と あ り 、 陰 暦 1 6 日 の 月 は 、 満 月 よ り も 遅 く 、 た
めらうようにして出てくるところから名づけられたとのことです。まるで、月にも感情が
あるかのようです。
「 十 六 夜 」 の 翌 日 の 月 は 「 立 待 (た ち ま ち )月 (づ き )」 と い い ま す 。「 立 っ て 待 っ て い る
う ち に 」、 つ ま り 「 そ れ 程 僅 か な 時 間 の 内 に 出 て く る 月 」 と い う 意 味 で す が 、 こ れ が 「 忽
ち」の言葉の原義という説もあります。
「忽」という字は、たちまち、にわか、すみやか、突然、という、殆ど時間に間がない
状 況 を 指 し て い ま す が 、同 じ「 た ち ま ち 」と い う 表 現 を 用 い て も 、昔 の 人 と 現 代 人 と で は 、
時間の進み方、スピード感覚が随分と違うのだなと感じます。
昔の人と現代人のスピード感の違いは、環境変化のスピードの違いから来ているように
思います。現代人は、まるで何者かに追われるように忙しい日々を送っていますが、昔の
人の時間は、今よりずっとゆっくりと流れていたのではなかったかと思います。
ち な み に 、 1 8 日 の 月 は 「 居 待 (い ま ち )月 (づ き )」、 1 9 日 の 月 は 「 寝 待 (ね ま ち )月 (づ
き )」、 そ し て 2 0 日 の 月 は 「 更 待 (ふ け ま ち )月 (づ き )」 と い い ま す 。
忙しくしていることが存在の証であるかのような錯覚に陥ることがしばしばあります
が 、日 々 の ち ょ っ と し た 変 化 を も 見 逃 さ ず 、敏 感 に 感 じ 取 っ て 生 活 し て い た 昔 の 人 び と は 、
結構豊だったのじゃないかと思います。
第375号
平成24年8月20日
暴力では何も解決しない
今月の15日、大津市の沢村憲次教育長が私立大学の男子学生にハンマーで殴られ頭蓋
骨を骨折するという事件が発生しました。事件を起こした男子大学生は、滋賀県警によっ
て殺人未遂容疑で逮捕されています。
「暴力では何も解決することができない」という事は、自明の理のはずです。にもかか
わらず、今回もまた、全く自己中心的な思い込みと独善によって暴力事件が発生したこと
は、遺憾の極みです。
逮捕された男子大学生は、調べに対して「大津市の中学生のいじめ自殺問題に関して、
教 育 長 が 真 実 を 隠 し て い る と 思 い 、 許 せ な か っ た 。 殺 そ う と 思 っ た 。」 と 供 述 し て い ま す
( 8 月 1 5 日 付 朝 日 新 聞 )。 彼 は 、 市 教 委 の 定 例 会 を 傍 聴 し 沢 村 教 育 長 を 確 認 す る 等 、 事
前に周到な準備をしており、計画的な犯行ではありますが、やった行為自体は「頭に来た
から殴った」という類の、誠に幼稚なものだといわざるを得ません。
同時に、今回の事件を通じてもう一つ大きな問題が浮かび上がって来ました。それは、
沢村教育長がハンマーで殴られ負傷した事件の直後から、市教委に多数の苦情電話やメー
ルが寄せられていますが、その中の多くが襲撃を当然とする内容だったという事です。
如何に、いじめ問題に対する市教委の対応に不満があるとしても、だからといって暴力
を持って市教委を攻撃しても問題は何も解決しないことは火を見るより明らかです。
どんな理屈をこね回しても、暴力が許されるはずはありませんが、にもかかわらず、教
育長に対する暴力行為を容認する空気が漂うことに危機感を感じます。
今回の事件は、大津市のいじめ問題について第三者調査委員会による調査が始まる矢先
に引き起こされました。
万が一、沢村教育長が亡くなるような事になれば、第三者による調査にも支障が生じる
可能性があります。大学生の行為は、何の問題解決にも繋がらないばかりか、世間の目を
いじめ問題の核心から逸らすことにもなりかねません。
大津市のいじめ問題については、教育委員会の仕組みや学校の体質、学校運営のあり方
など、構造的な問題も含めてしっかりと検証する事が必要なのであり、決して沢村教育長
のリーダーシップといった問題に矮小化してはなりません。にもかかわらず、今回の沢村
教育長襲撃事件を容認する声の存在は、弱いところを皆で攻撃して溜飲を下げる、まるで
社会全体がいじめの連鎖に繋がれているように感じられてなりません。
今一番しなければならない事は、いじめ問題の事実関係や構造的な問題をしっかりと解
明し、再発防止に全力で取り組む事であり、この事を置いて他にはない事を肝に銘ずべき
であると思っています。
第376号
平成24年8月21日
ペットの効用
犬 が い る 家 庭 は 、 赤 ち ゃ ん が 丈 夫 に 育 つ そ う で す ( 7 月 3 0 日 付 朝 日 新 聞 )。 そ の 理
由 が 、「 犬 が 外 で 汚 れ て 家 に 戻 っ て く る た め で は な い か 」 と い う 事 で す か ら 、 面 白 い で す
ね。
朝日新聞の報道によると、これはフィンランドの研究チームが、フィンランドの乳児3
97人を対象に1歳になるまで毎週、健康状況や抗生物質の使用などを報告してもらい纏
めたもので、その結果「全体では7割が発熱を、約5割が抗生物質の使用を経験、中耳炎
にかかった割合は4割だったが、このうち犬のいる家庭では中耳炎にかかる割合が半分近
く に 減 り 、発 熱 や せ き 、抗 生 物 質 を 使 用 す る 割 合 も 1 ~ 3 割 少 な か っ た 。」と い う こ と で 、
犬が屋外と屋内を行き来するような家庭ほど子どもが健康に育つ傾向が見られるとしてい
ます。
その理由について研究チームは、動物との接触で細菌にさらされて免疫が発達し、体が
丈夫になるのではないかと見ているようです。
以 前 か ら 、ア レ ル ギ ー 疾 患 が 増 え る 原 因 の 一 つ に 環 境 が 清 潔 す ぎ る こ と に あ る と い う「 衛
生仮説」というのがありますが、今回の研究チームの発表は、それを裏付けるものといえ
るでしょう。
最近は、犬を飼っている人を沢山見るようになりました。朝、我が家の愛犬「太郎」と
散歩に出かけると、必ず犬と散歩している方に出会います。それも一人や二人ではありま
せん。
今では、ペットを飼えるマンションやペットと泊まれるホテルも珍しくなくなり、まさ
にペットブームといって良いと思いますが、赤ちゃんも丈夫に育つといわれると、ますま
す犬を飼う家庭が増えるのではないでしょうか。
ペットフードメーカー等で組織しているペットフード協会が実施した「平成23年度全
国犬・猫実態調査」によると、全国で飼われている犬は約1200万頭、犬を飼っている
世 帯 は 約 9 5 0 万 世 帯 、 世 帯 率 は 17.7% 、 ま た 、 1 世 帯 当 た り の 飼 育 頭 数 は 1.26と な っ
ています。確かに、犬と散歩している人を見ると、2~3頭と連れ立っている人が多いよ
うに感じます。ちなみに、飼われている猫の頭数は約960万頭、飼っている世帯は約5
50万世帯という事ですから、犬に比べると少数派となっています。
ところで、何故こんなにも犬を飼う人が多いのでしょうか。
良くいわれているのは、核家族化、少子高齢化がペットブームを支えているということ
です。
我が家は家内との二人暮らし、典型的な高齢者世帯です。結婚生活も40年近くなって
いますので、お互い話すこともそう多くはありませんが、こうした二人の生活にとって、
全くいう事を聞かない太郎(犬の名前です)の存在は、刺激的です。太郎が悪いことをし
て家内が怒っている声を聞いたりすると、生活感さえ漂います。
太郎と生活していて一番感じる事は、太郎が子どもや孫の代わりをしてくれているとい
うことです。実際、太郎自身は遊んだり、騒いだり、時に甘えたりする以外には何もでき
ませんから、手間が掛かるという点ではまさしく幼児と一緒です。悪いことをしていると
自覚しながら悪戯をするというところも、一緒かも知れません。
犬 と 飼 い 主 と の 関 係 は 、「 無 償 の 愛 」 と で も い う べ き も の に よ っ て 繋 が れ て い ま す 。 犬
の行動が愛という感情によるものかどうか分かりませんが、少なくとも、彼らの行動には
打算がありません。犬が「癒し」の存在であるというのも、その「無償性」にあるのでは
ないかと思います。これは、犬以外のペットを飼っている方にとっても同様でしょう。
犬は、その持っている「癒し」の力で人の心の免疫力を高めるだけではなくて、今回フ
ィンランドの研究チームが明らかにしたように、体の免疫力を高める事にも貢献している
という事ですから、我が家の太郎にはもう少し感謝しなければいけないようです。
第377号
平成24年8月22日
いじめられている君へ
朝日新聞が7月14日から8月17日までの1ヶ月間にわたり、いじめをテーマに、各
界の著名人34人が子ども達に語りかけるという連載を行いました。
テーマは
「いじめられている君へ」
「いじめている君へ」
「いじめを見ている君へ」
という3つに分かれています。
この内、最も多くのメッセージが寄せられているのは「いじめられている君へ」のもの
です。
今回メッセージを寄せた34人の方々の多くは、子どもの頃いじめを受けていた経験の
持ち主であり、それだけに、彼らが語る言葉には、単なる激励とは異なる重たいものが伝
わってきます。
幾人かのメッセージを紹介しましょう。
・ボクシング元世界王者の内藤大介さん
ボクシングを始めてその楽しさにのめり込み、いつの間にかいじめの事なんかどうで
もよくなっていた。
少しでも嫌な事があれば自分だけで抱え込むな。誰でも、先生でも相談したらいい。
それはカッコ悪い事じゃない。あきらめちゃいけないんだ。
・タレントの中川翔子さん
いじめに対しては、立ち向かう意味すらないから、まず自分の事を大事に考えて逃げ
るべきだ。
また、もし自分が死んでも、ダメージを受けるのはいじめてきた子たちじゃなくて、
自分の家族だけなんだ。意味のないことはやめようと思った。
・作家の乙武洋匡さん
人生が輝きだす日は必ず来る。生きよう。学校を休んだって転校したっていい。
君が受けているいじめをノートに書いてみるんだ。問題がこじれたときには、君を守
ってくれる証拠にもなる。そして何より、その記録の厚みは、君が耐えに耐えてきた強
さの証になる。
・「 生 協 の 白 石 さ ん 」 の 著 者 白 石 昌 則 さ ん
いじめの悩みを誰かに打ち明けてみては。いじめられることは恥かしいことじゃあり
ませんよ。
人間は他人の生死に関し、呆れる程、無力で無関心なものです。本人にとっては深刻
な問題なのに、なんだか悔しいじゃないですか。生き続けて、見返しましょう!
他の方々のメッセージもご紹介したいのですが、紙面の都合もありこの程度に留めてお
きます。なお、朝日新聞では、今回掲載されなかった分も含めて連載をまとめた本を出版
するそうですので、詳しくはそちらをご一読いただければと思います。
「いじめられている君へ」宛てたメッセージを詠みながら、そこには
・いじめを受けている事は恥かしい事ではないので、一人で抱え込まずに誰かに相談
してほしい。
・自殺はするな。家族が悲しむだけだ。
・夢中になれるもの、打ち込めるものを見つけて
といった共通点があるように感じます。
時には抵抗してみては、とか、まずは逃げるべきだという意見もありますが、どういう
方法であれ、自分を大切にして欲しいという事に尽きるでしょう。
乙武さんがいうように、受けているいじめをノートに書くというのも重要かも知れませ
ん。でも、記録の厚みがいじめに耐えた強さの証というのは悲し過ぎます。
どんな時代にも、どんな場所にもいじめというものが起こり得るものである以上、一人
の力ではなく、沢山の力でいじめの芽を摘む努力をしなければなりません。子ども達に逃
げろという前に、大人達が、子ども達の命を守る絶対安心の砦でなくてはなりません。
そしてもう一つ、私は今回の連載を読みながら、今いじめをしている子ども達にこのメ
ッセージは届くだろうかと考えました。届いて欲しいとは願っていますが、多分届かない
だ ろ う と も 思 っ て い ま す 。何 故 な ら 、い じ め を し て い る 子 ど も 達 に は 、そ の 自 覚 が な い か 、
自覚はあっても罪悪感は殆どないと考えられるからです。
いじめをしている子ども達にも、いじめは犯罪であり、恥かしい事だという事をしっか
りと認識させ、いじめという蟻地獄から救い出してやることもまた、大人達一人ひとりの
大きな責任だと思います。
第378号
平成24年8月23日
善玉ハッカー、悪玉ハッカー
コ レ ス テ ロ ー ル に も 善 玉 と 悪 玉 が あ る よ う に 、ハ ッ カ ー に も 善 玉 と 悪 玉 が あ る よ う で す 。
最近、大量のデータを送りつけて相手のコンピューターに障害を与えたり、ウイルスを
送ったり、相手のコンピューターに忍び込んで勝手に情報を書き換えたり、国家や企業の
機密情報を盗んだりといった深刻な犯罪が横行していますので、ハッカーといえばコンピ
ューター犯罪と結びつけて考えてしまいがちですが、元来ハッカーというのは、コンピュ
ーター技術に長けた人のことを指しています。
彼らは、その知識技術を生かしてコンピューターの技術開発に貢献して来たのですが、
中には、コンピューター技術を悪用して犯罪行為を行う者がいて、それらは本来クラッカ
ーと呼ぶべきですが、今では、そういう人達にまでハッカーという呼び名が誤って使用さ
れているようです。
コ ン ピ ュ ー タ ー 犯 罪 に 立 ち 向 か う ハ ッ カ ー を 「 ホ ワ イ ト ハ ッ カ ー ( 善 玉 ハ ッ カ ー )」 と
呼 ぶ そ う で す が 、日 本 に は 、そ う し た 専 門 の 技 術 者 が 非 常 に 不 足 し て い る と い わ れ て お り 、
情 報 処 理 推 進 機 構 ( IPA) に よ る と 、 日 本 で は サ イ バ ー 攻 撃 に 対 処 す る 専 門 家 が 約 2 万 5
千 人 足 り な い そ う で す ( 8月 1 4 日 付 朝 日 新 聞 )。
今や、インターネットは、個人と個人を繋ぐコミュニケーションの道具だけではなく企
業や国までひとつながりに繋げていく地球規模のネット社会を形成させるパワーを持って
います。この為、コンピューターの技術を使えば、たった一人の人間の力でも企業活動を
阻害し、国家の安全さえも脅かすことが可能となっています。
現に、世界ではサイバー攻撃が55億件ともいわれておりますが、悪玉ハッカーに対す
るセキュリティを向上させる為には国家的な規模で善玉ハッカーを養成していく必要に迫
られているといえるでしょう。
この為、欧米諸国や中国、韓国などは、政府機関や企業が情報技術者の養成に力を入れ
ており、米国のラスベガスでは、先月、世界最大のハッカーの祭典「デフコン」が開催さ
れました。20年目の節目に当たる今回、世界中から1万5千人ものハッカーたちが参加
し た そ う で す ( 8 月 5 日 付 読 売 新 聞 )。
こ の 祭 典 に は 米 国 安 全 保 障 局 ( NSA) の ア レ キ サ ン ダ ー 長 官 が 出 席 し 、 次 世 代 の 防 衛
網構築にハッカーの力が欠かせないと訴えたそうですが、これは、ネット犯罪に対する米
国の危機感の表れであると同時に、人材確保の難しさを象徴してもいます。
一 方 、 日 本 で も 、 経 産 省 と IPAの 主 催 に よ る 「 セ キ ュ リ テ ィ ・ キ ャ ン プ 」 が 開 催 さ れ て
おり、全国から選抜された若者を対象にコンピューターウイルスの解析法等について教育
が行われていますが、ハッキングなどの攻撃方法は対象外とされているとの事です(8月
1 4 日 付 読 売 新 聞 )。
受講生からは「高度な技術で防御力を極める事が国や社会を守ると教えられた」との声
も あ り 、 善 玉 ハ ッ カ ー 養 成 に 向 け た 第 1歩 と し て は 意 義 が あ る と 思 い ま す 。 し か し 、「 攻
撃は最大の防御」という言葉があるように、セキュリティ対策を学ぶだけでは不十分で、
強力な攻撃力を身に付けてこそ、より効果的な防御方法の構築が可能といえるでしょう。
「泥棒に縄をなわせる」と諺がありますが、日本ではハッカーは犯罪者というイメージ
が強すぎるせいもあって、犯罪につながるような技術は教えないという考え方が依然とし
て強いようです。しかし、企業のみならず国家に対してもサイバー攻撃が行われる状況の
中では、危険な事は避けるといっていたのでは、真の安全を確保することはできません。
日 本 薬 科 大 学 の 船 山 教 授 は 、「 薬 毒 同 源 」 と い う 言 葉 を 使 っ て お ら れ ま す が 、 コ ン ピ ュ
ーター技術はまさに、使い方によっては人類の役に立ち、犯罪の道具にもなります。その
意味では、モラル教育を徹底し、情報活用能力を高めるだけではなく、善玉ハッカーの養
成にも官民挙げて積極的に取り組むべきだと思います。
第379号
平成24年8月24日
平泉
先日、平泉中尊寺に行く機会がありました。仙台に住んでいる娘夫婦が我々老夫婦を引
っ張り出してくれたお陰で、かれこれ40年ぶりに平泉を訪れることが出来ました。
もっとも、かつて訪れた事があるとはいっても余りにも古いこと故、草深く、鄙びた印
象しか残っていず、特に金色堂については、その光り輝く姿ではなく、むしろ、蓋堂の風
雪に洗われた姿の方が記憶に残っているという状態でした。
平泉中尊寺を訪れた日は、じりじりするような暑い日でしたが、月見坂を進むに従い、
左右には鬱蒼とした林が広がっており、涼しげに感じます。道の両脇には、本堂の他八幡
堂、弁慶堂、薬師堂、地蔵堂、大日堂など大小のお堂があり、金色堂に向かう人は、道す
がらお参りをしながら進む事になります。
平泉は、1094年以降、約100年間にわたって、奥州藤原氏4代(清衡、基衡、秀
衡、泰衡)の拠点となった地であり、そこには加羅御所の他中尊寺、毛越寺、無量光院な
ど数多くの寺院が建立されるなど、王朝風の華やかな文化が栄えました。
吾妻鏡の文治5年(1189年)9月17日の記事には、中尊寺の規模について、寺塔
が40余り、禅房が300余り、その他、多宝寺、釈迦堂、金色堂、宋国の一切経を収め
た経蔵などが立ち並んでいたことが記されていますので、如何にその規模は大きく、また
華やかであったかが想像されます。
このように、栄耀栄華を誇った奥州藤原氏ですが、1189年に源頼朝によって攻めら
れ、遂に族滅すると平泉も荒れ果て、今では、中尊寺金色堂や毛越寺庭園などが僅かに往
時の面影を残すのみとなっています。
「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口と
らえて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も
い づ れ の 年 よ り か 、 片 雲 の 風 に さ そ は れ て 、 漂 白 の 思 ひ や ま ず ( 日 本 古 典 文 学 大 系 -芭 蕉
文 集 )」 こ れ は 、 松 尾 芭 蕉 の 手 に よ る 「 奥 の 細 道 」 の 冒 頭 の 一 節 で す が 、 こ の 紀 行 文 の 中
で 芭 蕉 は 、「 三 代 の 栄 耀 一 睡 の 中 に し て 、 大 門 の 跡 は 一 里 こ な た に 有 。 秀 衡 が 跡 は 田 野 に
成 て 、 金 鶏 山 の み 形 を 残 す 。( 中 略 ) 偖 (さ て )も 義 臣 す ぐ っ て 此 城 に こ も り 、 功 名 一 時 の
叢 (く さ む ら )と な る 。 国 破 れ て 山 河 あ り 、 城 春 に し て 草 青 み た り 、 と 笠 打 敷 て 、 時 の う つ
る ま で 泪 を 落 と し 侍 り ぬ 。」 と 書 き 記 し て 、 中 尊 寺 の 荒 廃 ぶ り を 嘆 き
夏草や兵どもが夢の跡
という有名な一句を遺しています。
こ の 中 尊 寺 を 含 む 建 築 、庭 園 及 び 考 古 学 的 遺 跡 群「 平 泉 の 文 化 遺 産 」は 、仏 国 土( 浄 土 )
思想を表すものとして評価され、平成23年(2011年)世界文化遺産に登録されてい
ますが、中でも金色堂は「平泉の文化遺産」の中心的な建造物といえます。
この金色堂は、天治元年(1124年)藤原清衡の発願により建立されたもので、中尊
寺創建当初の姿を保っています。
また、金色堂は1965年に再建された頑丈な覆堂によって風雪から守られています。
この覆堂に入ると、屋根瓦を除いて壁や床等が皆金箔で覆われているお堂が目に飛び込ん
できます。
そ し て お 堂 の 内 部 は 、須 (し ゅ )弥 壇 (み だ ん )や 4 本 の 柱 に 施 さ れ た 螺 鈿 細 工 と 相 ま っ て 、
浄土の姿もかくやと思わせる程の見事さで、平安時代の工芸技術の粋を集めたといっても
過言ではありません。それだけ奥州藤原氏の財力や権力の力は大きかったという事です。
芭 蕉 は 、 金 色 堂 を 訪 れ た 時 、「 七 宝 散 り う せ て 、 珠 の 扉 風 に や ぶ れ 、 金 (こ が ね )の 柱 霜
雪に朽ちて、既に頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲て、甍を覆て風雨を凌。暫く
千 歳 (せ ん ざ い )の 記 念 (か た み )と は な れ り ( 日 本 古 典 文 学 大 系 — 芭 蕉 文 集 )。」 と 述 べ て お
り、既に、金色堂が覆堂で風雪から保護されていることを示しています。
五月雨の降りのこしてや光堂
こ の句 は 、「 物 皆 腐 ら す とい う五 月雨 も、 こ こば かり は降 り 残 し て い る か の ご と く 、数 百
年 来 の 風 雨 を 凌 い で 来 て 、光 堂 は 燦 然 と 輝 い て い る よ( 芭 蕉 文 集 か ら )」と い う 意 味 で す 。
まさに金色堂は、900年以上も昔の奥州藤原氏の栄枯盛衰を今に伝えています。そし
て、覆堂によって金色堂の輝きを守り続けてきた人間の知恵と努力に、改めて感謝しなけ
ればならないと感じたところです。
第380号
平成24年8月27日
女性ジャーナリストの死
内戦状態が続いているシリア北部アレッポで、ジャーナリストの山本美香さんが、8月
20日、政府側の民兵による銃撃に遭い亡くなりました。
山本さんは、ジャパンプレス所属のジャーナリストとしてイラク戦争など世界の紛争地
を中心に取材し、2003年にはボーン・上田記念国際記者賞特別賞などを受賞していま
す。
また、山本さんは、戦場を駆け巡るだけではなく、早稲田大学大学院や母校の都留文科
大学で講師とし教壇に立ち、若い学生たちに世界の紛争の現状や、それを伝えるジャーナ
リズムの役割と責任について語っています。
シリアでは既に多くのジャーナリストが殺害されています。彼女の死に関しても様々な
情報が流れていますが、山本さんと行動を共にしていた佐藤さんの撮った映像には、通り
を 歩 い て い た 男 が 山 本 さ ん ら を 指 差 し な が ら 民 兵 に 「 ヤ バ ー ニ ( 日 本 人 だ )」 と 叫 ぶ 姿 が
写っていますので、彼らは、山本さんを日本人ジャーナリストと知っていて狙い撃ちした
可能性もあります。
今回の山本さんの殺害について、藤村内閣官房長官は記者会見の中で、極めて遺憾であ
り 、「 か か る 行 為 を 強 く 非 難 す る 」 と 語 っ て い ま す し 、 ユ ネ ス コ の ボ コ バ 事 務 局 長 も 声 明
を発して、殺害を強く非難すると共に「ジャーナリストを標的にしてはならないという義
務 を 尊 重 す る よ う 」 全 て の 内 戦 当 事 者 に 改 め て 求 め て い ま す ( 8 月 2 1 日 付 朝 日 新 聞 )。
今回の事件は、山本さんにとっては余りにも理不尽であり、ジャーナリストとしての道
を 突 然 塞 が れ て し ま っ た 彼 女 の 気 持 ち を 思 う と 、や り 切 れ な さ が 残 り ま す 。し か し 同 時 に 、
彼女は、自分の死に対して悔いてはいないようにも感じています。
山本さんは、常に死と隣り合わせの現場におり、そこから逃げようとはして来ませんで
した。そして彼女は、銃撃戦に巻き込まれながらもカメラを回し続け、自身が銃弾を浴び
てしまいます。
死の直前まで撮り続けた映像を見て、ジャーナリストとしての山本さんの凄さを改めて
実感するしかありませんが、そこまでして取材をし続けようとする彼女の強さ、そこまで
彼女を突き動かしているものは何なのでしょうか。
それは、山本さんが撮影した最後の映像から伝わって来ます。彼女は、子どもや女性な
ど、紛争に巻き込まれ、悲惨な状況に置かれている名もなく弱い人々の、ありのままの姿
を伝える事が世界を変える力になると信じていたからではないでしょうか。
世界で最も有名な戦場カメラマンだったローバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」と
いう本の中に、こういうシーンが描かれていた事を思い出します。
ドイツ軍を攻撃して戻ってきた爆撃機は、出撃した時は24機だったのですが帰還した
のは17機で、かなり被害を受けています。乗員の中には既に死んでいる者もいます。キ
ャパは最後に降り立ったパイロットを撮ろうとした時、そのパイロットは「写真屋!
ど
んな気で写真がとれるんだ!」と叫びます。
キャパは自分の仕事に対して、こんな仕事は葬儀屋の仕事だとすっかり落ち込むのです
が 、 一 晩 寝 込 ん だ 後 、「 怪 我 し た り 、 殺 さ れ た り し て い る 場 面 抜 き で 、 た だ の ん び り と 飛
行 場 の ま わ り に 坐 っ て い る だ け の 写 真 で は 、人 々 に 、真 実 と 隔 た っ た 印 象 を 与 え る だ ろ う 。
死んだり、傷ついたりした場面こそ、戦争の真実を人々に訴えるものである。だから、私
が湿っぽい気持ちにならないうちに、1本取り終えたことは、やはりよかった」と思い至
ります。そのキャパも、1954年、ベトナムでベトコンの仕掛けた地雷に触れて亡くな
っています。彼もまた、戦場カメラマンとして戦場で亡くなったのでした。
彼女が今年の5月に早稲田大学の学生に語った言葉が、若者たちへの最後のメッセージ
となりました。
日本で暮らす私たちにとって戦争は遠い国の出来事と思うでしょう。しかし、
世 界 の ど こ か で 無 辜 の 市 民 が 命 を 落 と し 、経 済 的 な こ と も 含 め 危 機 に 瀕 し て い る 。
その存在を知れば知るほど、どうしたら彼らの苦しみを軽減することができるの
か、何か解決策はないだろうかと考えます。
紛争の現場で何が起きているのか伝えることで、その国の状況が、世界が少し
でも良くなればいい。報道することで社会を変えることができる、私はそれを信
じています。
(中略)
たとえば世界の安全は日本の安全につながります。人道的な見地からも目をそ
ら し て は い け な い 大 切 な こ と が た く さ ん あ る は ず で す 。「 仕 方 が な い こ と 」「 直 接
関係がないこと」と排除してしまうのでは、ジャーナリズムの役目を果たしてい
るとはいえません。
(中略)
社会にはさまざまな考え、職業、立場の人たちがいます。メディアの世界に身
を置くと、力を持っていると勘違いしてしまうことがあります。高みから物事を
見るのではなく、思いやりのある、優しい人になってください。
山本さんの死が世界に与えた影響は、非常に大きいと思います。今、シリアで何が起こ
っ て い る か 、彼 女 は 、そ の 身 で 日 本 人 に 向 か っ て 明 確 に 知 ら し め た と い え ま す 。志 に 生 き 、
信念を貫いた山本さんのご冥福を、心から祈ります。
第381号
平成24年8月28日
パラリンピック始まる
ロンドン2012パラリンピック(第14回夏季大会)が、明日(8月29日)から9
月9日まで開催されます。
去る8月24日には、聖火の採火式が、ロンドン中心部のトラファルガー広場で行われ
ています。
採 火 式 に は キ ャ メ ロ ン 首 相 が 出 席 し 「 今 回 の パ ラ リ ン ピ ッ ク は 過 去 最 大 規 模 と な る 。」
と挨拶をされていますが、参加国・地域は前回の北京大会(146国・地域)を超え16
0の国と地域から、20競技503種目に約4200人の選手が参加します。
日本からは、135人の選手に121人の役員を加え256人の選手団を編成し、大会
に臨んでいます。
今回のパラリンピックについて、チケットは既に230万枚(北京大会の時は180万
枚 ) も 売 れ て い る そ う で す 。 余 り の 人 気 に 、 オ リ ン ピ ッ ク 委 員 会 は 、「 競 技 を 見 る 事 は で
きないけれどオリンピック・パーク内に入ることはできる」というチケットを10万枚追
加販売することしたそうですが、英国内での盛り上がりが伝わってくるようです。
そもそも、パラリンピックというのは英国が発祥の地ですから、国民の関心が高いのも
頷けます。
パラリンピックは、ロンドンのストーク・マンデビル病院のルートヴィヒ・グットマン
という医師が、第二次世界大戦で負傷した兵士のリハビリテーションのためにスポーツを
奨励し、1948年にロンドンオリンピックが開かれた際、その開会式に合わせてこの病
院でスポーツ大会(ストーク・マンデビル大会)を開催したのが嚆矢とされています。
パラリンピックのマスコットは「マンデビル」という名前ですが、これは、パラリンピ
ックの起源となった場所、ストーク・マンデビル病院にちなんでつけられたといわれてい
ます。
この為、パラリンピックはスタートの時点ではオリンピックとは関係がありませんでし
たので、開催地もオリンピックの開催地とは異なっていましたが、ソウルオリンピック以
降、オリンピック開催地で行われる事となりました。
パ ラ リ ン ピ ッ ク の 語 源 は 、 半 身 の 不 随 ( paraplegic) と オ リ ン ピ ッ ク ( Olympic) が
合体した造語ですが、パラリンピックには半身不随者だけでなく視覚障がい者や運動機能
障 が い 者 、 知 的 障 が い 者 な ど も 参 加 す る よ う に な っ た た め 、 今 で は 、 平 行 を 意 味 す る Par
allelと オ リ ン ピ ッ ク ( Olympic) が 合 体 し た 言 葉 と 理 解 さ れ て い ま す 。
パラリンピックは、障がい者のスポーツということで、当初は競技性に対する評価は必
ずしも高くはありませんでしたが、近年、競技スポーツとしてのレベルの向上には著しい
ものがあります。
車いすマラソンや車いすバスケット、更には水泳など、障がい者スポーツ大会の様子を
拝見していると、障がいを持ちながら良くあれだけの事が出来るな、と感心します。そし
て同時に、彼ら、彼女らが、肉体と技を鍛え上げるために、日々、如何に努力を重ねてい
るかも容易に想像することができます。
障がいがあってもなくても、一つの事に真直ぐに、全力で立ち向かっていく姿に、私た
ちは感動するのだと思います。
北海道からは、水泳の小野智華子さん、車いすバスケットの京谷和幸さん等4人の方々
が参加します。
いずれの皆さんも、これまでの練習の成果を発揮して、悔いのない試合をして欲しいと
思 い ま す 。そ し て 何 よ り も 、パ ラ リ ン ピ ッ ク の 大 舞 台 を 楽 し ん で 欲 し い な と 願 っ て い ま す 。
皆さんで、日本選手団を大いに応援しようではありませんか。
第382号
平成24年8月29日
未来の自分を知りたいか
貴 方 は 、「 自 分 の 未 来 が 知 り た い か 」 と 問 わ れ た ら 何 と 答 え ま す か 。
私の周りには結構占い好きの人が多いのですが、占いの結果を信じている人は殆どいな
いと思います。むしろ、当たるも八卦、当たらぬも八卦という、いわばゲーム感覚で占い
を楽しんでいるという感じでしょうか。
しかし、絶対に当たる確かな占い師がいたとしたらどうでしょうか。
「貴方の将来は明るく輝いていますよ」というような話なら誰でも聞きたいでしょうけ
れど、現実はそんなに甘くはありませんから、絶対に当たる占いという事になると、ちょ
っと怖くて軽々しくは聞けない感じがしませんか。
先頃、東京お台場にある日本科学未来館が「世界の終わりものがたり」という企画展を
行った際、来場者に対して行ったアンケート調査の結果を公表していますので、以下、こ
のアンケートの結果をもとに、人の「終わり」に関して少し考えてみたいと思います。
貴 方 の 身 を 脅 か す 危 機 予 測 が 出 来 る と し た ら 知 り た い か 、 と い う 問 い に 対 し て 83.3%
の 人 が 知 り た い 、 16.1% の 人 が 知 り た く な い と 回 答 し て い ま す 。
東日本大震災を経験したにもかかわらず、身に迫る危機を知りたくないという人が16
%も存在することに驚きますし、理解に苦しみます。
地震や津波等のように、事前に知っていれば適切に対処できたはずだという事が身の回
りにも沢山ありますから、そういうものについては、可能な限り予測して行く事が望まし
いと思います。
しかし、事前に知っても、自分の力では如何ともしがたい事もまた沢山あります。その
最たるものが、自分の寿命でしょう。
人 と い う も の は「 死 ぬ ま で 生 き る も の だ 」と い う 、理 屈 に な ら な い 思 い 込 み が あ る か ら 、
一生懸命頑張って生きているので、それが「貴方の寿命はあと1年」と宣告されたらどう
なるだろうか、自分でも分からないところがあります。
ど ん な 病 気 に な る か 予 め 分 か る と し た ら 知 り た い か 、 と い う 問 い に 対 し て 、 71.2% の
人 が 知 り た い 、 28.3% の 人 が 知 り た く な い と 答 え て い ま す 。
2つの質問に対する回答の違いを見ると、予め地震が来ると分かれば逃げる事も可能で
すから、そういう情報は知りたい。けれど、予め防ぐことができない情報は知りたくない
という、微妙な心の揺れを感じます。
人 は 皆 、い つ ま で も 長 生 き し た い と 願 っ て い ま す が 、残 念 な が ら 、全 て の 人 に「 終 わ り 」
が来ます。それは、生きとし生きるものの宿命です。そうとは分かっていても、終わりを
意識せずに生活しているのが私たちの姿です。
細 く 長 く 生 き た い か 、太 く 短 く 生 き た い か 、と の 問 い に 対 し て 43.8% の 人 が 細 く 長 く 、
49.4% の 人 が 太 く 短 く と 答 え て い ま す 。 太 く 短 く と 答 え た 人 も 、 恐 ら く 「 明 日 、 事 故 に
あ っ て 死 ぬ か も 知 れ な い 」等 と 考 え て い る 人 は い な い で し ょ う 。そ れ は 、自 分 の「 終 わ り 」
というものが現実感を伴っていないからだと思います。
危機が迫っているとしたら、残された時間で何をしますか、という問いに対して、危機
が 3 0 年 後 な ら 「 農 業 を 始 め る 」「 思 い 出 を 作 る 」 等 と 将 来 を 見 据 え 行 動 し た い と 考 え る
人が多いようです。
危 機 が 1 年 後 な ら 「 お 礼 を い い に 回 る 」「 や り 残 し た 事 を や る 」 等 と 、 残 さ れ た 時 間 を
大 切 に 使 お う と い う 気 持 ち が 表 れ て き ま す 。そ し て 危 機 が 1 時 間 後 な る と「 日 記 を 燃 や す 」
「家族のもとへ行く」等といよいよ事態は切迫し、最後に残された時間が5秒という事に
な る と 、 逆 に 「 深 呼 吸 」「 無 心 に な る 」 と い う よ う に 、 自 分 の 「 最 後 」 を 受 け 入 れ よ う と
するようです。勿論そういう回答ばかりでなく、中には「自ら死ぬ」と回答した人もいた
そうですから、人間の気持ちというものは本当に奥深いものです。
自 分 の 寿 命 と い う も の は 、「 知 る の は 怖 い 、 で も 知 り た い 」 と い う の が 偽 ら ざ る 実 感 で
す。
「命の蝋燭」という昔話がありますが、目の前に今にも消えそうな蝋燭があって、それ
が 自 分 の 命 の 灯 で 、あ と 僅 か で 消 え て し ま う と 知 ら さ れ た ら 、貴 方 な ら ど う す る で し ょ う 。
他の人の蝋燭を持ってきて継ぎ足したくなるかもしれません。でも、結果は、どうあがい
ても消える時には消えるというのが蝋燭の火ですから、余りじたばたしないようにしよう
と、心に決めています。もっとも、そのように実行できるかどうかわかりませんが……。
私達は、普段「終わり」を意識して生活することは殆どありませんが、昨年の東日本大
震災を目の当たりにしながら、日々の生活の中で、時に「終わり」を意識する事が大事だ
と感じている人も多いと思います。
「 終 わ り 」 が 何 時 来 る の か 、 残 さ れ た 時 間 は ど の 位 あ る の か 全 く 分 か り ま せ ん が 、「 終
わり」があると思えばこそ、今与えられている時間が愛おしく、もっともっと大切にしな
ければならないと感じる事が出来るのではないでしょうか。
第383号
平成24年8月30日
悲しい居場所
今月(8月)6日、群馬県桐生市において、市立黒保根中学校体育館の耐震・改修工事
の作業中、アルバイトをしていた中学3年生の石井誠人さんが壁の下敷きになって死亡す
るという、痛ましい事故が発生しました。
解体工事の下請け業者として工事に携わっていた平澤建設は、8年ほど前から20人の
中学生を雇っていたといいます。この中学生たちは、いずれも足利市内の中学生で、同社
は空き缶やペットボトルなどのリサイクル品の分別作業に従事させていました。石井さん
も 6 月 以 降 、リ サ イ ク ル 品 の 分 別 作 業 を 担 当 し て い ま し た が 、事 故 当 日 は 人 手 不 足 の た め 、
建設現場でがれきの片付けなどの作業を行っていたとのことです。
平澤建設の社長は「本人や親、学校の希望があった。学校になじめない子には居場所が
な く 、 社 会 貢 献 の つ も り だ っ た 」 と 話 し て お り ( 8 月 1 5 日 付 朝 日 新 聞 )、 雇 っ て い る 中
学 生 に は 約 5 0 0 0 円 の 日 当 を 払 っ て い ま し た 。会 社 が 中 学 生 に 日 当 を 支 払 っ て い る 事 は 、
学校も把握していたようです。
石井さんが、仲間と楽しく学んだり遊んだり出来たはずの学校にではなく、危険だけれ
ど 大 人 達 と 混 じ っ て 働 く 場 所 に し か 居 場 所 を 見 い だ せ な か っ た と す れ ば 、悲 し く 感 じ ま す 。
群馬県警桐生署と桐生労働基準監督署は、違法な年少者雇用が日常化していた疑いもあ
るとみて調べています。
中学校側では「不登校や学校生活になじめない生徒本人や親から申し出があり、職場体
験という事にして認めていた」としています。
年少者の雇用については、先般、東京電力でも、昨年5月から6月にかけて福島第一原
発事故の収束作業を行った際、当時16歳の少年がその現場で働いていたことが分かった
と 発 表 し て い ま す 。こ の 少 年 は 、東 京 電 力 の 下 請 け 会 社 が 、少 年 の 親 族 か ら の 依 頼 も あ り 、
未成年であることを承知の上で雇っていたものです。
労 働 基 準 法 は 、年 少 者 を 建 設 現 場 な ど 危 険 な 作 業 へ の 就 労 を 禁 じ て い る に も か か わ ら ず 、
法の網を潜るようにして今回のような問題が生じる事は、誠に遺憾です。
中学生を雇い入れた企業側は、労働基準法の年少者の就労制限を知らないはずはなく、
「親などから頼まれたので雇った」というのを免罪符にしているのではないかといわざる
を得ません。
特に、子ども達を守るべき学校の法律に対する認識の甘さは、批判されて然るべきだと
思います。
ただ、学校の対応を批判するだけでは済まない問題を、今回の桐生市で発生した事故は
示しています。
特に大きな問題は、不登校や学校になじめない子ども達にとって、居場所となるべき場
所は何処かという事です。
どうしても学校には足が向かない、無理をすれば子どもの負担が大きくなり、かえって
子どもの成長の妨げになるというケースが現実にあります。
学校に通えないならフリースクールでというような対応も一つの選択ではありますが、
子ども自身が早く社会に出て働きたいと考えているのなら、各企業の協力をいただきなが
ら、大人に交じって就業体験を積むという選択肢を否定すべきではありません。
中学を卒業して就職する子は決して少なくありませんが、高校全入時代の中で彼らは、
高校にも行けない「落ちこぼれ」といった評価をされがちです。そうした社会の空気が、
折角社会に出て自立しようとする子ども達に劣等感を植え付ける事になりかねません。
高 校 や 大 学 に 行 く だ け が 人 生 じ ゃ な い 。「 義 務 教 育 を 終 え た ら 就 職 し て 自 立 す る 」 と い
う 選 択 も 有 り 得 る と い う 事 を 、子 ど も 達 だ け で な く 大 人 達 も 認 識 す べ き で し ょ う 。そ し て 、
中学校では、そうした事も含め適切な進路指導に努めるべきです。
不 登 校 等 に つ い て は 様 々 な 原 因 が 考 え ら れ ま す が 、「 勉 強 は し た く な い の で 、 早 く 社 会
に出たい」と考えているような生徒に対しては、企業等とも連携しながら、実際の就職に
結びつくような、多様な就業体験の機会を確保することは、効果的だと思います。また、
そうした就業体験のコーディネートを通して、不登校の生徒の目を学校に向けさせること
も可能になるでしょう。
なお、こうした取り組みが成果を上げるためには、小学校からの発達段階に応じたキャ
リア教育の徹底が必要です。つまり、勉強したくないから就職する。考えるのが面倒だか
ら就職する。ではなくて、自分の人生設計として就職する。就職についても、そういう積
極的な選択を子ども達にはしてほしいと願っています。
中学校の段階で、多様な就業体験を取り入れる事は、学校や企業側にとって負担が大き
く な る こ と が 考 え ら れ ま す が 、 私 は 、「 子 ど も 達 を 一 人 前 の 人 間 と し て 社 会 に 送 り 出 す 」
という使命を果たす上で、学校としてまだまだ取り組む余地がある筈だと考えています。
第384号
平成24年8月31日
出生前診断
胎児に異常が有るか否かの判定を目的とする出生前診断は以前から行われていました
が、妊婦の血液で胎児がダウン症かどうかほぼ確実に分かる新型の出生前診断を、今年の
9月以降、国立成育医療研究センター等国内約10施設(5施設との報道もあります)で
導 入 さ れ る こ と が 分 か り ま し た ( 8 月 2 9 日 付 朝 日 新 聞 )。
この診断方法は、米国の検査会社が開発したもので、少量の血液で99%の精度でダウ
ン症か否かの診断が可能とされており、昨年10月に米国で導入されています。
臨床研究には、出生前診断について相談・支援できる態勢が整った約10施設が参加予
定で、各施設とも院内の倫理委員会の承認を得たうえで開始するとしています(8月29
日 付 朝 日 新 聞 )。
なお、出生前診断の対象は35歳以上、費用は保険対象外で約21万円との事です。
ダウン症に関わる出生前診断は、これまでは羊水検査や血清マーカー検査によって行わ
れていましたが、羊水検査については、診断を確定できますが、おなかに針を刺すため流
産 の 可 能 性 が 0.3% あ り 、 血 清 マ ー カ ー 検 査 の 方 は ダ ウ ン 症 で あ る 可 能 性 の 確 率 し か わ か
らない、という難点がありました。
これに比べて、今回の検査方法は精度が高いだけでなく、妊娠10週と早い段階で受け
られる事や血液を採るだけなので妊婦への身体的負担もないという、画期的なものです。
ただ、こうした検査が一般化していくと、胎児に異常が見つかった場合、安易な人工妊
娠中絶に繋がりかねないとの指摘もあります。
今 回 導 入 を 決 め た 国 立 成 育 医 療 研 究 セ ン タ ー の 左 合 周 産 期 セ ン タ ー 長 は 、「 出 生 前 診 断
には、適切なカウンセリングが必要。なし崩し的に広がる前にルールを作り、相談支援体
制 を 整 備 し た い 」 と 述 べ て い ま す ( 8 月 2 9 日 付 朝 日 新 聞 )。
一方、ダウン症のある人、本人とその家族の全国組織である日本ダウン症協会は、出生
前検査・診断が「マススクリーニングとして一般化することや、安易に行われることに断
固反対」の立場を取っています。
胎児の遺伝子診断を一般の血液検査と同様に扱われる事への、いいしれぬ不快感は私に
も理解できます。
先日、現在妊娠5か月の東尾理子さんは、自身のブログで、不妊治療の末授かった赤ち
ゃんにダウン症候群の可能性がある事が分かり、医師から「羊水染色体分析をすれば、1
00%の結果が分かるがどうするか」と聞かれたけれど、夫の石田純一さんと相談した上
で羊水検査は受けない事を明らかにしました。
胎児に障がいの可能性が有るという事について、子どもが生まれる前に公表することに
どのような意味があるのか理解しかねますが、ただ、生まれた子がどういう状態であれ受
け入れて育てて行くのだという、彼女の決意は強く感じます。
妊娠したと分かった時、親というものは、順調に育って、五体満足で生まれて欲しいと
願うものです。ですから、東尾さんが、胎児がダウン症の可能性が高いと分かった時は、
産むかどうかも含め、内心相当悩んだのではないでしょうか。
今後、出生前診断を受ける人が増えれば、同じように悩む人がもっと沢山出てくる事に
なります。
東尾さんの場合は、我が子がダウン症であっても生むと決断したために、羊水検査は受
けませんでした。つまり、生まれて来る子に障がいが有ってもなくても産んで育てると決
断したら、出生前診断は必要がないという事でもあります。
逆 に 、出 生 前 診 断 を 受 け よ う と す る の は 、胎 児 の 状 況 に 対 す る 不 安 が あ る か ら で し ょ う 。
その不安は、障がいを持って生まれた子を育てる事への不安と重なり、人工妊娠中絶へと
繋がっていく可能性は、決して低くはないと懸念されます。
障がいの有無によって、産むか否かを決めるという事は「命の選別」をする事に他なり
ません。それは神の領域にまで踏み込むという事であり、結果として、出生前診断は、人
間としてしてはならない事に手を貸すことになりはしないでしょうか。
出生前診断は、米国でも導入されており、我が国での導入は避けられない流れかも知れ
ませんが、私としては、慎重な検討が必要だと感じています。
少なくとも関係者においては、出生前診断が安易に行われないよう、しっかりとしたル
ール作りと共に、出生前診断に関する国民の理解を深める努力をすべきです。
そして何よりも、出生前診断の受診者に対するカウンセリングが極めて重要ですので、
予めその体制をしっかり取っていただくことを、求めておきたいと思います。
第385号
平成24年9月3日
折れた葦にはなるな
「人間は考える葦である」というのは、17世紀の思想家パスカルの、知らない人はい
ないという位に有名な言葉です。
「 パ ン セ ( P a n s e e )」 の 冒 頭 で は 、 こ の よ う に 表 現 さ れ て い ま す 。「 人 間 は 自 然
の な か で も っ と も 弱 い 一 茎 の 葦 に す ぎ な い 。 だ が 、 そ れ は 考 え る 葦 で あ る 。」
ではパスカルは、どうして人間を葦にたとえたのでしょう。
昨年3月に発生した東日本大震災を目の当たりにして、私たちは、自然の力の前に人間
の無力さを思い知らされました。そういう意味では、ひょろひょろとして、誠に頼りなげ
な葦を、人間の比喩にしたというのも理解できます。
しかし、葦は、ただ弱弱しい、頼りないだけの存在なのでしょうか。
葦は、強い風が吹くと、その風に身を任せしなります。強い風には抵抗できませんが、
風が止むとまた元のように起き上がって何事も無かったかのように風にそよいでいます。
葦は、逆境にも折れたりせずに、強かに生きている。まるで、あの東日本大震災で大き
な痛手を受けながら、それでもその地に踏み留まり、復興のために槌音を響かせている被
災者のことを思い起こさせます。
パスカルが、人間を葦にたとえたのは、人間は確かに自然の大きな力の前には弱い存在
ではあるが、葦の様にしたたかでしなやかな復元力を持っている、ということを表現しよ
うとしたのではないかと思います。
しかも、人間には、考える力や知恵がある。ただ、したたかでしなやかな存在ではない
ということです。
逆に言うと、折角人間に与えられた考える力や知恵を発揮しなければ、地に生える葦に
等しいということにもなるでしょう。
勿 論 、い く ら し た た か で し な や か な 葦 と は い え 、折 れ て し ま う こ と も あ り ま す 。し か も 、
その折れた葦は、近づいた人間を傷つけてしまいかねません。
先日、参議院本会議で、野田総理大臣の問責決議案が可決されました。これで、今国会
は事実上機能しなくなり、赤字国債法案や原子力規制委員会の人事、選挙法の改正など、
重要な案件は店晒しとなったままということになるでしょう。国民の負担に直結する消費
税の引き上げだけは早々に決着させ、自ら身を削る改革は先送りする。これ程、国民不在
の無責任な政治はありません。
今回の一件では、自民党が批判の矢面に立たされていますが、自民党を批判すれば済む
と い う 問 題 で は あ り ま せ ん 。政 権 与 党 で あ る 民 主 党 始 め 既 成 政 党 が 、党 利 党 略 に 明 け 暮 れ 、
保身に身を削って来た結果が今日の事態であり、今の政治は頼むに足らぬと、多くの国民
は見ています。
第一次大戦後のパリ講和会議で、イギリスの代表として出席したケインズは、欧州の再
興を期すには、ドイツに対して報復的賠償を科してはならず、アメリカからの対独援助も
不 可 欠 だ と 主 張 し た の で す が 、米 国 は そ の 案 を 受 け 入 れ ま せ ん で し た 。こ の 時 ケ イ ン ズ は 、
「あなたたちアメリカ人は折れた葦だ」と米国を批判したという逸話が残っています。
ケインズが米国を「折れた葦」と批判したのは、米国が第一次大戦後の平和構築の役に
立たないということを強烈に皮肉ったものと思います。
ドイツに対する過大な賠償要求の中には、ドイツから再び戦争を始める力を削ごうとい
う意図がありました。しかし、結果はケインズが懸念したように、ドイツに対する過大な
賠償要求が第二次世界大戦への引き金になってしまいました。
旧約聖書「イザヤ書」には、こう記されています。
「見よ、今、お前はエジプトという、あの折れた葦の杖を頼みにしているが、それは、
寄りかかる者の手を刺し通すだけだ」
折れた葦は、人を傷つけるのみで、頼みにならない存在だということを示しており、恐
らくケインズは、この一説を思い浮かべながら米国を批判したのではないかと思います。
国民は、今日の政治状況に対して厳しい目を向けています。展望が開けず、閉塞感が漂
っている日本ですが、それでも国民は、政治に対して諦めてはいないはずです。
私は、政治家の皆さんが、国民にとって「折れた葦」にはならぬよう、切に願っていま
す。
第386号
平成24年9月4日
甘くはないか
京 都 造 形 芸 術 大 学 の 寺 脇 教 授 は 、「 ゆ と り 教 育 世 代 大 学 へ 」 と 題 し て 北 海 道 新 聞 に 一 文
を 載 せ て い ま す ( 6 月 2 2 日 付 )。
そ の 中 で 寺 脇 教 授 は 、「 0 2 年 度 か ら 実 施 さ れ た 新 し い 教 育 ( マ ス コ ミ で は 「 ゆ と り 教
育 」 と 呼 ば れ て い る ) の 申 し 子 と い え る 世 代 が 、 い よ い よ 大 学 生 に な っ た の だ 。( 中 略 )
「ゆとり教育」バッシングの嵐が吹きまくったが、私は以前から、この世代が大学に入る
ときが真の評価を下すべきタイミングだと主張してきた。教育の成果は、短期間では計れ
ない。
大学生になって真剣に学ぶことができるか、また自分の将来を明確に意識できるかがカ
ギだと思っていた。もし、12年の新入生が、昔のようにただなんとなく偏差値で大学を
選び受け身の姿勢で授業に臨むものが大半というありさまだったとしたら、たしかに「ゆ
と り 教 育 」 は 大 失 敗 と 詰 ま ら れ て も 仕 方 あ る ま い 。」 と 述 べ て い ま す 。 そ し て 、「 わ た し
の属する京都造形芸術大学と理事を務める東北芸術工芸大学の入学式では、いずれも新入
生 の 「 入 学 の 辞 」 が 例 年 に も 増 し て 光 っ て い た 。」 と 評 価 し て い ま す 。
寺 脇 教 授 は 、 そ う し た 学 生 た ち を 見 て 、「 ゆ と り 教 育 」 1 0 年 間 の 成 果 が 出 始 め た と い
う 認 識 を お 持 ち で あ り 、「 ゆ と り 教 育 」 に 批 判 的 な 方 々 に 対 し て 、 今 年 入 学 し て き た 学 生
たちを見て評価して欲しいと述べています。
寺 脇 教 授 は 、 文 科 省 の 中 で 積 極 的 に 「 ゆ と り 教 育 」 を 推 進 し て き た 方 で す の で 、「 ゆ と
り教育」に対して積極的な評価をされるのは分からなくもありませんし、実際、同氏の周
りにはものの考え方もしっかりしていて、優秀な学生が多いのかも知れません。しかし、
現実は、大学自体が偏差値で輪切りになっているといわざるを得ませんし、大学生も、意
欲的に学んでいる学生がいる一方で、何のために大学生になったのか分からない、いわゆ
る「名ばかり大学生」もまた多数存在しています。
こ う し た 現 実 を 見 る 限 り 、「 ゆ と り 教 育 」 1 0 年 の 成 果 が 出 始 め た と 評 価 す る の は 、 い
ささか早計ではないかと感じています。
「ゆとり教育」は、知識偏重の詰め込み教育から脱皮するため、学習時間と内容を減ら
し、ゆとりある学校を目指そうとするもので、1980年度、1992年度、2002年
度から施行された学習指導要領の改訂に沿って実施されています。
寺脇教授は、学習指導要領が全面的に改正された2002年度から「ゆとり教育」が始
まったとしていますが、小学校は1980年度から学習内容や授業時数の削減などが行わ
れていすので、私は、この時点からゆとり教育は始まったと考えても良いのではないかと
思っています。
いずれにせよ、何故「ゆとり教育」が導入されるに至ったかといえば、当時、いじめや
不登校問題、更には少年の凶悪な非行が多発しており、これが、詰め込み教育や過度の受
験競争のせいであるとされ、これを改善するためには、学校で教える内容を削減して子ど
も達にゆとりを持たせることが必要だというのがその理由でした。
更 に い え ば 、「 ゆ と り 教 育 」 導 入 の 背 景 と し て 、 当 時 週 休 二 日 制 の 導 入 な ど 勤 務 時 間 短
縮に向けた動きが活発であったことも忘れてはならないでしょう。
教 育 関 係 者 に 、 子 ど も 達 に ゆ と り を 持 た せ れ ば 、「 自 ら 学 び 、 自 ら 考 え る 」 事 が 身 に 付
き 、「 生 き る 力 」 を 育 む こ と が で き る と い う 、 あ る 種 の 期 待 が あ っ た こ と も 事 実 だ と 思 い
ます。
この結果、上述のように学習指導要領が逐次改定され、教科書で教える内容は大幅に削
減されると共に「総合的な学習の時間」などが盛りこまれることとなったのですが、子ど
も達に「ゆとり」を与えれば自分で考える力が身に付くなどという事は、全くの虚構だっ
たといわざるを得ません。
勿 論 、「 ゆ と り 教 育 」 が 様 々 な 体 験 を 通 じ な が ら 自 ら 問 題 を 発 見 し 解 決 し て い く 力 を 身
に付させようとしたこと自体は、否定すべきものではありません。
知 識 だ け で は な く 、 PISA型 の 学 力 調 査 に お い て 問 わ れ て い る よ う に 知 識 を 応 用 す る 力
が 重 要 で あ る こ と は 明 ら か で す 。 そ う い う 意 味 で は 、「 ゆ と り 教 育 」 が 目 指 そ う と し た 事
に一定の理解はできます。
し か し 、「 ゆ と り 教 育 」 に よ っ て 子 ど も 達 の 学 力 不 足 が 顕 著 に な る だ け で な く 、「 自 ら
問題を発見し解決していく力」の育成についても、期待した成果が出ているとはいい難い
と思います。
「 個 性 を 尊 重 し 自 主 性 を 伸 ば す 」「 さ せ ら れ る 学 習 」 か ら 「 自 ら 学 ぶ 楽 し さ に 気 付 か せ
る 教 育 」「 指 導 か ら 支 援 へ 」 と 言 葉 は 美 し い の で す が 、 基 礎 基 本 の 知 識 を し っ か り と 教 え
込まなければ、自ら問題を発見し、解決していく力も育たないという事を、現実が良く示
しているのではないでしょうか。
「ゆとり教育」という美名の下で、基礎基本を教え込むことを知識偏重と遠ざけ、一方
では、子ども達に対して、自ら学び、自ら新しい知識を習得して世界を広げて行くという
力を十分付けさせる事が出来ていない、こうした状況について、教師としても責任がない
とはいえません。
大津の事件を上げるまでもなく、いじめや不登校は依然として大きな問題となっていま
すし、小中学校のみならず、高校生や大学生の学力不足も深刻な状況にあります。結局、
「ゆとり教育」によっては、学校が抱える根本的な問題を解決する事が出来なかったとい
う 事 で す が 、さ り と て 、
「 ゆ と り 教 育 」を た だ 全 否 定 す れ ば 済 む と い う 事 で も あ り ま せ ん 。
新 し い 学 習 指 導 要 領 を 展 開 す る に 当 た っ て 、「 ゆ と り 教 育 」 の 何 が 良 く て 何 が 悪 か っ た
の か 、 し っ か り と 検 証 す る 必 要 が あ る と 思 い ま す 。 そ う し な け れ ば 、「 ゆ と り 教 育 」 か ら
「知識偏重教育」へと、また元来た道に戻るだけになってしまうのではないでしょうか。
第387号
平成24年9月5日
大卒ニート
今春、全国の大学を卒業した学生の進路動向が文部科学省による「2012年度学校基
本調査」によって明らかとなりました。
その結果の概要は、下表のとおりとなっています。
卒業者数
内進学
就職
(内非正規雇用)
一時的就労
就職も進学もせず
(内ニート等)
55万9千人
7万7千人
35万7千人
(2万2千人)
2万人
8万7千人
(3万4千人)
100.0
13.8
63.9
3.5
15.5
今春、全国の大学を卒業した学生は56万人いますが、その内正社員として就職した者
は 約 3 5 万 7 千 人 、 就 職 率 は 63.9% で 、 対 前 年 2.3ポ イ ン ト 改 善 さ れ て い ま す 。
ま た 、 大 学 院 な ど に 進 学 し た 人 は 約 7 万 7 千 人 ( 13.8% ) と な っ て い ま す 。
また、非正規で就職した人やアルバイトなど一時的な仕事についている学生は、全体で
4万人を超えており、若者の雇用環境の厳しさを改めて実感しています。
更に、就職も進学もしていない学生が約8万7千人となっており、その内約6割の学生
は就職や進学の準備中という事ですが、残りの4割の学生(約3万4千人)はいわゆるニ
ートの状態にある事は、極めて深刻だといわざるを得ません。
文部科学省は、今回の結果に対して「リーマン・ショックで大きく落ち込んだ就職率は
持ち直しつつあるが、本人が望まない雇用形態で就職せざるを得ない状況は改善すべき課
題だ」としています。
日本の将来を担うべき多くの若者たちが、不安定な労働環境の中で希望を見失い、就職
する事さえ諦めてしまうような事態は誠に不幸だし、放置できる問題ではありません。
国としても、早急に具体的な対策を講ずべきです。
学生を雇用する側の企業にとっては、経済不況の中で雇用調整をせざるを得ない状況も
あると思いますが、良質な労働力の確保という面からも、計画的な雇用の確保に努めてい
ただきたいと思います。
一方、大学側の取組も問われています。
3万人を超えるニートの中には、様々な企業にチャレンジしたけれど全て旨くいかず、
結果、就職自体を諦めてしまっている者も多いと思われます。卒業した学生に対しても、
アフターケアを十分取るべきでしょう。最後まで、支援の手を差し延べる必要があると思
います。
また、就職難の一方では、雇用のミスマッチという問題も起こっていますので、学生に
対して適格な進路指導を行うべきです。
今日の雇用環境の厳しさは、企業側の姿勢に影響されるところ大ですが、同時に、大学
におけるキャリア教育がどうなっているのかも問われるところです。
更に、一つ付け加えると、卒業する学生たちの質の問題も問われています。
先 日 、道 内 企 業 の 経 営 者 と お 話 し す る 機 会 が あ っ た の で す が 、そ の 経 営 者 の 話 に よ る と 、
今年も10名程度新規採用を行ったが、その内、日本人学生は半分以下で、残りは外国人
留学生だったとの事です。日本人の学生の質が低くて使えない、というのですが、こうな
ると日本の大学教育自体の質が問われる問題でもあり、事態はますます深刻です。
高齢化が進み、日本全体が萎んでいくような不安感がありますが、それを払しょくして
日本社会が活力を保持していくためには、若者たちが夢と希望を持って参画できる社会に
していかなくてはなりません。
今こそ、国、大学、企業関係者が一体となって、具体策を講じる時です。今や、待った
なしです。
第388号
平成24年9月6日
高度専門職業人(1)
中央教育審議会は、8月28日、教員養成を修士レベル化する事などを内容とする「教
員の資質能力の総合的な向上方策」について平野文部科学大臣に答申しました。
答申では、まず「現状と課題」について、
・グローバル化や情報化、少子高齢化など社会の急激な変化に伴い、高度化・複雑化する
諸課題への対応が必要となっており、学校教育において、求められる人材育成像の変化
への対応が求められる。
・これに伴い、21世紀を生き抜くための力を育成するため、これからの学校は、基礎的
・ 基 本 的 な 知 識 ・ 技 能 の 習 得 に 加 え 、思 考 力 ・ 判 断 力 ・ 表 現 力 等 の 育 成 や 学 習 意 欲 の 向 上 、
多様な言語活動や協働的な学習活動等を通じて効果的に育まれる事に留意する必要があ
る。
(略)
・これらを踏まえ、教育委員会と大学との連携・協働により、教職生活全体を通じて学び
続ける教員を継続的に支援するための一体的な改革を行う必要がある。
としています。
次に、教員養成の改革の方向性について、
・教員養成を修士レベル化し、教員を高度専門職業人として明確に位置付ける。
・今後、詳細な制度設計に際し、支援措置、学校種、設置形態等に留意する。
としています。
また、教員免許制度の改革については、
・探究力、学び続ける力、教科や教職に関する高度な専門的知識、新たに学びを展開でき
る実践的指導力、コミュニケーション力等を保証する、標準的な免許状である「一般免
許状(仮称)を創設する。また、当面は、教職への使命感と教育的愛情、教科に関する
専 門 的 な 知 識 ・ 技 能 、教 職 に 関 す る 基 礎 的 な 知 識 ・ 技 能 を 保 証 す る「 基 礎 免 許 状( 仮 称 )」
も併せて創設する。
・「 一 般 免 許 状 ( 仮 称 )」 は 学 部 4 年 に 加 え 、 1 年 か ら 2 年 程 度 の 修 士 レ ベ ル の 課 程 で の
学 習 を 標 準 と し 、「 基 礎 免 許 状 ( 仮 称 )」 は 、 学 士 課 程 修 了 レ ベ ル と す る 。
・特定分野に関し、実践の積み重ねによる更なる探究により、高い専門性を身に付けたこ
と を 証 明 す る 「 専 門 免 許 状 ( 仮 称 )」 を 創 設 す る 」
等としています。
答申を受けた文部科学省では、今後、学生が「修士課程」の履修を行う大学院の整備や
実施の時期、新たな教員免許制度の創設に向けた法改正などについて検討する考えを示し
ています。
現在、学校教育を取り巻く様々な問題の中でも、教員の指導力・実践力の向上は焦眉の
急であり、それが今回の答申に繋がったのだと思います。ただ、その内容を見ると、この
答 申 の 数 日 前 に「 半 数 は 定 員 割 れ 」と い う 教 職 大 学 院 の 実 態 が 報 道 さ れ て い た こ と も あ り 、
教職大学院の生き残り策という色合いが強いなというのが、率直な私の感想です。
そうした中、今回の答申において、教師は学び続けなければいけないし、学び続ける教
師を教育委員会と大学との連携・協働によって教職生活全体を通じて支援していくための
改革が必要だ、としていることは評価して良いと思います。
こ の 学 び 続 け る 教 師 像 は 、「 学 び 続 け る 教 師 だ け が 、 教 壇 に 立 つ こ と を 許 さ れ る 」「 成
長し続ける教師だけが、子どもを成長させることができる」という、北海道師範塾の理念
と軌を一にしているといって良いでしょう。
さて、教員養成を修士レベル化しようとする意図は何処にあるのでしょうか。
私 は 、「 社 会 的 地 位 の 向 上 」 と 「 実 践 力 の 向 上 」 と い う 二 つ の キ ー ワ ー ド を 考 え て み ま
した。
答申の中には、さりげなく次の一文が記述されています。
「社会全体の高学歴化が進行する中で教員の社会的地位の一層の向上を図ることの必要性
も 指 摘 さ れ て い る 。」
これは、保護者を含めて社会全体の高学歴化の中、教員の社会的評価が相対的に低くな
ってきたから、この際、教員資格を修士課程修了に引き上げる事によって社会的な地位を
高めよう、という事なのだろうと思います。
確かに、社会全体の高学歴化による影響というものは否定でませんが、我々が良く耳に
する保護者の教員に対する不満や不信は、教員の学歴にあるのではなく、教員の教育実践
力不足や生徒指導力不足に大きな原因があるのだという事を忘れるべきではありません。
それでは、教員資格を修士レベルに引き上げれば、実践力が身に付き、学校教育を巡る
問題が解決するといえるでしょうか。勿論、事はそれ程単純ではありません。<続く>
第389回
平成24年9月7日
高度専門職業人(2)
大学の教官は、教育に関わる理論的な指導はともかくとして、小・中・高校の教員とし
ての実践力を身に付けさせるという指導については何処まで可能なのでしょうか。この点
に関しては、各大学とも、小・中・高校の教員、あるいは教員OBから適切な人を招聘し
て当たらせているのが実態ではないかと思います。
知 識 は と も か く 、実 践 力 は 実 践 の 中 か ら 学 ぶ こ と が 非 常 に 多 い と い う 現 実 を 踏 ま え れ ば 、
修士課程を修了したからといって、それが直ちに実践力のある証明にはなりません。
今 回 の 答 申 に つ い て 、 教 員 養 成 の 在 り 方 に 詳 し い 東 京 学 芸 大 学 の 岩 田 康 之 教 授 は 、「 教
員が実践的な力を養う上で、採用されてからオン・ザ・ジョブトレーニングでやるには限
界がある。大学が責任を持ってやる教員養成教育の中に、実践的な要素を多く取り込むこ
と が 必 要 だ ( N H K の ニ ュ ー ス か ら )。」 と 述 べ て お ら れ ま す 。
岩田教授が述べているように、採用後のオン・ザ・ジョブトレーニングだけでは実践力
の向上に不十分な事は確かですが、しかし、大学で如何に実践的な要素を取り入れた養成
を 行 っ た と し て も 、そ れ だ け で 一 人 前 の 教 員 が 育 つ と い う 程 、現 場 は 甘 く な い と 思 い ま す 。
大学で学ぶことと実際に教壇に立って実践する事との間には大きな開きがありますの
で、幾ら大学院を修了して教員になったといっても、結局は、採用後のオン・ザ・ジョブ
トレーニングをしっかりやらない限り、実践力ある教員には育たないでしょう。
そ の 意 味 で は 、「 教 科 や 教 職 に つ い て の 基 礎 ・ 基 本 を 踏 ま え た 理 論 と 実 践 の 往 還 に よ る
教員養成の高度化が必要である」という答申の指摘は当然だと思います。従って、教育委
員会と教職大学院との連携はこれまで以上に重要になって来ます。
ま た 、教 職 大 学 院 が キ ャ リ ア ア ッ プ の 道 筋 と し て 重 要 な 選 択 肢 の 一 つ だ と は 思 い ま す が 、
選択肢はそれだけではないはずです。初任者研修に始まり10年研修など教育委員会が実
施する研修の意義や役割を再認識し、より一層充実していく必要があると考えます。
こうした中、今回示された新たな免許制度においては、4年制大学卒業者の免許は「基
礎 免 許 」、 修 士 課 程 修 了 者 の 免 許 は 「 一 般 免 許 」 と い う よ う に 、 免 許 の 地 位 に 差 を 付 け る
形となっています。私は、教員間に指導力や実践力に明らかに差があるにもかかわらず、
「 教 員 は 、皆 同 じ で あ る 」と 擬 制 し て 憚 ら な い の は 、甚 だ ナ ン セ ン ス だ と 思 っ て い ま す が 、
免許のレベルに差を付けるのであれば、単にどれだけ学んだかではなく、どれだけの実践
力があるかを評価した上で交付されるべきだと思います。
また、今回の答申の重要な柱は、教員養成を修士レベル化する事にあると理解していま
すが、そうした場合、多様な人材の教育への道を狭め、また、閉ざす事にならないでしょ
うか。
現在、教員採用に当たっては、スポーツ・芸術特別選考、社会人特別選考を行うなど、
多様な人材を求めていますが、仮に、教員になるには教職大学院を修了しなければならな
いというような事になれば、教育界に入って来る人材の多様性が失われかねません。私に
は、その事による弊害は小さくないと感じられます。
いずれにせよ、どういう教員を育てるかは、これからの日本の教育の方向を決める重要
な問題です。関係者の英知を集め、国民的な議論を深めるべきだと思います。
第390号
平成24年9月10日
余りに幼稚
9月4日の夜、塾帰りの小学6年生の女児を旅行用かばんの中に押し込み、タクシーの
トランクに閉じ込めて監禁したとして、成城大学(東京)の学生、小玉智裕容疑者(20
歳)が現行犯逮捕されるという事件が発生しました。
今回は、タクシー運転手の機転で最悪の事態は避けられましたが、事件を起こした小玉
容疑者の幼稚さには呆れかえるばかりです。大学関係者も、さぞかし驚天動地の有様では
ないかと思います。
一口に大学生といっても色々な人間がいますので、中には犯罪に手を染める者も出てき
ますが、それにしても、今回の事件の顛末を見ていると、余りの幼稚さに声も出ません。
「やりたいと思ったら周りが全く目に入らなくなる」という事では、子どもというより
幼児といった方が良く、体も大きく体力もあるという点では、幼児よりもまだ悪いといわ
ざるを得ません。
普通の大人は、自分が犯罪者になったら親を泣かせる事になるとか、兄弟や友人への迷
惑、被害者やその家族の嘆き悲しみ、更には犯罪者というレッテルを貼られる事による社
会的影響といった、様々な負の想像力が働き、それが抑止力となって自分の行動をコント
ロールしています。
今回事件を起こした小玉容疑者には、少なくともそうした想像力が欠如していたのだろ
うと考えられますが、空恐ろしい事です。
更に、この事件の前日にはもっと悲惨な事件が発生しています。
その事件は、愛知県名古屋市で、小学1年の女児を自宅マンションに監禁したとして、
職業不詳の水島誠容疑者(23)が監禁の疑いで現行犯逮捕されたというものです。女児
には怪我がなかったことは幸いだったのですが、愛知県警が自宅を捜索したところ、水島
容疑者の父親とみられる男性の遺体が見つかり、県警は女児監禁・男性殺人事件として捜
査を行っています。
県警によると、水島容疑者が、女児監禁の発覚を恐れて父親を殺害したという趣旨の供
述をしているそうですが、一体水島容疑者は、父親を殺害した後どうするつもりだったの
でしょうか。どうするつもりもなく、ただ茫然としていたものなのか私には想像もつきま
せん。ただ、彼の住む世界が余りにも空虚であることに言葉を失います。
二つの事件については、今後詳細が明らかになってくると思いますが、これらの事件に
共通しているのは、いずれも幼い子どもを相手に監禁しているという事です。
物理的に抵抗できない、幼い子どもを相手にした卑劣な行為は決して許されるものでは
ありませんが、そういっているだけでは、こうした事件の再発を防ぐことは出来そうにも
ありません。
子ども達の身を守る防犯グッズも各種出回っているようですが、まずは、子ども達が安
心して生活できるように、学校や警察だけでなく、地域全体で子ども達を見守る体制をし
っかりと取っていく事が重要です。
第391号
平成24年9月11日
悩む力
書店に行くと、人の悩みを扱った本は山ほどありますが、そのような中、在日政治学者
の姜尚中氏が書いた「悩む力」は100万部を超える大ベストセラーとなっています。そ
の後出版された「続悩む力」も売れ行き好調だそうです。
「悩む力」がそのようにヒットした理由は良くは分かりませんが、お金、家族、仕事、
健 康 と そ れ こ そ 数 え 上 げ れ ば き り が な い 程 私 た ち の 周 り に は 悩 み の 種 が 溢 れ て お り 、日 々 、
悩みを抱え、悩みから解放されたいと願っている人が如何に多いかという事を示している
のだと思います。
一体、悩みとは何なのでしょう。
姜 氏 は 、「 悩 む 力 」 の 冒 頭 、 母 が 涙 声 で 歌 っ て い た 「 青 い 夜 空 は 星 の 海 よ — 、 人 の 心 は
悩みの海よ—」という「アリラン」の歌詞の一節を引用しています。
「人の心は悩みの海」だとすると、人は生きている限り、悩みからは解放されず、悩み
の海に漂うしかないのかも知れません。
今、現に大きな悩みを抱えている人は、行き先の見えない、ただ漆黒の闇が広がる海に
泳ぎ、苦しい日々を送っているのではないでしょうか。
姜氏の母親は、在日朝鮮人として酷薄な人生を生きた方だったようです。姜氏によると
「母親は悩みの海に沈淪しながらも、生きる意味を問い続ける営みを捨てる事はなかっ
た 。」 そ う で す が 、 彼 は 、「 母 が 極 限 状 態 を 生 き 抜 い た の は 悩 み の 海 を 抱 え て い た か ら で 、
それが生きる意味への意思がよりなえる事がなかったのだと思う」と述べています。
姜氏は、本書を通して、誰にでも具わっている「悩む力」こそ、生きる意味への意思が
宿っているという事を、文豪夏目漱石と社会学者マックス・ウェーバーを手掛かりに私た
ちに示そうとしています。
人々の悩みは、人によって様々ですが、姜氏は「悩みや苦悩を集合的に見るならば、そ
こには時代や社会の環境が大きな影を落としているはず」としています。個人個人で見れ
ば、仕事や健康状態、家族の状況等によって、抱える悩みはそれぞれですが、もう少し大
きな目で見れば、経済的不況や雇用環境の変化、少子高齢化や核家族化といった様々な状
況が、人々の悩みに色濃く投影されていることは間違いありません。
姜 氏 は 、今 の 時 代 の 特 徴 を「 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン 」と「 自 由 の 拡 大 」と 捉 え て い ま す 。
即ち、今や世界がグローバル化する中で、政治や経済、文化等あらゆるものが国境を越
えて行き交い、人は誰でもインターネット等を通じて様々な情報にアクセスし、幅広くい
ろんな人とネットワークで繋がり、自由に議論に参加したりできるようになっています。
こ う し た 状 況 に つ い て 姜 氏 は 、「 一 見 す る と 、 自 由 が い た る と こ ろ に こ ろ が っ て い る 」
よ う に 見 え る が 、 し か し 、「 自 由 の 拡 大 と い わ れ な が ら 、 そ れ に 見 合 う だ け の 幸 福 感 を 味
わっているだろうか。満ち足りた気分や安心感を味わっているだろうか」と疑問を呈して
い ま す 。 そ し て 、「 存 外 、 い つ も 余 裕 な く 急 き 立 て ら れ て 、 人 と 人 と の 関 係 も パ サ パ サ な
殺伐とした味気ないものになりつつあるのではないか」と述べていますが、我々の悩みの
根源は、こういうところにあるのかも知れません。
人 は 、生 き る 事 に 真 面 目 で あ る べ き だ と 思 い ま す 。姜 氏 は 、真 面 目 で あ る と い う 事 は「 全
てが表面的に浮動するような現代社会に楔を打ちこむような潔さがある」といっています
が、私も同感です。
人は死ぬまで「悩む事」から解放されないのだとすれば、悩みにもまじめに向き合わな
くてはならないという事でしょうか。
姜 氏 は 、「 ま じ め に 悩 み 、 ま じ め に 他 者 と 向 か い 合 う 。 そ こ に 何 ら か の 突 破 口 が あ る の
ではないでしょうか。とにかく自我の悩みの底を「まじめ」に掘って、掘って、掘り進ん
で 行 け ば 、 そ の 先 に あ る 、 他 者 と 出 会 え る 場 所 ま で た ど り 着 け る と 思 う 。」 と 述 べ て い ま
す。
「悩む事」が、生きている証だとすれば、悩むことを恐れず、じたばたせず、とことん
悩んでみるというのも大事な事なのだなと、改めて感じたところです。
第392号
平成24年9月12日
天使の書(金澤翔子書道展)
三越では、9月4日から10日までの日程で、金澤翔子書展が開催されていました。
金澤翔子さんのご活躍は、NHKの大河ドラマ「平清盛」の題字を書いていますので、
ご承知の方も多いと思います。私は、以前から、彼女の活動の様子をテレビ等で承知して
いましたので、今回の書展を楽しみにしていました。
実際に、書展の会場に入ると、静かな中にも、翔子さんが一文字一文字に渾身の力を込
めて書いた、その息遣いが聞こえて来るようでした。
翔子さんの作品は、自由と奔放という表現が一番ふさわしいように感じていますが、そ
れは、彼女の書に向き合う姿勢にも表れています。会場では、彼女が大きな紙に書を書く
様 子 が ビ デ オ で 紹 介 さ れ て い ま し た が 、 体 全 体 を 使 っ て 筆 を 使 う 姿 を 見 て い て 、「 エ ネ ル
ギーがほとばしる」というのはこういう事かと感じさせられました。
金澤翔子さんは、1985年6月生まれ、現在27歳になります。母泰子さんは、42
歳の時に翔子さんを出産しますが、ダウン症と診断された時、相当にショックを受けられ
たようです。
泰子さんは「決して夢ではないのだ、私の娘はダウン症なのだ。と自覚して、立ち上が
る ま で の 苦 し い 日 々 は 想 像 を 絶 す る 。 1 、 2 年 を 要 し た 。」 と 率 直 に 語 る と 共 に 「 私 達 二
人ともよちよちと迷い、悩み、期待と絶望を繰り返して生きて20余年経った。生きてさ
え い れ ば 、 過 ぎ 去 っ た 思 い は 不 思 議 で 、 今 は す べ て が 楽 し い 思 い 出 に な っ て い る 。」 と 述
べ て い ま す ( 金 澤 泰 子 著 「 天 使 の 正 体 」 か ら )。
そして、そう思える迄になったのは、20数年掛けて泰子さんが取り組んで来た、障が
い者の母としての一大事業でした。その一大事業とは、書家であった泰子さんが、翔子さ
んを書家として育て上げるという事でした。
泰 子 さ ん は 、「 ど ん な に 変 で あ ろ う が 、 お か し か ろ う が 、” 本 当 は ○ ○ ” が あ る と い う
人生は素晴らしいではないか。どのように生きてもいい、一生を貫いて最終的に自分を信
じる事ができる確かなものがあればいい、と私は思う。拙い子育ての中で、唯一私が翔子
に 与 え て あ げ ら れ る こ と は 、 こ の 一 つ 「 書 の 道 」 で あ っ た と 思 う 。」 と 述 べ て い ま す ( 前
述 書 か ら )。
翔子さんが、母親から書を習い始めたのは5歳頃からとの事ですが、翔子さん自身に書
の才能が潜んでいたのでしょう、その後、書家への道を真直ぐに進むことになります。
翔子さんは、14歳から17歳まで毎年日本学生書道文化連盟展に作品を出品し、いず
れも金賞や銀賞に輝いています。また、2009年に建仁寺に奉納した「風神雷神」は、
見る人に大きな感動を与えていますし、前述したように、今年のNHKの大河ドラマ「平
清盛」の題字を担当しています。
どうして、このような奇跡のようなことが起こったのでしょうか。翔子さんに与えられ
た天賦の才能が大きかったであろうことは、いう迄もありません。
しかし、同時に、母
泰子さんはじめ、多くの方々の理解と支援がなければ、彼女の才能が開花する事はなかっ
たことでしょう。
ダウン症は、染色体の異常によって引き起こされる症状で、全身の筋力の低下や心臓の
異常、食道閉鎖症など内臓にも異常が起こる例が多く、かつては20歳を超えて生きるケ
ースは少ないといわれていましたが、最近は、翔子さんのように生存年齢が伸びて来てい
るともいわれています。
泰 子 さ ん は 、 翔 子 さ ん に つ い て 、「 ダ ウ ン 症 者 と し て の 欠 陥 は 数 多 く あ る が 、 目 を 凝 ら
し、耳を澄ましてよく見ると、この混濁の世にあって、20歳過ぎまでよく保持できたも
のだと感心する二つの屹立した大きな特徴に支えられている」と述べています。そして、
その第一の特徴は「純粋培養された、純度の高い魂」を持っている事であり、第二の特徴
は「 何 に も 毀 さ れ る こ と の な い 、ダ イ ヤ モ ン ド の よ う に 強 い「 先 天 的 な 他 者 を 思 い や る 心 」
を 持 っ て い る 事 だ と 述 べ て い ま す ( 前 述 書 か ら )。
この二つの特徴は、ダウン症児が天使と呼ばれる所以かも知れません。
し か し 同 時 に 、 泰 子 さ ん も お っ し ゃ る よ う に 、 翔 子 さ ん を 含 め ダ ウ ン 症 児 が 、「 将 来 に
わたって完結した自立ができない」という現実から目を背けることは出来ません。
泰 子 さ ん は 、「 い つ 死 ん で も い い け れ ど 、 今 は 死 ね な い 」 と い い ま す 。 こ の 思 い は 、 障
がい児を持つ全ての親に共通したものでしょう。彼女は「私は60歳半ばにさしかかる。
死はそんなに遠くではあるまい。私の亡き後の翔子の身の振り方については、考えあぐね
た末に、色々と手配したし、多分大丈夫であろう。しかしどんなに手配したところで私に
死期は決められないし、死後のことは支配できない。その時、その場にいてくれる方が助
けてくれるであろう。その方達におまかせする外、手立てはあるまい。その人達が翔子に
愛情を持って接して下さるように、私がきちっと今を生きなければならない」と述べてい
ます(前述書から)が、彼女の、その凛とした佇まいが、翔子さんを素晴らしい書家に育
て上げたのだなと改めて感じています。
第393号
平成24年9月13日
3261人
文部科学省は11日、2011年度における全国の小中高校と特別支援学校が把握した
いじめの件数を明らかにしました。
そ れ に よ る と 、 全 国 の い じ め の 把 握 件 数 は 7万 2 3 1 件 で 、 0 6 年 度 以 降 最 多 と な っ て
います。自殺した児童・生徒も前年度より44人も多い200人となっています。
一 方 、道 内 の い じ め 把 握 件 数 は 下 表 の 通 り で 、平 成 2 3 年 度 は 3 2 6 1 人 と な っ て お り 、
前年度と比較すると、全国の状況とは異なり約3割減少しています。
H18
H19
H20
H21
H22
H23
小
学
4099
2651
2285
1627
2148
1261
中
学
2809
2061
1748
1444
1964
1525
高
校
825
404
275
300
528
461
特
別
52
28
22
19
10
14
合
計
7785
5114
4330
3390
4650
3261
(児童生徒の問題行動等調査から)
今回の結果について、北海道教育委員会は「いじめ防止の取り組みの効果がある程度表
れ た 」と 見 て い る よ う で す が 、同 時 に 、「 す べ て を 把 握 で き て い る わ け で は な い 」と し て 、
更に実態把握に努めることとしています。
今回の調査で、北海道におけるいじめ把握件数が減少した事は歓迎すべきですが、この
数字がいじめの全容を示しているとは考えられません。
いじめの態様を見ると、冷やかしやからかいなどの形を取っている事例が圧倒的に多い
ため、北海道教育委員会が懸念しているように、いじめが当事者以外では分かり難いとい
うケースも多いと思われます。従って、今後とも、各学校においては、把握しきれていな
いいじめがあり得るとの認識をもって、実態把握に努めていただきたいと思います。
先日、STVの「どさんこワイド」から、いじめの問題に関して
・平成21年度から22年度にかけて、いじめが増えた背景
・いじめ防止の方策
について取材を受けました。色々しゃべったのですが、実際に放送されたのはその中の極
一部でしたので、改めていじめの問題について考えてみたいと思います。
上記の表を見ていただいても分かるように、年によって増えたり減ったりしております
が、何故そうなっているのかは、正直よく分かりません。
いじめの態様は、いくつかのパターンに分析できるかもしれませんが、いじめが人と人
との関係の中で引き起こされるものである以上、その原因や背景については一様ではあり
ません。
ただ、子ども達のいじめ問題を考える時、大人社会の有り様が非常に気になります。何
故なら、大人社会の有り様は子どもの社会にも投影され、少なからず影響を与えていると
考えられるからです。
大 人 社 会 に も い じ め は あ り ま す し 、常 識 を 疑 う よ う な パ ワ ハ ラ 問 題 も 少 な く あ り ま せ ん 。
厳しい経済環境の中で、大人達が自信を失い、未来を語れなくなっている。そんな姿が
目に浮かびます。
そうした大人達の姿が子ども達のいじめの原因だとは申しませんが、ただ、大人達が、
仲間と信頼し合い、力を合わせて新しい地域づくりに汗している。夢を語り、目標に向か
ってチャレンジし続ける。そんな大人達の後姿を子ども達がカッコ良いと感じて、自分も
カッコ良い大人になろうと思ってくれれば、いじめにうつつを抜かす子どもが少しは減る
のじゃないかと思っています。
さ て 、い じ め 問 題 に つ い て は 、こ れ ま で も 行 政 や 学 校 は 様 々 な 対 策 を 講 じ て き ま し た が 、
十分な成果をあげているとはいえません。いじめを根絶する事は事実上困難であるとして
も、少しでも減らす努力は惜しむべきではありません。
まず、学校は、子ども達にとって絶対安全な居場所でなければなりません。その前提で
対策に当たらなければなりません。
「いじめは絶対に許されない行為である」ということは、繰り返し、繰り返し教える必
要があります。
一方、いじめられている子に対しては、無理をするな、我慢するな、いじめられている
なら「自分はいじめられている」と教師にいうように伝えるべきです。ただ、教師との間
で信頼関係がない限り、子ども達が「いじめられている」と教師にアナウンスするとは思
えません。まず、教師の皆さんは、子どもからそうしたアナウンスがあった場合には「何
があっても君達を守る」という強い意志と行動を子ども達に示すことが必要です。
ま た 、あ る ク ラ ス で い じ め 問 題 が 発 生 し た 場 合 、担 任 の 先 生 に 責 任 が 押 し 付 け ら れ た り 、
特定の教師に負担が集中したりすることが往々にしてあります。
いじめ問題は、学校全
体 で 解 決 に 当 た ら な け れ ば な り ま せ ん 。そ の 為 に は 、校 長 の リ ー ダ シ ッ プ が 欠 か せ ま せ ん 。
少なくとも、渦中の教師を孤立させてはなりません。
また、心の教育を徹底する事も重要です。仲間を大切にする。弱い者をいじめない。助
けを求めているものに手を差し伸べる。卑怯な振る舞いはしない。これらは、道徳心を養
う教育、公共心を養う教育といい換えてもよいと思いますが、こうした心の教育を、これ
まで以上に徹底する必要があるでしょう。
更に、子ども達には、命の教育を通して、人が生まれ死ぬというその営みの不思議さや
神秘さ、命の尊厳さというものをしっかりと教えて行く事が重要です。子ども達には、人
の命も自分の命もかけがえのないものであり、一度失われた命は取り返しがつかないとい
う事を、心に染み込むように理解させなければなりません。
以上述べたような事は、これまでも、それぞれの学校で取り組んで来ている事だと思い
ますが、考えられる事、やれる事はどのような事でも、倦まず弛まずやり続ける事、これ
以外にはないと思います。いじめ対策に即効薬はないのですから。
第394号
平成24年9月14日
福祉制度の限界
札幌市に在住の鬼塚さんが、市の介護給付審査基準は違法だとして24時間の介護を市
に求めた訴訟で、札幌地方裁判所は去る7月24日、鬼塚さんの訴えを退ける判決をいい
わ た し ま し た ( 7 月 2 4 日 付 朝 日 新 聞 な ど )。
こうした福祉を巡る問題は、大変重要であるにも関わらず、同時に、それぞれの寄って
立つ位置により判断が大きく分かれる事になりがちです。
今回の裁判は、アパートで1人暮らしをしている鬼塚さんが、生活全般で24時間の介
護が必要として、2009年に提訴していたものです。
これに対して札幌市は、重度訪問介護サービスのうち24時間介護は進行性筋萎縮症で
常に人工呼吸器を使用している人などに限られており、鬼塚さんの場合は市の基準に該当
しておらず、月330時間(1日11時間)の介護と短期入所との組み合わせで、生命、
身体の安全は保てるとしていました。
これに対して鬼塚さん側の主張は、24時間介護が受けられなければ、長年の夢だった
地域での自立した生活を諦めざるを得ないというものでした。
確かに、重度の障がい者が地域で自立するためには十分な介護が必要であることはいう
迄もありませんが、一口に重度とはいっても、24時間の医療的ケアが必要かどうか等、
障 が い の 程 度 に よ っ て 個 人 差 が あ り 、そ れ ぞ れ に 対 応 を 考 え て 行 く 必 要 が あ る と 思 い ま す 。
また、札幌市は、24時間介護をすれば市の年間負担は約1690万円以上になり、財
政が厳しくなっていることから基準は妥当としていました。
私は現在、障がい者施設を運営していますが、施設入所から地域移行へという大きな時
代の流れの中で、既存の施設の運営のみならず、グループホームやケアホームを開設する
等して、障がい者の自立支援にも努力しているところです。そして、そうした活動を通じ
て、障がい者の方々の自立に向けた希望が大変強い事を実感していますので、札幌市が主
張するような財政上の議論については、障がい者の立場からすると容易に認め難いところ
だろうと思っています。
ただ、私もかつて行政におりましたので、札幌市が財政問題を抜きに政策議論が出来な
いという立場も理解できますし、市の予算に限りがある以上、24時間の介護事業を更に
充実させようとすれば、国から新たな財源措置でもない限り、既存の福祉予算の中で調整
するか、市全体の予算の中で調整するしかないというのが現実です。
今回の判決では「地域社会の生活をしたいという原告の希望はできるだけ尊重される必
要がある」と鬼塚さんの主張に配慮していますが、同時に「財政的な裏付けが必要で、福
祉制度には限界がある。330時間の支給でも、例えば月曜日から金曜日の日中は介護を
利用し、他は短期入所することで一応自立した社会生活を営むことは可能」という判断を
示 し て い ま す ( 7 月 2 4 日 付 朝 日 新 聞 )。
このように、障がい者の方々の自立を支援していくためには、多くのマンパワーと共に
多 額 の 財 源 を 必 要 と す る 以 上 、税 と 社 会 保 障 の 一 体 改 革 で も 常 に 議 論 と な っ て い る よ う に 、
医療や福祉など社会保障の水準と国民負担をどう考えるかという問題とを切り離しては議
論できません。
今後とも、行政や障がい者福祉に係わっている方々には、障がい者の方々のご意見を伺
いながら、自立支援はどうあるべきか、現行制度の中で工夫改善する余地があるのか、ま
た、新たな仕組みを整備する必要があるのか等について、幅広い議論を行い、国民のコン
センサスを得られる努力をすべきだと思います。
第395号
平成24年9月18日
敬老の日
全国有料老人ホーム協会は、毎年「敬老の日」にちなんでシルバー川柳を募集していま
すが、その中の入選作品を借用しながら「敬老の日」について考えてみようと思います
お年寄り 品格落ちて 敬えぬ
一口にお年寄りといっても、いろんな方がいますからね。この川柳は、きっと若い方が
作った川柳でしょうが、なかなか辛口ですね。
100歳を超える方が、とうとう全国で5万人を超えました。皆さんお元気で長生きし
ていることは喜ばしいことですが、一方では、医療制度や年金制度が破綻しそうになって
おり、その原因の一つはお年寄りが増えているということですから、我々は、お年寄りの
長寿をお祝いしているだけでは済まない現実に直面しています。
軽老に ならなきゃ良いが 高齢化
いろんなことが、心配になりますよね。
さて、今年の「敬老の日」は9月17日でした。元々は、9月15日が「敬老の日」だ
ったのですが、2003年以降、ハッピーマンデー制度の実施によって9月の第3月曜日
となっています。
こ の「 敬 老 の 日 」は い つ か ら ス タ ー ト し た の か 、色 々 調 べ て み ま し た ら 、一 説 に よ る と 、
終 戦 直 後 の 1 9 4 7 年 に 兵 庫 県 野 間 谷 村 ( 現 多 可 町 ) の 村 長 が 、「 老 人 を 大 切 に し 、 年 寄
りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期で気候も良い9月中旬の15日を「としよ
りの日」と定めたというのが始まりで、それが全国に広がり、1964年には名称も「と
しよりの日」から「敬老の日」に変わり今日に至っている、とのことです。
なお、9月15日が「敬老の日」となった事については、聖徳太子が大阪に四天王寺を
建てた時、併せて、敬田院、悲田院、施薬院、療病院の4院を設置したといわれています
が、その内の悲田院が出来たのが9月15日だった事からこの日が選ばれたという説もあ
ります。というのは、この悲田院というのは、身寄りの無い老人や子ども達を救うために
設けられた施設で、我が国における老人ホームの魁といっても良いでしょう。
国 民 の 祝 日 に 関 す る 法 律 で は 、「 敬 老 の 日 」 は 「 多 年 に わ た り 社 会 に つ く し て き た 老 人
を敬愛し、長寿を祝う」日とされているのですが、そもそも老人というのは、一体何歳か
らいうのでしょうか。
二昔くらい前なら、当然のように60歳からという答えが返ってきた事でしょう。各地
に 伝 わ る「 姥 捨 て 山 」伝 説 で は 、6 0 歳 を 超 え た 老 人 は 山 に 捨 て ら れ た と い う の で す か ら 、
恐ろしいことです。
現在では、統計上も65歳以上が高齢者となっています。しかし、人生80年時代を迎
えた今日、感覚的には70歳からと考えている人が多いようです(平成18年高齢者白書
か ら )。
新聞に 老女と載って 抗議文
実 際 、び っ く り す る 位 元 気 な お 年 寄 り が 多 い で す か ら ね 。時 間 と お 金 に 余 裕 が あ る の は 、
現役の若者世代よりお年寄り達の方かも知れません。だから、若者達からは、お年寄りを
大事にするのも良いけれど、国は現役世代にもっと予算をつけて欲しいという声が出るの
も当然です。もっとも、
挨拶を しながらだれか 考える
というのは他人事ではありません。今や、認知症患者は300万人を数え、65歳以上の
10人に1人は認知症という状況になっていますから、明日は我が身と覚悟しています。
ですから、
そろそろと 心の準備を しておこう
という心境にもなろうというものです。勿論、そんな事は「いうは安く、行うは難し」な
のですが‥‥。
お迎えは どこから来るのと 孫が聞く
同じ孫でも、3歳くらいの孫から聞かれたのならまだ可愛げがありますが、30歳の孫
から同じ事を聞かれたら、何やらぞっとしますね。
第396号
平成24年9月19日
35人学級
文部科学省は、公立小中学校の全学年について、いわゆる「35人学級」を2017年
度までに実現したいとし、来年度予算の概算要求で初年度分119億円を計上しました。
小1、小2は既に実現済みですから、文部科学省では、今後、小3以上について、どの
学年から先に導入するかを都道府県が選べるようにするとしていますが、学級定員の40
人から35人への引き下げは、1980年以来の画期的な出来事となります。
また、文部科学省は、小学3年から中学3年までを全て「35人学級」にするには1万
9 0 0 0 人 の 定 数 増 が 必 要 で あ り 、こ の 内 、来 年 度 は 5 5 0 0 人 の 増 員 を 想 定 し て い ま す 。
文部科学省ではこの他に、いじめ問題など個別の教育課題への対応に1600人、特別支
援教育の充実に2900人の増員を計画しています。これらの増員計画が実現するかどう
かは、今後の財政当局との調整次第という事になりますが、国の厳しい財政状況を踏まえ
ると、事はそう簡単ではないと思います。
「35人学級」については、児童生徒1人ひとりに対してきめ細かく指導することが可
能となる事や、子ども達への目配りもし易くなるといった教育上の効果が期待されていま
す。
中には、学級規模が余りに小さくなると子ども達に社会性が育たなくなるのでは、とい
う人もいますが、現実に少人数学級が増えている中で、それは杞憂というべきでしょう。
むしろ、35人学級を制度化しても、その恩恵に浴するのは都市部の比較的大きな学校
に止まるだろうという事は、考えておかなければなりません。
下表は、北海道における1学級当りの児童生徒数の状況(2011年の教育便覧から)
です。
小学校
中学校
児童数
郡
部
市 部( 除 札 幌 市 )
札幌市
15.3人
25.3人
30.3人
生徒数
郡
部
市 部( 除 札 幌 市 )
札幌市
22.9人
30.2人
34.2人
これらの表を見ても分かるように、北海道では、既に実態として「35人以下学級」の
状態にありますので、大半の学校では「35人学級」が導入されても、それだけで学級や
教師が増えるという事にはなりません。
一方、いじめや不登校等の問題は大規模校だけに限ったことではありませんし、学力不
足の問題は全ての学校に共通した課題となっています。こうした中、これまでも各学校の
課題に応じ、ティームティーチング等による教師の加配措置が講じられて来ましたが、今
後更に、学級定員以外の手法による教師の増員についても検討を進めていく必要があると
思います。
勿論、教師の増員は、飽くまでも子ども達の学習環境を改善していく為の一手法に過ぎ
ませんから、教員を増員するだけでは、現在学校を取巻いている問題の根本は解決しませ
ん。教員の増員と同時に、教師一人ひとりの実践力の向上こそが重要なのであり、その為
の取り組みを軽視してはなりません。
第397号
平成24年9月20日
三酔人経綸問答
日本政府が尖閣諸島の国有化を決めて以来、中国国内では各地で大規模な反日デモが繰
り広げられ、一部では暴徒化して日本大使館や日系企業などに甚大な被害をもたらしてい
ます。
また、9月18日は、満州事変の発端となった柳条湖事件が発生した日であり、この日
は毎年中国国内で反日デモが行われていますが、今年は尖閣問題と絡んで、一段と大規模
なデモが100を超える都市や地域で行われ、瀋陽の日本総領事館の窓ガラスが投石で割
られるといった被害が出ています。
中国政府は、デモを容認するだけでなく、多数の漁業監視船等を尖閣諸島付近に進出さ
せる等、日本に対する圧力を強めています。
こうした中国政府の姿勢は、これまで日中双方の友好関係の構築に努力してきた多くの
先人達の努力を無にするものであり、誠に残念な事だと思っています。また、チャイナリ
スクという言葉があるように、中国での事業展開が非常に大きなリスクを伴うものである
事を、改めて如実に示す結果となっています。
中国政府は、強力な経済力や軍事力、更には、強かな外交力によって南沙諸島の領有を
進めており、それと同じ事を尖閣諸島でも行おうとしているように見えます。それらの行
為は、日本のみならず東シナ海周辺の諸国にとって、大きな危機と映るのは致し方ありま
せん。
尖閣諸島については、1895年に正式に日本の領土に編入されたものであり、一時期
は日本人が居住していたこともあります。
中国が尖閣諸島の領有を主張し始めたのは、東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された
1970年代以降に過ぎず、仮に中国側に主張し得る事があるとしても、それは平和裏の
内に話し合うべきものです。
中国人の中には、日本に対し戦争も辞さずといった激しい主張もあるようですが、過剰
な自信と偏狭なナショナリズムは、両国にとって決してプラスにはなりません。
今、中国国内は反日の嵐で沸騰していますが、両国の政府関係者は、今こそ冷静に、大
局的観点に立って対処して頂きたいと思います。
今回の一連の騒動を見ながら、私は、随分昔に読んだ「三酔人経綸問答」を思い出しま
した。
この「三酔人経綸問答」は、中江兆民によって1887年(明治20年)に書かれたも
ので、洋学紳士君、豪傑君、南海先生という3人の登場人物が、酒を飲みつつ議論すると
いうものです。
有り体にいうと、洋学紳士君は民主主義者で非武装中立論者、豪傑君は軍事大国を目指
す国権主義者、といったところです。
そして、洋学紳士君は完全民主制による武装放棄といった理想論を展開し、一方の豪傑
君は中国進出を主張するといったように、談論風発するのですが、最後に2人は南海先生
の考えは如何と問い掛けます。
そ こ で 南 海 先 生 は 、「 多 く の ば あ い 、 国 と 国 と が 恨 み を 結 ぶ の は 、 実 情 か ら で は な く て
デマから生ずるものです。実情を見破りさえすれば、少しも疑う必要がないのに、デマで
憶 測 す る と 、じ つ に た だ ご と な ら ぬ よ う に 思 え て く る 。だ か ら 、各 国 が た が い に 疑 う の は 、
各 国 の ノ イ ロ ー ゼ で す 。青 眼 鏡 を か け て 物 を み れ ば 、見 る 物 す べ て 青 色 で な い も の は な い 。
外 交 家 の 眼 鏡 が 無 色 透 明 で な い こ と を 、 私 は い つ も 憐 れ に 思 っ て い ま す 。」 と 述 べ る と 共
に、日本の将来の大方針について「やはりただ、立憲制度を設け、上は天皇の尊厳、栄光
を強め、下はすべての国民の幸福、安寧を増し、上下両議院を置いて、上院議員は貴族を
あて、代々世襲とし、下院議員は選挙によってとる、それだけのことです。くわしい規則
は、欧米諸国の現行憲法を調べて、採用すべきところを採用すれば、それでよろしい。外
交の方針としては、平和友好を原則として、言論、出版などあらゆる規則は、しだいにゆ
る や か に し 、 教 育 や 商 工 業 は 、 し だ い に 盛 ん に す る 、 と い っ た よ う な こ と で す 。」 と 述 べ
て い ま す ( 岩 波 文 庫 )。
すると2人の客は、南海先生の言葉は少しも奇抜なところがなく、そんな事なら子ども
でも下男でも知っていると笑います。
これに対して、南海先生は次のように反論します。
「ふだん雑談のときの話題なら、奇抜さを争い、風変わりをきそって、その場かぎりの
笑 い 草 と す る の も も ち ろ ん 結 構 だ が 、い や し く も 国 家 百 年 の 大 計 を 論 ず る よ う な 場 合 に は 、
奇 抜 を 看 板 に し 、新 し さ を 売 物 に し て 痛 快 が る と い う こ と が 、ど う し て で き ま し ょ う か( 岩
波 文 庫 )。」
120年以上も昔の賢人の言葉は、今も色褪せてはおりません。
第398号
平成24年9月21日
ニセモノはなぜ、人を騙すのか
というより、人は何故ニセモノに騙されるかといった方が正しいのかも知れません。
古 美 術 評 論 家 で な ん で も 鑑 定 団 で お な じ み の 中 島 誠 之 助 氏 は 、「 ニ セ モ ノ は 何 故 、 人 を
騙すのか」という本を上梓していますが、その中で、ニセモノに騙される人間心理を鋭く
指摘しています。
世の中には、実に沢山のニセモノが溢れています。ハンドバックやお財布、鞄等のブラ
ンド品にはどれ程のニセモノが混じっているか分かりません。中には、ニセモノと承知の
上で身に付けている人もいたりして、その歪んだブランド品志向には首を捻るしかありま
せん。
勿論、ニセモノ即悪という事でもないらしく、中島氏は「ニセモノがあるから、ホンモ
ノ が 光 る の で あ る 。 ニ セ モ ノ は こ の 世 の 小 気 味 い い ス パ イ ス だ か ら 。」 と 述 べ て い ま す 。
中島氏によると、掛け軸の90%、焼き物の80%はニセモノという話ですから、骨董
美 術 の 分 野 に な る と 、何 を 信 じ て よ い か わ か り ま せ ん 。も っ と も 、私 の お 小 遣 い 程 度 で は 、
骨董美術品に手を出すことなど考えられませんが、テレビ番組の「なんでも鑑定団」を見
ていると、見事に騙されている人の多さに驚かされます。
中島氏によると、ニセモノに引っかかる法則というものがあるのだそうで、それを紹介
しますと、
第 一 の 法 則 は 、「 人 間 の 欲 」 が 目 を く ら ま せ る と い う 事 で す 。 耳 元 で 「 こ れ は 儲 か り ま
すよ」と囁かれると、つい心が動いてしまう、そんな経験はありませんか。
第 二 の 法 則 は 、「 懐 が 甘 い 」 こ と 。 つ ま り 、 小 金 持 ち っ て 事 で す ね 。 大 き な お 金 だ と 手
が出ない、その微妙な匙加減につい手が出てしまうんですね。
第 三 の 法 則 は 、「 不 勉 強 」 だ そ う で す 。 自 分 の 目 の 前 に 、 教 科 書 に 載 っ て い る 作 品 に 近
いものとか、重要文化財とほぼ同様の品物とか、普段の暮らしとは隔絶された、近づきが
たい物が現われた時に知識欲が刺激され、そこに奥深い薀蓄があればある程必死に調べよ
うとする。そして、調べれば調べるほど、自分の都合の良い様に解釈して、どんどん墓穴
を掘って行き、やがてはニセモノにひっかかってしまうという訳です。
中 島 氏 は 、 知 識 と い う 土 台 の 上 に 、「 欲 」 と い う 家 を 建 て て や れ ば 、 ニ セ モ ノ を 売 り つ
ける架空の舞台は、たちまちのうちに整うと述べています。
それでは、ホンモノとニセモノを見分けるにはどうしたら良いのでしょう。
中島氏は、真贋の判断基準について、品物の持っている基本的な「ライン」の違いを挙
げています。つまり、そのラインが自然なものか否かということで、本物には、善意のラ
イ ン が あ る の だ そ う で す 。逆 に 、ニ セ モ ノ に は 嫌 味 な ラ イ ン が 伴 う も の だ と い う の で す が 、
正直全く理解不能の世界です。ですから、素人は骨董には手を出すなという事だろうと思
います。
ま た 、 ニ セ モ ノ に は 語 り が 多 い と も い い ま す 。 つ ま り 「 伝 来 」、 い わ ゆ る い い 伝 え に 無
理があり、かつしゃべり過ぎるのだそうです。
「饒舌な語りの中に嘘がある」と中島氏はいいますが、これは人間にも当てはまりそう
ですね。余りに饒舌な人はかえって人から信用されないものです。
結局、ニセモノに引っかからないためには、自分の目を鍛えるしかありませんが、その
為 に は 、 出 来 る だ け 多 く の 「 美 の 現 場 を 踏 む 事 」 で あ り 、「 良 い 物 を 何 度 で も 見 る 事 」 な
のだそうです。この当たり前の事の積み重ねこそ、物の真贋を見分ける目を養う決め手と
いうわけです。
ところで、ホンモノとニセモノの存在というと、何も美術骨董品の世界だけではなく、
人 間 だ っ て 同 じ こ と で す 。「 あ い つ は ホ ン モ ノ だ な 」 と 感 じ さ せ ら れ る よ う な 場 面 を 経 験
したことはありませんか。
中 島 氏 の 言 を 借 り れ ば 、「 生 き る 事 に 夢 中 な 人 間 が ホ ン モ ノ の や つ な の だ 。」 と い う 事
に な り ま す 。 ま た 彼 は 、「 ホ ン モ ノ の 人 間 は 、 自 分 が 善 意 で 一 生 懸 命 に 進 ん で い る の だ 。」
とも指摘しています。
もっとも、世の中にはホンモノぽいニセモノも氾濫しているのですから、その人がホン
モノかどうか見極める目を養う必要があります。そのためには、素晴らしい人との出会い
を沢山経験して置くことが何よりも重要でしょう。
骨董の世界には、目利きの修行のひとつに「捨て目をきかせる」という言葉があるそう
です。これは、自然体でいながら常に周囲に注意を払うという意味だそうですが、美術骨
董品を見る目も、人を見る目も、注意力散漫では鍛えられないという事は明らかなようで
す。
第399号
平成24年9月24日
銀の滴降る降るまわりに(1)
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌を私は歌いながら流れ
に沿って下り、人間の村の上を通りながら下を眺めると‥‥‥
で始まるユーカラは、知里幸恵さんが命を削って書き上げた「アイヌ神謡集」に収められ
て い る 1 3 編 の ユ ー カ ラ の 一 つ「 梟 の 神 の 自 ら 歌 っ た 謡 — 銀 の 滴 降 る 降 る ま わ り に 」で す 。
国文学者でアイヌ語の研究者であった金田一京助博士は、知里幸恵さんに「アイヌ神謡
集」執筆のきっかけを与えた方ですが、彼が「アイヌ神謡集」の原稿を見た時、そのロー
マ 字 表 記 法 の 見 事 な 確 立 、 美 し い 文 字 、 日 本 語 訳 の そ の 高 い 文 学 性 に 感 嘆 し 「 お お 、幸 恵
さんは天才だ」とアイヌの天才を発見した喜びをかみしめています(中井三好著「知里幸
恵 」 か ら )。
ま た 、 民 俗 学 者 で あ っ た 柳 田 国 男 も 、「 ア イ ヌ 神 謡 集 」 の 原 稿 を 見 て 、「 こ れ が 本 当 に
18歳の娘の成したものなのか。まさに天才だ」と驚くと共に、ユーカラを「これこそ口
承文学の最高傑作である。これこそ、世界に誇るべき叙事詩である」と全身を持って感動
し て い ま す ( 前 述 書 か ら )。
かくまで著名な学者達を唸らせ、感動させた知里幸恵さんは、今から90年前(192
2年)の9月18日僅か19歳という若さでこの世を去っています。
知里幸恵さんは、登別出身のアイヌ人でしたが、標準以上に豊富な日本語を駆使するこ
とが出来ました。また、金田一博士が「私が逢ったアイヌの最後の最大の叙事詩人」と絶
賛を惜しまなかった、祖母モナシノウクと一緒に生活していただけあって、内輪話をアイ
ヌ語でする程アイヌの世界に生きていました(藤本英夫著「銀のしずく降る降る」から)
日本語にもアイヌ語にも堪能という彼女の言語に関する才能は、金田一博士と出会うこ
とによって、一気に開花したのでした。
なお、知里幸恵さんの弟に、言語学者でアイヌ人初の北海道大学教授となった知里真志
保さんがいます。
知 里 幸 恵 さ ん は 、1 9 1 0 年 4 月 に 旭 川 の 上 川 第 三 尋 常 小 学 校 に 入 学 し ま す が 、そ の 後 、
同年9月に開校した上川第五尋常小学校に移籍させられます。この、上川第五尋常小学校
は1899年4月に施行された旧土人保護法に基づいて設置されたものですが、地域の和
人達は土人学校と蔑称していたといます。
ま た 、 こ の 上 川 第 五 尋 常 小 学 校 の 開 設 に つ い て 、「 銀 の し ず く 降 る 降 る 」 の 著 者 藤 本 英
夫氏は「コタンのほぼ中央に学校が建てられたということは(中略)明治の初め以来の同
化 政 策 、ア イ ヌ の 日 本 臣 民 化 の 成 果 が 、子 ど も を と お し て 、急 速 に 部 落 中 に 広 が っ て い く 、
という点において、近文アイヌの歴史にとってはまさにエポックを画する大事件だった」
と述べています。
知 里 幸 恵 さ ん は 、6 年 生 の 3 月 北 海 道 庁 立 旭 川 女 学 校 を 受 験 し ま す が 不 合 格 と な り ま す 。
しかし、その直後から「彼女は、本当は受験者中で最高点だったがアイヌであることと、
クリスチャンの娘だったので不合格となった」という噂が流れたといいます。真偽のほど
は分かりませんが、和人達のアイヌに対する差別意識が強かったことは確かですし、何よ
り、そういう噂が出ても不思議ではない程、彼女は成績が優秀だったようです。それは、
翌年受験した旭川区立職業学校を110人中の4番で合格した事でも分かります。
知里幸恵さんは、4番という優秀な成績で合格した事を手放しで喜んでいますが、肝心
の学校生活は、決して楽しいものではなかったようです。同じ生徒となった和人の子ども
達は彼女と机を並べるのをいやがったといいますが、彼女は、アイヌであるが故に人種的
偏見、理不尽な差別や嫌がらせ等様々ないじめに耐えねばなりませんでした。
また、近文にある彼女の実家から学校までは片道6キロ以上もあったといいますが、そ
こを、彼女は毎日、徒歩で通っていました。教科書の外に実習材料があり、その上、雨の
日には傘を持つという具合でした。旭川の冬はことのほか厳しいですから、そのような中
での通学は、心臓に持病を抱える少女にとって余りにも過酷なものだったといえるでしょ
う。
そのような厳しい環境の中、差別にも耐えながら、知里幸恵さんは学校で学び続けます
が、彼女にそうさせたのは、恐らく、自分がアイヌである事の自覚と理不尽な社会への反
骨心だったのかも知れません。
「教育なんて何さ。教育って、そんなに大事なものか。差別されてまで学校に行きたい
か い ? … … 勉 強 が い や に な っ た ら 、 自 由 に は ば た い た ら い い 。 強 く な り な さ い 。」
これは、知里幸恵さんが年下のお友達に語った言葉です。彼女が如何に、社会に対して
も、学校に対しても屈折した気持ちを持っていたかが良く分かります。
第400号
平成24年9月25日
銀の滴降る降るまわりに(2)
知里幸恵さんが金田一博士と出会ったのは、15歳の時です。
金田一博士は、日本聖公会の宣教師でアイヌの救済伝道活動をしていたバチェラー博士
の紹介を受け、旭川に金城マツを訪ねるのですが、そこで天才少女を発見する事になるの
です。
知里幸恵さんは、当時、自分がアイヌである事に劣等感を持っていたように思います。
彼女は、初めて会った金田一博士に「アイヌのユーカラは、ほんとうに価値があるものな
のか」尋ねます。
これに対して金田一博士は、
ユーカラは祖先の戦記物語であり、詩の形に謡い伝えている、叙事詩という口伝えの
文学である事。
人 間 が 文 字 を 持 つ ま で は 、 か つ て は ヨ ー ロ ッ パ で も 、 あ の 「 イ リ ア ー ド 」「 オ デ ッ セ
イア」は、その最後の伝承者のホメロスの時に文字が入って、はじめて書かれたもので
ある事。
叙事詩というのは、民族の歴史でもあると同時に文学でもあり、今の世にそれをその
まま生きて伝えている例は、世界にユーカラしかない。だから、今我々がこれを書きつ
けないと後で見る事も、知ることも出来ない事。
等 を 真 剣 に 答 え ま す ( 藤 本 英 夫 著 「 銀 の し ず く 降 る 降 る 」 か ら )。
これを聞いた知里幸恵さんは、祖先が残してくれたユーカラの研究に全生涯をかける事
を決心したのでした。
それはまた、彼女が、独自の言語や歴史を持つアイヌ民族やアイヌ文化に自信と誇りを
持った瞬間でもあったと思います。
そ の 後 彼 女 は 、重 度 の 心 臓 病 と 闘 い な が ら 、ユ ー カ ラ の 記 録 と 日 本 語 へ の 翻 訳 に 没 頭 し 、
「アイヌ神謡集」を完成させます。
しかし、残念な事に、知里幸恵さんが死の直前まで校正しつづけた「アイヌ神謡集」が
出版され世に出たのは、彼女が亡くなった1年後の1923年8月の事でした。
「アイヌ神謡集」の序において、彼女はこういっています。
「其の昔此の広い北海道は、私たちの祖先の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児
の 様 に 美 し い 大 自 然 に 抱 擁 さ れ て の ん び り と 楽 し く 生 活 し て い た 彼 等 は 、真 に 自 然 の 寵 児 、
何と云う幸福な人たちであったでしょう。
(中略)
時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらして
いる今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世
と歩みをならべる日も、やがては来ましょう。それは本当に私たちの切なる望みでござい
ま す 。( 以 下 略 )」
知里幸恵さんの「アイヌ神謡集」は、多くのアイヌの人たちに、アイヌであることの自
信と誇りを与えただけではなく、英語やロシア語、エスペラント語に訳され、世界に紹介
され愛読されています。
知里幸恵さんは、今頃はどうしていることでしょう。弟の真志保さんと一緒に、登別の
海を見ているでしょうか。
編集後記
ここに牛の歩み四を発行することができました。塾頭とお会いできるのは年に数える程し
かありませんが、毎日、塾頭のメッセージをいただきながら、師範塾生の一人として、気を
引き締めながら校務に励んでいます。養成講座受講の皆さんは、塾頭に直接薫陶をいただけ
ることも多く、うらやましい思いもあります。
もうすぐ冬季講座の季節です。全道の教育魂に燃えるたくさんの教師が集い、塾頭を中心
に北海道の教育を元気にしていきましょう。
乙部町立明和小学校
教頭
佐々木
朗
塾頭通信400号達成おめでとうございます。
日々、仕事に追われていると、世の中の出来事に目を向ける時間すら惜しくなり、ともす
ると視野が狭くなり、思考停止に陥りがちです。そんな中で、毎日送られてくる塾頭通信の
原稿は、私にとって、一日の中で、考える時間をしっかりと保障してくれるとても貴重な存
在です。
「学び続ける教師だけが教壇に立つことを許される」
今後も塾頭通信から学ばせていただきます。
北海道高等盲学校
塾頭通信もついに400号を達成し、「牛の歩み
教諭
沓
澤
整
治
4」を発刊するこことなりました。
おめでとうございます。
混迷する日本の社会や教育が目指すべき方向を、塾頭通信の様々なテーマからお示しいた
だいているように思います。自ら考え一歩でも前に進み続けることを心がけながら、これか
らも日々の塾頭通信を糧とさせていただきます。
北海道今金高等養護学校
校長
佐々木
誉
之
北海道師範塾「教師の道」
塾頭通信「牛の歩み
発
行
四」
日
:
平成24年12月15日
編集発行
:
北海道師範塾「教師の道」事務局
http://www.kyoshinomichi.jp/
発行責任者
:
吉
田
洋
一