「幸せの描き方 ブータンGNHの今」

西日本新聞
特集連載記事(1~7)
「幸せの描き方
2011 年 9 月
ブータンGNHの今」
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/keyword/268
●【幸せの描き方
ブータンGNHの今
1】
GDP信仰から脱却 国連決議
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/263243
2011 年 9 月 16 日 19:53 カ
テゴリー:アジア・世界
ブータン人はみんな幸せそ
う。働く女性も多い=首都テ
ィンプーの官庁街
GNH(グロス・ナショナ
ル・ハピネス=国民総幸福)。
「社会の最終目標は国民の幸福
実現にある」と、ヒマラヤの仏
教王国ブータンが追求する国家
理念が、 世界の注目を浴びている。人口70万人、九州とほ
ぼ同じ面積の小国を一つのモデルに、日本政府や熊本、福岡両
県などが「幸福度」を研究。国連はGNHを新 しい開発指標
とする決議を採択した。東日本大震災、福島原発事故を受け、
経済的繁栄を最優先するこれまでの価値観、生き方が問い直さ
れる中、3度目のブー タン訪問で見聞きしたGNHの現状を
報告する。 (元西日本新聞記者、ライター・田中一彦)
「ブータンにとって歴史的な出来事だ」。一報を受けたティン
レー首相は、誇らしそうに声を上げた。
7月19日、国連総会は、「社会経済開発の達成および測
定のために、幸福という観点をより一層取り入れる」よう全加
盟国に求める決議を採択した。それは、 ブータンが進めるG
NHの理念が国際的に認知され、世界の指針となったことを意
味する。決議は昨年9月にブータン政府が提案、68カ国の支
持を得るに至っ たという。
決議は「幸福の追求は基本的な人類のゴールである」とし、
物やお金で測るGNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)
は人々の 真の豊かさを表す指標としては十分でなく、「GN
Hこそ国連の目指す開発課題に貢献できる」とする。今後、G
DP至上主義からの脱却が具体的に模索される ことになる。
--◇-◇-◇--
1974年、GNHという言葉を初めて口にしたのは、ジグ
メ・シンゲ・ワンチュク前国 王だ。「GNHはGNPより重
要だ」。就任2年、18歳という若さでの発言は、61年から
始まったブータンの近代化5カ年計画が生み出しつつあった
マイナ ス面、例えば貧富の格差、環境破壊、犯罪の増加など
に対する歯止めを求めたものだった。
2年後、コロンボで開かれた国際会議後の記者会見で披露し
た国王の同じ発言が、世界へ向けた初のGNH発信とされる。
中国とインドという二大国に挟まれた小国の生き残り策、幸せ
な国づくりに託した安全保障でもあった。
それを受け、GNHは4本の柱に沿って進められてきた。
(1)持続可能で公正な社会経済開発(2)環境の保全(3)
文化の保護と振興(4)良い統治-である。以来、「精神的な
幸せ」を重視するGNHは、GNPに代わる価値観として徐々
に世界中に浸透していった。
--◇-◇-◇--
GNPの限界について、5月にブータンを一緒に旅した辻信
一・明治学院大学教授は、故ロバート・ケネディの言葉を紹介
してくれた。暗殺直前の68年3月18日、米大統領選に向け
たスピーチだ。
「長い間、私たちは人格や共同体の重要さよりも、物質的
な富を蓄積することを優先させてきた。…アメリカのGNPの
中には、空気汚染やたばこの広告、ハイ ウエーでの多数の事
故死者を運ぶ救急車が含まれている。…戦争で使われるナパー
ム弾も核弾頭も、街頭のデモ隊を蹴散らす警察の装甲車も」
演説は、当時まだ生まれていないGNHが目指す幸福の在り
かを示唆しているように聞こえる。美しいフレーズが続く。
「しかし、GNPの中には、子どもたちの健康も教育の質
も、遊びの楽しさも含まれていない。詩の美しさも、夫婦の絆
の強さも、…私たちの機知も勇気も、知 識も学びも。私たち
一人一人の慈悲深さも、国への献身的な態度も。要するに、国
の富を測るはずのGNPからは、私たちの生きがいの全てがす
っぽり抜け落ち ている」
--◇-◇-◇--
国連決議によって、GNHの追求は、貧困の撲滅や環境の持
続可能性確保など2015年までに達成すべき八つの目標を
掲げた国連の「ミレニアム開発目標」の9番目に追加された。
国連は、9月開会の通常会期の間に、幸福をテーマとしたパ
ネルディスカッションを開く予定だ。ブータンのラツゥ・ワン
チュク国連大使は「幸福の探求は重大な課題だ。国連の議論が
遅れてはならない」と各国に促した。
●【幸せの描き方 ブータンGNHの今 2】
欲望抑え「つながり」 家族と自然と
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/263651
2011 年 9 月 16 日 20:01 カテゴリー:アジア・世界
「家族と一緒が一番幸せ」
と話すドルジさん一家=
パロ
5月、ブータン第2の都
市パロの農家アプ・ドルジ
さん(72)を訪ねた。妻
(52)と農業を継いだ娘
(27)の3人暮らし。弁
護士になった自慢の長男は首都ティンプーに住む。地方では3
世代家族が多いが、都市近郊の農家らしい構成だ。
特産物の唐辛子、米、麦、豆、ジャガイモ、キュウリを作り、
馬、牛を飼う。「田植え、唐辛子植えはラコ(結い)でやる。
収穫は時に応じてだが」。互助組織が健在のようだ。
「幸せですか?」
「もちろん。家族で農業やって、こんな幸せはない」
英語ができる娘のペマ・セルドンさんが通訳だ。
「GNH(国
民総幸福)のことは知っている。幸せは、金持ちも貧乏人も自
分の人生を感謝できること、と父は言う。私の幸せは父母が幸
せなとき。何をしていても幸せだ。犯罪などの問題もパロには
ない」
家族とムラの普通の暮らし、そこでの人と人、自然とのつな
がりが、近代化の功罪を知り始めたこの国の、8割を占める農
家の幸福感を支えている。
--◇-◇-◇--
ブータンの人々は、信仰心が厚い。寺で祈る人に、片っ端か
ら尋ねてみた。
「あなたは何を祈っているのですか」
ほとんどが「みんなの幸せ」あるいは「世界の平和です」と
回答。日本人は寺や神社で何を祈り願っているのだろうか、と
考えると、私欲を超えたブータン人の答えに驚かされる。
僧侶でもあるルンテン・ギャツォ言語文化研究学院長は、
輪廻(りんね)という生まれ変わりの思想に触れながら、「ブ
ータン人は、自分の幸せは全ての人々の 幸せと関係している、
と考える。良い人であるということは良い行いをすること。良
い行いをすると相手は幸せになり、自分も幸せになる。人だけ
でなく、全て の生き物に対してもフェアに扱うのが仏教の教
えだ」と説く。
国民に根付いた仏教的な倫理がGNHと混然一体となって
いることを感じさせる。
--◇-◇-◇--
とはいえ、ブータンが、まだ「貧しい国」の一つであること
は間違いない。
2010年の1人当たりGDP(国内総生産)は国際通貨
基金(IMF)の統計によると、1978ドルにすぎず、18
0カ国中122位。4万2820ドル、 16位の日本の4・
6%にとどまる。1人当たり国民総所得も1920ドルと、最
貧国(750ドル以下)だった10年前の2・6倍「豊か」に
なったとはい え、日本の4・6%にすぎない。
07年にブータン政府が行ったGNH調査では、8割近くの
人が「過去1年間の収入に不満」という結果だっ た。しかし、
「あなたの収入は家族が毎日必要な食べ物、住まい、衣服を満
たしていますか」という質問に88%が肯定的に答え、「精神
的な幸福感」を感じて いる人は87%を占めた。この数字は、
ブータン人の幸福感が収入の大きさに左右されるわけではな
いことを裏付けているといえよう。
--◇-◇-◇--
ブータン中央部のポブジカ渓谷は、ヒマラヤを越えて飛来
する絶滅危惧種のオグロヅルで知られる。この村に電気を通す
ため、電線を引くかどうか議論になって いた。結局、村民は
「電気を通すとツルの邪魔になる」とツルとの共生を優先。電
気は、太陽光発電による最低限の利用にとどまる。
生態系、 自然の保全は、GNHの重要な柱だ。小学校では
週1回「環境」の授業もある。5月、首相官邸の迎賓室でイン
タビューに応じたティンレー首相は、福島第1原 発事故に触
れながら、「人間が自然界とどう調和して生きるか、それこそ
がGNHだ。欲望を制御して、人が生きるために何が必要か知
ったとき、本当の意味の 豊かさがもたらされる」と力説した。
=2011/09/15 付 西日本新聞朝刊=
●【幸せの描き方
ブータンGNHの今
3】
政策反映のシステム 独自の指標
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/263739
2011 年 9 月 16 日 20:00 カテゴリー:アジア・世界
インタビューに答えるティ
ンレー首相。GNH委の委
員長も務める=ブータンの
首相官邸
「客観的な福祉の充実が
必ずしも幸せではない。一
人一人がそう感じなければ
幸せではない。政治は、主
観は量れないと逃げてき
た」
ブータン研究センターの
カルマ・ウラ所長は「主観
と客観は相互に密接な関係
がある」とした上で、幸福
の実現にとって主観がいか
に重要か力説した。
同センターは2008年11月、「GNH(国民総幸福)指
数」を策定した。その最大の特徴が、数値化が難しいとされる
「主観」に挑戦している点だ。
多くの社会指数、例えば、「生活の質」を量ろうと国連が
採用しているHDI(人間開発指数)でさえ、GDP(国内総
生産)に平均余命、成人識字率、就学率 を加えたもので、客
観的な統計値を基にしている。これに対しGNH指数には、
「嫉
妬の頻度」「不満の感情の頻度」「家族の安らぎ」「隣人への
信頼感」な ど、主観に関する項目が並ぶ。
--◇-◇-◇--
ウラ所長によるリポートは、指数化の目的を「国の政策と、
政策が実行されているかどうかを追跡すること」と記す。19
70年代から進めてきたGNHの哲学を単なるスローガンに
終わらせず、政策遂行の手法としてシステム化することが狙い
だ。
センターは、幸福を構成するとされる九つの核となる分野、
(1)心理的幸福感(2)時間の使い方(3)地域の活力(4)
文化(5)健康(6)教育(7)自 然環境の多様性(8)生
活水準(9)良い統治-について、面談による住民調査を実施。
約千人に290もの質問を浴びせて72項目の指標を設定、そ
れぞれ指 数を算出した。
日本でも70年代以降、主観を含む種々の指標が開発された
が、政策遂行の基準には至っていない。
--◇-◇-◇--
72項目の指標もユニークだが、GNH指数をどう政策に反
映させるか、その仕組みにこそブータンの哲学が表れている。
2年ごとに国民調査を実施、指標を見直すことにしており、
経年変化や性別、年齢層、職業、地域の特徴などを把握する。
ウラ所長は「昨年、8千人を対象に2 回目の調査をした。結
果は13年から始まる次の5カ年計画に反映される。GNHの
内容を日々高めていかねばならない」と話す。
また、GNHを遂行するため、国の戦略組織としてティンレ
ー首相をトップにしたGNH委員会を設置。さらに県と郡(ゲ
オ)にも、それぞれ委員会を設けて意思決定の過程を積み重ね、
同時にGNHビジョンの国民による共有化を図る。
手間と時間を惜しまないブータン流のシステムだ。
--◇-◇-◇--
とはいえ、GNH指数が絶対的な価値観を表すわけではな
い。指数の基になる72の指標は、ブータンの歴史と風土、国
民性を基礎とした独自の概念で構成。 「瞑想(めいそう)の
頻度」「不倫に対する態度」「動植物名の知識」「祭りの踊り
の知識」など、ブータンならではの項目が興味深い。
「GNH指数は、幸福をてんびんに掛けるものではない。国
民が何を望んでいるかを政府が理解するためのものだ」。カル
マ・ツィテームGNH委次官は、指数を高めること自体が目的
ではないと言う。「だから子どもの世代では指標は違ったもの
になるだろう」
2005年5月の国勢調査に伴う質問で、国民の97%が
「私は幸福だ」と回答。地元紙クエンセルがこの結果に触れ、
「人は皆、山の頂上に住みたがる。だ が、全ての幸福は山を
登っている途中に見いだされるものだ」と論評したことが思い
出される。GNH指数と同様、幸福そのものもまた、ゴールを
目指すプロセ スに在るのかもしれない。
=2011/09/16 付 西日本新聞朝刊=
●【幸せの描き方
ブータンGNHの今
4】
全土有機化 持続的な農業目指す
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/263902
2011 年 9 月 17 日 14:29 カ
テゴリー:アジア・世界
唐辛子畑に堆肥を施すナム
ゲイさん夫婦=ブータン西
部の村イビサ
夢のような計画を、
ティン
レー首相は、淡々と、当然の
ように説明してくれた。
「ブータンは今、ブータン
を完全なオーガニックフード(有機食品)の国につくり変えよ
うとしている。2020年には農産物を全てオーガニックに変
換する」
「ナショナル・オーガニック・プログラム(NOP)」と名
付けられた計画は07年にスタート。現在、七つの県で実施さ
れ、目標の9年後には20の県全てのオーガニック化を目指す。
実はこのNOPも、ブータンが進めるGNH(国民総幸福)
政策の一環なのだ。GNHの理念とされる4本柱の一つは「環
境の保全」。首相は、オーガニック化によって、生態系を含む
環境の保護と、農業生産性・収益性の両立を図る「持続的な農
業」の重要性を強調する。
--◇-◇-◇--
西部の村イビサで、オーガニック農家のナムゲイさん夫婦が、
猛烈な辛さで知られるブータン特産の唐辛子畑に堆肥を施し
ていた。
年5千ドル分の唐辛子を生産し、「ブータン一の農家」を
自任するナムゲイさん。「数年前に日本から専門家が来て、村
人に化学肥料の使い方を教えた。僕は堆 肥だけで唐辛子を作
ったが、ずっと多く収穫した。僕は僕のやり方でやっているだ
け」。自分の農法に自信満々、日焼けした顔をほころばせた。
オーガニック推進のため政府は農家の研修を実施。これまで
約900人が学んだ。昨年から、インドの著名な科学者で有機
農法の先駆者ヴァンダナ・シヴァさんの指導を仰ぐ。3月には、
シヴァさんの農場で23人のブータン農家が研修を受けた。
これまで近代農業、農薬を導入し、生産量増加を図ってきた。
だが、そのことが環境や命、食の安全そして国民の幸福を脅か
しかねない。そうした状況に歯止めをかけ、方向性を示すのが
GNHの目的でもある。
--◇-◇-◇--
ブータン北部のガサ。オーガニック化のパイロットケースと
して05年、最初に指定された県と聞いて、緑滴る原生林を縫
い、県都ガサを訪ねた。ガサ駐在の農業普及員チェワング・ゲ
ルチェンさんに話を聞く。
「オーガニックといっても、尐し前に戻るだけ。化学肥料、
農薬を使わなければいいだけだ。ローカルな作物は、小さくて
形もふぞろいだが、売れる。人々は体にいいと知っている」と、
オーガニック推進に強い意欲を見せた。
ガサ県では、NOPに伴い「1郡(ゲオ)3品運動」を実
施しているという。ガサには四つのゲオがあり、70世帯が暮
らす、ここカートエ・ゲオの3品はジャ ガイモ、ミルク、ラ
ン。大分県が1980年代に進めた一村一品運動を思い出させ
る。「1万本のシイタケのほだ木もある。あすはマーケティン
グを論議す る」。ゲルチェンさんは商品化に期待を込める。
--◇-◇-◇--
意外だが、約8割を占めるブータンの農村人口が生むGDP
(国内総生産)は2割にすぎない。主食の穀物の自給率も6割
程度。急速な都市化は半面、農村人口の減尐を促し、政府に早
急な農村対策を迫った。その柱の一つが、国を挙げてのオーガ
ニック計画といえる。
都市、農村双方の将来を危ぶむティンレー首相は語気を強め
た。
「村へ戻った若者が、地域の観光ガイドになって観光振興を
進める。そんな雇用の道筋も始まっている。現代的なオーガニ
ック農民が生まれるかもしれない。時間がかかるプロセスだが、
成功できると信じたい」
ブータンのオーガニック作戦は、国民の食の安全を保つだけ
でなく、国や地域のあり方を問うテーマなのだ。
=2011/09/17 付 西日本新聞朝刊=
●【幸せの描き方
ブータンGNHの今
5】
もろ刃の剣 急速な開発…迷いも
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/264494
2011 年 9 月 21 日 14:22 カテゴリー:アジア・世界
首都ティンプーの道路に駐車された車の列
2008年8月のブータン・オブザーバー紙に、小学7年生
ナムゲル・ドルジ君の詩が載った。題は「幼稚園の日々」。
「僕が4、5歳のころは、朝から晩まで牧場で遊んでいた。
僕の幼稚園の日々は天国のようだった」
「僕は今12歳。今の10代はドラッグや暴力に染まってい
る。そして、文化や家族のことに関心をなくしてしまった」
「『私たちの国の文化は、子
どもたちの手にある』と国王は
おっしゃる。でも、僕たちの国
の未来はどうなってしまうの
か、疑問と心配でいっぱいだ」
開発、都市化そして情報化が
進むブータンの将来を、12歳
の尐年でさえ憂えている。子ど
もたちは1999年に解禁さ
れたテレビのとりこになり、外
で遊ぶ姿が減った。現実は、ブ
ータンのGNH(国民総幸福)
政策がばら色ではないことを
物語っているようだ。
--◇-◇-◇--
例えば、首都ティンプーの
人口は、前回訪れた2008年
の7万人から10万人に膨ら
んだ。都会に憧れ、地方の農家から若者の流出が続く。だが雇
用が伴わ ず、都市部に住む20代前半の若者の失業率は1
0%を超える。GDP(国内総生産)増加に伴うインフレ率も
昨年6・1%と、徐々に生活に影響を及ぼし始め ている。
車もあふれてきた。3年前の3万8千台から6万台に増えた
という。交通事故の増加の他、自動車ローンの返済、持てる人
持たざる人の格差、排ガスによる環境問題も発生している。
政府は、地方の貧困対策として13年を目標にインフラ整備
を急ぐ。郡(ゲオ)全てを自動車道で結び、完全電化は7年前
倒しする。電話も全国で可能にする方針。こうした急速な開発、
都市化の弊害が幸福感にどう影響するか、危ぶむ声が増えてい
るのも事実だ。
--◇-◇-◇--
5月に訪れた際、メディアで論争中の問題に遭遇した。一つ
は観光自由化だ。
ブータンは環境や文化への影響を考慮し、1日200ドルの
公定料金を設けて観光客を制限。ヒマラヤ登山も規制する。こ
のため観光客は年間4万人足らずだが、これを自由化して10
万人に増やし、外資獲得の柱に育てようという計画だ。
また、鉱物資源の開発について、クエンセル紙は特集面を
4日連続掲載。ブータンには、石油、金、銀、銅、タングステ
ンが埋蔵されているといい、特集は海外 資本の利権、環境へ
の影響を懸念する。ティンレー首相は7月、「GNHに照らせ
ば、当面開発に賛成できない」と慎重姿勢を示した。
--◇-◇-◇--
GNHのもろ刃の剣ともいえる「経済開発」に伴う課題につ
いて、ティンレー首相は「今起きていることに深く意識的にな
り、GNHとの関係を意識的に議論することが大事だ」と話す。
首相が特に力を入れているのが学校教育。昨年からGNH
を授業や実践に取り入れているという。半年後、高校のリーダ
ー16人から聞き取りをした。「ゴミ問 題に関心が深まった」
「富を見せびらかすことになる携帯電話は学校に持ち込まな
い」「親戚を訪ね歩いて、絆の大切さを知った」「勉強は競争
に勝つ優越感の ためでないことを知り、友達の勉強を手伝え
るようになった」。高校生の考え方には多くの変化があり、と
ても励まされたという。
インターネットでも、開発や物質主義への傾斜を心配する書
き込みが増え、論議が広がっている。首相はそうした動きを歓
迎、「迷いはあるかもしれないが、私たちの価値観は必ず生き
延びる」と自信を見せた。
=2011/09/21 付 西日本新聞朝刊=
●【幸せの描き方
ブータンGNHの今
6】
良い統治 新しい民主主義の形
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/264651
2011 年 9 月 22 日 12:04 カテ
ゴリー:アジア・世界
あちこちで見かける現・前国
王の肖像写真=首都ティン
プーのホテル
「いま幸せですか」「ブー
タンを好きですか」と尋ねる
と、全員が手を挙げた。「G
NH(国民総幸福)を提唱した前国王を尊敬しますか」。これ
も全員挙手。
西部の古都プナカ近くの村ロベサにある自然資源大学。日本
からの突然の訪問者と、集まった学生41人との即席討論での
回答だ。ブータンでは、同じ質問を誰にしても、ほぼ100%
同じ答えが返ってくる。
ジグメ・シンゲ・ワンチュク前国王は2008年の総選挙
による民主化を自ら主導、立憲君主国へ転換した。前国王は2
0の県全てを訪問。「敬愛する国王がい れば民主化は不要」
と王政維持を求める国民に対し、「国は国民がつくるもの。悪
い王がいたらどうするのか」と説得して回ったという。
ブータンのGNH推進は、そんな前国王のリーダーシップに
対する絶大な信頼に支えられているといっても過言ではない。
--◇-◇-◇--
「良い統治」。GNHの4本柱の一つだ。他の「開発」「環
境保全」「文化保護」を実現する前提でもある。7年かけ08
年に成立した憲法にも、良い統治を保証しようとユニークな条
文が盛り込まれている。
まず、それ自体が良い統治とも言えるGNHについて、第9
条で「国は、GNHの追求を可能とする諸条件の整備に努めね
ばならない」と国の責務を明記。
国王に関しては、どこか仏教的な自己抑制を感じさせる65
歳定年制や、国民投票による罷免が規定された。国王が任命す
る独立機関「腐敗防止委員会」も政治に目を光らせる。
全国行脚を行うのは国王だけではない。閣僚もしばしば地方
に足を運び耳を傾ける。メディアは、国王の親族といえども不
祥事には目をつぶらず報道する。
GNH指数にも、中央省庁、県行政そしてメディアの「信頼
性」を問う項目があり、いずれもほぼ93%に達する。数字上
では「良い統治」は合格点のようだ。
--◇-◇-◇--
だが、むろん政府批判がないわけではない。
ある観光ガイドは、官僚制がGNHを損なっているとの見方
を示す。「海外の大学を卒業した才能ある役人がたくさんいる
のに、なぜ政治がうまくいかないのか。官僚制の壁があり、国
民の諦めが広がっている」
著名な伝統音楽家も「国王は、ブータンの富を平等に国民に
分かち与えたいと思っている。しかし政府高官が中間搾取し、
GNHは権力者のものになっている」と腹立たしげだ。
「5カ年計画の実施状況を調査するのに、これまでは車十何
台も連ねていた大臣たちが、初めてマイクロバス2台に分乗し
た」と皮肉る声も聞いた。理由は「政府が公共財を無駄に使っ
ていることへの批判の目が強くなっている」状況に対応したの
だという。
--◇-◇-◇--
こうした声に対しティンレー首相は「短期間で貧富の差を減
らし、権力を持った政治家に頼らなくてもいいようにしたい」
と話す。憲法にある「収入格差と富の集中の最小化」「公平さ」
はGNHの精神でもある。
その上で「全てがGNHの路線に乗っているか、常にチェッ
クすることが必要」と、委員長を務めるGNH委員会の指導力
と論議の必要性を強調。今春も50日かけて全国を回り、人々
に政策を説明したという。
GNH指数の検討自体が、05年に政府が進めた「良い統治
活動」の一環でもあった。指数の目的は「国の政策の実行状況
の追跡」。政治も例外ではない。
GNHは、ブータン流の新しい民主主義の形、仕掛けでもあ
る。
=2011/09/22 付 西日本新聞朝刊=
●【幸せの描き方
完】
ブータンGNHの今
7
日本の試み 理念、地域に生かす
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/264860
2011 年 9 月 23 日 11:48 カ
テゴリー:アジア・世界
ブータンでごみ拾いする「ナ
マケモノ倶楽部」のメンバー
「ブータンのGNH(国民
総幸福)は、日本でも自治体
単位で自分たちの幸福の目
標を定めて実践していくた
めのヒントだ」
福岡県が今年6月に設置した学者、市民による「幸福度に関
する研究会」。8月3日の会合で、委員の一人は、GNHを地
域づくりに生かすよう提案した。
実際、このブータン立国の理念は、いま国内外で援用、具体
化されつつある。
例えば、新潟市の「市民の幸福度(NPH)」や東京都荒川
区の「荒川区民総幸福度(GAH)」。福井など11県は共同
で、本年度中に「ふるさと希望指数(LHI)」を策定する予
定だ。
政府も昨年12月、学者による研究会を設け、4回会合。東
日本大震災後の人々の意識の変化を踏まえた幸福度指標案を
提出した。
--◇-◇-◇--
中でも、熊本県の蒲島郁夫知事は就任以来、ブータンを念頭
に「県政の最終目標は熊本県民の総幸福量の最大化だ」「GN
P(国民総生産)からGNHへ」と説き続けてきた。知事の音
頭の下、熊本学園大学チームは7月、「幸福量」指標に関する
意見書をまとめた。
意見書は、熊本版GNHを「AKH(Aggregate
Kumamoto Happiness=熊本県民総幸福
量)」と名付け、(1)主観的満足度の把 握(2)県民と行
政が幸福の要因を共有(3)政策の効果的な展開(4)地域特
有の価値観発信-と狙いもブータン的。特に「笑いの数」で幸
福を量る試みはユ ニークだ。県は「県民アンケートなど行い、
指標化を進める」という。
--◇-◇-◇--
こうした行政の模索と別に、市民の独自の取り組みも活発化
している。
環境とスローライフを掲げるNGO「ナマケモノ倶楽部(く
らぶ)」は、「ブータンGNHツアー」を企画、2007年以
降8回訪問した。農家に民泊して村の営みの幸福感を肌で感じ
るほか、伝統技術・医療の視察、識者との会談などを通じGN
Hの現状を学ぶ。
世話人の辻信一・明治学院大教授は、「参加者が現地でごみ
拾いし、川掃除したこともある」と、環境NGOらしい活動を
紹介。ティンレー首相からも「ブータンと日本の友情を深める
役割を果たしている」と感謝された。
6月には、各界の市民参加による「日本GNH学会」が発足。
地域づくりの応援も視野に入れ、25日に講演や討論会を開く。
--◇-◇-◇--
来週、福島県を訪問するティンレー首相は、原発事故を「人
間のおごり」と戒めつつ、震災後の「日本人の尊厳ある態度」
を称賛。「物質的に頂点に達した日本は、精神的な成長にも関
心を寄せ、世界をリードする存在」と官民のGNH追求にエー
ルを送る。
経済成長や物質的利益、効率性に偏った価値観から「幸福感」
重視への転換-。それがGNHの本旨だ。しかし、日本の行政
の幸福度研究で、経済成長のあり方と幸福の関係が十分検証さ
れたのかどうか。
政府の研究はもともと、鳩山内閣の「新成長戦略」の一環。
今月6日に提出された福岡県の報告も、「実現すべき10の事
項」のトップに「活力と成長力に満ちた経済」を掲げる。しか
も会合はわずか3回だ。
熊本県の幸福量研究チームの坂本正・熊本学園大教授は、
「地
域ごとに異なる幸福感をいかに政策に反映させるか、また未来
をどうつくっていくか住民一人一人が考えることが重要」と、
政治の指導力と、関心が薄い市民の参加を促す幅広い論議の必
要性を訴える。
生きづらい時代に風穴をあけ、生き方を創り直す。そして、
幸せをどう描くか。GNH発信ほぼ40年、ヒマラヤの小国に
学ぶところは尐なくない。
=おわり
=2011/09/23 付 西日本新聞朝刊=