平 成 2 5 年 2 月 1 日 発 行 人 柴 田 毅 宇都宮市駒生1−1−6 教育会館内 宇都宮大学教育学部同窓会 電 話・F A X 0 2 8 − 6 2 2 − 6 9 7 6 ( 有 ) 正 栄 社 印 刷 所 懐かしい大学歌を歌う同窓生。学生時代に戻った気持ちで歌っていた。 音楽教育講座の教員と、東京からの演奏者による特別演奏会。 「当時を振り返り、今後の教育学部に期待すること」と題したフォーラム 参加者は熱心に聴いていた。 を開催した。そこでは、教育学部に対する励ましのメッセージが出された。 今、日本は昨年の震災からの復興に向けて努力して 私は、今年度の支部長・評議員会で推薦され総会に おいてご承認をいただき、会長職をお受けすることに います。私たちは震災で多くのものを失いましたが、 なりました。 人生の価値観を見直し、「思いやりの心」「地域や社会 の絆」「困難に立ち向かう心」などの大切さに改めて 元より浅学非才、その器でないことは重々理解して 気づくことができました。 いるつもりでありますが、会全体のピンチを考え、止 今年はオリンピックが開催されました。残り数秒で むなくお引き受けすることにいたしました。 幸い、副会長をはじめ、役員・事務局、また各支部 の逆転劇もあり、とくにチーム競技やチーム戦での活 の支部長、役員の方々、素晴らしい皆様ですので、お 躍が光っており、ここでも震災復興の精神との重なり 力添えをいただきながら、本会のお役に立てるよう努 を垣間見ることができました。また、ノーベル賞を受 力してまいる所存であります。どうぞ皆様のご支援と 賞した京都大学の山中教授のiPS細胞の研究にあって ご協力を切にお願い申し上げます。 も同様で、失敗や困難を乗り越えることの大切さや、 仲間の絆が強調されています。 今年度は、大きな行事として、去る10月27日、同窓 教育の現場に目を向けると、厳しい財政状況のなか 生とOB・OGの教職員を対象とした「ホームカミン で、教育課題の複雑化・多様化への対応のために忙し グデー」がありました。 さが増すといった困難な状況にあります。私の故郷、 これは、大学と同窓会の共催事業でしたが、開催通 知をできるだけ多くの方々に届くよう努めた結果、当 新潟県長岡市には米百俵物語という実話があり、そこ 日には、百余名の参加者をお迎えすることができ、大 には「教育こそ国の原点」という重要な思想がありま 変嬉しく思いました。 した。そのことを今こそ強調したい思いです。困難に スライドによる学校の歴史や現状の報告あり、演奏 対してはそれを避けようとするのではなく、それを受 会観賞あり、意見の交換あり、飲んだり食べたりの懇 け入れた上で、仲間と一緒に、落ち着いて前向きに取 親会あり、さらには全員による大学歌斉唱ありなど、 り組んでいきたいものです。 一日を楽しく過ごすことができ、お互いに同窓生とし ての絆を深められたことと存じます。当日の様子につ きましては、宇大教育学部同窓会のホームページをご 覧いただきますと、よく分かります。次回には、今年 参加されました方々のお口添えもいただき、更に盛大 に開催できますよう期待しています。 −1− 平成24年10月27日、旧友との交流を深めることを趣 旨とした第2回ホームカミングデーが開催されまし ホームカミングデーで感動を戴きました。 た。当日の参加者は、同窓生、名誉教授、旧現教職員 まず、受付けを始めとして、部署毎の心温まる応対。 を合わせて141名でした。学長、教育学部長、教育学 職員の方々・学生の皆さん・同窓会の方々の一体とな 部同窓会長の挨拶に続き、音楽教育講座教員とプロの っての「さあ、お客を迎えるのだ」という気概をひし 演奏家による演奏会、教育学部創立当時を振り返るス ひしと感じ取れたこと。次に、学部の現状の有様、未 ライドショー、現在の教育学部の取組みの紹介、今後 来への展望についての懇切丁寧な話。学長・学部長を の教員養成に関する討論など、多彩なプログラムとな 始めとして、先生方の学生に対する教育愛の一端を垣 りました。会場のあちこちで、旧交を温めあう会話が 間見れたこと。そして、先生方や学生さん達の鍛えぬ 数多く聞こえてまいりました。また、秋晴れの中、峰 かれた演奏会。心地よい音楽に浸れたこと。 地元栃木の教育に微力ですが、今後とも役立ちたい キャンパス構内を散策され、学び舎を懐かしむ姿も見 ものと思いながら帰路につきました。 られました。私は本事業に関して、大学と同窓会との 連絡役をお引き受けいたしました。同窓会の先生方か らのご助言をもとに準備を進める中で、母校を思う気 持ちをより強くいたしました。 第1回カミングデーでは、五十余年振りに訪れ感無 量でした。さらに第2回手渡された資料中の「お帰り なさい」に心うたれました。 あらためて宇大の歴史を映像と説明で、より一層の 理解を深めました。存分の声での大学歌斉唱は学生時 10月27日。心待ちにしていたホームカミングデーで 代にタイムスリップしました。場所を変えて、皆様の す。一緒に参加する筈だった長野の友人は欠席。他に 輪に入りやすい懇親会、午後の演奏会へ、多彩な曲の 知っている方もいない中、受け付けのホールに立ちま 構成と曲間もスムーズに進み終了の時間が迫り、まだ した。すると、温か味のあるお声で、役員の方々が迎 まだ余韻が残りました。 え入れてくださいました。帰って来る場所のある幸せ で胸いっぱいになりました。お世話くださった皆様、 ここに関係各位のご苦労に感謝すると共に、さらな るご発展を祈りつつ、次回のカミングデーを楽しみに 本当に有り難うございました。宇大は夫との出会いの 頑張っております。 場所であり、教職を支えてくれた原点です。定年退職 して3年。今も現役同様フルタイムで働けるのは、宇 大での学びのお蔭です。宇大の益々のご発展を心より 祈念しております。 −2− そっとドアを開ける時、不安な表情で 入室する学生も少なくありません。就職支 援室は、教員を志し、教員採用試験を受験する学生に 対する相談と支援を行っています。試験内容を知りた い、対策はどうするか等学生の様々なニーズに対応し、 過去問や参考となる資料、教育雑誌などの学習環境を 整備しています。 支援内容は、願書記入の仕方、小論文の添削、面接 や場面指導・模擬授業の練習等々で、来室する学生の 多くは皆、真面目で一生懸命取り組み何度も来室して 頑張っています。また、不安や悩みを抱える学生には、 話を聴いたり雑談をしたりす る時間を大切にし、教員への 夢と期待・自信を深め、希望 をもって採用試験に臨めるよ う応援しています。 結果はどうあれ、合否を報 告に来る学生に心温まり、綱 川雅子先生と共に、教員を志 す学生が歩みを進められるよ う支援したいと思います。 入口に貼ってある 励ましのメッセージ お世話になった先輩の紹介だったの で、正直なところあまり気が進まぬまま、 教員採用試験対策セミナーの論作文指導を引き受けて しまいました。 ところが回を重ねるうち、徐々に責任感と遣り甲斐 とを感じるようになり、大学の門をくぐる度に、懐か しさとともに、喜びのような気持ちを感じるようにさ えなってきました。 このセミナーのカリキュラムは実に効果的に組まれ ており、工夫と努力 が感じられます。私 の学生時代には考え られないことでし た。 適切な添削ができ るかどうか自信はあ 論作文の指導を受ける学生 りませんが、今後と −3− も微力ながらお手伝いに励みたいと思っています。幼 稚園から小・中学校、大学、教員と、人生のかなりの 部分を本学部及び附属学校でお世話になった私の義務 だと思いますので…。 私は、今年無事に教員採用試験に合格 することができました。これは、同窓会の 方々のご支援に「教員採用試験対策セミナー」や、就 職支援室の先生お二方の支えがあってこそのことだと 思っています。論作文指導では、きめ細やかな添削指 導と、対面しながらの個別指導を頂くことで自分の課 題を認識することにつながりました。また、私は試験 直前には何度も就職支援室を訪れ、面接の練習をして 頂きました。初めは緊張のあまり思うように話すこと ができませんでしたが、回数を重ねるごとに、落ち着 いて「言いたいこと」を伝えることができるようにな りました。面接練習をする中で、私の不安を察し、温 かな言葉をかけて頂いたこともありました。身近で、 これだけ寄り添い支えてくださる方がいるというのは 本当にありがたいことです。熱心にご指導くださいま した先生方に改めて感謝申し上げます。 私は就職支援室を、友達と一緒に4月 頃から、過去問を借りたり、論作文の添削、 集団面接、集団討論、個人面接の練習をさせていただ いたり、またある時は、先生方とおしゃべりをしなが らお茶を飲んだりと、勉強はもちろん、リラックスの 場としても利用させていただきました。論作文は、毎 日一つの題目について自力で論作文を書き、それを先 生に提出し添削をしていただきました。集団面接、集 団討論、個人面接は数人の友達と支援室に行き、実際 にやってみて、先生から助言をいただいたり、友達同 士で意見交換をしたりしました。 就職支援室の採用試験についての情報量、そして先 生方との教育トピックスをまじえた楽しいおしゃべり こそ、合格への原動力でした。本当にお世話になりま した。ありがとうございました。 茶華道部のサークルに入り、お茶は図書館近くの学 長官舎でお稽古し、宗●流小林先生にご指導していた だきました。その後、仕事と子育てに忙しく茶に触れ ずにいましたが。20年ぐらい前にまたお茶をやり始め 現在も楽しくやっております。その原点は、大学時代 にあったのでは−と思っています。 この度卒業式のしおりをめくっていましたら、本会 の会報誌がはさんであり、13号でした。今では100号 を越え、時の経過を実感しました。 大学生活4年を共に過ごした友人と今も一緒に旅行 を楽しんでいます。長く付き合える親友と出会えたこ とが、一番の宝であった気がします。 昭和20年、私は学徒勤労動員により日 光精銅所に配属、プロペラ・ピストン等 の生産に従事していた。 8月15日(水)、この日は休日、寮には20余名、突 然、舎監室に集められた。 終戦を告げる玉音放送だった。 日本は降伏したのである。 全員が嗚咽した。 横浜へ行き米軍を迎え撃つ! U先生の呼びかけ、私たちは決意し昂揚した。 日暮れ、峠の麓に集結出発、足尾出身の私とKが先 発に決まった。 夕闇に包まれた大谷川を走った。石につまずき、川 にのめり、犬に吠えられながら走った。 集結、U先生は土下座して両手をついた。 みんなを騙して申し訳ない! 私は嬉しい! 新し い日本の復興のために共にがんばろう! 終戦の日の鮮烈な思い出である。 私は「昭和」と「平成」をまたいで学 生時代を送りました。当時の私は、通っ ていた予備校の同窓会、外国人留学生のチュ ーター仲間、自分が立ち上げた音楽サークル等の中心 となって、様々なイベントを行っていました。一つの 事業を企画、運営するのはとても大変でしたが、成功 した時の喜びはとても大きかったことを覚えていま す。 現在私は特別支援学級の担任をしており、月に一度 大学内で、障害児を対象にしたボランティア活動をし ています。しかし、当時の私は障害児教育には全く関 心がなく、ましてや現金収入のないボランティア活動 などには目もくれず、アルバイトに精を出す毎日を過 ごしていました。 特別支援教育を自分の専門分野とするようになった 今、こんなことなら学生のうちにもっと勉強しておく のだったと、あの頃を少し勿体なく思っています。 余談 U先生は県教育界の重鎮として功績、他界され た。Kは教育委員会等で郷土教育に貢献、退職後も昔 の絆は生きている。 私が宇都宮大学に入学したのは、昭和 40年。入学した時は『学芸学部』、卒業し た時は『教育学部』でした。学生運動が盛 んな頃で、寮問題とかの看板が校門前にたくさん立っ ていたのを覚えています。 南那須支部は小さい支部であり、老いも若きも名前と顔がわかっています。明るく楽しい、ア ットホーム的であります。 年齢からいっても小中学校の校長さんは、みんな教え子の優秀な方ばかりです。 6月第1土曜日を毎年総会と決めておき、本部から会長さんをお迎えし、楽しく開催されます。前小林会長 さんの時はアコーディオンを持参され、みんなで大学歌を歌い盛り上がりました。昨年は柴田会長さんをお迎 えし、後輩がダウンロードしてくれた大学歌の演奏で盛り上がり、思い出深い総会となりました。 南那須支部は、同窓会長として卒業式にも招待を受けます。その後校長さんが、元の教え子であり、小学一 年生の時の学芸会(今の発表会)では浦島太郎の役だったことを思い出すと、とたんに愉快になります。そし て素晴らしい卒業式の挨拶にまた感動します。この様な家庭的な温かい同窓会のシステムを有りがたいと感謝 し、この特徴を生かして益々発展していくことを願っています。 38年の教員生活に、今さらながらこの道を選んでよかったと感謝をし、この同窓会の絆に期待いたします。 −4− 多くの方々に支えられながら、今年教 職20年目を迎えました。現在は母校に勤 務し、担任として卒業生を送り出すことも できました。しかし、教員として現状に満足すること なく、さらに成長したいという思いを強く持っていま した。 そこで、以前より関心があった特別支援教育に携わ ることを決め、昨年度から特別支援学級の担任として、 日々生徒と向き合っています。特性の異なる生徒一人 一人のニーズに合った授業を考え、展開するなかで、 学力はもちろん、ソーシャルスキルをいかに高めるこ とができるのか、日々悩みながら取り組んでいます。 また、保護者からのさらなる信頼を得るために、自分 自身の専門性を高める必要性を感じています。 最初は2名で始まった学級も、来年度は通級も含め て10名近くになる予定です。今後も研鑽を積み、母校 に恩返しできればと思っています。 上三川町本郷地区の小学校2校と中学 校1校は、文科省指定の研究開発学校 (平成22∼24年度)として、新教科「みらい 創造科」のカリキュラム開発に取り組んでいます。勤 務する本郷北小学校はその中の一校です。 「みらい創造科」は、ものづくりなどをとおし、三 つの育てたい能力「様々な視点から事象をみていく複 眼的な観察力及び思考力」 「緻密さを重視した技術的能 力」 「課題を発見し、解決に向けて行動する能力」を育 むための小中9年間をとおした新教科の開発です。 小学校の児童たちには、物事に丁寧に取り組む態度 が形成されたり、学習意欲が向上したりするなどの効 果がありました。一方、教師たちは、授業づくりなど をとおし、協働することの 大切さなどを改めて学ぶこ とができました。 11月30日には、授業など その成果の一端を公開発表 することができました。 くいわれたか考えてごらん。落語はね、この逃げちゃ った奴等が主人公なんだ。駄目な奴を認め、業を肯定 するのが落語だよ。」 「落語」を「適応指導教室」に置きかえてみる。私 は今、生きるためのぎりぎりの選択・知恵として不登 校をしている子供たちを認め、支援している。 「たまには落語を聞きに来いや。あんまり聞きすぎ ると無気力な大人になっちまうから、それも気をつけ な。」不登校の子たちのゴールは適応指導教室ではな い。学校復帰、社会的自立を目指し、次のステージに ジャンプするための通過点なのだ。 社会人になって最初に感じたことは、周囲の意識の 低さである。ただなんとなくといった気持ちで仕事を している人が想像以上に多く、特に同期や歳の近い先 輩に多いことに驚いた。私自身、胸を張れるほどの志 を持っているわけではいないが、人に恵まれ、機会に 恵まれた4年間のおかげで「意識」ということへ目が 向くようになった。 最近は、窓口に立つこともあり、お客様と接する機 会が増えた。少しでも多くのことを感じ、考え、自分 の内面を成長させることができるよう日々意識してい るおかげか、充実した毎日を過ごせている。こうした 4年間での「意識」に対する気付きは、1年目として 業務を学んでいく上で大きな武器となっているように 感じている。今はまだ自分のことで手一杯な部分も多 いが、いつか周りを率いて会社の最前線に立てるよう 高い意識を持ち、努力していきたい。 私は毎年、総合的な学習の時間におけ る演劇コースを担当させていただいてい ます。今年の作品は、東日本大震災をテー マに、厳しい状況の中で人のために行動する人間の美 しさを描いたものにしました。 短い練習時間しかなかったにも関わらず、生徒たち は実に一生懸命練習しました。思いを伝えるのにもっ とよい台詞はないか、生徒同士で追求する姿も見るこ とができました。演じるのではなく、役に入り込もう と、壁に向かって台詞練習をする生徒の姿もありまし た。背景も生徒たちの手で、迫力ある物に仕上げるこ とができました。 そうして迎えた文化祭当日、客席には涙する多くの 生徒、保護者の姿がありました。役者の心が、観客の 心に届いた瞬間でした。 今年もまた、生徒たちのとてつもない力に驚き、そ して感動することができました。 立川談志が赤穂浪士四十七士について こんな話をしている。「赤穂藩には家来が 300人近くいたんだ。残りの253人は敵討ちに いかずに逃げちゃったんだ。逃げた奴等はどんなに悪 −5− 振り返ってみると、私は大学生活の多 くの時間をサッカーに費やしたと思います。 入学当初は、まさか自分が4年間、サッカー部に所 属するとは、夢にも思いませんでした。 ただ、宇大に入学して一つだけ決心したことがあり ました。それは、 「宇大でしかできないことを頑張る。」 ということでした。それがサッカーであり、部活でし た。激しい練習メニューや、毎日多くのミスをし、落 胆する日々でしたが、優しい先輩や、同期の仲間の励 ましに支えられ、4年間続けることができました。 2年次には、念願であった海外でのプレーが実現し ました。このアメリカでの経験が、更に部活やクラブ チームでの活動に活きてきました。 引退を機にもう一つ、「学業でも宇大にいた証を残 したい。」と考え、卒業論文に取り組むことにしまし た。「性同一性障害」という難しいテーマでしたが、 自分の興味を持ったことを研究し、自分の言葉で伝え られたことは、一つの自信になりました。 今、5年生の担任として子供たちに、夢や目標の大 切さを話しています。失敗しても成功しても、大人に なって誰かに話したくなるような「今」を生きて欲し いと思っています。 私は、修士課程を含めて宇都宮大学に 6年間お世話になりました。その6年間では、 色々なご縁もあり、多くの社会経験を積むことができ ました。特に、NPO法人や県の審議会での活動では、 様々な職種の方々と知り合い、その方々の物事の考え 方や社会の仕組について学ぶことができました。その おかげで、よりよい社会を創造するために私自身何が できるのか、という視点で考え行動する習慣ができま した。 社会経験というと聞こえはいいですが、決して楽で はありませんでした。なぜなら、社会人と付き合う以 上、私も社会人としての言動をとることが求められる からです。学生だから許されるという意識を捨てるに は、普段の言葉遣いから携帯するものまで多くの習慣 を変えました。時には厳しく注意されることもありひ どく落ちこむこともありました。でも、私を成長させ −6− てくれた方々には心より感謝しています。 現在、小学校の教員として働いていますが、一つの ビジョンがあります。それは、子どもの考える力と創 造性をのばし、子どもが主体的に自分の生き方を決め ることができるようになることです。そのためにも、 私自身が日々学び、実践することを楽しんでいきたい です。 修士論文。それは教員を目指す私にと って成長する絶好の機会でもあり、また同時 に、頭を深く悩ませるものでもありました。 何をやるにも、始めの取り掛かりが友人よりも遅く、 一方で深く追求したい性格の為なのか、4年間の学部 生活では時間が足りず、大学院へ進学しました。端か ら見ると、単に要領の悪い学生にしか思えませんが、 この2年間の大学院生活がなければ得ることの出来な かった貴重な経験や出会いを数多くしました。特に中 学校や高校の非常勤講師として5校の教育現場に携わ ることができたことは大学院生としては身に余るほど の貴重な経験でした。修士論文をまとめるため、肌で 感じた教育現場の様子を基に教材研究を進めていまし たが失敗も多々あり、書くことが辛い時期もありまし た。そのような中で次第に家庭科教員が抱えている課 題に興味を抱くようになり、高校の家庭科教員に調査 を依頼しました。その結果、共通する課題の存在を知 り、それらの改善策を自分なりに見いだすことで修論 を仕上げることができました。 修士論文。それは多くの出会いによって成し遂げる ことができた6年間の大学生活そのものだと言えま す。出会いに感謝し、4月から教員として精進したい と思います。 ・ ・ 「今に生きる」でなく、「今を生きる」 という視点で考えてみたいと思います。 − 未来の自分に辿り着くた 「今を生きる」 それは− − め(明るく希望溢れる未来へ)− 未来志向できるのが我々人間の特性であるけれど も、現代の子供たちは、自分の未来にどれだけ大きな 夢や希望を描いているだろうか。暗い出来事ばかりが 取り沙汰される現今においては、夢や希望を描きにく くなっているのではないでしょうか。明るい出来事を 大きく大きく取り上げ、そして、もっともっと数多く 取り上げるようになれば、世の中もよい方向に変わる と思います。そんな中、iPS細胞で山中伸弥教授がノ ーベル医学生理学賞を受賞しました。このiPS細胞は、 人々に明るい希望をもたせ、明るい未来を拓くものだ と思います。このように、人のために役立つことを一 生懸命取り組んでいる方々がたくさんいます。そのよ うな素晴らしい取り組みや出来事が日常的に取り上げ られ、皆が喜び、憧れ、応援できるような世の中、そ して、自分たちも頑張ろうという気持ちを起こさせる ような世の中になって欲しいと願っています。子供た ちが(大人たちも)、大きな夢や希望をもち、その夢 や 希 望 を 叶 え る べ く 、「 未 来 の 自 分 に 向 か っ て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 今を力強く生きるために…」 教職生活38年間のピリオドを平成18年3月に打っ た。その後、小山市中央公民館で社会教育指導員とし て、社会教育の道を3年間歩み、学校とはまた違った やり甲斐を感じ、充実した日々を過ごすことができた。 全くのフリーになって、何か社会に還元できること はないかと考えたとき、民間ユネスコ活動を行うボラ ンティア団体に出会った。筑西市に居を構えている私 は、茨城県西地方ユネスコ協会に身を置き、活動に携 わっている。結城紬が無形文化遺産に登録されたのを 機に、小学生を対象に「子ども体験教室」を実施して いる。紬織りや藍染めの体験をとおして、古くから伝 承されている文化遺産を大切にしょうとする心を育む ことがねらいである。また、「わたしの町のたからも −7− の」絵画展を行い、身近な文化や自然、歴史などを大 切にする心を育む活動も行っている。ユネスコの目的 は、教育・文化・科学を通じて世界中の人々がお互い に差別や偏見を無くし、国や民族を超えて協力し、共 に生きる平和な社会を創っていくことにある。 長らく教育に携わった者として、その延長戦上にあ るこの活動に今後も取り組んでいきたい。 今懸命に取り組んでいることを述べて みます。私は現在栃木県退職公務員連盟会長 として、本会の会員の生活の安定のため、取り分け共 済年金制度の主旨(厚生年金と一体化しても)を堅持 する要望活動に最も力点をおいております。 共済年金制度は昭和37年12月1日に施行された、退 職公務員に年金が支給される素晴らしい制度です。長 寿社会の到来を見込んで、現役の保険料で退職者の年 金を支える賦課方式をとり、半額を国で負担するとい う制度です。定年後の長い人生を個人の貯蓄だけで賄 うのは困難、国も支援するという制度です。お陰で私 達退職者の生活が成り立っております。 ところが、少子高齢化、景気の低迷、加えて23年3 月11日の東日本大震災・原発事故等が重なり、年金制 度がぐらついてきました。財源の不安定さから年金支 給を少しずつ減額する方向に向かい始めました。 大変なことです。私は今複雑な年金制度を一生懸命 に勉強しています。職減加算とか追加費用、マクロ経 済スライド等々、これらの理解の上に、現役の方々の 立場も考慮して年金を守る要望活動をしております。 退職したら、時間がたっぷりあり現職 時にできなかったあれをしようとか、これを しようとか思っていました。いざ退職してからのこの 7か月間を振り返ると、これとしたこともしないで7 か月が過ぎてしまった、いや過ごしたように思います。 ある一つのことを除いては。その一つのこととは? それは、ハイキングで、様々な鉄道会社が企画・運 営している健康ハイキングです。現職時もできる限り 参加していましたが、退職してからは毎日が休日です ので、平日にも参加することができます。かつては平 日の日常の活動を目にすることはできませんでした が、ハイキングの日には目にすることができます。も ちろんハイキングには鉄道で目的地まで行き、そこか ら参加者が各々のペースで歩き、目的地まで戻ってく るのが基本です。このハイキングも、普段は車で通り 過ぎてしまい、気がつかないこと、目にできないもの を発見することができます。土・日曜日・祝日を中心 にほぼ毎日のように、全国のどこかでハイキングが開 催されています。 かつて伊能忠敬は、高齢ながら幕府の命で一念発起 し全国を歩き全国地図を完成させましたが、いつか全 国を歩いてみたいものです。 着者への罰として、この先、やる他無いと心に決めた。 一年半やってみて、どうにかやって行ける自信が付い た。只、食事の準備に余りにも時間がかかり過ぎ、犬 猫同様の生活になっ てしまうことが残念 でならない。人間ら しい潤いの有る生活 に時間を使う必要性 を強く感じている。 (亡き妻に感謝と自 戒の念を込めて) 母子草 起きると真っ先に仏壇へ水とお茶を供え 線香を立てる。その後、般若心経と舎利礼文を唱える。 た ち 平成23年4月、愛妻を癌の中でも最も性質が悪いと言 われる甲状腺未分化癌で亡くして以来朝の最も大切な 仕事である。次に完全自動洗濯機を回し、平行して朝 食の準備をする。主な仕事は味噌汁を作ることである。 鰹節で出汁を摂り、その朝の具(例えば豆腐とワカメ、 玉葱にジャガイモと油揚)を設える。一人ボッチにな って1年半、一朝も欠かさず出来た事が不思議でなら ない。何故なら妻と一緒だった42年間味噌汁を一度も 作った事が無いのだから。昼食も夕食も外食をしたり、 出来合いの物を買わず自分で料理(と言っても料理す ると言えない簡単な物ばかり)して食べている自分に 驚いている。妻に頼りきって生きてきた者は、一人で 食べて行けるか誠に心細いが、何もして来なかった横 −8− 「やったー!」 「お疲れー!」 その声は、子ども夏まつりの運営を自分の 力で成し遂げた安堵感と充実感で喜びに満ちていた。 祭りの主役は子ども達という考えのもと司会進行の子 ども達も真剣なら、それを指導する大人も自然に真剣 になってくる。こうして子どもも大人もドキドキしな がら、人を動かす苦労や喜びを実感し、失敗を重ねつ つ成長していく。 私は、こんな子ども達と関わりながら、社会教育指 導員の仕事をしている。思えば教員生活37年を終え、 今頃は「悠々自適」の生活を楽しんでいる筈だったの に−。 ところで、「バカの壁」で有名な養老孟司さんの言 葉はこうだ。「仕事というのは社会に空いた穴だ。道 に穴が空いていて、そのまま放っておくと誰かが困る から、そこを埋めてみる。それをとにかく埋めたから ご褒美に社会がお金をくれたんだ。」 今の仕事が私にあっているかどうかはわからない が、そんなに悪くは ないもんだと妙に納 得した。 「人生楽ありゃ苦 もあるさ(中略)な んにもしないで生き るより 何かを求め て生きようよ」 −水戸黄門のテーマ より− 第123回宇都宮大学教育学部同窓会定期総会が、平成24年7月1日(日)にホテル丸治にて開催。宇都宮大学学長進村武男 氏をはじめ、海野 孝教育学部長、宇大工学部同窓会 上澤和彦副会長、叙勲受章者ほか、来賓及び県内各支部の代表者百 余名の参加者を得て盛大な会が行われた。 小林春雄前会長がご逝去されたので、総会で柴田 毅会長に承認された。前会長には同窓会のために多大の貢献をいただ いた。謹んで哀悼の意を表したい。 島田 守將 様(平成23年春の叙勲) 冨澤 尚 様(平成23年春の叙勲) 間宵 博 様(平成23年春の叙勲) 高梨眞佐岐 様(平成23年秋の叙勲) 宮田 武 様(平成23年秋の叙勲) 藤田 剛 様(平成24年春の叙勲) 松尾 昭男 様(平成24年春の叙勲) 佐藤 秀夫 様(平成24年春の叙勲) 仁平 健 様(高齢者叙勲) 小池 悦夫 様(高齢者叙勲) 星 正七 様(高齢者叙勲) 塩野 良 様(高齢者叙勲) 松井 直治 様(高齢者叙勲) 池尻 盛 様(高齢者叙勲) ●具体的な事業 a同窓会への勧誘 s新入生への同窓会入会案内・ 新入学生歓迎会(4月) d正副会長会議(4月・1月・2月) f支部長・評議員会(5月) g第123回定期総会(7月) h宇大教員(同窓生)と役員との 懇談会(6月) jホームカミングデー(10月) k教員採用試験対策セミナー (年3回 春期・夏期・秋期) l会報編集委員会 (10月・12月・1月) ¡0会報発行(年1回 2月) ¡1ホームページ作成委員会 (8月・11月・3月) ¡2定期総会 (塩谷・南那須・佐野・芳賀・ 那須北・宇都宮) ¡3支部長会(1月) ●努力点 a活動の活性化を図る。 ◇同窓会への入会勧誘強化 ◇支部活動の充実 ◇ホームページの活用 s大学との連絡強化を図る。 ◇大学への支援 ◇就職活動・教員採用試験対策 セミナーへの支援 挨拶をする柴田 毅 新会長 退任する役員・支部長 エッセイスト志賀かう子様に「生き つづける賢治」というテーマで講話を していただいた。 多くの新入生を迎え、親睦が図られ た。混声合唱団による大学歌等の合唱 も、会を和やかにした。先生方の協力 も会の運営を後押しした。 5月12日 宇大UUプラザ2階で行 われた。明るく、きれいな会場で話し 合いをした。 学生に挨拶をする論作文指導の講師 −9− L M M 平成24年7月の総会で、会報の発行が年1回になった。 ホームカミングデーの連絡を会報に載せられなかったの で、次回の会報からは、お知らせできるようにしたい。 平成25年度県総会は、7月7日(日)10時から丸治で開 催の予定。 平成24年度入会 【宇都宮支部】林田 弘之、白石久美子、丸山万紀子、 t田八重子、佐々木和美、佐々木フミ子、水沼 弘子、 菊地 順子、石川 典枝、安納 則子、田野井敏子、 小松 和子、坂寄 幸子、飯野 恒夫、高橋 佳子、 谷 あけみ 【芳賀支部】河又 利博、久野 信弘、福田 辰雄 【小山支部】手塚 則夫 【今市支部】益子 威夫 【佐野支部】加藤 茂、尾花 源司 【藤岡支部】宇佐美雄三 【那北支部】枝尾紀世子 【日光支部】諏訪 文敏 −10− 会報120号が出来上がりました。総会で 年1回の発行に決定してから、内容等につ いて検討をしておりました。また、読みや すい紙面・親しみやすい紙面にしたいと話 し合いました。皆様にお届けできたことに、 編集委員一同ほっとしております。 今年度は、ホームカミングデーがありま した。参加された方の文章が2ページに載 っています。皆様に喜んでいただけ嬉しい です。昨年4月NHK BSプレミアム「心旅」 で宇都宮大学のことを紹介する映像が流れ ましたが、寄稿いただいた照沼さんがNHK に宇大の紹介をしてほしいと投稿し、実現 の運びとなったようです。 10ページに「同窓会について」を載せま した。教育学部同窓会の活動を皆様にご理 解いただければ幸いと思います。
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