町 公 う と し て転 び 、 脊 椎 を 圧 迫 骨 折 し た。 二 ヵ月 の入 院 だ った。 骨 折 を機 い て骨 折 。 ニ カ月 半 入 院 し た。 昨 年 秋 に は、 八 六 歳 の父 が布 団 を ひ こ ︿ボ ケ ﹀ る 前 に 1 佐 江 衆 一 ﹃ 黄 落 ﹄ の提 起 し た も の ー 旨 に 二人 と も 、 急 速 に衰 え た。 今 、 週 に 一回 訪 問 看 護 婦 に、 二 回 ホ ー ム ヘルパ ー に、 月 一回医 者 に 来 ても ら って い る。 父 は毎 週 金 曜 日 デ イ サ ー ビ スの、 月 に 一度 一週 間 シ ョー ト ステ イ の世 話 にな って いた。 両 親 と 暮 ら す 独 身 の姉 は、 こ の三 月、 三十 年 あ ま り続 け た仕 事 を や め 、 午 前 中 だ け の パ ー ト タ イ ム に切 り替 え た。 実 家 か ら車 で十 分 のと こ ろ に住 む 私 は、 講 義 のな い火 曜 日、 ヘルパ ー の役 割を す る こと にな っ 落 ﹄ を 相 次 い で読 ん だ。 有 吉 が書 いた 昭和 四 〇年 代半 ば 、 日本 人 の平 C 要 日本 人 の平 均 寿 命 は、 女 が 八 四歳 、 男 は 七 七 歳 で、 と も に世界 一であ る。 ます ま す増 え る 高 齢 者 は、 現 代 日本 の 最 も 深 刻 な 問 題 の 一つであ る 。 高 齢 の親 を 家 庭 で介 護 す る こと は 可能 な の か。 施 設 に 預 け れ ば 解 決 す る のか 。 預 け る時 の ︿後 ろあ た さ﹀ は ど こか ら く る のか 。 高 齢 者 問 題 は 、 他 方 、 高 齢 者 自 身 の生 き 方 の問 題 でも あ る。 生 き が いは 可 能 な の か。 高 齢 者 に必 要 な 哲 学 と は ど のよ う な も のか 。 長 生 き す る こと は幸 せ な のか 。 ﹁死 に時 ﹂ と い う も の は あ る のか 。 ボ ケ る 前 に、 介 護 す る 者 、 さ れ る者 の双 方 が 考 え て お か ね ば な ら な い事 柄 の いく つか を 取 り 上 げ た。 た。 か く し て ︿老 い﹀ の問 題 は否 応 な く 私 の視 野 に 入 ってき た 。 十 一年 前 、 デ ー ケ ン先 生 の講 演 に感 銘 を 受 け て 以来 、 私 も ﹁死 への 均 寿 命 は まだ 男 で六 九 歳 、 女 で七 四 歳 であ った。 八 四 歳 、 痴 呆 症 の老 昨 年 末 、 有 吉 佐 和 子 の ﹃胱 惚 の人 ﹄、 今 年 に入 っ て佐 江 衆 一の ﹃黄 準 備教 育 ﹂ にか か わ ってき た 。 ︿老 い﹀ は そ の重 要 な テー マの 一つで 人 茂 造 を 主 人 公 と し た こ の小 説 は 、 問 題 の先 取 り であ った 。 そ の描 き は じ め に ー老 父、 こ の 一年 あ る。 先 生 に は名 著 ﹃第 三 の人 生 1あ な たも 老 人 に な る ー﹄ が あ る。 方 は今 読 めば ど こ か ユー モ ラ ス にさ え 感 じ ら れ る。 平 成 六 年 に書 か れ た ﹃黄 落 ﹄ は 四 半 世 紀 後 の日 本 の厳 し い現 実 を 描 に も か か わ ら ず 、 私 は も う ひと つ関 心 が も て な か った。 一昨 年 の秋 、 七 六歳 の母 は洗 濯 物 を 取 り入 れ よ う と し、 庭 で つまず 倫理学研 究室 養部 受 理*教 平 成11年9月30日 ボ ケ〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『 黄 落 』の提 起 した もの 一 大 町:〈 19 20 第28号 要 紀 学 大 良 奈 さ に想 像 力 が 届 く よ う にな った 。 私 の問 いは 、 と り あ え ず 、 家 庭 で介 ﹁眼 か ら 鱗 が 落 ち る﹂ と いう 言 い方 が あ る 。 岡 本 祐 三 著 ﹃高 齢 者 医 療 く。 も は や介 護 が家 族 の手 にお え な い の で あ る。 妻 に先 立 たれ た九 二 私 の母 も 父 の世 話 に疲 れ てき た 。 六 年 前 に突 発 性 難 聴 にな って以 来 と 福 祉 ﹄ を 読 ん だ 時 、 筆 者 はま さ にそ う いう 経 験 を し た 。 鱗 が 二枚 も 護 が でき る のか 、 であ る。 ほ と ん ど 耳 が聞 こえ な い。 そ の こと が 一層 スト レ スを 強 め て い る。 こ 三 枚 も 落 ち た よ う な 気 が す る。 氏 には ﹃医 療 と 福 祉 の新 時 代 ﹄ と い う 歳 の定 吉 は施 設 に 入 る こと を 承 諾 す る。 れ では 共 倒 れ に な る。 姉 が 説 得 を 重 ね て、 父 は七 月 末 老 人 保 健 施 設 へ す ぐ れ た 著 書 も あ る。 これ ら の本 を 手 が か り に、 高 齢 社 会 ・日本 の医 う。 大 正 時 代 、 一九 二〇 年 頃 の平 均 的 ライ フ サイ ク ルを 取 り 上 げ て み よ ω ラ イ フ サ イク ル の激 変 療 と 福 祉 の現 状 を 素 描 さ せ て いた だ こう 。 入所した。 入 所 後 も 食 事 を終 え れ ば 、 ﹁し ん ど いか ら ﹂ と 、 す ぐ ベ ッド に 横 に な る 。 父 は今 何 を考 え て い る のだ ろ う。 私 の関 心 も そ こ にあ る 。 ﹁息 子 が ﹃死 へ の準 備教 育 ﹄ を や って い る の に、 お父 ち ゃん は自 分 の死 ん だ 時 の こと を全 然 言 わ へん ﹂ と 母 は不 満 を も ら し て い る。 ﹁こ の夏 も つや ろ か ﹂。 姉 が そ う 言 った 夏 が 間 も な く 終 わ る 。 当 時 、 一家 に五 人 の子 供 は普 通 であ った。長 子 は三 一 二・七歳 で六 一. 一歳 の父 と 、 三 七 ・九 歳 で六 一 ・五 歳 の母 と 死 別 。 末 っ子 は 二 一.四 ご 存 じ の よ う に、 ﹁親 孝 行 、 し た い時 に は親 は 無 し ﹂ と い う 言 葉 が 一、 家 庭 で介 護 が でき る のか 本 人 の平 均 寿 命 は、 女 性 が八 四 ・〇 一歳 、 男 性 は 七 七 ・ 一六歳 で、 依 あ る。 そ こ に は、 し た く ても でき な か った 、 間 に合 わ な か った と い う 歳 で父 と 、 二五 ・六 歳 で母 と死 別 し た 。 然 と し て男 女 と も 世 界 一で あ る。 ﹁だ か ら私 は 日本 に来 ま し た ﹂ と い 悲 し い現 実 が あ った。 長 子 です ら、 三 十 代 の半 ば で親 の死 を 迎 え た の 今 年 八 月 厚 生 省 が 発 表 し た ﹁一九 九 八年 簡 易生 命 表 ﹂ に よ れば 、 日 う の は、 デ ー ケ ン先 生 が講 演 の中 でよ く 言 わ れ る ﹁ユー モ ァ﹂ の 一つ であ る。 こ の時 代 、 親 孝 行 の中 身 は経 済 的 な 扶 養 、 つま り金 銭 面 で の 援 助 であ った。 年 齢 的 にも孝 行 す る の は難 し か った ろ う。 た だ、 長 期 で あ る。 私 も 何 度 か 聞 い た が、 最 近 では あ ま り 笑 え そ う にな い。 戦 前 、 地 方 で は、 八 〇 歳 を越 え て亡 くな った場 合、赤 飯を 炊 い て祝 っ 現 在 は ど う であ ろ う 。 年 金制 度 に よ って、 子 供 世 代 の経 済 的 負担 は にわ た る介 護 の苦 労 は な か った。 の二人 に 一人 、 女 の 四人 に 三 人 が 八 〇 歳 を 迎 え る。 こ の意 味 す る と こ 大 い に軽 減 さ れ た。 あ り が た い こと であ る。 では、 子供 は親 孝 行 の重 た と 聞 いた こと が あ る。 そ れ ほ ど ま れ だ った の であ る 。 今 日 では 、 男 ろ は ど ん な であ ろ う。 親 が 老 い て初 め て、 筆 者 も な ん と か そ の恐 ろ し ボ ケ〉 る前 に 一佐 江衆 一一『黄落 』の 提 起 した もの 一 大 町:〈 21 あ る。 親 孝 行 の中 心 は 、 老 い た親 の長 期 間 に わ た る介 護 に変 化 し た。 のか 。 こ の時 代 、 高 齢 者 は重 い病 気 に な っても 、 都 市 部 で さ え、 入院 高 度 経 済 成 長 前 の昭 和 三〇 年 代 、 ど のよ う な介 護 が行 な わ れ て い た ﹁ ︿か いこ ﹀ の ︿ご か い﹀ ﹂ と 言 う ら し い。 一九 九 一年 、 長 子 は 四七 ・三歳 で七 七 ・二歳 の父 と、 五 五 ・四歳 で す る こと は ほと ん どな か った。 ﹁多 く の高 齢 者 は 数 日 か ら 数 週 間 自 宅 圧 か ら解 放 さ れ た のか 。 そ う で は な い。 親 孝 行 の中 身 が変 わ った の で 八 二 ・八 歳 の母 と 死 別 す る。 七 十 年 前 と比 べ て、 親 子 関 係 が約 十 五年 で床 に つい て亡 くな った﹂。 で は、 田舎 はど う であ ったか 。 岡 本 は、 昭和 三〇 年 頃 、 長 野 県 のあ 延 び た。 八 〇 歳 ま で存 命 す る の は男 で約 五 割 、 女 で約 七 割 。 ま た、 八〇 歳 を る村 の老 人 医 療 や介 護 の実 情 を 紹 介 し て い る。 こ の村 の主 な産 業 は農 ﹁た て つけ の悪 い窓 や戸 か ら 風 の吹 き 込 む寒 い冬 、 暖 房 な ど あ り ま せ 迎 え た 者 の平 均 余 命 は 男 で七 ・〇 九 年 、 女 で九 ・ 一八 年 であ る か ら、 親 孝 行 の時 間 は、 あ り 余 る ほど あ る。 現 代 の親 孝 行 と は、 親 が年 を んか ら 、 と く にお 年 寄 りが 亡 く な る こ と が多 か った。 と に か く家 中 総 業 と 養 蚕 。 家 族 は大 半 が大 家 族 であ った。 村 役 場 社 会 福 祉 担 当 の女 性 と り 弱 ってか ら 介 護 す る こと 、 子 供 も 老 い てか ら 長 期 間 の ﹁老 々介護 ﹂ 出 で働 か な いと 暮 ら し て い けな か った か ら、 寝 た き り の お年 寄 り の世 約 半 分 の長 子 は父 と 五 七 ・二歳 で、 約 七 割 の長 子 は母 と 六 一・八 歳 で を 意 味 す る。 一九 九 二年 厚 生 省 の調 査 でも 、 ﹁寝 た き り 期 間 ﹂ は 一年 話 と い っても 、 仕 事 の合 間 に嫁 や手 の あ い た者 が世 話 す る く ら い。 昼 は次 の よう な 思 い出 を 語 った。 以 上 ∼ 三 年 未 満 が 二七 % 、 三 年 以 上 が 四七 % 。 介 護 者 の年 齢 は六 〇 ∼ 間 は誰 も みら れ な い。 夜 にな って か ら、 よ う や く オ ム ツを換 え てや れ 死 別 す る こと に な る。 六 九 歳 が 二七 % 、 七 〇 歳 以 上 が 二 二% で、 六 〇 歳 以 上 が 約 半 数 を 占 め た 。 入 浴 だ って井 戸 水 を 汲 ん で薪 で沸 かす か ら、 一ヵ月 に数 え る ほ ど 一九 七 〇 年 代 より 、 新 聞 紙 上 で、 介 護 負 担 に耐 え切 れ ず、 配偶 者 や も の はな か った の であ る。 る介 護 ﹂ はあ った が 、 重 い障 害 のあ る高 齢 者 を 何 年 も 介 護 す る よ う な 今 ま で に ﹁介 護 ﹂ が な か った わ け で はな い。 高 齢 者 の ﹁最後 を看 取 隅 っこ で寝 か され て いま し た ﹂ 。 う 事 情 は よく わ か って いた か ら 、 何 も 要 求 せず 黙 って 日当 た り の悪 い し か 入 れ てあ げ ら れ な い。 当 然 不 潔 に な った。 で も お年 寄 り も そ う い る。 こ のよ う な 介 護 面 での ﹁親 孝 行 ﹂ は個 人 的 に担 い切 れ るも のか ど う か。 ② 家 族 介 護 の ﹁神 話 ﹂ わ が 国 では 、 これ ま で ﹁介 護 は 女 が す る も の、 介 護 は家 族 の仕 事 、 昔 は 日本 では 家 族 が お 年 寄 り を手 厚 く 世 話 し た も のだ ﹂ と 思 わ れ てき た。 そ れ は 正 し い のか 。 岡 本 は は っき り ﹁思 い違 い﹂ であ る 、 と 。 22 第28号 要 紀 学 大 良 奈 う にな った。 ﹁孝 行 息 子 が 両親 を 殺 害 ﹂ と いう 見 出 し が 示 す よ う に 、 息 子 、 娘 が ﹁寝 た き り 老 人 ﹂ を 殺 し て し ま う と い った 記事 が 目立 つよ 一九 六 三年 、 ﹁老 人 福 祉 法 ﹂ が 誕生 し た。 行 政 的 に 言 え ば 、 そ れ ま 論 さ れ て こな か った の か。 さか の ぼ って考 え て みな け れ ば な ら な い。 では、 こ れ ほ ど重 大 な高 齢 者 介 護 の問 題 が、 な ぜ長 い 間社 会 的 に議 ら は高 齢 だ か ら と いう よ り 、 生 活 保 護 者 と し て、 こ の ﹁養 老 院 ﹂ に収 彼 ら は ﹁孝 行 ﹂ のゆ え に、 追 い つめ ら れ て、 親 を殺 し てし ま う の であ 岡 本 は そ の理 由 を リ ア ル に説 明 す る。 ﹁毎 日 毎 日 、 夜 も 昼 も 土 日 も 容 され た の であ る。 ﹁こ こか ら高 齢 者 対 策 す な わち 貧 困 者 対 策 、 と い で、 日本 の社 会 に は高 齢 者 福 祉 サ ー ビ スと いう も の はな か った。 唯 一 休 み な し の介 護 者 の悩 み と し ては 、 ﹃肉 体 的 負担 が 大 き い﹄ と い う だ う 枠 組 み が でき て、 こ のイ メ ージ が 市 民 のあ いだ にそ の後 な が ら く 、 る 。 高 齢 障 害 者 の介 護 負 担 によ る ﹁家 族 崩 壊 ﹂ も 関 心 を呼 び 始 め る。 け では な い。 む し ろ ﹃精 神 的 負 担 が 大 き い﹄、 ﹃生 活 の見 通 し が 立 た な ﹃福 祉 の世 話 にな る の は恥 ﹄ と い う観 念 を 植 え つけ たと い え よ う。﹂ 日 つあ った の は貧 困 者 救 済 施 策 の 一部 と し て の ﹁養 老 院 ﹂ であ った。 貧 い﹄ と いう 困 難 が 大 き い のだ。 食事 か ら 排 泄 ま で、 自 分 に完 全 に生 活 本 の高 齢 者 福 祉 を 考 え る 場 合 、 岡 本 の こ の指 摘 は き わめ て重要 であ る。 ﹁介 護 戦 争 ﹂、 ﹁介 護 地 獄 ﹂ と い う言 葉 も生 ま れ た 。 ﹁老 人 虐 待 ﹂ も 話 題 を依 存 す る 家 族 を 、 来 る 日 も 来 る 日 も 支 え ね ば な ら な い日常 から くる、 昭 和 二 四 年 生 ま れ の筆 者 も 、 子 供 の頃、 大人 た ち が ﹁あ そ こ の家 は し い老 人 た ち は こ こ で雨 露 を し のぎ 、 食 事 と 寝 床 の提 供 を う け た。 彼 ﹃ど う にも な ら な い﹄ 不 自 由 さ や拘 束 感 、 ﹃い つま で これ が 続 く のか ﹄ 五 人 も 子 供 が いる の に、 親 は養 老院 に入 って いる﹂ と 、 あ る 時 は子 供 に上 る よ う にな った。 と い う 絶 望 感 が 、 家 族 ど う し の慈 し み や 情 愛 を 圧 倒 し 、 つい には 家 族 と が あ る。 ﹁養 老 院 ﹂ は、 子 供 心 にも 、 身 寄 り の な い か わ い そ う な お た ち の冷 た さ を、 ま た あ る 時 は嫌 わ れ者 の親 を非 難 す る のを 聞 いた こ 現 在 の長 期 で困 難 な介 護 は、 昔 の、 家 族 内 で対 応 でき た ﹁最 後 を 看 年 寄 り た ち が集 ま って いる場 所 と し て写 ってい た。 庶 民 に は 何 と し て を加 害 者 の立 場 へと 追 い 込 む。﹂ 取 る介 護 ﹂ と は、 量 的 にも 質 的 に も 異 な る 。 次 元 が 異 な る と 言 って い 法律 と と も に、 ﹁養 老 院 ﹂ と いう 名 称 は 廃 止 さ れ 、 ﹁ 養 護老 人 ホ ー ム﹂ も 入 ら ず に済 ま せ た いと ころ であ った ろ う。 し て い る。 ﹁高 齢 者 介 護 ﹂ の問 題 は、 それ ほ ど古 いも の で は な い の で と 呼 ば れ る よ う に な る。 同 時 に、 身 体 の不 自 由 な老 人 に は介 護 も 行 な い。 に も か か わ ら ず 、 介 護 は家 族 です べき も のと いう 通 念 が 幅 を き か あ る。 ﹁昔 は家 族 でう ま く や ら れ て いた の に﹂ と い う のは、﹁介 護神 話﹂ う ﹁特 別養 護老 人 ホ ー ム﹂ が創 設 さ れ た。 介 護 の た め の職 員 が初 め て メ ージ が容 易 にな く な ら な い。 認 め ら れ た の であ る。 こ の ﹁老 人 ホ ー ム﹂ か らも ﹁養 老 院 ﹂ の暗 いイ な い し は ﹁家 族 神 話 ﹂ にす ぎ な い。 ⑧ ﹁高 齢 者 介 護 ﹂ の問 題 はな ぜ隠 さ れ てき た か 大 町:〈 ボ ケ 〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『黄 落 』の提 起 した もの 一 23 療 が 受 け ら れ る よ う にな った。 生 活 水 準 の向 上 と と も に、 こ の制 度 が 程 度 であ った 。 これ 以 後 、 入院 も でき るよ う にな り 、 き ち んと し た 医 大 病 を し ても 大 怪 我 を し ても 、 せ いぜ い自 宅 で開 業 医 の往 診 を 受 け る 昭 和 三 六 (一九 六 一) 年 の国 民 皆 保 険 制 度 であ る。 それ ま で高 齢 者 は そ れ に医 療 の普 及 が あ げ ら れ る 。 戦 後 の医 療 政 策 で画期 的 な出来 事 は、 生 活 水 準 が向 上 し た こと が 大 き い。 栄 養 状 態 、 住 環境 が改 善 さ れ た。 平 均 寿 命 が延 び た こと に は多 く の原 因 が あ ろ う が、 高 度 経 済 成 長 で ﹃ベ ッド しば り﹄ な ど﹂ であ る。 き は動 け た 老 人 も 無 理 や り ﹃寝 か せ き り﹄ にし て し ま う 、 悪 名 高 い な ど は い っさ いお こな わ ず 、 オ ム ツを 当 て たま ま に し て、 入院 し た と ﹃点 滴 漬 け﹄、 ﹃検 査 漬 け﹄、 高 い自 己負 担 徴 収 の横 行 。 一方 、 リ ハビ リ 師 ・看 護 婦 減 ら し 、 私 費 に よ る付 添 い婦 の大 量 導 入 を は じ め と し て、 ﹁老人 病 院 ﹂ の経 営 ノ ウ ハウが 明 るみ に出 る 。 す な わ ち ﹁徹 底 的 な 医 す る。 七 〇 年 代 京 都 府 の あ る病 院 が営 利優 先 主 義 と の告 発 を 受 け た 。 く な った。 ﹁老 人 病 院 ﹂ ( 老 人 入院 率 六 〇 % 以上 の病 院 ) が 急 速 に普 及 ぜ 入 院 せ ざ る を 得 な い のか 、 本 人 や家 族 はど う 思 っ て い る の か ﹂、 こ そ のよ う な 病 院 に多 数 の老 人 が 、 し かも 長 期 間 入 院 し て い る の か。 な し か し 、 こ の事 件 は結 局 悪 徳 商 法 批 判 と いう こと で終 わ る 。 ﹁な ぜ 平 均 寿 命 の延 び に果 た し た役 割 は 大 き い。 昭和 四 八 (一九 七 三 ) 年 に は老 人 医 療 無 料 化 制 度 が ス タ ー トし 、 老 人 の受 療 が 急 増 し た 。 さ て、 日 本 にお け る高 齢 者 介 護 の問 題 は 、 ﹁老 人 病 院 ﹂ の歴 史 を 抜 院 な ど が 、 身 寄 り のな い高 齢 者 を ﹁老 人 性 精 神 障 害 ﹂ と いうか たち で、 あ った 。 当 時 は制 度 的 な 名 称 で はな く 、 通 称 であ った。 民 間 の精 神 病 て、 い わ ゆ る ﹁寝 た き り 老 人 ﹂ (高 齢 障 害 者 ) の 最 大 の社 会 的 受 皿 で ﹁闇 の世 界 ﹂ の存 在 だ った。 これ こ そ、 七 〇 年 代 か ら 八 〇 年 代 に か け ことも 事 実 で あ る。﹂ 費 用 さえ 負 担 す れ ば 、 ﹁老 人 病 院 ﹂ に はす ぐ 入 る 院 さ せ る﹄ と い う こと が、 世 間 に対 す る 言 い訳 と し て都 合 が よか った のは家 の恥 ﹄ と いう社 会 的 通 念 のも と で、 ﹃病 気 だ か ら し か た な く 入 る のは恥 ﹄、 あ る い は ﹃老 親 介 護 を め ぐ る家 族 間 の軋 礫 が 外 へ漏 れ る 岡 本 は 言 う 、 ﹁介 護 の負 担 が苦 し い と い う 理由 で、 ﹃福 祉 の世 話 に な れ こそ が ﹁事 態 の本 質 ﹂ であ る の に。 公費 負 担 に よ り、 ﹁収 容 ﹂ し て い た。 ﹁長 期 的 な 介 護 施 設 を 持 た な い行 こと が でき た。 ﹁特 別 養 護 老 人 ホ ー ム﹂ な ら 二年 近 く 待 た さ れ る。 ﹁老 き に し て考 え る こと は でき な い 。 一九 六 〇 年 代 の 終 わ り に は 、 ま だ 政 か ら の依 頼 も 多 か った よ う だ ﹂ と 岡 本 は言 って い る。 い わば 現 代 版 人 病 院 ﹂ は市 民 の ニー ズ に合 って いた の であ る。 ﹁こう し て ﹃老 人 病 院 ﹄ スキ ャ ンダ ルの告 発 を発 端 にし て、 日本 の高 ㈲ 高 齢 化 社 会 日本 の今 後 ﹁棄 老 施 設 ﹂ であ った 。 ﹁老 人 病 院 ﹂ が 全 国 的 に登 場 し は じ め る の は、 皮 肉 な こと に、 老 人 医 療 無 料 化 制 度 が 始 ま って か ら であ る 。 ま た 、 こ の時 期 、 年 金 が ま が り な り にも 普 及 し た の で、 ﹁付 添 い婦 ﹂ な ど の自 己 負 担 費 用 が 払 い や す 24 第28号 要 紀 学 大 良 奈 変 化 が、 ゆ っく り と で は あ る が起 こり は じ め る 。 老 親 介 護 の負 担 を 誰 齢 者 介 護 問 題 に つい て よ う や く、 家 庭 内 問 題 か ら 社 会 問 題 へと 認 識 の 一世 紀 に か け て、 私 た ち の社 会 が初 体 験 す る時 代 な の であ る 。﹂ 生 活 上 のリ スク を 、 す べ て の市 民 が共 有 し てい る 。 そ れ が 今 日 か ら 二 上 は じ め て庶 民 感 覚 と し て誕 生 し た と いう こと であ る 。 高 齢 化 によ る 福 祉 を 瞥 見 し てき た。 高 齢 者 介 護 の問 題 は家 族 の問 題 で あ るば か り で こ こま で岡本 祐 三氏 の著 書 を 手 が か り に、 現 代 日本 の高 齢 者 医 療 と が 負 う べき か、 と いう 問 題 は 明 ら か に家 族 問 題 でも あ る 。 し か も そ れ を 家 族 が担 い得 な いと い う こ と が判 明 し た と き 、 私 た ち は ま さ に外 部 サ ー ビ ス の援 助 によ って、 は じ め て家 族 関 係 を維 持 でき る と いう、 新 し い家 族 関 係 への転 換 を 迫 ら れ た の であ る。﹂ い。 高 齢 者 自 身 の生 き 方 の問 題 でも あ る。 高 齢 者 自 身が 老 い に つい て、 な く、 社 会 全 体 の 問題 で あ る。 し か し 、 それ に解 消 され るも の では な の中 味 、 老 親 介 護 も 社 会 全 体 で担 う し か な い の では な いか。 今 後 は社 死 に つい て、 ︿ボ ケ﹀ に つい て考 え な け れ ば な ら な い。 人 生 の最 期 を か つて の ﹁親 孝 行 ﹂ の内 実 、 経 済 的 扶 養 と同 じ く、 現代 の ﹁ 親 孝行 ﹂ 会 的 な 介 護 体 制 の充 実 を はか り 、 介 護 サ ー ビ スを 社 会 シ ス テ ム化 す る ど こ で、 ど う過 ご す こと が 幸 せ な のか も 考 え てお く 必 要 が あ る。 現 在 は通 常 、 六 五 歳 以 上 を 高 齢 者 と 言 う 。 六 五 ∼ 七 四歳 を ﹁前 期 高 制 度 が 必 要 な の であ る 。 二〇 二五 年 頃 、 全 国 平 均 で六 五 歳 以 上 の人 口 の占 め る割 合 ( 高齢化 一九 五 〇 年 、 年 間 の死 亡 者 のう ち 六 五 歳 以 上 の割 合 は約 三割 。 七 割 齢 者 に絞 ら れ る。 岡 本 よ り 学 ん だ こと を 念 頭 にお い て、 現 代 日本 の、 ル ド)﹂ と 呼 ぶ。 高 齢 の親 を か か え る筆 者 の関 心 は 、 ほ と ん ど 後 期 高 齢 者 (ヤ ング オ ー ル ド)﹂、 七 五 歳 以 上 を ﹁後 期 高 齢 者 (オ ー ル ド オ ー は 六 五 歳 前 に死 ん で いた。 庶 民 の願 い は、 ﹁長 生 き し た い﹂、 ﹁子 供 の そ のよ う な ︿老 い﹀ に関 す る いく つか の間 題 を考 え た い。 率 ) が 、 最 高 の 二 五 % に達 す ると 推 測 され る。 成 長 を 見 届 け て か ら死 にた い﹂ であ った 。 将 来 、 ﹁寝 た き り ﹂ に な れ ば 、 誰 に介 護 し て も ら え ば い いか と いう よう な 心 配 はし ていなか った。 有 吉 佐 和 子 ﹃胱 惚 の人 ﹄ が出 版 さ れ た のは、 昭和 四七 (一九 七 二 ) 二、 新 し い ︿老 い﹀ こ の五 〇 年 間 で、 六 五歳 以上 で死 ぬ 者 が 三 割 か ら 八 割 に増 え た 。 二 年 の こと であ った 。 こ の本 の中 に、 当 時 の平 均 寿 命 は男 六 九 歳 、 女 七 そ の歳 ま で生 き ら れ る と は 思 って いな か った の であ る。 〇 一〇 年 に は九 割 にも 上 る と いう 。 現 在 は 皆 、 歳 を と ってか ら ︿お 迎 主 人 公 は 八 四 歳 の立 花 茂 造 であ る。 七 五歳 の妻 が脳 内 出 血 で死去 し 四歳とある。 ﹁要 す る に皆 が 、 自 分 は いず れ高 齢者 にな る のだ と いう 生 活 感 覚 を 持 た直 後 か ら の茂 造 が描 か れ る。 息 子 一家 は同 じ敷 地 内 な が ら 別 の棟 に え ﹀ を 待 つ時 代 であ る。 つよ う にな った と い う こと だ。 そ し てじ つは こ の感 覚 は 、 日本 の歴 史 ボ ケ〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『黄 落 』の提 起 した もの 一 大 町:〈 25 住 む。 五 〇 歳 過 ぎ の、 多 忙 な 商 社 マ ツ信 利 、 四 五 歳 く ら い の妻 昭 子、 ﹁あ のと き ( 復 員 し てき た と き 1筆 者 注 ) はも う死 ぬ心 配 は な く な っ ﹁精 神 病 な のか 、 老 毫 は。 / 痴 呆 。 幻覚 。 .俳 徊 。 人 格 欠損 。ネ タキ リ。 た と い う解 放 感 があ って、 生 き る って こと は素 晴 ら し いと 思 って いた こ の本 は い ろ ん な 読 み 方 が でき る。 こ こ に は ま だ ﹁介 護 ﹂ と い う言 / 茂 造 は部 屋 の隅 で躰 を 縮 あ、 虚 ろ に宙 を 眺 め て い る。 人 生 の行 く て そ れ に高 校 二 年 の孫 敏 。 夫 婦 は結 婚 し て約 二 〇年 。信 利 の、 五〇 歳 前 葉 は出 て こ な い。 ﹁高 齢 者 ﹂ も出 て こな い。 昭 和 四 〇 年 代 前 半 、 高 齢 に は、 こう いう 絶 望 が 待 ち か ま え てい る のか 。 昭 子 は 然 と し な が ら ん だ が ね、 親 爺 を 見 て い る と あ あ な る 前 に死 に た いも のだ と 思 う か ら 者 医 療 と 福 祉 は ど う 考 え ら れ て いた のか 。 老 人 ホ ー ム に対 す る人 々 の 薄 気味 の悪 い思 い で、改 め て舅 を見 詰 めた。彼 は精神 病 だ った のか。 ⋮・ : の妹 京 子 が これ にか ら む 。 昭 子 も 仕 事 を も って いた。 邦 文 タ イ ピ スト 意 識 はど う で あ った か 。 高 齢 障 害 者 が 出 た場 合 、 家 族 の中 の誰 が 介 護 長 い人 生 を 営 々と 歩 ん で来 て、 そ の果 て に老 毫 が 待 ち 受 け て い る と し ね、 寿 命 が伸 び ると い う のも 妙 な も のだ よ﹂。 す る のか 。 本 書 では も っぱ ら 息 子 の嫁 、 昭 子 であ る。 信 利 は仕 事 優 先 たら 、 で は人 間 はま った く 何 の ため に生 き た こと にな る の だ ろ う。 あ と し て法 律 事 務 所 に勤 務 。 で ほと ん ど タ ッチ し て いな い。 ま た 、 介 護 を 助 け てく れ る公 的 サ ー ビ そし て総 て の器 官 が 疲 れ 果 て て破 損 し たと き 、 そ こ に老 人 病 が待 って る い は彼 は、 も う 終 わ った 人 間 な の かも し れ な い。 働 き、 子孫 を作 り、 筆 者 に最 も 印 象 的 な のは 、 こ の頃 、 新 し い問 題 と し て、 人 々 の前 に い る。 癌 も 神 経 痛 も 痛 風 も 高 血 圧 も 運 よく く ぐ り ぬけ て長 生 き し た茂 ス機 関 が あ った の か、 な ど 。 現 わ れ てき た ︿老 い﹀ であ る 。 ︿老 い﹀ は新 た な 姿 でも って登 場 し た。 以 前 な ら 、 ︿老 い﹀ のあ と に は ︿死 ﹀ が 待 って いた 。 今 、 ︿老 い﹀ 造 のよ う な 老 人 には 、 精 神 病 が 待 ち か ま え て いた のか 。﹂ ﹁毫 緑 し て い る父 親 は、 信 利 が これ か ら 生 き て行 く 人 生 の行 き つく 彼 と ︿死 ﹀ の間 に、 従 来 には な か った も のが あ る。 ︿老 い﹀ の時 間 が引 信 利 、 昭 子 の目 に映 った そ の姿 は 次 のよ う な も の であ った 。 方 に立 って い る自 分 自 身 の映 像 な のだ と いう 考 え が 、 払 っても 払 って き 延 ば さ れ た 結 果 、 生 ま れ てき た 時 間 であ る 。 今 出 てき た言 葉を 使 い、 ︿老 毫 の時 ﹀ と 言 お う か 。 これ ほど 大 規 模 な 形 で ︿老 毫 ﹀ に直 面 し た も 頭 の中 か ら 消 え な い。 老 い る と いう こと の窮 極 は、 これ か、と 思う。 それ は死 よ り も 昏 く 、 深 い絶 望 に 似 て いる 。﹂ のは 日 本 の歴 史 上 初 め て であ る 。 これ にど う 対 処 し て い い の か、 と ま 言 った次 の言 葉 であ る。 茂 造 が 、 運 動 不 足 を 補 わ ね ば な ら な いと 思 っ し か し 、信 利 と 昭 子 に最 も 大 き い衝 撃 を 与 え た の は、 敏 が何 気 な く ど って いる のが こ の時 代 であ る 。 ﹁人 間 五十 年 と いう 時 代 に は起 こ ら な か った 悲 劇 か も し れ な いな 、 こ れ は。 食 生 活 の向 上 で平 均 寿 命 が延 び た と き い て いた が 、 実 態 が これ だ と い う こと に気 が つい て い る の か な、 世 の中 は ﹂ ﹁俺 も う っか り 長 生 き す ると 、 こ う い う こと にな ってし まう のか ねえ﹂ 26 第28号 要 紀 学 大 良 奈 ら も ら し な が ら体 操 を 始 め る。 ま る で醜 悪 な踊 り で あ った。 そ れ に対 た か ら か ど う か わ か ら な いが 、 ﹁怪 鳥 の鳴 き 声 ﹂ の よ う な も の を 口 か 人 に対 し 、 昭 子 は次 の よ う に答 え て い る。 いか って気 にな った ん です 。 これ 理 屈 じ ゃな い です ね﹂ と い う門 谷 夫 宗 教 って い う のか し ら、 神 さま に奉 仕 し て い る よ うな 気 がす る と き が ﹁私 略 、 な んだ か 似 た よ うな 心 境 な ん です よ 。 信 仰 って いう のかレ リ、 ﹁﹃いや だ な あ 。 こ ん な に し てま で生 き た いも のか な あ ﹄ あ り ます ﹂ し て、 敏 が見 る に耐 え な いと いう 面 持 ち で、 立 上 が り な が ら更 に こう言 っ 病 後 、 茂 造 は老 化 の度 を 増 し た 。 ほと んど し ゃべ ら な い。 眼 許 だ け の微 笑 だ が、 よ く笑 う よ う にな った 。 昭 子 の目 か ら す る と 、 ﹁そ れ は た。 ﹃パ パ も、 マ マも 、 こ んな に長 生 き し な い でね﹄﹂ そ れ は可 愛 い笑 顔 ﹂ であ り、 ま る で ﹁光 る よ う に 笑 う ﹂ の で あ る 。 老 人 を 世 話 す る者 は、 そ のこと で人 間 的 に高 め ら れ、 宗 教 的 な高 み ﹁生 き な が ら 神 にな る って これ か し ら ﹂ と さ え 言 って い る。 い つま でも 心 に重 く のし か か って い る。 信利 と 昭 子 は 今 茂 造 の ︿ 老 毫 ﹀ に直 面 し 困 惑 し て い る。 そ れ だ け では な い、 こ の問 題 は いず れ 自 分 た ち にも ふ り か か る。 他 人 ご と では な い の であ る 。 そ の こと を 鋭 く 印 象 に残 る こと はも う 一つあ る。 単 行 本 ﹃胱 惚 の人 ﹄ には 、 作 者 有 てし ま っては 語 弊 が あ る か も し れ な い が、 一年 足 ら ず で終 わ った こと き る のだ ろ う か。 筆 者 の気 にな る の は、 茂 造 の介 護 が、 わ ず か と 言 っ に立 つこと が でき る。 今 日 の高 齢 者 介 護 に、 そ ん な ﹁救 い﹂ を期 待 で 吉 と 文 芸 評 論 家 平 野 謙 と の対 談 ﹁老 い に つい て考 え る ﹂ が つけ ら れ て であ る。 今 日 の高 齢 者 介 護 は と う てい 一年 では終 わ ら な い。 鋭 く突 き つけ ら れ た。 いた 。 そ こ で平 野 は、 ﹁あ の場 面 で 一つの救 いが 出 て き て い てた い へ ら れ て い て、 風 呂 場 に いた 義 父 が 溺 れ そ う にな った。 そ の後 急 性 肺 炎 嫁 か ら の電 話 で、 ク ラ ス メ ー トが ガ ンで死 に そう だ と いう 話 に気 を と け た 。﹂ と言 って い る。 いか にも 平 野 ら し い。 そ の ﹁場 面 ﹂ と は 、 兄 月 、 四 一歳 の時 、 八 二歳 の母 を ﹁特 別 養 護 老 人 ホ ー ム﹂ に入 れ た 経 験 (一九 三七 ) 年 生 ま れ。 元毎 日新 聞 記 者 。 招 和 五 三 (一九 七 八 ) 年 四 ﹃長 い命 のた め に﹄ の ﹁あ と が き ﹂ に よ れ ば 、 早 瀬 圭 一は 昭 和 十 二 三 、 老 親 は 施 設 に預 け れ ば いい の か ん よ か った。 あ れ で作 品 が 全 体 と し て後 味 の悪 く な い清 潔 な 印 象 を 受 にな る。 そ れ ら の出 来 事 を 機 に、 昭 子 が茂 造 の世 話 に 一生 懸 命 に な ろ を 続 け てき た。 入 社 後 も 任 地 に呼 び 寄 せ 、 結 婚 後 も 母 を 連 れ て転 勤 を を も つ。 早 瀬 は高 校 一年 の時 、 父 を 失 って以 来 、 母 と 二人 だ け の生 活 ﹁⋮ ⋮私 が お 婆 ち ゃん を き ち ん と見 送 れ ば、 自 分 は あ あ ( 特 別養 護老 繰 り返 し た。 ﹁親 孝 行 だ け が 取得 と自 負 し てい た﹂。 東 京 に転 勤 に な っ う と 決 心 し た こと を 指 し て い る。 そ の ﹁救 い﹂ に つい て。 人 ホ ー ム の世 話 にな る こと を さす ー筆 者 注 ) な ら な い です む ん じ ゃな ボ ケ〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『黄 落 』の 提 起 した もの 一 大 町:〈 27 七 〇 歳 を間 近 に ひ か え た お り ん も ま た毅 然 と し て いた。 逃 げ 回 る、 と と も に深 沢七 郎 の ﹃楢 山 節 考 ﹄ を 挙 げ て いる。 に電 話 を し、 週 の半 分 は母 の家 に泊 ま った。 一年 と少 し し て、 八〇 に 同 じ村 の銭 屋 の又 や んと 対 照 的 であ る。 お り ん は気 持 ち の にぶ り が ち て、 母 親 は いろ ん な 事 情 か ら 一人 暮 ら し を始 め る 。 早 瀬 は 毎 日 のよ う 近 い母 が倒 れ た 。 老 人 専 門 の東 京 都 養 育 院 附 属 病 院 (現東 京 都 老 人 医 ら な い掟 が あ った 。 そ の 一つが、 も のを言 って はな ら な い であ る。 死 な 息 子 辰 平 を 責 め 立 て る よ う に し て、 年 の暮 、 ﹁楢 山 ま いり ﹂ の途 に 早 瀬 は、 医 者 か ら 、 母 親 を ﹁特 別 養 護 老 人 ホ ー ム﹂ に入 れ て はど う 体 、 死 骸 の散 乱 す る楢 山 の頂 に到 着 し て、 お り ん は下 ろ し てく れ と合 療 セ ンタ ー) に 入 院 。 精 密 検 査 の結 果 、 パ ー キ ン ソ ン病 で半 ば 寝 たき か と 言 わ れ て、 ﹁いき な り頭 を な ぐ り つけ ら れ た よ う な 気 が し た 。 冗 図 す る。 お り ん は手 を 取 って、 息 子 を 来 た方 へと 向 け る 。 ﹁お り ん の つく 。 母 は息 子 の負 う 背 板 に乗 った。 山 に入 った ら、 必 ず 守 ら ね ば な 談 じ ゃな い、 お ふ く ろ を そ ん な と こ ろ へ入 れ ら れ るも んか 1何 よ りも 手 は辰 平 の手 を 堅 く 握 り し め た 。 そ れから 辰平 の背 を ど ーんと押 し た。﹂ り の状 態 が続 く と 診 断 さ れ た 。 " と い う言 葉 に拒 絶 反 応 が 起 き た 。﹂ 新 聞 記 者 の早 瀬 も 特 別養 護 老 人 ホ ー ム が ど う いう と ころ か 知 ら な か った 。 ﹁知 ら な いま 中 程 ま で下 り てき た 時 、 雪 が 降 ってき た。 お っか あ が 死 ぬ/ 辰 平 は掟 山 か ら 帰 ると き は後 を 振 り 向 か ぬ こ と、 これ が も う 一つの掟 であ る。 " 老人 ホ ーム ま に、 漠 然 と 老 人 ホ ー ム と名 の つく よ う な と こ ろ は、 ま っと う な 年 寄 を 破 り 、 猛 然 と 今 来 た 道 を 引 き 返 す の であ る。 早 瀬 は 辰 平 の胸 中 に思 いを 馳 せ て いた のか も し れ な い。 そ こ は、 長 り の行 く べき と こ ろ で は な い と 思 い込 ん で いた 。﹂ 思 う に、 そ の時 の 早 瀬 に は、 老 人 ホ ー ムと 養 老 院 を 区 別 す る だ け の知 識 が な か った 。 い る こと に こ のよ う な複 雑 な 心 の陰 影 はな い。 い間生 活 を と も にし てき た 母 と 子 以 外 の者 が 入 る 余 地 のな い領 域 だ ろ 勉 強 す る。 そ し て母 親 に相 談 す る。 母 は、 入院 し て いた 病 院 と 同 じ よ ﹁私 は、 一切 を妻 に話 さ ず独 り で考 え 、 腹 を 決 め 、 断 を 下 し た 。 母 を や 、 ﹁老 人 ホ ー ム﹂ も し ょせ ん は ﹁養 老 院 ﹂ な んだ と い う意 識 だ ろ う。 う な と こ ろな ら是 非 行 き た い、 ﹁言 下 にそ う 言 い切 った ﹂ と 書 い て い 老 人 ホ ー ム に入 れ る か否 か の決 断 を 妻 と 二人 でし た く な か った 。 反 対 う。 介 護先 進国 スウ ェー デ ン、 デ ン マー クな ら 、 親 子 と も 、 施 設 に入 る。 息 子 は ﹁今 に な っても 、 それ が 本 心 な の か ど う か わ か ら な い。 仮 さ れ ても 困 る が、 そ うか と い ってた と え し ぶ し ぶ でも 賛 成 さ れ る のも 早 瀬 は ﹁養 護 老 人 ホ ー ム﹂、 ﹁特 別 養 護 老 人 ホ ー ム﹂ に つい て 一か ら に本 心 であ ったと し ても 、 息 子 や 嫁 に これ 以 上 迷 惑 を か け た く な い と い やだ った。 あ く ま で私 自 身 の考 え と し て貫 き た か った 。﹂ 早 瀬 は ﹃人 はな ぜ ボ ケ る のか ﹄ の中 で、 老 後 の問 題 を テ ー マに し た て行 く 日、 や はり ﹁私 は、 そ の 日 も妻 に来 てほ し く な か った 。﹂ と 書 ﹁こ の 日を 忘 れ る こと は な い﹂ と 言 う 、 母 親 を 病 院 か ら ホ ー ム へ連 れ 早瀬 が い う 思 いが 先 にあ った に違 いな い。﹂ と書 い て いる 。 文 学 と し て、 丹 羽 文 雄 ﹃厭 が ら せ の年 齢 ﹄、 有 吉 佐 和 子 ﹃胱 惚 の人 ﹄ 28 第28号 要 紀 学 大 良 奈 ﹁老 人 ホ ー ム入 り し た母 、 五年 目 の報 告 ﹂ の中 で、 も う す ぐ 八 七 歳 を か ら 帰 る と き 、 早 瀬 は ﹁い つも 不機 嫌 に な る ﹂ と書 く 。 こ の ﹁不機 嫌 ﹂ ま た ﹁親 不 孝 ﹂ と いう 言 葉 に こだ わ ら ず には いら れ な か った 。 ホ ー ム ﹁こ こ に入 れ て いる こと はや っぱ り 親 不 孝 な の では な い か 。﹂ 早 瀬 も 迎 え る母 親 の現 状 を 伝 え る る と と も に、 ホ ー ム入 り し てか ら を 振 り 返 は 重 要 であ る。 そ の中 に こそ 望 ま し い未 来 への鍵 が あ る、と私 は 思う。 い て いる 。 る。 が 会 い に き てく れ る のが 何 よ り の楽 し み であ る 。 た だ そ れ だ け を 待 っ ねむ って いる 。﹂ 軽 く ゆ す って起 こす 。 息 子 だ け は 識 別 でき た 。 息 子 り に近 い母 の面 倒 を み さ せ る こ と に な る。 二十 四時 間休 みなし であ る。 を 連 れ 帰 ってい た ら ど う であ った か。 家 人 に仕 事 を や め さ せ 、 寝 た き ﹁五 年 前 の春 、 二者 択 一を 迫 ら れ た と き、 養 育 院 付 属病 院 か ら 家 に母 早 瀬 が冷 静 に出 し た 結 論 は こう で あ った。 て い る。 ﹁母 の笑 顔 は、 い っさ い の邪 気 や雑 念 が な く な っ て い て幼 児 何 年続 く か わ か ら な い。 一年 と か 二年 と か、 あ る い は も っと長 く ても 二週 間 に 一回 く ら い面 会 に行 った。 ﹁昼 間 でも 夕 方 でも た い て い は、 の よ う に透 き 通 って い る。 真 か ら う れ し そ う であ る 。﹂ そ の 笑 顔 が 、 か ま わ な い。 あ ら か じ め 限 度 が わ か って い るな ら辛 抱 の し よ う も あ ろ う が、 寿 命 あ る限 り そ れ は 何年 でも 続 く 。 げ ん に、 母 は か ら だ の自 由 息 子 の ﹁胸 を 衝 く ﹂。 ﹁ど お 、 変 わ り な い? ﹂ 早 瀬 は ﹁怒 ったよ うな ぶ っき ら棒 な 口をき く﹂。 ﹁忙 し さ にか ま け て面 会 が 間 遠 に な って いる こと へのやま し さもあ る。 今 日 の 選択 を ベ スト で は な か った ま でも ベ タ ー で あ った と思 わ ざ る を で、 家 人 ひ と り の手 で、 看 護 さ せ て い たと し た ら ー。 そ う考 え る と、 が き か な く な って 五年 に な る。 も しも 五 年 の間 、 ホ ー ム で な く家 の中 自 分 の手 で面 倒 を み る のを 回 避 し て、 い っさ いを ホ ー ム に託 し て いる 得 な い の で あ る。 ﹂ 息 子 は な ぜ 母 の前 で機 嫌 が 悪 く な る のか。 と い う伍 泥 た る 思 いも あ る。 他 の誰 でも な い。 私 自身 の親 ではな いか。 ふ た昔 前 の決 断 で あ る。 筆 者 は早 瀬 の こ の適 確 な 判 断 に目 頭 が熱 く な る。 ど う し て、 家 に置 い て面 倒 を み な い のか。 自 分 に対 す る ど う し よ う も な い腹 立 た し さ も あ る ー そ んな 感 情 が あ ふ れ てき て のど 元 に押 し寄 せ 目 を あび た。 非 難 、 中 傷 、 好 奇 、 蔑 視 、 同 情 、 共 感 。 時 に は心 が痛 ま ﹁母 を 老 人 ホ ー ム に託 し た こ の五 年 の間 、 私 は、 他 人 か ら い ろ んな 注 母 親 に は こ の感 情 は 理 解 でき な い。 息 子 が来 てく れ た、 そ の喜 び の な い わ け で はな い。 そ れ でも な お 、 私 は これ し か な か った と 思 う 。﹂ る。 そ れ が、 私 にぶ っき ら 棒 な 口を き か せ る。﹂ 前 で は、 そ ん な こと は ど う でも い い の だ ろ う。 四〇 代 も半 ば の息 子 に、 と、 早 瀬 は こ の文 章 を 結 ん だ。 早 瀬 が八 二歳 の母 を ﹁特 別 養 護 老 人 ホ ー ム﹂ に入 れ てか ら 、 す で に ﹁風 邪 を 引 か な い よ う に﹂、 ﹁飲 み す ぎ な いよ う に﹂ と 繰 り 返 し た 。 そ し て、 部 屋 の前 で、 息 子 の姿 が 見 え な く な る ま で見送 る の であ る。 大 町:〈 ボ ケ 〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『黄 落 』の提 起 した もの 一 29 め た さ、 不機 嫌 と い った も のを 甘 ん じ て受 け止 め ざ るをえ な いだ ろう。 のな く な る 日 が く る のか も し れ な い。 そ の時 ま で、 わ だ か ま り、 後 ろ 解 決 す る のか。 将 来 、 日本 の親 子 に も、 施 設 に 入 る こと に わ だ か ま り が た い こと であ る 。 で は、 高 齢 者 を施 設 に 預 け れ ば い い のか 。 問 題 は ホ ー ム、 養 護 老 人 ホ ー ム、 老 人 保 健施 設 と 設 備 は 整 い つ つあ る 。 あ り ン﹂ を へて ﹁公 的 介 護 保 険 ﹂ へと 向 か お う と し て いる 。 特 別 養 護 老 人 二十 一年 が た つ。 日本 の福 祉 は ﹁ゴ ー ル ドプ ラ ン﹂、 ﹁新 ゴ ー ル ドプ ラ の で はな いか 。﹂ 米 寿 の祝 を し た こ ろ が父 と母 に と っても私 と妻 にと っても潮 時 だ った よ う に な った。﹂ ﹁私 が親 孝 行 の心 づ も り を し て いた 六 年 が 過 ぎ、 父 の 長 患 いを し た ら、 ト モ アキ と蕗 子 さ ん に迷 惑 を か け る も のね﹄ と いう ら の母 は、 ﹃あ と はお 迎 え を 待 つだ けだ よ。 ポ ック リ 死 に た い ね え 。 な い。 長 く ても せ いぜ い五、 六 年 だ ろ う。﹂ ﹁喜 の字 の祝 を す ま せ てか 最 晩年 を幸 せ に過 さ せ てや り た いと 思 って いた 。 一年 か 二 年 か も し れ た。 日 に幾 度 と な く 一方 通 行 の電 話 が か か る。 妻 は 週 二 回食 事 を 作 り 以 後 、 二人 と も 足 が弱 り、 正 月 に も来 れ な く な った。 耳 が遠 く な っ 四、 ﹁死 に時 ﹂ は あ る の か に いき 、 買 物 も し て や る よ う に な った。 そ の ﹁潮 時 ﹂ か ら 四年 が た った。 八七 歳 の母 は、 春 め い てき た 二 月 佐 江 衆 一 ﹃黄 落 ﹄ は 、 雑 誌 ﹃新 潮 ﹄ に掲 載 さ れ て ま も な く単 行 本 と し て 一九 九 五 年 五月 に出 版 さ れ た。 帯 に は ﹁父 九 二歳 、 母 八七 歳 。 老 中 旬 、 洗 濯 物 を 取 り込 も うと し て庭 先 で こけ、 右 の大 腿骨 を骨 折 し 、 退 院 後 、 ﹁私﹂ は 市 の ﹁老 人 生 き が い課 ﹂ に福 祉 サ ー ビ スを 依 頼 す 親 を 身 近 に引 き と って十 二年、凄 絶 な介 護と 試練 の日 々が始 ま った⋮ :℃ 際 に経 験 し た こと に近 い内 容 が 描 か れ て い る よ う だ。 小 説 で は、 父 は る。 老 夫 婦 は週 一回 の昼 食 サ ー ビ スと デ イ サ ー ビ スを受 け る こと にな 二 ヵ月 あ ま り 入 院 し た。 明 治 三 一年 生 れ 、 母 は 明 治 三 六 年 生 れ 。 ﹁私﹂ は 六 〇 歳 に近 い小 説 家 る。 こ の頃 、 母 は右 手 の甲 か ら 腕 に か け て火 傷 を す る。 つま ず い て、 高 齢 の親 を 介 護 す る夫 婦 の苦 悩 を 描 く 長 編 小 説 ﹂ と あ る。 佐 江 氏 が実 と いう 設 定 であ る。 妻 の名 は 蕗 子 。 も って いた 手 鍋 の味 噌 汁 を か け て し ま った の であ る。 六 月 末 、 母 、 米 寿 を 迎 え る。 七 月 下 旬 、 夫 婦 げ ん か。駈 け つけ ると、 ﹃黄 落 ﹄ に は ︿長 生 き す る こと は 幸 せ な のか ﹀ と いう 問 いか け が含 ま れ てい る 。 ﹁死 に時 ﹂ を 考 え る べき では な いか と い う 切 実 な 問 題 提 起 妻 も 賛 成 し て、 夫 婦 は十 二年 前 、 二 人 暮 ら し の両 親 を 呼 び 寄 せ た。 時 も 、 母 は 一人 ビ ー ルを 飲 ん で い る。 か な り酔 って い る。 そ れ に洩 ら な る と 父 か ら 毎 晩 のよ う に ﹁母 が 変 にな った﹂ と 電 話 。 昼 間 のぞ いた 母 一人 が ビ ー ルを 飲 ん で いた 。 父 は体 質 的 に お酒 が飲 め な い。 八 月 に 近 所 に、 日当 た り の い い = 建 を 借 り た 。 父 、 八 一歳 。 母 、 七 六 歳 。 し て いる のだ 。 であ る。 こ の点 にし ぼ って触 れ る 。 ﹁父 と 母 の よ ろ こ び よ う と い った ら な か った。﹂ ﹁私 は 高 齢 の 父 と 母 の 30 第28号 要 紀 学 大 良 奈 九 月 の第 二 週 、 両 親 と も 老 人 福 祉 施 設 ﹁長 寿 苑 ﹂ で五 日間 の シ ョー ⋮ ⋮ 。﹂ ﹁私 ﹂ は自 問 自 答 す る。 ﹁⋮ ⋮ わ か った よ 、 母 さ ん の邪魔 はしな いさ。 蕗 子 も 同 じ 気持 ち だ と 思 う よ。 こ の こと は 誰 にも 話 さ な い、 父 にも 姉 ト ス テイ 。 母 は、 迎 え に い った ﹁私 ﹂ に、 ﹁あ な た、 ど な た? ﹂、 ﹁わ た し の弟 か い﹂ と 言 う。 近 所 の医者 に診 ても ら う と ﹁ま だ ら ボ ケ ﹂ と にも 妹 にも。俺 と蕗 子 の胸 の奥 にしま って、母 さん の思 う通 り にす る⋮・ : 十 五 日、 絶 食 三 日目 。 妻 か ら、 母 が ﹁ど う し ても 話 し た い こと が あ そ れ で い いん だ ね、 母 さ ん。﹂ の診 断 。 十 月 最 後 の デイ サ ー ビ スに送 り出 し たあと 、長寿 苑 から電 話 がかか っ てき た。 母 の ﹁血 圧 が 高 い﹂。 そ の 日、 夜 半 を 過 ぎ て父 か ら電 話 。 ﹁ば の あ と、 ﹁あ り が と う ﹂ と いう 言 葉 が 続 いた 。 十 七 日 晩 、 薬 を 飲 ま せ る﹂ と、 電 話 が あ って、 駈 け つけ る。 ﹁最 後 の言 葉 ﹂、 つい で長 い沈 黙 十 一月 。 深 夜 、 ベ ッドか ら抜 け出 す 母 は手 に 負 え な い。 精 神安 定 剤 よ う と し た が、 母 は 口 に含 んだ 水 を 咳 き 込 ん で吐 い た。 水 分 も 受 け つ あ さ ん が狂 っち ま った ﹂。 紐 で父 の首 を 絞 め た の であ る。 を 飲 ま せ、 眠 った あ と 両 手 を ベ ッド の手 す り に縛 り つけ た。 そ れ を妻 けな く な った よう だ 。 翌 十 八 日、 往 診 にき た 医 師 に 話 す と 、 ﹁唇 を ぬ るま 湯 でし め す だ け にし てあ げ な さ い﹂ と 言 う 。 これ ま で続 け て いた が 明 るく な る前 に解 き に ゆく 。 十 一月 十 三 日、 長 寿 苑 よ り 担 架 で運 ば れ て か ら 二 週 間。 母 が お か し タ イ ト ル の ﹃黄 落 ﹄ は こ の母 の死 に方 を さし て い る。 作 者 が 最 も 訴 栄 養 注 射 は断 った。 二十 四 日夜 明 け に母 は息 を 引 き 取 る。 ん 、 と ても お い し か った わ 。 ご 馳 走 さ ま。﹂ と 言 う が 、 実 際 に は 何 も え た か った のも そ の問 題 にち が いな い。 ﹁ご く自 然 に ゆ る や か に 死 を いと 妻 が 言 う。 前 日 の昼 か ら 、 母 はも のを 食 べな い。 今 朝 も ﹁蕗 子 さ 食 べ て いな い。 尋 ね る と 、 ﹁充 分 いた だ いた わ 、 お 腹 い っぱ い ﹂ と 言 迎 え る﹂ 方 法 が あ ると いう こと 。 ﹁年 老 い て死 が 近 づ き 、 日 々、 日常 の輪 郭 が ぼ や け てゆ く 老 人 のす べ 佐 江 に ﹃老 い方 の探 求 ﹄ と いう エ ッセ ー集 が あ る 。 そ の中 の 一節 。 う 。 それ に、 ﹁蕗 子 さ ん、 わ た し、 お芝 居 が 上 手 で し ょ う? ﹂ と 謎 め いた こと を 言 った。 ﹁お芝 居 が 上 手 ﹂ と はど う い う つも り で言 った のか 。 わ か ら な い 。 を し て、 自 分 か ら死 のう と し て い る の で はな い の か。 そ んな こと が で ﹁母 は そ ん な 芝 居 を 演 じ て、 絶 食 し て いる の では な い の か 。 食 断 ち る の では あ る ま いか 。 / ﹃わ た し 、 ど う し た ら い い の? ﹄ と 。 / こ の 受 け 容 れ た ら い い のか 、 家 族 の 一人 一人 に力 乏 し い声 で問 いか け て い 刻 を ど のよ う に生 き た ら い い のか 、 そ し て、 ど のよ う に忍 び 寄 る死 を てが 、 寝 た き り にな って紙 オ ム ツを 濡 ら し な が ら 、 残 り 少 な い 一刻 一 き る のか 。﹂ ﹁樹 木 の黄 葉 紅 葉 が 秋 の終 り と と も に落 葉 す る よ う に、 ご 哲 学 の大 命 題 と も いえ る 問 い に、 現 代 の哲 学者 や宗 教 家 は 何 と 答 え る ﹁私 ﹂ は 眠 れ ぬ 床 の中 で、 一瞬 ハ ッと す る。 く自 然 にゆ る や か に 死 を 迎 え る自 死 の方 法 。 / 母 さ ん、 そ うな のか い ボ ケ 〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『黄 落 』の提 起 した もの 一 大 町:〈 31 ﹃黄 落 ﹄ の母 の死 も 一つの答 え であ ろう 。 現 代 に ︿老 い の哲 学 ﹀ と 定 し 、支 え てく れ る よ う な 考 え 方 、 これ を こそ 見 出 ださ ねば なら な い。 と す れ ば 、 ﹁老 い﹂ も ﹁死 ﹂ も 受 け容 れ て い こ う と す る そ の 姿 勢 を 肯 避 け ら れ な いも のな ら 、 受 け 容 れ る以 外 に仕 方 が な い の で はな いか 。 言 え る よ う な も の があ る か と いう こと であ る。 筆 者 が これ ま で に目 を では、 わ れ わ れ は ﹁老 い﹂ と ﹁死 ﹂ を ど う 考 え れ ば 、 受 け 容 れ ら れ る のか 。﹂ 通 し た も の の中 で は、 次 の 八木 誠 一の考 え が ま だ 納得 でき そ う に思 う。 のか。 い や そ れ だ け では な い。 高 齢 者 福 祉 は 同時 に、高 齢 者 自 身 の生 き方 の し か し、 社 会 問 題 であ ると 同 時 に、 依 然 と し て家 族 の問 題 でも あ る。 こ れ ま で見 てき た よう に、 高 齢 者 介 護 は す ぐ れ て社 会 問 題 であ る 。 表 す る研 究 者 ( 専 門 は 原始 キ リ ス ト教 学 ) が 老 いと 死 を ど う 考 え る に す い。 ま た、 巻 末 に付 さ れ た 八 木 誠 一の ﹁私 の老 年 論 ﹂ は、 日本 を 代 ﹃老 年 の豊 か さ に つい て﹄ を 見 つけ た。 従 来 の翻 訳 よ り 格 段 に読 み や ころ、 過 日、 運 よ く書 店 で八 木 誠 一 ・八 木 綾 子 両 氏 の手 に な る 新 訳 こ の際 キ ケ ロの ﹃老 年 論 ﹄ にも 目 を 通 し てお き た いと 思 って い たと 問 題 で あ る。 そ こ で は、 高 齢 者 個 々人 の死生 観 や 信 仰 が厳 し く 問 わ れ 至 った か と い う点 で、 ま こと に興 味 深 い。 五、 老 い の哲 学 る こと に な る 。 ﹁わ た し た ち は 心 の問 題 に は立 ち 入 り ま せ ん 。 そ れ ぞ れ で ど う ぞ 解 決 る。 こ の点 は宗 教 法 人 の施 設 でな いか ぎ り、 似 た り寄 った り だ ろ う。 自 由 ﹂ の問 題 が あ る 。 後 者 に関 し ても 、 死 の タブ ー化 と い う こと が あ にし て の心 構 え を 話 す と いう こと も な い。 前 者 に関 し て は、 ﹁信 教 の て、 ﹁天 国 ﹂ や ﹁浄 土 ﹂ に つい て講 話 す ると いう こ と は な い。 死 を 前 に は こ の働 き に生 き る こ と が常 に、 老 年若 年 に か か わ ら ず 、 可 能 であ が って病 と 老 い のな か に あ っても これ を超 え る 働 き の こと であ る。 人 (正 法 眼 蔵 、 生 死 の巻 )。 これ は生 死 のな か に あ って生 死 を 超 え 、 し た い う (コリ ント 4 ・=ハ )。 道 元 は これ を ﹃ほと け の い の ち ﹄ と い った ﹁﹃外 な る 人 は 朽 ち てゆ く が 、 内 な る人 は 日 々 に新 し い ﹄ と パ ウ ロは を挙 げ 、 そ の秘 密 の あ り か を探 る 。 八木 は ﹁美 し く魅 力 的 な老 人 ﹂ の例 と し て、 九 〇 歳 当 時 の久 松 真 一 し て下 さ い﹂ と い う こと な のか も し れ な い。 戦 後 民 主 主 義 の到 達 し た る。 ⋮ ⋮秘 密 は こ こ に あ り、 そ れ が あ る と いう こと を 知 る こと 自 体 が 現 在 、 父 親 が 入 所 し て い る ﹁老 人 保 健 施 設﹂ でも、 宗 教 家 が招 か れ 地 平 でも あ る。 老 人 の生 き が い に つい て、 わ か り やす く 話 し てく れ る 重 要 であ る。﹂ これ ら を 超 え る ﹁働 き ﹂ が あ る。 人 は老 年 にな っても 、 こ の ﹁働 き ﹂ 人 に は生 死 のな か に あ って これ を超 え、 病 と老 い のな か にあ っても 人 は いな い のだ ろ う か。 死 の不 安 を 和 ら げ てく れ る よ うな 話 は でき な い も のだ ろう か。 そ こに宗 教 を 入 れ るな と い う の は無 理だ ろ う。 人 生 にお い て は、 い ず れ ﹁老 い﹂ も ﹁死 ﹂ も 避 ける こと は でき な い。 32 第28号 要 紀 学 大 良 奈 に生 き る こと が でき る。 そ う いう ﹁働 き ﹂ が あ る と 知 る こと が 重 要 で ら 君 た ち の父 ( 神 ) な し に地 に落 ち る こ と は な い﹂ を 加 え る 。 生 物 一 の働 き﹂ を 見 る 。 八木 は そ こに新 約 聖 書 マタ イ 伝 よ り 、 ﹁一羽 の雀 す 把 握 、 神 的 な も の と し て の ﹁自 然 ﹂ 把 握 に近 い の では な い か。 般 の死 が神 の働 き に し た が って起 こ る と い う こ と は、 キケ ロの 百 然﹂ あ る。 こ の考 え方 は キ ケ ロと も 一致 す る。 八木 は ﹁私 は な か ん ず く キ ケ ロ の ﹃自 然 ﹄ 把 握 に共 感 し て い る。﹂ と 言 う 。 す る よ うな も の であ る 。﹂ ﹁自 然 に し た が って起 こる こと はす べて善 と い る点 で こ そ、 わ た し は 賢 明 な の だ﹂。 ﹁自 然 に逆 ら う のは神 々 を敵 と ﹁最高 の指 導 者 であ る自 然 に従 い、 神 に対 す る か の よ う に 服 従 し て の であ る。 宗 教 的 に は そう いえ る 。 実 際 、 生 ま れ た 人 が 成 長 し 老 い て と いう 把 握 が あ る。 人 間 にお け る神 の働 き の こと を 人 間 の本 性 と い う い う考 え方 があ り、 ま た、 神 (如 来 の誓 い) の働 き に よ って成 り立 つ の場 合 、 本 性 の開 展 す な わち 自 然 は事 物 の本 性 自 身 に よ って起 こ る と ﹁要 す る に、 自 然 と は 本 性 の開 展 の こと だ 、 と い う 把 握 が あ る。 こ み な され る べき だ が、 老 人 にと って死 よ り自 然 に適 った こ と が あ るだ 死 ぬ の は自 然 で はな いか 。﹂ キ ケ ロは ﹃老 人 論 ﹄ の中 で こ う言 って いる。 ろ う か 。 ⋮ ⋮ そ れ は例 え てみ れ ば よく 熟 し た果 実 が ひと り で に落 ち る 我 が 中 心 の こ の時 代 、 科 学 と 技 術 と 経 済 が 結 び つい て世 界 を 動 か し て 近 代 で は、 自 然 は人 間 によ って支 配 ・管 理 さ れ るも の であ った。 自 こ こ に言 う ﹁自 然 ﹂ は 、 わ れ わ れ が ﹁自 然 科 学 ﹂ と い う時 の、 つま き た 。 そ の中 で、 人 間 は本 性 を 見 失 ってし ま った の であ る。 自 我 よ り よ う な も のだ 。﹂ り 人 間 ・文 化 に対 立 す る も のと し て の ﹁自 然 ﹂ で はな い。 東 洋 古 来 の ﹁か つて東 西 の古 典 が正 確 に把 握 し て い た人 間 的 本 性 と そ の 自 然 の も 深 い人 間 的 本 性 や 自 然 が な く な った の では な い。 だ か ら 、 人 間 は人 す る 。 ﹁大 いな る ﹃道 ﹄ に担 わ れ た働 き の こと で、 そ れ は 人 間 が あ れ 開 展 の経 過 を 、 改 め て自 分 の生 に即 し て自 覚 し実 感 す る な ら ば 、 老 い 伝 統 的 ﹁自 然 ﹂ 観 に近 い。 これ と 計 ら わ な く て も お のず か ら 成 り 立 つの であ る﹂。 浄 土 教 の中 心 と 死 と は 、 生 き て いる 間 は 生 き る こと を あ く ま で大 切 にし な が ら も 、 間 的 自 然 を 自 覚 し 直 さ な け れ ば な ら な い の であ る 。 概 念 は ﹁自 然 法 爾 ﹂ であ る 。 そ れ は ﹁( 信 心 と救 済 に か か わ る こと は) し ず か に受 容 し 、 迎 え る こと の でき る は ず のも の であ る。 与 え ら れ た ﹁自 然 ﹂ と いう 漢 語 は ﹁無 為 自 然 ﹂ と いう 形 で老 荘 思 想 の中 心 に位 置 阿 弥 陀 仏 の願 力 の働 き に よ って成 り 立 つゆ え に、 人 の はか ら い によ ら 生 を 全 う す る こと は 尊 い こと だ。﹂ ﹁自 然 の開 展 の経 過 ﹂ であ る。 それ は 、 ﹁神 ( 如 来 の誓 い) の働 き ﹂ に 老 いを 受 け 容 れ 、 死 を 受 け容 れ る。 老 いも死 も、 ﹁人 間 的 本 性 ﹂ の ず 、 お のず か ら 成 り立 つ﹂ と いう こと であ る。 禅 の中 心 用 語 ﹁無 心 ﹂ も 、 鈴 木 大 拙 に よれ ば ﹁自 然 法 爾 ﹂ と 同 じ こと であ る。 こ のよ う に東 西 の古 典 的 伝 統 で は、 自 然 の中 に ﹁人 間 を 超 え た も の ボ ケ〉 る前 に 一佐 江 衆 一 『黄 落 』の提 起 した もの 一 大 町:〈 33 よ っ て 成 り 立 つ。 こ の ︿老 い ﹀ に は 、 ︿ボ ケ ﹀ も 含 ま れ る の だ ろ う か 。 キ ケ ロ は 、 ︿ボ ケ ﹀ を も ﹁受 け 容 れ よ ﹂ と い う の だ ろ う か 。 ﹃黄 落 ﹄ の 佐 江 は 、 ず つ呼 び こむ ため の自 然 過 程 ﹂ と と ら え、 こ の ﹁断 食 死 ﹂ を ﹁み ず か ら の意 志 だ け で行 な う 、 か ぎ り な く自 然 死 に近 い安 楽死 であ ると思 う﹂ と 述 べ て い る。 ﹁願 はく は花 の下 に て春 死 な む そ の き さら ぎ の望 月 の こ ろ﹂ と詠 み、 お い て安 楽 に死 に た い。 病 院 で死 ぬ こと が 多 い現 代 で は、 これ は ﹁途 山 折 哲 雄 は、 自 分 の責 任 にお い て生 き てき た よ う に、 自 分 の責 任 に 六 、 ﹁断 食 死 ﹂ に つい て れ てき た も の﹂ と し 、 ﹁日 本 人 のあ こが れ た 死 に方 ﹂ だ と 言 って い る。 な い の であ る。 山 折 は これ を ﹁わ が国 の仏 教 伝 統 のな か で こ ころ み ら ﹁断 食 死 ﹂ は、 限 ら れ た 数 の死 で あ ろ う が、 決 し て珍 し い死 に方 では ろう と 言 う 。 ︿ボ ケ ﹀ る 前 に こ そ 、 ﹁死 に 時 ﹂ を 提 起 し た の で あ る 。 方 も な い難 問 ﹂ であ る 。 では 、 ど う し た ら い い のか 。 山 折 は ﹃お 迎 え 自 ら ﹁断 食 の は て に、 枯 れ 木 の よ う に な って死 ぬ こと が でき れ ば、 そ そ の願 い通 り に死 を 迎 え た西 行 も 、 お そら く こ の ﹁断 食 死 ﹂ であ った のと き 1 日本 人 の 死生 観 1﹄ 第 一章 で、 ﹁﹃断 食 死 ﹄ のす す め ﹂ を 書 い れ が 最 高 だ と 思 って い る。﹂ ﹁そ れ が あ た かも 自 然 死 で あ る か のよ う に そ の状 態 が 三 ∼ 七 日 と続 い てそ のま ま 死 ぬ 者 も い る。 中 に は不 思 議 な 浄 土 真 宗 の僧 侶 でも あ る松 井 春 満 は ﹃生 き る力 を 培 う教 育﹄ の中 で、 お わ り に ー ︿ボ ケ 老 人 ﹀ の生 き る意 味 - い る の で はな い。 場 合 であ る。 そ の時 は ﹁万 事 休 す ﹂ であ る、 と 。 山 折 は 冗談 を 言 って か れ 、 点 滴 の処 置 を 施 さ れ て、 も は や自 分 の力 で は ど う に も な ら な い た だ 一つ ﹁心 配 ﹂ な の は、 最 後 の段 階 で、 救 急 車 で病 院 に連 れ て い 家 族 や知 人 の目 に映 れ ﹂ ば な お い い。 て いる ◎ 平 安 時 代 の末 期 か ら 中 世 期 にか け て編 集 され た修 行 僧 の伝 記 、 ﹁往 生 伝 ﹂ や ﹁高 僧 伝 ﹂ を 見 る と 、 彼 ら の臨 終 時 のあ り さま が 、 克 明 に描 か れ て い る。 ﹁人 間 の死 に方 の記 録 集 ﹂ と い った 趣 であ る。 ﹁い よ い よ 最 後 の命 終 の時 期 が近 づ く と、 彼 ら の多 く は、 自 然 に 木 食 の生 活 に入 り、 や が てそ のま ま 断 食 へと す す ん で いく。五穀 を 断ち、 霊 的 体 験 を 得 る者 も い れ ば、 阿 弥 陀 如 来 が 視 野 に現 わ れ る者 も いる 。 オ ー ル ドオ ー ル ド (後 期 高 齢 者 ) の生 き が いと い う困 難 な 問 題 に挑 ん 十 穀 を 断 ち 、 や が て木 の実 や 葉 も 断 って、枯 れ木 のよう にな ってゆく。﹂ ﹁断 食 は 、 い わば 往 生 す るた め の身 心 的 ウ ォー ミ ング ・ア ップ と い っ で い る。 ﹁あ え て ﹃幸 せ ﹄ と いう 言 葉 を 用 い る な らば 、 人 生 の終 末 に臨 ん で、 た役 割 を 果 た し て い る よ う に み え る 。﹂ 山 折 は 断 食 を ﹁栄 養 の遮 断 と いう 能 動 的 な 意 志 によ って、 死 を 少 し 34 第28号 要 紀 学 大 良 奈 ﹁す べ て の所 有 を 失 って いき つ つあ る高 齢 者 が、 な お 生 甲 斐 を 感 じ う な お幸 せ を 味 わ いう る人 間 の在 り 方 は 、 いか にし て可 能 であ る か ﹂、 ざ し﹂ に、 深 く教 え ら れ る と 同時 に ﹁神 ﹂ を す ら 感 じ てい るの であ る。 あ り ま す。﹂ と 答 え て い た。 ﹁ 看 取 る人 ﹂ も ﹁看 取 ら れ る 人 ﹂ の ﹁ま な 宗 教 って いう のか し ら 、 神 さ ま に奉仕 し て いる よ う な 気 が す ると き が る道 は何 であ る か ﹂。 ﹃黄 落 ﹄ にも 、 火 傷 し た母 を病 院 に連 れ てき 、 皮 膚 科 ま でお ぶ って行 こう し て、 両 者 の間 に、 ﹁超 越 者 と の関 係 が 光 背 の よ う に 感 じ と ら れ 人 のま な ざ し のな か で生 き か つ死 す る。 人 を生 か し あ る ま な ざ し は 、 く ﹁私 ﹂ を 見 て、 あ る老 婆 が ﹁あ な た、 後 光 が射 し て ます よ﹂ と いう 松 井 の答 え は こう であ る。 そ の主 体 のも の であ ると 同 時 に、 む し ろ そ の主 体 を こえ た大 い な る超 場 面 があ る。 ﹁私 ﹂ は ﹁後 光 だ な ん て、 と ん でも な い 。 仕 方 な く や っ るも の で あ る。﹂ 越 者 の ま な ざ し であ る 。 看 取 る主 体 が た と え意 識 せず と も、 そ の人 が て い る ん です ﹂ と 答 え て い るが 、 老 母 の目 にも 、 光 の見 え る時 が あ っ ﹁嬰 児 が 親 の愛 の ま な ざ し の下 で育 つよう に、 老 人 は ま た 、 看 取 る 他 者 に注 ぐ や さ し い愛 のま な ざ し は、 看 取 ら れ る人 に と って は、 そ の オ ー ル ド オ ー ル ドも ﹁まな ざ し ﹂ を 通 し て、 な お ﹁幸 せ﹂ を 感 じ る たか も し れ な い、 と 筆 者 は想 像 す る。 し であ る。 そ れ が 末 期 の人 を 勇 気 づ け る。 / ⋮ ⋮人 間 の真 の ﹃間 ﹄ 係 こと が でき る。 で は、 痴 呆 性 老 人 の場 合 は ど う な のか 。 い わ ゆ る ︿ボ 彼 方 に大 い な る も の の心 を 感 じ と る こ と の で き る、 そ の よ う な ま な ざ 性 に は、 こ のよ う な 超 越 者 と の関 係 が光 背 の よ う に感 じ と ら れ る も の ケ老 人 ﹀ に生 き が い は、 あ る い は幸 福 は 可 能 か と いう こと であ る。 ﹁ふ つう の精 神 機 能 を う ば わ れ 、 単 なる ﹃あえ ぐ生命 の 一単 位﹄ にな っ 神 谷 美 恵 子 は名 著 ﹃生 き が い に つい て﹄ の末 尾 に こう 書 き つけ た。 であ る。 そ れ が末 期 の人 を し て、 ﹃感 謝 ﹄ の中 に、 そ の 生 を 成 就 せ し め る力 にな る。﹂ ﹁末 期 の人 ﹂ は看 取 ら れ る だ け の人 では な い。 な お 与 え る こと も で ﹁臨 終 の床 にあ る人 が 、 も は や慌 てず 、 過 ぎ 来 し のす べ て を 受 容 し ﹁こう いう ひと に は、 も は や生 き が いを 求 め る 心 も 、 それ を 感 じ る能 だ 食 欲 だ け にな ってし ま ったよ う な ひと ﹂ を も 含 め て、 問 う て い る。 てし ま った ﹂ ひと 、 そ こ に ﹁高 齢 のた め にあ た ま が 働 か な く な り、 た て感 謝 の内 に、 ﹃迎 え ﹄ の時 を待 つ、 と いう ご と き そ の姿 自 身 が 、 人 力 も 残 さ れ て いな い の で はな いか 。 こう いう ひと にも な お 生 き る意 味 き る。 生 の成 就 の相 を人 び と に示 す と いう 形 で表 わ れ る。 そ の態 度 は残 さ れ 神 谷 自 身 、 ﹁これ こそ生 き が い の問 題 を 考 え る者 に と っ て、 何 よ り と いう も のが あ り う る の であ ろ う か 。﹂ 思 い起 し て い た だ き た い。 ﹃胱 惚 の人﹄ の中 で、 昭 子 は 門 谷夫 人 に、 も 一ば ん 痛 い問 い であ る。﹂ と認 め て い る。 神 谷 も ︿ボ ケ老 人 ﹀ は、 た 者 に、 人 生 の尚 さ を 教 え る無 限 の教 化 的 意 義 を も ってく る。﹂ ﹁私 も、 な ん だ か 似 た よう な 心 境 な ん です よ。 信 仰 って いう のか し ら 、 〈ボ ケ〉 る前 に 一佐 江衆 一 『黄 落 』の 提 起 した もの 一 大町 35 ﹁も は や生 き が いを 求 め る心 も、 そ れ を 感 じ る 能 力 も 残 さ れ て い な い も の﹂ であ る以 上 、 ﹁尊厳 死 ﹂ のカ テゴ リ ー に入 れ る 方 に組 し た い。 山 折 の言 う よ う に、 ﹁わ が 国 の仏 教 伝 統 のな か で こ こ ろ み ら れ てき た わ れ わ れ は ﹁ふ つう の精 神 機 能 を うば われ ﹂ る前 に、 つま り は ︿ボ の で はな いか ﹂ と言 って い る。 ﹁生 き が い﹂ を 問 う こと は でき な いが、 ﹁な お生 き る意 味 と いう も の が あ り う る﹂。 し か し 、 ﹁宗 教 的 な 心 の世 ケる ﹀ 前 に、 山 折 の言 う よ う な ﹁断 食 死 ﹂ を 選 ぶ のか 、 それ と も 、 死 え ぐ 生 命 の 一単 位 ﹂ にな る こと を ︿選 ぶ﹀ のか ど う か 。 筆 者 も む ろ ん 界 に身 を お く ひと ﹂ でな け れ ば 、 肯 定 的 な 答 え を 出 す の は難 し い の で 筆 者 の最 も 知 り た い と ころ でも あ る が 、 キ リ ス ト者 神 谷 も 詳 し く 論 そ う だ が 、 世 界 一の長 寿 国 日本 に生 を 享 け た 者 す べ てが 、 決 断 を 迫 ら も 老 いも ︿ボ ケ﹀ を も 受 け 容 れ 、 結 果 と し て、 神 谷 の言 う よ う な ﹁あ じ てい るわ け ではな い。 わず か 一ページ ほど の スケ ッチを、 それも ﹁:・ : れ て いる と 思 う 。 は な いか 。 にち が い な い﹂ と いう 言 い方 で、 残 し て いる にす ぎ な い。 の よう に、 た だ ﹃無 償 に﹄ 存 在 し て い る ひ と も、 大 き な 立 場 か ら み た 岡 本 祐 三 ﹃高齢 者医 療 と 福祉 ﹄ 岩 波 新 書 、 一九 九 四 年 参 考 文 献 人 間 の ﹁存 在 意 義 ﹂ は利 用価 値 や有 用性 に よ ら な い。 ﹁野 に 咲 く 花 ら 存 在 理 由 が あ る にち が いな い。﹂ 彼 ら も ま た ﹁私 た ち と 同 じ生 を う 岡本祐 三 ﹃ 医 療 と福 祉 の新 時 代 ﹄ 日 本 評 論 社 、 一九 九 三 年 神 谷 美 恵 子 ﹃生 き が い に つい て﹄ み す ず 書 房、 一九 八 〇 年 松 井 春 満 編 ﹃生 き る力 を 培 う教 育 ﹄ 学 術 図 書 出版 社 、 一九 九 二 年 山 折 哲 雄 ﹃お迎 え のと き﹄ 祥 伝 社 、 一九 九 四 年 キ ケ ロ著 、 八 木 誠 一・八木 綾 子 訳 ﹃老 年 の豊 か さ に つい て﹄法 藏 館 、 一九九九年 佐 江 衆 一 ﹃老 い方 の探 求 ﹄ 新 潮 社 、 一九 九 六 年 佐 江 衆 一 ﹃黄 落 ﹄ 新 潮 社 、 一九 九 五 年 深 沢 七 郎 ﹃楢 山 節 考 ﹄ 新 潮 文 庫 、 一九 八 七 年 早 瀬 圭 一 ﹃人 は な ぜ ボ ケ る の か﹄ 新 潮 文 庫 、 一九 九 七 年 早瀬圭 一 ﹃ 長 い 命 の た め に﹄ 新 潮 文 庫 、 一九 八 五 年 有吉佐和 子 ﹃ 悦 惚 の人 ﹄ 新 潮 文 庫 、 一九 八 二 年 け た 同 胞 ﹂ で あ る 。 ﹁大 き な立 場 ﹂ あ る いは ﹁大 き な 眼 ﹂ と い う 言 葉 を 使 って い る。 す な わ ち 、 キ リ スト教 の ﹁神 ﹂ か らす れ ば と い う こと であ ろ う 、 いず れ も ﹁か け が い のな い存 在 であ る に ち が い な い。﹂ と 書 く。 人 間 が 精 神 的 な 存 在 であ り え た のも 、 ﹁生 命 に育 ま れ 、 支 え ら れ て 来 た か ら こ そ﹂ で あ る。 ﹁た だ ﹃無 償 に﹄ 存 在 し て い る ﹂ だ け で意 味 が あ る。 つま り 、 生 き て いる こと それ 自 体 に意 味 が あ る、 と い う こと であ ろ う。 岡 本 祐 三 は ﹃黄 落 ﹄ に お け る 母 を ﹁食 を 絶 って自 死 を 選 ﹂ ん だと 書 い て い る。 ﹁断 食 死 ﹂ は 果 た し て自 殺 であ る の か、 そ れ と も 能 動 的 な ﹁尊 厳 死 ﹂ の 一形 態 であ る のか 。 論 議 を 呼 ぶと こ ろ であ ろ う。 筆 者 は、 奈 良 大 学 紀 要 36 第28号 Avantd'etreatteintparlasenilite‐laquestionques'estposeShuichiSAEdans "Lachutedesfeuillesjaunies"‐ IsaoOMACHI ノ resume ノ LadureemoyennedelaviehumaineauJapon,estde84anschezlafemme,etde 77anschez1'homme.Danslemondecesont1'hommeetlafemmequiviventleplus longtemps.Commenttraite-t-onlesvieuxparentsdansleJapond'aujourd'hui?C'est untresgraveprobleme.Pouvons-noussoignerlesparentscheznous?Sinouslesconfionsaunetablissementd'assistancepublique,peut-onresoudreceprobleme? Lapersonned'unageavance,peut-elletrouveruneraisondevivre.Quelleestlaphilosophiequ'elledoitavoir?Danscetessai,jetraitequelquesproblemesconcernantceluiquiestsoigneetceluiquilesoigne,etcequetonsdeuxdoiventpenerdesenilite avantd'ydevoirfaireface.
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