歴暑 一 房 洞 通 信 十 四号 平 成 十九年 六 月 二十七日 発行 回 帰 洞 鹿 鳴 市 宮 中 一︱五上 〓二 ね た 練 達 の古 武 士 の 姿 で あ つた の で 。 ある そ し て 武 士 道 帰 、 回 武 道 、 毎 年 六 月 の第 二 日曜 は 鹿 島 神 宮 。 の武 道 の 日 であ る 鹿 島 神 官 神 前 に お い て の古 武道 碁 、 納 演 武 は 昭 和 四十 五 年 に 塚 原 卜 伝 鹿 島 神流 、 午 前 中 は 塚 原 卜 伝 ゆ か り の鹿 島 新 、 、 鹿島 神 伝 当 流 を は じめ 鹿 島 を 発 祥 の地 と 、 直 心 影 流 と いう 天真 正伝 香 取 面前 で行 わ れ る よ う に な った 明 治 以 、 。 回数 と し て は 少 い 、 現在 で も鹿 島 新 当流 の 、 窓 は のぞ か れ な い 小 、 弟 子も し く さ な 高窓 があ る限 り で 道 場 は 小 さく た と えば 異を 掻 か れ る お そ れ が あ れ た 刀 法 も一 。 一 る 許 さ な い こと を 堅 く 守 って き た か ら 。 であ る 、 他 見 を 許さ ば 秘 技 を 破 る方 策 を 、 練 る の は当然 であ っ て い か な る 秀 、 そ れ は 武 技 が 生 命 を 賭 し た いわ 、 ゆ る 秘 技 であ って 古 武 道 は他 見 を 降 に 遡 るが 単 発 的 に は 古 武 道 の演 武 が 大 衆 の 十 八 回 を重 ね た 歿 後 四 百年 を 契 機 に 神 前 奉 納 を は じ 、 め て か ら で 平 成 十 九 年 の今 年 で 三 。 す る古 武 道 各 流 派 と 、 神 道 流 を はじめ 毎年 参 加 さ れ る七 。 流 派 に よ って奉 納 演 武 が 行 わ れ た 今 年 は 正 午 近 く に は大 雷 雨 と な つ 、 て 稲 光 り と 共 に 雷鳴 が 轟 く神 前 に 、 、 お いて 鹿 島 新 当 流 の岡 見 内 田両 、 師 範 が 真 剣 を 振 う 姿 は 多 く の人 々 。 に 深 い感 銘 を 与 え た よう であ る 、 正 に 古 武 道 の真 髄 を 表 現 し て も 。 の に動 じ な い姿 が 其 処 に は あ った 不 動 心 と も 表 現 す る こと が でき る と 。 思う 、 大 雷 鳴 に身 が 震 え 手 許 に いさ さ 、 か な り と も 狂 いが 生 じ れば 刃挽 き 。 の 刀 であ っても 傷 を負 う 両師 範 の 、 古 武道 に半 世紀 の歳 月 を 重 演武は は 関 係 者 以 外 が 垣 間 見 る こと は 不 可 。 能 であ る 、 戦 国 時 代 ま で の 甲 膏 を 着 用 した 、 、 、 武 士 と 戦 う に は 兜 鎧 胴 寵 手等 、 の金 属 で守 ら れ た 部 位 を 除 き その 。 隙 間 を ね ら う 剣 法 が 主 流 で あ つた 。 これ を介 者 剣 法 と いう 、 甲青 が 無 用 の 江 戸時 代 にな って 、 時 代 と も な る と 介 者 剣 法 は衰 退 し 、 。 て 新 ら し い剣 法 が 興 隆 し た そ の 稽 古 は時 代 を 経 て 木 刀 か ら 竹 刀 へと 、 、 、 、 面 胴 籠 手を着 け て 丁 々 変り 。 発 止 と 打 ち 合 って技 を 磨 いた 現 代 の剣 道 は こ の竹 刀剣 法 の集 大 。 成 と も いう こと が でき る 、 鹿 島新 当 剣 道 は 段 位 を 中 心 に体 系 づ け ら れ 、 て 稽 古 が 進 めば 段 位 は 容 易 に昇 る 、 こと が で き 励 む こと への意 欲 が 湧 。 く利点が あ る これ に 対 し て古 武 道 は 、 、 、 、 流 を 見 て も 目録 印 可 免 許 皆 、 伝 の四 種 に 止 ま り 他 の古 武道 も 同 、 、 剣 道 の五 級 か ら 始 ま り 十 段 様で 階 の段 位 ま で昇 る 多 様 さ に は到 底 か 。 な う と ころ で はな い スポ ー ノ性 を 、 持 ち 青 少 年 の励 み と な る 剣 道 と は 。 比較 にな ら な い の は当 然 であ る しか し 、 古 武 道 も 若 者 たち に 見直 、 毎 回 の本 納 演 武 でも さ れ つ つあ り 世 代 交 替 が 行 わ れ て き て い る こと は 。 確 か であ る 。 二年 後 の第 四 十 回 奉 納 演 武 は 五年 、 二 十 流 派 前 後 の参 毎 の大 会 に 当 り 加 が 予定 さ れ る 平 成 元年 の卜 伝 生 誕 五 百 年 記 念 大 、 、 、 会 に は 甲 源 一刀流 示 現 流 兵 法 、 、 兵 法 二 天 一流 柳 生 新 陰 流 兵 法 柳 、 、 生 心 眼 流 体 術 新 陰 流 兵 法 馬庭 念 、 、 水 鴎 流 等 々 若 名 剣 士 の名 を ほ 流 う と 思 い浮 ば せ る 古 流 の参 加 を つ ふ 、 頂 いた が ま た 素 晴 ら し い流 派 の参 。 加 を 期 待 し た いも の であ る 、 、 さ て 武 道 の 日 の午 後 は 小 笠 原 。 流 一門 に よ る 百 手 式 の奉 納 で あ る 、 弓 術 の兼 時 ら し さ が 奥 参 道 に お い 、 ら て り げ わず 眼 見 が れ 学 思 繰 広 者 。 を 見 開 く 光 景 が 続 く の であ る 。 武 道 の 日 武 道 の基 礎 を 築 か れ た 多 く の 人 々 に感 鹿 島 神 宮 の御 祭 神 武 甕 槌 大 神 の神 威 、 を 仰 い で行 わ れ る演 武 は 六 月 の梅 、 大 雷 雨 をも の 雨 期 で は あ るけ れ ど 、 と も せず 実 施 さ れ 。 動 を も た ら した 武 士 道 精 神 の発 露 と も いえ る 一日 であ つた 。 - 1 - 武 道 は鹿 島 神 官 の御 祭 神 であ る武 た け み か づち のか み︶ か ら 甕槌神 ︵ 。 。 始 ま る よ って武 道 の祖 神 と いう 、 あ ま てら 神 代 の昔 天 照 大 御 神 ︵ 、 す お お み か み ︶ の命 を奉 じ て 武 饗 、 大 国主 命 ︵ おお 槌 神 は 出 雲 に降 り く に ぬ し の み こと ︶ と 国 譲 り の話 合 、 国 を ひ と つに ま と めあ げ いを さ れ ら れ た と 古 事 記 に あ る。 日本 書 紀 に は経 津 主 神 ︵ ふ つぬ し 武甕 槌 神 のか み︶ と いう 香 取神 宮 の御 祭 神 と 、 同 行 し と 書 か れ て いるが の神 剣 を 師 霊 剣 ︵ ふ つのみ たま の つ 、 神剣 の霊 るぎ ︶ と す る と ころ から 位 を 入格 神 と す る考 え方 も 古 く か ら 。 伝 え ら れ て いた し か し 剣 を た ず さ え て行 っても 剣 、 大 国 主 命 の御 子 の を 振 う こと な く 建 御 名 方 神 と の力 競 べ で国 を統 一し た そ の神 武 を た た え て武 道 の祖 神 と 。 仰 ぐ の であ る 漢 字 の発 生 時 に 文 を 止 む と書 い て 、 ﹁ 武 ﹂ の文 字 が で き た よ う に 武 と ひと ︶ が境 内 の高 天 原 に祭 壇 を築 い 、 大 神 か ら 節 霊 の法 則 を 授 て熱 祷 し け ら れ た のを 日本 の武 道 の 発 祥 と す 。 Z O 。 は 多 用 さ れ て いな い 武 者 溜 ︵ だま 、 、 、 り 、 荒 ︶ 武 落 武 者 者 武 者 人形 等 々 。 武 者 と 表 現 し て いる 、 戦 国 時 代 を 終 え て 日本 人 が 棄 て 。 た も のは 鉄 砲 であ る 武 士 た ち は戦 国 時 代 に 多 用 し た 鉄 砲 を 武 士 の持 つ 、 。 武 器 と は しな か った ち な み に 日 、 本 軍 は 昭 和 二十 年 の敗 戦 ま で 明 治 。 時 代 の鉄 砲 で戦 って いた のであ る 、 鉄砲に 他 の武 器 は改 良 を 重 ね ても これ よ り鹿 島 七 流 と いわ れ るよ う 、 、 に 鹿 島 香 取 両神 宮 の神 官 が 武 技 、 。 を 伝 え 武 道 が振 興 し た 、 貴 族 を中 心 と した 平 安 時 代 か ら 、 武者 を 中 心 と した鎌 倉 時 代 と な り 、 多 く の合 戦 か も 知 れ な いと 思 う 戦 国時 代 の経 験 か ら 各 地方 戦 場 の道 徳 激 しさ は勇 気 と 共 に 必 要 久 く べ か つ人材 は 皆 無 に 近 い状 態 であ つた 新 政 府 の役 に立 。 。 ポ ﹂ と いう 音 で く く ら れ た 気は ﹁ 、 、 薩 摩 ッポ 土 佐 ッポ 水 戸 ッポ が 、 そ れ であ り と く に水 戸 は 三分 し て 、 、 争 い 明 治 維新 後 薩摩 思 想 を拒 否 し て ﹁ 業 隠 れ ﹂ と いう 特 。 異 な 武 士 道 を起 し た 、 、 土 佐 水 戸な ど 独 得 の雰 囲 え 方 が異 な り 各 藩 に よ つて基 礎 的 な 考 、 中 でも 佐 賀 で は 儒 教 、 倫 理 が考 え ら れ 江 戸 時 代 に 入 る と 。 武 士 道 論 が 活 溌 にな った 、 、 武 器 と いう 意 識 が 乏 し か った の 。 武 技 ほ益 々盛 ん にな り 古 く から 存在 し 、 戦 国時 代 に は 重 き を 置 かな か った 日本 人 の心 情 に 、 、 敵 味方 、 永く を 経 て武将 た ち に倫 理 感 が 生 れ て く 。 る こと とな る 平 安 末 期 の平家 滅 亡 の折 の若 武 者 た ち が 見 せ た 心 情 は 平 家 物 語な ど に よ つて 語 り 伝 え ら れ 。 て いく 、 、 、 、 、 仁 義 礼 智 信 そ の他 の理 、 念 が 美 しく 燃 え 上 る のも 鉄 砲 伝 来 、 ま で で 戦 国末 期 は 倫 理 感 を 失 って 、 荒 れ 狂 い 容 易 に主 君 を 裏 切 る こL 。 が 可 能 であ った で 古 語を 意 味して 、 よ う や く 江 戸時 代 と な り 平 和 を 、 取 戻 し たL き 荒 武 者 た ち は 儒 教 的 。 観 念 の下 に 武 士 と し て生 れ 変 わ る は平 和 を 創 り 出・ す 力 を あ ら わす と い う こと が で き よ う。 、 第 十 六 代 仁 徳 天 皇 の御 代 に 鹿 島 た こと が 理解 さ れ る が 武 士 と いう 文字 は も の の か と 読 ん 、 く にな づ ま の神 官 であ る 国 摩 真 人 ︵ ら ざ るも の であ る が 、 忍 耐 のな い激 し さ は自 滅 を も た ら す も の で あ る。 外 国 人 に 日本 を 日 人を 理 可 本 、 新 渡 戸稲 造 の ﹁ 武 士 道 ﹂ と いう 名 、 、 著は 解 し ても ら う た め に書 か れ 現在 英 語版 、 世 だ け でな く 世 界 各 国 語 に 訳 さ れ 、 界 の人 々に熱 読 さ れ て い る が の 日本 人 の幾 人 が こ の内 容 を 理 解 で 。 き よう か 、 現 在 時 代 小説 に秀 れ た 作 品 を 見 、 、 出 す こと は容 易 であ る が 反 面 武 、 士 道 の理 解 も な く た だ 剣 を も て あ そ ぶ 殺 人者 を 画 く 小 説 も 多 く な り つ 。 。 つあ る 礼 を 知 ら な い の で あ る 仁 。 を らな の い であ る 義 を わ き ま え 知 。 な い の であ る 、 大 正 昭 和 の 日本 が 追 い つめ ら れ 、 、 た 時 代 でも 各 所 答 人 に 武 士 道 が 、 発 揮 さ れ て い る のを 見 て 狂 気 ば か 。 り つ と の は な 時 で か た 代 か する 安 堵 、 、 今 の時 代 平 和 で はあ る が 人 の 。 心 に武 士道 は な い 今 こ そ 厳 し く 学 、 武 士道 を 人 心 に取 戻す 努 力 を 続 び け た いも の で あ る。 武 士 道 協 会 の設 立 が 時 宜 を 得 た も 、 あえ て 一 の であ る こと を 確 信 し て 文 を 草 す る 次 第 であ る。 矢 作 幸 雛 記
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