昭和 年 月 日 第 種郵便物承認 広島県医師会速報(第 号) 年(平成 年) 月 日( ) 古い写真 広 島 大手町こぶけ内科クリニック(内科・糖尿病内科) No.12 小武家 暁子 (広島市医師会だより No. ・ 月号より転載) 昔の白黒写真を見るのが好きだ。例えばハワ イの博物館で見た、初期の日系移民の人たちが、 サトウキビ(?)畑の前で写っている写真。暑 い国の戸外にも関わらず、きちんと背広を着て 並んでいた。苦労してやっと大きくした農場な のだろうなと思いを馳せる。 あの白黒の色はセピア色というのよ、烏賊墨 の色なんだってと、文学少女の友達に教わった のは高校の時だった。セピアの美しい響きのお かげでますます古い写真が好きになった。 年以上も前の名も知らぬ人の写真でさえ、 興味をそそられるのだから、いわんや家族の子 供時代の写真をやである。引っ越し荷物の整理 で一番手こずるのが古いアルバム。うっかり開 けたらつい眺めてしまって作業がストップして しまうし、開けずに捨てるわけにもいかない。 亡父の趣味の一つが写真だったから、ちゃんと したアルバム以外にも貼りきれなかったプリン ト、ネガ(懐かしい写真屋さんの名が袋に印刷 してある!)、スライド、 ミリフィルムが段 ボール箱山積み。デジタルカメラになっても自 分でプリントして配っていたので、やはり紙の 遺物が残っている。 私より 歳年上の叔母は両親と兄姉を送り、 最後に一人暮らしの伯母(叔母の姉)の遺品整 理の時、数冊のアルバムをこともなげに廃棄用 の箱に入れた。 「伯母ちゃんの写真捨てるの?」と聞いたら 「だって私以外の人はもう見ないと思うし、狭い マンションに置くとこないわ。今終活中なのよ。 遣された人が困らないように捨てるべきものは 捨てないと…」 写真の運命は色々だ。東日本大震災の後、瓦 礫を掘り返して家族の写真を探しておられる人 たちがたくさんあった。泥の中から写真を集め て洗い、持ち主を探して届けるボランテイアも いた。 枚でいいから亡くなった人の写真があれ ば、その人は傍にいてくれる。写真があるとな いとでは心の持ちようが違う。 やはり写真は大切だ。簡単に捨てるわけには いかない。でも場所ふさぎ。ならばデジカメで 複写してパソコンに収めればいいかも。c l o udな ら何万枚だって保存できる。 しかし、そのファイルを開けて見る人が何人 いるだろうか? 「社長、これら決済済みの書類は廃棄してよろし いですか?」 「うーんそうだな。一応コピーを取ってから捨 ててくれ。」という笑い話に似ている。 義兄は、義父の法事や、義母の喜寿祝いの時 に、古い写真の中から特徴的なものを選んで複 写し、パソコンで編集して家族親戚に配ってく れた。これは素晴らしいアイデアで、その一冊 があれば、後日子孫が他の写真を廃棄しても罪 悪感を持たずにすむだろう。私も真似してピッ クアップアルバムを作ろうかな。だが選ぶ作業 も膨大で、かつ難しい。 「これ懐かしいなあ、昭和 年代の広島駅前が 写ってる。貴重だからとっとこうよ。」 「お母さん、そういう記録的写真は中国新聞にま かせて。はい!捨てた、捨てた!」 子供たちの厳しい監修のもと、古い写真との 格闘は続く。
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