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第 11 回 野遊びと刃物~ガキ大将キャンプで30年間ナイフを与え続けて~

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第 11 回
野遊びと刃物~ガキ大将キャンプで 30 年間ナイフを与え続けて~
講師/黛徳男(アドベンチャー集団!Do 代表)
司会/鹿熊勤(日本エコツーリズムセンター)
【まゆずみ・とくお】1955 年群馬県下仁田町生まれ。現在、群
馬県高崎市在住。1975 年から航空自衛隊勤務の後、自転車によ
る日本一周を行なう。その後、群馬県の地方出版社「あさを社」
勤務を経て、1981 年、アドベンチャー集団Do!設立。代表に就
任。1982 年、子どもたちのための冒険キャンプ「ガキ大将・ス
クール」創設。現在、榛名湖オートキャンプ場代表、群馬県ユー
スホステル協会常任理事兼事務局長、日本オートキャンプ協会理
事、ぐんま環境教育ネットワーク理事などを務める。年間を通して自然体験事業を主催・受託
し、年間約 4000 人の子どもたちを受け入れている。また、榛名湖オートキャンプ場は、年間約
1 万人の受け入れで 95 %以上がファミリーの利用となっている。
黛 群馬県から参りました黛と申します。アドベンチャー集団 DO!という団体を 1981 年
に立ち上げまして、翌 82 年から子供の冒険キャンプ『ガキ大将・スクール』を開催してい
ます。今年で 33 年目の活動になるんですけれど、一貫したテーマは「冒険心」や「野生感
覚」です。ですから、子どもが刃物を使うことは当たり前という感覚で、その方針は最初
も今も少しも変わっていません。8年ほど前から群馬県の榛名山の標高 1000 メートルちょ
っとのところにある榛名湖オートキャンプ場の管理運営をしています。ここは群馬県が作
ったキャンプ場なんですが、運営していた外郭団体が解散してしまったため、我々がここ
の運営を引き受けることになりました。当初のガキ大将・スクールは群馬県の上野村…日
航機が墜落したあの村ですね。そこで長年やっていたんですけれども、8年前から榛名山
の山頂にフィールドを移しております。気がついてみると、参加した子供たちの数はのべ
2万 5000 人くらいで、33 年も経っていた。そういう感じです。
鹿熊 ひとつの団体の活動ではありますけど、33 年も続けると2万 5000 人もの子供たち
に刃物の基本的な使い方を教えることができる。すごいですね。たいへんな教育効果だと
思います。こういう取り組みが全国に広がれば壮大な掛け算になっていくのではないかと
思います。しかし、33 年も続けてこられた間には御苦労や課題もあったのではないでしょ
うか。そのあたりのお話からうかがいたいと思っています。そもそもアドベンチャー集団
DO!というのは、どういう経緯で結成されたのですか?
黛 じつは設立の3年ほど前…1970 年代の末になりますけれど、国内のいたるところで校
内暴力がすさまじい勢いで広がっていました。その時すでに、DO!というグループの元は
出来ていたんですけど、当時やっていたのは大人どうしのサバイバルでした。冬の雪山に
入って何日もビバークするとか、冒険的なアウトドア活動を仲間内で楽しんでいたんです
ね。たまたまそのメンバーの中に新聞記者が3人くらい入っていまして。一杯飲んでいる
とき、職業柄「最近どこでも校内暴力がひどいんだよね」という話が出てきました。それ
はなぜなんだろうという議論になって、ひとつの推論として「体験の不足じゃないか」と
いう話が出てきたんです。自然の中では、どうにもならないこともあるし、失敗もします。
アウトドアというのは、ある意味で自然に歯向かうことの出来ない人間の弱さを肌で知る
場だったはず。子どもたちが外遊びをしなくなったことで、そういう体験を得られなくな
ったことが、学校にはけ口を求める背景のひとつじゃないだろうか。それからもうひとつ
の理由は、ガキ大将グループの喪失ではないか。ガキ大将が存在したときは、縦割りの人
間関係…社会の縮小版ですね。ある程度の秩序や約束事を集団遊びを通じて学んでいたの
だけども、そういう関係性が子どもたちの世界から消失してしまった。それが 70 年代の後
半なんです。
ガキ大将グループというのは、昔はみんな肥後守(ひごのかみ)を持ち歩き、それを道
具として毎日の遊びを創造してきたわけですね。もちろん怪我もしたわけですが、異年齢
で交流せず、外で遊ばず、小刀を使うこともしなくなってきた。その結果、刃物の怖さと
か刃物によって怪我をする痛みとか、痛みを知ることで学ぶ相手への配慮や思いやりもな
くなってきたのではないか。そんな話が総括のように出てきて「だったらガキ大将養成学
校みたいなものをやろうではないか」ということになったのです。
最初の活動場所にしていた上野村は、日本のチベットと言われるほど不便な山村で、道
路も当時は砂利道の連続で、県内からでもたどりつくのに半日、帰ってくるのにまた半日
もかかるようなところでした。当時の上野村には黒澤丈夫さんという有名な村長さんがい
らっしゃいました。日航機墜落の時には捜索活動の陣頭指揮をとった、とても人望のあっ
た方ですが、黒澤村長に「じつはこの上野村で自然体験をさせる活動をしたいんだ」と話
をしにいったんです。私たちの話をじっと聞いていた黒沢村長は、最後にこう言ったんで
す。
「ところで、君たちは今の教育についてどういう考えを持っているのか聞かせてほしい」
と。
私たちは、今の世の中は学校の先生や親のいうことをよく聞いて、問題を起こさずに勉
強がよく出来る子が良い子だといわれている。そうじゃない子は悪い子だといわれている。
けれど、それは違うのではないか。むしろ悪い子といわれているような型にはまっていな
い子供の方が、自己表現力だとか個性的な才能を持っていて、将来的にはそういう子の中
から日本を引っ張っていく人材が出てくるんじゃないかと。
規格化されたような良い子ではなく、規格外の個性的な子を、自然の中での遊びを通じ
て育てていきたいんだという理想をお話したら、黒澤村長はいきなり立ち上がって、机を
どんと叩いたて言いました。
「君、その通りだよ! 私も常々そう思っていたんだ。君たち
みたいな人たちがやるんだったら、今年廃校になったばかりの学校を全部貸してやるから
使いたまえ」
。ということで、とんとん拍子に場所が決まり、その年からガキ大将・スクー
ルをやるということになりました。
最初の名前はガキ大将養成学校という名前を付けていたんですけど、どうも養成という
のは良くないね、じゃあガキ大将学校だと。でも、校内暴力が吹き荒れているところに学
校というイメージを持ってくるのもイマイチではないかということで『ガキ大将・スクー
ル』に決まりました。
鹿熊
今のお話を聞いて思い出したのが、江戸木挽きの方の言葉です。大きな大木を手ノ
コで切って、いわゆる銘木と呼ばれる木目の美しい板を作る職人さんなんですが、林以一
さんというその木挽きさんから聞いた、すごく印象的なお話です。「素直にまっすぐ育った
木は銘木にならない。年輪が単純すぎて面白みも味わいがない。ちょっといじけて育った、
暴れて育ったとか苦労して育ったくらいの木のほうが、木材にしたときに味わいのある模
様になる」と。人間も木も同じなのだなあと。そういうことをやろうというのだから、ア
ドベンチャー集団DO!も変わった人たちの集まりだと思うのですが、黛さんはもともと
何をしていらっしゃった方なのですか。
黛 航空自衛隊に3年間いまして、そこでお金を貯めて自転車で 1 年半くらいかけ、日本
一周をやりました。仲間たちも変な連中で、沖縄とか北海道で野生生活をずっと送ってい
た奴とか、バイクで南北米大陸を縦断した奴だとか、サハラ砂漠の横断に挑戦したりだと
か、そういう冒険野郎たちが集まっていました。
鹿熊
おそらく、そういう人たちだからこそ、道具を使いこなすことの重要性だとか、人
間関係の大切さを痛感したんでしょうね。チンパンジーの研究をされている松沢哲郎さん
という先生も面白いことを言っていました。チンパンジーの社会でも縦の家族関係、横の
友達関係があるのだけれど、もうひとつ大事なつながりが斜めの関係だというんですね。
人間社会でいうと、ご近所のおじさん、おばさんやお兄さん、お姉さんです。チンパンジ
ーの世界でも、その3つのつながりがないと子どもは健全に育たないというんです。DO!
のメンバーや当時の黒澤村長は、いわば、その斜めの関係になろうとされたと思うのです
が、ガキ大将・スクールという活動に、当時、子を持つ親御さんはどんな反応を示された
のでしょうか。呼びかけなどで苦労されたのではないですか。
黛
新聞記者をしている3人のメンバーが非常に大きな力を発揮しましてくれました。試
行段階だということで 25 人限定にしました。それを地元紙である上毛新聞が取り上げてく
れ、3日間ぐらいで 25 人集まりました。最初は3年生以上の男子のみということだったん
ですよ。そしたら記事を書いた上毛新聞の女性記者が「おかしいじゃない。女の子にだっ
てガキ大将はいるんだよ」と注文をつけられた。そこで翌年からは小学校 1 年生以上の男
女にしました。この2年目のスクールは全国版の記事になったので 460 人くらい集まりま
した。3年目は全国版に見開き2ページで特集的に掲載され、朝から晩まで電話が鳴り止
まない状態が何日も続き、結果的に 1000 人を超える子供たちを引き受けました。
鹿熊
それだけニュースバリューがあったから取り上げられたんでしょうね。具体的には
どんな反応がありましたか。
黛
そのころは、今の自然学校のような組織はあまりなかったですね。全国に数えるくら
いしか存在しませんでした。あの有名な国際自然大学校もなかったときです。電話をかけ
てくる親御さんの中には、子供だけが参加できる、こういう自然体験の場を探していたと
いう方が多くいらっしゃいました。もうひとつのパターンが、問題を抱えた子供を立ち直
らせる場を求めていた親御さん。不登校が一番多かったですかね。引きこもりの相談もあ
りました。でも、圧倒的に多かったのは普通の子供たちです。自分の子どもに自然体験を
させたいというシンプルな動機ですね。
鹿熊 募集は群馬県中心だとか、そういうことはないんですか?
黛
最初は県内を想定していたんですけれど、全国版の新聞に出てしまったもので。大変
だったんですが、引き受けることにしました。北は北海道から南は九州まで参加者がいま
して、前日から飛行機に乗ってくるとか、親が車で送ってきて、親は近くの宿や民宿に泊
まって子供だけが参加する、また終わったら連れて帰る、そういう方もけっこういらっし
ゃいましたね。
鹿熊 80 年代はじめから自然体験のニーズは高まっていたということですね。その後、全
国にさまざまな自然学校が誕生して、今は全国調査でも 3000 以上という数字が出てきてい
るわけですけれど、そのなかでDO!のガキ大将・スクールの方針とか、名物プログラム
はなんでしょうか?
黛
とにかく「ワイルド」というのが根本で、そのひとつが刃物を使わせることでした。
最初に 25 人で始めたときは、鋼の肥後守を全員に渡していました。握りになる鞘の部分も
金属でできた、スタンダードの肥後守です。その後、人数が
増えてからは樹脂製の鞘とステンレス鋼製の肥後守タイプ
のナイフに変わっています。刃物を使って何をするかは時代
によって変わるんですけれど、最初から今までずっと通して
きた基本プログラムは、自分で使う箸は自分で作ろうという
ことです。箸を作らないとご飯は食べられないということで、
5歳や 6 歳の子にも自分で削らせます。
ドラム缶風呂や川遊びもずいぶんやりました。上野村でや
っていたときの目玉は移動キャンプですね。テントから寝袋、
食料、食器、調理道具といった一式を、1 班…だいたい8人
前後なんですけど、そこに大学生のリーダーを1人付け、分
担して背負わせ旅立たせます。当時の上野村にはキャンプ場
として整備されているところは2カ所ぐらいしかなかったので、ほとんど川の近くでのキ
ャンプでした。移動して気に入ったところがあれば、そこにテントを張って火を起こし、
食事を作って泊まって、翌日川遊びをして、また新たな場所に移動してテントを張るとい
うことを繰り返す移動キャンプです。
鹿熊 2013 年の実施要綱を拝見しますと、今はサバイバルコースというのがあるんですが、
これは当時からやっていらっしゃる?
黛
サバイバルは冒険の基本だということで、2年目から実施しています。文字通り生き
残るための知恵と技術を学ぶというものですので、核となるのは火起こしですね。全員が
火起こしをできるようにする。それからナタの使い方を覚える。持っていった食料だけで
はなく、食べられるものを自然の中から見つける。多かったのはカエルとヘビですね。な
ぜなら、子どもがいちばん見つけやすい生き物だからです。サバイバルの参加者はほとん
どがカエルとヘビを食べていると思います。これは本当に貴重なタンパク源です。
下手すると、おかずの類がキャンプの途中でなくなって、米と小麦粉だけになってしま
う。そういうものも捕まえて食べないと体力的にもたないので、みんな必死になって見つ
け、ナイフでさばいて火で調理します。
鹿熊
ブログラムでは否応なしにナイフも使わざるを得ないですが、親御さんのナイフに
対する感覚や理解というのはどんな感じですか。時代によっても違うかもしれないと思う
し、アレルギー的な反応は当時からある程度ついてまわったと思うのですけれど。
黛
子どもに濃密な自然体験はさせたいけれど、ナイフを使わせることには抵抗やためら
いがあるという親御さんは昔も今もいます。そのために、ナイフに関する説明というんで
すかね、それはかなりやってきました。皆さんにお配りしました資料は実施要綱の抜粋で
すが、これはナイフに関する説明です。できるだけ保護者の目につくように、しつこいく
らい書いてあります。
最初の頃は我々も手探り状態で、怪我もたくさん起きました。今はもうほとんどないん
ですけど、過去数年間でごくわずかな例ですが「うちの子にはナイフを持たせないでくれ」
という申し出もありました。その場合は参加をお断りしています。子どもにナイフを使わ
せる意味についてきちんと説明したうえで募集をかけているので、たいていの親御さんは
納得したうえで参加をさせているはずです。
鹿熊
あらためて拝見すると、この資料にはすごく大事なことが書かれています。キャン
プではいろいろな怪我をするけれど、際立って多いのがナイフの傷ですと。こういう体験
活動は怪我に結び付くこともありますが、じつは怪我をすること子供たちにとっては大事
な体験ですと保護者向けの説明に書いてあるんですね。これもびっくりしたんですが「サ
バイバル体験ではじめて怪我をして血を見て、ショックな場合は貧血を起こしてしまう子
がいる」というようなことも書いてある。すごく印象的なんですよね。
黛
最初にこれくらい念を押して覚悟を問うておかないと、怪我をして帰ってきた場合に
クレームになる可能性があります。怪我をすることは野外活動では当たり前だし、それも
貴重な体験のひとつですというふうな説明がしてあると、保護者としても納得をしやすい
ので、クレームという形には至らない。こういう事業をするにあたっては、大事なことな
んじゃないかなと思います。
鹿熊 親御さんには具体的にどう理解していただくのですか。
黛
申込時にこれを読んでいただいて、趣旨に賛同して参加を申し込みますということで
署名していただくようになっています。読んでいやだと思った親は参加させませんよ(笑)。
鹿熊 そういう方もいらっしゃる?
黛
資料請求後、ナイフの記述について質問してくる
方がときどきいますね。その結果、参加させないと判
断する方もいると思います。
鹿熊
子供たちにどのようにナイフの使い方を教えて
いるかに興味があるのですが。
黛
スクールが始まった頃は、体で覚えるって言うん
ですかね、体験しながら覚えればいいんだという考え
で、使い方は教えなかったんですよ、あえて。当然の
ことながら怪我が多発しました。片方の指全部にバン
ドエイドを貼った子もいました。最初の頃は、一夏で使ったバンドエイドの数が 3000 枚と
か 4000 枚になりました。延べ 500 人分くらいです。
しかし、あえて教えないという方針は、途中から転換せざるを得ませんでした。あると
き、ナタによる大怪我が連続して起こったんですね。いずれも骨が見えるほどの怪我でし
た。すぐに入院して手術。そういう事故が3件も続いてしまったんです。当時、高学年の
子にはナタを使わせていたんですけれど、キャンプリーダーが目を離したすきに、ひとり
は手の甲にナタを振り下ろしてしまった。もうひとりは親指と人差し指の間を切り裂いた。
これはちょっとまずい。子供の資質が、思っていたより違ってきているんじゃないのかと
反省し、最初に刃物の基礎を重点的に教えるようにしました。
次の年からは、まず子供たちが全員集まった場と、班に分かれてキャンプリーダーがつ
いて箸を作る前に、刃物の使い方を教えます。危なっかしい使い方をしている子に個別に
教えるということをやるようになりました。以後、大きな怪我は起きなくなりましたが、
ある時期に、試みとしてあるデモンストレーションをするようになってから、事故の件数
が5分の1くらいに激減しました。
ただ教えるだけでは、怪我はなくならないんです。そのデモンストレーションを、今か
ら少しやってみたいと思います。
子供たちには最初「このナイフはとても切れるんだよ」と言います。そして、畳んであ
るナイフを開き「この飛び出したところを親指でしっかり押さえながら削るんだよ」
「人に
向けてはいけない」
「よく見てないで刃のところを指で押さえると怪我をしちゃうよ」とか
「木に穴をあけるときにぐりぐりしちゃいけないよ。ぐりぐりするとすごく力を入れるこ
とになるので、刃が外れたらぐさっと手を切っちゃう」というような注意も行ないます。
実際、ナイフによる怪我は穴をあける作業の時に多いんですね。子供たち何でも穴をあけ
たがる。そのとき勢い余って切ってしまうんです。
でもね、口で言うだけじゃダメなんですよ。だから目の前で紙を切って見せたんです。
「ほ
ら、このナイフはよく切れるでしょう。すごいでしょ、こんなによく切れるんだよ。紙が
こんなに切れるということは、君たちの指も本当によく切れちゃうよね」というと、ハッ
とするわけです。そこで「指を切ると痛いよね。血も吹き出すよ。だから注意してちゃん
と正しい使い方しようね」と説明をしまし
た。そしたら、その後はケガが5分の1ぐ
らいに激減したんですね。
鹿熊
ある時期からそういう説明をしなけ
ればならないほど事故が多発しだした。何
年くらいの話ですか?
黛 15、16 年前だと思います。平成入って
ちょっとしたあたりじゃないかと思います。
鹿熊
じつは子どもが外遊びをしなくなっ
たとか、卵を割れないとか鉛筆を削れないとか言う話は昭和の後期からあるのですけれど、
子どもたちの指先感覚のレベルは、その後もどんどん下がってきているということですね。
黛
ガキ大将・スクールのキャンプに来るまで、刃物を使ったことがないという子もいま
す。衝撃だったのは、刃物を使ったことがないという子に「おうちでお母さんが包丁を使
っているでしょ」と聞いたら「お母さんは使ってない」というんですね。えっと思い「ご
飯を作るときに包丁使うよね」と聞いたら「使わない」。「包丁が家にないの」って聞くと
「ない」っていうんです。
「じゃあ、お母さん何を使って料理するの」と聞いたら、ハサミ
だという。その子の家には包丁がなかったんですね。なので、こういう(包丁型)の調理
具ははじめて見たし、はじめて使うということを言っていました。ちょっとぞっとしまし
た。
鹿熊
この連続セミナーでは、いろいろな方に来ていただいて刃物を取り巻く状況をお話
しいただいてきましたけれど、共通するのは社会全体で刃物を使わなくなってきていると
いうことですね。子供たちにそういう体験をさせようと思うと、今はもうアウトドア活動
の場しかないんですね。そこではじめて刃物を使い、痛い目にも遭う。本当に時代って変
わりましたよね。そういう今日的な課題はありつつも、キャンプに参加した子供たちの成
長を実感できるのが、黛さんたちの活動の原動力になってきたと思うのですが。
黛 最初にナイフで箸を作るときはおっかなびっくりですよね。非常に時間がかかります。
箸一膳を作るのに2時間もかかるんです。それできれいにできたかというと、でこぼこで
すごい。子どもたちには四角い材を渡すんですけど、いったい2時間もかけてどこを削っ
たのって思えるくらいの出来上がりの子もいます。でも、そのあと野菜を切ったりってい
う作業が1日3回あったり、クラフトの時間にもナイフを使う場面があるので、例えば2
泊3日で参加した子の3日目の朝の様子を見ると、そこそこ違和感無く使えている子が多
いです。なので、1日3回、2日間ぐらいみっちり使い続けると手が感覚をつかんでくる
んじゃないかと思います。そういう子は、翌年に参加したときにはかなり上手く使えるよ
うになっています。
鹿熊
その子たちは、刃物を使えるようになった自分のことをかっこいいなと思ったり、
楽しんでいる感じはありますか?
黛
今の子は普通、刃物を持っていないですよね。ふだん持ち歩いてはいけないとされて
いるものが、このキャンプでは使えるので、特別な感情はありますね。ナタでうまく薪を
割れるようになった子の例ですが、自分自身に対して非常に自信を持つようになりました
ね。お父さんより、僕の方がナタをうまく使えると(笑)。
鹿熊
最初はできなかったけど、体験を積んでクリアできたことは、大きな自信につなが
るんでしょうね。それが積み重なり人間的なたくましさになっていくということなんです
かね。ところでこのナイフは貸与なのですか。ひとりずつにあげるのですか。後者だと、
持って帰ったときに家でひと悶着あるんじゃないですか?
黛
あげています。過去は数年に一度くらいのわりで、なぜこんな危険なものを子どもに
渡すんだという電話がありましたけど、説明を徹底するようになってからはないですね。
鹿熊 アドベンチャー集団 DO!からのお願いの中で、すごく印象的だったのがもうひとつ
あります。それは「キャンプから帰った子をあまり叱らないでくれ」と書いてあるんです
ね。キャンプで使ったナイフを持ち帰らせるということは、家でもこれで遊びなさいと奨
励しているわけですよね。キャンプスタイルの延長で、歯を磨かないとか着替えをしない
ときもあまり神経質に怒らないでほしい。服や靴が汚れたりすると家で怒られるのでアク
ティブな活動ができない子供たちがいるとも書いてありますよね。親御さんに対する提言
や啓発まで総合的になされているなという感じがします。
黛
うちのキャンプに参加されている方は、けっこうお金に余裕のある家庭の子が多いん
ですね。じつはそういう方々特有の価値観というのがあり、たとえば着ている服、持ち物
すべてがブランド品という事もあります。靴下から下着までブランド品。キャンプに持っ
てきた衣類一揃いでいくらするのか、というような参加者もけっこういるんですね。そう
いう子の中には、服を汚すと怒られる、なくすと怒られるという不安感持ったまま参加し
てくる子も多いんですね。どういうことかというと、服の汚れが気になってやりたいこと
が出来ない。みんな平気で森の中に入って駆け回っているのに、離れたところでおとなし
くしている。いろいろ聞いてみると、服を汚すとお母さんに怒られるからって言うんです。
そういう親御さんに向けたメッセージなんです。
鹿熊 33 年やって来られて、最初の頃の子は成人どころか、社会の中枢としてがんばって
いると思うんですけど、取り組みの成果のようなものを感じることはありますか。
黛
最近は、自分が子どものときに楽しかったのでと、お子さんを参加させる方がけっこ
う多いです。そういわれて顔を思い出すこともよくあります。この間来た子のお母さんは、
昔サバイバルに参加してヘビやカエルを食べたと言っていました。自分の子にもどうして
もそういう体験をさせたいと思うので応募しましたと言われたときは感無量でしたね。
サバイバル・キャンプに参加したほとんどの子は、家に帰ると「もうあんなところへ二
度と行くもんか」というそうです。
「本当につらかった。お母さんはなぜ自分をあんなつら
い場所に行かせたんだ」と泣かれて困ったなんていう話もずいぶん聞きました。ところが、
次の年になると来るんですよ、また、そういう子が(笑)。あるお母さんから、こんなことを
言われたことがあります。
「このガキ大将・スクールは、子どもを虜にしてしまいますね」
。
たいへんな思いをして嫌だったといいながら、また夏休みが近づいてくるとうずうずして
行きたくなっちゃうみたいな、そういう感じで参加してくれた子が親になり、今度は自分
の子を送り出してきてくれています。
鹿熊 体験者自身のその後の成長のようなものは読み取れますか?
黛
ガキ大将・スクールにはキャンプリーダーというのがいるんですけど、ほとんどが過
去の参加者なんですね。いま 40 人弱ぐらいいますかね。たぶんキャンプに参加したことの
ない、ガキ大将・スクールに参加したことのないキャンプリーダーは2,3人。あとは全
部子供のころの参加者です。中学生になると、参加するというよりもジュニアリーダーと
いう形でお手伝いを体験してもらいます。高校生になるとサブリーダーとしてリーダーの
補助をする。大学生になるとリーダーをやってもらう。そういう流れがある程度できてい
て、まさに人間としての成長過程を見ることができます。
追跡調査をしているわけではないのではっきりとは分からないのですが、子供のころに
参加して、たとえばキャンプリーダーとしてまた来た人の場合は、その後の就職先とか、
その後の道がある程分かっています。傾向があるわけではないのですが、あえて安易な道
から外れるというか、たとえば教職を目指していたけれど目標を変え、海外で仕事をして
いる人だとか、いったん教職についたのだけど、やめて全く予想もしない道を選んだりと
か。逆に会社に就職しようと思っていたんだけど教職に路線を変更した人とか、自分で起
業した人も何人かいるようです。
鹿熊
お話を伺って思い出したのが、第6回のときに長野県泰阜村(やすおかむら)から
来ていただいたグリーンウッド自然体験教育センターの佐藤陽平さんのお話です。あちら
も山村留学の子供たちに刃物を日常的に使わせていて、五右衛門風呂の薪は自分たちで割
らせ、ご飯も交代で包丁で調理させる取り組みを続けています。あそこは山村留学生のそ
の後の追跡調査をしていまして、ひとつの傾向が見えたんだそうです。それは「傾向がな
いことが傾向」だということ。官僚や会社員、マスコミ人、コメディアン、スポーツ選手、
芸術家、料理人など多士済々で傾向がない。個性のまま育ってくれていることがひとつの
傾向だということでした。もうひとつは海外に行っている比率が高いということをおっし
ゃっていました。この行動力は自信の表れなのかなという感じがするんですけど、自然体
験活動をしている人の手前味噌でしょうか?
黛
子供のときに参加して、またキャンプリーダーとしてDO!に来ている若者が言って
いたんですけど、価値観が激しく転換したそうです。今まで自分が生きてきた中で持って
いた価値観とはまったく違う価値観が、このキャンプの中にはあった。たとえば、刃物は
怪我の危険が高い。普通なら怪我の回避と予防を徹底するのに、DOでは、怪我は体験の
ひとつという考えで、子どもたちはたくさん怪我をする。最初は怖くて見ていられなかっ
たけれども、自分がキャンプリーダーをやって子どもの面倒を見ているうちに、それは必
要なことなんだと確信が持てるようになった。そしたら、それ以外のいろいろな価値観や
常識が全部崩れてしまって、まったく新しい価値観が芽生えてきた。そういうようなこと
を言っている若者がいました。
鹿熊
自分で考え、自分で判断し、自分で動かないと自然の中では暮らせない。アウトド
アやサバイバルのときの判断力って瞬時ですよね。アウトドアってけっこう頭を使ってい
るような気がするんですよね。
黛
予期せぬ状況が次から次へと生まれてくるのがアウトドアでの活動なんですけれど、
今の子どもたちって、どうにもならないような体験や、まさに手痛い失敗体験をあまりし
てないようで、そういう事態に直面すると判断が鈍るというか、判断が出来なくなるとい
うことが多いんですね。ただ、どうにもならない体験とか失敗体験を否応なしに繰り返し
ていくと、だんだん判断力がついてきます。それが多分、たくましさとか野生感覚の取り
戻しとか、生きる力とかにつながって行くんじゃいかなという気がしています。
鹿熊
山で道に迷ったときにどうするかというときも、一般的にはその場を動くなとか引
き返せとか言われているんですけれど、突き進まなければいけない場合もひょっとしたら
ありますよね。その判断は体験と自信がある程度なければ出来ないはずです。今後、活動
の中でやっていきたいことはありますか?
黛
サバイバル的な活動は今後も必要かなと思っています。過去の調査の中では、子供た
ちの体験が長ければ長いほど、それから冒険的であればあるほど精神的な耐性が高まると
いうような調査結果が出てるようなんですけど、サバイバルというのはまさにそのあたり
を強化する力があります。普通のキャンプもいいけれど、少しでも冒険的な要素を入れる
と、よい意味での子供たちの価値観の変化につながるのではないかと思います。
鹿熊
貴重なお話をありがとうございました。今日のお話は日本エコツーリズムセンター
の報告書としてまとめ、自然体験活動をされている多くの方々、また、子どもを持つ親御
さんに広く読んでいただきたいと思います。
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