八戸工業高等専門学校紀要 第 45 号 (2010, 12) 103 在外研究報告 ― LSE 経済史学部― 佐 藤 純* ― Report of Overseas Research at LSE, Economic History Department ― By Jun SATO 2009 年 9 月 か ら 1 年 間 , ロ ン ド ン ・ ス ク ー ル ・ オ ブ ・ エ コ ノ ミ ッ ク ス (London School of Economics and Political Science, 以下 ,LSE) の Senior Visiting Fellow と し て 在 外 研 究 を 行 う 機 会 に 恵 ま れ た 。 L S E は 19 世紀末に漸進的社会主義社会の実現を唱える フェビアン協会によって創設された大学であり , 現在 はロンドン大学グループに属している。 社会科学の分 野 に 限 れ ば 間 違 い な く 世 界 屈 指 の 大 学 と い え る LSE は , これまで世界各国の政財官学界に多くの人材を 提 供 し て き た。 ウ ィ キ ペ デ ィ ア を み る と , 「 現 在 ま で LSE は 卒 業 生 , 教 員 , 創 立 者 か ら 計 15 人 の ノ ー ベ ル 賞 受 賞 者 ,32 人 の 各 国 首 相 ・ 大 統 領 ・ 国 家 元 首 を 輩 出 し た 」 そ う で あ る (1) 。 そ し て , 私 の よ う に 「 経 済 史」 という分野に関わる者にとっても LSE は格別に魅 力的な大学である。 LSE には世界的に有名な 「経済 史学部」 があるからである。 これについては後にのべ るので , まずは研究生活に落ち着くまでの経緯を簡単 に書くことからはじめよう。 9 月 1 日にコペンハーゲン経由でロンドンに入った が , あいかわらずロンドン上空は曇っていた。 雲間か らみえる何ともいえなく憂鬱でどんよりとした赤黒いレ ンガの町並みをみて , ようやくロンドンに来たという実 感がわきいつもウキウキするのであるが , 今回はロンド ンに 1 年間も住めるということで妻と共にはしゃいでい たことを思い出す。 ラッセル ・ スクウェアーのホテルに しばらく滞在した後に , ロンドン北西部のキルバーン に あ る フ ラ ッ ト に 居 を 定 め た。 あ り が た い こ と に , 私 と 同じ時期にロンドン大学 SOAS で春画を研究されてい るガーストル教授が京都に 1 年間在外研究に行かれ るということだったので , 教授のフラットをお借りするこ とができた。 インターネットを含め生活ラインを確立す るまでに 2 ヶ月はかかる英国においては , 非常にあり がたいことであった。 おかげさまで生活にかかわる雑 ( 原稿受付 :2010 年 9 月 24 日 ) * 総合科学科 事に時間を割かれることもなく , 到着後すぐに研究活 動に専念することができた。 私の研究生活は事務員のリンダさんに会うことから はじまった。 研究室のパソコンの設定から銀行口座の 開 設 に い た る ま で 非 常 に お 世 話 に な っ た。 ビ ジ タ ー 用の研究室ではトゥルク大学 ( フィンランド ) のティモ 教授とヘブライ大学のジェイコブ教授と机を並べるこ ととなったが , お二方とも経済史の分野においては重 鎮であり非常に学ぶことが多かった。 特にティモ教授 とは話がはずみプライベートなことまでお話をする仲 になった。 LSE の教員食堂で教授とランチやコーヒー を共にしたことは非常に楽しい思い出となった。 また , 新学期がはじまる前に経済史学部長のコリン教授から ランチのお誘いを受けたことも思い出される。 コリン教 授はとにかく面倒見のよい先生で , 共同研究室は快 適か ,LSE は十分な研究環境を提供しているか , そし て日暮れの早い秋のロンドンは気がめいるのではない か , などなどいろいろと気にかけてくださった。 また , 教授がベアリング ・ アーカイブに入れるよう紹介状を 書いてくださったことで , ベアリングス銀行が所有して いた貴重な経営に関する史料のみならず , 絵画や天 皇が借款に対する感謝の印としてベアリングス銀行に 贈呈した金のメダルなどもみせていただくことができ た。 そもそも私の受け入れにもっとも賛成してくれたの がコリン教授であったらしいので , 教授には適切な感 謝の言葉がみあたらない。 さて ,10 月に新学期がはじまりセミナーが開始され た 。L S E 経 済 史 学 部 は , ア フ リ カ 経 済 史 , 計 量 経 済 史 , ビジネス史 , 近代比較経済史 , 以上のセミナーを週 1 回程度行っていたが , 私は最後の 2 つのセミナーに 参 加 し た。 ビ ジ ネ ス 史 ( 日 本 で は 「 経 営 史 」 と 通 常 呼ばれる ) は近年経済史から独立した非常に面白い 学 問 領 域 で あ る。 周 知 の よ う に ,1600 年 に 創 設 さ れ たイギリス東インド会社にはじまり ,18,19 世紀に世界 各国で活躍したマーチャント ・ バンク , 現在の多国籍 104 佐 藤 企業であるフリースタンディング ・ カンパニー , そして 最近問題となった BP(British Petroleum) にいたるま でイギリスの企業は実に毀誉褒貶が激しい。 ビジネス 史セミナーにおける発表は , 英系企業が事業を展開 する諸国において , 現地政府 , あるいは現地社会とい かなるコンフリクトを引き起こしたのかをいきいきと伝え て く れ た。 そ こ で 感 じ た の は , 英 米 企 業 の ア グ レ ッ シ ブな活動の根底にあるのは 「金儲け」 に対する執着 心というよりも , むしろ企業家の 「情念」 「冒険心」 「名 誉 心 」 な の で は な い か , と い う こ と で あ っ た。 臆 病 に 少なく盗めば囚人となり , 大胆に多く盗めば貴族に叙 せられる国であったイギリスの企業史 , あるいは企業 家精神から , 最近元気がないといわれる日本企業は まだまだ学ぶことがあるかもしれない。 ところで , 私にとってビジネス史セミナーはいわば 「副菜」 であり , 実は近代比較経済史セミナーこそが 「メイン」 であった。 世界各国から経済史分野の一線 で活躍する多数の研究者が招かれる同セミナーに参 加できたことは , 私の在外研究における最大の成果で あったといえる。 このセミナーで実感させられたことは , 日本の経済史研究に比べて欧米の研究は論証プロセ スの詳細さと精巧さにおいて , 明らかにレベルが高い と い う こ と で あ っ た 。小 さ な 事 実 か ら , 膨 大 な 資 料 を 「 正 確」 というよりはむしろ 「精確」 に用いることによって 大きな命題を説得的に提示していく , これが彼らのス タイルである。 しかし一方で , セミナーの発表者の中 には , 論証プロセスにおける 「精確」 さにこだわりす ぎるあまり , ミスリーディングな議論を展開している研 究者も結構いたように感じた。 近年 , 彼らと同程度の 「精確」 さを目指そうという傾向が我が国の経済史を 含む歴史学会にみられるが , 我々は彼らと研究の 「精 確さ」 を競うよりも , 「外国人」 = 他者としての視点か ら , あるいは日本人としての問題意識に基づいて , 欧 米史を比較研究することに力点を置いた方がよいよう に思う。 日本人独自の 「切り口」 で欧米史を研究す ることには , 何がしかの意義があるだろうし , 何よりも 楽しい作業である。 LSE のセミナーのスタイルについても少しのべてお きたい。 発表者が発表中であろうとも参加者から容赦 なく質問はなされ , 発表後には質疑の応酬が続く。 実 は , このようなゼミ ・ スタイルは私が大学院の時のもの と基本的に同じである。 しかし , 決定的な違いは質疑 応 答 の テ ン ポ が 非 常 に 速 い こ と で あ る。 質 問 者 は 発 表者の議論の細かい矛盾を即座に発見 ・ 指摘する一 方で , 発表者は質問者の指摘に対してほとんど間を お く こ と な く 明 確 に 答 え て い く。 何 事 に お い て も 理 解 純 するのに時間を要する私にとっては議論の大きな流れ を追うだけでも大変であった。 また , 一番大変だった のは 「外国人」 の英語である。 アメリカ人 , 中国人 , インド人 , ロシア人 , フランス人 , スペイン人 , イタリア 人 , ギリシア人 , そしてアラブ諸国の人々の英語 ,LSE にいると実にさまざまな英語を聞くことができる。 半年 もすれば英語を聞くと大体何人であるのかがわかるよ うになったが , ロシア人の英語だけはなかなか最後ま で理解できなかった。 ネイティブがロシア人と丁々発 止のやり取りをするのをみて , 自分の英語運用能力の 限界に気づかせられることとなった。 これらのセミナーに加え , ほぼ毎晩開催される講演 会 に も 可 能 な 限 り 参 加 し た。 1992 年 の ポ ン ド 危 機 を 現出したソロス氏 , スペインの前首相アスナール氏 , そしてイギリス下院議長バーコウ氏など著名人の講演 を聞くことができた。 特に印象に残ったのは , ギリシア 危機とユーロの将来に関するディベートであった。 私 が渡航してまもなく発生したギリシア経済危機に関す るものであったが , 2001 年 1 月ギリシアのユーロ加入 時 の 財 務 大 臣 パ パ ン ト ニ オ ー 氏 が 参 加 し て い た。 最 初は和気あいあいとした雰囲気で進行していた講演 会の最後に , 聴衆の 1 人が 1922 年にトルコに対する 領土喪失の責任を問われて 6 人の閣僚が処刑された 事件に言及することによってディベーターを挑発した。 司会者の気転によってつかみ合いのケンカは回避さ れたが , 一時会場が騒然となった。 このように非常に 熱気のある講演会はあまり日本ではみられないので楽 しかった。 ただ残念だったのは , 多くの講演会におい て日本についてはほとんど言及されなかったことであ る。 たまに言及されたとしても衰退途上にある 「かつ て の 経 済 大 国 」 と し て 取 り 上 げ ら れ る の み で あ っ た。 一方で , 台頭著しい中国についてはよい部分のみが 強調され , 「かつての国」 日本については財政赤字 などの悪い部分のみが取り上げられることについて少 し悔しさを感じた。 以上 ,LSE について雑感を書いてきたが , いずれに せよ LSE は本当に魅力のある大学であった。 LSE の 魅力はそもそもロンドンという国際色豊かな都市 , そし て何よりもイギリスという魅力のある国に所在すること に 大 き く 負 っ て い る。 イ ギ リ ス は , 課 税 の 公 平 性 , 公 共施設 ・ サービスの質 , 一般的な家庭の生活水準な ど の 点 に お い て は , 日 本 よ り も 明 ら か に 劣 る。 そ し て 彼らはこの状況を本気で改善する気もなさそうである。 しかしイギリスにはなぜ世界中の人々を引き付ける吸 引 力 が あ る の で あ ろ う か。 イ ギ リ ス は も は や 世 界 最 強 の海軍国家 , 「世界の工場」 , そして 「世界の銀行家」 , 在外研究報告 さらには文化の発信地としての地位をアメリカ , 日本 , そ し て ド イ ツ に よ っ て 追 わ れ て 久 し い。 一 方 で , か つ てはローマ帝国の偏狭の地に過ぎなかった島国の言 葉 「英語」 が世界の事実上の公用語としての地位を ほぼ確立し ,LSE, オックスフォード , ケンブリッジなど の大学は世界の大学ランキングでトップクラスを維持し ている。 欧米スタンダードでの大学評価なので , 日本 の大学は不当に低く評価されているにしても , 中国 , インドをはじめとするとりわけ世界のエマージング諸国 から多くの学生を集めることに成功していることは紛れ も無い事実である。 イギリスの吸引力の源泉は「英語」 と 「大学」 産業 , そして , これらを通して世界の政財 官学会に構築された人脈にあるのかもしれない。 さて , 話が散漫になりそうなのでここら辺で筆を擱き たい。 最後に , 国立高等専門学校機構 , そして LSE 経済史学部と八戸工業高等専門学校の教職員の皆 様のご理解とご協力に心からの感謝の意を記しておき たい。 今回の経験を本校での教育 ・ 研究活動に少し でも活かすことができればと考えている。 註 1) 2010 年 9 月 20 日に Wikipedia を参照。 ロンドンの魅力 !( チャリング ・ クロスの古本屋街 ) 105
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