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兒玉邦彦選集
くどみ保育園園長 兒玉邦彦
私が音楽が好きになったのは何時のことだろうか。私の幼児期は、まったく音楽的
環境になかった。何の稽古事もしていない。初めて音楽らしい音楽に触れたのは、小
学5年生の時、当時学芸会と言っていた発表会で皆でスペリオパイプ(リコーダー)
の合奏をやったことと記憶している。おかげで中学になってもスペリオパイプだけは
まあまあ吹けたようだ。教材の楽譜をいろいろ演奏してみたりした。そんな中で“刈
り干切歌”に出会い何と情緒深い上品な民謡が宮崎の田舎にあったものだと感心した
ものだ。後年“正調刈り干切歌”が存在し、それを中山晋平が編曲したものであった
ことを知った。編曲する際、長調の田舎節音階から、短調の都節音階へと編曲したの
である。民俗学的にはむちゃくちゃな話である。都節音階は、中国の律音階が輸入さ
れ宮廷や京都でもてはやされたという。
“甘茶でかっぽれ”とか“さくらさくら”など
である。ある保育園の落成式で、中国人の声楽家が“さくらさくら”を強弱のメリハ
リを大いにつけて、時には消え入りそうに歌っていた。彼は、短調の“さくらさくら”
を悲しみの歌と理解していたのではなかろうか。都節はみやびやかで風雅な歌なので
ある。中央の文化の影響を受けたところが都節音階で、文化はつるところが田舎節音
階なのである。中学から高校にかけて吉永小百合と橋幸夫の時代であった。ご多分に
漏れず彼らの歌謡曲が気に入ったものだ。歌が好きになったのは、そのころかもしれ
ない。受験勉強をしているころ、何時もラジオから流れてきた音楽があった。イタリ
ア映画のサウンドトラック“ブーべの恋人”である。歌詞のない音楽を好きになった
最初ではないかと思う。私の嗜好が、言語プラス音階情報系から音階情報系へ移行し
た記念すべき作品と思う。後年その映画を見に行ったが、音楽だけのほうがよかった
と思っている。そのころからレコードのドーナツ盤を買い込むようになった。映画音
楽が多かったと思うが、どういうわけか“マドンナの宝石”を買い込みそれがまた非
常に気に入った。大学 1・2 年のころと思う。クラシックに目覚めた最初と記憶して
いる。大学4年頃学生運動のさなか、朝方まで音楽を聴き昼頃研究室に出向くという
生活が続いた。親にねだって買った山水のAU555というプリメインアンプと回転
ムラの少ないパイオニアのプレーヤーと無名のメーカーだったが店員お勧めのヘッド
ホンを、6畳の下宿の枕元に置き車のデッサンをしながら聞いたものだ。ヘッドホン
は頭上から響くような癖があるが、下手なスピーカーよりましだと思っている。一番
のお気に入りは“ラフマニノフのピアノコンチェルト”であった。不幸はこんな足音
を立ててやってくるといわれていたそうだが、それが気に入るとは私の精神も病んで
いたのだろう。そんな折“チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト”にであっ
た。何と美しい音楽があったものだと感動したものだ。第 2 楽章のその部分は、レコ
ードが磨耗するのではと心配しながら何度も聞いた。我ながら恥ずかしいのだが、心
切なく胸に迫るものがあった。
そのころ行きつけの喫茶店ミュスカでよく流れていたシャンソンがシャルルアズナ
ブールの“イザベル”である。出口の見えない70年安保のころ、心が疲れていたの
かもしれない。かすれ声の疲れきった感じのアズナブールが気に入りレコードを買っ
た。戦後からそのころにかけて実存哲学が主流であった。黒いタートルネックを着て
静かに本を読むというスタイルがそうである。私もカミュやサルトルやボーボワール
の本を手にしたが難解で苦労した。カミュだけは多少解かった気がした。彼の“異邦
人”と“ペスト”を、私は晩年読み返したいと思っている。その“異邦人”の冒頭は
ママンが死んだである。母の死に際し涙しなかったことが不条理な殺人を犯したムル
ソーの死刑判決の理由の一つであった。アズナブールの歌に“ラマンマ”がある。母
の死に際し出稼ぎ先から涙ながらに駆けつける男の歌である。この歌は“異邦人”と
は何の縁もないが、私は同じ時期にふれたため、
“異邦人”というと“ラマンマ”
、
“ラ
マンマ”というと“異邦人”という組み合わせができあがってしまった。久保田早紀
の“異邦人”が入り込む余地は、私の感性にはないのである。
そんなことが私の音楽歴である。今回自分の好きな音楽だけで1枚の CD を作ろう
と思い立ち、思い返してみながらリストアップしたのが次表である。
兒玉邦彦選集
番号
曲名
歌手
1 償い
さだまさし
2 鎌倉晩秋
梅原司平
3 ブーべの恋人
4 ラマンマ
シャルルアズナブール
5 Gipsy Songs From Hungary
6 Furruca/Con Saleroy Garbo
7 星は光て
ドミンゴ
8 マドンナの宝石 間奏曲
9 ピアノ協奏曲 第2番 第 1 楽章
10 ヴァイオリン協奏曲 第 2 楽章
11 ピアノ協奏曲 第2番 第 1 楽章
作曲家
さだまさし
梅原司平
ルスティケリ
シャルルアズナブール
ジプシー民謡
フラメンコ
プッチーニ
フェラーリ
ラフマニエフ
チャイコフスキー
サンサーンス
合計
時間
分
6
4
2
3
5
3
4
5
11
7
11
64
秒
15
14
11
45
30
42
15
9
32
0
8
41
録音の都合で10・11番間のインターバルが短いのでご注意ください。
いままでの文章ですでに登場した音楽が半数であるが、それ以外にも少し触れたい
いと思う。
“償い”は、殺人を犯しながら反省の少ない少年たちを心配し、裁判官がこ
の歌を聞きなさいと諭したことで有名になった歌である。
“鎌倉晩秋”は偶然入手した
CD から選んだ。都節音階の末裔であろう。いい歌い手だと思う。しかし、梅原司平
がいくらうまくても、歌劇の声楽家の前ではまるで通用しそうにない。ドミンゴの声
量と声の艶とでも言うのか、圧倒されるものがある。神が私に一つだけでも才能を与
えてくれるなら、ドミンゴの声をお願いしたいと思う。十年ぐらい前だろうか、
“サン
サーンスのピアノコンチェルト”を聞き音楽のドラマ性とでもいうものを感じた。音
階情報系でも、かくもドラマティックな表現ができるのだろうか。さらにジプシー民
謡とフラメンコを加えた。ジプシーは、インド西北部を千年ほど前に出発しヨーロッ
パをさまよう流浪の民である。ユダヤ人とともに差別と迫害の歴史を持つ。ジプシー
は主に音楽と踊りで生計を立ててきた。彼らの芸能は、大衆に受けることが重要で独
り善がりは許されなかったと思う。その踊りはフラメンコとなった。歌はロシアや東
欧の音楽に深く影響を与えた。チゴイネルワイゼンやハンガリア舞曲などそのもので
ある。ロシア民謡といわれているものもジプシー民謡であることが多いという。
近年、脳科学の進歩とともに、哲学すら脳科学で説明しようという動きがある。人
間を動かす原因は、自己満足を求めてという言い方もできよう。しかし、脳科学的に
は報酬系反応が脳内でおき、脳を気持ちよくさせる麻薬の様な物質が分泌されている
というのである。つまりヒトは報酬系反応を求めて行動しているということになる。
問題はその報酬系反応をどうやって学習したかということになろう。人間の主体性の
育ちが解かるからである。私が今回リストアップした11曲は、私の脳内に報酬系反
応を呼び起こしているはずである。今回の全11曲に共通因子はあるだろうか。ある
とすれば短調である。メジャーではなくマイナーを好むことに私は気付いている。し
かしマイナーで報酬系反応がおきる理由は皆目解からない。メジャーのほうが心楽し
く気持ちよくさせそうだが私の嗜好ではない。谷底を覗いてその深みより自分の高み
を知り安堵するように、外界の悲劇や悲しみには心安らぐものがあるのかもしれない。
半数ぐらいの曲に共通するのはジプシー音楽である。シャルルアズナブールはアルメ
ニア人で本人がジプシーであるかどうかは知らないが、ジプシーのたくさんいる国の
出身である。ロシアや中部ヨーロッパや南欧のメロディがジプシーの影響を受けてい
ると言われていることを考えるとジプシー音楽が第2の共通因子といえる。私にジプ
シーの遺伝子が流れていることは考えられない。ではなぜ報酬系反応がおきるのか。
かって家や親のしがらみが心の負担になっていた。自由でありたいと思ってきた。家
を捨て家系を捨てて生きたいと思ってきた。そんな思いがふるさとを捨て自由気まま
に生きるジプシーの生活に重なり、意識の底に潜在していったのだろうか。いやそれ
はあまりにもこじ付けのように思う。現実のジプシーは、血族のしがらみが非常に強
いという。
自分の好きな音楽を選びながら、私の脳内の報酬系反応の学習の過程を振り返ろう
としたが、ほとんど分析できなかった。報酬系反応説は、仮に正しいにしろ単にラッ
キョウの皮が一枚めくれただけで、ヒトの心の謎は深淵の彼方にあるようだ。私の好
きな11曲を選ぶ作業の中で、ココロに一歩近づいたようなような気もするし、遠さ
を更に痛感したような気もする。
私の選んだ11曲に興味をもたれたらお申し出ください。禁を犯してCDに焼いて
進呈したいと思います。ただし更なるコピーは不許複製に願います。