社会の超えられない壁 - 福田邦夫ゼミナール

社会の超えられない壁
-そこから見えてくるものとは-
福田邦夫ゼミナール 19 期 北村潤樹
【目次】
Ⅰ.はじめに -これを作成しようとするきっかけ-
Ⅱ.「蟹工船」について
(1)当時の社会情勢について
(2)蟹工船の労働環境とは
ⅰ.蟹工船とは
ⅱ.博愛丸に乗る人々たち
ⅲ.博愛丸の生活環境とは
ⅳ.企業が蟹工船に固執する理由とは
(3)総括
Ⅲ.「赤と黒」について
(1)当時の社会情勢について
(2)概要
(3)ジュリアン・ソレルが見る貴族社会
ⅰ.レナール家でのジュリアン・ソレルとレナール夫人
ⅱ.ラ・モール家でのジュリアン・ソレルとマチルド
ⅲ.ジュリアン・ソレルの最後のとき
(4)総括
Ⅳ.終わりに -自分の経験との比較からこれらを考察-
Ⅰ.はじめに -卒論を
卒論を作成しようとするきっかけ
作成しようとするきっかけ-
しようとするきっかけ-
まずこの論文を作成しようと思ったきっかけを述べようと思う。大学 2 年のときに福
田ゼミに入室し、今までに無い視点を持つようにできたと感じている。日々の勉強はも
ちろんのことだが、その中でも、2009 年の冬にアルジェリア大使館での食事会のアルバ
イトをさせていただいたことが強烈に印象に残っている。さらには、先生の勧めから「赤
と黒」を読ませていただき、発表をしたとき、今までで一番発表することが楽しく感じ
られたことが、この論文を作成しようと思うきっかけとなった。
アルジェリア大使館での食事会では、日本でも有数のメーカーや総合商社の役員の方
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達が名を連ねていた。そこで、私たちは受付の整理のアルバイトをさせていただいた。
式も始まり、その食事会も落ち着きが来ると同時に、アルバイトをしていた自分達もア
ルジェリアの郷土料理を食べたり楽しんでいた。だが、学生であるがゆえにあまり社会
を知らない自分はこの食事会の光景を見て驚いた。
なぜかというと、参加者全員が自分の名刺を手にビジネスの話しかしていなかったか
らだ。これだけだったら、自分でも想像できる範囲だが、参加者のその姿勢に驚かされ
た。その参加者の姿勢を表現するには、目が「カネ」と書いているように感じられた。
「カ
ネ」を得るために、この食事会に参加し名刺交換をする。人が、
「カネ」を主体とし、そ
の人を動かしているように思った。
そのときには、自分は就職活動真っ只中で社会を知ろうとしていた時期であったため
に、この光景を見て非常に虚無感を抱いた記憶が鮮明にある。式の最後には、国会議員
の小池百合子議員がこの食事会に足を運ばれた、そのときにはその食事会にいた参加者
達は、我先にと参加者が小池議員に足を向けていた。
この姿を見ていた福田先生は、ある本を紹介してくれた。中世ヨーロッパの貴族社会
を猛烈に批判したスタンダール作の「赤と黒」である。それには、田舎モノで貧乏のジ
ュリアン・ソレルが、人生を歩んでいくに当たって貴族社会に飛び込み、貴族社会と一
般社会の見えない壁に苦しむという話である。私は、この本を読み終えたとき、決して
この貴族社会と一般社会の壁というものは今は無いとは言えず、現代にも存在している
ように自分は感じた。
私は、アルジェリア大使館での食事会で感じたことや、
「蟹工船」の近代資本主義の一
部の人間による労働者からの人権の搾取、
「赤と黒」の貴族と一般庶民という覆られるこ
とのない階級社会について、これらを社会の超えられない壁として考察し論じていく。
Ⅱ.蟹工船について
蟹工船について
(1)当時の社会情勢について
この本が発行されたのは 1929 年。世界第一次大戦によって好景気を迎え大きく成長し
ていた日本。大正時代には、政治や社会における自由主義的な運動や思想の大正デモク
ラシーが起きた。関東大震災をきっかけとして昭和金融恐慌となっていた。その一方で、
国民政府軍が北伐を開始し、政府は 3 回にも及ぶ山東出兵を行い、これから起こる世界
第二次大戦の幕開けとなる出来事があった。もちろんこの後には、1931 年の満州事変を
機に、世界第二次大戦が繰り広げられることになる。
またこの時代には、蟹工船をはじめとする、社会主義思想や共産主義思想とリンクす
るプロレタリア文学が 1920 年~1930 年前半にかけて流行した。これらの作者というの
は、現場での労働体験を持つ作家、ある程度の知識を持った知識階層といった作家から
も労働環境の現状などを文学で発表する作家であり、社会の現状の改革と結ぶついた文
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学を目指した。現に、蟹工船の作者である小林多喜二も、プロレタリア文学の代表的な
作家として代表される。
小林多喜二は、学校を卒業後、北海道拓殖銀行に就職をしている。小林多喜二は、学
校を在学中に、学校で受けた影響・また当時の深刻な不況から来る社会不安から労働運
動の参加を始めている。さらには日本共産党員として名を連ねている。1928 年に小林多
喜二は、社会主義者や共産主義者の弾圧を基にした「一九二八・三・一五」を発表。翌
年の 1929 年に「蟹工船」を発表し、プロレタリア文学の旗手として注目を集めた。しか
し「一九二八・三・一五」での特別高等警察による拷問の描写、経営者による「蟹工船」
の労働者からの搾取といったことを発表したことから、警察に要注意人物として扱われ
後に拷問死させられる要因となってしまった。以下本文の内容と照らし合わせ考察して
いく。
(2)蟹工船の労働環境とは
ⅰ.蟹工船とは
蟹工船のモデルとなったのは、元病院船の博愛丸のことである。ちなみに病院船とは、
戦争や飢餓、大災害の現場で傷病者に対し病院の役割を担うために使われた船舶の名称
とされている。博愛丸といった蟹工船とは、一般的にカニを捕獲し戦場で缶詰に加工す
る工場施設を備えた漁船のことである。
また、本文の内容に沿ってしまうが、博愛丸での過酷な労働環境というものは決して
博愛丸から起きたというわけではなく、複数の蟹工船が劣悪な労働環境下にさらされて
いたために、ストライキを敢行しているとされている。このように、当時(1929 年前後)
の蟹工船の労働環境は、どの蟹工船でも非常に劣悪な労働環境であったといって間違い
ないだろう。
ⅱ.博愛丸に乗る人々たち
博愛丸が出向した港は函館港である。主に、乗客した従業員というのは、東北や北海
道を中心とした、秋田や青森といったところからの百姓が中心となっていた。もちろん
その中には、奥さんや子供といった家族を持っているものも多数博愛丸に従業員として
乗っていた。彼らは、氷河が溶ける春先から氷河ができる秋までの数ヶ月間を、給料が
欲しいがためにこんな劣悪な労働環境の中に家族を置いて来ているのである。
この心境を表すのに適当な文章があるので載せることにする。これは、秋田や青森と
いった東北から来た百姓の話になる。
「-朝くらいうちから畑に出て、それで食えないで、追い払われてくるものたちだっ
た。長男一人を残して-それでもまだ食えなかった-女は工場の女工に、次男も三男も
どこかへ出て働かなければならない。鍋で豆をいるように、余った人間はドシドシ土地
から跳ね飛ばされて、市に流れてきた。彼らはみんな金を残して内地に帰ることを考え
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ている。しかし働いてきて、一度陸を踏む、するとモチを踏みつけた小鳥のように、函
館や小樽でばたばたやる。そうすれば、まるっきり簡単に「生まれたとき」とちっとも
変わらない赤裸になっておっぽり出された。内地へ帰れなくなる。彼らは身寄りのない
雪の北海道で越年するために、自分の体を手鼻ぐらいの値で売らなければならない-彼
らはそれを何度繰り返しても、できの悪い子供のように、次の年にはまた平気で同じこ
とをやってのけた1」。
このように、彼らは日々この生活を余儀なくされていた。
ⅲ.博愛丸の生活環境
彼らは通称「糞つぼ」と呼ばれる「棚」というところに住んでいる。文献を見た感じ
だと、二段ベッドが両列に複数ずつで、部屋の真ん中にストーブと豆電球がぶら下がっ
ていると思われる。彼らは、休みの時間になるとストーブに群がり暖をとりながら雑談
をするといった具合ではないかと思う。
最初は、あまり不具合はなかったであろう。しかしそれからであった。彼らは、搭乗
した当時は二日に一回であった風呂であったが、次には一週間に二回、一週間に一回、
二週間に一回、一ヶ月に一回といった具合に徐々に減っていった。それによって出てき
た、蚤などによって乗客した従業員は悩まされた。本文の中でも、ストーブにシャツを
近づかせシャツの中にいる蚤や南京虫を、浮き出させ駆除するシーンが幾度も描かれて
いる。
「-それでもしかし眠れない。どこから出てくるのか、夜通し蚤と南京虫に責められ
る。いくらどうしても退治尽くされなかった。薄暗く、じめじめしている棚にたってい
ると、すぐもぞもぞと何十匹もの蚤がすねを這い上がってきた。姉妹には自分の体のど
こかが腐ってでもいないのか、と思った。むしに取り付かれている腐乱した「死体」で
はないか、そんな不気味さを感じた2」。
さらには食事についても述べていく。食事に関しても従業員は十分な食料を食べさせ
てはもらえなかった。本文にも、
「時化ているから汁なし」などといったように、非常に
理不尽な且つ横暴に食事を制限させられていた。それによって、十分な栄養を与えられ
なかったために脚気が流行することになった。このように脚気によって、足の痺れを訴
えるものや足のむくみを訴えるものも数少なくなかったようだ。もちろん、この患者に
対して十分な治療を受けさせてもらえてはいない。艦長の指示により診断書を出すこと
もままならない状態であった。ましてや、脚気による死者も出してしまっている。後に
も述べるが、これを機に乗客している従業員がストライキを始まるきっかけになった。
もちろん過労という面でも従業員を蝕む。太陽が出る前から仕事を行い、太陽が沈む
まで仕事をこなす。それが終わってからも、蟹の加工を行っていたために従業員の休む
1
小林多喜二『蟹工船
2
一九二八・三・十五』岩波書店、2009 年、15 ページ参照。
同上書、34 ページ参照。
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暇など毛頭ない。
「-過労がかえってみんなを眠らせない。夜中過ぎて、突然、ガラスの表に思いっき
り傷をつけるような不気味な歯軋りが起こったり、寝言や、うなされている突調子な叫
び声が、薄暗い「糞つぼ」のところどころから起こった。よく思うことがある-よくま
だ生きているな、そう自分の体に」
ある一人は、糞が何日も詰まって、頭を手拭で力いっぱい締めないと眠れなかったと。
常に従業員達は、自分の体に死が近づいていることを考えさせられる状況であったの
は間違いないはずだ。
これらのように、従業員は睡眠、食事、住むという観点からまったく持って満足いく
ものが無かった。ストレスがたまっていく一方であろう。もちろんココに乗っている人
たちは男だ。そのような環境下で、従業員の中で男から男へのレイプも博愛丸の中でも
おきはじめてきた。
「過労から心臓を悪くした従業員が、鼓動が高くなった心臓の音でどうしても眠れず
甲板にあがってきた。手すりにもたれながら海をぼんやりと見ていた。この体では艦長
に殺されると感じながら。リクも踏めずに死ぬのはさびしすぎると感じながら。そのと
き従業員は誰かがいるのに気がついた。14・5の従業員が従業員になんか言っていた。
何を話しているのかはわからなかったが、後ろ向きになっている若い従業員は、時々
イヤイヤしている子供のように、向きを変えていた。それにつれて従業員もその通り向
きを変える。それが少しの間続いた。心臓を悪くした従業員は喧嘩だなと思った。若い
従業員は、着物で口を抑えられた『むふ、むふ・・・』という息声だけが、ちょっとの
間聞こえていた。
しかし、そのまま動かなくなった。-その瞬間だった。やわらかい霧の中に若い従業
員の足が、すっかり裸になってしまっている。それから若い従業員はそのまましゃがん
だ。とその上に、従業員が覆いかぶさった。それだけがこの一瞬の間に行われた。見て
いた従業員は、思わず目をそらした。酔わされたような、殴られたような、興奮を・・・・
わくわくと感じた3」と。
この、男から男への性欲を自分の目で見て、自分の感情の中から掘り起こしてしまう、
その感情を起こさせてしまうこの環境がそこにはあったと感じてもらいたい。
従業員の中には、性欲によって眠れないものや、
「どうしたらいいんだ」といいながら
勃起している金玉を握りながら裸で起き上がってきたものや、無声をするものもいたと
いう。
ⅳ.企業が蟹工船に固執し守ろうとする理由とは
これまで、これらのように蟹工船・博愛丸の生活環境について述べてきたが、なぜ蟹
工船が存在していたのだろうか。なぜこれまで過酷な労働環境なのに、このように抵抗
3
前掲書、小林多喜二、54 ページ参照。
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できていなかったのか-結果的にはできたのだが-。これからは、なぜ蟹工船が存在し
蟹工船が誰のものなのかについて述べていきたいと思う。蟹工船の本質はココにあり、
時代背景と非常に密接な関係がある。
蟹工船がどういうものであったかを示すのに、本文を引用することが一番わかりやす
く説明できると考えるので、失礼ながら引用で説明していく。最後には、それをまとめ、
蟹工船がどういうものであったかを的確に論じていきたい。
蟹工船の監督が、漁業監督や船長、工場代表といった面々に行った言葉である。
「この蟹工船の事業は、ただ単に一会社の儲け仕事と見るべきものでなくて、国際上の
一大問題でなんだ。われわれ日本帝国人民が偉いか、露助(ロシア)がえらいか。一騎
打ちの戦いなんだ。もし負けることがあったときには、キンタマをぶら下げた日本男児
は腹でも切って、カムサッカの海の中にぶち落ちることだ。
それに、われわれの事業は蟹缶詰だけでなく、鮭・鱒と共に、ほかの国とは比べ物に
ならない優秀な地位を保っており、日本国内の行き詰った人口問題、食糧問題に対して
重大な使命を持っている。だからこそ、どこへ行っても日本帝国の軍艦がわれわれを守
ってくれることになっているのだ4」。
さらにひとつ。ほかの蟹工船が沈没しそうなとき博愛丸に「S・O・S」を出したが、
それに応答しなかった。そのときの文章。
「-蟹工船はどれもぼろ船だ。労働者がオホーツク海で死ぬことなどは、丸ビルにい
る重役には、どうでもいいことだった。資本主義が決まりきったところだけの利潤だけ
では行き詰まり、金利が下がってカネがだぶついてくると、
「文字通り」どんなことでも
するし、どんなところへでも、死に物狂いで血路を求めだしてくる。そこへ持ってきて
何十万が手に入る蟹工船・・・夢中になるのは無理が無い5」。
「蟹工船は「工船」であって、
「航船」ではないために航海法が適用されない。もとも
とは病院船であり、蟹工船となるときには 20 年間近くの間使われていた後のものだ。ロ
シアの監視船に見つかり逃げるときには、船のどの部分もめりめりなって、今にもその
一つ一つが崩れ落ちそうになる。しかし、それでもまったく問題は無かった。なぜなら、
日本帝国のためどんなものでも立ち上がるときだったから。それに、だからこそ蟹工船
は純然たる工場なのに、工場法の適用も受けてはいなかった。
利口な重役達は、このような現実を見逃すわけが無い。うそのようにカネが、ごっそ
りと重役の懐に入ってくるのが現実だ。蟹工船のこのような現実があるにもかかわらず、
。
彼らは代議士に出馬をすることを、自動車でドライブしながら考えている6」
これらのように、企業が蟹工船をここまで固執する理由がココにすべて詰まっている
と私は考える。法にも触れることの無い船を、自由気ままに危ないまま資本家の手で転
4
5
6
前掲書、小林多喜二、19 ページ参照。
同上書、32 ページ。
同上書、98 ページ参照。
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がし、従業員の危険もかえりみず利潤を追う、その姿勢に注視してもらいたい。
「日本のアレ(恐らく財閥や資本家や政府)は支那や満州ばかりでなしに、こっちの
方面も大切だっていうんだ。それにはココの会社が三菱などと一緒になって、政府がう
まくついているらしい。今度社長が代議士になれば、もっとそれをどんどんやるようだ
と7」。
監督があわてていた。猟奇のすぎていく毎年に比べて割が格段に低かったときであっ
たからだ。そこで、艦長は威嚇運動のように従業員に仕事をすることを促す張り紙がな
された。そのように、あせった艦長はロシアの領域内に船を進めることになる。船長は
それを止めたのだが、しかしそれがロシアの監視船に見つかり尋問を受けることになっ
てしまった。そのときの艦長ろ船長のやり取りである。
そういう一切のことは、船としてはもちろん船長がお答えすべきですからと艦長が言
い、船長が尋問を受けることになった。
しかし、船長は函館に返そうと何とも思った。が、それをそうさせない力-資本家の
力が、やっぱり船長をつかんでいた。
これは、船長だけでなく、資本家の力が艦長にもあったと理解してもらいたい。資本
家が、蟹工船に及ぼす力が蟹工船全体にあるということ。艦長でさえも資本家の犬であ
るということ。
後に、この労働環境に耐え切れなくなった艦長や船長を除く従業員達は、ストライキ
を行い艦長達に抵抗していく。艦長たちは何もできずに、このストライキに抵抗する力
は無かった。しかし、数日後ある船が博愛丸に来る。それは、帝国の軍艦だった。われ
われの味方が来たと従業員達は興奮するがそれは違った。蟹工船を無事に仕事を従業員
にこなさせるために、ストライキを止めにきた軍艦であった。艦長が呼んだのであった。
このことによって、俺たちの見方は俺たちしかいないと従業員達は再認識すし、再び
行動に移した。それによって、過酷な労働でなく漁期を終え函館に帰ることができた。
その後の、艦長や船長はというと・・・
漁期中にストライキといった不祥事を起こし、製品高に多大の影響を与えたという理
由のもとに、会社があの忠実な犬を「無慈悲」に涙銭一文もくれず首を切ってしまった。
(3)総括
これらのように、文中から引用し蟹工船「博愛丸」の中で起きていた、劣悪な労働環
境について述べてきた。博愛丸に乗っていた従業員が十分な食事が取れなかったことや
寝どころといった住むという環境が非常に十分ではなく、衣食住が整っていなかったこ
とをメインに取り上げてきた。
しかし、これらの環境を配備していたのが艦長であるというイメージを最初は植えつ
けられているように感じる。しかし、文章が進んでいく中で実際の大元であるのは、三
7
前掲書、小林多喜二、53 ページ参照。
70
菱や住友といった財閥がお金という存在に目がくるみ行われていたことがわかってくる。
さらには、これらの財閥や資本家に手を貸していたのは日本国政府であることも、スト
ライキを行ったが日本国の軍艦に鎮圧された件でわかることであろう。
これには、時代背景が関与していると考える。この本が書かれたのは1929年のこ
とだ。第一次世界大戦によって日本経済が好景気になり、関東大震災を迎え、世界恐慌
とり、これから太平洋戦争の幕開けとなる満州事変が起きようとしている時代である。
上記の引用の部分でも書かれているが、ロシアのことを露助と称したりして、海外国に
敵対心を持っていることが十分にわかると私は考えられる。
さらには、人の命について考えようとしない日本帝国や資本家や財閥にとって、蟹工
船は十分な資金を確保するのに非常に簡単な手段であることが書かれている。
要するに、この太平洋戦争の幕開けとなる事件が起きようとしている時期、またその
太平洋戦争の資金を確保することが蟹工船によって非常に簡単になるということで―戦
争に使う武器や道具は財閥が非常に絡んでいる―私はこの話というものが一つにつなが
ったような感触を得ることができた。
Ⅲ.「赤と黒」について
(1)当時の社会情勢について
「赤と黒」はフランス出身の作家であるスタンダールが 1830 年に発刊された。当時の
フランスは、1815 年にブルボン家とオルレアン家によるブルボン朝復古王政8によって抑
圧されていた社会と旧来の支配階級がしかれていた。
それ以前というと、ブルボン朝復古王政とは逆で、1789 年~1794 年まで市民社会や
民主主義ときっかけとなるフランス革命が起こっている。厳密には、フランス革命が掲
げた自由・平等・同胞愛の近代市民主義の諸原理は、その後市民社会や民主主義の土台
となった。一方で、理性を絶対視し、理性に基づけばあらゆる社会の改造や暴力も正当
化しうるとした点で、その後の共産主義、社会主義、全体主義の母体ともなった。
しかし、ロベスピエール一派の粛清によって革命は転換点を迎えた。過激な革命運動
は沈静化し、ブルジョアジー勢力が復権する。1795 年 10 月 26 日、国民公会が解散され
て総裁政府が成立。そして 1799 年、ブリュメールのクーデターによってナポレオン・ボ
ナパルトが執政政府を樹立し独裁権を掌握した。
しかしその後は、1814 年からその後フランスはナポレオンによる第一帝政へ移行した
が、ナポレオンは 1814 年に対仏大同盟諸国との戦いに敗れ退位した。帝政下の実力者で
あったタレーランは対仏大同盟諸国の意向を察してルイ 16 世の弟ルイ 18 世を新国王と
フランスにおける復古王政は、皇帝ナポレオン 1 世の失脚によってフランスにおける王政復古を果たし
たブルボン家およびオルレアン家による王政である。1814 年のルイ 18 世の即位からナポレオン 1 世の帝
位復帰までのブルボン第一復古王政と、1815 年のルイ 18 世の復位からシャルル 10 世退位までのブルボン
第二復古王政、オルレアン家のルイ・フィリップ王の七月王政に分別される。
8
71
して支持し、ブルボン朝の復古が実現した。
そして 1830 年。1815 年の王政復古により王位に就いたルイ 18 世は、フランス革命に
よる成果を全く無視して、時代錯誤も甚だしい反動的な政治を行った。この復古王政に
よる政権は、アンシャン・レジームよろしく、貴族や聖職者を優遇する政策をとり、市
民たるブルジョワジーの不満は当然高まることになった。
このことをきっかけに、1830 年七月革命がおきる。これにより 1815 年の王政復古で
復活したブルボン朝は再び消滅した。ウィーン体制により構築された正統主義は部分的
に崩壊し、ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に就いた。ここにフランスに
おけるブルジョワジーによる市民革命は一定の成果を持って終結した。
もともと「赤と黒」は、貴族社会といった階級社会に対して猛烈に批判した本である。
スタンダールがこの「赤と黒」を執筆したのは 1830 年であり、執筆途中に七月革命がお
きた。この七月革命によって、スタンダールが批判の対象にした貴族社会・階級社会は
執筆途中に打破されることになった。
以下、主人公である田舎者で貧乏のジュリアン・ソレルが、野心に満ちた心と明晰な
頭脳と記憶力を駆使し、貴族社会に飛び込んでいく姿から、階級社会、また貴族と一般
市民について論じていく。
(2)概要
ここでは、これからこの本をピックアップして論じていきたいと考えているので大ま
かな概要について書いていく。
ある日、ジュリアンはその頭脳の明晰さを買った町長・レナールによって子供たちの
家庭教師に雇われる。やがてジュリアンはレナール夫人と恋におちるが、レナールは 2
人の関係を疑うようになる。そこでレナール夫人はジュリアンをかばって、彼を神学校
に送り込む。神学校に進んだジュリアンはそこでも頭脳の明晰さと記憶力のすばらしさ
を校長のピラール神父に買われ、大貴族のラ・モール侯爵の秘書に推薦される。
ラ・モール侯爵家令嬢のマチルドに見下されたジュリアンは、マチルドを征服しよう
と心に誓う。マチルドもまた取り巻きたちの貴族たちにはないジュリアンの情熱と才能
に惹かれるようになり、2 人は激しく愛し合うようになる。
マチルドはジュリアンの子を妊娠し、2 人の関係はラ・モール侯爵の知るところになる。
侯爵は 2 人の結婚に反対するがマチルドが家出も辞さない覚悟をみせたため、やむなく
ジュリアンをとある貴族のご落胤ということにし、陸軍騎兵中尉にとりたてる。そして、
レナール夫人のところにジュリアンの身元を照会する手紙を送る。
そのころレナール夫人はジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送ってい
た。そして、彼女は聴罪司祭の言われるままに「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を
誘惑しては出世の踏み台にしている」とラ・モル侯爵に書き送る。侯爵は激怒し、ジュ
リアンとマチルドの結婚を取り消す。レナール夫人の裏切りに怒ったジュリアンは、彼
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女を射殺しようとする。レナール夫人は一命を取り留めるがジュリアンは捕らえられ、
裁判にかけられる。マチルドはジュリアンの助命のために奔走するがレナール夫人がジ
ュリアンを愛しており、ラ・モール侯爵への手紙は本意ではなかったということを知っ
たジュリアンは自ら望んで死刑を受け入れる。
これらのように野心的な青年、ジュリアン・ソレルの目を通して、貴族達が七月革命
を恐れながら堕落した生活を送る、王政復古下の聖職者・貴族階級の姿をあますところ
なく表し支配階級の腐敗を鋭くついている。
(3)ジュリアン・ソレルが見る貴族社会
主な登場人物は以下の人々である。
○ジュリアン・ソレル:頭脳の明晰さが光るナポレオンを愛する田舎育ちの好青年。貴
族に対し自分の地位を求めるため野心を働かせているが、貴族に対して考えることは、
常に悲観的なことである。
○レナール夫人:ジュリアンが家庭教師として働く、ヴェリエールという田舎の貴族で
あるレナール家の夫人。貴族としての利益のためにレナールと結婚をし三人の子供を授
かる。そのため恋というものを感じたことがなかった。
○マチルド:ジュリアンがパリの貴族のラ・モール家の秘書として働くが、そのラ・モ
ール家の娘。マチルドは、自分の社会的地位や名誉、お金を守りたいがために自分を誇
示する、マチルドと同等の地位を持つ貴族に不満を持つ。
主にこの三人の中で話が動いているといって過言ではない。話の途中には神学校での
話も挙がるが、それは布石にすぎない。
これからは、一般庶民のジュリアン・ソレルの視点に立ち、
「レナール家でのジュリア
ン・ソレルとレナール夫人」
「ラ・モール家でのジュリアン・ソレルとマチルド」主にこ
の二点について論じていきたい。
ⅰ.レナール家でのジュリアン・ソレルとレナール夫人
ジュリアン・ソレル(以下ジュリアン)は、明晰な頭脳を生まれ持っていた。その頭
脳を買われレナール家のラテン語の家庭教師として働くことになる。その給料はという
と、貴族の子供を教育するということや、多くの給料を支払うことが苦しくないという
貴族としての強さを表すために家庭教師としては高額な給料が支払われることがジュリ
アンと約束されることになる。
そして、ジュリアンは家庭教師としてレナール家に出向くことになる。そのときにレ
ナール夫人をみた彼はこう思った。
「あまり優しいまなざしをしているのに打たれ、その美貌に驚かされ、はや彼はすべて
73
のことを、自分は一体何しに来たのかをさえ忘れてしまった9」。
その際にレナール夫人から、ジュリアンは子供達にラテン語を教える際に子供達をしか
ることを執拗にしないで欲しいといわれる。それには、レナール夫人が夫を愛しておら
ず、また夫はレナール夫人のことを見下していたために子供達だけがレナール夫人にと
って支えだったことが理由として挙げられる。
しかし、ジュリアンと共に暮らしていく中でジュリアンに惹かれていくレナール夫人
は自分がどうしていいかわからなくなってしまう。また恋を知らないということも災い
してかこのようなことを言った。
「ジュリアンが来るまでは、あのたくさんの仕事-パリ以外で、善良な主婦の務めとい
えばそれなのだが-にすっかり追い回されていた。レナール夫人は、ちょうどわれわれ
が富くじに対するのと同じように、恋というものを解していた-きっとだまされるに決
まっている、愚か者だけが追い求める幸福だ、というふうに10」。
しかし、彼の行動によってレナール夫人自身が感じていたものが愛なんだと確証する。
レナール夫人の夫であるレナール氏にジュリアンは侮辱されてしまう。その悔しさから、
「物質的な幸福をあんなに満喫している、こんな男を馬鹿にしてやるには細君の手を俺
のものにするのが一法じゃなかろうか11」と談義の時間にレナール夫人の手に覆うかのご
とく接吻をした。そのときにレナール夫人は「まぁなんとしたことだろう!あたしが愛
を感じている-恋している!人妻のあたしが恋しようというのか!けどあたしは夫に対
しても、今まで一度だってこんなうす気味悪いほどの情熱を感じたことは無い、ジュリ
アンのことを思わずにしてじっとしていられないんだモノ12」。
このようにジュリアンに対する気持ちを明確なものにするのであった。またこの行動
がジュリアンは鉱感じるのであった。
「そうだ、俺はこのひとつの戦いに勝ったのだ。だがそれを利用しなくてはならん。
この高慢ちきな貴族が『退却』しているときに、やつの自尊心を踏みにじってやらねば
ならん13」と。
このようにジュリアンが貴族に対する気持ちというのは貴族というものを超え、地位
だけで生きている人間だということを強く感じていた。
ここでひとつ話しには少しそれるがひとつ紹介したいジュリアンの言葉がある。レナ
ール家に一人きりですごした時間があった。その数週間が彼にとって非常に幸福な出来
事であった。そのときのジュリアンの言葉を紹介したい。
「あの静かな家に一人いたときには、少しの邪魔者もなしに、読んだり書いたり、考
えたりすることができたではないか。未来の輝かしい夢想をしていても、しょっちゅう、
スタンダール著、桑原武夫、生島遼一訳『赤と黒 上巻』岩波書店、1958 年、64 ページ。
前掲書、スタンダール『赤と黒 上巻』
、105 ページ。
11 同上書、136 ページ。
12 同上書、137 ページ。
13 同上書、139 ページ。
9
10
74
そこにいる一人の卑しい人間の心の動きを観察しなければならないという気持ちから、
妨げられる心配も無かったし、それにまた、偽善的なしぐさや言葉で相手をだましてい
る必要も無かったのだ14」。
この言葉は、書いてあるようにジュリアンが一人でいるときに感じている思いである。
ジュリアンが自分自身のこと、またジュリアンが貴族と接している中でいやだったこと
が素直に書かれている。
話を戻す。そのようにジュリアンとレナール夫人は夜中にレナール氏にばれないよう
に一緒の部屋に入り会話や接吻といったものを行っていた。しかし、その姿をレナール
氏は感づいてしまう。さらには、町中のうわさにまでなってしまった。
ジュリアンは、レナール夫人の子供達を家庭教師として叱ったりしてはいたのだがジ
ュリアンの人柄に子供達はひかれ、強く叱ったことがあっても子供達はジュリアンのこ
とが好きであった。そのこともレナール夫人はもちろん気づいており、レナール夫人で
さえもジュリアンと子供達と暮らせれば幸せだとはわかってはいた。しかしそのように
話がうまくいくわけでもなく、レナール氏の決定によってジュリアンは神学校へ行かな
くてはなってしまう。なぜ神学校なのかというと、それはレナール氏自身の名声のため
であった。それには、神学校の学費や生活費もレナール氏が工面せざるを得なく、レナ
ール氏はこの家に家庭教師を雇うと考えたその日を幾度と無くのろいながら考えていた
のであった。
そして、レナール夫人と最後のときを迎えてしまった。レナール夫人は次の言葉を最
後にしてジュリアンと別れてしまう。
「こんなに、あたしほど、悲しい目にあった人はいないと思いますわ・・・・・死ね
たらうれしい・・・胸のところが段々冷たくなってくるようよ・・・15」と化石のように
言った。
ジュリアンは、その後神学校に向け歩く。
「彼の心はかなしかった。山を越えてしまうまで、ヴェリエールの寺の鐘楼が見える
限りは、幾度も後ろを振り返った16」。
ⅱ.ラ・モール家でのジュリアン・ソレルとマチルド
その後神学校では、名誉やカネを求めてくる生徒が多くジュリアンは失望すると共に
この生徒達を侮辱していた。そして神学校ではトップの成績を誇っていた。
そのようなときでも、彼はレナール夫人のことは忘れてはいなかった。そして神学校
でその生まれ持った才能を評価されたジュリアンは、ピラール氏の紹介でパリの貴族の
家であるラ・モール公爵の家の秘書として勤めるようになる。レナール夫人といたヴェ
14
15
16
前掲書、スタンダール『赤と黒
同上書、322 ページ。
同上書、323 ページ。
上巻』
、311 ページ。
75
ルナールと違い、首都であるため貴族としてのあり方も微妙に変わっている。そんな中
で秘書を始め、図書館での読書・パーティーへの参加・オペラの鑑賞といった経験をつ
み、成長していく。またそれと共に、それを通して貴族への思いへの不満というものは
ますます高くなっていくのであった。
そしてパリの貴族であるラ・モール公爵に秘書として雇われることが、どれだけこれ
からの人生に関わってくるかということを、ジュリアンの師であるピラール氏がこのよ
うに言っている。
「われわれ僧侶には、大貴族に頼るよりほかに、出世の道は無いことをよく知ってお
かなければならん。そして君の性格のうちには、何か少なくともワシにははっきりつか
みにくい、あるものが潜んでいるから、君は出世できなければ、きっと迫害されるに相
違ない。
~中略~
ラ・モール公爵がこんな気まぐれをおこさなかったら、君はブザ
ンソンでどうなっていただろう。公爵とその家族に対して、終生感謝をささげなければ
ならない。君なんかより学問もよくできるのに、ミサでえた 15 スーとソルボンヌの宗論
でえた 10 スーとだけでパリで幾年も暮らした貧しい僧侶が幾人あっただろう! ~中略
~
ワシは免職されそうになったから、辞表をたたきつけた。友達は一人もなし、知り
合いがやっと2・3任あるばかりという有様だった。一度もあったことの無いラ・モー
ル候が、この難場を救ってくれた。鶴の一声で仔細職があてがわれ、その今日区分はみ
んな暮らしの楽な、卑しい罪悪などを超越した人たちばかりだし、収入は自分の仕事と
あまり釣り合わぬので気恥ずかしいほどである17」と述べている。
このように当時のブルボン朝復古王政の時代には、貴族が莫大な権力を握り、人の人
生をも操るほどであったことが十分にわかる。
そしてマチルドとジュリアンはこの後に、恋におち激しく愛を感じあうのであったが、
ジュリアンとマチルドはその恋という解釈が微妙にずれていた。
マチルドの場合はというと、パリのましてやフランス内で最も権力を握る貴族達の中
で育ったマチルドは、貴族というものが、権力を行使しているにもかかわらず(だから
かもしれないが)、自分の身を守り、社会に対しおびえている姿を表現している中で育っ
ており、ジュリアンのように自分ひとりでも行動に走るその野心に満ちた青年を見るこ
とがはじめてであった。それと同時に、この青年に対し興味が沸き、徐々にそれが恋心
に変わっていった。
それがわかる文章があるので引用したいと思う。これは、クロワズノワ公爵と兄に向
かって気になっていたジュリアンをほのめかしたときの言葉である。
「『あんなに勢力のある若者には気をつけたほうがいいよ』と兄が鋭く言った。『また革
命でも始まったら、われわれをみんなギロチン台に送ってしまうに違いない』彼女はそ
れにわざと答えずに、精力をそんなに怖がっている兄とクロワズノワ公爵にあわてて笑
談を浴びせかけた。
17
~中略~
前掲書、スタンダール『赤と黒
『あなた方ってば、いつまでもいつまでも、世間の笑
下巻』25、26 ページ。
76
いものが怖いのね。お気の毒さま、そんなお化けは 1816 年にとっくに死んでしまったわ』
~中略~ 『だからあなたは』と彼女はジュリアンの敵にいった。
『一生びくびくしてい
るばかりなの、そしてあなた方が死んだらみんなが言ってくれるわ・・・そは狼にあら
ずしてただその影に過ぎざりき・・・・』18」。
ここでは、マチルドが見るジュリアンと貴族の違いを表しているだけでなく、貴族の
社会の中での姿勢を書かれている。
それに対しジュリアンの場合はというと、最も権力のある貴族のなかで秘書として勤
めることになったジュリアン。その中で貴族の中で、自分としての地位・ステータス・
力というものを表現したいという野心にかられ、貴族の愛娘であるマチルドを落とした
いという気持ちが強かったのだ。実際、マチルドが暴慢な態度を取った際にレナール夫
人のことを思い出している。
「もう失ってしまったあの人と、なんという違い方だろう!自然のままのあのなんと言
う魅力!あのあどけなさ!あの人の考えることは俺のほうがさきにわかってしまうのだ
った。考えが浮かんでくるのが目に見えた。あの人の心における俺の敵手、それは子供
の死に対する恐怖だけだった。その子供を愛する気持ちも自然でいかにもと思われて、
それに悩まされている俺の目にすら好ましく映ったものだった。パリのことで頭がいっ
ぱいで、あの人のすばらしい良さを味わうことができなかったのだ19」。
ジュリアンの達成感や欲望がこのマチルドに対しての愛情の本質となっているのだ。
またジュリアンの野心というものがヴェリエールにいるときからパリに向けられていた
のだ。
そして彼らジュリアンとマチルドの仲に子供ができることが発覚する。それに伴って、
ジュリアンも、マチルドとの関係を改めて自覚し、自分の子供のために生きなくてはな
らないと思うのであった。
最初は、ラ・モール公爵はそれを認めなかったが、マチルドの説得により、地方の土
地をジュリアンとマチルドに与え、貴族の娘の嫁ぐ先にはそれなりの地位が必要だとい
うことから、貴族の力を使い軽騎兵中尉の称号をジュリアンに与えることに公爵はした
のであった。
そのとき、ラ・モール公爵はふとジュリアンに対し正体がわからなくなってしまい、
レナール家にジュリアンについての手紙を出すのであった。レナール夫人から送られて
きた手紙にはこのようにかかれてあった。
「お問い合わせのほうの行状は、私の口から到底申し上げられぬほど、恐ろしい罪深い
ものであったのでございます。貧乏生まれで貪欲なこの男は、巧妙きわまる偽善の助け
を借り、また弱い不幸な一人の女を誘惑して、自分の地位を作り世に出ようといたしま
した。
18
19
~中略~
正直に申し上げれば、あの人がある過程で成功しようとするときの
前掲書、スタンダール『赤と黒
同上書、144 ページ。
下巻』169 ページ。
77
手段の一つは、その家で一番信用篤い婦人を誘惑することであるとしか考えられません。
あの人の最も大きなそして唯一の目的は、その家の主人をわが意のままにてなづけて、
財産をほしいままにしようということでございます。あのひとこそ、その去った後にい
つも不幸と永遠の悔恨を残していく人でございましょう20」。
涙に半ば消えてしまっている手紙は、明らかにレナール夫人の手で認められたものだ
った。そしてジュリアンは読み終えるとすぐにヴェリエールへ向かう・・・。
「ジュリアンは朝ヴェリエールについた。そしてジュリアンはピストルを一対用意し、
主人は彼の望むまま装填してくれた。ミサの合図の鐘が 3 つ鳴り、ジュリアンはヴェリ
エールの新築の御堂へ入っていった。そしてジュリアンはレナール夫人の腰掛の数歩後
ろにきた。自分を愛してくれた夫人の姿を見ると、ジュリアンの腕がしきりに震えて、
しばらくは計画を行動を実行することはできなかった。(おれにはできない。生理的に、
できないのだ)
このとき、ミサを勤めている若い僧侶が奉供の合図のために鐘を鳴らした。と、レナ
ール夫人はうつむきかげんになったので、少しの間、顔がまったく肩掛けの壁の中に隠
れてしまい、ジュリアンには、はっきりそれがレナール夫人と見分けられなくなった。
彼はピストルを引いた。あたらない。二発目を打つと、夫人はぱったり倒れた21」。
ⅲ.ジュリアン・ソレルの最後のとき
それからというものジュリアンは警察に捕まった。そしてマチルドに手紙を書き、私
たちの子供はレナール夫人に預けること・助けが必要なときはピラール氏に頼ること・
クロワズノワと結婚することを告げる手紙を書いた。それには、一度愛を決めた女性を
救いたいというジュリアンの気持ちが込められていたのだ。
そして彼は死が近づくにあたって彼ははるかに誠実な人間になって、マチルドに対し
てすまなく思うことが多くなっていったのだ。
「なんと言うことだ。あの女が来ると、よそのことを考えていたり。いや退屈でたま
らぬと思ったりするときがある。あの女は俺のためにわが身を捨てようとしているのに、
おれのお礼の仕方といえばこういうふうだ!おれはたちが悪いのだろうか。こういう疑
問は彼が野心をたくましくしていた時分なら、気にもかけないことだろう22」。というふ
うに、彼はレナール夫人に発砲し警察に捕まったことをマチルドに対してすまなく思っ
ていたのだ。
そして彼は監獄にいる最中に自分のことについてこう感じていた。
「まったく、俺の運命は夢見つつしぬことらしい。おれのごとき、世間に知られても
いない人間はどうせ二週間もすれば忘れられてしまうに決まっているのだから、正直の
20
21
22
前掲書、スタンダール『赤と黒
同上書、437 ページ。
同上書、474 ページ。
下巻』434 ページ。
78
ところ、お芝居めいたことをやったりすることはばかげている・・・ただ不思議なこと
は、こうして最後の瞬間に近づいて初めて、俺が人生を楽しむすべを知ったことだ23」と
書かれている。ジュリアンは、レナール家・神学校・ラモール家で学んだことを糧にし
て、今まで人というものが必ずしもついていた社会から一人になることで、自分自身の
考えについて深く考えることができるようになり、そのことについて彼自身満足してい
たのだ。
しかし、その裁判のときを迎えるのだった。裁判中のジュリアンの弁舌はかなり中傷
的で言いまわされていたのだが、犯罪が謀殺であったこと、その公開、および彼がかつ
て幸福であった頃レナール夫人に対して抱いていた尊敬、子供の親に対するごとき無限
の愛情について述べ、裁判を見ていた野次馬達はみんな声を上げてないたという。
その裁判に対して、マチルドのジュリアンに対する愛情によって陪審員の一人である
貴族に賄賂を渡しジュリアンが無罪になることを策略するのであったが、その貴族に裏
切られジュリアンは有罪の判決を受けてしまった。
有罪判決を受け死刑が行われる日を待つジュリアンのところに、黄金の力と、有名な
信心者でかつ富裕な伯母の権力を乱用することによってレナール夫人がジュリアンの前
に現れることができ、こう言う。
「あたしの第一の義務は、あんたのためのことなの24」と彼に接吻しながらジュリアンに
会いにきた。その夫人に対してジュリアンは、つまらぬ自尊氏を持っていないだけに、
自分の気の弱さを率直に打ち明けて話した。ジュリアンはレナール夫人に対しての愛情
の激しさを自覚する。
「ジュリアンは自分がこんな恐ろしい迷惑をかけた気の毒な娘に対して、最後まで誠意
にかけぬようにしたいとは思っていたが、いつもレナール夫人を思う狂熱的な恋情のほ
うがかってしまうのであった25」。
そしてジュリアンは死が近づくのがわかっていく中で、次のようなことを自覚し彼に
とって本当に大切なことを感じる。まだレナール夫人と過ごしていたヴェルナールにす
んでいたときのことだ。
「フランスの最も富んだ地方をはるか彼方に見渡すと、野心が俺の胸を燃やしたもの
。
だった。あの頃、それが俺の生きがいだったのだ26」
「ずっと以前に、あのヴェルジ-の森をレナール夫人と二人で散歩していたとき、私
はずいぶん幸福になれたものを、あの時は激しい野心が私の心を空想の国のほうへいつ
も引っ張っていったのです。私の唇のすぐそばにあったこの美しいかわいい二の腕を胸
にじっと押し当てることもしないで、未来のことばかり考え、あなたを忘れていた。私
はあの頃、えらく出世をするためにやらねばならに無数の闘争を心の中で交えていたの
23
24
25
26
前掲書、スタンダール『赤と黒
同上書、538 ページ。
同上書、540 ページ。
同上書、548 ページ。
下巻』
、484 ページ。
79
です・・・まったく、あなたがこの牢屋へ着てくれなかったら、私は幸福というものを
知らずに死んでしまったのだろう27」。
死刑当日になり、ジュリアンの首はギロチンによって跳ね飛ばされてしまった。
「マチルドが部屋の中をあわただしく歩く声が聞こえた。彼女は幾本かのろうそくを
ともした。彼女は大理石の小卓の上に、自分の正面に、ジュリアンの首を置いて、その
額に口付けをしている・・・
マチルドは、恋人が自ら選んだ墓地まで着いていった。多くの僧侶に守られてすすむ
あいだ、人知れず彼女は黒布で覆われた車にひとり乗って、自分があれほどまでにいと
しんだ男の首をひざにおいて運んだ。
~中略~
人々の中に、マチルドは袖長のふく
につつまれて姿を現した。そして四季の終わりには、数千枚の 5 フラン貨幣をばら撒か
せた。
~中略~
マチルドの計らいで、この荒れ果てた洞窟もイタリアで高い費用を
かけて彫らせた大理石によって飾られた。
レナール夫人は約束を忠実に守った。すすんで自分の命を地締め用途などとは決して
しなかった。けれども、ジュリアンの死後三日目に、夫人は自分の子供達を抱きながら
この世を去った28」。
(4)総括
ジュリアンは、自分の才能とありふれた野心によってこのような人生を送ることがで
きた。これは、私はジュリアンにとって必ずしも不幸であったと私は考えていない。
自分の才能によって、レナール家に家庭教師と雇われることができレナール夫人と出
会うことができた。さらには、ラ・モール家の秘書として働き、パリの貴族の秘書とし
て田舎者のジュリアンにとってはかけがいの無い経験ができたと思う。そしてマチルド
と出会うことができたのだ。
しかし、結果としてはレナール夫人を謀殺しようと試みて失敗し死刑が行われること
になってしまうのだが、ジュリアンにとってマチルドとの子供が生まれ、ラ・モール氏
に名誉のある職業と土地を頂き最高のときを得ようとしていたのだった。しかしこの出
来事によって、ジュリアンには本当に大切なことがわかることができたのだ。脚注の 26・
27 のところで述べられている文章を見てもらいたい。
私はこう思う、ジュリアンは貴族社会に飛び込むことによって迫害を受けるが、しか
しそれに負けない野心によって名誉を得ることができたと思っただろう。さらに、貴族
の仲間入りになることで自分自身の力というものを誇示できるということが非常に幸せ
であると思うことができたと思う。しかし、死刑判決を受け、ジュリアンが一人になり
物思いにふけていろいろなことを考えるようになったときに、レナール夫人と再会し愛
を確かめあった。そのときに彼自身、自分自身が貴族社会に入ることによって得ること
27
28
前掲書、スタンダール『赤と黒
同上書、549、550 ページ。
下巻』
、542 ページ。
80
ができた、地位と名誉とカネではなく愛を確かめ合うことによる幸せを自覚することが
できたのだ。
マチルドは、ジュリアンの貴族には無い行動力とその野心に惹かれていたのだが、彼
女はそのことをもうわかっていたのではないかと私は思った。脚注の 29 の中に、5 フラ
ンの紙幣を数千枚ばら撒いたと書かれている。この行動の裏には、ジュリアンが貴族社
会に入ることによってうけた迫害をマチルド自身が感じていること、貴族の策略によっ
てジュリアンが死刑判決を受けてしまったことの、この二つが貴族の象徴であるカネを
ばら撒くことによって、マチルドの貴族に対する嫌悪感をあらわしているのだと感じた。
これらのように、マチルドとレナール夫人・主人公のジュリアン・ソレルの中で、貴
族の権力行使によっておきる様々な、普通ではなくすばらしい人間関係が形成され、壊
され、また確かめ合う。この、貴族の権力による一般庶民への迫害を題材にしていて、
権力という力を真っ向に否定したくなる。
Ⅳ.終わりに -自分の
自分の経験との
経験との比較
との比較からこれらを
比較からこれらを考察
からこれらを考察-
考察-
これらのように「蟹工船」
「赤と黒」を読み、登場人物の立場になって考えることを主
体として考察して述べてきた。
蟹工船では、労働者と経営者について。赤と黒では、生まれ持った覆ることのできな
い階級について述べられていた。お互いとも決して現代の話ではなく、蟹工船は昭和初
期の話であって、赤と黒では中世ヨーロッパの話ではあったが、私は決して昔の話で終
わることはなく、今私たちが生きている世界・社会についても同様のことが述べること
ができると思う。
そして、私はこの二つを読み、二つに共通していえることができ、私が非常に考えさ
せられることがあった。それは、ジュリアンには、ジュリアンの望む社会的地位と愛し
き人との恋愛を、貴族の自分の地位・名声を保つための権力とカネの行使によってそれ
を壊され、蟹工船の労働者は、資本家の自分勝手な欲から、人という道具を使って自分
のための権力や地位、カネを得ようとしているようにしか私には見えない。どのような
時代・職業や身分であっても、人間といったものは、これらのような、地位や社会的信
頼を保ち得るためには、いかなる手段も選ばないということだ。そしてその権力を行使
できる状況であれば、最大限に活用し出る杭を打つように這い上がるものを消していく
と思う。
とはいえ、これを第三者として客観的に受け止めているだけでなく、これらの欲や地
位といったものは人間誰しも欲しているものであると私は思う。私たちにも、気がまっ
たく乗らないが、何かを頼まれたり何かをしなくてはならないときが必ずあるはずであ
る。その際、その行動する基準として周りからの目を気にして行動を移すときが無いで
あろうか?また、これから社会に出て、組織の中で同じ意識を持ち仕事をして生きる私
81
たちにとって、組織を組織の中の一員として維持するために、また組織の中で自分の存
在という地位や信頼を存在させるために、倫理の無いこと、自分の考えでない事柄に関
しても行わなくてはならない状況が想像すればすぐ浮かび上がる。このようなことにも、
蟹工船の経営者や、赤と黒の中で貴族が行っていた地位や社会的信用を保ち得るための
手段が私たちの社会にも、形が変わって現在も行われているといってもいいのではない
だろうか。
赤と黒の中で、ジュリアンは偽善という言葉を一番と言っていいほど使っていた。貴
族というものを「愚劣な偽善者29」という風にもあらわしている。そして、ジュリアンは
自分自身が貴族から受けて感じたことを最後次のように言っていた。
「おれは真理を愛したが・・・それはどこにあるのだ・・・どこもかしこも偽善ばか
りで、一番行いの正しい人たち、もっとも立派な人たちでさえ、やっぱりいかさまをや
っている。
・・・いや人間同士は信頼できるものじゃない30」と。
貴族達が行ってきた行動というものは、それとは違った行動であっても自分達が欲し
い地位と社会的信用を保つための行動であって、地位と社会的信用を保つためであらば、
何をしてもかまわないという姿を、ジュリアンは偽善という言葉を使ってあらわしてい
るのだ。またその貴族達の姿を見て、結局はみな自分のためのことしか考えずに、利己
主義の社会で自分達は生きているのだといいたかったのだろうと私は思う。
先ほど私は、地位と社会的信用を保つための行動が私たちの社会にも形が変わって存
在するといった。このことを今また考えて欲しい。そして、現在の話に代替してもらい
たい。要するに、私たちが生きている社会にも、自分自身のための、利己主義の社会で
私たちは、偽善と立ち向かいながら生きているのだ。
それは、貴族達がそのように生きていかなくてはならないのと同じように、私たちも
これから社会の中で、同じ一緒に生きていく人間達とともに生きていくには、このジュ
リアンの言う「偽善」という言葉は絶対に必要不可欠なものであるに違いない。
しかし、ジュリアンが最後に気づく人間にとって大切なものを忘れてはいけない。
人を愛し、愛されるために生きるということを。
そしてジュリアンこそが一番自分のことを大切にしていると私は思う。
29
30
前掲書、スタンダール『赤と黒
同上書、533 ページ。
下巻』528 ページ。
82
【参考文献一覧】
小林多喜二『蟹工船 一九二八・三・十五』岩波書店、2009 年。
スタンダール著、桑原武夫、生島遼一訳『赤と黒 上巻・下巻』
、岩波書店 1958 年。
松島雅典『
「赤と黒」の解剖学』朝日選書、1992 年。
山田清三郎『プロレタリア文学史』理論社、1954 年。
83