図書の歴史と図書館

図書館活用法 第 5 講 (2007
2007 年度)
年度) 生田キャンパス
生田キャンパス
図書の
図書の歴史と
歴史と図書館
2007
2007 年 10 月 19 日(金)
明治大学図書館 高橋美子
目次
1.
2.
3.
4.
はじめに … p.1
書き記すということ … p.1~
p.1~4
教養について
教養
について …p.5~7
記録について
p.7
記録
について … p.
7~13
文字の
p.7
(1) 文字
の誕生 … p.
7~9
p.9
(2) ヒエログリフ … p.
9~11
p.11
(3) 楔形文字 … p.
11
p.11
11~
(4) アルファベット … p.
11
~12
p.1
(5) 漢字 … p.
12~13
図書館の
p.1
5. 図書館
の歴史 … p.
13~22
p.1
(1) 大学図書館 … p.
14~16
イスラム世界
p.16
(2) イスラム
世界 … p.
16
印刷術の
p.16
(3) 印刷術
の発明 …p.1
6~17
(4) ルネサンス …p.17
16~
(5) 16
~18 世紀 …p.17~19
ドイツ)
(ドイツ
)
フランス)
(フランス
)
スペイン)
(スペイン
)
イギリス)
(イギリス
)
17~
p.19
(6) 17
~18 世紀 …p.1
9
19~
p.19
(7) 19
~20 世紀 …p.1
9~20
世紀~
p.20
(8) 20 世紀
~ …p.
20
日本の
p.20
20~
(9) 日本
の図書館 …p.
20
~22
5. 図書館
図書館の
自由について
p.2
の自由
について …p.
22~23
2007
007 年度 図書館活用法 第 5 講 「図書の
図書の歴史と
歴史と図書館」
図書館」
2007
2007 年 10 月 19 日(金) 高橋美子
1. はじめに
生田キャンパス
生田キャンパスは
キャンパスは、理工学部と
理工学部と農学部の
農学部の 2 学部があり
学部があり、
があり、2 つの学部
つの学部の
学部の 1 年生から
年生から大
から大
学院後期までの
学院後期までの学生
までの学生・
学生・大院生と
大院生と教職員から
教職員から構成
から構成されています
構成されています。
されています。明治大学は
明治大学は生田キャン
生田キャン
パスの
パスの 他に 、駿河台キャンパス
駿河台キャンパス、
キャンパス、和泉キャンパス
和泉キャンパスがありますが
キャンパスがありますが、
がありますが 、教養課程から
教養課程から専門課
から 専門課
程、大学院まで
大学院まで一
まで一つのキャンパス
つのキャンパスで
キャンパスで学べるのは生田
べるのは生田キャンパス
生田キャンパスだけです
キャンパスだけです。
だけです。生田キャン
生田キャン
パスには
パスには、
には 、教室棟や
教室棟や実験棟の
実験棟の他に 、研究施設、
研究施設、圃場などがありますが
圃場などがありますが、
などがありますが、キャンパスの
キャンパスの
ちょうど中心
ちょうど中心に
中心に図書館があります
図書館があります。
があります。生田キャンパス
生田キャンパスを
キャンパスを一つの宇宙
つの宇宙と
宇宙と見立てると
見立てると、
てると、宇宙の
宇宙の
中心に
中心に図書館があるというわけです
図書館があるというわけです。
があるというわけです。
日本だけでなく
日本だけでなく、
だけでなく、世界中の
世界中の大学の
大学のキャンパスの
キャンパスの中には必
には必ず図書館があ
図書館があります
があります。
ります。図書
館のない大学
のない大学はありませんし
大学はありませんし、
はありませんし、また、
また、図書館を
図書館を持たない国民
たない国民も
国民も殆どありません。
どありません。ただし、
ただし、
置いてある図書
いてある図書の
図書の種類は
種類は 、国家体制やその
国家体制やその国
やその国の 宗教によってかなり
宗教によってかなり異
によってかなり異なることはあり
ます。
ます 。 生田図書館の
生田図書館 の 場合は
場合 は 、 理工、
理工 、 農学部の
農学部 の キャンパスということで
キャンパス ということで、
ということで 、 自然科学、
自然科学 、 工
学・技術系の
技術系の図書と
図書と雑誌を
雑誌を中心に
中心に収集しています
収集しています。
しています。
ではなぜ、
ではなぜ、学びの場所
びの場所だけでなく
場所だけでなく、
だけでなく、人間が
人間が生きる場所
きる場所には
場所には図書館
には図書館や
図書館や本があるのでし
ょう?
これからこの理由
理由を
えていきたいと思
います。
ょう
?これからこの
理由
を考えていきたいと
思います
。
2. 書き記すということ
図書館は
図書館は英語で
英語で library ですが、
ですが、その語源
その語源をたどると
語源をたどるとラテン
をたどるとラテン語
ラテン語の Liber(
iber(木の皮)になり
ます。
ます。図書館は
図書館は木の皮、すなわち樹皮
すなわち樹皮を
樹皮を集めたところという意味
めたところという意味です
意味です。
です。さあ、
さあ、これはどう
いうことでしょうか?
いうことでしょうか?図書館には
図書館には何
には何が置いてあるでしょう?
いてあるでしょう?それは「
それは「本」です。「
です。「本
。「本」という
漢字の
ちを見
てみると、
という字
えて、
元来は
部分、
漢字
の 成り立ちを
見てみると
、木という
字の 下に 一を加えて
、元来
は木の 下の部分
、
根元を
意味であり
であり、
やがてそれは土台
土台となるもの
となるもの、
基本となるものの
となるものの意味
意味になりま
根元
を示す意味
であり
、やがてそれは
土台
となるもの
、基本
となるものの
意味
になりま
した。
した
。
すなわち本
人間がこの
がこの宇宙空間
宇宙空間に
誕生して
して以来
以来、
たこと、
いたこと、
すなわち
本は、人間
がこの
宇宙空間
に誕生
して
以来
、見たこと
、聞いたこと
、感じた
こと、
経験したこと
したこと、
発見したり
したり、
発明したこと
したこと、
さらに想像力
想像力を
駆使して
して書
いたものなど
こと
、経験
したこと
、発見
したり
、発明
したこと
、さらに
想像力
を駆使
して
書いたもの
など
ありとあらゆる
とあらゆる事柄
事柄を
したものであり、
すべての土台
土台となるもの
となるものという
という意味
意味が
あり
とあらゆる
事柄
を書き記したものであり
、本はすべての
土台
となるもの
という
意味
が
あるのです。
その土台
土台となるもの
となるもの、
体系的に
整理して
して保管
保管し
必要に
あるのです
。その
土台
となるもの
、本を集め、体系的
に整理
して
保管
し、必要
に応じて
利用に
するところ、
それが図書館
図書館です
です。
利用
に供するところ
、それが
図書館
です
。
たちは生
まれてから死
ぬまで、
それぞれの時期
時期に
人類が
経験して
して積
私たちは
生まれてから
死ぬまで
、それぞれの
時期
に 、人類
が 経験
して
積み重ねた
知恵や
知識を
自分で
意識する
する、
しないに関
わらず、
取込ん
だり、
知恵
や知識
を、自分
で意識
する
、しないに
関わらず
、取込
んだり
、それらをもとにした
たな知識
知識を
発信したりして
したりしています
います。
その方法
方法は
最初は
からの語
りかけ、
新たな
知識
を発信
したりして
います
。その
方法
は 最初
は親からの
語りかけ
、すなわち
言葉から
から始
まり、
文字が
めるようになると紙
されているもの、
新聞や
言葉
から
始まり
、文字
が読めるようになると
紙に記されているもの
、新聞
や本からであ
ったり、
最近で
インターネット上
からも情報
情報や
知識の
受発信をします
をします。
しかし、
ったり
、最近
ではインターネット
上からも
情報
や知識
の受発信
をします
。しかし
、最 も 長
1
い間、人が使ってきた知識
ってきた知識や
知識や経験の
経験の確かな伝達
かな伝達や
伝達や獲得の
獲得の手段は
手段は書き記すということで
した。
した
。
東西を
わず、
体系的な
文字が
出現する
する以前
以前から
から、
人間は
自分たち
たちがここ
洋の 東西
を 問 わず
、体系的
な文字
が 出現
する
以前
から
、人間
は 、自分
たち
がここ
にいたという確
かな証拠
証拠を
すために、
記号や
って書
してきました。
にいたという
確かな
証拠
を示すために
、記号
や絵を使って
書き記し、残してきました
。
発明される
される以前
以前は
知識や
知恵の
伝達や
部族の
伝承、
まりごとなどを
などを樹皮
樹皮や
紙が 発明
される
以前
は 、 知識
や知恵
の 伝達
や部族
の 伝承
、決 まりごと
などを
樹皮
や
木片、
粘土や
などに、
アジアでは
ではそれらに
それらに加
えて竹
絹布などに
などに書
しました。
木片
、粘土
や石などに
、アジア
では
それらに
加えて
竹、絹布
などに
書き記しました
。ラ
イブラリーの
語源が
であることがここからもわかります。
イブラリー
の語源
が木の皮であることがここからもわかります
。
筆記素材はなんであれ
はなんであれ、
すこと、
それを周囲
周囲の
たちや後世
後世の
筆記素材
はなんであれ
、人は 書き記すこと
、それを
周囲
の 人たちや
後世
の 人たち
伝達することに
することに非常
非常な
熱意を
けてきたのです
のです。
かに伝
えたい、
っておいてほ
に伝達
することに
非常
な熱意
を傾けてきた
のです
。誰かに
伝えたい
、知っておいて
ほ
しい、
てあげたいこの
たいこの気持
気持ち
それらの蓄積
蓄積が
叙事詩や
音楽や
芸術や
学術を
しい
、教えてあげ
たいこの
気持
ち!それらの
蓄積
が叙事詩
や音楽
や芸術
や学術
を生
みだし、
その伝達
伝達の
手段として
としてやがて
やがて本
まれていったのです。
みだし
、その
伝達
の手段
として
やがて
本が生まれていったのです
。
筆記素材も
時代が
むにつれ、
きやすいものが作
されました
ました。
筆記素材
も時代
が進むにつれ
、書きやすいものが
作り出され
ました
。紀元前 5000
年頃には
には古代
古代エジプト
エジプトで
パピルス(
かやつり草科
草科の
水辺植物
植物)
繊維を
縦横に
年頃
には
古代
エジプト
でパピルス
(かやつり
草科
の水辺
植物
)の繊維
を縦横
に 貼 り合
せたパピルス
パピルス紙
まれました。
現在の
語源となったものです
となったものです。
紀元前
せた
パピルス
紙が生まれました
。現在
の paper の語源
となったものです
。紀元
前2世
紀頃には
にはパーチメント
パーチメント(
羊皮紙)
ヴェラム(
子牛皮紙
などが使
われるようになり、
紀頃
には
パーチメント
(羊皮紙
)やヴェラム
(子牛皮
紙)などが
使われるようになり
、やが
紀元前後に
中国で
発明され
されると
ると、
それはシルクロード
シルクロードを
時間をかけ
て紀元前後
に中国
で紙が 発明
され
ると
、それは
シルクロード
を 通り、長い時間
をかけ
へと伝
わっていきました
した。
618907)
イスラム国家
国家である
であるアッバース
アッバース朝
750~
て西へと
伝わっていきま
した
。唐(618
-907
)とイスラム
国家
である
アッバース
朝(750
~
1258)
有名な
タラス川
現在の
キルギスタン)
いで中国
中国の
1258
)との戦いで有名
な 751 年のタラス
川(現在
のキルギスタン
)の戦いで
中国
の製紙
捕虜となり
となり、
イスラム世界
世界に
製法が
えられたことはみなさんも世界史
世界史の
工が捕虜
となり
、イスラム
世界
に紙の製法
が伝えられたことはみなさんも
世界史
の教科
んだとおりです。
大量殺戮兵器の
出現によって
によって戦争
戦争の
世紀といわれる
書で学んだとおりです
。大量殺戮兵器
の出現
によって
戦争
の世紀
といわれる 20 世紀
より前
戦争では
では、
異文化に
さらに未知
未知の
技術や
知識が
より
前の戦争
では
、戦いが異文化
に触れ、さらに
未知
の技術
や知識
が広まるきっかけ
となったことは世界
世界の
歴史において
において事実
事実です
です。
羊皮紙や
ヴェラムが
となったことは
世界
の歴史
において
事実
です
。羊皮紙
やヴェラム
が作られるようになっ
たのも、
当時パピルス
パピルスの
輸出を
一手に
っていたプトレマイオス
プトレマイオス朝
エジプトが
たのも
、当時
パピルス
の輸出
を一手
に握っていた
プトレマイオス
朝エジプト
が、戦いの
相手である
である小
アジアの
ペルガモン王国
王国に
パピルスを
禁輸したからです
したからです。
相手
である
小アジア
のペルガモン
王国
にパピルス
を禁輸
したからです
。
タラス川
年後の
にはサマルカンド
サマルカンド(
現在の
ウズベキスタン)
タラス
川の戦いのわずか 6 年後
の 757 年には
サマルカンド
(現在
のウズベキスタン
)
製紙工場ができ
ができます
ます。
この紙
サマルカンド紙
ばれ、
製紙工場は
に 製紙工場
ができ
ます
。 この
紙 は サマルカンド
紙 と 呼ばれ
、製紙工場
は 、バクダッド
現在の
イラク)、
)、ダマスクス
ダマスクス(
現在の
シリア)、
)、カイロ
カイロ(
エジプト)
にもでき
できていきます
ていきます。
(現在
のイラク
)、
ダマスクス
(現在
のシリア
)、
カイロ
(エジプト
)にも
でき
ていきます
。
イスラム国家
国家で
んに紙
られた理由
理由は
それはイスラム
イスラムという
という宗教
宗教の
イスラム
国家
で盛んに
紙が作られた
理由
は何か?それは
イスラム
という
宗教
の本質
わることに
ことに理由
理由があります
があります。
イスラム教徒
教徒にとって
にとって唯一神
唯一神アッラー
アッラーと
個人の
関係は
と関わる
ことに
理由
があります
。イスラム
教徒
にとって
唯一神
アッラー
と個人
の関係
は
一対一の
直接的なものであり
なものであり、
両者の
にはカソリック
カソリック教会
教会のように
のように神
には神
一対一
の直接的
なものであり
、両者
の間には
カソリック
教会
のように
神と人の間には
神
代理人である
である法王
法王や
聖職者は
介在しません
しません。
ゆえに神
言葉である
である『
コーラン』
の 代理人
である
法王
や聖職者
は 介在
しません
。ゆえに
神の言葉
である
『コーラン
』は
個人の
手元に
くものとされ、『
、『コーラン
コーラン』
印刷のために
のために紙
需要が
常に個人
の手元
に置くものとされ
、『
コーラン
』の印刷
のために
紙は高い需要
があった
のです。
コーランが
めるということは字
めるということであり、
アッバース朝以降
のです
。コーラン
が読めるということは
字が 読めるということであり
、アッバース
朝以降
イスラム社会
社会が
学術の
世界において
において隆盛
隆盛を
たのは、
コーランの
普及に
の イスラム
社会
が 学術
の 世界
において
隆盛
を誇っ たのは
、コーラン
の 普及
に 一つの
理由があり
があり、
一方で
イスラム国家
国家は
異教徒にも
にも寛大
寛大な
政策をとったので
をとったので、
外国との
との往
理由
があり
、一方
でイスラム
国家
は異教徒
にも
寛大
な政策
をとったので
、外国
との
往
んでした。
知識人や
学者の
活発で
識字率の
いところは、
学術も
来も盛んでした
。知識人
や学者
の行き来も活発
で識字率
の高いところは
、学術
も盛ん
2
になり、
になり、学術が
学術が盛んになれば本
んになれば本が多く作られていきます。
られていきます。本のあるところ、
のあるところ、図書館が
図書館が誕
します。
生します
。
やがて紙
イスラム世界
世界から
からヨーロッパ
ヨーロッパへ
わりました。
ヨーロッパに
やがて
紙はイスラム
世界
から
ヨーロッパ
へ伝わりました
。ヨーロッパ
に紙が入ったの
世紀頃のこと
のことです
ですが
生産する
する製紙工場
製紙工場ができたのは
ができたのはイスラム
イスラム支配下
は、紀元 8 世紀頃
のこと
です
が、紙を生産
する
製紙工場
ができたのは
イスラム
支配下
1150
年頃スペインバレンシア
スペインバレンシア地方
地方の
ハティバ(
Jativa)
です。
中国で
にあった 11
50 年頃
スペインバレンシア
地方
のハティバ
(Jativa
)です
。中国
で紙の製法
ができてからシルクロード
シルクロードを
ヨーロッパで
製紙工場ができるまでには
ができてから
シルクロード
を通り、ヨーロッパ
で製紙工場
ができるまでには 1000 年あま
りの年月
年月が
普及するまでさらに
年近い
年月が
必要でした
でした。
なぜ、
りの
年月
が流れ、紙が普及
するまでさらに 400 年近
い年月
が必要
でした
。なぜ
、このよ
うな時間
時間がかかったのかは
がかかったのかは、
イスラム国家
国家とは
とは反対
反対に
中世ヨーロッパ
ヨーロッパでは
では、
言葉で
うな
時間
がかかったのかは
、イスラム
国家
とは
反対
に中世
ヨーロッパ
では
、神の言葉
で
ある『
聖書』
教会が
管理し
との対話
対話も
教会を
してであり、
識字率も
ある
『聖書
』は教会
が管理
し、神との
対話
も教会
を通してであり
、人々の識字率
も低 い
ものでした。
知識や
技術は
聖職者などごく
などごく一部
一部の
ものであり、(
、(ワイン
ワインや
ビールの
ものでした
。知識
や技術
は聖職者
などごく
一部
のものであり
、(
ワイン
やビール
の製造
薬学や
医療も
修道院で
われていたことはみなさんも聞
いたことがあると思
や 、薬学
や医療
も 修道院
で 行われていたことはみなさんも
聞いたことがあると
思いま
キリスト教
ったヨーロッパ
ヨーロッパにおいて
において、
学術は
きな広
がりを見
せることはな
す)キリスト
教が 入った
ヨーロッパ
において
、学術
は 大きな
広がりを
見せることは
なく、
付随する
する本
生産も
なく、
需要が
かったからだと考
えられています。
付随
する
本の生産
も少なく
、紙の需要
が低かったからだと
考えられています
。
世紀半ばの
ばのグーテンベルグ
グーテンベルグの
印刷術の
発明は
っていると思
みなさんは 15 世紀半
ばの
グーテンベルグ
の印刷術
の発明
は知っていると
思います
これも紙
普及し
めたからこその発明
発明であり
であり、
印刷術による
による聖書
聖書の
普及によって
によって、
が、これも
紙が普及
し始めたからこその
発明
であり
、印刷術
による
聖書
の普及
によって
、
能力が
まり、
やがてはルター
ルターによる
による宗教改革
宗教改革の
遠因にな
になりました
りましたが
人々に読み書き能力
が広まり
、やがては
ルター
による
宗教改革
の遠因
にな
りました
が、
普及、
印刷術の
発明、
生産と
流通、
一般庶民の
知識の
獲得、
学術の
発達と
紙の普及
、印刷術
の発明
、本の生産
と流通
、一般庶民
の知識
の獲得
、学術
の発達
と
隆盛は
一連の
れの上
きていることがわかります。
隆盛
は一連
の流れの
上で起きていることがわかります
。
聖書から
から始
まり様
学術や
知識・
経験の
伝達手段
手段として
として印刷
印刷された
された本
からは、
聖書
から
始まり
様々な学術
や知識
・経験
の伝達
手段
として
印刷
された
本からは
、人
行動や
思索、
そして世界
世界をも
をも大
きく変
えてしまうほどの情報
情報が
類の 行動
や思索
、そして
世界
をも
大きく
変えてしまうほどの
情報
が 広がっていったの
です。
現在は
インターネット上
情報が
世界に
がりますが、
印刷術の
です
。現在
はインターネット
上の情報
が瞬く間に世界
に広がりますが
、印刷術
の発明
による本
流通は
人類の
歴史において
において情報
情報の
受発信の
エポックメーキングであった
による
本の流通
は、人類
の歴史
において
情報
の受発信
のエポックメーキング
であった
ことがわかります。
ことがわかります
。
じると東方
東方に
わるのは早
朝鮮には
世紀頃に
日本には
目を東に転じると
東方
に紙が伝わるのは
早く、朝鮮
には 4 世紀頃
に入り、日本
には
世紀に
百済王から
から送
られたと『
日本書紀』
あり、
世紀には
には渡来人
渡来人である
7 世紀
に紙が百済王
から
送られたと
『日本書紀
』にあり
、5~6 世紀
には
渡来人
である
秦氏などによって
などによって行政文書
行政文書や
戸籍の
記帳に
必要な
られていたと考
秦氏
などによって
行政文書
や戸籍
の記帳
に必要
な紙は作られていたと
考えられてい
ます。
聖徳太子は
仏教を
めるために写経
写経を
奨励したことが
したことが、
需要を
ます
。聖徳太子
は仏教
を広めるために
写経
を奨励
したことが
、紙の需要
を増やしたこ
とにつながったといわれていますが
宗教が
学術の
発展に
関与することは
することは洋
東西を
とにつながったといわれています
が、宗教
が学術
の発展
に関与
することは
洋の東西
を
わないことがわかります。
これは朝鮮半島
朝鮮半島においても
においても同
じです。
問わないことがわかります
。これは
朝鮮半島
においても
同じです
。
日本で
官立の
製紙工場ができたのは
ができたのは、
701年
政府文書の
保管と
歴史編纂を
日本
で官立
の製紙工場
ができたのは
、701
年に政府文書
の保管
と歴史編纂
を 行う
図書寮の
造紙所が
最初といわれています
といわれています。
京都に
った後
図書寮の
図書寮
の中に造紙所
が最初
といわれています
。都が京都
に移った
後も図書寮
の中に
紙屋院」
朝廷の
権力が
えた室町初期
室町初期まで
まで存続
存続)
名称で
製紙を
うための機関
「紙屋院
」(朝廷
の権力
が衰えた
室町初期
まで
存続
)の 名称
で製紙
を行うための
機関
がもうけられ、
平安時代に
和紙の
製法はほぼ
はほぼ出来上
出来上がったといわれています
がったといわれています。
がもうけられ
、平安時代
に和紙
の製法
はほぼ
出来上
がったといわれています
。今でも
京都の
西北鷹峯あたりに
あたりに小
さいですが美
しい紙屋川
紙屋川という
という川
れていますが、
京都
の西北鷹峯
あたりに
小さいですが
美しい
紙屋川
という
川が流れていますが
、往古
この川
いた紙屋院
紙屋院があったことの
があったことの名残
名残です
です。
室町時代末期に
この
川の水で紙を漉いた
紙屋院
があったことの
名残
です
。室町時代末期
に描かれた
七十一番職人歌合』
ると紙漉
紙漉き
職人の
がありますが、
官立から
から離
紙漉きを
『七十一番職人歌合
』を見ると
紙漉
き職人
の姿がありますが
、官立
から
離れ、紙漉
きを
3
生業とする
生業とする職人
とする職人がいたことがわかります
職人がいたことがわかります。
がいたことがわかります。しかし、
しかし、紙が一般に
一般に普及し
普及し 、本が 多く印刷さ
印刷さ
れるのは江戸時代
江戸時代を
たなければなりませんでした。
れるのは
江戸時代
を待たなければなりませんでした
。
江戸幕府は
鎖国政策をとり
をとり、
海外の
製紙技術が
ってこなかったことで、
日本の
江戸幕府
は鎖国政策
をとり
、海外
の製紙技術
が入ってこなかったことで
、日本
の和
紙製造技術は
各地で
独自の
発展を
また反故紙
反故紙の
リサイクルも
非常に
んでし
紙製造技術
は各地
で独自
の 発展
を遂げ、また
反故紙
のリサイクル
も 非常
に 盛んで
し
明治大学図書館
図書館の
貴重書庫に
って江戸時代
江戸時代の
和装本を
ていますと、
た。明治大学
図書館
の貴重書庫
に入って
江戸時代
の和装本
を見ていますと
、反古紙
って作
られた本
がたくさんあります。
幕末に
来訪した
した西洋人
西洋人たちが
たちが一様
一様に
を使って
作られた
本がたくさんあります
。幕末
に来訪
した
西洋人
たちが
一様
に驚いて
記録を
しているのは、
日本には
には紙
があふれ、
たくさんの本
出版されており
されており、
記録
を 残しているのは
、日本
には
紙があふれ
、たくさんの
本が 出版
されており
、庶民
識字率が
いこと、
さらに鼻
をかむにも紙
っていることなど
などです
です。
世紀に
の識字率
が高いこと
、さらに
鼻をかむにも
紙を使っていること
など
です
。19 世紀
に入る
欧米では
では、
現在と
じような亜硫酸
亜硫酸による
による木材
木材パルプ
パルプ製法
製法が
まりますが、
鼻紙に
と欧米
では
、現在
と同じような
亜硫酸
による
木材
パルプ
製法
が 始まりますが
、鼻紙
に
つかうほど紙
値段は
くはありませんでした。
でも西洋人
西洋人は
をかむのにハンカ
つかうほど
紙の値段
は安くはありませんでした
。今でも
西洋人
は 鼻をかむのに
ハンカ
いますが、
らと日本
日本人
する歴史的
歴史的な
感覚の
いなのです。
チを使いますが
、彼らと
日本
人の紙に対する
歴史的
な感覚
の違いなのです
。
人類が
誕生以来さまざまなものが
さまざまなものが、
えられ発明
発明されてきました
されてきました。
その根
部分を
人類
が 誕生以来
さまざまなものが
、考えられ
発明
されてきました
。その
根の 部分
を
げていくと、
複数の
人間が
出会えば
えば、
最初に
言葉が
せられ、
文字が
まれ、
掘り下げていくと
、複数
の人間
が出会
えば
、最初
に言葉
が発せられ
、文字
が生まれ
、
書写材料が
発明され
され、
された結果
結果は
となり、
学術や
知識が
後世へ
伝達されて
書写材料
が発明
され
、書き記された
結果
は本となり
、学術
や知識
が後世
へ伝達
されて
くことが
てきます
その大元
大元となる
となる動機
動機は
したいという人間
人間の
気持ち
いくこと
が 見てきま
す。その
大元
となる
動機
は、書き記したいという
人間
の強い気持
ち
です。
である一定
一定の
音声を
いて会話
会話をしている
をしているのではないか
のではないかと
鳴き声の中である
一定
の音声
を用いて
会話
をしている
のではないか
と考えられてい
動物はいますが
はいますが、
地球上で
唯一書き
すという行為
行為をする
をする生
です。
る動物
はいますが
、人は地球上
で唯一書
き記すという
行為
をする
生き物です
。書くこと
抽象的なものが
なものが形
かれたものを他者
他者が
むことで複数
複数の
人間の
で抽象的
なものが
形を持ち、書かれたものを
他者
が読むことで
複数
の 人間
の 間に共
通理解が
まれま
点字も
言葉や
えを文字
文字に
すのは人間
人間だけです
だけです。
通理解
が生まれ
ます。点字
も含め、言葉
や考えを
文字
に書き記すのは
人間
だけです
。
書写材料がなかった
がなかった時代
時代から
から人
洞窟に
してきました。
人類が
誕生し
書写材料
がなかった
時代
から
人は岩や洞窟
に書き記してきました
。人類
が誕生
し 、記
という行為
行為を
めて以来
以来、
遭遇し
経験してきたあらゆる
してきたあらゆる出来事
出来事や
はどのよ
録という
行為
を始めて
以来
、人が遭遇
し、経験
してきたあらゆる
出来事
や、人はど
のよ
うに思索
思索してきたか
してきたか、
どのように問題
問題に
対処してきたか
してきたかはすべて
はすべて本
記録されて
うに
思索
してきたか
、どのように
問題
に 対処
してきたか
はすべて
本の中に 記録
されて
います。
います
。
人類の
知的遺産である
である古今東西悠久
古今東西悠久の
時間を
けた本
人類
の 知的遺産
である
古今東西悠久
の 時間
を潜り抜けた
本が 集まっているところ
図書館です
です。
今後も
から電子
電子へと
へと書写媒体
書写媒体は
わっても、
人間は
すと言
が図書館
です
。今後
も紙から
電子
へと
書写媒体
は変わっても
、人間
は書き記すと
言う
行為をやめないでし
をやめないでしょう
ょう。
図書館は
媒体は
人類の
記録を
行為
をやめないでし
ょう
。図書館
は媒体
は何で荒れ人類
の記録
を集め続けるところで
あり、
世界中の
知識を
める人
提供することを
することを使命
使命とする
とする機関
機関なの
なのです
です。
あり
、世界中
の知識
を求める
人々に本を提供
することを
使命
とする
機関
なの
です
。
随分前ですが
ですが、
作家の
野坂昭如が
出演した
したコマーシャル
コマーシャルで
みんな悩
んで大
随分前
ですが
、作家
の野坂昭如
が出演
した
コマーシャル
で「みんな
悩んで
大きくな
った」
というものがありました
ものがありました。
人間の
世界には
には固有
固有の
問題はなくて
はなくて、
それぞれの時代
った
」という
ものがありました
。人間
の世界
には
固有
の問題
はなくて
、それぞれの
時代
衣装をまとってはいても
をまとってはいても、
こる事柄
事柄は
本質的に
わらない、
ゆえに人間
人間が
の衣装
をまとってはいても
、起こる
事柄
は本質的
に変わらない
、ゆえに
人間
が長い歴
してきた本
には、
んだ時
きていくために手助
手助けとなる
けとなる知恵
史の中で書き記してきた
本の中には
、悩んだ
時や生きていくために
手助
けとなる
知恵
無尽蔵に
まっています。
どの本
ぶか、
めばよいか?
それは、
が無尽蔵
に詰まっています
。どの
本を選ぶか
、何を読めばよいか
?それは
、先生や図
書館員に
いてください。
的確な
アドバイスをしてくれるはずです
をしてくれるはずです。
書館員
に聞いてください
。的確
なアドバイス
をしてくれるはずです
。
3. 教養について
教養について
4
さて、
さて、皆さんは図書館活用法第
さんは図書館活用法第 2 講「図書の
図書の歴史と
歴史と図書館」
図書館」のシラバスの
シラバスの文章を
文章を読ん
随分難
しいことが書
いてあるなと思
で、随分
難しいことが
書いてあるなと
思われたのではないでしょうか。
われたのではないでしょうか。いきなり、「
いきなり、「教養
、「教養
について考
えたことがありますか?」
?」と
かれて「
はい」
える人
について
考えたことがありますか
?」
と聞かれて
「はい
」と答える
人はなかなかいないと
います。
教養は
英語で
ですが、
教養そのものも
そのものも時代
時代や
地域によって
によって変
思います
。教養
は英語
で Liberal Arts ですが
、教養
そのものも
時代
や地域
によって
変
ります。
ります
。
それでは、
ここで教養
教養について
について少
しましょう。
カリキュラムに
教養科目という
という言
それでは
、ここで
教養
について
少し話をしましょう
。カリキュラム
に教養科目
という
言
がでてきたり
きたり、
就職試験で
教養試験が
われたり、
あの人
教養がないという
がないという言葉
葉がでて
きたり
、就職試験
で教養試験
が行われたり
、あの
人は教養
がないという
言葉
いたことがあると思
います。
なぜ、
教養を
ばなければならないのか、
そもそも教
を聞いたことがあると
思います
。なぜ
、教養
を学ばなければならないのか
、そもそも
教
とは何
ぞや?
という話
です。
養とは
何ぞや
?という
話です
。
教養という
という概念
概念がどのように
がどのように成
ってきたのか、
教養とは
とは具体的
具体的にどのようなもの
教養
という
概念
がどのように
成り立ってきたのか
、教養
とは
具体的
にどのようなもの
をいうでしょうか。
それは古代
古代ギリシア
ギリシア、
ローマを
起源とする
とする「
自由七科」(
」(Seven
をいうでしょうか
。それは
古代
ギリシア
、ローマ
を起源
とする
「自由七科
」(
Seven Liberal
Liberales=
リベラーレス)
すなわち、
言語に
Arts, Septem Artes Liberales
=セプテム アルテス リベラーレス
) すなわち
、言語
に
関 す る 三 科 ( Trivium = ト リ ヴィ ウム ) 文法 、 修辞 学 、 論理学 と 数 に 関 連 し た 四科
Quadrivium=
クアドリヴィウム)
算術、
幾何学、
天文学、
音楽の
つの科目
科目をさします
をさします。
(Quadrivium
=クアドリヴィウム
)算術
、幾何学
、天文学
、音楽
の七つの
科目
をさします
。
これらが
現在の
教養教育=
リベラル・
アーツの
源流となったものです
となったものです。
そもそもリベラ
これら
が 現在
の 教養教育
=リベラル
・アーツ
の源流
となったものです
。そもそも
リベラ
という言葉
言葉は
肉体労働から
から解放
解放された
された自由人
自由人という
という意味
意味で
あり、
その対極
対極は
ルという
言葉
は 、肉体労働
から
解放
された
自由人
という
意味
であり
、その
対極
は 自由
意志を
てない奴隷
奴隷をいいます
をいいます。
哲学者の
アリストテレスは
奴隷はしゃべる
はしゃべる家畜
家畜と
意志
を持てない
奴隷
をいいます
。哲学者
のアリストテレス
は、奴隷
はしゃべる
家畜
と位
づけています。
リベラル・
アーツとは
とは自由人
自由人として
として生
きるために必要
必要な
知識のこと
のことを
置づけています
。リベラル
・アーツ
とは
自由人
として
生きるために
必要
な知識
のこと
を
いいます。
いいます。この自由人
この自由人という
自由人という意味
という意味が
意味が大きいのです。
きいのです。
古代ギリシア
ギリシア、
ローマは
民主制国家と
いわれますが、
古代ギリシア
ギリシアの
民主制の
古代
ギリシア
、ローマ
は民主制国家
といわれますが
、古代
ギリシア
の民主制
の最終
段階である
であるペリクレス
ペリクレスの
時代(
B.C.443~
B.C.429)
には、
当時参政権を
市民は
段階
である
ペリクレス
の時代
(B.C.443
~B.C.429
)には
、当時参政権
を持つ市民
は約
女性には
には参政権
参政権はなく
はなく、
労働に
従事している
している奴隷
奴隷は
でした。
18 万、女性
には
参政権
はなく
、労働
に従事
している
奴隷
は 11 万でした
。古代地中海
世界は
奴隷制の
っている社会
社会です
です。
民主制国家といっても
といっても、
現代の
世界
は 奴隷制
の 上に 成り立っている
社会
です
。民主制国家
といっても
、現代
の 民主
とは内容
内容が
きく異
なります。
自由は
万人に
えられているわけではなく、
獲得する
制とは
内容
が大きく
異なります
。自由
は万人
に与えられているわけではなく
、獲得
する
ことは古代
古代でも
でも現代
現代でも
でも容易
容易なことではありません
なことではありませんでした
でした。
しかし、
リベラル・
アーツす
ことは
古代
でも
現代
でも
容易
なことではありません
でした
。しかし
、リベラル
・アーツ
す
なわち教養
教養が
自由人として
として必須
必須の
知識であるということは
であるということは、
さんが教養
教養という
というものを
なわち
教養
が 自由人
として
必須
の 知識
であるということは
、皆さんが
教養
という
ものを
教養を
ぼうとする時
えるべきポイント
ポイントです
です。
考え、教養
を学ぼうとする
時に抑えるべき
ポイント
です
。
当然ながら
ながら知識
知識はいつの
はいつの時代
時代でも
でも固定化
固定化されるものではありません
されるものではありません。
リベラル・
当然
ながら
知識
はいつの
時代
でも
固定化
されるものではありません
。リベラル
・アー
時代が
がるにつれ枝葉
枝葉を
ばし、
種子を
ばして新
たな株
まれました。
ツも時代
が下がるにつれ
枝葉
を伸ばし
、種子
を飛ばして
新たな
株が生まれました
。
ヨーロッパでは
世紀から
世紀にかけて
にかけて、
農業技術の
改良に
って(
ヨーロッパ
では 11 世紀
から 13 世紀
にかけて
、農業技術
の改良
に伴って
(三圃制農
のうぎょう⇒
耕地を
三分割し
秋作→
春作→
休閑地=
放牧を
業 さんぽせい のうぎょう
⇒ 耕地
を 三分割
し 、秋作
→ 春作
→ 休閑地
=放牧
を 繰 り返
)、食糧生産量
食糧生産量が
増大し
人口も
飛躍的に
増加しました
しました。
す)、
食糧生産量
が増大
し、人口
も飛躍的
に増加
しました
。
それでは農村
農村で
余剰となった
となった人口
人口はどこに
はどこに向
かうかといえば都市
都市です
です。
これは洋
それでは
農村
で余剰
となった
人口
はどこに
向かうかといえば
都市
です
。これは
洋の
東西や
時代を
いません
せん。
現代も
じです。
人口が
えれば同
仕事に
従事する
する人
東西
や時代
を問いま
せん
。現代
も同じです
。人口
が増えれば
同じ仕事
に従事
する
人
えて、
それらは自分
自分たちの
たちの権益
権益を
公的な
権力(
領主や
教会)
間の数も増えて
、それらは
自分
たちの
権益
を守り、公的
な権力
(領主
や教会
)の不法
介入から
から自分
自分たちを
たちを守
るために集団
集団を
ります。
さらに自分
自分たちの
たちの存在
存在と
位置づけ
な介入
から
自分
たちを
守るために
集団
を作ります
。さらに
自分
たちの
存在
と位置
づけ
5
を内外に
内外に明確にするために
明確にするために、
にするために、法的な
法的な文書を
文書を作成する
作成する必要
する必要がでてきます
必要がでてきます。
がでてきます。
自由七科の
つである修辞学
修辞学(
Rhetorica=
レトリカ)
はもともと古代
古代ギリシア
ギリシアの
自由七科
の一つである
修辞学
(Rhetorica
=レトリカ
)はもともと
古代
ギリシア
の 哲学
アリストテレス(
384~
322)
修辞学』
から始
まるといわれ、
くものや、
者アリストテレス
(前 384
~前 322
)の『修辞学
』から
始まるといわれ
、聞くものや
、読むも
のに強
影響力を
えるように言葉
言葉や
文章を
有効に
表現する
する方法
方法を
研究する
する学
のに
強い影響力
を与えるように
言葉
や文章
を最も有効
に表現
する
方法
を研究
する
学
です。
雄弁術、
弁論術ともいわれます
ともいわれます。
法学は
この修辞学
修辞学を
母体として
として生
問です
。雄弁術
、弁論術
ともいわれます
。法学
は 、この
修辞学
を 母体
として
生まれた
学問です
です。
社会が
次第に
変化する
する中
従来の
修辞学の
公文書の
作成や
学問
です
。社会
が 次第
に 変化
する
中で、従来
の 修辞学
の 中に 、公文書
の 作成
や公
文書に
必要な
歴史や
法律の
知識まで
まで含
むようになり、
やがて法学
法学が
学問と
成立して
文書
に必要
な歴史
や、法律
の知識
まで
含むようになり
、やがて
法学
が学問
と成立
して
いったのです。
修辞学から
から法学
法学が
まれたと言
っても日本人
日本人には
には理解
理解しにくい
しにくいかもし
いったのです
。修辞学
から
法学
が 生まれたと
言っても
日本人
には
理解
しにくい
かもし
れませんが、
弁論術から
から法学
法学が
まれたということは納得
納得できます
できます。
れませんが
、弁論術
から
法学
が生まれたということは
納得
できます
。
ヨーロッパ中世
中世も
世紀に
るとリベラル
リベラル・
アーツは
神学、
法学、
医学を
ぶために
ヨーロッパ
中世
も 12 世紀
に入ると
リベラル
・アーツ
は神学
、法学
、医学
を学ぶため
に
必要な
基礎科目と
位置づけられるようになります
づけられるようになります。
近年、
法学部や
医学部において
において、
必要
な基礎科目
と位置
づけられるようになります
。近年
、法学部
や医学部
において
、
従来の
専門知識偏重の
教育から
から、
人間として
としてバランス
バランスのとれた
のとれた知性
知性を
うために教養
従来
の専門知識偏重
の教育
から
、人間
として
バランス
のとれた
知性
を養うために
教養
科目の
復権が
んでいます。
学問は
人間の
生活を
かにするためにあるのですから、
科目
の復権
が進んでいます
。学問
は人間
の生活
を豊かにするためにあるのですから
、
教養教育の
復権は
教育の
原点に
ったものだと思
います。
いくら専門知識
専門知識があ
教養教育
の 復権
は 教育
の 原点
に 立ち返ったものだと
思います
。いくら
専門知識
があ
っても、
生身の
患者の
らない医者
医者に
手術をしてもらいたいとは
をしてもらいたいとは思
っても
、 生身
の 患者
の 姿 が 目 に 入 らない
医者
に 手術
をしてもらいたいとは
思 いませ
ん。
みなさんは、
それぞれ大学
大学に
大学で
自分は
んで、
将来何をする
みなさんは
、それぞれ
大学
に 入る時に 、大学
で自分
は 何を 学んで
、将来何
をする
かを考
えて学部選択
学部選択、
学科選択をしたと
をしたと思
いますが、
自分が
んだ学問
学問の
かを
考えて
学部選択
、学科選択
をしたと
思いますが
、自分
が選んだ
学問
の成り立ちや
その背景
背景となるもの
となるもの、
そしてその源流
源流を
ることはとても
とはとても大事
大事なことです
なことです。
そこを押
その
背景
となるもの
、そしてその
源流
を辿るこ
とはとても
大事
なことです
。そこを
押さえ
ておかなければ、
自分の
目的が
途中で
からなくなってしまったり、
ておかなければ
、自分
の学ぶ目的
が途中
で分からなくなってしまったり
、行き詰ってし
まうこともあるからです。
まうこともあるからです
。
なぜ、
実学が
リベラル・
アーツの
もとにおかれてきたのか
におかれてきたのか?
それは学問
学問の
なぜ
、実学
が長い間リベラル
・アーツ
のもと
におかれてきたのか
?それは
学問
の歴
大学の
歴史を
紐解けば
けば見
えてきます。
史や大学
の歴史
を紐解
けば
見えてきます
。
ここまで話
してきて教養
教養とは
とは、
かな人間生活
人間生活を
るための基礎
基礎となる
となる知識
知識であり
であり、
ここまで
話してきて
教養
とは
、豊かな
人間生活
を送るための
基礎
となる
知識
であり
、
雑学や
トリビア(
Trivia=
無駄な
知識)
ではないということがおわかりいただけたと
たと思
雑学
やトリビア
(Trivia
=無駄
な知識
)ではないということがおわかりいただけ
たと
思い
ます。
このトリビア
トリビアの
語源は
自由七科の
皮肉ったものだといわれています
ったものだといわれています。
ます
。この
トリビア
の語源
は自由七科
の Trivium を皮肉
ったものだといわれています
。
言語に
三科は
んでも無駄
無駄?
たしかにここでいう文法
文法は
日常の
言葉とは
言語
に関する三科
は学んでも
無駄
?たしかにここでいう
文法
は、日常
の話し言葉
とは
なるラテン
ラテン語
あり、
修辞学や
論理学は
言葉という
という抽象的記号
抽象的記号を
って、
異なる
ラテン
語であり
、修辞学
や論理学
は言葉
という
抽象的記号
を使って
、論理的思
考方法の
訓練をする
をする学問
学問ですから
ですから、
簡単ではありません
ではありません。
もっともこのような論理的
論理的に
考方法
の訓練
をする
学問
ですから
、簡単
ではありません
。もっともこのような
論理的
に
えるという訓練
訓練が
現在の
西欧人の
思考方法を
ったともいえます。
教養は
考えるという
訓練
が、現在
の西欧人
の思考方法
を作ったともいえます
。教養
は自由人
として必要
必要な
知識である
である、
このことをみなさんは覚
えておいてください。
として
必要
な知識
である
、このことをみなさんは
覚えておいてください
。
日本では
では、
明治維新後、
それまでの儒学
儒学を
基本とした
とした学問
学問に
わって、
西洋の
日本
では
、明治維新後
、 それまでの
儒学
を 基本
とした
学問
に 代わって
、西洋
の学
導入しました
しました。
ですから、
明治以降、
日本の
大学で
教養という
という場合
場合、
このリベラ
リベラル
問を導入
しました
。ですから
、明治以降
、日本
の大学
で教養
という
場合
、この
リベラ
ル・
アーツを
すのです。
アーツ
を指すのです
。
一方、
たちの文化圏
文化圏である
である東
アジアに
じると、
中国には
には隋代
隋代(
最初の
一方
、私たちの
文化圏
である
東アジア
に目を転じると
、中国
には
隋代
(最初
の科挙
年頃)
から始
まり、
清末(
最後の
科挙は
まで行
われた官吏登用試験
官吏登用試験の
は 587 年頃
)から
始まり
、清末
(最後
の科挙
は 1904 年)まで
行われた
官吏登用試験
の
6
「科挙」(
科挙」(かきょ
」(かきょ)
かきょ)というものがあります。
というものがあります。科挙で
科挙で必要とされる
必要とされる知識
とされる知識が
知識が、中国の
中国の読書人=
読書人=知
識人の
教養だったのです
だったのです。
それではその知識
知識、
教養とはどのようなものだったのでしょ
識人
の教養
だったのです
。それではその
知識
、教養
とはどのようなものだったのでしょ
う。
隋唐の
科挙の
科目には
には詩賦
詩賦(
韻文の
一形式)
らせること、
儒教の
隋唐
の科挙
の科目
には
詩賦
(詩も賦も韻文
の一形式
)を作らせること
、儒教
の経典
解説、
法律の
条文の
解釈があります
があります。
時代が
がるにつれ試験科目
試験科目は
の解説
、法律
の条文
の解釈
があります
。時代
が下がるにつれ
試験科目
は増えていき
ますが、
基本的に
儒教の
経典である
である四書五経
四書五経の
理解力や
法令の
解釈、
ますが
、基本的
に は 儒教
の 経典
である
四書五経
の 理解力
や法令
の 解釈
、古典文学
知識を
基礎としての
としての作詩
作詩、
作文の
能力が
われます。
の知識
を基礎
としての
作詩
、作文
の能力
が問われます
。
年間余に
って行
われた科挙
科挙に
一貫しているのは
しているのは、
皇帝に
忠義を
くし、
この 1300 年間余
に渡って
行われた
科挙
に一貫
しているのは
、皇帝
に忠義
を尽くし
、
孝行し
子孫を
して家
存続することを
することを教
えの柱
とする(
これは皇帝
皇帝を
頂点とし
親に孝行
し、子孫
を残して
家を存続
することを
教えの
柱とする
(これは
皇帝
を頂点
とし
専制国家を
維持するために
するために必要
必要な
思想でした
でした)
儒教の
知識を
うものであり、
た 専制国家
を維持
するために
必要
な思想
でした
)儒教
の知識
を問うものであり
、その
学問方法は
暗記が
中心です
です。
科挙の
対象となる
となる知識
知識は
思想においても
においても、
文学にお
学問方法
は暗記
が中心
です
。科挙
の対象
となる
知識
は 、思想
においても
、文学
にお
いてもすべて古典学
古典学であり
であり、
これが後世
後世、
新思想の
出現を
疎外した
した理由
理由であるといわ
いてもすべて
古典学
であり
、これが
後世
、新思想
の出現
を疎外
した
理由
であるといわ
れます。
論理的な
思考方法
訓練し
それがやがて科学技術
科学技術への
への指向
指向につながった
れます
。論理的
な思考方
法を訓練
し、それがやがて
科学技術
への
指向
につながった
西欧とは
とは対極
対極にあるといえるかもしれません
にあるといえるかもしれません。
西欧
とは
対極
にあるといえるかもしれません
。
科挙は
制度として
として日本
日本では
では根付
根付きませんでしたが
きませんでしたが、
儒教思想と
中国の
詩文に
科挙
は 制度
として
日本
では
根付
きませんでしたが
、儒教思想
と中国
の詩文
に対す
知識は
仏教思想と
んで長
日本文化の
教養として
として必須
必須のものでした
のものでした。
る知識
は仏教思想
と並んで
長く日本文化
の 教養
として
必須
のものでした
。みなさんも
自分は
仏教の
知識や
儒教なんて
なんて古臭
古臭いものは
いものは知
らないと思
っても、
自分
は 仏教
の 知識
や儒教
なんて
古臭
いものは
知らないと
思っても
、茶の 湯 や 能 、平
家物語や
中世の
軍記物語には
には、
仏教思想が
背景にありますし
にありますし、
子供の
頃読んだ
家物語
や中世
の軍記物語
には
、禅や仏教思想
が背景
にありますし
、子供
の頃読
んだ
かもしれない『
南総里見八犬伝』
歌舞伎の
作品には
には、
しっかりと儒教思想
儒教思想が
かもしれない
『南総里見八犬伝
』や歌舞伎
の作品
には
、しっかりと
儒教思想
が盛 り 込 ま
れています。
自分が
する文化
文化の
基幹にあるも
にあるものを
のを学
ぶこと、
これも教養
教養の
れています
。 自分
が 属 する
文化
の 基幹
にあるも
のを
学 ぶこと
、 これも
教養
の 一 つで
す。
教養について
についての
具体的な
イメージはつかめ
はつかめましたか
ましたか。
教養とは
とは一個
一個の
人間として
として自
教養
について
の具体的
なイメージ
はつかめ
ましたか
。教養
とは
一個
の人間
として
自
して生
きるために必要
必要な
知識です
です。
それでは、
れらの教養
教養がどのように
がどのように現代
現代に
立して
生きるために
必要
な知識
です
。それでは
、これらの
教養
がどのように
現代
に伝
えられたのでしょうか。
人間は
地球上で
唯一、
自己の
行為や
思索を
すという行
えられたのでしょうか
。人間
は地球上
で唯一
、自己
の行為
や思索
を書き記すという
行
をする生物
生物です
です。
では、
くという行為
行為に
絶対に
必要なものは
なものは何
かというと、
為をする
生物
です
。では
、書くという
行為
に絶対
に必要
なものは
何かというと
、それは
記号=
文字です
です。
書写材料があっても
があっても、
文字がなければ
がなければ記録
記録することはできません
することはできません。
記号
=文字
です
。書写材料
があっても
、文字
がなければ
記録
することはできません
。
4. 記録の
記録の歴史
(1)文字
文字の
の誕生
文字というものが
というものが、
文字
というものが
、この地上
この地上で
地上で生まれたのはいつごろでしょうか
まれたのはいつごろでしょうか?
うか ?また、
また、なぜ、
なぜ、文字
必要となったのでしょう
となったのでしょう。
ここで文字
文字の
歴史をみてみましょう
をみてみましょう。
が必要
となったのでしょう
。ここで
文字
の歴史
をみてみましょう
。
最初の
文字は
から始
りました。
たちはメール
メールで
絵文字をよく
をよく使
最初
の文字
は、絵から
始まりました
。若い人たちは
メール
で絵文字
をよく
使います
らないもの同士
同士の
でも一番共通認識
一番共通認識を
ちやすいからです。
現在でも
が、絵は知らないもの
同士
の間でも
一番共通認識
を持ちやすいからです
。現在
でも
周囲を
見渡してみると
してみると交通標識
交通標識や
建物の
サイン、
天気予報、
今皆さんが
さんが身
周囲
を見渡
してみると
交通標識
や建物
のサイン
、天気予報
、今皆
さんが
身に着けて
いる衣服
衣服にも
にも絵
による記号
記号がつけられています
がつけられています。
いる
衣服
にも
絵による
記号
がつけられています
。
集団を
構成する
する人間
人間の
なく、
社会もそれほど
もそれほど複雑
複雑でない
でない時代
時代は
集団
を構成
する
人間
の数も少なく
、社会
もそれほど
複雑
でない
時代
は絵で表した
7
記号で
記号で互いが十分
いが十分に
十分に意思の
意思の伝達ができました
伝達ができました。
ができました。ただ、
ただ、もう少
もう少し、社会が
社会が複雑になり
複雑になり、
になり、
人間の
思考も
しずつ、
がってくると、
モノだけではなくて
だけではなくて、
抽象的なことも
なことも絵
人間
の思考
も少しずつ
、広がってくると
、モノ
だけではなくて
、抽象的
なことも
絵で 表
さなくてはならなくなります。
そのものが持
意味のほかに
のほかに、
象徴性を
さなくてはならなくなります
。絵そのものが
持つ意味
のほかに
、象徴性
を持たせるよう
になってきます。
えば、
げて飛
リーダーの
勇気や
での勝利
勝利を
になってきます
。例えば
、翼を広げて
飛ぶ鷲はリーダー
の勇気
や戦での
勝利
を意味
するとか、
脱皮を
さと永遠
永遠の
生命の
象徴とか
とか、
苛酷な
岩砂漠を
するとか
、脱皮
を 繰り返す蛇は 若さと
永遠
の 生命
の象徴
とか
、苛酷
な岩砂漠
を生き
コヨーテは
年長者の
知恵の
象徴を
わすなどです。
説明には
には、
抜くコヨーテ
は年長者
の知恵
の象徴
を表わすなどです
。少し長い説明
には
、何種類
かの絵
組合わせます
わせます。
いた半円
半円の
つの太陽
太陽があれば
があれば、
目的地まで
かの
絵を組合
わせます
。弧を描いた
半円
の下に 3 つの
太陽
があれば
、目的地
まで 3
かかったことを表
しています。
もっとも古
絵文字(
ピクトグラム)
紀元前
日かかったことを
表しています
。もっとも
古い絵文字
(ピクトグラム
)は、紀元
前 4000
年前ころに
ころに書
かれたもので最古
最古の
文明の
発祥地とされる
とされる、
チグリス・
ユーフラテスの
年前
ころに
書かれたもので
最古
の 文明
の発祥地
とされる
、チグリス
・ユーフラテス
の
デルタ地帯
地帯で
発見されています
されています。
しかし、
絵文字だけでは
だけでは限界
限界がやってきます
がやってきます。
デルタ
地帯
で発見
されています
。しかし
、絵文字
だけでは
限界
がやってきます
。
集団がだんだん
がだんだん大
きくなり、
つの社会
社会が
形成されていくにつれて
されていくにつれて、
共同体の
集団
がだんだん
大きくなり
、一つの
社会
が形成
されていくにつれて
、共同体
の構
成員を
対象とした
とした伝達
伝達や
法令の
布告、
商取引などのために
などのために共通
共通の
記号が
必要となり
成員
を対象
とした
伝達
や法令
の布告
、商取引
などのために
共通
の記号
が必要
となり
ます。
また自然
自然の
きに生存
生存が
左右されることが
されることが日常的
日常的であった
であった古代社会
古代社会において
ます
。また
自然
の動きに
生存
が左右
されることが
日常的
であった
古代社会
において
人間を
くすべての世界
世界を
くの神
への祈
りや奉納
奉納はかかせません
は、人間
を取り巻くすべての
世界
を司る多くの
神々への
祈りや
奉納
はかかせません
でした。
への祈
りや讃歌
讃歌は
最初、
のように「
言葉」
のみで発
でした
。 神 々 への
祈 りや
讃歌
は 最初
、 歌 のように
「 言葉
」 のみで
発 せられましたが
知恵や
秘密の
えは、
あえて文字
文字に
さず、
から選
ばれた弟子
弟子へ
(神々の知恵
や秘密
の教えは
、あえて
文字
に残さず
、師から
選ばれた
弟子
へ 、父 か
へと言葉
言葉だけで
だけで伝承
伝承されました
されました。
ソクラテスは
った生
きた言葉
言葉は
ら子へと
言葉
だけで
伝承
されました
。ソクラテス
は 魂が篭った
生きた
言葉
は「 話し言
であり、「
、「書
言葉」
にその写
しであるとみなしていましたし、
プラトンも
葉」であり
、「
書き言葉
」は 単にその
写しであるとみなしていましたし
、プラトン
も言葉
による直接対話
直接対話を
んじ、
アリストテレスも
言葉による
による講義
講義を
思想伝達の
第一とみな
による
直接対話
を重んじ
、アリストテレス
も言葉
による
講義
を思想伝達
の第一
とみな
していました)、
)、それを
それを共同体
共同体の
共通の
いとして神
げるために書
していました
)、
それを
共同体
の 共通
の 思いとして
神に 捧げるために
書き記す必要
てきます。
それは共同体
共同体の
一体化を
構成員全体で
確認するためでもあります
するためでもあります。
が出てきます
。それは
共同体
の一体化
を構成員全体
で確認
するためでもあります
。
はじめに言
ことば=
ロゴス)
があった
ことば)
にあった。
神は 「はじめに
言(ことば
=ロゴス
)があっ
た 。言(ことば
)が 神と共にあった
。 言は
であった。
・・・万物
万物は
によって成
った。
によらずなったものは何一
何一つなかっ
神 であった
。 ・・・
万物
は 言 によって
成 った
。 言 によらずなったものは
何一
つなかっ
・・・」
新約聖書の
ヨハネ伝
にあるように、
この世界
世界は
言葉によって
によって成
た。・・・
」と新約聖書
の「ヨハネ
伝」にあるように
、この
世界
は神の言葉
によって
成った
宣言しているのですから
しているのですから、
人間は
言葉を
寸分残さず
さず正確
正確に
ることが、
と宣言
しているのですから
、人間
は 神の言葉
を 寸分残
さず
正確
に知ることが
、自分
たちの生存
生存にかかわる
にかかわる重要
重要なことであると
なことであると認識
認識せざるをえません
せざるをえません。
この世
たちの
生存
にかかわる
重要
なことであると
認識
せざるをえません
。この
世のすべてを
っているというのですから。
神が知っているというのですから
。
言葉を
した聖書
聖書は
、「書物
書物の
書物」
ばれますが、
この世界
世界は
神の 言葉
を 書き記した
聖書
は 、「
書物
の 中の 書物
」 と呼ばれますが
、この
世界
は
であれ、
人間であれ
であれ、
まず言葉
言葉が
最初にあり
にあり、
やがてそれを共通
共通の
認識とするた
神であれ
、人間
であれ
、まず
言葉
が 最初
にあり
、やがてそれを
共通
の認識
とするた
めに、
記号で
すことが始
まったのです。
文字の
誕生です
です。
文字が
めに
、記号
で書き記すことが
始まったのです
。文字
の誕生
です
。文字
が神やそれと
同等の
存在によって
によって人間
人間にもたらされたという
にもたらされたという伝説
伝説は
世界各地にあります
にあります。
同等
の存在
によって
人間
にもたらされたという
伝説
は世界各地
にあります
。
肥沃な
三日月地帯、
チグリス・
ユーフラテス両河
両河の
沖積平野で
文字が
まれた頃
肥沃
な三日月地帯
、チグリス
・ユーフラテス
両河
の沖積平野
で文字
が生まれた
頃、
エジプトでは
では水辺
水辺に
えるパピルス
パピルスの
加工して
して書写材料
書写材料を
っていました。
エジプト
では
水辺
に生える
パピルス
の 茎を加工
して
書写材料
を作っていました
。文
世界各地で
自然発生的に
まれましたが、
その地域
地域の
書写材料がどのようなも
字は世界各地
で自然発生的
に生まれましたが
、その
地域
の書写材料
がどのようなも
のかによって、
その形
はある程度条件付
程度条件付けられます
けられます。
パピルス(
Papyrus)
英語の
のかによって
、 その
形はある
程度条件付
けられます
。パピルス
( Papyrus
)は 英語
の
語源となったもので
となったもので、
メートルにもなる
にもなるカヤツリグサ
カヤツリグサ科
大型水草です
です。
paper の語源
となったもので
、2メートル
にもなる
カヤツリグサ
科の大型水草
です
。パ
8
ピルスは
ピルスは姿が美しいため、
しいため、鑑賞植物として
鑑賞植物として園芸店
として園芸店の
園芸店の店先でみることができますから
店先でみることができますから、
でみることができますから、
園芸店の
観賞植物コーナー
コーナーに
ったときは探
してみるのもよいと思
います。
園芸店
の観賞植物
コーナー
に行ったときは
探してみるのもよいと
思います
。
パピルス紙
外皮を
内側の
繊維を
って縦横
パピルス
紙の 作り方は 、茎の 外皮
を 取り除 き、内側
の 繊維
を 細 く長く切って
縦横
べていき、
最後に
しをします。
すると繊維
繊維からでた
からでた粘液
粘液で
繊維が
に並べていき
、最後
に重しをします
。すると
繊維
からでた
粘液
で繊維
が貼り合わさっ
のようになりますから、
それを乾燥
乾燥させると
させると書写材料
書写材料の
パピルス紙
て、薄い紙のようになりますから
、それを
乾燥
させると
書写材料
のパピルス
紙の出来
がりです。
きさは約
センチ四方
四方で
ほど連
上がりです
。パピルス 1 枚の大きさは
約 16 センチ
四方
で、それを 20 枚ほど
連ねて 1
としました。
パピルスは
ナイルデルタ
ルタの
特産品で
古代エジプト
エジプト王国
王国は
パピルスの
巻としました
。パピルス
はナイルデ
ルタ
の特産品
で、古代
エジプト
王国
はパピルス
の
生産と
取引で
莫大な
蓄積したといわれています
したといわれています。
パピルスが
生産
と取引
で莫大
な富を蓄積
したといわれています
。薄く脆いパピルス
が生み出し
あの巨大
巨大な
ピラミッドができたのですね
ができたのですね。
パピルスは
エジプトの
独占品に
た富で、あの
巨大
なピラミッド
ができたのですね
。パピルス
はエジプト
の独占品
に近
いものでしたから、
エジプトが
パピルス紙
輸出を
めると、
書写材料に
地域が
いものでしたから
、エジプト
がパピルス
紙の輸出
を止めると
、書写材料
に困る地域
が
でました。
ほど述
べるエジプト
エジプトの
古代アレクサンドリア
アレクサンドリア図書館
図書館、
その古代最大
古代最大の
でました
。後ほど
述べる
エジプト
の古代
アレクサンドリア
図書館
、その
古代最大
の図
書館と
った小
アジアの
ペルガモン図書館
図書館(
現在の
位置は
トルコ北西部
北西部にある
書館
と覇を競った
小アジア
のペルガモン
図書館
(現在
の位置
はトルコ
北西部
にある
ペルガマ市
では、
エジプトから
からパピルス
パピルスの
輸入を
められたことで、
仕方なく
なく羊
ペルガマ
市)では
、エジプト
から
パピルス
の 輸入
を 止められたことで
、仕方
なく
羊の
子牛の
をなめしたものを
めしたものを書写材料
書写材料に
いました。
しかし、
これが、
パピルスよ
皮や子牛
の皮をな
めしたものを
書写材料
に使いました
。しかし
、これが
、パピルス
よ
耐久性があり
があり、
むのにも不便
不便で
びにも不便
不便な
巻子本(
かんすぼん=
巻物。
り耐久性
があり
、読むのにも
不便
で持ち運びにも
不便
な巻子本
(かんすぼん
=巻物
。
パピルスを
った書物
書物は
巻子本の
形態をとりました
をとりました)
から、
冊子本(
さっすぼん=
パピルス
を 使った
書物
は 巻子本
の 形態
をとりました
)から
、冊子本
(さっすぼん
=コ
ーデックス。
羊皮紙などで
などで作
ったページ
ページを
わせ、
片側の
一辺を
じる形式
形式)
ーデックス
。羊皮紙
などで
作った
ページ
を 重ね合わせ
、片側
の 一辺
を綴じる
形式
)
書物の
わっていく転換
転換となったのですから
となったのですから、
に書物
の形が変わっていく
転換
となったのですから
、何が新たなきっかけとなるかわ
かりません。
羊皮紙のことを
のことをパーチメント
パーチメントと
びますが、
この言葉
言葉は
ペルガモンの
かりません
。今、羊皮紙
のことを
パーチメント
と呼びますが
、この
言葉
はペルガモン
の
地名から
から来
ているものです。
地名
から
来ているものです
。
パピルスは
くて、
一般的となった
となった現在
現在では
では書写材料
書写材料として
として使
パピルス
は脆くて
、紙が一般的
となった
現在
では
書写材料
として
使われることはあ
りませんが、
羊皮紙は
現在でも
でも重要
重要な
法律文書や
条約、
契約文書などには
などには使
りませんが
、羊皮紙
は現在
でも
重要
な法律文書
や条約
、契約文書
などには
使われ
ています。
ています
。
(2)ヒエログリフ
さて、
みなさんが古代
古代エジプト
エジプト文字
文字としてまず
としてまず頭
くのは、
ヒエログリフとよ
さて
、みなさんが
古代
エジプト
文字
としてまず
頭に 思い描くのは
、ヒエログリフ
とよ
ばれる象形文字
象形文字だと
だと思
います。
ヒエログリフは
神聖文字とも
とも呼
この文字
文字は
ばれる
象形文字
だと
思います
。ヒエログリフ
は神聖文字
とも
呼び、この
文字
はエジプ
神話の
知恵の
であるトト
トト神
人間に
えたものだと伝
えられています。
トト神
ト神話
の「知恵
の神」である
トト
神が人間
に教えたものだと
伝えられています
。トト
神は
人間の
身体に
トキの
です。
ヒエログリフは
装飾にもよく
にもよく使
われますから、
人間
の身体
に トキ
の 頭を 持つ神です
。ヒエログリフ
は装飾
にもよく
使われますから
、
どこかでヒエログリフ
ヒエログリフを
にした時
知恵の
トトを
してみてください。
文字は
どこかで
ヒエログリフ
を目にした
時は、知恵
の神トト
を探してみてください
。文字
はトト
ったということから「
書記官」
とも呼
ばれます。
書記官の
言葉は
神 が 作 ったということから
「 神 々 の 書記官
」 とも
呼 ばれます
。 書記官
の 記 す 言葉
は
言葉であり
であり、
言葉は
神聖なものとみなされていました
なものとみなされていました。
トト神
属性はこのほ
神々の 言葉
であり
、言葉
は神聖
なものとみなされていました
。トト
神の属性
はこのほ
かに魔法
魔法、
医術、
天文学、
時間、
法律であり
であり、
るのもこの神
役目でした
でした。
かに
魔法
、医術
、天文学
、時間
、法律
であり
、夜を司るのもこの
神の役目
でした
。属
魔法があるというのが
があるというのが興味深
興味深いところです
いところです。
魔法には
には言葉
言葉による
による呪文
呪文が
必要で
性に魔法
があるというのが
興味深
いところです
。魔法
には
言葉
による
呪文
が必要
で
すから、
言葉というものは
というものは、
この世
秩序を
規程するだけでなく
するだけでなく、
人間には
には不可視
不可視の
すから
、言葉
というものは
、この
世の秩序
を規程
するだけでなく
、人間
には
不可視
の
世界を
くためには必要
必要な
なのかとも思
います。
世界
を開くためには
必要
な鍵なのかとも
思います
。
ヒエログリフは
動物や
など人体
人体の
一部などが
などが描
かれていて、
一見する
ヒエログリフ
は鳥や動物
や手や足など
人体
の一部
などが
描かれていて
、一見
する
9
と絵文字
絵文字のようですが、
のようですが 、一つの形
つの 形は 単語一つを
単語一つを表
つを表すこともあれば、
すこともあれば、単に音だけを表
だけを表
すこともあり、
複雑な
文字体系を
っています。
ヒエログリフは
くだけでも大変時間
すこともあり
、複雑
な文字体系
を持っています
。ヒエログリフ
は書くだけでも
大変時間
のかかる根気
根気のいる
のいる仕事
仕事で
その知識
知識を
書記は
社会的に
大変高い
地位を
のかかる
根気
のいる
仕事
で、その
知識
を持つ書記
は社会的
に大変高
い地位
を 与え
られていました。
ここ数年
数年、
ヒエログリフについて
について書
かれた本
出版が
えています。
られていました
。ここ
数年
、ヒエログリフ
について
書かれた
本の出版
が増えています
。
何故でしょうか
でしょうか。
理由はちょっとわかりません
はちょっとわかりません。
何故
でしょうか
。理由
はちょっとわかりません
。
ヒエログリフは
える文書
文書や
神殿の
ピラミッドの
内壁や
ミイラを
ヒエログリフ
は神々や王を褒め称える
文書
や神殿
の壁、ピラミッド
の内壁
やミイラ
を
めた棺等
棺等に
かれました。
ヒエログリフは
原則として
として右
から左
むものですが、
収めた
棺等
に描かれました
。ヒエログリフ
は原則
として
右から
左に読むものですが
、
いている場合
場合は
から右
その逆
場合は
から左
鳥が左を向いている
場合
は、左から
右へ、その
逆の場合
は右から
左へというもので
すが、
途中に
高位の
神様が
てくると、
文中の
はみなその神様
神様の
すが
、途中
に 高位
の 神様
が 出てくると
、文中
の 人や鳥の 頭はみなその
神様
の方を
きますから、
方向が
からなくなってしまいます。
ヒエログリフは
から上
向きますから
、読む方向
が分からなくなってしまいます
。ヒエログリフ
は下から
上に読
むこともあるし、
から左
んでいっても、
では左
から右
むこともあるし
、右から
左に読んでいっても
、次の行では
左から
右へ読むこともありま
ごとに読
方向が
表記法を
ブストロフェドン」(
」(牛耕法
牛耕法)
といいます。「
。「ブ
す。1 行ごとに
読む方向
が違う表記法
を「ブストロフェドン
」(
牛耕法
)といいます
。「
ブ
古代ギリシア
ギリシア語
意味で
文字通り
すき)
いた牛
ス」は古代
ギリシア
語の牛の意味
で、文字通
り、犂(すき
)を引いた
牛 が畑 を 行 き 来 し
しているような書
のことです。
て耕しているような
書き方のことです
。
このヒエログリフ
ヒエログリフを
解読したのは
したのはフランス
フランスの
エジプト学者
学者シャンポリオン
シャンポリオン(
1790~
この
ヒエログリフ
を 解読
したのは
フランス
の エジプト
学者
シャンポリオン
( 1790
~
1832)
です。
語学の
天才だったらしく
ラテンを
1832
)です
。彼は語学
の天才
だったらしく 9 歳でラテン
を話し、17 歳までに 13 ヶ国語
それも殆
古語。
コプト語
アムハラ語
ヘブライ語
サンスクリット語等
語等)
(それも
殆ど古語
。コプト
語、アムハラ
語、ヘブライ
語、サンスクリット
語等
)をマスター
したというのですから、
やはり天才
天才でしょう
でしょう。
グルノーブル大学
大学の
したというのですから
、やはり
天才
でしょう
。彼は 19 歳でグルノーブル
大学
の歴史学
教授に
えられています。
の教授
に迎えられています
。
シャンポリオンが
ヒエログリフ解読
解読のきっかけとなった
のきっかけとなったロゼッタストーン
ロゼッタストーンの
シャンポリオン
が ヒエログリフ
解読
のきっかけとなった
ロゼッタストーン
の写し(拓
めて見
たのは、
れられていった数学者
数学者フーリエ
フーリエの
サロンでのことです
でのことです。
本)を初めて
見たのは
、兄に連れられていった
数学者
フーリエ
のサロン
でのことです
。
その時
でした。
フーリエから
からこの
この古代
古代エジプト
エジプト文字
文字がまだ
がまだ解読
解読されていな
その
時、彼は 11 歳でした
。フーリエ
から
この
古代
エジプト
文字
がまだ
解読
されていな
いことを聞
いたシャンポリオン
シャンポリオンは
自分が
絶対に
解読してみせると
してみせると心
いことを
聞いた
シャンポリオン
は 、自分
が 絶対
に 解読
してみせると
心に 誓ったという
のですから、
語学の
天才とはいえ
とはいえ恐
るべしです。
その後
ヒエログリフ解読
解読に
成功し
のですから
、語学
の天才
とはいえ
恐るべしです
。その
後、ヒエログリフ
解読
に 成功
し
ですから、
解読までに
歳月が
れています。
まさに継続
継続は
たのが 31 歳ですから
、解読
までに 20 年の歳月
が流れています
。まさに
継続
は力な
りです。
りです
。
ナポレオンの
エジプト遠征
遠征の
)、アレクサンドリア
アレクサンドリア近
くのナイル
ナイル河口
河口で
ナポレオン
のエジプト
遠征
の時に(1798 年)、
アレクサンドリア
近くの
ナイル
河口
で
発見された
されたロゼッタストーン
ロゼッタストーンは
ヒエログリフ、
デモティッシュ(
民衆文字)、
)、ギリシア
ギリシア文
発見
された
ロゼッタストーン
は、ヒエログリフ
、デモティッシュ
(民衆文字
)、
ギリシア
文
がそれぞれ三段
三段に
かれて刻
まれていて、
シャンポリオンは
彼自身の
古代ギリ
ギリシ
字がそれぞれ
三段
に分かれて
刻まれていて
、シャンポリオン
は彼自身
の古代
ギリ
シ
知識と
出土品に
された文字
文字との
との比較研究
比較研究から
から、
ヒエログリフを
解読して
ア語の知識
と他の出土品
に記された
文字
との
比較研究
から
、ヒエログリフ
を解読
して
いきました。
シャンポリオンが
ヒエログリフの
解読に
成功したことで
したことで、
古代エジプト
エジプトの
いきました
。シャンポリオン
がヒエログリフ
の解読
に成功
したことで
、古代
エジプト
の歴
はようやく白日
白日の
しました。
シャンポリオンは
後世、「
、「エジプト
エジプト学
史はようやく
白日
の下に姿を現しました
。シャンポリオン
は後世
、「
エジプト
学の父」 と
よばれています。
よばれています
。
デモティッシュとは
とはヒエログリフ
ヒエログリフの
草書体です
です。
ヒエログリフは
くのに大変
大変な
デモティッシュ
とは
ヒエログリフ
の草書体
です
。ヒエログリフ
は書くのに
大変
な時間
がかかります。
実際に
ヒエログリフを
いてみるとよくわかります。
手紙等で
がかかります
。実際
にヒエログリフ
を書いてみるとよくわかります
。手紙等
で早く伝達
をしたい時
には向
きません。
そこでヒエログリフ
ヒエログリフの
動物などの
などの絵文字
絵文字を
をしたい
時には
向きません
。そこで
ヒエログリフ
の鳥や人や動物
などの
絵文字
を簡略
10
化して抽象化
して抽象化したのが
抽象化したのが、
したのが、ヒエラティッシュ
ヒエラティッシュ(
ラティッシュ(神官文字)
神官文字)で、ヘロドトスの
ヘロドトスの『歴史』
歴史』を読むと、
むと、
神官が
いた文字
文字なので
なのでヒエラティッシュ
ヒエラティッシュ(
神官文字)
ばれると書
かれています。
神官
が用いた
文字
なので
ヒエラティッシュ
(神官文字
)と呼ばれると
書かれています
。
しい「
ブストロフェドン」
ではなく、
固定的に
から左
みます。
読み方も難しい
「ブストロフェドン
」ではなく
、固定的
に右から
左に読みます
。B.C.650
年頃になると
になるとヒエラティッシュ
ヒエラティッシュよりさらに
よりさらに流
れるような書体
書体を
デモティッシュ(
年頃
になると
ヒエラティッシュ
よりさらに
流れるような
書体
を持つデモティッシュ
(民衆
文字)
れますが、
社会の
きが早
くなり、
文字で
記録する
する機会
機会が
くなると字
文字
)が現れますが
、社会
の動きが
早くなり
、文字
で記録
する
機会
が多くなると
字は
どんどん簡略化
簡略化して
して抽象化
抽象化していくことがわかります
していくことがわかります。
どんどん
簡略化
して
抽象化
していくことがわかります
。
時代が
るにつれ文字
文字が
簡略化していくことは
していくことは、
漢字を
発明した
した中国
中国でも
でも具象的
時代
が下るにつれ
文字
が簡略化
していくことは
、漢字
を発明
した
中国
でも
具象的
篆書、
はんこの字体
字体を
こしてください)
から楷書
楷書、
草書、
行書の
な篆書
、隷書(はんこの
字体
を 思い起こしてください
)から
楷書
、草書
、行書
の順で
文字が
簡略化していくことからもわかります
していくことからもわかります。
文字
が簡略化
していくことからもわかります
。
日本では
では中国
中国から
から入
ってきた漢字
漢字からさらに
からさらに、
カタカナ、
ひらがなという仮名文字
日本
では
中国
から
入ってきた
漢字
からさらに
、カタカナ
、ひらがなという
仮名文字
まれました。
伊呂波四十八文字は
弘法大師空海が
ったという伝説
伝説があります
が生まれました
。伊呂波四十八文字
は弘法大師空海
が作ったという
伝説
があります
普通の
人間の
知識を
えた天才空海
天才空海が
文字を
ったというところは、
エジプトの
が、普通
の人間
の知識
を超えた
天才空海
が文字
を作ったというところは
、エジプト
の
知恵の
トト神
文字を
った話
共通するところがあります
するところがあります。
知恵
の神トト
神が文字
を作った
話と共通
するところがあります
。
(3)楔形文字
エジプトから
から目
けると、
そこは楔形文字
楔形文字の
誕生した
した世界
世界です
です。
エジプト
から
目を東に 向けると
、そこは
楔形文字
の 誕生
した
世界
です
。楔形文字
最初は
絵文字から
から始
まりますが、
次第に
簡略化されて
されて、
も 最初
は 絵文字
から
始まりますが
、次第
に 簡略化
されて
、楔を 組み合わせることで
意味を
文字を
りました。
意味
を持つ文字
を作りました
。
楔形文字の
特徴は
くの民族
民族が
ったこの地域
地域にふさわしく
にふさわしく、
楔形文字
の特徴
は、多くの
民族
が行き交ったこの
地域
にふさわしく
、古ペルシア
アッカド語
アラム語
などの外国語
外国語も
みかえることで表記
表記できた
語、アッカド
語、アラム
語などの
外国語
も楔を別の形に組みかえることで
表記
できた
いますから、
アルファベットと
じような性質
性質をもっています
をもっています。
楔形文字も
と言いますから
、アルファベット
と同じような
性質
をもっています
。楔形文字
も 長い年
月使われぬまま
われぬまま、
ヒエログリフと
じように解読不明文字
解読不明文字となっていましたが
となっていましたが、
月使
われぬまま
、ヒエログリフ
と同じように
解読不明文字
となっていましたが
、1847 年
ペルシアに
派遣された
された若
イギリス士官
士官の
ローリンソン(
1810~
1895)
によって解読
解読さ
ペルシア
に派遣
された
若いイギリス
士官
のローリンソン
(1810
~1895
)によって
解読
さ
れました。
解読のきっかけとなった
のきっかけとなったヴェ
ヴェヒストゥ
ヒストゥーン
ーン碑文
碑文は
楔形文字の
れました
。解読
のきっかけとなった
ヴェ
ヒストゥ
ーン
碑文
は 、楔形文字
の古ペルシア
バビロニア語
スーサ語
種類のことばで
のことばで記
され、
文字の
めない人
語とバビロニア
語、スーサ
語の 3 種類
のことばで
記され
、文字
の読めない
人のために
もついていました。「
。「エジプト
エジプト学
シャンポリオンならば
ならばローリンソン
ローリンソンは
絵もついていました
。「
エジプト
学の父」がシャンポリオン
ならば
ローリンソン
は「アッシ
リア学
ばれています。
リア
学の父」と呼ばれています
。
(4)アルファベット
世界で
われている文字
文字の
つであるアルファベット
アルファベットは
世界
で最も使われている
文字
の一つである
アルファベット
は B.C.1500 年頃地中
舞台に
海洋交易に
従事していた
していたフェニキア
フェニキア人
現在の
レバノンや
シリアあたりに
海を舞台
に海洋交易
に従事
していた
フェニキア
人(現在
のレバノン
やシリア
あたりに
居住していた
していた人
々)が
っていた文字
文字から
から発展
発展したといわれています
したといわれています。
最初フェニキ
居住
していた
人々)
が使っていた
文字
から
発展
したといわれています
。最初
フェニキ
たちは書写材料
書写材料として
として粘土板
粘土板を
楔形文字を
って記録
記録をしていましたが
をしていましたが、
ア人たちは
書写材料
として
粘土板
を用い、楔形文字
を使って
記録
をしていましたが
、
パピルスが
エジプトから
から輸入
輸入されるとともに
されるとともに、
くて持
びの不便
不便な
粘土板を
パピルス
がエジプト
から
輸入
されるとともに
、重くて
持ち運びの
不便
な粘土板
を 捨 て、
文字も
エジプトの
デモティッシュを
めました。
らはデモティッシュ
デモティッシュをさらに
をさらに簡
文字
もエジプト
のデモティッシュ
を使い始めました
。彼らは
デモティッシュ
をさらに
簡
便化し
象形文字の
部分を
表音文字だけを
だけを採用
採用して
して、
つの文字
文字が
便化
し 、象形文字
の 部分
を 捨て、表音文字
だけを
採用
して
、一つの
文字
が 一つの
その文字
文字を
わせることで単語
単語を
りました。
アルファベットは
漢字な
音を表し、その
文字
を組み合わせることで
単語
を作りました
。アルファベット
は漢字
な
どとちがい、
表音文字です
です。
どとちがい
、表音文字
です
。
11
アルファベットは
アルファベットは現在 26 文字ですが
文字ですが、
ですが、最初の
最初のフェニキアアルファベットは
フェニキアアルファベットは 22 字で
した。
アルファベットは
した
。アルファベット
は 早 く、能率よく
能率よく書
よく書ける文字
ける文字であり
文字であり、
であり 、ヘロドトスは
ヘロドトスは地中海沿岸の
地中海沿岸の
文字を
えたのはフェニキア
フェニキア人
であると述
べていますが、
空飛ぶ
人々に 文字
を教えたのは
フェニキア
人であると
述べていますが
、空飛
ぶビジネスマ
ならぬ、
海上を
ビジネスマンフェニキア人
イメージを
髣髴とさせる
とさせる話
だと思
ンならぬ
、海上
を行くビジネスマンフェニキア
人のイメージ
を髣髴
とさせる
話だと
思い
ます。
ます
。
(5)漢字
さて、
最後に
アジア圏
文字の
母体となった
となった漢字
漢字に
いて少
をします。
さて
、最後
に東アジア
圏の文字
の母体
となった
漢字
に 付いて
少し話をします
。漢
みなさんに
さんに身近
身近な
文字ですから
ですから、
漢字の
ルーツが
象形文字であることはわかる
字はみな
さんに
身近
な文字
ですから
、漢字
のルーツ
が象形文字
であることはわかる
います。
現在の
漢字の
原型は
ヒエログリフ
楔形文字が
まれた頃
とほぼ同時
と思います
。現在
の漢字
の原型
はヒエログリ
フや楔形文字
が生まれた
頃とほぼ
同時
まれています。
漢字は
絵文字から
から始
まり、
意味と
記号を
代に生まれています
。漢字
は絵文字
から
始まり
、意味
と音を表す記号
を組み合わせ
っています。
もっとも古
漢字は
神意を
いに使
った甲骨文字
甲骨文字ですが
ですが、
て成り立っています
。もっとも
古い漢字
は神意
を聞く占いに
使った
甲骨文字
ですが
、
漢字の
基本構造は
年前から
から変
わっていないということもすごいことです。
漢字
の基本構造
は 3000 年前
から
変わっていないということもすごいことです
。
漢字の
特徴は
口語に
依存しないということです
しないということです。
発音は
じでも文字
文字が
えば意
漢字
の特徴
は口語
に依存
しないということです
。発音
は同じでも
文字
が違えば
意
います。
コウ(
hong)
発音は
いつくだけでも「
」「弘
」「鴻
」「洪
」「虹
」「宏
味も違います
。コウ
(hong
)と発音
は、思いつくだけでも
「紅」「
弘」「
鴻」「
洪」「
虹」「
宏」
etc.これだけの
これだけの文字
文字があります
があります。
しかし、
文字を
れば発音
発音がわからなくても
がわからなくても意
etc.
これだけの
文字
があります
。しかし
、文字
を目で見れば
発音
がわからなくても
意
はわかるというのは
るというのは漢字
漢字の
特徴でもあります
でもあります。
味はわか
るというのは
漢字
の持つ特徴
でもあります
。
漢字を
ったのは、
蒼頡(
そうけつ)
という目
つある史官
史官であったと
であったと伝
漢字
を作ったのは
、蒼頡
(そうけつ
)という
目が四つある
史官
であったと
伝わってい
ます。
蒼頡は
中国の
伝説の
皇帝の
一人で
身体は
であったといわれる黄帝
黄帝に
ます
。蒼頡
は中国
の伝説
の皇帝
の一人
で身体
は龍であったといわれる
黄帝
に仕え
ていました。
史官とは
とは歴史
歴史を
記録することを
することを仕事
仕事とする
とする人間
人間のことですが
のことですが、
中国は
ていました
。史官
とは
歴史
を記録
することを
仕事
とする
人間
のことですが
、中国
は司
馬遷の
史記』
以来、
歴史を
すことに非常
非常に
意義を
いてきた国
ですから、
馬遷
の『史記
』以来
、歴史
を書き記すことに
非常
に意義
を置いてきた
国ですから
、史
仕事は
重要でした
でした。
官の仕事
は重要
でした
。
史官であった
であった彼
足跡や
天体を
漢字を
したといわれています。
史官
であった
彼は鳥の足跡
や天体
を見て漢字
を作り出したといわれています
。魯
文字は
ったか?」
?」という
という文章
文章の
蒼頡をとりあげて
をとりあげて「
つだけ
迅は 「文字
は 誰が 作ったか
?」
という
文章
の 中で、蒼頡
をとりあげて
「目が 二つだ
け
のわれわれ風情
風情では
では、
能力はむろんのこと
はむろんのこと、
容貌からして
からして不適格
不適格なのだ
なのだ」
のわれわれ
風情
では
、能力
はむろんのこと
、容貌
からして
不適格
なのだ
」とのべてい
ます。
尋常ならざることを
ならざることを成
げるには、
人間離れした
れした容貌魁偉
容貌魁偉な
人物でなけれ
ます
。尋常
ならざることを
成し 遂げるには
、人間離
れした
容貌魁偉
な人物
でなけれ
ばできない、
このことは即
尋常ならざることをするには
ならざることをするには人間
人間の
ばできない
、このことは
即ち、尋常
ならざることをするには
人間
の枠にとどまっていて
はできないと魯迅
魯迅は
いたいのでしょうか。
この蒼頡
蒼頡が
文字を
ったことについて一
はできないと
魯迅
は言いたいのでしょうか
。この
蒼頡
が文字
を作ったことについて
一
面白い
わっています。
つ面白
い話が伝わっています
。
淮南子』(
』(えなんじ
年頃成立)
という本
には、
蒼頡が
文字をつくった
『淮南子
』(
えなんじ 前 120 年頃成立
)という
本の中には
、蒼頡
が文字
をつくった
ことで、「
、「天
ぞく)
らし、
夜泣いた
いた」
されています。
ことで
、「
天は粟(ぞく
)を降らし
、鬼は夜泣
いた
」と記されています
。これはどういうこと
でしょう。
それは
蒼頡が
文字をつくったことで
をつくったことで、
まで生業
生業としていた
としていた農耕
農耕を
でしょう
。それ
は、蒼頡
が文字
をつくったことで
、今まで
生業
としていた
農耕
を棄てて
文章を
仕事とするものが
とするものが続出
続出して
して、
すものがいなくなり、
その結果
結果、
文章
を仕事
とするものが
続出
して
、畑を耕すものがいなくなり
、その
結果
、 米 や 粟が
不足し
えるのを恐
れて天
食料を
らし、
中国では
では死者
死者の
不足
し 、民が 飢えるのを
恐れて
天は 食料
を 降らし
、鬼(中国
では
死者
の霊)は 文字
によって弾劾
弾劾されるのを
されるのを恐
れて夜
いたというのです。
によって
弾劾
されるのを
恐れて
夜な夜な泣いたというのです
。
面白いとは
いとは思
いませんか。
西洋や
オリエント世界
世界では
では、
文字は
言葉や
面白
いとは
思いませんか
。西洋
やオリエント
世界
では
、文字
は神の言葉
や神の代
理人として
として地上
地上を
統治する
する王
たちの言行
言行を
記録するためのものとして
するためのものとして、
から人間
理人
として
地上
を統治
する
王たちの
言行
を 記録
するためのものとして
、神から
人間
12
に 与えられたものであり、
えられたものであり、文字の
文字の 国中国では
国中国 では、
では 、神は 人間(
人間(蒼頡は
蒼頡は 官僚)
官僚)が 文字を
文字を 発
したことで、
になることを憂
明したことで
、人が怠惰になることを
憂え、鬼神は
鬼神は弾劾されることを
弾劾されることを恐
されることを恐れて泣
れて泣く。神が
主体か
主体か
比較文化学から
から見
てもこの洋
東西の
いは興味深
興味深い
主体
か 、人が 主体
か 。比較文化学
から
見てもこの
洋の 東西
の違いは
興味深
いもの
です。
です
。
5. 図書館
図書館の
の歴史
さきほども述
さきほども述べたように人
べたように人は地球上で
地球上で唯一書き
唯一書き記すという行為
すという行為をする
行為をする生
をする生き物
です。
きていくうえにおいて有用
有用な
思索や
知識は
文字によって
によって書
です
。人が生きていくうえにおいて
有用
な思索
や知識
は文字
によって
書き留め
られ、
られたものの
である図書
図書は
古代においては
においては皇帝
皇帝や
られ
、書き留められたもの
の形である
図書
は、古代
においては
皇帝
や王の図書
アッシリアの
ニネヴェの
王宮図書館や
プトレマイオス朝
エジプトの
館(アッシリア
のニネヴェ
の王宮図書館
やプトレマイオス
朝エジプト
のアレク
サンドリア図書館
図書館、
古代ローマ
ローマ、
ビザンチンの
図書館、
etc.)
サンドリア
図書館
、古代
ローマ
、ビザンチン
の図書館
、漢の宮廷蔵書処 etc.
)
、
中世には
には修道院
修道院の
図書館
世紀頃から
から)
古代ローマ
ローマの
文化の
継承を
理想と
中世
には
修道院
の図書
館(6 世紀頃
から
)や古代
ローマ
の文化
の継承
を理想
と
フランク王国
王国の
シャルルマーニュの
宮廷図書館(
世紀初頭
初頭)
したフランク
王国
のシャルルマーニュ
の宮廷図書館
(9 世紀
初頭
)の中で、 そ
場所に
資格があり
があり、
文字を
むことができるごく
ごく少数
少数の
の場所
に入る資格
があり
、文字
を読むことができる
ごく
少数
の人々に読みつが
れてきました。
そこで読
まれた本
くがキリスト
キリスト教
文献です
です。
それ以外
以外の
れてきました
。そこで
読まれた
本は多くが
キリスト
教の文献
です
。それ
以外
の
文献は
ることさえ禁
じられていました。
この時代
時代の
知識について
について描
かれた興
文献
は見ることさえ
禁じられていました
。この
時代
の知識
について
描かれた
興
味深い
小説があります
があります。
映画にもなりましたから
にもなりましたから、
味深
い小説
があります
。映画
にもなりましたから
、見た人がいるかもしれませ
ん。
みなさんは『
薔薇の
名前』
という本
っていますか?
ウンベルト・
みなさんは
『薔薇
の名前
』という
本を知っていますか
?ウンベルト
・エーコ
というイタリア
イタリアの
記号学者が
いたもので、
イタリアの
アペニン山脈
山脈の
という
イタリア
の記号学者
が書いたもので
、北イタリア
のアペニン
山脈
の中腹
にあるベネディクト
ベネディクト派
修道院を
舞台とした
としたミステリー
ミステリーです
です。
この作品
作品からは
にある
ベネディクト
派の修道院
を舞台
とした
ミステリー
です
。この
作品
からは
当時の
知識、
学術というものが
というものがどのように
どのように理解
理解され
され、
管理されていたか
されていたかをうか
当時
の知識
、学術
というものが
どのように
理解
され
、管理
されていたか
をうか
がうことができます。
がうことができます
。
ストーリーは
修道士バスカヴィル
バスカヴィルの
ウィリアムが
従者の
アドソとともに
とともに、
ストーリー
は 、旅の修道士
バスカヴィル
の ウィリアム
が従者
のアドソ
とともに
、訪れた
修道院の
写字室(
スクリプトリウム)
まるで『
ヨハネの
黙示録』
こさせるように
修道院
の写字室
(スクリプトリウム
)で、まるで
『ヨハネ
の黙示録
』を思い起こさせるよう
に
日間連続で
修道士が
される事件
事件の
謎解きにあたるというものです
きにあたるというものです。
事件が
7 日間連続
で 7 人の修道士
が殺される
事件
の謎解
きにあたるというものです
。事件
が
世界史的に
ればイタリア
イタリアでは
ではダンテ
ダンテや
ボッカチオが
起こったのは 1327 年、世界史的
に見れば
イタリア
では
ダンテ
やボッカチオ
が出て人文
主義が
んになる時代
時代、
イングランドでは
ではフランス
フランスとの
との百年戦争
百年戦争の
って落
とされ、
主義
が盛んになる
時代
、イングランド
では
フランス
との
百年戦争
の幕が切って
落とされ
、
ドイツでは
ではエックハルト
エックハルトなどの
などの神秘主義
神秘主義が
勃興した
した時代
時代、
スペインでは
ではイスラム
イスラム教国
教国の
ドイツ
では
エックハルト
などの
神秘主義
が勃興
した
時代
、スペイン
では
イスラム
教国
の
グラナダ王国
王国の
全盛時代です
です。
この事件
事件が
こった年
年後には
には、
ヨーロッパ全
グラナダ
王国
の全盛時代
です
。この
事件
が起こった
年から 20 年後
には
、ヨーロッパ
全
黒死病が
蔓延し
ヨーロッパの
人口は
激減します
します。
アジアでは
では、
中国は
土に黒死病
が蔓延
し、ヨーロッパ
の人口
は激減
します
。東アジア
では
、中国
は 元の中
日本ではまもなく
ではまもなく鎌倉幕府
鎌倉幕府が
滅亡する
する時代
時代です
です。
期、日本
ではまもなく
鎌倉幕府
が滅亡
する
時代
です
。
薔薇の
名前』
非常に
綿密に
かれたフィクション
フィクションですが
ですが、
哲学でも
でも文学
文学でもそれ
『薔薇
の名前
』は非常
に綿密
に書かれた
フィクション
ですが
、哲学
でも
文学
でもそれ
かれた背景
背景や
作品が
いている時代
時代を
ることは、
が 書かれた
背景
や作品
が 描いている
時代
を 知ることは
、その 本を深く知る上でとても
大事です
です。
大事
です
。
これからこの話
んだり、
たりする人
のために犯人
犯人の
名前は
せますが、
これからこの
話を読んだり
、見たりする
人のために
犯人
の名前
は伏せますが
、7 人の
13
修道士が
修道士が殺された理由
された理由は
理由は、「ある
、「ある本
ある本」を見たためです。
たためです。このある本
このある本とは、
とは、古代ギリシア
古代ギリシアの
ギリシアの
アリストテレスが
した『
詩学』
第二部です
です。
この本
では、
人間性に
ざす笑
いが肯定
アリストテレス
が著した
『詩学
』第二部
です
。この
本では
、人間性
に根ざす
笑いが
肯定
されています。
当時の
キリスト教会
教会の
公式見解では
では、
イエス・
キリストは
されています
。当時
のキリスト
教会
の公式見解
では
、イエス
・キリスト
は笑わなかったと
いは人間
人間を
堕落へ
しきものとされていました。
ですから、
アリストテレスのこ
し、笑いは
人間
を堕落
へ導く悪しきものとされていました
。ですから
、アリストテレス
のこ
禁書」
とされて修道院
修道院の
奥深く
されていました。
普通の
修道士では
では見
の本は「禁書
」とされて
修道院
の奥深
く隠されていました
。普通
の修道士
では
見ること
禁止され
され、
禁書を
ることは死
ぬことにサイン
サインすることだったのです
することだったのです。
すら禁止
され
、禁書
を見ることは
死ぬことに
サイン
することだったのです
。アリストテレス
著作だけではなく
だけではなく、
キリスト教成立以前
教成立以前に
された古代
古代ギリシア
ギリシア・
ローマの
書物の
の著作
だけではなく
、キリスト
教成立以前
に著された
古代
ギリシア
・ローマ
の書物
の中
でも思想書
思想書、
哲学書は
焚書にはあわなかったとしても
にはあわなかったとしても、
修道院の
奥深く
でも
思想書
、哲学書
は、焚書
にはあわなかったとしても
、修道院
の奥深
く隠されていま
した。
した
。
しかし、
どのように停滞
停滞した
した時代
時代に
えていても時代
時代は
くものです。
しかし
、どのように
停滞
した
時代
に見えていても
時代
は動くものです
。11 世紀初頭
世紀末(
10961291)
われた十字軍
十字軍による
による東方
東方イスラム
イスラム圏
への遠征
遠征は
から 13 世紀末
(1096
-1291
)に行われた
十字軍
による
東方
イスラム
圏への
遠征
は 、ヨ
ーロッパ社会
社会が
変化を
げるきっかけとなりました
きっかけとなりました。
ーロッパ
社会
が大きな変化
を遂げる
きっかけとなりました
。
それは、
リスト教神学
教神学に
よって長
されてい
古代ギリシア
ギリシア、
ローマ時代
時代の
それは
、キリスト
教神学
によって
長く秘されて
いた古代
ギリシア
、ローマ
時代
の思想
文芸を
再発見させ
させ、
また当時
当時の
ヨーロッパ
ロッパより
よりはるかに
はるかに進
んだ数学
数学、
天文学や
や文芸
を再発見
させ
、また
当時
のヨー
ロッパ
より
はるかに
進んだ
数学
、天文学
や医学
などの科学
科学知識
知識をもたらし
をもたらした
のです。
各国はこれら
はこれらアラビア
アラビア語
かれた図書
図書を
などの
科学
知識
をもたらし
たのです
。各国
はこれら
アラビア
語で書かれた
図書
を当時
ヨーロッパ世界
世界の
共通語であった
であったラテン
ラテン語
への翻訳
翻訳を
たことで、
それまでのキリ
のヨーロッパ
世界
の共通語
であった
ラテン
語への
翻訳
を進めたことで
、それまでの
キリ
スト教神学中心
教神学中心であった
であった学問
学問世界
世界から
から、
人間生活に
必要な
科学や
ではなく人間
人間を
スト
教神学中心
であった
学問
世界
から
、人間生活
に必要
な科学
や、神ではなく
人間
を
つめた哲学
哲学や
思想へ
知的関心が
まってきたのです
歴史上ではこの
ではこの時代
時代を
見つめた
哲学
や思想
へ知的関心
が高まってきたので
す。歴史上
ではこの
時代
を 12
世紀ルネサンス
ルネサンスと
びます。
るための学問
学問から
から、
人間を
るための学問
学問の
世紀
ルネサンス
と呼びます
。神を知るための
学問
から
、人間
を知るための
学問
の出現
やがてくる人文主義
人文主義を
となります。
この動
世紀末から
から始
まる各国
各国の
は、やがてくる
人文主義
を導く萌芽となります
。この
動きは 12 世紀末
から
始まる
各国
の
大学の
創設に
つながります
大学
の創設
にもつながりま
す。
(1) 大学図書館
ヨーロッパの
大学は
世紀末
世紀にかけて
にかけて各地
各地の
王侯貴族や
ヨーロッパ
の主な大学
は、12 世紀
末から 14 世紀
にかけて
各地
の王侯貴族
や教会
によって創設
創設され
され、
大学には
には図書館
図書館が
設立されていました
されていました。
がなければ学習
学習や
によって
創設
され
、大学
には
図書館
が必ず設立
されていました
。本がなければ
学習
や
研究ができないからです
ができないからです。
これは現在
現在でも
でも図書館
図書館が
大学の
心臓部といわれるゆえん
といわれるゆえんで
研究
ができないからです
。これは
現在
でも
図書館
が大学
の心臓部
といわれるゆえん
で
しかし、
この時代
時代の
図書館に
所蔵されている
されている本
現在の
印刷され
され、
製本されて
す。しかし
、この
時代
の図書館
に所蔵
されている
本は 、現在
の 印刷
され
、製本
されて
いる本
とは全
様子が
なります。
世紀中葉に
グーテンベルグによって
によって活版印刷術
いる
本とは
全く様子
が異なります
。15 世紀中葉
にグーテンベルグ
によって
活版印刷術
発明されるまで
されるまで、
修道院や
大学の
図書館に
所蔵されている
されている本
羊皮紙や
が発明
されるまで
、修道院
や大学
の図書館
に所蔵
されている
本は、羊皮紙
やヴェラム
子牛の
をなめしたもの)
人間が
一字一字書き
した「
写本」
です。
簡単に
(子牛
の皮をなめしたもの
)に 、人間
が一字一字書
き写した
「写本
」です
。本は簡単
に
るものではなく、
宝物に
しい財産
財産でもありました
でもありました。
実際、
諸侯や
修道院は
手に入るものではなく
、宝物
に等しい
財産
でもありました
。実際
、諸侯
や修道院
は富に
せて、
豪華な
写本を
作成しました
しました。
みなさんも
さんもアイルランド
アイルランドの
ダブリンにある
にあるトリニテ
任せて
、豪華
な写本
を作成
しました
。みな
さんも
アイルランド
のダブリン
にある
トリニテ
カレッジの
ケルズの
』(8
世紀後半頃)
大英博物館にある
にある『
ィ・カレッジ
の『ケルズ
の書』(
8 世紀後半頃
)や大英博物館
にある
『リンディスファーン
福音書』(
』(7
世紀初頭頃)、
)、フランス
フランス国立図書館
国立図書館にある
にある『
シャルルマーニュの
福音書』
福音書
』(
7 世紀初頭頃
)、
フランス
国立図書館
にある
『シャルルマーニュ
の福音書
』(8
世紀後半頃)
フランス学士院
学士院が
管理する
するパリ
パリ郊外
郊外シャンティー
シャンティー城内
城内コンデ
コンデ美術館所
世紀後半頃
)、フランス
学士院
が 管理
する
パリ
郊外
シャンティー
城内
コンデ
美術館所
フランス王
であるベリー
ベリー候
らせた『
ベリー候
のいとも豪華
豪華な
蔵のフランス
王シャルル 5 世の弟である
ベリー
候が作らせた
『ベリー
候のいとも
豪華
な
時祷書』
年頃)
などは有名
有名な
彩色写本ですから
ですから、
一度はどこかで
はどこかで目
る時祷書
』(1416 年頃
)などは
有名
な彩色写本
ですから
、一度
はどこかで
目にしたこと
14
があると思
があると思 います。
います 。これらの写本
これらの 写本は
写本は 、所蔵者の
所蔵者の 富や権威を
権威を 誇示するものであり
誇示するものであり、
するものであり、所蔵
者以外の
利用を
念頭に
作成されたものではありません
されたものではありません。
者以外
の利用
を念頭
に作成
されたものではありません
。
しかし、
大学図書館にある
にある本
個人が
しむためのものではなく、
学生や
教師が
しかし
、大学図書館
にある
本は、個人
が楽しむためのものではなく
、学生
や教師
が
学習や
研究のた
のために
めに利用
利用する
する本
大学図書館では
では学生
学生数
増加するにつれ
するにつれ、
学習
や研究
のた
めに
利用
する
本です。大学図書館
では
学生
数が 増加
するにつれ
、
複数の
人間が
利用するという
するという状況
状況がおきて
がおきてきます
きます。
一部の
人間の
複数
の人間
が 1 冊の本を利用
するという
状況
がおきて
きます
。本は一部
の人間
の所
有物から
から、
くの人
知識を
伝達する
するものになります
ものになります。
みなさんは、
書架に
有物
から
、多くの
人に知識
を伝達
する
ものになります
。みなさんは
、書架
に鎖でつなが
たことがありますか。
盗難防止という
という目的
目的よりも
よりも、
一部の
れた 本を見たことがありますか
。これは 本の盗難防止
という
目的
よりも
、本を一部
の者
利用にとどめるのではなく
にとどめるのではなく、
くの利用者
利用者を
念頭に
いた、
利用を
前提と
する図書
の 利用
にとどめるのではなく
、多くの
利用者
を念頭
に 置いた
、利用
を前提
とする
図書
まりと考
えてよいので
のです
その場所
場所にいけばいつもその
にいけばいつもその本
館 の 始 まりと
考 えてよい
ので
す 。 その
場所
にいけばいつもその
本 があるということで
す。
大学図書館に
どのくらいの蔵書
蔵書があったかというと
があったかというと、
神学、
法学、
医学、
学芸学部の
大学図書館
にどのくらいの
蔵書
があったかというと
、神学
、法学
、医学
、学芸学部
の
つの学部
学部を
っていたパリ
パリの
ソルボンヌ大学
大学の
目録には
4 つの
学部
を持っていた
パリ
のソルボンヌ
大学
の 1289 年の目録
には 1017 冊、1338
とあり、
自由七
主題で
分類され
され書架
書架に
んでいました。
年には 1722 冊とあり
、本は自由
七科の主題
で分類
され
書架
に並んでいました
。現在
からみれば非常
非常に
ない数字
数字ですが
ですが、
当時の
写本であり
であり、
蔵書を
からみれば
非常
に少ない
数字
ですが
、当時
の本は写本
であり
、1000 冊を超す蔵書
を
図書館は
大図書館です
です。
それでも、
学問や
んになると学生
学生は
持つ図書館
は大図書館
です
。それでも
、学問
や人の行き来も盛んになると
学生
は、自
所属大学に
まらず、
しい理論
理論を
展開する
する教師
教師や
東方からの
からの本
所蔵す
分の所属大学
に止まらず
、新しい
理論
を展開
する
教師
や東方
からの
本を多く所蔵
す
大学図書館があると
があると聞
くと、
ヨーロッパ各地
各地の
大学に
勉学にでかけていきま
にでかけていきました
した。
る大学図書館
があると
聞くと
、ヨーロッパ
各地
の大学
に勉学
にでかけていきま
した
。
らは遍歴学生
遍歴学生と
ばれました。
先頃亡
くなった阿部謹也
阿部謹也さんの
さんの翻訳書
翻訳書に
彼らは
遍歴学生
と呼ばれました
。先頃
亡くなった
阿部謹也
さんの
翻訳書
に『放浪学
プラッターの
スイスの
ルネサンス人
平凡社刊)
という本
生プラッター
の手記 : スイス
のルネサンス
人』(1985 年、平凡社刊
)という
本が
あります。
なぜ、
学問をする
をするのかについて
のかについてとても
とても面白
面白い
ことが書
かれていますから、
あります
。なぜ
、学問
をする
のかについて
とても
面白
いことが
書かれていますから
、大
学生活の
時期に
むことをお勧
めします。
学生活
の早い時期
に読むことをお
勧めします
。
世紀ルネサンス
ルネサンス以降
以降、
学問の
領域は
がり、
きも活発
活発になり
になります
ます。
12 世紀
ルネサンス
以降
、学問
の領域
は広がり
、人の動きも
活発
になり
ます
。13 世紀
るとあいつぐ
あいつぐ十字軍
十字軍出兵
出兵による
による財政的
財政的な
疲弊と
宗派内部での
での争
いによって教皇
に 入ると
あいつぐ
十字軍
出兵
による
財政的
な疲弊
と宗派内部
での
争いによって
教皇
学問の
中心であった
であった教会
教会や
修道院図書館は
衰微し
かわって文化
文化や
権は衰え、学問
の中心
であった
教会
や修道院図書館
は衰微
し、かわって
文化
や学問
中心は
東方交易によって
によって富
蓄積した
した北部
北部イタリア
イタリアの
新興都市貴族や
大学に
の中心
は、東方交易
によって
富を蓄積
した
北部
イタリア
の新興都市貴族
や大学
に移り
ます。
時代は
ダンテや
ボッカチオや
ペトラルカが
著作を
ギリシア・
ローマの
ます
。時代
は ダンテ
やボッカチオ
やペトラルカ
が 著作
を 生み出し 、ギリシア
・ローマ
の
古典文化の
復興を
した人間主義的文化運動
人間主義的文化運動=
人文主義の
時代を
えます。
古典文化
の復興
を目指した
人間主義的文化運動
=人文主義
の 時代
を迎えます
。ル
ネサンス前夜
前夜です
です。
ネサンス
前夜
です
。
当時イタリア
イタリアの
諸都市は
人文主義思想を
背景として
として、
ローマ帝国
帝国の
滅亡と
当時
イタリア
の諸都市
は、人文主義思想
を背景
として
、東ローマ
帝国
の滅亡
と混乱
によって流浪
流浪してきた
してきたビザンチン
ビザンチンの
学者を
たり、
スラム文化
文化圏
からの
によって
流浪
してきた
ビザンチン
の学者
を受け入れたり
、イスラム
文化
圏から
の学術的
影響も
けて、
古典文化の
復興に
古代ギリシア
ギリシア、
ローマ時代
時代の
思想や
な影響
も受けて
、古典文化
の復興
に力を注ぎ、古代
ギリシア
、ローマ
時代
の思想
や文
自然科学の
写本を
収集し
また作成
作成に
れました。
学や自然科学
の写本
を収集
し、また
作成
に力を入れました
。
フィレンツエの
メディチ家
大公ロレンツオ
ロレンツオは
ギリシア語写本
語写本の
収集で
有名ですし
ですし、
フィレンツエ
のメディチ
家の大公
ロレンツオ
は、ギリシア
語写本
の収集
で有名
ですし
、
マントヴァの
エステ家
ローマの
ヴィスコンティ家
でも同
写本の
収集に
をいれ
マントヴァ
のエステ
家、ローマ
のヴィスコンティ
家でも
同じ様に写本
の収集
に力をい
れ
ます。
らは、
収集した
した写本
写本の
蔵書目録を
作成し
蔵書を
寺院に
寄託して
して図書
ます
。彼らは
、収集
した
写本
の 蔵書目録
を 作成
し 、 蔵書
を 市や寺院
に 寄託
して
図書
一般市民(
高額納税者である
である有力市民
有力市民)
公開しま
しました
した。
これらの
図書館は
館を作り、一般市民
(高額納税者
である
有力市民
)に公開
しま
した
。これら
の図書館
は
15
一種の
一種のステータスシンボルであり
ステータスシンボルであり、
であり、権力と
権力と富を持つものが知識
つものが知識を
知識を最も多く手に入れると
いう構図
構図は
古代以来全く
わりませんが、
ここでようやく
ようやく、
知識が
市民に
いう
構図
は古代以来全
く変わりませんが
、ここで
ようやく
、知識
が市民
に開放されたの
開放されたの
です。
です
。
イスラム世界
(2) イスラム
世界
ルネサンスに
当時の
ヨーロッパ世界
世界に
きな影響
影響を
えたイスラム
イスラム世界
ルネサンス
に入る前に 、当時
の ヨーロッパ
世界
に 大きな
影響
を与えた
イスラム
世界
図書館について
について少
します。
世紀に
預言者ムハンマド
ムハンマドによって
によって始
められたイス
の図書館
について
少し話をします
。8 世紀
に預言者
ムハンマド
によって
始められた
イス
ラム教
聖典は
コーラン
ラン』
ですが、
ムハンマドの
後継者たちは
たちは、
この『
コーラン』
ラム
教の 聖典
は『コー
ラン
』ですが
、ムハンマド
の 後継者
たちは
、この
『コーラン
』 の写
大量に
作成して
して人
配布しました
しました。
このことは、
アラビア語
標準化と
知識の
本を大量
に作成
して
人々に配布
しました
。このことは
、アラビア
語の標準化
と知識
の一
般化をもたらしたといわれます
をもたらしたといわれます。
コーラン』
あらゆる知識
知識を
んじなければなら
般化
をもたらしたといわれます
。『コーラン
』に は、あらゆる
知識
を 重んじ
なければなら
ないこと、
そしてよきイスラム
イスラム教徒
教徒は
不断に
知識の
習得に
めなければならないことが
ないこと
、そしてよき
イスラム
教徒
は不断
に知識
の習得
に努めなければ
ならないことが
されています。
コーラン』
には、
まれてから死
ぬまで知識
知識を
記されています
。『コーラン
』の 中には
、「人は生まれてから
死ぬまで
知識
を 求めてい
かなければならない」、「
」、「知識
知識と
こそが、
がることにより、
さらに盛
んとなる二
かなければならない
」、「
知識
と火こそが
、広がることにより
、さらに
盛んとなる
二つのも
のである」
されており、
知識の
収集と
獲得は
信徒の
でもありました。
のである
」と記されており
、知識
の収集
と獲得
は、信徒
の務めでもありました
。本はモス
収集され
され、
資産を
つものは、
寄贈したり
したり、
写本作成のためのお
のためのお金
クに収集
され
、資産
を持つものは
、本を寄贈
したり
、写本作成
のためのお
金を出すな
モスクの
蔵書を
かにすることが求
められました。
モスクは
りの場所
場所であるだけ
ど、モスク
の 蔵書
を 豊かにすることが
求められました
。モスク
は祈りの
場所
であるだけ
でなく、
写本生産の
であり、
学習や
研究、
外国の
文献の
アラビア語
への翻訳
翻訳など
など知
でなく
、写本生産
の場であり
、学習
や研究
、外国
の文献
のアラビア
語への
翻訳
など
知
的生産活動の
場所でもあったのです
でもあったのです。
モスクにある
にある本
でも読
むことができ、
的生産活動
の場所
でもあったのです
。モスク
にある
本は、誰でも
読むことができ
、アラ
ビア語
翻訳された
された古代
古代ギリシア
ギリシアの
古典を
るために、
各地からの
からの学者
学者もやってきま
ビア
語に 翻訳
された
古代
ギリシア
の 古典
を見るために
、各地
からの
学者
もやってきま
した。
修道院が
キリスト教神学
教神学に
限定した
した学術
学術のみを
のみを認
めていたのとは異
なります。
した
。修道院
がキリスト
教神学
に限定
した
学術
のみを
認めていたのとは
異なります
。こ
のようなイスラム
イスラムの
学問のあ
のありかたが
りかたが、
ヨーロッパの
人文主義に
影響を
えたことは否
のような
イスラム
の学問
のあ
りかたが
、ヨーロッパ
の 人文主義
に影響
を与えたことは
否
めません。
めません
。
世紀初頭から
世紀末まで
までイベリア
イベリア半島
半島は
イスラム教徒
教徒の
王朝が
支配していまし
8 世紀初頭
から 15 世紀末
まで
イベリア
半島
はイスラム
教徒
の王朝
が支配
していまし
たが、
世紀頃の
スペインでは
では、
宗教にとらわれない
にとらわれない自由
自由な
精神で
数学、
天文学を
たが
、11 世紀頃
のスペイン
では
、宗教
にとらわれない
自由
な精神
で、数学
、天文学
を
はじめとする科学
科学や
医学が
水準で
められ、
トレドが
キリスト教徒
教徒の
はじめとする
科学
や医学
が高い水準
で究められ
、1085 年にトレド
がキリスト
教徒
の支
配下になっても
になっても、
トレドは
イスラムの
水準の
学問を
れる窓
でした。
モスクには
には、
配下
になっても
、トレド
はイスラム
の高い水準
の学問
を取り入れる
窓でした
。モスク
には
、
分野の
知識即
収蔵されてい
されていた
からです。
様々な分野
の知識
即ち本が収蔵
されてい
たからです
。
印刷術の
(3) 印刷術
の発明
次第に
んになり、
知識や
たな学術
学術の
探求が
次第に
なって、
人の 行き来が 次第
に 盛んになり
、知識
や新たな
学術
の 探求
が 次第
に 強 くなって
、
需要も
りましたが、
写本作成には
には大変
大変な
時間と
コストがかかります
がかかります。
中世の
本の需要
も高まりましたが
、写本作成
には
大変
な時間
とコスト
がかかります
。中世
の大
きな修道院
修道院は
内部に
写字を
専門とする
とする修道僧
修道僧たちを
たちを抱
写本生産も
いましたが、
きな
修道院
は内部
に写字
を専門
とする
修道僧
たちを
抱え、写本生産
も行いましたが
、
その量
くはありませんでした。
キリスト教神学
教神学を
対象は
られていたからです。
その
量は多くはありませんでした
。キリスト
教神学
を学ぶ対象
は限られていたからです
。
それと対照的
対照的に
大学は
をその語源
語源とするように
とするように、
主題の
学問を
それと
対照的
に大学
は Universe をその
語源
とするように
、様々な主題
の学問
を 行 う場
です。
大学は
創立の
から図書館
図書館を
大学内部に
写本生産の
所です
。大学
は創立
の時から
図書館
を持ち、大学内部
に写本生産
の場を持っていま
したが、
時代とともに
とともに学生
学生の
増加し
共通の
テキストである
である教科書
教科書の
需要も
したが
、時代
とともに
学生
の数が増加
し、共通
のテキスト
である
教科書
の需要
も増えて
くると、
写本生産も
いつかなくなります
なります。
このように本
する需要
需要が
まる中
くると
、写本生産
も追いつかなく
なります
。このように
本に対する
需要
が高まる
中 で 、必
然的に
登場したのが
したのが活版
活版印刷術
印刷術です
です。
然的
に登場
したのが
活版
印刷術
です
。
16
15 世紀中葉
世紀中葉 1450 年のグーテンベルグによる
グーテンベルグによる印
による印刷術の発明は
発明は、それまで人間
それまで人間が
人間が手
で書き写してきた
してきた写本
写本という
という本
形態から
から、
同一原版
原版による
による数百数千単位
数百数千単位の
写本
という
本の形態
から
、同一
原版
による
数百数千単位
の刊行部数
可能となり
となりました
ました。
くの人
せることができるようにな
ことができるようになり
が 可能
となり
ました
。多くの
人々の手に 本を行き渡らせる
ことができるようにな
り 、本は
遠隔地にも
にも運
ばれるよう
ようになりま
になります
同一文献を
くの人
出来るということは
るということは、
遠隔地
にも
運ばれる
よう
になりま
す。同一文献
を多くの
人が 手に 出来
るということは
、
それを読
んだ複数
複数の
共通の
認識を
討議できる
できる条件
条件ができた
ができたということで
それを
読んだ
複数
の人々が共通
の認識
を持ち、討議
できる
条件
ができた
ということで
学問は
切磋琢磨されることで
されることで発展
発展してい
していきます
きます。
印刷術の
発明と
進歩は
す。学問
は切磋琢磨
されることで
発展
してい
きます
。印刷術
の発明
と進歩
は 、本に 翼
知識や
思想は
伝達され
されて
やがてそれは枝葉
枝葉を
ばし、
それぞれの地域
を与え、知識
や思想
は広く伝達
され
て、やがてそれは
枝葉
を伸ばし
、それぞれの
地域
独自の
発展を
げて現代
現代につながる
につながる学問
学問として
として形成
形成されて
されていったのです
いったのです。
の中で独自
の発展
を遂げて
現代
につながる
学問
として
形成
されて
いったのです
。
印刷術の
発明で
くの本
刊行されるようになると
されるようになると、
図書館の
役割も
印刷術
の 発明
で多くの
本が 刊行
されるようになると
、図書館
の 役割
も 変わってきま
数少ない
ない写本
写本を
大切に
保管し
られた一部
一部の
するだけであった場所
す。数少
ない
写本
を 大切
に保管
し 、限られた
一部
の 人々に 供するだけであった
場所
から、
印刷本による
による知識
知識の
拡散によって
によって火薬庫
火薬庫の
火花が
るように学術
学術の
から
、印刷本
による
知識
の 拡散
によって
火薬庫
の 中 に 火花
が 飛び 散るように
学術
の
図書館は
から次
刊行される
される本
人類の
思想の
みの連続性
連続性を
花が開き、図書館
は次から
次へ刊行
される
本即ち人類
の思想
の営みの
連続性
を蔵書
として保管
保管し
分類し
整理して
して多
くの人
提供するという
するという利用中心
利用中心の
へと大
として
保管
し、分類
し、整理
して
多くの
人々に提供
するという
利用中心
の場へと
大きく
わっていったのです。
図書館は
人類の
記憶の
収蔵庫であるとともに
であるとともに、
知識の
変わっていったのです
。図書館
は人類
の記憶
の収蔵庫
であるとともに
、知識
の提供場
となりました
りました。
所とな
りました
。
欧米の
公共図書館の
利用率は
日本と
比較して
して現在
現在でも
でも非常
非常に
いですが、
欧米
の公共図書館
の利用率
は、日本
と比較
して
現在
でも
非常
に高いですが
、その
理由の
つは本
図書館が
自分たちの
たちの生
生活に
重要で
理由
の一つは
本と図書館
が人々の間で、自分
たちの
生き方や生活
に重要
で欠くべか
ざるものという意識
意識があり
があり、
本即ち
知識は
個人が
所蔵するものではなく
するものではなく、
知識は
万人で
ざるものという
意識
があり
、本即
ち知識
は個人
が所蔵
するものではなく
、知識
は万人
で
共有するものであるという
するものであるという認識
認識があるからではないかと
があるからではないかと思
います。
共有
するものであるという
認識
があるからではないかと
思います
。
(4) ルネサンス
古代、
中世と
ってきた本
図書館の
歴史は
世紀に
ると一
つのエポックメー
古代
、中世
と辿ってきた
本と図書館
の歴史
は、15 世紀
に入ると
一つの
エポックメー
キングの
時代を
えます。
のための学問
学問から
から人間
人間のための
のための学問
学問へという
へという人文主義
人文主義を
キング
の時代
を迎えます
。神のための
学問
から
人間
のための
学問
へという
人文主義
を
自然現象への
への科学的探求
科学的探求と
文芸復興の
ルネサンスとよばれる
とよばれる時代
時代です
です。
この時
経て、自然現象
への
科学的探求
と文芸復興
のルネサンス
とよばれる
時代
です
。この
時
世界史上で
大航海時代と
ばれる時代
時代でもあります
でもあります。
バルトロメオ
ディアスの
代は世界史上
で大航海時代
と呼ばれる
時代
でもあります
。バルトロメ
オ・ディアス
の喜
望峰発見、
コロンブスの
アメリカ大陸到達
大陸到達、
バスコ・
ガマの
インド航路発見
航路発見などは
などは、
望峰発見
、コロンブス
のアメリカ
大陸到達
、バスコ
・ダ・ガマ
のインド
航路発見
などは
、
印刷本という
というメディア
メディアで
ヨーロッパ各地
各地に
えられました
した。
王侯貴族から
から庶民
庶民まで
まで、
印刷本
という
メディア
でヨーロッパ
各地
に 伝えられま
した
。王侯貴族
から
庶民
まで
、世
きく動
いていることを実感
実感したことでしょう
したことでしょう。
印刷術の
発明に
よって本
界は大きく
動いていることを
実感
したことでしょう
。印刷術
の発明
によって
本の 大量刊
可能になったことは
になったことは、
世紀後半
インターネットの
出現と
じくらい革命的
革命的な
行が可能
になったことは
、20 世紀後
半のインターネット
の出現
と同じくらい
革命的
な出
来事であり
であり、
学術の
進歩、
拡大に
するところは非常
非常に
きなものがありました。
来事
であり
、学術
の進歩
、拡大
に資するところは
非常
に大きなものがありました
。
16~
(5) 16
~18 世紀
ドイツ)
(ドイツ
)
世紀から
世紀は
各国、
各地域において
において近代図書館
近代図書館の
形成さ
次の 16 世紀
から 18 世紀
は、各国
、各地域
において
近代図書館
の礎が形成
さ
れる時代
時代です
です。
ドイツでは
ではプロイセン
プロイセンや
バイエルンなど
など地方
地方の
有力な
れる
時代
です
。ドイツ
では
プロイセン
やバイエルン
など
地方
の有力
な封建諸侯
私設図書館を
スペインから
から分
かれたハプスブルグ
ハプスブルグ家
が私設図書館
を作り、スペイン
から
分かれた
ハプスブルグ
家のフェルディナン
1556--1564
1564)
ウィーンに
宮廷図書館
図書館を
ります。
最初は
ド 1 世(在位 1556
)がウィーン
に宮廷
図書館
を作ります
。最初
は私設図
書館の
をでなかったこれら
これらの
図書館は
地域の
発展とともに
とともにベルリン
ベルリン、
書館
の域をでなかった
これら
の図書館
は、地域
の発展
とともに
ベルリン
、ミュ
17
ンヘン
ンヘン、ウィーンという
ウィーンというヨーロッパ
というヨーロッパ有数
ヨーロッパ有数の
有数の公開図書館になっていきます
公開図書館になっていきます。
になっていきます。
フランス)
(フランス
)
一方、
フランス、
スペインなどの
などの絶対主義王朝
絶対主義王朝のもとでは
のもとでは、
一方
、フランス
、スペイン
などの
絶対主義王朝
のもとでは
、本も中央集権的
手法で
皇帝のもとに
のもとに集
められました。
フランスでは
ではフランソワ
な手法
で王や皇帝
のもとに
集められました
。フランス
では
フランソワ 1 世(在
1515--1547
1547)
モンペリエの
勅令を
発布して
して、
フランス国内
国内で
位 1515
)が 1537 年にモンペリエ
の勅令
を発布
して
、フランス
国内
で刊行
された図書
図書は
フォンテーンブローにある
にある王室図書館
王室図書館に
めることを
ことを義務
された
図書
は必ず、フォンテーンブロー
にある
王室図書館
に納める
ことを
義務
けました
した。
法定納本制度の
まりです。
その後
王室図書館は
パリに
付けま
した
。法定納本制度
の始まりです
。その
後、王室図書館
はパリ
に移りま
すが、
ブルボン王
宰相たち
たち、
宰相リシュリュー
リシュリュー(
1585--16
1642
42)
すが
、ブルボン
王朝の宰相
たち
、ルイ 13 世の宰相
リシュリュー
(1585
42
)
、
マザラン(
1602--1661
1661)
、コルベール
コルベール(
1619--1683
1683)
図書の
収集で
マザラン
(1602
)、
コルベール
(1619
)の 3 人は図書
の収集
で著名
ですが
くにルイ
宰相マザラン
マザランの
コレクションは
万冊を
です
が、とくに
ルイ 14 世の宰相
マザラン
のコレクション
は 4 万冊
を誇り、マザ
ランの
コレクション作成
作成に
わった司書
司書ガブリエル
ガブリエル・
ノーデの
図書館建設に
ラン
のコレクション
作成
に携わった
司書
ガブリエル
・ノーデ
の『図書館建設
に
する意見
意見書
(1627
1627)
卓越した
した意見
意見に
づいて、
有力納税者には
には蔵書
蔵書を
関する
意見
書』
(
1627
)の卓越
した
意見
に基づいて
、有力納税者
には
蔵書
を公開
しています。
には週
でしたが、
からは毎日開館
毎日開館するように
しています
。1643 年には
週 1 回でしたが
、1648 年からは
毎日開館
するように
なります。
当時の
図書館の
開館日時は
所有者の
都合次第でとくに
でとくに定
なります
。当時
の図書館
の開館日時
は、所有者
の都合次第
でとくに
定まったも
のはありませんでしたから、
完全開館を
ったノーデ
ノーデの
近代の
のはありませんでしたから
、完全開館
を行った
ノーデ
の考え方は近代
の図書館
運営の
端緒となるものでした
となるものでした。
運営
の端緒
となるものでした
。
スペイン)
(スペイン
)
新大陸からもたらされる
からもたらされる富
強大な
カソリック勢力
勢力を
背景として
として絶対王政
絶対王政が
新大陸
からもたらされる
富と強大
なカソリック
勢力
を背景
として
絶対王政
が
かれたスペイン
スペインでは
では、
1556--1598
1598)
敷かれた
スペイン
では
、1563 年フェリペ 2 世(在位 1556
)がマドリッド
郊外に
エスコリアル宮殿
宮殿を
そこの大広間
大広間の
壁面を
天井まで
まで届
書架にし
にし、
郊外
にエスコリアル
宮殿
を築き、そこの
大広間
の壁面
を天井
まで
届く書架
にし
、
収集した
した本
豪華な
装丁で
べましたが、
内部には
には書見台
書見台が
かれる程度
程度で
収集
した
本を豪華
な装丁
で並べましたが
、内部
には
書見台
が置かれる
程度
で、
図書を
長時間読むための
むための閲覧机
閲覧机などはありません
などはありません。
長時間いることは
いることは想定
図書
を長時間読
むための
閲覧机
などはありません
。人が長時間
いることは
想定
されていませんから、
暖房装置もなく
もなく、
じられたままであることも多
されていませんから
、暖房装置
もなく
、冬は閉じられたままであることも
多か
ったのです。
このような
うな形式
形式の
図書館を
大広間図書館と
びます。
ったのです
。このよ
うな
形式
の図書館
を大広間図書館
と呼びます
。ヨーロッパ
古城を
ねると、
城内にこのような
にこのような形式
形式の
図書館を
の古城
を訪ねると
、城内
にこのような
形式
の図書館
を持つ城が少なからずあり
ます。
ここでは本
インテリアや
装飾品と
じで利用
利用するというよりも
するというよりも、
ます
。ここでは
本はインテリア
や装飾品
と同じで
利用
するというよりも
、王の
権力を
誇示する
する一
つの装置
装置でした
でした。
権力
を誇示
する
一つの
装置
でした
。
イギリス)
(イギリス
)
一方、
ヨーロッパ大陸
大陸のはずれにあり
のはずれにあり、
貴族の
いの歴史
歴史を
一方
、ヨーロッパ
大陸
のはずれにあり
、国王と貴族
の長い戦いの
歴史
を持つ
イギリスでは
では、
納本制度
制度を
フランスや
スペインの
王室図書館のよ
イギリス
では
、長い間、納本
制度
を持つフランス
やスペイン
の王室図書館
のよ
うなものはありませんでしたが、
内容的にこれに
にこれに該当
該当するものとしては
するものとしては、
うなものはありませんでしたが
、内容的
にこれに
該当
するものとしては
、オッ
クスフォード大学
大学の
ボードレアン図書館
図書館があげられます
があげられます。
この図書館
図書館は
クスフォード
大学
のボードレアン
図書館
があげられます
。この
図書館
は、人文
主義者の
外交官トマス
トマス・
ボドレー卿
1545--1613
1613)
母校オックスフォード
オックスフォード大学
主義者
の外交官
トマス
・ボドレー
卿(1545
)が母校
オックスフォード
大学
図書館を
再建したもので
したもので、
トマス・
ジェームズを
主任司書
司書とし
とし、
資料の
の図書館
を再建
したもので
、彼はトマス
・ジェームズ
を主任
司書
とし
、資料
の
選択、
収集、
管理に
たらせ、
には印刷出版業組合
印刷出版業組合との
との間
選択
、収集
、管理
に当たらせ
、1610 年には
印刷出版業組合
との
間に出版物納本
協定を
同組合に
所属する
する印刷業者
印刷業者が
出版した
した本
図書館に
部納本させ
協定
を結び、同組合
に所属
する
印刷業者
が出版
した
本を図書館
に 1 部納本
させ
18
ることにしました
ることにしました。
にしました。トマス・
トマス・ボドレーの
ボドレーの名前を
名前を冠したボードレアン
したボードレアン図書館
ボードレアン図書館は
図書館は、
世紀中頃に
大英博物館の
図書館部門ができるまで
ができるまで、
国立中央図書館の
18 世紀中頃
に大英博物館
の中に図書館部門
ができるまで
、国立中央図書館
の役
っていました。
割を担っていました
。
17~
(6) 17
~18 世紀
啓蒙の
世紀である
世紀から
世紀は
学問の
体系化が
んだ時代
時代ですが
ですが、
啓蒙
の世紀
である 17 世紀
から 18 世紀
は、学問
の体系化
が進んだ
時代
ですが
、
社会の
きでは、
イギリスでは
では産業革命
産業革命を
歴史の
舞台に
一般民衆が
社会
の動きでは
、イギリス
では
産業革命
を経て、歴史
の舞台
に一般民衆
が前面
登場し
フランスでは
では市民革命
市民革命(
1789)
によって王政
王政に
終止符が
たれ、
に登場
し、フランス
では
市民革命
(1789
)によって
王政
に終止符
が打たれ
、ア
メリカでは
では独立宣言
独立宣言(
1776)
せられます。
ヨーロッパ諸国
諸国では
では、
複雑な
メリカ
では
独立宣言
(1776
)が発せられます
。ヨーロッパ
諸国
では
、複雑
な政
治情勢を
反映して
して各地
各地に
民族主義が
台頭し
各国は
自国民の
国民意識を
治情勢
を反映
して
各地
に民族主義
が台頭
し、各国
は自国民
の国民意識
を高める
ために、
うようにして国内
国内の
コレクションを
収集し
自国に
大図書館を
ために
、競うようにして
国内
のコレクション
を収集
し、自国
に大図書館
を建設
したり、
もとからあった図書館
図書館を
拡張し
めます。
大英博物館(
したり
、もとからあった
図書館
を拡張
し始めます
。1759 年に大英博物館
(図書
部門もこの
もこの中
設置)
まれたのも
フランスに
対抗してといわれ
してといわれてい
ています
ます。
部門
もこの
中に設置
)が生まれたの
も、フランス
に対抗
してといわれ
てい
ます
。
産業革命
革命の
進行の
過酷な
労働環境におかれた
におかれたイギリス
イギリスの
労働者階級や
産業
革命
の進行
の中で過酷
な労働環境
におかれた
イギリス
の労働者階級
や各
一般庶民は
フランス革命
革命により
により王政
王政を
「すべての
すべての市民
市民は
国の一般庶民
は、フランス
革命
により
王政
を倒し、
「
すべての
市民
は法の下に平
である」
というフランス
フランスの
人権宣言や
啓蒙思想の
浸透による
による平等意識
平等意識への
への覚
等である
」という
フランス
の人権宣言
や啓蒙思想
の浸透
による
平等意識
への
覚
ナポレオン戦争
戦争を
契機とした
とした情報流通
情報流通の
拡大、
あいつぐ新聞
新聞や
雑誌の
醒、ナポレオン
戦争
を契機
とした
情報流通
の拡大
、あいつぐ
新聞
や雑誌
の創刊
契機とした
とした近代
近代ジャーナリズム
ジャーナリズムの
誕生など
などで
自己の
権利に
目覚めていきま
を契機
とした
近代
ジャーナリズム
の誕生
など
で、自己
の権利
に目覚
めていきま
すが、
それを支
えたのが読書
読書であり
であり、
図書館でした
でした。
すが
、それを
支えたのが
読書
であり
、図書館
でした
。
19~
(7) 19
~20 世紀
世紀になると
になるとイギリス
イギリスを
筆頭に
各国は
植民地経営
しますが、
19 世紀
になると
イギリス
を筆頭
に各国
は植民地経
営に乗り出しますが
、そこ
であがった富
蓄積は
経済的な
繁栄をもたらし
をもたらし、
とくにイギリス
イギリスは
であがった
富の蓄積
は、本国に経済的
な繁栄
をもたらし
、とくに
イギリス
はヴ
ィクトリア女王治世下
女王治世下において
において、
歴史上初の
大国の
地位を
ます。
ィクトリア
女王治世下
において
、歴史上初
の大国
の地位
を手に入れます
。その
ような中
ヨーロッパの
大国から
から遅
れをとっていたイギリス
イギリスは
世界各地域の
ような
中でヨーロッパ
の大国
から
遅れをとっていた
イギリス
は、世界各地域
の
植民地や
探検で
資料も
国力発揚の
として図書館
図書館の
充実に
植民地
や探検
で得た資料
も加え、国力発揚
の場として
図書館
の充実
に力を注ぎ、
大英博物館の
図書館部門は
世界最大級にまで
にまで膨
がります。
大英博物館
の図書館部門
は世界最大級
にまで
膨れ上がります
。
ヨーロッパ列強
列強各国
各国の
領土拡張
拡張主義
主義は
各国の
中央図書館政策
図書館政策においても
においても同
ヨーロッパ
列強
各国
の領土
拡張
主義
は、各国
の中央
図書館政策
においても
同
でした。
国家の
中央図書館は
建物、
蔵書量とともに
とともに巨大化
巨大化しますが
しますが、
その一
様でした
。国家
の中央図書館
は建物
、蔵書量
とともに
巨大化
しますが
、その
一
産業革命以来始
命以来始まっていた
まっていた市民
市民の
読書への
への要求
要求は
イギリス議会
方で産業革
命以来始
まっていた
市民
の読書
への
要求
は、1850 年のイギリス
議会
図書館法」
制定を
端緒として
として、
各国でも
でも地方自治体
地方自治体に
して地域住民
地域住民の
の「図書館法
」の制定
を端緒
として
、各国
でも
地方自治体
に対して
地域住民
の
ための公共
公共図書館設置
図書館設置を
義務付け
きも加速化
加速化してきます
してきます。
ための
公共
図書館設置
を義務付
ける動きも
加速化
してきます
。
こうのアメリカ
アメリカでも
マサチューセッツ州
ボストンで
海の向こうの
アメリカ
でも 1848 年にマサチューセッツ
州のボストン
で最初
図書館法が
発布され
され、
ボストン公共図書館
公共図書館が
開設されたのは
です。
の図書館法
が発布
され
、ボストン
公共図書館
が開設
されたのは 1854 年です
。こ
れを端緒
端緒として
として、
東部諸州は
図書館法を
制定し
各地に
公共図書館がで
れを
端緒
として
、東部諸州
は図書館法
を次々に制定
し、各地
に公共図書館
がで
きていきます。
きていきます
。
国家や
地方自治体などの
などの公的機関
公的機関による
による図書館建設
図書館建設のほかに
のほかに、
アメリカでは
国家
や地方自治体
などの
公的機関
による
図書館建設
のほかに
、アメリカ
では
世紀の
後半、
石油と
鉄鋼業の
隆盛によ
によって
って経済好況
経済好況が
まれ、
経済的に
19 世紀
の後半
、石油
と鉄鋼業
の隆盛
によ
って
経済好況
が生まれ
、経済的
に成功
19
した個人
した個人からの
個人からの寄付
からの寄付によって
寄付によって多
によって多くの公共図書館
くの公共図書館が
公共図書館が建設されました
建設されました。
されました。鉄鋼王とよ
鉄鋼王とよ
ばれ、
カーネギー・
ホールにその
にその名
アンドリュー・
カーネギーは
ばれ
、カーネギー
・ホール
にその
名を残すアンドリュー
・カーネギー
は、その
寄付によって
によって生涯
生涯に
公共図書館をつくりました
をつくりました。
個人の
寄付による
による図
寄付
によって
生涯
に 1665 館の公共図書館
をつくりました
。個人
の寄付
による
図
書館や
美術館、
病院などの
などの公共施設
公共施設の
建設は
アメリカの
特徴で
書館
や美術館
、病院
などの
公共施設
の建設
はアメリカ
の特徴
です。
世紀~
(8) 20 世紀
~
世紀は
戦争の
世紀といわれ
といわれ、
世紀に
って失
われた資料
資料は
20 世紀
は戦争
の世紀
といわれ
、20 世紀
に入って
失われた
資料
は少なくありま
せん。
一方で
第二次世界大戦以降の
科学技術の
急速な
発達と
出版物の
増加は
せん
。一方
で第二次世界大戦以降
の科学技術
の急速
な発達
と出版物
の増加
は、
もはや一図書館
一図書館ですべての
ですべての図書
図書を
つことを不可能
不可能にしました
にしました。
図書館は
もはや
一図書館
ですべての
図書
を持つことを
不可能
にしました
。図書館
は国際
相互協力の
時代に
ったのです。
世紀後半から
から各国
各国の
国立中央図書館は
的な相互協力
の時代
に入ったのです
。19 世紀後半
から
各国
の国立中央図書館
は
蔵書目録を
作成し
冊子体を
刊行します
します。
冊子体目録の
時代は
きますが、
蔵書目録
を作成
し、冊子体
を刊行
します
。冊子体目録
の時代
は長く続きますが
、
世紀の
発明物である
であるコンピュータ
コンピュータの
出現は
目録の
MARC(
機械可読目録)
20 世紀
の発明物
である
コンピュータ
の出現
は、目録
の MARC
(機械可読目録
)
可能にし
にし、
第二次世界大戦後まもなく
まもなくジュネーブ
ジュネーブにおいて
において「
世界書誌」
化を可能
にし
、第二次世界大戦後
まもなく
ジュネーブ
において
「世界書誌
」
(世
界中の
目録を
作成計画
計画が
ユネスコで
検討され
され、
界中
の本の目録
を作る)作成
計画
がユネスコ
で検討
され
、やがて 1961 年の国際
IFLA)
によるパリ
パリ目録会議
目録会議で
ガイドラインが
られます。
その後
図書館連盟(IFLA
)による
パリ
目録会議
でガイドライン
が作られます
。その
後、
には国際標準書誌
国際標準書誌記述
記述(
ISBD=
1975 年には
国際標準書誌
記述
(ISBD
=International Standard Bibliographic
Description)
制定され
され、
世界各国の
図書館は
基準とした
とした目録作成
目録作成を
Description
)が制定
され
、世界各国
の図書館
は ISBD を基準
とした
目録作成
を
っています。
のような世界中
世界中の
書誌所蔵情報の
目録録は
行っています
。World Cat のような
世界中
の書誌所蔵情報
の目録録
はインター
ネット上
公開され
され、
たちはいながらにして世界
世界の
図書の
情報を
ネット
上で公開
され
、私たちはいながらにして
世界
の図書
の情報
を探すことが
できます。
できます
。
世紀後半には
には、
電子ジャーナル
ジャーナル、
電子ブック
ブックが
出現し
図書館という
という場所
20 世紀後半
には
、電子
ジャーナル
、電子
ブック
が出現
し、図書館
という
場所
なくても、
資料が
利用できるようになりました
できるようになりました。
過去から
から現在
現在まで
まで作成
作成さ
に来なくても
、資料
が利用
できるようになりました
。過去
から
現在
まで
作成
さ
れた世界中
世界中すべての
すべての資料
資料が
電子化されるこ
されることは
とは考
えられませんが、
まで図書
れた
世界中
すべての
資料
が電子化
されるこ
とは
考えられませんが
、今まで
図書
ってきた機能
機能や
たす役割
役割が
きく変
わってくることは確
館が持ってきた
機能
や果たす
役割
が大きく
変わってくることは
確かです。グー
テンベルグの
印刷術の
発明は
人類に
きな転換
転換をもたらしましたが
をもたらしましたが、
テンベルグ
の印刷術
の発明
は、人類
に大きな
転換
をもたらしましたが
、20 世紀
コンピュータの
発明とその
とその後
情報技術の
発達は
人類に
グーテンベルグ以
のコンピュータ
の発明
とその
後の情報技術
の発達
は、人類
にグーテンベルグ
以
大転換をもたら
をもたらし
めています。
来の大転換
をもたら
し始めています
。
年後、
年後の
図書館の
かたちは
現在とは
とは随分変
随分変わっていると
わっていると思
いますが、
10 年後
、20 年後
の図書館
のかたち
は現在
とは
随分変
わっていると
思いますが
、
図書館の
役割は
人類の
記憶の
保管場所であり
であり、
古今の
知識を
提供する
する機関
機関であ
図書館
の役割
は人類
の記憶
の保管場所
であり
、古今
の知識
を提供
する
機関
であ
ることはかわりません。
ることはかわりません
。
(9)日本の
日本の図書館
記録資料を
収集し
保管するという
するという意味
意味で
最初に
れる図書館
図書館は
記録資料
を収集
し、保管
するという
意味
で日本で最初
に現れる
図書館
は、大
宝律令(
701)
によって中務省
中務省のもとにおかれた
のもとにおかれた図書寮
図書寮(
ずしょりょう)
です。
宝律令
(701
)によって
中務省
のもとにおかれた
図書寮
(ずしょりょう
)です
。
図書寮は
経典、
国書、
国史の
集纂をする
をする」
ところと規程
規程されていますから
されていますから、
図書寮
は「経典
、国書
、国史
の集纂
をする
」ところと
規程
されていますから
、
学術文献を
収集して
して保管
保管し
学問を
うもののために提供
提供する
する図書館
図書館というよ
学術文献
を収集
して
保管
し、学問
を行うもののために
提供
する
図書館
というよ
りは、
文書館的な
性格のものであったようです
のものであったようです。
この図書寮
図書寮という
という名称
名称は
りは
、文書館的
な性格
のものであったようです
。この
図書寮
という
名称
は江戸
20
時代を
時代を通じて残
じて残っていきます。
っていきます。
らの学
びのために図書
図書を
収集し
める人
公開したのは
したのは石上宅嗣
石上宅嗣(
自らの
学びのために
図書
を収集
し、求める
人に公開
したのは
石上宅嗣
(いそ
やかつぐ)
個人文庫である
である芸亭
芸亭(
うんてい)
最初の
公開文庫であ
のかみ やかつぐ
)の個人文庫
である
芸亭
(うんてい
)が最初
の公開文庫
であ
るといわれていますが、
どのような
資料を
収集し
どのような形
るといわれていますが
、どのよう
な資料
を収集
し、どのような
形で、どのよう
たちに公開
公開したのか
したのか、
よくわかっていません。
な人たちに
公開
したのか
、よくわかっていません
。
平安時代以降は
った貴族
貴族たちが
たちが私設
私設の
公家文庫をつくりますが
をつくりますが、
平安時代以降
は力を持った
貴族
たちが
私設
の公家文庫
をつくりますが
、ヨー
ロッパと
建物は
られていることもあって残
っていません。
ロッパ
と違い、建物
は木で作られていることもあって
残っていません
。藤原定
明月記』
などの貴族
貴族の
日記などの
などの記述
記述から
から推定
推定するしかありません
するしかありません。
家の『明月記
』などの
貴族
の日記
などの
記述
から
推定
するしかありません
。
貴族の
勢力が
えた鎌倉時代以降
鎌倉時代以降、
武士の
時代に
ると図書
図書を
収集する
する主役
貴族
の勢力
が衰えた
鎌倉時代以降
、武士
の時代
に入ると
図書
を収集
する
主役
武士となります
となります。
らは一族
一族や
子郎党のために
のために学問所
学問所を
りますが、
は武士
となります
。彼らは
一族
や家の子郎党
のために
学問所
を作りますが
、そ
付属機関としてできた
としてできた文庫
文庫として
として神奈川
神奈川の
金沢文庫(
世紀中頃)
足利の
の付属機関
としてできた
文庫
として
神奈川
の金沢文庫
(13 世紀中頃
)や足利
の
利文庫(
世紀前半)
があります。
資料は
儒学が
中心であったといわれます
足利文庫
(15 世紀前半
)があります
。資料
は儒学
が中心
であったといわれます
これらの資料
資料も
度重なる
なる戦火
戦火に
散逸して
して、
蔵書量やどのような
が、これらの
資料
も度重
なる
戦火
に焼け落ち、散逸
して
、蔵書量
やどのような
運営をしていたのか
をしていたのか、
正確なところは
なところは不明
不明です
です。
運営
をしていたのか
、正確
なところは
不明
です
。
江戸時代になると
になると幕府
幕府を
した徳川家康
徳川家康は
学問を
蔵書家であったこと
江戸時代
になると
幕府
を起した
徳川家康
は学問
を好み、蔵書家
であったこと
から、
家康は
図書を
収集するとともに
するとともに、
諸藩に
学問所創設を
図書の
から
、家康
は自ら図書
を収集
するとともに
、諸藩
に学問所創設
を促し、図書
の
収集を
奨励しました
しました。
収集
を奨励
しました
。
家康本人も
江戸城内に
紅葉山文庫と
富士見亭文庫」
創設し
家康本人
も江戸城内
に後に紅葉山文庫
と呼ばれる「富士見亭文庫
」を創設
し、
将軍職を
代将軍秀忠に
って駿府
駿府に
ってからは、
駿府城内に
駿河文庫を
将軍職
を 2 代将軍秀忠
に譲って
駿府
に移ってからは
、駿府城内
に駿河文庫
を創
しています。
その数八
数八百
ぶといわれた駿河文庫
駿河文庫は
林羅山によって
によって管理
設しています
。その
数八
百に及ぶといわれた
駿河文庫
は、林羅山
によって
管理
され、
家康の
死後、
その蔵書
蔵書は
尾張、
紀伊、
水戸の
徳川御三家に
分割され
され、
され
、家康
の死後
、その
蔵書
は尾張
、紀伊
、水戸
の徳川御三家
に分割
され
、そ
れぞれ蓬左文庫
蓬左文庫、
南葵文庫、
彰考館文庫として
として現在
現在に
えられています。
れぞれ
蓬左文庫
、南葵文庫
、彰考館文庫
として
現在
に伝えられています
。
将軍家だけではなく
だけではなく、
安定に
諸藩の
大名も
藩士の
教育のため
将軍家
だけではなく
、世の中の安定
に伴い、諸藩
の大名
も藩士
の教育
のため
学問所を
くの図書
図書を
収集しますが
しますが、
著名なものとして
なものとして「
天下の
書府」
学問所
を設け、多くの
図書
を収集
しますが
、著名
なものとして
「天下
の書府
」
ばれた加賀前田藩
加賀前田藩の
尊経閣文庫があります
があります。
これはその名前
名前が
と呼ばれた
加賀前田藩
の尊経閣文庫
があります
。これはその
名前
が示すように
経書を
収集の
中心としたものですが
としたものですが、
幅広い
分野の
書物が
められています。
経書
を収集
の中心
としたものですが
、幅広
い分野
の書物
が集められています
。
江戸も
中期以降になると
になると学問尊重
学問尊重の
気風が
定着し
代将軍綱吉は
昌平坂に
江戸
も中期以降
になると
学問尊重
の気風
が定着
し、5 代将軍綱吉
は昌平坂
に
学問所を
設置します
します。
現在の
湯島聖堂です
です。
元禄以降は
武士階級だけでなく
だけでなく、
学問所
を設置
します
。現在
の湯島聖堂
です
。元禄以降
は武士階級
だけでなく
、
裕福な
町人階級でも
でも蔵書収集
蔵書収集に
ぐものが出
大阪の
木村蒹霞堂(
裕福
な町人階級
でも
蔵書収集
に力を注ぐものが
出て、大阪
の木村蒹霞堂
(きむ
けんかどう)
著名です
です。
その蔵書数
蔵書数は
万巻を
えたといわれ、
その死
ら けんかどう
)は著名
です
。その
蔵書数
は 10 万巻
を超えたといわれ
、その
死
幕府に
献納させられています
させられています。
後は幕府
に 500 両で献納
させられています
。
しかし、
学問所に
けられた文庫
文庫は
利用者はそこで
はそこで学
武士と
限定さ
しかし
、藩の学問所
に設けられた
文庫
は、利用者
はそこで
学ぶ武士
と限定
さ
一般庶民に
蔵書が
公開されるのは
されるのは殆
どありませんでした。
庶民に
蔵書を
れ、一般庶民
に蔵書
が公開
されるのは
殆どありませんでした
。庶民
に蔵書
を開
するのは江戸
江戸も
後期に
ってからで、
飛騨高山の
寺子屋の
師匠加藤小五郎を
放するのは
江戸
も後期
に入ってからで
、飛騨高山
の寺子屋
の師匠加藤小五郎
を
中心とする
とする雲橋社文庫
雲橋社文庫、
伊勢の
射和文庫(
ぶんこ)
岡山の
中心
とする
雲橋社文庫
、伊勢
の射和文庫
(いざわ ぶんこ
)
、岡山
の経宜堂文庫
などは著名
著名です
です。
などは
著名
です
。
21
これら庶民
これら庶民に
庶民に開放された
開放された文庫
された文庫は
文庫は学問をするためのもので
学問をするためのもので、
をするためのもので、女子どもといわれ
女子どもといわれ
る一般
一般の
庶民は
貸本屋を
じて、
その読書欲
読書欲を
たしていました。
貸本屋が
の庶民
は、貸本屋
を通じて
、その
読書欲
を満たしていました
。貸本屋
が
提供する
する本
として黄表紙
黄表紙、
人情本、
洒落本などの
などの戯作
戯作といわれるもので
といわれるもので、
提供
する
本は、主として
黄表紙
、人情本
、洒落本
などの
戯作
といわれるもので
、
貸本屋が
江戸時代の
文芸文化の
発展に
たした役割
役割は
きく、
庶民のための
のための公
貸本屋
が江戸時代
の文芸文化
の発展
に果たした
役割
は大きく
、庶民
のための
公
共図書館の
設立を
明治時代まで
まで待
たなければならなかった日本
日本において
において、
共図書館
の設立
を明治時代
まで
待たなければならなかった
日本
において
、寺子
師匠の
蔵書や
貸本屋は
公共図書館の
役割を
っていたともいえます。
屋の師匠
の蔵書
や貸本屋
は、公共図書館
の役割
を持っていたともいえます
。
6.図書館の
図書館の自由に
自由について
最後に
みなさんに話
しておかなければならないことがあります。
最後
に 、みなさんに
話しておかなければならないことがあります
。それは図書館
それは 図書館の
図書館 の
自由についてです
についてです。
みなさんは明治大学図書館
明治大学図書館だけではなく
だけではなく、
相手が
拒否しない
しない限
自由
についてです
。みなさんは
明治大学図書館
だけではなく
、相手
が拒否
しない
限り、
世界中の
図書館の
資料を
うことができます。
また、
分野の
世界中
の図書館
の資料
を使うことができます
。また
、様々な分野
の本を手にすることも
できます。
これは、
図書館の
歴史から
から見
ても稀有
稀有なことなのです
なことなのです。
できます
。これは
、図書館
の歴史
から
見ても
稀有
なことなのです
。
図書館という
という場所
場所は
人類の
歴史の
文字によって
によって書
されてきた記録
図書館
という
場所
は、人類
の長い歴史
の中で文字
によって
書き記されてきた
記録
万人に
公開し
後世に
えるという使命
使命を
つところです。
人類の
知識のすべて
を、万人
に公開
し、後世
に伝えるという
使命
を持つところです
。人類
の知識
のすべて
まっているところといっても過言
過言ではありません
ではありません。
だからこそ、
えに権力
権力を
が集まっているところといっても
過言
ではありません
。だからこそ
、ゆえに
権力
を 持つ
たちは、
図書館の
支配し
それを管理
管理しようとしました
しようとしました。
知識の
与奪権は
人たちは
、図書館
の知を支配
し、それを
管理
しようとしました
。知識
の与奪権
は権力
にあると考
えたのです。
このことは今
まで説明
説明してきた
してきた図書館
図書館の
歴史をみて
を持つ者にあると
考えたのです
。このことは
今まで
説明
してきた
図書館
の歴史
をみて
もわかると思
います。
もわかると
思います
。
日本でも
でも戦前
戦前の
図書館には
には、
資料選択に
国家からの
からの厳
しい干渉
干渉がありました
がありました。
日本
でも
戦前
の図書館
には
、資料選択
に国家
からの
厳しい
干渉
がありました
。権
せたくないと考
える資料
資料は
所蔵することも
することも認
められませんでした。
個人であっ
力が見せたくないと
考える
資料
は所蔵
することも
認められませんでした
。個人
であっ
てもその書物
書物を
っているだけで逮捕
逮捕されたり
されたり、
拷問を
けて殺
てもその
書物
を 持っているだけで
逮捕
されたり
、拷問
を受けて
殺されることもあった
のです。
それほど昔
ではありません。
年前のことです
のことです。
のです
。それほど
昔の話ではありません
。60 年から 70 年前
のことです
。
みなさんの中
ハリー・
ポッター
シリーズを
んだことがある人
がいると思
みなさんの
中に 『ハリー
・ポッタ
ー』の シリーズ
を読んだことがある
人がいると
思いま
ファンタジーの
世界です
です。
しかし、
ハリー・
ポッターの
シリーズは
魔法を
美化し
す。ファンタジー
の 世界
です
。しかし
、ハリー
・ポッター
の シリーズ
は 、魔法
を 美化
し、
子供に
影響を
えるとして禁書
禁書にしている
にしている町
学校は
なくないのです。
子供
に悪い影響
を与えるとして
禁書
にしている
町や学校
は実は少なくないのです
。カ
ソリック世界
世界の
頂点にいる
にいる神
代理人ローマ
ローマ教皇
教皇ベネディクト
ハリー・
ソリック
世界
の頂点
にいる
神の代理人
ローマ
教皇
ベネディクト 16 世も、ハリー
・ポッタ
ーシリーズは
たちに悪
影響を
える本
であると批判的
批判的な
見解を
公表していま
ーシリーズ
は若い人たちに
悪い影響
を与える
本であると
批判的
な見解
を公表
していま
アメリカペンシルヴァニア州
のある町
じゅうから集
められたハリー
ハリー・
ポッターの
す。アメリカペンシルヴァニア
州のある
町で町じゅうから
集められた
ハリー
・ポッター
の
教会の
げられた、
かれたことが少
新聞に
っていました。
本が教会
の前で積み上げられた
、焼かれたことが
少し前の新聞
に載っていました
。私
魔女裁判を
しました。
ハリー・
ポッターの
出版国である
であるイギリス
イギリスのなかにも
のなかにも、
は魔女裁判
を思い出しました
。ハリー
・ポッター
の出版国
である
イギリス
のなかにも
、地
によっては、
図書館に
所蔵することはもちろん
することはもちろん、
本屋でも
でも販売
販売を
禁止している
域によっては
、図書館
に 所蔵
することはもちろん
、町の 本屋
でも
販売
を 禁止
している
自治体もあるのです
もあるのです。
自治体
もあるのです
。
一部の
ばれたものが民衆
民衆のために
のために知識
知識を
選別する
する、
これはとても危険
危険なことで
一部
の選ばれたものが
民衆
のために
知識
を選別
する
、これはとても
危険
なことで
ドイツの
ナチス政権
政権も
一部の
美術や
音楽を
退廃芸術」
づけて、
作品を
す。ドイツ
のナチス
政権
も、一部
の美術
や音楽
を「退廃芸術
」と名づけて
、作品
を破
したり、
画家や
音楽家を
迫害しました
しました。
図書館の
蔵書も
ただ伝
壊したり
、画家
や音楽家
を迫害
しました
。図書館
の蔵書
もただ
伝わってきたのではな
びてきたといってもよいのです。
く、生き延びてきたといってもよいのです
。
22
戦後、
戦後、図書館は
図書館は 戦前の
戦前の暗い時代を
時代を 踏まえ、
まえ 、憲法の
憲法の 知る権利を
権利を背景に
背景に『図書館の
書館の
自由に
する宣言
宣言』
声明を
しました。「
。「図書館
図書館は
自由
に関する
宣言
』の声明
を出しました
。「
図書館
は、基本的人権のひとつとして
基本的人権のひとつとして知
のひとつとして知
自由を
国民に
資料と
施設を
提供することを
することを、
もっとも重要
重要な
任務とする
とする」
る自由
を持つ国民
に、資料
と施設
を提供
することを
、もっとも
重要
な任務
とする
」とい
うもので、
そしてこの任務
任務を
たすため図書館
図書館は
のことを確認
確認し
実践するとして
うもので
、そしてこの
任務
を果たすため
図書館
は、次のことを
確認
し、実践
するとして
つのことをあげています。
5 つのことをあげています
。
図書館は
資料収集の
自由を
する。
1. 図書館
は資料収集
の自由
を有する
。
図書館は
資料提供の
自由を
する。
2. 図書館
は資料提供
の自由
を有する
。
図書館は
利用者の
秘密を
3. 図書館
は利用者
の秘密
を守 る 。
図書館はすべての
はすべての検閲
検閲に
反対する
する。
4. 図書館
はすべての
検閲
に反対
する
。
図書館の
自由が
されるとき、
われわれは団結
団結して
して、
あくまで自由
自由を
5. 図書館
の自由
が侵されるとき
、われわれは
団結
して
、あくまで
自由
を守る。
これらのことが守
これらのことが守られた時
られた時、図書館とそこにあ
図書館とそこにある
とそこにある資料は
資料は、地上でもっとも
地上でもっとも大
でもっとも大
なものの一
になります。
われれば再
にすることのできない人類
人類の
切なものの
一つになります
。失われれば
再び手にすることのできない
人類
の記
だからです。
たちは、
人類の
知的遺産=
もちろんその中
には失敗
失敗や
憶だからです
。私たちは
、人類
の知的遺産
=本(もちろんその
中には
失敗
や愚
記録もありますが
もありますが)
から学
さらにそこに新
たな知識
知識を
えて未来
行の記録
もありますが
)から
学び、さらにそこに
新たな
知識
を書き加えて
未来
人類へ
伝達することをしなければなりません
することをしなければなりません。
図書館とはそういう
とはそういう場所
場所で
の人類
へ伝達
することをしなければなりません
。図書館
とはそういう
場所
であ
とはそういうものなのです。
り、本とはそういうものなのです
。
この授業
授業は
図書と
図書館の
歴史を
すものですが、
ただ、
情報の
羅列として
として歴
この
授業
は 図書
と図書館
の 歴史
を 話すものですが
、ただ
、情報
の 羅列
として
歴
史上著名な
図書館の
名前を
えても意味
意味がありません
がありません。
蔵書目録に
名前は
史上著名
な図書館
の名前
を覚えても
意味
がありません
。蔵書目録
に名前
は残ってい
るけれど既
消滅して
して本文
本文は
わっていない図書
図書、
書物から
から存在
存在したことはうか
るけれど
既に消滅
して
本文
は伝わっていない
図書
、他の書物
から
存在
したことはうか
がえるけど、
建物の
礎石すら
すら残
っていない図書館
図書館も
歴史上にたくさんあります
にたくさんあります。
がえるけど
、建物
の礎石
すら
残っていない
図書館
も歴史上
にたくさんあります
。
みなさんは、
キリスト教
イスラム教
ルネサンスの
錬金術の
戦前は
みなさんは
、キリスト
教の本も、イスラム
教の本もルネサンス
の錬金術
の本も、戦前
は
っているだけで逮捕
逮捕された
されたマルクス
マルクスの
そして古代
古代ギリシア
ギリシア哲学
哲学の
持っているだけで
逮捕
された
マルクス
の本も、そして
古代
ギリシア
哲学
の本も、手にと
って読
むことができます。
これは人類
人類の
歴史でもめったにないことなのです
でもめったにないことなのです。
また、
って
読むことができます
。これは
人類
の歴史
でもめったにないことなのです
。また
、現
のような状態
状態が
今後も
くという保障
保障はないのです
はないのです。
在のような
状態
が今後
も続くという
保障
はないのです
。
図書館が
思想の
自由に
づいて本
収集し
利用者は
自分の
意思で
みたい本
図書館
が思想
の 自由
に基づいて
本を収集
し、利用者
は自分
の意思
で読みたい
本
めるという意味
意味をみなさんには
をみなさんには考
えていただきたいと思
います。
がつけば自由
が読めるという
意味
をみなさんには
考えていただきたいと
思います
。気がつけば
自由
はとても狭
範囲のものになっていたというようなことがないようにです
のものになっていたというようなことがないようにです。
一度狭められ
はとても
狭い範囲
のものになっていたというようなことがないようにです
。一度狭
められ
自由を
回復することは
することは容易
容易ではありません
ではありません。
た自由
を回復
することは
容易
ではありません
。
図書館の
自由が
される時
個人の
自由も
抑圧される
される時代
時代です
です。
自由を
図書館
の 自由
が 侵される
時は 、個人
の 自由
も抑圧
される
時代
です
。自由
を 守るた
めには、
えて学
んでいくしかありません。
年間、
そして卒業後
卒業後の
めには
、自ら考えて
学んでいくしかありません
。学生時代 4 年間
、そして
卒業後
の長 い
人生も
図書館に
そこから学
さらに新
しい知識
知識を
発信してくだ
人生
も、図書館
に来て本を手に取り、そこから
学び、さらに
新しい
知識
を発信
してくだ
さい。
少年老い
学成り
一寸の
光陰軽んずべからず
んずべからず。
一生かかっても
かかっても読
さい
。少年老
い易く学成
り難し 。一寸
の光陰軽
んずべからず
。一生
かかっても
読める
かです。
社会に
ると忙
しいことを言
にします。
学生時代こそ
こそ読書
読書の
本は僅かです
。社会
に出ると
忙しいことを
言い訳にします
。学生時代
こそ
読書
の季節
です。
携帯から
から読
める小説
小説などもありますが
などもありますが、
まずは紙
にしてください。
です
。携帯
から
読める
小説
などもありますが
、まずは
紙の 本を手にしてください
。その
重量は
人類の
思考の
創造力、
想像力のすごさなのです
のすごさなのです。
重量
は人類
の思考
の重さ、創造力
、想像力
のすごさなのです
。
23