韓国と日本における家庭内での父親の役割

韓国と日本における家庭内での父親の役割
キム・チャンホ
1.父親の地位と役割を左右する社会的要因
父親との距離を縮めたいと思ったある若者が、お父さんに電話をかけた。彼はここ数年、
父親に電話したことがなかった。
「こんにちは、お父さん。私です。
」
「そうか、おまえか。元気だったか。お母さんに代わってやるよ…。
」
「いいえ、代わらなくていいです。お父さんと話したいです。」
「どうしたんだ。お金が必要なのか。
」
(ひょっとして「何かしでかしたか。
」)
息子はお父さんが自分を大学に送ってくれ、家族を食べさせるために苦労して、自分が
ここまで成長できたのもお父さんのおかげだと話した。感謝し尊敬するという話もした。
息子の話を聞いて、しばらくの間言葉がでなかったお父さんが、ようやく口を開いた。
「おまえ、酒でも飲んだのか。
」
Steve Biddulph の著書『Manhood』に出てくるこのエピソードを、韓国人に話すと、韓国
の父親と息子の間で交わした会話だと考える者が多い。それだけ韓国の父子関係が難関に直面
しているということが分かる。同時に、このことは現代社会における普遍的な現象だというこ
とを暗示している。近代以前、大多数の社会で父親は家庭で確実な地位を占めていた。象徴的
な権力なり、実質的な役割なり、父権は確かなものだった。しかし産業社会に突入し、生活空
間と仕事場が分離されたことによって、父親は多くの時間を家庭の外で送るようになった。子
供たちは父親が仕事をする姿を見ることができず、彼と温かい関係を結ぶことが難しくなっ
た。《立派な父親=立派な会社員》という等式の中で、仕事場で一生懸命働き、高収入を得る
能力だけが要求されてきたためだ。
しかし、同じ産業社会といっても、国によって父親の地位には違いがある。そして、同じ社
会の中でも、時代の変化とともに父親の姿は変わる。それは個人ないし各家庭の独特の事情に
より形成されるものではあるが、様々な社会的要素が作用すると見ることができる。家庭内で
父親がどのような役割をするかを左右する変数として、次の8項目をあげたい。この論文では、
キム・チャンホ、聖公会大学校招聘教授
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韓国の状況を分析し、日本と比較しながら、下記の変数を念頭に置いて考えてみたい。
(1)家族文化の伝統
社会構造や外形的な生活様式の変化にもかかわらず、文化には根強く持続する慣性がある。
家族は、永らく続いてきたその文化の力が根強く残っている領域である。特に、男女の役割や
年長者に対する礼儀などを定める伝統文化は、家族関係の在り方、自分と違った家族構成員に
対する期待、家庭内で営まれる日常生活などの根本的な土台となる。
(2)マクロ的な経済状況
父親としての一義的役割が、家族を扶養することである産業社会において、全般的な経済与
件は、家庭内での父親の権威を左右する決定的な変数として作用する。労働市場の参入障壁、
輸入規模、業務の厳しさとストレス、組織内での昇進の見込み、退職に対する圧迫などは、父
親のアイデンティティ形成や家族との関係形成に直結する。
(3)家族の構造
家族がどのような形態を成しているかである。子供の数と男女比率、祖父母との同居・非同
居及びその影響力の程度などにより、父親の地位は変化する。特に韓国では、姑が非常に強い
力を行使する場合が多く、それにより嫁の生活が大きく変わってくるため、強調されるべき変
数である。
(4)女性の社会進出
母親が専業主婦として、家事と育児を一人で受け持つ産業社会初期段階(後発産業国の場合)
と、共働きをして共に生計を負う女性が多くなる産業社会後期段階において、父親の位相は自
然と変わってくる。女性の自己実現に対する欲望の増加や、生計の一部を担わざるを得ない現
実的圧迫がそのような変化をもたらす。
(5)居住空間の形態
人間関係は、物理的なハードウェアと密接に合わさって形成され変化する。一戸建て住宅に
住んでいた家族が、高層アパートに引っ越すことになれば、家族構成員の生活様式は大きく変
わる。台所の位置、各部屋と居間の配置、寝室の用途などは家族関係に影響を与え、父親の独
自空間の有無は、彼の権威を左右する。
(6)メディアの革新
普通の家庭であれば、居間にテレビと電話がそれぞれ一台ずつ置かれていた時代から、各々
が一台のメディアを持ち歩く時代への移り変わりは、必然的に家族関係の変化を伴った。そこ
には、SNS 通信の商用化が与える影響も大きい。また一方で、子供の大衆文化崇拝やインター
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ネットゲームへの没頭などは、父親の権威を揺さぶる要因として作用する。
(7)父親の役割に対する社会的期待
父親は、その存在自体で充分だと考えられた時代があった。家族扶養の責任を全うすること
ができずとも、更にはアルコール中毒や暴力で家族を困らせようとも、父親としての待遇を受
けることができた。しかし、最近では、父親に情緒的な役割を期待する論議が活発に展開され
ている。そういった社会的雰囲気は、父親の役割を徐々に変えていく。
(8)子供の養育に対する制度的支援
産業化初期における人口再生産は、全て家族の役割であったが、かえって人口抑制政策が繰
り広げられた。しかし、深刻な低出産社会に至った今、出産を奨励するために、国家は親たち
の子育てを多角的に支援する。企業でも、男性の育児参加をサポートする制度を設けはするも
もの、円滑に施行されるのは難しい。そういった条件が父親の家族生活を左右する。
2.歴史の背景と流れ
韓国は過去1∼2世紀の間に、急激な社会変化を経験してきた。長い間維持されて来た朝鮮
王朝が崩壊し、混乱の国際情勢の中、植民地支配体制に入った。独立後もすぐに戦争が勃発し、
全国民が生存を脅された。1990年代に入り軍部政権が樹立され、力強く推進された産業化過程
で、大多数の韓国人は貧困から脱出するため、労働に全力投球した。そのような努力は、世界
経済の好況及び冷戦体制と相互効果を成すことにより、30余年の間に超高度成長を成した。そ
の豊かさの結実は1990年代に現れ始めたのだが、民主化及びグローバル化と共に、華麗なる消
費社会が幕を上げた。しかし、1997年 IMF 金融危機を迎えたのを機に、多くの企業が倒産し、
大量の失業者が溢れ出た。そして、低出産高齢化が急速に進行したことで、晩成型の経済沈滞
と低成長の時代へと進んでいる。
韓国の家族関係は、そのような社会変化と密接に関連しつつ変化してきた。前章でも述べた
が、特に、父親の地位と役割は家族が置かれている外的な環境に大きく左右される。したがっ
てその根底には、長い歴史の中で形成されてきた様々な文化が重層的に根を張っており、混乱
と葛藤に満ちた政治・経済的な状況に起因する社会心理的な特性が反映されている。それらの
間には、深い相互関連性が存在しながらも、両立不可能な要素が入り混じっている側面がある。
そして、当たり前のことだが、世代と社会階層によって多少の格差が表れる。ここではそのよ
うな違いを超えて、一般的に表れる属性をまず探ってみようと思う。
まず、伝統文化が家族にどのように作用するのかを考察してみる必要がある。韓国ではキリ
スト教と仏教が権勢を振るっているが、韓国人の家族文化は未だ儒教と密着している。祭事が
重要な家族行事として執り行われ、名節には全国の道路が帰省ラッシュで混雑する。父母を訪
ね、一族が共に祭事を行うためである。そして、儒教文化の端的な象徴は、家系図である。若
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い世代の関心は薄れてきてはいるももの、現在の老年層までは家系図をとても重視している。
いくら貧しくても家系図だけは家に置きたいと願い、血統を通して家門の威勢を確認し誇示し
ようとする欲望が、そこには存在している。
祭事と家系図は、あくまで男性中心の文化である。それは父系血統を中心に行われる儀礼で
あり記録なのである。儒教を理念として採択した朝鮮王朝は、徹底した男女分離の秩序と男尊
女卑の倫理を民に普及し、その中で家父長制と男児を好む思想が固く定着した。父親の権力が
制度的に、そして、社会慣習的に保障される社会が朝鮮時代だった。もちろんそれは支配層の
両班の間で徹底して守られ、一般庶民の場合はそれほど厳格ではなかった。しかし、朝鮮後期
を迎え、身分制が動揺し、人口の約半分程度が両班の家系図に名を連ねるようになったことで、
儒教的な家父長制は広く拡散し深く根を下ろした。
伝統社会において、父親は家門の代を継ぐ柱だと考えられてきた。一定の役割を機能的に随
行することより、象徴的に権威を持ち、家族に暗黙的な影響力を行使することがより重要だっ
た。多くの家族において、家庭内の経済をやりくりする責任は女性に与えられたが、母親は子
供たちの前でしっかりと父親の地位を立て、守らなくてはならなかった。子供たちを教育する
にあたって、父親をスーパーエゴとして立て、子供たちの行いが正しくなければ、「そんな姿
でお父さんの顔を見られるのか。
」とせきたてたりもした。そのような風土の中で、父親と子
供たちが情緒的な関係を結ぶということは、とても珍しいことであり、子供たちの生活と記憶
の中で父親は具体的な存在感を持つこと自体が難しいことであった。
朝鮮時代が幕を下ろした後、100余年以上に渡って、極度の混乱期と高度成長を経てきた過
程において、家庭内での父親の存在感はより希薄になった。20世紀韓国が生んだ最高の詩人、
徐廷柱の『自画像』という詩を見てみよう。
「お父さんは僕だった。夜が更けても帰ってはこ
なかった。
(…)甲午年だっただろうか、海に出ては戻ってこないというおじいさん…」とい
う節があるのだが、父親の不在と孤児意識は近代文学の多くの作品において主要モチーフに
なっている。国を失い、戦争に巻き込まれてきた歴史の中で、父親は社会的敗北者であり、さ
らに家長としての立場すらまともに守ることができなかった。その空席を埋めたのは母親の根
気強い生活力だった。彼女たちはそれでも父親の立場をしっかり守ろうと努力したのだ。
戦争の傷が少しずつ治癒され、産業化が幕を開いたことで、父親たちは一斉に労働現場に走
り込んだ。政府は《豊かに暮らそう》というスローガンのもと、勤労意識を鼓舞し、高度成長
の躍動の中で多くの人々に経済的な上昇移動の機会を与えた。輸出目標を先に定め、社会の力
量を総動員する体制は驚くべき成果を得て、韓国の経済水準を急速に引き上げたのだった。し
かし、国家的にそのような成功神話を綴っている間、父親たちはすっかり仕事に縛られていた
ため、家族と共に時間を過ごすことができなかった。生計を担うという役割の遂行には成功し
たが、家長として一定の影響を与えることは極めて少なかった。女性主義小説家である朴婉緒
の『自転車泥棒』にはこのような節がある。
「少年は父が恋しかった。道徳的に自分を牽制し
てくれる大人が恋しかった。
」
しかし、上昇していた経済が怯み始め、父親の存立基盤が決定的に揺らぎ始めた。IMF 金
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融危機以降、そして、最近のグローバル経済難を経験しながら、父親はまた再度敗者の立場に
追いやられた。国を失い混乱していた時期はそれでも家父長的な文化が存続していたため、ど
うにかその権威を守ることができたが、今や、か弱く萎れた後姿だけがぼんやりと映るだけだ。
大量失業の津波がさらっていった跡地には、下を向いた男の人たちが呆然と立っている。「金
持ち父さん」でなければ「貧乏父さん」に二分化される現実、生き残ることすらままならなく
なってくる酷な経済社会において、大多数の父親は淘汰に対する恐怖に襲われる。家族のため
に全てを捧げ働いたにも関わらず、職場で立場を失おうものなら、自分の存在価値は全面的に
否定されてしまうからだ。
金稼ぎの機械として摩耗されている間、家族関係は徐々に不自然でぎこちなくなる。なぜな
ら、子供との情緒関係の基礎を築くべきである30∼40代序盤に、夜勤と出張が最も多いからで
ある。父親の顔を見ることもなく過ごした歳月が長いために、抱っこしてあげようとすると、
怖がって泣いてしまう子どももいる。ある父親は小学生の息子に、
「昼間にお父さんの顔が思
い浮かばない」と言われ、ショックを受けたりもする。そのように時間の流れと共に、父親は
新しい来客になり、ペットよりも優遇されない身の上に転落してしまうこともある。無気力さ、
淋しさ、みすぼらしさ、疎外、冷淡…。いつの間にか父親を描く修飾語はそのような陰鬱な単
語で飾られるようになった。
3.特別な母子関係
父親の役割を解明するためには、家族関係から母親の地位と意味を把握しなければならな
い。韓国の伝統的な家父長制を論議するにあたって、よく争点として浮上するのが女性の権力
である。女性たちは七去之惡、再嫁禁止、貞節規範などが厳しく課される中、息詰まる嫁入り
暮らしをしなければならなかった。ところが一方では、結婚しても姓を変えず、母権が父権に
劣ることなく、時には遥かに強く働く場合もある。このように相反した権力の構図をどう捉え
るか。姓を変えないのは血筋の絶対性に従うものでありながらも、嫁入りの一員として完全に
は受け入れられない象徴として解釈できる。したがって、いつでも追い出すことができるので
ある。そのように追い出されたからといって、実家で受け入れてもらえるわけでもない。
母権が強かったことは明確である。子供を育だてたり、家庭の日常的な茶飯事に対処する時
も、母親の権限は強かった。墓を作り祭事を執り行う際にも、父親と母親は同等な待遇を受け
る。また、父親よりも母親をより丁重に仰ぐ場合もある。
「老母」という言葉が「老父」よりずっ
と沢山使われていることから分かるように、老年の母は父と比べて存在感が大きい。また、親
孝行に関する美談を見てみても、娘よりは息子が、父親よりは母親を手厚く世話をしたという
話が多い。(孝女碑がないわけではないが烈女碑の方が多く、親孝行の場合、実家の親よりは
配偶者の父母を大事に供養した孝婦が話題になりやすい。未だに「孝婦賞」が授与されたりも
する。)家父長制社会ではあったが、女性たちは男性に比べてより多くの恩恵を受けていたと
みることができる。
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しかし、それは文字通り母権であり、女権ではないというのが女性学者たちの解釈だ。
「母親」
ではない一人の「女性」として、家庭や社会で自由に行使できる権限はほとんどなかったので
ある。嫁ぎ、息子を産み、その血筋を繋ぐ役割を果たすことにより、権力が生じる。そして息
子の成長とともにその権力は徐々に強くなり、嫁を迎えるとさらに倍になる。したがって、夫
がいない寡婦よりも、息子のいない母がより哀れであった。女性学ではこのことを「子宮家族」
と言うのだが、嫁入りという慣れない他地で自分の存在基盤を築くために、息子との密着した
関係を強め、嫁までをもその権限の磁場の中に吸収してしまう(1)。
根強く持続してきた嫁姑間の葛藤の正体は、まさにそのような伝統的家父長制の脈略の中で
把握することができる。嫁の立場からすると、夫は配偶者である嫁自身よりも、姑とより強い
絆を形成していた。その厚い壁を破り、中に侵入し、独自的な夫婦の関係を築くことはほぼ不
可能であった。ここで採択される戦略は、自分自身の子宮家族を確保する方法だ。即ち、息子
を産んで母子関係に投資するということだ。いつか自分も姑になり、女家長としての立場を確
立する日を待望しながら、日々の虚しさや侘びしさに堪えてきた。夫と妻の水平的な関係と抑
圧が繰り返されるしかないのである。
息子一人を立派に育て上げることが、母と息子という垂直的な関係が確固として結束してい
る家族構造の唯一の願いになったのも、そのような権力の地形の中で理解することができる。
息子の立身出世はすなわち母親の自己実現である。夫が無能であるほど、その野望はより大き
くなる。息子のためならどんな犠牲でも感受することができる。
「あなたのために全て我慢し
て生きてきた」
「あなたがいなかったら、死んでしまう」と言うように、息子一人だけを見つ
めて生きてきた母親の立場からすると、嫁は不便な存在になり得る。息子が配偶者を迎える過
程で、母親がよく邪魔立てする理由がそこにある。
そのような背景が存在するため、韓国において母親の存在価値は、娘ではなく息子のとの関
係から明確に浮き彫りにされる。歴史上素晴らしい偉業を成し遂げた男性の背後には、常に賢
く偉大な母親が存在したという話は、教科書やドラマを通して頻繁に語られている。高麗時代
の伝統歌謡の中に、思母曲というものがあるのだが、今でもその題目で新曲が次々とリリース
されている。特に多いのが、混乱期を経験する最中、貧しさに耐え、家族に献身した母親の姿
を賛美し懐かしがる内容だ。韓国人の情緒において、故郷と母は非常に密接に連想される。そ
のようなテーマを描いた映画、歌、詩の題目を見てみよう。
『親不孝者は泣きます』
『お母さん、
あの遠い国を知っていますか』『母を訪ねて三千里』『母さん、姉さん』『ママをよろしく』…。
注目するべき点は、この歌はほぼ全て息子の立場から母親を称えているということだ。これは
韓国の家族関係において、母子関係が非常に特別なことと関係がある。
格別な母子関係を示すもう一つの例がある。昔の人気テレビ番組に『友情の舞台』というも
のがあった。ある有名なコメディアンが芸能人と共に軍部隊を訪ね、笑いを醸し出し、軍部隊
を紹介しつつ、将兵たちの特技を披露する番組だった。この番組の見どころは、一人の兵士と
母親の再会であった。ある二等兵を選び、本人には秘密で彼の母親を招待し舞台の上に立てて、
司会者がいくつかの質問を投げかけ、インタビューをした。そして、観客たちにこう言った。
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「国軍の将兵の皆さん、後ろに立っているお母さんが自分のお母さんだという人は前に出てき
てください。
」(このとき何人もの兵士たちが一斉に走り出す。)
「それでは皆さん、お母さんを
呼んでみましょう。いち、にの、さん!」
「お母さ∼ん!」
このとき登場する母は顔が真っ黒で、しわが寄り、苦労をしてきた跡が歴々としていた。こ
ぎれいな身なりの富裕層の奥様が出てきたケースはなかった。テジナという歌手が歌った思母
曲の歌詞のような「山に日が沈むまで鎌を友にし、ファジョン畑を耕し、土と生きた母さん/
木綿のスカートをきつくしめ、朝露を浴びながら、一生涯ひどい貧しさを耐えてきた母さん」
の姿だった。そんな母親が息子を抱きしめる場面は、たった数か月ぶりの再開であったが、ま
るで南北離散家族の面会がなされたかのように、視聴者に涙と感動を与えた。しかし、その場
面で母親の代わりに父親が登場していたら、雰囲気はどうなっていただろうか。おそらく、気
まずくて照れくさくなり、その感動は半減するに違いない。
母子関係の情緒的な密度は、呼称を見ても確認できる。韓国で子供たちは年をとっても「オ
ンマ」という呼称を使う。もちろん「オモニ」も併用されているが、家で気楽に呼ぶときはオ
ンマと呼ぶ。それに比べて「アッパ」はどうだろうか。娘たちは大人になっても自然にそう呼
ぶ。しかし、大きくなった息子が「アッパ」と呼ぶことはない。少なくとも人前ではそうしな
い。必ず「アボジ」と呼ばなくてはならない。父子関係は母子関係ほど楽な間ではない。もち
ろんそういった違いは父権社会ならばどこでも存在するだろうが、韓国ではその違いがきわめ
て対照的である。日本では小学校に入学すると、「パパ」「ママ」の代わりに「お父さん」
「お
母さん」と呼ぶが、男女間の差はない。その反面、英語圏では大人になっても「mom」
「daddy」
と呼ぶことがあるが、この場合も男女差はない。
4.家庭での居場所を失う父親
母親との情緒的な絆が様々なジャンルにおいてしばしば描かれてきたのに対して、父親は韓
国の文化でとても心理的距離感が置かれた存在だ。まず歌詞の中に父親はほぼ登場しない。昔
の童謡に「アッパと私とで作ったお花畑に…」で始める歌があり、『アッパとクレパス』いう
童謡風の歌謡があるくらいで、この2曲ともアボジではなく、アッパが主人公である。しかし、
映画や小説でも父親が主人公として登場するケースは稀である。家父長制の伝統が強い社会
で、父親がそのように文化的に疎外されているというのは、非常に興味深い事実である。
そんな中1990年代序盤に、韓国で多くの人気を集めた歌手である申海澈が『アボジと私』と
いう曲を発表した。とても長い歌詞に、この時代の父親の肖像を精密に描いている。下記の内
容はその中の一部だ。
通りゆく人を見よ、私のアボジ、それともあなたのアボジだろうか。家族から見放され、
金を稼いでくる者の悲哀と、大きな獣の死体のように皮だけが残った権威の名前を背負い
よろめいている。家の中のどこにも今彼が休める場所はない。彼を恐れなくなった妻と大
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人になってしまった子供たちの前で、崩れゆく姿を見せないための唯一の方法は、沈黙だ
けだ。私たちのアボジはまだ恥ずかしげだ。
彼らは優しく頬を撫でながら話す方法など習ったことはなかった。彼を悪く言った全て
の事を今は私がしている。スポンジにインクが染みるように、彼の姿に似ていく私を見な
がら、いつの間にか私も大人たちの年になったことを感じる。
しかし、初めて巣を離れる雛のように私は全てのことが恐ろしい。いつの日か私が家長
になるということ。私の子供たちのアボジになるということが怖い。やっとその意味を悟
り始めたからだ。
そして、決して誰にもその恐れを話してはいけないということが一番怖い。今になって、
あなたが自由でいられなかった理由が私自身だということが分かる気がする。もうこれ以
上私はあなたを理解できると思わない。それは歳月が過ぎた後に、あなたが去った後に、
私の息子を見つめる頃になればきっとできるだろう。今日の夜、私は何年かぶりに道に
沿ってあなたを迎えに行こうと思う。伝えることは長く伸びた影の後ろに埋め、私たち2
人は歳月の中に共に歩いていくだろう。
韓国人男性の自我意識の形成において、父親の存在はほぼ影響力を持っていない。日常の会
話や社会的論議においても、父親が意味深い存在として登場しない。そのような雰囲気の中で
この歌が発表された時、多くの人々が父親の人生、そして自分と父親との関係を改めて振り返
るようになった。特に共感を呼んだ節は、
「家の中のどこにも今彼が休める場所はない。彼を
恐れなくなった妻と大人になってしまった子供たちの前で、崩れゆく姿を見せないための唯一
の方法は、沈黙だけだ。」である。しかし、父親だけが沈黙を保つのではない。家族も父親に
対して口を閉ざしてしまう。そして、家の外では父親について一切話をしない。家庭や社会に
おいて父親の立ち位置はとても窮屈だ。力なき独裁者であり、無気力なサラリーマンであるだ
けなのだ。
息子の立場からすると、長い間克服及び否定の対象であった父親は見えなくなる。父権に立
ち向かおうにも、実体が消えてしまった。最近の文学からも、そのような失踪状況が見受けら
れる。朴玟奎の小説がその代表作だ。父親を冷蔵庫にしまったり、いなくなった父親がキリン
になって帰ってきたり、父親が存在すらしない未来を描いている。このような極端な状況設定
を通して、父親は無意味に解体されてゆくのである。昔は父親の不在が一種の寂しさ、もしく
は喪失感として体感できたとすれば、最近はその不在自体が初めから意識されていなかった
り、かえって気楽だと思われているようだ。
子供の教育の支えになろうと大変な労働を甘受しているのに、その労苦に感謝するどころ
か、家庭ではかえってまるで他人のような居心地の悪い存在になりやすい。子供が本格的に入
試準備に突入すると、受験の雰囲気づくりのため、父親はできるだけ家にいないでくれ、とい
う頼みを家族から受けることもある。そんな現実を反映するかのように、父親の書斎がある家
はほとんどない。たとえ経済的な余力があり、家の坪数が広くても、父親だけの部屋を別に作
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らない。帰宅し、一人で気を休められる空間がないのである。
韓国の中産階級以上の家庭では、子供が小学校に入ると同時に私教育熱風に
まれ、家族は
子供の大学進学のための非常態勢に突入する。母親は「プロジェクト・マネージャー」
、父親
は「ポンド・マネージャー」の役割を担う。
(家族団欒の時間は急激に減少し、索漠とした関
係になる。幸せな家庭のイメージを演出した広告を見ると、子供たちが5歳ぐらいの場合が大
多数であることも、そういった現実を反映している。)しかし、父親の経済力が十分でない場
合が多い。そこから出た笑い話が一つある。子供が一流大学に入学するためには4つの条件が
必要なのだが、子供の体力、母親の情報力、祖父の財力、そして、父親の無関心だ。稼ぎの悪
い父親は全く意味のない存在として扱われるのである。
実際に、ある大学教授が調査したところによると、韓国の大学生が父親に願うものは何なの
かという質問に、40%以上が「財力」だと答えた。20年以上一緒に暮らしてきた父母から相続
したいものがお金しかないというのは、家族の在り方について根本的な質問を投げかけてみね
ばならない。子供との情緒的な絆を結べぬまま、自らを生計を担うものとして手段化してきた
父親たちの姿がそこに表れる。儒教的な伝統から与えられる父親の権威も、その役割に従属さ
せられているようである。
物理的な環境の変化も重要な要素として論議されなくてはならない。韓国では1980年代後半
からアパートが次々と急速に増加した。大都市の場合、70%もがアパートである。そして、ア
パートではない家でも室内空間はアパートと似た集合住宅の形になっている。最近では、庭付
きの一戸建ては殆ど見かけられなくなった。それによって、庭園を管理したり、子犬の家を作っ
たり、家屋を修理したりするなど、男性が担当してきた家事の重要なパートがなくなってし
まったのだ。手を使う労働能力が低下したことによって、父親が子供のおもちゃを直してあげ
る機会も大きく減ってしまった。父親ならではの仕事がなくなれば、子供にその存在感が具体
的に伝わらなくなる。父親はただお金を稼いでくるだけの人になってしまう。
父親の役割が、経済的な機能に縮小される中で登場した新しい家族形態が、「雁父」である。
より良い教育環境で英語が堪能なグローバルエリートを育てるために、子供を幼い頃から早期
留学に送り、母親が留学先で面倒を見ながら、父親だけが韓国に残ってお金を稼ぎ送金するこ
とを言うのだが、韓国でのみ見られる現象だ。血縁関係をそれほどに重要視する文化で、教育
のために家族が生き別れるというのは明らかな矛盾である。子供の幸せのためなら、別れの悲
しみまでも喜んで受け入れる雁父さんにとって、自分の幸せはとっくの昔に諦めていることで
あり、遠い未来に保留されている。そのように数年を過ごすと、父親と家族は他人のようにと
ても見慣れぬ関係になり、結局離婚に至るケースもしばしば見受けられる。また、食事すらま
ともに摂ることができず、侘しさを酒でごまかし続け、健康状態が悪化する雁父さんも少なく
ない。突然死に陥ることや、自殺に至る事件もしばしばニュースで報道されている。
しかし、それは雁父たちだけの話しではない。多くの父親が家族のために自らを道具化させ
ている。そこには関係や疎通が生じる隙間すらない。同居するにも別居するにも大差はない。
どっちみちお金だけ稼いで来ればいいのだから…。このような風土の中で雁父さんが大量に生
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じたものと思われる。また、たとえ子供が留学に行かず一つ屋根の下に住んでいたとしても、
心では離散家族のように過ごす家族も少なくはない。彼らも厳密に言うと、半分ぐらいは雁父
さんと同じ身の上だといえる。
5.変化の糸口とその脈略
韓国社会に新しいトレンドが流れ込み、価値観や生活様式が幅広くなるにつれて、父親像が
大きく変わってきている。韓国女性政策研究院が2010年、男性を対象に望ましい父親はどんな
姿かを質問した。その結果、経済的能力のある父親28%、友達のような父親26%、優しい父親
24%、道徳的模範になる父親13%という結果が出た。経済力が最も多くの割合を占めたが、友
達のような父親と優しい父親がとても緊密な内容だと仮定すれば、フレンドリーな性格を、父
親に一番必要な資質であると考えていることが分かる。そして、実際に変化も現れてきている。
特に若い父親は、昔の父親とは全く違った姿で家族関係を築き生活している。少なくともそう
しようと努力したり、そうすべきだと考える人々が確実に増えた。そこには次のような社会変
化が適用したと見られる。
第一に、女性運動の影響だ。1970年代以降、民主化の過程で様々な社会運動が展開されてき
たが、その中で最も長く続いているのが女性運動である。それは、巨大な理念や国家権力の獲
得に縛られず、生活するうえで具体的な問題に特化したからであろうと評価されている。賃金
差別、家庭内暴力、性暴力、売春、家事分担など、様々な問題を争点化させることにより、社
会的な認識の改善に主力を注ぎ、行政や法律と関連して、多くの変化を試みた。特に、金大中
大統領政府が女性家族府を新設させた後、より体系的に政策を進めることができた。男性はそ
のような流れの中で、既存の家父長的な考え方を少しずつ変え始めた。
第二に、女性学教育の影響だ。1980年代から大学で女性学講座ができ、多くの学生が受講し
た。それを通して、韓国社会の規制の制度と文化がひどく男女差別的だということ、そして、
家父長制が女性だけでなく男性までも抑圧する側面があるということを学ぶようになった。そ
れは学生運動とも連携して、進歩的な思考と行動において、女性解放が重要な軸としての位置
を占めた。すぐに実行に移さないとしても、また完全に自分の考えに内面化できないとしても、
少なくとも公的な場で家父長的な発言をすることは困難な雰囲気が作られた。
第三に、大衆文化の影響だ。女性運動及び女性学教育と連動して、1990年代にフェミニズム
映画が活発に制作された。そして、フェミニスト文学、その中でも小説において、優れた多く
の作家を輩出した。女性が文化的通念や家庭的・社会的な制約を破り、自分自身のアイデンティ
ティを見つけていく姿を描いた作品が続々と登場し、若い女性の人気を得た。それは女性運動
や女性学と同じぐらい女性の意識に大きな影響を与えた。そして、彼女たちと共に働いたり勉
強したり付き合ったりした同年代の男性らの意識も自然と変わっていった。女性に洒落た男性
として認めてもらうためには、フェミニズム的な観点と感受性をも持ち合わせていなければな
らない時代になったのである。
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第四に、女性の社会進出と、それによる共働きの増加だ。女性の就業が増え、公的な場にお
いての女性の参加が活発になったことで、組織文化や制度の変化が不可避だった。女性に不利
だったり不合理なシステムと慣行を変えることがとても重要であった。もう一方では、既婚女
性の目標意識や欲望が強まったことや、夫の収入だけでは生活が厳しいため、職場で多くの時
間を過ごすようになり、男性に家事と育児を分担することを堂々と要求するようになった。も
ちろん未だに、家事を妻が大目に分け持ったり、祖父母に頼るケースも多いが、夫たちは父親
としての義務感を少しずつ自覚してきている。
第五に、離婚の増加だ。韓国では毎年30万組が結婚し、10万組が離婚している。その比率は
世界最高水準である。かつては大体の場合、離婚後に母親が親権を得て、父親との因縁を切る
ことが多かったが、最近では、父親と子供が定期的に会うことが当たり前になっている。また、
父親が子育てを一人で受け持つ家庭もそう珍しくはない。その全ての場合、男性は離婚を機に
父親としての役割を改めて自覚するようになる。情緒的な交流を大切にし、子育てを受け持つ
場合は母親の役割までもしっかり果たさなければならない状況において、これまでの父親とは
違う器量や態度を身につけていっているようだ。
第六に、共同子育て運動の影響だ。1980年代に大学に通っていた世代が30代になり、結婚し
始めた1990年中盤から、各地域で子供を一緒に育てる子育て協同組合が出現した。共働きをし
ながらも、経済力に余裕がないため、お互いの力を合わせなければならない状況にあり、そし
て、既存の保育園や幼稚園の代わりに自分たちの価値観にそって育てようという風潮が、その
下に伏在していた。競争だけでなく、力を合わせることを経験し、都市の中でも感受性を伸ば
すことが子育ての核心である。そして、もう一つ重要なことは、父親の子育て参加だ。それを
通して、近所の「オヤジたち」の間に人間関係が結ばれ、父性の社会化が急速になされた。
第七に、父親運動の影響だ。女性運動と女性主義文化の余波により、男性も自らの人生を振
り返る動きが起きたのだが、特に、父親たちの自己啓発プログラムが数多く登場した。
「いい
父親になりたい人々の会」などの団体がキリスト教会を中心に作られ、最近では小学校の父親
会も作られ、野外活動を沢山行っている。また、父親らの合唱団も登場し、子供たちに音楽を
通して思い出を作ってあげようと、定期的な集まりを持ち、練習をしている。このような変化
には、ソウル市がまちづくりの一環として支援した父母コミュニティ事業の功績もあった。
2013年に事業決算をした際、父親の参加が著しく増えてきたと評価した。このように、昔の父
親とは全く異なった姿が現れる中、それとは反対に危機に面した父親もいた。オーバーワーク
と経済的圧迫に苛まれる父親たちだ。生存競争が激しくなり、それによって残業が増えること
で、子育てに参加することが物理的に困難な家庭に多い。また、貧困層の場合は失業などによっ
て家庭が崩壊し、子供を一人で育てるシングルファザーも増えてきたが、子供を放置したり、
アルコール中毒や暴力で苦しませることがしばしば起こる。特に、子供たちに食事をきちんと
摂らせないせいで栄養状態がかなり悪く、そのような父親に料理を教えるプログラムも施行さ
れている。
父親の役割が危機に瀕している別の例は、多文化家庭だ。2000年代に入ってから、外国人女
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性と結婚する男性が持続的に増えてきた。毎年、全体の10%ほどを国際結婚が占めており、殆
どが外国人女性と韓国人男性のマッチングだ。新婦たちは中国や東南アジア、中央アジアなど
の出身で、韓国では「結婚移住女性」と呼ばれている。この多文化家庭のもっとも大きな困難
は子育てだ。母親が韓国語と韓国文化を全く知らないため、子供の認知発達が遅れ、学校入学
以降も知的な成長と友人関係において、深刻な障害が生じる。したがって、父親に倍以上の役
割が求められるのだが、実際には平均以下である。結婚移住女性が子供を育てている家庭は、
都市の周辺部や農村に居住している低所得者層に多い。父親は学力が高くなく、保守的な文化
の中で育ったケースが多い。それゆえに、子育てに関する父親の役割認識も既成世代とほぼ変
わりはなく、関与の程度は非常に低い。そのような父親たちに変化をもたらす教育プログラム
が切実に求められ、一部の社会団体や公共機関では少しずつ試行されている。
6.韓国と日本の共通点
日本と韓国は歴史的背景が非常に異なった国だが、基本的には東アジア漢字文明圏という共
通の基盤を持っている。20世紀中盤以降の産業化過程も同じように展開した。両国は米国が資
本主義体制を主導していた時代に、米国の影響圏の中で急速な経済開発を推進した。そして、
世界的な好況からも後ろ盾を得て、歴史上類を見ない高度成長が短期間に進められた。その過
程で多くの人々が農村を離れ、都市に集中した。消費、考え方、社会的ネットワークなど、生
活様式全般において絶え間なく変化が起きたのだが、その様式において、韓国と日本は多くの
類似点を見せている。さらに、韓国は一歩進んでいた日本をモデルに、産業政策と企業運営の
基本的な枠組みを作ったため、より似通った面がある。
父親の役割の変化においても、類似点がある。「企業戦士」(このような表現を韓国では使わ
ないが、韓国は日本と比べて、労働時間が長く、業務の延長線上にある会食などにより、サラ
リーマンたちが家族と共に過ごせる時間はより短い)としてのアイデンティティを持って仕事
に没頭するため、家族との情緒的な関係を結ぶことができないのだ。貧しさから脱出するため
の急務であったし、働いた分だけしっかりと補償が与えられ、家庭の物理的な与件を改善でき
た高度成長期には、それだけでもやりがいを感じることができた。また、父親としての権威も
ある程度守ることができた。家事と子育てを含めて、家族の生活と心の面倒を見るのは母親だ
けに課された任務だった。
高度成長の幕が下り、多くのことが変わった。日本の場合、1990年代のバブル崩壊以降、韓
国の場合は、1997年 IMF 金融危機以降、雇用情勢が急激に悪化し、リストラや名誉退職(定
年を早めて退職することを意味する韓国語表現)が大々的になされ、労働市場での父親の立ち
位置が大きく狭まってしまったのだ。父親の唯一の役割だった金稼ぎが難しかったり、不可能
になった状況は自尊心とアイデンティティに致命的な打撃を与えた。家族との関係形成とコ
ミュニケーションを通して、ある程度情緒的な絆を築いていれば、その力でもう一度立ち上が
ることができる可能性があるが、しかし、その可能性はきわめて低い。社会的に成功した父親
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であるほど、家族との関係は弱いことが多い。
それはただ家族に限られた問題ではなく、社会的な流れの中で把握しなければならない現象
だ。日本と韓国はどちらも低成長期に入り、いろいろな領域で関係の危機がひどくなっている。
援助交際、不登校、いじめ、引きこもり、ニート、そして無縁社会に至るまで、断絶の兆候が
至る所で起きているのだ。
(韓国は日本と10年ほどの時差を置いてそのような状況を迎えてき
たが、そこには経済的な状況及び人口構造の変化が相応している。)男性の荒れた自画像も、
同じようにクローズアップされる。例えば、
「たそがれ離婚」が増えたが、ほとんどの場合、
女性がそれを要求するという点で両国は似ている。
韓国では1998年『父』という小説がベストセラーになったのだが、IMF 金融危機を通過す
る過程で、極限に追いやられ、家族からも見捨てられた父親の姿をリアルに描いたからである。
韓国文学でそのような観点から男性を描いた作品はほぼ初めてであった。そして2007年には、
父親が多くの映画の中で主人公として登場した。『優雅な世界』
『息子』『飛ベ、ホドング』『イ
デグン、イデグン』
『眩しい日に』
『マイファザー』
『ブラボーマイライフ』
『楽しい人生』など
がそうだ。全てが家族と断絶された父親を素材として扱っている。現在の姿をありのまま描い
たり、隠れていたもう一人の自分を見つけながら、家族とも新しい関係を試みるストーリーで
構成されている。この中でも特に「優雅な世界」は韓国トップの俳優、ソンガンホが主役を演
じた作品で、家族を養うためにありとあらゆることを行う暴力団の話だ。主人公は命を懸けて
お金を稼いでくるが、妻と娘は彼を嘲笑い嫌悪する。犯罪世界に手を染めていることが面汚し
であり、気に入らないのだ。そんなある日、主人公は自分が属していた暴力団を裏切り、大量
のお金を得る。そのおかげで、家族の生活はいきなり裕福になる。郊外に高級住宅を購入し、
やっと人間らしい生活を送ることができるようになり、家族団欒の時間が訪れるかと思いき
や、妻と子供はカナダに留学してしまう。雁父になってしまった父親は体調を崩し、侘しさの
中、苦労の日々を送るようになるところで映画は終わる。
家族から疎外された男性を描いた映画は日本でもいくつか制作された。韓国では『トウキョ
ウソナタ』
『そして、父になる』などが上映された。
『トウキョウソナタ』
(黒沢清監督、
2009)は夫婦と2人の息子で構成されたある中間層家庭の話で、それぞれが秘密を隠している
状況を通して、現代家族の断絶と繋がりの可能性を問うた作品だ。次男は音楽にずば抜けた関
心と素質を持っているが、父親に反対されたためにこっそりとピアノを習う。長男は親には一
つの相談もなく米軍部隊に入隊する準備を進行中だ。父はある日突然リストラに遭うが、彼も
またその事実を家族には黙っておく。本人はもちろん、家族みんなに、予想すらしていなかっ
たその状況を到底知らせることができなかったのだ。それゆえに、毎日出勤するふりをして公
園や図書館に向かう。ホームレスの中に紛れ込み、無料給食を食べたりもする。
2013年に上映された『そして、父になる』も、父親の役割を根本的に見直す機会を与えてく
れた作品だ。5年以上育ててきた息子が、産婦人科で取り間違えられた他人の息子だというこ
とを知り、二つの家庭が大きな混乱に陥る話だ。主人公である父は強い成就欲求と並外れた能
力の所有者で、一流企業で活躍する専門家なのだが、息子には常に説教ばかりして、よい関係
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を築けずにきた。お互いの夫婦は、育ててきた息子を元に戻し、生みの親が育てることにする
のだが、主人公は新しい息子と一緒に暮らしながら、そして、去ってしまった昔の息子がその
家で過ごす姿を見ながら、自分がどれだけ父としての役割を間違ってきたかを悟る。これに
よって過去を反省し、元の息子に和解の手を差し伸べるところで映画は幕を下ろす。この映画
が韓国でも静かな反響を起こしているのだが、そこに描かれた父親の姿に共感したからだ。
7.韓国と日本の違い
韓国と日本における父親の生き様と、家庭内での役割は様々な共通点を持っているが、相違
点も多い。その現象を以下の5項目にまとめてみよう。しかし、すでに言及した内容が重複す
ることと、私が日本の状況をよく把握していないので、表面的なレベルで比較するしかない点
をお断りしておく。
(1)儒教文化の影響
500年の間続いてきた朝鮮王朝は、儒教を統治理念としてのみ採用した日本とは異なって、
大多数の人々が生活文化として儒教を定着させてきた。当時採択した儒教は性理学であり、元
来の儒教よりも忠実に家父長制に従った。ゆえに、父系血縁を厳しく守り、家ごとに家系図を
大切に保管してきた。
(韓国の家は、日本の家とは違って、徹底して婚姻と血縁を通してのみ
構成される。
)男女おのずと区別ありという意識が強く、女性の純潔を重視し、親孝行を敬う。
「長幼有序」の理念のもと、年長者に対する礼遇がきわめて丁寧である。
今現在、韓国における儒教文化は定期的に祭事を執り行うこと以外には、殆ど消えてしまっ
た。しかし、意識構造や生活感覚の中にはその影響が残っている。学校や組織では年齢による
上下関係が非常にはっきりしており、西洋人は無論のこと東アジアの人々すらも適応するのが
難しいほどだ。また、家庭内での男性(父親)優越主義的な意識が未だに強く、夫婦げんかの
原因になり、子供とのコミュニケーションの妨げになる。これは特に最近増えている国際結婚
家族の場合、より著しく目立っている。男性自らがあまりにも権威主義的な文化の中で自分の
ジェンダーアイデンティティを形成してきたため、簡単に変わるものではない。
(2)植民地の経験と分断
韓国の近現代史に起きた混乱やその過程で家族が経験した苦労についてはすでに言及した。
国家の正当性が否定され、生きているということ自体が恥ずかしく思われる状況が植民地では
つくられる。国を守ることのできなかった責任は父親たちに転嫁される。父親は子供に合わす
顔がなかった。やましい仕事をしながら植民地時代を生きてきた父親の子供は、他人の前で父
親の正体を隠さねばならなかった。お金を稼ぎ、出世をしても、そのような過去はアキレス腱
として常に残っている。父親から誇るべき歴史を引き継げなかったということは、社会的にも
個人的にも不幸な意識を作り出すのだ。それは父親が子供との人間的な絆を築くのに、決定的
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な障害となる。
韓国の現代史は「反日」と共に「反共」を土台につくられた。開放以降南北に分断され、南
韓は北韓を敵対視しつつ体制を樹立し、韓国動乱を経てその敵愾心はより強まった。国家は左
翼の動きを厳しく監視し統制した。このような中、北韓側に繋がっていたり、その疑いがある
父親の子供はひどい精神的苦痛を味わった。
「親日」と同様に「親北」も問題視されていたか
らだ。もちろん数的には多くなかったが、そのような家庭で形成された「父の否定」と、それ
による孤児意識は韓国文化に多大なる影響を与えた。このような歴史的経験が日本にはない。
(3)軍隊の影響
韓国は、世界中に残り少ない徴兵制国家である。
(軍服務を回避するため、数多くの不正腐
敗が起きる。よって、選挙の度に候補者やその息子の兵歴問題が争点として浮かぶ。
)全ての
男性が軍服務を義務的に遂行せねばならない。若者たちは軍隊を通して、初めて家族と離れて
暮らし、学校以外の組織を経験するようになる。そのようにして成人として生きていく訓練が
できるという点では肯定的な役割を果たしている。しかし、多くの男性にとって軍隊は、暴力
を経験しそれを学ぶ場である。韓国の軍隊では公式的な地位と個人的な人格が同一視されるこ
とによって、公私の境界線が曖昧になる傾向がある。そして、職業軍人ではない徴兵制である
ため、抑圧的な雰囲気が強く、言語的暴力及び身体的暴力や、人間的な冒涜が当たり前のよう
に行われている。韓国の父親が日本と比べてより暴力的なのには、そのような背景がある。
(一
方で、日本で最近登場した「草食男子」が韓国ではそこまでめだたない理由には、軍隊の影響
も少なくはないと考えられる。
)
もう一つ、軍隊の影響が強く残っている領域は、各種の公式的な組織である。韓国の企業に
は権威主義的な風土が強く残っている。それゆえに、上司と部下の関係がとても位階的で、業
務に関連してはもちろんのこと、仕事とは関係のない領域においても、不当な権力が作動する。
不条理な指示が出ても、コミュニケーションと改善のチャンネルがなく、ストレスばかりが溜
まる。また、仕事の延長線上に会食が頻繁にあるのだが、抜けにくい場合が多い。
(意思とは
別に参加しなくてはならないことが多い。
)このように兵営的な文化は、自然と父親が家族と
共に時間を過ごすことを難しくしている。そして、情緒的にも傷つき、家族との交流の接点を
探すことが難しい。
(4)猛烈な教育熱と道具的母性
毎年大学入試を前にした秋の終わりには、韓国の教会と寺院に母親たちの祈祷行列が続く。
至る所で開かれる大学説明会の大概の参加者は母親だ。自分のアイデンティティーと達成感を
子供の学力に置く女性たちが非常に多い。韓国の教育熱は、事実上母親同士のプライドの戦い
でもある。配偶者との関係が上手くいかなかったり、経済活動や自己実現の選択肢が狭いこと
が原因だ。もちろんそうした教育熱は、韓国が貧困を脱出するにあたって重要な基盤になった
が、今では子供を抑圧し、無気力にさせる原因として指摘されている。また、勉強以外の情緒
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的・人格的成長に関しては、ほとんど放置状態で、バランスのとれた成長を妨げるとの批判を
受けている。
そのような風土の中で、父親は子供の教育に対して関与の余地が非常に狭くなる。入試情報
を集め、戦略を組み、子供の学習管理をするのは、母親が責任を持っている。日本でも「父権
の喪失」「父性の復元」が語られているが、韓国では家庭内での父親の役割がより制限されて
いる。幼いころから塾を転々とする子供たちが父親と過ごす時間自体が、あまりにも短いため
でもあるし、儒教的な権威意識がもう子供には通用しないからでもある。父親の役割は、お金
を稼いでくること以外には見当たらない。雁父が量産される背景にはそういった家族の状況が
ある。
(5)社会運動の余波
韓国の40∼50代は1980年代、大学で民主化運動を繰り広げた世代である。日本の全共闘世代
と比較対象になるであろう世代だ。韓国の場合、その運動のエネルギーが1990年代以降、各種
の社会運動へとつながった。これらは社会主義が崩壊した後、解散したが、理念を変えて、様々
な市民運動へと姿を変えた。環境運動、女性運動、文化運動、教育運動などを通して、社会の
変化を模索する試みが絶えることなく続き、金泳三、金大中、盧武鉉政権を経て、それに関連
した政策が活発に推進された。女性家族府もその代表的な成果である。
一方で、学生運動と社会運動を経験した若者が結婚して子供を育て始め、1990年代中盤から
全国で共同子育て協同組合が結成された。それは、社会主義的な価値と自由主義的な教育観、
そしてフェミニズムが結合した教育運動だったと言える。そこでは、父親が積極的に子育てに
参加したのだが、家庭の塀を超えて、地域社会の公的な枠の中で成された試みだった。ソウル
市の場合、現市長の就任以降、まちづくり活性化に力を注いでいるが、その一環として地域の
子育て共同体を積極的に支援している。そのような政策に押されて、多くの若い父親たちが
段々と地域と子育てに関心を見せている。
(1)
90
チョ・ヘジョン ,『韓国の女性と男性』,文学と知性社,1997.2章にその概念と脈略が詳しく分析されて
いる。