永遠の航海 - Eurex

永遠の航海
Eternal Patrol
『原子力潜水艦スコーピオン沈没』
Harry Hilfield
February 20, 2013
USS Scorpion
ソビエト海軍のホテル級攻撃型原子力潜水艦K-19は、水中排水量5000トンに達する
黒い巨体を200メートルの暗黒に沈めたまま、エンジンを停止し、待ち続けていた。海面に浮
上すれば、アゾレスの明るい太陽と、5月の大西洋を吹き渡るすがすがしい海風を艦内に引き入
れることができるはずであった。だが艦長のニコライ・セミョーノフ大佐は、ソナー探査された
場合、アゾレス海域のカストロ海嶺から発生するであろう反射ノイズの陰にその艦体を隠し、ひ
たすらパッシブソナーを最大感度に上げていた。1968年5月20日であった。
このK-19潜水艦は連合国から「未亡人製造機」と揶揄されるほど事故の多い艦で、セミョー
ノフが着任した時、艦内は最新鋭であるにもかかわらず薄汚れ、士気の上がりようもないほど雑
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然としていた。兵士の動きにも規律がなく、命令遂行中に狭い通路でやみくもにぶつかり合い、
けんかを始める始末であった。
7年前の1961年7月4日、K-19潜水艦は、ウラジミール・ザテエフ艦長の指揮のもと、
グリーンランド付近の洋上で限界性能訓練を行った。艦が限界深度に挑戦しようとしたその最中、
原子炉の冷却システムが突然漏水を起こし、冷却水の圧力が見る見るゼロまで下がってしまった。
原子炉の温度は限界温度の1000度に対し800度以上まで急激に上がり、原子炉メルトダウ
ンは目の前という緊急事態に陥った。しかしK-19には経験を積んだ原子炉技術者が乗船して
おらず、それを海軍本部に連絡しようにも、長距離用アンテナがたまたま故障し、K-19は独
力でこの事故に取り組まなければならない事態に陥った。さらに悪いことに、ザテエフ艦長の強
い要望にもかかわらず、ソビエトの官僚主義のため補助の冷却システムは搭載されていなかった。
このままチェーンリアクションが進めば、たんに潜水艦が消滅するでは足りず、世界規模の深刻
な海洋汚染を引き起こす。まさにチェルノブイリと同じ絶体絶命である。しかし乗客をほったら
かして船長が真っ先に逃げ出すどこかの国と異なり、ロシア人は核汚染の危険性となると、敵(こ
の場合西欧諸国)
、味方を離れて取り組むだけの理性を持っていた。ザテエフ艦長は大西洋全体
の核汚染を恐れた。
乗員が動揺し、クーデターさえ起こりかねない不穏な空気の中ザテエフは決断した。8名の特攻
チームを編成し、高い放射能が充満する原子炉格納庫の中に入り、窮余の策として、破損した冷
却水パイプの代わりに換気装置のパイプを給水装置に溶接するという非常手段に打って出た。そ
のために、高い放射能汚染にさらされた原子炉格納庫内部で特攻チームは作業を行うことになっ
たが、艦に積んであった防護服は放射能用ではなく、なんと化学物質用であった。そうとは知ら
ず、原子炉格納庫内で作業を続けた艦員たちは重度の急性放射能障害に見舞われ、7名が短日中
に死亡した。しかし、乗組員たちの捨て身の作業により、幸運にも漏水は止まり、原子炉冷却は
復活した。ザテエフは部下の反乱を防ぎ、広範に汚染したK-19を見捨てることなく、到着し
た別の潜水艦による曳航で母国にK-19を持ち帰り、大西洋は放射能汚染から辛くも逃れた。
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事故のそもそもの原因は、建艦時、溶接棒の一部が冷却パイプの中に落ち、それをそのまま放置
したという、考えられないお粗末なものであったが、あきれたことにソビエト海軍の上層部は、
ザテエフを糾弾することにより責任逃れをしようとした。ザテエフは軍事裁判で沈黙を通したが、
さすがのソビエトでも判決は無罪となり、後年ゴルバチョフ大統領は、ザテエフ艦長をノーベル
平和賞候補に推薦した。ちなみに事故当時、この K-19 の副長を務めていたワシリー・アルキロ
フは、翌1962年に発生したキューバ危機の際、B59 潜水艦に副長として勤務していたが、
ソ連海軍の規約に逆らい核ミサイルの発射キーを押さず、世界の破滅を防いだとして、「世界を
救った男」と呼ばれることになる。あるいはアルキロフの意識の中には、ザテエフ艦長の勇気と
冷静さがあったのかもしれない。
K-19は原子炉の積み替え、全艦クリーニングなどの処置を受け、2年後に復活した。新たに
K-19の艦長を引き受けたセミョーノフは、この不名誉と名誉が入り混じった潜水艦に着任し
て以来、徹底した訓練を乗員に行ってきた。そして今、K-19は大西洋アゾレス諸島の深みに
身をひそめ、全身を耳にして待ち続けていた。
この時をさかのぼること3か月前の同年3月、ソビエト海軍にとって屈辱の出来事が起こった。
同海軍のK-129がミサイル発射スタンバイ状態のまま連絡を絶ち、不可思議な航跡をたどっ
た挙句ハワイ・オアフ島沖で爆発・沈没した。アメリカの海洋ソナーシステムはその爆発音を探
知していた。K-129は原子力を動力としておらずディーゼルエンジンであったが、沈没によ
り破損した核ミサイルが周辺海域に核汚染を引き起こした。この当時、ソ連製の長距離無線アン
テナは不良が多く、なぜK-129が作戦水域を大きく逸脱したのか、なぜ爆発事故を起こした
のかを巡って軍部で議論が巻き起こった。ソビエト軍部では、東西冷戦のさなか、たまたまアン
テナ不調を起こしたK-129がアメリカの潜水艦に追いつめられ、あるいはミサイルによる反
撃を加えようとしてハワイに近づいたため、魚雷で撃沈されたのではないかという憶測が次第に
広がった。K-129の艦長の個人的友人であるセミョーノフ艦長は、潜水艦乗りとしてこれ以
外の結論を信じていなかった。
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ワシントンのソ連諜報組織から、米海軍の原潜スコーピオンが、近日中に単身地中海を離れ、ア
ゾレス諸島付近でソビエト海軍の偵察を行った後、アメリカ東海岸のノーフォークに帰投する見
通しという情報が寄せられていた。アゾレス諸島は、地中海の出入り口であるジブラルタル海峡
のほぼ真西にあり、ノーフォークに向かう艦船は必ずアゾレスの直近を通過する。USS スコー
ピオンはソ連にとって忌むべき名前で、2年前の1966年、アメリカが行なった「ノーザン・
ラン」という作戦では、ソ連領のノヴァヤ・ゼムリア(北極海につきだした弧島)直近まで侵入
され、ミサイル発射の瞬間を撮影されてしまった。すぐにソビエトの潜水艦がスコーピオンを追
跡したが、圧倒的なスピードで引き離され、魚雷発射のポジションにさえつけず、まんまと逃げ
られてしまった。ソビエト海軍のメンツ丸つぶれの不祥事であった。ナポリからの情報を受け取
った時、アイスランド南を遊弋していたK-19は全速力で南下し今の位置についた。
アメリカ第6艦隊は、大西洋の東半分と地中海を受け持つ機動部隊である。1968年5月、同
艦隊は地中海でNATO軍と共同演習を行った。仮想敵国は無論ヨーロッパへ南進をもくろむソ
ビエト連邦である。SSN589原子力潜水艦スコーピオンもその演習 Aged Daddy V に参加
し、対潜、対艦作戦と同時に、原子力潜水艦の運用について訓練を受けた。スキップジャック級
の原子力潜水艦スコーピオンはS5Wという新型の原子炉を搭載しており、30ノットに達する
水中最高速度と、連続200日以上の連続最高出力運転を可能とするなど当時世界最高の性能を
持っていた。しかし、相次ぐ軍事訓練のため、まともなメンテも受けられないスコーピオンは、
あちこちに細かなトラブルを抱えていた。そういう中、ロシア海軍の動きをつかんだアメリカ海
軍は、その偵察(パトロール)のため帰投途上にあるスコーピオンを、アゾレス諸島方面へ派遣
した。
「ほう、新人かね」
ワシントンDCのはずれにあるバー「コーヴ」でジム・ウォーカーは店主のマルコに話しかけた。
この10か月ほどウォーカーはここに通っていた。ほかの店に比べて特にいいところがあるとい
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うわけではなかったが、テーブルとテーブルの間に大型のプランターを置くなどして隣の席と区
切りがあり、話しがしやすかった。今夜はカウンターの向こうに30歳前後の新顔の女性がいた。
「ええ、トムがオレゴンに帰るというもんでね、来てもらったんです」
「そう、そりゃ残念だね」
ウォーカーが顔なじみのバーテンダー、トムの方を見ると、彼はカウンターの中で新人女性に何
か説明していたがわずかにほほ笑み、目礼を返した。仕事の引継ぎであろうか。白いシャツに黒
い前掛けをしたその女性は、金髪を後ろに束ね、真剣に先輩の話を聞いていた。いかにも真面目
そうであった。
「ちょっと人を待たなきゃならないんでね、ウィスキーでも貰おうか」
マルコはその新人女性に注文を出した。彼女は意外に慣れた手つきでテキパキと飲み物を作ると
自分でウォーカーのテーブルまで持ってきた。
「やあ、ありがとう。私はここの常連でね、ジムっていうんだ」
「ロンダよ、よろしく」
「ああそう。私はここの生まれなんだけど君は?」
「ロードアイランド」
「そんなに遠くないね、きみは・・・」
そこまで言ったときドアが開き、スーツを着た長身の男が入ってきた。ロンダはカウンターへ移
動した。男は店内を見回しウォーカーのほうに近づいてきた。まだ早い時間で、奥のカウンター
に男が二人いるだけだった。
「ウィスキーか」
「ああ、ビクター、同じでいいか」
「いや、これから行くところがある、コーヒーにしておこう、ところで・・・」
「うん、5,20、Sだ。5,20、S」
「Sだけか」
「そう、Sだけ、間違いない。あの辺りに立ち寄るらしいから友達によろしく言っておかないと」
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ロンダはコーヒーをテーブルに置きながらスーツの男に鋭い視線を投げた。二人はその後5分ほ
どボソボソと話し、ビクターという男は頼んだコーヒーを飲むことなく、そそくさと店を後にし
た。ウォーカーがカウンターを見るとロンダがポカンとウォーカーのほうを見ていた。ウォーカ
ーは微笑み、支払いは自分が行うとそぶりで伝えた。USSスコーピオンが5月20日に地中海
を離れ、単身アゾレス海域に向かうという情報がソビエト海軍にもたらされたのはその夜であっ
た。
ジム・ウォーカーは海軍本部に勤務する主任ワランティオフィサー(CWO)で、艦体活動を管
理する重職についていた。だが彼はソ連のスパイであった。FBIはそれを嗅ぎ付けており、行
きつけのバーに女性エージェントを派遣していた。だがロンダの通報はビクターという相手の男
の正体までは明らかにしておらず、少なくともスコーピオンを悲劇から救うには遅すぎた。ロシ
ア太平洋艦隊には原子力潜水艦スコーピオンがノーフォークへの帰途、ロシア艦隊の動きを探る
ため、アゾレス諸島の南側を通ることが KGB からソ連海軍に報告されていた。
今年36歳になるフランシス・スラタリー艦長は、疲労の極みにあるスコーピオン乗員のコンデ
ィションに危惧を抱いていた。実際、地中海の演習終了直前に一人が倒れ、ナポリの病院に収容
されていた。艦内エアコンの調子も悪く、冷却ガスが相当漏れていることが分かっていたが、そ
の修理個所がドライドックを行わなければ手の届かない場所で、演習終了後出来るだけ速やかに
ノーフォークへ戻るつもりでいた。それが敵艦隊偵察という最高度の集中が要求される、危険極
まりない任務を与えられた。いわば嗅覚の優れた狼の群れの中を、気づかれずに通過しろという
ようなもので、特にソ連から目の敵にされているスコーピオンにとって規律と緊張を強いられる
ミッションであった。
ニューハンプシャー州ピッツフィールド・・・・今年33歳になるエレノア・バースは今度の家
族旅行を楽しみにしていた。行き先はバージニアのノーフォーク海軍基地であった。夫のウォル
ターは原子力潜水艦スコーピオンの魚雷担当主任士官で、5月27日にノーフォークに帰還する
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はずであった。いつもは迎えに行くことはしなかったが、今度は夫が休暇で、家族全員でアパラ
チア山脈のウォームスプリングコテージへ行く予定であった。無線局長であるレイ・デニスの家
族も同行する予定で、エレノアは久しぶりの邂逅を楽しみにしていた。
1968年5月20日、ソビエト海軍K-19潜水艦のセミョーノフ艦長は、米海軍スコーピオ
ンがアゾレスの南側を通るルートを取りそうだという連絡を受け、自身も K-19をアゾレス諸
島の西に移動させ、ファイアル島の西あるコンドール海嶺をはさむ位置で待ち受けていた。翌朝、
スコーピオンがアゾレスをかわす地点まで来た時、ロシア艦隊はアゾレス諸島から離れる方向に
一斉に北転していた。この日、海上では風もなく快晴であった。全身を耳にして待ち受けるK19に、その特徴のある音は少しずつ聞こえてきた。スコーピオンのプロペラはキャビティノイ
ズを最小限に抑えるように設計されている。しかし20ノットもの高速で突進すれば探知してく
ださいというようなものである。
スコーピオン:
「艦長、イワンは北に逃げていきます。この先もぬけの殻です」
「上がってみよう、潜望鏡深度だ」
USSスコーピオンは速度を落としながら上げ舵角を取り、午後4時の大西洋に潜望鏡を突き出
した。ベンチレーションから潮の香りが艦内に流れ込んだ。スコーピオンは空気清浄システムを
持っており、換気のため浮上する必要はなかったが、それでもやはりフレッシュエアーにかなう
ものはない。潜望鏡が映し出すディスプレイには離れていくソ連艦隊の薄い煙以外360度艦影
は見られなかった。
「浮上する。警戒を怠るな」
スコーピオンは速度を5ノットに落とし、ゆっくりと海面に浮上した。艦長のスラッタリーは艦
橋に上ると、昔の潜水艦乗りがそうしたように、双眼鏡で見まわした。午後の遅い太陽が西の水
平辺に近づいていた。相手のほうから逃げてくれた、スラッタリーは内心ほっとしていた。3か
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月分の疲労が重くたまっていた。できればこのまま何事もなくノーフォークに帰り着きたかった。
あと6日の行程である。
「定時連絡を入れてくれ、今日は5月21日だな?」
10分ほどすると通信士のワトキンソンが上がってきてスラッタリーにタバコを勧めた。スラッ
タリーは艦内ではたばこを吸わなかった。久しぶりに吸い込んだ煙はスラッタリーをクラクラさ
せた。
「艦長、あれは・・・・・・・こっちに向かっているように見えますが」
スラッタリーが双眼鏡で見ると、黒煙を上げながらソ連の駆逐艦が回頭し明らかに全速でこちら
に向かってきていた。
「くそ、奴ら心変わりしたらしい、急速潜航だ」
「ノーフォークに連絡を入れますか」
「いや、まさか攻撃もしてこないだろう。怖気をふるったと思われるのもな」
スコーピオンは100メートルまで急速潜航を行い、微速無音潜航に移った。海上のソ連駆逐艦
2隻は派手にピン音をまき散らしながら突進してきた。
「なんだこいつらは、実際に爆雷でも落とすつもりか」
スコーピオンのスラッタリー艦長はソ連海軍の露骨な動きに違和感を抱きながらも針路を維持
するよう命じた。だがスコーピオンが前方200メートルを横切るのをじっと待っている潜水艦
があった。ニコライ・セミョーノフが率いるソ連海軍K-19潜水艦である。
スコーピオン:
「艦長、連中が打つピンの乱反射かもしれませんが、前方左手に何か反射があります。反射は微
弱で海嶺からの反射に交じっていて・・・・・変だな、もう消えました」
ベテランのウィリアム・ハーヴェイ中尉がヘッドフォンを外しながらスラッタリーに頭を振った。
「奴らの潜水艦かもしれない、目を離さないでくれ」
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艦長のスラッタリーは、ソ連は何をしでかすかわからないとは思っていたが、この場所で米海軍
の潜水艦にあからさまな攻撃を仕掛けてくるとは考えていなかった。そんなことをすれば米ソ開
戦になってしまう。
ソ連 K-19:
「敵は進路そのまま、まっすぐこちらへ微速で向かっています。深度100、距離2800メー
トル、コンタクト35分後です。敵は無音潜航しており信号微弱」
「よし、そのままだ。最後に一発だけピン(ソナー探知音)を打つ。チャンスは一回だけだ。魚
雷発射後ただちに全速離脱する。1番と2番だ。絶対失敗するな」
艦長は本当に魚雷を打つつもりか、半信半疑の乗組員たちはそれぞれ配置につきながら最高度の
緊張を維持していた。
潜水艦の魚雷発射管は、魚雷を打つ前にまず魚雷ハッチを開け注水しなければならない。また注
水すると前が重くなり、魚雷を発射すると今度は軽くなる。そのためにバラスト調整をしなけれ
ばならず、いきなり魚雷だけを打つということはできない。エンジンを起動し、魚雷発射位置に
つき、魚雷ハッチを開け、注水を行い、同時にバラスト調整を行う。魚雷発射ポジションにつく
とはこういう行動すべてを含む。
スコーピオン:
「敵駆逐艦、北へ回頭、離れつつあります」
「このまま進路を保て。5分後にソナーを打つ。左前方の反射はどうだ」
「今のところ…消えています」
「ふうむ、いいだろう、そのままウォッチを続けてくれ。5分後15ノットに増速」
K-19:
「敵艦距離700メートル、相手は多少増速しています」
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「よし、行くぞ、エンジン始動、1番、2番魚雷発射準備」
K-19はエンジンを始動し、スコーピオンの 1.5 倍に達する巨体をグラリとゆすり浮上を始め
同時に魚雷ハッチを開け注水を始めた。
スコーピオン:
「ああ!前方12時、500メートル、潜水艦です!魚雷ハッチに注水を始めています!」
「なんだって!?そうか、そんなに遊びたけりゃ付き合ってやろう。全速前進、面舵15度、深
度そのまま、総員戦闘配置!」
「相手はおそらくホテル級です」
原子力ユニットがスティームタービンに高圧の蒸気を送り込み、スコーピオンは当時としては最
高レベルの加速を始めた。スラッタリーは自艦がソビエト艦のほぼ2倍の速度が出せることを知
っていた。ソ連艦のこういう威嚇行動は今に始まったことではなく、公海上で本当に攻撃を仕掛
けることはないとスラッタリーは半分高をくくっていた。スコーピオンは見せつけるように相手
に左舷を曝し右回頭行動に入った。だがもしソ連艦が攻撃を仕掛けたとして、それを世界が知る
すべがあるだろうか。スラタリー艦長がいつもと違う嫌な感じに襲われた瞬間、スコーピオンの
艦内にソ連潜水艦が放った強いピン音が響き渡った。
「ああくそ!なんということだ、相手は魚雷を発射しました。2基です、まっすぐ本艦へホーミ
ングしてきます。距離約400,時間は 15 秒しかありません!」
「取り舵一杯に切れ、急速潜航」
スコーピオンはその高い機動力を発揮して今度は左一杯に曲がろうとした。だが魚雷はスコーピ
オンの3倍の速度を出すことができる。2基の魚雷はまっすぐ速度の乗り切らないスコーピオン
に突進し、1基は左舷ほぼ中央部に、もう1基は同じ左舷後部に命中した。スコーピオンは瞬時
に中央部から真っ二つに折れ、後部は粉々に破壊された。原子力潜水艦USSスコーピオンは9
9名の乗員を載せたまま、アゾレス諸島南西50マイル、深さ4000メートルの深海へと沈ん
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でいった。この爆発音と圧殻音はSOSUSには全く関知されておらず、ただカナリア諸島近海
に設置されたハイドロフォン装置にだけ記録されていた。
それから6日後の1968年5月27日、バージニア州ノーフォークは時ならぬ大雨となった。
それでもETA予定の午前11時、潜水艦桟橋横のハウスは乗組員の家族でいっぱいであった。
エレノア・バースの一人娘エミリーも待ちきれない様子で、豪雨の中傘をさして何度も桟橋に行
き、入港するスコーピオンを見ようとした。レイ・デニスの妻ドロレスも自分の息子を抑えるの
に苦労していた。あきれるほどの大雨にもかかわらずハウスの中はうきうきした雰囲気にあふれ
ていた。遅くともあと数時間で自分の夫、自分の家族が目の前に現れるはずであった。
午後3時を過ぎた。潜水艦はその居場所を知られないよう、入港が遅れてもそれを連絡してこな
い。ハウスの中は、待ちつかれた子供たちがぐずり始めているものの、まだ楽天的雰囲気に包ま
れていた。夕方17時、担当士官が入ってきた。彼は平静かつ快活な様子で、スコーピオンが遅
れているようなので皆さんに夕食を準備しました、食堂へどうぞと促した。午後19時、ほとん
どのものが食事を終えてもまだスコーピオン到着の報告は入ってこなかった。不安といら立ちが
広がり始めた。午後21時、宿泊の用意ができましたと同じ士官が連絡に来た。今度は、彼は微
笑んではいなかった。軍は機密保持のため、絶対に遅れている理由を説明しなかった。軍人の妻
として、それを心得ているエレノアとドロレスはさりげない会話をつづけながらも眠るどころで
はなかった。それでも疲れから午前2時を過ぎると宿泊所は静かになった。翌朝7時、担当士官
が沈痛な面持ちで現れ、スコーピオンはまだ到着していない。間もなく上級士官から説明がある
と告げた。午前9時過ぎ現れた何某という大佐は、スコーピオンが昨夜10時に遭難と認定され、
今日から大がかりな捜索が始まると伝えた。人間というものは、自分の家族が知らない間にいな
くなったと言われてもなかなか実感できないものである。エレノアたちは泣き笑いの状態でそれ
ぞれのホームタウンに引き取った。
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アメリカ海軍は史上空前の規模で捜索を開始したが、スコーピオンは放射能反応が全くないなど
でなかなかみつからなかった。捜索は10月28日まで続き、モンテカルロ・シミュレーション
という乱数を用いたプログラムを用いることによって、海底に沈むスコーピオンがやっと発見さ
れた。艦の前部だけが残っており、後部はどうしても見つからなかった。
しばらくしてエレノア・バースにC.K.ダンカン准将より電報が届いた。
「まことに遺憾ながら、アメリカ海軍士官ウォルターC.バースはUSSスコーピオンで作戦行
動中、死亡したと認定されることをお知らせしなければなりません。捜索の結果スコーピオンは
発見され、残念な結果が確認されました。また、遺体や遺物の回収もできなかったことをお知ら
せしなければなりません。さぞ落胆されることでしょう。慰めの言葉もありません」
スコーピオンが突然沈没したことについては次の3つの説がある。
1.投機された魚雷にたまたま当たってしまった。
2. スコーピオン自身の魚雷に設置されている電気スイッチが不安
定で、過失もしくは偶然のきっかけで入ってしまった。つまり
艦内で魚雷が爆発した。
3. ロシアの潜水艦に撃沈された。
しかし海底に横たわるスコーピオン(写真参照)を見ると2の艦内魚雷の爆発では説明がつかな
い。もしそうならもっと前部が破壊されてもいいはずである。破壊されているのは主に後部であ
る。さらに、1の投棄魚雷にたまたま当たってしまったとするのも、猫ふんじゃったじゃあるま
いし、広大な海洋(潜水艦の場合は広さだけでなく、深さも加わる)で、ソナーを利かせている
潜水艦がたまたま魚雷にぶつかる確率を考えてみるがいい。また、1と2は同じことで、誤動作
した魚雷をスコーピオン自身が艦外に投棄したら、魚雷がホーミングでスコーピオンに戻ってき
たという説もある。だがロシア艦隊の直近で行うにはあまりにもドジすぎる。いっぽう、ロシア
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潜水艦に撃沈されたというと、映画じゃあるまいしという反応が返ってくるかもしれないが、状
況証拠としてはこれが最も可能性が高い。
1. スラッタリー艦長が、直前にこれよりソビエト艦隊の偵察を開始するという電報をノーフ
ォークに打っている。
2. ハイドロフォンの時間記録によると、その数時間後にスコーピオンは沈没している。ハイ
ドロフォンは長波の音波をとらえることができ、ニューファウンドランド、カナリア諸島
及びバハマのハイドロフォンは等しくスコーピオンが圧潰する音をとらえている。
3. 普段めったに起きない魚雷事故が、たまたまソ連艦隊の直近で起こったと考えるより、ソ
連艦隊に撃沈されたと考えるほうが自然である。
スコーピオンの乗員99名の90%は25歳前後の若者であった。スコーピオンの最後の航海は、
Eternal Patrol 永遠の航海と呼ばれている。沈没の原因はいまだに特定されていない。
*これは小説である。ロシア潜水艦がK-19であったという証拠はない。登場人物はスラッタリー艦長
以外仮名である。ジム・ウォーカー(ジョン・ウォーカー)は実在のスパイである。
*K-19の事故当時、副長であったアルキロフが、後年(1962)キューバ危機の際、核ミサイルの発
射ボタンを服務規定に逆らい押さなかったのは事実である。
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