英語による論文作製入門 投稿論文・博士論文など 古賀克己 95-7-5, 97-6-17, 01-6-19 1. 始めるに当たって 英語論文を書くに当たって、まず最初にやるべきは、全体の荒書きを、箇条書きで作る ことである。日本人であるから日本語でよい。しかし、このときに、かっちりした日本語 の作文は絶対にしないこと。ここで日本文を固めてしまうと、良い英語に直すことは不可 能となる。特に、まず日本語で全論文を仕上げて次にそれを翻訳するという方法は極力さ ける。その理由は後で書く。箇条書には図表の提示順序などをも含める(図表の投稿用な らびにスライドの仕上げは、実験中、データが出次第、その都度やっておくよう常に心が けるべきである) 。以上の作業で、論文作製における最も重要な課程が終ったとみてよい。 あとは作文仕上げに要する労力と時間の問題である。 2.英作文の作業 次に荒書きをみながら、ゆっくりと英語を書いて行く。そのとき、絶対に自分勝手に英 作しないこと。必ずどこからかもってきた外人による文を当てはめていく。自分で作らな いのだから気楽である。このとき外人による論文・教科書などをあれこれひっくりかえし、 一番よさそうなのをあてはめてみる。もちろん少しの変更は必要である。しかし、文は決 して自作ではなく、皆が書くような紋切型とする。文学でないから文章における独創性は 不要である。むしろ紋切型でなくてはならないのである。不慣れの時は、これはのろい作 業となる。慣れると宙で思い出すようになる。作文に慣れるということは、紋切型のレパ ートリーがふえるということである。 普段から、他人の論文を読むときに、中身だけでなく文そのものにも関心を抱き、これ は良い文とか単語だ、と思ったものは、書き抜いておくとか、少なくとも印をつけておき、 あとで利用する。カードを作製し、索引を付し、と、凝った作業をする人もおり、ついに 資料を本にして出版した例もある(「化学用語の活用辞典」(科学同人)などなどの指南書 がそれである) 。このような本も参考になる。しかし万能ではない。 人真似をせよ、と書いたが、今やっている仕事と関連が深く、原稿にも引用しているよ うな論文から文章をまるまる引用すると問題である。文章の出典まで露呈してしまうこと がある。真似せざるを得ないときは少し変えること。できる限り、関連のない論文からの 文をまねすること。以前の自分の論文に使った文章を再利用する場合でも、次に使うとき はモディファイすること。しかし、「材料と方法」の一部などは、自分の前の論文とほぼ 同じでも仕方がないと思われる。 真似を恥じることはない。そもそも native English speaker の言語でさえ子供時代に母 親から模倣したものに過ぎないのである。native 日本人は大人であっても英語では他人の 真似をするほか方法がない。 3.英語と日本語の違い 箇条書による荒書きをみながら英語を入れて行く際に、はじめの考えから変更を余儀な くされることもある。時には結論そのものまでも変わることもあり得る。最初の計画がず さんだったといえばそれまでであるが、ほかに理由がある。それは、日本語と英語とでは 根本的な性格が違うためである。英語は論理だった言語なので、科学論文に向いている。 筋が通るのである。英語でストーリー書きを続けていくと、日本語で作文するよりも、話 が論理的になる傾向があり、また簡潔にもなる。もちろん簡潔になるのは日本人の英語表 現レパートリーが限られているからであることはいうまでもない。しかし、限られたレパ ートリーであるからこそ、十分に紋切型になり、簡潔にもなり、その結果、審査にパスし やすくなる。その意味で、論文書きは日本語より英語の方が易しいといっても過言ではな い。 日本語には、論理だった作文をするパワーが不足している(例えば単独の日本人による 科学の大著は非常に少ないといえる)。その上、自国語であるから勝手な作文ができるの で、かえってこれが災いして収拾がつかなくなることもある。日本語は文学に向く情緒的 な言語で、世界最短の文学である俳句にその特徴がある。長い話には不向きで、連歌など はやや長いものの、連歌における前後のつながりは、なんと尻取り・ごろ合わせである。 これによってめんめんと連続するというのが日本語の伝統的な特徴であるから、科学に向 いていないのは当然である。 こうして、日本語で論文を完成する場合と英語で完成する場合とは、同じ材料を用いて も最後は互いに様子が違ってしまってもおかしくない。それゆえ、荒書きをみながら英語 を入れて行くときにも、次第に変更を余儀なくされることがあるのは、最初の荒書きに日 本語の影響がどうしても残っているためであろう。ましてや、まず日本語で全論文を仕上 げ次にそれを翻訳する、という方法が良くないのは当然である。それに、翻訳という作業 そのものが大変である。一度日本語を作って英訳するのは、あたかも木造建築を一度つく り、次にそれを壊して鉄筋のビルを建てるようなものであるといった人がいる。例えば、 英語を日本語に直す際にも、主語・述語の語順を入れ換えるのは当然であるばかりでなく、 文順も変えなければ良い日本語にならないことがある。パラグラフの順番も変えるほうが よいかもしれない。それほど両言語は異なっているのである。 4.序文と考察/―ここに記したことは日本語の論文でも同じである― 日本人の英語は下手で当たり前である。うまく書こうというより、誰が読んでも一度で わかるように、易しい文で、簡潔に書くように心がける。これは個々の表現上の問題であ るのみならず、全体を通して大筋をみた場合に最も重要なことである。 日本語による論文でも全く同じであるが、全体の大筋については、「序文」と「考察」 の関係がポイントである。まず、論文の合否を決めるのは序文である。序文では、何が問 題であり、何が不明であるか、ということが明確に理解できるように述べる。研究の歴史 を紹介することが多いが、これは不明点を浮き彫りにする為のもので、それ自体が目的で はない。序文では、論文全体で明らかとなった範囲から逸脱しないこと。序文で提示した 問題は考察では解決していなければならない。解決できなかった問題は序文に書かないこ と。作業開始初期の原稿案には発想の順序として序文に書いてあることが多い「おおぶろ しき」は、考察の調子をみてから削除すること(いわばフィードバックである)。これを しないと、多くの人が失敗している(投稿され合格している論文にも見かけることがある) ように、序文と考察が同じレベルにあって進歩してないことになる。たとえば、「発生に おける遺伝子発現制御機構の解明を目的に本研究を行った」と序文にあり、考察の最後で も、「この研究結果は今後の遺伝子発現制御機構解明に役立つであろう」と終っている。 これでは進展がない。こういうことをいいたければ考察のところに書くだけにとどめてお く。 序文の終わりには、その論文で一番大切な結果を一つだけ書いておくことが多い。これ により、読み手にこの論文のポイントを示し、読み続ける気を起こさせる。考察でも、始 めか、または終わり近くなどの適当なところに、同じポイントを書き、何が明らかとなっ たかを浮き彫りにする。 考察では結果のところで述べたことを繰り返さないように気をつける。その意味で、考 察では図・表の引用説明は原則として避ける。どうしても引用が必要なこともあるが、そ れは数少ない例外とすべきである。序文で他人の論文を引用した場合、原則として考察で は再引用しない。序文では文献を紹介しただけで、考察においてはじめて中身にも触れる、 という場合なら、重複引用も許されるであろう。よくできた論文では、序文と考察とで同 一の参考文献の引用はほとんどないといわれる。 5.繰り返しを避ける 英語では同じ単語や熟語、同じ文章を繰り返さない。繰り返しは読み手をいらいらさせ る。たとえば、その論文の最も大切なポイントを表す一文についていうと、それは序文の 最後、考察及びサマリーと、都合最低3ヵ所に出てくるが、3つとも中身は同じで文章は 違っているべきなのである。 近い箇所での同一単語や熟語などの多用には特に気を付ける。重要なテクニカルターム の場合、仕方なく多用することもあるが、それでも例えば alternative splicing の場合は、 このほかに alternative usage of exons, selective usage of two exons, utilization of one of exons などなどのバリエーションをかけることができる。時には代名詞で逃げたりするこ とも可能である。 文献引用を同じ文章で繰返すことも読者を飽きさせる。著しく重要な論文で重複した引 用が必要な場合でも、引用のパターンを変えていくなどの要領が必須なのである。 一方、以上のような冗長な繰り返しを避ける一方で、 「対比関係」を表現したいときは、あえ て繰返しパターンを採用する。これは2つの見出しの例である。1. Molecular cloning and expression of the body color gene. 繰り返しは、同一の文中において、また、となりあう文の 間でも採用可である。例えばデータの数値だけを変えた他はわざと同じ文体、同じ単語のまま にしておく方が、何を述べているかが分かりやすくリズムもよい。例.The B. mori strains with mutated mosaic genes include (1) “the hereditary mosaic” with the gene symbol mo, a spontaneous mutation, (2) “the mosaic of Tanaka” with the gene symbol mo-t, a spontaneous mutation and (3) “the mosaic lethal” with the gene symbol l-mo, a induced mutation. 6.パラグラフ 英語ではパラグラフ構造が生命である。1つのパラグラフでは一つの話題だけを述べる (いくつかの話題があるようにみえても主従関係でつながっているか、または等格のもの の羅列である)。べつの話題に移るときはパラグラフを変える。文の数の多少だけでパラ グラフ間のバランスを考えるのは誤りである。すなわち1文1パラグラフもあり得る(こ れは雑誌によっては投稿規定で禁止されているケースもある)。要するに、短いという理 由だけで前または後のパラグラフに入れてしまうのも不可である。日本語の場合も科学の 作文では英語と同じ発想を適用すべきであろう。 7.分詞 分詞構文や現在分詞などを旨く使うと英語がよく流れるようになる。例,If there occurs defect in the mechanism due to a mutation or stress, plural nuclei begin their development, thus giving rise to mosaicism and gynandromorphism. アンダーライン部 分は、主語が同じ二つの文、つまり①development までの文と②thus からの文を連結し て1文にするための分詞構文である。次の文 Linkage analysis was carried out using the autosomal maker genes ps and L. では、前半と後半で主語が違っている(後半の主語は 隠されている)ので、この分詞構文(アンダーライン)は本来なら文法ミスである。しか し、最近は許されるようである。とはいえ繰返しを避ける意味でも多用しないこと。現在 分詞(アンダーライン)を使用した文の例を記すと、The mosaic gene Striped (ps) is an allele of the larval body marking gene, making the body black with white stripes at each segment. making は直前の単語 gene にかかる形容詞句を形成している ---, which makes body -----と同義である。 8.口語と文語 英語の科学論文では、日本語の場合と同様に、口語用の単語よりも文語用の単語を用い る方がよい。偶然であるが、日本語に、いわゆる大和言葉(訓)と漢語(音)があるよう に、英語にも古英語系とギリシア・ラテン語系の単語があり、口語においては前者が、文 章においては後者が主に用いられる。例えば「海」という語におけるウミ/カイの対比は sea/marine の対比に匹敵する。ウミ・sea に比べるとカイ・marine の方が意味を限定し やすく複合語(たとえば海賊とか maritime とか)を作りやすいので便利である一方、日 常性の低い、いかめしい単語となる点が日英共通の悩みである。さらに後者は日本語の場 合、発音された時に意味が聞き取りにくくなる欠点もある。ますます閉話休題であるが、 演歌の歌詞では大和言葉が多く漢語は殆どでてこないので、柔らかな感じになる。一方、 応援歌や校歌では漢語が多いので堅苦しい。 9.要するに 日本人の英語は下手で当たり前と述べた。とはいうものの、外人を含むレフェリーに理 解させ、かつこれをいらつかせないことが大切である。筋をとおして、簡潔にして、繰返 しを避け、ともかく読ませること。一度読んでくれたらこっちのもので、あとは欠点やミ スを適当に訂正してくれる。レフェリーに読む気を起こさせるだけの仕上げは、ぜひとも 必要である。日本人が読んで易しい英語は外人が読んでも易しいとのこと。難しく書こう と思う必要はない。 10.最後に 一応仕上がった原稿は、必ず一度以上、第 3 者にみてもらう。最初は内容の判っている 日本人がよい。外人チェックが可能な場合、これは最後のステップにしないと、もったい ない。あまりに酷い Japanese English は外人チェック不能である。 いよいよできあがった最終稿は、急いで投稿せず、短くて2,3日、許されれば3ヶ月 間放置し忘れておくのがよい。3ヶ月たったら論文内容の記憶がなくなり、自分はあたか も他人のごとくになっている。第3者の目で検定ができるのである。性急に投稿し3ヶ月 たってからみじめな掲載拒否で戻ってきた自分の原稿をみて、やはりこれはできが悪い、 拒否されて当然である、と思ったことはしばしばである。 終わりにもうひとこと。せっかくの指南書をみずからぶちこわすことをいうようである が、この文も含めて英作要領の参考書の上手な使い方は、金科玉条にしないで「都合の良 いところのみ受け入れる」ことである。原稿書きに際しては、ともかく、なりふり構わず 可能な限り急速に最後まで突っ走ってしまうこと。特に若手にはこれが最も強く要求され る。当初から細かいことに凝りすぎると一歩も前進できない。以上に記した要領、特に詳 細な点は、仕上げの段階に入った後、気持ちの上で余裕を生じたうえで、参照し役に立て るのがよい。
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