1 長坂:島 津家本 『太平記』考 島津家本 ﹃ 太平記﹄ 考 ﹃太 平 記﹄ 諸 本 に は全 巻 に 亘 って で は な いが 、 いく つか の巻 に限 っ よ る翻刻があ る) (5 ) 菅長 坂 成 行 ⑧ 天 理 図 書 館 蔵 ﹃太平 記 抜 書 ﹄ (以下 、天 理 本 と略 称 。 青 木 晃 氏 に ◎神宮文庫蔵 ﹃ 太平 記抜葦﹄ ( 以下、神宮本 と略称) て 極 め て 独 自 な 記 事 を 有 す る伝 本 が あ る。 そ う し た 独 自 記 事 の生 じ た 背 景 に は 、少 な く と も そ れ ら を も 取 り 込 ん で ﹃太 平 記 ﹄ を 形 成 し てゆ (7) ⑪東京大学史料編纂所蔵 ﹃ 異本太平記纂﹄ (6) く状 況 が 在 っだ こと は 確 か であ る。 巻 一は 本 文 異 同 の比 較 的 少 な い巻 神 宮 本 と は親 子 関係 乃 至 は兄 弟 関係 があ り同 内 容 と看 倣 し 得 る こと 、 の諸 本 が 現 存 す る 。 こ れ ら の 関係 に つ いて加 美 宏 氏 は、 ⑧ 天 理本 と◎ 祈 疇 (重出 ) ・中原 章 房 変 死 事 件 等 の特 異 記 事 を 持 つ。 現 存 本 で は今 ㈹ 内 閣 本 の 巻 一部 分 は㈲ 天 理本 ・◎ 神 宮本 の 巻 一部 分 と は別 系 統 で あ な が ら 、 左 掲諸 本 は 主 に そ の末 尾 に浅 原 為 頼 内 裏 乱 入 事 件 ・中 宮 御 産 川 家本 ・吉 川 家本 、 ま た 現 在 所 在 不 明 の島 津 家 本 (天 理 図 書 館 蔵 ﹃太 る こ と 、巻 一以外 の抜 書 部 分 は㈹内 閣本 ・⑧ 天 理 本 ・◎ 神 宮 本 と も に (1) 平 記 抜書 ﹄ ・ ﹃参 考 太 平 記 ﹄ 等 か ら) ・金 勝 院本 ( ﹃参 考 太 平 記 ﹄ か 同 系 統 で あ る こと 、 ま た ﹃参 考 本 ﹄ の島 津 家 本 の異 文 引 用 は島 津 家 本 る高 橋 貞 一氏 の 説 は 、少 な く と も㈹ 内 閣本 ・⑧ 天 理 本 ・◎ 神 宮 本 には (3) 小 稿 で は島 津 家本 を 対 象 に据 え、 巻 一の特 異 記 事 に つい て 考 え た あ て は ま ら な い こと 、 等 を 明 ら か に し た 。 ﹃太平 記﹄ 享 受 史 研 究 の 一 (2 ) ら )が そ れ で あ る 。 更 に 中 原 章 房 変 死 記 事 の み、 そ れも 非 常 に簡 略 で そ の も の に拠 つた の で は な く 、 右 掲 ﹃太 平 記抜 書 ﹄ の類 に拠 つた と す い。今 川家 本 ・吉 川 家本 は 一応 完 本 と し て整 い巻 一以 外 にも 問 題点 多 (8) は あ るが 米 沢本 ・学習 院本 に も 存 す る。 く 、全 巻 を 通 じ て の 性格 の究 明 は 他 日 を 期 す 。 で間 然 す る 所 が な い。 以 下 、 氏 の 論 に負 い つ つ諸 本 研 究 の立 場 か ら 稿 環 と し て 所謂 ﹃太 平 記 抜 書 ﹄ の 類 を 精 査 し た 加美 氏 の所 論 、 論 旨 明 解 (4) 島 津 家本 と は 、 巻 二十 二を 欠 き 島 津 家 に蔵 さ れ る伝 本 と し て ﹃参 考 を進 め る 。 な お◎ ﹃異本 太 平 記纂 ﹄ は 未 見 で あ るが 、亀 田純 一郎 氏 に (9) 太 平 記﹄ が 引 く 一本 を 言 う が 、 現 在 は所 在 不 明 であ る 。ま だ島 津 家 本 拠 れ ば 総 目 録 付 す 由 、 恐 ら く⑧ 天 理 本 ・◎ 神 宮本 と ほ ぼ同 内 容 であ ろ .り 。 と 流 布 版本 の ﹃太 平 記 ﹄ と を 比 較 し、 主 と し て流 布 本 に な い異 文 箇 所 を抜 き書 き し た も の と し て 、 ㈹ 内閣 文 庫 蔵 ﹃太 平 記 補 閾 ﹄ (以 下 、 内 閣 本 と略 称 ) 受 理) *国 文 学 研究 室(1979年9月30日 2 要 第8号 学 紀 良 大 奈 一、 目 録 か ら (3 1) 致 す る 。参 考 ま で に 巻 一を例 に島 津 家 本 の目 録 を 神 宮徴 古 館本 ・内 閣 文 庫 本 の そ れ と共 に示 す 。 (上 表 ) の 目録 は極 め て接 近 し なが らも 、 5 ﹁無 礼 講 事 ﹂ の ﹁付 ﹂ の 部 分 、内 島 津 家 本 ・神 宮 徴 古 館 本 (玄 玖 本 の 類 )と 内 閣 文庫 本 (南 都 本 の類 ) 本 に拠 つて全 三 十 九 巻 の 目 録 を知 る こ と が出 来 る 。 旧 稿 で簡 単 に触 れ ﹁勅 使 関東 下 向 事 付御 告 文 事 ﹂ ( 島 津 家 本 で は9 に相 当 ) の 章段 名 に 閣 文 庫 本 の 9 ﹁資 朝 俊 基 関東 下 向 事 ﹂ と いう 章 段名 の 有 無 、 同 本 10 (10 ) 島 津 家 本 ﹃太 平 記﹄ は 所在 不 明乍 ら 、幸 な こと に㈹ 天 理 本 ・◎ 神 宮 たが 、注 目 し た いの は ﹃抜 書 ﹄ の類 に みる 島 津 家 本 の目 録 が 、 近 時 長 く ) そ れ ぞ れ に 特 徴 が あ り 、 目 録 の みで も か な り の程 度 伝 本 の系 統 付 いて 目録 の書 き 様 は 、各 系 統 (例 え ば 南 都 本 の類 ・天 正 本 の 類 の 如 ば 細 部 に 至 る ま で完 全 に 一致 す る こと で あ る。 ﹃太 平 記 ﹄ の諸 本 にお の予 測 は、 巻 一を除 いて後 述 す る本 文 検 討 の結 果 と 一致 す る 。 限 り 、島 津 家 本 は神 宮 徴 古 館 本 の系 統 、 即 ち 玄 玖本 の類 で あ ろ う。 こ 両 本 は ﹁付 ﹂ の書 き 様 ま で完 全 に同 一であ る。 従 って 目録 か ら推 す る が 別 類 出 来 る こ と を予 測 さ せ る。 そ の中 で島 津 家本 と 神 宮徴 古 館 本 の お いて小 異 が あ る 。島 津 家 本 ・神 宮 徴 古 館 本 と 内 閣文 庫 本 と は近 し い (1 1) 谷 川端 氏 の 紹 介 に か か る 神 宮 徴 古 館 本 ﹃太 平 記 ﹄ の目 録 と 誤 字 を 除 け け (分類 ) が 可 能 で あ る。 勿 論 、 巻頭 目 録 の章 段 名 と 本 文 中 の章 段 名 ﹃抜 書 ﹄ の類 の今 一つの 問題 と し て ﹃参 考本 ﹄ と の 関係 が あ る。 考 二 、 ﹃太 平 記 抜書 ﹄ と ﹃参 考 太 平 記 ﹂ つけ たり とが く いち が う 例 え ば 野 尻 本 の如 き に は こ の考 え は適 用 出 来 な いが 、 (12 ) 内閣文 庫本 神宮徴古館本は現存諸巻 で判断す る限り巻頭目録 と本文 の章段名 は ] } 2立后御事鮒彫馳 1先代草創事鮒轍鯉軸 3儲 王 御 事 2立 后 御 事 付三位殿局事 が ﹃参 考 本 ﹄ よ り も 成 立 が 古 い こと を お さ え て お けば よ い。 は 元 禄 四年 (一六 九 一年 ) の刊 記 を 持 つ。要 す る に ﹃抜 書 ﹄ の類 の方 神宮徴古館本 1先代草創事鮒鰍糠軸 3儲 王御事 4御 産 御 祈 事 付俊基籠居事 島津家本 2立后御事鮒軒位殿 4御産御祈事鮒騰 5無礼講事付玄恵文談事 一 3儲王御事 5 無 礼講 事 付談義事 (14 ) (15 ) 引 用 者 注 ) によ った も の で あ って 、 四十 巻 の島 に か な った弁 明 を し た た め 、高 時 も そ の理 を みと め た と いう意 味 の異 さ れ 、高 時 の命 を う け だ 工藤 高 景 に尋 問 さ れ た 時 、俊 基 が す こ ぶ る理 の章 名 に よ る) の章 か ら の抜 き 書 き とし て、資 朝 ・俊 基 が 鎌 倉 に護 送 根 拠 に疑 義 を呈 し た。 ﹁巻 一、 資 朝 俊 基 生捕 ノ事 ﹂ ( 天 理 本 ・神 宮 本 津 本 に よ ったも の で は な い﹂ と述 べ、 該 説 に就 き 加美 宏 氏 は次 の例 を 平記抜書 ( 天理本- 高 橋 貞 一氏 は ﹁参 考 本 に島 津 本 の特 異 と し て あげ た も の は、 こ の太 に は延 宝 七 年 (一六 七九 年 ) のそ れ ぞ れ 識 語が あ る 。ま た ﹃参 考 本 ﹄ (一六 六 八年 ) 及 び延 宝 元 年 (一六 七 三 年) の 、㈲ 天 理 本 ・◎ 神 宮 本 4御産御祈事鮒徽鶉 6隠 謀 露顕 事 6隠謀露顕事 7土岐多治見発向事 8資朝俊基生捕 事 察 の便 の た め、 両 者 の成 立 時 に触 れ てお く 。㈹内 閣 本 に は 寛 文 八 年 5無禮講事瓢 8資 朝 俊 基 生捕 事 9資朝俊基関東下向事 τ 先代草創平氏僑 事魏 鰯 6隠謀露顕事 7土岐多治見嚢向事 8資朝俊基生捕事 9告 文 使 立 事付斎藤頓滅事 7土 岐 多 治 見 獲向 事 9告文使立事鮒漁鞭 10勅 使 関 東 下向 事 付御告文事 3 長坂:島 津家本 『太平記』考 文 を載 せ る 。 ﹃参 考 本 ﹄ も 含 め てそ の比 較 を示 す 。 本 ⋮ 工藤 モ實 モト領 納 考 シテ、 立帰 リ、 此 由 参 ⋮工 藤 モ實 ニモト 領納 シ ヲ相 模 入道 二具 二申 天 理 本 ・神 宮本 ⋮工 藤 モ實 ニモ ト 領 納 シ テ、 立 返 リ 、 此由 ヲ相 模 ケ レ ハ、 其 謂 有 ト ヤ 本 テ、 立 返 リ 、 此由 ヲ相 模 入 入 道 二具 二申 ケ レ ハ、其 思 ピケ ン、 少 理 二服 閣 ト ヤ思 ケ ン、少 シ理 二服 ス 謂 有 ト ヤ思 ケ ン、少 シ理 道 二具 二申 ケ レ ハ、其 謂 有 二服 ス ル上 、 此 ︹人 々 ハ 内 ル上 、 此 人 ニ ハ日 比朝 廷 ノ ス ル上 、 此 人 々 ハ倶 ハ、 楮 問 二及 ハス、 優 長 ノ人 ナ リ ケ レ 二朝 廷 ノ近 臣 、 才 學 ニツ ク︺ ト 云 ナ カ ラ 、 世 ノ諸 、君 ノ 放 シ囚 人 ノ様 ニテ、 (天 理 本 翻 刻 58頁 下 ) 近臣 ト云 テ、 才 學優 長 ノ器 御 憤 ヲ揮 ケ ル ニヤ 、傲 問 囚 タ リ シ カ バ、 蛮 夷驕 奢 ノ臣 沙 汰 ニモ及 バズ 、 只尋 常 ノ 侍 所 二預 ク、 云 々、 ( 波線 部 ﹁此 人 々 ( 刊 本 17頁 下 ) 囚 人 ノ如 ニテ、 侍 所 ニソ預 置 レ ケ ル。 (四 ウ ∼ 五 オ) 氏 は ﹁天 理 本 ・神 宮 本 に は 省 略 さ れ て いる 部 分 引 用 者 注 ) も 、 ﹃参 考 太 平 記 ﹄ に は島 津 家 本 か ら 引 用 者 補 ) し て引 か れ て﹂ おり 、 ﹁一方 省 略 さ れ て い ハ﹂ 以 下 を 指 す 1 の引 用 (と 1 な い内 閣本 の 文 と ﹃参 考 太 平 記 ﹄ の引 用 部 分 とを 比 較 し ても 若 干 の相 違 が 認 め ら れ る﹂ が故 に 、 ﹃抜 書 ﹄ の類 1← ﹃参 考 本 ﹄ と い う 関係 は 加 美 氏 説 が 成 立 す る た め に は、 ﹃参 考 本 ﹄ が 諸 本 の 本 文 詞 章 を引 く 等 し く な る と いう 点 であ る。 る。 周 知 の如 く ﹃参 考 本 ﹄ は ﹃太 平 記 ﹄ を あ く ま で 修史 の助 け と し て 際 、 完 全 に正 確 に引 用 す る態 度 を 持 つ、 と いう 前 提 条 件が 必 要 に な 利 用 す る 目 的 で 編 ん だ も の で、 記 事 中 の姓 名 ・官 位 ・年 月 日 ・地 名 ・ 人 数 等 歴 史 的 事 実 に関 す る事 柄 に つ いて は 極 め て 厳密 で あ るが 、 詞 章 の末 節 に な る と 不 完 全 な 引 用 の例 が 散 見 す る 。 従 って前 掲 一例 の み で は 、 ﹃抜 書﹄ の類 1← ﹃参 考 本 ﹄、 の可 能 性 皆無 と言 い切 る に は不 安 が 残る。 該 問 題解 決 の た め に は 、 先 の天 理 本 ・神 宮本 と ﹃参 考 本 ﹄ と の関 係 の如 く 、 ﹃参 考 本 ﹄ が ﹃抜 書 ﹄ の 類 に無 い詞 章 を載 せ る例 を示 す こ と 考 本 藤 實 俊卿 女 ノ御 腹 ナリ 、聖 護 院 四 宮 ハ帥 親 王ト 御 同 胞 ニ テ、 参 ﹁巻 一 儲 王 ノ御 事 ノ段 ﹂ の異 文 のう ち第 四 宮 に つ いて の記 述 。 が有 効である。 内 閣 本 ・天 理 本 ・神 宮 本 第 四 ノ宮 ハ帥 親 王 ノ御 同胞 ニテ御 シ ケリ 、 弟病 ) 是 ハ聖 護 院 ノ覚 助 法 親 王 ノ御 附 第 ニテ ヲ ハ セ シカ バ、 法 水 ヲ三 井 ノ流 二汲 ミ記 荊 ヲ慈 畳 助 親 王 轍麟礁御 附 弟 ナ リ 、 云 ﹃参 考 本 ﹄ 所引 の 島 津 家本 は 右 の如 く簡 略 (恐 ら く は ﹃参 考 本 ﹄ の省 々。 ( 刊 本 7頁 下 ) 略 ) で あ るが 、 ﹁藤 實 俊 卿女 ノ御 腹 ナ リ﹂ ( 傍 線 部 ) と いう 詞 章 を 有 尊 ノ暁 二期 シ給 フ。 (天 理本 翻刻 58頁 上 ) 前 者 の 天 理本 ・神 宮本 と ﹃参 考 本 ﹄ と の関 係 は、 先 行 す るも の に無 少 な く と も 内 閣本 ・天 理本 ・神 宮 本 に はあ て はま ら な い、 とす る 。 い詞 章 を 有 す る と いう 点 で 氏 の指 摘 の と おり であ ろう 。 し か し内 閣 本 理 本 で示 す 。 同 じ く 巻 一 ﹁御 告文 事 井疵 腹 等事 ﹂ の う ち中 宮 御 産 祈 疇 の記 事 を 天 ﹃参考 本 ﹄ と いう考 え で は理 解 出 来 な い。 し、 ﹃抜 書 ﹄ の類 ー← ﹃参 考 本 ﹄ は 詞 章 に 小 異 あ る も の の事 実 経 過 と し て の文 意 に差 な く 、 と ﹃参 考 本 ﹄ と の 関係 に つ い て は少 しく 問 題 が 残 る。 即 ち、 内 閣 本 と 内 閣本 の 詞 章 の 一部 (傍 線 部 ) を 省 略 す れば ほ ぼ ﹃参 考 本 ﹄ の詞 章 に 4 王、 五壇 法 ハ中 壇 ハ座 主尊 嚢 法 親 王、 大 熾 盛 光 法 ハ青 蓮 院 ノ慈 道 法 親 王 、 染乎 中 ニモ如 法 愛 深 明 王 ノ法 ハ御 室 寛 性 法 親 王 、 七佛 薬 師 法 ハ梨 本 ノ承 畳 法 親 尊 皇 王 法 ハ聖 護 院 ノ尊 珍法 親 王、 五大 虚 空 蔵 法 ハ性 圓 法 親 王、 六 字 法 ハ ※ 聖 尋 僧 正 、 金 剛 童 子法 ハ道 照僧 正 、 如 意 輪 法 ハ道 意 輪 法 ハ道 意 僧 正 、尊 勝 法 ハ桓 守 僧 正 一字 金輪 ハ浄 経 僧 正 、 文 殊 八字 ハ親 源僧 正、 普 賢 延 命 鳥 麸 沙 肇 法 ハ蜀瀞 正・如法北斗冥道供等 ハ議 僧馬 ダ 昭訓門院ノ御沙汰ト 云 テ、 如 法 佛 眼 法 ヲ 慈 勝僧 正勤 仕 セ ラ ル、 達 智門 院 ノ御 沙 汰 ト 云 テ ハ准 脹 (16 ) ( 天 理本 翻刻 60頁 上 ) 本 考 巻 一﹁ 資 朝 俊基 生 捕 事 ﹂ (58頁 上 ・下 ) 巻 一﹁ 資 朝俊 基 関 東 下 向 ノ事 ノ段 ﹂ (宣 房忠 節) (58頁 下 ) 巻 一 ﹁御 告 文 事 井疵 腹 等 事﹂ ( 浅原為頼事件) (58頁 下 ∼ 59頁 下 ) 巻 一 ﹁御 告 文 事 井疵 腹 等 事﹂ ( 中 宮 御 産 祈疇 ) (59頁 下 ∼ 60頁 下 ) 巻 一 ﹁御 告 交 事 井疵 腹 等 事﹂ ( 中原章房変死) (60頁 下 ∼ 61頁 下 ) 巻 二十 三 ﹁高 土 佐 守 被 盗 傾 城 事﹂ ( 印本太平記ト 同 シと注 す) (64 頁上 ∼ 65頁 上 ) 巻 三 十 六 ﹁相 模 守 清 氏 隠 謀 露 見 ノ事 ノ段 ﹂ (65 頁 上 ・下 ) 巻十七 ﹁義貞没落事﹂ (硲頁下) 巻 八 ﹁摩 耶 城 合 戦 争 棚酒 辺瀬 川合 戦 事 ﹂ (62頁 下 ) 巻 八 ﹁右 同 ノ内 ﹂ (円 心 の こ と) (62頁 下 ) 巻 八 ﹁三月 十 二日 京 軍 事﹂ (63頁 上 ) 巻 十 四 ﹁箱 根 合 戦 事 付竹 下合戦事﹂ (63頁 上 ・下 ) 巻 十 六 ﹁新 田 義 貞 兵 庫 取 陣 事 付楠 遣 言 ノ事 ﹂ (63頁 ド ) 下 山 )に 易 産 法 ヲ信 耀 僧 正 勤 修 セラ ル 。 考 62楠 頁' 上 金 ・ 剛 ( ※点線部は天 理本 の重複 で誤り、神宮本 ・内閣本 には無 い) 天 理本 の傍 線 部 が ﹃参 考 本 ﹄ で は④ に入 る。 ﹃抜 書 ﹄ の類 1← ﹃参考 本 ﹄ な ら ば わ ざ わ ざ 記 事 順 序 を 変 え た こ と に な る。 し かも こ の場 面 、 各 種 祈 疇 を 担 当 し た 僧 名 列 挙 であ り 、 固 有 名 詞 に敏 感 な ﹃参 考 本 ﹄ の 錯 誤 と は考 え 難 く 、 ﹃参 考 本 ﹄ の引 く 島 津 家 本 は ﹃抜 書 ﹄ の類 に拠 っ た も の で は あ る ま い。 顕 著 な 二例 を 挙 げ だ が 、 こ の他 ﹁巻 八、 三月 十 二 日京 合 戦 事 ﹂ の 異 文 に お いて も ﹃参 考 本 ﹄ は ﹃抜 書 ﹄ の類 に無 い詞 章 を持 つ。如 上 結局 の所 、 内 閣 本 ・天 理 本 ・神 宮 本 に関 す る限 り 、 ﹃抜 書 ﹄ の類 1← ﹃参 考 本 ﹄ と は 考 え ら れ ず 、 加 美 氏 所 説 に首 肯 出 来 る こ と を 確認 し た 。 が 、 未 だ 問 題 は残 る。 しか ら ば ﹃参 考 本 ﹄ 所 引 の島 津 家 本 は島 津 家 参 備 本 そ のも のか ら 直 接 引 用 し たも の か、 と いう こ と であ る 。 以 下 に ﹃抜 ﹃抜 書 ﹄ の類 巻 一 ﹁儲 王 ノ御 事 ノ段 ﹂ 6 頁 上 ・下 、 7 頁 上 ・下 (57頁 下 ∼ 58 頁 上 ) 入巻 る三 こ 、 と終 u n (2) (3) (4) (5) (s) (?) ($) (s) (io) (11) 働 α3) ⑭ ㈲ 書 ﹄ の類 と ﹃参 考 本 ﹄ の異 同 掲 出 箇 所 を 表 示 す る。 (1) 番号 第8号 要 紀 学 良 大 奈 17 頁 上 ・下 18 頁 上 ( 割 注 のみ で 、本 交 引 用 な し) 20 頁 上∼ 22頁 下 8 頁上 ∼ 9頁 上 22 頁下 ∼ 25頁 上 指摘 ナ シ 鵬頁上 卿 頁上 ・下 四頁下∼ 鵬頁上 ㎜頁下 四頁下∼ 痂頁上 玄玖本日姐∼姐頁 玄 玖 本 口 82 頁 玄玖本⇔認頁 玄 玖 本 ⇔ 説 ・謝頁 玄玖本e魏頁 玄玖本e娚頁 玄玖本O姫頁 玄玖本e㎜∼㎜頁 指摘ナ シ 玄玖本㈲謝頁 94 頁 上 ・下 指摘ナ シ 5 長 坂:島 津 家 本 『太平 記 』 考 (16) 指摘 ナシ 指摘 ナシ 指摘 ナシ 巻三十八 ﹁宮方蜂起事付 桃井没落事﹂ (65頁下) 巻 二十三 ﹁大森彦七事﹂ (蜘頁下) 巻 二十 二 ﹁義助参芳野附 隆資卿物語事﹂ ( m頁下) 巻 二十 二 ﹁畑 六郎左衛門 事﹂ ( 餅頁上) 指摘 ナシ ⑰ G8) す。 玄玖本㈲謝頁 ㈲世 田城落事 (翻刻54頁下) とあ り 、 口 ﹁正成 怨 霊 乞 劔 事 ﹂ の 章 段 が ﹃参 考 本 ﹄ ( 流 布 本 ) の ﹁大 の章 の前 に位 置 す る 。 し か し ﹃抜 書﹄ の類 の 目録 の み で ﹃参 考 本 ﹄ の 森 彦 七事 ﹂ の章 段 に相 当 し 、 確 か に 義 助伊 予 下 向 の章 の後 、 義 助 死 去 はあ るが 本 文 を 引 用 す る こ と は不 可 能 な はず で、 や はり 島 津 家 本 の本 如 く 判 断 出 来 たか ど う か は疑 問 で あ り 、 か つ ﹁其 比 ﹂ 以 下 極 く 僅少 で 文 そ のも の を見 て の注 記 引 用 と解 す のが 自 然 であ る。 該 項 も 前 述 加 美 とも あ れ島 津 家 本 の ( 流 布本 に比 し て の) 異 同 箇 所 は十 数 箇 所 で 、 氏 説 補 強 の傍 証 た り 得 よ う 。 ﹃太 平 記 ﹄ のあ の膨 大 な分 量 に比 す る に異 常 に少 な い。 ﹃抜 書 ﹄ の類 (17 ) は ﹁厳 密 な比 校 を施 し た も の で な い ことが 明 ら か であ り 、 又 そ の他 の 巻 でも も っと差 異 が あ る筈 で あ る。﹂ と いう 高 橋 貞 一氏 の説 に耳 を 傾 け ざ るを 得 な い。 で は ﹃参 考 本 ﹄ の島 津 家 本 は何 に拠 った のか 。 一つ 気 に な る の は ﹃抜 書 ﹄ の類 と ﹃参考 本 ﹄ の異 文 指 摘 箇 所 が 殆 ん ど 一致 す る こ と であ る。 即 ち ﹃抜 書 ﹄ の類 1← ﹃参 考 本 ﹄ と いう 直 接 の引 用 関 係 は無 いも の の、 両 者 が 全 く無 関係 に成 立 し た と は思 わ れな い。 膨 大 な ﹃太 平 記 ﹄ の比 較 校 合 を 、 ﹃抜 書﹄ の類 と ﹃参 考 本 ﹄ とが 時 を 隔 て て各 々全 く 独 自 に行 な い、 そ の 結 果 、異 文 指 摘 箇 所 (特 に、 ど こか ら ど こま でを 異 文 と し て示 す か と いう 点 ま で) が 偶 然 一致 し たと 考 え る の は いさ さか 不 自 然 で あ る 。 ﹃抜 書 ﹄ の類 と ﹃参 考 本 ﹄ は何 ら か の 関 係 を 持 つ。 一推 測 と し て次 の如 き 経 緯 の想 定 も 可能 であ る。 ﹃参 考 本 ﹄ 作 成 の た め の諸 本 校 合 時 、 何 ら か の事 情 で島 津 家 本 は長 期 の借 覧 が 許 さ れ のも の に拠 っだ 。 前 掲 03∼ ㈹ の 四項 は流 布 本 に 一致 す る こ とを 本 文 に ﹃抜 書 ﹄ の類 に拠 って知 り 、 そ れ を 参 照 し つ つ本 文 引 用 は島 津 家 本 そ (18 ) ず 、 忽 卒 裡 に比 校 せね ば な ら な か った 。 そ の際 島 津 家 本 の異 文 箇 所 を ㊨義助朝臣死去事付河江城軍事 ● ㈲備後靹軍事 ⇔正成怨霊乞劔 事 e義助朝臣豫州下向事 第 二十四巻 天 理本 ・神 宮本 の 目 録 巻 二十 四 は 七ト云者 アリ、云々、 ( 以下略) (刊本廻頁下) 義助病死段上上、 而云、 其比伊豫國 二希代 ノ不思議 アリ、當國住人大森彦 島津家、北 條家、金 勝院、西源院、南都本、此段出 下 義助下二向豫州 一 段下、 例 えば ㈲ は 巻 二十 三 ﹁大 森 彦 七 事 ﹂ の冒 頭 、 一字下 げ で 次 の 如 く 注 の有 無 及 び そ こか ら 派 生 す る記 事 順 序 に関 す る注 記 で異 文 で は な い。 ﹃抜 書 ﹄ の類 に無 く ﹃参 考 本 ﹄ に みえ る ㎝∼ ㈹ の 三項 は 、 巻 二十 二 で 見落 し あ る や も 知 れ ぬが 、 計 十 五 箇 所 の異 同 を示 す 。 致 し ﹃参考 本 ﹄ は 異 文 と 看 倣 さ な い。 一方 ﹃参 考 本 ﹄ は 、忽 卒 の 調査 類 に あ って ﹃参 考本 ﹄ が 指 摘 しな い⑬ ∼ ⑯ の異 文 は 、実 は流 布本 と 一 六箇 所 、 そ の う ち 十 二箇 所 は ﹃参 考 本 ﹄ の指 摘 に重 な る 。 ﹃抜 書 ﹄ の 記事 分 量 の多 少 は別 に し て ﹃抜 書 ﹄ の類 に拠 れば 島 津 家 本 の異 文 は 十 (19) 6 第8号 要 学 紀 大 良 奈 役 行 者 の事 蹟 )先 ハカ ∼ ル深 慮 ア ツテ楠 ハ此 山 二城郭 ヲ ハ構 ケ ル、矢 石 ノ堅 ニヲイテ、命 ヲ軽 スル、是忠貞ヲ重 スル ユヘナリト云事 ヲ知 (中 略- でな い と いう 事 情 を考 慮 す れば 、斯 く推 す る こと も 強 ち 的 はず れ で も よ って確 認 除 外 し た。 南 都 本 ・天 正本 等 と 違 い、島 津 家本 は 水 府 所 蔵 夫 氏 の剴 切 な 紹 介 が あ り な る べく 重 複 は避 け た い。 (23 ) の大要 に つ い ては 、 島 津 家 本 と 殆 んど 同文 の吉 川 家 本 に拠 って矢 代 和 巻 末 の特 異 記 事 (4 ●﹁ 0 ●ρ 0) を 中 心 に述 べる 。 な お ω告 文 先 例 以 下 (22 ) 以 下 は 島津 家 本 の巻 一の異 文 に つ いてだ が 、構 想 上 問 題 と思 わ れ る 四 、 巻 剛に つ い て 所 謂 流 布本 の生 成 ・系 統 を 考 え る 上 で の 一指 標 と な ろう 。 い 〃楠 、金 剛 山 の こと " の異 文 が 、 一部 の古 活 字 本 に残 存 す る こと は 古活 字本 によ って確 認 でき る。流 布本 の前 段 階 と さ れ る梵 舜 本 にも無 る 。 こ の こと 寓 目 し た 西 尾 市 立 図 書館 蔵 慶 長 十 五年 片 仮 名 交 り 十 二行 と す るが 、 古 活 字 本 は 章 段 を改 め て ﹁楠 構 金 剛 山 城 由 緒 事 ﹂ と 立 項 す 類 は 玄 玖本 の類 と 同 じく ﹁桜 山 自害 事 ﹂ の章 段 に続 け て ﹁其 後 ⋮ ⋮﹂ ・天 正本 の類 及 び 一部 の古 活 字本 に の み存 す る。 毛 利 家 本 ・天 正本 の (21 ) と ころ で該 記 事 は多 く の伝本 に無 く、 僅 か に玄 玖 本 の類 ・毛 利 家本 可 能 性 が 強 い。 成 の そ の後 を 語 る 後 日 諏 で 、 そ の 位 置 ・記 事 内 容 から し て増 補 記 事 の 城合 戦 事 付楠 偽 落 城 事 ﹂ に連 接 し 、自 害 を装 って赤 坂 城 か ら 逃 れ た 正 金 剛 山 に 城 を構 え た 話 は 、 文脈 と し て は ﹁桜 山 自 害 事 ﹂ の前 の ﹁赤 坂 を区 切 る こと な く 続 いて お り いさ さ か の唐 突 さ は否 め な い。 即 ち 楠 が あ る 。 ﹁其 後 ﹂ 以 前 の部 分 は ﹁桜 山 自 害 事 ﹂ の文 末 で、 楠 の話 は 章 段 役 行 者 が 住 んだ 霊 地 を要 害 に 選 んだ 楠 正成 の深 謀 遠 慮 を 称 え る 一節 で (翻刻 62頁) ケリト テ、正成 力武略 ヲ讃 ヌ者無 リケリ、 島 津 家 本 そ のも のが 所 在 不 明 で あ る 以 上 、 あ く ま で傍 証 に よ る考察 あ るま い。 に とど ま るが 、 ﹃抜 書 ﹄ の類 と ﹃参考 本 ﹄ の 関係 に つ いて は 以 上 の如 く 考 え る。 三、 巻 三以 降 に つ い て (19 ) ﹃抜 書 ﹄ の類 が 島 津 家 本 の異 文 と し て 挙げ る も の の う ち 巻 一以 外 の 部 分 、 即 ち前 表 の∼ ㈲ の 十項 の異 文 を 玄 玖本 と 比 較 す ると 、 詞 章 の極 く微 細 な異 同 はあ るも の の 殆 んど 一致 し 玄 玖本 の 系 統 に 最 も 近 い。 例 示 は略 す が 前 表 備 考 欄 に相 当 頁 を 示 す 。 僅 か 十 箇 所 の異 文 で島 津 家 本 巻 三 以降 が 玄玖 本 系 統 の本 交 を 有 す ると の速 断 は 許 さ れ な いが 、 掲 出 部 分 に お いて は 玄 玖本 系 統 と 言 え る。 し か し島 津 家 本 が 玄 玖 本 系 統 で あ った な ら ば ﹁そ の 他 の 巻 で も も っと 差 異 が あ る筈 ﹂ で、 ﹃抜 書 ﹄ の 類 の 異文 も全 巻 を詳 し く比 較 し た と は 考 え 難 い。 例 え ば 玄 玖 本 系 統 伝 本 に お いて は 巻 二十 七 ﹁雲 景 未 来 記 事 ﹂ を欠 く こと が 一つ の特 徴 であ る 。仮 令本 文 を 見ず と も 、 ﹃抜 書 ﹄ の類 付 載 の島 津 家 本 目 録 か ら あ る 程度 そ の こと は推 測 可能 に も か か わ らず 、 ﹃抜 書 ﹄ の 類 ・ ﹃参 考 本 ﹄ とも 島 津 家 本 の ﹁雲 景未 来 記事 ﹂ の 有無 に は 触 れ な い。 掲 出 異文 十箇 所 の う ち 、 巻 三 の 末 尾 の 〃楠 、金 剛 山 由 来 の こ と" 以 外 は さ し て 言 及す べき点 な い。 ( 前略)今生 ノ逆罪 ヲ翻 テ當来 ノ値遇トヤ成 リ給 ヌラント是 モ頼 ハ浅カラ (20 ) ス、 其 後楠 ハ宗 徒 ノ 一族 等 二相 談 シ テ、紀 伊 ト河 内 ト ノ堺 金 剛 山 ト 云山 ニ ソ入 ニケ ル、 此山 ト申 ハ山 伏 巡 礼 ノ峯 、大 峯 葛 城 者 頂 ナリ 、 霊験 ノ由 来 ヲ 尋 ヌ レ ハ、昔 シ文 武 天 皇 ノ御 宇 二霊 異 ノ行 者 アリ 、 役 ノ優 婆 塞 ト ソ申 ケ ル 7 長坂:島 津家本 『太平記』考 ω儲 王御 事 (24 ) 他 本 にも 在 る後 醍 醐 天皇 の 主 な皇 子 に関 す る 記 述 であ るが 、 内 容 的 に は他 本 と は か な り 異 な る 。 加 美 氏 は 島津 家 本 の記 述 は 他 本 よ り 史 実 な役 割 を 果 た す 登 場 人 物 で、 巻 一開 巻 早 々の構 想 に は そ ぐわ な い。 内 う 理 由 、 即 ち 歴 史 的事 実 を 補 な う 意 味 で増 補 し たも の であ ろう 。 閣 本 は そ う し た事 情 を 別 にし て 、 こ の三 人 も後 醍 醐 の皇 子 であ る と い ㈲告文先例 他 本 巻 一は 日 野 俊 基 赦 免 、 資 朝 佐 渡 配 流 で終 わ るが 、島 津 家 本 は そ (25 ) に近 いと考 え ら れ る が 、 文 章 接 続 の不 自 然 さ か ら 後 の増 補 記 事 と 看 倣 の後 に告 文 を 鎌 倉 に持 参 し 高 時 の怒 り を 鎮 め た 万 里小 路 宣 房 が、 そ の 母0 は 関 与 し な い旨 の誓 言 を 関 東 へ遣 し た こと 、 九月 亀 山 院が 出 家 し た こ は 逸早 く のが れ た こと 、 中 宮 付 の侍 (長) 景政 が 防 戦 負 傷 した こと 、 と 等 、事 実 経 過 に関 す る記 述 はす べ て ﹃増 鏡 ﹄ に 一致 す る 。注 意 し た 記 述 は な い。 ﹃太 平 記﹄ 諸 本 は 直前 の ﹁立后 御事 付 三 位 殿 御局 事 ﹂ の 専 横 を ﹁奈 何 ニセ ン、 傾 城 傾 国 ノ乱 レ今 二在 ヌト 覚 テ、 浅 猿 カ リ シ事 い のは 、 亀 山 院 の出 家 を 事 件 後 の秋 九月 と す る こと で、古 典 大 系 本 嫌 疑 か か り 六波 羅 に召 捕 ら れ た こと 、 亀 山 院 にも疑 いが 及 び院 は自 ら 共 ナ リ﹂ と 批 判 す る 。 ﹁儲 王 御 事 ﹂ は 諸 皇 子 の資 質 優 れ る こ と を 記 ﹃増 鏡 ﹄ 頭 注 が 指 摘 す る如 く史 実 で は院 の出 家 は 前 年 の 秋 、 即 ち 正 応 浅 原 等 が 切 腹 の上 、 腸 を 繰 り 出 し て 死 んだ こと 、 三条 宰 相 中 将 実 盛 に し 、 そ れ を ﹁誠 二王 業 再 興 ノ運 、 福 柞 長 久 ノ基 ﹂ と称 え る 。従 って 批 二年 九月 七 日 の こ と であ る。 島 津 家 本 は ﹁歎 而 飴 リ多 ク 悔 テ益 ナ シト 章 段 で後 醍 醐 天 皇 の後 宮 の こと を叙 し 、 西 園 寺 実 兼 女 中 宮 嬉 子 に寵 無 判 的 に 描 か れ る廉 子 の腹 に生 ま れ た諸 皇 子 の こ と を書 か な いの は構 想 (27 ) 上 当 然 と も 言 え る。 更 に右 掲 三皇 子 は 南北 朝 分 裂 の こ ろ に な って重 要 く 、 そ れ と対 照 的 に 阿 野廉 子 が 帝 愛 を 専 ら にし た と いう 。 そ し て廉 子 の概 要 は 殆 んど 同 じ で あ る 。武 士 三 、 四人 が 宮 中 に乱 入 した こと 、 帝 事 と比 較 す る 。部 分 的 に記 事 の精 粗 ・微 細 な相 違 は あ るも の の、 事 件 で は な い。 こ こ で は最 も 詳 し い ﹃増 鏡 ﹄ 第 十 一 ﹁さ しぐ し ﹂ に み る記 内 侍 日記 ﹄ ・ ﹃増 鏡 ﹄ 等 に も 見 え 、島 津 家 本 の みが 伝 え ると いう わ け 皇 居 乱 入 と いう い さ さ か衝 撃 的 な こ の事 件 、 ﹃保 暦 間 記 ﹄ ・ ﹃中 務 御 誓 言 ノ 一句 ヲ載 テ関 東 へ下 ﹂ す に い た る。 山院 ( 申 院 ・大 覚 寺 統 ) にも 疑 いが 及 ぶ。 そ こで 院 は コ 紙 ノ天 書 二 事 の背 後 には 大 覚 寺 ・持 明 院 両 統 の皇 位 継 承 にか ら む 確執 が あ り 、亀 内 裏 へ乱 入 、 伏 見 天 皇 襲 撃 を 企 図 し たが 、 果 た さず 紫 辰 殿 に て自 害 。 正 応 三 年 (一二九 〇 年 ) 三月 十 日、 浅 原 為 頼 父 子 三人 、 郎従 二人 が て の先 例 で あ る 。 す べき部 分 が あ る と す る 。 と ころ で内 閣 本 は 天 理 本 ・神 宮 本 に無 い恒 前 坊 。 上 野 太 守 。 征 夷 大将 軍 。建 武 三十 一十 四 立 坊 。 母同。 前 坊 。 元 弘 四 正 廿 三 立坊 。 母准后新待賢門院。 本朝皇胤紹運録 良 ・成 良 ・義良 三親 王 に関 す る 記 述 を 持 つ。 内 容 を 要 約 す ると 共 に参 (2 6) 閣 本 功 によ り 大納 言 に転 じた 記 事 () 3() を の せる 。本 項 は そ の告 文 に つい 内 考 ま で に ﹃本 朝 皇 胤 紹 運 録 ﹄ の記 述 を 示 す 。 子 名 恒良親 王 准 后 廉 子 腹 。元 弘 四年 正 月 廿 三 日 立 坊 。建 武 三年 十 月 北 国行 。 皇 成良親王 同 腹 。 建 武 三 年 十月 冠 礼 。 吉 野 に伴 な う 。 南 朝 の 天 子。 働 同 腹 。尊 氏 の沙 汰 と し て建 武 三 年 十 一月 十 四 日立 坊 。 先 帝 吉 野 出 奔 の時 、 廃 す 。 義良親王 ( 九村 後 七上 代天皇) 云多 何 れも 准 后 阿 野 廉 子 ( 新 待 賢 門 院) 腹 で あ る 。 他本 、廉 子 腹 の皇 子 の 同号 陸 。 二奥 後太 村守 上 。 天於 皇 一ご 南 8 第8号 要 紀 大 学 良 奈 テ 、中 院 ハ御 歳 四十 八 ト申 シ \其 秋 九月 七 日花 ノ飾 ヲ落 シ、 禅林 寺 ノ (28 ) 幽 跡 二御 蟄 居 有 テ遂 二桑 門 ノ禅 室 ﹂ に入 った 、 と 記す こ と か ら 明 ら か 示 す も の であ る。 告 文 先 例 の 大尾 は 次 の如 く 結 ぶ。 去 ハ今 又 御 告 文 ヲ下 サ レ 一旦武 臣 ノ欝念 ヲ解 レ シ コト、 彼 御 嘉 燭 ナ ラ ン。 君乎 然 ハ今 ノ御 隠 謀 モ若 叡 上 ヨリ出 ハ彼 御 遺 恨 ヲ散 セラ レ、 此 御 餓 執 ヲ資 奉 ラ な よ う に事 件 と出 家 に 因 果 関 係 あ り と 看 倣 す 。 こ れ は ﹃増 鏡 ﹄ も 同様 であ る 。 こ の両 者 に共 通 す る 虚 構 は 全 く 無 関 係 に な さ れ たも の であ ろ (翻刻 59頁下) ン為 ノ御配立 ナルベ シ。カクテ関東 モ暫憤念 ヲ休 シ上 ハ、世上 モ今 ハ隠 ナ 宮 ハ御 懐 妊 ノ疑 御 スト聞 ヘ シカ バ、 御 祈 疇 ノ数 々兼 日 ヨリ 定 メ修 セラ しか る に島 津 家 本 巻 一は更 に続 く。 ﹁嘉 暦 二年 ノ春 夏 ノ比 ヨリ 、中 ㈲御 産 祈 祷 る べき であ る。 津 家 本 の異 文 が増 補 さ れ た も の に し ても 巻 一は 構 想 上 こ こで 区 分 さ れ も終 結 の文 辞 に相 応 し い。 正中 の乱 に関 す る叙 述 は こ こで 終 わ り 、島 即 ち 関 東 の怒 り も 鎮 ま り 世 上 も 平 和 に な った と いさ さか 楽 観 的 な が ら リシカ バ、万人王化 二誇 リ 一天無 事 二楽 ム。 う か 。 ﹃増 鏡 ﹄ i← 島 津 家本 と いう速 断 は 控 え た いが 、 事 実 関 係 が 一 致 す る こ とも 併 せ考 え れば 、少 な く と も 両 者 の拠 った 資 料 に共 通 す る も のが あ った と は言 え よ う 。 ﹃増 鏡 ﹄ の方 の叙 述 が詳 し い部 分 は 、 乱 入 し た 武 士 に 主 上 の居 所 を 問 わ れ た 際 、 別 の方 角 を教 え た女 房 の機 転 が 主 上 の命 を 救 った こと 、 浅 原 父 子 三 人 の自 害 を 、 夜 の御 殿の御 しとね の上にて、浅原自害 しぬ。太郎なりける男 は、南殿 の ル﹂ で始 ま る中 宮 御 産 祈 疇 の記 事 であ る。 この 記事 は 今 川 家本 ・吉 川 しけ れ ど も 、 さ すが に、 あ ま た し し の下 に ふ し て、 寄 る 者 の 足 を斬 り く 家 本 で確 認 でき る よ う に ﹁儲 王御 事 ﹂ の次 章 段 に既 出 で あ り 、 ﹃太 平 御帳 の内 にて自害 しぬ。弟の八郎といひて十九になりけるは、大床子 のあ ( 大系本謝頁) てから めん とすれば、かなはで自害す とても、腸をば みな繰り出し て、手 にぞ持たりける。 的 には 嘉 暦 元 年 (二 ご二 六年 ) が 正 し い。重 出 分 で あ る島 津 家 本 の記 二年 ) 春 の事 と し、 正 中 の乱 の前 提 と し て 虚構 す る 。周 知 の如 く史 実 述 は 、 し か し 前 出 分 に比 し 一層 詳 細 で約 三 倍 程 の分 量 を持 つ。 大 き な 記 ﹄ の章 段 と し て は重 出 で あ る。 諸 本 、 前 出 部 分 は 元亨 二年 (一三 二 特 徴 は各 種 祈 濤 の種 類 とそ の担 当 僧 名 を列 挙す る こ と 、妊 者 の産 時 を の如 く 個 別 に詳 述 す る こと 、 浅 原 は 三条 宰 相 家 に伝 わ る 鯨尾 な る 刀 で に比 べか な り詳 し く 、 依 拠資 料 ・情 報 の存 在 を思 わ せ る。 大 系 本 の補 院 に告 げ た こと 、 等 で あ る。 こ のあ た り の宮 廷 関 係 の叙 述 は島 津 家 本 過 ぎ て も そ の 兆 候 見 え ず 諸 人 のき び し い批判 が あ った こ とを 詳 述 す る 自害 し た こと 、 西 園 寺 公 衡 が 事 件 の背 後 に亀 山 院 が 在 る こ と を後 深 草 注 三 二 五 が ﹁島 津 本 等 の 記 述 が 、 増 鏡 を 参 考 に した も の か 、 あ る い こ と の 二点 で あ る 。 (2 9) る如 く、 ﹃増 鏡 ﹄ ( 或 いは そ の資 料 ) ー -V島 津 家 本 、 と いう 方 向 は 確 は 、 増 鏡 の資 料 と し た 記 録 に よ った も の か は 、 は っき り しな い﹂ とす 一方 、 島 津 家 本 は大 覚 寺 ・持 明院 両 統 の 確 執 の原 因 ・歴 史 、 及 び そ 後 に 関東 調 伏 の 意 図 あ り と は 記 さず 、島 津 家 本 と の姿 勢 の差 異 は 明 ら 島 津 家本 の 依 拠資 料 の 共 通 性 が窺 え る 。 但 し ﹃増 鏡 ﹄ は こ の祈 疇 の 背 す る 。例 え ば 引 用 は 省 く が 僧 名 は 殆 んど 重 なり 、 こ こ でも ﹃増鏡 ﹄ ・ (30 ) こ の 記事 も ﹃増 鏡 ﹄ 第 十 五 ﹁む ら時 雨 ﹂ 冒 頭 の記 事 と内 容 的 に相 似 れ に関 東 の意 志 が から む 皇 位 継 承 問 題 に か な り の 字 数 を費 す 。 両 統 対 か だ ろう 。 立 の歴 史 を 物 語 り 、 そ の中 に告 文 の先 例 を位 置 づ け よ う と す る姿 勢 を 9 長坂:島 津家本 『太平 記』考 かである。 嘉 暦 二年 (= 二二七 年 )、 (史 実 は 嘉 暦 元 年 で 一年 ず れ る ) と 言 え ば 、 正 中 の 変 (正 申 元 年 H = 二二 四年 ) と、 巻 二冒 頭 の南 都 北 嶺 行 幸 (元 徳 二年 11 一三 三 〇 年 ) の中 間 年 で、 こ の記 事 は巻 二以 降 の元 弘 の 乱 前 夜 の朝 廷 の情 勢 を 描 く も の と し て位 置づ け る こ とが 出 来 、 そ の 意 味 で は 史 実 的 な 裏 付 け も あ り 、 軽 々 に重 出 と は片 付 け ら れ な い存 在 で あ る。 構 想 上 の つなが り を考 慮 す る な らば 、 巻 二は こ の記事 か ら 説 き 起 こ さ れ る べき であ ろ う 。 ㈲章 房 変 死 元 徳 二年 (=三 二〇年 ) 四月 一日 の こと 、 時 折 降 る小 雨 を つい て清 水 寺 に参 詣 し た 大 判事 中 原 章 房 はそ の帰 途 、 西 の大 門 に お いて旅 人 風 の何 者 か に斬 殺 さ れ た 。 子 息 章 兼 ・章 信 等 によ る犯 人 探 索 の結 果 、名 誉 の悪 党瀬 尾兵 衛 太 郎 一味 の犯 行 と断 定 、 彼 ら の隠 れ家 を急 襲 、 つ い に 父 の仇 を 討 つ。 章 房 は朝 廷 の信 あ つく、 た め に後 醍 醐 か ら 討幕 計画 の 相 談 を 受 け た が 、 彼 は事 の無 謀 を き び し く諌 め た 。重 大 事 を 漏 ら し た も の の、 却 って章 房 の反 対 に あ った こ と を 恐 れ た帝 は 、密 か に平 成 輔 に命 じ刺 客 を送 った と い う の で あ る 。 血 腹 漂 う 、 そ し て非 常 に醜 悪 な事 件 で あ る が 、島 津 家 本 は これ を 刻 明 に伝 え る。 例 えば 、息 章 信 等 が瀬 尾 を 討 ち と る 場 面 。 犯 人 瀬 尾 の居 所 を つき と め 、 そ こ を包 囲探 索 す る が 雑 人 一人 と し て おら ず 、 塗 籠 を 破 り 板 敷 の下 ま で探 し て も 発 見 で き な い。 し か し 瀬 尾 が 外 出 し た様 子 も な い。 コモ 此上 ハカナク返 ント スル庭 二、心トキ者走返テ薦天井構 ヘタルヲミアケ ル ニ、 人 ノ衣 裳 ノ妻 ス コ シ見 ヘケ レ ハ、 サ レ ハコソ ト肝 付 テ、 先 長 刀 ニテ薦 天 井 ヲ ハネ ヤ フ ル ニ、 忽 チ人 コソ隠 レ イタ リ ケ レ。 着 物 の褄 が 僅 か に のぞ い た の で そ こ に人 が隠 れ て いる と 判 断 し た と い う 。非 常 に真 に迫 った 描 写 で 、 実 見 で は な いに し て も事 件 の当 事 者 か ら で な く て は 伝 え 得 な い状 況 で あ る 。 (31 ) マ マ 該 事 件 に つい ては 史 料 が 少 な く 、 僅 か に ﹃常楽 記 ﹄・﹃東 寺 執 行 日 ( 元 徳 二年 ) 記 ﹄ が 略 記 す る にと ど ま る。 後 者 を 引 く 。 ・四月 一日、 章 房 於 清水 寺 被 打 了 、 了、被打執仁、名誉悪党 セノヲト云者也、敵人之段、実否未治定者鰍、 。五月 十七日、章房嫡子章兼、号父親敵人、於白河被打執了、 一人 召 執 島 津 家 本 の 記述 と 矛 盾 は な いが今 一人 を 生捕 り に し たら し い。 こ こで も ﹁名 誉悪 党 セ ノヲ﹂ と あ り 、当 時 名 高 い男 だ った のだ ろう 。 な お 米 沢本 は 他 本 と 同 様 に日 野 資 朝佐 渡 配 流 の こ と ( 但 し米 沢 本 は 本 問 山 城 入道 に預 け た と す る) を 記 した 後 、 ㈹ ・ω ・㈲ の 記 事 は 無 (32 ) く 、 ﹁主 税 判 官 章 房 依 勅 定 申 留 被 詠 事 ﹂ と 題 す る 章段 を設 け、 章 房 変 死 の こと を 略 述 す る。 島 津 家 本 に比 し非 常 に簡 略 で 、 章房 殺害 場 面 及 び 瀬 尾 追 討 の記 事 は無 い。 僅 か に主 上 に諌 言 す る条 の みが あ り 、 た め に殺 さ れ た とす る 。章 房 諌 言 の部 分 は島 津 家 本 と殆 ん ど 同 文 で 、米 沢 本 の本 章 段 は お そ ら く島 津 家 本 か ら の抄 出 に よ って成 ると 見 る べきだ ろう 。 章 房 変 死 は元 徳 二年 四月 一日 、 そ の直 前 の 三月 に後 醍 醐 は南 都 北 嶺 に行 幸 し て いる 。 討 幕 の挙兵 に備 え て山 門南 都 の大 衆 を御 方 に引 き 入 れ ん が た め で あ る。 (巻 二 ﹁南 都 北 嶺 行 幸事 ﹂ ) 目 的 は とも あ れ主 上 行 幸 と いう 表 面 上 は 盛 儀 の背 後 に、 近 臣 を も 暗 殺 せ ね ば な ら な か った と いう 討 幕 派 の重 苦 し い状 況 が 在 ったわ け で 、島 津 家本 は そ こ か ら目 を そ む け な い。 身 の危 険 をも 顧 みず 諌 言 す る廉 直 の士 は ﹃太 平 記﹄ の 好 ん で描 く 所 、 章 房 に は後 に登 場 す る万 里 小 路 藤 房 の相 に通 う も のが あ る。 後 醍 醐 に対 す る再 三 の諫 言 を容 れら れ なか った藤 房 の遁 世 と 共 10 第8号 紀 要 学 良 大 奈 に西 園寺 公宗 謀 反 ー (33 ) 中 先 代 の乱 が 生 起 す る ( 巻 十 三) 如 く、 章 房 変 死 は後 醍 醐 及 び そ の周 辺 の 強硬 的 討 幕行 動 の顕 然 化 を予 告 す るも の と か譜 いは島 津家本 の 翼 面暴露的L記事 の他見禽 ったのか・ 更 に は ま た 別 な 理 由 が あ る のか 、 今 は疑 問 を 残 す ば か り で あ る 。 余 の年 月 が あり 、 こ の 間 に も様 々 な重 要 事 件 が 発 生 し て いる が 、 ﹃太 正中 の変 (一三 二四 年 ) と 元弘 の乱 (一三 三 一年 ) と の問 には 六年 び ﹁俊 明 極 来 朝 参 内 事 ﹂ に お いて 、元 徳 二年 の 春 、 元 よ り 来 朝 し た 俊 明 平 記 ﹄ は そ れ ら を史 実 ど お り に は描 か な い。 ﹃太 平 記 ﹄ に み る 正中 の 五、結 極 が 参 内 し 、 官 人 章 房 に は天 亡 の相 あ り と 予 言 す る 場 面 、 ムユ 箇 所 は さ て他 本 の中 原 章 房 に 関 す る 記述 に少 し く触 れ る 。 天 正 本 の類 巻 四 言 えよ う 。 同 じ く 天 正 本 の類 巻 十 三 ﹁石 清 水 行 幸 事 ﹂ に お いて供 奉 の人 数 の中 に 変 は、 ﹃太 平 記 ﹄ の世 界 の中 で再 構 成 さ れ 、 元弘 の 乱 の方 向 に引 き 寄 (3 4) ﹁勢 多 判 官 章 房 ﹂ の名 が 見 え る条 であ る。 後 者 は建 武 元 年 九月 二 十 一 (42 ) の歴 史 を物 語 り 、中 宮 御 産祈 濤 ・中 原 章 房 変 死 では 後 醍 醐 の 討幕 計 画 に 生 起 し た事 柄 を丹 念 に 描 く 。告 文 先 例 では 持 明 院 ・大 覚 寺 両 統 確 執 と ころ が 見 て 来 た島 津 家 本 ( 吉 川家 本 ・今 川 家 本 も ) は 両事 件 の間 (41 ) せ て書 か れ る 。ま た 日付 の操 作 によ って両事 件 の 間 の空 白 期 間 を減 じ (35 ) 日 の こと 、 既 に章 房 は故 人 で ﹃参 考 本 ﹄ (謝頁 上 ) が 疑 問 を 呈す る如 緊 迫 性 を 高 め る姿 勢 も 窺 え る。 こう し て ﹃太 平 記﹄ は巻 一 の 正 中 の (36 ) く誤 り で あ る 。 こ の章 房 は ﹃大 日本 史 料 ﹄ 第 六編 之 一の 同 日条 所 引 の (8 3) 変 、 巻 二以 降 の元 弘 の乱 と そ れ ぞ れ に 虚構 を 混 え つ つ緊 密 な 構 成 を 作 り あげ る 。 (37 ) ﹃太 平 記﹄ 割 注 の言 う ﹁章 兼 ﹂ が 正 し い。 章 兼 は 、建 武 元 年 八 月 の ﹁雑 訴 決 断 所 結番 交 名 ﹂ 第 五番 に ﹁勢 多 大 判 官 章 兼 ﹂ と見 え る。 天 正 本 の類 巻 十 三 の 記 述 は 父 章 房 と 混 同 し だ のだ ろう 。 巻 四 の記 事 に つ いて 、俊 明 極 の来 日 は 史 実 で は 元 徳 元 年 春 、 参 内 は そ の 六月 。 天 正本 の類 より は 一年 早 く な る が 章 房 天 逝 の予 言 のた め に み る 章房 変 死 記事 と 呼 応 せし め て こそ 、 は じ め て意 味 が 生 じ る の だ く 唐 突 で 、 し か も そ の予 言 の当 否 も 不 明 であ る 。即 ち島 津 家 本 巻 一に 一箇 所 の みで あ り 、 章 房 に天 亡 の相 あ り と記 さ れ て も読 者 と し て は 全 章 房 に関 す る記 述 が 見 え る の は前 述 巻 十 三 の誤 り の条 を 除 け ば 、 こ こ の で は な く 、 血 塗 ら れ た 暗 い歴 史 を も背 負 って存 在 し た こと を 訴 え る 描 く ので は な い。 "討 幕 " と いう こと が単 に 一天 皇 の思 い つき によ る 的 ﹂ にな った と 言 え る。 他 本 のよ う に後 醍醐 の倒 幕 行 動 の上 辺 の みを の結 果 は自 然 と ﹁大 覚 寺 一統 に対 し て か な り裏 面 暴 露 的 で あ り 批 判 件 の空 白 期 間 の歴 史 的 事 実 を補 な う と いう 意 図 が在 った に し ても 、 そ 川 家 本 は ﹁為 明卿 歌 事 ﹂ ま で を巻 一に含 め ると いう 。 正中 ・元 弘 両 事 (43 ) の高 揚 を 記 し 、 そ の ま ま 巻 二の記 事 に連 接 し て 不 思 議 で な い。現 に吉 が 、 天 正本 の 類 に そ の記 事 な く 矛 盾 と ま で は言 えな い に し ても 不 自 然 のだ 。 不 都 合 はな い。 明 極 予 言 の史 実 的 有無 は と も か く 、 天 正 本 の類 で 中 原 と 言 う他 な い。 天 正 本 の類 の 著 述 者 は島 津 家 本 巻 一の如 き 記 事 にも 目 記 ﹄ の中 に消 化 さ れ て おり 異和 感 は全 く無 い。 巻 一の諸 記 事 は増 補 と 以 上縷 縷 述 べ来 った島 津 家本 の 異文 は、 しか し交 体 と し て は ﹃太 平 (44 ) を 通 し た はず で 、 で な け れ ば 巻 四 の 予 言 は あ り 得 な い。 周 知 の如 く 、 天 正本 の類 が 歴 史 的 事 実 を補 な う傾 向 を持 つ伝 本 であ る にも か か わ ら 看 徹 さ れが ち な本 文 を有 す るが 、 ま た 案 外 に 諸本 の本 文 が 未 だ 定 着 し (39 ) る物 理 的 因 由 か、 そ れ と も天 正本 独 自 の著 述 構 想 に そ ぐ わ な い た め ず 、 島 津 家 本 に み る よ う な 記事 を取 り 入 れ な か った の は 何 故 か 。単 な 長 坂:島 津 家 本 『太 平 記 』 考 11 切 ら な い流 動 的 な状 態 で あ っだ こ ろ の 相 を も 残 存 し て いる のか も し れ な い 。現 存 巻 一が か な り 大幅 な改 訂 を 経 た も ので あ る と いう考 え は ほ ぼ 定 説 化 し て いる が 、島 津 家 本 の 特 異 記事 が そ の改 訂 以 前 の も ので は な い と いう確 証 も ま た無 い。 そ う考 え れ ば 、 ﹃太 平 記﹄ と の文 体 の同 一性 、天 正本 巻 四 の 不 自 然 な 記事 の 問 題 の解 決 の道 も 生 じ よ う 。 し か し、 す べて こ れ想 像 に係 る の み で あ る 。 ﹂ (﹁太 8 9 れ てー ﹂ (﹁学 苑 ﹂ 謝 号 、昭 和 46年 9月 ) 高 橋 貞 一 ﹁太 平 記 諸 本 の 研究 ( 続 ) ﹂ (﹁京 都 市 立 西 京高 等 学 校 研 究紀 、 7月 ) 29頁 。 な お同 18 頁 に 拠 れば 該 書 は彰 考 館 交 庫 所 蔵本 の謄 写 の由 、 亀 田純 一郎 ﹁太 平 記 ﹂ (﹁岩 波 講 座 日 本文 学 ﹂ 第 十 四 同 配本 、 昭 和 7年 要 ﹂ 5号 、 昭 和 3 3年 7月 ) 49頁 。 、 昭和 50年 8月 ) 拙 稿 ﹁太 平 記 の伝 本 に関 す る 基礎 的 報 告 ﹂ (﹁軍 記 研 究 ノー ト﹂ 5 号 、 85頁 ) 彰 考 館 本 は 焼 失 し た 。 (﹃彰 考 館 図 書 目録 ﹄ 昭 和 52 年 11月 、 八潮 書 店刊 。 10 、 長 谷 川端 ﹁神 宮 徴 古 館 蔵 太平 記 の位 置 に つい て﹂ (﹁中 京大 学 文 学 部紀 全 四 十巻 のう ち 、 巻 十 ・十 五 ・二十 二 ・二 十 三 ・二十 四 を欠 く。 要 ﹂ 11 巻 3号 、 昭 和 52年 3月 ) 11 、 1918171615141312 とも あ れ 、 ﹃参考 太 平 記﹄ 以後 杳 と し て 行 方 の知 れ ぬ この 島津 家本 覚 え書 きー あ る いは そ の転 写本 の出 現 を夢 み つ つ、 蕪 雑 な 稿 を 終 え る 。 注 1、 未 見 。矢 代 和 夫 ﹁ ﹁章 房 変 死﹂ 記 事 に つい て1 ﹂ (﹁人 文 学 報 ( 東 京 都 立大 学 ) ﹂ 96号 、 昭 和 48 年 3月 ) に拠 る。 対 校 本 .今 川 家本 .太 平 記 補 平 記 研 究 ﹂ 2号 、 昭 和 47年 7月 ) に拠 る。 閾ー 2、 未 見 。矢 代 和 夫 ﹁醐鯛叔太 平 記 の紹 介 - 3、 高 橋貞 一 ﹁太 平 記 諸 本 の研 究 ﹂ (﹁京 都 市 立 西 京 高 等学 校 研 究 紀 要 ﹂ 3 号 、 昭 和 28 年 7月 ) に拠 れ ば 豪 精 本 にも ﹁中 原 章 房 映 死 事﹂ が あ る 由 (74 頁 )だ が 、 今 川 家 本 等 と 同 じ 記事 か、 そ れと も 簡 略 なも のか は 未 確 認。 4、 昭 和 18 年 10月 改 訂 再 版 の績 群 書 類 従完 成 會 太 洋 社 の刊 本 に 拠 る。 以 下 ﹃参 考 本 ﹄ と略 称 し、 引 用 の 際 は 頁段 を示 す 。 5、 青木 晃 ﹁天 理 図 書 館 蔵 ﹃太 平 記 抜 書﹂ ﹂ (﹁青 須 我 波 良 ﹂ 10号 、 昭和 50 年 5月 )。 以下 引 用 は 該 翻 刻 に 拠 り 頁段 を示 し、 明 ら か な 誤 脱 は写 真 で 訂す。 太 平 記 の享 受 と 研究 に ふ 6、 以 下 これ ら を ﹃抜 書 ﹄ の類 と 略 称 す る 。 ま た引 用 は 支 障 な い限 り天 理 本 に拠る。 7、 加 美 宏 ﹁ ﹃太平 記 抜 書 ﹄ の類 ノ ート (続 )1 天 理本 に拠 る。 50頁 上 。 、 注 8 の論 交 、 注 7 の論 文 、 波線 部 に つい ては 注 30 参 照 。 、 注 8 の論 文 、 この場 合 、 注 9 の彰 考館 本 で あ る可 能 性 が 強 い。 、 前 田育 徳 会 尊 経 閣 文 庫 ﹃玄 玖本 太平 記O ∼ ㈲ ﹄ (昭和 48年 10 月∼ 昭 和 50 、 こ こま で は玄 玖 本 で示 す 。 e ㎜ 頁 。 の 引 用 は玄 玖 本 に拠 る 。 年 2月 、 勉 誠 社 刊 ) に拠 る 。 な お以 下 、 特 に断 わ ら な い限り ﹃太 平 記 ﹄ 、 、 4 頁 の 表 の番 号 を示 す 。 古 活 字 本 ・元 和 二年 片 仮 名 交 り 十 二行 古 活 字 本 。 (15頁 ) 古 典 文学 大系 ﹃太 平 記 一﹄ の解 説 に拠 れば 慶 長 十 五年 片 仮 名 交り 十 二行 2120 、 注 1 の論 文 。 、 見 る 如 く 、 諸 本 に よ る錯 綜 甚 だ し く 一度 整 理 が 必要 であ る。 後 醍 醐 天 皇 の 諸 皇子 に関 す る 記 述 は 、例 え ば ﹃参考 本 ﹄ (6 ∼ 7頁 ) に 242322 、 、 12 第8号 紀 要 25、 注 7 の 論文 。 26、 ﹃新 校 群 書 類 従﹄ 巻 六 十、 姻頁 。 1 の論 文 。 な お高 橋 貞 一 ﹁太平 記諸 本 の研 究 (そ の 三) ﹂ (﹁京 都 市 (﹁軍 記 と 語 り 物 ﹂ 14号 、 昭 和 53 年 1月 ) 立西 京 高 等 学 校 研 究紀 要 ・人 文 科学 ﹂ 7輯 、 昭和 35年 7月 ) に拠 れば 、 43 、注 釜 田本 は巻 一に 島津 家 本 の如 き 異文 を持 た な いが ﹁為 明 朝 臣 拷問 事 ﹂ ま 27、 糊 頁 。 28、 石 井 順 子 ﹁増鏡 の性 格 ﹂ (﹁国 文 ﹂ 7 号 、 昭和 32年 7月 、 のち ﹃日 本文 で を巻 一と す る 。 ま た高 橋 貞 一 ﹁吉 川本 太 平 記 に ついて の 覚書 ( 上)﹂ (﹁仏 教 大 学 通信 教 育 部 論 集 ﹂ 25号 、昭 和 44 年 4月 ) の紹 介 に拠 れば 、 歴史 物 語 豆 ﹄ 昭 和 48 年 7月 、 有 精 堂 刊 、 に 再 収) は 、 学 研 究 資 料叢 書 吉 川家 本 巻 一の目 録 の みか ら は告 文 先 例 等 の異 文あ る伝 本 と は 判 ら な こう し た 虚 構 に ﹃増 鏡 ﹄ の性 格 の 一端 を み る 。 ( 初 出 32頁 、 再 収 ㎜ 頁) ( ,79 ・9 ・30) ・神 宮 徴 占 館 ・陽 明文 庫 ・天 理 図書 館 他 の方 々に 深謝 申 し 上げ ます 。 庫 ・国 立 国 会 図 書館 ・国 立公 文 書館 ・斯 道 文 庫 ・西 尾市 立 図 書館 ・神 宮 文 庫 諸 本 の閲 覧 及 び 写 真撮 影 に御 高 配 賜わ り ま し た 市 立米 沢 図 書館 ・彰 考 館 文 ( 付記) 1 の論 文 。 29、 魏頁 上 。 月 、 新 生 社 刊)、 及 び今 江広 道 ﹁法 家 申 原 氏系 図 考 証 ﹂ (﹁書 陵 部 紀要 ﹂ 27号 、 昭和 51 年 2月 ) 参 照 。 月 )。 39、 鈴 木 登 美 恵 ﹁天 正本 太 平 記 の考 察 ﹂ ( ﹁ 中 世 交 学 ﹂ 12号 、 昭 和 42 年 5 40、 天 正 本 の類 の 巻 二冒 頭 は、 他 本 に無 い正中 元 年 の石 清 水 ・賀 茂 行 幸 、後 ﹂ ﹂ (﹁国 文 ﹂ 12 号 、 巻 一・巻 二 の構 想 を め ぐ ってi 巻 一の考 察 - 宇 多 院 崩 御 を 記 し 、 そ の後 に南 都 北 嶺 行 幸 と続 く 。 昭 和 35 年 2月 ) 41、 鈴 木 登 美 恵 ﹁太平 記構 想論 序 説 - 42、 拙 稿 ﹁太 平 記 に お け る 日付 表 記 - 44 、 注 い 。 こ れは 今 川 家本 ・島 津 家 本 の場 合 も 同 様 。 致する。 30、 4頁 に 引 用 し た天 理本 の僧 名 列 挙 のう ち波 線 を付 した 僧 が ﹃増 鏡 ﹄ に 一 ﹂ 31、 引 用 は 天 理 図書 館 蔵 写 本 ﹃東 寺 記 ﹄ (西荘 文 庫 旧 蔵 ) 第 一冊 に 拠 る 。 五 建武 年 間 の 日付 の検 討 か らー 月 十 七 日 の条 は ﹃参 考 本 ﹄ 25頁 上 も 引 くが 、小 異 あ る 。 32、 写 本 で 一丁 分 弱 。 (﹁長 崎 大 学 教育 学 部 人 文 科 学 研 究 報告 ﹂ 28号 、 昭 和 54 年 3 月) 33、 今 井 正 之 助 ﹁太 平 記改 修 の 一痕 跡 - 34、 ﹃参 考 本 ﹄ 鵬 頁 下参 照 。 37、 ﹃大 日本 史 料 ﹂ 第 六編 之 一、 踊頁 。 35 、天 正 本 の類 は ﹁建武 二年 九月 十 一口 ﹂ と す る 。 38 、 な お明 法 家 中 原 氏 に つい て は布 施 彌 平 治 ﹃明法 道 の研 究 ﹄ ( 昭 和 41 年 9 36、 脚頁 。 良 大 学 奈 長坂 13 ANoteon7'σ 島津家本 『太平記』考 魏6獅oftheShimazu'sText ShigeyukiNAGASAKA Summary ThispaperisaconsiderationofTaiheikioftheShimazu'stext, lost,intermsofitsextractiveversionandSanko-Taiheiki. whichhasbeen
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