心身症 - 川谷医院

精神科読本5:『心身症-心療内科』
川谷医院、株式会社精神医療相談室ドンマイ:川谷大治
Ⅰ
心身症とは何か
私事で恐縮するのですが、6歳の頃、私はハゼの木にまけて顔全体に湿疹ができたこ
とがありました。壊れたおもちゃの代用にと考えて、従弟と2人で山に入ってハゼの木
を切ったのが原因でした。1週間ほどで治りましたが、6年後の 12 歳の夏、再びハゼ
まけにかかりました。この時、ハゼの木に触った覚えがはっきりしなかったので、不思
議に思いました。すると、親戚のおばさんから「ハゼまけはハゼの木の下を通るだけで
もかかる」という信じがたいことを聞かされたのです。その言葉は私のこころに残りま
した。この疑問に応えてくれたのが大学時代に読んだ池見酉次郎先生の『心療内科』と
いう本でした。今から約 40 年以上も前の話です。
池見先生は、昭和 36 年に九州大学医学部に精神身体医学(心身医学ともいう)の研
究所を設立し、38 年には心療内科(精神身体医学の臨床講座)へと発展させ、わが国
で最初に心身医学をおこした人です。大学 4 年生の夏休みに九大の心療内科を訪れて 1
週間の研修を受けました。
私は大学を卒業して精神科を専攻したのですが、不登校の子どもたちの治療をしてい
るときに、再び心身症に興味を持つようになりました。不登校の子どもたちに心因性の
発熱や虫垂炎(いわゆる“盲腸炎”)の既往が多いことに気づいたのです。それも、虫
垂炎にかかる時期を訊ねると、夏休みに入る直前や行事が済んでホッとしたときという
返事が返ってきました。それで虫垂炎に関する論文を集めました。その時に外科医であ
る小坂先生の『がっかり盲腸』という古い論文に出合ったのです。従来、虫垂炎は「非
文明国に少なく都会に多く田舎に少ない」と言われていました。小坂先生は、昭和 28
年に虫垂炎の発症と精神的緊張の関係に注目して「虫垂炎は精神的緊張の弛緩するとき
に起こしやすい」と発表しました。それが毎日新聞で報道されて『がっかり盲腸』とい
う言葉が有名になったのです。私は大学では教わらなかった心身医学の領域に興味を持
つようになって『日本心身医学会』に入りました。
しかしこの心身症という言葉は誤解も多い専門用語です。本小論では精神と身体の関
係を教えてくれる『心身症』について分かりやすく説明し、皆さまが少しでも身体とこ
ころの仕組みについて理解し、健康維持に役立てれば幸いです。
1.歴史と概念
「病は気から」と言います。病気は病の気と書くのに、多くの方が「気の病」は本当
の病気でなくて、「身体の病」だけが本当の病気のように考えがちです。作家の夏樹静
子の『椅子が怖い』では如何に身体の痛みがストレスに由来することに抵抗するかが詳
しく述べられています。意外にも医師や看護婦と言った医療に携わる人たちのなかにス
トレス要因を軽視する人が少なくありません。パニック症状を「気のせい」と言われて
冷たく扱われた方は多いのです。
このような風潮に果敢に挑戦したのがフロイトなのです(精神科読本:「神経症」を
参照)。フロイトは、身体はどこにも悪いところがないのに「歩けなかったり」,「目が
見えなくなったり」,「声が出なくなったり」する身体症状に精神的原因(無意識の葛藤)
があることを発見したのです。それまでは、こうしたヒステリー症状は「嘘の病気」と
か「気のせい」とか見捨てられていました。それを究明したのがフロイトなのです。
ところがフロイト以前の西洋医学では、明治以降のわが国においてもそうなのですが、
身体現象と精神現象は別個のものと考えられ研究されてきました。精神現象にまつわる
領域は科学という合理性を追求する学問から問題にされませんでした。たとえ小児科医
や町医者が「身体の症状が暗示で良くなる」と熟知していても、学問として扱われるこ
とはなかったのです。その二つの領域を統合させて研究したのがフロイトの精神分析学
です。
精神分析では「精神と身体は本質的には一体である」と考えます。ハラハラしたり,
驚いたとき「胸がどきどきする」ことは誰でも経験します。精神分析では、精神的原因
によって身体症状が起きることを『身体化』と呼びます。このとき病者にとって、身体
症状のみに関心が向き、原因である精神的なストレスが意識から排除されている点が重
要なのです。つまり、「心身症の発症過程は、原因となった精神的なものが意識から遠
ざけられ、身体症状のみに関心が向く」ことにあるのです。例を挙げてみましょう。
ケースは高血圧で苦しむ 40 歳代の女性です。彼女は不登校から家庭内暴力を振るうよう
になった高校生の男の子のお母さんです。高血圧に 加えて,肩こり、頭痛、のぼせ、胸の圧
迫感、などの身体の不調を伴っていました。父親は仕事にかこつけて子どもの問題は母親に
押しつけていました。1年後、息子さんが私の治療を受けるようになった頃のお母さんの心
身の状態は最悪でした。私は母親の健康状態が気になりいろいろ質問 をしました。その過程
で、彼女はこの1年間、ほとんど夜が眠れないでいることが分かりました。私は不眠症を治
すために睡眠導入剤を処方しました。直ぐに不眠症は治り、それだけでなく1ヶ月もしない
うちに頑固な高血圧までがわずか1錠の睡眠薬で改善されたのです。それまでかかっていた
内科医には、日頃の苦労は口にせず、ただ身体の訴えのみされていたと言います。
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フロイト以後、その後の心身医学の研究をリードしたのは、1930 年代から 40 年代に
かけてのアメリカの精神分析医たちでした。ドイツでフロイトの直系の心身医学に打ち
込んでいたアレキサンダーは、ナチスの迫害にあい、その研究の場をアメリカに求めま
した。アレキサンダーはシカゴ精神分析研究所において共同研究者たちとともに、高血
圧、消化性潰瘍、便秘といった身体の病気に対する精神分析治療を行いました。最初は、
ヒステリーにおいて無意識的情動がどのようにして身体症状に転換されるかなど、神経
症における心身相関が研究されました。次いで、消化性潰瘍や喘息など、身体疾患であ
りながら、その発症や経過に特有の心的葛藤やパーソナリティー、その他の心理社会的
要因が密接に関連している身体疾患、いわゆる心身症が研究されるようなったのです。
しかし薬物治療が進んだ現在,喘息はステロイドの吸引剤で症状がよくコントロールさ
れるようになって呼吸器を専門とする心療内科医が少なくなっているのも事実です。
2.心身症とは
日本心身医学会は 1991 年の「心身症の治療方針」の中で、心身症を「心身症とは身
体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的ないし機能的
障害が認められる病態をいう。ただし神経症やうつ病など、他の精神障害に伴う身体症
状は除外する」と定義しています。末松弘行教授は「胃潰瘍の三分の一ないしは、再発
の際の心理社会的ストレスを考えると、三分の二ぐらいケースが心身症として対応した
ほうがよいと思われる」と述べています。
代表的な心身症に以下の病気があります。
本態性高血圧、気管支喘息、過換気症候群、胃潰瘍、潰瘍性大腸炎、潰瘍性大腸炎、
心因性嘔吐症、拒食症、過食症、糖尿病、肥満症、片頭痛、筋緊張性頭痛、慢性蕁麻疹、
円形脱毛症、慢性関節リウマチ、チック、眼瞼けいれん、インポテンス、メニエール症
候群、咽喉頭異常感症、耳鳴り、心因性視力障害、月経困難症、更年期障害、心因性発
熱、舌痛症、などです。
よく耳にする病気ばかりです。近代医学が「精神」と「身体」を別個のものとして考
えたために、古くから言い伝えられてきた「病は気から」という視点を無くした医師が
増えたのです。元来、内科の先生は「心ある内科医」でしたが、次第に「心を見ない内
科医」になり、フロイトの登場で従来の「心ある内科医」に戻ることができたのです。
言い方を換えると、身体だけでなく心も重視する心身症の専門家や心療内科医がいると
いうことは、精神を排除する身体だけを学問の対象にするといった医学が存在すること
にもなります。皮肉なことです。
ところがうつ病の患者は心療内科をしばしば訪れます。心療内科医もうつ病患者の治
療を引き受けています。でも,精神科医である私の立場から言いますと,うつ病は精神
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科医に診てもらうほうがベターではないかと思います。軽症うつ病から中等度のうつ病
の場合,心療内科でも十分な治療を受けられますが,精神病を伴う重症の場合は精神科
医の方がよいと思います。具体的には,うつ病では心気妄想(実際に自分の身体に異常
が起きていると妄想を抱く),微小妄想(自分の存在や価値はまったくないと妄想する),
罪業妄想(自分は罪深くて罰せられて当然の人間だと妄想する)を持っていることがあ
り,しかも更年期のうつ病では自殺の危険性が高く,心療内科では管理上困難なことが
あるからです。
Ⅱ
ストレスと病気:病は気からとは本当か
この心身医学の波はいろいろな医学領域に波及していきました。サイコネフロロジー
(精神腎臓病学)という学問があります。わが国には約 10 万人の透析患者がいます。
透析患者は週に3、4回、それも1回4時間ほど、透析を受けないと生命を維持できま
せん。透析を受ける人にとってはかなりのストレスになります。また、幸運にも腎移植
が叶えられても、他人の腎臓を移植されることへの罪悪感や葛藤が新たなストレスにな
りかねません。こうした問題を扱うのがサイコネフロジーなのです。
また、サイコオンコロジー(精神腫瘍学)では、ストレスと免疫機能の研究が進みま
した。病名告知に関する医師の責任性、告知を受けた患者の精神的ショックの問題、死
を迎えた患者やその家族への対応、などについて研究を重ねています。その中で、それ
ぞれの患者の心を支えてきたものが再評価されてきています。死を迎えた人には「痛み
を抑える、過去をほめる、身体をさする」ことが欠かせないと言われています。また癌
の自然治癒が精神と免疫機能との関連で究明されてきています。笑いはNK細胞(ナチ
ュラルキラー細胞のことで癌細胞を殺す能力を持つリンパ球)の活性を高め,癌になる
のを防いでいます。たとえ癌になってもNK細胞がやっつけてくれるわけですから,日
ごろから笑いのある家庭は長生きが多いのです。
このように病気とストレスは、切っても切れない関係なのです。アメリカのホームズ
とレイという心理学者たちは人間にとって何がどれくらいのストレスになるかを研究
しました。ストレスの第Ⅰ位は配偶者の死亡 100 です。第2位以下は次の通りです。
2位離婚 73、3位配偶者との別居 65、4位刑務所に入所・服役生活 63、5位家族の一
員の死亡 63、6位自身のけが・病気 53、7位結婚 50、8位失業 47・・・。このよう
なストレスに遭うと,ストレスに負けないように人間の身体は緊張し,交感神経優位に
なります。身体はアドレナリンを分泌させてストレスに対応しようとするのです。とこ
ろが同時に,身体の防衛システムである白血球にも変化が現れます。細菌をやっつける
顆粒球が増加し,癌細胞をやっつけるリンパ球(NK細胞)が減少するのです。つまり
ストレス→交感神経優位→癌細胞が増加する下地を準備するようになるのです。交感神
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経の優位な人はいつも活動的で積極的です。ぼんやりしていません。ですから癌で亡く
なる人の多くが,「あんなにバリバリ仕事していたのに」と惜しまれることが多いので
す。ですから,癌にならないためには,副交感神経優位の状態を心がけたらよいのです。
モーツアルトを聴き,ゆったりする時間を作ると,アセチルコリンが分泌されて,副交
感神経が優位になるのです。
逆に,アトピー性皮膚炎や花粉症で悩んでいる人たちは,副交感神経が優位になって
います。つまり免疫機能が高まっているのです。癌にはなりにくいのですが,いろんな
抗原に過剰反応してしまいます。ですから,ここでは副交感神経を緩め,交感神経を緊
張させたほうがよいのです。飽食を止めて腹八分の食事を心がける,30 分程度は太陽
に当たり紫外線を浴びて皮膚を緊張させる,適度な運動を心がけてアドレナリンを分泌
させるとよいのです。
また,ストレスになる心理・身体・社会的問題は個人によってばらつきがあります。
連れあいを失って後を追うように急死する人がいるかと思えば、逆に生き生きとその後
の人生を送る人がいるのも事実です。ストレスは人によって違うし、ストレスは必ずし
も病気の原因にはなりません。とすると、どのような人が心身症になりやすいのでしょ
うか。
Ⅲ
どのような人が心身症にかかりやすいか
精神科読本2の「うつ病」でも触れましたが、胆嚢疾患にかかっている人にはしばし
ば抑うつの傾向が認められます。また太った人は快活で躁うつ病と親和性があるとも言
われます。心身症にかかりやすい性格傾向も研究されてきました。夏目漱石は胃潰瘍が
原因で亡くなりました。夏目漱石は『我輩は猫』のなかで自分自身を次のように描写し
ています。「彼は胃弱で、皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらわ
している。そのくせ、多飯を食ふ」。このような人は私たちの回りに結構います。彼ら
はよく胃薬を飲んでいます。何がストレスになっているのか、その対処方法を身につけ
ると薬代が助かるかも知れません。この胃潰瘍も今日では,交感神経が優位な人に多い
ことが分かってきています。
心身症にかかりやすい性格や心的葛藤について研究を始めたのは上記のアレキサン
ダーです。特に、母子関係と心身症の関連について研究しました。アメリカの心臓学者
のフリードマンは心筋梗塞になりやすい人の行動を分析しました。タイプA行動パター
ン(執着性格)と言われています。その特徴は、
1、言葉が早口で、語気も荒く、家族や部下にもあたり散らすことが多い
2、食事のスピードが早く、食後ものんびりすることが少ない
3、相手の話し方が遅いときや、前を走る車が遅いとイライラする
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4、時間に追われている感じが強い
5、同時に二つ以上のことを並行しておこなう
6、自分や他人の行動を質より量で評価することが多い
7、貧乏ゆすりなどの落ちつかない癖がある
8、朝早くから夜遅くまで、また休日でも仕事をすることが多い
9、責任感が強いと他人からよく言われる
このようなせっかちな人は日本にも多くいます。アドレナリンがどんどん分泌されて
いる人たちと言い換えることもできます(交感神経優位)。彼らにこそ,ゆっくり食事
をさせ,α波を増やす心地よい音楽が必要かもしれません(副交感神経優位)。モーツ
アルトのピアノ協奏曲 21 番と 23 番の第 2 楽章を聴かせたいものです。
またシフニオスが提唱するアレキシサイミア alexithymia という概念はとても重要
です。アレキシサイミアとは「心の内に起きる感情を言葉にすることが欠如している」
人たちという意味です。この概念は、1967 年に精神科医シフニオスによって導入され
ました。彼は、心身症の患者に精神分析治療を施していると、感情表出が拙い、夢を語
らない、連想が進まない、自分の心の内に起きる感情に出会うと憤りを感じる、患者の
一群に気づいたのです。自分の心の内に起きている感情や考えを認識し言葉にすること
ができない状態です。
このアレキシサイミアは、心身症、依存症、心的外傷後ストレス障害の状態にある患
者にしばしば見られる認知様式や感情の混乱です。例えば、心身症を患うと、精神・身
体の危険信号に注意を払わず、平然とした様子をしており、時には姿勢が固く無表情な
場合があります。彼らは、過剰適応型人間、特有な母子関係、良い子、手のかからない
子、世話型人間とも言われます。人に何か頼まれても「イヤ」とは言わず、不平も不満
も言わないわけですから、彼らは回りから「とてもいい人」と言われています。回りに
迷惑をかける人たちは心身症にはなりにくいのかも知れません。
このことはアメリカを中心とした乳幼児精神医学の分野でも研究が進んでいます。テ
イラーは次のような考えを提出しています。幼い頃に子どもが欲求不満や不安に陥った
ときに養育者がその感情を読み取りケアしていく過程で失敗があったときにアレキシ
サイミアの特徴である「感情を言葉で伝える」能力が育たないというのです。そのため
に言葉で感情を調節することができなくなるのです。たとえば,赤ん坊がぬれたおしめ
が不快で泣いているときに,母親が「濡れたままにしておいてごめんなさいね」と言葉
をかけることで,赤ん坊の不快な気持ちを言葉にすることで感情を調節する能力が育つ
のです。黙っておしめを交換されたら,心地よくなっても,その体験が内在化されるこ
とに繋がらないのです。ですから深い感情を言葉にして母親に伝える能力が育たないの
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です。
Ⅳ
心身症の治療
心身症の治療を担っているのは『心療内科』と呼ばれる内科の先生です。心療内科医
になるためには、身体医学に加えて幅広く心理学を学び、そしてその訓練を受けること
から始まります。そこでは、先ほど説明しました「身体化」のメカニズムを熟知し、心
理・社会・生物学的な視点をもつようになることが欠かせません。言い換えると、「人
間をよく知ること」になります。しかし、特別の訓練を受けなくても立派な心療内科医
が世間にはいます。名医と言われる先生たちのことです。ある患者を幼い頃からよく知
っているホームドクターもそうでしょう。患者が、どのような環境に育ち、ストレスが
加わるとお腹を壊しやすい体質であるといったその人の身体について熟知し、また彼を
育てた両親の価値観や育児状況をも把握し、彼がどのような人生を歩いてきたかに関心
と暖かいまなざしをもつ、ホームドクターなら立派な心療内科医なのです。ところが、
現代の社会ではホームドクターがその役割を担っていません。というのは、多くの方が
生まれた土地を離れることを余儀なくされますし、ホームドクター自身が社会の変動に
ついていけない現状があるからです。
心身症の治療方法には心理面接(精神療法)と薬物療法が代表的です。精神療法は特
別の訓練を受けた医師や心理士によって行われます。精神療法では治療者との心の触れ
合いが大切です。それに基づいた信頼関係の上で患者は心にため込んだことを話すこと
で心が洗われ(カタルシスと言います)、自分の性格や病気の原因について洞察するこ
とができます。また、自律神経訓練法やヨガを用いた心身のリラクゼーションも行われ
ます。
(2014 年 4 月 30 日)
参考文献:成田善弘『心身症』
安保徹『免疫革命』
講談社現代新書、1993.
講談社インターナショナル,2003.
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