私は、大のおばあちゃん子でした。 幼稚園を卒園する前の半年間、家庭の事情で祖母と暮らしていました。 祖母との暮らしは、幼いながらも「時間」がとてもゆったりと流れているように 感じていました。そして折に触れ、その気持ちを祖母にも伝えていました。 周りにこの事を話すと決まって、大人になってから振り返るとそう思えるのだと 言われましたが、祖母は当時の様子をずっと覚えていてくれて、 私の記憶をいつも肯定してくれたものです。 今、考えるとそれはとても「豊かな時間」だったのでしょう。 これは後日、母から聞いた話ですが、それほど大好きだった祖母が居なくなるのが とても怖くて、死ぬのは怖くないか?と何度も尋ねたり、死んだらどうなるのか?など、 いつも'死'について質問攻めにしていたそう。 そんな私を心配してか、祖母は私をよくお寺やお墓に連れていってくれ、 眠る時には「天国はとても楽しい所なんだよ。」と話をしてくれました。 祖母なりに、私の'死'に対する恐怖を和らげてくれるようとする工夫だったのでしょう。 今でもお寺に行くと落ち着き、清々しい気持ちになるのは祖母のお陰かも。 祖母はとてもおしゃれな人で、生前から死装束は白いガーゼにレースが施された 上品なガウンと決めていて、 「私が死んだ時は、これを着せてね。 」と言われていました。 ただそれだけの意思表示であっても、遺された私は祖母の希望を 叶えてあげられた充足感で癒されました。 亡くなった祖母の部屋には、私が送った手紙や修学旅行のお土産が 大切に保管されていて、手紙は何度も読まれた様子が見てとれました。 エンディングノートなどなかった頃の話ですが、その日の為に 準備されたガウンが祖母らしい終活と大きな愛だったように思います。
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