書 評 守山記生著 はしが き ﹃ 北 フラ ン ス ロロO 之 田 OσqΦ8 ωω9 ω島 ①陣 ヨ = ● ¢口α 旨 ・宣ぼ ぎ 口α興け の 。・ 感 O二ω9 Φ 田 ベ ルギ ー中 世 都 市 研 究 ﹄ ● 囚き h ヨ雪 器 σ q=αΦ 巳 ΦOΦ瓜感 口紅 ωoげ①口 Qっ感α8ロ 巨 ニ ッツ著 翻 訳 権 を 無 償 譲 渡 さ れ 、翻 訳 に と り か か った 。後 者 が プ ラ ー が 、西 洋 史 の ア カ デ ミ ッ ク な 研 究 の 主 流 か ら 離 れ て 久 し い。 1﹄ の書 名 で未 来 社 か ら刊 行 さ れた のは 、京 都府 立 医 科 大 (いわ ゆ る 中 世 ﹃ 封 (昭 和 三 十 九 ) ( 昭 和 三 十 七) 年 に刊 行 さ れ た 農 業 革 命 ) に 関 心 が 移 った 。 し ば ら く 農 村 研 究 に専 念 し た 。 都 市 成 立 の 原 動 力 と も な った 農 村 部 の 激 動 わ た く し と 中 世 都 市 と の 関 係 は こ こ ま で だ った 。む し ろ 、 ( 昭 和 三 十 四 ) 年 だ った 。 ﹃中 世 都 市 成 立 論 ー 商 人 ギ ル ド と 都 市 宣 誓 共 同 体 何 故 、 わ た く し が 守 山 氏 の こ 高 著 の書 評 の依 頼 を 受 け 、 快 学 へ の 転 任 後 の 一九 五 九 ( 昭 和 三 十 二 ) 年 に 卒 論 に 手 を 入 れ て ﹃ヨ ー ロ ッ パ 封 建 都 成 立 期 の 中 世 都 市 を 選 ん だ 。 島 根 大 学 講 師 時 代 の 一九 五 七 四 十 五 年 も 昔 にな るが 、 わ た く し は 卒 業 論 文 の テ ー マに 諾 し た か の い き さ つ に 最 初 に 一言 し て お き た い 。 わ た く し は 京 都 大 学 で は 守 山 氏 の十 五 年 先 輩 に 当 た る 曲0 本 来 な ら こ こ で 中 世 都 市 の研 究 に 立 ち 返 る べ き だ った 年 に京 都 大 学 か ら 文 学 博 士 の学 位 を 授 与 さ れ た 。 そ の結 実 が 、 一九 六 二 ( 略 称 市 ﹄( 創 元 歴 史 新 書 )を 刊 行 し た 。処 女 作 だ った 。引 き 続 き 、 OΦ§ 9巳 巴 ω 9 Φ ﹀σ琶 冨 口σq 建 支 配 の 成 立 と 村 落 共 同 体 ﹄ で 、 一九 六 四 力①。算 ωσq①ω。三。耳 ρ 同 書 の 下 敷 き と も な っ た N舞 ω魯 ユ陣 O興 の⇔≦αqξ -。りま ε 口σq h 旨 Nの即○・○﹀●) ピ× uσ9。口α・一逡 ○に 掲 載 さ れ た 団9・ロω 勺冨三 貫 一125一 鯖 が、 一般 教 養 の歴 史 学 の講 義 さえ し てお れ ば よ い気 楽 さも た 。 全 面 的 に書 き 直 し て、 再 び 世 に問 いた いと の執 念 が に 若 さ に気 負 い立 った 生 硬 な 表 現 が多 す ぎ る の が 気 に な っ 改 稿 は 意 外 な ほど 急 ピ ッチ では か ど った 。 西洋 史 研 究 の あ り 、 わ たく し は厳 密 な史 実 考 証 を 要求 さ れ な い、 頭 のな に のめ り こ ん で い った 。 食 生 活 、 死 生 観 、 上 ・下 水 道 論 な 主 流 か ら 離 れ て心 のな か で欝 屈 し て いた も のを 吐 き 出 す よ わ か に燃 え 上 が ってき た 。 ど が テー マだ った が 、 初 版 部 数 が 一ー 二 万 で、 重 版 にな る う な 感 じ だ った 。 歴 訪 し た都 市 の面影 も たえ ず 頭 のな か を か で練 り 上 げ た アイ デ ィ ア で勝 負 でき る 比 較 文 化 論 に次 第 こ と が多 く 、 そ れ に付 随 し て雑 文 の執 筆 や 一般 講 演 の依 頼 去 来 し た 。 同 じ 書 名 で刊 行 さ れ た のは 一九 九 四 ( 平成六) 直 訳 す れ ば 、 ﹁十 一、 十 二世 紀 の ニー ダ ー フ ラ ン ケ ン諸 を受 け る よ う にな った 。 ヨ ー ロ ッパ に何 回 も でか け 、 中 世 一九 八 九 ( 平 成 元 ) 年 、 京 都 府 立 医 科 大 学 を定 年 退 職 し 都 市 にお け る商 人 ギ ルド と都 市 宣 誓 共 同 体 ﹂ の題 名 にな る 年 だ った 。 因 縁 と は 不 思 議 な も ので 、 こ の刊 行 前 後 、 今 度 た 。 比 較 文 化 論 的 著 作 を 続 け る こと に変 わ り は な く とも 、 こ の論 文 の翻 訳 は 、 三十 五年 前 のわ たく し には 荷 が 重 か っ の面 影 を留 め る 都 市 の多 い こと を 知 った のも 、 比 較 文化 論 時 間 に 追 わ れ る こと は な く な った 。 太 平 洋 戦 争 後 、全 く の た 。 ニーダ ー フ ラ ンケ ン地 方 は多 分 にプ ラ ー ニ ッツ の造 語 は 未 来 社 か らプ ラ ー ニ ッツ の翻 訳 で あ る ﹃中 世都 市 成 立 論 ﹄ 自 由 意 志 で西洋 史 を 専 攻 す る こと を 選 択 し て以 来 の人 生 を で、 ライ ン河 と セー ヌ河 に挟 ま れ た地 域 と さ れ る。 こ の地 に 転 じ て か ら だ った 。 西 洋 史 を 基 礎 に し て の比 較 文 化 論 あ れ こ れ 回 顧 す る 機会 も 多 く な った 。 そう し たと き に 、 わ 域 で発 生 し た いわ ゆ る コミ ュー ン運 動 が中 世 都 市 形 成 の原 の改 版 の相 談 を 受 け た 。 紙型 が磨 滅 し た の で、 新 し く 組 み たく し の処 女 作 ﹃ヨー ロ ッパ封 建 都 市 ﹄ が講 談 社 学 術 文 庫 動 力 と な った と のか れ の所 説 は忠 実 に たど った つも り であ だ った が 、 西 洋 史 の主 流 か ら 外 れ て いる のは 紛 れ も無 か っ の係 の眼 に と ま り 、 全 面 改 稿 のう え 学 術 文 庫 に収 録 し た い る が 、問 題 は 地域 の複 雑 さだ った 。現 在 の国名 で は ド イ ツ、 直 し た いと の こと だ った 。 と の申 し出 を受 け た 。 改 め て読 み 直 し て み ると 、 ヨー ロ ッ オ ラ ンダ 、 ベ ルギ ー、 フラ ン スが関 係 し、 と く に ベ ルギ i た。 パ の 現地 を踏 ん でな いと き の著 作 な の で、臨 場 感 が 乏 しく 、 一126一 少 な く な い。さ ら には 守 山 氏 の留 学 先 だ った リ エー ジ ュ (フ の都 市 名 には オ ラ ンダ 語 と フラ ン ス語 の双方 を も つも のが じ た。 日本 の西洋 史 学 界 で は 研究 書 より も 翻 訳 書 の出版 が わ か る抄 訳 が な さ れ て いる こ と にも 最 近 の研 究 の息 吹 を 感 <一 冨 ωロΩ・の フ ラ ンス 語 訳 や英 訳 を 参 照 し つ つ、 ほ ぼ全 容 の 先 輩 、 同 輩 、 後 輩 か ら 著 訳 書 を ご恵 送 頂 いたと き は 、 一 ラ ン ス語 ) の よう に 、 オ ラ ンダ語 の ライ ク のほ か に、 ド イ に従 った 。 新 し く 組 み 直 す の であ れ ば 、 現 地 の事 情 に即 し 読 し た だ け でお 礼 状 を 書 く のが 望 ま し い。全 部 を 読 了 し て 多 く な り つ つあ る が 、 ヨー ロ ッパ や ア メ リ カ にも 似 た 傾向 て都 市 名 を 整 理 し 、 難 解 な 訳 語 を 平 易 な 日本 語 に置 き 換 え か ら と 思 って いると 、 い つのま にか 機 を失 し て非 礼 にな り ツ 語 の リ ユ ッテ ィ ッ ヒと 三 つ の都 市 名 の こと も あ る 。 プ る た め にも 全 面 的 改 訳 が 必 要 だ った 。 た だ ち に作 業 に取 り やす い。わ た く し は 右 のよう な こと を 守 山 氏 に書 き 送 った 。 のあ る のを 知 った 。 かかり、 [ 改 訳版] ﹃ 中 世 都 市 成 立 論 ﹄ が 刊 行 さ れ た のは 一 同 時 に、 氏 が都 市 成 立 の最 初 の契 機 と し て遠 隔 地商 業 より ラ ー ニ ッ ツは リ ュッ テ ィ ッ ヒと し て いた の で、 旧 訳 も そ れ 九 九五 ( 平 成 七 ) 年 九 月 だ った。 守 山 氏 か ら ご 高 著 を ご 恵 も 在 地 商 業 を重 視 す べき だ と し て いる点 に つ い て、 ﹁狭 軌 で毛 糸 の ベ スト を 購 入 し た と こ ろ 、 パ リ製 で パ リ で購 入 す の私 鉄 し か 通 ってな い スイ ス ・ア ルプ ス の ア ン デ ル マ ット 送 頂 いた の は 二 か 月後 の十 一月 だ った 。 最 初 の読 後感 る よ り は る か に高 価 だ った 。遠 隔地 商 業 の本 質 を つく 現 象 ら ラ イ ン 流 域 を 除 いた 地 方 を 対 象 に し た の で は な い か と 。 はピ ンと き た 。 プ ラ ー ニ ッツ の ニー ダ ー フラ ンケ ン地 方 か ろ であ る 。 ﹃ 北 フ ラ ン ス ・ベ ル ギ ー 中 世 都 市 研 究 ﹄ の 書 名 し は 専 門 書 の書 評 を しな い主 義 だ った の で、 一瞬 と ま ど つ てほ し いと 依 頼 さ れ た。 西 洋 史 の主 流 を外 れ て 以来 わ たく て、 守 山 氏 か ら 右 のこ 高 著 の書 評 を ﹁ 奈 良 史 学 ﹂ に執 筆 し そ う こ う す る う ち に、 一九 九 六 ( 平成 八) 年 四月 にな っ で な いで し ょう か ﹂ と 付 言 し てお いた 。 さ ら に 、 プ ラ ー ニ ッ ツ が 盛 ん に 引 用 し て い る ○倉。一 σ①二 た 。 た だ 、 中 世 都 市 に関 す るわ た く し の旧 著 、 旧 訳 書 の全 プ ラ ー ニ ッツ の論 文 の全 面 的 改 訳 を 仕 上 げ て まも な いこ uσ歪 σ qこ 評 ωωδ 0舘 o一 一 一一b。刈-b。○。 や O巳σΦ答 O① ZoαqΦ三 ・ ∪① 一127一 遺 ﹁ 神 の平 和 ﹂ 運 動 の展 開 補 [一] [ 史 料 紹 介 ] ノ ジ ャ ン のギ ベ ー ル の回 想録 面 改 稿 版 と守 山 氏 のこ 高 著 の刊 行 は ほ ぼ同 時 期 だ った 。 ま たも や 、 因 縁 め いた も のを 感 じ て、 書 評 と いう よ り 最近 の [ 二] ベ ルギ ー の初 期 中 世 都 市 ー フ ラ ンド ル地 方 - ベ ルギ ー の中 世 都 市 第 一章 十 二世 紀 初 期 の フ ラ ンド ル にお け る 政 変 と エラ ンバ ル ド 一族 十 二世 紀 初 期 の フ ラ ンド ル にお け る 政治 的 変 動 北 フラ ンス プ ラ ー ニ ッ ツ は彼 の いう ニー ダ ー フ ラ ン ケ ン地 方 を 十 都 市 研究 の準拠枠 第 三章 第 二章 第 二部 研 究 動 向 の勉 強 の つも り で引 き受 け る こと に し た 。 本 書 の構成 最初 に ご高 著 の構 成 を 目次 によ って再 現 し て おき た い。 成 立 期 の中 世都 市 コミ ュー ン運 動 フラ ン ス の中 世 都 市 印 刷 の関 係 で若 干 の字 句 は省 略 し てお いた 。 第 一部 第 一章 -主 と し て北 フ ラ ン ス の場 合 1 中 世 都 市 コ ミ ュー ン の成 立 過 程 の諸 特 徴 取 り扱 った が、 守 山 氏 の研 究 対 象 は そ こ か ら ライ ン流 域 を 一、十 二世 紀 に は多 様 性 を は ら み つ つも 一体 のも のと し て ③ サ ン ・カ ン タ 第 一節 ② カ ンブ レー 個 別 都 市 の成 立 状 況 ① ル ・マ ン ⑥ ラン 除 外 し たも のだ と のわ た く し の最初 の読 後 感 は正 確 では な ④ ボ ー ヴ ェ ⑤ ノ アイ ヨ ン か った。 氏 は中 世 都 市 の研究 に は ﹁ 多少とも広域な地域を ⑧ ヴ ァラ ンシ エ ン ヌ アミア ン と が出 来 る﹂ と の立 場 に立 つ。 北 フラ ン スと ベ ルギ ーは そ 準 拠 枠 と し て設 定 す る こと に よ り多 く の成 果 を お さ め る こ ③国王 う した 準 拠 枠 だ った 。 さ ら に準 拠 枠 ベ ル ギ ーは フ ラ ンド ル ②世俗領主 形 成 期 フラ ンス ・コミ ュー ン都 市 の軍事 的 特 質 地 方 、 ム ーズ 河 地 方 、 ブ ラバ ント地 方 に細 分 さ れ 、 本 書 で ①教会 コミ ュー ン運動 の展 開 ー既 存 権 力 と の関 係 ン ⑦ 第 二節 第三節 第 二章 ー フ ラ ン ス封 建 王 政 と の 関係 を め ぐ って ー 一128一 と り あ げ る ベ ルギ ーは フ ラ ンド ル地 方 に限 ら れ る 。 のし か残 ってな いと す る。守 山氏 は ノ ジ ャ ンの ギ ベ ー ル の る 。 フ ラ ン ス ・ コ ミ ュ ー ン 都 市 研 究 の 権 威 リ ュ シ ェー ル 、 る が 、当 時 の ラ ン司 教 ゴ ド ー リ は 元 イ ギ リ ス国 王 の官 房 長 立 年 に は 一 一〇 九 年 、 = 回想 録 を手 が か り に こ の点 に メ スを 入 れ る 。 コミ ユー ン成 プ テ ィ ・デ ュ タ イ イ な ど の 学 説 史 を た ど り な が ら 、 ﹁ 神 の で 、教 会 人 と し て の経 歴 は なく 、金 の力 で 司教 職 を 買 い取 っ し か も 、 内 容 的 に は 第 一部 が 八 〇 パ ー セ ン ト 以 上 を 占 め 平 和 ﹂ 運 動 の意 義 を 強 調 す る ﹀・ <嘆 日①Φω。F 国のω巴 ω霞 一 Φω た 。 政敵 ジ ェラ ー ル の暗 殺 を 直 臣 や有 力 貴 族 に委 ね 、 自 ら 一〇年 、 一 一 一一年 の三 説 が あ 〇二σqヨ①ω 9 一 鋤 ω一 α q巳 臣8 け 一 〇コ α① 冨 8 ヨヨ`口① ユo器 一 ① Zo乙 α① は ア リ バ イ づ く り に期 間 中 ロー マ に滞 在 す る ほど の人 物 [ ×一 .2 ×目。ω・ ]・一りOOに 依 拠 し て 、 ﹁コ ミ ュー ン 冨 即 雪8 だ った 。 ラ ン の治 安 は 乱 れ に乱 れ て いた 。 ゴ ド ー リ が金 の 扶 助 の誓 約 団 体 が 設 立 さ れ た ﹂。 帰 国 し た 司 教 は 初 め 激 怒 都 市 を 自 治 の牙 城 とす る考 え 方 は相 対 化 さ れ、中 世 コ 目 次 の八都 市 のう ち 、最 初 の ル ・マ ンは 北 フ ラ ン ス には し た が 、 巨 額 の金 銀 を 積 ま れ て、 サ ン ・カ ンタ ンや ノ ァイ 調 達 のた め にイ ギ リ ス に でか け た 不在 中 、 副 司教 ら は市 民 属 さ な い 。 パ リ 南 西 二 〇 〇 キ ロ の Qり鋤﹁9 ρ 出三ω口①両 河 川 ヨ ンと 同 じ コミ ュー ン特 許 状 を 出 し 、 国 王 の確 認 を得 た。 ミ ユ ー ン の成 立 ・発 展 で み ら れ る 運 動 を 誓 約 に よ る 平 和 運 の合 流 点 に位 置 す る。 コミ ユー ンを 名 乗 る誓 約 団 体 の結 成 け れ ど も 、 ゴ ド ー リ に コ ミ ユー ン誓 約 を ま も る気 は な に金 さ え 出 せ ば コミ ユー ン の結 成 を 認 可 す る と 呼 び か け は 一〇 七 〇 年 で 、 ま も な く 失 敗 し た と は いえ 、 ヨ ー ロ ッ パ か った 。 事 実 上 の違 反 に 止 ま ら ず 、 一 一 一二年 四 月 、 コ 動 と し て 捉 え る 見 解 が 重 視 さ れ つ つあ る ﹂ と の 見 通 し で 、 に お け る 最 初 の コ ミ ユ ー ン だ った と す る 。 し た が っ て 、 北 ミ ユー ン誓 約 を 破 棄 し、 ラ ン の法 的 地 位 を そ れ 以前 にも ど た 。 巨 額 の金 が集 ま り 、 ﹁聖 職 者 、 貴 族 、 市 民 の間 で相 互 フラ ン ス の他 の七 都 市 を扱 う 場合 も 、守 山 氏 は コミ ュー ン す と 宣 言 し た。市 民 よ り も ゴ ド ー リ の賄 賂 が多 か った の で、 個 別 都 市 の研 究 に入 る。 前 史 を 重 要 視 す る 。エ ー ヌ 県 の ラ ン が ひ と つ の 例 証 に な る 。 結 局 市 民 であ る 。踏 んだ り 蹴 った り だ った 。四 月 二十 五 日、 国 王 は 破 棄 に同 調 し た 。ゴ ド ー リ の差 し 出 す 賄 賂 の出 所 は 二八 年 のも プ ラ ー ニ ッ ツ は ラ ン に コ ミ ユー ン が 成 立 し た の は 一 二 〇 年 で 、 コ ミ ユ ー ン特 許 状 の 最 初 の 原 文 は = 一129一 だ っ た 。 イ ル ・ド ・フ ラ ン ス を 本 拠 と す る カ ペ ー 朝 フ ラ ン と し な か った 。 国 王 代 表 と 市 民 代 表 の 共 同 統 治 が 普 通 だ っ 武 装 し た市 民 は 司教 館 を大 挙 し て襲 撃 し た 。 樽 の な か に身 ゴ ド ー リ が いか に悪 辣 な 人物 で あ ろう と 、 現 職 司 教 の惨 た 。 若 干 の 例 外 を 別 と す れ ば 、 北 フ ラ ン ス に は 国 王 の権 勢 ス国 王 は王 領 地 の都 市 では コミ ユー ン の結成 を容 認 し よう 殺 が許 さ れ よ う は ず は な い。反 乱 市 民 は マル ル城 主 ト マの は 及 ん で な か った 。 守 山 氏 が 北 フ ラ ン ス を 都 市 研 究 の準 拠 を 隠 し た ゴ ド ー リ は発 見 さ れ て惨 殺 さ れ た 。 領 地 に避 難 し た が 、 一 一 一三年 に は 支 配 者 側 の反 撃 が始 ま 枠 に 設定 し た のは こ こ か らく る。 け れ ど も 、 北 フ ラ ン ス の コ ミ ュ ー ン が 事 実 上 の都 市 領 主 り 、 一 = 四 年 には 反乱 の指 導 者 が 死 刑 と な った 。 一 二 五年 に は反 乱 市 民 を か く ま って いた ト マも 国 王 ル イ十 六世 ギ ベ ー ル の回 想 録 は 一 一 一五 年 頃 に執 筆 さ れ た ら しく 、 す る 。 フ ィ リ ップ ・オ ー ギ ュ ス ト 以 後 は と く に そ う で 、 コ 情 が 異 な ってく る 。 コミ ユー ン は王 権 伸 長 のク サ ビ に 転化 た る 司 教 だ け でな く 、 国王 に よ って公 認 さ れ る と な る と事 以 後 の経 過 は 記 述 さ れ て いな いが 、 北 フラ ン スで は 既 に都 ミ ュ ー ン は 単 な る 誓 約 団 体 で な く 、 ω虫σ q昌窪 ユΦ 8 一 一 ①& <① に帰 順 し た。 市 に対 す る圧 政 の時 代 は 過 ぎ 去 って いた 。 一 一二 八年 八 月 と し て 国 王 の 封 臣 並 の取 り 扱 いを 受 け 、 軍 役 を 要 求 さ れ る [ 団] の 設 立 ) ミ ュー ン都 市 が 登 場 す る 。 ル イ 六世 や ルイ 七 世 の公 認 し た 二 十 六 日 、 ラ ン は 勺鋤。一 ωヨω葺 ロニ。 ( 平和 コミ ユー ン の原 語 は そ のも のず ば り の 8 ヨヨ琶 δ 系 と 誓 北 フ ラ ン ス の コ ミ ュー ン都 市 の ほ か に 、 中 心 と な った の は よ う に な っ た 。 一二 〇 五 年 の ﹁封 臣 表 ﹂ に は 三 十 九 の コ 約 団 体 を意 味 す る 8 巳霞 盛 。系 に大 別 さ れ る。 そ の な か で ノ ル マン デ ィ、 アキ テー ヌ地方 と フラ ンド ル地 方 お よ び 周 の名 称 で ルイ 六 世 か ら コミ ュー ン特 許 状 を受 け取 った 。 一四年 の ヴ ァラ ンシ エ ン ヌ では 例 な った か が 分 か れ ば 、 ﹁神 の平 和 ﹂ と コミ ユー ン運 動 の関 外 的 に 冨× ( 平和 [ 団 ]) の用 語 が 使 用 さ れ る。 何 故 そ う フ ラ ン ス封 建 王 政 の 本 質 を 鋭 く 指 摘 し た も の と いえ よ う 。 同 時 に 、軍 役 代 納 金 の支 払 いを 期 待 し て で あ る と 分 析 す る 。 辺 の 諸 都 市 だ った 。 守 山 氏 は 都 市 を 戦 略 上 の 要 塞 に す る と 一 一二 八年 のラ ンや = 係 に 一石 を 投 じ る のだ ろう が 、解 明 不 可 能 であ る。 と こ ろ で、 フ ラ ン ス で は コミ ュー ン都 市 は 例 外 的 存 在 一130一 都市 研究 の準 拠枠 ー フラ ンド ル地 方 使 し な が ら 叙 述 さ れ る 。 前者 で は エラ ン バ ル ド 一族 によ る 一 一二 七 年 の シ ャ ル ル の暗 殺 、後 者 で は暗 殺 後 の伯 位 を め シ ャ ル ルが 子 供 のな い若 い いと こ ボ ー ド ゥ ア ン七 世 の死 ぐ る 相 続 争 い、 フ ラ ン ス王 ルイ 六 世 と貴 族 達 の動 向 、 市 民 う 気 持 ち は と て も 強 いも の が あ る ﹂ と 述 べ る 。 フ ラ ン ド ル で フ ラ ンド ル伯 に就 任 した のは 一 一 一九 年 だ った。 当 時 の 第 二 部 は 全 体 の 二 〇 パ ー セ ント し か な く 、 守 山 氏 自 身 が (エ 階 級 の勢 力 高 揚 な ど が 主 題 にな る 。 地 方 と は 、 か つ て フ ラ ン ド ル伯 の 支 配 し た ス ヘ ル デ 河 フ ラ ンド ルは 人 口 の急 激 な 増 加 、 海 や沼 の埋 め立 て に よ る ﹁ま だ 研 究 歴 も 浅 く 、 こ れ か ら 大 い に や っ て い き た いと い ス コ ー ) か ら 北 海 ま で の領 域 に あ た る が 、 こ こ の 都 市 史 に 牧 場 ・牧 草 地 の拡 大 、 市 場 取 引 の活 発化 な ど で、 身 分 制 階 層 秩 序 は 流 動 的 だ った 。 フ ラ ンド ル南 西 の海 岸 地 帯 の フ ユ は 氏 独 特 の 大 体 の見 通 し が つ い て い る よ う で あ る 。 フ ラ ン ﹁建 設 都 市 ﹂ の 早 期 版 と 考 え る 。 ル ヌ出身 の エラ ン バ ルド 一族 は 、 も と も と フラ ン ド ル伯 の ド ル伯 の都 市 化 政 策 を し か し 、 本 書 で は いき な り 本 論 に 入 ら ず 、 ま ず 第 一章 で 不 自 由 家 士 (ミ ニス テ リ ア ー レ ス) だ った が 、伯 領 の行 政 実 務 に精 通 し 、 フ ラ ンド ル伯 に次 ぐ 権 勢 を誇 る よう に な っ は考 古 地 理 学 的 所 見 を 取 り 上 げ る 。 フ ラ ンド ル 地方 南 端 の カ ンブ レ ー、 ト ゥ ー ルネ 、 ア ラ ス、 テ ル ア ン ヌな ど が 古 代 た 。 ブ リ ュージ ュの サ ン ・ド ナ テ ィ ア ン教会 の主席 司祭 ベ シ ャ ル ル には こ れ が面 白 く な か った 。 一族 を 何 と か し て ルト ゥ ル フが 首 領 格 で、 一族 の昇 進 に努 め た 。 姿 を 現 し た と み ら れ て き た 。 一九 六 〇 年 代 の 発 掘 調 査 で は 排 除 し よ う と し て いたと こ ろ、 一 一二六 年 にか れ ら が 不自 ロ ー マ由 来 の キ ヴ ィ タ ス で あ る こ と に 異 論 は な か った が 、 三 市 と も に ロ ー マ時 代 の遺 構 が 発 見 さ れ 、 少 な く と も 地 誌 由 家 士 出 身 であ る こと を つき と めた 。 不 自 由 家 士 には 本来 ブ リ ユ ー ジ ユ、 ア ン ト ワ ー プ 、 ガ ン は 中 世 に な って 初 め て 的 に は ロ ー マ末 期 以 来 の 連 続 が 確 認 さ れ た と す る 。 役 職 の世 襲 権 は な い。 シ ャル ルと ベ ルト ゥ ル フは 相 互 に 相 で シ ャ ル ル が ベ ル ト ゥル フを 解 任 す ると の噂 が 立 った 。 第 二 章 と 第 三 章 は 既 に 言 及 し た ○巴σ①博 じσ歪 αq: 評 ωωδ 二 七 - 二 八 年 ﹂) を 史 料 と し て 十 分 に 駆 手 を 攻 撃 す る言 説 を 吐 いた。 一 一二七 年 には 復 活 祭 の法廷 = 09。﹁o= = N刈-NO 。 ( ブ リ ュ ー ジ ュ の ガ ル ベ ー ル ﹁シ ャ ル ル 善 良 伯 の殺 害 一131一 ル ル に は子 供 が なく 、七 人 の伯 位 継 承 候 補 者 が 名 乗 り 出 た 。 は 殺 害 さ れ た。フ ラ ンド ルは 突 然 無 政 府 状 態 に 陥 った 。シ ャ た 。 一 一二七 年 三月 二 日 、 早朝 ミ サ の真 っ最 中 に シ ャル ル テ ィ ア ン教 会 の早 朝 ミ サ に 出 席 す る 習 慣 のあ る のを 利 用 し エ ラ ン バ ル ド 一族 は 結 束 し て、 シ ャ ル ル が サ ン ・ド ナ は 現 存 す る 最 古 の部 類 に 属 す る 。 コ ミ ュ ー ン は 以 前 か ら 存 在 し て いた ら し い が 、 こ の 特 許 状 メ ー ル に コミ ユー ン特 許 状 を 与 え た 。 文 面 か ら 判 断 す る と る と 至 る 所 で 歓 迎 さ れ た ら し いが 、 四 月 十 四 日 、 サ ン ・ト き 各 都 市 を 歴 訪 し て、 支 持 を 取 り 付 け た 。 ガ ル ベー ルに よ 反 乱 軍 討 伐 を ルイ 六 世 ら にま か せ た ギ ヨー ムは 、 引 き続 け れ ど も 、 フ ラ ン ド ル 伯 ギ ヨ ー ム ・ク リ ト ン の 権 威 も ル エラ ン バ ル ド 一族 の討 伐 と新 し い フ ラ ンド ル伯 の選 出 が同 時 平 行 的 に進 め ら れ た が 、 は じ め のう ち 決 定 的 役 割 を演 じ ア ラ ス滞 在 中 の ル イ 六 世 は 伯 位 継 承 者 と し て ノ ル マ ン 会 を 窺 った 。 ギ ヨ ー ム は 約 束 に 違 反 し て ブ リ ュ ー ジ ュ に 関 る と 、 他 の 伯 位 継 承 候 補 者 は ギ ヨ ー ム の 失 政 に つけ い る 機 イ 六 世 を 後 ろ盾 に し た れ ば こ そ だ った 。 ル イ 六 世 が 帰 国 す デ ィ ー のギ ヨ ー ム ・ク リ ト ンを 支 持 し 、 三 月 二 〇 日 フラ ン 税 を か け よ う と し た 。 関 税 収 入 で 知 行 を 与 え ら れ て いた ギ た の は フ ラ ン ス国 王 ル イ 六 世 だ った 。 ド ル の貴 族 を 招 集 し て 、か れ を フ ラ ンド ル伯 と 宣 言 さ せた 。 三 月 十 一日 、 伯 位 継 承 候 補 者 の な か で は も つと も 有 力 な ヨ ー ム の 家 臣 の 要 望 に よ る も の だ った が 、 一九 二 八 年 に な 協 議 し た 。 ギ ヨー ムは 関 税 と 地 代 を 諸 都 市 に譲渡 す る と 約 テ ィ エ リ ・ダ ル ザ ス が 、 ア ル ザ ス か ら ガ ン に 到 着 し て 自 分 け れど も 、 都 市 の支 持 が な け れば 伯 と し て の行 動 の でき な 束 し た 。四 月 二 日、ブ リ ュー ジ ュと ガ ン の市 民 代表 は ギ ヨー の 出 番 を 待 っ た 。 か れ は ブ リ ュー ジ ュ市 民 ら に 先 任 の 諸 伯 る と 、 ブ リ ュ ー ジ ュ の ほ か 、 ガ ン 、 リ ー ル 、 サ ン ・ト メ ー ム に臣 従 し た 。 四 月 五 日 に ギ ヨ ー ムが ブ リ ュー ジ ュに入 市 の 与 え た 特 権 を す べ て 承 認 す る か ら 伯 職 に つ け て 欲 し いと い時 代 に な って いた 。 三 月 二十 七 日 、 ブ リ ュー ジ ユと ガ ン し た と き は 、 反 乱 軍 は ま だ サ ン ・ド ナ テ ィ ア ン教 会 に立 て 訴 え た 。三 月 二 十 六 日 、 テ ィ エ リ は ブ リ ュ ー ジ ュ に 入 市 し 、 ルな ど も 反 ギ ヨ ー ム の立 場 を 鮮 明 に し た 。 こも って いた が 、 ブ リ ュー ジ ュは 情 勢 に応 じ て慣 習 法 を 変 三月 三 〇 日 、貴 族 と 市 民 に よ って フ ラ ンド ル伯 に 選 出 さ れ の市 民 は フラ マ ン地 方 の住 民 を 招 集 し 、 ど う 対応 す る か を 更 す る 権 利 を も つこと が ギ ヨ ー ム によ って確 認 さ れ た。 一132一 た 。 ルイ 六 世 は武 力 に よ ら な い事 態 解 決 の た め の会 談 を 要 望 し た が、 ブ リ ュー ジ ュ市 民 に無 視 さ れ た。 テ ィ エリ対 ギ ョ ー ム の内 戦 は 一進 一退 を 続 け た が、 七 月 二十 七 / 二十 八 日 の ギ ヨー ム の戦 死 で決 着 が つ いた。 テ ィ エリ は内 戦 中 お よ び 内 戦 後 各 都 市 を 歴 訪 し 、 八 月 二十 二 日 に は か って ギ ヨー ム が サ ン ・ト メ ー ル に与 え て いた特 許 状 を確 認 し た 。 こう し た フ ラ ンド ル では ア ルザ ス家 の権 力 が確 立 し た 。 シ ャル ル善 良 伯 の暗 殺 が フラ ンド ル諸都 市 の自 治 を促 進 す る契 機 に な った こと は 、プ ラ ー ニ ッ ツも 指 摘 し て いる が、 暗 殺 の原 因 が 、 フ ラ ン ド ル伯 と 栄 華 を 誇 る 不 自 由 家 士 エ ラ ン バ ル ド 一族 の対 立 だ った と は わ た く し には 思 いも よ ら な か った 。 一般 に中 世 都 市 の都 市 貴 族 (バト リ チ エル) には 不自 由 家 士 (ミ ニス テ リ アー レ ス) 出 身 が 少 な く な い。 都 市 化 政 策 の進 展 にも か か わ ら ず 、 不 自 由 家 士 出 身 であ る こ と の暴 露 が 大 争 点 にな る 、暗 殺 以 前 の フ ラ ン ド ル の政 治 構 造 は ど の よう な も のだ った のだ ろう か 。 都 市 研 究 の準 拠 枠 フ ラ ン ド ル地 方 に つ い て の守 山 氏 の問 題 提 起 の意 味 す ると 三八五頁 二九 〇 〇円 ) 一九 九 五年 = 月 こ ろは 大 き い。今 後 のご 健 闘 を 期 待 した い。 (四 六 判 近代文藝社刊 ( 京都府 立医科大学名誉教授) 一133一
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