印度學佛教學研究第四十五巻第二号 平成九年三月 ﹁ 水 子 供養 ﹂ と の関 連 で︱ 中 野 一六 〇 優 子 女 性 学 や フ ェミ ニズ ム の分 野 か ら は、 様 々な 弊害 と 差 別 性 が 養 ﹂ を ﹁依 頼 ﹂ す る 先 は、 多 くが 仏 教 寺 院 であ る 。 しか し 、 る 。 ﹁水 子 供 養 ﹂は特 に女 性 と 深 い関 わ り を持 ち、 そ し て ﹁供 るな ら ば 、 そ の成 立 は戦 後 であ る と 推 測 さ れ 、 き わ めて現 世 そ れ ら に譲 る こと と した い。 ﹁水子 供 養 ﹂ の特 徴 のみ を 挙 げ って おり 、 本 論 で は ﹁水 子 供 養 ﹂ そ のも の に関 す る 言 及 は、 現 在 、 ﹁水 子 供 養﹂ に関 す る先 行 研 究 は かな り の数 に の ぼ 二 、 ﹁水 子 供 養 ﹂ と 仏 教 的 生 命 倫 理 観 る 視 点 を 女 性 学 の立 場 から 捉 え 直 し てみ た い。 る 問 題 、 つまり 人 工妊 娠 中絶 の問 題 に つ い て、 仏 教 的 と さ れ 仏 教 の生 命 倫 理 観 と 女 性 の権 利 ︱ 一、 問 題 の 所 在 ﹁水 子 供 養 ﹂ は、 戦 後 の 日本 社 会 に お い て、 最 も 一般 民 衆 報 告 さ れ、 激 し い糾 弾 の対 象 と な って いる こ と も 事 実 で あ 利 益 的 であ る 。 そ の多 く は 既 成 仏 教 、 仏 教 系 新 宗 教 の宗 教的 に浸 透 し、 現 在 でも 盛 んに行 わ れ て いる 宗 教 現 象 の 一つ であ る。 こ こ に は 女 性 の ﹁中 絶 の権 利 ﹂ に対 す る 是 非 の問 題 が 大 施 設 で行 わ れ 、 超 宗 派 的 で あ る。 ﹁水 子 供 養 ﹂ 自 体 は、 既成 な るも ので あ る が 、 こ こで いう ﹁生 命 尊 重 ﹂ 理 論 と は、 ﹁水 こ の ﹁生 命 尊 重 ﹂ 理 論 こそ が 本 論 に お け る テ ー マの中 心と のみ と さ れ、 多 くが ﹁生命 尊 重 ﹂ 理論 を 標 榜す る 。 子 霊 ﹂ によ る ﹁た た り ﹂ を 主張 し、 た た る対 象 は女 性 (母親) 仏 教 に おけ る 伝 統 的 仏 教 教 義 と 直 接 の関 わ り を 持 た ず 、 ﹁水 き く 関 わ って く る か ら であ る。 そ し て そ の 一方 で 、 宗教 的 な 生 命 尊 重 の立 場 を 理由 と し て、 仏 教 界 で は ﹁水子 供 養 ﹂ を 推 進 す る 考 え 方 が 根 強 く 存 在 す る。 そ の た め に 冒頭 で述 べ た よ う な ﹁水 子 供 養 ﹂ に関 す る 是 非 論 が 交 わ さ れ て い る の で あ る。 こ こで は 、 女 性 の生 き 方 ・権 利 と 生 命 倫 理 観 の 間 に横 た わ 682 し て いる 。 これ ま で、 ﹁水子 供養 ﹂ が 女 性 に のみ 負 担 を 強 い 重 を根 拠 と し て、 人 工 妊 娠 中絶 を認 め な いと いう 考 え 方 を 示 生 命 倫 理観 を指 す 。 これ は、 具体 的 に言 えば 、 胎 児 の生 命 尊 子 供 養 ﹂ を是 認 す る 人 々が 拠 り所 と し て いる 仏 教 的 と さ れ る ﹁水子 供 養﹂ を ﹁採 用 ﹂ し て き た 寺 院 側 は、 こ う し た論 理 を 命 ﹂ を ど う位 置 づ け る か に終 始 し て き た の で あ る 。 さ ら に を 得 、 実 際、 ﹁水 子供 養 ﹂ の 是 非 に関 す る 議 論 は、 ﹁胎 児 の生 る 。 そ し て これ ま で、 こ の生 命 尊 重 理 論 で多 く の人 々の賛 同 仏 教 界 におけ る 生 命 に関 す る 識 者 の見 解 は、 ﹁我 々の理 性 で ﹁水 子 供 養 ﹂ に おけ る それ は、 はた し て同 じな ので あ ろう か 。 認 知 し 得 る生 命 の始 ま り は、 母 親 の胎 内 に受 胎 し た 時﹂ と い 仏 教 の 生命 観 と し て説 明 づ け て い るが 、 仏 教 的 生 命 倫 理 観 と 行 わ れ て いる 大 き な 理 由 の 一つは、 こ の生 命 倫 理 の観 念 に依 る性 差 別 的 な 宗 教 現 象 で あ り、 ﹁桐 喝 と 救済 ﹂ の論 理 構 造 を る と ころが 大 き いと 思 わ れ る 。 ﹁水 子 供 養 ﹂ に表 わ れ る 生 命 に つい て の 一般 的 通 説 に近 い ﹁医 学 的 根 拠 ﹂ によ ってそ う し う のが 、 ほぽ 統 一的 見 解 と な って いる 。 そ し て、 生 命 の発 生 持 つ宗教 現 象 であ る と 告 発 され 続 け てき な が ら、 依 然 と し て 倫 理観 は、 日本 人 が こ れ ま で 抱 いてき た 日本 的 生 命 観 と 大 き であ る こと の ﹁医学 的 ﹂ 前 提 に よ って、 受 精 卵 を 生 命 の始 ま た説 を 補 完 し て いる のが 現 状 であ る 。 つまり 、 受 精 卵 が 生 命 (2 ) く 重 な る た め に、 容 易 に 一般 社会 に受 容 され てき た 。 そ れ が 仏 教的 と され る生 命 観 と結 合 し て、 よ り強 固 な 観 念 と な って 倫 理 に関す る現 在 の動 向 であ る。 三 、女 性 の権 利 と 胎 児 の 現 在 、 日本 の女 性 の中 絶 の権 利 を 保 障 す る 唯 一の法 的 裏 付 優生 保護 胎 天 国 ﹂ の主 因 であ る と し て批 判 し、 生 命 の尊 さ と 不 殺 生 を け と し て、優 生 保 護 法 が あ る 。 し か し これ は、 第 二 時大 戦 中 法 と 生 命 倫 理 観 の再 考 主張 す る 。 ﹁水 子 の た た り ﹂ の概 念 が ﹁胎 児 の生 命 ﹂ を 守 る の国 民 優 生 法 をも と に制 定 さ れ た も の で あ り、 ﹁優 良 な 子孫 ﹁権 利 ﹂ り と し 、中 絶 反 対 の論 拠 と し て い る のが 仏 教 界 に おけ る 生 命 浸 透 し、 ﹁水 子 供 養 ﹂ が 流 行 す る 素 地 と な ってき た ので あ る 。 ﹁水 子 供 養 ﹂ を 推 進 す る理 論 的 枠 組 み にお い ては 、 ﹁水 子供 (1 ) 養 か ら 生命 の尊 重 運 動 へ﹂ あ る いは ﹁﹁いけ な い﹂ が 大 原 則 ﹂ と いう 見 出 し か ら も 理 解 でき る よ う に、 ﹁生 命 の尊 重 ﹂ ﹁胎 児 の人 権﹂ を 大 上 段 に掲 げ て、 人 工妊 娠 中 絶 を 認 め な い傾 向 が 概 念 と 結 合 し て、 中 絶 の否 定 に集 が り、 中 絶 を行 う 女 性 全体 を選 別 す る ﹂ と いう ナ チ ス の優 生 思 想 に よ る ﹁断 種 法﹂ に 基 顕 著 であ る 。 こう し た 論 調 の ほと んど は、 女 性 の解 放 を ﹁堕 に対 す る 告 発 の形 態 を と って し まう の であ る。 こ ご に は、 中 一六 一 づ い て いる 。 そ の た め、 現 行 優 生 保 護 法 は、 ﹁障 害 者 ﹂ を 排 野) 絶 の責 任 を 母 親 、 つま り 女 性 の側 に転 稼 し て いる 事 実 が 窺 え 仏教 の生命倫 理観 と女性 の権利 ( 中 683 仏教 の生 命 倫 理 観 と 女 性 の権 利 ( 中 一六 二 も でき る の であ る。 いず れ にせ よ 現 在 の時 点 に お い て、 人 間 野) 除 す る 差 別 的側 面 を 持 つ ( ﹁胎児条項﹂)。 同 法 が 中絶 を 認 める 生命 の発 生 を 特 定す る こと は不 可 能 であ って、 これ に つい て (3 ) の は、 母 体 の保 護 にそ の主 眼 があ る の で は な く 、 ﹁不 良 な 子 何 ら か の決 定 を 行 う こと は常 に著 しく 政 治 的 な 行 為 であ る と 中 絶 否定 派 の問 題 点 は ﹁生 物 と し て の 生 命 ﹂ と 、 ﹁自 己 の (4 ) ら であ る 。 こ の よう に、 大 き な 問 題 を抱 えな が ら も 、 同 法 は 孫 の出 生 を 防 止 す る ﹂ と いう 優 生学 的 な事 由 に よ って い る か いわ ねば なら な い。 女性 の権 利 と し て の ﹁中 絶 の権 利 ﹂ を保 証 す る現 在 唯 一の法 認 識 が 可 能 な存 在 であ る 人 間 と し て、 他 の生 命 を 尊 重 す る意 と思 われ る 。 特 に、 仏 教 の場 合 、 自 己と 他 者 を 融 合 さ せ る観 律 と な って いる た め、 中 絶 期 間 短 縮 や ﹁経 済 条項 ﹂ 削 除 の動 念が 日 本仏 教 に特 徴 的 と も 言 え るが 、 仏 教 に おけ る 輪 廻観 や 識 を持 つ﹂ と いう こと を 混 同 し て し ま って いる と こ ろ にあ る と こ ろ で、 通 常 、 中 絶 反 対 派 は ﹁生 命 の尊 重 ﹂ を そ の論 拠 き に女性 の側 から の ﹁改 正﹂ 反 対 運 動 が 生 じ る ので あ る 。 と す る。 女 性 の権 利 を 主 張 す るな ら ば 、 で は ﹁胎 児 の生 き る 不 殺 生 の観 念が 、 こう し た混 同 に 拍 車 を か け て いる と いう こ 拮 抗 す る ﹁胎 児 の権 利 ﹂ と 女 性 の権 利 の問 題 は 、 胎 児 を 人 権 利 ﹂ は ど う な る のか、 と い った論 調 であ る。 そ こ に は 胎 児 ﹁生 命 尊 重 ﹂ ﹁生 命 の尊 厳 ﹂ と いう あ ら が いが た いテ ー マを 女 と も 考 慮 に 入 れ なけ れば な ら な いだ ろ う 。 性 に突 き つけ る の であ る。 そ こ で は、 生 命 は 受精 の瞬 間 に始 に よ れば 、 現 状 の胎 児 に関 す る概 念 は、 男 性 が 男 性 中 心 の社 間 と し て認 める か ど う か に関 わ ってく る が 、 これ ま で の考 察 は大 人 と 同 様 の人 格 が あ る の だ と い う 観 念 が あ る。 そ し て まる と いう 多 く の人 々が な ん とな く そ う 思 い込 ん で い る ﹁科 会 規 範 の枠 組 み の中 で考 え 出 し た 主 観的 な概 念 に し か 過 ぎ な く 含 まれ て いな いか ら であ る 。 現 在 、 社 会 通 念 と し て通 用 し 学 的 常 識 ﹂ が ま かり 通 って し ま って い る の であ る 。 仏 教 学 を し かし 、 ﹁受 精 の瞬 間 ﹂ を生 命 の発 生 、 人 間 の誕 生 と 見 る て い る 一方 的 な 生 命 主 義 は、 女 性 が 母性 た る こ と を強 要 す る いと 言 わざ る を得 な い。 な ぜ な ら そ こ に は、 女 性 の視 点 が 全 見 方 は ﹁一般 的 常 識 ﹂ の域 を 出 な い ので あ る 。 分 子 生 物 学 者 も の であ って、 女 性 を 男 性 に従 属 さ せ る だけ の意 味 し か 持 た も のす る 人 々も そ の例 外 で は な い。 って 人 間 の生 命 の始 まり と見 なす こと を決 定 的 な 一点 と す る の芝 谷 篤 弘 は お お よ そ 以 下 の よう に述 べ て いる 。 受 精 卵 をも しろ 、 女 性 の生 命 の尊 厳 を な いが し ろ にす る も の であ る。 で ず、 本 当 の意 味 で の生 命 の尊 厳 を 意 味 す る も の で はな い。 む あ る から 、 中絶 は勧 め ら れ る べき 行 為 で はな いが 、 選 択 肢 の こと は でき な い の であ り 、 さ ら に 人 間 性 の尊厳 と いう 観 点 か ら は 、 自 意 識 の形 成 を も って人 間 の生 命 の起 点 と み な す こ と 684 乏 し い現 状 の社 会 に お いて、 女 性 の取 る べき 最 後 の行 為 と V の枠 組 み の中 に合 理 化 し て しま う 試 み は、 徒 労 に終 わ る であ 能 しか 認 めら れ な い た め、 仏 教 的生 命 観 と し て、 各 仏 教 教 団 う。 同 法 第 一条 に ﹁こ の法 律 は 、優 生 上 の見 地 から 不 良 な 子 孫 の 的 と す る ﹂ とあ る 。 芝谷 篤 弘 ﹁ヒ ト の発 生 の生 物 学 的 事 実 ︱ 日 本 政 府 への公 開 質 問 状 ︱ ﹂ ﹃フ ェミ ニズ ム ・コ レ ク シ ョンI︱ 制 度 と 達 成 ︱ ﹄ 頸 草 書 房 、 一九 九 三年 、 一五 五∼ 一五 九 頁 。 一六 一 二 ( 曹洞宗宗学研究所研究員) ︿キ ー ワ ード ﹀ 人 工 妊娠 中 絶 、 中 絶 の権 利 、 ﹁胎 児 の権 利 ﹂ 4 出 生 を防 止 す る と と も に、 母 性 の 生命 健 康 を保 護 す る こと を 目 3 2 玉 城 康 四 郎 ﹁脳 死 を 視 野 に入 れ て の仏 教 の生 命 観 ﹂ ﹃日 本 仏 教 学 会 年 報 ﹄ 五 五 号 、 一九 九 〇年 、 三 頁 。 談 ﹃ 朝 日新 聞 ﹄ 一九 九 四 年 一二 月 二 〇 日 。 1 ﹁ 社 説 ﹂ ﹃中 外 日 報 ﹄ 一九 九 三年 一〇 月 一八 日。 及 び 中 野 東 禅 す る ので はな い新 し い仏 教 的 生 命観 を構 築 す る 必 要 が あ ろ 教 団 に取 り 込 む 危 険 性 をま ず 認 識 す べ き であ る。 人 々を 桐 喝 ろ う 。 そ れ よ り も 、 流 行 と 経 済 効 率 に乗 っ て 一般 的 価 値 観 を て認 めら れ る べき で あ る。 四、 結 語 以 上、 生 命 倫 理 の問 題 を中 心 に述 べ て き た が 、 ﹁水 子 供 養﹂ の生 命 観 も 、 仏 教 的 生 命 観 も、 一般 社 会 の男 性 中 心 の規 範 に よ って形 成 さ れ た生 命 観 を そ のま ま 導 入 し た も の であ って、 そ れ を仏 教 的 生 命観 と思 い込 んで き た に 過 ぎ な い。 なぜ な ら 、 日本 の仏 教 教 団 も例 外 な く 、 男 性 中 心 の歴 史 を辿 ってき 中 絶 は、 男 性 中 心 の社 会 の中 にお い て、 女 性 の ﹁産 む権 利 た から であ る 。 ・産 ま な い権 利 ﹂ と いう究 極 の選 択 の権 利 を 具 体 化 し たも の であ り、 現 在 のと ころ は禁 止 す べき でな い。 ま た 、 中絶 に よ って、 批 判 を 受 け る のは常 に女 性 の側 であ るが 、 男 性 も 当事 者 で あ る こと を忘 れ て はな ら な い。 現 在 、 仏 教 界 で は ﹁水 子供 養 ﹂ の ﹁た た り﹂ の部 分 のみ を 取 り 去 って、 生命 倫 理 で合 理化 し た 上 で、 ﹁水 子 供 養 ﹂ の存 続 を 狙 う 動 き が あ るが 、 これ ま で述 べ て き た 経 緯 から 、 こう し た 動 き に は 全 く意 味が な い ことが わ か る で あ ろ う 。 結 果 と し て、 ブ ー ムに便 乗 す る だ け のこ う し た 動 き で は、 仏 教 界 の 良 識 を 疑 わ れ る だけ で あ る 。 ま た 、 ﹁水子 供 養 ﹂ の将 来 性 を 野) 考 察 す る な ら ば 、 こ れ に は女 性 に対 す る ﹁桐 喝 と 救済 ﹂ の機 仏教 の生命倫理観と女性 の権利 ( 中 685
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