美術工芸資料館収蔵品紹介 39 勿論既に個人的に集めていたものも含まれては ポスター「心中天の網島」を巡る二三の事柄 いたが、結局は一点だけ、欲しいと思っていた 余りに個人的な話に過ぎる。1965 年、丁度 ものが埋まらない。それであの粟津潔氏と同席 大學に入りたての頃、イングマール・ベルイマ の機会(1995 年 10 月)に「心中天網島」を譲っ ンの「沈黙」や「鏡の中にある如く」を観て、 て欲しいと懇願したが、彼の手許にもないと断 すっかりスウェーデン映画に填ってしまってい られた。その後も可能な限り探したが全て無駄 た。もっと凄いのがあると教えられて、やっと であった。公開から既に 30 年以上も経ってい 「野いちご」の映画世界に耽る事が出来たが、 るのだから仕方のないこととは言え諦められな 未だに「第七の封印」「処女の泉」 「不良少女モ い。まさに「ひょんな事」からそれを手元に置 ニカ」そして近作の「サラバンド」とは無縁の くことになったのである。これは詳述しても足 ままである。アンリ・コルピの「かくも長き不 りない程の、奇遇としか言いようのない会話が 在」、アラン・レネの「去年マリエンバードで」、 事の発端であった。2006 年 1 月の或る夜、既 ジャン・リュック・ゴダールの「ウィーク・エ に松ケ崎から退かれた山内陸平名誉教授と何か ンド」これらが全て ATG であった事を後に知 の相談で三条京阪でお会いした時に、何の弾み ることになった。ATG、即ちアートーシアター・ か「 (ポスター)心中天網島」の話になり、譲っ ギルドの略語で、ポスターや映画のタイトル・ ても良い、美術工芸資料館の為になら、と言う バックで見かけたあのロゴ・マークが強烈に脳 ことで、戴くことになった。二三週間あって淀 裏にこびり付いている。1969 年正月に「アル 屋橋まで取りに上って、 ファヴィル」「ボリー パネル状にしたポス マーグお前は誰だ」 「火 ター「心中天網島」を の馬」そして「バルタ 横に立てて山内先生は ザール何処へ行く」を それを観賞し(感傷に 立て続けに見た、と拙 耽り)つ つ、白 耳 義 産 者の業務日誌「諸事用 麦酒を飲んでいた。別 向一寸日加栄」に綴っ れ際に決して淋しくも、 ている。その年に公開 恨みがましくもなく、 された(こんな呼び方 「今まで事務所に飾っ が果たして成立するの て い た が、泣 き 別 れ か否か判らぬが)ATG や」と呟かれた。その 邦画の大作、大島渚の 声 が ポ ス タ ー「ポ ス 「新宿泥棒日記」そし ター心中天網島」とと て篠田正浩「心中天網 もに聞こえてくるので 島」を見た。初夏であっ ある。まだまだ初期の たと思う。通い詰めた ものを欠いているにせ 映画館は今はない北野 よ、こ れ で ATG ポ ス シネマ。すっかり様変 ター・コレクションを わりした東梅田界隈で 資料館コレクションと あるが、往時の街の姿 して登録することが可 を思い浮かべる事もで 能になったのである。 きる。 思 え ば A Ns.5129,5130 既に美術工芸資料館 が資料館蔵品になるた がポスター蒐集に熱を 粟津潔「篠田正浩監督作品、音楽武満徹、美術粟津潔、岩下志麻・中村吉 めに実に遠くて長い年 入れていることもあっ 右衛門主演:心中天網島 (映倫 69656 ) 」725 ×513mm . (AN.5130 -36 ) 月を要してしまった事 て、1988 年 か 9 年 頃、 になる。末筆乍ら山内先生に格別の感謝を申し AT G 映画ポスターを多く手掛けていたデザイ 上げる次第である。 ナー小笠原正勝氏と知己を得て、初期の頃から のポスター(B2 版)を作家から譲ってもらった。 (竹内次男:美術工芸資料館教授、2007.02.21.)
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