民間企業と初の連携協定 三重銀行、百五銀行と協定を締結 モデル構築などで互いに 協力、さらに地域連携の 確認された。 連携・協力を行うことが い た だ き た い ﹂ と 述 べ、 た経験、知識を活用して 成のため、私たちが培っ たすことが求められてい の拠点としての役割を果 育・産業資源を活用して との間でそれぞれの教 式では、今後は大学にお 定は今回が初めて。調印 も取り組み、十一月十九 ︵雲井純代表取締役社長︶ が、民間企業との連携協 銀行︵上 田 豪 代 表 取 締 役 これまで自治体や公共 施設との連携実績はある の 提 言、 地 域 の 活 性 化・ ニーズやグローバル化へ 育課程編成に関する地域 じた人材育成、大学の教 やインターンシップを通 講義で世界、日本、地域 ン科目として、十五回の 百名が参加した。 三重の高校生が書評バトル 7面 ケント大学 夏季短期留学報告記 8面 ■連載 2面 3面 上田百五銀行頭取は﹁地 地域活性化、人材育成に期待 い﹂と展望を語った。清 る▼従来、大学は教員を を開講する予定だ。 産学連携のスターティ ル 化 と 地 域 の 経 済 社 会 ﹂ 域の発展には人材育成が ン グ プ ロ ジ ェ ク ト と し ︵二年次・半期・二単位︶ 必要。長く協力関係を維 水潔学長は﹁第一線の知 派遣したり、受託研究を て、三重銀行・三重銀総研 とは、すでに三重銀総研 百五銀行・百五経済研 究所とは昨年度より、百 識をご提供いただけるこ 日には四日市市の株式会 相 互 の 機 能 向 上 を 図 り、 ける地域課題解決のため 6面(高校・中学校) いま、地域を教育で活 持し、伊勢を中心とした 用しながら大学が地︵知︶ 五銀行の協力のもと学内 とで、教育に新たな展開 本学では九月一日に ﹁皇學館大学地域連携推 社三重銀行︵種橋潤治取 修学旅行、体育大会 ほか を担う人材育成に向けた 童・青少年の育成と次代 わかもの育成財団と、児 十一月二日、本学は公 益財団法人・三重こども ション能力を習得する絶 題解決力やコミュニケー 通じて実社会に触れ、問 O、地域の方との活動を 援する行政、企業、NP 県立みえこどもの城を支 要として協定を育てた ことは喜ばしい。地域の は﹁新しい仲間が増えた 定書に調印。太田理事長 団の太田栄子理事長が協 では、清水潔学長と同財 が参加した。今後も、若 通り行われ、八名の学生 一弾となる活動が左記の ロジェクト﹂も始動。第 画・運営する﹁ユースプ 本年四月には、すでに 学生が主体的に事業を企 代日本社会学部や教育学 いきたい。実学を学ぶ現 教育のなかで充実させて 決に向けた取組みを大学 ▼さらに、地域の課題解 いく取組みを続けてきた 域貢献として発展させて 来、その学びを自らの地 連携協定を締結した。本 者の視点で子育て応援イ 研究室探訪 vol.18 松下ゼミ(文学部国文学科) 4面 皇學館ミュージアム 8面 神宮式年遷宮「遷御儀」御列 和紙人形ジオラマ 待・いじめ防 の子ども虐 実現したものである。子 ね、企業等の協力のもと の職員らと企画会議を重 十一月十 これは、本学の学生が 六日、三重県 中心となって県や同施設 の神輿を作成した。 短冊を学生が貼って三基 後、寄せられた約千枚の ジを書いてもらい、その め・虐待防止のメッセー プログラムがスタートす 向けた人材育成をめざす の下に地域課題の解決に 五経済研究所と連携協定 重銀総研、百五銀行・百 ▼このほど三重銀行・三 拠点としての役割である ていくことが地︵知︶の 域の課題解決と結び付け れる文学部での学びも地 部はもちろん、虚学とさ い﹂と語り、清水学長は リレーエッセイ 山元義清(神職養成部長) ユースプロジェクト第一弾 松阪市の県立みえこど ﹁ 活 動 を 通 し て 学 生 の 人 ベントの企画・運営など もの城で行われた調印式 間 的 な 成 長 を 期 待 す る。 を行う予定。 好の機会でもある。 いた同財団が、学生の視 点で職員とともに子育て 応援イベントなどを企 の 連 携 は 今 回 が 初 め て。 止啓発キャ た。 トを実施し 歩きイベン こし﹂の練り ﹁オレンジみ の城周辺で みえこども 合わせ、県立 短冊に夢や願い事、いじ 園を回り、オレンジ色の 子や近隣の小学校・幼稚 をして同施設を訪れる親 案。学生と職員が手分け いうアイデアは学生の発 で虐待防止をPRすると ラーのオレンジ色の神輿 たい﹂と語った。 方たちのおかげ。感謝し 間や協力していただいた は﹁成功できたのは、仲 文学科三年の中島雅弘君 加。学生代表を務めた国 鈴木英敬三重県知事も参 向けての一歩である。 した新たな価値の創出に 期待される。学びを活か たせる視野を養うことが 学びを地域のために役立 社会﹂を通じて、自らの ローバル化と地域の経済 知事の似顔絵ジャンパーを手にみんなで記念撮影 画・実施する。学生主体 本 学 の 学 生 に と っ て は、 ンペーンに イベント当日は約四百 ることとなった。とくに ども虐待防止シンボルカ 五 十 名 の 子 ど も の ほ か、 前者は産学連携講座﹁グ オレンジみこしで、いじめ・虐待防止をPR 本学の学生を受け入れて ボランティア活動などで までインターンシップや こどもの城においてこれ 協定に基づき、県立みえ こども育成財団と 学生主体の連携を締結 みえこどもの城で行われた 調印式にて 地域の発展に貢献した 企業説明会を実施してお 行ってきた。それには学 地域社会との連携によって教育の充実を図り、本学の教育研究の成果を広く産業界・地域・自治体に還元するため、こ れまでに伊勢市や名張市、明和町など公的機関と積極的に連携協定を締結してきた本学。十一月には地元企業である三重 銀行、百五銀行とそれぞれ協定を結ぶなど、地域連携の動きをますます活発化させている。 提供・実習施設紹介など︶ る﹁産学協働講座﹂の実 り、今年度は十二月四日 生が少人数で参加するこ 締 役 頭 取 ︶・ 株 式 会 社 三 経済を一連の流れで学ぶ 調印式で種橋三重銀行 頭取は﹁次世代の人材育 から本学に講師を派遣す 施も決定。平成二十六年 を生み出すと期待してい とはあっても、大学全体 進室﹂を設置。教育研究 地域産業の振興に関する 教育・産業資源を相互活用 度から、キャリアデザイ る。内実を伴った連携に の成果を積極的に地域社 の学修︵講師派遣・科目 頭 取 ︶・ 百 五 経 済 研 究 所 に開催され、三年生約三 発展するよう努力を重ね に関わるプログラムはほ 地域の活性化と人材育成 4・5面 とんどなかった▼そのな たい﹂と話した。 に寄与することを目的に 学園祭を開催! ことができる﹁グローバ 重銀総研︵筒井真代表取 3面 かで、わずかではあるが、 締役︶と、同月二十一日 東儀秀樹氏が特別講義 参拝見学・山室山参拝を実施 大学として地域社会に貢 会に還元し、地域貢献及 2面 本学は伊勢学や参拝見学 び連携を図ってきた。そ 第 62 回式年遷宮奉仕報告 を中心に地域を学び、将 連携協定を締結した。 民間企業と 初の連携協定 献する一環としたい﹂と には津市の株式会社百五 1面 握手を交わした。 の一環として産学連携に 百五銀行本店︵津市︶で行われた調印式にて 大津有一 皇學館人物列伝 本学記念講堂大会議室で行われた調印式にて ■注目記事 平成25年12月20日 皇 學 館 学 園 報 (1) 第47号 第六十二回式年遷宮奉仕報告 の姿勢で燃やし続ける役 ら燎︵かがり火︶を蹲踞 薪や松の小枝をくべなが 清められた後、仮御樋代、 る。金属製の堝のなかで 当は新宮中重庭燎東であ の よ う な 緊 張 が 走 っ た。 御﹂である。全身に電流 で き た。 い よ い よ﹁ 出 っきりと聞き取ることが ー﹂という鶏鳴三声をは 奉仕させて頂いたのは実 に有り難き幸せであっ た。かかる貴重な体験の 木遣り唄に気持ち込め 冨田楊裕 参加させて頂き、二十年 に一度のこの機会に巡り あったからこそできる貴 しかし、毎回のように 奉献が終わると﹁今日は 神嘗祭までの毎週 皇 學 館 奉 曳 会 は、 毎年夏休み頃から 白石持ち行事だ。全国か 一番思い出に残ってい るのが今夏に行われたお て一期一会の縁の大切さ ても嬉しく、行事を通し をかけて頂き、私自身と 吹き始めた。それまで私 時に風が正殿に向かって 奉仕させて頂いた。 御儀に臨時出仕として御 私は十月四日、五日の 外宮の川原大祓と遷御の 立て、初穂曵での木遣り への参加、奉曳車の組み 活動は御田植祭・収穫祭 り唄を披露した。初穂曵 しの気持ちを込めて木遣 方をお迎えし、おもてな のも、行事の開始が朝早 の中大変だった。という る作業︵行事︶は炎天下 にお白石を運び、奉献す 持ちを奮い立たせるのが いこともあり皆さんの気 難しいのである。大半は では日頃の練習の成果を 穫に感謝して新穀を外宮 存分に発揮し、今年の収 に奉納した。 唄の披露だ。 今年は第六十二回式年 遷宮に先立って行われた 原祓所から正宮まで舁く でいった。その様は圧巻 前を通り過ぎながら進ん 御列が新宮へと私の目の ながら絹垣を中心とした になられた特別神領民の 行事では全国からお越し 行ってきた。お白石持ち 例年より早くから練習を ても幸せだと思う。 を体験する事ができ、と られて、このような活動 テ ィ ア に 参 加 す る た め、 二十年に一度の式年遷 宮という節目に学生でい てくれるだろう﹂﹁ど ら盛り上がって曳い の人たちがどうした る年齢の方々だ。﹁そ お白石持ち行事のボラン という職務を終始緊張し ぶせて浄闇とした。御神 楽しかった、 ありがとう﹂ に深甚の感謝を捧げると 木曜日に﹁神宮奉仕 ら特別神領民として来ら 神道学科四年 ともに、この神恩に報い 会﹂の方のご指導の れ た 方 々 と 共 に﹁ 新 宮 ﹂ を伊勢の神々に教えて頂 午後五時半から火を熾し たちの方に向かっていた 大気全体が正殿に向けて つつも無事に果たす事が であり、簡単には言葉に 体通過のあとは筵をあ 私は今回行われた第六 十二回神宮式年遷宮お白 東省利 ていた。 も考えて木遣りをし れるだろう﹂といつ 良い思い出にしてく 石持ち行事と神嘗祭に本 てくれて嬉しいよ﹂と声 いたと感じている。 ある金沢大学を退官したの 神道学科四年 学奉曳会の木遣りとして というのは本文校訂と注釈 本学へは鈴鹿三七の後任 として着任した。出身地に ちの伊勢への赴任はわざわ をあわせた造語である。大 介した倉野憲司︵古事記︶ 、 津はそれまでに伊勢物語に ざの感を免れないが、伊勢 伊勢物語研究の権威 けど君たちが活躍してい るべく今後の教育研究活 下、木遣り唄の練習 重 な 経 験 を さ せ て 頂 い ﹁僕は皇學館の卒業生だ 動に邁進せねばならぬと を行っている。主な たが、私はただ庭燎を見 神守昇一 確かなる神の存在を感じた 括 り 袴 に 身 を 包 ま れ て、 た。小雨の中、黙々と連 つめながら、ひたすら注 文学研究科博士後期課程二年 なる奉仕員の長い列は雨 た。 り、無事務めを全うでき 決意を新たにした次第で 機会を与えて頂いたこと たことに安堵した。 ある。 田浦雅徳 式年遷宮奉仕の感動を胸に 櫃を正宮まで運ぶ。私は 仮御船代、御装束神宝辛 を 四 人 一 組 で 担 当 し た。 そのころ頭上でそこらじ 学生部長 宮より御高配を賜り皇學 白山芳太郎先生らと十番 手洗場近くの祓所で祓い 館大学を代表して神宮式 目の辛櫃を担ぐ役につい 遷御における明かりはこ このたび深津睦夫文学 部長をはじめ七名は、神 年遷宮の臨時出仕として た。肩に食い込むほどず の 庭 燎 と 松 明 し か な い。 くように風音を立て、同 にもやり幽幻な趣を醸し 一斉に移動するような感 出来ない感情が込み上 自分の祖父や祖母に当た じで、実に神々しい出来 げ、確かなる神の存在を 闇の中、道楽が奏せられ 無事正殿の 午後六時、遷御の儀は 始まった。隣の正宮で行 出来た。遷御当日は時折 感じられたような気がし から星明かりが洩れ、瞑 け、仄かな残り火に必死 クリティーク︶と古注釈に 日 本 古 典 文 学 全 集︵ 小 学 が嫁ぐときに源氏物語を持 である。古くは貴人の子女 典 文 学 大 系︵ 岩 波 書 店 ︶ 、 学たちも関わってきたもの 他をおいては無かった。そ から、その担当者としては 一号館のみで、研究室は相 きていると考えられるのは 伊勢では麻吉を定宿と し、当時、皇學館大学は旧 して、その研究が今日もい 部屋だったが、そこでは野 であろう。 地は十分な意味があったの 庫を利用しながらの伊勢の お木曳車にその年収穫した新穀を載 五穀豊穣に感謝の気持ち込 せ、外宮に奉納する「初穂曳」行事 め、米を奉る 営々と歴史のなかで継 承されてきた遷御の儀に 奉仕する栄誉を頂いた。 しりと重い辛櫃であっ 十月一日に先ず川原大祓 意深く火を絶やさぬこと 庭燎の炎が正殿の方へ向 遷御前日の川原大祓で は、御装束神宝辛櫃を川 ゅうの木々の梢がざわめ 生まれて初めて平礼烏 帽子・白雑色、赤単、白 に奉仕した。五十鈴川御 ていた。雨儀 だけに意を用いた。 われている儀式の具合は 事であった。 を焚いていたが、鶏鳴三 雨が降る天気の中で庭燎 た。 は 主 に 正 宮、 目すると絶え間ない虫の で息を吹きかけた。火が 床下に辛櫃 を置いて退 知るよしもないが、神楽 入御のときの御列には ただただ圧倒された。御 るころには雨が止み、浄 声と出御の奏請が耳に入 音や鳥のさえずりが聞こ 熾って炎が立ち上ったと う し た ら 楽 し ん で、 出した。 順調なことをうかがわせ 通るまえには濡れ筵をか 神体の入った白い絹垣が えてきた。それはあたか 縁の大切さを神に教わった た。夜空を見上げると新 新宮内の庭 も遷御の儀を言祝ぐかの 歌と浅沓の音から進行の 十月二日 はいよいよ 宮を囲繞する木々の合間 燎、即ちかが まちづくりのあり方を熱心に議論 臨時出仕者 り火の番を 皇大・三重大が合同シンポ開催 山 田 孝 雄︵ 今 昔 物 語 集 ︶ 、 関して本文批判 ︵テキスト・ 館︶ 、 新潮日本古典集成︵新 の手による校注のまま発売 が、 同じような発想からか、 岩波文庫の伊勢物語が大津 参することは多くあった されていることからもわか 後 藤 丹 治︵ 太 平 記 ︶ 、野間 潮 社 ︶、 新 日 本 古 典 文 学 大 この古典大系を嫁入り道具 間光辰、重松信弘らと談論 日本古典文学において注 釈を施した総合的な叢書 系︵ 岩 波 書 店 ︶ 、新編日本 の一つにしたという話も少 る。いかに、大津の研究が していたという。なんとも は、おおむね、日本古典全 きにはほっとした。十時 古典文学全集︵小学館︶の 堅実で時代を超えてなお評 ぜいたくな時代であった。 物語の研究者として神宮文 順に刊行されてきた。 価に値するものであったか ついて成果をものしていた なかでも、日本古典文学 なくはない。 大系は戦後の学的水準に基 大津有一は、この古典大 系で築島裕とともに伊勢物 づく研究を総合した企画で ︵国文学科教授 齋藤 平︶ あった。本項でもすでに紹 語の校注を担当した。校注 を如実に物語っている。 光辰︵西鶴集︶といった先 明治 35 年石川県生。昭和 5 年東京帝国大学文学 部卒業。旧制第七高等学校教授、金沢大学教授、 同法文学部長を歴任。兼任、客員を含め昭和 43 年から昭和 54 年まで皇學館大学教授を務めた。 1902 ∼ 1983。 書︵ 朝 日 新 聞 社 ︶ 、日本古 大津 有一 (おおつ ゆういち) 前には一切の儀式が終わ ようであった。 午後八時には﹁カケコ する役であ くりが大切﹂と指摘した。 文化、景観を活かしたまちづ を 例 に 挙 げ、 ﹁地域の歴史や 民間投資が行われてきたこと った。私の担 「ご遷宮とまちづくり」語る 参加者の一人は﹁遷宮で町 並みが変わっていくのをわか り や す く 説 明 し て も ら っ た。 伊 勢 を 賑 わ せ て い く た め に、 今後は何をしたらいいか考え たい﹂と話していた。 遷御当日で 川原大祓の後、 正宮まで運ばれる御装束神宝 (内宮) 写真提供/神宮司庁 ある。私たち きを変えた。新宮を包む 廊をくぐり 十 一 月 十 七 日、 ﹁ご遷宮と まちづくり﹂をテーマに本学 と三重大学による初の合同シ ンポジウムが開催され、活発 な意見交換がなされた。 基調講演で本学研究開発推 進センターの千枝大志助教は 参詣曼荼羅図を用いながら時 代による伊勢のまちの変化を 解説。三重大の浅野聡准教授 は、遷宮を節目に公共事業や 皇學館 人物列伝 22 第47号 (2) 皇 學 館 学 園 報 平成25年12月20日 り、講義の最後には氏が 富んだメッセージがあ ど、若者に対する示唆に や知識を得られることな に歩み出た者だけが感動 を感じた。それは日本人 を包み込むような暖かさ はとても繊細で、聴く人 でられた笙や篳篥の音色 は﹁東儀先生によって奏 東儀秀樹氏が特別講義 支援対象校タイプ1(大学教育質転換型)、 タイプ2(地域特色型)に選定されました 大変興味深い話が語られ ﹁翼をください﹂の二曲を 私はそこに新しさやいろ 色だが、先生のお話から た。 いろな楽器へと繋がる可 さまざまなことに楽しみ を起こすきっかけや勇気 奮 気 味 に 語 っ た。 ま た、 る道や将来について行動 の 姿 に、﹁ 現 在 迷 っ て い い感銘を受けた様子だっ の生き方そのものにも強 楽についてだけでなく氏 能性を強く感じた﹂と興 の国際人といえること この日、初めて雅楽の 演奏を聴いたという教育 た。 き入っていた。 深さを噛み締めながら聴 演奏。受講者は雅楽の奥 そ の 音 が 表 す も の な ど、 篳篥により﹁ハナミズキ﹂ が昔から継承してきた音 十 月 二 十 九 日、 教 育 学 部 専 門 科 目﹁ 日 本伝統文化教育論﹂ ︵深草正博教授︶の授 業 に お い て、 雅 楽 師 で 本 学 特 別 招 聘 教 授 の東儀秀樹氏による特別講義が開催され、 学生・教職員約六十名が受講した。 講義は﹁これからの自 分の未知数に期待してい る﹂という東儀秀樹氏の 平成25年度文部科学省 「私立大学等改革総合支援事業」 や、勇気を持って一歩前 をもらった﹂と話し、雅 人生観に始まり、日本の さらに、日本の文化を 理解し説明できてこそ真 雅楽の完成度の高さや伝 ﹁篳 承方法、雅楽器﹁ 笙 ﹂ 篥 ﹂﹁ 龍 笛 ﹂ の 演 奏 法 と ながらチャレンジする氏 十一月五日に参拝見 従来は、参拝見学を春 学・山室山参拝を実施し、 学期に、山室山参拝は秋 全学部及び専攻科の学生 ともいうべき伊勢の神宮 参拝見学・山室山参拝を実施 秋学期での統合実施とな のゆかりの地を巡り、皇 し、近世の国学者たちが 者本居宣長の奥墓を参拝 た、山室山参拝は、国学 施されるものである。ま ティを確認するために実 學館大学のアイデンティ った。 学 期 に 実 施 し て い た が、 参拝見学は本学の建学 の精神や設立の歴史の核 すい環境を整備していく。 析 し て、 さ ら に 利 用 し や 状況をアンケート等で分 子 だ。 今 後 は 学 生 の 利 用 T環境に満足している様 ので調べ物に便利﹂とI インターネットが使える 郡 山 翔 君 は﹁ W I F I で の 近 藤 宏 和 君。 同 じ く、 と話すのは教育学科三年 打合せでよく利用する﹂ の で、 模 擬 授 業 の 準 備 の トボードで文字も書ける ションの壁が全面ホワイ る。﹁話もでき、パーテー 組みが活発に行われてい 学生の主体的な学修の取 前 学 習 な ど、 各 ゾ ー ン で 使った海外語学研修の事 ゼンテーションルームを 授業日数を確保するため 「百船」利用者、半年で約3500人 祖霊社で詠んだ﹃笈の小文﹄から﹁何 皇學館大学を自分の進学先と決定し 近世文学の美山靖教授が伊勢を紹介 たのは、昭和四十五年三月上旬であっ するために、芭蕉が伊勢外宮の近くの たように記憶している。京都産業大か 國 學 院 大 か 皇 學 館 大 か と 迷 う な か で、 の木の花とは︵も︶知らず匂哉 はせ を﹂を引用された。早速この木の樹種 ﹁滋賀県人が神主を目指すなら皇學館 や﹂ という父の声が背を押してくれた。 に興味を持って調べた。上代文学では 希望だと伝えた。そのために、守山高 校教師の母の後継者として進むことが と宮司︵神職︶の職にある父及び小学 して回った。 胡根の底﹂は何処かと調べ学習に奔走 この歌は地名不詳のため、﹁野島﹂や ﹁阿 はぬ﹂ ︵﹃萬葉集﹄巻第1・十二︶を引用。 資格取得も欲張って挑戦した︵高校国 使命であったが、加えて図書館司書の けて練習を繰り返したものだ。 せ、調査した短歌や俳句を半折にぶつ 本に楷書で同一文字に半年も筆を走ら た︶はずであるが、大学生活は書道部 を感じている。 えることができることへの誇りと喜び や渡部年晴氏 ︵現・精華寮寮長︶ らの友 約束した初志貫徹の結果である。 む︶に及ぶ私の人生は、坦任と両親に で、美しかったことが記 ところ、学生や教職員よ 献詠歌を学内で募集した 参拝に先立ち宣長翁への 物館、金剛證寺 ◇三年⋮伊雑宮、海の博 社、神宮寺 ◇二年⋮滝原宮、丹生神 物館、本居宣長記念館 いくのを感じました。こ が鎮まり、豊かになって おり、参拝することで心 丹生神社は空気が澄んで います。 て知ることができたと思 皇學館大学の原点につい 識を深め、参拝前よりも の参拝見学により、皇學 憶に残っています。また、 館大学に関係する地の知 り四十五句の投句があ ◇四年⋮三重県護国神 が、山頂の奥墓前で厳粛 るのはとても大変でした し た。 険 し い 山 道 を 登 らないと、気持ちを新た 学問に精進しなければな 伝統と文化を守り、日々 継ぎ、素晴らしい日本の 大な先人たちの志を受け 国史学科一年 本居宣長翁の心に触れる り、そのうち十七句が選 社、結城神社、松浦武四 に執り行われた祭典では にした秋晴れの一日でし 博仁 出され、山室山参拝当日 私は十一月五日、神宮 皇學館時代からの伝統 行事である山室山参拝 本居宣長翁の心を直に感 にクラス委員の学生が墓 郎記念館 ◇専攻科⋮滝原宮、山室 山、本居宣長記念館 今回の滝原宮・丹生神 社での参拝見学は、神聖 じ、身の引き締まる思い に参加させていただきま な雰囲気を感じ取る貴重 た。 原宮で見たほぼ手つかず の自然はとても神秘的 現代日本社会学科二年 濱井沙月 な機会でした。とくに滝 がしました。私たちも偉 皇學館の原点を知る 各学年の参拝・見学先 は次のとおり。 前にて献詠を行った。 ◇一年⋮神麻続機殿神 何をめざして学問に打ち 初志貫徹し、青春を謳歌 込 ん だ か を 学 ぶ 行 事 だ。 社、山室山、斎宮歴史博 と仲良く且つ楽しく青春を謳歌した。 を踏み入れて時を過ごし、著名な師と そ し て、 教 師 九 年、 社 会 教 育 行 政 も交わり、岡田登氏︵現・文学部教授︶ 二十四年、神主四十年︵神社庁五年含 と古都愛好会、その上、学友会にも足 年生でも授業がぎっしり詰まってい ためには時間的な余裕はなかった︵四 皇學館を選んだことによって、後年 趣味を聞かれて書道や短歌、俳句と答 語教師として役立った︶ 。単位取得の 大学卒業時には神職資格と国語科の 曽野紫山先生の書道では倉田山校舎 教職免許状をもって郷里に帰ることが に 黒 布 を 広 げ、﹃ 九 成 宮 醴 泉 銘 ﹄ を 手 校から大学を目指すこととなった。 中学二年生の夏に高校進学の三者懇 西宮一民教授が﹁わがほりし野島は見 談会が実施され、 私は収入役︵公務員︶ せつ底深き阿胡根の浦の球ぞ拾︵ひり︶ 山元義清 国文学科 9 期(昭和 49 年卒) 神職養成部長 皇學館のアイデンティティを確認 「天の音」を表現しているという笙。 教室にはその透明感のある美しい音色 が響いた ●タイプ 1 「建学の精神を生かした大学教育の質向上」(大学教育質転換型) 申請校数727校、選定校数255校、選定率35%。 ●タイプ2 「特色を発揮し、地域の発展を重層的に支える大学づくり」 (地域特色型) 申請校数540校、選定校数157校、選定率29%。 と教職員が参加した。 学生の主体的な学修と 交流の場として文部科学 省より補助を受けて設置 さ れ た﹁ 百 船 ﹂ が 今 年 四 月 の 開 設 よ り 半 年 を 経 過。 九月までの利用者が延べ 三五四三人に上ることが わ か っ た。 一 日 平 均 は 四十四人、一日での最多利 用人数は一二三人、また、 サポートカウンターでの ノ ー ト パ ソ コ ン・ i Pa d・ 電 子 黒 板・ プ ロ ジ ェ クターの貸し出しは延べ 六四八件となっている。 ﹁百船﹂の運営には学生 スタッフがあたり、グルー プワークゾーンでのゼミ の事前学習や電子黒板を 使 っ て の 模 擬 授 業、 プ レ 雅楽や伝統文化についてわかりやすく解説する東儀氏 教員の説明を熱心に聞く学生 本居宣長の墓前で代表学生が献詠 学科三年の森下慎一朗君 この事業は、平成 25 年度より文部科学省と日本私立学校振興・ 共済事業団が共同で実施するもので、「 『大学力』の向上のため、大 学教育の質的転換や、特色を発揮して地域の発展を重層的に支える 大学づくり、産業界や国内外の大学等と連携した教育研究など、私 立大学等が組織的・体系的に取り組む大学改革の基盤充実を図るた め、経常費・設備費・施設費を一体として重点的に支援する」こと を目的として、タイプ毎に選定が行われました。 平成25年12月20日 皇 學 館 学 園 報 (3) 第47号 皇 學 館 学 園 報 平成25年12月20日 創立50周年記念 9月19・20日 皇高祭 テーマ 楽しく終えることができた 皇中祭 私は今回初めて、実行委員長として皇中祭に関わりました。 今回の皇中祭は創立 35 周年記念でもあり、そんな時にこの ような大役を任され、喜びと不安が交錯しました。 昨年まで、皇中祭での発表は本部役員の生徒数名で行 うものでした。しかし今年はHONBUプロジェクトと して実行委員全員で歌を歌い、踊り、ステージを盛り上 実行委員長 3年 げました。練習を始めた頃は気持ちがまとまらずに困る こともありました。しかし本番が近づくにつれ、気持ちが 細川実玖 一つになるのを感じました。本番は、緊張よりも楽しんで やろうという気持ちの方が強かったです。本番を終えた後の達成感であふれた実 行委員の表情は、今でも忘れられません。 この記念すべき皇中祭で実行委員長を務め、私はさまざまなことを学びました。 35 周年という節目の年を機に、さらに皇學館中学校が笑顔あふれる学校となるこ とを願います。 18 松下道信ゼミ 厳粛な雰囲気で始まった「祭典」。参列者一同が頭を垂れ、 お招きした神様に本年度の文化祭の意義を申し上げるととも に、学業成就への感謝の気持ちと、その成果をご奉告。そし て、これから行われる文化祭の無事と、教職員・生徒一同が 今後もますます元気で明るく勉学に励めるようにお祈りを捧 げた。 ●吹奏楽部 定期演奏会 東海吹奏楽コンクールで金賞、三重県吹奏楽コンクールで 初優勝を果たした吹奏楽部は、受賞した2曲に加えてJ−P OPの親しみやすい曲やダンスなどのパフォーマンスを披 露。会場全体が大いに盛り上がった。この日のために練習に 励んできた部員にとって、同級生に晴れ舞台を見てもらえる ことは格別に嬉しいことのようだった。 ●クラス展示 2年1組の作品は「 心を一つに」とのテー マのもと、クラ スの団結と助け合いの 精神を軸に、始業式の 日から皇高祭の 前日まで、早朝や昼休 み・放課後を利用して 製作。いちばん の苦労は、ベニヤ板に 和紙を貼る作業。二人 一組となり、互 いに心を一つにしなが ら、上下左右のバラン スをとって一枚 ずつ慎重に貼っていく ……。そんな達成感に あふれる作品。 テーマ 達成感であふれた皇中祭 vol. 心を一つに、いくぞ皇高祭 !! ●祭典 50 周年の皇高祭はとても楽しかったです。 祭典では会場が一丸となり、本当に美しく二拝・二拍手・ 一拝を揃えることができました。祭典の次はすごく盛り上が った吹奏楽部のステージ。「勝手にシンドバッド」から始ま り、さまざまなジャンルの曲を演奏してくれた吹奏楽部のお かげで会場全体が大いに盛り上がり、笑顔があふれました。 総務副委員長 午後からは斎藤孝先生による講演会。いつものような講演 ではなく、自分たちも体を動かして実践しました。また、本 平田拓海 校OGでもあるサックス奏者・大西由希子さんによるコンサ ートでは普段聞かない音楽を聞くことができて、貴重な体験となりました。 2日目は各クラスの催し物でした。みんなが楽しそうな顔をしていたのが印象 的で、仲の良い友だちと回るのはとても楽しかったです。昼からは校友会が企画 したウルトラクイズがあり、先生たちの対決には見ているこちらまで熱くなりま した。 皇高祭が無事に楽しく終わることができて、本当によかったと思います。 創立35周年記念 11月23・24日 第47号 (4) 栄光に向かって走り出せ! ∼煌めく 35 個目の星へ∼ ●花販売・募金 ラメンやポインセ ホールでは、シク め 2階のセミナー 販売。色とりどりの鉢植えを求 を 義 チアなどの鉢植え 。売上金は全額が東日本大震災 た 窓 る来場者で賑わっ また隣には赤い羽根共同募金の 。 け 援金に充てられる 委員が大きな声で募金を呼びか 行 実 、 れ ら け 設 が 口 た。 ●クラス展示 科学をテーマとする謎解き、世界遺産めぐ り、深海の美術館など、6クラスがそれぞれ 工夫して作りあげたクラス展示。 他にも縁日、 和紙によるご遷御の行列、桃太郎の英語劇な どのプログラムで来場者をもてなした。 ●合唱 優勝した3年B組の合唱。 「ぶつかり合うこともあっ たが、本番が近付くにつれみんなの心が一つになった」 と生徒たち。当日は、指揮者・伴奏者、そして全員が 力を合わせて「大地讃頌」 (だいちさんしょう)と「ヒ カリへ」を歌い上げた。 漢文学を学ぶことで、世界に開かれた 国文学の姿を学んでほしい。 今回のゼミ探訪は、漢文学の松下ゼミ。漢文学とは、もちろ ん中国の古典文学のこと。中国古典という外国の文学を学ぶ ことが、日本文学の理解にもつながるのだそうです。 学生コメント 三国志の研究をしたい 阪本琴美 さん 国文学科4年 ゲームの「三国志」が好きで、そこから本物の『三国志演義』 文学部国文学科 を読むようになりました。卒業論文も『三国志』で書きたいと思 松下道信 (漢文学)准教授 国文学科でなぜ漢文学を学ぶのですか? とよく尋 ねられます。理由は、日本文学は中国文学から多大な 影響を受けて進化してきたものだから。ひとことで漢 文学といっても、そこには日本文学をしのぐ長い歴史 と膨大な作品があります。ゼミではその中でも、宋か ら元の時代に活躍した道教の道士の伝記を使っていま す。道教というと、日本では神道や密教などの中で断 片的に伝わっているだけですが、中国では儒教と仏教 に比肩するほどスタンダードな宗教で、道士の伝記は 日本とは異なる中国の姿を理解するためにはうってつ けといえるでしょう。私のゼミの学生には、こうした 漢文学の学習を通して、国文学科の学生だからといっ て日本だけを見ていれば良いのではなく、広く世界に 目を向けることの大切さを学んでほしいと思っていま い、松下ゼミを選びました。そんな私ですから、研究旅行で台湾 す。また明治以降に日本の文学が西洋から大きな影響 を受けたように、国文学が世界と深い関係を持ちつつ 展開してきたことを理解してほしいと思っています。 を訪れたとき、高雄の蓮池譚という公園で『三国志』の登場人物 が壁に彫られているのを見て、さらに興味が深まりました。いつ か司書として図書館の仕事に関わり、 『三国志』を多くの人に読 んでもらうお手伝いができたらと思っています。 忘れられない研究旅行 中村 華 さん 国文学科4年 日本文学が好きで国文学科に入りましたが、2年生のときに 『封神演義』という中国の小説を読み、漢文学に興味を持つよう になって松下ゼミへ。松下ゼミは少人数でしたが、とても仲の 良いゼミでした。先生とのいちばんの思い出は、やはり台湾の 研究旅行。先生は中国語が堪能で中国に関する知識も実に多く、 バスの移動中はずっとマイクで解説をしてくれました。でも、 おかげで現地ガイドさんの出番がありませんでした。 皇 學 館 学 園 報 (5) 第47号 平成25年12月20日 学園祭を開催! 明日につながる 学びと喜び 教室の授業だけが勉強ではない。自分たちで企画し、計画を立て、 意見を調整しながら準備して、当日は思い切り楽しむ。その中で 大切なことを学ぶ学園祭も、学校の勉強の一コマ。とくに式年遷 宮が行われた本年は、先輩が築いた歴史と伝統を次の世代に伝え ることも大切なテーマだったようだ。 第 52 回 倉陵祭 11月1日∼3日 永遠に続いてほしい 折りしも式年遷宮が行われた本年、私たちは第 52 回倉陵祭のテーマを 「環(めぐる)」としました。この言葉には、倉陵祭の中で学生がさまざま な出会いを体験し、心をかよわせ、地域文化を築くイベントとして永遠に 続いてほしいという思いをこめました。 私自身、倉陵祭の準備を通して、委員会の仲間に支 えられました。もちろん、このイベントが成功でき たのは実行委員会だけの力ではありません。交通規 制をしていただいた警察の方々、多くの先生や大学 職員の方々、参加してくれた学生、そしてご来 場いただいたすべてのお客様に、尊敬と感謝 の気持ちでいっぱいです。 来年も再来年も、こんなに素敵なイベント が続くことを心より願っています。 倉陵祭実行委員長 来光美希 テーマ 環(めぐる) ●子ども広場 ほうのランプ」が 劇「アラジンとま が 倉陵会館では、 ッキー教室やスライム教室など ク て り ね 作 こ 手 を 、 地 れ 生 さ 。 演 ち 上 の主役は子どもた そ 開かれた。ここで 作ったクッキーを家族とおいし で ぎ 型抜きして、自分 イムの不思議な感触に大はしゃ ラ あ うに食べたり、ス 子どもたちの笑顔と歓声で満ち は したり、倉陵会館 ふれた。 ●展示 クラブ・同好会など、 約 20 の 団 体 が 各 棟 の 教室で日頃の活動を披 露。「競技かるた」 、「神 職装束の着付け体験」、 「ディベート」など、見 るだけでなく参加・体 験して楽しむ展示が数 多く見受けられた。 ●国文学会 ●祭典 倉陵祭の成功と会期中の無事を祈念して、最初に記 念講堂で祭典が行われた。大学祭の名にふさわしく、 祝詞を奏上する祭主は教員、祭典を行う祭員、雅楽を 奏でる伶人、舞人は学生と、すべて本学関係者で斎行。 式典の後、清水潔学長から「今、お越しいただいた神 様にご照覧いただく気持ちで、3日間を有意義な時間 としてください」という開会の言葉をいただき、倉陵 祭がいよいよスタート。 本学国文学会の研究発表会。今年は国文学科卒業生 の松田麻希さんの「熊野市域の言語研究―『ライ』に ついて―」と、大学院国文学専攻の史淑明さんによる 「樋口一葉の『十三夜』試論」の2題の発表が行われた。 ふたりとも少し緊張していたものの、堂々と研究の成 果を発表し、参加者からは惜しみない拍手が送られた。 ●屋外ステージ ●樽神輿(たるみこし) 学生有志が思い思いのアイデアを凝らして手作りし た樽神輿で伊勢市内を練り歩く、倉陵祭の恒例イベン ト。今年はご遷宮の年ということもあり、内宮ご正殿 を模した神輿や、人気ドラマの主人公の人形をデコ レーションした神輿など、7基の神輿が登場。全員お 祓いを受けた後、本学から外宮まで巡行した。 ●模擬店 芝生広場や記念講堂前広場、さらに記念講堂に続く 坂道には、恒例の模擬店が立ち並んだ。おでん、あげ たこ、焼きそば、パンケーキ……。キャンパスは一日 中、おいしそうな香りが漂っていた。 ●教育エキスポ 本学教育学会の発表 会。広い体育館全体を 使って、教育学部のゼ ミが 120 以上の研究成 果を発表。パネリスト と参加者がテーマにつ いて熱く語り合うブー スや、自作の漫才ミュー ジカルや手品、手遊びの実演ブース、さらに老人・妊婦体験、箱庭体験を行うブースな どがずらりと並び、今年も教育エキスポは大盛況を見せた。 フラダンスから薙刀、 よ さ こ い、 マ ジ ッ ク、 演歌、ジャズ、合気道 まで、バラエティ豊か な屋外ステージ。次か ら次へと繰り広げら れるパフォーマンスの 数々に、広場は始終笑 顔で満ちていた。とくに2日目に行われた祭式研究部による神職装束の紹介は、まさに 本学ならではのイベントだった。 ●チャリティバザー 開場と同時に、掘り出し物を求める多くの来場者で 満員になったチャリティバザー。会場内には、本学の 8名の先生から寄贈されたオススメ本のタイトルを隠 して販売することで、本との意外な出会いを楽しむ「古 書かくれんぼん」のコーナーを併設。こちらも多くの 学生で賑わった。 ●杉山愛さん講演 会 元テニスプレイ ヤ トッププレイヤー ー・杉山愛さんの講演会。世界 の になるまでに経験 来事を通して、彼 したさまざまな出 女 げざんまい:どん の座右の銘でもある「遊戯三昧」 (ゆ な 底して続ければ、 に辛いことも、好きになるまで 徹 必 さについて語って ず道は開ける)という言葉の大 切 いただいた。 笑顔と学び ︱︱充実の修学旅行 北海道へ修学旅行 か ら お 話 を 聞 く 機 会 が あ り、 この四日間は私にとって高 校三年間の中でもとくに胸に 遠い昔の問題ではなく、現在 〝歌う楽しさ〟伝わる合唱 んによる素敵な演奏との発表 であった。 で﹁COSMOS﹂、﹁夢の世 いた。発表の最後には全学校 伊勢市連合音楽演劇発表会 十一月八日に伊勢市観光文 曲を発表した。 化会館にて伊勢市連合音楽演 限られた練習時間にもかか わらず、一年生らしい元気の 界﹂を歌い、最後の﹁さよう 今まで見たこと、聞いたこ とがない他校の素晴らしい発 良 さ で﹁ 歌 う こ と が 楽 し い ﹂ 残る大きな思い出となること という気持ちが伝わってくる でしょう。 一 年 生 と 二・三 年 生 の 合 唱 同 なら﹂では手話を交えながら も、これからも日本国民が向 好 会 が 出 演 し、﹁ ふ る さ と ﹂ 合唱であった。小川千鶴先生 き合っていかなければならな 三日目は、美幌から特急オ 初めての北海道ということ ホーツクで小樽に向かいまし もあり、前日からワクワクし と﹁歌声は風に乗って﹂の二 起きたままだったので、よっ テンションが上がってしまい 重なお話は忘れずにいたいと あることを再確認し、この貴 幕を下ろした。 の 大 合 唱 で 大 変 盛 り 上 が り、 表に生徒たちは大変感動して てあまり眠ることができませ い問題だと強く実感しまし た。七時間という長旅ではあ んでした。空港までのバスや と 合うなどとても楽しく、あっ 劇発表会が行われた。今年も りましたが車中はとても快適 飛行機内では寝てしまうと 風に乗って﹂は山本あまなさ という間に小樽に着きまし た。 は味わうことのできない寒さ で、車窓から美しい自然の風 思っていましたが、ますます 学地、北方領土館では、地図 びっくりさせられました。そ の団結力と素早い行動は本当 号 令 が 良 か っ た と 思 い ま す。 なのお手本になれるように頑 は私たちが三年生です。みん 励まし合い、最高の笑顔、涙 つ に な っ て 協 力 し 助 け 合 い、 動会でした。一年A組の結果 学最後の体育大会はみんなの は最下位。でも、みんなが一 力が一つになって優勝するこ す。すごく感動しました。中 字が完成すると保護者から歓 がありました。 行われ、音楽に合わせて人文 声が上がった。結果は三年B とができました。 いきたいと思います。 組が優勝、三年A組が準優勝 き、国と国との大きな問題で 新プログラムで盛り上がる いだ十月三日、行われた。今 雨で午後の部が延期となっ ていた体育大会が暑さも和ら るなど各クラスがアレンジを り、タオルを使って文字を作 ちなんだお木曳を表現した る 入 場 行 進 だ。 式 年 遷 宮 に ん跳べたうえ、三年生 ません。回数もたくさ 縄を跳んだ楽しさは忘れられ す。みんなで一つになって大 見て、そして、その子からバ が一生懸命頑張っている姿を が多かったのですが、その子 い子からバトンをもらうこと 目は皇學館高校の名物といえ 回は創立五十周年を祝う記念 加え、多彩な個性が感じられ 創立五十周年記念 第五十一回体育大会 大会ということもあり、昨年 た。三つ目は学年対抗の応援 となった。以下に生徒の感想 私は体育大会などで初めて 三年生の団結力に脱帽 を紹介する。 涙を流しました。感動してあ 二年A組 中村真依 一番楽しかったのは﹁チャ ふれだした涙です。リレーで みんなの力一つに優勝 レンジャー・ザ・ギネス﹂で 私は運動があまり得意ではな 久保梓紗 とは大きく変わった点が三つ 合戦。この種目で三年生は一・ 二年生に を見せ > どの場面も印象深いです が、とくに行進の時の室長の 三年B組 あった。 一つはクラスごとに違う色 のTシャツを着たこと。二つ 団結力 < つけてくれた。同時に、二年 生は一年生を、三年生は一・ 二年生を、そして、校友会は 学校全体を引っ張っていかな ければならないんだと改めて 考えることができた体育祭 だった。 総務副委員長 大畑綾音 心を込めて歌い上げた 楽しい思い出がいっぱい 二年三組 山路悠平 に身を包まれ、同じ日本とは 景を楽しみ、また友人と語り でしか見たことがなかった国 運動場に応援の声響く の指揮に合わせて ふ 「 るさ 」は ア カ ペ ラ で、﹁ 歌 声 は 思えなかったです。最初の見 十 月 八 日 か ら 三 泊 四 日 の 日 程 で、 二 年 生 三 七 〇 人 が 北 海 道 で の 修 学 旅 行 を 満 喫 し た。 現 地 で は 摩 周 湖 や 小 樽 な ど 観 光 名 所 を 巡 っ た り、 北 方 領 土 館 を 訪 れ 日 本 の 歴 史 を 学 ぶ な ど、 充 実 し た 時 間 を 過 ご し た 生 徒 た ち。 仲 間 と 友 情 を 深 め た り 協 調 性 の 大 切 さ を 学 ん だ り と、 精神的にも実りの多い旅となったようだ。 北方領土問題に向き合う 二年七組 鳥田陽和 北海道へ四日間、修学旅行 に行きました。行きの飛行機 は 朝 早 か っ た に も 関 わ ら ず、 感じました。 おかげで気持ちがぐっと入り 張りたいと思います。 ぽど楽しみにしていたんだと ま し た。﹁ ク ラ ス 一 脚 ﹂ で は た。小樽の自由行動は修学旅 九月二十二日に実施された 体育大会。青空の下、生徒た 当日に行った最後の練習でも 感動で涙を流す 平井優子 後島をうっすらとではありま ちはどの競技も力を合わせて リ ズ ム が 合 わ な か っ た の に、 雲の上からの景色に興奮しっ したが、とても寒かった知床 全力で取り組み、応援の声が 本 番 で は 一 直 線 で ゴ ー ル! 中学生になって初めての体 育大会は、とても心に残る運 に素晴らしかったです。来年 五湖、雄大だった摩周湖、そ 運動場中に響き渡る素晴らし きっと、みんなの心が一つに 創立三十五周年記念 第三十四回体育大会 して皆での入浴や食事といっ い一日となった。三十五周年 なっていたからだと思いま ホテルでの過ごし方につい て注意を受けたこともありま だことがたくさんありまし た楽しい思い出のほうが圧倒 記念大会を兼ねた今回は記念 思います。 アクセサリーなどの小物もた た。それはクラスメイトの大 的に多かったです。この貴重 イベントとしてマスゲームも 行の中で最も楽しく、とくに くさんあって、見ているだけ 切さや集団行動の重要さ、そ な体験を通して学んだこと し た が 望 見 す る こ と が で き、 に近くにあ でもワクワクしました。友人 して何より北方領土問題で を、今後の生活にも活かして とても感動しました。あんな 北海道に着くと、三重県で りながら自 と一緒に買い物をし、海鮮丼 す。電車の中で、元島民の方 ぱなしでした。 由に行き来 を食べて二時間ちょっととい に北方領土講話をしていただ ガ ラ ス 工 房 は 器 だ け で な く、 今回の修学旅行は四日間と いう短い期間でしたが、学ん することが う短い時間でしたが、有意義 区分 一年A組 できない苦 に過ごすことができました。 548 25,038,000 24,998,000 し み な ど、 合計 元島民の方 寄付者芳名 皇學館高等学校創立五十周年・ 皇學館中学校創立三十五周年記念事業 周年記念行事につきましては四十六号で詳報の通りお蔭様を も ち ま し て 盛 会 に 終 え る こ と が で き ま し た。 ご 協 力 を 賜 り ま し た 皆 様 に は 感 謝 申 し 上 げ ま す。 な お、 本 募 金 の 依 頼 は 終 了 い た し ま す が、 以 後、 お 申 込 み い た だ き ま し た 寄 付 金 に つ き ま し て は 芳 名 録 に て、 ご 芳 名 掲 載 と さ せ て い た だ き ま す の で、 何 卒 ご 了承いただきます様お願い申し上げます。 久伊豆神社様 皇學館高等学校創立五十周年・ 皇學館中学校創立三十五周年記念事業 寄付金進捗状況 平成25年11月30日現在 ●三重県 三百十万円[総額七百十万円] 皇學館高等学校 同窓会様 淺原 由香様 五万円 中村憲太郎様 一万五千円 山本 和美様 一万円 稲葉 和久様 一万円 ※注意事項 大久保佳美様 一万円 個人情報保護に関する法律 木村 潤造様 一万円 の施行に伴い、ご芳名・金額 林 宣元様 等の掲載をご希望されない 一万円 村田 茂壽様 方々につきましては、別記と 一万円 村田 静佳様 させていただきました。 一万円 村田奈保子様 一万円 ●愛媛県 ■一般/1名 岡本 荒侍様 ■同窓会会員/2名 一万円 たので、来年は一位に の記録まで後少しだっ ました。最下位でもみんなに トンを受け取った瞬間涙が出 り ま せ ん。 と て も 楽 し く て、 バトンが回り、ゴールできた 最高の笑顔で、元気にできて ことが何より嬉しかったで 先輩方の竹取合戦に も感動しました。ほと なれるように頑張りた んど敵チームの陣地に 良かったです。来年も頑張り す。この体育大会に悔いはあ 取られていた竹にクラ ます。 て取り返した場面には ス全員が一斉に集まっ いと思いました。 クラス全員が一つになれた「クラス一脚」 宗教界 ●埼玉県 五万円 企業 藤井 基弘様 同 窓 会 会 員 後援会賛助会員 本 法 人 関 係 4 500,000 500,000 49 4,590,000 4,550,000 19 2,660,000 2,660,000 270 11,968,000 11,968,000 76 1,255,000 1,255,000 130 4,065,000 4,065,000 宗 教 界 企 業 旧教職員・篤志家等 一般( ) 世界自然遺産・知床での ワンショット ●三重県 五万円 ㈱二光堂様 三万円 ㈲パルムコ ー ポ レ ー シ ョ ン 様 一万円 ㈱世古真珠様 同窓会会員 ●愛知県 五千円 クラスTシャツを着て、いつも と違う体育大会 納入金額(円) 申込金額(円) 申込件数 間近に見えた国後島 第47号 (6) 皇 學 館 学 園 報 平成25年12月20日 の学生たちが司会進行を ク ル﹁ ビ ブ ロ フ ィ リ ア ﹂ ル普及委員会理事︶のほ 務めた。 地域でも広がりを見せて ビブリオバトルは誰で も参加できる気軽さから いただいた。 だき、開会の挨拶をして 伊勢市長にもお越しいた 地域活性のきっかけにも か、ビブリオバトルサー 学科助教︵ビブリオバト 三重の高校生が書評バトル 三 重 県 教 育 委 員 会 と 本 学 と の 共 催 に よ る﹁ 高 校 生 ビ ブ リ オ バ ト ル倉田山決戦2013﹂が十一月十六日、本学を舞台に開催され、 南勢志摩地域の高校生をはじめとする十名が白熱の書評合戦を繰 り広げた。 十名が書 評 プ レ ゼ ン 競 う ち、本学を会場に開催さ 偶然通りがかった人も興味 津々の様子で発表を見守る 学からは副賞として五千 円分の図書カードが贈ら れた。 国﹄﹃銃とチョコレート﹄ 商店街のビブリオバトル ったものの、参加した人 として継続したいとの旨 空手道部・秋田大輝君が 十二票を集めた﹃ロコ! 聴衆を前に、緊張した表情のバトラー る﹁高校生英語スピーチ 二十七日に第十四回とな 本学文学部コミュニケ ーション学科では、十月 の学生が英語で行い、ま コミュニケーション学科 また、当日の司会進行も 間 の ス ピ ー チ を 行 っ た。 る。英文の暗唱は英語習 レベルは毎年向上してい 教授は、﹁入賞者の英語の ケーション学科・豊住誠 審査員は本学コミュニ らも良質の英文の暗記に 大会委員長のコミュニ 返った。 コンテスト﹂ を開催した。 さに〝英語一色〟の大会 得の近道なので、これか ーマ・原稿により約三分 同コンテストには県内 となった。 努めてほしい﹂と感想を 十 四 校 三 十 九 名 が 参 加。 ケーション学科の教員を 緊張感と熱気あふれる 中、発表者はそれぞれ教 なお、上位入賞者は左 記の通り。入賞者にはそ 述べた。 れぞれ表彰状と盾、副賞 含む三名︵うち二名は外 語 や 文 章 の 発 音、 ス ピ の図書カードなどが贈呈 科書や副読本などを題材 ー チ の リ ズ ム、 表 現 力 された。 国 人 教 員 ︶ が 務 め、 単 などを基準に厳正に審 にあらかじめ提出したテ 査 し た。 優 勝 し た の は > 入 < 賞者 第一位⋮アルベス ダニ エレ サントス フェヘ イラさん︵松阪商業高校 商業高校一年のフェヘイ ラさん。フェヘイラさん 一年︶ ら、﹁ALTの先生と一緒 に練習に励んだ。表情や 第三位⋮奥野 綺良里さ ん︵メリノール女子学院 イントネーションにはと くに気をつけた﹂と練習 高校一年︶ 第二位⋮児玉 花梨さん ︵暁高校 二年︶ は喜びに顔を輝かせなが るスピーチを行った松阪 ﹁ What Teachers Make ﹂と題す by Taylor Mali 年々参加者のレベルがアップしている同コンテスト。認知度 も上がり、参加校も増えている 一人五分の持ち時間で 校生ビブリオバトル倉田 お す す め の 本 を 紹 介 し、 山決戦2013﹂と銘打 参加者全員の投票で﹁一 本学の地域連携事業の一 は計八名のバトラーが参 おり、十一月十七日には ﹁中学生﹂ ﹁高校生﹂ ﹁大 学生・一般﹂の三部門に れた。 加。チャンプ本にはそれ の学力向上県民運動﹂の 聴衆として参加したの は商店街の関係者のほ が選ばれ、紹介した三名 が本学と同商店街の間で 環として﹁商店街ビブリ オバトル@伊勢銀座新道 番読みたくなった本﹂を 決める 商店街﹂が催された。 一環として、南勢志摩地 ずつ二つのブロックに分 か、偶然通りかかった一 には新道商店街の世古一 分かれて行われた大会に 会場の設営・運営につ いては手探りの開催とな ビブリオバト この大会は三重県教育 < 委員会が取り組む﹁みえ 域の高校生を対象に、同 かれて本に込めた熱い想 般の方までさまざま。ま 確認された。 。 >ゲーム感覚で楽し 委員会と本学との共催で いを語った。審査員でも 夫理事長から賞状が、本 ル 本談義に花を咲かせるバト ラーたち めると全国的に広がりを 実現したもの。バトラー あ る 聴 衆 の 心 を つ か み、 たご多忙な中、鈴木健一 たちの評判は上々。ぜひ 見せているこの書評合戦 には皇學館高校をはじ みごとチャンプ本に選ば ぞれ﹃暗黒女子﹄ ﹃忍びの が、 十 一 月 十 六 日、﹁ 高 め、宇治山田高校、宇治 山田商業高校、伊勢高校、 れたのは、六十三票中三 伊勢工業高校、南伊勢高 全国大会出場 思うままに﹄と、十五票 に明け暮れた日々を振り 実行委員 山﨑理沙(現代日本社会学科4年) 出場した。さらなる飛躍 いために、まずは現実を知ること――ぜひご来場ください。 を期待したい。 と考えています。交通事故の加害者にも被害者にもならな 柔道部男子一部リーグ準優勝 信している。今後も、支 事故の現状等を展示し、生命の大切さを発信していきたい 校度会校舎の生徒八名 は男子組手競技団体戦に 東海学生柔道冬季優勝大会 えてくださる多くの人々 境情報科学館では遺族との対話のほか、被害者の生い立ち、 を獲得した﹃子午線の少 一年︶が十二月七日、八 人戦の部においてもただ 出場し、男子組手競技個 東海学生柔道冬季優勝大 取り組んできた。選手自 に感謝し、来年の夏季大 のちのキャンパス」を開催します。会場となる三重大学環 と、同委員会から二名の 日に東京武道館及び日本 会において、男子は柔道 身のメンタル面の変化も 会に向け日々精進してい の悲惨な実態を伝え命の尊さを感じていただくために、 「い 計十名が顔を揃え、五人 工業高校︶と中川心路君 武道館で開催された﹁第 益財団法人 全日本空手道 グ準優勝を果たした。柔 道部顧問の佐藤武尊先生 は﹁この大会に向け、練 あり、大きな成果を挙げ きたい﹂と語った。今後 習メニューに工夫を行い てくれた﹂と述べ、﹁彼ら 創部以来の快挙を成し遂げ、誇らしげな 表情の選手たち 自身、成長しているとい ている「いのちのキャンパス」実行委員会では、交通事故 ー第14 回高校生英語スピーチコンテストー の活躍に注目だ。 鹿国際大学、三重大学、本学)の学生が中心となって運営し 松商・フェヘイラさんが優勝 う確かな実感を得たと確 重県内の5大学(北から四日市大学、鈴鹿医療科学大学、鈴 ターの中西悠二君︵伊勢 から学長賞の賞状が贈ら 四十一回全日本空手道選 ︵皇學館高校︶には、本学 れた。 十一月十七日︵男子︶、 一人の三重県代表として 同 二 十 三 日︵ 女 子 ︶、 愛 連盟主催︶﹂に 知県武道館にて行われた ともあり、発表者は一様 出場。一回戦 手権大会︵公 に緊張した面持ちだった で敗れたもの 県内で初めての高校生 ビブリオバトルというこ が、イベント終了後には の、秋田君は ことを誇りに 部史上初となる一部リー それぞれの紹介本の感想 「もっと強くなりたい」と稽古に励む秋田君 を言い合うなど、参加者 子。ビブリオバトルのコ なった。この 思うし自信に 同士で会話が弾んだ様 ﹁出場できた ンセプト﹁人を通して本 冬は走り込み を知る/本を通して人を 知る﹂の通り、楽しく交 など身体づく たい﹂と話す。 りに取り組み 流を深めていた。 なお、開催にあたって は、本学の岡野裕行国文 みなさんは普段から交通ルールを守っていますか? 三 本学空手道部に所属す 三重県選抜チームのメ 年達﹄の二冊。プレゼン る秋田大輝君︵教育学科 ンバーに選ばれた秋田君 本自体の魅力もさることながら、 それをいかに伝えるかがバトラーの腕の見せどころ 平成25年12月20日 皇 學 館 学 園 報 (7) 第47号 白山芳太郎(文学部教授) 伊勢の遷宮を考える −1日の祭り1年の祭り 20 年 1 度の祭り− 英国の名門・ケント大学は本学の教育協定締結大学であり、毎年、 多 く の 学 生 が 夏 季 短 期 留 学 に 参 加 す る。 八 月 三 日 か ら 三 十 日 ま で 実施された今年は十六名という例年になく多くの男子学生が参加 し、女子六名とあわせ二十二名が渡英した。 猛暑の日本と違い、英 国はとても快適な気候で 問にもなかなか答えられ 彼らは、最初は先生の質 スンを受けた。シャイな に汗をかいた。恒例の日 他国からの留学生と一緒 る の言語センターが主催す た。 っかり慣れた様子であっ 終日には感極まって涙し なことを学びました。最 っという間ですが、英語 は十分間と日本語ではあ 玉置はるな 語学研修後は、四日間 のロンドン滞在が組み込 てしまうほど、充実した 津田学術振興基金 国際交流特別企画 ケント大学の講師2名による 目当ての場所へと向かっ た。学生の中には出来る だけ多くの場所を訪れよ うと入念に計画を立てた あった。カンタベリー大 な か っ た が、 徐 々 に 慣 者もいて、地下鉄の乗り 聖堂を見下ろす丘にある れ、最終課題である英国 青春時代に経験した、人・ では、 方や道の尋ね方にも、す sports evening 自然豊かなケント大学の オープニングの盆踊りの 現地では英語力向上の 他に、国際感覚、また多 教育学科一年 英語力向上には、 アウトプットの強化が必要 ゲ ー ム の ブ ー ス を 設 け、 宝になるであろう。 で来場者にお茶を点てた 後は、女子学生は浴衣姿 り、筆や箸の使い方を英 語で説明したりして、交 まれている。彼らは英国 留学体験になりました。 流の輪を広げた。 の文化や歴史への興味も 様な英国文化等、いろん 強く、数名のグループで を﹁英国の歴史﹂にしたこ で伝えるとなるとテーマ とくにレッスンの集大 成として、研修最終日に た。では、どうしたのか? て、大忙しの毎日でした。 すことに大変苦労しまし 授業の予習・復習、日本 言葉の置き換えです。英 語から英語あるいは日本 文化を発信するイベント 語、またその逆と、とに ﹂の準 ﹁ A Taste of Japan 備との並行作業⋮⋮。プ かくわかりやすく伝える よう心がけました。プレ レゼンに与えられた時間 編集後記 ゼンはうまくいったよう に思います。すべて英語 で表現できたことが何よ りの喜びとなりました。 インプットは日本でそ れまで学習してきた内容 でも何とかなりましたが、 ケント大学での研修によ って会話にしろ文章表現 にしろ、それをいかに伝 えるか、アウトプットの 強化が今後も必要なこと に気付かされました。 上野秀治(文学部教授) 神道と仏教 −神社仏閣に見る神仏習合と神仏分離− 「白山における神仏習合と神仏分離」 河野訓(文学部教授) 巧緻を極めた再現人形 殿より新殿へ列次を整え﹁御﹂と申 神宮式年遷宮のクライマックス ﹁ 遷 御 儀 ﹂ の 再 現 和 紙 人 形 で す。 旧 行障の後ろには御を捧持した大・少 役の 掌 典は行 障 の前に見られます。 され行事を主宰される 勅 使と警蹕 続きます。その後ろには神宮祭主が 宮司、禰宜などの神職を囲む絹垣が 楽師などの構成です。天皇より差遣 しあげる御神体をお移しする荘厳 ﹁絹垣﹂ ﹁後陣﹂に分けら は﹁前陣﹂ な 祭 典 を 遷 御 儀 と い い ま す。 行 列 迷路 < の > 氏による﹁英語学習のイ ーのジェーン・ショート 的な演技を舞台袖で見守 で、俳優︵学生︶の自主 在は﹁先生は ず役立つと思う﹂と話し になったらこの視点は必 学科二年の杉本紗希さん 顔で語り、参加した教育 タファーは初めて﹂と笑 ﹁こんなにユニークなメ 絵 を 見 て シ ョ ー ト 氏 は、 生が描いた ョ ッ プ を 開 催。 あ る 学 ァーを絵に描くワークシ 後半には六名の聴講者 が自分の思い描くメタフ 岡田芳幸 佐川記念神道博物館教授・学芸員 次での構成です。 れます。前陣は宮 掌 、秉 燭 ︵松明︶ 続かれます。後陣は前陣の反対の列 に 続 き、 御 楯 や 玉 纏 御 太 刀 な ど の 武 具 を は じ め、 御 翳 ・ 御 蓋 な ど の 御 装 束神宝、神楽歌を奏でる楽長・ 十一月六日には教員の国際交流の一環と してケント大学から講師をお招きして特別 講演会が開催された。会場の記念館には約 百席の椅子が用意されたが、開講前に満席 となり、後から来た参加者は和室の縁台に 腰掛けて聴講するほどの大盛況となった。 教育の姿を比喩で考える 第一部は、ケント大学 ︵学生︶に見せることが教 語学センターディレクタ 育だと考えていたが、現 メージ化︱メタファーを るのが教育という結論に 雅楽と英詩のコラボが実現 あることを知った。教師 > は﹁多彩なメタファーが 用 い て ︱﹂。 言 語 学 習 の 至った﹂と持論を語った。 た。 演出家 < 指導者と学習者の関係を ﹁先生とは○○であり、生 徒とは○○である﹂とい その後、ティータイム う﹁メタファー︵比喩︶﹂ に続いて第二部の講演 で考えることで、めざす は自分に最 講演の中で氏は、日本文 重の版画をモチーフに創 に合わせて、氏が歌川広 シ ー・ ガ フ ィ ー ル ド 氏。 生による尺八と琴の演奏 あり、詩人でもあるナン った詩集﹁東海道ロード﹂ 地の詩学へ﹂が行われた。 適なメタフ 学に見られる﹁人生と旅 を朗読。雅な音楽と英詩 高い学習効 教 育 の 姿 が 明 確 に な り、 ﹁ 詩 と 旅 ︱ 東 海 道 か ら 土 ァーを見つ とを重ね合わせる﹂とい のコラボにより、会場に 齋藤敏先生と齋藤愛美先 けることが う概念が世界共通である は不思議な時間が流れた。 講師はケント大学教授で 大切だと解 ことを紹介し、また日本 果を得るに 説した。氏は 絵画の特色である非対称 ガイド を推進していく予定だ。 め、キャンパスの国際化 性や空間の使い方が、自 今後も本学はケント大 学との相互の交流を深 らの詩作に大きな影響を 後半、邦楽部指導者の 与えていると述べた。 捉え、素晴ら 面をゲスト しい知の側 と > 美術館の < 以前、先生を 日本に造詣の深い ガフィールド氏 神宮式年遷宮 「遷御儀」御列 和紙人形ジオラマ ともあり、古い言葉を訳 近鉄文化サロン阿倍野 皇學館大学共催講座 22 土 リ ー ズ 城 前 で の 集 合 写 真(8 月 20 日) ● 各講座の詳細につきましては、本学ホームページにてご確認いただ きますようお願い致します。 ● 共催講座(近鉄文化サロン阿倍野)のみ、有料です。お問い合わせは 近鉄文化サロン阿倍野( 0120-106-718)へお願い致します。 ● その他、お問い合わせは、 皇學館大学企画部(0596-22-6496) へ お願い致します。 三重県の高校生の約八割 が県外の大学に進学してお り、若者の流出が地域にお ける若年層の減少↓過疎化 につながると懸念されてい ます。地域連携、地域の活 性化が叫ばれるなか、本学 と各自治体や地元企業など との連携は、﹁若者が県内の 大学で学び、地域を担う人 材として県内に勤め、県内 で家庭を築き、県内各地域 の活性化や発展を担ってゆ く﹂ことをめざすものでも あります。このことが現実 的には、少子高齢化や過疎 化の問題を解決の方向に導 くのではと考えます。企画 部担当としては、﹁卒業生の ご子息ご息女も願わくば本 学に∼﹂と期待しています。 さまざまな先生のイメージについて解説するショート氏 皇學館ミュージアム 行われるプレゼンに向け 特別公開講座 江戸時代の大名 (やまと鳳人形伊勢教室 阿部夫美子ほか制作) 教育・文学講演会を開催 本文化を紹介する国際交 短期留学で学ぶもの は、ことばだけではない。 −1日の祭り1年の祭り 20 年 1 度の祭り− 流イベントは、今年も神 「伊勢の斎王」白山芳太郎(文学部教授) 文化についてのプレゼン 伊勢の遷宮を考える キャンパスで、学生達は 白山芳太郎(文学部教授) 戸女子大学の学生達と共 『古事記』を読む(中巻) 「応神天皇(三)」 テーションは、三週間の 岡田登(文学部教授) 平日九時半から十六時ま お蔭参りを歩こう −名張市一の鳥居から− に 行 っ た。 茶 道、 書 道、 歴史・文化の触れ合いは、 松本丘(文学部教授) 成果と成長がみられる見 河野訓(文学部教授) で、二時間弱のランチタ 日本文化発信イベント「A Taste of Japan」のオープニングの様子(8 月 21 日) 近鉄文化サロン阿倍野 皇學館大学共催講座 15 土 近鉄文化サロン阿倍野 皇學館大学共催講座 8 土 近鉄文化サロン阿倍野 折り紙、﹁箸で豆つかみ﹂ 何にも代えがたい貴重な 神道と仏教 −神社仏閣に見る神仏習合と神仏分離− 「熱田神宮における神仏習合と神仏分離」 事なものであった。大学 皇學館大学 ふるさと講座 名張市武道交流館いきいき・多目的ホール 8 土 近鉄文化サロン阿倍野 皇學館大学共催講座 1 土 文学部コミュニケーション学科教授 児玉玲子 「外宮と内宮」白山芳太郎(文学部教授) イムをはさみ英語のレッ 月 特別公開講座 明治維新の源流Ⅱ −蒲生君平と天皇陵− 2 学ぶものは、ことばだけではない 「応神天皇(二)」 月 『古事記』を読む(中巻) 1 皇學館大学共催講座 25 土 近鉄文化サロン阿倍野 皇學館大学共催講座 11 土 第3回ケント大学夏季短期留学報告記 イベント情報(1∼2月) 第47号 (8) 皇 學 館 学 園 報 平成25年12月20日
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