O B懇 親 会 の報 告 平 成 七 年 九 月 六 日発 行 ら ぜ ひご 連 絡 く だ さ い 。 デ ィス小屋 への登 り オート ルート ・フレンチ コース ︵ 前 号続 き ︶ 小山 恭吾 五/ 一 リ フト小 屋← プ レ ワーリ避難 小屋 今 日 の行 程 は こ のルート中 一番 ハードな 日 である。 よ って三時起 床 、四時 出発 。天気 は回 復 し 、泊 まる はず であ った モン ・フ オー小屋 の明 かり が見 える 。 小屋 で少 し休 憩 、明 るくな って歩 き出 す 。 ローザ o ブ ランシ ュが見 え てきた 一〇時 頃 より皆 ベ ー スが落 ち てきた。入山 三日 日と昨 夜 の疲 れが でてきた ので あろう 。それよ りも こ の炎 天下 〃 ︵これか ら最終 日 ま で署 さと の戦 いであ った 。︶熱射 病気味 にな った 仲間 が でて、事前 に調 べて おいた避難 小屋 と の分岐 で決 断 、そ の小屋 に向 か って滑 り降 りる こと にし た。 避難小屋 と い っても寝 具 や電熱 コン ロもあ る立 派 な 小 屋 であ る。 ただ コン ロが あると い っても我 々 は行 動食 し か持 っていな いため何 も できな い。 お湯 を沸 かし コー ヒーとバ ンを食 べている とガ イ ド付 き のパ ー テ ィーが スープ やチ ーズ をく れた。有 り難 いやら 情 けな いや ら⋮。 スイ ス ア ルプ ス珍 道 中 壮 に 振 Ψい ″t ヽン ヤ ー 方 4 里 H 日 ︰六 月 一七 ∼ 一八 日 四月発行通信 でお知 らせ したとおリ シ ャーク山 荘 にてOB懇親会 が開 かれま した。鮫島先生 のご厚 意 により 、また シ ャーク OB のご協力 があり楽 し い山 小屋 ラ イフを過ご す ことが できました。 二々五 々八 ヶ岳 麦草峠中腹 にあ る シ ャー 一七 日 ︰ 一 ク山荘 に集 ま ってき てすぐ に酒盛 り が始 まる。す で に鮫 島先生 や シ ャーク OB の方 々 は小 屋開 け のため に みえ ており感謝 する しだ い。 ︵ 買 い出 しや食事 の 用意 な どを OB の方 々 にや っていただ きました ︶山 脇 OBらは縞枯山 ハイキ ングをし てき た後稲 子湯 へ つかり さ っば りした表情 で現れ、我 々はただ酒 を飲 み山 の話 しに盛 り上 が っておりました。 鮫 島先生 に散 歩 が てら近 くを案内 し ていただ き夜 もそ のまま突 入 、鍋 を つつきな がら山 や山小 屋 の話 し に花 を咲 かせま した 。 一八 日 ︰ 朝食 を済 ませた後多少後片 づ けを手伝 い、 シ ャーク山荘 を後 にしまし た。 鮫島先生 や シ ャーク OB の方 々 には大 変 お世話 に なり ま した 。 山 小 屋建 設 進 行 状 況 山小屋建設委 員会 ﹁ 山 趣旨 書 がす でにお手 元 に届 いた 小 屋 建 設 の ﹂ 青学 山岳 部 ことと思 いますが 、 いよいよ本格 的 に ﹁ の山小 屋﹂建設 に着手致し ました。 七 / 一四︶ 一、 ﹁ 趣旨 書 ﹂を大学 に提 出し ました。 ︵ 二、予算 に関 し ては OB会 のみでは不 十分 で大学側 大学 の名 義 となる︶ と共同 で作 る。 ︵ 趣旨 書 ﹂は 一発 で通る 三 、そ の大学 に提出 した ﹁ とは考 えず 、じ っくり 大学 に訴 え て いき た い。 四 、候補地 は北 アルプ スの入り 口で スキーゲ レンデ に近 いと ころを検討中 。も ちろん温 泉も考 慮 。 安 五 、な る べく良 い条件 で場 所を選 べるよう地 元 ︵ 曇村等 の有力 者 ︶に コンタ クト を取 りた い。 以上 のよう に進 め ています 。ご意見 などあり ました ■3 U。 五/ ニ ブ レ ワーリ小屋← デ ィス小屋 滑 っていく醍醐 味 は素晴 ら しい。小 屋 は断 崖 絶壁 の ガイド によ ると今 日 のル ート では雪崩 がおき ると 縁 にあり 、トイ レは空中 に飛び出 し て建 てら れ て い ころが あり早 く出発 した方 が良 いと のこと。水 を落 る。便 器 の中 を覗 くと断崖 のはる か下 が みえ る 。排 泄物 はど こま で落 ち ていく のだ ろう 。 とし てしま ったデ ィス湖 のわき を所 々デプ リ を越 え 五 /四 ヴ ィニ エ ット小屋 ← ツ ェル マ ット な がら進む 。湖 のは じ でシ ールを着 け 、 ここから約 いよ いよ マ ッターホ ルン を仰 ぎな が ら ツ ェル マ ッ 六 〇OM のひたす らな登り であ る。し かもデ ィス小 ト ヘ下 る 日だ 。天気 も上々 、足 取 り も軽 く エベ ック 屋 は 一段高 い小丘 に建 って いるため見 え てき てから も うんざりする登 りが続く 。ほぼ 二日間行動食程度 の コルま で快調 に シー ルを 滑ら す。まだ早 朝 な ため 下 り も快 適 に滑 る こと ができる。 モ ンプ リ ュー レ の のも のしかた べていな いた め足 が思 う ように上 が ら な い。小屋 に着 いてからは ひなたば っこをし なが ら コルを越 えヴ ァルペリ ーヌ のコル ヘの登 りに さし か ビー ル、 ワイ ンとケーキでお腹 を満 たす。 か る。昨年 は こ の辺りより 天気 が悪 化 しとう とう マ ッタ ーホ ル ンにはお目 にか かれ な か った。今年 は大 五 /三 デ ィス小屋← ヴ ィ ニエ ット小屋 目 の前 にそび え立 つモンブ ラン ・デ ・シ ャイ ヨン 丈夫 そ うだ 。 コルに近 づく に つれそ の頭 が見 え てき た。オー ト ルート の登 りは後少 し で終了 だ 。 マ ッタ を見 な がらデ ィス小 屋 をスタート す る。ガ リガ リ に ーホ ル ン の雄姿 をゆ っくり眺め た後基部 に向 か って 凍 った バー ンを慎重 に滑り降 り 、氷河 の底 でシー ル を着 ける。今 日 の行 程 は短 いが こ のルート中 一番高 滑 り出 す。 ビデ オを回 しな がら楽 し みなが ら下 りた 。 いビ ン ・グ oロー ラと いう ピーク に登 る。そ こま で 北壁 基部 で終 了 だ った昨年 と比 べ雪 は かな り多 く 、 ゴ ンド ラ駅 のあ る フーリま で滑 る ことが できた 。 レ ひたす ら登 りが続 き 、小屋 に泊 ま っていた大 勢 の人 が もうかなり上 ま で行 って いる。途中 昨年走 破 し た スト ランで ツ ェル マ ットを 眺 めな がら ビー ルで乾杯 する 。皆 、笑顔 でい っば いだ った。 ク ラ シ ック ルートと合 わさ る。ビ ン ・ダ Dロー ラ の 五/五 ゴ ルナ ーグ ラード 観光← ミラ ノ 頂 上 から の眺 めは最高 で、 一 二ハ○度雲 一つ無 く見 え る。行 く手 には明 日通過す る マ ッタ ーホ ル ンが見 え 、 休 養 と観 光 を兼 ね て登山 電車 でゴ ルナ ーグ ラー ド ヘいき、 モンテ ローザ と マ ッターホ ルンを見 なが ら 振 り返 れば モ ンブ ラ ン、グ ランドジ ョラスや通 過 し てきた山 々が見 える。大休 止 を取 った後ヴ ィニエ ッ 昼食 をと る。 ツ ェル マ ット より 3時 間半 でミ ラノに ト小屋 へと約六 〇O mの滑 降 である。雪 は腐 ってお 着 く。夕 食 はパ スタと ワイ ンでお腹 を満 た し イタリ り快 適 な スキーと は いえな いが広 大 な斜面 を 一気 に ア の夜 を楽 しんだ 。 さフノ観 光← 帰国 五/六 ヽ レオナ ルド ・ダ ・ビ ンチ の ﹁ 最後 の晩餐 ﹂観賞 な ど ミラノ観光 をし て帰国 の途 に つく。 三六年 卒 田村 淳 八月 二六 日、三 二年振 り の槍 ガ岳 登頂 を終 わ り、 翌朝六 時 一五分槍ガ岳山荘 を後 に下 山 。明 神 に は 一 三時 二五分 に到 着 した。大 将 ︵ 平野 興 一君 ︶ のリ ー ダ ー振 り が功 を奏 し て全員 が快調 で、平 均 年齢 五九 歳 の六 人派 テ ィーとは思え な いスピ ード で槍 沢 を下 った ことにな る。 明神 館 で汗 を流 しゆ っくり する こと に決 め 込 み青山 墓地 へ参拝 に向 かう。養魚 場 は閉鎖 さ れ てお り 、小 数がが なりうる さ か った 。東大 川 を渡 ってから の笹一 スキ ー部 の遭難 碑 を過 ぎた あたり からグ リ石 がおび ただ しく多 くな っており、 一瞬 、” 墓地 が豪雨 でや られた” と思 った。幸 いに も瓦礫帯 を三 〇メート ル ほど遡 り よう やく苔 むした墓標 の岩 塊 を発 見 し 、 ひ と安 心。 瓦礫帯 の端 から僅 か ニメー ト ル位 の所 で青 山墓地 は難 を免 れ ていた のであ る。 青山墓地 被災を免れ る マ ツ タ ー ホ ル ン を バ ツク に 被災 の規 模 は長 さ約 一〇 〇メート ル、幅 五 メート ル 、深さ 一. 五 メート ルで下部 の小石 の広 がりよ う は 一〇数 メート ルにも及ん でおり、量 の多 さに ア然 とし てしま った。 こ の辺り も今 年 の中部山岳地帯 を 襲 った集 中豪 雨 のいか に強 烈 であ ったかが判 る。七 月 下旬 、五竜 から の下山に遠見 尾 根 を利用 したが上 部 の痩 せた部 分 は いたると ころ で樹木 の根 が浮 き上 がり、ば っくり 口を開 けて何時崩 落 する か判 らな い 状 態 で薄気味 の悪 い歩行 の連続 であ った。 笠 新道 の分断 、蓮華 温泉 に通 じる道 の寸 断 など各 所 で通行不 能 の状態 が発生 している ので秋 の山 行 を 計画 さ れ ている方 は地 元 の情報 を十 分 に入手 し て か ら お出 かけ下 さ る ことをお勧めし ます 。 な お明神 館 は内装 が改善 され、 三階 のト イレは水 洗 に、風 呂 は広 く改 装 され ました 。快 適 でした。 南 米遠 征 ︵ 超 ︶概 案 朝机 机 帆 弾 †ル上 出 発 一一 第 二週 二/九 ∼ 二/ 一五 ︶ 月中旬 ︵ 一 厩田︲ ←L os A ng el e sI▼ Li m a I n Li ma ︵三∼四 日間 ︶ 計画書提出 。装 備 チ ェ ック ヽ食料買 い出 し 移 動九 時 間 , 〇九 〇 m︶ I n H l tar az ︵クラ ス ︰r一 計 画書 提出 ・ロパ の手 配 I n C ar az ︵二, 二五〇 m︶ 最終 買 い出 し ・装備チ ェック キ ャラバ ン開始 四 ,○ ○O m ︵三∼四 日︶ 五 , 二〇〇 mABC設 営又 は 四 ,・ AOO nBC設営 ︵三∼四日︶ 高度順化 の登山 P aran ︵五 ,六 〇 〇 m︶ ︵四∼五日︶ C ar az I ︵ 六, 二五 〇 m︶ 登山期間 約 二十 二日間 先 日上 辻 君 よ り は い った 南 米 遠 征 の概 略 で す 。 ま だ 構 想 の段 階 だ そ う で詳 細 は追 々 決 め て い く そ う で す 。 彼 ら は こ の遠 征 のト レ ー ニング のた め 九 月 に は ヨ セ ミ テ ヘ行 く そ う です 。 そ こ で我 々 O B会 と し て 学 生 のた め 何 か し ら 援 助 を し て あ げ た い と 思 い ま す 。彼 ら と し て は 現 金 が 一 番 嬉 し い で し ょう が 、 そ れ に こだ わ ら ず 、航 空 チ ケ ット を安 く 人 手 で き る 代 理 店 を 知ち て い る 人 、 現 地 の情報 を持 っている人等 な どいろ いろ な形 で援助 で き れば と思 っています 。何 かしら援助 をし てやろ う と お思 い の方 は直接現役 と連絡 を取 ってみて下 さ い。 8 0三 一三四 〇九 一二七 一九 ︵ 部 室 直通 ︶ F AX兼用 な ので電話 が通 じな いときは FAXを入 れ て コンタクトを取 って下 さい。詳 細 がわかりまし たらまた通信 に載 せます。 な る べく多 く の方 々 のご 協力 をお願 いします。 上高地明神における 山岳安全 の集 いに ついて ︲ 十 月 十 四 日 ︵土 ︶で ヽ 十 月 十 五 日 ︵日 ︶ 恒 例 の催 し を行 い ま す 。 例 年 、 そ れ ぞ れ の コー ス 、 日 程 で楽 し ま れ て い る と思 いま す が 、 ﹁ 集 い ﹂ のた め の日 程 の み を決 め さ せ て 頂 き ま し た の で 、ご 参 加 下 さ い 。 お待 ちし てお り ま す。 日時 場所 旧盟硼揚踊 ︵a 二六 三 一九 五 一二〇三六 ︶ O 前夜祭 一〇月十 四日 ︵ 土 ︶ 十 八時 より 明神館 食堂 にて フ ァイ ヤ ー 梓 川辺 一一 十 時より お折 り ・集会 十月十 五日 ︵ 日 ︶ 八時 三十 分 より 明 神岳 レリ ーフ前 ︵ 現地解散 ︶ 出 は左 記 ま でお電話 でお願 いいた しま す。 欠 三十 三年卒 ︶ 永井 敬 一 ︵ 永井 桂 子 8 0三 一 四 二 一 一六三 四五 ︵ 自宅 ︶ 三 〇三 ︱五六 〇八 卜七 五 一一 ︵ 会社 ・アスパ ︵ 株︶ 〇三︱五六 〇八 ︱七 五 二四 ︵ 会 社 F A X︶ 体 育 会 連 合 会 ゴ ル フ コンペ の報 告 今 年 も 体 育 会 連 合 会 ゴ ル フ コン ペ が 去 る 八 月 一日 越 生 ゴ ル フク ラブ に て行 わ れ た 。 例 年 順 位 が 下 位 に 低 迷 し て い る の で今 年 は猪 俣 君 に世 話 役 を お 願 いし て上 位 への進 出 を 狙 った。 参 加 五 〇名 ︶ 個 人 戦 の成 績 は 下 記 の通 り 。 ︵ 前 田 栄 三 一 二位 斉 藤 友 志 郎 一一 五位 岩 井 胤 夫 一 二七 位 ま た 団 体 戦 は 大 会 規 定 に よ り 各 部 出 場 選 手 の上 位 三 名 の合 計 ス コア で判 定 さ れ る た め 、 当 山 岳 部 は 残 念 な が ら B B に終 わ ってし ま った 。 猪 俣 君 他 選 手 の 皆 さ ん ご 苦 労 さ ま で し た。 ヽ 平成 1,一 般 会 計 840,000 予算 700,0001監 督会費 15(),000 55,8501振 込用紙印層1代 2061通 信費 817:5661緑 ケ丘通信発行費 209,2671事 務 用消耗 品費 209,267 前期繰越 金 会合費 慶弔費 福島基金 年史 確 OB離゜ 織 費 ―ツ基金 ス ホ 青学 予備費 小計 寄付者名 鮫 島教授 黒岩英 一 中村 是 久 中丸章 岩井 三木 会 σ 0 20,000 300,000 30,199 : 出 支 入 平成 六 キンク¬より) 酔 (ハ イ 寄付 (下 山家 よ り) 利息 │ │ 4,120 36,000 39,153 80,000 209,731 135,000 9,456 10,000 97,212 50,000 120,900 90,000 0 100,000 50,000 50,000 41,000 30,000 40,309 40,000 61。 000 880,000 1 781,881 169。 267 1 244,952 177彙 04」 :267可 合計 1 1, 収 蹴躙 48,000 61,,5101名 簿作成費 寄付 雑収入 ′ 禾り 急 1 831,121 1 318,368 谷川遭難対策協議会 (糠 澪)へ 救援者 (山 岳会等 )へ お礼 350,199 1 577,189 388 期繰越 金 607 043 次期繰 一 一 一 一 50,0001 7,739 511,054 ,′ 次期繰越 8 ︵ 0 F0 平成 6年 度会計 よ り 利息 山山一 よ り 100万 円入 793 U3 1 4.山 小屋基 金 入 黒岩英 一 三須絹一 青柳一雄 小倉雅之 白五 一 160,000 40.000 20,000 100,000 100,000 100,000 900,000 117,100 山脇隆夫 100,000 青木利 夫 10,000 河本 由起子 20,000 栗林 一路 20。 000 小早l ζ一 合 計 1 687,100 出 1.687 687,100 原 稿募 集 のお 知 ら せ OB会 費 実績 暑 い夏 でし た が、山 の上 は涼 し く 、そ の涼 を求 め て山登 りをされた方 は多 いと思 います。そ こでそ の 山行 の話 をぜ ひお聞 かせ下 さい。長 さ は自由 です。 送 り先 区上石 神井 二 一六 一二 〒 一七七 練 馬 小山 恭吾 なお原稿 を ワープ ロで書 かれる方 はプ リ ント アウト されたも のと フ ロ ッピーも お送 り下さ い。 ︵フ ロ ッ ピーは後 でご 返送 致 します 。︶ そ の時 のセ ープ の仕 方 は, テキ ヌト形式。 でお願 いします。 予算 7年 3月 31巨 青 山学 院 山岳 部 山 小 屋 建 設 に つ いて 青 山学 院 大 学 山岳 部 OB会 理事長 永井 敬一 山 岳部 所 有 の 山小 屋 を作 つて 、現 役 が そ こ をベ ー ス にで き るだ け 多 く山 へ 入 れ る とい う環 境 を つ くれ な い もの か と私 た ち OB会 は 永 年 考 えて き ま した 。今 の 若 い 人 達 は す ぐ海 外 に も行 け ます が 、や は りま だ まだ 国 内 に い い とこ ろ が た くさん あ り、沢 に して も岩 に して も尾 根 に して も 典典 に 取 り組 む価 値 が あ りま す 。 OBに な つ て しま う と これ も年 代 に よ つて 山登 りの 感 覚 が ぜ ん ぜ ん 違 い ます が 、そ れ で も別 荘 ・ 山荘 とひ と味 違 う小 屋 が あ っ た ら と考 えます 。そ ん な 夢 を創 部 70 周 年 を機 に 実 現 し よ う と い うのが 山小 屋 建 設 の ね ら い で す 。 現 在現 役 は 男 子工 名 、 女 子 3名 で す が 、 山登 りの 良 さ 、山 を受 す る心 を も っ て い る こ とは 私 た ち の 現 役 の頃 と少 し も変 らな い と思 い ます 。 む し ろオ リ ン ピ ッ クや競 技 スポ ー ツ に 日が い きが t, な 現 代 に お い て も く も く と汗 をか き 、 それ な りに達 成 感 を味 わ い な が ら仲 間 作 りを し、 もの を考 え る静か な 時 間 を持 つ 山登 りにあ こが れ て い る彼 等 は 、 青山 を卒 業 して それ ぞれ 仕 事1に つ い て 働 く とき とっ て も い い 次 代 の 担 い 手 に な ろで あ ろ う と思 い ます 。実 際 に お い OBの「Iつ き を見 て 宥 は 山 を や つ て い る人 は 違 うな と思 う こ とが よ くあ りま す 。 山 岳 部 の 山小 屋 で す か ら、当然 大 学 の 施 設 とな るわ け で して 厳 しい 学 校 経 営 の 中 、 優先 順 位 もあ り必 ず 取 り上げ て 下 さ る約 束 はで き て い ませ ん 。 7月 中 旬 に 学 生 部 を通 して 計 画 (ラ フプ ラ ン )は 提 出 しま した が 、場 所 の 決 定 、 予算 、 借 地 契約 、 設 計 施 行 、運 営 管 理 等 の 計画 の 具体 案 は す べ て これ か らで あ りま す 。知 らな い │に 山 岳 部 の 山小 屋 が 出来 て しま う とい う こ とは あ りえな い こ とで して 、皆 様 に ご 賛 同 、計 画 作 りへ の 参 加 をお 願 い した い ので す 。 今 の OB会 の 中 に 山小 屋 建 設委 員会 を設 置 して 企 画 、調 査 、学 校 側 との 折 衝 を開 始 した と こ と で す 。建 設 費 は 2000万 円 を考 え る と して その 内 1000万 円 を OB会 で 集 め て 学 校 ヘ ロ的 を 定 めた寄 付 を行 い 、学 校 に 建 設 を して も らお う とい う考 え方 で す 。 山 岳部部 長 ・ 鮫 島理 工 学 部 教 授 が よ く面 倒 を見 て くだ さ って い ます ので 、 こ こまで 進 め る こ とが 出 来 ま した 。募 金 は す で に 350万 円 ほ ど 集 ま って お ります が 、実 際 正 式 に呼 び か け るの は この 度 が 初 め て で す か ら、 ど うか 若 者 へ 夢 を託 し、母 校 へ の 愛 をお 願 い した い と思 い ま す 。完 成 す れ ば 当 然 OBの 皆 様 へ 開 放 され ます し、 オ1用 で き るわ けで して 、大 変 で す が な か な か 楽 しい 仕 事 で す。 募 金 方 法 は 申 し込 み はが き に振 り込 み 予 定 をお書 き頂 き 、男1送 の 振 り込 み 用 紙 に て お 振 り込 ‐ 下 さ い 。 (口 座 番 号等 は 別 紙 記載 )一 度 にで は な く数 次 に分 け て 振 り込 ん で 頂 い て も結 構 な の ■ す 。 ただ 学 校 へ の寄 付 は 非 課 税 とな るは ず で す が 山岳 部 の O13会 と して 募 金 い た しま す 関 係 で 価 人 に 対 す る 非 課 税 扱 い はで きな い 旨学 校 か らお話 が あ りま した 。 エ ン トリー は した もの の 今 年 度 認 め られ るのか 来 年 に な るの か は 他 の 条 件 の 関 係 もあ り分 か り ませ ん 。 た と え今年 が ダ メで も来 年 は と考 え てねば り強 く、 山小 屋 建 設 を通 じて 現 役 の 活 動 の 活 性 化 とOB会 の 絆 を深 め て ま い りた い と思 い ます 。皆 様 の絶 大 な 費 同 とご 支 援 をお願 い い た しま │ 1苗 , 1プ ' i す。 この 活 動 の た め 70周 年 記 念 集 会 、秋 の Lttl也 の 集 い (10月 14日 ヽ´15日 )現 役 との 交流 ・会 、交 友 会 の な ど イベ ン トを考 え て い ます 。 ま た 青学 大 同窓 会 (9月 23日 )、 体 育会 OB連 合 様 な 活 動 へ の 参 加 も山 岳 部 の た め に な る こ とな ので 積 極 的 ご 参 加 をお願 い しま す 。 不 況 の 折 りそ れ ど こ ろ じ やな い よ と い う今 で す 。 しか し本 物 の 教 育 、 子 育 て 家 庭 づ く りを 考え る とこの 事 業 は 何 か 大 きな 意 義 を持 っ て い るよ うな 気 が しま す 。 ど うか ご 相談 い た だ い て ご 協 力 くだ さ る よ うに切 に お 願 い い た しま す 。 1995年 8月
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