わたしのミサ人生 - カトリック調布教会

調 布教 会だより
シャローム
No.138 四旬節号
2007 年 3月18 日発行
発行人:藤川長喜・編集:広報
カトリック調布教会
〒182-0033 調布市富士見町3-21-12
Tel:042-482-3937 Fax:042-481-6339
http://chofu-church.ciao.jp/
巻頭言●主任司祭 藤川神父
わたしのミサ人生
今回のシャロームで「ミサと私たち」を特集とし、原稿を公募したところ、青年から年輩の方ま
で予想以上の方が応募してくれました。
この特集に合わせて私もミサと自分というテーマで書いて
みたい。
司祭になって間もなく33年を迎えようとしています。これまで一体、どれくらいミサを捧げてき
たのか。単純に計算してみて、優に1万回は超えていると思います。昨秋、司祭叙階70年を祝っ
た大先輩達に比べてみれば半分にも達しませんが、それでもずいぶんとたくさんのミサを捧げて
きたものだと、ちょっとばかり感慨にふけりました。ミサが慣れっこになったということは決して
ありません。割合、ていねいに心をこめて捧げるよう努めてきたつもりです。ミサを終えて香部屋
に戻ったとき、疲労感、解放感、達成感に、どっと見舞われて、司祭として今日一日なすべき、
ひとつの大きな仕事がこれで終わった!という思いになることも少なくありません。
共同司式ミサというものを私はあまり好みません。修道者としての自分が、共同生活から生じ
てくる困難や犠牲を感じるところのひとつは、共同司式ミサです。これこそ個性の異なった人が、
それぞれのあり方で捧げる共同ミサの場は私にとって少々つらい部分があります。もちろん共同
司式ミサのもつ意義や豊かさは理解できるのですが…。
典礼的とは言い難いのですが、たったひとりでミサを捧げるときがあります。神様と、目に見
えない会衆を意識しながら、聖霊のインスピレーションに身と心と時間をゆだねて、聖霊のうご
めきのままにミサを捧げるのは秘かな楽しみであり喜びです。
ミサというのは演劇や音楽の世界と似たところがあります。司祭と会衆が目に見えない対話
を交わし、言葉にならない“気”
(信仰とか霊性といってもいい)を通わせることによって、ミサ
が生きたり死んだりするものだと思うのです。観客の反応が演者に以心伝心し、演者を活かし、
それがまた観客に伝わっていって感動を生み出すみたいな…。
“気”もそぞろの会衆を前にする
のと、
“気”魄のこもった会衆を前にするのとでは、司祭の“気”概もちがってきます。
“気”が引け
た会衆の前では司祭の“気”もゆるむし、
“気”をゆるした会衆には司祭の“気”も乗り乗りです。
もっともその逆も然りで、今司祭の立場から言ったけれども、会衆の立場から言えば司祭のあり
方如何によって、会衆も左右されることがあるにちがいありません。
ほとほと嫌になって“気”に障って仕方がなかったのはミッション校の全校ミサをやった時のこ
とでした。大部分が未受洗者で、やる“気”のない生徒たちを前にしてミサを捧げるのは“気”を
使うし、
“気”が“気”ではありません。最悪なのは、講堂かホールの舞台の上で、ライトに煌々
と照らされてのミサには本当に困ってしまいました。こちらはまるで見世物みたいでシラ“気”と羞
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恥で、この上なく苦痛でした。野次馬の如き群衆から、あざけりと好奇の視線を向けられた十
字架上のイエスのようで、イエスの“気”もちが少しばかり、わかったような“気”がしたものです。
長いミサ人生の中で、ミサのここが一番という把えどころや思い入れもあれこれ変わってきま
した。聖変化のことば「これは私のからだである。…これは私の血である。」と神妙に細心の注
意を払って唱えるよう心した時期がずっとありました。聖体拝領後のひとときを至福の時として
過ごすのを幸わせに感じる時もありました。世界の至るところにいる同じ信仰をもった人たちと
連帯して「主の祈り」を唱えるのが嬉しくてたまらないと思える時もありました。最近では、ミサ
の中のここが一番として把えているのは聖変化のあとの『 記念と奉献(アナムネシス)』の箇所で
す。ここにミサの本質を感じとって意識をこめて祈っています。
「主イエスの死と復活の記念を行
い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます」という祈り
のところです。また、さまざまなテーマをもった奉献文、その日の典礼に沿ったものを選択して日
変わりで唱えることが楽しみになっています。
そして何よりも主任司祭になってからは、パンとぶどう酒の奉納を重く受けとめるようになりま
した。パテナ(皿)に盛られた、たくさんのホスチアひとつひとつに、ひとりひとりの人生、十字架、
信仰、思いや願いがこもっているのだと把えています。それを掲げて「神よ、あなたは万物の造
り主。ここに供えるパンはあなたからいただいたもの。大地の恵み、労働の実り、わたしたちの
いのちの糧となるものです」と祈り、神に捧げます。重いです。実に重く感じます。両手で捧げ
持つことができないのではないかと思うぐらいの重量感が心にズシンと響いてくるのです。次に
カリス(杯)の中に、まず、ぶどう酒をたっぷりと注ぎます。これはキリストの御血になります。その
中へ数滴の水をたらします。この水は私たちです。ひとりひとりの人生、十字架、信仰、思いや願
いが数滴の水の中に凝集されているのです。それがキリストの血となるぶどう酒の中に注がれる
と、えもいわれぬ模様を描きながら溶けてゆきます。ひとりひとりの人生、十字架、信仰、思い
や願いがキリストのなかに溶けこんで、キリストに呑みこまれていく。キリストとひとつになる!す
ばらしく神秘的な一瞬です。それを神に捧げて祈ります。
「神よ、あなたは万物の造り主。ここに
供えるパンはあなたからいただいたもの。大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧
となるものです」この杯も重く感じます。
パンとぶどう酒を捧げるとき、私は自分が司祭であることを、どんなときよりも実感しています。
目を見はるような福音宣教や、感動的な説教・講話は司祭でなくてもできます。話の上手な人や
魅力的な文章を書く人は世の中にいくらでもいます。また社交的で人づき合いがよくて、性格がい
い人もどこにでもいる。司祭は、人生の指導者ではありません。カウンセラーや教育者でもない。
司祭にしかできない数少ないことのひとつは、パンとぶどう酒を神に捧げることです。世のため、
人のために大したことはできないし、役に立つこともそんなにありません。しかし、世の人々の痛
み、苦悩、そして喜びや感謝をミサの中でパンとぶどう酒とともに神に捧げることはできます。た
とえ、それしかできなくても司祭は司祭として神様から召し出された存在理由が十分にあると思
います。
主任司祭になってみて、さらに自分自身の無力さ、不甲斐なさをしみじみと心のうちでかみし
めています。世にあって、人々の間にあって、そのような苦しい思いを背負ってキリストに従って
いくこと、これが司祭に与えられた神様からの召命であり、運命ではないかと、最近つくづく思
うようになりました。
2 調布教会だより●シャローム
特集
ミサと私たち
シスター 嶋崎 すゑ子
ミサに何を持って行きますか ●(コングレガシオン・ド・ノートルダム)
調布教会では毎週日曜日のミサが3∼4回あります。年に2∼3回、あるいは月に2∼3回し
かないとしたらどうでしょう。私が南米パラグアイに居たときの教会では毎週日曜日はあ
るはずなのですが、たびたびしかも突然ないときがありました。そんなことがあなたにお
こったらどう反応しますか?
さて皆さんは日曜日の朝、何を思って教会に足を運んでいるかちょっと立ち止まって振
り返ってみましょう。主に出会う喜び、いろいろと祈ることがあるのでいそいそと出かけ
ます?それとも○○当番があるから、××さんにあえるから、もし行かないと△△さんに
しかられるから、その他、否定的なことが浮かんできますか?
正直にいうと誰もがネガティヴなことを思う自分が全くないと言えないことに気付くで
しょう。心の奥では、神様と共に過ごす生活に欠くことのできない尊い糧、私にとっての
光、力と思っているにもかかわらず。
今一度、初心に帰って洗礼の時の決意を思い出しましょう。神の子となった喜びの中で、
何を思いましたか?「イエスのように生きたい。」「イエスに近づきたい。」「神様に愛され
たのだから、人を大切にしよう」「ミサを大事にしよう。」等等。きっと純粋な心でひとりひ
とりが約束を為さったことでしょう。
つぎにその決意を成長させる為の習慣づけをチェックしましょう。
1. ミサに何を携えて行きますか?
毎日の生活の中で何か具体的なことがありますか?嬉しいこと、悲しいこと、嘆き、
相談、感謝、痛悔・・・
2. その日の朗読聖書を前もって準備していますか?
心に響くところを見つけ、あなたの強い望みをはっきりさせましょう。一人でよい
のですが、教会や修道院あるいは家庭でグループを準備している方もありますね。な
によりも継続は力なり。
3. ミサから帰るとき何を持って帰りますか?
自分の心に耳を傾けましょう。
平和ですか、元気ですか、優しさですか、喜びですか、みことばですか、説教の内
容ですか?
イエス様が命をかけて私たちに下さったミサをどのように与っているか、自分のありの
ままの状態を振り返ってみることが生活を整える大きな一歩になると思います。
わたしたちは主の約束に希望をもつものですから、共に励みあいましょう。
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エウカリスチア(感謝・ミサ・聖体)● ソフィア・バラ O. S.
今から丁度30年前に体験した不思議な恵みについて書かせていただきます。私は38才で
夫と死別し、あとに長男(中2)、長女(小6)が残されました。
それから数年後長女は高校に入学し、一週間ほど通学して風邪を引き一週間程休みまし
た。その後学校に行ったのですが、その後すぐに学校に行きたくないと云ったのです。実
は長男も中1から不登校になり、私が40才少し前に神との出会いがあり大きな恵みをいた
だき私自身が安定し喜びをいただいたので長男も立ち直りかけているところに、長女が又
学校に行けなくなるというのは、いったい私はどうしたらいいのか、だれに頼って生きて
いったいいのかしらと思ったとき、私はイエズス様がいらっしゃると思えました。そう思っ
たとたんイエズス様の懐に飛び込んでいました。その時「良く来たね」と云う声が聞え、えー
なんだろう私の頭がおかしくなったのかしらと思いましたが、すぐ「私の体を40日食べに
来なさい」という声が聞えたのです。びっくりしましたが、あーそうだ御ミサに与かること
だとわかりました。
今までその様なレーマを聞いたことがなかったのでびっくりしましたが40日与かれば
きっとよくなると思いました。その後長女が5月19日の早朝「ママ6時だよ」といって起こし
てくれました。私は飛び起きて、スピノラ修道女会のミサが7時からありましたので自転
車で与かりに行き、当時荻窪団地におりましたので、帰って来ると聖書を新約から読み始
めました。生活は最低のことだけはして、あと毎日、御ミサと聖書を読みつづけたのです。
ふと気がつくと、あー又明日御聖体がいただけると思うと嬉しくて嬉しくてしかたなく
なって来ました。その頃長男も家におりますし、長女も学校に行っていなくても、私は毎
日毎日御聖体の恵みと、みことばにささえられ、苦しみから完全に解放されてきました。
その時長女が「ママなんでそんなにニコニコしているの」と云われましたが「だって又明日
御ミサの御聖体がいただけるもの」と云ったのを覚えています。その時長女は、「私は二学
期から学校に行こうと思うけどその前にアルバイトに行ってもいいかな」と云ったのです。
アルバイトも学校も本人の意志がなければ行けません。私は「それはいいことだと思うよ」
といいましたので、本人がアルバイトニュースをみてさがし、明日から行くからお弁当を
作ってほしいと云ったので、当日お弁当を持って元気にいそいそとアルバイトに行きまし
た。
今日は何日かなと思いましたら6月27日だったのです。5月19日に御ミサに与かって丁度
40日目でした。私は本当にびっくりしました。神様は嘘をおつきにならない。どんなこと
でもおできになる方だと思うと、感謝で感謝で涙がとまりませんでした。そうして25日程
アルバイトに行き、夏休みを迎えて、9月1日から1日も休まず復学したのです。40日間新
約から読んで旧約が終わりに近づいていました。その時「確信を持って信じるものは山をも
動かす」というみことばが心に染みました。その時今日まで不思議なことの連続で守り導い
て下さり、生かせて下さり、二人の子供達も立派に成長させて下さって来たことは、私に
とって御ミサとイエズス様の御体、御聖体は、私の命であり、すべてとしか云いようがあ
りません。本当に私の家族と私の回りの家族をも守り導いて下さったこと、どんなに感謝
しても感謝してもたらない思いです。
4 調布教会だより●シャローム
4年前の2月11日に調布に引っ越してきましたが、私は引っ越しの条件として、長女の
お勤めに便利なところでいいよ、私は一つだけどこでもいいが教会さえ近ければいいよと
云ったのです。そうしましたら、以前サレジオ修道院の土地であったところに建てられた
マンションで毎日一分で御ミサに与かれるところに住まわせて下さったのです。本当に本
当に神に感謝です!!
ミサを楽しむ・ミサに入り込む
● 洗者ヨハネ Y. S.
「御ミサ」。私も、皆さんも毎週日曜日には御ミサに与かっていらっしゃると思います。
もちろん毎日与かっておられる方々も大勢いらっしゃいます。その、ある時、今、与かっ
ている御ミサに、なんとなく何か感じるというか、感動というか、そういうことってあり
ますか?この御ミサの中に自分が入っていってるのを感じたことってありますか?普通に
いつも与かっている御ミサ。いつも通りに進んで行くお祈り、聖歌。でも、いつもと違う叙
唱、奉献文。いつも聞き慣れている第二奉献文、第三奉献文とは違う。今日のは人類の和
解への奉献文なのか、一致なのか、世界平和なのか、愛なのか、ゆるしなのか。いろいろ
なテーマと意向で神父様が唱えられるのを聞く。御ミサを楽しむというのは変なことです
けれども、御ミサに自分を入りこませるという意識で耳を澄ませて、神父様の一言一句を
聞くというのも御ミサの与かり方のひとつではないかと思います。最近では、昨年11月の
府中カトリック墓地内の調布教会共同墓地で毎年行われている死者の為の合同慰霊ミサの
はじめに、参加者全員が各人の供養していただきたい人の名前を、一人一人が声を出して
お捧げしてミサが始まりました。自分も涙しながら父母の名前を告げ、皆さんと一緒に追
悼のミサに与かりました。こういう御ミサもあるんだ!!感動でした。その時、その場で、
自分の気持ち次第で、すばらしい御ミサに与がることができる。ありがたいことです。うれ
しいことです。
わたしにとってのミサ
● ヨハネ K. K.
今回シャロームへの執筆依頼を藤川主任司祭より受けて、今までのミサと自分の関わり
を振り返り反省し、さらにこれからの信仰生活を考える良い機会をいただいたと感謝して
おります。
調布教会のミサには六歳よりあずかり、七歳で初聖体を受けた後は、高校三年頃まで侍
者をつとめました。その頃は、侍者の役目を果たすのに精一杯であり、鐘を鳴らしたり司
祭の補助を行うことからミサの儀礼的な側面を意識していたように思います。
典礼やお説教に関して興味を持ち少しづつ理解できるようになったのは、大学生となっ
て朗読の機会ができてからでした。その日に読まれる第一、第二朗読と福音が一つのテー
マで構成されていることや、年間の典礼構成などもこの時期にわかってきました。恥しな
がら、使徒パウロは第二朗読に良く読まれる為、十二使徒の一人であると思っておりまし
た・・・・。典礼やお説教を聞くことで、神の偉大さと我々への深い神の愛を少しづつ理
解できるようになってきたことは、まさに信仰の喜びとも言うべきことでしょうか。
No.138 2007 年・四旬節号 5
最近の自分にとってミサとは、典礼やお説教を聞く場であると同時に、一週間を顧み感
謝し、罪の許しを請い、次の一週間のお恵みを願う落ち着いて神と対話できる場であると
考えます。しかし翻って見ると、忙しさにかまけて普段の生活における祈り・神との対話
が疎かになっているとも感じます。さらには、普段の生活と教会あるいはミサというもの
を無意識のうちに切り離してしまっているのではないでしょうか。「行きましょう、主の
平和のうちに」と毎日曜教会から派遣される私が、普段の生活の中で神の教えを実践して
いくことができるよう、又その勇気をミサにあずかる中で祈っていこうと思います。
ミサとわたし
● パウロ M. F.
神父様に「村野さん。帰らないで待ってて下さい。」と云われて、何時も駐車スペースを
探して車をあちこち動かして居るので、何か怒られる?と思って居たら、上の題でまとめ
て下さい、と云う事に成った次第。期限が迫らないと動かない性格なので、「それっ。」と
一気にまとめたのが以下の文章である。少々乱雑なのは御許し願いたい。
さてミサとは何だろう?と改めて考えてみも、そう簡単に答えが見つかる訳ではない。
ヨーロッパのレジスタンス映画の舞台になる教会は、ドイツ軍に追われて逃げ込んだレジ
スタンスのメンバーが告解室に隠れ、神父やゲシュタポがそれにからむ位でしか私の頭の
中になかったのだから、洗礼を受けたからと云って、カトリックの様々な約束事等への理
解度が飛躍的に高まる事もないのである。
こんなことを云ってしまっては、どうにもならないので、もう少し身近な所から考えを
巡らして見たい。
最近の私にとって、ミサと云うか教会という空間が、何時の間にか心の中にある比重を
持つようになって来て居る。若い振りをして見ても、年は確実に時を刻んで行くし、悩み
や心配が尽きる事はない(楽しい事、面白い事も沢山あるのですが!)。それが若い時とち
がって何か期限付きで迫って来る(少し大げさ?)-そんな時、人と話すのも良いが自分
一人で心の整理をしてみたいと云う願望が私なりに満たされるのが教会なのか?と思うよ
うになって来たのである。そう云った中に自分をしばらくでも置くと、月並みでな表現で
あるが心のしずまりを感じ、私流に云えば「まっ、こんな所で良いか-」に成るのである。
話を元に戻せば私にとってのミサは、その中にあるのであろう。心の落ち着きを、教会
とそこで行われるミサが両方から支えてくれて居るのではないかと思う。ミサの色々な作
法は、神父様には申し訳ないが、私に取ってそれ程重要ではない(聖歌を上手く歌えるの
を人に見せる様な行為は、それがあるとすれば私は余り好きではない)。ただし内なる自分
を満たしてくれる何かがあれば、これからも私は、きっと教会に通うであろう。その行為が、
さらに無意識の中の意識まで高められるであろうか。
ミサの喜び ー 四人のマリアに従って
● ヤコブ N. T.
緑が多くて、自然の小川が美しく、そして素敵な地域社会の人々、私の愛する街、この
調布市に私達が住み続けて、早くも四十年の歳月が積み重なった。
6 調布教会だより●シャローム
今は、種々の事情が歴史の流れとなって、私の家族は五人となりました。
考えてみますと、この四十年間と云うもの、私達と調布教会との係りは、私達家族の一人
一人の歴史に、濃密な関係をもっています。サレジオ教会、星美幼稚園入園、日曜学校、
目黒星美学園中学校、高等学校の通学の日々、毎日曜の礼拝、毎年夏休みの子供のキャン
プ行事等々、本当に二世代に亘って、それこそ毎日常生活に組み込まれた、かけがえのな
い張りのある時間を過ごして参りました。
私もこの永い年月を振り返り考えてみますと、妻の入信、続いて子供の入信、アッと云
う間に、子供の教会での結婚式、そして数々の神父様たちとの交わり、記憶を夫々呼び起
すだけでも、累々と連ります。ダルクマン神父、ロッシ神父、山本神父、鈴木神父、尻枝
神父、金子神父、藤川神父、石川神父、小坂神父、山野内院長神父、浦田神父、コンプリ
神父、ブロッカルドシスター、戸井田シスター、河村シスター、関口シスター、山口シス
ター、川下シスター、頭島シスター等々、走馬灯の如く浮かんで参ります。これらの人々が、
家族に及ぼす教示や影響というものは人生の活き方、過し方について、量り知れないもの
があります。
この教会と、良質のコミュニティー、地域社会の成り立ちは、私達の生活環境を破綻さ
せることなく、維持できたことと感じ入ります。
ただ今私、
“ S.ヤコブT”は四人のマリアにとり囲まれています。マリア・ルルデス、マリ
ア・セシリア、マリア・ベルナデッタ、マリア・ヨハンナ、達のマリアです。
私も昨年十二月二十四日、降誕祭に芽出度く入信致し一家をあげてミサの喜びを享受し
ています。
子供達の母親と云えば、すっかりこの地域社会に溶け込んで、一生懸命に子育てに励ん
でいます。
私達家族は決して裕福ではありませんが、日々楽しく助け合って、愛と希望と信仰の月
日を充足の内に暮らしています。
本当に心から神に感謝しています。
ミサの説教は、毎回、私の心に染み渡るものがあります。家族を間違いのない様に導き
育て、社会に有用な人材となる様にと毎日願っています。
わたしたちに、みこころが行われますように、アーメン。
ミサは長いか
● フィリポ・ネリ U. T.
私は、ごミサに与り始めてから受洗の準備期間を含めて四年ほど経過し、受洗からはま
だ三年と少しのまだまだ新米のキリスト者です。
ごミサに与り始めた初期の頃、その印象は正直なところ“ん∼長い”(苦笑)、という印
象で、少々しんどいな、という感じでしたが、神父様のお話を聞かせていただくことが楽
しみでした。それは必ずお話の中に強く印象に残る言葉に出会うことができたからです。
そんな受洗準備期間中、ベテランの信者さんとごミサについてのお話をしていた時、
「ミ
サの流れ、意味を理解することができてくると、長いとは感じなくなるものですよ。」とい
うお言葉をいただいたことがありました。そして、その言葉が本当であったことが理解で
No.138 2007 年・四旬節号 7
きるようになったことは今の私にとって喜びの一つです。そして、神父様からのご説教の
中には心にいつまでもとどめておきたい、と思うことが多いものです。聖書中の御言葉の
意味を私達に理解しやすいようにお話して下さること、また、神父様を同じ神様の兄弟の
一人として身近に感じることができる喜びがあるからです。そんな神父様のご説教の中に、
熱心にメモをとられている方の姿がふと目に入ることがあります。信仰生活の中で、“何
かを掴めたかもしれない”、“大切なことを理解できたかもしれない”と思える瞬間が訪れ
ることがありますが、メモを取らずにいられない瞬間とはその様な時かもしれないな、と
感じます。私の場合、大変そそっかしいことにその強い印象は残念ながら時が経つにつれ
てフェイド・アウトしてしまい、手探りの状態に戻ってしまうことが多く、霊的な未熟さ
を実感してしまいます。そんな時、少々心に痛みを持って思い出されるのは、マタイ、マ
ルコ及びルカによる福音書中の「種をまく人のたとえ」です。いつか、主の御言葉を本当の
意味で“聞く”ことができ、“何倍もの実を結ぶもの”となることができればそれは本当に
幸せなことでしょう。
また、ミサに与る喜びの一つに皆と声を合わせて聖歌を歌うことがあります。声を出す
という肉体的な活動は、その瞬間に私達が一つになって主と能動的に関わりを持っている
ということを強く実感させてくれ、ある種の精神的な実りを得ることができるように思い
ます。
主のご復活という神秘、そしてその喜びを心に感じる中で、希望を持ってこれからの信
仰生活を送っていきたいと願っています。
ミサの思い出 − 災い転じて…
● マリア・クレメンス N. M.
受洗前、ある修道院のミサに友人と一緒に与っていた。修練院の中にある小聖堂は、しっ
とりとした和室だった。ふだんから正座慣れしていると自負していた私は、シスターから
差し出された正座用の小さな低い椅子を断り、背筋をピンと伸ばして座っていた。しかし、
思いの外ミサは長く、だんだんと足がしびれてきた。ちょっと辛くなってきたなぁと思っ
た頃、ミサが終わった。立ち上がり足を踏み出そうとしたその瞬間、どーんと前に倒れ、
低い祭壇にぶつかった。周囲から悲鳴が上がった。自分では何が起こったのかよくわから
なかった。「血が・・・」という声、看護師の資格を持つシスターの名を呼ぶ声が聞こえた。
起こされてみるとひざがぱっくりと開き、血が出ていたのだ。それだけでなく足に激しい
痛みがあり歩けない。背の高いポーランド人のシスターが背負って下さり、修練院を出て
本院の車椅子のある所まで移動。看護師の資格を持つシスターが診て下さり、「骨折はし
ていないと思うけれど、すぐに病院に行った方がいいわ。」と言われ、恥ずかしながら救急
車で病院に行く事に。ありがたいことに下宿していたマンションの隣の隣の病院だった。
医師は、「靭帯を損傷しています。切れていはいませんが、完治に半年はかかると思いま
す。」えーっ、そんな∼、これから大学の卒業式も控えているのに・・・就職は・・・バイ
トだってまだあるのに・・・と頭の中を次から次へと駆け巡っていくものが。「なにしろ
安静にして下さい。寒い時期ですから動けば動くほど回復が遅れます。お近くだから通院
でもいいですが。」とショックなお言葉。しびれて感覚のなくなった足を踏み出そうとした
8 調布教会だより●シャローム
時に、足の指を巻き込み、前のめりに倒れてしまったのが原因らしい。正座で靭帯損傷−
泣いても泣ききれない心境だった。
急遽、卒業、就職までの全てのプランを変更し、バイトも辞め、ひたすら安静に努めた。
足以外はいたって健康なので、持て余し気味の毎日だったが、入門講座で習いたてのロザ
リオの祈りをし、聖書を読んだ。その中で不思議と自分の今いる状況というものがはっき
りと見えてきて、自分が今まで罪だと感じていなかった事に対しても回心の促しを強く感
じ始めるようになった。洗礼前の大事な四旬節をこのように過ごせた事は、とても幸せな
事だったと思う。
そして、その年の復活徹夜祭、怪我をした時に一緒にミサに与っていた友人が代母をひき
うけてくれ、足に包帯を巻いてはいたものの無事に洗礼のお恵みをいただく事ができた。
あの時、あのミサに与っていたことは、私の計画を遥かに超えた神のご計画だったのだと
思う。
ミサの中で神に賛美と感謝
● I. T.
ミッションスクールで小学1年生の頃からミサに与っていました。学校で聖歌を歌い何
もわからず…。21才で洗礼の恵みを頂き、キリストによって生まれ変わりました。
今、幼児洗礼を受けた娘二人も社会人となり、20年ほど前受洗した夫も、忙しく、クリ
スマスとご復活祭には必ずミサに与りますが…。私は告解の時、日曜ミサに与らない事が
イエズス様への愛を大切にしないことであることを知らされ、何があっても、ここ5年以
上は日曜日のミサに与る恵みを頂いています。
一週間、一生懸命生きて、その方向づけ、光と指針を頂き、生まれ変わったように力を
頂いて教会を後にすることは、不思議な神様のお計らい。慈しみとお護りを頂き、感謝と
賛美を捧げたいです。
「聖なる者となりなさい」とは、主と共にいつもあることで実現できるし、主、ご聖体を
頂くことはイエズス様と1つになる、人知を越えた幸せに預かること! 幸せです。
まだまだ未熟な信者、罪深い者がゆるしを頂き、み言葉、お説教を通して正しく導い
て頂けるのも、慈しみ深い神様の豊かなお導きです。「行きましょう。主の平和のうちに。」
と娘達を会社に来るまで送る時にも一緒に祈ることができます。神に賛美と感謝!!
家庭ミサのあたたかさ
● 幼きイエズスのテレジア U. K.
マリア会4地区では、先日のお掃除当番の後、藤川神父様に坂井さん宅にて家庭ミサを
捧げて頂きました。
共同祈願では、その場に様々な理由でいらっしゃれない方達のため、それぞれの言葉で
神に祈り分かち合いました。苦しみの中にあって、自分一人では祈れない、教会に行くこ
ともできなくなってしまった時にも、そばにいる人たちをもっともっと信頼して、ゆだね
て苦しみを分かち合えたなら、今私が祈れなくてもその時、だれかが私のために祈ってく
れるという事を、とても感じる事ができました。もっと幼子の様に信頼して求めよう、と
No.138 2007 年・四旬節号 9
深く感じました。
大きな教会の中ではなかなか味わう事ができない温かい一致を感じたごミサでした。
神に感謝
ミサの思い出
● マリア N. N.
もう何年位、前になるでしょうか、ノートルダムの修道院に、シスターのお勉強会に通っ
て居ります。毎週水曜日に、次の日曜日のために、第一、第二、第三の朗読のため、数カ
所を、シスターにご指導して戴いてます。その心の準備をして、私はミサにあずかります。
現在こそ、司祭がこちらをごらんになって、ミサが進んで居りますが、昔は、ラテン語
をとなえながら、司祭が後ろむきで、ミサの意味もわからず進められて居りました。
シスターの迫力あるお言葉で、熱く、聖書に従って、その日その日を学んでいける事は、
唯ひたすらに、シスターに頭が下がります。感謝の気持ちでいっぱいです。
以前、私は一年たらずの娘を、亡くしました。初めての子供でしたのでそれは一時期、ポー
とすごす事が多かったのですが、以前のチマッチホールの聖堂で、葬儀のミサをあげてい
ただいた記憶があります。
その時の、神父様のお言葉が、はっきりと私の中に生きています。
「何んの汚れも知らず 天に召されていったこの幼子と、他日必ず天国でお会いする事
ができるでしょう。」と
今日のミサのなかの説教で、神父様のお言葉がありました。
「心の貧しい人は、幸いである」これを3回はとなえてください。
そして「主よあわれみたまえ」と「主イエズスよ、神のみ子よ、罪深い私を、あわれん
でください」と
ミサの流れに、素直についていける自分も自分なりに、成長できたのかと思います。
過去のよいものを受けつぎながら、ミサの基本をしっかりと学ぶことだと、私もはっき
り感じます。神様からいただいたこのお恵みを、いつでも大事にしたいです。
「与る」● 使徒ヨハネ H. T.
この一年、いろんな教会のミサに与ってきた。最近も、朝寝坊とかすると、吉祥寺教会
の正午からのミサに与ったりしている。寝坊が理由というのはあんまり褒められたことで
はないが、一年ほど前まではミサに与ること自体が稀なことだった。いま思うのは、教会
というのはキリスト者にとって(「キリスト者にとって」という限定は不要かもしれない)
「家庭」みたいなものなのかもしれないということ。そこから生活の場へと派遣されてゆく、
一つの、とっても大きくてゆるやかな、それでいてしっかりとした絆で結ばれた家庭。
ミサに与る。与るという。普通のひとは「与る」という文字を見て「あずかる」とは読め
なかったりするのかもしれない。送り仮名が一文字足りないような気もすると思いつつも
「あたえる」とか読んでしまうのかもしれなくて、それもあながち間違ってはいないような
感じでもあるし、そして僕の場合は「与る」というふうな関わり方が自然にできてしまっ
10 調布教会だより●シャローム
ているのが、「ミサ」という場なのかもしれないと思う。与えられることがそのまま与える
ことで、与えることがそのまま与えられることであるような、そんなふうな関わりの場、
実現の場が今の僕にとってのミサなのではないかな、と思う。
ミサの終わりに、こんなやりとりがある。
「行きましょう。主の平和のうちに。」
「神に感謝。」
そして感謝の祭儀(ミサ)は終わり、それぞれの関わりの場へと派遣されてゆく。それは
きっと、愛を分かち合うために。
僕がこの文章を書こうと思って、喫茶店で珈琲を飲みながらひとり、ミサというものの
ことを思い巡らしているとき、三つの言葉が思い浮かんだ。「感謝」と「平和」と「一致」。
ふとポール・トルトリエというチェリスト(バッハの「無伴奏チェロ組曲」とかの演奏
で有名)の言葉を思い出した。曰く、「人生には三つのSが必要である。それはSilence(沈
黙)とSolitude(孤独)とSpace(空間)である」。そのまま、祈るために必要なものをほとん
ど過不足なく表している言葉なのかもしれないな、と思う。でも、もしかするとこれだけ
では、ひとりでいいじゃないか、とか思いかねないような気もする。なんていうか、僕が
そうだったし、今だって、ともするとそんなふうに頑なな感じになってしまうことがある。
そして、ミサのなかにはそんな何かを癒すような何かが働いている。耳を澄ませてみる。
もしかすると、変化のようなものが感じられるかもしれないから。その人なりの形で。
「与る」という言葉は英語では「take part in」か、それとも「share in」という言葉になる
のではないかと思うのだけれど(違ってたらごめんなさい)、この「part」とか「share」と
か(「役割」とか「共有」とか)いうことが、ひとりで祈ることと共に祈ることの違いを表し
ているような気がする。共に祈るということは、ときにものすごく力強い支えになるのだ。
そんなふうに思うとき、イエスのこんな言葉が思い浮かんだ。最後に引用しておく。
イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である
主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要であ
る。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいてい
る。」(マタイによる福音書12章37∼40節)
ミサについての思い
● アンドレア U. J.
第一線で活躍するプロフェッショナルの仕事ぶりを紹介する番組がある。その中である
有名パティスリーのパティシエが次のように言っているのをふと思い出す。
「味を飛躍的に高めるための裏技などない。おいしいお菓子を作るためには、地道な作業
を、手を抜かずにやるのが必要だ」と。また次のようにも言っている。「日々の仕事にはヒ
ントがあふれている。いつものフルーツをいつもの作業で触りながら、これを違うお菓子
に使えないか、考える。いつものお菓子を作りながら、ほかの素材を加えられないか、考
える。現場にこそ答えはある」
実際の信仰生活の中心が具体的な活動の方に移っていて、ミサに対する態度が習慣的に
なってしまっている私たちにとって、どのようにミサにあずかればよいかは、とりわけ難
No.138 2007 年・四旬節号 11
しいことの様にも思われるかもしれない。また、仕事や日常生活における多忙さ、家族の
問題での悩み、あるいは心に苦しみを抱えている場合などは、教会に来て、ミサにあずかっ
ても集中することの方が大変であろう。しかし、実はミサにおける務めと奉仕を、会衆、
奉仕者、聖歌隊、などのそれぞれの立場において、あたり前のことをあたり前に、しかし
ながら心をこめて、そして尊敬をもって行うことこそ、ミサにあずかるときの信者として
の役割、務めを果たすための第一歩でないだろうか。「神のことばを聞くときにも、祈願
や歌を分担するときにも、とくにいけにえをささげるときにも、主の食卓にともにあずか
るときにも、皆が一つのからだを形成するように心がける。この一致は、信者がそろって
する動作や姿勢によって美しく表現される」
(ミサ典礼書の総則96)。一つ一つの動作を取っ
てみても、それの持つ意味を考えて、心を込めて行うことによって、美しい物になってい
くことであろう。たとえば「礼は、人あるいはその人が示す物に対して敬意と栄誉が与え
られることを意味している」(ミサ典礼書の総則275)。また「皆が互いに兄弟であることを
念頭において、孤立や差別を印象づけることは、いっさい避けなければならない」(ミサ
典礼書の総則95)。人それぞれ心の中にいろいろな思い、あるいは雑念が頭の中を巡ると
きもあるであろう。しかしながら、それらをとりあえず「心に納めて」(ルカ2:51)、ミサ
にていねいにあずかりたいものである。他者がどうであるかを考えるよりも、「自分の目
から丸太を取り除く」(マタイ 7:5)ことを意識して、自分が主に対してどうあるべきかを
考えてみたい。
またミサの各部における司祭の所作、特に祭壇上での動きに注目してみると新たな発見
があるかもしれない。今の聖堂では、後席に位置しているとなかなか司祭の動きは見えな
いが、新聖堂では会衆席にスロープがつけられ、祭壇がよく見えるようになるので期待し
たい。私がかつて不思議に感じたこととして、平和のあいさつの後に司祭がパンを分割す
るとき、そのパンの一部をカリスの中に入れる動作がある。調べてみて分かったことだが、
奉納からこの動作の間までは、祭壇上で、パンとぶどう酒を分けて置くことにより、キリ
ストの死を、そしてパンの一部をカリスの中に入れることにより、キリストの復活をそれ
ぞれ象徴的にあらわしているようである。ミサ典礼書の総則には次のような記述がある。
「これは、救いのわざにおけるキリストのからだと血の一致、すなわち生きて栄光に満ち
たイエス・キリストのからだの一致を明らかにするためである」(ミサ典礼書83)。普段何
気なくあずかっているミサでも、実はまだまだ知らないことに出会うことがよくある。あ
たり前のことが、実は本当に難しく、知っているようでも知らないものだとつくづく感じ
てしまう。自分が知らないということを知ることの大切さを大事にしたい。
聖アウグスチヌスは三位一体論のなかで、預言者イザヤの証言を引用して、「見いださ
れても、さらにたずね求められるべきであるということではないでしょうか。把握しがた
いものが探究される場合のたずね求めかたはこの仕方による」と記しています。ミサにあず
かり主を求めるという探究の行為は一生終わらないものであり、わかったと思った時点で、
そこからまた新たな探究が始まるということではないでしょうか。やがて発見するために
探究し、やがて探究を始めるために発見するということであり、信仰とは探究と発見の繰
り返しであると考えられる。わかった段階で探求をやめてしまったり、知っているから特
に必要ないと思ったり、あるいはいつもの事だからと手を抜いてしまうのは、その時点で
12 調布教会だより●シャローム
霊的成長が止まっているように思える。いつもあずかっているミサでも、前よりも動作や
姿勢を美しいものにできないだろうか、聖歌をもう少ししっかりと歌えないだろうか、今
以上に尊敬と沈黙をもって祈りを聴けないだろうか、あるいは司祭のこの動きは何の意味
があるのだろうか、などなど常に考えていたいものである。小さいことの積み重ねが、ほ
んの少しの一歩が、知らず知らずのうちに、やがて大きい恵みへとつながっていくように
思える。同じことの繰り返しのように見える中にも、少し注意していろいろな側面を客観
的に見つめ、そして自らの態度を常に省みることにより、新しい発見があり、新しい探求
の道が開けてくるのではないでしょうか。
ミサの導く場所
● マリア・テレジア Y. A.
もうすぐ洗礼を受けて3年がたちます。当時、私は大学院に通っていました。在学中に
カトリックと出会い、気がついたら求道者となり、いよいよ受洗という時になって、私の
中にはまだ迷いがありました。洗礼は受けたい。けれど本当に私は神様を愛し続けられる
だろうか。不安を抱えた私に、みんなは「君なら大丈夫。少しも心配ないよ」と勇気づけ
てくれました。しかし、仲のよかった神学生は間髪いれず私に言いました。
「そんななら洗礼なんて受けないほうがいいよ。世の中はキリスト教が大事にするも
のとは全く違うものを中心に動いてるんだから。こんなはずじゃなかったと思うかもよ。」
結局はそれからいろいろなことがあり、私の心は受洗するほうに決まりました。
その後、無事に学位もとり、仕事で上京しました。仕事の中で、自問自答を繰り返す
日々が始まりました。新しい環境で私の軸は大きく揺れていました。大切なことが何か分
かっていても、それを実現していくことは困難で、自分の思いとは正反対の他者の考えに、
何度も自信をなくしました。“キリスト者として生きていく”と言葉で言うのは簡単だけれ
ど、地に足のついた信仰を生きていくとはどういうことなのか、手で探ってみてもなかな
か掴めませんでした。でも、このときの私は“キリスト者とはこうあるべき”という枠にと
らわれて、自分自身を縛りつけていたのだと思います。そんなこわばる心をほぐしてくれ
たのは、いつもミサでした。
ミサでキリストの死と復活に与り、罪に死に新たな命に生きる。まだよくは分かりま
せんが、ミサに与っていると、心が軽くなっていくのが分かります。いつもとはいかない
けれど、福音を通して心の底に埋もれた自分の気持ちを見つけることができ、見つけ出さ
れた気持ちの穴を埋めるかのようにあたたかいもので心が満たされていくのが分かりま
す。派遣の祈りのあとは、現実は何ひとつ変わらないけれど、この現実をしっかりと受け
止めようという気持ちになります。同時に、受洗を決めたときのことが思い出されます。
これからどんなことがあるか分からない、神様をずっとずっと愛せるかどうかも分からな
い、でも私は神様の道具になりたい。あの神学生が投げかけてくれた問いかけがあったか
らできた覚悟です。ミサに与ることで、私は自分の原点に戻れるような気がしています。
No.138 2007 年・四旬節号 13
受 洗 に向 け て
出会いと導きに心解き放たれて
N. S.
はじめに
私は4月8日の復活祭で、洗礼・堅信を受けることになり、神の恵みに感謝している。
これには、藤川神父様をはじめ、晃華学園の学園長Sr.山下、校長のSr.吉村、代父
を務めていただくOさんなど、調布教会の皆さん方の支えがあったればこそと感謝して
いる。
私は、5年前に公立小学校を退職し、晃華学園小学校の理科専科として奉職する
ことになった。今思えば、このことが主のお導きであったと受けとめている。第二の人
生を如何に生きていくのかという命題が与えられ、その方向性を見出すことができたと
いう実感が、今此処にある。
これまでの自分を振り返ると
①昭和20年の熊本空襲でなくした母も、祖母も教員であった。この家庭環境により、私
は自然に小学校教員となった。
“子どもは可能性の萌芽である”を座右の銘として40
年が過ぎた。また“人の命の尊厳と平和教育”を教育信条として、実践してきた。それ
は、
「サダコと千羽鶴」を中心とした原水爆禁止運動や「戦争と平和を考える」授業、
「人の命と心の尊厳を考える」授業の取り組みであった。
②晃華学園に奉職したことは、60年間、聖書の1ページも読んだことのない私にとって、
それは新鮮な体験であった。また、それは新しい人生に向けて、主の恵みへの感謝
と喜びの実感があった。
・ 毎朝歌われる聖歌と1日に4回行われる神の恵みへの感謝の祈りは感動的であり、
全人教育の原点が此処にあった。
・ 聖母マリアを讃える5月等の宗教的な月行事、そしてクリスマス・ミサや卒業式で、
全校児童の感謝の祈りや聖歌のハーモニーの荘厳さには深い感銘を受けた。
③軽井沢修道院での黙想会や藤川神父様による聖書の勉強会は、私にとって新しい
人生への光であった。これまでの60年間の心のノートは左のページであり、教会との
出会いは、今まで存在すら知らなかった右のページ、そのものであった。まさしく、
目から鱗という実感があった。
④カトリック教会主催の犬養道子氏による難民キャンプ救済活動の報告会に参加し
た。心の研鑽や世界平和を祈りながら、国内での“円ブリオ基金(1円募金で胎児
の命を守る活動、6年間で122人を救う)”などの活動を知った。心に思うだけでなく、
このような具体的な支援活動に“命の尊厳”の授業を進めている私は、深く強く感動
を覚えた。
キリスト教が民族や政治的な対立、武力衝突、自然災害等の難民に対して取り組む
14 調布教会だより●シャローム
具体的な救援活動に、感銘を受けた。マザーテレサの、インドでの“命と心を守る”活
動と合わせて心に共感するものが大きかった。
終わりに
主イエス・キリストと藤川神父様のお導きで心が解き放たれる喜びを感じる。調布
教会での神秘の交わりを通して、私は新しく生まれ変わった。この新しき人々の集う教
会に参加できる喜びを、体に心に感じる毎日である。私は、真摯に、誠実に、朴とつ
に生きたい。聖ヨセフのお名前を拝して、復活祭には洗礼を受けるお恵みを授かること
になった。神に感謝!アーメン!
やすらぎの世界を求めて
S. E.
私の人生の最初の記憶は、母親の暖かい膝に抱かれて座り、近所のお婆さんたちが
詠唱する念仏のやわらかい声につつまれていた記憶です。それは私が三歳のとき、早く
亡くなった長姉のお葬式のときのことだったらしいのですが、そのときのやすらぎの気
持ちが、今でも心のなかに、私の宗教体験の原点のようなものとして残っています。
その後私はそういう世界を遠くはなれ、西洋史研究の世界に入りました。専攻はドイ
ツ近代史で、だからどうしてもルターのことを多少は勉強することになります。また兄が
信者だったことから、プロテスタント教会の雰囲気も少しは知っています。しかしカトリッ
クのことはほとんど何も知らないまま長年過ごしてきました。ところがそういう私がある
時期からカトリックの女子大学に勤めることになり、また別の世界に触れました。そして
あるときふと気がついたのですが、一般に西洋史の本はプロテスタントの立場から書
かれていることが多いのです。私自身が書いたものも無意識のうちにそうなっていまし
た。それを意識したとき、私の歴史を見る目が変わりはじめました。
私は「普遍の教会」の意味を知りたくなり、ある方のご紹介で、晃華学園の佐久間
神父様にお話しをうかがう機会を得ました。そしてこの世界の懐の広さを知り、勧めら
れて調布教会の扉をたたいたのです。はじめて訪ねたとき、そこにコンプリ神父様、さ
らに藤川神父様が通りかかられ(これも出会いでしょうか)、まずコンプリ神父様の入
門講座で勉強をはじめました。そしていま藤川神父様のもとで勉強して、洗礼への道を
歩んでおります。
勉強をはじめて間もないころ、
『調布教会ニュース』に藤川神父様が「死者の月にあ
たって」を書かれました
(2005年11月)。村八分も二分の情けは残す
(火事と葬式のとき)
ということを引いて、思いやりと連帯の心の大切さを説かれたご文章でしたが、これ
を読んだとき、まだためらいがあった私の気持ちがすっと楽になったことを、感謝のう
ちに思い出します。新しいやすらぎの世界に、安心して身をゆだねたいと思います。
No.138 2007 年・四旬節号 15
「調布サレジオ青少年司牧」について
浦田 慎二郎(司祭・青少年司牧担当)
タイトルに「調布教会」ではなく「調布サレジオ」としたのには理由があります。青少年司牧に
関して、私たちは教会という枠だけではおさまりきらない活動を行っているからです。毎月1回合
同司牧会議というものを行っているのですが、神学院の活動に所属するユースセンターも一緒に、
「調布サレジオ」の青少年司牧活動として捉えて共に活動を行っているからです。調布青少年合
同司牧の教育司牧指針の基本理念にはこう書かれています。
『日曜学校、ユースセンター、ボー
イスカウト、中高生会、青年会、司牧委員(順不同)はそれぞれ独立したグループであるが、同
じサレジオ会調布支部の司牧活動に属し、同じキリスト教精神、特に同じドン・ボスコの精神
に基づき行動し、お互いに助け合いながら一致して活動する。それは、私たちを愛し、共にい
てくださる神様に導かれて行動することであり、ドン・ボスコが実践した家庭的教育環境の中
で若者が愛され、成長していくように共に活動することである』。調布教会はサレジオ会に委託
された教会であり、私たちの特色となるのはやはり「若者を大切にした教会づくり」ということで
はないでしょうか。その意味でこの青少年司牧というテーマは教会のある一部分の人が関わって
いればよいという問題ではなく、全ての方が何らかの形で関わる、もしくは祈りをもって支えて
いただくという意識が必要になってくるかと思います。では、話を具体的にするために以下に各グ
ループの紹介表をのせます。
グループ
対象
日曜学校
小学生
男女
神学生、
60 シスター、
保護者、青年
ユース
センター
小学生
男子
神父、神学生、
・他グループと連携
遊び、部活、
志願生、
困難
60
劇、イベント、
母の会、
・スタッフ減少、
要理
コーチ、OB
国際化
ボーイ
スカウト
小・中・高
男女
70
中・高生
中高生会
男女
人数
スタッフ
スカウト
リーダー
神学生、
30 シスター、
青年
活動内容
課題
ミサ、侍者、 ・リーダー減少
要理、遊び
・高学年減少
野外活動、
キャンプ、
集団生活
・リーダー不足
・宗教色不足
・高校生減少
ミサ、要理、
・リーダー不足
遊び、他教会
・道を求める子に
交流
応えられず
目標
・方向性確認
・縦のつながり強化
・求道者発掘
・
「サレジオ」という場の
地域浸透化
・ユース中学部再興
・OB 会、支援会推進
・福音宣教
・リーダー養成
・神学院との関わり深める
・高校生向けの企画
・要理時間拡大
・宣教協力体交流
・将来のリーダー養成
青年会
18 歳以上
20 神父
の青年
リーダー、お ・教会への貢献度不足 ・リーダー発掘、養成
茶、イベント、 (リーダー除く)
・他教会と交流・信仰を
分かち合い
・大学1、2 年生減少 深める場
司牧
グループ
教会司牧
委員、
協働者
各グループの
パイプ役、
活動の裏方
10 主任司祭
16 調布教会だより●シャローム
・他信徒への説明の
難しさ
・未信者の父兄との
関わり
・各グループの活動把握
・ヘルパーグループの
拡大化、活性化
次に目指している教育司牧共同体のビジョンを図で表します。
調布教育司牧共同体
ボーイスカウト
日曜学校
青年会
中高生会
ユースセンター
司牧
グループ
神学院
保護者
協働者
スタッフ、ヘルパー、裏方として
関わっていく
共通する年間行事としては、
5月末∼6月
:調布デイ、7月末:サマービレッジ、8月:各グループキャンプ、11月:ユースフェスティ
バル、1月:餅つき、ドン・ボスコ・デイなどがあります。
そして共通課題と目標として以下の点を確認しています。
・スタッフの発掘、養成
・より多くの協働者を「巻き込む」こと
・年数回の共通行事の活性化
・各グループ間の交わり、助け合い
・共同の掲示板、勧誘・信仰教育の見直し
・地域のニーズに応える努力
以上の説明で私たちの活動の大枠はつかんでいただけたかと思います。ともかくも、先に申し
ましたとおり、子供たち、若者たちがこれまで以上にサレジオの中でよりよく成長していくために
は皆様のご協力・ご理解が不可欠です。よろしくお願いします。そしてこの場を借りまして、主任
神父様をはじめ、子供たちのために貴重な時間とエネルギーを注いでくださっている全ての方に
心からの感謝を伝えたいと思います。本当に彼らにはいくら感謝してもしきれないと感じていま
す。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
No.138 2007 年・四旬節号 17
教会のあゆみ[ 2006年12月̶2007年2月 ]
●
2006年12月24日(日)・25日(月)
降誕前夜祭・降誕祭
12月24日、降誕前夜祭のミサが厳かに執り行われました。
ミサの中で7名の方が洗礼を受けました。
おめでとうございます。
また降誕祭のミサでは、静謐の中でキリストのご降誕をお祝いしました。
18 調布教会だより●シャローム
●
2007年1月14日(日)
チマッティホール謝恩とお別れ会・ドン・ボスコのお祝い・
新年会・成人のお祝い
新聖堂建設のために、今春取り壊されるチマッティホールへの謝恩とお別れの集いが、ドン・ボスコのお
祝い、成人のお祝い、新年会を兼ねて行われました。冬晴れの青空のもと、大勢の方々が、調布教会
の礎を築き、長年にわたり育んできたチマッティホールへの感謝と慰労の意を表し、それぞれの想いを
胸に名残を惜しみました。
●
2007年2月25日(日)
臨時信徒総会
四旬節第1主日のミサ終了後、臨時信徒総会が開かれました。詳細は別冊の資料をご覧ください。
No.138 2007 年・四旬節号 19
お知らせ
これまでの主な行事[
2006年
12月 3日
12月 8日
12月 17日
12月 24日
12月 25日
12月 31日
2007年
1月 1日
1月 7日
1月 8日
1月 14日
1月 28日
1月 31日
2月 2日
2月 21日
2月 25日
2006年12月̶2007年2月
(日)
(金)
(日)
(日)
(月)
(日)
祝祭日
待降節第1主日
無原罪のマリア
待降節第3主日
待降節第4主日
主の降誕
聖家族
(月)
(日)
(月)
(月)
(日)
(水)
(金)
(水)
(日)
神の母聖マリア
主の公現
主の洗礼
年間第2主日
年間第4主日
聖ヨハネ・ボスコの祝日
主の奉献
灰の水曜日
四旬節第1主日
これからの主な行事予定[
2007年
3月 25日
4月 1日
4月 5日
4月 6日
4月 7日
4月 8日
4月 30日
5月 13日
5月 20日
5月 27日
6月 3日
6月 10日
6月 15日
(日)
(日)
(木)
(金)
(土)
(日)
(月)
(日)
(日)
(日)
(日)
(日)
(金)
祝祭日
四旬節第5主日
受難の主日(枝の主日)
聖木曜日・主の晩餐
聖金曜日・主の受難
聖土曜日
復活の主日
復活節第6主日
主の昇天
聖霊降臨の主日
三位一体の主日
キリストの聖体
イエスのみこころ
]
教会行事
洗礼志願式
共同回心式
クリスマスイヴ・洗礼式・祝賀会
チマッティホール謝恩とお別れ会・新年会・成人の日お祝い
ドン・ボスコの祝賀
(ミサ中 )
洗礼志願式・臨時信徒総会
2006年12月̶2007年4月
]
教会行事
共同回心式
十字架の道行き・受難の祭儀
復活徹夜祭・洗礼式・祝賀会
復活祭
多摩東宣教協力体交流ミサ ( 調布教会 )
富士聖母巡礼
信徒総会
聖週間のご案内
聖週間に執り行われるミサの時間は次の通りです。
4月1日 枝の主日
4月5日 聖木曜日(主の晩餐)
4月6日 聖金曜日(主の受難)大斎小斎
十字架の道行き
4月7日 聖土曜日・復活徹夜祭
4月8日 復活祭
20 調布教会だより●シャローム
8:00 10:30
19:30
19:30
15:00
19:30
8:00 10:30
教会聖堂
神学院聖堂
神学院聖堂
神学院聖堂
教会聖堂
教会聖堂
多摩東宣教協力体
交流ミサ FUCHU
府中教会
CHOFU
T AMA
多摩 教 会
調布教会
4月30日 10:30∼
月曜日
●
振替休日
今年の当番は調布教会です。毎年、多摩、府中、調布教会の間で持ち廻りとなっている多摩東宣教
協力共同体の合同交流ミサが、今年は調布教会で献げられます。
新聖堂の着工直後で、なにかと不便ですが、頑張って準備し、他教会の皆さんに喜んで頂けるように
いたしましょう。
交流ミサとその後の行事はおよそ次のように計画を進めています。
・ミサは三教会の神父様たちが共同で挙げられます。典礼奉仕も三教会の信徒が分担して行います。
・ミサ後の行事には、チマッティ聖堂訪問・チマッティ資料館見学・噴水広場での懇親会を予定して
います。
・懇親会のメニューは、おむすび・水餃子・焼きそば・清涼飲料・酒類などを考えています。車でお
いでの方は、飲酒をご遠慮ください。飲酒運転は法律で禁止されています。
多摩・府中の両教会からは、50∼60人の方々が参加の予定です。調布教会の私たちも積極的に参
加し、交流を深めましょう。
私たちが日頃信仰を頼りにし、また教会の活動に参加している中で、喜び、悲しみ、悩んでいることを、
両教会の方々も同じように経験していらっしゃるでしょう。
また、私たちが活動していない分野での経験も
あるでしょう。
宣教の協力は相互交流から始まります。皆さん、ミサ・行事に参加して交流を深めましょう。
No.138 2007 年・四旬節号 21