<書 評 と紹介 > 小 川幸 司 『 世界史 との対話 -70 時 間 の歴 史批評』 (上)(中 )(下 )を 読 永 井 紀 之 はじめに 先 日、世 界史 を教 えて い るクラスで授 業 アンケー トを行 ったのですが、予想以上 に否定的な 評価 を得 ました。詳細 は省 きますが、大 多数 の生徒 にとって、世 界史 は 日本史に比 べ てな じみ のない 人名や出来事が次 々 と提示 されるので、授業が難 しい と感 じてい るよ うです。 また、定 期考査 の負担 も他 の教科 科 目に比べ て大 きい と感 じて い ます。 こ うした生徒 の実態 は、授業 の様子や定期考査 の答案 か らある程度理解 してい たつ もりですが、政めて 目の前 につ きつ け ら れると深刻 に受け止 めざるを得 ませんで した。 もちろん、授業の至 らない ところは改善 の余地があ ります し、そ うした柔軟性 はまだ持 ち合 わせてい るつ もりです。 しか し、世 界 史を学 ぶ こと自体 に対す る消極的な姿勢 の背景 に、昨今 い われる若者 の 「内向 き志向J が 感 じられるの も事実です。外国に対す る当た り前 の知識が欠 けてい るだけでな く、以前 はそれな りに受けた小 ネタに関心 を示す生徒の割合は確実に減 って いるように感 じます。世 界史 は必1 夕とい うのに受験科 目として選択する生徒 は例年少数 にとど まってい ます。 研究者 レベ ルで も、 こうした状況に対する危機感はすでに共有 されてい るようです。例 えば、 大阪大学 の歴 史教育研究会 は世界史教育 の あ り方 について大学 の研究者 と高校教員 が協働す る 形 で維続的に検討 を重ねて い ます。 また、 日本学術会議では、数年 の議論 を経て共通科 日とし ての歴史基礎の導入 を提言 しました。 こ うした新 しい動 きを吸収 しなが ら授 業改善 に励 む とい うのが、我 々現場 の教師の あるべ き 姿なので しょうが、違和感 もぬ ぐえません。確かに、「 改革」は現状 の課題 を踏 まえての もので すが、上 に見 た生徒 の実態 を大 きく改善 で きるものでは なさそ うです。かえ って、従来型 の授 業 に慣 れてい る大半 の教師を混乱 させ るか もしれませ ん。何 よ り大学入試 とい うハ ー ドルが現 状 の ままであるとした ら、生徒 と利害が 一致するのはそれに対応 した授業ですか ら、多 くの場 合 「 改革」 をや り過 ご して しまうことで しょう ( これを現場感覚 として肯定的 に見る こともで きるで しょうが) 。 こ うした現場 の教師 の実感 を明快 に論 じるとともに、 自らの実践 を踏 まえて高校世界史教育 の改善を提言 したのが、長野 県の公立高校 の世界史教師である、」り│ 1 幸 は 「 司氏 です。幻り│ 1 氏 高 "科 “ 一 校世界史 は、高校生か らも社会人 般か らも 嫌 われてい る 目であ り、その意義 に共 感 し Ⅲ "し て もらうことに 失敗 て きた科 目なのだ」、グローバ ルヒス トリーのよ うな成果 を反映 して ―-35-― “ "へ の道 教科書 を書 き換 えた と して も 「 入試 の力学が働 い た途端 に、教 師 の善意 は 暗記地獄 を舗装 し始める ことになるJと 喝破 します (上巻 く以下 「 巻」は略>、316∼ 317頁 )。その上で、 「 戦後 『 社会科』 のなかの高校世界史」 を振 り返 り、世界史の入試が初期 に比 べ て大幅に難化 し "力 ` “ て きた事情 を実証的 に分析 します。 また、初期の世 界史教科書 にあつた 問 いかけ 消 えた “ "に “ " こと、小中学校教科書 に比べ ると文章が 無味乾燥 な り、「それぞれの歴史的場面の 意味 を発展的に考え ることが二の次 にな り、 よ り細かな知識 の整理 に終始 して しまう」 ことを指摘 してい ます (上、317∼ 325頁 )。 これに対 し、小川氏は上原車禄 吉 田悟郎 ・鳥山孟郎 西 川正雄 ら先字 の世界史学 世 界史 Ⅲ “ 教育論が いず れ も 問いかけ を重視 してい るとして、 自らの高校世界史改革論 をそれ らに続 “ "と い うものは、三 くもの として位置づ けます (上 325∼ 329頁 )。小川氏 は 「 歴史教育の 知 層 か ら成 り立 ってい るJと します。第一層 は事件 事 実 の列挙、第二層 は因呆関係や解釈 にか “ "の かわる 意味 高校 の世界史教科書の記述は、第一 の層 に集中 しなが ら、 とき 記述 であ り、「 どき第二の層 にふ れるとい った程度 の もの」 であ るのに対 し、小川氏 は第二 層 としての 「 歴史 批評」が必 要 であるとします。 これは 「 歴史 を素材 に して人間 の あ りかたや政治 の あ りかた、 ひい ては自分の生 き方につい て」考察 批 評する とい うものです。 また、「『 歴史批評Jの ため Ⅲ “ "と “ には、教 師の 語 り日 が根本的に変 わらねば ならない」 として、 問 いかけ 「 教師 と生徒 Ⅲ Ⅲ の歴史 との 対話 」 を重視 してい ます (上329∼ 331頁 )。 小川氏 の主張 は、検証 理 論 実 践 が一貫 してお り、大変説得力があ ります。 また、制度改 革につい て も大胆 に論 じる一 方 で、教師 の 自己改革 を求めてい る ところに誠実 さを感 じます。 この論文が大 きな反響 を呼んだの も当然のこととい えるで しょう。 その小川氏が、高等学校 と市民講座 における講義録 を著書 にまとめた ことを知 り、上 に見た 高校世界史改革論 のバ ックボ ー ンを知 りたい と思 って迷わず本書 (上)を 購入 しま した。 (上) だけで 1頁 35字 ×34行 横組 で 338頁 に も及 がボ リュー ム に正 直 ひるんで しまい ま したが、頁 “ "(中 を繰 る うち に小川氏 の世 界史教育 に対する 熟情 、380頁 )に 圧倒 され、一挙 に読 み通す ことにな りました。 (中)(下 )は さらに分厚 くな りましたが (それぞれ 382頁 、478頁 )、(上) 以上 に短期 間で読 んで しまった ように思 い ます。 こん なにす ごい高校世界史教師が い たのか一 読 んでいる時 も、何度 も読み直 してい る今 も、 この感慨か ら逃れることはあ りません。そ して、 この 感慨 は、小川幸司を読 まず して高校の歴 史教育 を語 るなかれ、 とい う確信 につ なが ってい ます。今回 この大著 を取 り上げる所以です。 I 本書には、副題にあるように、以下の 「 70時 間」の講義 (と補論)が 収め られてい ます。 ―-86-一 (上) ー ン ネ ア デルタ ル人の心 をのぞ く 第 35講 フ ェルメー ル をさが して 地球Jの 上か ら眺めると 「文明Jの誕生を「 フ ァラオの呪 いの正体 は 第 37講 明 第 39講 「第二 次大交易時代」 の行方 第 40講 産 業革命か ら 「 帝国」ヘ 第 6講 古 代民主政をになった人々 ヘ ロ ドトス と トゥキュディデス 『オイディプスニ』 のラス トシー ン 第 7講 ロ ーマ皇帝たちの乱痴気 第 41講 ジ ェファソン大統領 と黒人奴隷 第 42講 正 義のための恐怖政治―口ベスピェールの民主主義 第 8講 歴 史のなかのイエス を探す 「 ローマ の平和」 とは何 だったのか 女性 の人権宣言」 第 43議 オ ランプ ド グージェの 「 第 44講 ナ ポレオ ン ボ ナパル トの孤独 第 1護 第 2講 第 3講 第 4講 第 5講 第 9講 第 36講 オ スマ ン帝国の栄光 と黄昏 清 の皇 帝専制 と民衆 近世」 第 38講 日 本列島の 「 ウパニシャッドの 「 、 心臓の光J 第 10講 ブ ッダの「 犀の角」 切 り裂 きジヤックJ 第 45講 「不思議の国のアリス」と「 第 11講 孔 子 の実像 を求めて 第 46講 鉄 血宰相 ビスマルクと近代 日本 第 47講 宮 廷生活 を嫌 ったオース トリア皇后 第 12議 始 皇市の スキ ャ ングル 第 13講 旬 奴 の国で生 きる 第 14講 司 馬連 『 史記Jの 沈黙 第 15講 日 本列島の なか の 「日本J (下) 最後 の授業』 第 48講 ア ルザ スと ドーテの 『 第 16講 杜 甫 の春 第 49講 ア メリカ民主主義の人種論 第 17講 敦 建石倉寺院の片隅で 第 50講 ゴ ッホの哀 しみ 第 18講 元 危は日本に何 をもた らしたのか 第 19講 『 コー ラ ン』 に記 された神の 「 徴J ー 第 20講 イ ブ ン ハ ル ドゥ ンの歴史理論 を読む 第 51講 「 アジアの運帝」 を中東か らとなえて 第 21議 ア フリカの無文字社会が歴史を伝 える 第 22講 「封建社会Jはどのように研究されてきたのか 第 駁 講 日 露戦争 の光 と陰 第 55講 浅 川巧 一 朝鮮 の上になった日本人 第 23講 裁 かれた動物たち 第 24講 ジ ヤ ンヌ ダ ルクと百年戦争 第 56講 ア ラブか らみた 「アラビアの ロ レンスJ マルクスからマルクスヘ 第 57講 マ ルクスからレーニンヘ、 補 論 世 界史教育 の あ りかたを考える 第 52講 中 国 と日本 の 「開国」 の行方 第 53講 明 治日本の北海道旧土人保護法丁小国主義」 第 5 8 講 パ リ不戦条約 の世界史的意味 第 5 9 講 オ ー ウェルにとっての 2 0 世紀 (中) 第 25講 ジ ェ リエ ッ トのス コラ哲学 第 6 0 講 シ ヨアーヘ の道 第 6 1 講 シ ヨアー をめ ぐる群像 第 26講 レ オナル ド ダ ヴ インチのまなざし 第 27議 レ ヽムレッ ト』、記憶の政治学 第 骸 講 リ リー マ ル レー ンをもう一 度 第 63講 満 洲事変をくいとめることはできなかったのか 第 28講 東 南 アジアからみた 「 大航海時代J 第 64講 南 京事件 の真相 を求めて 大航海時代」 第 29講 イ ンディオか らみた 「 第 30講 ル ターが いだいた恐怖 第 65講 御 前会議 と青年兵士 のアジア 大平洋戦争 第 66講 終 わらない戦争 を見つ める 第 31講 唯 名論のなかからリヴアイアサンが立ち上がる 第 3 2 講 赤 ず きんちゃん気 をつ けて 第 67講 何 が冷戦 を終わらせたのか 院植民地化Jの 長 い道 の り 第 68講 イ ン ドの 「 パ ンセ』 の問いか け 第 3 3 講 パ スカル 『 第 3 4 議 天 オ モ ー ツァル トの素顔 第 69講 イ ラクとガザか らの世 界史 第 拘 講 ト リニテイか らチェルノブイリとフクシマヘ 小川氏は、本書を巻に 「はじめにJ「あとがき」 を書いてお り、そ こで本書の構成や自身の世 界史教育論 学問観などを率直に語つています。これを手がかりに本書の特徴を見てい きましょ う。 殉 時間」 とは、必1 寡 まず、「 世界史の最低限2 単位から設定されていますが、1 回 につ き1 時 間分の講義内容がそのまま収められているとい う訳ではあ りません。上に見た本書の頁数から 生徒に対する教師の 容易に想像できる通 り、1回分の内容 は膨大です。小川氏 は高校の授業 は 「 一 1の授業に対 して 10の下詞べが必要であると述べてい ますが (上、 十分の 税」であ り、 333頁)、 各講義にはその 10が盛 り込まれてい ます。とはいえ、単に下調べ をそのまま羅列 して授業内容 FFR末 をrfrし く解説 している訳ではあ りません。 自身い うように、本書 は 「 事項 を暗記 させ られ る世界史ではなく、その内容 と 『 対話』できるような世界史を居けたい」(上、3頁 )と い う思 いから成ってい ます。また、「 最優先 にしたのは、読者に70回分の世界史の講義を面白く読 ん Ⅲ "と でもらうとい う 書物 しての価値である」 とい うように、各議義それぞれが完桔 したテー マ史 として 「 面白く」読めるようになつてい ます (上、4頁 )。 各巻のテーマは概ね時代順に並んでお り、(上)力` 古代から中世、(中)が 近世から近代、(下) が 19世紀後半から今に至 る 「 現代Jの 講義を収めています。小川氏は自らの学問逼歴から 「ど うしてもヨー ロッパ史、特に ドイツ史の内容に偏重 している」 と断ってい ますが (上、7頁 )、 他地域へ も十分 目配 りが効いてい ます。中でも、「 私たちが生きる 『日本列鳥Jを 必ず視野のな かに入れる」(上、3頁 )と い うように、各時代で 日本史にかかわる議義が多 く盛 り込まれてい ます。 (中)に ついては、自ら 「 ある人物の伝記や業績にこだわった議義」、社会史の研究成果を盛 り 人間の生活のあ りかたにこだわった講義」、「 込んだ 「 世界史の事実 と事実のあいだの関係の解 、 に世界史の論理の再構築を目指 し」た講義の三タイ 釈にこだわつた講義」 =「 アジア史を中′ 亡 プに分類 してい ます (中、3頁 )。とはいえ、「 ある人物の伝記や業績にこだわった講義」は、(上) (下)に も多数見られます。特に、(上)(中 )に は歴 史家 文 字 (者)哲 学 (者)宗 教 (家) が多 く取 り上げられてい ます。 これは「 歴史批評」に適したラインナップで しよう。(下)は (上) Ⅲ "に (中)で 得た 「 世界史認識を い ま 切 り結ぶ」(中、382頁)講 義であ り、小川氏が自らの世 界史の最大のテーマ とする 「 戦争」と 「 平和」(中、379買)に 関する講義が多くなつています。 各議義は、上にみた歴史 (世界史)の 「 知」の三層構造がそのまま生かされています。まず、 “ 高校世界史教科書 とは対照的に、第二層 =「 解釈」の層が厚 くなってい ます。ここでは、「事 Ⅲ “ "」 実立脚性 と 論理整合性 における現時点での小川氏の最適解が詳 しく示されます。その際、 それが 「 反証にさらされる」ために、小川氏は研究者の学説 とその成 り立ちを紹介 した り、自 ら原典を訳出した りする一方、 引用文献を参Rl頁まで含めて明示 します。これらは、 小川氏にとつ て世界史を 「 人文科学」たらしめる要件 とい うことになります (上、5頁 )。 “ Ⅲ こうした小川氏の 作法 (上、7頁 )は 、先に触れた 「 生徒に対する教師の十分の一税」 と い う考え方 と結 びついています。小川氏は 「どんな聞き手にも自分がで きうる精一杯の勉強成 果を届ける」ために、「 歴史学の成果に学び続ける」 こと (上、6頁 )、「自分で納得で きるまで とことん調べ抜 く」 こと (上、333買)を 自らに課 しています。各語義の末尾には、膨大な参考 文献が記されてお り、小川氏の猛勉強ぶ りがうかがえます。 ・ "を いかに書 くかと また、小川氏は、「『 世界史』 という学問は、 糊 とハサ ミからできた文章 い うことに尽きる」 として、「 他人の研究成果を広 く収集 して総合するJこ とは、大学の歴史学 ―-88-― =「 一次史料 を読み解 くことJと 相互補完的な関係にあ り、優劣はない と断言 してい ます (下、 478頁 )。そ うした自負 の通 り、 どの議 義 にお いて も一般 の高校教師 にはハ ー ドルの高 い研究書 を幾 つ も読み こな し、十分DB噂 した上で自らの言葉 で平易 に語 ってい ます。 しか し、一 方 で 「一 次史料 を読み解 くことJに も取 り組 んでい ます。小川氏は、すでに見た よ うに自ら原典 を訳 出 した り、研究者 による経典の邦訳 を紹介するなど、講義 にお いて史料 を 重視 してい ます。特 に (下)の講義 は、 対象 とする歴史を具体的な事実 を検証 しなが ら語 るJ(下、 「 5頁 )と ある ように、豊富な史料に基 づいて考察を行 ってい ます。歴史学 の手法その ものが講義 に生か されてい ると言 えるで しょう。 どの講義 を読 んで も、現場 の教師 は 自らの教材研究が いかに浅 い もので あるか を思 い知 らさ れることになるはずです。特 に、「ある人物 の伝記や業績 にこだわつた・ jf義」 は、我 々が普段手 にする概説書では触れられる ことが少ない だけに、その人物に対す る小川氏のシ ンパ シー を伴 っ 、 た深 い考察が際立ちます。 また、「アジア史を中′ に世 界史の論理 の再構築 を目指 し」 た講義 は、 し 昨今 のグ ローバ ルヒス トリー の成果 を見事 に吸 収 してお り、その まま新 しい教科書 の叙述 にな るよ うな出来映えです。 日本史にかかわる講義では、通常の高校世界史教育で扱 う日本史のイ メー ジを通かにこえて、世 界史的視野に立 った 日本史、 もしくは 日本史そ の ものが詳 しく扱 わ れてい ます。世 界史教師に ここ まで踏み込 まれた以上、 もはや 日本史教師 は 日本史のみに閉 じ こ もっている場合 ではあ りません。 ところで、こ うした作業 は、歴 史研究者が 自らの専門分野 につい て平易 に叙述す るとか、研 究団体等 で分担 して行 う場合が多 い と思 い ます。教師用 の解説書 も多 くの研究者 や教師による 分担執筆 のはず です。その場合、特定 の分野 に限定 された り、全体 としての整合性 が保てない といつた問題 は避けられ ません。 しか し、小川氏 は独力で古代 か ら現代 まで 70テ ーマ もの講義 を成 し遂げました。我 々高校教師 の参考書 として見た場合、小川氏 は どんな概説書や教師用解 説書 も及ばない金字塔 を打 ち立てたと言えるで しょう。 I 小川氏 のい う、世界史の 「 知」 の三層構造では、第一層 = 「 事件 事実J の 層、第二層 = 「 解釈」 の層に加 えて、 第三層 = 「 歴史批評」が示 され ます。 これは本書の副題で もあ りますが、小川 氏 の世界史教育論の核心 とい えるで しょう。小川氏 は、皇国史観 とい う過去 の教訓か ら 「 歴史 ' Ⅲ 一 批評」に禁欲的であるべ きとの意見に対 しては、「 研究者 ではない 般市民が世界史を 面白い と思 う瞬間 は、「 歴 史批評J を す る ときなのであ り、広 く一般市民に向けた世界史講義におい て は『 歴史批評」がないと画竜点情 をか くことになる」と 「 5∼ 6頁 )。 歴史批評」を擁護 します ( 上、 他方では、「 歴史教育が歴史学 に基づ く 『 歴史批評』 で ある ことを堅持 したいJ と して、本書 の タイ トルで もある 「 歴史 との対話」 を重視 します。 ここでは、 自らの批評 は第一層 第 二 層 の基礎 の上に存在す るに過 ぎない ことが常 に生徒に明示 され ます。第一層 第 二層 と第二層 は それぞれ大地 と大気 に比 定 され、そ こを 「 水 のよ うに 『ことば』 が循環するイメー ジJ が 示 さ れます。また、「 歴史を見つめて私が考えたことを、もう一度、歴史のなかの事実で検証 し直 し、 そしてまた考えるJと い う、小川氏 と歴史との 「 対話」が生徒に提示 されることで、生徒と歴 史 との 「 対話Jや 小川氏 と生徒 との 「 歴史批評」 対話」につなが ります。そ して、 ここから 「 ヤヽ が生まれるとVヽ ます (中、381∼ 382買、下 4∼ 5貢 )。 本書 は講義録ですから、小川氏 と歴史との 「 対話」が主に示されます。小川氏は 「 世界史の 予備知識がな くても、教科書などを紐 とかなくても、世界史との 『 対話』 に参加できるはずで ある」(上、4頁 )と 自負 していますが、全 くその通 りであり、誰でもそこに引き込まれてしま うで しょう。その理由の一つは、「 対話」の対象の広さと深さです。小川氏は 「 私の授業はよく 言えば "、 "ア ベ “ "な ので ある」 といい ますが、テーマの時代 の全体像 ラ ス ク 悪 く言えば 迷路 を様 々な視点か ら見てい くことに加 えて、「 時間 と地域 を縦横無尽 に駆け巡ってJ(上 、4頁 )Vヽ ます。それぞれが興味深 い内容 で ある ことは言 うまで もあ りませ んが、それ らは小川氏の発す Ⅲ "に “ " る 聞 い かけ 対す る解 答 と して 「 対話」 に見事 に織 り込 まれて い ます。小川氏 の 迷路 には決 して行 き止 まりはあ りません。出日に向かって着実に収敏 してい きます。 また、 小川氏は授業づ くりの留意点 を概略次の ように述べ てい ます。第一 に単れな 「 覇権 史観」 で物事 を単純化す ることな く、「 複雑な世界史を、複雑なまま、理解する」、第二に特定 の国や思想 宗教 をモ デルと して他の歴史を分析する 「もの さし史観」ではな く、 歴史の事 象 のなかのプラス、 「 マ イナ ス を冷静 に分析」す る、 第三に 「 理合 と現実 をつ ねに峻別」 し、「 民衆」を単純 に美化す ることな く、その加害者 の側面 も視野 を入れる、 とい うことです (中、4頁 )。 こ うした慎重で学究的な姿勢か ら、「 対話」 は常に多面的で時に行 きつ戻 りつ します。 しか し、 “ "に “ 例えば戦争 を論ずる際には、 「 最終的にはその 多面体 陰努をつ けることが必要」と して、 「侵 "と い う特徴Jを 重視 します (第65講 、下、370頁 )。こ うして、「 略戦争 対話」は次第に深 い ところに到連 します 。「 対話Jの 最後にはテーマ に関する 「 歴史批評J力 S添えられてい ますが、 決 して鏡舌ではあ りません。 しか し、小川氏の 「 対話」 をたどって きた者 には、 ここで深 い考 察の機会 が与えられる ことにな ります。 もう一つ、「 対話」の語 り日にも注目する必要があります。小川氏 は 「 歴史批評」のためには、 Ⅲ “ 教師の 語 リロ が根本的に変わらねばならない」 と述べていましたが (上、329頁)、各議義 「 “ "=Ⅲ Ⅲ ではその実践です。小川氏の 語 リロ 文体 はあ くまでソフトです。これは、 小川氏の 「 教 “ "職 ー ー ニ ング 師 とは大勢の人々に言葉を 伝える 業なのだから、アナウンサ とか俳優の トレ をもっと積んだほ うがいい」 とい う問題意識 (上、333頁)に 基づ きます。他方、「 対話」 とい “ "を 生徒に思索の素材を提供 し、 う 作法 重視 し、 「 思索にいざなう」 とい う姿勢をとっています。 “ "は ∼ ∼ と私は思 うのです」 とい う形を こうしたことから 文体 「 なのではないで しょうか」「 とります (中、382頁)。また、講義 (まえがき あ とが き)に は、家族に関する話題や自身の 経験談な ど小川氏のプライベー トな語 りが しばしばす 章入されます。 これによ り、小川氏があく まで 「 対話Jの 一個の主体に過 ぎないことが浮かび上がるとともに、講義に対する共感が一層 呼び起こされます。 ―-90-一 … Ⅲ もっ と も、語 りの背 景 に、小川氏 の 熱1 盲 = 「 忘 却 され る ( ある い は出: 紋され る ) か も し … Ⅲ れ な い記情 事 実 を、 十 ど もた ちに 語 り対【ぐ とい う意志J ( 中 、3 8 2 丁r ) が 込 め られて い る … Ⅲ ことを忘れてはな りません。小川氏 は、8師 である遅塚忠堀氏 の 「自分 の 升、 情 をあえて一 ` Ⅲ … 番の奥 に しまう …1乍 泌t…と 文体 Jを 高 く評価 してい ますが (中、382丁f)、小川氏 の 語 り「│" … 1)1 lⅢ にも同 じ姿勢 を容易に読 み取 ることがで きます こ うした小川氏 の 言 にい ざなわれて、 キ いの正体はJ(第 3議 17)よ うな スリリングな謎肝 きに参加 した )、哲学 読者 は 「ファラオのいと や宗教 の深現 に核近 した )、文学作品を深 く味わうことがで きるのです 最後に、全ての前表 における 「 対話J力 `「 過去 に■ きた人 々のいの ちのlfにJを す ますJ(下 、 473頁)と い う姿勢で一貫 して い ることです (卜 )に おける 「 戦争Jと 「 ■和」 を扱 った講義 がそれに該■す ることは もちろんですが、すでに第 1講 でホモ サ ピエ ンスの金場 農 耕社会 の成立 と 「 戦争Jの は じま りに着 目してい ます ll後 (中)ま での 多 くの説義 にお いて も 「 歴 Ⅲ "の “ r2批評」では Ⅲ ー いの ち とい うフレ ズが頻出 します こ こでは、 イメー 巷間の :些 歩す る歴 史 “ ジではな く、 「人間 とい うものは、 同 じような成功 と同 じような過ちを繰 り,として きた」と して 反 "が Ⅲ Ⅲ “ 復す る歴 史 おか れ ます。 しか し、現 代 は 「豊かな生活 をお くっている うちに、 未来 の "が Ⅲ "の いの ち す っか り見えな くなっているJと して、危機が深 まる歴 史 イメー ジが示 されます。 "に “ ここか ら、「 世 界史 との対話J=「 歴史批評Jと は、「 歴史を素材に、 未来 のいの ち 対時 して、 自分たちが どんな生 き方 をすべ きなのかを考 えてい くこと」であるとい う給括が行われ ます (第 70講 、下、472∼ 473哀 ). 各講義 はそれぞれ独立 した歴史との 「 対話」=「 歴史批評Jで あ りなが ら、 上に見た最後の 「 歴 史批評」 に向けて見事に織 りなされてい ます。先に、「 高校教師の参考書 として見 た場合Jと い う留保 をつ けましたが、そ うした見方 は一面に過 ざません。優れた歴 史教育論 であ ると同時に、 世界史に興味 をもつすべ ての皆 さんJ(上 、3頁 )に 開かれた、歴史 との 「 「 対話Jへ のい ざない であ り、深 い思索 の書 とい うべ きで しょう。 Ill 本書 には、 い たるところに小川氏 の学問経験や教師 としての経験が盛 り込 まれてい ます。最 後に この点を検討 したい と思 い ます。 まず、小川氏が歴 史学に基 づいて歴 史教育論 を組み立て てい る ことです。世 界史の 「 知Jの 三層構造 における第二の層 =「 解釈」 の層 にお いて、人文 い "と “ Ⅲ 科学 の要件 で ある 事実立脚性 論理整合性 を重視 し、「 反証 にさらされる」 ことを前提 に してい ること、第二 の層 =「 歴 史批評Jに お いて、第一 層 =「 事件 事 実」 第二層 の上 に 自 らの 「 批評」が存在するに過 ぎないこ とを明示 して い ることはす でに見 ましたこ小川氏の こ う した作法は、単 に大 学 におい て歴 史学 を学んだ ことにとどまらず、西川正 雄 遅 塚忠堀 とい う 優 れた歴 史家 の鷲咳に接 し、その真摯な学問的姿勢に感銘 を受ける とい うllAl人 的な体験が ベ ー スになってい ます。勢 い 、小サ1氏の 「 歴史対話Jは 学究的 で徹底 した ものに な ります。恩師で あ る西川正雄氏 の 「目の前 の 山 々 を越 えようと思 った ら、いつで もその頂の一番高 い ところで -91- 越 えるべ きなんです」 とい う言葉 か ら、小川氏 は 「ある書物 を読む とき、その書物 の一 番高 い ところを理解する」 とい う姿勢 を大切 に してい ます。 ここか ら、校務 に追われる中にあって も、 「 今 、 自分が読むべ き歴史学 の研究書 は何 なのだろ うか とい う切迫観念が消えた ことは ない」 と い う告白が生 まれ ます (上、6∼ 7頁 )。 もっ と も、 これは小川氏の義務感 か らとい う訳 ではあ りません。高校 の授業 は 「 生徒 に対す 一 一 る教師の十分の 税」 とす る小川氏 は、「 私たちの 『 十分 の 税』 は、納めることが楽 しくてた “ まらない税Jと も述べ てい ます (上、333頁 )。また、 疲れた大人になるな 1 永 遠に学び続け る高校 生の心 を忘れない よ うに しよう │"を 自分 の 目標 に してい るともいい ます (下、199頁)。 高校時代 に小遣 い を本につ ぎ込 んで外 国文学 を読 みふけった (下、477∼ 478頁)、文芸部員 と して同人誌にルイス キ ャロル論 を発表 した (中、339∼ 340頁 )、『 思想』 を購読 して井筒俊彦 氏 の論文に感銘 を受け、後に著作集 を全巻読破 した (上、245∼ 246頁 )、 といつた回想か らは、 小川氏 の好学的態度が筋金入 りで ある ことが うかがえます。 こ うした小川氏の学問経験 は通 常 の高校教師 のそれに比べ て迄かに豊かで高 い レベ ルにある と言えるで しょう。 しか し、それ以 上 に素晴 らしい ことは、 自らの字間経験 を見事 に世 界史教育 に結実 させてい ることです。小川 氏 は 自覚 してい ない か も知れ ませんが、 ここに最良の知的エ リー トの あ り方 を見て取 ることは 容易です。 また、小川氏の歴史教育論 は、単 に小川氏が理想 を追 い求 めた ものでは な く、高校 の教育現 場 か ら鍛 え上げ られた もので ある こと も重要 です。小川氏 は、進学校 で演劇 クラブの指導 に力 を入れ 「 狂 ったよ うに演劇 にのめ りこん」 だこともあれば (上、7頁 )、困難校 で 「問題行動 で 100日 も家庭訪間をさせ られた」 こともある (中、3櫓 頁)と い う、公立高校 の教 師 として (あ k験 をしてい ます。進学校では、自らの 「 えていい ますが)普 通 の4■ 歴史批評」 に対 して、生徒 か ら鋭 い反論を受けることで 、「 論理 をより研 ぎ澄 ますJ経 験 をします (下、5頁 )。困難校 では、 生徒指導 に苦悩 しなが らも、「目の前 の高校生 を、自分の狭 い世界観で裁断すべ きではない とい う実感」 を持 つ に至 ります (中、380頁 )。特 に、困難校 におい て、小川氏が学問 に 「逃避」す ることな く 「どんな聞 き手に も自分がで きうる精一杯 の勉強成果 を届けること」 とい う信条 を む しろ強回に してい る ことに、我 々現場の教師は凄み を感 じます。小川氏 の歴史教育論 は歴 史 研究者 が高見 か ら啓発 した もので も、受験 エ リー ト校 の教師が 「 狭 い世界観」に基 づい て語 っ た もので もあ りません。様 々な困難 な経験 を豊かに昇華 してい くことで生み出 されて い る こと に留意す る必要が あ ります。 ただ、一般的な高校 の授業 に引 きつ けて考 えた場合、幾 つか疑 問 も浮かびます。一 つ は、受 験指導 との関係 です。刀り│1氏は、「 私の授業 を受けて きた高校生 た ちは、セ ンター試験 に して も 1 模試 に して も、それな りに点数 をとって きた」 として、 自らがが納める 「 十分 の一税」 の 「『 “ Ⅲ の背後 の 10Jを 感 じとれる知性 は、いわゆる 受験学力 の上台 となる」 と見 てい ます (上、 333頁)。おそ ら く小川氏 の授業 に触発 されて受験勉強に励 む生徒 は多 い と思 い ますが、その検 証 は示 されてい ません。小川氏 は現行 の 「 煩瑣 で瑣末な 『 暗記Jを 間 うよ うな大学入試」 を厳 ― -92-― しく批判 してい ます し (上、330頁 )、本書 の主題か らも離れるか もしれませんが、小川氏 の 「 歴 史批評」 に魅力 を感 じなが らも、受験の制約 を意識せ ざるを得ない多 くの教師は、 もう少 し詳 しく知 りたい ところです。生徒が高得点 をとれるのは、受験指導 の 中にあ つて 「 歴 史批評」 に 時間 を割 くが故 に、で しょうか、にもかかわ らず、で しょうか。仮 に後者であって も、小川氏 の歴 史教育論 の価値 は全 く変 わらない と思 い ますが もう一 つ、イリ│1氏が 「 歴史批評Jを 。 "に “ 「 歴史を素材 に、 未来 のいの ち 対時 して、 自分たち が どんな生 き方 をす べ きなのかを考えてい くこと」 (下、473買 )と とらえていることについ て です。 これは、高校生 にとつて大変重 い テーマ である と思 い ます。 こ うした重 い テーマ を考 え てい くことこそ重要 で ある とい うのは分か ります し、小川氏 の授業 がそ こに引 き込む力 を持 っ てい ること、刀り│1氏に鋭 い反論 をする生徒 もい ることはすでに見 て きた通 りです。 しか し、 教室 には多様 な生徒が い ます。テーマの重 さ故に考えを求め られることに梓易 した り、 そ こか ら逃走 して しまう生徒 もい るのではないで しょうか。 こうした生徒 は、「 複雑 な世界史を、 複雑 なまま、理解す るJ(中 、4頁 )こ とが 困難 な生徒 と言 えるか もしれ ません。小川氏 の 「 歴 史批評Jは 小川氏 のこれ までの長 きにわたる学問経験 と教育経験 によつて練 り上 げ られた もの であ り、本書 を読 む我 々教師は自らのそれ と比較 して感動 をもって受け止める ことがで きます。 “ しか し、生徒 は、その乏 しい人生経験で しか教師の言葉 を受け止める ことはで きません。 Vヽ の "が い かに重 い もので あ って も、生徒 の誤解や浅 い理解に接 して愕然 とする とい う経験 を私 ち は何度 もして きました。そうしたこともあ って、私は、歴史研究者 とは異な り、高校教師は 「 歴 史嫌 い」 に対 して も歴史を学 ぶ意義や歴史 を学 ぶ手 だてを理解 させ る覚 悟を持 ちた い と述 べ た Ⅲ Ⅲ “ ことが あ ります。小川氏の 「 歴史批評」が見事 に Vヽ のち とい うテーマ に収敏 してい るのは 「書 "と しての価値」 を重視 した結 果 で しようが、歴 史嫌 いの生徒 に小川氏が どう対応 してい る 物 のか も知 りたい ところです。 最後に、教師 としての小川氏 の あ りようです。小川氏が、公立高校 の教師 として全力 で生 徒 指導 部 活指導 に取 り組みつつ 、徹底 した教材研究に基 づ く学習指導 を行 っていることはす で に見ました。その上 に 「 教科書 参考書 論文 戯曲な どをあち こちに書 きまく」 り (上、 334頁 )、 “ ー さらにこれだけの大著 をものにす るバ イタリテ イ は想像 を絶するものがあ ります。しか も、疲 れた大 人になるな 1 永 遠 に学 び続 ける高校生の心 を忘れない ように しよう │"(下 、199頁 ) とい うよ うに、小川氏 は純杵 です。困難校 の生徒 にも、「 学 ぶことを楽 しむ雰囲気が、学年全体 にたちこめ始めてい た」 と書 き、クリン ト イ ー ス トウッ ドの 『 硫責島か らの手紙』 の鑑賞会 が成功 した ことを感動 を込めて語 ります (中、379∼ 380頁 )。す でに小川氏 は、高校世界史教 師 として余人の追随を計 さない生 き方 を買 いて きたとい えるで しょう。 しか し、その孤高の姿勢 に少 しナイー プな面 を感 じるの も事実 です。経験 を積 んだ教 師 は少 しはずる くな っていいのでは ない で しょうか。歴 史嫌 いの生徒 をそれな りに手なずけるとか、 “ 困難校 の生徒 を うまくあ しらうといった話 もあるはずです。生徒が切実に知 りたいテーマ は い "以 のち 外にもあるで しょうか ら、 そ こに切 り込む手立て も用意 されてい る ことで しょう。 また、 -93-― 高校現場 は、個 々の教師が授業 を行 うと同時 に、組織 と して生徒 に立 ち向か うところです か ら、 「 学ぶ ことを楽 しむ雰囲気が、学 年全体にたち こめ始めていたJと い うな ら、他 の教師 との協働 “ ル が語 られる必要があるように思 い ます。 これ らを割愛 してい るの も、「書物 としての価値」(上、 4頁 )を 重視 した結果で しようが、次の著作 にお いては、是非語 っていただ きたい と思 い ます。 少 しばか り無 い物ね だ りを しましたが、高校 の世界史教師が、 自らの学問経験 と教師 として の経験 に基 づい て、高校教師 の参考書 として も、歴史教育論 として も、歴史愛好家 に開かれた 思家の書 として も、他 に例 を見ない大著 をまとめた ことの意義 はい くら強調 して も過 ぎる こと はあ りません。我 々現場 の教師 は、 この大著 を参照系 として 自己 の あ りよ うを省 みる必 要 があ ると思 い ます。 多 くの教師に是非本書 を手 にとつてほ しい と思 い ます。 <地 歴社刊、(上)2011年 12月 15日 、(中)(下 )2012年 9月 10日 いずれ も初版第 1刷 発行、 各巻本体 2500円 +税 > 大学 で歴 史学 を学んだ経験 を基 に して歴 史教育 に取 り組 む小サ1氏の姿勢 は、私 自身の初心 で もあ りました。大学院へ の進学 を辞退 して高校教師になる ことを選んだ時、「 教育 と研究 は高 い 次元 で一致す るものです」とい う言葉 を恩師か らい ただい たことを、 今 も私は忘れてはい ません。 しか し、小川氏 の大著 に接 した時、尊敬 と羨望 の合 を抱 くとともに、 自らの来 し方が不十分 な ものである ことを 自党 せ ざるを得 ませんで した。せめて行 く末 は しっか りせねば と自分 に言 い 聞かせたことを記 してお きたい と思 い ます。 (なが い の りゆ き 愛 媛 県立新居 浜西高等学校 ) <註 > o/ (1)大 阪大学歴史学研究会ホームペ ー ジ参lRo http/たwwwgcociticsjp/rckl町 (2)日 本学術会議 「 提言 新 しい高校地理 歴 史教育 の創造一 グローバ ル化 に対応 した時空間認識 の育成J (平成 23年 8月 3日 )参 照。htt。/11gs1 0rywp content/ttp10ads/2011約 9/20110809 telgenpdf また、 最近 は歴 史学系 の研究雑誌 において、 歴史教育に関する議論が活性化 してい る。例 えば『 歴史評論』 2012年 9月 号 (749)特集 「Vヽ ま、 歴史教育は何 をめざすのか」、「 歴史学研究』抑12年 11月号 (899)特集 「 新 自由主義時代 の歴史教育 と歴 史意識」を参照 のこと。 (3)小 川幸司 「 苦役 へ の道 は世界史教師 の善意で しきつ め られてい る」(『 歴史学研究J2009年 10月増刊号 (859))。 本書上巻 の補論 に 「 世界史教育のあ りかたを考えるJと 改題 して収録。 歴史研究者 と歴 史教育― 小島毅、加藤陽子氏の著作か ら一 J(『ソー シアル リ サ ーチ』第 35号 、 (4)拙 稿 「 2010)。ただ し、私はこの ことについて成果 をあげているとい う自信 はない。拙稿 では、このフレー ズに 続けて 「日暮れて道遠 しではあるけれ どもJと 結 んでいる。 ―-94-一
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