S.21-33 1 行目

2011 年
翻訳コンテスト
審査員のコメント
課題作:Wolfgang Herrndorf 「tschick」(S.21-33 1 行目)
今年の翻訳コンテストには 65 名の応募者がありました。たくさんのご応募ありがとう
ございました。
全体的なコメント
「翻訳」とは何か?
翻訳とは、原文を読まない、あるいは読むことができない人に、原文を読んだ人と同じく
らいの感動・感銘を与えるものでなければならない。つまり、作者の言いたいことを伝え
るものであるべきもの。その際、明確でなければならないのは、
「作品の中で使われている
ことばはどうか?」ということと、
「作者が伝えたいことは何か?」ということである。
この作品は、当時 45 歳であった作者が 14 歳の Ich-Erzähler として書くにあたり、どのよ
うな文体で書くのがよいのかと悩みに悩んだといわれる。最終的には、完全な若者ことば
ではなく、比較的マイルドな若者ことばを選んだ。たとえば、単語だけに若者ことばを用
い、単語だけで終わる文が少ない、主語と述語が省略されていない文体で書かれているが、
そのような点が多くの読者を魅了したゆえんだと言われている。この作品を翻訳する際に
はそれを踏まえた訳が必要となってくる。
日本語とドイツ語の書き方の違い
翻訳をするうえで、日本語とドイツ語の表記の違いに注意する。
たとえば、ドイツ語には ich, er, sie などの主語が欠かせないが、日本語では「私は」
「彼は」
「彼女は」という表現をすることはあまりなく、主語を省略することが多い言語であるこ
とを認識して訳すことが必要。
また、自分のことをドイツ語では ich 一語で表すが、日本語では「私は」「僕は」「俺は」
など、いくつもの表現がある。そのうちのどの語が適切かを判断するのが大事だが、一文
ごとに主語をつけるのは読みにくい、翻訳調の文章になる。du や Sie の訳し方も工夫が必
要である。また、ドイツ語では最初だけ人名が出てきて、その後は er や sie を使うが、た
とえば、23 ページで出てくる Tatjana のことを「彼女は」
「彼女は」が続くのは、日本語に
はなじみがなく、読みにくい。名前を繰り返したり、主語を省略するなどの工夫が必要に
なる。
さらに、ドイツ語の作品では、会話文が間接話法で書かれることが多い。日本語に翻訳す
る際に、同じ形式で書くと、日本人にはなじみのない書き方で、読みにくくなるため、会
話文は、
「
」でくくる。
日本語に翻訳する際には、1 対 1 の翻訳ではなく、日本語として読みやすい書き方を選ぶこ
とが必要になる。
作品に関する具体的なコメント
頁
行
S. 21
1
コ メ
ン
ト
作品の出だしは大事。Ich hatte nie einen Spitznamen. で始まる書き出しを
「僕はあだ名がなかった」
「僕にはあだながついたことがない」と訳している
ものが多かったが、書き出しとしては唐突な感じがする。
「僕」という主語を使わず、また「あだ名が」とするのではなく、
「あだ名っ
てものがあったことはない」
「ニックネームってものに縁がなかった」とする
と、Spitzname に焦点が当たってインパクトのある書き出しとなる。
S.21
5
「Pycho」の訳は「サイコ」が最多。その他、
「変人」「キチ」「精神異常」
「精神病」
「プスヒョー」という訳もあったが、「精神異常」や「精神病」は
行き過ぎた訳。また「プスヒョー」は日本の読者には何なのかわからない。
サ イコ
「サイコ」だけではわからない読者のために、「変人」とする訳もあったが、
これは読者に親切な訳である。
S.21
8
「zwei Gründe」は「二つの理由」だが、
「二つのタイプ」と訳すと、このスト
ーリーにぴったり合っている。このように、原語・原文にとらわれず、日本
語を少し変えることで、いい訳ができる。
S.21
20
「Wir (Paul und ich) haben uns jeden Tag getroffen」を「毎日会っていた」と
訳しているものが多かったが、幼稚園時代のことなので、
「毎日一緒に遊んだ」
と訳すのが適切。
S.21
20
「erdbescheuert」の訳には「大馬鹿な」「かなりいかれている」
「おかしい」
「最悪」などの訳が多かったが、ここは erd- がついているので、
「おかしい」
だけだと物足りない。
「ぶっとんだ」
「最悪」
「完全にイカれてしまった」など
は雰囲気がよく出ている訳。
S.21
18‐
この部分を「パウルってのは幼稚園以来の友達なんだけどね。そのパウルの
21
母親ってのがほんとに最悪でさ、
『自然の中で暮らしたいわ』ときた。僕たち、
毎日のように一緒に遊んでたっていうのに」と、原文の順序を変えて訳した
ものがあったが、このような工夫をするとよい。
S.22
3
「Da ist er abgedreht. Ich meine, richtig abgedreht.」同じ語が二度使われている
が、そのような場合、同じ語を使って訳す場合と、別の語を用いる場合があ
る。例:
「(両親が離婚して)あいつ、おかしくなっちゃったんだ。本当にお
かしくなったんだよ」
「
(両親が離婚して)狂っちゃった。ほんとに狂っ
ちゃったんだ」
「
(両親が離婚して)イカれてしまった。本当にイカれてし
まった」
「(両親が離婚して)人が変わった。ホントに狂ってしまったんだ」
など。
S.23
5
「versumpft」は versumpfen の過去分詞で、辞書には「自堕落になる」「身を
もちくずす」などの訳が出ている。この作品と文に合う適訳は、
「何もしない
でいる」
「やる気をなくしてしまった」
「無気力状態の」
「タガが外れた」など。
S.23
15
「GTA IV」は「ゲームソフト『グランド・セフト・オート(GTA IV)
』とす
るとわかりやすい。
S.23
18
「badabim, badabong」は、
「blabla」の意味で、
「まあ、そんな感じ」。
S.24
12
「Reizwortgeschichte」はドイツ語(国語)の授業で行われている、いくつか
の語を使ってストーリーを作るというもの。
「刺激語作文」
「キーワード作文」
「連想作文」
「ヒントで想像物語」などの訳があったが、名詞を名詞として訳
すよりも、説明調に「決められたことばを使ってストーリーを作る」と訳す
と読者にはわかりやすい。「Reizwort」は「刺激語」だが、これは心理学用語
で、一般的には知られていないため、読者にはわかりにくい。
また、11 行目の「Deutschaufsatz bei Schürmann」は、「シュルマン先生の授業
で書かされた作文」と訳すとわかりやすい。
「作文」からドイツ語(国語)の
授業ということが明確になるので、
「ドイツ語(国語)」は不要。
S.24
17
「wahnsinnig originell」は皮肉的表現なので、
「とても独創的な」とそのまま訳
すのではなく、
「全く独創的なものさ」と訳すとよい。
S.28
19
「wahnsinnig geistreiche Bemerkung」も皮肉表現で、
「全く気の利いたコメント
をしてくれる」
「歯の浮くようなお世辞を言うのだ」などと訳すと、皮肉の
ニュアンスがよく出る。皮肉をうまく表現できないときは、意味を具体的に
書くのも一案。
S.25
13
「… seinen Bankrott vorbereitete」を「破産の準備で忙しい」
「破産の準備をし
ていた」と訳すと直訳となってしまう。
「準備する」を具体的なことばに変え、
「倒産すれすれの状態だった」
「会社が倒産しないように必死だった」などと
すると情景がよくわかる。
S.25
17
「in unserem Keller gehockt」は「地下室に座って」ではなく、
「地下室に
こもって」と訳すほうが情景がよく浮かぶ。
S.26
16
「im Keller gesessen」も「地下室に座って」
「地下室に座り込んで」ではなく、
単に「地下室で」で十分。
S.25
23
「den alten Brettfeld」は、
「年をとった」ではなく、
「小学校の時のブレット
フェルト先生」
「昔教わったブレットフェルト先生」
。
S.26
18
「meine Mutter」を「母」と訳すのは文体に合わない。
「母さん」
「お母さん」
。
S.26
19
「Beautyfarm」
「Schönheitsfarm」は「エステ」ではない。
「ビューティー・
S.27
14
ファーム」
「ビューティー・スパ」「ビューティー・リゾート」
「美容道場」
「美容リゾート」など。
S.27
24
「Frau Weber」は「ヴェーバーさん」や「ヴェーバーおばさん」
。日本語で 14
歳の少年が「ヴェーバー夫人」とは言わない。
S.28
27
「du」を「お前は」
「あんたは」「君は」と訳しているものが多く、いずれも
適切な文体。また、
「マイクは」と名前をいうのも日本語によく合う訳語。
S.29
8
「Wasser treten」
:クナイプ Japan の HP では「水中歩行」と訳されている。こ
の HP では「水中歩行」がどのようなものか説明されているので理解できる
が、この作品の中では「水療法」
「裸足で水の中を歩く」
「水中エクササイズ」
などとするほうが読者にわかりやすい。
S.29
20
「Gesprächsgeflecht」:「Geflecht」は「編んだもの、網状のもの」という意味
だが、
「会話の編み物」では読者にわかりにくいので、「対話の網」
「対話(会
話)をつなげていくこと」とするとわかりやすい。…イタリック体は、
「 」内で説明をつけるとよい。(S.32 の 6/15 行も参照してください)
S.29
24
「Das Wollknäuel wäre nicht zu toppen」
:
「toppen」は「übertreffen 凌駕する、よ
りまさっている」の意味。訳例:
「毛糸玉を超えるエピソードは出ないだろう」
「この毛糸玉よりこっけいなことはないだろうと思っているとしたら」
「毛糸
玉の話なんて大したことない」など。
S.30
26
「Gottlieb」は人名なので、そのまま表記するだけでも十分だが、カートンの
神
の
子
神
の
愛
箱の名前の「Gott 神」との関連を示すため、
「ゴットリープ」
「ゴットリープ」
など、ルビを振るのも一案。
S.31
16
「aber wie sich dann rausstellte, war Teil eins völlig ausreichend」の「aber wie sich
dann rausstellte,」は「後でわかるように」という意味だが、ここでは「dann」
という一語がついていることによって、
「後で先生に叱られた時のこと」を具
体的に指している。
「でも、第 1 部で十分だということが分かった/は明らか
だった」だけではなく、
「実際は、ことの成り行きから分かるとおり、第一部
でも十分すぎるほどだった」
「でも、すぐに分かったことだけど、パートⅠだ
けでも、やり過ぎだったんだ」などと訳すと dann が生きてくる。何気ない
語にも注意が必要。
S.31
4
「Mein Gott, ist das traurig.」は「ああ神よ」ではなく、「ホント、情けないな
あ」
「何てこった」と訳すと、ニュアンスがよく伝わる。
S.31
19
「Also schön. Na schön」は、本当に「いい」と思っているのではないので、
「うん、いいね」
「すばらしい、すてきだね」と訳すのは間違い。
「よろしい、
わかった」
「よし、わかった」「まあいいだろう」などが正しく、ニュアンス
もよく伝わる。
S.32
6/15
「Das ist deine Mutter.」原文イタリック体で書かれている場合、日本語訳をイ
タリック体にするだけでは不十分。
「 」でくくるか、強調されている内容を
日本語で訳出したほうがいい。例:「君のお母さんのことなんだぞ」
「君のお
母さんのことじゃないか」
S.32
19-
Schürmann 先生と僕の会話は、ドイツ語では間接話法で書かれているが、
24
日本語では「 」なしや、
「 」ありなしの混在は望ましくない。また、
会話がいくつか続く場合は改行して行の頭をそろえたほうが見やすい。