知的財産の法的な保護と不保護

展 開 講 座 比較で学ぶ知的財産法
展開
講座
比 較 で 学 ぶ 知 的 財産 法
第1回
知的財産の法的な保護と不保護
神戸大 学 教 授
島並 良
Shimanami Ryo
Ⅰ. はじ めに
は,多様な知的財産のうち,ある一定の要件を
満たした客体だけを選び取って保護を与えてい
知的財産法は,知的財産,すなわち財産的価
るに過ぎない 5)。そして,知的財産法における
値のある情報 1)について,関係人の利害を調整
保護客体の画定問題は,各知的財産諸法の学習
する法規範である 2)。この利害調整にはさまざ
における起点であり終点でもある。
まな手段が考えられるが,現代の知的財産法制
では,同じく財産的価値のある情報のうち,
度では,「私人 X に対して,他の私人 Y によ
不法行為法も含む広義の知的財産法による保護
る知的財産の無断利用を禁止する権原(排他
が認められる情報とそうでない情報は,いった
権)や,抑制する権原(利用対価請求権,損害
い何が違うのだろう。本連載の第 1 回では,こ
賠償請求権)を与えること」が一般的であ
の法的な保護と不保護の分水嶺を探ることを通
る 3)。知的財産の利用が禁止ないし抑制された
じて,知的財産法(のうち特に創作法と呼ばれる
状態は,しばしば知的財産が「保護」されてい
法分野)の存在理由を考えてみたい。
ると呼ばれる 4)。
ところで,財産的価値のある情報すべてにつ
いて,このような法的保護が認められるわけで
Ⅱ. 知的創作物保護の費用と便益
はない。たとえば,発明であっても新規性や進
特許法,著作権法,意匠法といった創作法
歩性(特許 29 条 1 項・2 項) といった登録要件
は,それぞれ発明,著作物,意匠などの,人が
を充たさないものは特許されないし,そもそも
産み出す無体の情報(知的創作物)について財
発明の定義(同 2 条 1 項) に該当しない情報も
産権を設定する法制度である。これらの知的財
特許法で保護されることはない。知的財産法
産「権」法に加えて,そこからこぼれ落ちた知
1)
知的財産基本法 2 条 1 項は,知的財産を①知的創作
物,②営業標識,③営業秘密等の 3 つに分類し列挙するのみ
であるが,それらを包括する定義を知的財産に与えるなら
ば,
「財産的価値のある情報」となろう。情報保護法として
の知的財産法の全体像を簡便に見渡す文献として,中山信弘
「財産的情報における保護制度の現状と将来」
『岩波講座 現
代の法⑽ 情報と法』
(岩波書店,1997 年)267 頁。
2)
このように定義された知的財産法は,特許法や著作
権法等の典型的な知的財産諸法だけでなく,民法上の不法行
為法や,会社法上の商号規定をも含む,広義のそれである。
3)
現在の多くの知的財産法制度は,知的財産の利用を
単に禁止・抑制するだけでなく,無体の財産をあたかも有体
物であるかのように取引可能な「財産権」として把握するこ
とまでを可能とする。この点の意味や機能は次回で扱うこと
とし,今回はまず,利用の禁止・抑制という現行制度の最大
公約数をもって知的財産法制度の外延を画する。
4 ) 現代の知的財産法は,こうした私人への権原付与の
ほか,多くの場合に刑事罰によっても知的財産の利用を禁
止・抑制し,知的財産を「保護」している(特許 196 条,商
標 78 条,著作 119 条,不正競争 21 条等)。
5 ) 選び取られなかった知的財産を,万人が利用自由な
パブリックドメインに留めるということもまた,知的財産法
が関係人の利害を調整した結果であると言える。
6 ) このような独占のもたらす厚生上の損失については,
任意のミクロ経済学の教科書(ハル・R・ヴァリアン〔佐藤
隆三監訳〕『入門ミクロ経済学』〔勁草書房,2007 年〕378
頁,八田達夫『ミクロ経済学Ⅰ』〔東洋経済新報社,2008 年〕
121 頁等)を参照のこと。
7 ) 審査・審判を担当する特許庁の関係部門のほか,法
改正等を支えるその他の行政部門,紛争解決を担う知財高裁
98
法学教室
Apr. 2012 No.379