地理的表示の基本思想

地理的表示の基本思想
平成26年3月
髙橋
梯二
「地理的表示」という用語は、比較的新しく一般にはよく知られていない。ましては、そ
れが何を意味するのかもよく理解されていないのが実情である。かつては「原産地呼称
(Appellation d’origine)」と呼ばれており、この用語の方がフランスワインなどを通じてよ
く知られている。ここでは、地理的表示の基本的な考え方、その機能と役割などについて
概観する。
1地理的表示・原産地呼称とは
農産物及びワイン、ハム、ソーセージ、チーズなど比較的加工度が低い食品については、
古代から原産地を表示することで他の同種の産品と区別していた。これらの産品は、原産
地の自然的条件(気候や土壌)及びその地域で適用されてきた特有のあるいは伝統的製法
などにより、品質の違いがみられ、原産地によって産品の品質や特徴が識別されていた。
その中から、品質が卓越した産品が名声を得るようになり、フランスやイタリアなどでは、
19世紀中頃にはワインやチーズなどについて原産地の名を冠した世界的にも有名な産品
が生産されるようになっていた。たとえば、ワインでは「マルゴー」、「シャンベルタン」、
チーズでは「パルメザン」
、
「ロックフォール」
、
「グルイエール」
、ハムでは「パルマのハム」
などである。
これが、原産地呼称(appellation d’origine)と呼ばれ、1883 年の工業所有権に関する
パリ条約で、特許、商標などと並び、工業所有権の一つとして分類されるようにもなり、
原産地名について虚偽の表示が禁止されるようになっていった。20世紀に入ってからは
フランスの AOC 法(統制原産地呼称法 1935 年)などにみられるように原産地呼称の保護
に関する法律がヨーロッパで徐々に整備されていったのである。
日本や多くのアジア諸国など農業に長い歴史を持つ国は、たとえば、
「丹波の黒豆」、
「な
ると金時」
、
「松坂牛」
、
「千枚漬」インドの「ダージリン紅茶」、インドとパキスタンの「バ
スマティ米」
、エチオピアの「シダモ・コーヒー」など多くの農産物・食品について産地に
よって特徴や品質の違いが見分けられてきた。しかし、ヨーロッパのように生産者の権利
として法的に名称を保護するという認識が明確には形成されてこなかった。
一方、アメリカやオーストラリアなどのいわゆる新世界では、農業の歴史が浅く、産地
ごとの特徴ある産品の形成がほとんどなされなかった。むしろ、広大な土地条件を生かし
て大量に生産し、綿花、羊毛、トウモロコシ、小麦、大豆などのバルクの産品を輸出する
という農業が志向された。このような農業形態では産地の特色をなくす画一的な品質の産
品を生産する方が合理的と考えられた。従って、産地表示は重視されず、むしろ原産地呼
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称制度はヨーロッパ諸国が産品を差別化するために作りだす貿易障害と考えていた。
以上のような、世界における農業の発展と形態の違いにより原産地表示に関する考え方
に違いはあったものの、EU の提案により GATT ウルグアイラウンドにおいて交渉が行わ
れ、1994 年に「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」
(TRIPS 協定)の中で、
「地理
的表示」という名称で 130 カ国以上が認める知的所有権となった。
「地理的表示」は、この TRIPS 協定において次のように定義されている。
「この協定の適用上、
「地理的表示」とは、ある産品に関し、その確立した品質(une
qualité),社会的評価(réputation)
、その他の特性が当該産品の地理的原産地に
主として帰せられる場合において当該産品が加盟国の領域又はその領域内の地域
若しくは地方を原産地とするものであることを特定する表示をいう。
」
(協定第22
条)。
以上のような定義が合意されたものの、TRIPS 協定による地理的表示が WTO 農業交
渉との関連で EU とアメリカとの妥協によって成立したものであるだけに、その内容
は加盟国の国内法に任せられ、目的、法的態様、保護のあり方等が各国によりさま
ざまである。また、現在、これらについて各国間で鋭い意見の対立があり、貿易紛
争の原因にもなっている。
2 地理的表示の基本的思想
―風土を表現するー
上記の定義にあるように、地理的表示は産品の特質と産地の環境との結びつきを基本と
している。つまり、多くの農産物の特徴とオリジナリティーは、産地に由来するという考
え方である。フランスではこれを「土地あるいは風土を表現する」という言葉が用いられ
ている。
たとえば、青かびタイプのフランスの「ロックフォール」チーズの絹のように滑らかで、
青カビによるアクセントがあり、塩気が強いが心地よい特徴は、フランス中南部のロック
フォール・シュール・スールゾン村の石灰岩が崩れおちた洞窟内で自然に生える青カビを
チーズに加え、その洞窟の湿った空気と吹き抜ける風の環境下で3カ月以上熟成して得ら
れる。このように産品の特徴が産地の環境条件に起因し、他のブルーチーズとは異なる独
特の風味がある。古くから評価が高かったチーズである。
日本は、地理的表示制度はないが、「なると金時」は、鳴門海峡に面した鳴門市(里浦、
大津)
、川内町及び松茂町の砂地で栽培されるサツマイモの風味が際立つとされる。温暖で
乾燥した気候の下で、海の砂が含まれる土壌からの豊富なミネラルの吸収によるとされ、
確かに海岸の砂地を含まない土壌でのサツマイモとは異なる。
フランスのブルゴーニュ地方の北部にあるシャブリ地域でできる「シャブリ」のワイン
は、ミネラル分を多く含むキリとしまった硬水系の感触がり、酸味にキレと鮮やかさがあ
り、高貴さを漂わせるワインである。この特徴は、古くは海底であった時代に牡蠣等の貝
2
殻が堆積し石灰岩から成る「キンメリジャン kimméridgien」と呼ばれる独特の土壌から生
まれるといわれている。
エチオピアのシダモ・コーヒーは、コーヒーの原産地であるエチオピアのオロミア州シ
ダモ地域で生産されるコーヒーである。赤道直下の 2500~3000 メートルの高地で気候が変
わりやすい環境下で、自生に近い方式で栽培され、ナイル川の源流の豊富な水で洗浄精製
されるコーヒーである。その特徴は酸味と甘味のバランスがよく引き締まった風味で、か
んきつ系の香りがあるとされる。日本でも最近知られるようになった。
このような産品の特質が産地に由来する産品は、農産物と農産物の保存方法の一形態と
考えられていたチーズ、ハム、ワイン等の食品(ヨーロッパではこれらの食品は農産物と
捉えられている)に多くあるが、その品質と特質が確立し、多くの消費者から一定の評価
を受けるようになった産品を地理的表示とし知的所有権としたのである。
産品の特徴を形成する産地の環境は、土壌や気候などの自然的環境のみでなく、人間の
作用も含むとされる。人間の作用とは、その産地に適した品種の選定や育種、土壌の改良、
産地に適した加工方法の改善と確定、産地の人々の風味に対する嗜好などである。この産
地の自然的環境とそこに住む人々の作用が産品の特徴とオリジナリティを形作ると考えら
れている。
しかし、原産地呼称制度が形成されてきた当初は、人的要素は重視されなかった。むし
ろ、土壌や気候条件が産品の品質に決定的な影響を及ぼすと考えられており、人間が改良
の努力はするが土地の自然の決定的な影響を克服することはできないという思想である。
これは「テロワール」という言葉で代表されていた。たとえば、ワインに関しブルゴーニ
ュではこのテロワールの思想が強く、長年のワインづくりからブドウ畑の違いが風味に決
定的な影響を及ぼすことが分かってきた。従って、19世紀までには、ワイン畑を区画し、
一級畑、特級畑などに区分し、石垣などで囲い、これが「クロ」とも呼ばれたのである。
このテロワールの思想については、麻井宇介氏が「ワイン比較文化考(中央公論社)
」の
中で次のような興味ある一文を残している。
「これまでのワインの風土論に欠けているのは、ブドウ畑をとりまく風土を自然環境とし
て観照することに流れ、そこに生活し、ワインを飲み、かつ評価する人間の側からの働き
かけを見落としている点にある。良いワインは、良いワインと認め、それを求める飲み手
がいてこそ、はじめて存在しうるのである。しかし、この辺の事情は、名だたる名醸地の
造り手にもわかっていない。彼等は、よくこんなことをいうのである。「ワインづくりに秘
密などありません。遠慮なくどこでもご覧なさい。分からないことがあれば何でも教えて
あげましょう。でもこれでこのシャトーと同じワインができると思ったら大間違いですよ。
なぜなら、ここにあるこの畑、そしてこの天気、これをあなたは日本へ持って帰れないの
だから。
」この言葉には、酒の美質をもたらすのは風土であるという確信がある。もちろん、
ここで言う風土は人間と無関係に天から与えられたものという意味での風土である。
」
また、フランスの歴史学者ロジェ・ディオンは、ブルゴーニュ地方のワインづくりの歴
3
史を膨大な資料に基づき詳しく分析した論文をまとめている。ここでは、
「ボーヌの丘のブ
ドウ畑とシャロンの丘のブドウ畑の名声の差は、オタンとシャロンという古代の都市がブ
ドウ畑に示した関心の差に対応するものであり、また、二つの都市がそれぞれの領土でブ
ドウ畑の土壌改善のために投下した労働の量と質に対応している」としている。
両者が指摘するように、人間の作用も産品の特徴を形作る産地の環境としての大きな要素
である。
従って、現在は、フランスの INAO(原産地呼称全国機関)は、テロワールを次のように
説明している。
「それは、人間共同体が歴史を通じて物理的生物学的環境と人的要因とのあいだの相互作
用システムに基づいて、生産の総合的知識を構築しているような限定された地域空間であ
る。このような相互作用が、当該地理的空間のオリジナルな財について特異性を与え、評
判をもたらす。
」
(農林水産政策研究所須田文明訳)
また、産地のつくり手や消費する人の嗜好も産地の特徴を形づくる人間の作用であるこ
とに注意しなければならない。たとえば、ボルドーのワインは、古くは「クラレット」と
呼ばれる色の浅いワインであったが、1709 年のフランスの大寒波でブドウの樹がほとんど
枯れ、その復活を図った際、海岸の埋め立てを行い、その土地に色の濃い品種のカベルネ
ソーヴィニオンなどを導入し、赤ワインをつくった。これがボルドーワインの輸出先のイ
ギリス人に好まれ、
「ニュークラレット」と呼ばれ、この深い色の力強いワインがボルドー
のメッドクのワインの特徴となった。この特徴はイギリス人やオランダ人の好みといえる。
また、シェリーやポートワインが形作られたのも消費するイギリス人のアイデアによると
される。さらに、
チーズやソーセージが非常に多彩なのは、それぞれの産地のつくり
手の嗜好が大きく影響していると考えられる。それぞれの産地が工夫して他の産地のも
のとは異なるその産地独自のチーズづくりに努力を傾注してきた結果と思われるので
ある。日本でも漬物の特色は地域ごとに異なり、多彩である。
人間の作用の影響が大きいといっても、産地の自然の作用から逃れることはできない。
和辻哲郎が名著「風土」で述べているように風土が人間の作用をも規定するからである。
さらに、良質で美味なものを目指して丁寧に産品をつくると産地の特色がより鮮明に現
れてくるということもできる。たとえば、最近日本のワインの質が急速に向上している。
これは、作り手の工夫と努力によって、日本のように湿った気候の下では良いワインは
できないというテロワールの宿命論をのり越えたともいえるが、つくられる良質のワイ
ンには日本的特徴がある。その特徴は、骨格がやさしく、繊細で、強烈という印象はな
いが、微妙な香りと味わいを感じとることができる。ヨーロッパと同じ品種を使っても
同じものでなく、色もより薄くでる。従って、日本食の繊細な味を殺さないというのが
日本ワインの一般的特徴でもある。
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このように考えてくると、産地の自然と人間の作用が調和した時、又は人間の作用が
産地の自然の力を最大限に引き出した時、特色ある良質の産品ができるといえるかも知
れない。前に引用した「ロックフォールチーズ」
、
「シャブリのワイン」、
「なると金時」
、
「シダモ・コーヒー」などの例を見れば、産地の自然を巧みに利用していることが分か
るであろう。
フランス等が原産地呼称あるいは地理的表示を制度として仕組む時、以上のような思
想を実現するために一番基本に据えたのが原料農産物はその産地で栽培された作物、あ
るいは飼育された動物でなければならないとしたことである。2番目に据えたのは、作
物あるいは動物の品種を特定したことである。その他、伝統的な栽培方法あるいは飼育
方法及び加工方法などを守らなければならないことを要件とした。
このほか、地理的表示産品には、着色料、香料などの添加物を加えない極力自然の産
品でなければならない、動物もできるだけ自然な飼い方でなければならないという原則
を取り入れた。これは、極力、自然の力のみを利用するという思想に基づいている。た
とえば、1935 年の AOC 法では第 21 条において「ブドウの栽培、醸造、蒸留の過程でな
にも加えない自然の製造を前提とするものでなければならない」と定めている。また、
ブレスの鶏の生産基準では、「添加物を含み、すべての補助的な物質の使用は禁止され
る」(生産基準に関する政令第7条)と定められている。さらに、ハムやチーズについ
ても塩は加えるが香料やハーブなどを原則として添加せず、発酵や熟成によってうまみ
や香りを生み出すのを基本としている。
19 世紀の末から 20 世紀初頭は、干しブドウでつくったワインに着色料を用いること
や、水増しするために水とアルコールを加えることなどが横行していた。イギリスでは
パンを白くするため健康に悪影響を与えるほど多量にミョウバンを加えることもあっ
た。当時は、食品規制は、劣悪な産品を良いものと見せかけるための混ぜ物
(adulteration)を防止するのが主な目的であったが、現在では、食品安全、自然尊重
さらには動物福祉という面で、何も添加しないという思想は地理的表示産品の重要な要
素となっている。
一方、以上のような地理的表示の基本的思想に組みしない国もある。それは主として
農業の歴史の違いに求めることができよう。アメリカやオーストラリアなどのいわゆる
新世界では、産地ごとの特色ある産品の生産が形成されるような十分に長い農業の歴史
を経ずして、近代的な農業技術と農業経営の時代に入っていった。また、広大な土地が
あった。そこでは、大量に画一的な産品を生産し、輸出するという農業が志向された。
このような農業では産地の特色はむしろ近代的な生産方法を導入するという点からも
また量を確保する点からも合理性を妨げる要因であり、産地性を否定する傾向があった。
その代わり、均質で一定以上の品質の産品が合理的な価格で大量に生産することができ
るようになったのである。これを支えたのが産業技術の発達である。従って、ヨーロッ
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パのような地理的表示の思想による生産は重視されず、産品の品質上の特色は産地では
なく、生産企業に由来するという思想につながっていった。
フランスにおいても 1935 年に統制原産地呼称法(AOC 法)を導入した際、原産地呼
称の思想に同意しなかった地域もあったのである。ラングドックのワイン生産者は大量
に均質な日常消費ワイン(テーブルワイン)を生産することを当時は選択した。日本で
も戦後しばらくしてからの高度成長の時代に、人口が都市に集中し、増大する都市住民
に供給する農産物、特に野菜が不足し、大産地の形成と広域集荷が推進され、結果とし
て流通範囲の狭い特色ある地域野菜が減っていったという経緯もある。米の生産も不足
する時代は同じような傾向にあった。
新世界の諸国は、ヨーロッパとの妥協によって TRIPS 協定に合意し、知的所有権とし
て地理的表示を認めたものの、地理的表示の保護のための特別の制度をつくる必要はな
く、既存の制度の商標で行うことで足りるとした。商標により他と識別できる名称の排
他的使用権を生産者に与えれば、産品の生産の仕方や品質に法律や行政が介入しなくて
も、市場の機能によって生産者は自らの工夫と責任で消費者に評価される良いものを生
産するという考え方に立脚している。従って、これらの国では、主観的な要素が強い品
質という分野に行政が介入すべきでないという思想が根底にあるともいえる。
3 食の文化と食の多様性の維持
原産地呼称及び地理的表示制度は、フランス等で導入された当時は、有名な産品の名
称を盗用する偽装表示の防止が主たる目的であった。それと同時に、産品の品質を維持
し、向上するという目的もあった。「食品偽装の歴史」の著者であるビー・ウイルソン
は、「原産地呼称は、特定の食品の質を下げるかもしれないものたちから守りたいとい
う動機から出発している」としている。AOC 制度の導入に最大の貢献のあったフラン
スのジロンド県のカピュ議員は、品質と価格の維持という観点から原産地呼称制度は生
産者からの発想であって、かつてのように絶対王政の価値観を実現するための王権によ
るものではないとしている。味という主観的なものを含む品質の維持・向上を確保する
ためにどのような制度がとられるべきかカピュ議員は苦心した。規制の強い案に対して
当初は生産者及び議会の反対が強かった。しかし、当時の価格の低下傾向を防止する上
で、生産者はカピュ議員らの提案する生産に関する規制に合意した。
しかし、この AOC は、地域ごとの伝統を基準としており、中世のギルド的要素があ
り、固定的で近代産業社会にうまく適応できないのではないかという心配もあった。第
2次大戦を経てしばらくすると、その心配はなくなった。チーズやワインなどのフラン
スの原産地呼称産品は、その品質、特に美味であることで世界から高く評価されるよう
になった。産地を限定し、自然の力のみを利用した産品が経済的にも十分成り立つこと
に確信が持てたのである。さらに、どのような地域でできるのか、どのようにしてつく
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るのか、どのような歴史があるのかなどが話題になるようになり、食に関する文化的要
素を伴っていた。売る側もフランス文化に対する世界の人々のあこがれを巧みに利用し
たともいえる。しかし、その基本に高品質で美味という価値が保たれているのである。
原産地呼称産品は本物の味を示してくれるという人もいる。確かに原産地呼称産品の中
には工業的生産では得られない深みと複雑さを持つ絶妙の風味のものがある。自然の力
の偉大さを感じさせる。したがって、食べ物の一級の味を知るには上等の原産地呼称産
品を食べてみなければならないというほどまでになり、食品を単なる「もの」でなく文
化にまで高めたともいわれている。
ほぼ時を同じくして、戦中戦後からアメリカを中心に発展してきた効率重視の農産
物・食品の生産方式がヨーロッパに進出し始めた。たとえば、40 日から 50 日で成鶏と
なり(自然の鶏は4~5 ケ月かかる)生産効率が非常によいブロイラーの生産が世界中
に広まりつつあった。また、品質に均一性と安定性があり、日持ちもよいプロセスチー
ズ(「アメリカンチーズ」ともいう)が 20 世紀の初めに登場した。さらに、アメリカで
開発されたコカ・コーラ(1886 年創業)
、マクドナルド(1940 年創業、48 年以降有名
になる)、ケンタッキー・フライドチキン(1930 年代創業、1955 年フランチャイズ制
採用)、ピザハット(1958 年創業)などが急速に成長し、フランチャイズ制によって世
界中に同じ味の食品を提供できるようになった。
食の文化と多様性を重視するヨーロッパ、特に、フランス、イタリア、スペイン、ポ
ルトガルなどは、このアメリカ方式による画一的な食品は、低価格で競争力も強く、ヨ
ーロッパの食文化を大きく変容させてしまうのではないかと心配した。これを食い止め
る手段として原産地呼称制度が評価されるようになったのである。フランスは伝統的な
鶏の生産が消滅するのを防ぐため、原産地呼称制度とほぼ同じ農業ラベル(ラベルルー
ジュ)制度を導入し、伝統的な鶏などを維持しようとした。農業ラベル(今は多くのも
のが地理的表示産品となっている)では、おおよそ 100 日以上の飼育期間、放し飼い
できる一定のスペースの確保、飼養頭羽数の制限を設けることを基本的基準とした。
さらに、クラフト社、ケロッグ社、ハインツ社、ネスレ社、ユニリーバ社などの大食
品会社が生まれ、発達した技術を駆使して、良質で、大量に、安く、を原則とする近代
産業社会の要請に応えた食品を供給するようになった。消費者はこれらの食品企業が提
供する品質に見合った合理的な価格と利便性を評価した。しかし、利便性などの追求に
よって、食品の本来の風味と食の楽しみを提供するという点がかなり犠牲になっている
ともいえる。たとえば、利便性の高いインスタント・コーヒーの風味よりはレギュラー・
コーヒーの風味の方がコーヒー本来の味ということができよう。
ヨーロッパでもこのような近代的食品産業の発展が見られたが、地理的表示産品はこ
れらの食品とは生産の原理を異にし、食品の本来の味を追求することに重点を置いてい
る。地理的表示産品が食品全体に占める割合はそれほど高くはないものの、ヨーロッパ
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の食文化を維持し、支えると同時に、食品全体の品質を引き上げるという効果も持って
いた。
しがって、近代的生産方式によって大量につくられる産品がヨーロッパの産地名を使
い、世界に広まっていくことにヨーロッパは警戒するようになった。たとえば「パルメ
ザン」
、
「パルマハム」
、
「シャンパーニュ」
、
「シャブリ」などは、外国でもつくられ世界
に輸出される。「パルメザン」はイタリア語の「パルミジャーノ」の英訳又は派生語で
ある。イタリアのパルマ地方でつくられる独特のチーズは古くから有名であった。今で
は「パルミジャーノ・レッジャーノ」という名称で地理的表示として登録されている。
従来からヨーロッパ内でも偽物も多く、アメリカや日本でも「パルメザンチーズ」と
いう名称で大量に生産され販売されている。これらの産品は、大食品会社で大量に生産
することを可能にし、委託生産も可能である。ヨーロッパの本物とは品質も味も違い、
広く普及すると本物の地理的表示産品が埋没してしまうのではないかとイタリアは心
配した。たとえば本物でないパルメザンチーズは、パルメザンに似た価格のより安い「グ
ラナ・パダーナ」のチーズや時にはプロセスチーズを原料としているといわれているが
詳細は明らかにされていない。しかも、商品によってはラベルに「パルメザンチーズ1
00%使用」と表示されている。従って、ヨーロッパは、ヨーロッパの原産地呼称産品
以外のものがこれらの産地名で販売されるのを防止するいわゆる原産地呼称の保護の
強化に乗り出すとともに自分たちの制度の充実に努めた。
フランスでは、ワインについて AOC 制度による成功を確認し、その他の農産物・食
品についても生産基準の厳しい AOC 制度を適用することにしたのである。それまでワ
インと蒸留酒以外の農産物は AOC より生産基準が緩い原産地呼称制度が適用されてい
た。 1990 年のこのための法律改正の際、INAO の当時のアラン・ベルジェ所長は次
のように述べている。
「AOC に関する 1990 年の法改正は、農業の基本方向に関するもので、フランスの
農業にとって非常に意義深いものである。法改正の意図は、農産物及び食料品について
の品質の概念を明らかにし、それを奨励することである。この概念は、品質は画一的な
ものでなく土地(地域)に由来し、それ故にオリジナルなものでなければならないとい
うことである。「土地」を表現するということは、文化つまり歴史の重みや何世代にも
亘って伝えられてきたノーハウなどを現すことにもなり、また、産品の多様性を維持す
ることにも通じ、違いがあることについての正当な権利と関係している。
」
また、彼は、原産地呼称は近代産業社会の生産性の論理とは合致していないとも述べ
ている。
EU の地理的表示に登録されている食品(ワインを除く)の数が一番多いのはイタリ
ア(223 品目、2011 年 3 月現在)で、次がフランス(183 品目)で、続いてスペイン、
ポルトガルである。イギリスやドイツはそれほど多くない。このように地理的表示産品
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が多い国は食品が多彩で豊かである。しかも料理全般もおいしい美食の国となっている。
フランスの地理的表示は比較的早くから世界的に有名になり、地理的表示産品もある程
度淘汰されてきている感があるが、イタリアはまだ地域による多彩さを大きく残してい
る。ソーセージやハムも多彩である。このイタリアの食の多様性は、日本でも最近関心
が高くなっている。
南欧諸国では何故食品が多彩で、食べ物がおいしいかであるが、やはり風土が大きく
影響していると思われる。これらの国は比較的温暖な気候や様々な土壌により、多くの
種類の野菜や果物などが栽培でき、家畜の種類も豊富である。一方、ドイツなどは寒い
気候の下で多くの種類の野菜や果物をつくるのが困難であったといわれる。従って、南
欧諸国は豊富な食材をその土地、土地で利用して多彩な食品を作り上げっていった。ま
た、ローマ帝国の伝統や中世のキリスト教文化、人種も影響しているかもしれない。い
ずれにしても、今後の研究によって何故美食の文化が生まれたのか解明されることを期
待したい。
日本も基本的にはこのヨーロッパラテン系の国の風土と似ており、同じような食文化
圏にあると思うが、日本独自の食文化を築きあげてきている。特に素材の本来の自然な
味や季節の風味を重視するのがヨーロッパにはあまり見られない特徴であろう。このよ
うに自然を重視した日本の食文化もようやく世界に理解されるようになってきている。
日本では、1960 年代は、以上のような食をめぐるヨーロッパとアメリカの思想の対
立があることなど知る由もなかった。アメリカの文化は日本人のあこがれであり、何の
疑念もなく積極的に取り入れていった。また、ヨーロッパは日本にとって遠い存在であ
った。しかし、アメリカの食文化が深く浸透しても、地域の食べ物を評価し、愛すると
いう食文化は日本では消えてないと思われる。
いずれにしても、日本で本格的なワインが飲まれるようになったのは、東京オリンピ
ック(1964 年)以後であり、
「カマンベール」などのヨーロッパのナチュラルチー
ズが知られるようになったのは、その後しばらくしてからである。1961 年に成立し
た日本の農業基本法は、その前年のフランスの農業基本法(農業の方向付けに関する法
律、Loi d’orientation agicole)を参考に作成されたものであるが、フランスの基本法に
は農業ラベルの導入など食品品質政策の目が出ていたものの、当時の日本の立法者は注
意もしなかったと思われる。
しかし、ヨーロッパが主張する「多様な食品あるいは違いがあることの正当な権利」
も、今は、世界から挑戦を受けているのも事実である。たとえば、原産地呼称産品の特
色ある味と品質についても近代の発達した技術によってそれに近いものをつくること
が一部の食品について可能となっている。むしろ、追い越すことすら可能かもしれない。
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たとえば、ワインについてはグローバリゼーションの下で、世界のワインが全体として
質は向上するものの、それぞれの個性が薄れていく。このような傾向の下では近代的な
技術を駆使して安く生産した産品がシェアーを増やすのである。ヨーロッパのワインは
今では新世界から激しい挑戦を受けて、押されぎみである。「ワインの文化史」の著者
のガリエは、技術の進歩はえてして質の均一化を招くとしている。ワインのみでなく他
の食品についてもあてはまることである。地理的表示を重視する国は、地理的表示は品
質の画一化、均質化は狙っていない。その個性とオリジナリティを追求するものとして
いる(ピット)。
4 品質の証明と消費者の信頼の確保
地理的表示は、基本的には、産地区画の決定、栽培される品種や生産方法などの生産
基準の設定、生産基準に従って生産しているかどうかの第3者機関による監視と監督か
ら構成されている。これが1935年にできた AOC 法の基本な仕組みである。
この制度は、産品の品質を証明していることになる。特に、産品の生産基準は公表さ
れており、基本的原材料が何か、どこでどのように生産されているかが公表され消費者
にも分かるようになっている、また、生産基準のとおりに生産されているかどうかにつ
いて第3者機関が監督している。さらに、地理的表示産品全部ではないが、第3者機関
による味覚検査(官能検査)と分析検産も行われる。
以上のような方式が採用されたのは、同一の原産地呼称名を使用する生産者が多くい
る中で原産地呼称の名声に値しないような粗悪品がつくられるのを防止するためであ
った。地理的表はその産地の共通の財産であり、一企業あるいは一生産者が独占的に使
用するものではない。従って、産地内の生産者が品質の悪い産品をつくり、その地理的
表示の名声を悪用するのを防止する仕組みであった。
さらに、地理的表示産品が消費者に行き渡るまでの流通過程で偽装が行われないよう、
税務当局と不正防止当局の監視制度を導入した。特に、樽買いなどをしてブレンドがネ
ゴシアンと称されるワイン商などによって行われるワインについては不正が起こりや
すいので、取引ごとに原産地呼称ワインの出入の記録を付ける義務(トレーサビリティ)
を課した。この流通過程での不正の防止は原産地呼称産品の表示の信頼性を確保する上
で重要であった。
以上の方式の導入によって、地理的表示産品は、その品質が安定し、いつも期待通り
であること、監督機関の介入によってその内容を信用できることなどから、消費者の信
頼を得ることができるようになった。従って、地理的表示産品には産品のラベルにいろ
いろなことを書かなくても、消費者はその内容がなんであるかを理解し、信頼すること
ができる。ちなみに、フランスのチーズやワインの AOC 産品のラベルをよく見れば、
内容について宣伝めいたことは多く書いていない。たとえば「AOC ロックフォール」
と表示してあれば、消費者は「AOC」の表示で品質が証明されていることが分かり、
「ロ
10
ックフォール」でそれがどういうものであるかが分かる。内容を疑う必要がないのであ
る。それ故に、原産地呼称の名称の悪用に対しては日本人が考える以上に神経質である。
原産地呼称制度のこの品質証明の手法は、フランスで 1919 年原産地呼称法から 35
年 AOC 法に至る約 15 年間の激しい議論の末に得られた結論であった。その後、この
品質証明制度は、食品品質政策に大きな影響を及ぼすことになる。まず登場したのがフ
ランスのラベルルージュ(農業ラベル)制度である。前述のように主としてフランスの
伝統的な鶏などを維持しようとしたことから生まれた制度だが、産地との関連が薄いも
のも多かったので、原産地呼称とは別とした。しかし、生産基準を設け、第3者が監督
し、認証する制度は原産地呼称制度と同じである。
20世紀も半ばを過ぎ、豊かになるに従って、食品の品質について消費者の選好が「消
極的品質、negative quality」から「積極的品質、positive quality」に移行してきた。
ネガティブな品質とは安全や栄養面で欠陥がないことであり、ポジティブな品質とは、
美味であること、伝統や文化を体現していること、環境に配慮していること、健康に良
いことなど食品のより積極的な価値が確保されていることである。さらに、最近では、
特に、ヨーロッパで「社会的品質」
(CNA 報告 No36)も重視されるようになっている。
たとえば、生物多様性維持、持続可能農業、動物福祉、景観維持などに配慮して生産さ
れた、つまり社会的な価値と結びついた農産物・食品の品質である。この negative
quality から positive quality への移行はフランスの農務省の獣医のべロニック・ベル
マン(Vélonique Bellemain)が提唱した品質の概念である。
これらの食品は、安全や栄養に関する品質と異なり、外見では分からないし、成分分
析でも判別できない。生産過程をチェックし、どのようにつくられたか何らかの形での
証明がないとポジティブな品質の産品かどうかわからない。従って、これらの食品には
地理的表示制度の品質証明の手法が採用され、生産の過程に介入する品質証明制度の産
品が次第に多くなっている。
積極的な品質の確保のために生産過程に介入する制度は「プロセス規定の産品」
(David Orden, Tim・Josling ほか)と呼ばれている。原産地呼称制度は、生産のプロ
セスを明らかにし、それを管理することによる品質証明制度の出発点であり、その理念
と手法は、現在大きな広がりをみせてきている。
以上の品質証明制度は当たり前のようではあるが、世界では決してそうでない。特に
アメリカでは、食品安全を除き食品の品質に市場参加者以外の政府や行政などが介入す
べきでないという考え方がとられてきている。従って、有機食品以外は、ヨーロッパの
ような公的品質証明制度は採用されていない。EU が 2008 年から食品の品質政策の改
革の検討を行った際、各国の食品の品質政策が議論されたが、アメリカは EU のような
食品の品質制度は導入してないと報告している。この背景は、品質は基本的には市場機
11
能によって決定されるという思想である。別の言葉を借りれば、品質や信頼というよう
な概念を公的規制によって導入することは、生産者や消費者の自由な発想と行動を阻害
しかねないということである。たとえば、19 世紀のイギリスでは、食品安全すら、市
場機能によって達成されうると考えられ、ビー・ウイルソンによれば行政が取り締まる
ことはせず、放置しておいたといわれる。しかし、一向に改善されず、食品の事故は多
くなった。たとえば、パン屋は、パンを白くするため、あるいは増量のために人間の健
康に悪いものでもあっても混入しないと商売が成り立たないというような状態になっ
た。その結果、混ぜ物の防止に関する公的規制ができ、それが食品の安全に関する法律
に発展していった。それとほぼ時を同じくしてフランス等は原産地呼称法等食品の品質
に関する制度も導入していったが、アメリカでは、食品の安全に関する制度のみを発展
させていった。
商業行為の現実的な視点からみると、品質証明などをして製造方法を明らかにすると
他社に真似られて、自社の産品のブランド価値が落ちるという危険がある。一方で、品
質証明をすれば消費者の信頼による販売額の増大も期待できる。しかし、両者を比較し
た場合、他社の追随による危険の方が大きいのが一般的である。従って、産品の品質の
核心となる製造方法は秘密にしなければならない。また、このようにしてつくられたブ
ランドの方が地理的表示のブランドよりはるかに大きなブランドに成長させることが
できる。アメリカにはコカ・コーラやケンタッキー・フライドチキン、パルメザンチー
ズなどにみられるように、このようにして成長させた世界的なブランドが多いのを見て
もわかる。たとえば、現在、チェコの地理的表示の「ブドヴァイゼル」のビールとアメ
リカの商標による「バドワイザー」が併存しているが、アメリカのバドワイザーの販売
量の方が比較にならないほど大きいのである。産品の内容を証明していない商標制度も
このようなブランド思想に立脚した制度であろう。
また、パルメザンチーズの話しになるが、日本で、パルメザンの粉チーズの製品には
「パルメザン 100%」と追加表示してあるものと「ナチュラルチーズ 100%」と追加表
示してあるものがある。前者の追加表示がしてあるチーズの販売企業にこの「100%と
表示してあるパルメザン」とは何かと聞くと「牛乳で作ったチーズである。イタリアで
は「パルミジャーノ・レッジャーノ」と表示しなければならないが、その他は国では「パ
ルメザン」と表示できる」という回答が返ってくる。牛乳は世界で多く生産されている
のでチーズの生産量は限定されない。企業としては消費者に対してはどのようにつくっ
たかではなく、でき上った製品を評価してほしいということである。ただ、消費者には
買うか買わないかの選択権が残されている。それが市場機能である。
5 農業所得の向上と地域産業の維持・発展
地理的表示産品は、産地に由来する産品の特質とオリジナリティをもつものであり、
他の同種の産品との差別化を図るものである。また、産地を限定するので生産量は制限
12
され、規模の利益を追求するのではなく、高価格によって採算性が補われなければなら
ないという近代産業社会の経済の原則(低価格による競争力の強化)に反しているとも
いえる手法である。産地の個性を出すことは、先に述べたように食の多様性を生み出し、
地域の文化や食文化を感じ取ることができるなど消費者に食の楽しみも提供する要素
も持っている。さらに、自然や環境を尊重し、愛する心にも通じている。従って、地理
的表示産品は、このような差別化によって食品の付加価値を高める手法と認識されてい
る。一種のブランド化の手法である。
フランスの消費法典の考え方によれば、消費者への情報の提供には基本的には2種類
あり、第一の方法は、食品の安全や栄養など消費者に知らせる必要のある情報を法律に
よって事業者が提供することを求めるもので、第2は、法律に基づき事業者が消費者に
対して提案をし、消費者がそれを評価するための情報であるとしている。前者は食品の
安全などに関する情報であり、後者は高価格を実現することを目的とする情報であり、
地理的表示は、後者に属する情報の提供の種類であるとされている。
食品安全に関しては、世界には第3者の監査あるいは認証によって安全であることを
証明する事業者主導の制度があり、たとえばグローバルギャップ、イギリスの BRC 基
準(British Retailer Consortium Standard)、フランスとドイツの IFS(Intrnational
Food Standard)、アメリカの SQF(Safe Quality Food)などがある。ISO22000 もこれ
に含まれよう。主にヨーロッパで発達してきた制度であるが、今では、アメリカでも普
及してきている。これらの制度は、差別化によって付加価値を高めることを目的として
おらず、食品安全措置と同様、事業者が行うべき義務としてとらえられている。従って、
上記消費法典の第1の分類に属するものといえよう。
いずれにしても、地理的表示産品は、他の通常の同種の産品と比較し高価格が実現で
きることは実証されてきている。これには、地理的表示産品が高価格を実現するため、
前に述べたような様々な工夫をしており、特に、産地独特のおいしい味が追求されてい
る。ただ、どのくらい高価格で販売されているかは品目によって大きな違いもあり、全
体的な調査はないはずである。しかし、個別の事例的調査は数多くなされている。
たとえば、EU 委員会の資料によれば、地理的表示のチーズは、一般のチーズに比較
し 50%から 100%増しの価格で販売されており、また、1825 年出版のブリア・サバラ
ンの「美味礼讃」に登場してくる「ブレスの鶏」は普通の鶏に比べ4倍の価格で取引さ
れていると報告されている。最近、地理的表示制度の充実を図っている中国においても
地理的表示の 3 つの要素(土地、技術、人)は、4000 億ウオン(約 280 億円)の価値
を生みだすとされている。
(Liu Jun Hua)
。
しかし、アメリカでは、多少ニュアンスが異なる。地理的表示産品であっても、カル
フォルニア・プルーン(年間生産量約 14 万トン)
、アイダホポテト約(31 万エーカー)、
カルフォルニア・オレンジ(約 17 万エーカー)などのように生産量が多く、量を限定
せず、また、高価格をあまり追求しない合理的なものに設定し、販売量を拡大するとい
13
う方式がとられているものが多い。ヨーロッパでは、生産地が広いと産品の個性を際立
たせることが難しいと考えられ、たとえばワインについては地域を限定すればするほど
個性が出てくるとされている。従って、ワインについては最高の風味を誇るロマネコン
ティのブドウの栽培面積は約 1.8ha と狭い。しかし、供給量が極端に少ないことが高価
格を生んでいるということもある。
また、地理的表示産品は、原則としてその原産地で栽培された作物あるいは飼育され
た動物産品を原料としなければならないとしていることから、その地域の資源を使うこ
とになり、地域の農業を維持する効果を持っている。また、産地の限定された原材料を
使って産地に密着した生産を行い、産品の特色を引き出すことが求められるので、中小
の生産者に適しているということもでき、大規模生産である必要はない。この意味でも
地域経済の維持発展に果たす役割は大きい。
一般には、ある産品がおいしいことで有名になると販売量が伸び、それに対応するた
めに原材料をその産地以外に求めるようになる。その場合は往々にして元のオリジナリ
ティが次第に失われていく。本来の地理的表示産品はこれを厳しく禁止しているのであ
る。たとえば、日本で、北信の「野沢菜」があるが、スキー客が多くなりその味が全国
に知られるようになると需要が増大し、これに対応して、原料の野沢菜を他の地域に求
めるようになった。異なる意見もあるかもしれないが、この結果、野沢菜の販売量は増
えたものの、そのオリジナリティが薄れていったといえよう。讃岐うどんについてもそ
の名声ゆえに全国いたるところで生産され販売されるようになって、そのオリジナリテ
ィが何であるかは良くわからないようになっている。地理的表示産品は、その産地で確
立された製造方法であれば、原材料の産地はどこでもよいという考え方は基本的にはと
られていない。産地を表現するという基本的思想から外れるからである。
さらに、地理的表示は、農業の条件不利地域の産業を維持する効果も注目されている。
たとえば、タイの香り米を代表するタイ・ホム・マリ(ジャスミン米)については、東
北タイ地方の塩分濃度が高く、砂地のような地味の豊かでない土壌ほど豊かな香りを持
つとされ、タイを代表する穀倉地帯の中央部ではこのような香り米はできないとされて
いる(富田敏之)
。ワインについては、肥沃な土地よりも乾燥し、肥沃でない土地の方
がワインにとって良いブドウができるとされており、これは、長いワイン生産の歴史か
ら皆が認めるところとなっている。
以上のように農業条件が良くないところに味の良い作物がなぜできるのかというこ
とについては理論的に明快な答えはないであろう。しかし、池辺誠氏は「野菜探険隊世
界を歩く、1986年、文芸春秋」で、
「じゃがいもやトマトは瓦礫の混じるアンデスの高
地で発生している。また、キャベツの野生種が地中海沿いの「痩せた土地」という表現
では収まらない岩場で生えている。ひょっとするとこうした土地の方がこれらの植物に
14
は栽培に適しているのではないかという疑問を持っていた」とし、その疑問に応えてく
れたのが、永田照喜治という人であったと述べている。彼によると「基本的な哲学は、
その植物の原生地の条件を人為的に復元してみること、そしてその植物の原始的能力を
最大限に復活させることを探求すること、といってよいであろう。その結果、ビタミン
やミネラルが急増し、ものによっては糖度も倍増する。それを食べるとだれもが「うま
い」と言う」と述べていることを紹介している。
風土の力を最大限生かそうとする地理的表示産品では、このように、条件不利地域で
もその作物の持つ原始的能力を引き出せば、良いものが生産できることが可能であろう
し、かえって、その特殊条件によって、さらに「美味」のものができることもあるので
ある。このような事実から地理的表示産品は条件不利地域の経済の維持に貢献するとさ
れる。AOC制度を導入した当初は、この効果はよく認識されていなかったが、しばら
くしてから、確認されるようになった。
フランスのスイスに近いサヴォア地方の「ボーホールチーズ」は、山岳地帯という条
件不利地域の産品であるが、古くから有名な産品であった。ローヌ河の河口近辺の湿地
帯の「カマルグの雄牛」
、水分保持力の低い土壌と乾燥気候からやせた牧草地となる土
地に適合した牛のフランスの「メーヌ・アンジューの牛肉」などは、条件不利地域の地
理的表示産品といえるであろう。また、日本でも、やせ地でもよく育つ「らっきょう」
の特性を利用した鳥取の「砂丘らっきょう」
(約120ha,90戸の農家)も条件不利地域の
産品といえるであろう。
鳥取砂丘らっきょう
鳥取県東部に位置する福部町の砂地土壌で栽培されるらっきょうである。現在約120ha
で栽培農家は約90戸である。「鳥取砂丘」に隣接するこの地域の砂地の粒子は非常に細か
いことから、色が白くかつ繊維が細かく歯触りが良いらっきょうができる。また、地形は平
坦でなく傾斜地を多く含み、水はけがよいという特色を持っている。さらに、やせた土壌が
品質の良いらっきょうをつくりだす要素となっている。
かつては、乾燥し、雨が降っても水が流失し、作物がよくできない地区であったが、江戸
時代かららっきょうの栽培が試みられ、らっきょうの栽培は可能であることが分かった(ら
っきょうは、砂丘地や荒廃地などのやせた土地でも育つという特性を持つ)。大正期に栽培
が本格化し、昭和22年に「砂丘らっきょう」として販売された。平成17年に商標登録さ
れている。
栽培されたらっきょうは「根つきらっきょう」と「洗らっきょう」とが販売され、また、
加工らっきょうも製造販売される。植えつけは手植えで、選果も手作業で行う。加工品は、
塩水のみで漬け込み自然の乳酸発酵をさせ、添加物は原則として使用せず、薄皮を約30%
15
除去し短時間で塩抜きする。味付けは砂丘らっきょうの本来の風味を生かしたうす味であ
る。
平成23年に(財)食品産業センターが行う「本場の本物」に認定された。
平成24年4月25日農水省地理的表示保護制度研究会での説明による。
なお、地理的表示の地域の発展に果たす、もう一つの役割が最近注目されている。そ
れは、地理的表示産品とその地域の特産品などを総合するとともに、それらがつくられ
る景観を組み合わせ、地域のイメージを高めることによる産品とサービスの高付加価値
化を図ることである。たとえば、須田文明氏が紹介しているように、南フランスプロヴ
ァンスのバロニエ地方では、古くから「ニオンのオリーブ」
(AOC)が有名で、ワイン
とチーズを除く産品でAOCとして早く認定された産品である。それを核に、その地域
の山羊チーズの「ピコドン」
(AOC)
、南仏特産のラべンダー油、AOCワインなどを組
み合わせ、さらに、オリーブの段々畑やラべンダー畑といった景観をアピールし、ツー
リズムサービスを食と統合することで、産品とサービスの高付加価値化を図っている。
その地方で取れたチーズなどの農産物とその地域でつくられるワインとの相性は良い
というのが定説になっている。地域特有の景観と環境の中でその地域の特産品を食する
のは心を豊かにする。フランスでは現在「味の景勝地」の認証制度が導入され、
地
域が認定されている。日本では北海道でこのような認定制度の検討が行われている。東
京大学農学部2011年度の卒業論文で「味の景勝地」について望月祐吾君がまとめてい
る。
以上のような、地理的表示の産品の高付加価値化と地域経済の維持・発展に果たす役
割は、1960年代頃から次第に農業政策上の重要な手段とみなされるようになった。
フランスでは、1990年にすべての農産物をAOCの対象にした際、地理的表示の高付加
価値化と農民所得の向上に果たす役割が認識され、農業法典に「産品の付加価値化
(Valorisation des produits)」という章を新たに設け、それまで個別の法律で規定され
ていた原産地呼称、農業ラベル、有機農業などを取りまとめ高付加価値を生み出す品質
証明制度に関する規定を編さんしている。
EUは1993年の単一市場(marché unique, single market)の形成を前にして加盟国
の原産地呼称制度を統合する形でEUとしての地理的表示とその他の品質証明に関する
制度を作り上げた。EUのこの制度においても地理的表示の農業所得を増大させる目的
が強調されている。またそれと同時に多様化する消費者の食品の品質に対する要求に応
えるという目的も確認されている。
当時は、GATTウルグアイラウンドの最終局面を迎えており(1994年妥結)、農産
物の価格支持に対する補助金と輸出補助金の削減は避けられない状況になっていた。そ
れだけに、EUは、地理的表示制度が農家収入の減少を補う有効な手段として地理的表
16
示が世界の多くの国が認める知的所有権となるようラウンドで努力した。現在ヨーロッ
パでは、地理的表示制度は、付加価値化による地域経済の維持と発展を含む農家所得の
増大と消費者への産品に関する情報の提供が最大の目的になっている。
一方、アメリカ、オーストラリア、カナダ及びニュージーランドなどは、地理的表示
を商標とは独立した知的所有権と捉えず、商標制度のみで保護している。これらの国に
おいては、この章で述べたような地理的表示制度の農業政策上の目的は基本的にはなく、
単に商業秩序の維持の制度として認識されているといってよい。ただ、産地表示が極め
て重要なワインについては、これらの国においても地理的表示に関する独自の法制度が
構築されている。
日本では、現在のところ地理的表示に関する法制度は存在しない。酒類については、
告示でごく簡単に定めている。地理的表示として指定されている産品も焼酎4品目と清
酒一品目のみである。しかし、平成25年7月ワインについて「山梨」が指定された。
6 地理的表示の問題点
今まで、地理的表示の特徴と利点を述べてきたが、欠点や問題点もなくはない。第一
の問題点は、地理的表示は現状を固定し、進化を阻むという点が批判されている。また、
既存の生産者の権利をまもり新規参入を難しくするという効果も持つ。自由市場経済に
おいては、競争を善と認める以上、他人の商品と自分の商品との区別はしなければなら
ないが、産品の内容などを市場以外から介入し決めてしまうのは自由な競争を妨げると
いうことである。たとえば、シャンパーニュについては、フランスのシャンパーニュ地
域の生産者が生産基準によってその内容を定め、その生産者しかシャンパンの名称を使
えないとすることによって、シャンパーニュの内容(品質)が固定化され、市場におけ
る競争を妨げている、誰もがシャンパーニュの名前を使用できれば、より広い競争を通
じてより良いものがつくられていくという考え方である。 従って、ジョスリンやオー
デン(Tim Josling, , David Orden)らは、産地という他人が絶対に越えられない基準を設け
て差別することは、時には輸入制限以上の貿易障害となると指摘しており、また、地域の
有名な産品を多く持つ国に有利となる不当な差別化であるという意見もある。また、荒木
雅也氏のように地理的表示は、政府及び生産者においてそれを管理するコストが大きく産
品のコストを高くするという論調もある。
これらの地理的表示の問題点は、国際貿易上の対立として顕在化してくるので、第六章
で詳しく説明したい。
7 自由貿易とは異なる次元の地理的表示
本章を終えるに当たって、地理的表示の国際貿易に与える影響に触れなければならない。
18 世紀後半から 19 世紀初頭に始まった近代産業社会は、アダム・スミスらが提唱した「競
争」と「自由」の原理に基づいて発展してきた。GATT(関税及び貿易に関する一般協
17
定)及び WTO(世界貿易機関)が基礎とするリカードの比較優位論によれば、貿易は関係
国間双方の富を増すのである。この原理は普遍的で強い力を持つ。したがって、平和な時
代においては、グローバリゼーションは必然の流れであったといえる。農産物・食品につ
いてもグローバル化が着実に進行してきた。しかし、地理的表示産品は、今まで説明して
きたこの章からも推測できるように自由貿易の原則やグローバル化の原理とは異なる次元
にあるといってよいであろう。
ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの「リスク社会」が指摘するように、また、ジョセ
フ・スティグリッツの「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」が強調するように、グ
ローバリズムの弊害や限界が指摘されるようになっている。食品でいえば、低コスト、大
量生産、効率性・合理性及び利便性のあくなき追求は、食の安全、食料安全保障、多様な
生物資源の維持、環境保護などの問題を置き去りにするほか、食の伝統と文化や地域性等
の価値を否定的に捉えてきた。
「まえがき」でも述べたように、近代産業社会の食品の生産
は、「食の終焉」(ポール・ロバーツ)等でも批判されている。自由、競争の原理の限界が
認識される中で、新たな価値を重視するパラダイムシフト(原則の変換)が必要ともいわ
れるようになっている。
アダム・スミスは、近代産業社会のはじめに当たって、競争と自由は国民の富を増すと
して競争は悪ではなく「善」あるいは「徳」とした。これが経済を発展させ、社会の秩序
を形成する基本原理と捉えた。しかし、同時に、生涯にわたり社会の秩序を形成する原理
は競争と自由だけではないと考え、それが何であるかを追求したが、結論を得ることはで
きなかったといわれている。当時は限界の具体的姿が見えなかったからであろう。今では、
限界や弊害もぼんやりとではあるが認識され始めている。また、この弊害を修正する努力
も行われるようになっている。
このような状況の中に地理的表示制度が知的所有権として登場してきたことは、自由貿
易に代表される近代産業社会の理念とは異なる原理の登場を予感させるものであり、自由
貿易を標榜する国にとっては、容易には受け入れがたいものであろう。また、これを受け
入れると近代産業社会の自由貿易の原理のもとで形成されてきた合理的・効率的生産によ
る食品の生産・供給と文化が一部否定され、ブレーキがかかることが懸念されるからであ
る。現にファーストフードなどにおいても、生産者の顔が見える野菜の提供、環境配慮、
材料の産地表示など近代産業社会の原理とは異なる新たな価値あるいは文化の導入による
補強が行われるようになっている。
地理的表示をめぐる対立はこのような貿易の基本原理と食文化に関係している。たかが、
産品の名称の問題に過ぎないのにヨーロッパとアメリカの対立が如何に激しいのかが理解
できよう。
18
自由貿易の原則から見れば不利な点の多い日本農業にとっては、地理的表示の新たなパ
ラダイムには注目すべきものがあり、また、日本の食文化にとっても重要な意味をもつも
のである。和食の文化は基本的には日本の風土での生産に基礎を置くからである。日本農
業の大規模化によって海外に負けない合理的生産を実現できるという論調がよくなされて
いるが、競争と自由の原則の土俵上では、日本の自然的・社会的条件からしてそれはほぼ
不可能といわざるを得ない農産物が多い。自由貿易の原則は国際分業論でもあることを忘
れてはならない。かつ、敗者に対する配慮はない。したがって、日本農業の新たな価値を
見出していかなければならないが、地理的表示はその一助になるものであろう。
19
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