よ VOICE FOR LESSON もちろん、どちらであっても、プロならまだよいのですが。どちら でもない人が、大半ではないでしょうか。 ■ミュージカル俳優と役者のヴォイストレーニング 福島英 W5/070519 ○ミュージカルの声 ○日本人の声づくり ここで、海外との差が象徴的な、ミュージカル俳優について述べ てみましょう。本来は、個人別にみていくべきものですが、大まか な分け方をしてみます。 日本の場合、大きくは、声楽出身と役者出身に分かれます。仮に ここで、前者をAタイプ、後者をBタイプとしておきましょう。 Aタイプは、声が伸びやかでつやがあります。声楽特有の歌声、 音色があり、それは高音域で明らかに目立ちます。つくった声、磨 かれた声であり、そこには確かに一つの基準と技術があります。 それゆえ、コンクールのように、基準が確固としてあります。日本 では、それにあわせて一つの似た傾向が声に表われます。出来不出 来も、他人との比較も容易なのは、声楽という共通の勝負土俵があ るからです。 日本人の場合は、ほんの少数をのぞき、個性的とはいえず、ややス テレオタイプ、多くの人に思い浮かべるクラシック歌手のイメージ に近いです(本来はそのように、それっぽいふしぜんな声ではない のですが) 。 声楽出身者は、ミュージカルにおいて、貴族役などには合います。 私は、多くの歌手、役者、声優、ミュージカル俳優、お笑い芸人 などのヴォイストレーニングを行なってきました。中心はプロです が、一般の方や後にプロになった人も多くみてきました。そこで多 くの方法を探り、多くのことに気づき、それぞれの人とその声をつ くったり変えたり鍛えたりしてきたのです。 ここでは、主に日本人の声づくりについて述べていきます。とて もあいまいな日本人の声の基準についての問題をも提起します。多 くの方がトレーニングを行ないつつ迷っている現状に対し、その頭 の中をすっきりさせてあげたいという狙いもあります。 一言でいうのであれば、日本人の声は、弱く、細く、かん高いとい うのが、多いのですが、強く太く、タフで耐久力に富んだ声にトレ ーニングしていくのが、目的です。なぜなら、長く過酷な舞台を続 けていくには、才能もさることながら、壊れない声をつくることが 基本だからです。 ○日本人のプロの声というのは それに対して、Bタイプは、パワーとインパクトがあります。ク ラシック型に対して、ロック型といえます。それぞれにあまり似て おらず、個性なのかくせなのか、存在感があります。中には、低音 に太い声のあるタイプもいます。苦手なのは、高音処理です。シャ ウトでこなす人もいます。合うのは、ロックオペラ。それでも、日 本人の場合、細くかん高い声が多いです。 Aタイプは、エビータ(ミュージカル)での劇団四季のものと、 Bタイプは、映画版エビータのマドンナとバンディラスので、同じ 歌を比べてみるとわかりやすいでしょう。 さて、どうしてこのようにキッパリと二つに分かれるのでしょう か。海外のように、どちらのよさをも兼ねそろえたような人はいな いのでしょうか。 私がヴォイストレーニングにあたり、最初に考えたのは、欧米の 歌手、俳優のもつパワーとインパクトとの差でした。 それとともに、日本のヴォイストレーニングでの現実の成果、いっ たいポピュラーのヴォーカルの声というのは、歌唱技術はともかく、 ヴォイストレーニングでどのくらい変わっているのか、そこが大い に疑問だったのです。 私の関係した劇団で、声がどんどんよくなっていく役者と、それ に比べ大した変化のない若い声楽のトレーナーをみたことも大き なヒントでした。今でも、お笑い芸人の、短期でプロの使い方とな る変容は、声というものが鍛えられることを証明してくれます。私 自身の声も、十代の頃とは比べものにならないほど、タフに力強く 深くなりました。今では、8時間話しても、翌日変調がありません。 役者はせりふを言うことで少しずつ声がよくなっていくのが、4、 5年もあればわかりました。それに比べ、最近の日本の歌い手の声 は、普通の人とあまり変わらないのです。現在のポップスの歌手な ら、なおさら声は素人同然なのです。プロの声の使い手であるのに、 こんなおかしなことはないと思ったのです。 ○二つに分かれてしまう日本人の声 この分類を、もう少し他の分野に応用してみますと、 A.アナウンサー、ナレーター、声優、コーラス、合唱団、民謡、 童謡歌手……共通(似ている声)伝達 B.パーソナリティ、落語家、レポーター、ゴスペル、ロック… …異質(違っている声)表現 ポップスのヴォーカリストでも役者と声楽(音大)出身の人は大 きく分かれます。カンツォーネとシャンソンのなかでも違うし、演 歌とニューミュージックのなかでも違う。ジャズや民謡のなかでも 違います。 ジャンル別というよりも、二つの声の違い、古いところでは三橋美 智也と村田英雄の声の違いと考えてください。そこには民謡と浪曲 の違い以上のものがあるのです。これを、内輪(室内)と外野(野 外)の声といっている方もいます。 日本の場合、この二つのパターンそれぞれに代表する声や共通する 声が、どこにもあるようなことがおわかりでしょうか。 ○日本人の声のベースは、役者 そもそも日本人でプロの声をしているというと、誰が思い浮ぶで しょうか。私は、どうしても一時代前の役者の声となるのです。時 代劇俳優やアクションスターによい声の使い手が多かったように 思います。そこでの歌手の声でも、印象に残る人は、独自の音色の あった 1970 年代くらいまででしょうか。 もちろん、アナウンサーや落語家というのもプロの声です。さら に、ミュージカル俳優や歌手も、朗読家、ナレーター、講演家もセ ールスマンも販売員でも、プロとして声を使うといってよいでしょ う。 ただ、そのなかでも、プロとしての声の使い方をしている人が大半 です。それでは、声だけで必ずしもプロと思わせるには足りません。 ○プロは大きな声が必要だった 1 しか登場しない作品でも私は感じるのです。そこでも客演の外国人 の歌の方が、しぜんに思えることが少なくありません。そういえば、 外国人が日本語で歌う歌の方が、高く評価されているケースが多い のではありませんか。 日本人の場合、音程だけを歌っているような歌唱、高い声はひび かせ、スタッカート気味に歌う。いかにも声楽もどき歌い方がその まま表われるのです(誤解がないように言うと、クラシックでなく 声楽もどきです) 。このあたりになると、日本語の弱点の問題も加 わってきます。 ふしぜんに対し、しぜんとは、歌い方や発声の仕方が表立って出 ないものと考えてください。つまり、音程やメロディや発声の技術 などが表立って出てはいないものに対して、ということです。それ は表現やリアリティが欠けているから目立つのだと捉えるべきで す。もともと、表現、個性、構成、展開などを、芝居や歌にもちこ もうとしなかった日本人のドラマツルギーのなさに由来している のかもしれません。 お笑い芸人をみていると、金髪に付け鼻をつけて、外国人になり 切ってコントをすることがあります。へたな芸人は、日本人が合わ ないものをつけているのが目につきます。うまい芸人は、客に日本 人か外国人かも忘れさせ、その芸に魅せられます。そういうことな のです。 歌や声が目立つ(これもよくありませんが)ならともかく、歌い 方や発声が目立つのは、決してよくありません。 ところが日本の舞台では、信じられないことにそれを売りものと し、発声技術っぽいものをわざと披露していることがあります。余 興ならよいのですが、どうもステージがもたないから小手先で拍手 を稼ぐ、売れない芸人のサービス精神のようにみえます。 本場をまねするなら、このような邪道なことをも厳しくカットす べきだと思うのは、私だけでしょうか。 もちろん、本場に追いつけとか、超えろとはいいたくありません。 日本人に、日本で日本人が演じている以上、そこが本場であるべき だからです。 かつては、舞台というのは、今ほど音響がよくありませんでした から、当然、プロになるということは、大きな声、通る声が必要だ ったのです。 そのためにも、生まれもっていながらの楽器である声が大きいこ とが条件でした。 これは共鳴によるので、生まれもってあごが大きい、顔が大きい のは有利だったわけです。それに加えて、声の使い方で大きくする ことが問われたのです。アナウンサーも、歌手もその類にもれませ ん。 そこで歌手の多くは、声楽のレッスンを受けました。声楽家出身の 人がポピュラーの黎明期を築いたのです。 その頃のよい声は、藤山一郎、近江俊郎、淡谷のり子などといえば、 おわかりでしょうか。日本では声楽出身、しかも、日本では一流ど ころの彼らは、むしろ声量を抑えるのに苦労したようです。 (ちな みに、声を大小や長短で調整するのも、日本人らしい感覚です。 ) これは、ポップス、特にカンツォーネやシャンソン歌手などには、 継承されました。 代表的選手は、宝塚歌劇団や岸洋子さんでしょう。今はその感覚は ミュージカルに流れ込んでいます。ただ、これを語る上で、声楽の なかでもみられる日本の特殊性に触れないわけにはいきません。 ○日本の声楽の限界 声楽家のもつ声のイメージというのは、日本では必ずしも的を得 たものではありません。海外の本場の声楽家とは、やや異なるとい ってもよいでしょう。 (最近さらに、しぜんに自分の中心の声を使 うイタリアのベルカントより、先生に教えられるやわらかなドイツ 式リートに傾き、なおさら、迫力のあるドラマチックでなくなって きました。 ) あまり本場のものをみたことのない方は、日本人の弱く美しくや わらかい音色に対し、向こうの迫力にびっくりするかもしれません。 (本書は、声楽の本でないので、これ以上、イタリア、ドイツなど の違いには触れません。ただ一説では、その人の体の中心の声を伸 ばすイタリアと師のコピーを徹底するドイツの違いが触れられて いました。そうであれば、日本の声楽が後者になりがちで、私は前 者の立場をとっています。 ) 私自身のクラシックで学んだ感想では、 「何と本物はしぜんでダイ ナミックなのだろう」でした。ストレートかつことばを言うように して、声がビンビンにひびいています。 本書は、日本人の批判や欧米人の賞賛を旨とするものではありま せん。しかし、こういう入り方をするのは、私の願う、しぜんな歌 い手があまりに日本に少ないからです。 もちろん、イタリア人がイタリア語を使って歌うのはしぜんです。 少なくとも、日本人がイタリア語を学んで欧米人になり切って、歌 うよりも、しぜんなのは言うまでもありません。しかし、ここで述 べるしぜんとは、そのような現実の問題ではなく、リアリティの程 度においてということです。 ○このふしぜんさはどこからくるのか このふしぜんさは、映画の吹き替えやアニメの声優などにもみら れます。子役相手の番組にもあります。NHK のアナウンサーも民放 のアナウンサーもレポーターも、あまりしぜんには思えません。そ う考えると、部下の上司へのおべっか声も、主婦の電話の出るとき や先生と話すときの声まで、嘘くさく聞こえてきます。 それを仕方がないこととみることもできるかもしれません。少な くとも、日本人の声の使い方や話し方にパブリックなものはなかっ たからです。 (それゆえ、逆に音声表現を使わないのが、マナーと されたのかもしれません。 ) まず、日本には会話はありますが、対話はないと、よくいわれてい ます。舞台やTVでは対話が必要です。簡単に言うと、身内では会 話、第三者に伝えるのが対話です。 日本語にはないので、つくらなくてはならなかった。つまり、わざ わざつくるのですから、ふしぜんです。 日本人は、内の人には何も言わなくとも以心伝心です。外の人も、 話をするときには、もう内の人になります。そして、ヨソさまには 話をしません。どこにも対話する必要性がないのです。 外国人はどうしているのか。彼らは身内でも対話をするのです。 対話というのは、持論で論理的に説得して、相手を従わせようとす るものです。コミュニケーションのあり方が全く違うのです。 日本は村長が言うことが絶対、父と長男が絶対、議論の余地はあり ません。長老政治の封建的な身分制度、家族制度が背後にありまし た。そこでは、ものを言わなくても通じたのです。 相手が異なる意見であることが前提の異民族の混合社会を主と する外国では、異なる価値観のコミュニケーションのために対話が ○ミュージカルのふしぜんさ そこで当然、このリアリティへの思いは日本のミュージカルのふ しぜんさに及ぶのです。 いきなり踊り出したり、いきなり歌い出す、このことは日本のミ ュージカルだからではありません。日本は向こうのものを真似てい るのですから。本場とそっくりに真似てやっているのが多いのです から、シミュレーションは驚くほど似ているのです。そこで、ふし ぜんさが目立つのです。 これは、日本人が金髪にしたり、ドレスを着たりすることのふしぜ んさではありません。日本人の作家の書いた日本を舞台に、日本人 2 中心でした。そのため、たとえ兄弟であっても、自分の思うところ を説き、その論によってジャッジする教育がなされていたのです。 つまり、音声表現力として、家庭でも学校でも、教育されていたの です。 なぜなら、舞台といえども、日常の経験上、そこでのテンション の高まった部分のダイジェストにすぎないからです。生活の生の感 情や思いが、発声や歌唱の技術に負けてはなりません。日常の感覚 と舞台が一体化してこそ、真のリアリティが出てくると思うからで す。 つまり、輸入した技術というには、その形に足元をとられないこと が大切なのです。 まずは、自分の述べることばの声の力で語りましょう。それで相手 に伝え、伝わるようにし、相手の心を動かしましょう。それが表現 の基礎です。 これは、今の音響技術のサポートのある歌のようにごまかせません。 まわりにも自分にも、声で、はっきりと伝わる度合いがわかります。 だから、トレーニングになるのです。 ○対話には、強い声が必要 もし自論を一方的にまくしたてるというのなら、お腹から息を出 し、強くメリハリをきかせて言い切っていかなくてはいけません。 一つの自論をそれなりの長さで言い切るまで、聞き手は待ちます。 日本人のように、途中で投げ出しても、相づちや受けをとってくれ ません。おのずと腹式呼吸と胸式をベースとした深い声が中心とな ります。姿勢、発声、呼吸の問題もここから考えたいものです。 少し大きな声で、強く言い切ると角の立ちかねない、大人げのない 日本では、常にあいまいに語尾を濁し、うやむやにします。 しかし、日本人のは見方によれば、言語を介さない腹と腹の高度な コミュニケーションといえるのです。ただし、論をもって説得する 必要がないため、言語能力は磨かれません。必要のないものは、発 展せず、衰えていくのです。 そこには、日本語の特性も、日本の風土、住環境、気質も大きく 影響しているのです。 それゆえ、舞台のためには、外国人が日常レベルで得てきたこと を学ばなくてはなりません。舞台では、対話、説得を必要とするの ですから。 ○モノローグから始めよう 伝わるかどうか、それは第一に、母国の言語でお勧めします。日 本語であるからこそ、日本人にはわかるのです。 発声ということだけでいうのなら、外国語、たとえばイタリア語か ら入るのもよいでしょう。声楽も、人間の声を出す原理に基づいた 一つの理想の方法として使えます。 しかし、表現というのなら、伝わったかどうかの判断は、母語、 つまり、生活に使っていることばで行なうべきでしょう。 もちろん、この判断は、ことばのない感嘆詞、悲鳴、怒声などにも、 また音楽的演奏力、声を楽器として捉えたときのノンバーバルな伝 達力でも、できなくはありません。 しかし、ともに状況において、ごまかしが効きやすいのです。です から、マイクなど、音響技術の補助も除きましょう。 この前、ある有名な劇団の群読を聞いて、その声の力のなさに、情 けなくなりました。基礎を学ぶのなら、沈黙な空間でのモノローグ にベースをもってきた方がよいのです。そこに台本一つで、声一つ で表現を生じさせる。そこで感じては修正して磨いていくべきなの です。声の力とともに、それを判断し修正できる力をつけるのです。 ○日本語の音声力の弱点 となると、彼らが日常で生活しているなかでやっていることが、 日本人にとっては演劇の養成所にいるものだとみてもよいでしょ う。 私は、 「二十歳で外国人は 20 年のヴォイストレーニングをやって きている」と述べました。それに加えて表情トレーニング、ボディ ランゲージもやっています。聴音トレーニング、発声、発音、調音 トレーニングもやっています。 日本人でも難しい日本語習得において、それをやってきたと思わ れるかもしれません。しかし、日本語は読み書きは難しいのですが、 音声は幼稚園に入るまえに両親などから教えてもらったキリでは ありませんか。 中学校で英語を学ぶまでは、よほど方言の強い地域でなくては、 日本語(共通語)の発音練習などやっていないはずです。 だいたい母音もアイウエオの5つが言い分けられたらよいので すから、アだけでいくつもの発音のある国と比べても仕方ありませ ん。認識している音の数が 100 くらいしかない日本と、何千もある 国とは、耳の力も発声の調音能力も著しく違っていて、あたりまえ でしょう。 学ぶといっても、母音「ア」の出し方ひとつ、日本では明確に決 まっていないのです。そこでそれぞれにバラバラ、いい加減に使っ てきた結果が、日本人の音声表現力の弱さになっているのです。 聞き取ったものを、声を整え、発声する。そのことによって、耳と 共に内部の感覚から発声発音調整器官は磨かれ、鍛えられてくるの です。しかもそのチェックは、相手によってなされるのですが、そ の相手が不在です。本来は、両親や教師がよきボイストレーナーと もいえるのです。 ○状況という設定をはずす 本書はトレーニングのための本です。ですから、トレーニングと して効果の上がる考え方を優先しています。 私は、体から息、息から声ということを考えますが、そのまえに、 舞台で必要な声、それを支える息、それを支える体とも考えてもら いたいと思っています。つまり、アウトプットする必要に応じて、 技術を磨くべきであり、そのためにあるのがトレーニングです。 舞台から考えると、そこでギリギリ通じたら OK ということ、つま り、最低ラインへ応用することが主になりかねません。 トレーニングとして考えるのであれば、私は、少なくとも最悪の 状況において、そのギリギリに耐えうるものでありたいと思ってい ます。 それゆえ、舞台からはずして、独自にもっぱら鍛えることに目的 をおきます。最低レベルをあげるため、目的レベルは最高に高めた いと考えます。そうでないと、トレーニングの目的そのものもあい まいになるからです。 監督演出家、作品、舞台というものから、必要なものを優先順に 考えると、声というのは必ずしも大きなものでなくなることもあり ます。ビジュアル系やダンサブルなバンドにおいては、ヴォイスト レーニングの重要度は、声での表現力がすべてという歌い手よりも ずっと比率が下がることになります。 ○日常の言語力を鍛えよ ですから、私は声楽家であれ、声優、ナレーター、アナウンサー であれ、発音や歌唱トレーニングのまえに徹底して言語対話能力を つけるように強くお勧めしています。できたらパフォーマンス能力、 ボディランゲージなども必修です。 声はみえません。音声です。ですから、聞こえないところでは働 きません。必要ありません。ですから、私はヴォイストレーニング 3 でパントマイムの役者を引き受けたことはありません(あればおも しろいし、意味もあると思うのですが……) 。 私は、トレーナーとしては、音の世界の中だけで厳しく声の世界を 判断します。 ミュージカルや演劇関係者からみると「舞台を歌だけ、まして CD で判断されてもなあ」ということになるかもしれません。声は、役 どころと状況のなかで使われるからです。 日本の観客のように目にみせる方が、声や音で変化させるよりも、 ビビッドに反応するなら、演出家としては(仮に私がそうであった としても) 、声よりもビジュアルの効果をとるでしょう。 事実そのようにしたからこそ、ミュージカルでもダンスのレベル向 上に対して、声はおき忘れられてしまったのです。 ださい。伝えようとしてトレーニングしているうちに、伝わるよう になってくるというのが理想かもしれません。 とはいえ、大きく声が出るのは、楽器としての物理的特性からみ ると、出ないよりもずっとよいことなので、トレーニングの目的の 一つになります。 ○先生を見本にする 日本では先生を見本に真似していきます。それゆえ、その先生を 越せない。先生というのも、日本では先に生まれてやったというの に過ぎないことが多いのです。特に、海外へ習えの時代の日本では、 先に向こうに行って取り入れた人が、リーダーになります。 そういう人がやるべきことは模範でなく、踏み石であるべきです。 私などは、その役割としてやってきたつもりです。 ところが、それを勝手にまつりあげ模範にしてしまう。そして自分 たちがそれを越せなければ、それは間違っているとこき下ろす。習 うという依存から始めるのは、声に関しては、注意しなくてはなら ないところです。 トレーナーはそもそも自分の表現のためのサポーターにすぎませ ん。その能力、才能を自らが使い切ろうとして、レッスンにのぞま なくては何ともならないのです。 日本の家元制は、こういう日本人に、長くいるということでの地位 と、秩序と集金手段を得るために便利なものでした。いわば既得権 の継承方式です。師匠のまわりに集まり、裸の王様化現象がはじま るのです。そして、そういう分野はやがて衰退していきます。 ○日本人の耳の力のなさ バレエやダンスで世界のトップクラスにいくという奇跡的な偉 業を何人もが成しながら、声や歌では、いまだプロといっても恥ず かしいくらい世界のレベルにおいていかれているのはなぜでしょ う。音響装置の発達で、かなりつくりこめるようにもなったことも あります。しかし、客にも原因はあります。 日本が声の弱小国であるのは、客の(耳の)レベルをあげなくては、 芸も育たないという一つの例ですが、アーティストがそんなことを 言っては終りです。客が納得するレベルでなく、感動するレベルで やる、少なくとも、それをめざすべきなのですから。 (ところが、 日本のあまりに優秀な技術陣は、それをカラオケ機器というもので 表向きに解決させてしまったのです。舞台やレコーディングで使わ れる、世界でも最強の音響技術が、誰のどんな声をもフォローして くれます。 ) だからこそ、ヴォイストレーニングは、状況は踏まえつつ、独自 に一本、日本の今の舞台で問われるよりも、はるかに高いレベル(ブ ロードウェイ、グラミー賞)を念頭にやるべきなのです。 そのように高く目標を掲げないと、歌や声というのは、逆に迷っ てしまうからです。 今のあなたでも、みせ方やつくり込みでは、プロの声や歌にみせる ことはたやすいことだからです。この技術(音響、照明、装飾)の 発達こそが、声の地力をも奪ったといえるのです(へたな人ほど、 ましに聞こえるカラオケを考えてください) 。 体や息や声を徹底してやるのは、パワフルで耐久力のある声が直 接的な目的ですが、実は真の目的は、すぐれたアートを生むのに、 ハイレベルの繊細でていねいに、声を完璧に扱える技術を身につけ ることが必要だからです。そうでなければ、腹式呼吸も、発声トレ ーニングも不要。詩と曲を作れば、誰でもすぐに歌えるのですから。 声については、一人ひとり楽器が違います。生まれもって違うし、 育ちも違います。さらに表現したいことも違うはずです。 先生といわれるトレーナーは叩き台や参考になっても、自分が目 的としてあるものではないと考えてください。 トップスターをまねる方法は、あるレベルまで育てるには早いやり 方ですが、よほどまわりが気をつけてあげないと、もっとも大切な ものを落としてしまいます。それでは、若きアーティストの芽を抜 いてしまいかねません。その繰り返しが、音大ほか、至るところで 行なわれてきました。 舞台も同じです。もっとも欲しい固定客を得たところから、こんど はそういう客の固定した評価でしかみられなくなります。客を質よ りも数で評価する日本では、やはりバラエティ化するのです。 (ア メリカもその傾向はありますが、そこでは徹底した実力主義、個人 主義、スタッフやプロデューサーのレベルの高さが、それを救って います) どこかに正解があると、自分で創造せず、トレーナーめぐりをし ている人もあとを絶ちません。 ○音響技術に埋もれた声 ○それぞれの発声法について とはいえ、大きな声が第一条件として必要だった役者などに、音 響技術は、他の可能性を与えてくれました。 つまり、大きな声が出なくてもよい。トレーニングで大きな声に しなくても、よいということです。 声は届かないと、伝えられません。どんなに声がよくて味があっ ても、舞台では、届くことが第一条件だったのです。 大きな声というのは、誤解されやすい表現です。必ずしも大きな声 が遠くまで聞こえるわけではないからです。 ですから、私は、通る声を目的にしています。つまり、ヴォイスト レーニングを通じて、得るものは通る声であるということです。こ れもまた、どんなに弱く小さくとも、大きなイメージ、表現力を使 ったコントロールされた声というハイレベルな技術には、違いあり ません。 もちろん、そこには伝える声、そして伝わる声というのを含んでく 日本では、ジャンルごとに何かしら、それっぽい発声の仕方、歌 い方があります。スターをまねるのは仕方ないのですが、スターの 歌い方は、まねた時点で失敗です。まねられるところが、そもそも 嘘だからです。 しかし、マイク、エコーがつくと、その方がうまくみえて受けが よいので、多くの人、特に器用で優秀な人ほど、技術とごまかしと を勘違いしてしまいます。また、それで、この国ではプロになれる からです。 演歌やシャンソン、ゴスペルも、演歌らしい歌い方、シャンソン らしい歌い方、ゴスペルらしい歌い方、ほかのものもみんな、○○ らしいが出て、パワーが落ちました。ロックも同じです。 まねはすぐに飽きられるのです。そもそも歌にジャンルが出てくる ことがおかしいのです。真似るのは盗むためで、感覚を大きく読み 込まなくてはいけないのです。 4 が大半なのでしょうか。となると、努力など報われないのでしょう か。 歌手と役者は、少し違います。役者というのは、日常の生活を普 通にして生きてきたら、それをすぐれた演出家や監督が配役し、演 技指導しますから、何か一つ取り柄があれば、何とかならなくもあ りません。クラスでもてる子や変わった子がいるのを全国基準でみ ればよいのです。つまり、1クラス 30 人のうちの1人を 30 分の1 として、3万分の1くらいにすれば適役の子もいます。 役もいろいろとあります。十六歳の子を演じるのは、四十歳のベ テラン女優よりも、十六歳の高校生の方がふさわしいでしょう。も ちろんミュージカルやオペラでは、優先されるものが違ってきます から、必ずしもそうはいえませんが。 養成所で基本を学んで合格する子もいますが、ずぶの素人でもい ます。たとえば、ミスコンテストのチャンピオンやレースクイーン でも、何かしら華があれば演技は現場で直せなくもないのです。 素材というのは、表情、ルックス、個性、存在感などとともに、問 われます。現場での柔軟性や対応能力、つまり可能性をみるのがオ ーディションです。 選ばれるには、その人なりに、小さい頃から役者にふさわしい感性 をもって生きている子が多いのも確かです。人一倍、目をひく美少 女に生まれて十六年生きてきたら、それは見られること、演じるこ とに慣れているでしょう。養成所に 1,2 年いる人よりも、修業して いるともいえます。 現在では、歌手もまた、ある面では役者と同じく、ずぶの素人で もまわりをプロが固めたら、やれないことはありません。プロデュ ーサーがいて、プロの作詞作曲家が曲を提供して、歌と振付を丸暗 記すればよいのです。アイドル歌手などは、今はタレントや役者と 変わりません。どちらに先に出るのかというくらいです。 (最近は 歌手より映画やドラマに先に出すようです。 )二世、二代目の全盛 時代というのも、そんな理由からです。クリエイティビティにおい ては、プロデューサーやアレンジャーの時代なのでしょう。 しかし本来、歌手はミュージシャンですから、付け焼き刃はきか ないものです。音楽というのは、再現芸術ですから、それなりのも のを入れていないと出てこないものなのです。 ですから、シンガーソングライターの歌手となると、自ら、幼い 頃から作詞や作曲をやり、楽器に親しんできた人が多いといえます。 その上で、ルックスやキャラクターも問われます。バンドについて は、サウンドと打ち出し方(キャラクターも)ですが、ここでは省 略します。 しかし一時のように、歌をやるために音大にいったり、作曲家に 弟子入りすることは、少なくなりつつあるのも、そういう流れだか らといえます。 それにしても、本来アーティストとして不可欠な、オリジナリテ ィとクリエイティビティが果たして、日本での歌唱において、どの くらい問われてきたのか、それを体現しえた歌い手は、本当にわず かだったのではないかと思います。 ○クラシックとは、オリジナルの体の使い方 それでも、声楽はやはり違うと思われます。クラシック特有の高 い声や大きく太い声、ひびく声が出るのは、確かに声楽をやらない と身につきにくいでしょうから。ただ、残念なことに、日本人では 声が演奏に使えていない、演奏と別のところでまわっていることが 少なくないのです。それがしっかり一致していないのが、残念です が、現状でしょう。 私の考えるクラシックは、声楽そのものではなく、人間の体から 声だけを考えて、もっともうまく使えるようにしたもの、その人の 体を楽器として音声を奏でたときの使い方というものです。ですか ら、これは、声楽に限ったことではなく、あらゆる歌や声のベース と考えています。 すると、クラシックとポップスは、歌い方が違うのかという、よ くある問いにもはっきりお答えできます。違うとか同じというにも、 そもそもどのくらいのことを違うのが同じとはどこまでかさえ、は っきりしないのに、言えることではありませんね。 日本人は、正誤問題が好きで、白黒をつけたがります。世の中の ほとんどのことはグレーゾーン、程度問題なのです。このことを、 アートをやっていく人は、まず叩き込んでおいて欲しいものです。 本書で説くヴォイストレーニングは、声楽でなく、ここでいう意味 でのクラシックなのです。ここから出力の仕方によって、オペラ(声 楽というとややこしいから)でも演歌でもロックでもポップスでも 応用できる、そういう基礎のことです。 たとえていうと、クラシックバレエの基礎レッスンは、どういうダ ンスにも有効だということです。バレリーナは、すぐにはラップを 踊れないかもしれません。しかし、同時にラップを習い始めたとし たら、誰よりも有利な体と感覚をもっている、それを私はプロの体 とよびます。同じような意味で、プロの声というものがあり、プロ の体があるということです。それを認めるところから、スタートし ています。 ですから、どんな声でも、心を込めて使えば通じるというトレーナ ーとは、やや立場を異にします。そういう人が、まれに伝える表現 をすることが起きるのは、認めます。しかし、私が求めるのは、百 発百中。そして、百回に一回ほどは魔法か奇跡が、声によってもた らされることです。 ○イメージに伴う体と声 この基礎となる声は、イメージにそって丁寧に繊細に扱える声と いうことになります。その条件として、体でコントロールできてい ることになります。動かない体は最初は邪魔しますが、やがて動く ようになると、声を支えます。この辺は他の分野と全く同じです。 器を大きくするためにトレーニングがあるのです。 腹式呼吸、発声、レガート、調音などは、その支えとしてあります。 まして、発音、ビブラート、声域、声量、ミックスヴォイスなどは、 その応用、もしくは派生したところにあるのです。このトレーニン グにおける位置づけを、忘れないでください。 ○肩書きをつけたその日からなれるけど 歌手と役者の芸に資格はいりません。いや、ありません。肩書を つけたら、その日からなれます。エッセイストや漫画家と同じです ね。 ですから、どこに出ているの(ステージ) 、何を出したの(CD) などで評価するしかありません。アマチュアとプロの明確な区切り もありません。CD を出したり、ライブに出たからといっても、生 計をそれで生涯、立てられている人は、わずかでしょう。 事務所に所属して、給料をもらっていたら一応プロといえます。 実力世界だけに稼ぎの差は他の比ではありません。一人で千人分く らい稼ぐ人もいます。知名度というか、人に知られることで成り立 つ職業です。 ○演技と歌唱 プロになるのには、どんな分野でも、苦節十年、それで世の中に 出られたら、まして食べることができたら早い方かもしれません。 しかし、歌手と役者には、10 代で(あるいはそれ以下、子役など) 、 トップの役を射止める人もいます。 そういう人は、オーディションで受かったとはいえ、それほどの トレーニングをしていたのでしょうか。昨日までのクラスメイトが いきなりデビュー、実力というのは問われないのでしょうか。素質 5 つまり、誰でもいつでもなれるものだから、そうなるのも、それ を続けていくのも、大変なことだと言いたいのです。 そして、私たちがプロと認めるのは、最低でも十五年、二十年と 続けられた人のことです。 そこにヴォイストレーニングの必要性があるといえるのです。 逆に、ポップスのソロは一人ですべてを決めていきます。何をど のように歌ってもよいから、まさに自分の判断ですべてが決まって いくのです(もちろん事務所に属したら、その方針もあるでしょう が) 。 この声や歌唱の基準のない感情移入だけでファンがつくという 適当さ加減が、声や歌のレベルをとてもあいまいにしてしまった気 もします。もちろん、売れていて作品のレベルも高い人には、何も いいません。人によって声の重要性も違うからです。 声が出せるなら、誰でも歌えるのです。レベルを問わなければ誰 でもデビューできる。だからこそ、売れること=プロとなるのが難 しくなりつつあるのです。そこで確かな差をつけるものとして、ヴ ォイストレーニングがあるともいえるのです。 つまり、上達するには、それぞれに専門の教育はあるのですが、そ れが何かということも考えて欲しいのです。 人間として普通に生きてきたら、語り演じ、歌ってきたのだから、 誰でもできるということです。それ以上のものとして、何があなた に望めるかということなのです。 役者や歌手という職業の魅力もそこに関係してきます。いつでも どこにあったことでも何であっても、すべて自分の芸に使えること です。もちろん、他の職でもそうですが、この2つはかなりストレ ートに個人の人生経験、体験が反映します。 だからこそ、確かなものを求める人に、ヴォイストレーニングの 専門レッスンとして本書に述べてみたのです。 ○どう関わるのか 知っておいてもらいたいのは、声や歌のように、誰でもそこです ぐにできることにおいて、トレーニングを行なう意味とは何であろ うかということです。すでにいくつか述べましたが、そこを間違っ ては欲しくないのです。 ど素人でも、歌も演技もできる役者も歌手も名乗れるとしたら、 いったい何を鍛えるのでしょうか。 ヴォイストレーニングは声をトレーニングするのですが、将来の 自分にどのように関わるのかということ、これが大切なポイントで す。というのは、こんな大切なことを押さえずにトレーニングに励 んでいる人が大半だからです。 ○ヴォイストレーニングの目的 今の声で、役者も歌手もできる、もうそこにいるというなら、全 力を投じてください。しかしまだ職を手にしていないとしたら、あ るいはプロだがこのままでよいと思わないとしたら、あなたにとっ てのヴォイストレーニングの必要性を考えてみてください。 ヴォイストレーニングの第一の目的は、応用力を高めるというこ とです。つまり、声についていろんなことを知り、これまでできな かったことにもう応用してこなせるようにしていこうということ です。これで芸域が拡がります。また難しいこともやさしくできる ようになります。そのために確実な再現力がいります。このことを 基本の習得といいます。 第二は、攻めのための、守り方です。声の調子が悪くても、芸や 歌が荒れないように納められる力をつけます。どんなに不調でも、 声が出せる、また声が使えるようにしていきます。つまり、耐久力 です。 プロが素人以下にみられたら終りです。しかし、生で体で勝負す る世界では、やり直しは効きません。タフに再現できる力、つまり 基礎力がなくてはとても努まりません。 第三は、長期にわたってやり続けられるようにすること。そのた めには常にあなたへの期待にこたえるのは当然そこで終わらず、期 待されるステージ以上のものを出せる力をもつことです。声の管理 力、コントロール力をもつといってよいでしょう。 確かにヴォイストレーニングには、声を大きくする、声域を拡げ る、ビブラートがかかるようにする、音程をよくする、歌をうまく する……など、いろいろと目的として掲げられています。 しかし私は、もっとも大切なこととして、声をイメージ通りに繊 細に丁寧に扱えるようにする、そのための器づくりという、具体的 な目的を加えておきたいのです。 ○オンリーワンをめざす 誰でもできるもので抜きんでるのは、誰もができないレベルでや るか、誰でもができるレベルで工夫するかです。 それは、未知の分野のトップランナーになるか、これまであるにあ る分野のトップをとるかですね。 ですから、ここでは両方のタイプを考えます。 役者なら、つぶしが効きます。これも基本として役者の発声をす る、つまり、自分の持ち役をみつければよいのです。 多くの役があるからこそ、自分の役もあります。つまり、多くの 人が多くの役柄をめざす世界では、オンリーワンを磨いていけばよ いのです。 ところが歌は、ヴォーカリストであれば、そのオンリーワンはベ ストワン、あるいはトップワンに等しいのです。ヴォーカリストも 日本では、役者やタレントに転身する人の方が多いようです。 ギャラになる仕事も、役者の方に多い。ヴォーカルが稼げるのは、 作詞作曲、印税がほとんどです。 もちろん売れないのが役者稼業といわれるほど、役者もきついの が現状ですが。 とにかく、これまでのヴォーカルは、若いのが条件、年をとって 残りたければ役者、というのが定番のようでした。年をとった人に しかできない役も役者にはありますから。しかし、生涯、歌手だっ た人もたくさんいます。年をとればまた、その年なりの歌があるも のだからです。 ○ポップスとミュージカル ミュージカルには、ポップスの要素がたくさん入っています。ま たオペラに近いものもあります。ポップスがソロで、あるいはバン ドを中心で少ない人数を単位としているのに対し、ミュージカルは 原則的には演劇と同じく、多くの人数で(出演もスタッフ) 、くみ あげていきます(演劇も一人芝居、二人芝居とありますが……) 。 演出家が作品の指揮をとるので、あまりわがままは許されません。 求められることも、そのレベルも、だいたい決まっています。そ れ以上のことをやれないと、よい役につけません。現場でキャリア を重ねるうちに、応用力はついていきます。しかし、それが基礎力 に降りてこないところが、日本人の難しいところです。それゆえ、 ○ビギナーラック 若いときにポッと出て売れた歌手は、そのあとどうやればよいの かわかっていません。役者はまわりから教えられて考えていきます。 私の知る範囲内で、ヒットしたり、賞をとれた人のビギナーラッ クについて言及します。 それが人生においてよかったのかどうかは、死んでもわからないも のですから、一つの考え方として、です。 若くして名が売れるのは、この世界では、メリットが大きいもので 6 す。一発屋でもよい、当たれば大きいのですから、この世界は半分、 運です。しかし、それをキープするために、絶え間ない努力と、本 当に培われた実力が必要となるのです。 ヴォーカルの場合は、まさにビギナーラック、歌が輝くのは努力+ αというより、αが大きいです。だから若くして素材のよさを磨く ことに、どうしても力が入るのです。 かつては、歌手も役者に比較的近かったといえます。苦節十何年 でデビューの演歌や民謡、それでも十代からやっていますから、三 十歳くらいでほぼ勝負はついています。 発声に関しても、ビギナーラックはあります。役者にもあります。 しぜんに演じていたのが一番よかったというケースは少なくあ りません。子役などで活躍して後で伸びないパターンは、そうです ね。 しかし、今の芸能界はコネクション化してきています。何とかフ ァミリーとか、芸を磨くことよりも、人とつながることで、地位や 仕事を守っています。制作側も、人材の発掘や育てることよりも、 手早く、有名人の二世、三世を使うようになりました。 演劇でさえ、芸の力より有名タレントを主役にそえるようになり ました。本当は、映画、ドラマのように編集がきかない演劇では、 特に声の力が大きく問われるものだったのですが。 選ばれたんだから、そういう人は器用で勘はよい。でも本当は、そ れだけでできているとはいえません。 もはや、芸術はバラエティ化しつつあります。それなら、お笑い 芸人が強くなり、あらゆる分野に進出するのはあたりまえです。 の方がクリエイティブで奥深いし、大人としてやっていけるし、何 よりもお金になります。 それは同時にヴォーカリストとしてのレベルアップをめざせな くなることからもきています。 本人の限界だけではありません。歌唱としての才能やオリジナリテ ィを高く評価しない日本においては、大ヒット曲や知名度なくして は、なかなか続けるのは、難しくなっているのです。 ○クリエイティビティとオリジナリティ ヴォーカリスト、ミュージシャンは、アーティストです。即ち、 その作品のレベルによって評価されるべき類のものです。ところが 日本においては、歌唱においての実力とランキングは別です。 もちろん、ヒット曲というのは、どこの国でも、歌のうまい順、声 のよい順ではありません。曲や詞やアレンジのよさも多くを占めま す。時流に乗れるかということもあります。 日本でもアーティストとよばれるヴォーカリストは、作詞作曲に加 えて、オリジナルな歌唱力をもって評価されているのも確かです。 しかし、それがどのくらいかというと、クリエイティビティ、オ リジナリティにおいて、感動させるレベルにはなかなか至っていな いのです。見せ方においてはプロでも、歌唱力のメッキは、よりす ぐれたアーティストが隣にきたら、はがれてしまいます。 ○装置としての日本のヴォーカルとバンド ○お笑い芸人の強さ 日本のアイドルのような歌のレベルの低さは、やはり相当重症と いえます。それでも歌を使えば、人は集まり、CDは売れ、儲けら れます。以前ほどでなくなったため、今や音楽プロダクションは、 歌手よりも芸人の獲得に力を入れています。 声の力そのものを鍛えなくとも、音は創り込めるようになりました。 つまり、美人しか主演女優になれなかった時代からメーキャップで 創り込めば、そのようにみせられるようになって、いろんな女優が 出てきたのと似ています。 今の日本では、声も作りこめるのです。しかし、そんなことをし ていたら、ファンがいなくなり、CDが売れず、業界が低迷するの は当たり前でしょう。ここのところ、全く歌番組はなくなり、歌手 がTVに出ても歌わないことが多くなりました。これは、大変なこ となのですが・・・。 彼らには、ビギナーラックはあまりないからです。もちろん、若 くしてもてまくるのと同じく、若くて受けまくることもあります。 しかし、アイドル系は、あまりいません。笑いというのは、ともか くも難しい芸だからです。タイミング、勘、流れや空気を読む力、 ことばの力など、多くの総合的な力が要ります。 実力派であっても、波がひいたように受けなくなる時期がきます。 今は売れると早々に、TVで司会やゲストとして、本来の本業以外 に進んでしまうのです。そして、すぐに芸が荒れてしまうのは、残 念なことです。 日本の会社で管理職になって、現場にいられなくなるのと似てい ます。その方が安定して、場を得られて収入になります。人を知ら れてなんぼですから、やむをえません。TV中心の時代の弊害の一 つでしょう。 そのうちライブをあまり、やらなくなります。日本のショービジ ネス、エンターティメントのセミプロ化です。落語界の凋落も、こ のあたりにあるのかもしれません。 しかし、誰でもTVで顔を売って宣伝しないと客がこなくなったの ですから、仕方ありません。 ○ミュージカルの歌と声 さらに、これをもっともよく表わすのが日本のオペラ、ミュージ カルなどです。あのリアリティ、生活感、役者の個性のなさは、高 校生の合唱団や文化祭の出しものにも比べられかねません。どうも 翻訳劇に過ぎないように思うのです。 もちろん演出や舞台技術によって、ストーリーは動きます。しか し本当は、ストーリーをみせるのでなく(それは小説で充分です) 、 それを感じさせない役者や歌い手の芸でドラマを披露するもので はないでしょうか。 私はよく、ビジュアルや装置に金をかけて、プロの舞台なのに、 これだけ平坦にドラマを生じさせず、演出できるものだとあきれる ことがあります。歌い手や役者もよくそれに耐えられるなと。私に は、まだまだ違和感があるのです。 もちろんプロですから、魅せる技術はあります。歌として聞かせ る歌唱力はあります。音を正しくとる、音感やリズム感、発声の力 はあります。しかし、それがあるとみえることが、そもそも内容の、 リアリティの空虚なことを物語っているような気がしてならない のです。 ○才能と発揮の場 ヴォーカルにしても同じです。十代ではキャーキャーさわいでい たファンは、乗り換えていきます。他のアーティストならともかく、 日本では、ロックや好きだった音楽からも離れていく客が多いので す。 つまり、それは単にイベントだったから来ていただけで、本当に 大切なものでなかったともいえます。 CD が売れず、携帯電話やパソコンにお金がいくのも、これまで お金や時間の使い道がなかったから音楽に使っていたといえなく もないのです。 つまり、元々、どちらも、たいしたものでなかった。 そこで、ヴォーカリストもまた、生き残るために、作詞家、作曲 家、あるいはプロデューサーとして才能を発揮しようとします。そ 一つの声に心揺さぶられ、二つの声が重なると、目頭が熱くなる。 7 私は幾度となく、海外のミュージカルでそのような体験をしてき ました。外国人は、声でその音で、つまり音声の力というものを私 に伝えてくれました。 日本でも、たまに涙腺がゆるむことがありますが、それはストー リーや脚本の力であることがほとんどなのです。 あとは、ここまで練習したのかとか、ここまでサービスするのか という一所懸命さや努力に心をほだされることでしょうか。人間の 情熱や私情での感情移入に頼るのは、芸ではありません。 これは厳しくみると、お祭りと同じです。気分は排除して、純粋に 作品として、私の立場では声の力として判断してみたいとなると、 やはり感動とはほど遠いレベルなのです。 第一の原因は、声がない、第二に音楽がない、第三にその人がいな い、厳しくいうと、成立していないのです。 ここで少し話を戻して、現実とリアリティについて話しましょう。 60 歳の男の役者が、20 歳の美女を演じる。客はその清純な乙女心 に心を打たれるとします。現実は 60 歳の男、リアリティは 20 歳の 女性にあります。そういう服を着ているからではありません。つま り、私たちはそこでの心を読んでいるのです。役者の感性が 20 歳 の女性以上に、20 歳の女性の感性になったときにそうみえるので す。 これは歌舞伎の女形や美輪明宏さんでも思い浮かべてください。 たとえば、大男の美輪さんは、外国人の小柄な女ピアフ(シャンソ ンの女王)になりきってしまうのです。若い男と恋をして、別れて 悲しむ。 それは、メーキャップや衣裳ではなく、演じる力なのです。嘘だけ ど現実に本物以上に迫って、客の涙をさそうのです。 声優で男の子の吹き替えは、二、三十代の女性がやります。なぜ、 同じ年ごろの男の子がやらないのかというと、なかなか演じられな いからです。 日常のしぜんなまま、それをそのまま切りとったからといっても、 芸になりません。 ドキュメンタリーでもニュースでも、意図をもって編集されていま す。まして、フィクションは、ドラマ化しなくては成立しません。 一言でなく、客は、現実でなく現実離れしたところ、もしくは現実 の編集された姿をみにくるのです。 ○歌詞の背景やストーリーが中心の日本の歌唱 それはまた、声の力、リズムグループ、演奏力でなく、歌詞のイ メージとメロディで支えられてきた日本の歌謡曲、ニューミュージ ック、Jポップスの流れと基調を同じにします。 シャンソン、カンツォーネからジャズまで、そのようにしてしまう。 日本人らしく、パワーを去勢する。そこに日本の集団主義的な恐さ を感じてしまいます。 ○イベントとしてのステージから、本物のライブに ○編集力 私がなぜこのような状況を悲観的のように述べるのかというと、 何も日本の舞台を否定したいわけではないのです。 今、そこの第一線でやれている人は、優秀です。そして、多くの人 は、才能があり、努力もしてきています。 そういう人は、私の言うことをどのように判断してくださっても 結構です。 しかし、これからやる人に、今の現状を伝え、才能があり、努力し た人のやれているレベルを、きちんと突きつけ、そのはるか上をめ ざして欲しいと思うからです。 もっというなら、その中でみてしまったら、そういう人たちに、 かないません。 何ごとも創りあげていく人たちのみえない努力は、それにのっか かり、早く場を得た人の数倍、その地力の差があとで働き、効いて きます。 だから、日本の多くのパターン、海外から直にそのパワーをあび て輸入して広めた人のレベルから、そのインパクトやパワーに二代、 三代続くうちに劣るようになってしまうのです。プロレベルが一般 化していくといえます。その結果、そのジャンルの成立とともに、 空虚化が起きるのは、日本ではあまりに多く見られる例です。 これが映画監督、演出家、プロデューサー、そしてあるレベル以 上の役者、タレント、歌手の才能でもあります。 時間と空間をばらして、新たにどのように再構成するのかという 技術ともいえます。 つまり、創造されたものは、90 分間で人の一生も、100 年、200 年も入れることができるのです。世界中のどこの国も、いや宇宙の 果てまでも、もってくることができるのです。 これは、歌い手の世界でも同じです。詩人や小説も同じです。そこ は、無法地帯であります。表記の自由の範囲内では、罰せられませ ん(これについては省略します) 。 ○声のリアリティ イベントとしてのステージとは、一度見たらスッキリして、疲れて 帰り、また何ヶ月かたってその人に会いたくなる。私のいうライブ は、ずっとそこにいたくて、帰りたくなくなって、眠れなくて、パ ワーをもらい、次の日にも行動的になり、また多くの人を連れて行 って、毎日見たくなるというものです。 そしたら、声のリアリティはどうなるのかということです。 役者が何役も分けるように、女形が頬に綿を含んで声色をかえるよ うに、落語家が5人の人物を演じ分けるように声も多彩に使い分け ることができます。七つくらいの声を使い分ける声優もいます。 しかしここでは、使い分けは応用と考えてみてください。すると、 声の問題がかなりシンプルになるからです。使い分けというのは、 声の大きさ、強さ→声量(声色) 声の音色の変化→音色 声の高さ(低さ)→声域 声の長さ→持続、時間 声の発音、ことば、アクセント、イマジネーションなど そこには、新しいものをみたがらない客、パワーインパクトを求め ない客の、自立したクリエイティビティのなさが横たわっています。 ただ、客のせいにしても、しかたありません。よいレベルの高い深 い世界を創りあげ示し、客を創造的にするのは、アーティストの役 割だからです。 つまり、才能のある日本の先駆者の経験を踏まえて、より上にい くためにトレーニングがあるのです。 そもそも、自分の規準となる声は、何かというところに行き着く わけです。 これが日常話している声というなら、話は簡単です。しかし必ず しもそうでないというよりも、そうでない人がほとんどというのが、 この日本、私たち日本人なのです。 そこでヴォイストレーニングが必要なのに、それがなされていな い、その結果どうなっているのかということです。 ○現実の嘘、リアリティの力 ○すぐにのどを痛める日本人に、外国人並みの声の強さを求める 8 いや、生まれてくるときは、それだけで感動です。人間が創造され た、ありのまま、そのまま素直な世界、しぜん、宇宙レベルの驚き だからです。 そういう子供でも意図的に何かをやると、ぶち壊しになります。 無邪気に遊んでいるときの声は、ストレートに心に届きます。なの に、本を読んだり、発表会での声は、いきなりよそよそしく、何ら 伝わらなくなります。演劇部やアナウンス部になると、さらにしら じらしさを増します。これはどうしてでしょうか。 選挙、応援、エアロビクス、インストラクターで声を痛める人が たくさんいらっしゃいます。カラオケ一晩でガラガラ声。本当に日 本人は声が弱いのですね。それに使い方と今の程度を知らないとい うことです。そこからスタートしましょう。 ○人生で演じる まず、映画や舞台に人生があるのでなく、人生は人生としてあり、 その一部が舞台なのだということを前提にしましょう。 つまり、役者の感性を日常にもつこと、それがかなえば、日常的 に舞台をやれるのです。しかし、一般の人には、そのテンションや 緊張に耐え、しぜんにふるまう、あるいは演じることは、大きなプ レッシャーです。 そこでトレーニングが必要となります。ということは、このトレ ーニングは、一面で外国人とやっていくこと、外国で暮らす面をも つからです。 日本人のオペラ歌手は、必ず現地へ留学し、現地の母語で生活し ます。日本語を、日本の生活を一時忘れることだけで、ずいぶんと 声が深く、楽に大きく出せるようになるのです。 ○演じないこと 悲しいと演じることが、悲しいと伝わらず、演じていると伝わる からです。 演じなくては悲しくないから伝わらないのに、どうすればよいの でしょう。一つは、悲しい気持ちにとことんなること、感情に同化 することです。そのものになりきる、それは「ガラスの仮面」のマ ヤですね。彼女のすぐれているのは、なろうとするまえに、なりき っていることです。そんなことはまともな人間ではできません。 それでは社会的に生きていけないし、役もはずれがちです。 もう一つは、演じないことです。そうみえる、そうなるまで、そ の状態を突き放しておくのです。つまり、演技や技術の放棄です。 一般的に演技術や発声法、ヴォイストレーニングなどは、そのため に踏む型として使われます。守破離の離のための守としてあるので す。 演技や声、これは使わざるをえない。しかし使うと、使ったと思わ れる、みえてしまう。だから忘れるのです。 これを体に入れるといいます。頭から追い出しても、体が覚えてい るのです。それを信じてください。 ところが、あるレベルまでいかないと、守のまま、あるいは守の次 の破のまま、ひどいときは守がなくて破のままに出てしまいます。 すると先に述べた、ジャンルというのが、もろに出てしまうので す。 私としては、守よりも破から入って、守を知ると、離れやすいと 思うのです。この破こそ、自分のやりたいイメージなのです。それ を実現するために支えとして守が、技術がいるのです。しかし目的 は、離=オリジナリティでの新しい世界の構築なのです。 ○ドラマは日常にある 人生のなかにあらゆるドラマがつまっています。 あなたのもっとも楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこ と、怒ったこと、それもドラマです。それがうまく伝えられるだけ で、多くの人の共感を得られるかもしれません。 人生そのものがドラマだった人を伝記や映画、演劇は数多く上演 してきました。もちろん 24 時間 365 日すべてを演じることはでき ません。舞台は、そのエッセンスを演じるのです。 そういう人生を生きるかどうかは別です。しかし、少なくともそ ういうシチュエーションをイマジネーションできなくてはなりま せん。そのイメージする力が、その人の能力の多くを決めていきま す。 ○体験、イマジネーション力 ○感動と技術 声の表現にもっとも必要なのは、イメージです。 よく体験は必要かと問われます。体験があれば、イマジネーショ ンが働きます。その意味では、ないよりもあった方がよいでしょう。 しかし大切なのは、一つの体験から、いかにしてイメージをふくら ませるかです。 一つのことから多くを気づく能力がクリエイティブな世界では 大切です。 それとともに、そのなかの何が、表現を支えるのに、より必要な のかを見抜くことです。 技術は表だって出ないこと、それが目立っては、はしたないこと となります。つまり、感動が結果となる、演じないことが目的、そ のための技術というのが架け橋です。 感動させるとしたら、そこに技術のあることを感じます。そして、 それを得たいと思います。そのために基礎をやろうとします。基礎 を積み重ねといって、それが感動に結びつくときには、技術が架け 橋となっています。感動を目的にするのもよくはありません。 まして、技術で演じたり、歌ったりするとなると、大きく方向性 が違ってきます。 技術は、基礎か応用か、というと基礎の範疇に入るものですが、他 人の演技で技術にみえるものは、応用が多いのです。そのため、先 に述べたように技術をまねしてうまくなろうという勘違いがはび こります。 真の技術は、表面ですごいと思うところではなく、内面にみえな いところの感覚です。そこに手足が伴って、体が動いてファインプ レーとなるのです。 それは、イチローの計算して打ったポテンヒットのようなものです。 そのポテンヒットを狙ってまねても仕方ありません。 ○表現の真実と本質 それは、本質を見抜く力となります。泣いていないのに悲しさを 伝えられる。それは心だけでなく、表現の本質、つまり人間とその 心の創造でもあるのです。そこに無意識で触れるために、意識的に トレーニングを積むといえるかもしれません。 ○子供の表現力に学ぶ 子供はときに大人を感動させたり泣かせたりします。演技ではな い、その素地に大人は何かを感じ、気づかされるからです。ここに 高度な表現力の働くことと同じことが起きています。 赤ちゃんなら笑ったり泣いたりするだけで、人の心を揺さぶります。 ○うまいをめざすな 9 だから、うまくなることや、上達をめざしてはいけません。とい うと、目標がわからなくなるかもしれませんが、それもまた結果と しておくことです。 あなたやあなたのまわりの人が求める上達は、あなたの上達でな く他人(あこがれ)に近づくことです。 ですから、それを正すべきトレーナーのめざさせるべき上達とは、 早くうまくさせることでなく、今のあなたなりのへたに、とことん つきあっていくことなのです。安易にうまくなることをいさめます。 なぜなら、そこでのごまかし、飛ばしこそをチェックするのがトレ ーナーの役割だからです。 それは遠回りでなく、あなたがより深いあなたになるための唯一 の手段だからです(これをトレーニングというならば、内部に深く おとしこむことです) 。 続けたらうまくなります。しかし、そこで教えられたりまねして いたのでは、それは決してあなたのうまさにはなりません。 うまいというのは、うまくやるのではなく、うまいなあ!と、あ とでまわりに思わせるようにやれてしまうことです。 共に探っていく段階に、必ずくるものです。 トレーナーが答えをもっているレベルで、一流になれるほど甘くあ りません。オリジナリティというのは独自、つまり、いつでも出会 った数だけ、はじめての経験になるのですから。 ○客の心に残るリピート力 自分の活動がやれていくには、ステージで成功することです。そ れでは何をもって成功というのでしょう。 たとえば、自分で精一杯やれた。自分の力を出し切った、これは 自己満足です。厳しく言うとお客さんには関係ありません。ただ、 そのようにさえやらないなら、論外というだけです。極論ですが、 いくら手を抜いても、すべての人が絶賛したら、OK です(という ほど人間離れした人はそうはいないでしょうが……) 。 私は成功ということを、次のようにみています。 その日の満足を超えること、客の使った時間やお金を損したと思 わせないこと、これは最低必要条件です。これで成功などと浮かれ ていると、次に手痛いしっぺ返しを食います。やってあたりまえで す。 まず、イベントが終わっても、すぐに去りがたいこと。映画なら 字幕が最後まで終わるまで、席を立つ客がいないこと。 もう一度、すぐさま見たいこと、くり返し家族や知人などに話し て、もう一度、一緒に連れてきたくなること。さらに第三者にも強 く勧め、自らPRを務めたい気分にさせるもの、つまり、ただよか ったでなく、もう一度みたいと思い、もう一度見にくるということ です。このリピート客が取れてこそ、活動は成り立つのです。 レストランなどではあたりまえのことです。一見客しかこない店 は、どんどん経営が難しくなり、つぶれます。会社も同じです。 実績とは、それによって客が自ら買おうとしてくることです。こ うなれば、その作品もあなたもあぶれることはありません。 ○再現力とトレーニング それではトレーニングは何をめざすべきでしょうか。先に述した ように、まずは長くやれるように、そして過度にやれるようにしま す。これは芸にとって守りです。最低ラインの実力の確保です。 守りとは、昨日やったことが、今日もまったく同じようにできる ことです。つまり、再現力なのです。なぜなら、これがないと、次 にオンしないからです。 ○リピートとオン トレーニングは、昨日(過去)のベストの自分の状態が毎日、出 せるようにするために行ないます。そのためにリピートをして、悪 い状態になるのを避けるのです。これがないと、トレーニングの成 果は上下に大きく揺れます。この揺れ幅を狭くしていくことで、右 肩上がりにしていきたいのです。 しかし、こういう分野では、順調に右肩へ斜めにあがっていくこと はありません。不規則な階段のように急にワンステップあがるので す。 つまり、オンは急に起こるからオンなのです。次元の違うことが 起きます。それを捉えられるように日頃からトレーニングしておく ということです。 このステップは、3年後からの進歩のために大切です。それまで の間は、素人でも調子のよいときはやれてしまうことがあるのです。 いわゆるビギナーラックです。その偶然のトップ感覚へのっていけ るのは、勘のよい人、あるいは選択能力のすぐれた人です。それは 自分でない感覚ですから、多くの人は普通の自分に戻りたがり、す ぐれた自分の瞬間をものにできません。それを指摘するために、ト レーナーがいるのです。 ○初心者の運まかせは続かない ビギナーラックは、技術でなく感性からきます。その人が素直に 芸やトレーニングに臨んだときは、その自由さからとても素晴らし いことが起きます。たった一行の歌詞やフレーズに人の心を捉える 何かが表われてくるのです。 それが出にくくなるのは、リピートを怠るからです。トレーニン グで素直さを失い、何かを固定してしまうからです。流言や思い込 みで心を固くすることが大半です。 即ち、客の心がみえなくなっているのです。それでは、形のための 形、歌のための歌、声のための声になってしまうのです。 ただ、そこで固定して興業的にやられてしまう人が日本ではいる から、ややこしいのです。誰が歌を殺したのか、過去を繰り返すだ けの歌手にも、大きな責任があります。 ○第三者の眼をもつ ○オンにのせる その一人よがりを戒めるためには、そこから離れた人に、あらゆ るものを正直にみてもらうことです。 アウトローな人だからこそ、プロデューサーやトレーナーだからこ そ、みえるところがあるのです。いや、あなた自身も声や歌にどっ ぷりと入りつつも、どこかに第三者の眼を忘れないことです。 トレーニングを積んでも、うまく疲れを解放できず、ためてしま って、一時的に低迷することが多いのです。これはいわば、次のレ ベルへいくための停滞、もしくは一時的な落ち込みなのです。 しかし、これをトレーニングの方法で悪くなったと考える人が少 なくありません。 トレーナーにも多くいますから、困りものです。 (もちろん、固 定してしまうような明らかな誤りは別です。しかし、当のトレーニ ングが固定させることもあるのです。 ) 10 年先とはいいませんが、2年くらい先のみえないときには、黙 っておくべきだと思うのです。私は正直に、わからないといいます。 ○直勘力を養う ストレートに勘の働く力というのは、ステージを務めることには とても大切です。 素直とは、余計なものがついていないことです。 10 何もないと、人間かえって開きなおって、うまく心身が動くもの です。 余計なもの、不要なものがあると、それを守ろうとします。そこ で捉えて、代表作にしようということになって、狂っていくのです。 それよりもしっかりした強みは生活とともにギリギリとあるこ とです。 この何もないことの強みを、いろんなトレーニングメニュに分けて 習得していくことです。 私は、すぐに表現に入ることで、即ちピークにもってきたところ でみて、それをうまく活かすことから考えます。あとは、その人が これまで出せなかった可能性を開くベーシックトレーニングです。 ○真実と核心 歌がうまくなることは、その人の世界が立ち上がるのとは、あま り関係ないのです。 生きることで真実、核心は誰にでもあるから、それを意図的にア ートに編集すればよいだけともいえます。 しかし、筋(ストーリー)として、時代も人物も自分でないもの を演じるところに難しさがあるのです。 ○頭の固さを解く 頭がよいか悪いかでなく、優秀か劣っているかだけです。そこで、 社会常識を放った演技ができたら、充分です。 ○技術と本質 ○器用さだけではやれない 技術とは、内なるものを外へ表出する、それを表現として成り立 たせるものと考えるとよいと思います。そのプロセスがトレーニン グすべきものなのです。 本質は、そのままでは、つかみとれません。ずっと遠くまで離れて から、ズバリ切り込むことです。板前の見習いのようですが、これ がとても大切なのです。すぐに中に入り込まないこと。外からみる ことです。 ピーク<圧縮された時間<編集力 つまり、真にピーク、クライ マックスをつくるために、大人は突き放したレベルから編集するの です。 頭も体も特に器用といえる人がいると、何となく、そこが中心と なります。その人に何もないとリスクだけが加わります。すべて、 日本人の欠点を表わしています。特に群れたときに、弊害が大きく なります。 ○歌と演劇 繊細なイメージなくコピーだけをして発表する人は少なくあり ません。 この場合の仕事は、その人自身で兼ね合いを考えることなのです。 テンポ、キィから、ことば、曲まで、徹底して分析し、再構成し ます。 器用貧乏、八方美人は、何ごとも中途半端にできても仕方がないこ とを表わしています。生涯、養成所、トレーニング生から出られま せん。 戦いへ行って帰るとき、死への感情を納める儀式、祭式で声が使 われました。さらに、本来こうありたいという願いが、祈りや舞踏、 歌唱となり、あるべき姿として、その虚構を構築するようになった のでしょう。それが舞台です。そこに、リアリティが生じます。 ○日常の会話 日常では、誰に何をどうして話しているのかという状況や目的が すでにあります。 劇でも台本には流れとしてはありますが、演じる人にそれをもつた めには、解釈と役づくりが必要です。否応なく意識的に演じなくて はいけなくなるのです。しかも、演技せずに、です。 あなた自身を、何かをもたらしに現われたもの、神の遣いのよう に考えてみましょう。オペラ歌手は神の声で歌うというのです。役 者も神がかりになります。 ○大きくつくる MAX トレーニングと、 繊細にコントロールする MINI トレーニング トレーニングは、MAX で MAX を求め、レッスンや本番は MINIMUM で MAX を表現することを求めます。 ○客は何を求めているのかを知る ○手がかり 客は何を求めて舞台を見に来るのでしょうか。 1.発散したい、スッキリしたい、カタルシス 2.じっくりひたりたい 3.狂いたい、興じたい 4.気づきたい、思い出したい 5.人間を見たい、その人を知りたい 6.ストーリー、役者、演じ方(芸)など もちろん、それ以上に表現力、説得力なども必要と思います。ま ずはリピートしたくなるほどの作品の演じ方へのアプローチから です。公演では、それぞれのプロの条件があります。いろいろな人 から学んでください。 台本を演じるのでなく、それを元に創造していきます。歌い手も 同じです。 美空ひばりさんの歌唱をイメージしてください。 レッスンや稽古は、この世と天界との行き来をします。日常でな い日常にひたすら浸ります。 それを、せりふを覚えたり、歌詞、メロディを覚えて、そのまま 口にしたり、覚えて振りをつけて演じる。そしたら、嘘っぽくなり ます。ふしぜん丸出しになってしまうのです。何らリアリティを生 じません。 くさい、わざとらしい、ふしぜんであっても許されはするのです が、それを自分で押し込まなくては通用しません。さらに、自分を 超えるもっと大きな力が降りてくることで芸になります。 せりふが切り出されるや否や、いや、あなたがそこに現われ出るや 否や、新しい世界を創出していなくてはいけません。むしろ、その 世界を邪魔してはいけないのです。あなたの一声が、すべてをチェ ンジするのです。 ○さまざまなスペシャリストにつく 私は、音声学については、専門家に任せ、医療については医者に 任せています。一人ですべてをやると必ず欠けたところ、手のまわ らないところが出てくるからです。 これも自分のトレーナーをどういう役割で、どのくらい使うかの 問題となります。 11 ○見立て トレーニングとしては、ドラマの起承転結のように、1コーラス を 4 つに分け、その 1 ブロックを、さらに 4 つに細かく区切って考 えると分かりやすいでしょう。自分勝手な感情移入や雑な表現は整 理し、展開上、同じ役割を持つ個所を、同じように歌っていきます。 例えば、1~3 番の A メロ、B メロ、サビの出だしとエンディング を、それぞれ同じ歌い方をするように意識するのです。まずは、A メロ、B メロ、サビなどのブロックを、それぞれ通して歌うことが できれば十分でしょう。最終的に、1 曲を通して、展開をとらえな がら歌えるようになってください。原曲をリスペクトしてください。 これができてこそ、1 番、2 番、3 番と徐々に盛り上げていった り、3 番でいきなりフェイクを入れるなど、荒ワザで流れに変化を 付ける効果が現れます。 楽器プレーヤーも、変化を付ける前に必ず演奏をシンプルにして おきます。 「この部分はこんなフレーズです」ということを繰り返 しお客さんに教えておいてから、それとは違うことをやるからこそ、 ちょっとした変化がビビットに響くわけです。 「安定したものがあ るから、変化が通用する」ということです。これは029にも通じ ますね。 <見立て>と声を発する<声立て>で、ことばはその世界を現出 させます。仕切るわけです。この立ち上げに客をどうつきあわすか が、最大の見せ場です。 ミュージカルは音やリズムの力をもっとも効果的に使います。 人物を演じる、そんなものに、興味がないようになってしまったの でしょうか。このことに気づかない人もたくさんいます。ともかく、 その世界を立ち上げていくことです。 ○共鳴させる 声、ことば、振動、気持ちが統一されることです。 ○ことばを生み出すこと 命名する ことばを自分のものにする そして、それを声で相手の体に届けるか、間におくのか、考えてみ ましょう。 075 流れを止 れを止めない練習 めない練習 ○ことばが聞こえない日本の役者 出だしは緊張していたり、声の出が悪かったり、つまづきやすい ものです。そういうとき、一番のさいごから歌って、二番の頭で出 だしの感覚を覚えましょう。もちろん、一番の歌詞でやってよいで しょう。 同様にフレージングのよくない場合には、しばらくの間、必ず、 次の出だしのところまでやって止めましょう。つまり、一つのフレ ーズが1、2、3、4だとすると、次のフレーズ5、6、7、8の 5のところまでやってから、終わりにします。 Aメロなら、Bメロの頭のフレーズ、Bメロなら次がサビだとす ると、その出だしのところ。サビなら、必ず、Aメロなどに戻りま すから、そこで頭のところをやってから、チェックします。1コー ラス歌うときも、できるだけ2コーラス目の頭までやります。 どうも日本人は、構成を短く切ってしまいがちです。ですから、 必ず、次の流れにつなげて終わることで、フレーズが終わって、声 が出し終わっても、曲は動いていること、その間のつなぎ方こそが、 表現にとって、最も大切なことだと思ってください。どのように前 のフレーズが終わったかを踏まえて、次のフレーズの出し方、タイ ミングや声の強さ、角度やテンションまで、決まってくるのです。 この流れが止まってしまうと、歌はとても悪い印象になるのです。 気持ちを込めたから、といって、必ずしも共感されるわけではあ りません。むしろ嘘の方が、社会性をもつでしょう。 「せりふに気持ちをのせたり、せりふを歌わないこと」です。 働きかけ、アクションは、暴力にも癒しにもなります。 しゃべりながら確認して修正し、正されているのか、チェックし ます。 歌いながら確認して修正し、正されているのか、チェックしてく ださい。 聞く力、聞くことを磨くことが大切です。 間やリズムよりも優先します。 生じること―無と有、変化―定と不定、この二つを常に考えてく ださい。 <ミュージカル俳優と役者のヴォイストレーニング 0509 W5/070519> ■「ボーカル上達 100 の裏ワザ」その 3<P38 参照> (リットーミュージック刊)より、一部だけ抜粋紹介です。 詳しくは、本をお読みください。 076 同じ言葉だけで 言葉だけで歌 だけで歌う 歌の評価のわかりにくいところは、一人ひとり声が違うところ (これがオリジナリティと思われている)と、ことばのあるところ (音楽的に成り立っていなくても説得できてしまう)ことです。で すから、バンドのメンバー同士で厳しく、リズムが展開について指 摘しあっているときも、ボーカルはかやの外に置かれて、音楽的に 指摘を受けにくいのです。 (きっとボーカルが楽器レベルに声を使 いこなせていたら、音楽として完成していくプロセスで、かなり気 づきやすくなるはずです) そこで「ラ」や母音で、合唱団のように歌わせるトレーナーもい ます。これは発声や共鳴のチェックになりますが、声の魅力を捉え るには、子音も含めたことばでやるほうが、そのニュアンスがわか りやすくなるでしょう。 048 展開をとらえる 展開をとらえる ボーカリストは、曲の展開をあまり意識せず、そのとき歌ってい る歌詞によって歌い方を変える傾向があります。1 番が明るい歌詞 だったらほほえんで、2 番が暗い歌詞だったら悲しそうに歌うとい った感じです。しかしこれは、音楽的に見れば適切ではありません。 原則として、 1 番と 2 番は同じように歌わなければならないのです。 そうでなければ、合わせて1番とすべきなのですから。もっといえ ば、AメロはAメロ、BメロはBメロと、全て同じように歌う必要 があるのです。なぜなら、安定した形(定型)が客に伝わってこそ、 ちょっとした変化が新鮮に感じ取ってもらえるからです。少なくと も、1 番のAメロと 2 番のAメロ、1 番のBメロと 2 番のBメロな どは、そろえる意識を強くもちましょう。 Aメロ、Bメロ、サビなどの展開をお客さんに感じさせることは、 歌の盛り上がりを作る最大のポイントです。構成と展開をとらえる ことに意識的になりましょう。 たとえば私は、プロの曲を聴くのに、1、2、3番のAメロを並 べて、チェックします。基本としてはずしてはいけない流れのなか で、変化させているかをみます。ことばや発音もその一要素にすぎ ません。 12 やりにくいときは、同じことばで歌ってもらいます。たとえば、 Aメロの最初のフレーズ(1、2、3、4)のことばで、次のAメ ロも歌うと、その流れがみえます。同じにしても、異なってもよい のですが、ボーカリストにその自覚がなく勝手に、しかも毎回変わ っているようでは、失格です。 (かなりハイレベルな人は、逆にO Kですが)ときにBメロさえも、Aメロの歌詞でやらせます。合わ なければ、てきとうに変えればよいのです。 1、2くらいの短いことばで、すべて歌ってみてもよいでしょう。 たとえば、 「あなたに会った」の繰り返しだけで一曲通すのです。 聴いている人が飽きたり、あなた自身が単調に思えたら、それはま だ曲として成り立っていないのです。歌はストーリーでももちます が、曲として完成させられるなら、どんなことばでも、一曲のなか で完成させられるはずです。それができない人のスキャットなどは、 所詮、まだ形だけなのです。 <レッスンの レッスンのアドバイス> アドバイス> ○大きな声だけでは 大きな声で歌うのは、とてもいいことです。 しかし、ただ大声で歌うのは上手に聞こえません。 大きな声といっても、コントロールされて出ている大きな声が欲し いのです。 自分はどのくらいの音量の声を出しているのか考えてみてくださ い。 練習中やレッスンの時、何かを習得するために単なる大きな声で やることもあると思います。 そうして積み重ねた結果、最後の仕上げでは、自分の声をコントロ ールして適した音量で歌ってみてください。 電車の中で、子供が興奮してだんだん大きな声になってしまうのを 聞いたことはありませんか。あれは、コントロールされていない大 きな声です。 077 同曲異唱の 同曲異唱のススメ 歌に関しては、自分のものの判断や批評は難しいものです。好き な歌を好きに歌えたら、よしとしてしまうからです。しかし、誰で も他人の歌に対しては、少しは客観的にみることができるものです。 のど自慢や歌番組の審査員になり切ってみましょう。 さらに、こんな練習をしてみましょう。同じ歌を何人かに歌って もらって、気づいた点を細かくメモをとってみます。そのあと、自 分が歌ったものを審査してみるのです。他の人の歌で判断した経験 が、自分の歌のよしあしを判断しやすくするはずです。 同じ歌でプロの歌と比べてみるのもよいでしょう。最近は、ネッ トで同曲異唱(同じ曲をいろんなアーティストがカバーしている) の音源を入手できるようになりました。それらを使えば、一つの曲 をいろんなアーティストがそれぞれどのようなアプローチで歌っ ているかが聴き比べられるのです。一人の歌唱から学ぶよりも、ず っと気づきやすくなるはずです。そして、プロの優れている部分を 学び、表現してください。私は外国人と日本人のをよく比較材料と して使います。 逆に小さな声もそうです。ただ声を小さくすればいいのではなく、 小さいといってもお客さんに聞こえなければダメだし、はっきり歌 詞が聞き取れるようにすると、そんなに小さな声でもダメだし、こ ういう場合は「小さく歌っていると思わせる声」なんかがいります ね。 誰かに内緒話をするときは、相手に聞こえる程度に声をおとして話 しますよね。無意識にしていることを意識してみましょう。 歌詞や音符から読み取った上で、歌っている時の声の音量について 考えてみましょう。(♯Б) ○意識し続けるということ レッスンで指摘された、若しくは日頃から自分が感じている苦手な 箇所を改善するにあたって、皆さまはどのようにしていますか? 数日前はできたのに、今日はできなかった・・・あるいはしばらく できていたのに、ここのところ思うようにいかない・・・などとい う経験は、どなたでも一度はあると思います。 人間の声は、短期間で劇的には変化しません。 まして苦手な箇所であれば尚更です。だからこそ、少しずつ、しか し確実に声を良い方向へ導くためにはその苦手な箇所をきちんと 見つめ、多方面からさまざまなアプローチを試み、その中で一番適 した方法を用いてその箇所を改善していくことを「忘れないで意識 し続ける」ことが必要です。 まぐれで良く出た声はあくまでまぐれでしかないのです。10回歌 って、10回とも同じ「質」でできるように。そうして身に付けた 「質」は今後声を使う上で長く役に立ちます。 ■同じ曲で比較してみよう 「Somos Novios」……クリスティーナ・アギレラと夏川りみ(アン ドレア・ボッチェリとのデュエット) 唱歌、童謡、演歌、歌謡曲、J ポップと、日本の近代の歌の大半は、 欧米を中心とする海外の作品の移し替えで作られてきました。しか し、リズム中心の曲が主流になるに従い、日本語という言葉はさら に処理しにくくなっています。そのためか、現在の曲の多くは、日 本語詞の中に英語を中心とした外国語がたくさん入って、音楽的に (のりやすく)しています。 でも、単に外国語を入れるだけでは、本当に伝わる表現にはなり ません。かつて、日本一のボーカリストは、声楽や欧米のポップス、 ジャズ、ラテンなどからリズムや声色を取り入れ、それを日本語に 生かす努力をしていたものです。あなたも、その頃の外国人の歌を 聴き、リズムや声色を感じ取った上で、日本語を付けて歌ってみて ください。日本語だからこそ、表現のチェックはやりやすいはずで す。 また、 「外国人による日本語の歌」や、 「外国曲の日本人による歌 (外国語・日本語) 」を比較するのもお勧めです。 「駅前留学」のよ うなものですが、生まれてから染み付いている日本人の感覚を一時 切ることで、感覚、発声、歌唱をシンプルにできます。歌は適当な 外国語をつけて歌ってから、それを日本語に戻すのもよい方法です。 (今回で終了です。あとは是非、お買い求めください。 ) ■トレーナーのアドバイス レッスンの中での概要です。これらのメニュが必しも誰にでもあては まるものとは限りません。参考にとどめておくようにしてください。 13 ○自信 いつもレッスンに臨む際、自信を持って臨んでいますか? レッスンを受けにいらっしゃる皆さまの環境・状況は千差万別だと 思うので、最初の問いかけが厳しい方もいらっしゃるでしょう。 なぜ「自信」が必要か?それは自信の有る・無しが、ここぞという 時の声に影響を及ぼすからです。 お教えする立場、また私自身も研鑚を積む立場・・・・双方を経験 して 「自信をもって毎回のレッスンに臨む難しさ・厳しさ」 「自信をもって毎回のレッスンに挑む大切さ」を身をもって知って いるからです。 やはり自分が納得して自信をもてるまで、練習を行うのも必要です し、誤解を恐れずにいえば、例えハッタリであったとしても自信が 無いよりかはやはりあったほうが良いのです。 自信をもってレッスンに臨み、1つでも多くその日のレッスンから 色々なものを得て帰ろう、という意気込みで頑張って下さい。 ときどき見られますが、レッスン中に飲み物を飲む方がいらっしゃ います。水分補給自体がいけないとは言いませんが、飲み物でのど の調子を整えようとすると、返って変な癖がつき、飲み物がないと 歌えなくなったりします。レッスン中はよほどのことがない限り、 30分くらいは水分補給せず歌ってみましょう。 また、もし水分補給をする際には自動販売機で買ってきたばかりの 冷たい飲み物は口にしないようにしましょう。声帯が熱を帯びてい る状態で、いきなり冷たいものを飲むと、焼いた石に水をかけると ジュッと蒸発してしまうように、声帯にも相当負担がかかり、場合 によっては突然声が出なくなってしまう事もあるので注意してく ださい。もし、冷たいものしかない場合は一度口に含んで熱をもた せた後飲み込むようにしましょう。カラオケをしながら冷たいビー ルを飲むなどは問題外です。 ○「レガート≠流れる」 声を出す時、また歌を歌う時によく 「レガート(legato/伊/なめらかに)を意識して」 「もっとレガート(legato/伊/なめらかに)に・・」 とアドバイス受けたことがあるだろうと思いますが、声を滑らかに 出すことと声が流れてしまうことは=(イコール)ではないのです。 声を1つのラインのように繋げることを意識するのは良いことな のですが、その影響で1つ1つの音がぼやけてしまったり、 (何の音を出しているのかわからなくなる/何の言葉を発してい るのかわからない、聞こえないetc) 音の輪郭が不明瞭になってしまっては意味が無いのです。 流れに任せて気持ち良く声を出したり歌ったりするのはもちろん 悪いことではないのですが、今一度「レガートになっているか?」 「ただ流れてしまってはいないか?」を意識してみて下さい。 (♯Ψ) ○飲食について(2) 食品や食事の摂取時間についてはそれぞれの趣味嗜好や生活リズ ムがあるので一概に「こうして下さい」とは言えませんが、最低限 注意して欲しいことを挙げます。 基本的に食べ物はエネルギー源になりうるもので、また補給に効率 のよいものが良いでしょう。つまり、栄養価が高く、消化・吸収が よいものが望ましいということです。というのも、みなさんもお分 かりのように、歌うことはかなりの集中力と体力が必要なのです。 まして、ステージ・舞台に立つとなると一日がかり、場合によって は稽古なども含め一ヶ月以上の期間を要します。その時、いくら良 い声があっても、体力が付いていかず断念してしまうなんていうこ とは悲しいことです。歌い手に美食家が多いのはこういったことも あるのでしょう。ただ、摂取の量と時間には注意をしてください ○お腹に息をためる練習 素直ないい声で歌えているときは、響きもそのままを維持して歌っ てください。 あとは、腹式呼吸の強化をして、支えを確実なものにできれば、さ らに良いと思います。そのためには、お腹に息をためる練習が効果 的です。お腹に息をためるコツとしては、お腹の底に息を溜めよう とすることです。 例えば、蛇口の口にビニール袋の口をあてて、蛇口をひねると、ビ ニール袋の底から、水が溜まります。そのイメージで、息を溜めま す。息は、肺に入って、肺から出るのが、実際の仕組みです。 肺に入ることによって、横隔膜が、あがったり、下がったりする動 きで、お腹にも動きが見られるのです。 思い切り笑ったり、泣いたりすると、横隔膜は、とても活発に運動 します。 歌うにあたり、私たちは、横隔膜の動きを自由自在に動かす能力が 必要になります。 息を溜める練習のほかにも、たくさん、息が使えるようになるため、 カセットテープを、少し遠くにおいて、それを、息だけで、倒す練 習も、かなり、効果的です。 また、息をしばらく止める練習もいいかもしれません。(♯Ω) ○飲食について(3) 欲張って一度に大量に摂取する必要はありません。個人差がありま すので、その人にとって適量な分だけ取るのが良いでしょう。そし て、摂取時間の目安時間ですが、3時間前~1時間半前まででしょ う。発声直前に摂取するのは厳禁です。その理由は二つあります。 1.血液循環の主力が消化器官に集中するため、大脳の働きがにぶ り集中力が低下し、さらには眠くなってくる。 2.胃が満杯になると横隔膜を上に圧迫し、横隔膜の上下運動、す なわち腹式呼吸を妨害する。 発声の3要素(声帯、呼吸、共鳴)の一つである呼吸のコントロー ルは非常に大事です。それをつかさどる横隔膜が、吸気のときに下 がりきらないと瞬時に息が吸えず、呼吸方式が制限され、おのずと 胸部が拡大され胸式呼吸になり、浅く不安定な声になっていってし まいます。声を出すだけが大事なのではなく、声を出すまでの体調 管理、生活習慣まで節制できてこそプロだと思います。体調管理は 自己責任です。普段の生活から気をつけましょう。 <声、せりふ、 せりふ、歌のアドバイス> アドバイス> ○意識を高くもつ 音楽に限りませんが、自分の中で確かな目標・希望、しいては夢と いうものがなければ成長しません。それを達成するために人は努力 するのです。レッスンに通われている方もそれぞれ目的が違ったと しても、ここで何かを得ようとして自分で選択して通っているのだ と思います。それが、プロ志望でもそうでなくても目標に対する努 力の必要性は同じです。 ここに来ればプロになれる、うまくなれると考えるのは大きな誤り です。時には自分の道を疑問に思ったり、考え直したりすることも あるでしょう。それは当然のことです。しかし、やめてしまっては また再起動しようとするのに時間がかかってしまいます。私は先生 に『続けて同じレベル、人の三倍努力して人並み、やめるのは論外』 といわれました。夢があるならばもっと身近な目標をしっかり見立 ててひとつひとつこなしていきましょう。気が付けば大輪が咲いて いることでしょう。 ○腰と丹田 呼吸法や発声を習得するにはまず体を作らなくてはいけません。し かし、私たちはスポーツ選手になるわけではないのですから、腕立 て伏せや腹筋を毎日鍛えることはしません。まったく無駄とはいい ませんが、余計な力が入ってしまうよりは、むしろ柔軟・ストレッ チに力を注いでください。歌に関する本には必ず柔軟・ストレッチ の類が書かれています。しかも、はじめに書かれているはずです。 歌は腰の支えと丹田の意識があれば、他は脱力あるのみです。これ ができればどれだけ楽に歌えるでしょう?みなさん無駄な力が入 りすぎているように感じます。一度力が入ってしまうと、その癖を 取る事が難しくなります。最近の歌手は演出からなのでしょうか、 そう高くない音程でも苦しそうに、難しく歌って見せています。あ んな歌い方を毎日していればのどは壊れてしまいます。 歌い手はじめ、業を見せる職業の人は、いともたやすくやって見せ るのが美なのです。外見をマネするのではなく本質を見ましょう。 ○飲食について(1) ここ最近暑くなってきて体調管理が大変になってきました。この時 期にのどをはじめ、体調を管理する上で知っておいて欲しいことを 挙げます。 14 います。しかし、後者はまさしく創造者となるでしょう。迎合する ということはその他大勢のなかの一部になるということです。しか し、魅力あるものは迎合せずとも、多くの人たちの視線を自分に向 けられるほどエネルギーがあるものです。 自己主張が希薄なときほど個性を叫ぶようになるものです。オリジ ナリティということをもう一度考えてみてはいかがでしょうか? (♭Π) ○あるライブを観ての感想 わたしはライブにはあまり行かないのですが、先日とあるビジュア ルバンドのライブに行く機会があり観てきました。声楽の世界だと、 オペラは舞台芸術のため視覚的演出も重要視されますが、そのほか は音を優先するため演出を大々的にすることはありません。 そんな世界にいるため、先日観たライブで一番印象深かったのがグ ループのパフォーマンスでした。言葉が悪いですが、観客をあおる のがとても上手いのです。自分たちのバンドをどう印象付けるかも テクニックではないでしょうか? 私のレッスンではそういったパフォーマンスのレッスンはしませ んが、人に見られている意識や自分を表現して印象付けさせること は普段の生活から取り入れていかないと、すぐにはできないことだ と思います。歌もさることながら、行動学というジャンルも勉強し てみると良いかもしれませんね。 ○スペインの曲(1) とても、迫力があり、情熱的ですので、喉で、叫ぶように歌いがち ですが、こういう曲こそ、体を使って、歌わなくてはなりません。 鼻から、おもいきり顔中に息を吸うと、お腹に息がたまります。 その感覚を忘れないで、常にその状態を保ちます。 響きは、鼻を意識してください。 細かい、節回しは、鼻歌のようにやると、やりやすいと思います。 ハミングで練習するのがいいと思います。 そのときに、細い針をイメージして、大きな声でなくていいので、 何度も歌ってみてください。 響きのポジションがわかったら、 「ウ」で歌ってみてください。 「ウ」でもスムーズにできたら、言葉をつけて、母音が変わっても、 同じ響きで歌えるように意識してください。 鼻歌の感覚は、何度も繰り返しやってみるとわかってくると思いま す。 あとは、体全体に響かせるように意識するだけでも、体が響鳴して、 遠くまで声が響くと思います。 スペインの歌は、独特ですが、基本はどの歌も共通だと思います。 ○ハンディを乗り越える 音楽の世界は英才教育であることは広く知られていることです。ヴ ァイオリンもピアノも3歳にははじめています。私たちが食事のと きに箸を使うように、奏者は楽器が体の一部になっていなくてはい けないのです。 しかし、歌い手は英才教育の必要ありません。むしろ、15歳以降 にはじめる方が大半だと思います。声帯は体の中でも一番成長が遅 く30歳くらいまで変化し続けます。そのため、大器晩成ではない でしょうが、たしかなトレーニングをしていれば音楽家として通用 するのです。ですが、楽器奏者と歌い手の大きな違いは音感です。 幼少期から楽譜を見て、音程を身に付け、音楽表現を学んできた楽 器奏者と、10代後半もしくは20代になってから本格的に音楽を 学びはじめた歌い手とでは15年以上もの差があるのです。この年 月の差を埋めるには相当の努力が必要です。 音楽をするには音に敏感にならなくてはいけません。ハンディがあ るからこそ、人の何倍も努力しなければ同じフィールドで演奏でき ないのです。近道はありません。地道な練習の継続あるのみです。 がんばりましょう。 ○スペインの曲(2) スペインの曲は、その日の調子などによって、調を変えて歌うこと ができますので、ピッチに関してはあまり気にしなくてもよいと思 いますが、ピッチは全て、鼻でつくるものです。 もちろん、発声の面で、おかしいところがあれば、正しくとれない ところもあるかもしれませんが、まずは、鼻に響いていないと、正 しいピッチはとれません。 響きをつかむためにも、ピッチのためにも、ハミングの練習は欠か せません。 また、発声の面で言えば、支えは重要です。正しい複式呼吸ができ なければなりません。 一番いいのは、いすに座って、お腹に息を溜める練習です。 横隔膜の動きが一番わかりやすいところは、みぞうちとおへその間、 そして、腰の部分です。 そこに手を当てて、お腹の中に袋があるのをイメージします。 袋の一番底に、水が溜まるように息を吸いますが、そのときに、口 は、ストローでジュースを飲むように吸います。 息を吸うとき、一番お腹に入りやすいのは、鼻から吸う、もしくは、 上記のことですが、とにかく、吸い口が細いほうが、お腹に息が溜 まりやすいのです。 口から大きく吸うと、胸に息が入りますので、気をつけてください。 (♯Ω) ○再現性 音楽は『時間の芸術』とともに『再現芸術』とも言われます。音は 一瞬一瞬で消え去ってしまうので、まったく同じ音を作り出すこと は不可能です。しかし作曲者の意図することを再現するという意味 で再現芸術なのです。それは何年経とうが再現しうるのです。 ともすると、芸術は感情のみで動いていると思われがちですが、音 楽の場合、再現芸術である上、ルールが必要となります。音楽理論 であったり、楽器の奏法、歌の発声法があります。これは作曲者を 尊重する故、常に同じ様に演奏することが大事なためです。 (決し て機械音のように寸分もくるわないで無機質な演奏をするという ことではありません) 料理の世界でも星が付くレストランとは、同じ味を作り続けられる 事が条件になります。プロとはそういうものです。調子が良い悪い で作り上げるものが揺らいではいけないのです。作曲者(作詞家も 含め)の尊敬の念と徹底したテクニックを持ちましょう。 ○受身にならないこと 自分探しのためにレッスンに来ている人は、いるだろうか?それも いいことだろう。ただ、気をつけてほしいことは、レッスンを受け る上でトレーナーから与えられることを待つ受身の姿勢になって はいけないということである。自分がやりたいことがわからなけれ ば(やりたいジャンルや歌いたい曲など) 、トレーナーにもわから ない。行けば何かみつかる、ではなくて~をするためにレッスンに 行く、と目的意識をもって臨んでほしいと思う。プロやプロを目指 す人たちは、目的を高く、夢を大きく、そして具体的に抱いている 人たちばかりである。レッスンに通う人の中で特にプロを目指して ○迎合すべきかどうか ポピュラー音楽は良い発声、悪い発声に関係なく、多くのファンの 心をとられ支持を得て認められていく世界のように思います。多く のファンを持つということは、その時代感を共有しているというこ とではないでしょうか?そこで、コロンブスの卵ではありませんが、 たくさんの人の気持ちを集約して歌を作り上げるのが良いのか? はたまた、自分の歌でたくさんの人の気持ちを動かすのが良いのか みなさんはどのように考えるでしょうか? 私は前者の結果としては、ファンに迎合することになりえなると思 15 いる人は、~なれたらいいなぁ、程度に漠然と抱くのではなく、絶 対~なる、位の気持ちを持ってほしい。そして、~なるための具体 的・実践的プロセスを見直し、着実に前にむかって進むことが必要 である。そこの過程において、必要であればトレーナーが手助けで きることもあるだろう。(♯Θ) 日本人の歌手、客、全てにいえることですが実力がある歌手=売れ ている歌手と言うことではないということでしょう。歌手はお客様 に育てられる部分がとても大きいです。その客が意識が低く、ビジ ュアル面ばかりを追っていては歌手の歌の意識は薄れていくばか りでではないでしょうか。 ○クラシックとポップス クラシックの歌の伴奏というのは、歌にあわせるような形で演奏し ます。歌のメロディーは、大幅に揺れたり、ためがあったり、大き くブレスをとったりします。それに合わせていく感覚で、伴奏はつ いていきます。歌の伸び縮みに合わせていくといえばいいでしょう か。 それに対して、ポップスの伴奏というのは、ほとんど揺らすことな く、一定のテンポを刻んでいます。 (もちろん大きな決めになるよ うな部分は、歌手と息を合わせます。 )その一定のテンポの中には まるように、歌は揺らしたり、ブレスをします。 ですから、カラオケ伴奏に合わせて歌を楽しむことができます。 うまく歌っていくには、伴奏を聞くことがとても大切です。 変わっていく、コードの変化も聞き取ることができると、歌にとて も役立ちます。 最近は、耳で覚えてはっきりとしたものがないまま、何となく歌う ことが多いので、楽譜を見て、どのようになっているのか確認する ようにしましょう。 拍感を持って、小節の頭はどこなのか、何拍伸ばしているのか・・ など、数字で確認して、歌う時は、頭の中でしっかりと確認しなが ら歌えるようにしましょう。(♯Б) ○あいうえお、と、AIUEO 私達の母国語である日本語の「あいうえお」とアルファベット表記 の「AIUEO」は一見すると同じです。しかし発音すると大きな 違いになります。日本人の話し声はとても浅くペチャペチャした感 じに聴こえます。しかしイタリア人、フランス人などの言葉は大き な空間が開いているように聴こえます。 まず第一に口が開かないという欠点があります。ある生徒にオ(O) の母音でドレミファソファミレドと歌ってもらうと口が開かない ためアルファベットのUに聴こえてくるということがありました。 「口を開けて」と指導しても顎を外したり顎を硬く締め付けたりと いったようにうまくいかないことが多いように思います。 いろいろなやり方があると思いますが、我々日本人は声が浅い人種 だという認識を持つ事が第一歩だと思います。そう理解した上でト レーナーの指導を受けるとまた変わってくるとおもいます。 ○裏方 舞台には主役となる歌い手だけではなくそれを影から支える裏方 さん達がいます。照明や小道具、大道具、メイク、衣装、音響、な どの全ての雑務は裏方の手によって行われこの人達の努力のおか げで舞台は成り立っています。 今の歌手の人たちはいきなりデビューすることが多いので下積み でいろんな裏方を経験してきたというひとはすくないかもしれま せん。しかし裏方の事が分からなければ実際舞台にたっても彼らの 仕事に対する評価は分からないと思います。 もしプロになりたいとおもっているひとがいるとすれば若いうち に裏方の経験をしてください。この経験が後に大きな変化になると 思います。 ○男性歌手の高音化 ここ数年でJ-ポップの歌手、特に男性のキーが全体的に高くなっ ている事にとても驚かされます。GLAY、TMR、hydeなど はその典型的な歌手だと思います。しかしよく聞いているとGLA YのTERUやTMRなどは高い音もそのままだしますが、平井堅 やCHEMISTRYなどは裏声を駆使しています。 どちらも裏声を使っている事に変わりありませんがTERUやT MRは裏声と実声を混ぜています。平井堅やCHEMISTRY、 森山直太郎は裏声をそのまま出しています。 技術としては前者の方が大変難しいです。本人達はそのような気は していなくても声楽家が高い音を出す技術に近いものはあります。 ですからちょっとこもったような声に聴こえます。声楽家も高い音 を取得する途中経過で暗くこもってしまう事があるのです。 ですからモノマネの芸人でも平井堅などはよく見ますがGLAY などのものまねを原曲のまま歌いこなせる人はいません。 あくまでも技術論なのでどちらがいいとか悪いとか一概には言え ませんがどちらにしても全体的な流れが高音化していることには 変わりはありません。男性らしい低い声もとても心地よいものがあ るのでバランスよくいろんな種類の声がでてほしいと思います。 ○発声マニアにはなるな 皆さんはそれぞれに声に対して悩み、疑問をもってレッスンを受け ている事だと思います。レッスンを通して思うことのですがドレミ レド(ア~~)などの音階を指導していると良い声になるのに曲に なったとたん違う声を出す人がとても多いように思います。それは 何故でしょうか。 レッスン後のレポートをみても事細かく書いてくださる方もいま すが、実際に声を出してみると書いてある事ほど上達していないと 感じることもあります。 ヴォイストレーニングを受けに来ているのですから、声の出し方に 興味、関心がいくのは当たり前の事です。しかしそれが行き過ぎる といわゆる「発声マニア」になってしまいます。ただの音階を歌っ ても自分が音楽を奏でていないと絶対に曲になったときに生きて きません。考えるよりもまず実践です。歌手というのはスポーツ選 手と一緒です。必要な筋肉を必要なときに使い、息の流れで声をだ す。音楽になっていない(生きていない)声でどれだけ発声練習を しようとも曲には生かされません。 ○女性歌手の低音化 女性歌手の低音化についてです。男性はある程度の音域まで地声で 持っていけます。しかし女性はそおいう訳にはいかずほとんどの女 性が上のE♭辺りでは地声ではいけません。いけたとしても頭声と のミックスでしょう。 最近のJポップの女性歌手は全ての音域を地声のみで歌おうとす る人が多くなりました。モーニング娘。aikoなども決して無理 しているわけではありませんが地声の部類です。結果として全体的 なキーが下がってきています。楽譜にすると五線より下の音なんて ざらにあります。しかし黒人の方々歌うゴスペルや、黒人霊歌など にくらべるとなんと幼稚な声でしょうか。同じ音を歌っているとは 到底思えません。 訓練の差、歌い手としての差、人種の差色々あるとおもいますが、 ○う(U)の母音 先日、イタリアにあるS歌劇場のコレペティトゥーア(稽古ピアニ スト)で近年指揮者としてもデビューしたイタリア人にレッスンを 受けに行ってきました。私の他にも受けていた人のレッスンを見て いて、実際に受けてみて感じたことを書こうと思います。 レッスンを受講した全員に共通して言われた事が、 「う(U) 」が浅 いという事でした。日本人ではトップクラスの声楽家でさえ浅いと 言われていました。 16 「たとえ母音がUであってもノドの状態はOでなければいけない」 としきりに指導していました。 若い頃からクピード、マティウッツィ、などのコレペティを経験し てきた彼にとっては私達のUはUではなく、ドイツ語のウムラウト (UのくちでI)に聴こえるそうです。 歌唱母音のUは限りなく口内はOでありAIUEOの基本五つの 母音の中で一番深く奥なのがUだそうです。来週も受講してきます が。新しい発見とともにU母音についてもしっかり勉強してきたい と思います。 <メニュ> メニュ> ○息を入れる レッスンでは毎回ウエストにしっかり息を入れるブレストレーニ ングを行なっています。対策の工夫としては、壁やバーに体をなな めにして手をつき、重心を移動させて、首、肩のまわりの力を抜く ようにします。(♭Φ) <トレーナーのお トレーナーのお勧 のお勧めアーティスト> アーティスト> ○邪念を捨てる これは私が舞台に立つ上でいつも心に留めている事です。現在、某 大学のオペラ、ミュージカルなどに毎週助演で歌いにいったり、年 間約25~35ステージ程の舞台にたっていますが、稽古の時はう まくいくのに本番になると調子が悪かったりもうちょっと上手く いくのに…と後悔することも多々あります。 しかし開き直ったり勢いで歌っているときの方が上手くいったり するものです。高い音を出るかな…と思った瞬間体が硬くなり、緊 張してきてうまくいかないものなのです。 私の最も尊敬する先生の言葉です 「あなたはどこに向かって声を出していますか?」 「ホールの一番後ろに向かってです。 」 「それではそこまでの声になるしホールを響かせようという邪念 でしかありません」 「ホールを超え、その先にいる音楽の神様に自分の声を届けるだけ です。それがすべてです。お客さんがそこにいることなど関係なく、 そっと届ければよいのです」(♭Σ) ○ラ・フォル・ジュルネー・オ・ジャポン 今年で3回目となる、音楽祭「ラ・フォル・ジュルネー・オ・ジャ ポン」が GW 中に開かれました。クラシックの音楽祭です。 フランスのナントで開催されているものを日本でも・・ということ で、同じような形態で行われています。 毎年、作曲家を決めているのですが(1 回目ベートーヴェン 2 回目 モーツァルト) 、今年は民族音楽ということで、有名なところでは、 ドヴォルザークやラヴェルなどがとりあげられていました。 この音楽祭では、一つの演目が 45ー60 分程度という短さに加え、 更に、一演目が¥1500-3000 と低価格です。 そして、朝の 9 時から夜 23 時頃まで、国際フォーラムのたくさん の会場を使って一日中演奏会が開かれています。 演奏会の合間には、外にある屋台でご飯を食べたり(お酒もある) 、 スクリーンでやっている本場ナントで開かれた音楽祭の模様を見 たり、大きなイベントブースでは無料で、コンサートやレクチャー をやっているので見に行ったり、様々なことができます。お土産シ ョップもあります。 日頃、クラシックに興味のない人でも、気軽に行けるのでぜひ一度 はどんなものか冷やかし程度にでも行ってみるのをお勧めします。 混雑振りには必ず驚くはずです。 ちなみに今年は 62 万人の来場者数があったそうです。 普段はあまり人気のないクラシック演奏会。 本当は行ってみたい人がたくさんいるんだということを知らされ た企画でもあり、クラシック業界に様々な課題を投げかけたものと なっています。(♯Б) <テキスト> テキスト> ○変拍子 このテキストにでてくる拍子記号は、4分の4拍子や8分の6拍子 などですが、このほかに、変拍子と呼ばれているものがあります。 4分の5拍子や4分の7拍子、8分の9拍子や 8 分の 12 拍子など です。 1曲丸ごとこの拍子の場合もありますが、4分の4拍子の中に、挟 まれて度々でてきたり、なんていう組み込まれ方もあります。 常に規則正しい拍子の中に、急にでてきると非常に不規則な感じが したり、大変よい効果があります。 オペラの蝶々婦人などには、多用されています(プッチーニ作曲) 。 楽しい場面よりは、切迫感や悲壮感を表す部分によく使用されてい ます。 変拍子が安定より不安定さを感じさせやすいためですね。機会を作 って譜面を見てみるとそれだけでもおもしろいと思います。(♯Б) ○「英語でしゃべらナイト」 先日の放送では、スペシャル・ゲスト、郷ひろみさんが出演してい ました。NY でのヴォーカル・レッスンの様子も VTR で流れまし た。そんな中、郷さんが歌について語りながら、声を出していて、 途中でクラシックの発声でも出していて、 「こういう声で歌ったら、 僕の声らしさがでないけど」と言ったあと、 「こういう風に歌えば、 僕らしくなる」とポップスをミックスした声で、 「ジャパーン!」 と皆がイメージするような声で歌っていました。でも、それは郷さ んがクラシックの発声もできる基礎のしっかりとした声で歌って いるという裏づけでした。私は「そう、そう」と画面の前で納得。 まさに生徒さんに目指してほしい方向だったからです。声の道がで きる前に色々な声を出そうとしても、軌道修正する道がないのだか ら、わからなくなってしまいます。声の道が整ってから、自分の個 性を出したり、色づけをしてほしいと思います。 (♯Θ) ○ダイナミクスについて 声の4つの因子の中で「強弱」があります。音楽の中ではピアノ、 フォルテなど呼ばれるものであったり、アクセントやクレッシェン ドなど音量の変化を表します。楽譜の中で、山田耕筰のように細か く音楽記号を書き記している作曲者もいれば、まったく指示を出さ ない作曲者もいます。どちらにしても、一曲のなかで音量を変化さ せなければ単調なものになってしまいます。それには『声の3要素』 である呼吸で調節をします。しかし、息の吸える量は人によって 様々ですから数値で説明しても分かり難いと思います。そこで音楽 の利点である感覚を利用してください。ピアノ~フォルテまでの音 量の変化は自分で調節すればよいのです。少なくともピアノ、メゾ ピアノ、メゾフォルテ、フォルテの4段階は明確に音量の違いを出 せるようにしましょう。この変化量をダイナミクスと言います。自 分の声は自分でしかコントロールできません。まずは呼吸をコント ロールさせるところから始めましょう。(♭Π) ■チーフトレーナーの一言アドバイス 自分にあてはまるものをチェックしてみましょう。 <発声> 発声> ○視線を下げない。視線の先に声が乗ってゆくのだから、視線の先 が大切。これから先は音楽性も問われてくる。歌が一本調子になら ないように、その部分も磨いていくこと。 17 ○点や丸をあまり意識しないで、思いをつなげていくこと。テンシ ョンを切らさずに、一文一気持ちのつもりで読んでいくこと。 ○発声時のリラックスした体の使い方で歌っていくこと。のどで頑 張りすぎるためか、息も続かない。もっとリラックスして、体も腹 筋も固めないこと。 ○視線の先に声が届く。例えば、遠くを見れば遠くに届くし、目を 伏せていれば、声も伸びていかない。視線の先をしっかりイメージ していくこと。 ○慢性の喉疲労。病院に通うことを勧める。発声を良くするだけで は、のどは治らない。 ○呼吸法を行う。まずは強く息が吐けるようにしていく。リラック スして強い息を吐いていく。日々体に覚えこませていくこと。 ○表情や動きの前に、気持ちがある。その気持ちも体から感じてい くこと。体で感じ、体から気持ちを出していく。体もリアルにお芝 居をしている。 ○姿勢が悪い。腰が引けてしまうので、重心をしっかり感じて、胸 を開いていくこと。口の力は抜けてきているが、閉じすぎてしまう。 自然な形にしていきたい。 ○入り込みすぎて、冷静さを失わないように。ある程度、冷静さを キープしつつ、感情の高まりを表現していくこと。その中から、自 然なのどの使い方も生まれてくる。 ○腹式呼吸の確認をする。体を固めてしまうので、リラックスした 上で、強い息が吐ける筋肉を鍛えていくこと。柔軟な腹回りにして いくこと。 ○ボリュームを上げて読んでいくこと。まずは息を吐ききること。 吐ききることで、次に自然に息が入ってくる。フレーズの最後まで 集中して、息を吐ききること。 ○自分の好きな理想の声があるとは思うが、まずは自分の声に興味 を持って、自分の声が好きになること。 ○正確にきれいに歌えている。地声から裏声の移行が気になるよう だが、聞いていて、あまり気にならない。そういった声自体のこと よりも、内容に入っていく、役として歌っていく意識がもっとほし い。声楽はこのまま続けていってほしい。 <せりふ> せりふ> ○フリートークの中では違和感なく話せている。声が出ている自分 というものに、もっと自信を持っていい。 <日本語曲> 日本語曲> ○上半身の力を抜いていくこと。浅い気持ちで歌っているので、そ ういうことになる。深いポジションから、深い気持ち、リアルな自 分自身の思いを、声に乗せていくこと。 ○内容さえ把握していれば、スムーズにことばも出てくるし、こと ばに力がある。あとは本人が自信を持つこと。いい声であると自信 を持つこと。 ○技術的な細かいこだわりがあるが、こだわりすぎないこと。声に 思いも乗せていくこと。イメージすることで表現も豊かになってく る。 ○リアルな思いを作って歌うこと。歌詞の説明ではなく、歌手がど う感じているかを、お客さんは聞きたい。イメージを強く、思いを 強く、前に出していくこと。それが出来てから、技術的なことを補 っていく。 ○息の流れを感じて、シンプルに読んでいくこと。少し慣れてきた せいか、細かなニュアンスが入ってきて、臭くなってしまう。原点 に帰ってシンプルに。 ○体の深いところから声を出していくこと。日本語を英語だと思っ て、あいまいに歌っていくこと。その時のひびきを大切にしていく こと。 ○力みすぎる。正しく発音しようとしているのはわかるが、口、あ ごはもっとリラックスしたほうが、ことばも自然に出てくる。正し く発音したいのならば、息の強さで調整していくこと。 ○声が上ずり、浅くなる。腹から声を出していくこと。そのイメー ジを常に持っておくこと。思いも息も下から下から出していくこと。 ○自分の中で殻が破れていない。殻を破るにはどうしたらいいの か?気持ちをもっと込めるためには?もっと考えていくこと。 ○体が鳴ってきている。普段の声とセリフの時の声をミックスさせ ていくこと。普段から、深い声でしゃべっていくこと。普段からの 心がけが必要。 ○気持ちがあって、その歌詞が出てくる。どんな思いを伝えたいの か?伝える内容がほしい。もう少し気持ちを出していくこと。 ○母音で読む練習、母音でつなげていく練習をする。違和感はある が、慣れてくれば、なめらかになってくるはず。慣れてくるまでは <2音><3音>で練習していくこと。 ○もう少し喉の力を抜いていくこと。息の流れに集中していくこと。 のどの力が抜けている時は、息の流れがいい。その感覚を覚えてい くこと。 ○体がひびいている時は、声が低くなる。この低い声を自分の本来 の声だと思い、そしてこの声を基準に、普段の声を見ていくように。 長時間話している時でも、時おり、低い声かどうか、チェックして いくこと。 ○歌い方がパワフルでも繊細に歌える。イメージを強く持って歌っ ていくこと。あいまいな思いが、そのまま歌に出てしまう。思いの あいまいさは、なくしていくこと。 ○腹から声を出していくこと。声を出している時には、息の流れを 常に感じていくこと。先へ先へ息を流していくこと。体から声を出 す感覚を、体に覚えさせていくこと。 ○歌詞をなぞっているだけになってしまう。なぜその歌詞が出てく るのか?思いをもっと突き詰めて考えていくこと。そしてその思い を体に入れていくこと。 18 ○なめらかに歌っていくこと。思いを遠くへ投げていくこと。気持 ちが弱い。思いが薄い。自分でどれだけ日々練習を積み上げていく かが課題。 ○語りから歌への気持ちの流れを、もっと大切にしていくこと。 気持ちが高まったから、歌ってしまうという自然な流れを作り出し ていくこと。 ○まずは息の流れで、なめらかにつなげていくこと。その感覚が体 に入ったら、ゴツゴツ歌っていってもいい。テンションの流れ、息 の流れを大切にしていくこと。 ○全力で歌いすぎて、一本調子。もっと緩急をつけていくこと、息 の流れの変化をつけていくこと。ことばを積み上げていく。テンシ ョンを積み上げていく。 ○歌いすぎてしまう。歌うことで満足しない。しゃべるつもりで、 ちょうどいい。しゃべるつもりで、息は流していくこと。ことばや 内容にもっと集中していくこと。 <英語曲・ 英語曲・ジャズ> ジャズ> ○アカペラになると、テンポ感がなくなり、止まって聞こえてしま う。意識して進んでいき、流れをよくしていくこと。次のフレーズ を意識して進んでいくこと。 ○のどで押さなくなってきている。重くなってしまうので、のどは リラックスしていくこと。しっかり声を出しても、前に前に進んで いくイメージは持っておくこと。 ○歌わない。歌いすぎて、気持ちが入ってこない。 「語る」 「叫ぶ」 の延長に歌があると思って、思いを込めていくこと。 ○歌いすぎて、一本調子に聞こえる。息の流れの変化がつくように、 歌いすぎないこと。丁寧に息の流れでつなげていき、流れに変化を つけていくこと。 ○あいまいな気持ちのまま、気持ちを出そうとしている。もっと具 体的に内容を見つめて、自分自身の思いを確認しておくこと。考え ること、歌うこと、同じ。 ○もっと爆発力がほしい。思い切りが足りない。テンション高く歌 い上げていくこと。譜面どおりではなく、もっと自由な流れを作っ ていくこと。 ○歌い上げることには集中しているが、何を伝えたいのかがわから ない。思いは強く、歌はシンプルに。具体的に感じていくこと。 ○何度も原曲のスキャットを聞くこと。真似できるのなら真似して いい。そのうえで自分のフレーズを作っていくこと。決まりにとら われないで、自由に歌っていくこと。 ○丁寧に歌っていくこと。フレーズのつなぎも丁寧に。歌うこと自 体に集中しすぎないで、ことばやイメージに集中していくこと。 徐々に力も抜けてきている。 ○ブレスが浅くなってしまう。ブレスも歌の一部だと思って、丁寧 にたっぷりすること。英語のワンセンテンスを息の流れと、気持ち の流れでつなげていくこと。 ○声を遠くへ送ることは意識できている。それをイメージしすぎて、 声が浅くなってしまう。上半身をリラックスさせて、お腹の深いと ころから、声を出していくこと。 <カンツォーネ・ カンツォーネ・シャンソン> シャンソン> ○高音を出す時、頑張りすぎず、抜きすぎないポイントを見つけて いくこと。テンションの高い状態でも、体を使って、のどをリラッ クスさせて歌っていくこと。 ○気持ちが出てこない。もっと出していくこと。普段の自分の気持 ちの振り幅しか出てこないので、思いを高め、多くの人に聞かれて いるイメージを常に持つこと。気持ちを大きく。 ○シンプルに歌っている時は、体で歌っている時。細かい表現では なくて、体から声を出していくこと。 ○消極的にならないように。体の深いところから、しっかり歌って いくこと。またフレーズのとらえ方が点々になってしまう。フレー ズをなめらかにつなげていくこと。 ○「マ」で歌っている時の、なめらかなイメージを壊さずに、イタ リア語を扱っていくこと。イタリア語の読みの練習もしていくこと。 流れを感じて、何度も読んでいくこと。 ○高音の裏声はいい声をしている。この声を生かすためにも、地声 を充実させていきたい。 もっとリラックスして地声を出していくこと。なめらかに歌ってい くこと。 ○ハミングがのどに力が入らなくて、フレーズの流れをつかみやす い。ハミングの延長で声を出していけるように工夫していくこと。 ○雑。イメージができていない。集中力がない。いいものを持って いるのだから、後は本人の自覚。 ○少しづつ安定してきている。フレーズを次に次につなげていくこ と。テンションを抜くことなく、キープして、歌い続けていくこと。 ○いい地声をしている。力を抜くことも覚えていくこと。歌に対し てもっと、内容からとらえていく部分があってもいい。 ○「ア→オ→ウ」 「ア→エ→イ」の流れで、ひびきをキープしたま ま歌っていくこと。日本語的な、ひびきの浅い感覚を捨てていくこ と。 ○のどで頑張りすぎる。抜くところは抜いていい。ことばの意味も 考えていき、すべての音に、均等に力を入れすぎないようにしてい くこと。流れを大切に。 ○テンション高く歌いだすこと。消極的に歌い出さないこと。その 上でなめらかに歌っていくこと。集中して歌の世界に入ること、集 中力が甘い。 ○リアルな時間、リアルな空間を感じて、自分の世界を作っていく こと。歌の中で自分がどう感じているのか?その部分をお客さんは 聞いている。歌の世界に入ること。 ○なめらかにつなげようとしているが、流れが停滞してしまう。流 れは前へ前へつなげていくこと。前へ前へ進んでいきながら、なめ 19 らかさを出していくこと。 ○歌うことで満足しないこと。声を出さないで歌った時に、どんな 感覚になるのか、よく感じてみること。ボリュームではなく、ボリ ューム感のある深い声を目指すこと。 ○フレーズのつなぎを大切にしていくこと。次へ次へテンションを つなげていく。ブレスで思いを深くして、次につなげていくこと。 大きなフレーズでとらえていくこと。 ○高音を頑張りすぎる。もっと低音からのひびき、流れを生かして いくこと。フレーズとフレーズのつなぎも雑。大きく、なめらかに つなげていくこと。 ○メロディーに高低差があっても、なめらかにつなげていくこと。 深い呼吸で、のどへの意識を少なくしていくこと。のど中心にしな いこと。体調管理、体力作りがこれからの課題。 ○イタリア語の発音にこだわりすぎずに、なめらかに歌えている。 このなめらかな感覚を体に染み込ませていくこと。日本語との違い を体で感じていくこと。 ○声楽的なイメージで歌っていくこと。イタリア語になると、力で 押してしまう。ことばをはっきりさせることよりも、今は、ひびき の流れを大切につなげていくこと。 ○思いがあいまい。もっと具体的に考えていくこと。表面的な歌詞 から、あいまいな意味を考えないこと。もっともっと深く考えてい くこと。 ○自分の歌いやすいポジションで歌うと、声も浅くなる。もっと深 い声をイメージして出していくこと。お腹で息を取り込むこと。無 理やり上半身で吸わないこと。 ○丁寧に音をつなげていくこと。そして低音から高音へのなめらか な流れを作っていくこと。 ○地声であっても裏声であっても、流れでつなげていくこと。イタ リア語のひびきを大切にしていくこと。このひびきをつなげていく こと。 ○歌い続けていくうちに、力が入ってくる。のどはリラックスとい うことを、常に考えておくこと。息から声。この流れを感じていく こと。 ○イタリア語、日本語、母音、言語を区別することなく、歌い込ん でいくこと。声を出すこと自体に集中しすぎないで、息の流れに、 ことばの意味に集中していくこと。 ○ことばに気持ちを込めようとしすぎて、フレーズの流れが切れて しまう。フレーズはなめらかにつなげていくこと。それにより、こ とばもつながり、ことばの意味も出てくる。 ○なめらかに歌ってはいるが、フレーズが停滞して聞こえる。テン ションを上げて、次につなげていくこと。フレーズを進めていくこ と。 ○歌いすぎないこと。いい声は出ているが、歌いすぎて内容が出て こない。原曲を真似してもいいが、練習していく段階で、自分の歌 にしていくこと。 ○フレーズとしてなめらかにとらえていくこと。日本語の意味をも っと深く考えていくこと。何度も歌詞を読み込んでくること。 <オリジナル> オリジナル> ○内容に対してのイメージが弱い。歌う前にもっともっと深く考え ておくこと。日本語の歌詞をもっと読み込んでおくこと。 ○軽く歌っていっていい。流れが止まってしまうほど、重くなりす ぎないように。軽く歌うが、体の支えはしっかり保つこと。体の中 心から丁寧に声を出していくこと。 ○体を固めすぎないこと。高音も力が抜けてきている。頑張りすぎ ずに、声を集めていくこと。 ○定期的にライブを行っていく中からいろいろ経験していき、歌以 外のことも学んでいくこと。貪欲に吸収していくこと。すべてが歌 のためになる。 ○少しボリュームのある声を出していくこと。そして息を流し続け て、フレーズをなめらかにしていくこと。低音は頑張りすぎないで、 息の流れでつなげていくこと。 ○自分の思いを歌っているが、思いの集中が散漫。思いの先をもっ とはっきりさせること。思いを固めていくこと。歌わない。思いに 集中するだけでいい。 ○のどの頑張りと、気持ちの高ぶりが連動してしまう。気持ちは込 めるが、そのことで、のどに力が入りすぎないように。 ○自分ができること、歌だけではなく、ラップ、ダンス、等あるの ならば、そこも鍛えていくこと。表現すべてにおいて、貪欲にアプ ローチしていくこと。 ○呼吸の安定感がほしい。歌えば歌うほど、息も浅くなり、胸で呼 吸をしてしまう。気持ちも落ち着かせて、体もリラックスして、安 定した深い呼吸がほしい。 ○モチベーションが下がっている。やる気を出すためにも、一旦歌 から離れてみるのもいい。まずは何でもいいので、一所懸命体を動 かしたり、働いたりしていくこと。外からもう一度、歌をやる意味 を考えていくこと。 ○息をたくさん取り込むために、息をしっかり吐ききること。もっ と前へ前へ進んでいくイメージで、なめらかさが出てくる。 ○最後まで息を流し続けること。集中して切ること。ことばが点々 になってしまうので、フレーズをもっとなめらかに扱っていくこと。 ○時間の使い方をもっと考えていくこと。自分に与えられた環境の 中で最大限の努力をしていくこと。完璧主義になりすぎずに、でき ることをやっていくこと。 ○平らにシンプルに歌っていくこと。そしてその声に気持ちを入れ ていくこと。表面的な浅い表現にしないこと。メロディーラインを しっかり感じて、流れを乱さないこと。 20 ■トレーナーとのQ&A 研究所内外の質問とトレーナーの回答です。 これも相手、目的やトレーナーによって、回答が異なることもありま す。参考までにしてください。 Q.弾き語りの際の姿勢について。マイクがあると、そこに意識を とられ、余計な力がはいりやすいのですが。 A.マイクをあまり意識しすぎないことです。まずはマイクのない 状態、ピアノのない状態で、リラックスして歌えるようにしていく ことです。 Q.声に伸びがありません。どうすればよいでしょうか? A.息の流れが解決してくれると思います。曲でも発声練習でも、 フレーズを感じて歌っていきましょう。そしてひとつひとつのフレ ーズがしっかり作れるようになったら、次の段階として、フレーズ 同士の間でその都度切れるのではなく、ブレスの間でも音楽を感じ られるようにしましょう。最終的には曲全体の構想が見えてきて、 どこをピアノで出すか、どこでフォルテにするかが分かれば、おの ずとその方向性に向かって息が流れるはずです。 声の伸び=(イコール)声の大きさではありません。芯のある声 であればピアノでもフォルテでも声は伸びるものです。したがって、 呼吸がキーポイントになります。息の流れをコントロールできるよ うに、地道に呼吸法を続けていってください。 Q.息が長く続かないのですが、腹筋や息吐きのほかに方法はあり ますか? A.息吐きが一番大切です。それ以外となると、体を鍛える、有酸 素運動をする、呼吸法をする、といったところでしょうか。 また息を長く続かせることは、あまり気にしないことです。長く続 かせようとして、逆に力が入ってしまい長く続かなくなります。効 率のいいポジションにおさまれば、いずれ長く続くようになってき ます。 Q.全身を力みながら、声を出すシチュエーションはあるのでしょ うか? Q.ヴィヴラートをつけたいのですが。 A.オペラなどでは、もちろんあります。全身が力むくらいの思い になった時は、そうなるはずです。しかしトレーニングの際は、あ る程度、体をリラックスさせてから、声を出す練習をしていってく ださい。そして徐々に下半身で支えて、声を出せるようにしていき ましょう。 A.私の考えでは、早くからヴィヴラートをつけた声にしてしまう とノドに負担がかかると思い、そのままの方が良いと思います。ま た、ヴィヴラートは響けば自然につくと思うのですが・・・ Q.発声に関して意識する場所にも個人差があるのでしょうか?ま たあるとしたら自分のオリジナルポイントを探した方がよいので しょうか。 Q.音程、音感が悪いのは、耳が悪いからなのでしょうか? A.耳が慣れていないということはあるかもしれません。音に対し て常に敏感であること。そういう習慣を作っていけば、徐々に音を 聞ける耳になってきます。 また体がうまく使われていないせいもあります。頭の中では、正 しい音程をイメージできていても、それを発する体が対応していな ければ、音程は定まりません。体も自由に扱えるようにしていくこ とです。体から声を出していくことです。 A.この質問の「意識する場所」とは、共鳴させる場所のことを指 すのでしょうか。これに関してピンポイントに説明してある文章が あるので紹介します。是非参考にしてください。 「アンザッツは、出そうとしている声の強さ、高さにより、またい くらかは母音の種類によっても、歌おうとしている音楽のそれぞれ のスタイルによっても、異なったものとなるだろう。しかしながら ー支配的な考え方をもう一度言わせてもらうがーこの声の当る場 所というのは、その原因すなわち、それに対応する発声器官の働き がどうか、ということによって決るのである。そのことは非常に規 則正しく現れるものだから、そこには個人差の介入する余地はまっ たくない。 歌手や発声指導者が、およそまったく単純なやり方で、彼の音響現 象ーすなわち、そこでも知られており、昔から知られているアンザ ッツを喚起することによって、しかもかなりの成功率をもって、発 声器官の筋肉とその働き方に作用を及ぼしているのだが、もっとほ かに理由があるだろうか?もちろん、とにかくこれを実行すること こそ、声を開発するための、最も有望な可能性のひとつが、存在し ているのだ。そして、歌手や発声指導者は、この信頼に足るアンザ ッツの実施を、十分頼りにするべきなのだ。 個人的なのは、自分ができるアンザッツの中の、どれを歌手が特に 好んで用いるか、ということだけである。 」 (歌うことー発声器官の肉体的特質ー)フレデリック・フースラー Q.発声練習したときの感覚が曲だと活かされません。何が違うの でしょうか? A.曲といっても作品として仕上げる歌い方と、ここでレッスンし ているように、発声をそのまま生かして歌う歌い方があります。私 のレッスンの場合、声のコントロールの仕方を曲を通して理解して もらいたいので、発声練習と同じように歌ってもらっています。し かし、あくまでこれはベースとなるものですので、実際人前で歌う 時は同じように歌わなくてもよいと思います。 曲によっては英語など外国語の場合もあるので、この発声の仕方 がベストであると一概には言えないかもしれません。ただ、発声の 仕方が分かっていれば、自分の歌に取り入れられることができるの ではないでしょうか?いわゆる、応用が効くようになると思います。 今すぐに曲に活かされなくとも、続けていく間に自然と体が覚えて いって、意図的に活かすことができるようになります。自分の声を コントロールするのはそう簡単なものではありません。焦らずひと つひとつ確実に身につけていきましょう。 Q.以前より声の密度が上がり、話し声も大きな声になったと感じ るが、しっかり息が出せている時と、出せていない時がある。 息に意識をとられると、支えが抜けるが、両者はどういう関係なの か? Q.コンコーネ No.6 の低いミから高いミにすぐ移るところが難し いのですが・・・ A.今までレガートでゆったりした曲想が多かったのですがここに 来て伴奏形も先頭にアクセント、力が入る形でついどなり勝ちに歌 A.息をしっかり吐くというイメージと、それをしっかり支えると いうイメージ、両方を常に持っておくことです。両方大切なのです。 21 ってしまう人が多いのではないでしょうか?しかしここは落ち着 いて、伴奏部に Sempre sotto voce と書いてありますね。常に声を 柔らかく、音量を落として初めから大きく歌いださず、徐々に音量 を上げていきます。テノール、ソプラノのように自然と高音も出し やすい声質の人は割とスムーズに上行形を歌えるのですが、メゾ、 バリトンはのどに詰まる音形かも知れません。低声用テキストに変 えて歌うことも考えられますができるだけ中声用を使って音域を 広げるトレーニングをして行きましょう。 後半長調に変わるところは伴奏部も最後にアクセントが来て曲想 が変わっていくところをニュアンスを上手に付けて練習しましょ う。 ○選曲の問題 歌に対するアプローチを自分軸できちっと取る 声が乗っている所でやる(ハマって無い所は捨てる位の勢い) 「ダメパターン」 声量落とす、身体の流れを抜く、小さく&ソフト 対策:もう出す。 喉に支障が無い程度なら、ある程度のボリュームでやる。 出しすぎる為におかしくなる所(語尾等)だけ注意する。 曲にアプローチする時のスタンスの取り方重要 (イメージの取り方) 「詰まっている声=動かない声」を使わない事 「しなやかに動いて乗りのある声」を使う そのポイントを中心に一曲組み立てる。そこ勝負。 ■研究生の声 研究生、通信生などのレッスンに関するレポート選です。 ○イヴェットギルベールで「辻馬車」 (日本語) 「フライミー トゥ ザ ムーン」聴く 「メアクレパ」 「エモチオーニ」 辻馬車、コレは出来ない… 出来たらラッパー。 <福島英の 福島英のレッスン> レッスン> ○構成をきっちりとって、それでもっていかないとダメだと思いま した。肝心な所が乱れがちになるのも考えが足りない証拠。 いつも勢いでばっかり流れにのせてしまうので、それが出来ない曲 調でダメなパターンが表れ過ぎる。 「4、5サイズ」が乱れがちなのもこれかもしれない。 7、8、9の声で勝負せずに 4、5の所をもっと丁寧に出す。 しかし、そうすると急にしょぼくなるパターンもあるので… やっぱり構成の練り込みが必要なのですね。 4、5でもフレーズを止めてはいけない。 だからはじめは10で作っておくのだな、そうか… しみ込むと落としても流れる。あそーか。 凄いナマケモノだったのだなぁ。 ○「固い」圧迫している感じ。 もっと「ねばっこさ」 「やわらかさ」必要。 声が抑圧されている→もっと『解放』する! イメージの問題だろうかしら、自分でもピンと来ない状態が続いて いる。むー。 なんか混乱ほどじゃないが、もつれた感じするです。 ○日本のネイティブ系の曲いろいろ聴く アレサのカバー集聴く んー凄まじいです。 ○早めに勝負! 変化をずるずる後延ばしすると、どんどん苦しくなる。 もっと早めにまとめて行く。もっと楽に歌う。 (勝負所を広げたり長くしたりしない) 「スピードを変えてみる練習」 1. ゆっくりやってみる つながりを見てみる。 一つ一つ確認しながらフレーズをつなげて行く 2.凄い早くしてみる 自分の呼吸に充分な余裕があるところで動きをとらえる 1フレーズでとらえる。ひとつにしてみる。 曲全体を(4フレーズや8フレーズを)ひとつにとらえる。 ○オーティス・レディングいろいろ聴く 語っているだけ、というかザックリした節回し。 ちょっと変なとこも、それもファンキーに思える。 どっか氣狂い入ってないと面白うないですもの。 世界的に有名な日本語は「オタク」と「ヘンタイ」だものなあ。 妙なのはエンタメの基本。そおやった、忘れとった。 日本語カンツォーネ数曲聴く 「ノートル・コンチェルト」 不思議な旋律。 こういうのは頭を空っぽにしてやらないと、考えるとドツボにはま っちゃう… 「青春に恋しよう」 ○ひく所はキッチリひく!土俵から出るくらいにひいてみる。 メリハリをつける。 ○荒井恍子さんのライブ聴く。 凄いこの人…同じ人が歌ってるの?って感じです。 「変声」で歌っているお金の歌、いい感じで押し切ってた。 MC の声があくまで基本ですね。 そして次の曲、全く違う声で「スッ」と歌っているが、一体どうい うふうになってんのかしら。 ○青木裕史 「我が心のアラーフェス」 「モナムール」 「辻馬車」 イヴェットギルヴェール版も聴く カルメンマキライブ聴く やりにくい、とり辛い。 。 。 やだなあと思いつつ、長い時間さんざん我慢して聴いて、その後に 原曲を聴いたら…曲のイメージがグッと UP した。 不思議だがよくある。日本もののどこがそんなに苦しいなかなあ。 日本もの特有の「こういう感じでつかみたくない」って所を外して やってみようと試みるんですけど、そうすると音楽もつかみそこね ちゃったりしてしまう。むつかしいなあ。 「美しい恋の物語」 タイトルと曲の気配とのギャップが素敵。 何故ピアフはこんなにゴムみたいなフレーズを作れるのでしょう。 高低差もまるで感じない。 何もしていないみたいで、何もかもが調度良い感じになっている。 じーっと聴いてみたけれど、どうしても計れないのだった。 22 数値に表すことが出来ない類いのものなのかなあ。(NI) 働くほどにおかしくなりそうだったのでひとます別問題として置 いておき、コード内で自分の歌いやすいようにしたがなんとも情け ない事だ。次に歌詞の 2 番でA部分。1 番の詞に比べ、 「奇跡」だ とか「神を呪い」 「神に縋り」だとか「とり乱して」だとか非日常 的な言葉が続く。今度はこの言葉の持つ意味からアプローチを試み た。 「神を呪い」なんて言葉、ふにゃふにゃな声で言ってられない! スタンスを1番の、ただの言葉によるたたみかけから、 「悲壮感」 「叫び」にチェンジ。思惑には近い結果だったが、帰りの電車の中 で「今日のあの部分、もっと目茶苦茶、気が狂ったようにやったら よかった…」と、感じたという事は中途半端だったという事だろう か。もし、やってた場合、もっと音楽が壊れていただろうけど。次 にA部分の 3 番。実験的に「この曲のA部分はたたみかけるのだ」 という思いこみを捨てて、 「バラードの出だしのつもりで」という スタンスに変えてみた。結果、 「お!?なんか暖かみのある声で言 葉が言えたな」という事が起きたので、このアプローチはこれはこ れで他の曲で使えそうだ。そしてB'部分の最後のフレーズが 6 回 続くエンディング部分。イメージとしてどんどん高揚していく感じ があったのだが、いざやってみると変化がつかない。同じメロディ (しかも短い)の繰り返しでそれをする事の難しさを実感した。 徐々に声を大きくしていけば高揚感が出るという単純なものでも ないし、一つの課題として持ち帰る。 「高揚感を出す」というイメ ージそのものを変えて違うアプローチでいくのも考えていこう。今 日最後のフレーズまわし。1番を通して歌唱だ。キーは音源のまま オクターブ下で。本来ならばキーを自分のベストに変えなければな らないのだが、メロディがきっちり体に入っている自信がなかった。 A部分はやはりもう少し高い所の方がイメージのたたみかけがし やすい。B、B'に関してはまだまだ歌う前のスタンス、イメージ を作る所、メロディをきっちり入れる所での問題だな。なにはとも あれ、今日の曲は色々な自分の要素、特徴等が良い部分も悪い部分 も両方出たような気がする。それをいかにピックアップして使いも のになるようにしていくか、自分の良い所も悪い所もしっかり把握 していくかが大切になってくると思う。(YK) ○「美しい恋の物語」 きいていて気がついたこと。 アライさんのほうは、出だしの最後: “あなたがいる”と曲の終わ り: “あなたがいる”が、リンクしている。 (どういった違いがあるのか詳細は聴き取れなかった。 ) サビは、どう処理していいのかわからない。こういったパターンの 曲は、馴染みがない。 ○沖縄民謡を聴くと、夏だなぁと思う。 アレサ・フランクリン 「let it be」のカバーは初めて聴いた。 原曲とは、異なるアレンジだが聴いていて気持がよかった。 特に、サビはどうするのかと思っていたが納得のいくものだった。 Otis Reddding ベタベタと声を伸ばしているわけではないのに、きちんと声がつな がって聞こえる。同時に、ことばとしても聞こえる。 「ノートル・コンチェルト」 リズム、メロディともに馴染みがなく、コピーさえできなかった。 自分の状態について知る。 ○声をはりあげないところで魅せるのが狙いだったが、出だしから こけた。声がうわずり、コントロールできず。焦って、結局力でお してしまった。本番で、低音や小さい音をだすことは難しいのだと 思った。が、だんだん慣れてきているのでできるようになるのも時 間の問題だ。 詰めが甘いということは自覚している。どうやって創っていくのか はわかりはじめた。 しかし、完成させるまでの執念が足りない。そこを粘れることが、 成長するということなのだ。(TU) ○今日、フレーズまわしをした曲はA→A’→B→B’という解り やすい構成。定石的なこの曲の解釈としてA部分は言葉、リズムで たたみかけてB部分でメロディックにという解釈があった。まずは A部分から。音源の歌い手が女性なのでオクターブ下で口ずさんで メロディを覚えこむ。その後、一人 3 回ずつ続けてフレーズを回し た。一回目はオクターブ下の覚えたキーのまま出し、メロディを体 に染み込ませる。2 回目。 「このA部分は芯のある声で外に投げ掛 けないと成り立たない。 」という曲の解釈から、言葉が外に飛びや すいようにキーを上げる。歌詞内容とメロディラインが合っている ように感じたので比較的、世界に入りやすかったように思う。3 回 目。どう料理しようか?というのを考える。音源の歌い手は語尾を ビブラートで処理しているのを自分もそのまま盗ってフレーズを 出しているが果たして?頭の中でイメトレしてみた。 「駄目だ。ビ ブラートを外すとだらしなく間延びしまくる。じゃあ言葉としての 要素を強めて語尾を伸ばさず、言い切るような感じで切ってみよう。 しっくりくるが、バックの演奏のブレイク音?『ジャアジャ!!』 までが無音になってしまう。ここは無音より音が合った方がいいよ なぁ~。 」となって、結局はビブラート部分はそのまま盗る事にし た。結構シンプルなメロディが続くので単調になるのも避けたい。 結果、自然にメロディに誘われたのもあるが言葉としてのたたみか けの最中でも呼吸レベルでの抜く部分も少し出せた感覚があった。 <トレーナーの トレーナーのレッスン> レッスン> ○今回から、大きな声を遠くに飛ばす訓練をしていただくことにな りました。 まず最初に「声優入門」44ページの口慣らしトレーニングの中の ペチャペチャしやすい、ナ行タ行を使って今まで通りの発声練習。 次に、大きな声を高いキーにして「ナ行タ行」 。 さらにこの声を新宿の駅まで飛ばすつもりで。 (久しぶりに大きな声を出したのですが、入会する前より確実に大 きな声を出せるようになっているので驚きました) 今度はそれを母音だけで。 今度は普通に。 それを普通のまま飛ばす。 再度、大きな声を高いキーで。 次に、ここで出た音を普通に、そして前で喋るつもりで。 「最後に出した声は身体から離れている。これなら少し遠くにいる 人にもきちんと届く。 また、のどを締め付けている感じがしないので、聞いていて心地よ い。 」 ○91 ページ 声量を変えるトレーニング Ex.1 大きな声で 上記、最初のレッスンをこなした後だったこともあり、きちんと大 きな声が出せました。 ○出だし「忘れるには」の「わすれ」だけで音源の歌い手はかなり ニュアンスを入れている。Aで見せた、たたみかけに対してかなり 繊細に言葉を動かしメロウにしていると感じた。自分がだしてみる と、なんか違う。まずメロディを覚え込む為にAの時のようにオク ターブ下で出したのだが、違和感。特に「綺麗すぎる」の「すぎる」 の部分のピッチがとれていない。とりにいこうという意識が働けば Ex.2 小さな声で はじめに、普通の自分の声を少し小さめにした状態で文章を読んだ 23 ところ、 「そうではなく、ささやき声にして読んで下さい」とのご 指摘を受けました。 この「Ex.2 小さな声で」のトレーニングでは、ささやき声を新宿 の駅まで飛ばすつもりで行う。 それを行った後、大きな声で同じ文章を読むと遠くへ飛ばしやすく なる。 これが「小さな声を出すことで通り道ができる、ということ。声量 をごまかさないということ。 」 この訓練なら集合住宅でも可能。 ちょっとした意識が必要であり、そのイメージだけをもっていれば ミスることもない。 今日のレッスンで得たものは、 (1)気楽さは常に(2)子音(3) 流れ、強で巻き込む(4)コンパクト、省エネ。 (1)は、とにか く声をよくしようと思い、無意識に強めている。そのため、言葉と して生きてこないのである。 (2)は、子音としての発音がうまく いかない、できていないのと、子音だけをちゃんと発音する練習が 必要。 (3)は、子音の流れにまかせるのとイメージが足りない。 縦十円のイメージの欠けているのをとにかくイメージとしてもっ ていくということが必要。 (4)は、コンパクトは今まで言われて きたこと。そのまま、小さくまとめるということだが、そのイメー ジがあまりわかない。軽く、小さくまとめていくと流れがきえてい くイメージがあるし、実際やってみても微妙という感じ。まあ、そ こから研究して、自分のものにしていくわけだから、一番得れるこ とでもある。 Ex.3 大きな声と小さな声を組み合わせて 文章の内容に従い、大きな声と小さな声とで発声し分ける。 今度はその声の大きさを、逆にして読んでみる。 また、全部大きな声にしてみたり、小さな声にしてみたりする。 『オペラの訓練にも、ささやき声を使うものがある。この声で全部 歌える訓練をする。sotto voce といって学術用語にもなっている。 ノドのためにもよい。 また、このレッスンは大きな声を使うレッスンとは違い、ごまかし が聞かない。小さな声で綺麗に歌えれば、大きな声でもきちんと発 声できる。 「小さな声を出すからこそ、大きなところの通り道を見つけやす い。 」 sotto voce は、上手な人ほどできる。これができるのが一流。こ の声でもきちんと響かせてやれば3千人の前でも届く。大きな声で しか発声できないのは三流。 』 -大変参考になりました。(NR) ○「全ては円の動き」 呼吸も円の動き 吸う&吐く―切らさずにまわし続ける フレーズもリズムもまわる 太鼓の動きも円である すべては直線ではない円の動き。 うまい人は自然にそうなっている。(NI) ○呼吸の流動。まず仰向けになり、足の裏から空気を取り入れ、背 中から後頭部にかけて一本のラインをイメージして息を流し、頭を 抜けて上空からスタート地点の足の裏に向けて、回転ジェットコー スターのような軌道を描き流動させる。ポイントとしてはできるだ け大きな軌道を描く事。この事によって呼吸も深く大きくなるよう にする。大きく描きすぎて自分の体の器を越えてスタート地点の足 の裏まで戻れなくなった時もあった。この時に「今やっている事は 器の拡大というよりはむしろ『循環』を目的としているのだ」と気 付き、修正。うまく流動して循環できる楕円軌道イメージにもどし た。もどしたが、それでもできる範囲内で軌道イメージは大きく。 足の裏では「吸う」という意識よりは「入ってくる」という意識の 方がよい。今までポジショニングイメージとしてお尻ぐらいまでは もっていたが、足の裏までの低いポジションは意識した事がなかっ たので、今後さらに密度のある声を出す事を目的に、トレーニング 段階として足の裏もポジショニング箇所としてとりいれていこう かと思う。続いてこの一連の流れを、立ち姿勢で。流動の軌道イメ ージは仰向けの時と同じ。軌道イメージをさらに明確にして息の流 れがイメージに近くなるように手の動きもつけながらやる。首の後、 後頭部をしっかり通ってから外に出ていく楕円を描くとうまく回 った感じがした。この流動イメージをもったまま歌唱へ。 ○「真っ直ぐ進む」 高い所を引っ張らない⇔むしろ押す(押すわけじゃないが) 「同じ所でいる!」 引っぱりもしないし、押しもしないところ。 んー、前に倒れる感じかなあ、あえて言えば。 「出だし」注意する! そこから引っぱって上ずってたら、もうダメダメにしかなりません。 余裕で出るはずの所も「ヒーッ」って引っぱり癖がある。 それに引きずられて全部がおかしくなるので、要注意!(NI) ○『高音処理のもうひとつのアプローチ』 中高音を中心とした音程練習 あくびで<ハァー> <マァー> 唇を震わせて<ブゥー> <ワン><イェイ><ユイ><マァ><エー> 「変化(ファルセットやヘッドボイスへの切り替わり)を妨げない。 変化を許してあげる」 「動きが硬いので、急激な変化になってしまっている」 体や声の動きが硬いのは、力みが原因だと考える。また、力を入れ るのが当たり前、力を入れないと不安という感覚や、無意識(癖化 した意識)が更なる原因。癖を直すには、まずはそれに気付き、意 識し続けること。 「力まない!リラックス!」でも、それを意識し すぎると余計力が入ってしまうので難しい。体も頭もリラックスし て発声できるように。(IZ) ○テーマ曲は「島唄」 。出だしの A メロ、3 フレーズをやる。 「でい ごの花が咲き」で一楕円軌道、 「風を呼び嵐が来た」で一楕円軌道。 合計 2 軌道×3 フレーズで 6 回流動させる。まず「MA」で行う。フ レーズの最高音の箇所では軌道のピークを持っていきやすかった が、フレーズの後半の低音部分ではしぼんでいく感じになってしま った。 「終わりにむけて音が下がると共にテンションまで一緒に下 げないように」とアドバイスをして頂いた。アドバイスを承けて語 尾の低音箇所でも呼吸をしっかり流動させる事を再イメージ。多少 押し出す感じになった感覚はあるが、しぼんでいく感じは改善され たように思う。 ○自分なりの流れのイメージを忘れていた。縦でイメージをとり、 英語の強アクセントは、きちんとチェックかつ気をつける。例えば change と全部強くするわけではなく、change~→、cha にアクセン トを置き、強めるのはそこだけで、他は流れにまかせる。そのあと に流れがでてくる。言葉にするということだけを考えていたため、 変に大切なことを忘れてしまっているのだ。でも、こういうことは、 ○今日のポイントは、このようになめらかになめらかに流して歌う 事が目的ではなく、この楕円流動が安定した見えない基盤としてあ った上で好きなスタイルで自由に歌えるようになる事だ。この流動 24 の基盤がしっかりしていると、言葉重視、リズム重視、シャウト等 のスタイルでも崩れにくい、安定したものになる気がした。声が詰 まってきたり自由に動かなくなる場合はこの流動がうまくいって いないのだろう。経験あるのだが、うまくまわっている時というの はあと何時間歌い続けても大丈夫な感じがするし(これは錯覚でし ょうけど。声帯そのものの疲労、なにより集中力の低下があるでし ょうし) 、この呼吸の循環が無意識で上手くまわるかどうかという のはかなり重要だと感じた。 「ハイ」のトレーニングでもこの楕円 軌道の流動は大切だ。 「ハイ」の時は今日のようにフレーズではな いので、半径がもう少し自分よりになると思うが、今日のをきっか けに「ハイ」のクオリティとリピート再現性も問うていこう。(YK) し「呼吸の規模」を大きくする。いや、 「大きくする」と言うと力 を加えているようなので「足す」と言った方がいいかな。自然な状 態でという事だ。続いてここからは焦点を意図的に。前回やった楕 円軌道。足の裏から入り、背中、首の後ろを通って天空を回り、ま た足の裏から入ってくるイメージ。最初は細く長い呼吸で。長いと 言っても息が切れてきているのに無理やりしぼりだして伸ばすの ではなく、あくまで自分のサイズで。途中自分の心臓の鼓動に息の 流れを揺さぶられるような感覚があり流れがふらついたが、しっか り流し続ける事を意識するとそのふらつきもマシになった。次に楕 円軌道は止めて、60 くらいのテンポで 5 カウント吐き、1 カウント 吸って 5 カウント吐く事を続ける。自分の中のイメージとして後頭 部から回ってくる楕円軌道の時に比べ、口からまっすぐ前に飛んで いる感じに切り替わっていたが、それも割合の問題で、楕円軌道の 時の通り道も使う意識なく使われている感じもあった。1 カウント の時の「吸う」時も目一杯取り込もうというのではなく(それをす るといらぬ箇所に力が入る。鍛えるという目的で意図的にやる時も あるが) 、自然に「ぶわっ」っとお腹が膨らんで、空気が入ってき てくれる良い感覚があった。 ○A hard day’s night とにかく力を入れないで歌う練習をしてきてレッスンに臨みまし た。ところが実際歌ってみると、コーチからは、それ以上にもっと 力を抜いて良いと言われました。自分の中で、イメージ的にはフラ フラ歌っていて、歌になっていない感じがしたのに、コーチからは 喉の感じはそのくらいで良いとの事でした。私の場合、軽く歌って みてと指示されると力が抜け、体が鳴り、結果普通に歌った(普段 私が歌っている)時より、良い声が出るようです。キーの高いとこ ろでも頑張り過ぎないことが大事であると改めて実感させられた レッスンでした。 ○課題曲「島唄」 。前回はAメロだけ歌ったのだが、今回はBメロ、 サビまで。一回目はとりあえず体をつけた感じで歌ったのだが所詮 とりあえずで歌った感じが出てしまった。なんというか声の焦点が 右にいったり左にいったり内だったり前だったりと一本通ってな い感覚。二回目は出だし「でいごの…」から聞き手を「おっ!?」 と振り向かすぐらいのテンションで。力で行くというわけではなく て、イメージ的には威厳のある感じのイメージ。ただ歌っている最 中に感じた事だがこのフレーズ、3 回繰り返しになるので 3 回目に は「なんか単調だな」と感じた。それでも曲は進行中だ。Bメロ、 「ウージの森で…」から意識的にリズミカルに言葉で言っていく感 じにしたつもりだが、サビを予感させるような高揚感みたいなもの が出せなくなり、ここだけ単品みたいな感じになったように思う。 サビ、 「島唄よ風に乗り」までは音自体も上がるので外に解き放つ 感じが出しやすいのだが、 「鳥と共に」で少しパワーダウンして「海 を渡れ」で尻つぼみになる。音が低くなるので呼吸として高い所の 方が外に飛ばしやすいのは当たり前なのでこのあたりのバランス をどうもっていくかはこれからも課題だ。今日は対策として外に解 放するのはこの高さでは無理なので言葉で力強く言っているイメ ージで尻つぼみになるのを回避しようとしたのだが果たして。この 部分だけ重々しくなったかもしれない。3 回目、バランス、聞きや すさを意識した上で訴えかけるような要素を加味するイメージ。い つも自分を丸だしでいこうとすると力みが先行して音楽的でなく なるので、それをセーブしてくれるもう一人の自分がいる感じだ。 出だし、リラックスできているのに肉声に近い威厳のある感じが無 意識に出た!繰り返しの時には少し動きも自然に計算ではなく出 た感じ。Bメロの「ウージの森で…」からサビまではやはり問題だ。 「サビ前の高揚感」にこだわりすぎてサビ直前の「千代にさよなら」 を無理やり押し出してボリュームをつけようとした感じに。これは 高揚感とは言えない!正直、音として低いから高揚していく感じが 自分には難しいのだ。それならむしろ、とことん落として、サビで 爆発するというようなギャップ作戦で言ってもおもしろかったか も。 「なんだそりゃ!」という結果になるリスクもあるが。サビは 音色をできるだけ統一させようと意識してみた。顔に響きをもって いった技術に頼ったような、なんともいえぬ気持ちの悪さ( 「これ って表現じゃあないよな」みたいな。 )があったが、バランスはと れた! ○X JAPAN の ForeverLove 私の場合、声を出しすぎる傾向にあるので、力を抜いて歌ってみて と指示され、その通り歌ってみると、やはり結果として、深い声が 出るようになります。これは非常に良い傾向ではあると思いますが、 力を入れないように軽く歌う時や息を半分にして歌う時に、テンシ ョンまで下がってしまう欠点も見えて来たレッスンとなりました。 今回のレッスンで、野球のスイングの例え話が分かりやすかったで す。野球のバッティングで素振りの練習をやりますが、私の場合、 フォームを無視し、力まかせに振っている感じ(クリーンヒットは 期待できないような歌い方になっている)との事でした。まずは力 を入れず、フォーム重視で練習をし、インパクトまでの形をしっか りと固める事が必要であると感じました。 ○最近、やっと力を入れない方が高い声が出るという事が改めて分 かってきました。かなり以前より、高い声は力を入れると出ないと 指導していただいて来ましたが、正直いまひとつ実感がありません でした。やはり、自分の中では高い声=大きい声で、大きい声は力 を出すという考えがどこかにありました。確かに、全く力を入れな い訳ではありませんが、体は全体的にリラックスした状態で歌わな いと高い声が出ません。力まかせの歌い方では、良い声ではないし、 一時的に高い声が出ても長続きしません。とは言っても、私の場合、 まだまだ不必要な力があちこちに生じているので、どんなに高い声 でもリラックスして深い声で歌えるようになりたいと思います。 (SH) ○喉の力が徐々に抜けてきている。 息をたくさん流して良い声で歌うことと言葉としてどう聴こえて くるかのバランスを意識する 言葉(歌詞)の具体的な意味を考えながら歌う。 息の流れをよくし音と音を繋げ、さらに大きいフレーズで繋げてい く。 一音一音を深く掘り過ぎなので、小節の頭などアクセントをつける 位置を考える。(OG) ○本当は赴くままにイメージした景色に向かって爆発させたいの だが(こっちの方が表現している実感が。 ) 、先程のとおり高音部分 だけ解放して低音部分で尻つぼみになる。バランスを意識した(響 かせる場所等の技術を意識した)方が表現しようとした方より出来 ○仰向けに寝て、お腹に手をあててまずは何も意識せずに睡眠して いるようにリラックスする。あえて「どこに焦点を」等と考えない。 結果として勝手にお腹が上下に動いている状態だ。その状態から少 25 が良いという矛盾に陥るが、そこは個人的見解として、 「一人よが りの自己満足」と「表現」は紙一重であるからその要素はこれから も意識して自分をさらけ出していく事をやっていくべき。という意 識と「客観的に自分を突き放して『音楽としてどうか』と冷静に判 断できる、いかにまとめあげた作品にしていくか」というとことん、 音の流れを最重要視した意識と両方合わせもたなければならない。 という事で結論として「自分の表現したい世界は何なのか、またそ れをどう表現したいのか」というバックグラウンドを生きていく中 でしっかり意識していく事と、好き勝手やって音楽として成り立つ という事をやるなら、よほどたくさんの音楽が入ってないと無理だ から「意図的に数を入れていく事(聴き方の質も大事!) 」をやっ ていかないと難しい。はっきり言って今の自分、両方中途半端だ。 そりゃ~、何も生まれてこないわな。(YK) あてて、振動がくるように、カラダを出発して圧力を高めて。 「キケカコク」 声を発声する。額から鼻のあたりにかけて、共鳴部分のストライク ゾーンがある感じ。 なかなかできませんが、徐々にイメージできるようになってると思 います。 キケカコクをやっていたら、ウエスト(腰上)のあたりの背筋がす ごく動いていました。今までどんな練習をやってもこんなに背筋を 使うものはなかったので驚いています。(OA) ○「ミメマモム」の発声で 頭にも入っているが、半分くらいはまだ胸に入っている。声を出そ うとせず、鼻から額のあたりにかけての共鳴ボックスに閉じ込める 練習。 喉を上げるクセがある。逆に拡げること。 喉の周りは開けている感じ。周りの筋肉を開けると、声帯は閉じて いる。そういう状態。そうするとムダな息は出ない。 あくびをしたときの感じとか、息をすっている時、喉の前後の距離 が延びる。そういう使っている感じ。 声帯が開いたままシャウトとかすると、喉を痛めてしまう。前後に 長く、力の方向も相互にありながら、のど仏もリラックスしており ていること。 腰回りと、頭のポジションが一瞬で繋がるように。途中喉でじゃま をしない。無意識かもしれないが、まだ喉で言っている。頭のてっ ぺんで言うつもりで。 肩を緩めて、下からきていて、その力のバランス。それで息を作っ ててっぺんまで持っていく。 喉で押さえない。まだ「いいかな?」と喉で押さえている。 最初の「む」という瞬間に力み過ぎ。最初は息っぽくていいから、 だんだん「む」になる。 喉を上げてしまって、胸で押しているので、この辺り(胸喉あたり) を忘れる。腰回りだけ。背骨と。背骨を通ってきている。 口の奥が高いまま(あくびポジション) 、開けたときにスーっとす る場所(名前を忘れました)が高いまま、その後ろを通っていく感 じ。 ベロの奥が硬い。後ろが上がってしまっている。ベロはダラーっと して。発音している位置が後ろ過ぎ。ベロの先にもちょっと意識が ある。 ○発声練習「ん~~~、まぁぁぁぁぁ」と「ん~~~、めぇぇぇぇ ぇ」 「ん~~~、まめまめま~」をした後にカンツォーネ・ベスト・ アルバム Vol2の88ページ「花をありがとう」の3ページ目の途 中までのイタリア語読みを習った後「ま」で練習しました。 この研究所に入る前までは、喉を外して力をものすごく入れて発声 してたせいか、息を流し続けて発声する方法がいまいち掴めない状 態です。 感覚は掴めているんですが、声がまったく出てないような、そんな 感じにもなってしまっていて、歌っていて力を抜いているんだけど、 更に感覚まで抜けて、たまに本当に息だけになってしまっていたり してます。とにかく、感覚を手放さないように頑張ります。(OO) ○音程が上がっていく過程でのファで声が落ちて、音程が狂う。い つも同じ発声で歌えるようにする。音を覚える。 音程とリズムの両方が安定するように練習する。 ~度などの楽典は考えないでもぱっと出るようにする。(HS) ○喉の調子が悪くレッスン全体を通して音程がフラットしていま した。 体調管理にはもっと気をつけたいと思います。 ポジションがどうしても下がってしまう。良いポジションの時と悪 いポジションの時の区別がまだしっかりできていない。響かせる部 分の使い分けがまだできていない。(OG) ○ハミングから実声アにうつる練習で 横隔膜は下がり、肛門は上がってくる感じ。横隔膜と肛門との距離 を縮めるジャバラのポンプの中で。肋骨は開いている感じ。横隔膜 は下に保つ。 おしりだけ上げようと思ってもこない。下からの矢印と上からの圧 力と両方あって成り立つ。 ずっとカラダは動いている。動いていて、伸ばす最後の音も捨てな いこと。 最後まで歌いきったらカラダを緩めれば、息は自然に入ってくる。 高音部、辛くなったらおしりでぐっとがんばる。横隔膜は保って。 水中の中に入ったような状態。息を止めて、張ってるような状態。 頭部は、あくびの状態。 いいにおいを嗅いだ時みたいに広がる感じ。 声を出したいんだけど、息の方向は後ろ。息すってるような感じ。 出してるんだけど同時にすってる感じ。 頭から息を送るというよりは、息入れちゃう。音を作るだけ。響き を作るだけ。その中から出さない。 危ないと思ったとき抜いてしまうクセがあるが、怖いだろうけど、 そのまま。 ○「イエアオウ」指を歯にあてて あくびの口蓋(?)をトンカチで毎回下がってこないように叩いて いる感じ。 発声するとおなかがへこむクセがある。 立っている時、意識は地球の真ん中まで突き刺さっていて、上は天 まで 延びている。出発点は下からきているので、おなかの前後で はない。だから喉にどかっと息があたってしまう。おなかはむしろ 前面は緩いくらい。ふくらむくらい。そして、頭は上半分だけ。 音を伸ばしている間は、カラダは動いている。 送り出す体が足りない。いろんなところで踏ん張るクセがついてい る。邪魔をしてはいけない。 ドで「ミメマモム」 落ちないように保つ。動き続けてカラダを。 腰から上が、カラダが閉じている。 胸のラインから緩んでいなければいけないのに、硬くなって閉じて しまっている。それをとること。 下からのが足りない。背筋をつけること。腰からせないかのあたり。 腹筋は使おうと思うと硬くなってしまうので、下からのを意識して、 前はむしろ緩める。 (OA) ○「ミメマモム」 頭の中に音を入れてしまう。m を利用して響きをつくる。手を額に 26 ○音の最後を喉に入れないこと=微妙に音が揺れる ちょっと足りないかな?位の余裕を持って歌う。 「んマんメんミんモんム」 「カケキコク」 響きを頭に閉じ込める感じ。喉は力はいらない。 ○上の方を「より大きく」出す。 声は半分より上で響かす。 鼻の奥も開ける事大事。 鼻の横にも穴があって、そこも通っているイメージでいく。 アクビにもなっている「とにかく開ける」事! 「音の違い」と「自分の身体の違い」を、よく観察してリンクさせ よ! 下の方も上と同じ感じで丁寧に出す。 「ロングトーン」一度ハマったら、自然に任せて広がるに任せる。 上の E と E♭で変わってしまうようだ。 頭の中に息を吐きながら氣を送っていくトレーニング。 声を出さずにやってみる。 「まず響きを作る」脳みそを空っぽにする感じ。 その上で延ばす 「んマんメんミんモんムーーーーーーーーーーーーーー」 “マメミモ”は声をつくるだけ、歌おうとしないで出す。 “ム”で入った所のまんま延ばす。 延ばす時、止まったままじゃない。喉も身体も常に動いている。止 めない、緩んで行く感じ。そうすると声がやわらかくなる。 喉で調整しない、身体の圧力で調整する。 押し出しが足りなかったら「もっと下から」ぐっと出す。 上と下のポンプ「ジャバラな身体」 中間音がどっちつかずでフラフラしてしまう、今は“上より”の感 覚で出してった方がよい感じ。(NI) ○ハミングの時、喉つめない事⇔むしろ逆に吸うよな方向 (スタッカートも同じ所) 思っているよりも倍位のイメージを持っておく 声をつぶさないことを意識する 戻ってくる時、喉に戻さない。 引っ込めないで送ったままにする。 (身体は休めない。保つ。 ) 聴いた高さで身体を準備する。そして顔上にカンッと入れる。 頭の中に渦巻きをイメージする。それに引っ掛けて出す。 スタッカートの時は腹はペコペコしない。 上下に動く。身体は筒、ピストン。(NI) ○技術、曲想のまとめ はじめ、全てを太く出そうとして声が重くなっている。息が出てい ない感じ。上下降するとき、最後の方をいつも抜いてしまう癖があ る。最後の最後まで芯のある声で出し切る。クレッシェンドではも っとエネルギーを使う。普段から今日やったくらいのヴォリューム とか変化量をつけてやらないと身につかない。 「アメージング・グレース」 はじめは母音のみで歌った。出だしが一番難しい。ミを押さず、ラ を抜かない。いつも逆にしてしまう癖がある。 二分音符がいつも短い。頭の中でしっかりリズムが取れていない。 ブレスがせわしない。急いでいる感じに聴こえる。 自然に、見ている人が呼吸しているように、たっぷりとブレスする。 そうすると必要な量だけ入ってくるし、テンポもハシりにくくなる。 後半の高音の上のポジションはしっかりつかむ。ジラーレに入れて から一気に開放する。伸ばす語尾は、いつも吐ききる。 まとめようとしているのか、いつも息を止めてしまう癖がある。 そうではなく吐ききる。そうすると次のフレーズにつながりやすく なる。 ○鼻の奥を開ける。 顔の前に人差し指を立てて、そこに出すイメージ。 声を前に出すのでなく、縦に伸びる。 出だしの音を無理に作って出そうとしない。 地声低音→ファルセット高音→地声低音に移動する時、 1.丹田の意識は同じままで出す。 2.音目の高音のまま、ポジションを下げない。無理にたくさん声を 出そうとしない。 3.腰を曲げ、空気の流れを感じる。 地声・ファルセットの切り替え音域で、音程が細かく動いて、きれ いに出ない時、鼻の奥に各音当てる。(OK) ○気持ち悪いズレ 慎重になりすぎかヴォリューム抑えすぎか、ストレートに出せない。 うねうねしてフレーズのつながりがない。もっと自信持ってやる。 だいぶ以前とは身体が変わってきたので、支えようと構える必要は そんなにないように思うがついしっかり出そうと力んでしまって いる。そのせいか、重くて広がった音色になっている気がする。 リラックスと細さの両立が足りないと思った。細さはテンションが 高くないと出せないけど、同時に力まないようにする。 あとは、ここにきて半音系がかなり増えて一気に難しくなった気が する。 ただ、基本的に余裕で出る音域なので、大切なのはとにかく丁寧に 細く、針の穴よりもっと細いところへ通すイメージを持つことだと 思う。 歌や言葉はもちろん別だが、w の練習に限っては音の正解は本当に それくらい狭いというかほぼひとつだと思った。 わずかでもずれているとどうしようもないくらい気持ち悪い。 指摘されて気付く事もあれば、言われなくてもここはまずいと思う ことも増えてきた。 身体は自然に通過するのを待つとして、ここでは細さと半音の違い の大切さをかみ締めてやる。 あと、ストレートに出す事だけは気をつける。一瞬で目的の音に行 く。(KA) ○英語の歌詞で歌った。 英語は子音中心なのでさっきのように行かないが、伸ばす音ではし っかりと母音を鳴らす。 また、母音に比べてフレーズがうねうねしやすい。ストレートに、 1フレーズをつなげて出すようにする。 「グレース」 、子音の部分を伸ばしすぎ、一瞬で母音に移って、母 音を明るく鳴らす。 だんだん音を合わせない。パッと入ってから、好きなだけクレッシ ェンドする。 次に全部を p で歌ってみる。所々音が抜けてしまう。 p でも全部を芯のある声で歌えるようにする。しっかり母音を鳴ら す。(KA) ○お腹をに力を入れて締め上げるのではなくポンプのように使っ て声を出す。常に声を頭につなげて、頭に響かせる。 声を安定させる。声を出しながら腰を回しても決してぶれないとこ ろで歌う。 喉を下げない。喉のことは「忘れる。 」 「まめみもむ」と頭に響かせる練習で、声の出し方をつかむ。 声の出し方だけに気をとられて音程がぶれることはなくす。(HS) ○「スタッカート」 “シュッ!”のポンプ時に、固くなってはいけない。 下からの↑と共に、上からの緩みがセットになってないとダメ。 27 緩める感じが難しければ、力を抜くだけ(踏ん張りをやめるだけ) でも可。 へそから下以外は“だらんだらん”に抜く 身体の力はそのままで、ボリュームを半分位に落としてみる “スタッカートは「力の集約のコツ」が必要” キーンと、頭つむじまで届くようにスタッカート。つむじが響く。 ティーパックになる。 高い所はヒモのフリを「ふん!」っと大きくする。 上に行けば行くほど、下から出発する。 今は響きにならなくても、方向性は変えずに、小細工はしないでそ のまんま出して行くこと。 1.高低 2.強弱 3.持続時間 4.音色 (これを組み合わせて、バランスをとり、自分の出したい声をコン トロールする) これを踏まえて、 「声優入門」71 ページ。 5音から8音を、胸部共鳴で。 これらの短い言葉であれば、良い声が出るようになってきている。 将来的には、これを長い文章で出せるように。 「レガート」 これもシュッ!これも噴水! 下に“シュッ”の時、上にアサガオ状に広がって行くように。 胴で止めない。 シュッ!の瞬発力で上まで広がってゆく。 顔面の上半分で響く。 この顔面と身体をつなげていく。 ○頭部共鳴 鼻腔共鳴を使う。これは鼻にかけるのではない。 鼻声のようになってはいけない。 この胸部共鳴と頭部共鳴を使い分けられるようにすると良い。 上記「声の3要素」の1.声帯はさらに4つに分けられる。 1.声門の緊張(張り) 2.声帯の開閉 3.声帯の厚み 4.声帯の長短 厚みと長短は生まれ持ったものなので、変えられない。 緊張と開閉は調整しなければならない。 息もれは開閉で調整。 <結局、鼻腔共鳴・頭部共鳴が上手くできませんでした。 今後は胸部共鳴をメインにトレーニングをして、頭部共鳴> 「開く」 上半身全部で暖かくなるように“ふわん”と開く。 ○「スタッカート」 腹はへっこむ ダイレクトに送り出す 押さえつけてはダメ、押し付けるのと違う 下腹が上へポンプする 喉で邪魔しない →喉にひっかかると語尾が揺れる=音の方向が逆になる為 息を送る事だけを考える 普段使う声の「強弱」を、自分で決める。 (役者なら大声の息の量 を使う) 普段使う声の音量を決めておくと、大きな声を出したいときの音量 を調節できるようになる。 途中(胸など)を固くしない、顔も固めない。 上に行くほど広がって行く「噴水」のイメージを持つ。 ○「声優入門」 p.50 母音の無声化のトレーニング(2) アイウエオで無声化されるものはほとんどない。 子音がくっついてはじめて無声化できる。 ○閉める・羽閉じる 閉める・ 羽閉じる [ ハ!] [ ハ!] ポンプ ポンプ シュッ! シュッ! ゆる~ ゆる~ ゆる~ [ハ] [ハ] [ハ] 羽広げる 羽広げる 羽広げる 「強弱をつけてやる」 強拍のとこ&高いとこ→シュッ!とポンプする、集中する。 羽を閉じたり広げたりするイメージも持つ。 踏ん張るのでは無い(下広がりではない)=逆三角形になる んー、何かまだ、イメージし辛いな…。(NI) 二重母音のトレーニング アクセントの位置によっても不自然な聞こえ方になるので注意す ること。 「青い家」は全部母音。aoi ie 。特にイの2文字をはっきりと発 音すること。 そうしないと遠くの人には聞こえない。 ○声のしくみについての講義 声の3要素 1.声帯 2.呼吸 3.共鳴 (これだけでは、ただの音にしかならない) P.141 パーソナリティのトレーニング 「もう一度」は、 「う」と「一(い) 」の間をはっきりとさせて発音。 「あなた」は、全てア母音。一つ一つの音で口をきちんと開けるよ うに意識する。 「輝いて」の「かがや」も同様。 「まず」の「ず」が「す」に聞こえる。この「ず」はほとんど無声 化する感じ。 「u」 「z」のほうが強い。 「その土地」の「そ」は無声化する。 「の」は無声化せず発声する。 「うみべ」は無声化なし。すべての音をハッキリと発音。 「ひるね」の「ひ」は無声化。 「かなた」は「あなた」と同様に。 声の4つの因子 途中で段々と私のクセである「口が狭くなる」がでてくるので注意。 <メニュ> メニュ> 28 読むことに集中してくると、そうなりがち。 以上のように、二重母音と無声化しているところで、だいぶ喋り方 が変わる。 特にア母音が3つ続く単語は、走りがちになるので注意が必要。 また、私の場合は、語尾が聞き取りにくくなるので注意。きちんと 母音が聞こえるように。それと声が暗くなりがちなのも注意する。 (NR) ○世界的バリトン歌手、ディートリッヒ・フィッシャーディスカウ がテレビで行った公開レッスン(1997年1~4月、NHK 教育テ レビ)で呼吸についてかなり多くの指摘をしていた。 例えば、ドイツ人歌手の伴奏者に「ピアニストはそこで息をしては いけません。歌い手の感情がまだ持続しているときに、ピアノの息 つぎはその空間を遮ってしまいます。ピアニストは歌手と一緒に呼 吸しなくてはいけません」と言っていました。 ○1.発声前顔面の動かし 2.頭を下げた前かがみから、体を起こしながら発声「オオオオオ」 3.フレーズを長くした母音の発生 4.音程をいろいろ変えて組み立て。発声間違わないように注意。 5. 「ラリラリラ」 「ラロラロラ」 「ラルラルラ」の発声→区切るよ うに歌っている。レガートで。 6. 「ザー」 「ゾー」 「ゼー」の発声 7. 「真珠取り」タンゴ、 ドラゴン唄→昔、聞いたのを思い出す。のびのびとした声で引き込 まれる感じ。 ○「ボクの優雅礼賛」を著したピエール・ジル氏(仏語教師&写真 家&書家&シャンソン歌手)文中の一節: 姿勢は息なのだ。正しい姿勢は健康的な息づかいを促す。そして、 健康的な息づかいの生き生きした姿は勢いのある生き方の原因と なる。 「息」→「生き」→「意気」→「粋」 踊りや歌で技術の基礎である息を上手く使うことが肝心。 大事にされた息は恩返しに美しい姿を与える。 それを考えただけで背筋が伸びてくる感じがしませんか?(NY) <お便り、報告、 報告、効果、 効果、etc> etc> 1.高音を出すにつれ、息の量を多く出す。喉に力をいれない。 2. 「 I 」の発声→喉に力をいれてしまう 3.コンコーネ5.7.8番。テープを聞いても良く歌えていない。 復習すること。 (SI) ○安来節唄師範の部で、資格審査に合格しました。 唄い終わって感じたことは、良く声がでていたことです。 (SI) ○バレリーナの吉田都さんは1m単位まで意識した表現をしてい るそうだ。とある看護士さんは1秒1秒生きてると言ってた。お2 人の1m、1秒、きっともっと細かい単位までの意識がプロなんだ。 私も見習うんだ。 (OD) ○・声は上半身だけじゃなく、下半身も合わせて、体全体で出すも のだということ。 ・声を出す前は、運動する前と同じで準備体操、ストレッチを行い、 体をほぐしておく必要がある。 ・自分は歌うとき、今までは胸で息をしていた。それは無意識にや っていたが、先生に指摘され気づくことができた。 頭の中でイメージし、体の部分に意識を向けながら歌うと、そうで ない時との感覚が違う。例えば、鼻と口のつながっているとこ(わ さびを食べたらツーンとするところ)が開いていること、顔の至る ところに空洞があること、声が高くなるとき首のうしろ側が太くな ってゆくこと、etc...を意識しながら歌うと、本当に何気なく声を 出しているときとは違う声が出たような気がした。 (YD) ○僕は、今、会報から勉強させていただく事が、非常に多いです。 僕自身、今の僕自身にとって、人生の糧になっている事は、間違い ありません。僕自身の自信にもつながっています。本当に福島さん の出されておられる会報からは、たいへん勉強させていただいてお ります。これは、本当です。僕自身、いつも、自分自身を見つめ直 し、当事者たる者は何なのか、という事をいつも考えています。い つも自分を疑ってかかっています。音楽に取り組む時もいつも基準 を厳しく置いています。自分が今まで、ものまねになってしまって いた事に最近、ようやく気づきました。これから、どうしていく事 が、自分にとって、望ましいのか、という事に関しましては、これ から、目の前にある一つ一つの事を確実にクリアーしていこうと思 っています。本当に、いつも、毎月、会報を贈っていただき、本当 にいつもありがとうございます。福島さんのお言葉は、本当に、僕 にとっての人生の糧になっております。本当に僕にとって会報は、 なくてはならないものです。たいへん勉強させていただいておりま す。 (HD) ○・日常生活から、ろっ骨のある所で全ての声を支えるように意識 してきました。今日は比較的話し声から出しやすくなっていると感 じます。 ・日常生活から、のどの奥を広げるように心がけてきました。 (AM) <研究生のお 研究生のお勧 のお勧めアーティスト> アーティスト> ○コットンクラブにて、ミルトン・ナシメントを見に行きます。 ミルトン・ナシメントがブラジル・ミナス地方の民族的なものをモ チーフとしたライブの DVD を見ました。多分、音楽も衣装もミナス 地方の者を根本としてるのでしょうが、彼の歌がとても呪術的であ ると感じました。前から、不思議なコード・メロ・声だなと思って ましたが(ブラジルはそういうものが多いですが) 。ピッチも怪し く、揺れるけれど、そんなこと気にさせない声。 (私はピッチやリ ズムが正確である人より、味のある人になりたい) 全然国が違いますが、アイスランド出身のビョークの声、曲も不思 議だなぁと前から思ってましたが、通じるものがあるのではないか と思いました。 相当とも自分で曲を作りますが、グルーブやメロから作るのではな く、言葉から出てくるメロと、それを覆う楽器・リズム(ミルトン はサンバであったり、ビョークはテクノであったり) 、その上に自 由に歌が舞う。夫々が不思議な位置に立っています。(NI) ○福島先生のお話の中だったと思うが、 ”今、あなたが日本語で歌 っていて、それを内容がわからない外国の人が聞いても振り向かせ なければいけない”ということを言われたことがあったが、まさし くアメリカン・アイドルの人達の歌には振り向いてしまう何かがあ る。 歌の表現方法のもとになるものはある。でも、それだけではない。 今の私にはこれぐらいしかわからないが、伝えるということとは何 か・・・歌唱力とは何か・・・自問しています。 (UD) ○「ダ・カーポ」研究生の取材 Q.研究所に通うようになったきっかけ。 「趣味として取り組む声楽の勉強のために入所し、呼吸や発声のト レーニングを続ける中で自分自身の日常の話し声についても関心 29 を持つようになった」 そして、 「トレーニングを通じて、少しずつ自分自身の話し声が変わってき た(自分の感覚ではあるが声が良くなってきた)という自覚がある」 ただし、 「声が変わるといっても、声を磨いていく結果として仕事やプレイ ベートの日常の場面、つまり、たとえば営業マンであるならば営業 成績が上がったとかの具体的な結果に結びつけることが大切と思 う」 以上、取材対象として、お役に立てたかは不安であるが、自分自身 としては、今回の取材の機会をいただくことによって、改めて、こ れまでのトレーニングを振り返って分析し、また今後の課題を考え ることができたと思う。 (SD) ■日録 by Ei Fukushima アーティストになるための各界人のアドバイスと、英の言行録。 最新版は HP よりアクセスしてください。携帯からも読めます。 http://bvt.txt-nifty.com/nichiroku/ Q.実際に、どのようなトレーニングをしているのか。 「理不尽」 理不尽」旭天鵬関 僕が入門した当時、モンゴルではすべてが配給制でした。 「6 人家 族で米は月に何キロ」 「砂糖は何キロ」と、決められていました。 ファミレスに行けば、テーブルの上にコーヒー用の砂糖がたくさん 置いてある。冗談じゃなくて、この砂糖をモンゴルの家族に送ろう か、なんて考えましたね。 いつも両親に手紙を書いていました。 「今日はここを殴られた」 「今 日はあそこを殴られた。もう嫌だ。やめたい。 」と。そんなことば かり書いてたんですよ。 旭鷲山、旭天鵬を含む 5 人は、旭天山一人を残して、モンゴル大使 館に逃げ込んだ。親方、おかみさんの説得に、旭鷲山は翻意するが、 旭天鵬を含む 3 人は相撲界を後に、日本を後に、モンゴルに逃げ帰 った。 そんな旭天鵬が、2005 年夏に日本に帰化した。将来的に相撲協会 に残るには、帰化しなければいけないというのも知っていました。 -パワハラの巣屈であったが、理不尽が心身を強くもする。 (F) これは実際に行ってみせた。言葉での説明が難しく、たとえば「息 の支え」というような言葉は用いない方がよいと思い、 「内臓の筋 トレ」 「息の筋トレ」 「横隔膜の筋トレ」等の言葉で説明し、イメー ジしてもらえたようだ。 ハミングなどは電車のなかでも行っている。また、自分のような一 般の社会人の場合、何よりも通常の仕事の中で話す場面が最高最善 のトレーニングの場であると思うと述べる。 Q.実際に声を鍛えることによって、仕事上の成果とか、あるいは異 性にモテるようになったなどの効果はみられたか。 「これは、仕事の上でも、プライベートでもそうなのであるが、声 が変わってきたという自覚を得ることによって、自信を持って話せ るようになったと思う。また、より重要なことは、その結果として、 気持ちに余裕が生まれ、相手の話に深く耳を傾けることができるよ うになったと思う。それは相手が男性であれ、女性であれ同じであ る。結果、以前よりもコミュニケーションを深めることが上手にな ったと感じる」 「仕事の上での成績向上などは以前よりもある。ただし、それには 声の力もあるかもしれないが、無論、声の力だけではないと思う」 (雑誌でも単行本でも「恋愛」 「モテ」をテーマにすると飛躍的に 部数が伸びると以前どこかで聞いたことがあったので、この質問は ある程度予測していた。残念ながら「モテ」の実感は特にないが、 そのように即答してしまうとテーマとしては身も蓋もないので、概 ね上記のように答えた。なお、仮に「モテ」の実感があったとして も、 「はい。モテるようになりました」などと臆面もなく言うこと はできないと思うが) 「笑顔の 笑顔の画一化」 画一化」写真家 長友健二さん 長友健二さん でも、今若い女の子がみんな、同じ笑顔を作るんだ。舌を下の歯の 後ろにくっつけて「エッ」と言うときのような顔。 -顔も声もファッションも行動も画一化してきているように思え る。でも、いつものことだった。 (F) 「群れる」 れる」落語家 春風亭小朝さん 春風亭小朝さん 落語界には、力があり、いつも将来のことを考え輝いている人が嫌 だという人たちがいるんです。まずしい者に接していると自分が惨 めになる。だから距離を置き、似た者であつまって愚痴る。師匠が 弟子を集め、そういうことをやる。 「まぶしければ光り返せ。サン グラスを掛けて避けるな。 」 一番困るのは好きな落語をしゃべって何とか食べられればいいと いう考え。その程度の人たちが上に立って多数を占めたら、でる杭 (くい)をつぶしてしまう。 -いや、どこでもだよね。相手の力がないという奴は、力がない奴 で、いわなくては、存在できないからで、いっても存在していない のにね。 (F) Q.では、トレーニングを開始する前は、どんな声だったのか。 これは答えるのが難しかった。というのは、決して「劇的」に変わ ったわけではないからである。 「現在よりも薄っぺらい、浅いよう な声」と説明。 Q.今後は、どのように取り組んでゆくのか。また、 「このような声 になりたい」という目標(有名人など)はいるか。 「偽りの人生 りの人生」 人生」作家 池田晶子さん 池田晶子さん 「人は死が先にあって、だんだん近づいてくると思っているが、と んでもない。死はここにあるのです。だって生きているということ は、死があるから生きているということですから。死と生は同じも の。不思議ですよね。 」 「そもそも死ぬとは、すべてが無に帰すことと思うのが間違いなの です。 『自分がない』と考える当の自分は『ある』のだから、 『ない』 ことなんか『ある』はずないでしょう。 」 「でも逃げ回って、偽の人生を生きてどうするのか。人は生きるの を死ぬのという問いに全存在を賭けて真正面から向き合い、一度完 全に死なないと、本当に生きることはできないのです。 」 「だから自分の人生を振り返ると、人類の歴史までがぱーっと見え てくる。その面白さ、つまり内省と思索のおいしさ。肉体的快楽し 「特に有名人の声などを目標にしているわけではないが、自分が本 来持っている声の良さを知り、それをさらに深めてゆきたい。私た ち一般の社会人にとって第一腺の仕事の場はオペラのようなもの だと思う。営業マンであれば商談の場はオペラ、市役所職員であれ ば窓口はオペラの舞台である。その、第一腺で用いる声を少しでも 魅力的にすべく、訓練を続けてゆく」 ( 「商談はオペラ」は私自身、率直にそう考えているがゆえの発言 であったが、ゲラを見て、いざ活字になるとかなり大仰な感じで、 気恥ずかしいものがある。ただ、記事のテンション、ノリから考え ると案外しっくりときて、ちょうど良い表現だとも思った) 30 か追わない人には決してわかりません」 -一人の人生のなかに人類はおろか、全生命体の、そして宇宙のプ ロセスが全て内在しておるのだよ。 (F) 「あいさつ」 あいさつ」田原総一郎さん 田原総一郎さん 樋口社長は"おはよう運動"を二ヶ月間以上つづけた そこで私は、ポケットにハサミを入れていて、おはようと挨拶しな がら、長髪の連中には切るぞ、とおどかし、バッジやボタンやネク タイを注意するのです。まず、社員が元気で活気が張っている会社 にしたかったこと。 -おそうじやお早うってことが、大切だよといわなくてはいけない のは、すでに宗教であるのでしょうが、その宗教がよくなってきた ことの方がもって深い問題なのよね。 (F) 「運は後ろから」 ろから」萩本欽一さん 萩本欽一さん きっと運って前からはこないんですよね。必ず後ろから来るんだ。 俺がやりたいと思っている仕事はひとつもできてなかったし、全部、 後ろからだったのに、気づいたらそれが大きな運だった。だから、 夢を持っても誰も相手にしない。夢のないところから運がくるって、 僕は、よく言うの。 -たしかにそういうものかもしれないと思うし、そう思えばけっこ う耐えられるし、まっすぐ神様が正面からくるのは、何か、つまら ないわけよね。鉄ちゃんって、そのシニカルさは、そこからくるの かもと、考えてみてもね。 (F) 「うなり」 うなり」都はるみさん 「一回"うなる"たびに 10 円あげる」 都はるみの独特の"うなり"は、聴く人の印象に残るように、と母親 から教え込まれたものだった。はるみが 15 歳くらいの頃、"うなる "歌い方を嫌がる娘に覚えこませるために母親はお金を餌にして練 習させていたという。 -どこまでホントかしらって、感じだけど、教えられてものになる ことのメリットとデメリットが何か匂ってくるわよね。 (F) 「意思」 意思」心臓外科医 南淵明広さん 南淵明広さん 最近カルロス・ゴーン氏の話の中にとても感動した言葉がありまし た。 「偉大な人物とは、並外れた意思を持った普通の人である」 -並外れた意思をもつと普通の人でいられなくなるわけね。普通の 人が並外れた意思をもてばいいわけね。普通でない人って、並外れ た意思をもっている人のことなのって、何をかきまわしているのか しら、私。 (F) 「子ども力 ども力」丹啓さん 丹啓さん 「子ども力」 (小学館)と題する本を上梓した。グレジャーマン博 士は、ビジネスマンを仕事で成功させるためのスキルとして、私た ち誰もが子供の頃持っていた13の「子ども力」を提唱している。 列挙すると、①遊ぶ力、②熱中する力、③焦点を絞る力、④急がせ る力、⑤リーダーシップをとる力、⑥驚嘆する力、⑦好奇心を抱く 力、⑧質問する力、⑨挑戦する力、⑩創造する力、⑪参加する力、 ⑫居心地よくする力、⑬やり遂げる力、となる。その上で新しい人 間の能力を測る指数として『子ども力』指数=『CQ、Children Quotinent』という、IQ(知能指数) 、EQ(心の知能指数)に続く新 ビジネス・コンセプトを提唱する。 -子どもが、必ずしもこれだけの子ども力はもっていないし、大人 の行きつくところ子どもであるのなら、ずっと子どもでいりゃいい ってものでないのに。子ども力は肩がこらないってていどなものよ。 (F) 「カバナンス」 カバナンス」木村剛さん 木村剛さん ガバナンスとは「厳しく監督する」こと もともと、 「ガバナンス」という考え方は、 「厳しく監督する」とい うコンセプトを含んでいる。この「厳しく監督する」というコンセ プトの捉え方が重要なのだ。日本有数の成功した外資系企業である 日本 IBM の社長を務めた椎名武雄氏は、インタビューに応えて、 「全 部任せているかというと、とんでもない話です。ものすごく厳しい 監査をしているのです」と応えながら欧米流の内部監査の考え方に ついて、日米を対比してこう証言している。 信用するとか信用しないの話しではなくて、自分の責任として、権 限を委譲したものがきちんとなされているかどうか検証すること は当たり前なのだという発想にしないと、 「何だよ、任せたものを チェックしやがって」という気持ちになってしまうのですね。 (品 川正冶・牛尾治朗編「日本企業のコーポレートガバナンスを問う」 商事法務研究会) -欧米は、ルールをつくるとともに、そのルールを守るシステムを 厳しく set するけど、日本人というのは、ルールができても、ルー ルを守るべきものと思ってはいやしないのよね。慣例が先と。 (F) 「地球の 地球の歩き方」 (3 (3)浅井慎平さん 浅井慎平さん 旅の効用のひとつに、自分との出会いがあります。たとえば、旅先 で一日中座っていられなくなったとすれば、それは自分がいかに退 屈な人間であるかを告白することになるわけです。 かつて西行や芭蕉が旅に出たのも、素直に反応する自分の心に出会 いたかったからなんですね。日常を離れ、変化していく空間や時間 の中に身を置くことで、何かに気づく自分に出会い、それが歌や俳 句を作るということなんだと思うんです。 「花を忘れないために、風を忘れないために、旅に出る」 言ってみれば、生きている命、自分という命をちょっと大切にする こと、それが旅なのかなぁと思ったりしますね。 ぼくらが若い頃は、文化は自分から取りにいったものですが、今の 時代は向こうから来るんです。あたかも自分のものになったつもり になっているんですけど、自分からとりに言ったわけではないので、 それは非常に希薄なんですね。 -退屈するのは、退屈な人間だからだけど、旗本退屈男も忙しくて、 まあ、退屈できるのも、時間をもっていることの気がすっけど。自 らとりにいかないものは、うすいのよね。 (F) 「借りる」 りる」サンテジュクペリ 「わたしたちは、親たちの世代から地球を受け継いだのではありま せん。地球を、子どもたちの世代から借りているのです」 -こういう発想の逆転が、20 世紀に多く起こり、時間の軸が縦に 通らなくなってきたために、ややこしくなっているのよね。親から もらったから大事にすればよいしね。 (F) 「厄介者」 厄介者」鉄ちゃん球団 ちゃん球団 鉄ちゃんの本領が発揮されたのが試合におけるパフォーマンス。 ところが、その注目度に反比例して、風当たりが強くなっていく。 歓迎ムードは一転、 「試合がやりにくい」 「野球をなめている」と舌 打ちされ、厄介者のような扱いを受けるようになった。マイクパフ ォーマンスは禁止され、なかには「アクシデントのふりをして、ボ ールをぶつけてやろうか」と、いきり立つ者までいる。 -今になってみればって話だけど、 「紳士たれ」といって○○軍も、 「ジェントルマンたれ」というリッツ・カー○○○も、お笑いが天 下をとっているところに、これまでの正統らしいものが、それなり にすごいんだけど、けっこうズレてきている。 (F) 「地球の (2 地球の歩き方」 (2)浅井慎平さん 浅井慎平さん こうありたい、こうしたいということはありましたけどね。人生っ てのは、取っ替えっこなんです。何かをなくさないと何も得られな い。まず、時間をなくすというのが基本にあるんですが、ほとんど の人たちは時間を何かに替えているんです。たとえば、お金に替え 31 ると決めたときに、バランスはどうでもよければ、けっこう替えら れるんですよ。でも、なくすものが大きい。あるいは、なくしたも のが痛い、切ない、悲しい。しばしばそうなりがちなんですね。ぼ くが最初に望んだのは、自分がもっているものがあるとすれば、そ れは何か、どのくらいもっているのかを知りたかった。それから、 等身大のナチュラルな人間になりたいと思ってた。そうなると嘘は つけない、格好はつけられない。ぼくはぼく以下でもなければぼく 以上でもなく、このまま人の前に立っていられる人間になりたいと いうのがあって…。わかりやすい例をあげると、外国のリゾート地 にヨットに乗った髭をはやした爺さんがいる。穴のあいたスニーカ ーに、穴のあいた T シャツを着た、日焼けした爺さんが、すばらし く豊かに見える。穴があいたものを身にまとって、卑しくもなけれ ば貧しくもない、むしろ豊かに見える人がときどき地球上にいるん ですね。 -豊かにみえる人は、時間を手に入れているためにそうみえるとす るなら、ボロをまとっえいるのを時間を売って、働いて、新品に買 い替えることに何の意味がるのかと、M.エンデの時間泥棒みたいな 話になって、とりかえなくてもよいっていうのも、何だかなぁと思 う。 (F) 一方に社会や他人の目があって、両者に照らされ、綱引きしてこそ “みっともない自分”は成る。自分を固定化せず、むしろ、いつも 揺れ動いている“開かれた自分”を自分とみなす作業を、真剣に謙 虚に、一生をかけて知識の有無にかかわらず、 “教養のある真っ当 な大人”で、そういう人が以前は庶民にもたくさんいた。高等教育 が一般化すればするほど少なくなるというのが、私には悔しくて」 <「教養」という言葉に最もよく当てはまるのは(中略)ドイツ語 の BILDUNG だと思う>とある。英語の Building に近く、意味は< 造り上げること>。知識はいわばその健材であり、教養=自分を造 り上げるのに完璧などないから、常に自分は磨かれ続けなくてはな らない。何かを知らないことはみっともないという恥のあり方、も しくは<恥ずかしくないようにしておく心意気>をだからこそ今 の若い世代にも伝えなければならないのだが。 <静かに穏やかに自分を生きること、世間を蔑んで孤高を誇るので はなく、世間に埋もれながら自分を高く持すること、それを可能に してくれるのが「教養」ではないか> -教養は必要。 (F) 「百箇条」 (1 百箇条」 (1)村上陽一朗さん 村上陽一朗さん <揺るがない自分を造り上げる><あるいは、自分に対して則の下 で行動できるだけの力をつける><「卑しいもの」とそうでないも のとをはっきり区別するが、他人をそれで裁かない><「正しい」 こととそうでないこととをはっきり区別はするが、他人をそれで裁 かない><「正しいこととそうでないこととをはっきり区別はする が、自分が正しいという主張を第一にはしない><なりふり構わず 物事をしない、なりふり構わぬ他人を軽蔑しない>など、生き方を 律するものから、<流行語を使わない><よその業界用語を使わな い><シルバー・シートなるものには腰掛けない><スープを音を 立ててすすらない、音を立ててすすった人を睨まない>といった日 常の注意事項まで<精神の「潔癖感」>を保つための百箇条が揚げ られる。 -裁かない。 (F) 「地球の 地球の歩き方」 (1 (1)浅井慎平さん 浅井慎平さん 日々が忙しいと、埋まってしまうんですよ。何かやった気になる。 事実、おやりになった。しかし、それが自分の意に添っていたかど うかは別のことですね。この国は、そういう意味でプライバシーあ るいは余暇というものがほとんどない。その結果、日々を癒すだけ で終わる。旅も何らかのカタチでされたでしょうけれど、旅の意味 を自分の中できちんと確立されているわけではないと思います。だ から、そういう余裕を今から取り返そうとしなきゃいけないし、取 り返せると思うんです。そして、その後に、今度は創り上げる。 -意にそってプライバシーや余暇に意味を確立する。それが余裕で 結果つくりあげてなんぼということなんでしょうね。 (F) 「笑いの分析 いの分析」 分析」欽ちゃん それから、欽ちゃんがすごいのは笑いを構造的に分析できるところ。 「お笑いというのはフリ、オチ、フォローのセットで成り立つ。フ リはまっすぐに、オチは鋭角に。で、フォローというのは視聴者が 笑う時間のこと。気持ちよく笑う時間をとって次にいかないとダ メ」なんてことをきちんと説明できる。非常に論理的なんですよね。 -欽ちゃんのフォローはわかりやすすぎる。 (F) 「嫌われる」 われる」中谷彰宏さん 中谷彰宏さん 「今思えば、会社員時代に僕に厳しいことを言ってくれた人たちは みんな、嫌われるのを覚悟の上だったとわかる。若い頃にそういう 人たちに巡り会え、僕はラッキーだったと思います。 」自分も今、 一緒に仕事をする人や、仕事で関わりをもつ人に対し、時に厳しい ことを言うこともある。嫌われるリスクはあるし、言っても無駄に 終わることもある。だが、そうすることが「自分に厳しいことを言 ってくれた人たちに対する僕の責任と思う。 」からだ。 -どうせ死ぬと思えば、見返りも期待しなけりゃ、本音もいえる、 本当に与えられる。 (F) 「力」曽野綾子さん 曽野綾子さん いずれにせよ、国家がうまくやっていくには必ず「力」がいる。武 力など最後のものだ。まず経済力、科学技術や精密工業の力、その 国民として分厚に文化を受け継いでいる地位から、農業、通信、輸 送など国を経営する基本のインフラの力、勤勉の気風、忍耐力、創 造力、他国や他民族を理解しようとする包容力、そして何よりも人 間として国家としての毅然とした徳の力がいる。それらなしに国家 間の紛争の解決もできなければ、日本の安全もない。 「力」が悪い ものだ、と考えるのは全くの誤解だ。力は、いずれも遣い方をあや まらなければ、すべていいものである。 -国は、力であり、権力である。それを意識していない日本人。 (F) 「教師」 教師」村上隆さん 村上隆さん 「芸術起業論」 芸術も作家も評論家も、どんどん学校教師になっていきますよね。 (中略)文化人の最終地点が大学教授でしかないのなら、若者に夢 を語ってもしかたがありません。 -なりたい人でしょうね、肩書きもちに。 (F) 「カルマとお カルマとお金 とお金」江原啓之さん 江原啓之さん 「それは小我な発想です。お金の貸し借りで生じる問題というのは 欲が欲を呼ぶ波長の法則で始まり、義理を返さない人と義理を返さ ない人を恨む人との関係はカルマの法則によって根深くなってい くんです。貸したお金を返さない人との縁は断ち切ることです。 「気 の毒に。この人とは別のことで代償を払わなければならないんだよ な」と思って見逃すことで低い波長を断ち切り、怒りによる余計な エネルギーを前向きなものへと切り替えられる。それができれば、 波長の高い人との関係が生まれ、思わぬところで恩恵に与かること 「百箇条」 百箇条」 (2 (2)村上陽一朗さん 村上陽一朗さん <社会の規範に従うことが、自分を失うことだと思い込まない>と も、百箇条にある。 「最近は、優秀が歴然とすると競争をやめ、給 食では大きさを揃えるために、魚を切り身でなく<みんなすり身> にして供するとも聞きます。しかし徒競走などで知る他人との差異 が人格の差異ではないこと、人間として同等だからこそ、部分的な 差異や優劣もまたあって当然なんだと知ることは大事な体験で、悪 しき平等主義はその機会を奪う。そして一方には自分なりの規矩が、 32 もあるでしょう。感謝の気持ちを抱けば悔しさなんて吹き飛んでし まう。人生は長い目で見ることが大切なんです。お金というのは、 実によくできているなと思いますね。お金は人の心を計るバロメー ターであると同時に、心の筋力を鍛えるマシーンでもあるんです。 お金が存在することによって、この世の無常や感謝を知る人も大勢 いますから。 」 -お金はパロメーター・マシンか。 (F) (編集部注:対イラク・対テロ戦争のとき、CNN も保守系 FOX もニ ュースチャンネルは基本的にホワイトハウス擁護だった) 他国は日本のニュースを見て行動を知って怒ってるんでしょ。わざ わざ「これを見よ!」とニュースをやってるようなもので、自分で 自分の首を絞める形になってるんじゃないでしょうか。プロデュー サーはおそらく「今日一日の視聴率」しか考えてないですもん。長 い目で見たら自国にものすごくマイナスなのに。 安部晋三のあの逃げ方(行ったかどうか言わない、今後も言うかど うかわからない~みたいな、のらりくらりの答弁)も、ひとつの手 なんかな、と思います。 -自虐的なマゾ国家よ、日本。 (F) 「音楽」 音楽」久石譲さん 久石譲さん 「ある美術大学の教授が、19世紀には絵画に出会って人生が変わ った人間が大勢いた、しかし20世紀に入って美術は社会的影響力 を失い、21世紀はもはや絶望的、音楽はまだいいですね、と嘆い ていた。でも音楽にしても、あるいは映画にしても、昨今の状況を 見れば、こちらの感動も結構怪しくなっている気がする。この、説 明されないものを読み取り、感じ取る力の低下は、もしかすると日 本が抱えている相当大きな問題で、一見大ごとに見えないのがかえ って恐いよね。そして音楽はそれでは困るんです。想像力がなけれ ばひもとけない世界に生きることを誇りに思う僕としては、何とか しなければと。 」 -音楽の、いや特に歌の創造性と想像性は低下の一途。 (F) 「人畜無害 人畜無害」園子温さん 園子温さん、 宮台真司さん さん、宮台真司さん 園「シフツーの監督さんは観客に愛されようという意識がすごく強 い。だけど、映画監督を本気でやるなら、愛されようっていうまね は禁じてなんです。 」 宮台「日本は人畜無害さを愛でる批評論壇がなく、人畜無害さを求 める観客に媚びた記事だらけ。園作品は人畜有害(笑い) 。観客が 現実を無害に加工して生きようとするのを、見たくないものを無理 矢理見せる形で覚醒させます。 園「ウソまでつけないなっ、というのがまずあって。たとえば、あ る人から悩み事の相談を受けて絶対いいことあるよ、とはいえない じゃないですか。その絶対いいことあるよってのが映画では普通結 末だったりするんですが…。 」 「主観」 主観」久石譲さん 久石譲さん だいたい人間が本当に創造力を発揮できるのは一日2時間が限度 だと思う。むしろ集中力を失った状態で仕事にしがみつくほうが危 険で、自分が凄いものをつくっているような気になったり、主観に 走りがち。主観だけでも客観だけでも、いいものはつくれませんか ら。 <日本人は漠然としたイメージだけで「感性」という言葉を大事に しすぎている>と語る久石氏によれば、感性と呼ばれるものの9 5%は、その人の知識や体験を土台にしたあくまでも論理的な思考、 残る5%が感覚的なひらめき、直感で<これこそが“創造力の肝” だ> -たしかに記憶力や知識に裏づけられてるのよね。 (F) 園「ただ互いに痛みがわかっても誰かがあぶれる。たとえば幸せの コップがあったとしましょう。このコップ全体を幸せという名の水 で満たすことはできず、誰かが絶対あぶれる。だったら、全体で幸 せになろうといい加減なことは言えないじゃないですか。現実とい う虚構を演じるということから逃れられる人は一人もいない。だっ たらもう自分が役者であることに気づけ、と。気づけば、もっと楽 になって知り合いになれるし、子供にもなれる。 」 園「あまりにもストレートすぎる。映画表現はもっとオブラートに 包むものだと。額縁ではみれないから不安定な気持ちになる。だか ら嫌い、っていうことです。映画を作り続けることは、ずっと嫌わ れるってことなんです。いつか国際映画祭で大賞に輝き額縁をもら うことでしか、一般の人に見てもらえないんじゃないかなぁ。 」 -オブラートに何でもつつんでしまう日本。 (F) 「出会う 出会う」曽野綾子さん 曽野綾子さん 「主よ、私が空腹を覚えるとき パンを分ける相手に出会わせてく ださい。 のどが渇くとき 飲み物を分ける相手に出会えますよう に。 寒さを感じるとき 温めてあげる相手に出会わせてくださ い。 」 マザーテレサは祈りを続ける。 「ひまがなくなるとき 時間を割いてあげる相手に出会えますよ うに。 私が屈辱を味わうとき だれかを褒めてあげられますよう に。 気が滅入るとき だれかを力づけてあげられますように。 理解してもらいたいとき 理解してあげる相手に出会えますよう に。 かまってもらいたいとき かまってあげる相手に出会わせて ください。 私が自分のことしか頭にないとき 私の関心が他人に も向きますように。 空腹と貧困の中に生き そして死んでいく 世の兄弟姉妹に奉任するに値する者となれますように。 主よ、 私をお助けください。 」 マザーはその施設に「希望の家」などという偽善的な名前はつけな かった。文字通りそれは「死を待つ人の家」であった。そして私た ちの誰もが死を待つ存在なのである。 世の中に悲惨などない、あってはならない。又悲惨でない社会は実 現できる、と甘い幻影を抱く前に、時には残酷な現実があることを 真向うから見せねばならない。悲惨と対面し、それと立ち向かうこ とは、意外と英雄的な歯ごたえのある生き方である。 -残酷悲惨をきちんときない人ばかりよ、日本。 (F) 「言語障害」 言語障害」西城秀樹さん 西城秀樹さん 「かきくけこ」と「らりるれろ」が言えなかったという。歌い手と しては致命的な、言語障害という後遺症。 顔の筋肉を動かすトレーニングをし、発声練習をし、タバコをやめ、 一日3リットルの水を摂取してリハビリに努めた。 「僕は10代から40代までどうすれば成功するかという道を見 てきました。でもそれは成功できないことを実感したんです。大切 なのは、成功への道を歩くことではなく、もっと大きなものを目指 すこと。自分のカラーをきちんと作り出して、自信をもってそれを やり続けること。認められるか否かは別で、いかに自分で納得でき ているか」 -成功以上のものをめさずのね。 (F) 「医師免許」 医師免許」竹村健一さん 竹村健一さん、 中原さん さん、中原さん 中原「釘をさされた言葉があります。それが、 “お母さん、しっか り様子を見ておいてくださいよ”ということです。 」 「 “しばらく安静にしておいてください”の“しばらく” “最近、 胃の調子が悪い” “最近、腰が痛い” 」 「国家試験の合格率が90%」 「アメリカの医学部とは、実は四年制の大学をでてから入るところ なのです。 」 「足ひっぱり」 ひっぱり」松本人志さん 松本人志さん 朝から晩まで首相の足を引っ張る国は日本だけじゃないですか。 33 「1960年ごろに、7つだった歯学部が、80年には29になり ました。 」 竹村「日本以外の国では、 “preventive medicine (予防医学)" の概念が確立している。 」 中原「そうなると、 “適当な運動をすると、とてもいいですよ”と いう返答でだいたいおしまいです。 」 「医学部を卒業した時点ではペーパーテストの結果がすべてです。 ペーパーテストだけで医者の免許を取得できるのです。免許をもら ってようやく、研修が始まるわけです。 」 「ところがいまの研修医制度だと、研修医の段階ですでに免許をも っていますから、研修医のミスにも法的責任が伴ってしまう。 」 「東大闘争。 大学は医局制度ですから、教授が就職先から何から 全部押さえている。それに不満を抱えた医学生たちが、インターン になって就職先まで左右されるより、さっさと医者になってしまお うと闘争を起こしたという背景があります。医師免許がなければ、 一人で夜中の当直はできないのですが、資格があるから当直ができ てしまう。 」 -日本らしいわね、もっとも日本らしい。 (F) 20 代の若者でもできなくはない。団結力があれば。 ホリエモン実刑判決 ホリエモン実刑判決と 実刑判決と日本の 日本の行方( 行方(4) あの広報の女史がいった「ホリエは正直すぎるから」というのは、 本当かどうかわからない。でもあたしは、直感的にバカ正直にみえ る、この男。バカでもあるが、それは誰でもそうだから、感心はし ない。そしてあたしとも、あたしのまわりにいる人とも違う。それ ゆえ関心があるのよね。 ホリエモン実刑判決 ホリエモン実刑判決と 実刑判決と日本の 日本の行方( 行方(3) 日本人はすぐに依存してもちあげ、そして、すぐに陥しめる。だか ら、みんなエライ人は表向き、いい子になるしかなくなる。本音も 言わなくなる。誰も敵をつくりたくないから。でもそうまでしてエ ライままでいたいのかしら。いえ、愚問よね。その人がそうでなく とも、まわりはその人にエライままでいてもらわないと困る。いい 人は、悪い人と同じくらいに、それを演じてしまうのよね。あーあ。 ホリエモン実刑判決 ホリエモン実刑判決と 実刑判決と日本の 日本の行方( 行方(2) まあ、あたしのブログをずっと通すと、ホリエモン擁護といわれて も仕方ないかもしれないけど、善悪の判断でなく、その立場におか れたとき、オーナー、司法の官、マスメディアの記者、そして、あ なた一人ひとりが、どうあろうとするかということなのよね。私は 彼の友人でない、彼を知らない、それでも一方的なものの見方には、 すごく反発するの。それゆえ、発言している。私が正しいとはいわ ない。私は私。明日にも論が変わるかもしれない。でもあなたがあ なたであって、どうみているのかということよね。 「悩み」堀紘一さん 堀紘一さん いまの若い人は皆、すごくいろいろな悩みを抱えています。ただ、 その悩みというのをよくよく聞いて見ますと、自己中心的になって 視野が狭くなり、もがいている例がほとんどです。ですからもう少 し目を見開いて、ゆっくり周りを見渡してみなさい。そうすると、 自分の悩みとたいした悩みじゃない、こんなことで悩んでる時間が あったら、もっと何か意味のあることを頑張ろうという気持ちにな れますよ、ということがいいたかったのです。そういうメンタルな ものを持たないと、壁は突破できませんよと。自分の体験から言っ ても、 「これはきついな」と思ったことは何度かあります。けれど も「よし、時間をかけてでもいつか崩してやるんだ」と思い直すと、 壁だったものが自然となくなってしまいます。だから「突破」とい うと言葉は大げさだけど、壁がなくなってしまえば、スッといける わけです。 -一人相撲とわかるのが難しいようだ。 (F) ホリエモン実刑判決 ホリエモン実刑判決と 実刑判決と日本の 日本の行方( 行方(1) 山一証券 2000 億円台、長銀は 3000 億円、カネボウ 1600 億円で、 誰も実刑になっていないのに、ホリエモンは宮内氏の提案を了承し て、実刑。反省なく、無罪を主張するから、ってみせしめ。アメリ カならもっと罪が重いというまえに、この日本の歴史に学ぶべきで ないのか。ここまでアメリカかぶれしたか。でも、アメリカには権 力にこびないメディアが、人が存在する。 〔出典一覧(詳細版)は HP 参照。 〕 平和の 平和のイマジン 62 年間戦争しなかった国、日本。 朝鮮戦争もベトナム戦争も遠くにいた。 国内の基地から爆撃機は飛び、軍用品特需は国が再建した。 そして今の日本。自分を銀行、国として思ったら、不安よね。 福言 by Ei Fukushima 最新版は HP よりアクセスしてください。携帯からも読めます。 http://bvt.txt-nifty.com/fukugen/ 指揮者 大野和士( 大野和士(5) 「あそこに行きますとゴールを示して、はいどうぞ、解散」と。そ れが理想。 あってなき存在が理想、ないかのごとくあるのが理想。 下行する。想像に近づく。解釈よりも、ヴェルディが考えているこ とに近づきたい。 オーケストラストライキで来ないのを、ピアノ3台で、オペラをや り抜く、 シャトレ座の奇跡。 (プロフェッショナル) ホリエモン実刑判決 ホリエモン実刑判決と 実刑判決と日本の 日本の行方( 行方(6) ITにはさらにストックオプションも含め、錬金術でなく、新しい 未来のツールをメディアを持てる可能性がある。マックが、スーパ ーコンピューターに対する反逆、革命であった。そこから軍事のた めにつくられたインターネットを民衆の手にもたらした。さらにマ ックは、音楽をエレキにつぐネット革命、アナログからデジタルへ チェンジさせた。詳しくはまた改めて述べたいが、株式の市場は株 主の信頼によって成り立っている。円やドルなど貨幣を信用するの と同じに(ちょっと飛躍したが) 。 指揮者 大野和士( 大野和士(4) 生まれつきのものではない、そこにいるだけでオーケストラが演奏 できる。 何を選択し、どこまで深め、聴衆と分かちあえるか。 何をどのようにやっていくか、先がない。ドイツ人にドイツオペラ を指揮する。 「すべてにおいて相手を圧倒しなくては、人はついてこない。 」 「自分で音を出さず、人に出させる。一番いい音は出せといって出 ない。 ホリエモン実刑判決 ホリエモン実刑判決と 実刑判決と日本の 日本の行方( 行方(5) 格差で労働者の待遇アップが叫ばれている中、能力とそのグローバ ルな市場での価値という、先の見えないところに放り込まれた今の 日本において、大学中退オタクの下克上として成り上がったホリエ モンは、一つの可能性を示した。株で自分を主張できると。今の革 命は株でできるというか、やるしかないのかもしれない。つまり、 一人で10でも100 でも株を買って連合して、 大企業にものを申す。 たとえ、オーナー企業でも全従業員が月一杯買ったら、会社のオー ナーは従業員になる。一つの会社でムリなら、いくつかの会社で、 34 その人の一番やりやすい方法で出す。 」 にならない。つまり、何億円でも欲しい人材、他にとって代われぬ 人もいれば、何千円も払いたくない、いくらでも代わりがいて、ク ビを切りたい人もいる。これは仕方がない。その人の生み出す価値 ですから。だからこそ、オンリーワンを目指す。そして、それを目 指さない生き方を選んでも、オンリーワンの価値が出ていれば評価 できる。そういう社会にしていくしかないのよね。 指揮者 大野和士( 大野和士(3) 4つの言語、ドイツ人にドイツ語でワーグナーの解釈を語る。 ザグレル、ユーゴスラビアで戦争。防空壕、灯火管制。 生存、脅かされたときこそ、人間である証明を欲する。 できることの限りをつくす。カリスマ、いろんな経験を積み重ねて きた集成。 給料泥棒と 給料泥棒とキューキュー利用 キューキュー利用しゃ 利用しゃ( しゃ(2) 連合や春闘といっても、それに参加できる人は、けっこうエリート、 もらえる人たち。労使で日本の経営者は会社を守らないと人も守れ ないから、アップしない。かといって、経営者がそんなにもらって いるのでもない。欧米のトップは、トヨタやホンダの社長の報酬知 ったら、目を丸くするに違いない。松井やイチローの日本での年棒 にも驚くだろう。私たちは逆に驚いていたが、だいぶん、慣れてき た。 指揮者 大野和士( 大野和士(2) 森進一「おふくろさん」ほおをふくらますことで、ほくほくしてい る感じが出る。 おふくろの世界中同じ味をイタリア語で感じるため、 日本人は欧米のをすべて同じ距離、伝統のしばりに置かれない、自 由である。 25 才渡欧。2回集中しない音を出したら、本番でポシャる。 一対 100 の歯車が狂うと、つらい、さびしい、二度とおとずれられ ない。 集団心理だから、一度狂うと、戻らない。 給料泥棒と 給料泥棒とキューキュー利用 キューキュー利用しゃ 利用しゃ( しゃ(1) 従業員には国の保障があり、会社がつぶれてもキューキューでも失 業手当があり、利用しゃいい(久々に苦しい) 。働いた時間で金が もらえる。それは、そうなっても払ってくれる人がいるからですわ。 払う人になって、経営者なら、そんな甘えも通じない。失業手当も ない。ラーメン屋の店長は、30 万円を従業員に払ったら、自分は ゼロ、それでは食えないから、だから自分一人でやらなくてはなり ません。60 万円稼げなければ、一人雇えません。その代わり、二 人雇って 100 万円入ったら、店に出なくてもよくなり、もう一軒出 せるかもしれません。労使で分ける時代ではないのよ、もう。 指揮者 大野和士( 大野和士(1) ボディから感じとる「気」 。インスピレーション霊感を与える存在。 音の設計図はっきりしていると、そこからバランス流れ、 あたたかい音に対し、突出して聞こえる音があるとわかる。 全体のイメージ設定しているから、ずれるとわかる。 右手-左脳 リズム ロジック 左手-右脳 感情 情緒 瀬戸内紀行を 瀬戸内紀行をリーブ24 リーブ24( 24(3) 映画「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場へ。 映画村は花畑がいっぱい。子供たちの歌う童謡が流れている。 透き通る海、海と山の景色が美しい。 小豆島にオリーブ公園、オリジナルのオリーブ油。 いろんな種類のオリーブの木がある。 オリーブ、をリーブ2じゅう・・・・4の瞳。 「瀬戸内の春ひもすがら憧憬に 閉じては開く二十四の瞳」 (拙作) 形骸化日本は 形骸化日本は家計外か 家計外か、外貨あるけど 外貨あるけど( あるけど(5) この 10 年で社会変革、中間層の革命で、もっと悲惨なプアと 資産家の没落がおきた。資産家に革命起こす大前研一、 竹中平蔵など、中産階級、そして、日本に貴族も金持ちも エリートもいなくなった。海外留学組のMBA理論? 三代も続かずに富者をなくす、すごい平等システムの国、日本。 先にどうすべきなのか。現実主義、現状肯定、世の中そうだから、 では困る。 変革の旗手、ものごとの本質見抜けない。自問自答しよう。 瀬戸内紀行を 瀬戸内紀行をリーブ24 リーブ24( 24(2) フェリーで高松に入る。高島屋で千住博展とマイセン展示会を。 「うまい、早い、安い」讃岐うどんのまち、ざるうどんの宗家 川福でうどんすきをいただく。だしが最高。 浅草にある、おばあさんが3人くらい出てくるうどん屋を思い出し た。 やすらぎの島、愛とオリーブの島、小豆島へ。 寒霞渓をロープウェイで観光。奇岩は見ごたえがあるが、枯野山。 マルキン醤油記念館で、お醤油の土産もらう。 小麦と大豆の発酵、懐かしい匂いがする。 形骸化日本は 形骸化日本は家計外か 家計外か、外貨あるけど 外貨あるけど( あるけど(4) 余人をもって代え難い仕事はコストアップするし、 そうでないのは、コストダウンしていく。この流れは止められない。 バーコードやタグの登場でコンビニのレジも不要になる。 安いといっていた人に今度は仕事さえなくなる。 外国人のできる仕事は、そちらにいく。銀行案内と窓口係は、 時給 990 円と、天下の三菱UFJ銀行が募集かけている時代よ。 形骸化日本は 形骸化日本は家計外か 家計外か、外貨あるけど 外貨あるけど( あるけど(3) 「美しい国」にするため「美しい音楽」を取り入れるというのかし ら。 この幼児的発想というより、発想のハの字もない、 これじゃ、一モニだよ。ハーモニーできない。 同じく教育改革も。受け皿をつくるのが政治。 あたいも今、一般の人の耳と声への啓発をしているのです。 しかし、なぜもっと主体的にものを考えないのでしょうか。 客観的にみることの努力をするべきでしょうよ。 瀬戸内紀行を 瀬戸内紀行をリーブ24 リーブ24( 24(1) 日本三名園の一つ、備前二代目藩主池田綱政公が造ったのは、 岡山後楽園、そこで 10 分間の観光。宇野港からフェリーで直島へ 行く。 ベネッセアートサイト直島、家プロジェクトほか、 NAOSHIMA STANDARD2、開催中。 安藤忠雄さん設計の地中美術館。モネの絵も、あり。 ウォルター・デ・マリアの作品は、不思議気分。 金沢の 21 世紀美術館も、このくらい統一しようね。 形骸化日本は 形骸化日本は家計外か 家計外か、外貨あるけど 外貨あるけど( あるけど(2) 邦楽を必修にしながら、邦楽家の手配準備というか、育成も何ら考 えていない。 法など形ばかりがつくられていく。 教育も、現場に口出すのでなく、将来の日本をどうするのか、 給料泥棒と 給料泥棒とキューキュー利用 キューキュー利用しゃ 利用しゃ( しゃ(3) 世界的スーパースターの報酬は、スーパーでなくてはいけないと。 なら、その分、誰かが安くなるよね。皆が高くなったら、スーパー 35 そのために何が必要なのか、それをどう得るのか、得たらどうする のか、 少なくとも何万人に一人、そこから邦楽に興味を抱いた子たちの学 ぶ環境や やっていける環境まで考えるのが行政やん。 るが、 スケールメリットがなくては、もはや生き残れない。それが資本主 義というもの。 「格差って 格差って拡散 (2 (2) って拡散するの 拡散するの?」 するの?」 肉体労働では、日本人はもう負けていくでしょう。国際競争なので すから。 肉体はムリなら頭脳、それを評価しないのは、海外流出するから、 報酬をアップさせないとムリ。 プロ野球みればわかるではないかしらん。松井も松坂も向こうへ行 った。 それを高すぎると批判しない。かたや二軍で、300 万円くらいの人 もいる。 昔はスターを行かせなかった。日本球界は鎖国だったのだ。 形骸化日本は 形骸化日本は家計外か 家計外か、外貨あるけど 外貨あるけど( あるけど(1) 景気拡大なのにバブれないということの本質は、川上インフレ、川 下デフレであるから。鉄など素材は高騰しているが、小売りのダン ピング競争で青息吐息、この違い。家電でさえ苦しい。だから儲か っているのは、海外での売り上げと海外投資や株の財テク、マネー ゲーム。社員へ分配したくもならないのでしょうね。M&Aにも株 主にも備えないと会社も飛ぶか、奪われる。日本のプロ野球は、日 本から国際市場にいく。松坂年収 10 億円。これは日本ではつけら れない額。 「ワーキングプア」1707 万人、200 万円、時給 1000 円、 月 20 万円以下の生活。雇用のグローバル化で珍しくない。200 万 円は、生活保護、失業保険のマックス以下。 「格差って (1 格差って拡散 って拡散するの 拡散するの?」 するの?」 (1) 格差是正などできるはずないのに、なぜ総理はその建前で走るのだ ろう。建前だから。 最低限生活は保障できるし、すべきだが、所得格差はもはや頭脳能 力の差だから。 如何とも仕方なくありつつ。いや、スポーツなど特異な才能につい てもだ。 ソフト開発で起業して何億円も稼げる人がいる。それを否定するの だろうか。 そしたら彼は他に行くだろう。むしろ格差を認め、そこでがんばれ るようにしていくことでしょう。 格差も不平等も能力差もある。それを小さい頃から隠して、あたか も見てみぬふりを 大人も子供もやってきた。それは、農耕社会だからこそ可能だった。 人間の能力より天候が左右するならば、不平不満が出にくいから。 「格差って (6 格差って拡散 って拡散するの 拡散するの?」 するの?」 (6) 日本人なのに外国人のために働いて国際人と思っているような人 もいる。 日本によかれと考えると、国際化や時代に逆行する。 ジレンマの中で刻々と格差は拡大していく。 でも、さあ、逆にいえば、お金だけで測れないよなって、言ってき たんだからね。 測らなきゃいい。生き方の格差って、上下あるのかしらね。分相応 よね。 「格差って 格差って拡散 (5 (5) って拡散するの 拡散するの?」 するの?」 強者がいてこそ弱者救済。 そういう人たちは、強者をつぶしたらもっと悲惨になるのを知らな い。 日本で足を引っ張る人は、それもわかっていない。 大いに稼ぐ人を稼がせて、富ませればよい。 そこからチャンスも逆転も起きるのですわよ。 苦労、努力は報われるが、そこまでやらないと報われない。 仕事はお金を得るためにやる。それ以上の仕事は、お金と関係なし にやる。 それは充分に生活が成り立つからでしょうね。 そこまで苦労した人をそうでない人が妬んだり批判しても、始まら ないのです。 ■新刊のご案内 ★「声がみるみるよくなる本」中経出版 「声がきれいになる本」 (552 円)として、文庫本になりました。 ★「ボーカル 100 の裏ワザ」 リットーミュジージック(1200 円) 知って得する効果的な練習法&ヒント集 福島英のレッスンのなかから 100 の裏ワザを披露しました。 花くまゆうさくさんのイラスト 30 点入りの豪華な、でも、読みや すい練習の発想を変える本です。 20 年分のエッセンスを入れました。どうぞお役立てください。 「格差って (4 格差って拡散 って拡散するの 拡散するの?」 するの?」 (4) 森永卓郎氏が 300 万円での生活といったとき、 年収平均 600 万円台からそこまで落ちるのと、信じる人は少なかっ た。 あたしゃサラリーマンがもらいすぎたから当たり前と思ったけど、 本人さえ冗談交じりだったと思う。今、彼は 120 万円という。 でも冗談が交じっていない、必ずやきっとそこまでおちるでしょう。 200 万円のボーダーを割り込んでいるのです。 ★声優、俳優、一般の方には、ナツメ社より「声がよくなる最短最 強トレーニング」 (CD 付 1380 円) 一般用の CD 付きも三冊目となり、かなり完成度が高まってきまし た。是非、日々のトレーニングにご利用ください。 「格差って (3 格差って拡散 って拡散するの 拡散するの?」 するの?」 (3) 日本人は、新しいものへ取り組むのは慎重。おだてて叩く。 なぜ銀行の手数料などを批判しないのか。 ヒロイズムの欠如、人並み、中流、抜けがけ禁止の国、日本。 こうして日本そのものは、世界の地方ローカルとして、取り残され ていこうとしている。 地方が破壊されてきたように、日本全体も破壊されてしまう。 オリックスも新世銀行も、すでに外資のものとなっている。 欧米も中国も日本の会社に迫りくる。一部商店街など盛り返してい <携帯 QR コード> バーコード読み取り機能のある携帯電話で下記のコードを読み取 ると、ブレスヴォイストレーニング研究所の HP にアクセスでき 36 Voice Culture Club 2007.Vol.7 No.193 発行:ブレスヴォイストレーニング研究所 〒151-0051 渋谷区千駄ヶ谷5-20-23 代々木BVハウスB1
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