戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説

関東学院大学『経済系』第 254 集(2013 年 1 月)
特別寄稿論文
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
An introduction to historical study of Japanese information and
communications industry in the post-war period
宇 田 理
Osamu Uda
はじめに
1. 技術の融合
2. 制度の融合
おわりに
キーワード 情報通信産業,産業融合,ユーザー企業の役割
はじめに
信事業者だけでなく,電話交換機や電話機,そして
コンピュータやネットワーク機器を作るメーカー,
本稿は,戦後日本の情報通信産業の歴史分析を
さらには,通信回線を企業活動に利用したり,コ
行うために必要な要因を整理することを目的とし
ンピュータシステムを使用したりする「ユーザー
た序説的論文である。
企業の役割」も含まれる。とくに,最後の「ユー
日本の情報通信産業の歴史研究は,これまで電
ザー企業の役割」という視点は,これまで通信ビ
信・電話というツールを主体とする通信ビジネス,
ジネスの研究でもコンピュータ・ビジネスの研究
および,コンピュータというツールを主体とする
でも,後景に退いていた。
コンピュータ・ビジネス,という 2 つの異なる領
こうした 2 つの問題を解決するには,「産業融
域の歴史に分断され,進められてきた。そのため,
合」と「ユーザー企業の役割」という 2 つの視点
一方で,電話事業を営む通信事業者,日本電信電
に,より注目していく必要がある。もちろん,そ
話公社(以下,電電公社または公社)の歴史とし
れぞれの視点について,少ないながらもいくつか
て記述され,他方で,コンピュータ開発を進める
の研究が存在する。
メーカー,例えば,日本電気,富士通,日立製作
まず「産業融合」に関する研究としては,植草
所などのメーカーの歴史として記述されてきた。
益の『産業融合』が代表的なものであろう。植草
こうした研究上の区分は,2 つの問題を惹起して
は産業融合を「技術革新ないし規制緩和によって
いる。第 1 に,
「情報通信」という産業名に象られ
産業間の垣根が低くなり,産業間の企業相互の競
ているように,1960 年代頃より情報と通信の産業
合関係が強まる状態1) 」と定義しており,大きく 4
としての融合が進み,昨今のインターネットの時
つの業界を取り上げているが,情報通信産業にも
代までを視野に入れると,両者を分けて論じる意味
一章分割いている。植草曰く,通信とコンピュー
が急速に減じている。そのため,融合領域をどう
タという 2 つの産業領域の融合の引き金になった
論じるかのツールが早急に必要になっている。第
2 に,機器やサービスの利用者としての「ユーザー
企業」の視点が欠落していることがある。情報通
信産業と言ったとき,そこに係わるプレーヤーは
多岐にわたり,通常想定される,電話事業を行う通
のは,
(1)IC の小型化・大容量化
〔注〕
1)植草益『産業融合—産業組織の新たな方向』岩波書
店,2000 年,7 ページ。
— 81 —
経
済 系
第
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(2)コンピュータの大型化・大容量化・高速化と
合を見ようとした本であるが,中村は「融合は制
パソコンの小型化・高速化・大容量化
度の問題」であると言い切り,
「技術論やビジネス
(3)交換機や衛星通信機器といった送信機器と光
モデル論に終始せず,制度によって動向が左右さ
れる」と主張する5) 。中村は官僚出身のアカデミ
ファイバーなどの素材の開発・改良
(4)FAX・複写機・携帯電話などの端末の開発・
シャン故か,制度設計の意義を高く評価している。
その背景には,「通信の秘密は侵されてはならず,
改良
といった 4 つの「技術発展」と,そうした技術か
コンテンツは非規制なのに対し,放送には通信の
らなる情報通信システムの進化,具体的には,電
秘密がなく,コンテンツは規制を受ける6) 」といっ
子交換技術への移行と通信のディジタル化にある
た非対称の関係があり,コンテンツの流通形態を
としている2) 。
規制していくことの意義を認めているからである。
この植草の研究は,実はその約 15 年前に林紘一
この視点は重要ではあるが,通信とコンピュータ
郎が『インフォミュニケーションの時代』にて提起
の融合の歴史分析には深くかかわる事柄ではない
した問題意識を基本的に踏襲したものである。そ
ので,指摘するに留める。
の意味では,林の研究が産業融合自体を正面から
産業融合に対し,歴史的に切り込んだ研究も存
論じた最初のものと言える。もちろん,林の研究
在する。武田晴人編『日本の通信情報産業史』が
とて,その大まかなスケッチとしては日本電気の
それである。同書は,情報通信というコトバから
小林宏治が提起した C&C(コンピュータ&コミュ
して,運ばれる情報を抜きにして,通信の世界は
ニケーション)をベースとしているし,通信とコ
成り立ちえないという意味で,不可分の関係にあ
ンピュータの境目がなくなってしまったことを指
り,通信とコンピュータという 2 つの世界(産業)
摘したのは,日本情報処理開発協会の中山隆夫だ
が 1 つの世界(産業融合)へ向かうのは,いくつか
3)
と指摘している 。しかし,同書の副題が「情報
の乗り越えるべき制約はあるにせよ,自然の流れ
通信産業論の試み」となっているように,林は融
であると見る。そして,そこに通時的(通史的)視
合領域を新しい産業として積極的にとらえようと
点を持ち込んで,
「産業融合の歴史」として一貫し
しており,その意味では,産業融合の基盤となる
た記述を行ったものである7) 。この研究は,情報
最初の研究である。また,林は,小林の C&C に
通信産業の歴史を通信とコンピュータを別々の産
対し,コンピュータの C がハードウェア偏重だと
業としてではなく,融合した産業として統合的に
指摘する。つまり,コンピュータ処理というハー
捉えた,ほとんど唯一とも言える研究である。と
ドウェアの問題が中心で,ソフトウェアやコンテ
はいえ,
4)
ンツの視点が弱いと指摘する 。そのため,放送
(1)技術進化
と通信の融合も視野に入れた話が展開される。こ
(2)法制度の改変
れらは重要な指摘ではあるが,本稿の議論の範囲
(3)(ユーザー企業を含めた)企業行動の変化
を超えるので,ひとまず林の通信とコンピュータ
を,どう捉えていくかといった点で十分な議論がし
の融合に関する議論の評価に留めたい。
つくされているとは言い難い。つまり,そうした
林とは大きく世代が異なるが中村伊知哉の『
「通
主要因の変化が産業融合にどう係わっているのか
信と放送の融合」のこれから』も「産業融合」への
示唆を与えてくれる。通信とコンピュータの融合
というよりも,その先の情報通信と放送の産業融
2)植草益,前掲書,30∼31 ページ。
3)林紘一郎『インフォミュニケーションの時代 情報通
信産業論の試み』中公新書,1984 年,35 ページ。
4)林紘一郎,前掲書,39 ページ。
5)中村伊知哉『「通信と放送の融合」のこれから コン
テンツ本位の時代を迎えて法制度が変わる』翔泳社,
2008 年,153 ページ。
6)中村伊知哉,前掲書,153 ページ。
7)武田晴人編『日本の情報通信産業史 2 つの世界か
ら 1 つの世界へ』有斐閣,2011 年,とくに「はしが
き」を参照のこと。
— 82 —
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
の明示的な枠組みは提示されていない。そのため,
割」は看過できないということである。こうした
融合プロセスがどのように進んだのか以上に,そ
役割は,電電公社のみならず,一般の企業ユーザー
の意味を歴史の中から理解するところまではいっ
にも見られる。例えば,通信回線を経由したオン
ていない。これは残された課題であり,先の産業
ライン・システムの開発に関しても,色濃く反映
融合の研究の視点も加味しながら,考えていくべ
され,オンライン・システムを利用するユーザー
きものであり,本稿には,その一端を担おうとい
側の意向がシステム開発に大きな影響力を持つの
う意図がある。
である。これは,当然のこととして,億単位の機
次に,
「ユーザー企業の役割」に関する研究とし
器を購入する側がシステム開発の仕様に関して大
ては,コンピュータ・ビジネスに限られるが,池
きな権限を持っていることが背景にある。とはい
元有一の「日本におけるコンピュータ産業の発展
え,一般の企業ユーザーが当該産業の技術軌道を
過程」が挙げられる。同論文は,電力会社が火力
ある程度規定するということを考慮すると,
「ユー
発電の完全自動化に向けて制御用コンピュータを
ザー企業の役割」は情報通信産業の歴史分析に必
導入していく過程を,コンピュータ・メーカーと
須の項目であると言える。
のやり取りを中心に描いたものである。とりわけ,
さて,ここまで過去の研究を整理しながら「産
電力会社は,複雑化する火力発電プラントの監視
業融合」と「ユーザー企業の役割」という 2 つの
には,発電機,タービン,ボイラを同時制御でき
視点の歴史分析を進める上での意義を見てきたが,
るシステムをメーカー側に求めたが,それを国産
本稿では,主要な論点を「産業融合」に置き,情報
メーカーが自前で構築できなかったため,当初は
通信産業の歴史を「通信とコンピュータの融合」の
外国メーカーのシステムを利用しながら,国産の
視点から記述していく際に,押さえておくべき要
コンピュータとの合わせ技で対応し,順次,システ
因を措定したいと思う。具体的には,先に武田晴
8)
ム技術を学習していく過程が描かれている 。こ
人編の研究をレビューしたときに挙げた,(1)技
の論文の示唆するところは,システム開発に際し,
術進化,
(2)法制度の改変,
(3)
(ユーザー企業を
そのシステムを利用するユーザー企業のニーズが
含めた)企業行動の変化の 3 点を参照点としなが
色濃く反映され,システム開発を行うメーカーの
らも,部分的に林が提起する「
(技術的)接近」と
技術開発軌道を大きく左右する可能性を秘めてい
「接近」を「融合」と読み
いう枠組みを援用し10) ,
るということである。
替え,本稿ではとくに,(3)の企業行動の変化に
これは,情報通信産業における電子交換機の開発
大きな影響を与えてきた
でも全く同じことが言え,こと日本においては,通
(1)技術の融合
信機器を生産する能力を持たない電電公社が数社
(2)制度の融合
に絞って電子交換機の開発プロジェクトをスター
を情報通信の歴史のマテリアルを引きながら見て
トさせ,寡占的な生産委託体制へ持っていく9) 。こ
いくことにしたい。
うしたことから分かるのは,ユーザー企業の意向
が,当該産業の技術発展軌道をある程度規定する
1.
技術の融合
ということである。そのため,
「ユーザー企業の役
情報通信産業において,コンピュータと通信の
8)池元有一「日本におけるコンピュータ産業の発展過
程—1960 年代,電力業の制御用コンピュータを中
心に—」『土地制度史学』第 172 号,2001 年 7 月。
9)根本光一「電気通信事業と通信機器メーカーの関係
とその展開—電電ファミリーの形成と変容に関する
一考察—」
『研究年報 経済学』Vol.53 No.3,1992 年
1 月。
技術融合を明確なイメージを携えて指摘したのは
小林宏治の「C&C」と言っても過言ではなかろう
(図 1 参照)。小林は 1980 年に出版された本のな
かで,「電子交換機とコンピュータは,機能やメ
10)林紘一郎『インフォミュニケーションの時代』
,34∼
39 ページ。
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第
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2000
年
C
&
シ
ス
テ
ム
化
C
分散処理型
1980
コ
ン
ピ
ュ
ー
タ 1970
総合通信網
信
集中処理型
フ
ァ
ク
シ
ミ
リ
IC
1960
単能型
Tr
信
通
タ
ー
デ
コンピュー 真空管
タ誕生
ル
タ
ジ
デ 伝送
ー
スバ
クロ交換
電話
1950
割
分
間 換
空 子交
電
時
電 分
子 割
交
換
画
像
通
LSI
多目的型
1950
超 LSI
デ
ジ
伝 タ
送 ル
網
1990
デジタル化
アナログ
伝送
1960
1970
1980
1990
2000
コミュニケーション
図 1 C&C の発展
出所:小林宏治『C&C は日本の知恵』サイマル出版会,1980 年,p.49 図 6 より。
カニズムがよく似てきており,コンピュータ自体
うした技術の融合に関する見方は,極めて明快で
が通信回線によって分散的に機能する傾向が,い
あるものの,前章で林の研究を引いて指摘したよ
ま進行中の大きな特色である。データの分散処理
うに,ハードウェア偏重の傾向がある。そのため,
方式や “C&C” の標語でよばれる電気通信とコン
小林の掲げたビジョンからすると若干スケールダ
ピュータの結合という大きな技術の趨勢は,この
ウンするものの,情報通信産業の技術進化の姿を
ことをさしたものである。[中略]C&C には,こ
実に的確に表している林の「交換機と電子計算機
のように通信指向的な統合システムもあれば,コ
の技術的接近」の枠組みを踏襲しながら,技術の
ンピュータあるいはコントロール指向的な統合シ
融合を整理していくことにしたい。
ステムもあり,これら三者がからみあって,トータ
林は,交換機とコンピュータの技術の融合プロセ
ル・サイバネーション・ネットワークへと発展し
スを,機器などの「ハード」の部分での融合とデー
ていくはずである11) 」とのビジョンを語っている。
タやコンテンツという「ソフト」の部分での融合
図 1 に明らかなように,小林は,通信側には「ディ
とに分けている。これは,1980 年頃までをハード
ジタル化」へと向かう趨勢を,コンピュータ側には
面での通信(交換機)とコンピュータの技術融合,
より「システム化」していく趨勢を見ている。こ
1980 年代以降をソフト面での通信(付加価値情報
11)小林宏治『C&C は日本の知恵』サイマル出版会,
1980 年,48 ページ。
[VAN]
)とコンピュータの技術融合と整理するこ
とが可能になるという意味で,大変意義あるもの
— 84 —
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
共同利用
1877 手 動 交 換 機
事務の機械化
1887 自 動 交 換 機
オンライン・リアルタイム処理
共通制御の着想
1938
クロスバ式
市内自動交換機
P C
S
1940 リ レ ー 式 計 算 機
クロスバ式
市外自動交換機
1946 真空管式コンピュータ
1955
1952 真空管式電子交換機
1961
1923
大容量化スピードアップ
プログラム記憶方式(ノイマンの着想)
1950
1890 ホ レ リ ス 統 計 機
トランジスタ式
コンピュータ
トランジスタ式
電子交換機
PCM(時分割通信)
1964 IC 式コンピュータ
1968 I C 式 電 子 交 換 機
機能統合
中央処理装置
図 2 交換機とコンピュータの融合
出所:林紘一郎『インフォミュニケーションの時代 情報通信産業論の試
み』中公新書,1984 年,36 ページ図 2-1 より。
である。なぜなら,1980 年頃まではもっぱら交換
第 1 に,クロスバー交換機が登場し,共通制御
機の電子化を進めるなかで,通信とコンピュータ
が可能になった時点である。クロスバー方式では,
が融合していたのに対し,1980 年代以降は,電電
従来のステップ・バイ・ステップ方式では番号を 1
公社が進めていた INS という情報通信システムの
つずつパルスで送っていたのに対し,クロスバー
中に,あらゆるサービスが統合化され,次章で詳し
というリレー(継電器)部分に電話番号を一度に記
く見るように,回線開放後,VAN が広く普及する
憶させ,空き回線を選択し,接続に至るため,素早
なかで通信とコンピュータの融合が進んだからで
い接続が可能になり,全国自動即時化(すぐつな
ある。しかし,ソフトの部分は制度の問題ともか
がる電話)を目指す電電公社として大きなメリッ
かわってくるため,本章では,林の提起するハー
トがあった。
ド面での通信(交換機)とコンピュータの技術融
合に絞って見ていくことにしよう(図 2 参照)。
しかし,より重要なことは,林が指摘している
ように,クロスバー交換機では通話路部と制御装
置が分離しており,制御装置部分は,ある通話を
1.1 交換機の方式の進化と交換機の電子化・ディ
ジタル化
つなぎ終えると解放され,次の通話の制御に利用
できる,つまり,複数の通話(路)の制御に共通
通信(交換機)とコンピュータの技術融合の進
して利用できることと,こうした「共通制御方式」
化プロセスには,2 つの側面がある。1 つは「交換
が制御コンピュータ開発の糸口になったことであ
機の方式の進化」に関わるものであり,いま 1 つ
る12) 。電信を基調とする「データ通信」を通信と
は「交換機の電子化・ディジタル化」に関わるも
コンピュータの融合の嚆矢とすることもできるが,
のである。まず,
「交換機の方式の進化」から見て
それ以前に電話の世界で技術融合が進んでいたの
いくことにする。
である。
「交換機の方式の進化」の歴史を辿ると,そこに
は 2 つの分水嶺を見て取ることができる。
12)林紘一郎『インフォミュニケーションの時代』,35
ページ。
— 85 —
経
符 号 化
済 系
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多重化
分離
復 号 化
(通話路ネットワーク)
C
A A
C
時間
入
線
側
B B
C B A CBA
順序
B A C BAC
A A
出
線
側
入替
CTL
C C
B B
(b)時分割形通話路
図 3 時分割形通話路
出所:愛澤慎一・清水博編著『やさしいディジタル交換』オーム社,1994
年,11 ページ図 1.11 より。
第 2 に,「共通線信号方式」が導入された時点
歴史を見ると,時分割電子交換という技術の登場
である。共通線信号方式は,電話のより効率的な
という,1 つの大きな画期が見て取れる。時分割
経路選択を目的としたものである。例えば,空き
電子交換は,経路選択後,伝送路を占有するこれ
回線を探す信号と接続後の音声信号を同じ回線を
までの空間分割電子交換と比べて,はるかに効率
使って送る場合,経路選択が完了し,接続が確保
的に伝送路を利用することができた。まず,そう
されるまで,音声信号は流せない。ところが,通
した技術的意義を確認し,次に,日本における時
常の音声通話回線とは別に,制御専用の信号回線
分割電子交換開発の歩みを簡単に見ておくことに
を敷設し,この回線を経路選択の作業に利用すれ
する。
ば,作業中に音声通話回線を占有することなく,通
時分割電子交換機は「ディジタル交換機14) 」と
話中に別の回線を探す作業も可能になる。その結
も呼ばれ,図 3 にあるように,伝送路を伝って来
果,ユーザーの待ち時間は短縮し,ピーク時需要
た音声などのアナログ信号は,交換機に入る前に
に合わせた必要以上の回線敷設をせずに既存回線
一旦ディジタル信号に変換(符号化)され,処理さ
の効率利用を図ることができる。
れ,再びアナログ信号に変換(復号化)される。こ
この共通線信号方式は,日本では 1973 年に初め
うしたディジタル処理が施せると,交換機に入っ
て導入された。その後,CCITT(国際電信電話諮
てくる信号と出ていく信号のタイミングを自由に
問委員会)により新しい規格の信号方式(No.7 信
入れ替えることができる。時分割電子交換は,プ
号方式)の運用が決定され,日本でも 1982 年より
ログラム上で疑似的に空間占有する形なので,1 つ
導入が開始され,現在に至る。こうした共通線信
の伝送路を複数の通話やデータ通信で共用するこ
号方式は,まさにコンピュータによる制御であり,
とができ,伝送路の効率的利用が可能になる。ち
1980 年代までに技術の側面で通信とコンピュータ
なみに,時分割によるディジタル方式の伝送効率
が完全に融合したと言うことができる13) 。
は,一旦,経路選択し接続すると物理的に回線が
もう 1 つの「交換機の電子化・ディジタル化」の
占有されていたこれまでの空間分割によるアナロ
13)共通線信号方式については,愛澤慎一・加納貞彦編
著『やさしい共通線信号方式』オーム社,1987 年,お
よび,林紘一郎『ネットワーキングの経済学』NTT
出版,1989 年,補章を参照のこと。
14)ディジタル交換については,愛澤慎一・清水博編著
『やさしいディジタル交換』オーム社,1994 年を参
照のこと。
— 86 —
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
グ方式の 20∼40 倍になると言われている15) 。
ディジタル化」の歴史において画期的なものであ
もちろん,こうした時分割電子交換を可能にす
り,共通制御方式,共通線信号方式といった「交
るには,先に入ってきた信号を一時的に交換機内に
換機の方式の進化」と合わせて,機能的にも機器
記憶しておく必要がある。そのため,コンピュー
構成上もコンピュータとの「技術の融合」を果た
タの記憶装置と同様のものが交換機内に装備され
してきたと言えるだろう。
る必要が出てくる。こうした方式は,蓄積プログ
こうした技術の融合は,電電公社発足の翌年 1953
ラム制御(SPC:Stored Program Control)と呼ば
年に「第 1 次 5 カ年計画」が発表され,そのなかで
れており,ここまで来ると,直接の用途は異なる
謳われた「全国自動即時化(すぐつながる電話)」
ものの,中央処理装置(CPU)
,内部の記憶装置,
を達成するために大きな役割を果たしたが,それ
データの入出力装置を配した「機器の構成上」
,電
だけでなく,電信でも電話でもない「第 3 の通信」
子交換機とコンピュータは,ほとんど同じものと
と言われた「データ通信」が 1980 年代に大きく
言うことができる。また,こうした時分割電子交
飛躍するための技術的下地を築いたとも言える。
換機は,音声データや文字データを小分し,順次
もっとも,データ通信の発展は,電話用の通信回
送信するパケット交換網を使った制御にも適用で
線の中に文字や画像といったデータを流すことを
きる。小分けした音声・文字データ・パケットを
伴うが,それは,1953 年の電電公社発足以来,公
空いている伝送路に次々と流していくことで,伝
社が一元的に管理してきた通信回線のより自由な
送路の共用化のみならず,交換機の処理能力の節
利用を要請するものであった。そのため,法制度
約にもつながり,通信回線利用の無駄を省くこと
と絡めた考察が欠かせない。そうした制度の面で
ができる。
の通信とコンピュータの融合について次に見てい
電電公社による時分割方式(PCM:パルス符号
くことにしよう。
変調)の技術開発は 1950 年代に着手され,1960
年代にかなりの程度まで進んでいた。しかしなが
2.
制度の融合
ら,公社は 1969 年に一旦,時分割方式のディジ
タル交換機の開発を中止した。これは,スイッチ
制度の面での通信とコンピュータの融合を見て
部分に使用される IC のコストが高くついたため
いくにあたり,最も重要なのは 1953 年施行され
で,公社は,当面はスイッチ部分に電気機械式のク
た公衆電気通信法の度重なる改正である。同法は,
ロスバー・スイッチを使用し,制御部分だけコン
日本の公衆電気通信役務(サービス)の利用条件
ピュータ化する電子交換機を世に出していく方針
などを規定した法令であるが,第 1 章総則の第 1
を採った。こうした,制御部分だけの電子化(コン
条に「この法律は,日本電信電話公社及び国際電
ピュータ化)が進められた交換機は「半」電子交換
信電話株式会社が迅速且つ確実な公衆電気通信役
機と呼ばれたが,1980 年頃まで,日本における電
務を合理的な料金で,あまねく,且つ,公平に提
子交換機の中心的存在でもあった。その結果,日
供することを図ることによって,公共の福祉を増
本で本格的なディジタル交換機が実用化を見るの
進することを目的とする」とされており,電電公
は,電電公社が 1982 年に D60 形,D70 形のディ
社による通信事業の一元的管理体制,つまり,日
ジタル電子交換機を世に出してからであると言え
本中の公衆通信回線をほぼ所有し,国際電信電話
る16) 。
公社と共に,日本の通信事業をほぼ独占的に担う
このように時分割電子交換は「交換機の電子化・
ための根拠になってきた。
しかしながら,この公衆電気通信法は 1985 年の
15)南澤宣郎『コンピュータ・ネットワーク時代』コン
ピュータ・エージ社,1980 年,60 ページ。
16)遠藤諭『計算機屋かく戦えり』アスキー,1996 年,
331∼349 ページ。
公社民営化までに 3 度の改正を経ながら,通信回
線の自由化を促してきた。ただし,1971 年,1982
年,1985 年の 3 度にわたる「公衆電気通信法の改
— 87 —
経
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第
254 集
正」は,一般に「回線開放」あるいは「回線自由
ザーが通信回線にコンピュータを自由に接続して
化」と呼ばれるものの,最初の 2 度の回線開放は,
利用する環境が整った。とはいえ,それは公社の
公社以外に民間電話会社の設立を認めるというも
通信回線の一元的管理を損なわない範囲で,とい
のではなく,公社所有の回線を民間企業にどう使
う条件付きであった。つまり,
「公衆電気通信秩序
わせるかの規定を徐々に緩和してきたものである。
の維持」が大原則とされ,公社が統括している 1
さらに,音声通話ではなく,1960 年代半ばから興
つの交換システムである「公衆網」に,原則とし
隆し始めた「データ通信」の利用に焦点が絞られ
て,すべての電話や通信機器がつながっていなけ
たものであった。
ればならず,公社の管轄外に独立した通信網を形
そのことは,同時にもう一つの大きな問題を生
み出した。それは,管轄省庁間のデマケーション
成する可能性のある行為は,すべて何らかの規制
を受けたのである18) 。
(線引き)問題とも言えるものであった17) 。公社の
法改正の中身を具体的に見ると,公衆電気通信
関係する通信事業は郵政省(現,総務省)の管轄
法(以下,公衆法)の「第 3 章の 3 加入電信」の
下にあったが,コンピュータといった情報処理に
部分に「第 3 章の 4 データ通信」が付け加えら
係る部分は通産省(現,経済産業省)の管轄下に
れ,「特定通信回線」という交換設備を経由せず,
あった。データ通信事業は,電信でも電話でもな
2 人以上の利用者が事前に指定した地点間に引い
いが「コンピュータではある」という意味で,通
た「専用回線」と,
「公衆通信回線」という交換設
産省の管轄領域に属するもので,省庁間の調整が
備を経由した一般の「加入電話回線」,「加入電信
必要となった。本章では,回線開放に関わる法令
回線」とを利用した「データ通信」の使用契約が
の改正プロセスを見ていくが,それは通信とコン
明記された19) 。法改正により,まず 1971 年 9 月
ピュータの融合領域に当たる「データ通信」を巡る
に,特定通信回線の共同使用の制限緩和と付加使
省庁間の縄張り争いの観を呈するものであり,省
用料の廃止が行われ,翌 1972 年 11 月になって,
庁間の「調整という名の融合」を見ることで明ら
公衆回線のデータ通信の利用が開放された20) 。ち
かになるものである。
なみに,第一次回線開放の時期についての記述は,
以下,3 度にわたる回線開放の中身を,その経
資料によって 1971 年と 72 年の 2 つがあるが,改
緯や直接の動機も含め,
「調整という名の融合」の
正法自体は 71 年に公布されているので,本稿では
歴史として見ていくことにしたい。
71 年で統一する。
2.1 第一次回線開放
回線の共同使用の制限緩和と付加使用料の廃止に
さて,上述した 1971 年 9 月になされた特定通信
1971 年 5 月の第 65 通常国会にて法律第 66 号と
ついては,若干の説明が必要であろう。実は 1963
して「公衆電気通信法の一部を改正する法律」が
年 4 月より,電電公社は非電話通信,つまり,デー
成立,公布された。通常「回線開放」と呼ばれる
タ通信向け専用回線の提供を開始していた。これ
この法律改正は,のちにさらなる法律の改正が行
は,1953 年 7 月に制定された専用制度を全面的に
われたことから,
「第一次回線開放」と呼ばれてい
改定したもので,
「準専用」と呼ばれ,あくまで公
る。これによって,一定の制限はあるものの,ユー
17)デマケーション(線引き)問題という用語は,米国
連邦通信委員会(FCC)のコンピュータ調査(the
computer inquiry)で使用されていた通信と情報処
理の線引き(demarcation)という表現をベースに,
筆者が武田晴人編『日本の情報通信産業史』
,74 ペー
ジで使用したものである。同書では,単に技術的な
ものだけでなく,省庁間の管轄領域のデマケーショ
ンをも指す用語として使用している。
18)松下温『VAN 電気通信戦争のゆくえ』培風館,1985
年,34∼36 ページ,日本データ通信協会編『デー
タ通信—新制度の詳解—』第一法規,1983 年,8∼
9 ページ。
19)第一次回線開放に関する一連の法律上の記述は,1971
年 5 月 24 日に公布された「昭和 46 年法律第 66 号
公衆電気通信法の一部を改正する法律」を参照。
20)南澤宣郎『日本のコンピューター発達史』日本経済
新聞社,1978 年,196 ページ。
— 88 —
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
社預かりの試行役務(サービス)という位置づけ
信を必要とする二人以上の者が同一の公衆電気通
であった21) 。
信設備を専用するための専用契約の申込を承諾す
また,そこには関係する 2 つの条件が課されて
ることができる」に基づいたものである。
おり,利用者(ユーザー)の不満の種になってい
第 2 に,同じく公衆法 66 条にあるように,他社
た。それは,第 1 に,共同使用に係る規制で,デー
と共同で専用回線を使ってデータ通信を行う場合,
タ通信の利用にあたり,
「原則として」利用者が 2
付加料金が適用され,それが高額であったことで
地点間に引いた専用回線に限定されたことである。
ある。例えば,付加料金は既存の自社内の専用回
例えば,民間企業の利用者の場合,自社内の本支
線にも追加適用された。民間企業が専用回線を借
店間であれば問題はないが,取引先など他社との
りる場合は「専用契約」となるが,そうした専用回
専用回線の共同使用は「原則として」認められて
線を他社と共同で使用する場合は「共同専用」と
いなかった。これは公衆法 66 条にある「公社又は
いう扱いになる。電電公社の営業規則では「2 人
会社は,業務の遂行上支障がないときは[中略]別
の場合は通常の回線料金の 30%増し,3 人以上の
に公社又は会社が定める額の料金の支払があるこ
場合は同じく 50%増しの付加料金がかかる」とさ
とを条件として,国の機関及び地方公共団体又は
れており,その付加料金が既存の自社の本支店間
共同して同一の業務を行う二人以上の者若しくは
の回線にも適用されてしまう。つまり,既存の専
相互に業務上緊密な関係を有するためその間の通
用契約料金も 2 人以上の場合は 30%増しになる。
もちろん,これが利用者すべてに公平に付加され
21)1963 年 4 月に公社は,専用制度を全面改訂し,
「準
専用」という試行サービス扱いで,非電話系のデー
タ通信用の回線提供を始めた。また,同年 10 月よ
り,50 ボーの回線のみならず,1200 ボーの高速回
線のサービス提供も開始した。こうしたサービス提
供が始まった背景には,1962 年 4 月に IBM の東京
オリンピックのオンライン・システム開発プロジェ
クトが発足し,政府に対し,回線使用の要望があっ
たことが挙げられる。1964 年 10 月開幕の東京オリ
ンピックにおいて,日本 IBM は競技結果を表示す
るための「東京オリンピック」を導入したいと考え
ていた。これは,プレスセンターと 32 の競技場を
専用回線で結び,競技場で担当者が入力した競技結
果がすぐさまプレスセンターにあるコンピュータに
伝送され,コンピュータはそれらのデータに基づき,
競技順位を算定し,すぐさま競技場にデータを送り
返し,競技場の電光掲示板に表示されるというもの
であった。このシステムはコンピュータを通信回線
に接続することが求められ,政府はオリンピック限
定と言うことで接続を許可したが,民間企業(三井
銀行など)でも,これまでのテレタイプに代えて,
コンピュータを専用回線につないでデータのやり取
りを行いたい企業が存在していたため,こうした試
行的なサービス提供に至ったものと思われる。南隆
蔵「最近の専用通信の動向」
『ビジネス・コミュニ
ケーション』Vol.4 No.9,1967 年,20∼22 ページ,
日経コンピュータ編『ザ・プロジェクト成功の軌跡』
日経 BP,2004 年,6∼16 ページ,南沢宣郎『日本
のコンピューター発達史』
,150,197 ページ。
るのであれば問題ないが,公社が行う事業や試行
役務には,付加料金が適用されなかった。こうし
た独占的なデータ通信サービスの運用に対し,時
に批判の矛先が向けられた22) 。とくに,1960 年代
末より複数の会社が共同で一台のコンピュータを
タイム・シェアリングするために計算センターを
設立する動きが見られたが,これらも共同専用扱
いであり,付加料金問題が取りざたされた。
こうして利用者側のデータ通信設備構築のノウ
ハウが不足していたことと,高額の付加料金が課
されたことから,共同で専用回線を利用し,企業
間でのデータ通信のネットワークを構築する場合
は,公社が設備構築のイニシアティブを取り,
「試
行役務(サービス)
」という形で提供されることが
多かった。代表例としては,1966 年 3 月に地方銀
行協会(以下,地銀協)が公社に直営依頼を行っ
た「全国地銀データ通信事業(地銀オンライン事
業)
」がある。これはデータ通信サービス事業とし
て着手された「試行役務」の端緒でもある。同事
業は,全国の地銀同士の内国為替業務のオンライ
ン化を目指しており,地銀協は,公社にオンライ
22)平和相互銀行総合企画室『岐路に立つ情報革命 通信
回線の全面開放を求む』徳間書店,1970 年,49∼50
ページ。
— 89 —
経
済 系
第
254 集
ン・システム構築の相談を持ちかけた。しかし,地
DRESS(販売在庫管理システム)
,DEMOS(科学
銀協の中に地銀同士をつなぐコンピュータを設置
技術計算サービス)
,DIALS(電話計算サービス)
し,そのコンピュータを通じて地銀同士のデータ
といった 3 つのデータ通信サービス事業を始めた
のやり取りを行う計画が,表向きは,回線の共同
が,公社がこうしたサービスの提供を急いだ背景
使用や他人使用のメッセージ交換(内容や形式を
には別の問題も存在していた。民間企業が,結果
変えずにそのままテータを送ること)の禁止に抵
として,ある種の脱法行為とみなされる業務行為
触する。しかし,本質的には,公社がデータ通信
を働き,それゆえに,公社の一元的通信回線管理が
サービス事業に乗り出すことは,データを処理す
骨抜きにされるという問題が横たわっていたので
るコンピュータが必要になることから,コンピュー
ある。具体的には,林が指摘しているように,法
タ事業に乗り出すのと同義であり,管轄省庁間を
改正前の 1970 年の時点で,日本通運が公社から借
またぐ特例措置が必要となった。つまり,地銀オ
りた回線上で運用しているオンライン・システム
ンライン事業に取り組むということは,公社が通
の中に,他社の在庫管理・配送指示の業務がすべ
信に加え,情報処理に乗り出すことを意味するた
て含まれていたことである25) 。日通にとっては運
め,公社が営む通信事業を管轄する郵政省と,コ
送情報という扱いなのであろうが,実際には,日
ンピュータといった情報処理事業を管轄する通産
通に運搬してもらっていたメーカーの業務自体が
省との間の調整が必要になったのである。
盛り込まれていたのである。これは,共同専用に
通産省と郵政省の合議の結果,1968 年 8 月 16
よる通信回線の利用に当たり,法律上では「共同
日より「試行役務」というグレーゾーンを設け,公
使用」の規則に抵触する。しかし,同社は,通信
社のデータ通信サービス事業が暫定的に認められ
の秘匿の権利を盾に,公衆法も公社の管理の目も
た。また,公衆法に抵触しないようにするため,地
かいくぐっていたのである。
銀協のオンライン・コンピュータを東銀座電話局
さて,この 2 つの条件は,1971 年の法改正で一
ビル内に置き,公社預かりの事業として進められ
定の改善を見た。共同専用に関する付加料金は廃
ることになった。なぜなら,地銀協がコンピュー
止され,共同使用の範囲も緩和され,業務上関係が
タを自らの建物に置き,局社内に置かなければ,
ある場合は一定条件の下,データ通信に関する同
公社は通信回線を又貸ししたことになり,公社自
一回線の共同使用が認められることになった。例
体の在り方に矛盾をきたす恐れがあったからであ
えば,国の機関同士,共同して同一の業務を行う
23)
る
。ちなみに,地銀オンライン事業の件は,公
2 人以上の者同士,製造業者と販売業者間など 8
社・郵政省側に端を発する「制度的な調整を要す
る問題」であったが,通産省側に端を発する場合
もあったことを指摘しておく24) 。
一方,1970 年,公社は自前でオンラインによる
23)高橋茂『コンピュータクロニクル』オーム社,1996
年,79 ページ,日本電子工業振興協会編『電子工業
振興 30 年の歩み』コンピュータ・エージ社,1988
年,62 ページ,NTT アドバンステクノロジ(株)
編『NTT R&D の系譜—実用化研究への情熱の 50
年—』251 ページ,郵政省『通信白書 昭和 49 年版』
240 ページ。
24)通産省も情報処理産業の発展を通じ,我が国の経済
社会発展に寄与すべく,1967 年,のちに日本情報処
理開発センターとなる団体設立構想を示した。これ
は,1970 年の大阪万博博覧会のシステムを公社と
共同で引き受け,博覧会終了後には,関西に同セン
ターの分室を設置し,東京のセンターとオンライン
で結び,情報サービスセンターとして機能させる算
段であった。言葉尻では,遠隔情報処理技術の開発
が目的とされたが,それは通信回線を利用したオン
ライン・システムそのものであり,公社の回線を使
用するため,かりに共同だとしても,公社以外の第
三者が「通信役務(サービス)
」を行うことになり,
公衆法に触れるため,省庁間の調整が必要となった。
そのため,実際の運営はすべて公社に託され,万博
終了後の運営も,オンライン・センターとしてでは
なく,開発機関として存続されることに相成った。
高橋澄夫『下町っ子の昭和』イデア出版局,2008 年,
143∼144 ページ,日本電子工業振興協会編,前掲
書,62∼63 ページ。
25)林紘一郎『インフォミュニケーションの時代』
,155
ページ。
— 90 —
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
つのケースが想定され,当該要件に当てはまらな
いった他人のデータ通信を媒介する行為も制限さ
い場合も,郵政大臣の個別認可を受けることによ
れ,データ通信サービス事業者が活動できるスペー
り,使用可能となった。ただし,データ・センター
スは,未だ厳しく規制されていた。それを緩和し
事業などを営むオンライン・データ処理事業者に
ようとしたのが,次節で触れる第二次回線開放で
とって,例えば,ユーザー A(販売会社)からデー
あり,省庁間の「調整という名の融合」に手が付け
タ・センターに送られてきたデータを処理し,そ
られることになる。しかし,管轄官庁のデマケー
の処理後のデータをユーザー A に戻さず(「行っ
ション問題の解決は容易ではなく,本当の意味で
て帰ってこい」方式と呼ばれている)
,ユーザー B
のユーザー側の要求の充足は,1985 年の第三次回
(A が契約している倉庫会社)に送るといった中途
線開放まで引き延ばされることになる。
コンピュータによる「メッセージ交換」
,すなわち
「他人の通信を媒介する行為(他人使用)」は禁止
2.2
第二次・第三次回線開放
されていた。さらに,音声利用の専用回線の又貸
第二次回線開放といわれる「公衆電気通信法の
し,すなわち「他人の通信の用に供する行為(他人
一部を改正する法律案」は「行政事務の簡素合理
使用)
」も,公社一元的管理体制を反故にするとい
化のための一括法案」として 1982 年 3 月 20 日の
う意味で,当然のごとく認められないままであっ
国会に提出され,7 月に成立を見た27) 。かかる一
た26) 。
括法案は,許認可の整理合理化を促した,1982 年
ここまで見てきたように,第一次回線開放は,次
の 2 つの進展をもたらした。
2 月 10 日の臨時行政調査会(以下,臨調)の「行
政改革に関する第二次答申」の流れの中にあるも
第 1 に,カッコ付きながら,民間企業が共同で
データ通信の専用回線を利用することが認められ
ので,公衆法の一部改正による「データ通信回線
利用の規制緩和」を含むものであった28) 。
こうした法改正は,データ通信の使い勝手の面
たこと。
第 2 に,限定的だが,公衆回線を使ったオンラ
からしてユーザーの理にかなうものであった。例
イン・データ処理などの自前のコンピュータの時
えば,1971 年の第一次回線開放では,回線の「共
間貸し業務である「タイム・シェアリング」が可
同使用」が可能な 8 つの関係のみが郵政省令 4 条
能になったこと,である。
の 13 に限定列挙されており,それ以外は郵政大臣
このように,ユーザー側の要求もあり,回線開
による個別の認可が必要であったが,1982 年の第
放が進んだとはいえ,回線の又貸しには厳格な規
二次回線開放では,データ通信の利用は原則自由
制が敷かれていた。そのため,メッセージ交換と
になり,規制される場合を別途記すネガティブ・
リスト方式に大きく変更された29) 。
26)他人使用の禁止は,有線電気通信法第十条にある「有
線電気通信設備を設置した者(公社及び会社を除く。
)
は,業としてその設備を用いて他人の通信を媒介し,
その他その設備を他人の通信の用に供してはならな
い」と公衆電気通信法第六十四条にある「専用者は,
業としてその専用設備を用いて他人の通信を媒介し,
その他その専用設備を他人の通信の用に供してはな
らない」が法的根拠となっている。ただし,1976 年
7 月,郵政省が特定通信回線の「他人使用」の基準
を改正し,複数の端末相互間のデータ通信と,複数
のコンピュータを利用するデータ通信が可能となっ
た。
『情報政策総合年表 1950 年∼2002 年—経済産
業省を中心として—』独立行政法人情報処理推進機
構,2004 年,南沢宣郎『日本のコンピューター発達
史』
,198 ページ。
さて,公衆法の一部改正による第二次回線開放
は 1982 年 10 月 23 日よりスタートしたが,これ
自体はデータ通信の運用上の規制を緩和するもの
であり,電電公社の通信事業に対する一元的管理
体制を大きく揺るがすものではない。より重要な
27)衆議院逓信委員会会議録第 6 号,1982 年 4 月 7 日。
28)第 96 回国会内閣委員会第 10 号,1982 年 5 月 11
日。
29)石津勝馬・川田博雄・輿振・横井平三「座談会通信
回線の第二次自由化とその将来像— 物流システムを
中心として—」『季刊輸送展望』No.186,1986 年,
32 ページ。
— 91 —
経
済 系
第
254 集
のは,同月,郵政省が「中小企業を対象とする民
文面から明白なように,通産省の姿勢は臨調の規
間企業による付加価値通信サービス(通称:中小
制緩和と同一路線にある。
企業 VAN)」の認可を開始したことである。中小
一方,郵政省は,データ通信の在り方について,
企業 VAN は,公衆法に基づく臨時暫定措置とし
総論では規制緩和の方向に賛成していた。ただし,
て世に出たものであるが,郵政省の認可が必要と
データ通信サービス事業を電話事業と切り離し,独
はいえ,民間企業が電電公社などから回線を借り
立した領域として仕立てることで,より強い政策
て,自らコンピュータ設備を持たない中小企業向
権を掌握することを企図していた。そのため,各
けに「データ通信サービス」事業を営むことを認
論では監督権限を残存させたいと考えていた。郵
めたものである。つまり,データ通信サービスに
政省は,職員の約 90%が郵便局勤務という現業主
限られてはいるが,電電公社以外に「通信事業者」
体の官庁であり,電気通信政策を司る電気通信政
を認める施行規則が誕生したのである。
策局が設立されたのも 1980 年と新しく,電話機
当初,この中小企業 VAN は,公衆法の臨時暫定
などの端末の調達を含む事実上の行政機能を電電
措置などではなく,中小企業に限らずあらゆる企
公社に握られていたため,管轄官庁としての政策
業を対象とした「VAN 法案」として国会に提出さ
権を強化するための新領域を模索していた。VAN
れたが,継続審議の末,中小企業向けの VAN と
法の提案も,そうした流れのなかで郵政省が独自
して世に出ることになった。この背景には,通信
の政策権を獲得する目的が背景にあったとされる。
とコンピュータ(情報処理)を巡る郵政省と通産
そのため,VAN 法案は,データ通信サービス事
省の縄張り争いに加え,電電公社と管轄官庁であ
業での新規参入を認め,電電公社との競争環境を
る郵政省との関係の変化がある。
創り出すことを目的とする一方で,新規参入に当
通産省は,データ通信の在り方に関して,基本
たっては郵政省の認可を条件づけた。この部分に
的に規制緩和の態度をとっていた。臨調の第二次
関して通産省の同意が得られず,通産省側は国会
答申の前年の 1981 年 6 月に出された同省の産業
では廃案も辞さない態度に出た。ここに VAN の
構造審議会の情報産業部会の答申では,以下のよ
定義を巡る省庁間の争いが見て取れる。郵政省は
30)
うな提言がなされている
。
(下線強調は筆者)
VAN を「情報の中身を変えない通信処理サービス」
(1)オンライン情報処理は,情報処理と通信の融
と主張し,通産省は「通信を利用して行う情報処
合した高度なコンピュータ利用の一形態であ
理サービス」だと主張する31) 。つまり,郵政省は
り,これに公衆電気通信の維持の観点から,
VAN を通信の領域にあるものだと言い,通産省は
電信や電話と同じような規制を課すことにつ
情報処理の領域にあるものだと言っているのであ
いては問題がある。
る。こうした定義を巡る論争のなかで,自民党政
(2)オンライン情報処理に対する通信回線の利用
調会長の田中六助が割って入り,自前でオンライ
制約は,社会経済の変化,技術の進展に即応
ン・システムを持てない中小企業者向けのデータ
させるように見直し,実態に合わなくなった
通信サービスは必要ではないかとの提案を行った。
規制は撤廃すべきである。
この「田中裁定」と呼ばれる政治的調整の結果,郵
(3)電電公社のデータ通信設備サービスは,民間
政省側は VAN 法案そのものの成案は断念したも
のサービスとの競合の問題がある。その多く
のの,郵政省の認可の下,施行される「中小企業
は通信回線の利用規制に起因するところが大
VAN」という形で政治的決着を見た32) 。
きい。このため通信回線利用規制の撤廃が急
務であり,これによって民間が不利にならな
いような環境条件の整備をはかる必要がある。
30)情報産業部会の提言は,松下温,前掲書,38∼39 ペー
ジより。
31)松下温,前掲書,45∼48 ページ。
32)田中裁定については,参議院内閣委員会第 6 号,1982
年 4 月 8 日。衆議院内閣委員会第 11 号,1982 年 4
月 13 日を参照。とくに,4 月 13 日の内閣委員会で
は,市川雄一委員が「本当は共同使用と他人使用,
— 92 —
戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
さて,第二次回線開放を導いた臨調の「第二次
きるというメリットがあった34) 。
答申」からおよそ五ヶ月後の 1982 年 7 月 30 日に
こうして郵政省は,臨調や通産省に歩み寄りな
出された臨調の「第三次答申」では,行政改革の
がら厳しい調整を続ける一方,管轄下にありなが
柱として「政府直営事業のうち,民間部門の発達
ら実質的な行政機能を掌握していた電電公社との
により自立的,企業的に行うことが適切となった
関係をよりシビアなものに変えていった。この結
33)
」が提起され,
「電電公社
果が,広く一般には「電電公社の民営化」と言わ
の民営化」と「基幹通信回線分野への(新電電に
れる,1985 年 4 月の「第三次回線開放」に結実す
よる)新規参入」が取り沙汰されることになった。
る。「第三次回線開放」という言葉は,通常後景に
そして,これが 1985 年の電電公社民営化へと至る
退いているが,本来ならば,通信事業が公社一社
直接の引き金となった。
の民営化問題に留まらず,公社が握っていた回線
事業についての民営化
しかしながら,より重要なのは,通信回線の独
が広く新規参入業者にも開放され,新しい情報通
占維持のため,自由化に対して「総論では賛成だ
信産業の在り方が提起されたことを意味する点で
が,各論では条件付き」という態度を取り,段階的
は「第三次回線開放」と呼ぶべきものであろう。
な規制緩和にしか応じてこなかった郵政省が,第
この回線開放により,公衆法が廃止され,
「電気
三次答申に基本的に同意したことにある。この背
通信事業法(事業法)
」が新たに公布された。とり
景には,電電公社の民営化がなされれば,これま
わけ,通信事業に新規参入を認め,回線設備を有
で公社が擁してきた「電気通信工事者,電気通信
する者を第一種電気通信事業,回線設備を所有す
機器(通信端末)の認定」といった行政機能が郵
るものから借りて事業を行うものを第二種電気通
政省独自の政策権となることがある。つまり,郵
信事業と区別した。第一種は郵政大臣の認可を受
政省は,公社民営化に同意することにより,デー
けなければならないが,第二種は郵政大臣への届
タ通信サービス事業の開放に留まらず,電気通信
け出で良いことになっていた。また,民営化に伴
事業全体の政策権を掌握することになり,現業主
い日本電信電話公社法は日本電信電話株式会社法
体の官庁から政策主体の中央官庁の仲間入りがで
(会社法)へと変貌を遂げた。ただし,会社法と事
業法の附帯決議という形で,第二種電気通信事業
それから相互接続の問題がありますけれども,もう
一つ,VAN というか高度通信サービスというもの
を一緒に出そうと恐らく考えておられたと思うので
す。それが VAN の部分だけ新法の部分が,郵政省
と通産省の縄張り争いなのかどういうことか知りま
せんが,大分論争があってつぶれてしまった。した
がって共同使用で,MS(メッセージ交換— 筆者)の
ある条件のもとで業務上緊密な関係を有する者の間
において MS の利用を許す,しかしこれは中小企
業のなかでは共同使用の規定から漏れる人が出てく
る,それを救済しなければならないので,他人使用
の MS でそれは許すことにして中小企業を救済しよ
う,こういう発想で恐らく出てきたことではないの
ですか」と述べたのに対し,守住有信,郵政省電気
政策局長が「恐らく通産省の御主張や田中裁定とい
うのは,先生御指摘のような背景から出てきたもの
であるというふうに受けとめておる次第でございま
す」と述べている。
33)臨時行政調査会「行政改革に関する第三次答申(基
本答申)
」1982 年 7 月 30 日より。
者,なかでも,不特定多数を相手に VAN といった
データ通信サービス事業などを行う「特別第二種電
気通信事業」に対し,1,200 ビット換算で 500 回線
を上回らないという規模規制が課されていた35) 。
もっとも,これは郵政省の一人勝ちでは全くな
く,通信とコンピュータの「調整という名の融合」
にふさわしく,通産省,郵政省,電電公社が高度な
痛み分けを行い,それぞれの領分を確保したと言
うべきものである。これは回線の自由使用,回線
のリセール自由化を主張した通産省の言い分に基
本的に沿った解決になる一方,新電電の新規参入,
とりわけ回線設備を持って新規参入する第一種電
気通信事業に対しては郵政省の認可制度が残った。
また,日本電信電話株式会社(以下,NTT)は,
34)松下温,前掲書,46 ページ。
35)片方善治監修『VAN 総覧』フジ・テクノシステム,
1985 年,473 ページ。
— 93 —
経
済 系
第
254 集
会社法で「国民生活に不可欠な電話の役務を適切
ていくが,これは 1980 年頃にはすでに通信とコン
な条件で公平に提供することにより,当該役務の
ピュータの技術の融合が達成していたことを示し
あまねく日本全国における安定的な供給の確保に
ている。
36)
寄与する…(後略) 」といったようにユニバーサ
ただし,これをもって産業融合したということ
ル・サービスが課される一方,先の附帯決議にあ
は難しい。なぜなら,情報通信産業のプレーヤー,
るように,もっとも自由化が進んでいるデータ通
例えば,通信事業者,一般ユーザー,通信機器メー
信サービス事業に関しても,完全なる競争ではな
カー,管轄省庁などの思惑が一致しない限り,産
く,新規参入業者に規模の上限を課すという形で,
業融合が進まないからである。その意味では各プ
NTT の事業領域の確保がなされてきたのである。
レーヤーの行動を左右する「制度の融合」が大変
重要な意味を持ってくる。本稿では 1971 年,1982
おわりに
年,1985 年の 3 度にわたる通信回線開放の経緯を
追うことで,いかなる制度の変化がもたらされ,そ
本稿では,通信とコンピュータといった 2 大産
の変化が産業界にいかなる意味をもたらしたのか
業領域を別々に考察してきた日本の情報通信産業
を明らかにした。1971 年の第一次回線開放では,
の歴史研究を,通信とコンピュータが融合した新
回線所有者以外の事業者や組織が自由に回線を使
領域を積極的に意識するという「産業融合」の視
用できるようにするとともに,電電公社が掌握し
点から捉えなおすために必要な概念構築を目指し
ているデータ通信サービス事業の民間開放も合わ
た。具体的には,下記の 3 つの要因を措定し,そ
せて企図されたが,十分な開放に至らなかった。
のうち,
(1)と(2)を中心に整理した(→の先は,
それは 1982 年の第二次回線開放の時点でようや
本稿での章のタイトルに対応している)。
く回線の使用の自由化が大きく前進したが,デー
(1)技術進化→
[1. 技術の融合]
タ通信サービス事業の民間開放は,省庁間の縄張
(2)法制度の改変→
[2. 制度の融合]
り争いの中で,中小企業 VAN という暫定的な省
(3)(ユーザー企業を含めた)企業行動の変化
令としてしか実現しなかった。これは,1985 年の
ここから明らかになったのは,技術の融合では
第三次回線開放になり,ようやく本格的自由化へ
「交換機の方式の進化」と「交換機の電子化・ディ
の戸口が開かれるが,その間も,通産省と郵政省,
ジタル化」という 2 つの技術進化のなかで,通信
あるいは,郵政省と電電公社の間の調整は厳しく,
とコンピュータが接近し,技術的に融合していっ
単純な合意点が見いだせなかった。そして最終的
たことである。とくに,クロスバー交換の時代に
には,各プレーヤーの痛み分けによる,通信とコ
現れた共通制御方式は,技術的融合の重要なメル
ンピュータの「調整という名の融合」が進んだの
クマールである。一般に「データ通信」を通信と
である。
コンピュータの融合の端緒とする見方もあるが,
このように 1985 年までと限られた期間ではある
これは技術自体と言うよりもユーザーの関与のな
が,日本の情報通信産業の産業融合の歴史の見取
かで進んだものと解釈でき,その意味では,交換
り図を描くことができた。ただ,ここにはもう一
機の方式の進化を丁寧に見ていく必要がある。同
つの重要な要素である「ユーザー企業の役割」が
時にまた,共通制御方式に加え,共通信号方式も,
欠落している。ユーザー企業は,まさに電電公社
まさに通信網がコンピュータシステム化していく
などが提供する通信サービス事業を利用して,新
という意味で,技術的融合の起点となっていると
しいビジネスを行うプレーヤーであり,こうした
言えよう。さらに,時分割電子交換機の登場によ
考察を踏まえて,本当の意味での融合の歴史を描
り,交換機の機器構成上もコンピュータに近似し
くことができる。本稿では,産業融合の構造的変
化に光を当てようとしたため,技術と制度の問題
36)片方善治監修,前掲書,469 ページ。
に絞ったが,今後,ユーザーの問題を踏まえ,産
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戦後日本の情報通信産業の歴史研究序説
業融合の機能論的な歴史記述を充実させていきた
いと考えている。
謝辞
本稿に対して本誌編集委員会の先生方より
有益なコメントを頂いた。記して感謝申し上げま
す。なお,本稿は平成 24 年度の科学研究費補助金
(基盤研究(C)
(一般))
「1970 年代以降の情報通
信産業における日本的特質」の支援を受けたもの
です。
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