食味における感覚統合に関する研究 - 筑波大学 大学院 知能機能

筑波大学大学院博士課程
システム情報工学研究科修士論文
食味における感覚統合に関する研究
森谷哲朗
(知能機能システム専攻)
指導教官 岩田洋夫
2005 年 1 月
概要
人間は、多種類の感覚によって外界からの情報を総合的に認識している。日常行う代表的な動
作に、「食べる」という行為がある。本研究では VR 技術の新たな試みとして,食感(口内感覚)を
呈示する装置を開発した。人間は、物を食べる時、味、形状、色、香り、食感(テクスチャー)、
咀嚼音などの要素によって食品を味わっている。それぞれ、味覚、視覚、嗅覚、聴覚、触覚によ
って知覚される。これらの五感によって感覚が統合された結果、食味を感じているのである。近
年、食味における食感の重要性が注目されており、味や匂いと同様に食感の定量化に関する研究
も盛んになってきている。本研究で開発した食感呈示装置は、数値化した食感を再現することを
目的としている。
食感呈示装置は4節リンクのてこクランク機構であり、DC モータで駆動する1自由度の構造に
なっている。リンクの姿勢によって出力が変化し、最高 28kgf の出力が可能である。また、装置
にはポテンショメータと圧力センサが装備されており、位置と圧力を同時に取得できる。食感の
測定は、できるだけ通常の咀嚼に近い方法で、薄いフィルム状の圧力センサの上に食品を乗せ、
センサと一緒に噛むという方法を採用した。測定を行った結果、咬合力の最大値や、一回の咀嚼
時間、歯の間隔など、様々な情報が得られた。これらのデータから、おおまかに3種類の食感に
分類することにした。それぞれ、粘弾性食感、一段階破断性食感、多段階破断性食感と定義し、
この分類にしたがって呈示する際のアルゴリズムを決定した。
一方、
「食べる」という行為において、味覚は大きな影響を及ぼす要素である。食感呈示と共に
味覚の呈示を行えば、更なる臨場感が期待できる。本研究では、味についての研究も行い、甘味、
塩味、酸味、苦味、うま味の5基本味を用いて味の合成を行った。そして、シリンジポンプから
食感呈示装置に付けられたチューブより、合成液体を放出することで味覚の呈示が可能となった。
また、音の影響も忘れてはならない。我々は食感をパリパリ、サクサクというように擬音で表現
することも多い。この咀嚼音を骨伝導で録音と再生を行い、より臨場感のある食味の呈示を可能
にした。
本論文では、2つの実験を行っている。一つ目は、食感呈示装置を評価するための食感判別実
験。二つ目は、視覚以外の感覚を統合した感覚統合実験である。食感判別実験では3種類の食感
の判別実験を行い、ある程度の判別が可能であることを確認した。さらに咀嚼音を付加した食感
呈示を行うことで、食感の判別は容易になることも示された。二つ目の感覚統合実験では、味覚、
嗅覚、聴覚、口内感覚(食感)の4つの感覚について、単独の感覚、又は複数の感覚を組み合わせ
て呈示したときに、どのような効果があるのかを検証した。食感呈示装置の開発により、
「食べる」
という動作から食感を独立分離することが可能になったため、どの感覚が優位であるのか、また
は感覚間の相互関係は存在するのかを検証することが出来た。
その結果、食べるという行為において、呈示する感覚の数が増えると、より食感を認識しやす
くなることがわかった。そして、食味において味覚の要素が大きいという結果になったが、食感
との相互関係もあることがわかった。食感は単独では評価が低いが、味覚との組み合わせで高い
評価となり、食味において味覚の化学的味と食感の物理的味が重要であることが示された。
目次
第1章
はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
1.1 背景と目的 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
1.2 関連研究 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
第2章
システム構成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
第3章
食品の力学的物性の測定と呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
3.1 食品の力学的物性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6
3.2 測定方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
3.3 測定波形の考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
3.3.1
粘弾性食感 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
3.3.2
一段階破断性食感 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
3.3.3
多段階破断性食感 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
3.4 咬合力の呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
3.4.1
粘弾性食感の呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12
3.4.2
一段階破断性食感の呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
3.4.3
多段階破断性食感の呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
第4章
味の合成と呈示方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4.1 食品の味について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4.2 合成方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4.3 味の呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15
15
16
16
第5章
咀嚼音の測定と呈示方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5.1 咀嚼音について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5.2 咀嚼音の測定方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5.3 咀嚼音の呈示 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
18
18
19
20
食感判別実験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
第6章
6.1 実験目的 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
6.2 食感判別実験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21
6.2.1
実験方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
6.2.2
実験結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
6.3 咀嚼音判別実験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24
6.3.1
実験方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
6.3.2
実験結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24
6.4 音を伴う食感判別実験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
i
6.4.1
6.4.2
6.5
第7章
7.1
7.2
7.3
7.4
実験方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
実験結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26
感覚統合実験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
食味における感覚統合 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実験方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
27
27
28
29
30
第8章
考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31
第9章
まとめと展望 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33
謝辞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35
ii
図目次
図
図
図
図
図
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図
図
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図
図
図
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図
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
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20
21
22
24
25
26
27
28
29
クラッカー咀嚼時における圧力分布測定(食品総合研究所) ・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
味覚センサ(九州大) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
食感呈示装置の外観 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
装置の先端部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
食感呈示装置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
ハードウェア構成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
FlexiForce ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
測定の様子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8
グミの測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
チーズの測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
りんごの測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
チョコレートの測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
煎餅の測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
ウエハースの測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
シリンジポンプ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
食感呈示部に付けられたチューブ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
骨導音と気導音の聞こえ方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18
骨伝導マイク ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
音声情報を含む煎餅の測定波形 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
骨伝導スピーカー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20
分類別正答率(食感のみ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
食品個別の正答率(食感のみ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
食品個別の正答率(音のみ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24
分類別正答率(音のみ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24
感覚別判別実験結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
分類別正答率(食感と音) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
感覚統合実験結果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29
感覚統合実験の様子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
iii
第1章
1.1
はじめに
背景と目的
人間は、多種類の感覚によって外界からの情報を総合的に認識している。それらの感覚に、装
置を用いて臨場感を呈示するものがバーチャルリアリティ技術である。この技術により、人間が
日常的に行う物体操作や歩行の感覚がバーチャル空間で得られるようになった。しかし、本研究
で行っている「食べる」という行為を対象にしたバーチャルリアリティ技術は、全く新しい試み
である。
人間は、物を食べる時、味、形状、色、香り、食感(テクスチャー)、咀嚼音などの要素によっ
て食品を味わっている。それぞれの要素は、味覚、視覚、嗅覚、聴覚、触覚などのさまざまな感
覚によって知覚される。これらの五感によって様々な感覚が統合された結果、食味を感じている
のである。つまり、食品をただ口の中に入れただけでは食味は分からない。食品を見て、噛み砕
き、音を聞き、舌で味わい、匂いを嗅ぐことで食味を評価できるのである。
食品のおいしさを感じるのは主に味覚であるが、米やパンなどあまり味のない食品のおいしさ
を感じるのは,力学的物性であるテクスチャーが大きな役割をはたしていると考えられている[1].
テクスチャーとは,
「歯ごたえ」
「口あたり」
「舌触り」などの,口の中で感じる食品の力学的物性
である。近年,食品のテクスチャー測定やテクスチャー評価の研究は数多く行われており,食品
のテクスチャーはパネラーによる官能検査や,測定機器などによって測定されている。
しかし、食感を定量的に扱い、装置を用いて再現しようという試みは今まで存在しなかった。
そこで、著者は食感の力学的物性に直接関与する「歯ごたえ」に注目し、食品の力学的物性を呈
示する装置、すなわち食感呈示装置を既に開発している[2][3]。この装置は任意の食感呈示が可
能となっており、「食べる」という行為において食感要素を独立に評価できるという利点がある。
一方、食味において味覚は大きな影響を及ぼす要素である。食感呈示と共に味覚の呈示を行え
ば、更なる臨場感が期待できる。本研究では、味についての研究[4]も行い、甘味、塩味、酸味、
苦味、うま味の5基本味を用いて味の合成を行った。そして、シリンジポンプから食感呈示装置
に付けられたチューブより、合成液体を放出することで味覚の呈示を行っている。また、音の影
響も忘れてはならない。咀嚼時の音は食感の知覚に欠かせないものである。我々は食感をパリパ
リ、サクサクというように擬音で表現することも多い。この咀嚼音を骨伝導で録音と再生を行い、
より臨場感のある食味の呈示を可能にした。
本研究では、
「食べる」という行為のなかで食感がどれほどの影響を及ぼしているのか、または
他の要素との関連性はあるのか、食味においてどの感覚が優位であるのかを調べることを目的と
している。
本論文の流れとしては、視覚以外の要素である食感(口内感覚)、聴覚、味覚について、それぞ
れの測定方法と呈示方法を述べたあと、食感判別実験、感覚統合実験について述べてゆく。装置
の有効性を検証するために食感判別意実験を行い、食味における感覚の優位性を検証するため、
感覚統合実験を行った。
1
1.2
関連研究
近年、食味に関する研究として食感や味、匂いなどの定量化に関する研究が活発である。食品
のテクスチャー測定やテクスチャー評価の研究が数多く行われている[5][6][7][8][9][10]。味覚
に関しては、官能検査による味覚の定量化の研究が行われている[11][12]。味覚の官能検査は、
被検者に一定の条件下で比較判断させる方法であるが、咀嚼音、匂い、食感などを同時に感じる
ために、個々の感覚について調べることが不可能であった。
そこで、近年、生体膜を模倣した脂質高分子膜を用いた味覚センサ[13][14]が開発された。こ
れは舌の味細胞で受容される五つの基本味を、電位出力応答パターンにより味覚を定量化すると
いうセンサである。そして、匂いに関しては匂いセンサ[15][16]がある。これは水晶振動子ガス
センサを用いて応答パターンを解析し匂いを定量化するというものである。著者らが開発した咬
合力を呈示する装置の開発や、味覚センサ、匂いセンサなどの開発によって、より精度の高い食
味の定量化ができるようになった。実食品を使った官能評価では総合された味しか評価できない
が、本研究における実験方法を用いれば、任意の感覚チャネルを設定できるという利点がある。
人間は、単一の感覚のみで認識や判断をしているわけではなく、感覚間の相互関係が人間の知
覚に大きく影響している。近年、このようなマルチモーダルの研究が盛んに行われている。しか
し、食味におけるこれらの感覚が、単独、又は同時に現れるときに人間はどのように感じるか、
という感覚統合の研究はまだ行われていない。そこで、本研究では視覚以外の食味に関する感覚
(味覚、嗅覚、聴覚、食感)について、単数または複数の感覚を組み合わせた時、どの感覚の組み
合わせがより現実感を高めているかという感覚の相互関係を調査することを目的としている。
図 1
クラッカー咀嚼時における圧力分布測定(食品総合研究所)
図 2
味覚センサ(九州大)
2
第2章
システム構成
著者は、食感(口内感覚)、聴覚、嗅覚、味覚のうち、食感を呈示する食感呈示装置を開発して
いる[2][3]。食感呈示装置は、咬合力の測定で得られた圧力と位置の波形を、装置から歯への力
覚呈示で再現し、食感を呈示することを目的としている。装置は人間が噛む動作にあわせて動く
必要があり、人間の口にあった形状にしなければならない。さらに、装置を小型にし、手に持っ
て口へもっていけるようにすれば、人間にとってより自然な動作になるだろう。
また、食感を呈示する際、全ての歯に任意の力を加えることは難しい。どの歯も食感に関係が
あるが、この装置では、使う頻度が高く比較的噛みやすいと思われる図の小臼歯のあたりにター
ゲットを決め、装置を小臼歯で噛むということを条件としている。
この装置は4節リンクのてこクランク機構であり、DC モータで駆動する1自由度の構造になっ
ている。リンクの姿勢によって出力が変化し、最高 28kgf の出力が可能である。装置にはポテン
ショメータと圧力センサが装備されており、位置と圧力を同時に取得できる。制御は 1 台の PC
で行い、サンプリング周波数は約 1700Hz である。
この呈示装置の外観を図 3 に示す。装置を噛むときには図のように装置を手で持ち、先端を口
に入れて小臼歯で噛む。衛生面を考え、口に入る部分にはゴムと布の2層のカバーをかぶせてい
る。図 4 はカバーを外した先端部の写真である。先端部には圧力センサがついており、その上を
ユーザーが噛むことで、咬合力を検出する。
図 3
食感呈示装置の外観
3
図 4
装置の先端部
図 5
食感呈示装置
本システムのハードウェア構成を図 5、図 6 に示す。制御 PC(CPU Pentium4 2.5GHz)に搭載され
ている A/D ボードによって圧力センサとポテンショメータの値を読み取り、D/A ボードによって
モータドライバに信号を送りモータを動作させる。選定したモータは最大連続トルク
48.4(mNm)(maxon motor, RE25)であり、最大出力は約 28kgf であるが、呈示できる最小出力も存
在する。例えば、装置の摩擦に隠れてしまうほどの小さなトルクでは力覚呈示ができない。これ
らの詳細な性能は表 1 にまとめてある。
4
図 6
ハードウェア構成
表 1
基本性能
最大出力(kgf)
7~28
最小出力(kgf)
0.15~0.30
モータ最大連続トルク(mNm)
48.4
最小呈示厚さ(mm)
9
最大呈示厚さ(mm)
19
ストローク(mm)
10
ギヤ減速比
3/22
装置重量(kg)
0.45
サンプリング周波数(Hz)
1700
位置計測分解能(mm)
約 0.05
力計測分解能(kgf)
約 0.05
5
第3章
3.1
食品の力学的物性の測定と呈示
食品の力学的物性
食感を測定するとき、食感の何を計測すべきかを考える必要がある。食品には、形や大きさ、
化学的構造、組織的構造、熱学的物性、力学的物性などが存在する。これらの中で、直接的な食
感に近いものが力学的物性であろう。そこで、食感を呈示するには食品の力学的物性を知る必要
がある。近年,食品のテクスチャー測定やテクスチャー評価の研究は数多く行われており,食品
のテクスチャーはパネラーによる官能検査や,測定機器などによって測定されている。しかし、
官能検査は主観的で煩雑であることから、物性に関する測定値によって食感を表す手法の必要性
は高まっている。測定機器による物性の測定から得られる数値は、食感を表現するのに有効な手
段である。機器による測定は、測定結果が数値で出力され、誤差が小さく、再現性が高い。パネ
ラーによる測定では、言葉による評価になるため出力が不明確であり、誤差が大きく、再現性が
低い。しかし、パネラーによる測定は総合的特性の測定に適しており、人間の嗜好を測定するこ
とが出来るのに対して、機器による測定は要素的測定であって総合的な食感を測定することは難
しい。ただし、実際には有能なパネラーを常に確保しておくことは難しいため、機器による測定
が一般的となっている。
人間が感覚的にとらえる食品の力学的物性は、「かたさ」「弾力性」「もろさ」「粘性」などであ
るが、食感の最も重要な要素はかたさである。かたさは食品が固有に持っているもので、食品の
破断応力に対応している。破断応力とは食品に力を加え続けると、ついに破壊するときの応力で
ある。この応力によって食品のかたさが決定される。本研究では、かたさの測定をもって食感の
測定とした。測定に用いた機器は、圧力センサであり、食品と歯の間にセンサを挟んで測定した。
測定した食感は被験者によって異なっていたが、主な原因は食品の噛む位置、速さ、強さなど
で、データを解析して平均的なかたさを求めることは難しいことがわかった。食品によって食感
の特徴が、咀嚼時の最初の一噛みに現れるものもあれば、咀嚼過程の物性変化が食感の特徴にな
る場合もある。
6
3.2
測定方法
食品の力学的物性をどのように測定するかは、今日まで多くの研究がなされてきたが、テクス
チャーを構成する要素が多すぎて決まった測定方法が確立されていない。しかし、何らかのセン
サを用いて物性値を測定しなければならない。前節で述べたように、本研究ではテクスチャーの
測定は、力学的物性の「かたさ」を測定することである。かたさは食品が固有に持っているもの
で、食品の破断応力に対応している。食品のかたさに対して、人間が加える力は咬合力である。
この咬合力を測定するには、食品と歯の間に圧力センサを挟んで測定するという方法が適当であ
ると考えた。参考として、いくつかのテクスチャー測定方法を述べる。テクスチャーの測定方法
は基礎的方法、経験的方法、模擬的方法の3つに分類される[17]。
・基礎的方法
基礎的方法とは、粘性率や静的粘弾性定数などの物性値を、測定装置を用いて求める方法である。
主な測定装置は、粘度計、粘弾性測定装置などである。
・経験的方法
経験的方法とは、はっきりと力学的に定義付けられないが、経験的に食品の物性と関係付けられ
る特性値を測定する方法である。測定装置はテクスチャーアナライザーなどがあり、圧縮や突刺
し、せん断などが行われる。
・模擬的方法
模擬的方法とは、手でこねたり咀嚼したりして実際に食品が扱われるときと同じような条件で測
定する方法である。一般的な測定装置はないが、人間の顎運動を模した咀嚼ロボットなども開発
されている[18]。
本研究では3番目の模擬的方法を採用した。後に呈示装置で食感を呈示する際に、できるだけ
通常の咀嚼に近いことが重要となるためである。模擬的方法の圧力測定は、図 7 の薄いフィルム
状の圧力センサ(FlexiForce:Tekscan 社)の上に食品を乗せ、センサと一緒に噛むという方法
である。センサの測定部分の直径は約 14mm、厚さ約 0.13mm であり、最大加重は 110N(約 11.2kgf)
まで測ることが出来る。また、噛むことで測定部分が壊れるのを防ぎ、圧力を均一に伝えるため、
厚さ 2mm、直径 10mm の円盤を測定部分に付けている。
図 7
FlexiForce
7
噛み方はセンサを意識せず、普段通りに噛み、砕破し終わったら噛むのをやめ、途中で噛む力
を緩めず最後まで一気に噛むという手順である。つまり、一度の咀嚼で食品を破断するときの咬
合力を測定する。噛む歯の位置は、前歯、側切歯、奥歯など様々な場所で測定を行ったが、主に
犬歯から小臼歯付近で測定を行った。センサは、あらかじめデジタル圧力測定器でキャリブレー
ションをしてあり、グラフで確認出来る。しかし、測定した値はノイズが混じり扱いづらいので、
ソフトウェアで平滑化を行った。サンプリング周波数は約 1700Hz である。また、食品がどのよう
に変形しているかを調べるため、歯の間隔が測定できる装置を同時に噛み、位置の測定も行った。
図 8
3.3
測定の様子
測定波形の考察
前節 3.2 の測定方法によって、様々な食品を噛んだときの咬合力を測定した。食品の条件とし
て、固形であり、食感に特徴のあるものを測定した。測定を行った結果、咬合力の最大値や、一
回の咀嚼時間、咬合力など様々な情報が得られた。しかし、毎回同じような波形を得られるわけ
ではない。食品側の問題として、構造や大きさ、厚さのばらつきがある。測定する側の問題とし
て、毎回同じ歯、同じ速さで噛むことが困難であることも挙げられる。したがって、何回も測定
を繰り返し、食品の特徴を良く表している波形を取り上げて考察する。
測定の結果、食感を 3 種類に分類した。それぞれ、粘弾性食感、一段階破断性食感、多段階破
断性食感と定義し、食感の分類と呈示する際のアルゴリズムを述べていく。グラフは、左側の縦
軸が咬合力、右側の縦軸が上顎と下顎の歯の間隔である。
8
3.3.1
粘弾性食感
図 9 のグミや図 10 のチーズに代表される粘弾性食感は、食品の変形と共に咬合力が増加し、変
形の終了時に咬合力が最大となる特徴がある。位置の減少に対して咬合力がほぼ線形に変化する
ため、ばね係数のような係数を用いることで食品の力学的物性を求めることが出来る。
グミの場合、厚さ 7.5mm、最大咬合力 5.4kgf なので係数は 0.72 となる。チーズの場合は、厚
さ 10mm、最大咬合力約 0.6kgf なので係数は 0.06 となる。また、弾性が高い食品の波形は線形に
ならないこともあり、二次関数や指数関数で近似することで位置情報との関係を求める。
しかし、粘弾性食感の測定波形からは、どこからどこまでが弾性変形であり塑性変形であるのか
の区別がつきにくい。そのため、同じ項目として分類した。グミ、チーズの他に粘弾性食感に分
類される食品は、魚肉ソーセージ、マシュマロ、羊かんなど、やわらかく粘弾性のある食品が挙
げられる。
図 9
図 10
グミの測定波形
チーズの測定波形
9
3.3.2
一段階破断性食感
図 11 のりんごや図 12 のチョコレートに代表される一段階破断性食感は、咬合力のピークが一
度だけ現れ、そのピークを境に位置と咬合力が急激に減少するという特徴を持っている。このと
きの咬合力のピーク値を破断応力という。破断応力とは食品に力を加え続けると、ついに破壊さ
れる応力である。この応力によって食品のかたさが決定されるため、この物性値を咬合力の呈示
に用いる。図 11 のりんごの測定波形では、厚さが 17mm、破断応力が約 0.9kgf となっており、図
12 のチョコレートの測定波形では、厚さが 5mm、破断応力が約 7kgf となっている。また、破断応
力から食品が破断されるまでの時間が短いのも、一段階破断性食感の特徴といえる。りんごの歯
の位置が比較的緩やかに減少しているのは、対象食品の厚みが比較的厚く、噛み終わる前に分裂
したのを歯の感覚で感じ取り、顎に力を入れる必要が無くなったためにゆっくりと口を閉じてい
るためである。りんごやチョコレートの他に一段階破断性食感に分類される食品は、プレッツェ
ル、ピーナッツなど、一般的にかたいとされる食品が挙げられる。
図 11
図 12
りんごの測定波形
チョコレートの測定波形
10
3.3.3
多段階破断性食感
図 13 の煎餅や図 14 のウエハースに代表される多段階破断性食感は、咬合力のピークが複数回
現れるのが特徴である。食品自体が多層構造になっているため、数回にわたって咬合力のピーク
値が現れるためである。また、歯の位置も階段状に変化している。この場合、一番初めのピーク
値を食品の破断応力とする。数回測定を重ねると初めのピーク値は大体同じ値であるが、2 回目
以降のピーク値は傾向が定まらないためである。しかし、ピーク後の咬合力が急激に下がり、次
のピークへ上昇するという特徴がどの波形にも見られた。煎餅の測定波形では、厚さが約 7mm、
破断応力が約 1.8kgf となっており、ウエハースの測定波形では、厚さが約 8.5mm、破断応力が約
1.8kgf となっている。破断応力から、食品が完全に破断されるまでの時間は比較的時間が長くな
っている。煎餅やウエハースの他に多段階破断性食感に分類される食品は、クラッカー、クッキ
ーなど、一般的にもろいとされる食品があげられる。
図 13
図 14
煎餅の測定波形
ウエハースの測定波形
11
3.4
咬合力の呈示
咬合力の呈示では、食感の分類に従って呈示方法を変える必要がある。基本的には、ユーザー
が装置を噛んだと判定されたら、測定した圧力波形に基づいて出力するという方法であり、これ
らを二つのステージと捉えて制御する。第一ステージは咬合力の第一ピーク値までを扱い、第二
ステージで第一ピーク値後から噛み終わりまでを扱う。
測定時に分類した食感は、粘弾性食感、一段階破断性食感、多段階破断性食感の三種類である。
基本的には二つのステージで呈示を行うが、それぞれの食感に対応した呈示方法を行うことによ
って、多くの食感呈示に対応できるようになる。
3.4.1
粘弾性食感の呈示
粘弾性食感を食感呈示装置で再現するには、グラフから求められた係数を用いてモータのトル
ク値を定めてやればよい。しかし、前節で述べた通り、塑性変形と弾性変形を別の呈示方法とす
るのは難しい。呈示の際には噛み始めから噛み終わりまで一定の速さで噛むことを条件とし、呈
示を行った。
Stage1:
このステージでは、咬合力の測定で得られた係数を呈示する。噛みはじめより、ポテンショメ
ータで厚さ(位置)を検出し、位置情報と係数よりモータ出力を決定する。このとき、明らかに
塑性変形の食品ならば、一度変形したらもとの厚さには戻らないようにするという呈示方法が有
効である。反対に、明らかに弾性変形の食品ならば、係数を呈示しつづけるという方法が有効で
あるが、大抵の食品はどちらの要素も持ち合わせているので、噛み始めから噛み終わりまで一定
の速さで噛むことを条件とし、後者の係数の呈示方法を採用した。
Stage2:
このステージは食品の破断にあたる。厚さが一定の厚さまで小さくなったと判定されたら、モ
ータ出力を抜いていき、破断させて噛み終わりとする。
12
3.4.2
一段階破断性食感の呈示
一段階破断性食感の呈示方法は、使用者が装置を噛み、咬合力が破断応力に達したかどうか判
定し、もし達していれば測定した波形から算出したトルクを出力するという方法を取っている。
具体的には、初めに食品の破断応力に相当する力と位置を制御によって作り出し待機する。体験
者が加える咬合力が破断応力に達したら、食品は破断されたとみなされるので、次のステージへ
進む。次のステージでは、破断応力後に位置と咬合力を 0 に近づけるため、あらかじめ算出して
おいたトルクを出力する。
Stage1:
破断応力を再現するには、位置制御によってかたい面をつくる必要がある。歯からの力が呈示
食品の破断応力に達するまで、位置を保持しながら待機しなければならない。固い面を実現する
ためにはブレーキを用いる方法も考えられるが、装置が重くなり望ましくない。そこでモータ、
ポテンショメータ、圧力センサで構成されるこの装置で硬い面を呈示する方法を提案する。制御
ループ中の基本計算式は次のようになる。実際に用いたパラメータの値も示す。
Torque : モータ入力値 (V) θ : ギヤ回り角度(deg)
Force:圧力センサ値(kgf )
Kp:位置ゲイン ( Kp = 0.2)
Kv:速度ゲイン ( Kv = 2.0)
Kf:圧力ゲイン ( Kf = 1.0)
この計算式では位置と圧力を同時に制御に反映している。外力が 0 のときは通常の位置制御で
あるが、外力が加わると Kf により位置の項が急激に大きくなる。その結果モータトルクも大きく
なり、位置がわずかにずれたところで平衡状態になり、位置が保たれる。この制御を、破断応力
に達するまで続ける。
Stage2:
このステージは食品の変形過程の制御である。歯からの力が食品の破断応力に達したら、食品
の変形過程の圧力変化をモータトルクに変換し、そのまま出力する。変形過程の圧力変化とは食
品の破断から噛み終わりまでの圧力であり、この過程はオープンループの制御となる。
13
3.4.3
多段階破断性食感の呈示
多段階破断性食感の特徴は、破断応力後に複数のピークが現れ、それぞれピーク後の圧力が急
激に下がっていることであった。また、位置がピークに対応して階段型に減少しているという特
徴もある。したがって、多段階破断性食感の呈示方法は、位置制御によって咬合力が破断応力に
達したかどうか判定し、もし達していれば次の位置制御へシフトする。これを位置が0になるま
で続けるという方法である。
Stage1:
このステージでは、一段階破断性食感で述べた方法で硬い面を作り出し待機する。この状態は
歯からの力がその食品の破断応力に達するまで続く。
Stage2:
このステージは食品の変形過程である。歯からの力が食品の破断応力に達したら、位置を即座
に第 2 ピークの時の位置に移動する。さらに歯からの力が第 2 ピークの大きさに達したら、第 3
ピークの位置に移動する。これを噛み終わりまで繰り返すことによって、多段階破断を実現して
いる。
14
第4章
味の合成と呈示方法
「食べる」という行為において、味覚は食味において大きな影響を及ぼす要素である。食感呈示
と共に味覚の呈示を行えば、更なる臨場感が期待できる。後述の感覚統合実験において、感覚の
様々な組み合わせを行う際の味の合成方法と呈示方法を述べていく。
4.1
食品の味について
味は食品のおいしさの中でもとりわけ重要な役割を果たしていると考えられている。味には5
つの基本味が存在する。甘味、塩味、酸味、苦味、うま味である。味覚は、複雑な要素が多いた
め味を客観的に測定する方法が明確に定まっておらず、5つの基本味を化学的に表現することは
困難とされてきた。しかし、近年、生体膜を模倣した脂質高分子膜を用いた味覚センサが開発さ
れた[13][14]。このセンサは5つの基本味について食品の味を定量的にあらわすことができる。
逆に食品の味を定量的に表せるならば、5基本味を合成することにより元の食品の味を再現する
ことができるのではないか、ということが味の呈示の基本的な考えになっている。5基本味を与
える化学物質を表 2 のようにした。
表 2
基本味
化学物質
甘味
砂糖
塩味
塩
酸味
酒石酸
苦味
硫酸キニーネ
うま味
グルタミン酸ナトリウム
もし、これらの物質により任意の味を作ることが出来るのならば、5 基本味のデータを用いて
リアルタイムで味物質を合成することが出来るようになる。食感呈示装置と組み合わせることで、
同じ食感で違う味の食品をすぐに作り出すということも可能であろう。
15
4.2
合成方法
本研究では、リンゴの味を模した合成味を作り出すこと行っている。りんごは、一般的に誰も
が想像しやすい味、食感、咀嚼音をしているため、研究対象に適当だと思われる。りんごの味は、
甘酸っぱいという表現が当てはまる。この味を、味覚センサーを用いて数値で表すことが出来れ
ば、りんごの人工味物質を合成できるはずだが、手元に味覚センサーが存在しないため、独自の
合成方法を取った。参考にしたものは五訂食品成分表[19]である。この食品成分表は、穀類、果
実類、魚介類など 1882 種類もの食品にわたって可食部 100g あたりの成分と、アミノ酸組成をま
とめている。
アミノ酸は、うま味物質の代表としてグルタミン酸ナトリウムなどが挙げられるが、他にも各
アミノ酸は固有の味を持っている。アラニンやグリシンは甘味を呈し、グルタミン酸やアスパラ
ギン酸は酸味を呈する。この食品成分表より、食品 100g あたりの炭水化物(ショ糖)と塩分、アミ
ノ酸量を参考に、五基本味で合成する際の割合を算出する。本研究で使用した基本味は表の通り、
砂糖(甘味)、酒石酸(酸味)、食塩(塩味)、グルタミン酸ナトリウム(うま味)である。これらの化
学物質を水に溶かし、合成液体として味物質を構成する。
りんごであれば、甘味 14.6g、塩味 0g、酸味 0.75g、苦味 0g、旨味 0.2g となり、水を足して
100g とし、合成液体を作った。味は、りんごジュースに近い味となった。しかし、食品から液体
が出ない煎餅などは、合成液体では似たような味を作り出すことが難しい。
4.3
味の呈示
食べ物を口に入れたとき、すべての種類の味を舌上で同じように感じるわけではない。人間は、
舌の味蕾にある味細胞という受容器によって味を感じることができる。舌の部位によって感じる
味の種類が異なっており、甘味は舌の先端、塩味・酸味は側端、苦味は基底部となっている。し
たがって、味を呈示するには口内全体に隈なく液体が行き渡るようにしなければならない。味物
質の呈示には図 15 にあるようなシリンジポンプを用いて、図 16 のようにチューブを食感呈示部
に取り付け、食品が破断するタイミングで液体を勢いよく放出するという方法で行った。この方
法では、チューブが食感呈示部の右側に取り付けられているため、口の左側で噛む必要がある。
そうすれば、チューブからの合成液体が舌の中央に放出され、口内全体に隈なくいきわたる。放
出する液体の量は、何の味か知覚でき、かつ多過ぎない量として、約 0.1ml とした。実際に射出
してみると、それほど違和感なく味呈示ができた。
シリンジポンプは RS232C で PC に接続され、プログラムによって制御される。味の呈示は、体
験者の加える咬合力が破断応力に達したかどうかを判断して、液体を放出する。今回の呈示では、
すでに合成された液体を 1 台で呈示したが、このシリンジポンプを5台用いて5基本味を割り当
て、噛む瞬間に合成・呈示することも可能である。
16
図 15
図 16
シリンジポンプ
食感呈示部に付けられたチューブ
17
第5章
5.1
咀嚼音の測定と呈示方法
咀嚼音について
咀嚼時の音は食感の知覚に欠かせないものである。我々は食感をパリパリ、サクサクというよ
うに擬音で表現することも多い。食品のテクスチャーは口腔内の感覚によって知覚されるものと
いわれているが、音の影響を忘れてはならない。したがって、食感は口腔内の感覚と聴覚が統合
された感覚ということもできるだろう。
人間が食品を噛むときの音は2種類の経路で耳に伝わってきている。空気を伝わる気導音と、
頭蓋骨から内耳に直接伝わる骨導音である。前者は、空気の振動が鼓膜を振動させ、中耳の耳小
骨によって拡大されて内耳の壁に伝えられる。後者は、空気をまったく介さず頭蓋骨等から内耳
に直接的に伝わってくるため、聞こえている本人にしかわからない音である。例えば録音された
自分の声がいつも自分で聞いているのと違った音に感じるのは、気導音のみが録音され、骨導音
は録音されていないためである。
食品を咀嚼する際に聞こえる音の大半は骨導音である。この骨導音を呈示することで、より高
い臨場感が得られると考えられる。したがって、本研究における音の呈示とは、骨導音の呈示を
指すものとする。本システムでは、骨伝導マイクで録音した咀嚼時の音を骨伝導スピーカーで呈
示している。
図 17
骨導音と気導音の聞こえ方
18
5.2
咀嚼音の測定方法
咬合力の測定に用いた圧力センサと食品を同時に噛むことによって、圧力と音声を同時間軸で
測定することが可能である。骨伝導音の録音には図 18 のようにイヤホン型の骨伝導マイク用いる。
このマイクの使い方は、イヤホンを耳の中に入れて食品を噛むだけである。そのときの骨導音は
PC に音声ファイルとして保存される。例として、煎餅を噛んだときのグラフを図 19 に示す。煎
餅は、咀嚼時に音が多段階に分かれて発生すること特徴的な食品である。咬合力の変化に合わせ
て、音圧レベルが変化しているのが分かる。
図 18
図 19
骨伝導マイク
音声情報を含む煎餅の測定波形
19
5.3
咀嚼音の呈示
骨伝導音の再生には図 20 のような骨伝導スピーカーを用いる。この骨伝導スピーカーは耳横の
頬骨にあてて使用する。骨伝導マイクで録音した咀嚼音を、骨伝導スピーカーで再生することに
よって、人間が咀嚼するときに頭蓋骨で響いている音を呈示することができる。この骨伝導音の
食感呈示システムにおける呈示方法は、体験者が装置を噛んだとき、圧力センサによって得られ
た咬合力が破断応力に達したと同時に、骨伝導マイクで取り込んだ音声ファイルを再生すること
により、違和感なく咀嚼音を呈示できる。この方法では、破断応力に達する前の咀嚼音を呈示す
ることはできないが、噛んだという感覚を得るためには、食品の大変形時における破壊音が最も
重要であると思われるため、破断応力後の音声を呈示することにした。
図 20
骨伝導スピーカー
20
第6章
6.1
食感判別実験
実験目的
第三章では、食品の力学的物性値を測定した結果、三種類の食感に分類することができた。こ
の分類通りに食感呈示装置で再現できるのかどうかを検証するために、それぞれの食感が判別で
きるか実験を行った。
また、食感の測定を行う際、咀嚼音の測定も同時に行っている。パリパリやサクサクといった
擬音語で表せる食感は、咀嚼音による影響が大きいと思われる。この咀嚼音は食感に対して判別
する要素になりうるのかを検証するため、
「食感のみ」の判別実験の他に、
「音のみ」の判別実験、
そして「音を伴う食感判別実験」を行った。
6.2
食感判別実験
6.2.1
実験方法
実験は、ランダムに呈示された 6 種類の食感をそれぞれ答えてもらい、その正答率で評価する
という方法で行った。対象となる食品は表 3 の通り。
表 3
実験に用いた食感
食感の分類
粘弾性食感
一段階破断性食感
多段階破断性食感
食品名
最大咬合力(kgf)
チーズ
0.6
グミ
5.4
りんご
0.9
チョコレート
7.0
煎餅
1.8
ウエハース
1.8
被験者は 5 名で、一人当たりの試行回数は60回である。実験を始める前に、被験者には全て
の実食品を噛ませて食感を覚えてもらった。被験者は、ランダムに呈示された食感を表の食品の
なかから一つ答える。そのときの正答率を食感判別できているかどうかの評価とした。被験者は、
回答を出すまでに何回も噛むことが出来る。
21
6.2.2
実験結果
実験の結果を図 21 に示す。一段階破断性食感の正答率が低くなっており、多段階破断性食感と
粘弾性食感は 7 割近い正答率となっている。詳しい実験結果を表 4 に、食品個別の正答率を図 22
に示す。一段階破断性食感の誤答が多く見られる。また、食品別でみると煎餅が正答率 9 割を超
えて判別可能となっており、続いてチーズ、グミについては正答率が約 6 割と、ある程度判別が
可能であるという結果になった。しかし、ウエハース、りんご、チョコレートの 3 食品は判別が
つかず、混同してしまっている結果となった。
図 21
分類別正答率(食感のみ)
22
表 4
図 22
食感判別実験結果
食品個別の正答率(食感のみ)
23
6.3
咀嚼音判別実験
6.3.1
実験方法
パリパリやサクサクといった食感は、咀嚼音の要素が大きいと思われる。この咀嚼音を聞いた
ときに、人間は食感を判別できるのかを実験した。実験は、前節の食感判別実験で用いた食品の
うち、咀嚼音に特徴のある、煎餅、ウエハース、りんご、チョコレートの4種類を用いる。それ
ぞれ食感測定時に、咀嚼音も同時に録音してある。ランダムに呈示された音声を、骨伝導スピー
カーで被験者に聞かせ、食品名を4つの中から回答させた。被験者は5名である。
6.3.2
実験結果
実験結果を図 23 に示す。食感のみの判別に比べると、煎餅の正答率が下がっているが、他の食
品の正答率はやや良くなっている。図 24 の食感分類別で見ると、ほぼ判別がつく結果になってい
る。しかし、個別で見ると、ウエハース、チョコレートでは正答率が5割以下となっているため、
同じ分類の食感判別はできていない結果となった。
図 23
図 24
食品個別の正答率(音のみ)
分類別正答率(音のみ)
24
6.4
音を伴う食感判別実験
6.4.1
実験方法
食感と咀嚼音を同時に呈示することで、より臨場感の高い呈示が可能になる。この実験では、
音を伴う食感判別実験を行う。実験に用いた食感は、前節と同じ煎餅、ウエハース、りんご、チ
ョコレートである。これらをランダムに呈示し、被験者は4種類の食品の中から回答する。被験
者は5名である。
6.4.2
実験結果
実験結果を、食感判別実験、咀嚼音判別実験と比較し、図 25 に示す。全ての食品で6割を超
える正答率となっており、判別が可能であるという結果となった。特にチョコレートなどでは、
音の付加によって正答率が格段に良くなっていることから、食感と咀嚼音は密接な関係にあると
思われる。図 26 の食感の分類別正答率も9割近くなっていることから、かなり判別が出来てい
ることがわかる。
図 25
図 26
感覚別判別実験結果
分類別正答率(食感と音)
25
6.5
考察
食感判別実験、咀嚼音判別実験、音を伴う食感判別実験を行った結果、食感のみの判別はやや
難しく、煎餅やチーズ、グミなどのわかりやすい食感は判別が可能であるが、ウエハース、りん
ご、チョコレートなどの判別は難しかった。特に、一段階破断性食感に分類される食品は、破断
応力から噛み終わりまでの時間が短く、ほとんど破断応力のみで判断しなければならず、わかり
にくいという特徴がある。これは、装置の性能やアルゴリズムによって完璧に再現できていない
ということも考えられるが、煎餅の食感では 92%の正答率であったことから、人間にとって食感
のみの判別は難しいのではないかと思われる。また、グミとチョコレートの最大咬合力が近いこ
とから、互いに間違って解答をしている傾向もあった。
そこで、咀嚼音のみによる判別実験を行ったが、咀嚼音のみでも判別があまりできていなかっ
た。しかし、食感のみの判別に比べると食感分類別での正答率が高くなっている。これは、日常
でもパリパリ、サクサクなどの擬音語を使っているため、音による食感の違いを判別することは
容易であったためである。しかし、分類された食感の中では、どの食品であるかを特定すること
は難しいという結果になった。
そこで、咀嚼音と食感を同時に呈示した音を伴う食感判別実験を行った。その結果、分類別で
9割近くの正答率が得られ、食品別でも6割以上の正答率が得られた。特にチョコレートの正答
率の向上が顕著であり音の付加による食感呈示は、より有効であることが示された。また食感判
別だけでなく、音を伴う食感呈示は、より臨場感を高めることが示された。
したがって、我々は咀嚼音によって経験的におおまかな食感の分類をし、実際に噛むことによ
って食品ごとの食感判別を行っているのではないだろうか。食感のみよりは咀嚼音のみの方が感
覚的に優位であり、感覚を組み合わせることで、更なる臨場感を感じることが出来ることがわか
った。
26
第7章
7.1
感覚統合実験
食味における感覚統合
第6章の食感判別実験において、音を伴う食感はより臨場感が高まるという結果になった。こ
の結果をうけ、人間の「食べる」という感覚において食感と音の組み合わせのように、互いに影
響を及ぼしあっている感覚が他にも存在するはずである。また、どの感覚がどの程度影響を及ぼ
しているのかを検証する必要がある。
これまで、
「食べる」という感覚において感覚統合実験はほとんど行われていない。それは、
「食
べる」という感覚から食感を切り離すことが出来なかったためである。食品を噛まなければ咀嚼
音は発生しないのである。したがって、本研究で開発された食感呈示装置を用いることにより、
食べる感覚から食感の分離が可能となり、感覚統合実験を行うことが出来るのである。
人間が食品を食べるとき、視覚、聴覚、味覚、口内感覚、嗅覚で食味を感じている。これらの
感覚のうち、どの感覚が優位性を持っているのかを感覚統合実験を通して検証する。しかし、一
般的に視覚優位であることがわかっているため、視覚を除く4つの感覚を対象とし、以下の15
種類について一対比較法[20]もちいて、どの組み合わせが実食品を思い浮かべやすいか、実験を
通して検証した。対象食品は、味、匂い、食感、咀嚼音それぞれに特徴のあるりんごを用いた。
表 5
対象感覚の組み合わせ
単独
2 種組み合わせ
3 種組み合わせ
食感のみ
食感と音
食感と味と音
音のみ
食感と味
食感と音と匂い
味のみ
食感と匂い
食感と味と匂い
匂いのみ
音と味
味と音と匂い
音と匂い
4 種組み合わせ
味と匂い
食感と味と音と匂い
27
7.2
実験方法
4 つの感覚についての組み合わせは単独感覚を含め、15 種類の組み合わせが存在する。これら
の組み合わせから 2 つを取り出し比較する。一対比較法は、感覚を 1 つずつ比較し繰り返すこと
で、感覚間の順位付けを行う方法である。被験者には、
「どちらがよりリンゴを食べた感覚がする
か」という質問をし、よりリンゴを食べた感覚が「非業にする」
「かなりする」
「すると思う」
「ど
ちらとも言えない」
「しないと思う」
「ほとんどしない」
「全くしない」の 7 段階で評価をさせた。
具体的な例としては、「音と味」という組み合わせと「食感と味」という組み合わせのどちらが、
リンゴを食べた感じがするかというものである。これらの試行によって、順位付けをすべての組
み合わせに対して行った。被験者は 21-23 歳の学生5名であり、一人当たりの試行数は 15x14 の
210 試行である。試行数が多いため、試行を3回にわけて実験を行った。
ここで、嗅覚への呈示について述べる。味覚は、基本味が存在しこれらを合成することで任意
の味を作り出すことが可能だが、嗅覚に対しては基本臭というものが存在しない。匂いを構成す
る化学物質は 20000 種類以上あるといわれ、これらを全て用意し合成することは難しい。そこで、
匂いの呈示に関しては、実食品を用いることにした。呈示方法は、食品を被験者の鼻に近づけ、
匂いを嗅ぎながら食感や音を呈示するという方法を取った。これは、リンゴ臭を合成するのと等
価である。また、味覚と嗅覚においては感覚のリセット作業が必要なため、いずれかの呈示を行
った後、うがい、又は深呼吸をさせた。
それぞれの感覚への呈示方法は、食感は食感呈示装置を用い、聴覚は骨伝導スピーカー、味覚
はシリンジポンプを用いた。嗅覚については、実食品を用いて鼻に近づけ、匂いを嗅ぐように指
示した。
28
7.3
結果
15 種類の試行における実験結果を図 27 にまとめた。ポイントがより高いほうがリンゴを食べ
た感覚がするということになる。結果を見ると、組み合わせる感覚数が少ないものほど評価が低
いという結果になった。そして与える感覚数が多くなるほど高い評価となった。また、味覚の影
響を強く受ける傾向があり、単一の刺激、2 種組み合わせ、3 種組み合わせの全てにおいて、味
覚を含んでいる試行の評価が高くなっている。単一の感覚の中で、食感は最も評価が低いが、他
の感覚と組み合わせた時、評価が高くなる傾向にあることも興味深い。尺度は、プラスになるほ
どリンゴを食べた感じがするという評価であり、マイナスになるほどそうではないという評価で
ある。ほとんどの試行に有意差が見られたが、2 種組み合わせの「味と匂い」
「音と味」の間には
見られず、「音と匂い」「食感と音」「食感と匂い」の間にも見られなかった。第 6 章で述べた音
を伴う食感判別実験の結果と同様に、「食感」の呈示より「音」の呈示、「音」の呈示より「食感
と音」の呈示の方が高い評価となった。
図 27
感覚統合実験結果
29
7.4
考察
聴覚、味覚、口内感覚、嗅覚の感覚のうち、どの感覚が優位性を持っているのかを実験を行っ
た。結果、組み合わせる感覚数が少ないものほど評価が低く、感覚数が多くなるほど高い評価と
なった。食感は、全試行の中で一番評価が低くなっているが、他の感覚との組み合わせによって
飛躍的に評価が向上する。これは、食味について食品のテクスチャーが重要な要素であるといえ
る。味については、実際に口内に味物質が射出され、喉を通るので「食べた」という感覚がある
ので当然の結果であったが、食感があることによって物理的に食べたという感覚になり、評価が
高くなったと思われる。ある被験者は、「食感と他の組み合わせは、感覚を足した感じがするが、
食感と味の組み合わせは、感覚を掛けた感じだ」とコメントした。
匂いや音の感覚呈示では、感覚が増えるとその分だけ評価が上がるという結果になった。これ
らの感覚の組み合わせには特に目立った特徴はない。ただし、3 種組み合わせの「食感と音と味」
「食感と味と匂い」では、音を付加したときの方が優位となっていることから、食感と音の組み
合わせによる影響も考えられる。
嗅覚への呈示法として、リンゴを鼻に近づけるという方法を取ったが、人間が実際に食品を噛
むときには、外からの匂いよりも口内からの匂いを感じて食味を味わっている。口内と口外の影
響の差がどれほどあるのか定かではないが、こちらの影響も調べる必要があるだろう。
この実験の結果、食感と味覚の間に相互関係があることが示された。食味において重要なのは、
味覚の化学的味と、食感の物理的味が重要であるということがわかる。特に味覚は大きな優位性
を持っていることがわかった。また、聴覚と食感の組み合わせも、多少の相互関係があると思わ
れる。
図 28
感覚統合実験の様子
30
第8章
考察
本研究では、食感の測定を行い、破断応力やピークの数、位置と咬合力の関係から食感を3つに
分類した。そして、食感判別実験と感覚統合実験を行った。
一つ目の食感判別実験において、分類通りに食感が判別可能かを検証した。その結果、多段階
破断性食感と粘弾性食感は判別が可能だが、一段階破断性食感は判別が難しいという結果を得た。
これは、食感呈示装置が破断応力の値を利用して制御をしているため、破断応力後にほとんど特
徴がない一段階破断性食感では、判別がつきにくいためと考える。しかし、咀嚼音を伴う食感の
判別実験では正答率が大きく向上した。多段階破断性食感と一段階破断性食感の判別は 8 割以上
の正答率で可能であり、同じ特徴を持つ食感は咀嚼音で判別することが出来、食感分類は正しか
ったことが証明された。呈示する感覚要素が増えたため、臨場感が増したと考えられるが、食感
のみの正答率が低かったのは、被験者の食感の覚え違いも考えられる。実験を始める前に、被験
者は実食品を噛んで食感を覚えるが、食感と同時に咀嚼音も聞いているため、食感のみの呈示を
行った時に咀嚼音がないため混乱してしまうのではないかと考える。したがって、咀嚼音を呈示
したときの正答率が高くなるという結果になったのではないだろうか。
他にも装置自体の原因が考えられる。食感呈示装置は簡単な機構を用いて食感を呈示するため、
正確に食感を再現することが出来ない。ここで、その原因と現在の装置の限界について3点述べ
る。1つは装置の厚みが存在するということである。現在、リンクが閉じた厚さ最小の状態で約
8mm である。これは食感を呈示した後、食品の厚みが 8mm 残っているということになり、噛み
終わりの違和感となっている。2つ目は、現在の装置では力覚呈示の範囲が狭く、口内全体に対
しての呈示をすることが出来ない。実際食品を噛むときには、それぞれの歯に対して様々な力が
加わるので、これを考慮すると力覚呈示はもっと複雑になるはずである。したがって、1自由度
の装置では限界がある。3つめは、現在の装置は舌への感覚呈示ができないということである。
食品のテクスチャー知覚には、歯への力で感じるものの他に、舌で感じる感覚が大きい。これは、
やわらかい食品であるほどその影響が強いと考える。しかし、現時点で舌への感覚呈示は難しい。
二つ目の実験では、
「食べる」という行為においてどの感覚が支配的であるか、又はどの感覚が
より優位性があるのかを検証した。その結果、単独の感覚よりも複数の感覚で呈示を行った方が
臨場感は高まるということ、味覚の要素が大きいということがわかった。そして、食感と味の組
み合わせによって臨場感がさらに高まるという結果になった。ただし、食品によって食感に特徴
のあるものと味に特徴のあるもの、または咀嚼音に特徴のあるものなど、感覚の優位性とは別に
食品の特徴を考慮しなければならない。今回の感覚統合実験では、各感覚要素が同じくらいのり
んごを用いて検証した。しかし、例えばドリアンのような刺激臭のある果物は、食感や味が多少
異なっていても、被験者は匂いだけでドリアンだと判断するであろう。したがって、今回の実験
結果は全ての食品に当てはまるというわけではない。しかし、実験結果とこれまでの経験から、
味覚の優位性があることは正しいように思われる。また、食感と味覚の相互関係についても興味
深い結果となった。人間は「食べる」という行為において、「噛んで味わう」ことを行っている。
つまり、食味において味覚の化学的味と食感の物理的味の両方が重要であることが示された。ま
た、食感において咀嚼音の影響も考えられる。我々は、経験的に「パリパリ」や「カリカリ」と
31
いった擬音から食感を想像している。そのため、このような食感の食品では、食感と聴覚の組み
合わせが重要になり、相互関係もあるのではないだろうか。
最後に、食感呈示装置の使用についていくつかの条件がある。食品を食べるという行為は能動
的行為である。呈示装置を噛むときにも能動的に噛めるような工夫が必要となるが、破断応力に
達した後はフィードバックをかけていないため、装置から歯を離してしまうと正確な呈示が出来
ないという問題点がある。誰が噛んでも安定した食感呈示ができるようにすることは今後の大き
な課題であるが、体験者が恐がってすぐに歯を離して噛むという動作を途中で放棄してしまえば、
力覚呈示はできない。呈示装置の使用条件として常に歯と装置が接していなければならない。し
たがって、体験者には噛み初めから噛み終わりまで躊躇することなく噛んでもらうことが必要で
ある。もう一つ、装置を噛む歯の位置がある。人間は前歯より奥歯の方が咬合力が強くなってい
るため、噛む歯によっては食感の感じ方が全く異なる。そのため、測定時と同じ歯で呈示装置を
噛まなければならない。
32
第9章
まとめと展望
本研究では、食品の力学的物性値を用いて食感を測定し、食感を呈示する装置の開発を行った。
食感の測定と同時に咀嚼音の測定も行い、骨伝導スピーカーを用いて食感と同時に呈示できるよ
うになった。また、5基本味を合成することにより、りんご味を生成した。これらの咬合力を呈
示する食感呈示装置、聴覚呈示する骨伝導スピーカー、味覚呈示するシリンジポンプなどを用い
て、感覚間の相互関係を調べる実験環境を整えた。
食感の測定では、破断応力やピークの数、位置と咬合力の関係から、食感を3つに分類し、こ
れらの食感を、判別実験によって判別可能かを検証した。その結果、多段階破断性食感と粘弾性
食感は判別が可能だが、一段階破断性食感は判別が難しいという結果を得た。そこで、咀嚼音の
呈示による判別実験を行ったが、食品別の判別はやや難しいという結果になった。しかし、多段
階破断性食感と一段階破断性食感の判別は 8 割以上の正答率で可能であり、同じ特徴を持つ食感
は咀嚼音で判別することが出来、著者の食感分類は正しかったことが証明された。また、咀嚼音
と食感を組み合わせて呈示することにより、食感分類と食品ごとの判別のいずれも正答率が大幅
に改善した。
単独の感覚よりも複数の感覚で呈示を行った方が臨場感は高まるが、
「食べる」という行為にお
いてどの感覚が支配的であるか、又はどの感覚がより優位性があるのかを感覚統合実験により検
証した。その結果、味覚の要素が大きいという結果になったが、食感との相互関係があることが
わかった。食感は単独では最も評価が低く、2種組み合わせ、3 種組み合わせに付いても味覚以
外の組み合わせにおいて比較的低い評価となった。しかし、味覚との組み合わせにより高い評価
となり、食味において味覚の化学的味と食感の物理的味が重要であることが示された。
感覚統合実験では、視覚優位という特性を考慮し、噛むという行為に着目しているため、あえ
て視覚呈示を行わなかった。しかし、視覚を加えることで更なる臨場感の向上が期待できる。視
覚情報はプロジェクタなどを用いて食感呈示装置の先端に食品の映像を重畳することによって呈
示することができる。5感全てを用いて呈示することは、バーチャルリアリティにおいて非常に
有効な手段である。その効果を確かめるのは興味深い実験である。今回の実験によって、食味に
おける感覚の順位付けを行うことができた。このような、複数感覚の相互関係を明らかにすると
いうことは、感性を扱う研究において重要であり、有意義な成果を得たといえる。
食感呈示装置には今後の展望として、様々な応用分野が考えられる。噛むということは人の健
康にとって重要な動作であり、咀嚼は呼吸、歩行とならんで人間の典型的なリズム運動であり、
脳の活性化、発達に関係していると考えられている。子供の成長にとって咀嚼は重要であるので、
硬めのガムやチューブを用いた意識的な咀嚼訓練なども行われている。
現在の装置の問題点は、装置自体の厚みによる噛み終わりの違和感や、1 自由度による呈示領
域の制限、舌を含めた口内全体への感覚呈示ができないなど、多く存在するが、VR 技術におい
て食感の呈示は全く未知の分野であり、今後の発展が期待される。
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謝辞
本研究を行うにあたり、熱心にご指導下さいました岩田洋夫教授、矢野博明講師に心より感謝
いたします。また、同じテーマで研究を進めてきた上村尚広氏、北島徹氏に深く感謝いたします。
そして、研究を暖かく見守り、ご協力頂いた岩田・矢野研究室の先輩、同輩、後輩諸氏に感謝い
たします。
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