第 9 回館長講座 『アメリカの博物館』 司会:本日もお寒い中、お集まりいただきまして、どうもありがとうございます。今日 はですね、第 9 回の館長講座ということで、 「アメリカの博物館」と題しまして、お話しし ていきたいと思います。 鷹野館長、よろしくお願いします。 館長:はい、みなさん、こんにちは。回を重ねて、第 9 回ということになりまして、今 日はアメリカの話をさせていただきます。 アメリカの博物館について、歴史的なこと、いつも大体、そうなんですけど、そのへん からお話しさせていただきます。 アメリカ合衆国は 1776 年に独立宣言を出して、独立するわけですけれども、独立の前後 頃から博物館というものが考えられています。 ヨーロッパ、今まで見て来たヨーロッパの博物館は、コレクションがあって、資料があ って、それが貯まっていって博物館へという流れになっていったのですが、アメリカの博 物館の成り立ちは、これと逆の経過をたどります。つまり、組織が先に作られて、それか らコレクションが作られていくという経過をたどります。 アメリカで最初の博物館は、サウスカロライナ South Carolina 州のチャールストン Charleston 博物館なのですが、その他、今日はここに挙げたような、ピール博物館、スミ ソニアン協会、それから、メトロポリタン美術館、ボストン美術館、アメリカの自然史博 物館、大学博物館、子どもの博物館、それから新しいところで、グッゲンハイム美術館と、 ちょっと変わったところで、ハワイのアリゾナ メモリアルを紹介いたします。 チャールストン Charleston 博物館ですが、これはサウスカロライナ州の州都の州内最古 の港湾都市のチャールストンにあります。 このチャールストンの町に 1748 年、図書協会という組織ができます。これは、町の紳士 たちが珍しい本とか、ものを持ち寄って楽しむ、そういう会だったようです。この図書協 会の中に 1773 年に自然史研究を振興するための資料を収集しようじゃないかと、そういう ことを目的として博物館特別委員会というのが作られます。 この特別委員会のもとで、新聞広告で市民たちに協力を呼びかける。その結果、資料が 続々と集まっていきまして、数年後には、ここに書きましたように、 「けもの、とり、爬虫 こっとう 類、さかな、武器、衣装、それから骨董類」などが大量に集まっていきます。 エジプトのミイラなんてのもありましたし、ダチョウの骨、大きいということで珍しい のだと思うのですが、他に、長さ10㎝の中国の婦人の靴、この頃、中国は清の時代で、 1 女性は小さい足が美人だということだったようで、10㎝といいますから、こんなもんか …。ちなみに私の孫は 2 歳 8 か月ですが、この前、靴を買いに行ったところ、14 から 15 でもいいというくらいでした。いかに小さいかということが、分かられるかと思います。 このチャールストン博物館で資料はガラスケースの中に飾られまして、朝は 9 時から公 開される。楽隊の演奏なんていうのもあったようです。 入場料は大人が 25 セント、子どもは半額だと。年間通用パスというのがあって、1 ドル。 だから、4 回行けば元が取れる、というパスがあったようです。 鉱物・岩石・化石・動植物と標本、さらにアッシリア・ギリシャ・エジプトなどの彫刻 だとか、インディアンの民俗資料、それから植民地時代の家具とかですね、そういったも のを資料とするような自然分野・人文分野の総合博物館だったようです。 この博物館は独立戦争のさなかにほとんどの標本が失われてしまいます。しかし、その 後、再興されてから特に自然史関係の資料が充実されていきまして、1907 年からは市議会 の管理となって、チャールストン博物館として現在にいたっております。 それから、初期の博物館で有名なものがピール博物館です。 チ ャ ー ル ス ウ ィ ル ソ ン ピ ー ル Charles Willson Pealeという人の個人の経営する博物館です。ピールは肖像画家でして、 自分で描いた絵を飾る画廊を自宅の一部に設けていました。この画廊にですね、客寄せと いう意味もあって、肖像画だけではなくて、標本類も画廊の中に置いていきます。ピール 自身が自然史という部分に、かなり興味を持っていましたので、自然史関係の資料を置い ていく。その自然史関係の資料が有名になっていきます。そして、だんだん、その部分が 人々の注目するところにもなっていくわけです。そして入場料を取りまして、ピール博物 館と呼ばれるようになっていきます。 このピール博物館、拡張を続けまして、ニューヨークやボルティモアにもピール博物館 が作られていきます。 今日でも、ボルティモアにはボルティモア市立ピール博物館というのが実際にあります し、このボルティモアのピール博物館はアメリカ最初の博物館建築、つまり博物館として 作られた最初の建物というのが残っております。 このピール博物館も入館料 25 セントだったということですが、1816 年に収入のピーク があったようで、1 万 2000 ドル近くの収入があった。 1 万 2000 ドルを 25 セントで割れば、大体 4 万 8000 ですね。だから、入館者数というの は、5 万人近くいたことになりますし、1 日当たりにすると、100 人から 200 人くらい入っ は や ていたという計算です。非常に流行ったところといえるようです。 このピール博物館には、注目すべきところが二つあったといわれます。 一つは教育という意図を強く持った展示がされていたことです。当時の学問としては非 2 常に先進的なリンネの系統分類によって自然界を展示しようということをしていたんです ね。 先程、自然史の資料が集められていたといいましたが、そういった資料が、きちんと教 育的配慮に基づいて展示がされていました。 もうひとつは、個人の企業でありましたから、客寄せをしなくちゃいけない、お客さん が入ってくれないとやっていけない。 その必要性の為に、新しい企画というのが、常に試みられていました。 もともとは、画家で画廊であったわけですから、肖像画があった。その肖像画の人物が 活躍した歴史上の事件とか、でき事とか、例えば南北戦争の一場面を描いて、その中で活 躍したのがこの人だ、というようなことをやったり、肖像画の背景として、その人の活躍 した場面を一緒に並べていた、というようなことをしました。 それから、また、標本が寄贈されますと、その寄贈者と標本名を新聞に発表するという 広報活動、これが行われていました。 それから、もう一つ、次にお話しします、マストドン象の化石を発掘しまして、この骨 から推定される復元図をつけるというような展示法が用いられていました。 新大陸に象がいたという発見は当時の新大陸の人たちにとっては、非常に大きな話題に なったようです。そのことが、ピール博物館の成功の大きな原因であったともいわれてい ます。 1801 年にニューヨーク州のアルスター郡というところで、未知の生物、マンモスと後で 呼ぶんですけれども、このほとんど完璧な骨格を農場主が発見したという記事をピールは 読みまして、ぜひこれを手に入れたいと、ピール博物館に展示したいと考えたわけです。 ピールは急いで発見者のところに行きまして、農場主のジョン・マステンという人だそ うですが、この骨を 200 ドルで買い入れます。それだけではなく、さらに 100 ドル上乗せ しまして、もっと深く掘らせろ、ということを承諾させます。そして、そこで発掘を始め るわけですね。 25 人の人夫を雇って、作業を進めます。 したあご 当初は追加の骨が発見された程度で、下顎の骨とか、頭の骨、断片しか見つからなかっ たんですけれども、発掘隊は息子のレンブラント・ピールが考え出したといいますが、先 の尖った鉄の棒を土の中に差し込んで、当たりをみながら骨を探すということをしました。 これは今日、我々も良くやることで、遺跡の発掘の時にボーリング・ステッキというT 字型の長い棒を突き刺して、当たりがあるかないかなんてことを調べたりしますけれども、 その始まりのことをやったようです。 その結果、今度は完全な下顎のある、第 2 の完全なマストドンの骨格を発見します。 アメリカで最初の科学的古生物学発掘なのだそうですけれども、1801 年の 9 月に終了を いたします。 3 この発掘は 5 か月に及びまして、当時としては大金の総額 2000 ドルの経費がかかった ということでした。 ピールはもともと画家ですから、この発掘を「マストドンの発掘」という絵にして残し ます。 発掘している穴の中から水が湧いている様子がご覧になれると思うんですけれども、こ の水を汲み出すのにバケツを連ねた大きな車輪を作りまして、その車輪を回して水を汲み 出す揚水機を作ったわけです。 この丸い揚水機の中に、人が 3 人入っていって歩いて、グルグル回して水をあげていっ たんだそうです。ハツカネズミのすることに似てますけれども (笑)。 調子の良いことにというかなんというか、見物に来ている人たちも、ボランティアとし て揚水機に参画させたということもあったようです。 ピールはこれをマンモスと呼んでいました。マンモスというのは、ゾウの祖先のマンモ スだけではなくて、一般的な用語として、なんでも大きいものを指すようになっていたよ うですけれども、この骨を整理するのに 3 ヶ月ほどかかっています。 ピール自身は、これは先史時代のもので絶滅種であるというふうに考えて作業をしてい たわけなんですけれども、しかし、パリの自然史博物館のジョルジュ・キュヴィエという 人が鑑定したところ、これはマンモスではなくて、マンモスから分かれた象であると。そ れで、マストドンというふうに命名されました。 ピールは、この象が草食であるにも関わらず、「北の肉食獣」なんて表現をしたりもして います。だいぶ思い入れが強かった、ということなんでしょうか。ピールはふたつのマス トドンの象の骨格を得たわけですけれども、一つをフィラデルフィアのピール博物館で別 に部屋を作って展示します。50 セントの別料金で見せました。もともと、25 セントの入場 料だったので、その倍取って、特別に見せたのです。1802 年にはその結果、1800 ドル以上 を稼ぐという結果になったようです。 ピールの得た二つの骨格のうちの一つはドイツのダルムシュタットのヘッセン州立博物 館のほうへ移されまして、より科学的な標本化が行われています。 第 2 のマストドン、これは後からピール自身が発掘したほうの骨ですけれども、これは ニューヨークのアメリカ自然史博物館の所有となっていきます。ただ、このマストドンの 骨は解体されまして、一部の骨はボルティモアの現在のピール博物館に貸し出されていま す。ボルティモアのピール博物館では、現在でも展示物の目玉というか、所有物の目玉と してですね、この、マストドン・ボーンズというのが挙げられています。 ピールのコレクション収集というのは、生涯にわたって続けられまして、1850 年にこの 博物館は破たんしてしまいますが、最終的に売却された時のリストから見ますと、以下に 4 挙げたようなものがありました。 し そ く じゅう 肖像画と絵画 269 枚。鳥の標本 1824 点。それから、四足 獣 250 点。爬虫類・トカゲ・ カメ 135 点。650 点の魚・魚類。363 点の酒精、アルコール漬けの標本。あと、貝。それ から、たくさんの人類学的な資料とか、図書資料とか、こういったものがリストに載って いました。ピールのコレクションへの考え方というか、理想像というんでしょうか、言い 換えますと、ピールはどういうふうにして博物館を作ろうかというところを伺うことがで きるのかも知れません。 一時、非常に成功したとされるピール博物館ですが、しかし、先程も言いましたように、 個人の企業のやっていたものであったので、その為にお客さんが入らないと困るわけです。 その為にことさらゲテモノ的なもの、それから他の本に書いてあったものをそのまま引 用しているんですけれども、生の人間の足とか皮膚。よく昔の西部劇で、インディアンが は 出て来ると、白人の頭剥いじゃうぞ、皮剥いじゃうぞ、という台詞がありましたけれど、 それに近いものなのかな、と思ったりもしますが、こういう、変なものというか、ゲテモ ノというか、奇形の動物を集めたりというようなことをして、これは、いったんは関心を 呼びます。しかし、その時だけで終わってしまってそのまま続くことはない。こういった 形の人集めというのは、結局、学問性と娯楽性のバランスが崩れていってしまうのです。 その結果、人集めの為に、学問性のほうが犠牲にされていってしまって、人が寄り付か なくなってしまったようです。 なお、この種のゲテモノ資料もピールが死んだ後、売却されてしまいますけれども、こ の種の資料はサーカス王といわれましたバーナムに買い取られまして、バーナムのサーカ ス団と一緒に各地を巡業していったということも有名な話として、伝えられております。 さて、19 世紀に入ってからのアメリカです。 19 世紀に入ってアメリカでは、国立の博物館が作られます。それから、メトロポリタン、 ボストン、そういった現在まで続くような大きな博物館や美術館が誕生していきますし、 それだけではなく、大学博物館も拡充していきます。 さらに、大人だけではなくて、子どもも対象にした博物館が誕生していきます。 こうしたことについて、触れていきます。 まず、国立の博物館ですが、イギリス人のジェームス・スミスソンという人が、この人、 研究者・鉱物学者なんですが、1829 年に亡くなります。その時に自分の全財産、約 10 万 ポンド、アメリカで 50 万ドル、これをアメリカ合衆国に寄付をする、そして人々の知識の 増大と普及をはかる為にアメリカのワシントンにスミソニアン研究所という名の施設を作 る、という遺言を残します。こういった遺言の申し出があって、寄付をされそうだという ことが 1835 年に当時のジャクソン大統領によって、アメリカの議会によって、報告されま す。議会での審議の上、1838 年にこのスミスソンの遺言と基金を受け入れることが決まり 5 ます。 そして、1846 年にスミソニアン研究所と呼ばれる学術調査研究センターが設立されます。 このスミソニアン研究所の事業のひとつとして、国立の博物館が作られていきまして、1855 年から公開されます。 この、スミソニアン研究所、合衆国大統領が総裁となって副大統領や各地の長官たちが 構成メンバーとなる組織が運営の責任を持つ、というものです。 現在、6 つの博物館、8 つの美術館などを持つ世界最大の文化施設となっております。 このジェームス・スミスソンという人が、なんでアメリカにこういうふうな寄付をした のかということなんですけれども、理由ははっきりしておりません。 だから推測するしかできないんですけれども、スミスソン自身はパリで生まれました。 オックスフォード大学で学びまして、21 歳の時に、王立ロイヤル・ソサエティ、王立協会 ですね。イギリスの自然科学研究のいちばん古い学術団体です。その会員に選ばれていま す。だから一応、研究者として一流の人だという評価を得ていました。一方、彼自身はス ミスソンという名を後世まで残すということに非常に意義を感じていたようです。 ただ、科学者としての生涯、確かにロイヤル・ソサエティの会員にはなったけれど、そ んなに業績が評価される、華々しく業績が評価されるということもなかったようなので、 彼自身にとっては、あまり満足できる一生とはいえなかったようです。 アメリカとの関係はどうなのか、というと、一度も行ったことはないのだそうです。ア メリカに一度も足を運んだことのスミスソンがなぜ、アメリカに遺贈したのか、よくわか らない。 パリで生まれた。パリっていうのは、王制を倒して共和制の国になっておりましたので、 共和主義というのに親近感を持っていた、ということがあったのかも知れない。それもひ とつの理由だったのかも知れないのですね。 またイギリスの学術的な社会の中で、必ずしも自分は十分に受け入れられていたとは考 えていなかった、という部分があったようで、一種、疎外されたという感情を持っていた ようです。そこで、イギリス社会を見返そうという意識もあったのかも知れません。 それもひとつの解釈としてあります。 知名度が高い、ロイヤル・ソサエティとか、それから、これに匹敵するような、生まれ た国であるフランスの既存の研究機関に遺贈しても、果たして、スミスソンという名前を 冠してくれるか、というところを考えて、そのことを危惧してアメリカに寄付をしたので はないかという、…全くこれは想像で、はっきりスミスソンがその理由を書いたものは無 いようです。 ス ミ ソ ニ ア ン インスティテューション その、スミソニアン研究所Smisonian Institutionなんですが、博物館と名前の付いてい るのを挙げると 6 つ、実質的な博物館的なもの持っていますし、それから、美術館と名前 6 の付いているものが 8 つ、その他、動物園もある、世界最大の文化施設です 国立航空宇宙博物館は、世界で一番、たくさん人が入るといわれているところですし、 アメリカ歴史博物館、それから、アナコスティア博物館、国立自然史博物館。 この国立自然史博物館は後でお話しするニューヨークの自然史博物館とは別です。話が 先になってしまいますが、ニューヨークのアメリカ自然史博物館は映画の『ナイトミュー ジアム』の最初の舞台で、こちらのほうは、2 本目の『ナイトミュージアム』の舞台になっ たところです。それから、郵便の博物館、クーパー・へウェイト博物館、国立デザイン博 物館、国立アメリカインディアン博物館。博物館と名前付いていますけれども、美術館的 なものもある。それから、ナショナル・ポートレイト・ギャラリーは肖像画の美術館、ア メリカ美術博物館、レンウィック・ギャラリー、アーサー・M・サクラー美術館。アーサー・ M・サクラーは人の名前ですね。日本からの資料が、時々、ここで特別展などとして開かれ ています。ハーシュホーン美術館・彫刻庭園、それから、アフリカ美術博物館、それから 東洋美術で有名なフリーア美術館、それから、芸術産業館、国立動物園、があります。 スミソニアン・インスティテューション Smisonian Institution の博物館の集まってい るモールといいますけど、そのまわりにずらっと博物館が並んでいます。 ここは、スミソニアン・キャッスル。それから、航空宇宙博物館。それから、自然史博 物館、アメリカ歴史博物館、それからフリーア美術館が、これ。それから、アーサー・M・ サクラ―はこれですね。 あと、ついでに言いますと、ここに連邦議会があって、ホワイトハウスがここにありま す。この後ろに、レンウィック・ギャラリー、それから、肖像画館がここにあって、郵便 博物館がここ、というふうに、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート。アメリカ美術館 っていうのかな、これは、スミソニアンの組織ではない美術館ですが、あたかも仲間のひ とつであるかのごとく並んでいます。 こういう、集中して存在するところですね。 外観だけですが、左上が航空宇宙博物館の建物、右が自然史博物館、左下がアメリカ歴 史博物館、それから、フリーア美術館。荘厳なというか、荘重な、こんな建物がモールの まわりにズラッと並んでいるわけです。 中身を全部紹介したいんですけど、そうもいきませんので、パンフレットで紹介します。 これは、航空宇宙博物館の 1 階で、ここがエントランスですね。ちなみに入場料はなし。 ここを入りますと、荷物検査があって、すぐにエントランスになります。 ここには月の石が置かれていて、触ることができます。宇宙船があったり、それから、 天井のほうにはスプートニク。アメリカが宇宙競争で負けちゃうんですね。最初の人工衛 星のレプリカだと思いますが、それが飛んでいます。飛んでいるというか、飛ぶようにし 7 て、あります。 それから、105 は、ゴールデンエイジ・オブ・フライト、航空の黄金時代。飛行機、それ から、ジェット飛行機、それから、107 は飛ぶことの始まりですね。リリエンタールの飛行 機なんかがあります。それから、109 は飛ぶことの原理、110 は地球を空から見る、航空写 真から人工衛星まで、上から見る。それから、宇宙探検の部屋。ここには、月の探査船が 置かれています。 それから、111 は今度は望遠鏡で見るということで、ボイジャーの飛行船、探査船だった り、ハッブル天文台などで見るというようなところ、そういったものによって見る宇宙。 それから、月面探査船。114 は宇宙開発競争についてで、スペースシャトルの模型だとか、 ロケットの模型などが並んでいたりしています。 ここのところには日本人も一人、展示されていまして、日本人で最初の宇宙飛行士とい うか、宇宙へ行った人、ご存知ですか?覚えていらっしゃいますか? あきやまとよ ひろ 毛利さんじゃないんですね。TBS の社員の秋山豊寛さんという方ですか、1200 万ドル払 って、乗せてもらったということですが、日本人で最初の人の宇宙服を着た写真がありま した。 けいさんじゃく もうひとつ、ここの中でこうやって計算するんだって様子があって、その中に計算 尺 が 展示されておりまして、今日もあんまり若い方いらっしゃらないから、ほとんどの方がご 存知かと思いますが、計算尺がありまして、私も学校でちょこっとやったおぼえがありま すが、使い方はもう全然覚えてませんけれども、それが展示されていまして、宇宙船の中 でも地上でも、ああいう計算尺で計算をしながらやっていたんだな、今と大違いですけれ ども。 それから、2 階が 203、ここは海上航空。それから、205 が第 2 次世界大戦の展示。もち ろん、ゼロ戦なんかもありますし、206 は第 1 次世界大戦の様子。 それから 207、宇宙の惑星の探求というところ。惑星の数々があります。ライト兄弟の飛 行機は、208 です。209 はアポロ宇宙船と月へのテーマ。ひとつ前のスライドで、隠れてし まってますけど、ここのところに、大きな食堂がありまして、マクドナルドなんかが入っ ていまして、入館料無料ですので、食事はここででて、一日中ゆっくり博物館にいられる と。私もほとんど一日、おりました。 次に、アメリカ歴史博物館。最近、新しくなったんですが、ここはエントランスですね。 そして、こっちがグランド・フロアで 1 階、こっちが 2 階。この 1 階入ったところの正 面に星条旗がありますが、これについては次にお話しします。 ここがアメリカのファーストレディ、大統領夫人たちの展示室です。それからこっちの 4 棟、これがアメリカの大統領、歴代大統領ですが、4 はリンカーン大統領の展示室。アメリ カにとって、リンカーン大統領って特別な人なんだな、ということを感じさせる展示でも 8 ありました。 さて、その星条旗なんですが、非常に大きいんです。高さが 30 フィート、9m あるんで すね。 いわ これの謂れは、1812 年から 1814 年にわたって、アメリカはイギリスと戦争します。米 英戦争っていうか、アメリカでは、第 2 次独立戦争という言い方もするそうですが、客観 的に見ると第 2 次独立というよりも、要するにアメリカがカナダにちょっかいを出そうと したんですね。それで、当時、カナダはイギリスの植民地の部分がありますので、そこで、 イギリスとカナダと、それとアメリカの中でインディアンの人たちの連合軍と、アメリカ が戦った。 結局、カナダを侵略することはできなかったんですけれども、この戦争を通じて、アメ かも リカ国民の間で非常に強いナショナリズムというものを、醸し出したんだそうです。 そして、このナショナリズムと旗の関係なんですが、この米英戦争の終末期近く、この 戦争の中で最も、し烈な戦いだったとされるのが、1814 年の 9 月 13 日から 14 日にかけて の、このマックヘンリー要塞の戦いです。ここはボルティモアにある要塞で、独立戦争の 時に作られた要塞なのですが、ここにアメリカ軍がたてこもって、そこへイギリス軍の非 常に激しい攻撃があったわけです。25 時間にも及ぶ攻撃にアメリカ軍が耐えまして、その 停戦後、9 月 14 日になってこの旗が、マックヘンリー要塞に掲げられたんだそうです。 高々と掲げられて翻っているこの旗を、イギリス軍の軍艦のほうに抑留されて、捕まっ ていたフランシス・スコット・キーという人が見まして、その時の感動を詩にしたんです。 この詩に、のちに曲が付けられて現在のアメリカ国歌、…オリンピックの時、さんざん聞 かされるあの歌ですけれども、あれが作られた。 そういう、要するに、アメリカの国歌のもとになったともいう旗だということで、大事 に掲げられていました。 近くに寄って見ることはできませんで、ケースの中に、ちょっと斜めにしておいて、展 示されておりました。 それから、国立自然史博物館です。これも、全部お見せしたいくらいですけれども、1 階と 2 階とありまして、この象さんがここのエントランスホールの様子です。 それから、哺乳類の展示コーナーで、ここに置かれて展示されている動物たちを見ると、 一体、どうやってこの動物たちを立たせているんだろうと思うのもあります。ネコの仲間 と が、後ろ足で立って鳥を獲ろうとしているような展示だとか、キリンが大きく脚を広げて 水を飲んでいる、そんな様子があったりしますし、ライオンは百獣の王で、上にそびえて います。 それから、恐竜の骨格標本。それから、これは海の展示、これはクラゲですね。こんな ものがあったり。 9 それから、2 階のフロアですが、これは、骨。ボーンズですが、骨ばっかり並べるという ところ。キリンの骨も首はなるほどあんなに長いんだ、と。当たり前ですけど、ひとつひ とつの骨があんなに大きいんだね、ってことがわかったり。 それから、カメ。ウミガメの骨があるんですが、骨を展示する時に、普通は甲羅のほう を我々、見ますよね。このカメさんはお腹のほうから展示してありまして、背中に甲羅が 付いて、こっちが見られる。 それから、エイの骨の展示もありました。面白かったですが。 これはお猿さんの仲間。人もいます。 それから、人類の歴史の部分もありまして、あとで紹介するアメリカ自然史博物館でも そうなんですけれども、人類史というのが、アメリカでは、自然史の中でも語られる。時 代的にはそんな最近まで来るわけじゃなくて、これは動物壁画の描かれているところの様 子ですけれども。 それから、宝石・奇石の類と鉱物、非常にきれいな高そうなものがたくさんある、とい ったところです。 スミソニアンはこれくらいにしまして、次は、メトロポリタンとボストンですが、1870 年に同じようなきっかけで、どちらもできています。どちらもニューヨークの市民、ある いは、ボストンの市民の間から美術館を作ろうという声が起こりまして、そして、美術館 を作るための組織が立ち上げられて、そこで、募金がされる、資料の収集が行われるとい うことがあって、実現していったものです。 メトロポリタンですが 1866 年の 7 月 4 日のアメリカの独立記念日の夜、パリのブローニ うたげ ュにあるレストランにパリ在住のアメリカ人たちが集まって、そこで独立を喜ぶ 宴 をして いたわけです。 その人たちの間で、その、ブローニュの森に集まった人たちの間で、アメリカの人々の 為に、国立の美術館と研究所を作ろうという声が湧きあがりまして、ただちに、その場で その為の委員会が組織されて、準備が進められていきます。 1870 年にようやく組織ができ上がりまして、ニューヨーク州政府が法人として認可をし ます。メトロポリタン美術館として、認可します。 発足当時はそんなに大きなものではなかったわけなのですが、ニューヨーク市内に美術 の研究を推進し、芸術を生産と日常生活に役立たせ、関係ある分野の知識を増進させ、ま た、啓蒙とレクリエーションに役立たせる目的で博物館と芸術図書館を作る、そういう趣 意書が回されます。募金活動が行われていくわけです。当初は、有産階級の間で募金や資 料の収集ということがされていたのですけれども、一般市民への呼びかけも活発に行われ て行きまして、博物館の建物は当初、ニューヨークの五番街にあったダンス教習所のビル を利用したものだったのですが、1880 年にセントラルパークの現在の場所に新しい建物を 10 作って移転しています。 メトロポリタンの歴史というのは、ともかく、収集の増加、コレクションの増加と機構 の拡大、建物の増築、その歴史であったといってもいいくらいですね。 特に第 1 次世界大戦後、ヨーロッパが戦争で疲弊していく、その中で、アメリカに多く の富が集中していきます。その結果、美術品の流入もみられた。やがて、メトロポリタン は、発足当時の期待をはるかに超える大美術館というか、文化遺産の宝庫となっていくわ けです。 なるべく自分で持っている写真に置き換えようとしてみたのですけれども、ここはエジ プト美術ですね。有名なカバ。それから甲冑の行列が並んでいます。 それから、マティスの絵があるところ。 次の上の階、2 階は日本のギャラリーがありまして、甲冑がありますけれども、ここのと ころ。それから、中国美術、ここらへんにありまして、それから、西アジアはここ、とか。 それから、楽器が収集されているところとか、大変な広さと展示量を持ちます。 もう一つのボストン美術館ですが、これも町の中で美術館を作ろうよ、という話がおき て、評議会を作り、そして、1870 年に州議会の承認を得て発足しています。 組織が作られて、それから、募金がされる、それから、資料の収集が行われるというこ とがあって、美術館として正式に開館したのは 1876 年です。 それから、これは写真をはめ込む余裕がなかったのですけれども、緑色の部分が現代美 だいだい 術。黄色いところ、アジア・オセアニアの美術。紫色はヨーロッパ美術。 橙 色が古代美術。 青いところは南北アメリカ美術。これは 1 階のフロアの様子です。 2 階も色分けは同じで、緑は現代美術だし、黄色はアジア・オセアニア・アフリカ。緑が ヨーロッパ美術。それから橙色が古代美術。青が南北アメリカというところです。 このマップの最後のページに MFA ハイライトというのが、載っていまして、MFA とい うのは、ミュージアム・オブ・ファイン・アーツ、これはボストン美術館の略称なんです ね。 この 3 階にあるものは青ですので、南北アメリカの美術ですが、このハイライトのもの を見ますと、左上がエジプト、埋葬美術というのかな、棺関係、ミイラ関係のところ。そ れから上はヨーロッパの印象派、有名なルノワールの絵です。 それから、船舶モデル。それからここはオランダ絵画、写真、20 世紀のアメリカ美術、 それから、ヨーロッパのモダニズムギャラリー。ここは、古代アメリカのマスク。日本の 仏教寺院ルーム、それから、ここは古代ギリシャ・ローマ美術のモザイクかな。それから、 11 ここが版画と素描。それから、こっちが 19 世紀アメリカ美術、という各コーナーからハイ ライトとして紹介されていました。 さて、今度は大学博物館です。 アメリカの大学には、大学に付属するというか、博物館を擁しない大学はない、といっ てよいくらい、大学と博物館の関係は密接なところがあります。 しかも、ひとつあるというようなものではなくて、ハーバード大学には、20 あまりも研 究分野別の博物館というのがある。あとで、ハーバードのものは詳しく紹介いたしますが、 ミシガン大学にもエール大学にもしかりです。 ちなみに、東北大学には、いくつあるでしょう?少なくとも 2 つは承知しています。日 本の大学には博物館を持たなければならないという決まりはないので、最近でこそ、だい ぶ、大学博物館というのが作られるようになってきましたけれども、むしろ日本では大学 に博物館がないのが当たり前だという状況が、長く続いておりました。 さて、そのハーバードの大学博物館ですが、まず、美術館の類ですね、これは、ハーバ ード・ユニバーシティ・アート・ミュージアム Harvard University Art Museums と いうふうにまとめられていまして、アート・ミュージアムズ、要するに美術館群ですね。 これが、3 つあります。 ウ ィリア ム ヘ イ ズ フォッグ アート ミ ュ ージ ア ム Willam Hays Fogg Art Museum 、フォッグ美術館といいますけれども、これが、1891 年に作られています。ここにある絵、これはパンフレットに載せられている、このフォッ グ美術館の代表として紹介されていたものなんですけれども、イタリアのルネサンス美術 から、アングルから印象派にいたるフランス美術、アメリカ風景画など。 ザ ブ ッ シ ュ ラ イ ジ ン ガ ー ミ ュ ージ ア ム イン ワ ー ナ ー オットー ホ ー ル それから、The Busch-Reisinger Museum in Werner Otto Hall、これは 1902 年に ゲ ル マ ニ ッ ク ミ ュ ージ ア ム Germanic Museum、として開館したもので、ここはドイツと中・北部ヨーロッパ美術資料、 ドイツ外のバウハウス関連資料があります。 ア ー サ ー サ ク ラ ― ミ ュ ージ ア ム それから、Arthur M. Sackler Museum、これは先程のスミソニアンにも同じ名前のあ りましたけれども、サクラーさんが寄付をして作った美術館ですね。古代アジア、イスラ ムの美術品、それから、中国・日本のものがあり、日本の木版画、これは、翻訳されたの をそのまま書いたんですが、この木版画は、要するに浮世絵だと思うんですけれども、そ ういうものが所蔵されています。 ハ ー バ ー ド ミュージアムズ オブ それから、自然史関係の博物館群、これもまとめられていまして、Harvard Museums of ナ チ ュ ラ ル ヒ ス ト リ ー Natural History、というふうにまとめられています。 ザ ミ ネ ラ ロ ジ カ ル アンド ジ オ ロ ジ カ ル ミ ュ ージ ア ム ここにも、3 つ属していまして、The Mineralojical and Geological Museum、鉱物学・ 地質学博物館。1891 年にできているものです。 12 ミ ュ ージ ア ム オブ コ ン パ ラ テ ィ ブ ズ ー ロ ジ ー それから、Museum of Comparative ZooIogy、比較動物学ですね。この骨格標本をア メリカやヨーロッパの自然史博物館ではよく見かけるんですが、今は生息していない非常 し そ く じゅう に大きな四足 獣 でメガテリウムというものです。 ザ ボ タ ニ カ ル ミ ュ ージ ア ム それから、The Botanical Museum、1858 年に作られていますが、ここはボタニカルだ から、植物学博物館ということなんでしょうけれども、ガラスで作られた、 「グラスフラワ ー Glass Flower」というのが非常に有名なところです。これ、ガラスなんですね。 この中の、今、展示中だよという案内がありました。この Great Mammal Hall、哺乳類 の部屋、ここはじっくり見ました。うかつなことに、「グラスフラワー」、ここは見落とし てしまいました。残念ながら、後悔しています。 ピ ボ デ ィ ー ミ ュ ージ ア ム それから、人類学・考古学・民族学という分野の博物館が、英語で、Peabody Museum オブ あ ー け す お ろ じ ー アンド エ ス ノ ロ ジ ー of Archaeology and Ethnology、このまま言うと、考古学・民族学博物館ですけれども、 ピボディ・ミュージアムというので、普通に通っていると思います。1866 年にできている ピ ボ デ ィ ー のですが、この年は、大学創立 30 周年ということで、貿易商人のPeabodyさんが寄付をし て作られた博物館です。ここは、ハーバード大学における考古学・人類学・民俗学、その 研究の中心的な役割を果たして来たところで、中央アメリカから、南アメリカ、ヨーロッ パ、それから、アフリカ、中近東にいたるフィールド調査を続けてきまして、資料の収集 が絶え間なく進められております。 南アメリカからの重要なコレクション、マヤのドキュメンテーション、それから、太平 洋の島々、特にハワイ・フィジー・トンガなどからのコレクションがあります。これも南 太平洋のものですけれども、マスクのある人物像です。 ピ ボ デ ィ ー ミ ュ ージ ア ム これは、Peabody Museum の中の案内表示で、ネイティブアメリカ・ラテンアメリカ・ パシフィックアイランドというフロアに分かれた展示がなされていました。 ピ ボ デ ィ ー ミ ュ ージ ア ム 左上がPeabody Museum の入口で、これを入って、中をずうっと見ていくと、先程の 自然史博物館のほうにそのまま行ってしまいます。ここは展示の一般的な風景ですね。 これはちょっと好きだった展示で、発掘をしていくと、どうなるのかな、ここは地面で すね。掘って行くと、上から出る物が新しくて、下から出る物が古いわけですね。その理 屈を引き出しでもって示してくれている。一番下のこの引き出しを引いてみました。この 上の引き出しからはもうちょっと新しい時期のものが出ているというような展示がされて いました。 そう い つち 考古学の中で、層位、土の上下関係を見るというのは、非常に大事な仕事です。仕事っ ていうか、大事な研究方法です。 そこを展示で分かりやすく示してくれていました。 13 カ ー ペ ン タ ー セ ン タ ー フォー ザ ヴィジュアル その他に、 こんなにあるよ、というものですけれども、Carpenter Center For the Visual ア ー ツ Arts が、1963 年に竣工した比較的新しい博物館ですが、ここは、建物が有名でル・コルビ ュジエの北アメリカでの唯一の最晩年の作品です。 コルビュジエといいますと、世界遺産に作品群を登録しようということになっていまし て、日本では、東京の上野にあります。国立西洋美術館の建物が候補に上がっています。 ヴ ィ ラ イ タッテイ それから、Villa I Tatti、これはフィレンツェにある、イタリアの絵画を扱うところ。これ ダ ン バ ー ト ン オークス はDumbarton Oaks、これはワシントンにあるものです。古代ギリシャなどの文化、ほか ハ ー バ ー ド セミティック にはコロンブス以前の中央・南アメリカの文化を扱っている。それから、Harvard Semitic ミ ュ ージ ア ム Museum、1889 年ですが、西アジアですかね、イスラエル、イラク、シナイ半島、ヨルダ ン、エジプト、キプロス、チュニジアという、旧約聖書的なところの資料を見たり研究を したりしている。 アーノルド まだまだありまして、ボストン郊外にあるArnold 樹木園、1872 年に作られている。そ ハ ー バ ー ド ユ ニ バ ー シ テ ィ ヘ ル バ ー リ ア フィッシャー れから、Harvard University Herbaria、植物標本館があります。ハーバードの森。Fisher ミ ュ ージ ア ム アト ハ ー バ ー ド フォーレスト コ レ ク シ ョ ン オブ ヒ ス ト リ カ ル サイエンティフィック インストルメント Museum at Harvard Forest、 1907 年。 Collection of Historical Scientific Instrument、 科学技術史の資料のコレクションがある、と。1947 年に作られたところ。 ポートレイト コ レ ク シ ョ ン 解剖学の博物館が、1847 年に作られていますし、Portrait Collection、肖像画のコレク マ ッ プ コ レ ク シ ョ ン ションを集めたところがあり、それから、Map Collection、地図のコレクション。 シ ア タ ー コ レ ク シ ョ ン ア ー カ イ ブ それから、Theatre Collectionが 1901 年に作られていますし、Archives、これが 1939 年に。右下のヘンテコなのは、これは昔のハーバードのエンブレムのデザインのこと、と いうふうに書いてありました。 その他、図書館は 1628 年にできていますし、アザーコレクションという項目もあったん ですが、それは、省略いたします。 こんなに多様なさまざまな種類の博物館というか、博物館を拠点とする研究が行われて いたのが、大学ということになります。 大学生や大人だけではなく、子どもにも博物館というものが考えられていきます。幼児 教育に、取り入れられていきます。 ただ、もともとは子どもの健全な遊び場を作りたいという親の願いからはじまりました。 ニューヨークというのは、ひと頃は、治安が悪いところの代名詞に使われていたことがあ ったんですが、子どもの遊び場というのが確保できない頃に子ども達に遊び場を作ってあ げたい、という親の思いがありました。 ザ ブ ル ッ ク リ ン 最初の子どもの為の博物館というのが、ニューヨークのブルックリンのThe Brooklyn チ ル ド レ ン ズ ミ ュ ージ ア ム Children’s Museum、で 1899 年に作られています。 14 ちょっとこだわりますが、Children’s Museum なんですね。つまり、 アポストロフィー、 s が付いているというと、英語では、 「なんとかの」という所有格になるんですよね。だか ら、「子ども博物館」でなくて、「子どもの博物館」と訳すのが、本当だろうと思うんです が、多くは「子ども博物館」と通称されています。 ブルックリンのチルドレンズ・ミュージアムですが、実物・実験・実習、そういうよう な設備もある。自然科学の部門と、それから民俗学・考古学の部門というのがありまして、 ただ見るだけでなくて、体験するという体験学習の場を通じて、カリキュラムを作って、 そこで人間形成を目指して行くという場であります。体の不自由な子どもにも、特別に用 意された施設があったり、あるいは使う道具があったり、館内教育というのが行われたり しますし、家庭への出張教育もなされたりします。 これに続いて、ボストン、こっちは「子どもの」と書いてしまいましたが、ボストンの チ ル ド レ ン ズ ミ ュ ージ ア ム Children’s Museum、これが 1913 年に作られました。 その後、アメリカの各都市に続々、作られていきまして、全米各地に 200 か所以上ある というふうにいわれます。 ボ ス ト ン 今日では、子どもの博物館というと、その代表的なものとされるのが、Bostonの子ども の博物館です。 今、紹介しましたように、これはこどもの博物館としては 2 番目に古いものですけれど も、影響力という点では、世界で最も大きいものがあるといわれる、子どもの博物館です。 科学の教育を進めるということの為に、いろんな材料を作ったり、アイディアを交換し たり、そういうことのできるセンターにしようという思いから、教師・生徒、その両方に 新しい理想図を提供しようということを考える人たちの間でこの博物館というのが考えら れ、作られていきます。 この博物館の展示やプログラムは子ども達の本来の創造性とか好奇心とか、それからま た、想像力を刺激するツールとして、「ハンズオン」という手法と、それから「経験とあそ び」というのを通して学ぶことを強調しています。 子どもと家族の為に設計されていまして、博物館の展示そのものが、科学、文化、環境 意識、それから健康、フィットネスとか、芸術、こういったものに焦点をあてたものにな っております。 それから、アメリカーナ、自然史、グローバル文化、ネイティブアメリカン、それから、 人形、ドールハウス、日本のアーティファクトのコレクションなど、5 万点以上にも及ぶと 言われます。 ここもまた、マップなんですが、1 階・2 階・3 階となっていまして、この 3 階、ここが 日本の部屋なんですね。 15 それから途中のグローバル・ギャラリーには、日本の小学校の教室がありますし、ここ は日本の町屋、京都の町屋がそのまま展示されてあります。 ここには、ぶら下がって遊ぶようなところがあり、シャボン玉の部屋があり、展示室内 に水が流れているところがあったり、それからまた、スーパーマーケットがあったり、美 容室があって、そこで、髪の毛を伸ばす人形なんですが、その髪の毛というのが、ひとつ は白人と黒人の違いっていうことを象徴するものであるということから、これは当たり前 のことなんだよ、という意味での紹介でもあるんですが、そういう展示があります。 左上が、これが外観ですね。ここはシャボン玉なんです。時々、日本でも見かけますが、 大きなシャボン玉の液を入れて、大きな輪っかで持ち上げると、シャボン玉の大きなのが できますよね。その中に子どもが入ってみたり、そして汚れないようにというか、濡れな いようにっていうことかな、上半身用のここまでのエプロンがあって、これを引っかける ところが横のほうにあるんですが、子ども達が自分で引っかけて、自分で持って来て、か ぶって、ちゃんと自分で戻す、これが徹底されていました。 これは入口を入ってすぐのところにあって、遊び心が刺激されるというようなところで すし、ここは家の中の台所がそのまま、ここで調理ができる、もちろん、できるといって も、本物の野菜でなくて、マジックテープでくっ付くような野菜、プラスチックの野菜、 切ったりなんかして、それで、冷蔵庫も開けて見られる。 それから、これはあとで出て来ますが、次のコンストラクションゾーンというところな んですけれども、削岩機をガーガーやるわけです。もちろん、動きませんけれども、写真 撮ってますけど、子ども達はちゃんとヘルメットかぶってなきゃいけない。次のスライド も、そうなんですけど、大人がいます。まわり、たくさん大人がいますね。 さっきも言いましたが、これ、 「子どもの博物館」なんですが、親と子の為の博物館とい う意味もある。私は子どもなしで、ひとりで行ったんですけれども、その時も、ちゃんと、 視察者用というか、見学者用のタグをもらって行って、見ました。 それから、これはスーパーマーケットで、これはプラスチックで作られたレモンとか、 …マンゴーかなぁ、バナナがあったり、みんな、お買い物ができるわけです。 誰も何もいうわけではないんだけれども、この中に、いつの間にか、レジ係の子どもが いてですね、レジをやって買い物した人、必ず横にカゴを入れるケースがありますし、そ れから買い物したものは、ちゃんと元に戻すというのが、徹底されている。大人は手を出 さずに子ども達が自分でやる、というふうになっています。 コンストラクションゾーンの入口で、これもカバーを、水じゃないかな、先程も言いま したように大人はたくさんいます。大人は、手を出さない。 それから、3 階にさくら小学校の紹介がありました。一体、どこのさくら小学校かな、と 16 思うんですが、どこでもいいんですね。さくら小学校。日本を代表する小学校です。 教室のようですけど、もうちょっと小学校はきれいじゃないかな、と思いますし(笑)、机 の引き出し、開けてみたらですね、引き出しの中にこんなものも入っているんですが、こ れ、長嶋茂雄。相当古いですよね。もうちょっと新しくしてよ、と思いますがね。 その他、この並びにこの学校から帰った子ども達が、家でどんな生活をしているか、と いう場面もあったりもしました。 いつの間にか、楽しくなってしまってですね、自分自身も、いい大人ですけれども、こ の中にひたってしまうことができるようなところでした。 さて、話はまた変わりまして、アメリカ自然史博物館です。 ここは、1869 年に創立されているんですが、1868 年が明治元年ですね、その直後にでき ているわけです。 この当時のアメリカというのは、南北戦争が終わって独立百周年を控えているわけです ね。 1776 年の独立から 100 年ということを見据えていろいろな文化事業が企画されました。 。 ボストン美術館ができたのもその一環といわれますし、また、ニューヨークに自由の女 神の像を据え付ける工事もなされていました。 そういったものと並んで、この自然史博物館の設立が計画されていったわけです。 南北戦争という、国を二分する戦争が終わった後、その傷から立ち直ろうという思いも あって、こういう国家的な文化事業が盛んになったようです。 この自然史博物館の土地と建物はニューヨーク市から提供されまして、運営の資金はそ の市の財界人を始めとする市民からの寄付によって、まかなわれています。誕生後一世紀 の間に、資料収集の為の探検や調査、そして展示室の増築、こういったことが繰り返され て行きまして、やがて、世界最大の規模を誇る第一級の自然史博物館に成長していきます。 先程ちょっと紹介しましたが、映画の『ナイトミュージアム』の舞台になったところで す。この映画、ご覧になった方は、いらっしゃいますか?…要するに、展示物が夜になる と動き出す、っていう楽しいやつですね。だから、中にあるこんな小さい人形も、小さい まま、動き出したりして、とても楽しい映画でした。 この博物館、これは地下鉄からの入口なんですが、地下鉄の駅からすぐに入れるんです。 もちろん、地上からも行けますけれども。 私が行った時、ほんのちょっと早すぎて、この戸が開いてなかったんで、ガラス戸越し に中をのぞいたところです。 この博物館の呼び物は何と言っても、4 階の地質学展示室にあります、恐竜の化石でしょ うか。私が行った時も、親子連れのお母さんが子どもに「ほら、ここに恐竜があるわよ」 と、親の方の声がはずんで聞こえてきたのを覚えています。 17 こういう恐竜に関する資料、これはのちに 4 代目の館長になりましたオズボーンという 人が指導して、1897 年 1903 年の間に収集されています。 アメリカのワイオミング州のコモン峡谷というところで発掘された恐竜が 480 点以上あ りまして、それがこの博物館の恐竜コレクションの中心をなしています。 そして、この博物館の歴史の上でぜひ紹介しておきたい研究者が、二人います。 一人はこれ、テオドールと書きましたが、日本では普通、セオドア・ルーズベルトとい うふうに言うんでしょうか、ルーズベルト大統領ですね。この大統領の像がこの博物館の 入口のところ、セントラル・パークに面した正面玄関の前に立っています。自然科学者と しても非常に名高い人で、第 26 代大統領ですね。この博物館の資料収集や基金の設立など に多くの援助を与えた人です。 ここの入口を入りますと、すぐ中央のホールが、ルーズベルト・メモリアルと名付けら れています。ルーズベルト大統領の功績が描かれていて、自然科学者としては、アメリカ 探検をしたりなど、さまざまなことがありますし、大統領としては日本と深く関係するの は、日露戦争の時のポーツマス条約の締結の時に非常に力を発揮してくれました。これも、 映画の『ナイトミュージアム』の中では、馬に乗ったまま、活躍してくれる場面がありま した。 もうひとりが、カール・エークレーです。アフリカ各地を調査しまして、そこに生息す はくせい るさまざまな動物を捕獲したり収集して、それを剥製にしてですね、半永久的な標本とし て忠実に再現・保存するという方法、のちにエークレー法と呼ばれるんですけれども、そ れを考案した人です。 エークレーは探検家で優れたハンター、動物標本のコレクター、生態映画のカメラマン でもあるし、画家でもあり、彫刻家でもあり、剥製製作の技術者という博物館人という言 い方がされます。 彼の考案した剥製の作り方というのが、エークレー法と呼ばれています。動物を仕留め ます。そうするとまず、体の各部分を計測して数値化しておく。そして、皮を剥いで、皮 をなめす。その、計測した値によって動物のポーズを決めまして、粘土で彫刻を作る。そ の彫刻によって、型を作る。皮を貼り付けていくわけです。 この彫刻を作る時に、筋肉とか血管まで正確に造形していましたので、完成した剥製は まさに、生きているのと同様な姿に見えたようです。そのひとつひとつが、精巧で壮大な ジオラマの中で展開されております。 生きていたかのごとく見える動物たちが、当時の環境の中で、ジオラマの一場面ですけ れども、草や木、水の中でたたずむ。そういう様子。それから、背景の絵も、博物館専門 の画家によって克明に描写されたものであります。まさに、自然そのものを見るような感 動を与えてくれた。 18 この、エークレー法の名を取ったエークレーホールというのが、この博物館には、あり ます。2 階と 3 階が、吹き抜けになっていまして、写真は合成していますので、ちょっと食 い違うところがありますが、ご了承ください。 吹き抜けになったエークレーホールの中央部に、エークレーが 1920 年に東アフリカで捕 えた 8 頭の象がいます。あたかも、生きているように、群れをなしています。 その、エークレーホールのまわりの壁の中には、ジオラマが展開しています。 ちょっといくつか、今日では、こういった、剥製による動物のジオラマが、普通の展示 方法ですけれども、ここでは、非常に有名な古い段階にこんなのが作られました。 それから、ちょっと気分を変えまして、今度は、美術館です。 ニューヨークにある、グッゲンハイム美術館です。戦後の新しい形の美術館として、よ く取り上げられるものです。 アメリカの鉱山王と呼ばれるソロモン・M・グッゲンハイム。彼が、ビジネスの第一線か ら退いた後に、コレクションを始めまして、そのコレクションを維持する為の財団を作り、 そして美術館を作っていったわけです。 五番街の現在の場所に移ったのは 1949 年でして、この建物を設計したのが、フランク・ ロイド・ライト。ライトは昔の帝国ホテルの設計者というところで日本でもおなじみであ るんですけれども、そのライトの設計した建物です。 ただ、残念ながら、ライトが死んで半年たって、やっと、1959 年にこの建物ができ上が りました。 ちょうかんず ここは、丸いんですね。曲面になっています。これが大きな特徴で、鳥瞰図というか、 内部はこんなふうになってまして、ここがさっきの丸い部分です。この、ライトの設計は、 らせん状の構造をしていまして、中央部、ここは真ん中、吹き抜けになっています。 この美術館を訪れますと、まず、エレベーターで上まで上がりまして、それから、この ら せん 斜面を、…斜面というか、螺旋を降りながら、鑑賞していく。 そういう構造になっています。途中、ちょっと横に上がりますと、こちらにも、絵が展 くつがえ 示されたりしていますが、美術館施設の概念というのを根本から 覆 した、そういう建築物 として、ライトの代表作のひとつに数えられているものです。 ら せん 螺旋、というのは、みんなここのところ下から上へ歩いてますけれども、本当は、エレ ベーターで上に上がってから降りて来る。私が行った時には、この吹き抜けのところに何 だか良く分からないんですけども、こう、こんなものがぶら下がっていました。題名見て も、よくわかんないんですが、現代アートですから、わかる人はわかるんでしょう。 それから、次に…あまり時間がなくなって来ましたが、もうひとつ、最後に、ハワイ真 19 珠湾のアリゾナ メモリアルです。 アリゾナというのは、船の名前で戦艦アリゾナです。この、戦艦アリゾナは、日本軍の ハワイへの奇襲の時に、沈められます。 1941 年の 12 月 7 日、1177 名の船員たちが共に沈んでいきます。船と共に、今も沈んで います。この、アリゾナの上に、水没した戦艦をまたぐ形で、この記念館が建てられてい ます。 玄関、会合室、セレモニーと一般見学者用の中央部、それから、戦死した人々の名が刻 まれた部屋があります。これは、アイゼンハワー大統領の時に 1958 年にこの記念館の建設 が承認されまして、1962 年に開館しております。 この記念館に行く前、この記念館は海の上にありますので、そこに行く前、船で往復す るわけですけれども、この船の順番待ちというのが、結構、時間がかかりまして、その順 番待ちをしている間に、見学者センターに一種の博物館がありますので、展示を見ること ができます。 時間が来ると、船に誘導されるんですけれども、その前に、約 23 分間くらいのドキュメ ンタリー映画、まさにその、真珠湾の空襲の時の様子を映像でみせられまして、それから シャトルに乗って、記念館に行きます。 記念館からは、帰りにまた、シャトルボートで乗って来るわけです。 記念館の模型で、アリゾナが沈んでいまして、その上に建っています。 、かっての戦艦ア リゾナの雄姿。こちらのほうには、ここにトラトラトラとありますけれども、真珠湾の戦 いの様子が展示されております。 それから、魚雷とか、爆弾なんかの実物が置かれていたり、これは、その時の、日本軍 あ かぎ の主力空母の赤城ですね。航空母艦赤城、ここに「赤城って、なに?」という赤城に関す る Q&A がありまして、一番最初が「赤城って、どうして赤城と言うの?」と書いてあるん ですね。答えが、 「レッド・キャッスル」 。…ちょっと違うな(笑)。これは、山の名前ですか らね。でも、もしかしたら、この当時の人からすると、赤いお城のように見えたのかも知 れませんね。 アリゾナ メモリアルのとなりには、アメリカ軍に降伏をして、降伏文書に署名をした 船の戦艦ミズーリが、並べられて展示されております。 シャトルで着いて、中に入って来るのですが、中にも、今現在どこにいるのかという表 示がありますし、ここの奥、この三角形の奥の部屋の壁に、亡くなった人たちの名前が全 部、書かれていました。そこは、敬意を表したというか、遠慮して、写真は撮りませんで した。 これは上から見るアリゾナの船体。未だにこうやって油が浮き出て来ています。 20 第 2 次世界大戦というか、真珠湾攻撃の様子なんかも、先程の展示室に見られたんです が、戦争による被害というか、戦災による証拠を残しているんですけれども、展示室の表 現にしても、不意打ちをした日本軍は悪い奴だとか、そんなトーンのものは感じられませ んでした。 ここでの戦いというのを、かなり客観的に綴っているなぁ、という印象を受けて帰って 参りました。戦争というのは、実際のひとつひとつの戦いの場面というのは、そういうも のかも知れませんね。 以上、比較的最近、アメリカで見た博物館などを中心にお話しをしてみました。 どうも、ご清聴ありがとうございました。 (拍手) 司会:鷹野館長、どうもありがとうございました。…今日は、「アメリカの博物館」という ことで、アメリカの博物館の紹介をしていただきましたけれども、次回、3 月 19 日、ひと 月後になりますけど、今度は「日本の博物館の発達」ということで、日本の博物館の紹介 といったものをして頂くようになるかと思います。 また、ご来館いただきますよう、よろしくお願い致します。 今日は、どうもありがとうございました。 (拍手) 21
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