1ヨハネ 1:5-10 今日は光についてお話したいと思います。光とは何で

ジョセフ・トッティス牧師
1ヨハネ 1:5-10
今日は光についてお話したいと思います。光とは何でしょう?科学的説明によると、光
は電磁気による周波数をともなった放熱とあります。それは私たちが肉眼でみえる光の
ことです。
光には3つの特徴があります。
一つ目は、強度:光の明るさ
二つ目は、周波数:光の振動数
三つ目は、偏光:発散する光の角度です。
光は何よりも早く伝わり、秒速約30万kmのスピードで伝わることはよく知られていま
す。光の正確な性質については、現代物理学では答えることのできない疑問のひとつで
す。科学者たちは光を作り出し、分析し、使用しますが、光がどのようにして存在する
ようになったのかは誰もしりません。しかし、神さまを信じるものは光がどのようにし
て作られたか知っています。神さまは簡単な命令によって作られたのです。
創世記 1:3 神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
イエスさまの使徒ヨハネはこのように言っています。「神は光であって神のうちには暗
いところが少しもない。」
1ヨハネ 1:5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たち
がキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
この真実により神の人格に関して多くのことを表してくれます。神様の特性のすべての
範囲をカバーするわけではありませんが、それは神様について私たちに多くを教えてく
れます。光は神の栄光、輝き、美しさ、奇跡、純潔、そして神聖をあらわします。光は
暗闇を照らします。
詩
119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せ
から迷い出ないようにしてください。
イエスさまは言われた。
ヨハネ 12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中に
とどまることのないためです。
ヨハネ 8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに
従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
悲しいことに、暗闇の中に留まって人々がいます。彼らは光が大嫌いなのです。
ヨハネ 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって
世が救われるためである。
ヨハネ 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じ
なかったので、すでにさばかれている。
ヨハネ 3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よ
りもやみを愛した。その行いが悪かったからである。
ヨハネ 3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れ
て、光のほうに来ない。
それは’霊的なゴキブリ’のようなものです。ゴキブリは光が大嫌いなのです。それは私
たちの罪、欠点、不純さが光の中でさらけだされるからです。聖書は一貫して、神を
光、罪を暗闇、として対比しています。 しかし、ここに別の意味での対比もあります。
それは口にだして言うことと、実際に実行することとの対比です。
1ヨハネ 1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩
んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
言うなれば私たちのクリスチャン生活は単に’口で言い表す’以上のものであることは明
らかです。というのは、もし私たちが罪の中で生き続ければ、私たちの生活と口で言う
こととは矛盾していることになり、私たちを偽善者にしてしまっています。古い格言で
言われているように’口先だけでなく行動で示す。有言実行‘言い換えれば言うのは簡単
なのです!行動を起こすことは言葉より大きな力を持ちます。 中には「でも私はイエ
スさまとつながっているから」と言う人もいるかもしれません。しかしあなたは毎晩
酔っ払っているでしょう?また、「私はイエスさまと共に歩みます。」というかもしれ
ません。でもあなたはエロ本中毒でしょう?
1ヨハネ 1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩
んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
これらは明らかに矛盾しています。しかし、私たちが疑い、恐れ、落ち込み、不安感に
襲われた時はどうでしょう。これらは暗闇それとも光どちらに属するものでしょう?
きっと暗闇の方でしょう。そしてサタンは私たちにその暗闇の中に留まっていてほしい
のです!私たちはしばしば自分が暗闇を歩いているに気づきます。顔つき、振舞い、態
度によりそれらは明らかにされます。中には笑い方を忘れてしまった人さえいます。暗
闇がその人たちを圧倒してしまったのです。 私たちは生きていると、悲しいかった
り、落ち込んだり、孤独だったり、不安だったり、病気たっだり、疲れていたりするよ
うな時があります。でもそれは毎日?何週間も?何ヶ月も?何年も続きますか?どのく
らいあなたは暗闇の中を歩みつづけるつもりですか?かつて私はある病院を訪問したこ
とがあります。そのことは決して忘れることができません。ある年配の女性が死を目前
にしていました。実際、彼女はまさにその翌日亡くなりました。彼女は苦痛のため、話
すことができませんでした。しかし、あなたはイエス様を知っていますか、と私たちが
尋ねると、突然彼女の目が開き微笑みました。彼女は、体中の力を振り絞って、天を見
上げ、両腕を挙げました。その後すぐに彼女は神さまの栄光の中にいたのです!私たち
はこのような信仰を持っているでしょうか?問題の真っただ中にあってもそうでしょう
か。 問題の向こう側に見える神の栄光に目を向け、喜びをもって手を挙げることがで
きるでしょうか。 私はこのような信仰がほしいです!私たちを暗闇にとどめてしまう
のは、大きな罪だけではありません。私たちの人生観や試練に対する姿勢も、私たちを
暗闇にとどめてしまう危険性があります。暗闇と光は同じ場所には存在しえません。も
し私たちが光の中を歩むなら、暗闇は去っていきます。もし私たちが試みにまけて罪の
中を生きるなら、光は消えてなくなってしまうでしょう。すると、キリストの証も消え
るのです。キリストを信じていない人たちは私たちの生活を見ています。そのような人
たちは私たちが持っているものを欲しがるでしょうか?私は、日々悪戦苦闘している罪
や試練について話しているのではありません。私は先週私たちが学んだことについて話
しているのです。試練の真っ只中にいるときも、不面目なときも、私たちは赦されてい
るという喜びを持っているクリスチャンの姿を人々は見るでしょうか。それとも、人生
をうらみ、みじめで落ち込んだクリスチャンを見ることになるでしょうか。イエスさま
はおっしゃいました。
マタイ 5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良
い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
でも、ジョセフ、私は試練の暗闇にすっかり圧倒されてしまって、私にはもう光がな
い!とあなたは思うかもしれません。そう、月も光を発していないのです!しかしたし
かに月は暗闇の中でも明るく輝いています。どうしてでしょうか?太陽の光が月に反射
しているからです。私たちもクリスチャンとして、地球上の暗闇に御子の光をうつし出
す存在であるべきです。暗闇の中を歩む人々は、月に反射している太陽の光が見えない
時はいつでしょうか。この世が邪魔になる時です。この世とこの世に存在するすべての
ものを取り除けばよいのです。マーク・トゥエインはこのように言っています。’人は皆
月であり、人には決して見せない暗い面がある。’と。まさにそのとおりです。私たち
の罪、試練、私たちを飲み込もうとしたがるもの、そしてキリストの光から遠ざけようとす
る、そのようなものはいつも存在します。でもそれらは私たちの前にありますか?それ
とも後ろにありますか?イエスはご自身の輝きをもって、私たちの前にある暗闇を消し
去りたいとのぞんでおられます。
2コリント 4:6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照ら
し、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
1ヨハネ 1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいる
なら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめ
ます。
新約聖書では、クリスチャンの生活を’歩み’とよんでいます。この歩みは救い主イエ
ス・キリストの光に向かって信仰を一歩踏み出すことからはじまります。最初にも言い
ましたが、’口先だけでなく行動で示す。有言実行‘このことは、心に罪を抱いたり聖霊
に反抗したりすることなく神さまに従順に従って歩んでいく事を意味しています。私た
ちはこの世の人生において、完全に罪のない状態になることは不可能だとわかっていま
す。しかし、光の中を歩めは歩むほど、私たちの罪はあばかれ、そしてだんだん罪を犯
すことがなくなり、完全なものとされるのです。きいてください。
1ヨハネ 1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいる
なら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめ
ます。
私たちがキリストとともに歩むとき私たちはお互いにフェローシップをもつことになりま
す。このことは大切なことです。もし私たちが神と共にあって互いにフェローシップを
もたないなら、本当にまたは完全に光の中を歩んでいないからだということになりま
す。神と正しい関係にある二人のクリスチャンは、その二人の関係も自然と正しいもの
とされるでしょう。何か問題があっても、悪いのはいつも相手だと思いがちです。それ
は自分は決して間違ってないのです!そうでしょう?ちょっと思い出してみてくださ
い。私達が誰かに対して指をさすとき、残りの3本指は自分の方に向けられているので
す。そう。おそらく彼らは何か間違ったことをしたのです。では私たちはどうでしょ
う?私たちはどうするでしょうか? ちょっと考えてみてください。これについては2
章でもっと詳しくお話します。
1ヨハネ 1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいる
なら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめ
ます。
’ すべての罪から私たちをきよめます。’という個所でヨハネが使ったギリシャ語は未来
形ではなく現在形です。よって光の中を歩むとき、私たちはイエス様に絶え間なく清め
られるという喜びを感じます。私たちは絶え間なく清められる必要があります。なぜな
ら聖書に人間は常に罪を犯し、神様の栄光を受けられなくなっていると書かれているか
らです。私たちはいつの日か清められる、といった単なる希望以上のことができます。
なぜならイエスさまが私のために十字架にかかってくださったために、私は今清められ
ることが可能だからです。イエスさまの血によって私達の罪をあがなわれることによっ
てのみ、私達は神様とのフェローシップをもつことができます。
1ヨハネ 1:8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちの
うちにありません。
ヨハネが生きていた時代に、罪だどないと言ったのはどうのような人たちだったでしょ
うか?グノーシス主義者です。彼らのふしだらな生き方は罪ではないと彼らは言いまし
た。その生き方は真の霊の姿ではないからだと言うのです。すでに邪悪で堕落した肉体
だけのことだと言うわけです。今日でもこのように言う人はいます。’あなたが間違って
いると思うことでも私にとってはそうではない’とか、または、’絶対的なものは存在し
ません。’’私は完全ではないかもしれませんが、他の人たちよりはずっといい状態にあ
ります。’私は絶対に罪びとではありません。私は一度も犯罪で捕まったことはありま
せん。しかしヨハネは言いました。
1ヨハネ 1:10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするので
す。神のみことばは私たちのうちにありません。
自分には罪がないと主張し続けて、その嘘を信じ、自分自身をだますのは、神さまを嘘
つき呼ばわりしていることになります。
ローマ 3:4たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。 ローマ 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
これは場所や文化は異なったとしても誰にもあてはまることです。例外はありません。
でも、がっかりしないでください!
ローマ 6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリス
ト・イエスにある永遠のいのちです。
1ヨハネ 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
罪を告白するとはどういうことでしょうか?
’告白する' という言葉は次のギリシャ語を起源としています。
3670「ホモロジオ」’同じことを言う’または’同意する’という意味です。
私たちも神様がおっしゃることと同じことを言うべきです。
私たちがしたことは罪であると神様がみことばで言われるなら、私たちは神様の側から
物事を見なければなりません。またこのようにも言います。’神さま、あなたは正し
い。そう思います。それは罪です。‘
これが私たち罪を告白するということです。なぜそれをしたのか自分のしたことを正当
化するかわりに、単にそのことを悔い改めなさい!そうです!簡単なことです!私たち
が罪を告白した時、ようやく罪から離れられるということです。つまり、神様がお
しゃったことと同じ事を言うということです。罪の告白は私たちを父なる神様のもとに
連れ戻してくださいます。それだけ?私が言わなければならないのはそれだけ?そう。
それだけです!
神様のすばらしい恵みです!
ローマ 6:1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは
罪の中にとどまるべきでしょうか。
ローマ 6:2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、な
おもその中に生きていられるでしょう。
もう問題はおわかりでしょう。罪には必ず悪影響があります。そう。あなたは赦された
のです。でも、あなたの罪に対する悪影響は残ります。
ガラテヤ 6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人
は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
ガラテヤ 6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者
は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
主に罪の告白をするからです。それは私達の犯した罪のもたらした結果を避けようとい
う意味ではありません。
民数記 32:23 しかし、もしそのようにしないなら、今や、あなたがたは【主】に対して
罪を犯したのだ。あなたがたの罪の罰があることを思い知りなさい。
後々になって、罪のもたらす悪影響に一生苦しむことになるかもしれません。 が、 しっぺ返しもりももっとすごいことがあります。罪は私たちの愛と神への献身について
どのように言っていますか? 1ヨハネ 1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
見てください。’すべて’の悪と言っています。あなたがたがどのくらい汚れていてしみ
がついていようとかまいません。イエスさまの血があなたたちの罪をすべて洗い流して
くださいます。何が私の罪を洗い流してくれるか?イエスさまの血以外にはありませ
ん!
イザヤ 1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう」と【主】は仰せられる。「たとい、あなた
がたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。
過去にどれほど汚れていてしみがついていようとかまいません。
あなたの未来は汚れなしです!まだ将来を台無しにはしていないのです!
そうならないで済むのです!ここにあと3つおぼえていただきたい聖書箇所をご紹介し
ます。
ミカ 7:19 もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の
深みに投げ入れてください。
詩
103:12 東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く
離される。
哀歌 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。主のあわれみは尽き
ないからだ。
哀歌 3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
神様は誠実な方です!!!たとえ私たちが不実であっても!神さまの約束の言葉をおぼ
えていておいてください!
’霊的なゴキブリ’になってはいけません。’主が光の中にいらっしゃるように、光の中を
歩みましょう’イエスさまがご自分の血で私たちの罪を洗い流してくださったことによ
り私たちを自由にしてくださった、神様のすばらしい
栄光を受けましょう
では共に祈りましょう!