平成 17 年度卒業論文 国際統合と教育 —欧州連合の教育政策を手がかりに— 富山大学 人文学部国際文化学科 比較社会論コース 4 年 学籍番号 0110020117 荻原 大輔 目次 はじめに……………………………………………………………………………………………...1 序論…………………………………………………………………………………………………...2 第1章 国際統合……………………………………………………………………………………5 第1節 国際関係論における「統合」の位置づけ………………………………………………5 第2節 国際統合に関する諸学説………………………………………………………………7 第2章 欧州連合(the European Union ; EU)………………………………………………...16 第1節 EU の機構……………………………………………………………………………...18 第2節 EU の歴史的経緯……………………………………………………………………...19 第3節 EU を支える思想……………………………………………………………………...30 第3章 EU の教育政策…………………………………………………………………………...32 第1節 EU における教育政策の位置づけ…………………………………………………..32 第2節 EU の教育政策史……………………………………………………………………...33 第3節 補完性の原理………………………………………………………………………….35 第4節 教育政策の現状と諸計画…………………………………………………………….36 第4章 統合と教育……………………………………………………………………………….44 第1節 共同体におけるアイデンティティの必要性……………………………………….45 第2節 EU のアイデンティティ状況………………………………………………………..48 第3節 教育によるアイデンティティ形成………………………………………………….51 第4節 アイデンティティ形成の具体的手法……………………………………………….52 第5節 EU の教育政策とアイデンティティ………………………………………………...53 第6節 教育と統合の結びつき……………………………………………………………….56 結論………………………………………………………………………………………………….58 おわりに…………………………………………………………………………………………….60 参考文献…………………………………………………………………………………………….61 要旨 本論文の目的は、統合と教育の関係性を、欧州統合の教育政策を事例に明らかにするこ とである。その前提として、まず統合とは何かについて国際関係論の中での統合のユニー クさや特徴を明確にし、また統合理論自体でもその内容は論者によって大きく異なること から統合理論を概観する。次に、研究対象である EU について基礎情報、歴史的経緯、EU の思想的背景をみることにする。これを踏まえた上で、教育、本論文では EU の教育政策 をくわしく取り上げる。まず EU における教育政策の位置づけを明確にした上で教育政策 史、そしてその現状を確認する。その中でも、特に現状の教育政策の個別プログラムを中 心にみていく。そこからどう教育政策が変遷し、それぞれがどのように関連しているかを 明示する。 以上の調査をうけて、本論文の考察を行なう。方法としては、まず仮説を提示し、その 検証を行なうことで目的であった「統合と教育の関係性」を明らかにできると考えている。 そこで、キーワードとなるのがアイデンティティである。アイデンティティという概念を 仲介して統合と教育の関係性を導き出そうとするのが、この論文の核となる部分だ。教育 がアイデンティティとどう関わり、またアイデンティティと統合がどのような関係にある のかを把握することで、その先にある「統合と教育の関係性」がみえてくる。 はじめに 「European」と「non-European」。これは、アイルランド・ダブリン国際空港の入国ゲ ートの表示である。私がはじめて欧州連合(the European Union;以下、EU とする。)を 感じた瞬間は、空港だった。この EU 構成国の国籍をもつ人々はただ入国管理官に身分証 明書を提示するだけである。一方、わたし、つまり EU 構成国国民ではない人は多くの質 問、証明写真の撮影、そして 1 ヶ月以内に移民局に在留届けを提出せよ、という命令をう けた。EU 域内の人の自由な国際移動を目の前で見たことに衝撃をうけたことを今でもはっ きり覚えている。 現在、世界の多くの国々や地域で国際的な統合の動きが活発に行われている。アジアで も国同士が一つのグループをつくって積極的に協力する環境ができつつある。しかし、な んといっても EU はその先駆的な事例として見逃すわけにいかないだろう。戦後まもなく 軍事同盟という形ではなく、また日本の江戸時代のような特定の藩が他の藩をその強力な 力によって支配するような体制でもない新たな共同体形成の動きがヨーロッパで起こった。 それはヨーロッパ各国が国民国家がそれだけでは戦争という最悪の状況を未然に防止する のに力不足だということを認識した結果であった。戦争から学んだ新たな試みへの挑戦が EU なのである。 その EU は多くの問題をはらみつつも共通の政策を打ち出してきている。その中でも私 がもっとも驚いた政策は「教育政策」である。その政策の存在を知ったのが、アイルラン ド留学中にちょうど同じ学校で出会ったイタリア人のヴァンニ(Vanni Scandelli)さんで あった。彼はイタリアの公立学校で英語の教師として働いているのだが、実際に EU の教 育政策に関与し、イタリアでの EU の教育政策を推進していく立場にあることを教えてく れた。そのとき、ひとつの疑問が出てきた。教育というものは各国の独自性が追及される 分野であり、政治的な関心が高い分野である。しかし、その分野に EU が共通の政策を行 っていくことに対して何らかの反発はなかったのだろうか。そもそも同じ政策を加盟各国 が取り入れることなど可能なのだろうかと、とても不思議に感じた。 1 序論 現在、世界の多くの地域で国民国家を主体とした地域統合が進展している。例えば NAFTA(北米自由貿易地域)はアメリカとカナダの間では国際的な自由移動が保障され、 また関税も撤廃されている。他にも ASEAN(東南アジア諸国連合)もアジア各国で集団を 形成することで各国の利益の増進を目指しているし、そこに+3 として日本、韓国、中国が 加わって共同体形成の議論も始まっている。しかし、そういう地域統合のさきがけとして EU(欧州連合)の事例を抜きに考えることはできない。EU の特殊性は指摘が多いところ だが、EU の事例をもとに国際関係論における国際統合論が発展をみてきた背景があるのも 事実である。その理論が停滞化している現実はあるものの、それに一般性をもたせ、他の 事例にも理論的応用が可能となる思想、力学があるとすれば、EU の事例が果たした役割は 大きいであろう。そして、現実として EU は全加盟国で効力をもつ共通の政策を実行に移 している。歴史的に EU はその存在そのものが危機に瀕している時期はあったものの経済 的統合ばかりでなく、部分的ではあるが政治的・軍事的統合も達成してきている。その EU が次に取り組み始めたのは文化的統合である。主に、それは教育政策に代表されるもので あるが、一見これは多くの問題をはらんでいるように見え、また各国政府の反発が簡単に 予想できる分野である。なぜならば、教育は各国にとって国民統合を行う上で非常に大き な役割をもっているからである。このように政治的関心がとても高い分野に関して、国民 国家の主権を一部移譲して成立している EU という主体が主導の共通の政策など本当に実 現可能なのだろうかという純粋な疑問がでてくる。そして、それが可能ならばどのような 理論の上で成り立ち、どのような効果を期待されて行なわれているのであろうか。 そこで、この論文では「統合」という現象を「教育」という側面から切り取って考えて みることにする。具体的には、統合と教育の関係性を明らかにしていこうとするのがこの 論文の目的である。本論文では欧州連合を「統合」の事例として取り上げ、 「教育分野」と して EU の行っている共通教育政策を具体的に研究する。 本論文が対象とするのは EU(the European Union:欧州連合)である。EU は 1992 年 2 月 7 日に調印され、93 年 11 月 1 日に発効された欧州連合条約(別名、マーストリヒト条 約)によって誕生した国際機構である。 それ以前は EC(欧州共同体)と呼ばれていた。EC も英語で書くとわかるように“the European Communities”と複数の共同体からなっている。1950 年 5 月 9 日に発表された シューマン・プランから、51 年 4 月 18 日に署名されたパリ条約に基づく ECSC(欧州石 炭鉄鋼共同体)、57 年 3 月 25 日に調印されたローマ条約によって誕生した EEC(欧州経済 共同体)と EAEC(欧州原子力共同体、別名、ユーラトム)の三つの組織がある。この三 2 つの共同体の決定機関と執行機関が統一され、それぞれ単一の委員会と理事会となった 67 年 7 月 1 日以後 EC と呼ばれてきたのである。 研究対象は、EU そのものの他に EU を国際関係論・国際統合論の中でとらえるための主 な学説、EU の行っている共通教育政策である。 それでは、なぜ EU を事例として取上げるのかといえば、第 1 の理由として統合をすす めることで不戦共同体の構築に成功したからである。EU は国家間の問題解決にあたって、 従来までの軍事力ではなく平和的な手段を用いることを決まりとし、それがヨーロッパに 戦争のない状態をもたらすことになった。これは二度の世界大戦を経験しているヨーロッ パにとってとても重要なことである。 第 2 の理由は、EU が今までの国民国家システムに対して、国家を超える新しい政治シス テムを試しているからだ。国民国家システムはウエストファリア条約以降、まずヨーロッ パにおいて展開された。その発祥の地で問題解決のために国民国家の主権を制限し、超国 家的な機関を創ろうとしている。 第 3 の理由は、北米、南米、東南アジア、アジア・太平洋、アフリカなど世界各地で地 域的な協力の動きが活発になっており、その際 EU の歴史的形成過程は先駆者として参考 にされているからだ。EU は自由貿易地域、関税同盟、あらゆるものの自由な国際移動、共 通政策など今まで例をみないことを達成してきている。 第 4 の理由は、これがもっとも重要なのだが、EU とその恩恵を受けている人々に直接会 い、実感として筆者自身で EU を感じとってきたからだ。対象との距離が縮まったともい える。空港での出入国管理や滞在ビザ、自動車免許、保健医療分野においてまで EU 構成 国国民はその恩恵をうけることができる。非構成国民はそうではない。もちろん EU によ る弊害も生まれてきているし、EU そのものに反対を唱える人も少なくない。しかし、EU の政策を一人ひとりが有効に活用することができれば、それは人々の成長にとってとても 大きな意味があるのではないだろうか。実際に本当に EU がもたらす利益を人々が享受し ているのだろうか、不利益を被っている人々はいないのだろうか、もし享受しているなら ば具体的にはどのような事であるのか、その利益がどう人々に影響し、またどう EU に影 響を及ぼし合っているのかという興味がこの論文執筆の土台となっている。 次に教育政策を取上げる理由だが、教育はすべての人が受けるものであるため、その影 響力は大きいものである。また、教育は各国独自の文化、伝統、習慣など自国民の意識を つくり出すという大きな役割をもっている。この各国独自性が強調されるべき教育という 分野について、それが国民国家の単位を超えた EU という組織の新たな価値観を元にすす められる政策とどのようにかかわっていくのかとても興味がある。そして、実際に EU が どのようなことを目的に教育政策を行ない、どのような意図があるのか知りたいというの 3 が、一番の動機である。 以上をふまえて、本論文を 4 つの章と結論から構成する。第 1 章は「統合とはなにか」 を二つの側面から定義づけ、その上で EU の位置づけを考える。まず国際政治学における 「統合」の位置づけを行う。次に国際統合に関する学説を分類し、それぞれの視点を明ら かにする。以上より EU とは国際政治学にとって、国際統合論にとってどのような立場に あるのかを明示する。第 2 章は「欧州連合とはなにか」を概略的に明らかにする。基本情 報、歴史的経緯、EU の基礎となる思想から EU がどのような歩みをしてきたのか、そして 現状について確認する。第 3 章は「教育政策について」、それがどう EU で位置づけられ、 どのような歴史的歩みをし、どのような政策が行われてきているのかを明らかにする。第 4 章は 3 章までをふまえて仮説を提示し、それを検証することで教育と統合の関係性を検討 する。教育政策によって何がもたらされ、それがどう統合と関係するのか、ということを 明らかにすることで教育と統合の関係がみえてくると考えている。 本論文は文献調査を中心にすすめる。また最新の情報や条文など詳細については EU の 諸機関、欧州委員会などのホームページを適宜利用する。 4 第1章 国際統合 第1節 国際関係論における「統合」の位置づけ 国際統合とはどのようなものであるのか。いくつかの視点からこの疑問を考えることが できるが、まず国際関係論という視点から国際統合の特殊性を探ってみることにする。 国際統合において重要な点は、国々が自分たちのもっている主権をある程度制限して国 同士のグループ・共同体をつくりあげることにある。言い換えれば、主権国家から構成さ れる「国民国家体系」がいかにして新たな脱国家的ないし超国家的な政治体系に変更が可 能であるかをその目的としている。国際関係論では依然として国という主体が最も力をも つ存在であり、その国々が地球上に個々に存在し、互いに影響を与え合っている状態を国 民国家体系と呼んでいる。 では、国際統合が変革・変容を求めるその国民国家体系とはなにか。国際システムを構成 する行動の主体を国民国家とみなすことができる。その主体は四つの条件を満たしている。 ・その存在が明確に識別できること ・国際的な舞台で決定し行動する一定の自由を持っていること ・他の行動主体と相互作用をし、その行動に影響を与え得ること ・一定の期間にわたって存続すること 一般に人類史の最近の段階においては、国家(state)とくに国民国家(nation state)が 人間の社会生活の最も重要な単位になっている。このような近代国家の形成はまず、西ヨ ーロッパにおいて展開し、やがて地球の他の部分にもそれが拡がっていったと考えること ができる。そして、その過程において国際社会には多少の変化があったにしても国際関係 は一貫して国家、特に国民国家を基本的な行動単位とする相互作用関係としてとらえられ ている。そのような意味で、最近三世紀あまりの間の国際関係をひとつの歴史的まとまり を持った対象として取り扱い、それを一般には西欧的国家システム、または国民国家シス テムと呼んでいる1 。 そして、この国民国家が持つ一つの特徴は勢力均衡という考え方である。これは三者以 上の国家あるいは国家のグループが状況に応じて同盟を結ぶことで、勢力を増している 国・グループに対して対抗することが可能となるシステムである。そして、いったん状況 が変化するとその同盟は解消され、新たに同盟を組み直すということも起きるのだ。しか し、これとは別の勢力均衡状態があらわれるのが第一次世界大戦前である。この場合、主 体は三者以上存在せず、二者のみでの均衡を保とうとする。そしてお互いに均衡を達成す 1 衛藤瀋吉・渡辺昭夫・公文俊平・平野健一郎『国際関係論 第二版』東京大学出版会、1997 年、 34-35 ページ。 5 るためという言い分のもと常に勢力の拡大をし、この勢力拡張競争をやめることができな くなってしまう。この二者対立の勢力均衡の状態は最終的に第一次世界大戦のような悲劇 にいきつくことになった 2。 もうひとつ重要な特徴は、各国がそれぞれもつ国力(パワー)の概念である。ここで国 力とは、ある主体が他の主体に働きかけて自己にとって望ましい行動を他者にとらせるか、 自己にとって望ましくない行動をとらせないような能力である3と定義する。国民国家シス テムおいて主権の絶対が原則とされ、各国が独自に目的とそのための手段を選ぶことがで きる。しかし、国家がさまざまな目的を対外的行動を通してどこまで達成できるかはまず その国家のもつパワーによっている。つまり、パワーを持つことこそが国益追求の最も重 要な要素であるのだ。 では、国民国家システムと統合とがどのような点で異なっているのだろうか。 一つ目として「主権の共有」である。 戦後、植民地支配から脱したアジア、アフリカ諸国は、国として独立することを望んだ。 それは主権を得ることを望んだといってもよいだろう。しかし、ヨーロッパ各国はあえて その主権の絶対性を一部放棄することをし始めたのだ。主権を一部、国家以外の主体に委 譲(放棄ととれる)することで共同体を作り出そうとした。実際に、法律を設け各国が独 自の国益のみを追求するのではなく、共同体の利益を追求することを目的に行動すること もある。これは国民国家システムにおいてはみられなかった現象である。 二つ目として「平和的手段の確立」がある。 紛争や衝突が発生した場合、国民国家システムにおいては軍事力というパワーを使うこ とで問題を解決してきた。パワーポリティクスが普遍的な体系として働き、軍事力による 脅しが常時存在する体系としてとらえられていた。この状態では外交の協調、調整よりも 対立や紛争が、安定よりも不安定が、そして最後には戦争や危機が生じてしまうのである。 これらを避けるためにパワーポリティクスの世界では、一国による覇権的秩序阻止のため、 「力の均衡」体系がとられていた。つまり、国民国家体系において争いや戦争の未然防止 の手段は国々の間で存在しなかったのだ。しかし、ヨーロッパ各国は統合という手段を用 いて話し合いや調整など平和的手段を用いることをルールとした。争いによって犠牲者を なくす方法がここに確立されたのだ。 三つ目として「相互不信の解消」である。 国家は対外諸国の行動を正確に知ることはできない。しかし、これは従来までの国民国 2 3 百瀬宏『国際関係学』東京大学出版会、1994 年、73-79 ページ。 衛藤他、前掲書、59 ページ。 6 家システムの場合である。ヨーロッパのように共同体をつくりあげることでその中で国同 士のより多くの接触が生まれ、また相手国との依存関係も深まることでそこに住む人々の 間に他者理解がすすみ、また政府レベルでは相手国との協調や行動を予測することがより 簡単にできるようになった。これによって相手が未知の対象としてではなく、よくお互い が知り合っているという状態になり不用意な不安や準備が控えられるようになるのだ。 以上、三点が統合と国民国家システムの違いである。統合は国際関係で戦争や緊張が起 きる原因を諸国家がばらばらに存在することとした。そして、その国際関係に新たな平和 的秩序をつくろうと既存の国民国家とは異なる共同体を新設することで国家システムを変 更し、最終的には現在の国際政治の構造をよりよきものに変えていくことができることを 目的としている。国際統合は統合現象の政治過程をとおして国民国家システムではなく新 たな国と国の関係をつくることで、国際社会に「戦争の非制度化」を実現しようとする試 みであるのだ。 第2節 国際統合に関する諸学説 戦後の国際政治における顕著な一つの傾向は諸国家の地域統合である。この地域統合は 特に EU の成立にみるように 1950 年代以降のヨーロッパにおいて著しい。このような地域 統合の顕著化に伴い、国際政治学の分野ではその特異な政治現象に対し理論的な検討を加 えようとする試みが主にアメリカの国際政治学者によって行われてきた。しかし、さまざ まな学説が唱えられ「国際関係における統合とはなにか」、「統合と国家の関係をどのよう に把握すべきか」といった統合理論の基本的な課題をめぐって展開、対立している4。まず これらの基本的な課題をふまえることが、国際統合に関する研究の出発点となるだろう。 第一に「国際統合とはなにか」についてどのような学説が存在し、どのように対立してい るかをみる。第二に国際統合と国家の関係をめぐる学説の論争点を明らかする。 1 国際統合と国際統合理論 はじめに国際統合と国際統合理論の発展の歴史についてだが、統合理論は国際政治学の 分野では比較的新しいものである。その国際統合理論の新しさがどこにあるかといえば、 主権国家から構成される「国民国家体系」がいかにして新たな脱国家的ないし超国家的な 政治体系に変更が可能であるのか、「国民国家体系」の変更・変革を目指す理論であるとい 4 鴨武彦『国際統合理論の研究』早稲田大学出版会、1985 年、1-2 ページ 7 ってよい5。統合理論は 1951 年のヨーロッパにおける ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)から ECC(欧州経済共同体)の成立を有力な国際統合化の現象として捉え、主にアメリカの国 際政治学者の間で発展をみた。しかし、1970 年代以降は理論の深刻な停滞化を招いている。 その理由はいくつかあるのだが、まず統合理論が現実の EU の発展現象と合致してこなか ったことがあげられる。また統合理論が EU のみをその対象として捉え、研究をしてきた がために他の統合現象にその理論を一般化することができなくってしまったことなども停 滞化しているといわれるゆえんである。 しかし、統合理論が決して学問的価値のないものになったわけではない。それは統合理 論が二つの重要な理論的関心をもっていたことによる。一つ目は 「なぜ国々や人々は、「国民国家体系」の枠組みの変更を期待し、変革に力を貸そう としているのか。言い換えれば、国民国家体系を変容せしめることの理論の根拠は なにか。」 ということである。この問いに対する答えを簡単いえば「統合現象の政治過程をとおして 国際社会に新たに「戦争の非制度化」を実現したいからに他ならない」といえる。国家間、 国際社会に生ずるさまざまな紛争を、しかも暴力的な紛争をいかにして、現代の国際政治 において軍事力の強制性(=「脅しの体系」)を伴わずに平和的に解決し解消できるのか、 といった重要課題が「国民国家体系」の枠組みを支えるダイナミズムの変更および変革を 必要とするという考え方と密接につながってこざるを得ないといった思想の命題にこそ、 その根拠がある。それは「戦争の非制度化」を是非とも可能にすべきであるとの理論的関 心である6。 二つ目は 「「戦争の非制度化」がどのようにして実現可能なのか」 ということである。統合はどのようにして国家主権を乗り越えることができるのか。その 際、統合理論は国家が「制度としての主権」(ex:国家の対外政策決定権)ばかりでなく、 「機能としての主権」 (ex:対外政策の自律化)をどのように超えていけるのか、統合過程 における国々の行動様式の変化に何よりも光を当てるのでなければならない。統合研究で は「制度しての主権」の侵蝕過程と「機能としての主権」の侵蝕過程とを理論的に区別し て考えることが重要である7。統合理論は国民国家の行動そのもののみを対象としているの ではなく、その行動させる意識についてもその範疇としている点に関して評価されるのだ。 5 6 7 有賀貞・宇野重昭・木戸蓊・山本吉宣・渡辺昭夫『講座国際政治 3 現代世界の分離と統合』1989 年、 15 ページ。 同上、17 ページ。 同上、18-19 ページ。 8 2 「国際統合」の意味に関して-過程説と条件説 統合理論の発展とその意義は先に見たとおりだが、次にその統合理論の中身を詳しくみ ていくことにする。国際統合とはなにかということをめぐって二つの学説がある。一つは 国際統合を「過程」として捉える考え方だ。二つは国際統合を「条件」として捉える学説 である。現在までのところ、国際統合を「過程」として捉える考え方が多数を占めている。 そこでまず「過程説」をみることにする。以下は鴨武彦『国際統合理論の研究』をもとに、 鴨先生の分類を参考にしながら統合に関する諸学説を概観し、それらが基本的な課題をめ ぐってどのように対立しているかを明らかにする。 2-1 過程説 過程説の代表的な研究者は E・B・ハース(Ernst B Hass)である。ハースによると「統 合」とは 「個々の国家の政治行為者が彼らの忠誠心、期待および政治活動を新たな 中枢に移転するよう説得せしめられる過程」 としている。ここでいう新たな中枢とは「既存の諸国家に優位する政治共同体であり、既 存の国民国家に対し管轄権を保有するか、あるいは要求する」ものである。つまりハース は、「統合を、政治共同体という条件を国民国家間で達成する過程」として考えている。 またハースの考えではこの過程においてその特徴を三つあげている。 1)スピルオーバー過程:ひとつの分野で開始された統合が他の分野に機能 的に波及すること 2)政治化過程 :統合に参加する主体がはじめは技術的・非論争的 分野で統合を完成させ、次第に共通の利益を増やす ために政治共同体に多くの権威を委譲していくこと 3)紛争解消過程 :統合は、種々の利害の対立を平和的に解消していく 性格をもつものであること 以上が過程説の代表的研究者ハースの見解である。この過程説を支持する研究者には他 にもシュミッター、L・N・リンドバーグ、J・S・ナイ、K・W・ドイッチュ、K・カイザ ーなどがいる。しかし、このうち過程説は支持しつつも具体的内容に関しては一致してい ない研究者もいる。そこで、次にそれぞれの研究者たちの立場の違いを明らかにしていく。 2-1-1 リンドバーグ リンドバーグによると「統合」とは 9 「各国家の政治行為者が彼らの期待と活動を新たな中枢に移転せしめるよ う説得される過程」であり、 「諸国家が互いに独立して対外政策および重 要な対内政策を遂行する願望と能力を放棄し、その代わりに共同決定 をするか、それとも新たな中枢機関に決定作成過程を委譲するかのい ずれかを行う過程」 としている。 では、ハースとどこが異なっているのだろうか。二つある。一つは「忠誠心の欠落」で ある。リンドバーグは忠誠心は、政治的期待、活動などの結果として二次的に起こるもの としている。そして、二つには「集団的意思決定方式」についてである。リンドバーグは 意思決定方式を委譲型と共有型に分け、いずれの方式も統合の過程で可能としている。し かし、ハースの場合は委譲型しか認められていない。それは共同体が国民国家に対して直 轄権をもっているために共有型は実現できないからである。 2-1-2 ナイ ナイも過程説を支持するが、ハースとは見解が異なる。ナイはスピルオーバー過程、政 治化過程を批判している。この批判とはそれらの過程が意識的な政治行動を軽視している 点、経済分野から政治分野へと統合が自動的に発展する考え方が機能主義的要素を高く評 価しすぎている点である。 2-1-3 ホフマン ナイの批判に関連して、ホフマンの主張もとりあげてみる。ホフマンはスピルオーバー 過程を二つの視点から批判している。一つは、統合は結局は諸国家の政治的決定に影響を 受けるためスピルオーバー過程のように秩序的には発展しないとしている。二つに、この 過程は国家利益やナショナリズムが激しく対立しない政治的重要性の低い分野(ロウ・ポ リティクス)にのみで有効な考えとしている。 2-1-4 ドイッチュ ドイッチュは「統一的習慣と制度を創る過程が統合である」という認識から過程説を支 持している。ドイッチュによると統合とは 「統合は、一領域内において人々の間で、長期間にわたり、平和的変更に ついての信頼ができる期待を確保するのに十分に強固で且つ広範囲な諸 制度と諸慣行を達成すること、および共同体感を達成することを意味する」 としている。 10 しかし、ドイッチュはハースと見解を異にする部分がある。ドイッチュによれば統合に よって達成される共同体はハースのいう政治共同体ではなく安全保障共同体だと主張して いる。そして、安全保障共同体と政治共同体とを明確に区別している。ここで統合によっ て実現される共同体を安全保障共同体とみるか、政治共同体とみるかはという問題は、国 際統合の理論を明らかにすることにおいて最も重要な争点のひとつとなっている。そして、 このことが「統合と国家の関係」に大きな意味をもっているのだ。 2-1-5 カイザー カイザーも統合を過程ととらえる研究者である。しかし、カイザーはハースともドイッ チュとも同じ立場を示していない。新たに体系的・経験的アプローチという立場をとって いる。これは統合をシステム構造の変容を目指す過程としてとらえている。 過程説論者の見解の違い 超国家的組織の有無 キーワード ハース ○ 波及効果、政治共同体 リンドバーグ △ 忠誠心の二次性 ナイ ? 波及効果の否定 ホフマン ? 波及効果の機能の限定 ドイッチュ △ 安全保障共同体 カイザー ○ システム変容 出典:鴨武彦『国際統合理論の研究』、1-32 ページをもとに筆者作成 2-2 条件説 次に、統合を条件としてとらえる学説をみる。この学説の代表的な研究者は A・エッチ オーニ(Amitai Etzioni)である。エッチオーニによれば、統合とは 「政治的共同体を存立せしめる条件」 としている。そして、統合には三種類の形態があり、三つとも政治共同体を存立せしめる ために不可欠の条件であるとしている。 1)第一の種類の統合とは、暴力手段の正当な行使に対する独占権のある状態 2)第二の種類の統合とは、共同体の資源と報酬の分配に影響を及ぼす一つの 政策決定中枢のある状態 3)第三の種類の統合とは、政治的認識をもつ大多数の市民にとって政治的一 11 体性のための最高中枢のある状態 以上の三つの統合をすべて保有するとき、政治共同体が成立するということになっている。 エッチオーニの説では統合という条件があり、その三つの条件の充足の結果として政治共 同体ができるとしている。この点において、統合を過程としてとらえる説とは完全に主張 を異にしている。 では、なぜエッチオーニは統合に三つの形態をもとめるのか。それはエッチオーニが政 治共同体を「厳密にして高度に統合化された国際システム」とし、統合の程度に関心をも ち、その程度を区別することで政治共同体を他の国際システムから明確に区別しようと試 みたからだ。他の国際システムとは国際機構、帝国、陣営である。統合の程度を決定する 基準は先にあげた三つの統合の形態であり、その三つの視点から統合を他の国際システム から区別した。 では、次にその条件説に対する批判をみてみる。 ・統合の過程説を無視している点 ・政治共同体と統合とを同一視している点 ・国際政治における統合の重要性を考慮できていない点 統合の目的は、既存の国民国家に優位するか、またはそれらとは異なる政治共同体や安全 保障共同体というべきものを新設することで、最終的には現在の国際政治の構造をよりよ きものに変えていくことができる点である。 これより統合の本質は単なる条件としてではなく、構造変容の過程として理解されるほ うがより目的に合致すると考えられている。以上、 「統合」の意味について諸学説を概観し たが、現在、エッチオーニの条件説は少数説であり、多くの研究者は過程説を支持してい る。 3 統合と国家の関係を研究する方法論(アプローチ) 統合が国際レベルで達成されたとき国家の存在はどうなるのか。統合を考える上でこの 問題はとても重要である。それは統合現象の国際政治での位置づけにその理由を求めるこ とができるだろう。統合は国家を完全に乗り越えていくものか、それとも国家は部分的に せよ統合達成後も存在し続けるのか。この問題には大きく分けて二つの学説がある。一つ は統合達成後も必ずしも国家が全面的に解消されないとする学説であり、もう一つは国家 は完全に解消されるとする学説である。では、まず一つ目の学説をみることにする。 3-1 新機能主義アプローチ(理論) 一つ目の説は、統合達成後に国家は全面的に解消すると主張する説である。この説はハ 12 ースによって代表されている。ハースはドイッチュと同様に統合を過程とする立場だが、 統合と国家の関係についてはドイッチュと見解が異なる。先に述べた通り、ハースは統合 によって政治共同体が創られるとしている。そして、その共同体ではドイッチュ説のよう な二つの形態(合成型と多元型)は存在せず、国家は共同体に吸収されてしまい超国家性 をもった政治共同体ができるとしている。新機能主義理論は国際統合を「既成の主権国家 に優位する政治共同体を達成する過程」だと捉えた上で、理論を成り立たせるための4つ の過程を立てている。 第 1 の過程:「非強制性」の過程 国際統合は、軍事力の強制性などの「脅しの体系」によって実現されるので はなく、説得の政治過程によるもので、国々の政府の自発的意思に基づくと している。 第 2 の過程:「波及」の過程 統合現象が一つの部門から始まると、その部門に特有のダイナミズム(=「機 能的特殊性」)が働いて、次の部門に波及発展すると想定している。 第 3 の過程:「政治化」の過程 統合現象が当初は技術的で非論争的な正確をもっていても統合に参加する 行為主体が相互に共通利益のレベルを引き上げざるを得ず、そのためにどう しても論争性を高め、その結果「政治化」していく 第 4 の過程:「紛争解消」の過程 政治行為主体どうしの利害の対立は、統合過程が発展するなかで、政府間・非 政府間のレベルを問わず、結局は解消される しかし、これらの過程を持ちながらも新機能主義理論は EC を事例とする統合現象を十分に 説明し予測することができなかった8。 ここで、エッチオーニについても言及してみる。エッチオーニはハースとは異なる統合 を「条件」としてみる立場にある。しかし、共同体の超国家的性格という点でハースと同 じ見解を示している。エッチオーニは統合の程度に関心をもち、政治共同体がもっとも高 度に統合化された国際システムとしている。その高度に統合化された状態を超国家的性格 として捉えているのだ。 3-2 交流主義アプローチ(理論) 二つ目の学説は、統合達成後も部分的に国家の形が残り、必ずしも統合によって国家は 8 有賀他、前掲書、22 ページ。 13 解消されるものではないとしている。この学説はドイッチュによって代表されている。ド イッチュは統合によって安全保障共同体が創られ、政治共同体の創設とは考えていない。 ドイッチュによれば、安全保障共同体とは「統合された諸国民の集団」を意味し、それに はふたつの形態があるとしている。 ・ 合成型安全保障共同体:政治的独立を果たしていた複数の国家が一つの大 きな単位に併合され、統合後に何らかの共通の政 府ができあがる。また、この型の安全保障共同体 は、超国家的性格をもつことを同時に意味する。 ・ 多元型安全保障共同体:統合達成後も、統合に参加した個々の政府の法的 独立性は残る。この型には、超国家的性格は存在 しない。 安全保障共同体には二つの形態があり「国民国家体系」における「制度としての主権」を 超えて実現される場合と、それとは逆に主権を乗り越えずとも実現される場合の二つの可 能性があるというのである。交流主義理論は前者の国家の主権を超える場合を「合成型」 統合といい、一方、主権を超えずに実現される場合を「多元型」統合と呼んでいる9。ドイ ッチュは超国家的性格10の有無によって安全保障共同体を区別している。 では、なぜ統合達成後に部分的な国家の存続が認められているのか。それはドイッチュ が超国家的性格をそれほど重要視していないからである。統合は複数の政治的単位(国家 間関係)が一つの単位(「超国家的共同体」)に収斂することのみを特色とするのではない。 国々、政府の安全保障認識が、そして人々、市民の安全保障認識が実際に変容していくこ とをより大きな特色とする11。ドイッチュはどちらの形態においても共同体内部での紛争を 非暴力的に解決することが重要であり、それが共同体成立の要件だとしている。 では、ここで新機能主義理論と交流主義理論との相違点を明らかにする。大きく二つあ る。一つ目は 「交流主義理論は、必ずしも国際統合を「超国家主義」の政治過程だと仮定していない」 ということだ。 交流主義理論での統合は国際社会の中で戦争への準備がまったく不必要となり、戦争の 危惧がなくなるような「安全保障共同体」が達成されることを意味する。つまり、統合過 9 有賀他、前掲書、24-25 ページ。 この「超国家的性格」とはなにか。これについて、現状では研究者によって見解が異なり、一つの明確 な定義がなされていない。しかし、ここでは過程説の代表的研究者ハースの見解をもとに、超国家的性 格とは「国民国家体系の基礎をなす国家性を否定し、それを超える性格のこと」とする。 11 有賀他、前掲書、34 ページ。 10 14 程が安全保障共同体実現の過程として考えられているのだ。重要なことは新機能主義理論 と違って、交流主義理論は「超国家主義」を統合の必要十分条件としていないことである。 実際に「安全保障共同体」のような「不戦共同体」、「不戦の国際社会」が国々の安全保障 の政策面における「機能としての主権」の侵蝕過程によって起こりうるとすると、交流主 義理論は「超国家主義」よりも国々の安全保障認識や市民の安全保障観の認識変容がある と仮定して「脱国家主義」といった歴史のダイナミズムを理論の上で重視しているといえ よう。 二つ目として 「不戦の国際社会」、つまり「安全保障共同体」の達成方法について があげられる。 どのように「安全保障共同体」 (=不戦の国際社会)が達成されるかと、国際社会間のさ まざまなレベルでのコミュニケーションやトランザクションの増大によって、人々の交流 の心情や態度の面で「われわれ感情(we-feeling)」が実際に起こるとしている。つまり、 国々は貿易を中心として経済交流を深め、通信や情報、人的交流を増大せしめることによ って、政府主体や市民どうしの間に心情レベルにおいて質的な変化(敵対意識から仲間意 識へといくように)が発生し、そのことによって統合の十分条件としての「安全保障共同 体」が形成されていく。交流主義理論の基礎には明らかに国際政治のコミュニケーション 理論がある12。 4 まとめ アプローチの異なる新機能主義理論、交流主義理論どちらにしても共通していえることは 国民国家にかわる「共同体」をつくり出す過程こそが統合であるとしている。新機能主義 理論が目指しているのは超国家的性格をもった共同体であるのに対し、交流主義理論では 超国家性は重要視されず多元的な共同体の形成も統合過程の結果として捉えている。また、 条件説、過程説という統合の捉え方を異にする論者にしても、過程説論者は統合を共同体 形成の過程として捉え、条件説を主張したエッチオーニさえも、 「統合とは「政治的共同体」 を存立せしめる条件」として統合を捉えている。このように統合論者はそれぞれ立場を異 にしているが、統合が「共同体形成」のための現象であるという点に関して共通の見解を 示している。それに従い、本論文においても統合を「共同体形成」として位置づけること にする。その意味で EU の位置づけに関して議論の分かれるところだが、共同体形成とい うことでどの論者も共通の見解を同じにていると考えられる。 12 有賀他、前掲書、26 ページ。 15 第2章 欧州連合(the European Union) 16 基礎情報 正式名称:the European Union (EU) 欧州連合 加盟国 :25 ヵ国 原加盟国:ベルギー、ドイツ、フランス、イタリア、ルクセンブルク、オランダ 第 1 次拡大:デンマーク、アイルランド、英国(1973 年) 第 2 次拡大:ギリシア(1981 年) 第 3 次拡大:スペイン、ポルトガル(1986 年) 第 4 次拡大:オーストリア、フィンランド、スウェーデン(1995 年) 第 5 次拡大:キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、 マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア(2005 年) 首都 :本部―ブリュッセル 欧州議会―ストラスブール 欧州中央銀行―フランクフルト・アム・マイン 総面積 :397.6 万 km2(日本の約 10 倍) 総人口 :4.59 億人(日本の約 3.5 倍) 公用語 :すべての EU 加盟各国の公用語(20 ヶ国語) 通貨 :Euro (ユーロ) 1 ユーロ=138.64 円 (2005 年 1 月 16 日現在) 名目 GDP:10 兆 2693 億ユーロ(2004 年) 一人当た りの GDP:23,160 ユーロ(2004 年) 17 第1節 EU の機構 (1)欧州理事会(European Council) 欧州理事会は、加盟国首脳(国家元首または政府の長)及び欧州委員長で構成され、EU の発展のために「必要な原動力」を与え、EU の一般的な政治指針を定めることを任務とす る機関である。同意による政治的合意を行い、結果を「議長国総括」という形で公表する が、EU としての立法的決定を行なうことはできない。加盟国は、半年交替の輪番制で欧州 理事会の議長国を務め、欧州理事会を運営する。2005 年前半はルクセンブルクが議長国を 務めており、以降 2005 年後半はイギリス、2006 年前半はオーストリア、後半はフィンラ ンドがそれぞれ議長国を務める予定である。EU 設立条約では少なくとも年 2 回開催するこ ととなっているが、最近は各議長国が在任中 2 回(すなわち年4回)開催するのが通例と なっている。なお、欧州憲法条約発効後は、任期2年半の常任議長制が導入される。 (2)欧州議会(European Parliament) 欧州議会は、加盟国国民の代表として直接選挙された議員(任期5年)で構成される、EU の諸活動に対して民主的なコントロールを行なうための機関である。本会議は原則として ストラスブールで開催される。現在の総議席数は 732 である。欧州人民・民主党グループ (キリスト教民主勢力)と欧州社会主義グループ(社民勢力)が左右の二大勢力である。 以前は法案に対する意見を述べるだけの諮問機関に過ぎなかったが、現在では EU 立法の 約7割について閣僚理事会と共に法令の共同決定を 持つなど、徐々に立法機能を強めつつあり、予算の 一部については最終決定権をもつようになっている。 欧州憲法条約では、共同決定手続きが閣僚理事会に おける通常意志決定手続きとされるなど、欧州議会 の権限はさらに強められている。 (3)理事会(Council / Council of Ministers / Council of the European Union) 理事会は閣僚理事会または EU 理事会とも言われ、総務・対外関係を含む9分野の加盟 国担当閣僚による立法及び政策決定を行なう機関である。欧州委員会からの提案のあった 法案や政策を検討し、採択する。議決方法は、単純多数決、特定多数決、全会一致があり、 どの方法で採択されるかは条約で規定されている。重要な問題については、加盟国首脳で 構成される理事会(上記(1)の欧州理事会とは異なり、欧州委員長を含まず、法的拘束力 を持つ具体的決定を行なう。)を開催して決定を行なう。理事会会合は基本的にブリュッセ ルで開かれるが、4、6、10 月に限りルクセンブルクで開かれる。各分野の非公式会合は議 18 長国国内各地で開催される。 (4)欧州委員会(European Commission) 狭 義 の 欧 州 委 員 会 は 、 各 加 盟 国 か ら 1 名 ず つ の 欧 州 委 員 長 を 含 む 25 名 の 委 員 (Commissioner)から構成され、各委員は一つの国で言えば「閣僚」に相当し、それぞれ 所掌分野を持っている。委員の任期は 5 年で再任可能であり、2004 年 11 月 22 日に発足し た現在の委員の任期は 2009 年 10 月 31 日までである。 広義の欧州委員会は、一つの国で言えば「中央省庁」にあたる総局(農業総局、貿易総 局など)及びその他の部局(法務部、統計局など)やその職員を含む官僚機構全体を指す。 EU の行政機関たる欧州委員会は EC 分野(第一の柱)においては、立法・政策の提案、 政策執行・実施監督、予算案策定・執行、対外的代表・交渉などの幅広い任務・権限を有 しているが、共通外交・安全保障政策分野(第二の柱)及び警察・刑事司法協力分野(第 三の柱)ではその任務・権限は拡張しつつあるものの限定的である。 第2節 EU の歴史的経緯 ここでは、欧州連合の歴史的経緯をいくつかの年代を区切って見ることにする13 。EU の歴史を見ることで現在の EU の姿をより正確に理解できるだけでなく、最も重要なこと はなぜ EU という国家の主権を超える存在をつくろうと人々は考えたのか、その EU の基 本となる思想を理解する手がかりになるからだ。その手段として主に当時の政治家の考え 方を取り上げ、また各期間における国際組織の構造の違いを明らかにする。 統合への第 1 歩(1945〜57 年) 1946 年 3 月 1947 年 3 月 6月 1948 年 3 月 4月 5月 1949 年 1 月 4月 5月 1950 年 5 月 1951 年 4 月 1952 年 5 月 13 チャーチル「鉄のカーテン」演説 トルーマン・ドクトリン発表 マーシャル・プラン発表 ブリュッセル条約調印 欧州経済協力機構(OEEC)設立 ハーグ欧州会議 COMECON 発足 北大西洋条約調印、NATO 設立 欧州審議会発足 シューマン・プラン発表 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約調印 欧州防衛共同体(EDC)条約調印 年代の区切り方は、P・アンジェル、J・ラフィット著『ヨーロッパ統合 歴史的大実験の展望』を参考 にする。それは、EU が現在の姿になるまでの紆余曲折がもっとも的確に表現されていると思われるた めである。 19 1954 年 8 月 1955 年 5 月 6月 1957 年 3 月 フランス、EDC 条約拒否 西ドイツ、NATO と WEU に加盟 ワルシャワ条約機構成立 メッシーナ決議 欧州経済共同体(EEC)条約調印 欧州原子力共同体(EAEC)条約調印 →ローマ条約 統合の話をする前に、そもそもヨーロッパとはなにかを考える必要がある。地理的には 北は北極海、南は地中海、西は大西洋に囲まれたユーラシア大陸の西端の半島部であり、 東の境はロシアのウラル山脈によってヨーロッパ側とアジア側に分けると考えられたりす る。しかし、歴史的にはヨーロッパの南と東の境界は大きく変化をしてきた。 ギリシア神話の中に、フェニキア王アゲノールの娘エウロプの美しさに心を奪われたゼ ウス(ギリシア神話の最高神)が白い雄牛に姿を変えて、エウロ ペをクレタ島に連れ去るという物語がある。このエウロペという 名前がヨーロッパの名称になったといわれる。そして、紀元前 7 世紀ごろからギリシア人が自分たちの住む土地の北方に広がる道 の土地の呼称として、さらにユーラシア大陸の西端に住む人々が 自らの土地を呼ぶ名前として使われはじめたという。 ヨーロッパには、確固とした歴史的共通基盤は存在しない。 カール大帝やナポレオンの時代にヨーロッパ全体が統合された 白い雄牛に姿を変えたゼ ウスに連れ去られるエウ ロペ が、それは特定の国が他国を軍事力で支配した結果にすぎなか った。しかし、このような共通性の欠如や地理的概念のあいまいさを持ちながらも文化的 な共通基盤を少なからずもっていた。中世にはすでにヨーロッパの教養人たちはラテン語 を使い、多くの地域で教育はラテン語によって行われていた。またフランスの思想家ボル テールがロシアの女帝エカテリーナやプロイセン王フリードリヒと友好関係を結び、イギ リスの政治家エドマンド・バーグがヨーロッパ大で考えることを主張していた。 第一次世界大戦から 30 年もたたない 1945 年、第二次世界大戦がヨーロッパで終結した。 ヨーロッパは荒廃し多くの犠牲者を出してしまった。この状況に直面し、もう二度とこの ような戦争を起こしてはならないという意識とそのための政治構造の根本からの変更が求 められたのだ。この時期、イタリアの反ファシズム運動の政治家アルティエロ・スピネッ リが「自由で統合されたヨーロッパ宣言」を主張し、スイスでも非共産主義レジスタンス 運動をする団体が「国家が絶対的権力をもつという固定観念を乗り越えよう」と主張した。 戦後すぐに冷戦が始まり、アメリカは西ヨーロッパの安定が共産主義の拡大を食い止め、 アメリカの輸出市場確保のためになるという判断のもとマーシャルプラン(ヨーロッパ復 興計画)を発動した。アメリカはヨーロッパ 16 カ国に資金を提供し、それを各国が彼ら自 20 身で配分する制度を確立した。それが OEEC(ヨーロッパ経済協力機構)の設立である。 この体制のもと、アメリカは 1948 年から 52 年の間に約 130 億ドルの援助を行い、ヨーロ ッパの復興に決定的な役割を果たした。 また、非共産主義レジスタンス運動が大きくなり、1948 年にはヨーロッパ統合運動が生 まれた。連邦性を主張する団体が増え、国際調整委員会として組織化され、1948 年 5 月に はオランダのハーグで国際会議を開くことになった。議論の末、ヨーロッパ議会を創設す ることで意見は一致したが、直接普通選挙で議員を選ぶ方法が認められることはなかった。 1949 年 5 月 5 日ヨーロッパ審議会の創設が実現する。設立の目的は「加盟国間のより緊密 な団結」を実現することだった。本部はフランスとドイツの因縁の土地であり、和解の土 地でもあるフランスのストラスブールに置かれることとなった。1948 年の東ヨーロッパの 不安定な状況を危惧してイギリスとフランスはブッリュセル条約機構と呼ばれる防衛協定 をベネルクス 3 カ国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)と結んだ。それにもかかわ らずヨーロッパでのソ連の動きは活発化し、ついにヨーロッパ諸国はアメリカと軍事同盟 を結ぶことになった。これが NATO(北大西洋条約機構)の創設である。 しかし、軍事同盟では戦争を防ぎきることができないことを主張する政治家がいた。フ ランス経済復興計画の立案者のジャン・モネである。モネは「より実用 的で大胆なことからはじめて、より果敢に国家の主権を制限しようしな ければならない」といったのだ。そこでモネは外相のロベール・シュー マンに石炭鉄鋼共同体の計画を提出した。これは軍事と経済に不可欠な 石炭と鉄鋼を共同管理することを目的とし、それがフランスとドイツの 間での戦争発生を「不可能」にする効果があった。ドイツでもこの案は 歓迎され、1951 年 4 月 18 日にパリ条約によって ECSC(ヨーロッパ 石炭鉄鋼共同体)が設立された。これがヨーロッパ統合の第 1 歩であ ジャン・モネ (Jean Monnet) ECSC を提唱 り、経済統合の基礎となった。 ちょうどその頃、1950 年代に勃発した朝鮮戦争の影響を懸 念してヨーロッパでは再軍備の兆しがみられた。そこで西ドイ ツを含むヨーロッパ軍の創設案が出され、それにより EDC(ヨ ーロッパ防衛共同体)が組織された。だが、1953 年になると 「ヨーロッパ」という刻印の ある鋳塊 国際情勢が変化し EDC の必要性が低下し、フランス国内での 反発が強まり EDC が機能しなくなってきた。それがアメリカ の反発を招き、イタリアと西ドイツをブリュッセル条約機構に 加盟するという手段をとることで状況を打開した。これを機にブリュッセル条約機構は 21 WEU(西ヨーロッパ連合)と名称を変えた。EDC の失敗はヨーロッパ統合の停滞をもた らすことになった。その対応策として石炭・鉄鋼分野以外にも統合政策を拡大させること の必要性を説くことになる。イギリスのみが消極姿勢だったが 1957 年 3 月 25 日、ローマ 条約が結ばれることとなった。これによりヨーロッパ統合の更なる深化「共同市場」の完 成が達成された。 建設中のヨーロッパ(1957〜68 年) 1959 年 11 月 1961 年 8 月 1963 年 1 月 1966 年 1 月 1967 年 7 月 1968 年 7 月 欧州自由貿易連合協定(EFTA)調印 英国等、EEC に加盟申請 ドゴール、英の加盟申請拒否 「ルクセンブルクの妥協」 機関合併条約の発効と EC の誕生 関税同盟、農村市場を完成 ローマ条約に批准した国は西ドイツ、ベルギー、フラン ス、イタリア、オランダ、ルクセンブルクの 6 カ国で共同 体の総人口は 1 億 7200 万人(アメリカの人口、1 億 8000 万人とほぼ同じ)であ った。1985 年 1 月 1 日 にローマ条約が発効さ れ、これによって、 ローマ条約に調印し、EEC(ヨー ロッパ経済共同体)を創設した ECSC の加盟国 6 カ国 ECSC(ヨーロッパ石 炭鉄鋼共同体) と並立する形で EEC (ヨーロッパ経済共同体)とユートラム(ヨーロッパ原 子力共同体)が誕生した。EEC の機能は、人、資本、 商品、サービスが自由移動する共同市場と関税同盟を実 現させることであった。EEC を含むすべての組織の役 割と関係性については以下の図を参照してもらいたい。 22 ローマ条約の調印 ローマのカピトリーノ美術館の「ホラテ ィウスとクリアティウスの間」(愛国心 を象徴する絵画が飾られていた)で調印 された 《1957 年のヨーロッパの国際組織の構成図》 ヨーロッパ審議会 【EC(ヨーロッパ共同体)】 [ECSC] [EEC] (ヨーロッパ 経済共同体) 1 (ヨーロッパ 石炭鉄鋼共同体) 《最高機関》 決定をくだす 《EEC 委員会》 閣僚理事会の委 任を受けて立案 し、実施する 《総会 (ヨーロッパ議会) 》 3 共同体の諮問機関 として機能する [ユートラム] (ヨーロッパ 原子力共同体) 《ユートラム 委員会》 閣僚理事会の委任 を受けて立案し、 実施する 《諮問会議》 決議案を採択する ↓ 《閣僚委員会》 決議案に全会一致で 決定をくだす ↓ 《加盟国》 《閣僚理事会》 決定をくだす(EEC、ユートラム) 特定のことを決めるために必要 な意見をまとめる(ECSC) 《ヨーロッパ共同体司法裁判所》 EC 法が解釈し、正しく適用されているかを確かめる [OEEC] (ヨーロッパ 経済協力機構) [WEU] (西ヨーロッパ連合) 《事務総局》 審議の準備を する ↓ 《執行委員会》 閣僚理事会の 決定を準備す る ↓ 《閣僚理事会》 全会一致によ る宣言を出す 《常任委員会》 加盟国間の関係を維持 し、審議の準備をする ↓ → 《閣僚理事会》 加盟国の要求によって 招集される ↓ 《ヨーロッパ 連合会議》 閣僚理事会の年次報告 を検討する 《参謀 長調整 委員会》 ローマ条約に批准しなかったイギリスはどうしたのか。 EEC の弱体化を狙って OEEC(ヨ ーロッパ経済協力機構)の加盟国と EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)を設立したが、こ の試みも失敗におわり、反対を続けてきた EEC に最終的に加盟申請を出したのだ。「共同 市場」の政策と並んで、ローマ条約で最も重要な政策は、CAP(共通農業政策)である。 この二つの中心的な政策は順調に動き出した。しかし、ここに一つの不安要素が出てくる。 それはフランス大統領ドゴールの存在だ。ドゴールが連邦制を否定し、EEC に多くの権力 が集中する事に不満をもったためヨーロッパでの政治的緊張が増した。1965 年 4 月 EEC 加盟国はそれまで別々だった EEC、ECSC、ユートラムの閣僚理事会と委員会を統一する 融合条約に調印した。しかし、この調印が重大な政治危機を生み出す事となる。この条約 23 のポイントは多くの分野で「全会一致」の原則がとられていた決議を「多数決」制に移行 したことだ。これに危機感をおぼえ激しく反発したのが、フランスのドゴール政権である。 そこでドゴールがとった手段はなんだったのか。 それは「空席政策」である。約 6 ヶ月間フランス閣 僚は多数決主義に反対して、理事会に出席しなかった のだ。まさにヨーロッパ統合の停滞そのものであった。 その後、1966 年 1 月「ルクセンブルクの妥協」と呼 ばれる手段がとられ、EEC 委員会の権限縮小、重要 な決議に対する全会一致の原則が約束された。これは 1962 年に行われた記者会見での ドゴール(Charles De Gaulle) 加盟国の拒否権を認める事を意味した。これでようや く融合条約が発効した。それ以後、3 共同体を総称し て EC(ヨーロッパ共同体)と呼ばれるようになった。 再開、そして強化の時代(1969〜85 年) 1969 年 12 月 1970 年 1 月 1971 年 8 月 1972 年 12 月 1973 年 1 月 1974 年 12 月 1975 年 2 月 1979 年 3 月 6月 1980 年 5 月 1981 年 1 月 10 月 1982 年 5 月 1983 年 1 月 6月 1984 年 2 月 6月 1985 年 6 月 9月 ハーグ会議 共通通商政策始動 米、ドルと金の交換停止 パリ首脳会議 英、デンマーク、アイルランド、EC 加盟 欧州理事会の常設化を決定 ロメ協定調印 欧州通貨制度(EMS)発足 欧州議会議員第一回直接選挙 「5 月 30 日の妥協」 ギリシア EC 加盟 EPC「ロンドン報告」採択 「ルクセンブルクの妥協」不成立 共通漁業政策始動 厳粛なる宣言 欧州議会、欧州連合条約草案採択 英国の対 EC 予算赤字問題解決 域内市場白書採択 政府間会議招集 ドゴールが政界から去ると一気に統合は加速した。その勢いのまま EMU(経済通貨同盟) の創設への動きがでてきた。ヨーロッパ全体として通貨統合へ足並みをそろえる結果とな った。しかし、アメリカが金とドルの交換を停止したため 1944 年に 43 カ国で結んだブレ トン・ウッズ協定によって誕生した国際通貨制度が機能しなくなり、これがヨーロッパに 混乱をもたらし、ついには EMU は失敗に終わった。 この失敗とは対照的にヨーロッパ統合は順調に進展した。1972 年イギリス、アイルラン 24 ド、デンマークが加盟条約に調印し、EC の仲間入りをはたした。この時期にヨーロッパ議 会の議員が直接普通選挙で選ばれることが決定され、ヨーロッパ統合政策の方向性を定め る機関であるヨーロッパ理事会が創設された。これにより民主的な代表と連帯を強めるた めの道具を手に入れたのである。ここで EC の諸組織の関係性を明らかにする必要があろう。 《1970 年代のヨーロッパ共同体の組織構成図》 【EC(ヨーロッパ共同体) 】 《ヨーロッパ議会》 3 共同体の諮問機関 として機能する 《ヨーロッパ理事会》 政治的な推進力を加える 《EC 委員会》 閣僚理事会の委任を受けて 立案し、執行する 《ヨーロッパ共同体司法 裁判所》 EC 法を解釈し、正しく適用 されているかを確かめる 《閣僚理事会》 EEC、ユートラム: 決定をくだす ECSC:特定のこと をきめるため に必要な意見 をまとめる いくつかの統合の停滞を経験してから再びヨーロッパ統合は軌道にのることになった。 1978 年 4 月 EMS(ヨーロッパ通貨制度)の設立が提案された。これはエキュ(ECU)と いうヨーロッパ通貨単位を創設すること目的としていた。この 試みが経済通貨統合へつながる道をひらくことになった。1981 年新たにギリシアが EC に加盟した。しかし、この時期各国が 国際情勢や経済事情などにより EC に対して消極的に行動する、 いわゆる「ユーロペシミズム」と呼ばれる状況があった。これ は統合の停滞を意味した。 希望と失望(1985〜94 年) 1986 年 1987 年 1988 年 1989 年 1990 年 1月 2月 7月 3月 6月 11 月 7月 10 月 11 月 12 月 1991 年 12 月 1992 年 2 月 6月 1993 年 1 月 11 月 スペイン、ポルトガル EC 加盟 単一欧州議定書調印 単一欧州議定書発効 「チェッキーニ報告」公表 EC・COMECON 共同宣言 ベルリンの壁崩壊 経済通貨同盟(EMU)第一段階 資本の域内自由移動開始 ドイツ統一 米・EC 共同宣言調印 政府間会議招集 ソ連の解体と CIS の創設 マーストリヒト条約調印 デンマーク国民投票、マーストリヒト条約批准拒否 域内市場完成 マーストリヒト条約発効、EU の誕生 25 ECU への投資に関するポスター エキュへの投資は、各国通貨への 投資よりもリスクが少なかった。 1994 年 1 月 EMU 第二段階開始 欧州通貨機関(EMI)設立 1985 年 1 月 1 日ヨーロッパ委員会委員長にジャック・ドロールが就任した。彼は統合を 再度軌道にのせるためにまず共同市場を組織された 「単一市場」にすることから取りかかった。1985 年 12 月ローマ条約を改正し、政治協力の項目を追加した 「単一ヨーロッパ議定書」を採択した。これにより 1993 年に単一市場が実現する事が決定した。 多くの国で「議定書」が批准され経済状況も回復し ヨーロッパ委員会委員長ジャック・ドロール てきたこと、また 1986 年にスペインとポルトガルが 新規加盟したことでヨーロッパはふたたび活気づくことになった。この時期 CAP(共通農 業政策)の見直しや地域政策なども多く進められた。しかし、筆者自身の興味として社会 政策、とりわけ学生の交換留学制度(エラスムス計画)が創設されたことの意味は大きい。 これは EC がその政策の範囲を一人の市民のレベルで考え始めた証拠といえるだろう。 これらの成功をふまえて EC 委員会は EMU(経済通貨同盟)の計画を再度準備すること 提案した。この目的は単一市場を完成させること、加盟国間を相互にさらに接近させるこ とであった。修正、補充する案をふまえながらこの計画は前進していった。 1991 年イギリスは単一通貨案にかわる代替案を、フランスは通貨流通の期日の決定をせ まるなど政府間議会は多くの課題をかかえていた。しかし、1992 年 2 月 EC 加盟国がオラ ンダのマーストリヒトで調印し「マーストリヒト条約」が結ばれることになった。 これによりついに「EU(ヨーロッパ連合)」が設立 された。EU は三つの柱からなっている。第一の柱は 今までの条約に基盤をおく EC(ヨーロッパ共同体)。 第二の柱は CFSP(共通外交・安全保障政策)、第三の 柱は CJHA(司法・内務協力)である。以下に諸組織 の関係を明らかにする。 マーストリヒト条約 ドイツとベルギーの国境にほど近いオラン ダの都市マーストリヒトは、新しい条約を結 ぶには最適な象徴的な場所であった。この都 市には、ヨーロッパ全土からの留学生が存在 する。 26 【ヨーロッパ理事会】(国家元首あるいは政府首班+ヨーロッパ委員会 委員長:政治的に大きな方向性を定める) 《EC》 (ヨーロッパ 共同体) 《CJHA》 (司法・ 内務協力) 《CFSP》 (共通外交 ・安全保障 政策) 《第一の柱》 EC(ヨーロッパ共同体) 《ヨーロッパ委員会》発議権の独占 規則と指令を提案する 特定の政策を実行する ↓ 《閣僚理事会》 決議によって単独で 決定を下す 意見を求める 協力する 決定をくだす 《ESC》 (経済社会評議会) 《地域評議会》 《ヨーロッパ議会》 ↓ 指令/規則/決定 《ヨーロッパ共同体司法裁判所》 EU 法を解釈し、正しく適用されているかを確かめる 《ECB(ヨーロッパ中央銀行) 》 ユーロ圏の金融政策を決定し、監督する 《ヨーロッパ会計検査院》 EU の予算を管理する EU は、環境、教育、研究、文化、健康、消費者保護など新たな分野にも権限をもつよう になった。だが、EU の制度は複雑なままで第二、第三の柱は全会一致によってしか機能せ ず、EU の組織に権限がほとんど移行されないなどの問題も残った。 27 《第二の柱》 《第三の柱》 CJHA(司法・内務協力) CFSP(共通外交・安全保障政策) 《閣僚理事会》 日常の運営方針を決定する 《閣僚理事会》 共通政策と慣例的な計画を決定する 通知する 常に知らせておく 《ヨーロッパ委員会》 提案する 通知する 《ヨーロッパ委員会》 提案する 《ヨーロッパ議会》 《各国議会》 《ヨーロッパ議会》 1992、93 年は EU にとって苦しい年であった。各国で条約の批准が思うように進まなか ったのだ。1992 年にイギリス・ポンドとイタリア・リラが EMS(ヨーロッパ通貨制度) から離脱してしまった。さらに 1993 年の景気の後退が戦後最高の失業率を生み、単一市場 が雇用の創設と社会の繁栄に寄与するという理念とは正反対の結果を招いてしまった。こ れにより EMU の準備作業も停滞してしまった。また CAP(共通農業政策)の改革もフラ ンスの反対にあい機能しなくなり、ドロールの後継者問題で加盟国がもめるなど各国がそ れぞれの利益を主張し合うようになった。このころになると EU 全体の将来は見通しのき かないものとなってしまっていた。 ユーロの時代(1995 年〜) 1995 年 1月 12 月 1996 年 3 月 1997 年 10 月 1998 年 5 月 6月 1999 年 1 月 春 2000 年 2 月 2000 年 12 月 2001 年 12 月 2002 年 2002 年 2003 年 2004 年 1月 6月 3月 9月 5月 オーストリア、スウェーデン、フィンランド EU 加盟 米・EC 行動計画・大西洋アジェンダ調印 政府間会議招集 アムステルダム条約調印 EMU 第三段階判定首脳理事会 欧州中央銀行(ECB)設立 EMU 第三段階開始 ユーロ導入 ユーロポール(ヨーロッパ警察機構)設立 欧州議会、欧州委員会に対し不信任案提出 政府間会議 ニース条約調印 常設軍事機関創設 ヨーロッパ憲法草案作成案、採択 ユーロ流通開始 ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)条約満了 マケドニアへ EU 部隊派遣 スウェーデン、ユーロ導入見送り 10 カ国(マルタ、キプロス、エストニア、ラトビア、 リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハン ガリー、スロベニア)EU 加盟 28 2005 年 5月 フランス、国民投票で欧州憲法批准拒否 オランダも同様に、EU 憲法批准拒否 各国通貨がメキシコの通貨危機の影響を受け、大量の失業者を出し始めたのが 1995 年で ある。この失業の原因を単一の通貨を持っていないことと定め、ヨーロッパ委員会は再び 「単一通貨」の実現を目指して動き出した。3 年間の論争をへて、単一通貨の名称は「エキ ュ」から「ユーロ」に決定した。政府の意思とは裏腹に国民やマスメディアの反応は厳し く、政府はその説得に多くのことを要求された。最終的に政府はユーロ導入の条件を整え ることに成功し、また EMU(経済通貨同盟)を補完する EMI(ヨーロッパ通貨機構)を 創設するなどユーロの実現に着実に前進していった。これらのことは 1998 年 5 月までに達 成され、それを受け 1999 年 1 月 1 日にユーロへ移行ということが決定された。 それと同時期に第二の柱である安全保障・防衛についてもユーロポール (ヨーロッパ警察機構)が設立されるなど他分野の補強も行われ EU 全体 として統合を加速させる環境が整い始めた。1999 年は転機の年であった。 ヨーロッパ議会はヨーロッパ委員会に対して不信任案を出し、それを 委員会が受理したのだ。これは EU 内部での力関係が大きく変わるこ とを意味していた。議会が委員会や閣僚理事会に対してより大きな影 響力を持つようになったのである。1997 年のアムステルダム条約の ユーロ硬貨と紙幣 欠点を補う形で 2000 年 12 月に提案されたニース条約であったが、結 局、事態をより複雑にしただけであった。そして、その後ヨーロッパ理事会は新たにヨー ロッパ憲法という今までタブー視されていた選択肢を提案した。これにはやはり反対意見 が存在し、その行方が注目されていた。2005 年現在でフランスをはじめいくつかの国でヨ ーロッパ憲法が否決されている。憲法に対する不満なのか、EU に対する不満の現れなのか は判断できないが、今後の EU の動きと密接に関わってくる部分であるからこれからも注 目していく必要があるだろう。 1999 年から交渉をはじめていた 10 カ国(マルタ、キプロス、エストニア、ラトビア、 リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア)が 2004 年 5 月 1 日に新規に加盟した。 ユーロは順調に導入されたものの 2001 年から 2003 年にかけてユーロへの参加を見送る 国も出るなど完全に加盟国で足並みがそろっているわけではない。しかし、共通外交・防 衛政策についてはマケドニアやボスニア=ヘルツゴビナなどに EU 軍を派遣するなど新た な動きも出始めている。 約 50 年前に始まったヨーロッパ統合の試みは現在 25 カ国 4 億 5000 万人の共同体へと 29 成長した。多くの停滞や安定を繰り返しながらもこの共同体は着実にその姿を変えつつあ る。EU のような共同体は歴史上全く類をみないことであって、新たな国家間のあり方とし て認識されていくだろう。 では、この試みの基礎をなす思想はなんであったのか、それを次節でみることにする。 第3節 EU を支える思想 〈独仏の恒久和解〉 ヨーロッパは二度の世界大戦を経験している。しかも、独仏は二度とも敵同士として戦 ったのだ。両国とも多数の犠牲者を出し、経済的にも精神的にも大きなダメージをうけた。 戦後、冷戦構造がヨーロッパを包み込みはじめる中でドイツとフランスは二度とあのよう な戦争を起こしてはいけないことを誓い、そのために政策の協調を行うという手段を選ん だ。フランスのジャン・モネがこの考えを構想し、当時のフランスの外相ロベール・シュ ーマンによって提案され、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立された。独仏の二つ の大戦の戦争事由は両国の国境地帯ルール、ザール、アルザス、ロレーヌにまたがった軍 事的基幹産業である石炭・鉄鋼であった14。まずその分野を共同で管理することで戦争の起 こる可能性を限りなくゼロに近づけようとしたのだ。 「二度と戦争を起こさないこと」 、そしてその前提となる「独仏の恒久和解」という想い こそがヨーロッパ統合のはじまりにある重要な思想なのだ。 〈不戦共同体の制度化〉 そして、さらに重要な思想は「不戦共同体の制度化」である。第 1 章 1 節でみたように 国民国家システムでは軍事力というパワーを使うことで問題を解決してきた。この状態で は外交の協調、調整よりも対立や紛争が、安定よりも不安定が、そして最後には戦争や危 機が生じてしまうのである。しかし、ドイツとフランスで戦争という手段を行使すること を事実上不可能にしたことは話し合いによる外交のチャンスを創り出しことになる。これ は、言い換えれば、国家間、国際社会に生ずるさまざまな紛争を、しかも暴力的紛争を現 代において軍事力の強制性(=「脅しの体系」 )を伴わずに平和的に解決し、解消する手段 を手に入れたことになる。そして、ドイツとフランスはこの両国の力に依らない問題の解 決という平和の思想を二カ国間にとどめておくのではなく、それを二度の大戦を経験した ヨーロッパ全体に拡げようした。そして、他のヨーロッパ諸国とともに新たなルール・オ 14 鴨武彦『ヨーロッパ統合』NHK ブックス、1992 年、82 ページ。 30 ブ・ゲームズに育てあげること、西ヨーロッパ諸国の交流をはばむ壁を取り壊し同時に新 しい相互作用のパターン形成を意図して奨励すること15によってヨーロッパ地域の安定と 平和につながると考え、ヨーロッパ共同体の形成がすすめられた。ECSC(ヨーロッパ石炭 鉄鋼共同体)の発足が独仏の「恒久平和」を、そして「不戦共同体」としてのヨーロッパ を目指す統合の思想となった。 15 W・ウォーレンス『西ヨーロッパの変容』岩波書店、67 ページ。 31 第3章 EU の教育政策 第1節 EU における教育政策の位置づけ EU は前章までにみてきたように経済的分野の協力関係からそのスタートをきった。そも そもの EU 創設の意図は不戦共同体を軍需産業(=経済分野)の共同管理という手段を用 いて確立することだった。それが現在では共同農業政策、関税同盟、通貨統合、域内自由 移動、社会政策、環境政策、欧州市民権など多岐にわたる分野で共通政策が実現されてい る。そして、現在 EU が力をいれている分野の一つに教育分野がある。ここでまず教育分 野について定義しておく必要がある。本論文で用いる教育分野という言葉は「EU 主導で行 われる教育・文化・職業訓練の3領域に関する共通政策」と同義とする。EU は創設当時か ら多様性を重視してきたが、加盟 25 カ国となった現在その文化的、言語的な多様性は一段 と豊かになった。統合はさまざまな基準を統一し、一元化を求めることが多い。しかし、 EU は構成国の国民文化、さらには地域/地方多様な文化を尊重しながら多文化ヨーロッパ を建設しようとしている16。EU は文化的多様性、また EU のテーマである「多様性の中の 統一」の実現を具体的に教育という手段を用いて実現させていこうとしているのだ。教育 分野における EU の役割は EU 設立条約 149 条と 150 条で「加盟国間の協力を奨励し、必 要な場合には加盟国間の活動を支援し補完することで教育の質の向上に寄与すること」と 定められている。これに基づき EU は加盟各国での教育に欧州的側面を持たせ、加盟国教 育機関の相互交流を奨励し、教育分野での「欧州協力」を推進することに努めている17。こ のように EU の行う教育政策は各国の教育政策を支援、補完する性質をもつものとなって いる。 16 17 田中、前掲書、125 ページ。 駐日欧州委員会代表部『europe summer 2005』第 242 号、3 ページ。 32 第2節 EU の教育政策史 EU 教育関連政策の歴史 1951 年 4 月 1957 年 3 月 1959 年 11 月 1967 年 7 月 1971 年 11 月 1973 年 1 月 2月 1974 年 6 月 1976 年 11 月 12 月 1978 年 6 月 EU の歴史 ヨーロッパ評議会(CE)における第 1 回教育大臣会議 EC 第 1 回教育閣僚理事会が開催(ブリュッセル) EC 委員会が「教育に関する共同体政策のために(ジャ ンヌ報告)」 EC 教育閣僚理事会が第一号決議「教育領域における協 力に関する決議」を採択 EC 教育閣僚理事会が「教育の領域における行動計画に 関する決議」を採択 EC 教育閣僚理事会が「教育から職業生活への移行に関 する決議」を決議 EC 委員会が「ヨーロッパの教育内容を含む授業通知」 を提出 12 月 1981 年 1 月 1985 年 9 月 EC 教育閣僚理事会が「教育におけるヨーロッパ次元の 高められた取り扱いに関する結論」を採択 1986 年 1 月 1988 年 5 月 1992 年 2 月 1993 年 1 月 5月 1995 年 1 月 4月 1997 年 11 月 EC 教育閣僚理事会が「教育におけるヨーロッパ次元決 議」を採択 EC 委員会が「教育と訓練の分野における共同体活動の ためのガイドライン」を提出 EU 教育閣僚理事会が教育プログラム「第一次ソクラテ ス」(1995-1999)を採択 EU 委員会が「知のヨーロッパに向けて」通知を提出 「第二次ソクラテス」(2000-2006)を採択 ECSC 誕生 EEC・EURATOM 誕生 EC 誕生 第一次拡大(英・アイルラン ド・デンマーク EEC 加盟) ヨーロッパ通貨制度(EMS) 創設 第二次拡大(ギリシア EC 加 盟) 第三次拡大(スペイン・ポル トガル EC 加盟) EU 誕生 域内単一市場完成 第 4 次拡大(スウェーデン・ フィンランド・オーストリア EU 加盟) EU による教育政策への取り組みは、意外にも設立当初から存在した。もちろん当初の目 的は一般教育分野というより経済分野に関連した職業教育を中心に行なわれていたが、そ れが時とともに内容、質を変更させてきている。そこでその変遷を振り返ってみることに する。 ECSC が誕生して 8 年後、ヨーロッパ評議会(Council of Europe; 以下、CE)における 第 1 回教育大臣会議が行なわれている。CE はヨーロッパ共同体とならんで教育における国 際協力を推進してきたヨーロッパ機関であり、教育政策の「芽生え」の時期に果たした役 割は大きい。教育問題への CE のアプローチは全加盟国が協力可能な分野、具体的には高等 教育分野に関して協力や合意形成を促す「協定方式」、また各国の利害対立がある分野、具 体的には歴史教育分野に対してセミナーなどを通して意見交換を行なうことで試行を重ね 33 ていく「プロジェクト方式」の二つに分かれている。教育大臣会議開催など一定の成果を あげた CE であったが、EC は積極的に CE の行なわなかった超国家的政策を実現させてい こうとする思惑があった。ここで教育政策の主体の変更がなされ、この時期を教育政策の 模索期として位置づけられるだろう。EC における教育政策の出発点は、1957 年に調印さ れたローマ条約の中にみることができる。ここでの特徴は教育政策が職業訓練分野に限定 され、なおかつ統一的政策としてではなく個別の政策領域の中にばらばらに示されたにす ぎなかった。一般教育分野の議論がもたれるようになってきたのは 60 年代のおわりからで ある。この時期の学生運動の高まりに対応して EC 委員会も一般教育分野をヨーロッパ大で 行なっていくことを言及し始めるようになった。1971 年はじめて加盟国の教育閣僚による EC の教育閣僚理事会がベルギー、ブリュッセルで行なわれた。この会議の成果をまとめた 報告書として「ジャンヌ報告」がある。これは教育政策の判定基準となり、現在行なわれ ている教育政策の骨格をなすものとなった。1974 年、EC の教育政策にとって節目となる 決議がなされた。決議では経済・社会分野への調和だけでなく、教育分野独自の目的も追 究される必要があるとされている。しかし、この段階では各国の独自性を主張する各国閣 僚とヨーロッパで共通の価値観を推し進める EC 委員会の意識の間で埋めがたいギャップ が存在した。そして、1976 年にも新たな決議が出されているが、これも国家の主権の壁に より共通政策の展開が思うように進まなかった。 70 年代の状況はフランス大統領ドゴールによる「空席政策」によるところが大きい。国 家主権を第一に考え、共同体としての利益追求は二次的なものとなっていた。しかし、80 年代に入り統合が再び軌道に乗り出すと、それは教育政策にも影響を与えた。80 年代に行 なわれた教育に関する決議では「ヨーロッパ意識の醸成」 、それに伴う「一般教育分野への 政策の拡大」など統合の深化に伴う変化が現れた。そして、88 年の「教育におけるヨーロ ッパ次元決議」(以下、「次元決議」とする)はその変化を決定的なものとした。この決議 は期間の設定、内容の明示、目標などの明確化がはかられ今までのものにはない具体的で 実際的な性格をもっていた。これにより EC の教育政策は形成期を終え、次の段階に入るこ とになる。 「次元決議」以降、多数の共同教育政策プログラムが実現されている。エラスムス、リ ングアなど現在継続されているプログラムもここに端緒をもつ。1993 年マーストリヒト条 約により EU が誕生した。この条約の中で教育に関する条項が盛り込まれたことは画期的 なことである。これにより、各加盟国と EU 委員会との対立は原則的に存在しないことと なった。しかし、ここで設けられた概念が「補完性の原理」である。EU は必要な政策にお いて加盟国を補う役割を担い、部分的であるが加盟国の主導権を認めることとなった。し かし、逆にこれは EU にとってその活動領域が明確に指定されたことを意味し、これがさ 34 らなる具体的教育プロ 次元決議以降の共同教育政策プログラム グラムの展開へとつな がったのだ。その後、 1995 年に第一次ソク ラテス計画として今ま で個別に存在していた 政策が一つに集約され た。1997 年ソクラテス が軌道にのったことに 合わせて新たなプログ ラム策定のための「知 のヨーロッパに」とい 名称 目的 ERASMUS EC 内の高等教育機関に学ぶ学生の移動の促進 及びヨーロッパ次元の促進 COMETT ニューテクノロジーとリンクした高度の職業 教育の改善のための大学と産業界との協力関 係の促進 Youth for Europe EC 内における青少年交流の改善、促進、多様 化 PETRA 青少年の職業訓練の促進と支援 IRIS 女子が職業教育にアクセスすることを促進 EUROTECHNET ニューテクノロジーとリンクして職業訓練分 野における革新を EC 全域に普及させること LINGUA 共同体市民として必要な言語能力の改良・促進 次元決議以降の共同教育政策プログラム 出典:久野弘幸『ヨーロッパ教育 歴史と展望』玉川大学出版部、2004 年、 57 ページをもとに筆者作成 う「通知」を作成し、第二次ソクラテス計画を準備した。第二次では更なる教育政策の体 系化が進められたことで教育の垂直的な流れ(中等教育→高等教育→生涯教育)が確保さ れ、また EU 加盟国に限られていたその政策範囲を中・東欧諸国にも拡大されるなど大き な変化があった18。 EU の教育政策は多くの紆余曲折を経ながら現在の姿となっている。当初の教育政策の目 的は経済分野に関連した職業訓練などに集中していたが、統合の深化にともない一般教育 分野にも共通の教育政策の必要性を見いだし、変更を加えてきた歴史がある。 第3節 補完性の原理 EU の教育分野での位置づけが明らかになったことから、この分野での EU の特徴がはっ きりとわかってくる。それは「補完性の原理」である。EU では教育制度は各加盟国に任さ れており、教育を推進する第一次的責任はあくまでも各加盟国の教育当局にある。ただし、 「補完性の原理」によって各加盟国政府は EU レベルで共通の教育政策目標や基準を設定 することに合意している。 補完性の原理とはなにか。簡単にいえば、国家や地域レベルではその目的が十分に達成 できず、EU レベルで行ったほうがより効果的に目的が達成できると判断される場合のみ EU が権限を持つという原則である。これがはじめて EU の中で使われたのは 1975 年のこ 18 EU の教育政策史は、久野弘幸『ヨーロッパ教育 歴史と展望』玉川大学出版部、2004 年、11-71 ペー ジを参考にした。 35 とで、EC 委員会の「欧州連合に関する報告」の中にあった。そして、それが EC の一般原 則としてマーストリヒト条約に盛り込まれたのだった。 EC 条約第 3b 条: 「共同体は、この条約により自己に与えられた権限および設定された目的 の範囲内で行動しなければならない。 共同体は、その専属的管轄19に属さない分野については検討されている 行動の目的が構成国によっては十分に達成され得ず、かつその行動の規 模また効果からして共同体による方がより良く達成する場合には、補完 性の原理に従って行動する。共同体によるいかなる行動も、この条約の 目的を達成するのに必要な範囲を超えてはならない。」 マーストリヒト条約: 第126条 「共同体は、質の高い教育の開発に寄与するために、構成間の協力を促 進し、教授内容、教育制度の形態ならびにそれらの文化的および言語の 多様性についての構成国の活動を支持および補足する。 」 これは、加盟国間の協力促進、加盟国に対する支援・補足を行なうことが EU の教育政策 の原則であるとし、加盟国の主導権を認めるという限界を示している。しかし、逆にこれ は EU にとってその活動領域が明確に指定されたことを意味した。「地域の課題は地域で、 国の課題は国で、ヨーロッパの課題はヨーロッパで20」というようにその政策領域の棲み分 けがなされたのだ。 第4節 教育政策の現状と諸計画 第 2 節でみてきたように、EU の教育史は多くの紆余曲折を経てきている。教育政策の意 義が変更したこともその重要な変化であった。そこで、ここではその変化をうけた現在行 なわれているプログラムについて詳しくみることにする。 現在は第二次ソクラテス計画の時期にあたり、第一次をさらに発展させた内容となって いる。具体的には教育政策の体系化により教育の垂直的な流れ(中等教育→生涯教育)が 確保され、また EU 加盟国だけでなくその政策範囲を中・東欧諸国にも拡大したのだ。1996 年以降教育政策はソクラテス、レオナルド、ラファエロを中心とするプログラムに集中し、 19 20 具体的には、共通通商政策、共通農業政策である。 久野、前掲書、69 ページ。 36 2000 年からそれらがさらに形、目標を変え現在に至っている。2001 年に EU レベルで実 施された「欧州言語年」では語学学習と言語的多様性を推進する多くの試みがなされ、2002 年 2 月には EU の教育相理事会が欧州委員会に対してこの二つの分野における新たな施策 を策定するよう要請した。翌年、欧州委員会は 2004 から 2006 年の 3 カ年を対象とした語 学教育と多言語教育性に関する行動計画を発表した。その行動計画はいくつかの措置を講 じている。 ・2004 年から 2006 年の 3 年間を対象とした語学教育と多言語多様性に関する諸施策 に 82 億ユーロを計上 ・ 行動計画実施状況の把握のため、加盟国、労使、教育・訓練機関、文化界の代表者の レベルからなる常設ハイレベル・グループを 2004 年に設置 ・ 外国語教育視察員ネットワークの立ち上げ(2004-2005 年) などである。2005 年の語学教育政策の優先事項として、欧州委員会は幼稚園と小学校での 効果的な早期語学学習法の推進、および若年層に体する多言語環境の奨励を揚げている。 もうひとつの優先事項は、語学以外の授業を外国語で学ぶ学習法である CLIL(Content and Language Integrated Learning)の普及である。これは学習者が新しい言語を学習する場合、 その言語を使用する機会を同時に提供するもので、語学授業に割く時間を増やすことなく、 外国語の学習に効果をあげることを目的としている21。 それでは、以下に具体的に主な教育政策をみることにする。 (1)Socrates「ソクラテス」計画22 ソクラテス計画とは、教育全般に関する EU 計画である。欧州レベル の外国人語学習や学生と教員との交流、新技術の活用による知識基盤型社 会の推進と生涯教育の充実を視野に入れている。ソクラテス計画は公的機 関、民間組織、企業が資金援助を行い、運営は加盟国の教育当局が担当し ている。1995 年エラスムス計画(域内の学生の移動を促進)とリングア 計画(域内の外国語教育の振興)が担当してきた内容を継続し、初めて小学校までを含む 教育のあらゆる段階でこの行動計画の継続を決定した23。これは 2005 年現在でも進行中の プログラムであり、以前から内容を更新して新たな領域での教育政策もその範疇としてい る。このソクラテス計画の目的は 21 22 23 駐日欧州委員会代表部、前掲書、3 ページ。 個別政策について、最新の情報を EU 公式ホームページからも資料として参照した。 http://europa.eu.int/comm/dgs/education_culture/publ/pdf/socrates/depl_eu.pdf 2005/10/13 確認。 三浦信孝編『多言語主義とは何か』藤原書店、1997 年、110 ページ。 37 ・ヨーロッパ規模での教育の促進 ・ヨーロッパの言語に関する知識の向上 ・教育を通してヨーロッパでの協力と移動性の促進 などをあげている。そして、現在 31 カ国がこのプログラムに参加し、2000 年から 2006 年 までの 7 年間で 8 億 5000 万ユーロの予算を計上している。ソクラテス計画は 8 つの分野を 統合した複合計画になっている。その中でも重要視されているものをいくつか紹介する。 ・COMENIUS「コメニウス」計画 中等教育レベルにおける交流を促進するため学校提携、研修、ヨーロッパ規模 の教育ネットワークの形成にその力点がおかれている。1996 年には約 5000 校が 参加した 1620 件の多角的学校間パートナーシップ、600 件の教師の交換、1000 件の予備訪問、400 件の校長訪問などを支援した。2000 年からの新しいタームで はその学校提携数を伸ばすことが一つの目標となっている。 チェコの dolay の学校にある レリーフに描かれたコメニウス ・ERASMUS「エラスムス」計画 エラスムスは、オランダの人文学者エラスムス24からとった もので、各種の人材養成計画、科学・技術分野におけるEU 加盟国間の人物交流協力計画の一つであり、大学間交流協定 等 に よ る 共 同 教 育 プ ロ グ ラ ム ( ICPs : Inter-University Co-operation Programmes)を積み重ねることによって「ヨ ー ロ ッ パ 大 学 間 ネ ッ ト ワ ー ク 」( European University Network)を構築し、EU 加盟国間の学生流動を高めようす る計画である。エラスムス計画の提案は 1985 年 12 月、当時の EC 委員会より閣 24 デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus 1467 年? - 1536 年 7 月 12 日) ネーデルラント出身の司祭、人文主義者、神学者。出身地から「ロッテルダムのエラスムス」とも呼ば れる。 「カトリック教会を批判した人文主義者」というステロタイプで表現されることが多いエラスムス だが、実際にはローマ教皇庁を含めてカトリック教会内に友人が多く、終生カトリック教会に対して忠 実であった。その著作からはキリスト者の一致と平和を生涯のテーマとした姿を見ることができる。ト マス・モアとの親交やマルティン・ルターとの論争でも知られる。 38 僚理事会に提出された計画書に始まり、約 1 年半に及ぶ閣僚理事会での協議を経 て、1987 年 6 月 15 日正式決定され、パイロット・プログラムが開始された。1995 年以降は教育分野のより広いプログラムであるソクラテス計画の一部に位置付 けられている。96 年は 2479 大学間で協力が行われ、約 16 万人の学生、約 1 万 人の教員の交換が行われている。将来は 60 万人が目標となっていた。90-94 年 予算は 3 億 7650 万 ECU であった。現在、エラスムス計画は第 3 期に入ってい るがその予算額は 18 億 5 千万ユーロとなっている。現在まで 70 万人がエラスム ス計画により移動のための奨学金を受け取り、そしてほぼすべてのヨーロッパの 大学がこの計画に参加している。外国での経験は学生に適応力、異文化コミュニ ケーション能力、ヨーロッパに関する知識を与える機会として有益であるとされ ている。エラスムス計画は学生だけなく、教育関係者にとっても利益を生み出す ものとされている。例えば、研修の一環として外国の大学での履修が援助され、 共通科目・分野に関しての経験や教授法の共有を行うためのネットワーク形成が 行われている。 エラスムス計画の単位互換の ための成績証明書 ・GRUNDTVIG「グルントヴィ」計画 グルントヴィ計画は主に生涯学習をその範囲としている。例えば、構成国間での 生涯学習推進のためのプログラム開発、単位システム、教材の開発などハードの 側面と、実際に成人の学習者が学者や研究者と直接、接触できる協議会を設ける などソフトの面での生涯学習の充実を図るプログラムである。これは EU の教育 政策の対象を学生や教育関係者だけでなく、その他すべての市民にまで拡大する ことを意味する。 ・LINGUA「リングア」計画 自国以外の EU の公用語習得の助成、外国語学習教材の開発を目的とする EU の 外国語教育促進計画である。異なった国や文化を理解し、また単一市場における 自由移動の利点を生かすために、EU はすべての市民が母国語以外に少なくとも 2 39 つ以上の外国語をはなせるようになることをこの計画の具体的な柱にしている。 そもそも、これは 1989 年に採択され、90-94 年予算は 1 億 5320 万 ECU であっ た。95 年の行動計画では 6800 件の訓練計画が企画され、約 3 万人が参加してい る。さらに、276 件のプロジェクトに 1357 名のパートナーが参加している。現在、 リングア計画はその範囲を語学学習の促進だけでなく、学習教材の開発にまで拡 げている。そして、そのためのネットワークを創り出すことも奨励している。 ・MINERVA「ミネルバ」計画 これは新しく設けられたプログラムで技術革新、特にコンピュータ、インターネ ットを教育活動に取り入れることを奨励している。近年のコンピュータ技術の革 新は教育のあり方、具体的には教師と学習者のあり方、教授法などに変化をも たらすであろう。その変化に対応するためミネルバ計画は、複数のメディア、 ICT(Information and Communication Technology)を通した教育における ODL(Open and Distance Learning)の導入も視野にいれた活動を行なっている。 (2)Leonardo da Vinci「レオナルド・ダ・ビンチ25」計画 これは EU の職業訓練行動計画で加盟国の活動を支援、補完するため、 職業訓練の質の向上と国境を超えた協力を促すものである。具体的には、 労働者が新しい職場環境に早期に対応できるよう職業訓練の機会を拡 充し、その積み重ねによって技術革新を引き出すような諸政策を含んで いる。1994 年に策定されたこの計画は第 1 期、第 2 期のふたつの時期 をもつ。まず第 1 期では「コメット」 (人材育成のための産学協力)、 「ペ トラ」 (初期教育)、 「フォルス」 (生涯教育)、 「ユーロテクネット」 (イノベーション)など の EC のプログラムを引き継ぐものが行なわれた。特に、国際的な交流とノウハウや経験の 共有化のためのプロジェクトを支援している26。また予算は 6 億 2000 万 ECU であった。 第 2 期は、2000 年から 2006 年であり、EU 加盟国の生涯職業訓練政策を援助する体制を 強化し、そこからヨーロッパ大の協力体制の形成を意図している。第 2 期の予算は総額 11.5 億ユーロの予算が計上されている。 レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452 年 4 月 15 日 - 1519 年 5 月 2 日) イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才として知られている。絵画、彫刻、建築、土木および種々 の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。 『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画 は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行 機についてのアイディアも含まれていた。 26 藤原、前掲書、111 ページ。 25 40 ・COMETT「コメット」計画 テクノロジーの教育と訓練を目指した計画で、第 2 次計画(1990-94 年)は 2 億 4000 万 ECU の予算で、200 件の産学共同職業訓練パートナーシップを支援し、4 万人の学生と青少年を就職させた。さらに 1 万件の高度訓練コースを支援し、25 万人に職業訓練を行い、96 年に終了した。 ・FORCE「フォース」計画 労働者の訓練を目指し、1992-93 年で 720 件のプロジェクトを推進し 5000 の企業、 労働組合、訓練機関、自治体などの公共機関が参加した。 ・EUROTECHNET「ユーロテクネット」計画 約 300 件の技術訓練ネットワークを創設したが、1994 年 12 月に終了した。 ・TEMPUS「テンプス」計画 中・東欧諸国の学生を対象とした教育訓練計画でヨーロッパの大学での就学機 会を与えることをその主な活動としている。その目的は中・東欧、CIS 諸国の教 育および職業訓練を推進するものである。そして、それは高等教育分野、特に EU 圏の大学にとって東欧、中央アジア、地中海地域との協力を可能にさせる。1990 年にこの計画が始動し、以降 3 回の更新を行なってきた(Tempus(1990-94)、 TempusⅡ(94-98、2000 年まで延長) 、TempusⅡbis(2000-02)、TempusⅢ (02-06))。90 年 5 月 7 日理事会決定で欧州訓練基金の創設が合意され、95 年 1 月 1 日トリノに設置された。今まで以上に異文化理解を促進させることが必要さ れ、EU にとってそれらの国々と高等教育分野での共働が大きな役割を果たすと されている。テンプス計画は大きく 3 つのカテゴリーに分類される。 ・統合ヨーロッパ政策:EU とその他地域の高等教育機関の持つ知識の普及 ・構造・実行政策 :各国高等教育政策の改善、戦略的枠組みの開発などを 援助する短期プロジェクト ・移動奨学金 :教職員の外国での研修、会合への参加の補助 (3)Raphael「ラファエロ」計画 1995 年 3 月に新設されたもので文化遺産保護、歴史的な建造物の修復(例えばアテネの アクロポリス神殿)や芸術文化交流のために 405 万 ECU が用意され、144 件のプロジェク トが開始された。 41 (4)European University Institute「ヨーロッパ大学院」 EU の構成国の合意で 1976 年にフィレンツェの郊外に設置された。その主要な設立目的 は大学院学生に発展的な学術訓練を提供することと高等レベルでの研究を促進させること にある。大学院ではヨーロッパ規模での基礎的調査、比較調査、共同体研究などが歴史・ 文明、経済学、法学、政治、社会科学の分野で行われている。教授陣、研究員、研究生は EU 加盟各国から呼び寄せられ、96 年度で専任教員 45 名、院生 330 名(内 310 名は域内 15 カ国から)を擁している。96 年度予算は 47 億 4500 万 ECU であった。 (5)The College of Europe「欧州大学院大学」 1948 年欧州統合を唱えたスペインの政治家マダリアガ氏が提唱した。94 年に開設したポ ーランド・ワルシャワ近郊のナタリン校とブルージュ校と合わせた学生数は 410 人、出身 国数は 45 カ国である。世界でもかなり早い時期に設立されたヨーロッパについて研究し、 訓練をうける大学院大学である。この大学院大学の財政的基盤は主に EU とベルギー、ポ ーランド政府によって支えられている。選抜試験は各国の選考委員会などで大学卒業者を 対象に行なわれ、9 月に入学後、翌年6月末まで集中教育を受ける。年間予算の4分の1が EU、残りは EU 加盟国が主に負担する。毎年秋には欧州各国や EU の首脳が恒例の記念演 説を行なう27。 (6)Jean Monnet chairs「ジャン・モネ記念講座」 大学における EU の研究と教育を促進するための寄付講座で 1997 年には 1521 件あった。 内訳は、364 件がチェアシップ、582 件が常設講座、440 件が実験的講座などとなっている。 (7)ECSA(European Communities Studies Association)「EC 学会」 欧州委員会は、EC/EU の理解者を増やすために、EC/EU 学会の設立を支援してきた。 現在、世界の 34 カ国・地域に国別の EC/EU 学会がある。それぞれの設立年をみても欧州 委員会の戦略がわかる。アジア地域では EC 委員会が日本で EC 研究者大会を 1976 年に開 催して研究者の交流の場をつくり、これから日本 EC 学会が誕生したのは 80 年であった。 その後、日本でのやり方を参考にして中国西欧学会(84 年)、韓国 EU 学会(94 年)、タイ EU 学会(95 年)の設立を支援してきた。EC 学会は国別であるが、欧州委員会は地域別に もまとめ、世界的にも学会連合の設立を支援してきた。欧州 EC 学会(ECSA-Europe、1987 年)、東欧 EC 学会(ECSA-EAST、94 年)、地中海 EC 学会(ECSA-MED、94 年)、世界 27 『朝日新聞』2005 年 2 月 15 日付朝刊、第 6 面。 42 EC 学会(ECSA-World、92)年である。 (8)European Label 賞28 EU は語学教育と学習においての革新的な活動に対して、毎年 European Label 賞という 賞を与えている。この表彰制度は欧州委員会が加盟国との連携のもとで運営するもので、 その審査基準は活動が学習者、教師、教授法、教材のすべてを含む総合的なものであるこ と、付加価値が高いこと、学習者と教師に動機付けを与えるもの、独創性と創造性に富ん でいること、欧州的側面を持つこと、そして伝達可能であること、となっている。 (9)EU 歌・EU 旗 EU は他の国民国家と同様に EU の旗、EU の歌を制定している。日本でも国旗、国歌は 教育上、常に議論されている話題である。旗と歌には住民の歴史や意志が反映され、また その地域の住民としての意識を育むための要素をもっているからであろう。EU 旗は、紺碧 の青地に 12 の金の星をリング状に配置したもの、EU 歌は、ベートーベン作曲の交響曲第 九番「歓喜の歌(Ode to Joy)」を制定した。これらは「人々のためのヨーロッパ(People's Europe)委員会」 、通称「アドニノ委員会」の勧告に従って欧州委 員会が制定し、旗は 1955 年、歌は 1962 年に欧州審議会がヨーロ ッパの旗、歌として使用することを採択した。そして、欧州委員会 もこれらを EC としても使用することを決定した29。 28 29 駐日欧州委員会代表部、前掲書、3 ページ。 田中俊郎・庄司克宏編『EU と市民』慶應義塾大学出版会、2005 年、12 ページ。 43 第4章 統合と教育 前章までに見てきたように、EU は経済分野だけでなく、教育分野に関しても力をいれて いる。経済分野ほど即効性のある影響や経済的なプラス効果を教育分野に期待することは できないはずである。それにもかかわらず、予算や人員を充てているのはなぜであろうか、 そのねらいとは何なのだろうか。 いくつかの答えを考えることができるだろう。一つ目は、EU 構成国民の語学能力の向上 だろう。外国語学習を行う場合、その言語が使われている国に直接行く事、もしくはその 言語話者を教師として迎え入れることが最も効果的な方法であろう。その結果、外国語に 精通した人々がでてくる。外国語ができるということはそのまますぐに EU によって国境 の自由移動が実現されていること、EU という単一市場でのビジネスや就労機会の拡大とい う EU の利益を享受できるということを意味している。つまり、EU の制度、地理的拡がり による利点の積極的な活用を促進する形で外国語学習はその重要性をもっている。 二つ目として、EU という組織の中でそれを直接支える将来の人材を育成するという意図 も考えられる。欧州委員会など EU の中核組織ではその重要性はとても高い。EU の将来を 担ってく能力や意識をもった人々も不可欠だが、実際的には翻訳や通訳の仕事をする人々 が必要なのである。EU ではすべての加盟国の言語が公用語として認められている。それは 言語の対等性や文化的多様性の象徴として、また EU 法の各国への適用という視点からだ。 現在、EU の構成国は 25 カ国であり、20 カ国語が公用語である30。その結果、翻訳・通訳 が多方向に行われ、EU 機関従事者のうち約 3 分の 1 が翻訳・通訳の仕事に従事している31。 EU はその行政方針として「多様性の中の統一」ということを掲げている。既存の価値観を 否定せずに新たな枠組みを普及させる時には古い価値観を受容することが前提になるよう だ。20 カ国が公用語であるという現状、そして多方向の翻訳・通訳は、実際にはそのコスト の視点から合理性を欠いたものであるが、多様性という概念を考慮に入れると必要不可欠 な取り組みだといえる。実際に、アイルランド留学中、私と同じクラスにイタリア語、ド イツ語、フランス語、英語を使うイタリア人の女の子がいた。彼女も EU 機関で働くこと を望んでいたし、それも可能だと思う。EU 業務を行うため、統合を進めるため、EU の将 来を直接担っていく EU クラートの存在は必要不可欠である。聞くことを忘れてしまった が、彼女も EU の言語政策を使って実力を伸ばしているうちの一人であろう。 三つ目として、教育を通して文化的・言語的多様性を身につけることであろう。EU は多 くの教育政策の中で、異文化理解や共同体内での他者理解に教育の重点を置くと謳ってい 30 重複あり。例えば、イングランド-アイルランドはともに英語が公用語であり、ドイツ-オーストリアも ドイツ語を公用語している。 31 田中、前掲書、124-125 ページ。 44 る。外国での滞在経験や外国人との交流によって、不信感の払拭と他者に対する理解のき っかけを提供としようとする意図があるのではないだろうか。 これまで見てきたことは EU の広報誌などでも言及される内容である。しかし、これら 以外にも EU が教育政策を進めていく上で意図している効果やもしくはまったく意図して いない影響も考えられるように思う。そこでここでひとつ仮説を提示してみる。 「教育が共同体にとって重要なアイデンティティ(認識)を創り出す役割をもっているの ではないか」 ということである。つまり、EU の教育政策、特に外国語政策を EU が推進することで、 EU という共同体を維持、深化させていく上で重要な要素であるアイデンティティを生み出 す役割を教育がもっているのではないだろうか、ということである。そこで、まずアイデ ンティティと統合(=共同体形成過程)の関係をみることにする。次に、教育とアイデン ティティの関係を明らかにすることで教育と統合の関係性を導き出せるのではないだろう かと考えている。 <仮説> 教育 共同体 (=統合) 創り出す 不可欠な要素 アイデンティティ 第1節 共同体におけるアイデンティティの必要性 本論文では、統合を第2章で述べた通り「共同体形成の過程」だと位置づけている。条 件説でも過程説でも、また交流主義理論でも新機能主義理論でも、最終的な目標は共同体 の形成だとしている。統合することは共同体を創りだすことであるから、その共同体にと ってアイデンティティはどのような関係にあるのか、まずそれを明らかにすることにする。 それを考える前提としてアイデンティティとは何か、ということを定義しなければならな い。『現代政治学小辞典』によれば、アイデンティティとは 45 「自己同一性、自己認識などと訳される。人格の統合性と一貫性があることで、自己 の不変性と連続性を確信できる状態32」 だとしている。ここでは帰属意識、自分が何者であるかという意識も含まれるだろう。国 家の場合、愛国心を培養する教育を強化し、国旗や国家などの国民的シンボルを多用して 人々のアイデンティティを国家に収斂させようとする33。そして、アイデンティティの重要 性は国民形成の理論においても取り上げられている。国民形成において主観的要素である 「意識」 「認識」 「意志」 、具体的には「同一の国民である、一つの国民集団を形成してそこ にとどまろうとする意志」が必要不可欠な要素だとしている34。 本論文ではアイデンティティを帰属意識ととらえている35。それぞれが独自性をもつ国民 国家を前提にした共同体の形成はきわめて不安定なものである。そこに国民国家の集合体 としての共同体に対する意識を持つことで、共同体として成立させるための「心理的セメ ント36」の役割をアイデンティティはもっているといえる。アイデンティティは統合によっ て形成される共同体にとって、その共同体を成立させるための一つ要素としての機能をも っているといえるだろう。 もう一つ共同体におけるアイデンティティの重要性を統合の果たすべき役割という視点 からみることにする。K.W. Deutsch(ドイッチュ)は、国民統合論者として、またナショナ リズム研究においてその業績を残しているが、第 1 章でも見たように国際統合理論の分野 でもその功績は大きい。国際政治学の入門書として位置づけられている“The Analysis of International Relations”の中でも、統合についての章を設け、統合の状態、統合の実現・ 維持について言及している。その中で、統合の主要な果たすべき課題を以下のように 4 つ に分類している。 ・平和維持 ・多目的能力の獲得 ・特定任務の遂行 ・新しい自己像と役割認識(role identity)の獲得 以上 4 つが統合の果たすべき課題であるとしている37。ドイッチュは統合を国民国家に代わ る新たな平和実現の手段として位置づけている。その中で彼は統合を過程として捉え、そ 32 33 34 35 36 37 阿部齊「アイデンティティ」阿部齊・内田満・高柳先男編『現代政治学小事典 [新版]』有斐閣、 1999 年、1 ページ。 同上、1-2 ページ。 衛藤他、前掲書、143-146 ページ。 馬場伸也『アイデンティティの国際政治学』東京大学出版会、1986 年、201 ページを参考にした。 衛藤他、前掲書、153 ページ。 K.W.Deutsch, The Analysis of International Relations, (3rd) Prentice Hall, 1988, p271 46 の結果として安全保障共同体が出来上がるとし、その中でも国民国家が自らの主権をある 超国家的組織に移譲することで成立する安全保障共同体を合成型と呼び、必ずしも主権移 譲が行われずに組織される共同体を多元型と呼んだのは第 1 章で確認した通りである。そ こで、先の4つの課題の中で特に注目したいのが「新しい自己像と役割認識(role identity) の獲得」である。そもそも統合という現象が発生したのは西ヨーロッパであり、それは戦 争という悲惨な事態を二度も繰り返してしまい、今度こそはそれを発生不可能のものにし ようとしたのがその思想背景である。それに学問的刺激をうけてアメリカで発達したのが 国際統合理論であった。統合は国民国家では戦争を防ぐことができないとし、国民国家に かわる主体を創り出すことを主たる目的としている。その過程で共同体各構成国国民がそ の帰属意識や忠誠心を他の主体に、一部ではあるがその対象を変更していくことが求めら れる。それが「新しい自己像と役割認識(role identity)の獲得」ということである。人々 の帰属意識を一つの国民国家にのみ限定させておくのではなく、それを複数の国民国家で 形成された共同体へと部分的に変更していくこと、または新たに獲得してもらうことが将 来的には戦争の発生を不可能にさせていくことになる。統合によって創りだされる共同体 に人々の帰属意識、本論文で定義するアイデンティティを移譲させる、または自国へのそ れと並存する形で持たせることは統合の一つの重要な果たすべき課題であり、統合の存在 意義である。ここに共同体におけるアイデンティティの必要性を見て取ることができる。 47 第2節 EU のアイデンティティ状況 1 多元的アイデンティティ 現状で EU に対して EU 構成国民はアイデ 欧州人としての意識 ンティティをもっているのかということを確 認する。それを示す一つの指標としてユーロバ ロメーターという EU が行なう意識調査があ る。1996 年秋の世論調査で EU 旧加盟 15 カ 自分は欧州人だ 1996年 欧州人であり、自国民 だ 自国民であり、欧州人 だ 欧州人として意識して いない 国の国民のヨーロッパ人としてのアイデンテ ィティを調べた結果、「自分は欧州人だ」との 答えが 5%、「自分はまず欧州人で次に自国民 だ」が6%、 「自分はまず自国民で次に欧州人 だ」が 40%で、計 51%の人が少なからず「欧 2004年 0% 50% 100% 出典:田中俊郎『EU の政治』岩波書店 1999 年、66 ページ、 『朝日新聞』2005 年 2 月 15 日付、朝刊第 6 面を もとに筆者作成 州人」意識を持っていた38。そして、2004 年春の同様の世論調査では「自分は欧州人だ」 との答えが4%、「自分はまず欧州人で次に自国民だ」が6%、「自分はまず自国民で次に 欧州人だ」が 46%で、計 56%の人が「欧州人」意識を持っていた39という結果がでた。 8 年前の調査結果とアイデンティティ状況と比較して、ほとんど変化みられないが、ただ 欧州人としての意識は少なからず存在することは間違いのないことである。EU 構成国国民 は、自国民としてのアイデンティティとは別にヨーロッパ人としてのアイデンティティも 持つことが現実として確認できる。 また 2002 年春に「あなたは欧州人と 欧州人としての誇り(%) して誇りをもちますか?」という別の意 識調査が行なわれた。回答の選択肢とし とても誇りをもつ・いくら か誇りをもつ あまり誇りをもたない・ まったくもたない ては「とても誇りをもつ」、「いくらか誇 りをもつ」、 「あまり誇りをもたない・ま ったくもたない」の三つが用意された。 その結果、約4分の1(平均 27%)の 出典:European Commission, Key facts and figures about the European Union, 2004、 67 ページをもとに筆者作成 EU 構成国国民が「あまり誇りをもたない・まったくもたない」という回答をしている。一 方、 「とても誇りをもつ・いくらか誇りをもつ」と答えた割合は、EU 旧 15 カ国で平均 62% であった40。 38 田中、前掲書、64-66 ページ。 年 2 月 15 日付、朝刊、第 6 面。 European Commission, Key facts and figures about the European Union, 2004, p67 39『朝日新聞』2005 40 48 このように、現状で程度の差こそあれ「欧州人」つまり「EU 市民」であると意識する人々 がすでに存在することがわかる。これを導き出せる事は重要なことである。そもそも「意 識」というものは一人ひとり異なるもので一様であるはずがなく、またどの条件によって 個人の中にその「意識」をつくり出すか定義づけることはできない。しかし、この調査で 「欧州人である」と答えた人々をみる限り「意識の存在」自体は否定することはできない。 事実、私自身でも出身県の長野県に対して特別な「意識」があり、また富山県に対しても 同様なものが存在する。一方、他県、例えば石川県に対しては、私は何の「意識」も持っ ていない。このようにある集団や地理的概念に対して何らかの「意識」を一般化して述べ ることはできないが、その意識が存在することは自身の例からしても納得のできることで ある。 このように自国への意識をもつこと、また EU への意識をもつことは両立している現状 がある。二つのアイデンティティは共存可能なものであって、同時にもつことができるも のなのである。言い換えれば、国内統合と国際統合とが相対立せずに両立していることに なる。違う例を引いてくれば、スコットランド場合、EU の意識がスコットランドのそれを 超越し、否定しない限りふたつの意識は同時に共存可能だとしている41。国家の教育は自国 へのアイデンティティを育てるためであり、また国民を形成するためのものである。これ と並行して、EU アイデンティティを人々にもたせることができたのは EU にとって大きな 成果である。 では、なぜ多元的なアイデンティティを人々はもつことができるのだろうか。それには いくつかの答えが考えられる。まず一つ目として、西欧特有の理由である「国民国家とし ての完成」ということが考えられる。EU 構成各国は国民国家として長く成立していた。国 民国家体系は1章でふれたように、17 世紀中頃ヨーロッパから誕生したものであった。そ して、各国はその形成過程において教育などの手段を用いながら国民を創っていった。こ れが国民国家に対する意識をはぐくむことにつながった。しかし、国民国家としてそのよ うに完成されていても、二度の大戦を引き起こしてしまったという反省が EU の設立の動 機となっていたことは2章で確認した通りである。国民国家として、また国民として完成 していた人々が国家という枠組み以外の平和を実現させる共同体に新たなアイデンティテ ィのよりどころを求めたのだ。この結果、EU に対してもアイデンティティを持つことが可 能となったのだ。「EU 市民である」という認識の前提としての自国民という基盤が完成、 そして平和への想いがあったことがふたつの意識の両立に大きくかかわっているのだろう。 41 一條都子「現代スコットランドのナショナリズムにおける「ヨーロッパ」の役割」『国際政治』110 号、 日本国際政治学会編、1995 年、85-98 ページ。 49 しかし、このような現象が起きることはある意味では必然かもしれない。現代人が自己 の存在規定をなす場合、国家は彼にとって必ずしも第一義的な生活世界ではなくなってき た。個人は自己のアイデンティティを国家以外の世界(社会)に求めることもありうるよ うになってきたのだ42。自己の利益追求を実現させる手段として国民国家以外の主体が認知 されるようになれば、それは自然の流れとして国民国家以外の主体に人々のアイデンティ ティは移っていくだろうし、また自国のそれと相反しない限りそれら互いに並存可能であ ろう。そして、EU を事例としてその状態を概念化したのが梶田孝道先生である。梶田先生 は、その状態を「3 空間並存モデル」とし、アイデンティティの可変性、フレキシブル・ア イデンティティということを提唱している。 国家主権の一部が移譲されるかたちで EC ないし EU という超国家が誕生し、国民 国家の絶対性が揺らいできている。それと同時に地域や民族の自律化の動きが強ま り、分権化や連邦化の動きが進んでいる。こうしたなかで、人々のアイデンティティ や帰属対象は、従来のような国民国家ではく、EU・国家・地域という 3 つの単位に分有 されるに至っている43。 そして、このような状態では、場面や場所によって自己のアイデンティティを使い分ける 柔軟さを身につけた人々が多くなってきている44という現状が出てきているようだ。以上は EU 構成国国民が自国に対するアイデンティティだけではなく、EU という超国家的組織に 対してもアイデンティティをもつ可能性があることを示唆している。 2 自分の経験から 実際に、私自身が EU アイデンティティをもっている人々を会えたり、そのアイデンテ ィティを感じることはできたのかといえば、 「できた」といえる。ただし、これは私自身の 主観的な解釈で学術的な裏づけがあるわけではない。しかし、アイルランドという第一次 拡大 EU の加盟国に英語を習得しようと滞在している EU 構成国の人々と直接話すことが でき、そこから純粋に感じ取ることができたことは EU を直接感じるひとつの重要な機会 だったと思う。 まず、EU アイデンティティをもっていると感じた人の一人として前にも紹介させてもら ったイタリア人の英語教師、ヴァンニ・スカンデリさんをあげることができる。私は彼によ って EU、そして教育政策というものを知ることとなった。彼はイタリアで英語教師をして いるのだが、EU の教育プログラムのイタリア北部の地域代表も務めていた。イタリアでの 42 43 44 馬場、前掲書、232 ページ。 梶田、前掲書、1996 年、344 ページ。 同上、187 ページ。 50 英語学習の普及とより効率的な学習方法を提供することが彼の職務であると聞いた。その 職務の一環で、アイルランドの英語語学学校へ視察もかねてやって来ていた。彼はイタリ アのこと、教師という仕事の魅力はもちろん、EU 大で仕事をすることの楽しさを語ってく れた。彼と接する中で強く感じたことは、彼がまずイタリア人として話をし、そしてその 次に EU 市民として自分を位置づけているということだ。特に英語教育に関して、英語の 教授活動をいかに英語を母国語としている国々と連携して行っていくかを考えていたこと が印象に残っている。彼の中に EU 市民として意識があるかは直接聞くことはなかったが、 彼の思考の中に EU という集団、地域があったことは十分に考えられるだろう。 他にも、私が EU アイデンティティを感じた瞬間としては、2004 年 5 月 1 日にアイルラ ンドで放映されていたテレビ放送がある。どこのテレビ局か記憶が定かでないが、ある東 欧の国の女性がインタビューに答えてこう言っていた。 「これで私達もヨーロッパの仲間入 りができました。」この日は、EU の第 5 次拡大の日であり、特に旧共産圏の国々などが EU に加わったということで大きな意味をもっているとされていた。自国民であるという意識 のみをもっていたが、その日を境に EU 市民であるという意識を持つことも可能となった のだ。これはあくまでも推測だが、ヨーロッパ=EU という考え方が彼女の中に存在し、そ こに帰属することが羨望の的であったのだと思う。そして、そういう人々にとって他者に 示す一つのアイデンティティとして EU というアイデンティティが存在しても自然なよう に思う。 第3節 教育によるアイデンティティ形成 アイデンティティと教育はどのような関係にあるのだろうか。ここでは国際統合に限定 せずに、国民統合、社会統合としての一般的なアイデンティティと教育の関係をみること にする。 教育は社会的統合と市民としてのアイデンティティを作り上げる上で鍵的道具45として認 識されており、国民国家の形成時期においてその果たす役割は大きいものだった。国民教 育制度の創設への主要な起動力は、国家に訓練された管理者、技術者、軍人を供給するこ と、支配的な文化を普及し、人々の意識を国民としてのイデオロギーに強化すること46など であった。そして、教育は国民国家の発展に大きく関わってきた。普遍的で公共的制度と しての国民教育制度は国家形成の道具としてまず革命後のヨーロッパに登場し、新しい国 45 46 A・グリーン『教育・グローバリゼーション・国民国家』東京都立大学出版会、2000 年、15 ページ。 同上、56 ページ。 51 民国家の構築と統合のための強力な推進力を与え、国民国家を支える主要な制度的土台の ひとつとなった47。具体的には、国民教育制度は出生や自発的な国籍取得によって国民とみ なされる人々を積極的で行動的な市民に変え、国民を国家に結びつけ、国民的自覚を創出 したか、あるいは創出しようとしてきたのである48。このように国民国家にとって教育は形 成時において、また国民を新たな形で動員する時においても必要な手段であり、教育に期 待される効果は、例えば「私はフランス国民である」というような国民的なアイデンティ ティを創出することにあった。 第4節 アイデンティティ形成の具体的手法 教育によってアイデンティティがつくられるならば、どのようにそれはつくられるのだ ろうか。一つの考え方として B・アンダーソンが提示した「巡礼圏」というものがある。ア ンダーソンは『想像の共同体』の中で、従来の定説とは異なる視点から民族・国民について 考察している。通常、民族・国民は血統、人種、言語などの属性によって定義されることが 多いが、彼は民族・国民を「文化的創造物」としてとらえ、民族・国民を「想像の共同体」 とした。そして、その文化的創造物としての民族が誕生し存続するためには、文化的一体 感を維持・強化しうる客観的な条件が存在するとしている49。その一つの条件が「巡礼圏」 であり、具体的には「教育における巡礼圏」である。では、この巡礼圏とはなにか。国民 意識や地理的な国家の範囲の感覚を形成するものとして「巡礼圏」という人の移動の経路 が重要性をもつ点が指摘されている。そして、それを通して人々は一つの共有された「世 界」を認識するという。アンダーソンは著書の中で 巡礼の旅のなかで、かれらは、さまざまの、そしておそらくかつては敵対していた土 地からやってきた旅の同伴者、小学校では村々から、中学校、高校ではさまざまの民 族言語集団出身の、そして首都の高等教育機関では植民地の全域からやってきた巡礼 仲間と巡り合った50 のように高等教育へのアクセスやエリートたちの昇進を伴った一定の領域内に限定された 地理的移動によって「われわれの土地」と「われわれ意識」が共有されるとしている。た とえ巡礼圏を共にする者がまったく未知の対象であっても、その同じ工程を共に進んでい る現実によってその他人を自分の仲間として意識するようになるということである。ここ 47 48 49 50 グリーン、前掲書、11 ページ。 同上、178 ページ。 梶田孝道『国際社会学のパースペクティブ』東京大学出版会、1996 年、61 ページ。 B・アンダーソン『増補 想像の共同体』NTT 出版、2001 年、198 ページ。 52 でいう「われわれ意識」はわれわれ以外の他者区別するアイデンティティとして捉えるこ とができるだろう。 次に、このわれわれ意識をコミュニケーション理論から考えてみることにする。コミュ ニケーション理論とは国民と国家の形成過程を導き出した理論であり、この理論の代表的 な研究者はK.W.ドイッチュである。ドイッチュはまずコミュニケーションを財貨、資本、 労働などの移動に関するものと、情報に関するものとの二つにわける。そして、資本主義 の勃興期には自給自足的な小単位にかわって分業が発展し、それによりコミュニケーショ ンの密な地域ができてくる。その経済面での共通圏の成立にともなって、交流の必要から 情報面における共通圏が一定の範囲に成立する51。以上は、国民国家形成期においての状況 を表しているものだが、現代においても国家社会間のさまざまなレベルでのコミュケーシ ョンやトランザクションの増大によって、人々の交流の心情や態度の面で「われわれ意識 (we-feeling)」が実際に起こるという。国々は貿易を中心として経済交流を深め、通信や 情報、人的交流を増大せしめることによって、政府主体や市民同士の間に心情レベルにお いて質的な変化(敵対意識から仲間意識へというように)が発生するとしている52。コミュ ニケーションの増大が人々の間に「われわれ意識」をつくり出すのだ。 ドイッチュは、この国際政治のコミュニケーション理論を国際統合理論にも適用し、こ の「われわれ意識」の成立が共同体をつくり出す条件としている。 第5節 EU の教育政策とアイデンティティ ・教育巡礼圏を参考に考える 実際に、EU の事例を教育巡礼圏の視点から考えてみる。まず留学についてだが、これを 主に行っている EU 教育政策はエラスムス・プログラムである。このプログラムは主には大 学間の単位互換制度をもとに計画され、留学のための奨学金を支給するなど学生の移動を 促進させる政策だ。この制度のもとで自国以外の EU 構成国へ留学をすることで、そこで 今までまったく未知の存在であった他者との接触することになるが、EU が行う同じプログ ラムに参加しているという意識からその他者とも意識を共有し、EU 構成国民であるという 「われわれ意識」つまりアイデンティティを得ることになるだろう。また地理的な移動が EU 域内に限定されているということで、人々の認識が実際に移動することを通して、EU というものを地理的概念として「われわれの土地」として認識するようになるだろう。 51 52 岡部達味『国際政治の分析枠組』東京大学出版会、2000 年、12-13 ページ。 有賀他、前掲書、26 ページ。 53 次に、ヨーロッパ大学院についてだが、この教育の最高学府を目指すことも巡礼圏とい うことに密接にかかわっていると考えている。この大学院大学の卒業生は約 7500 人にのぼ るが、そのうち約 800 人は欧州委員会、欧州議会など EU 機関で働いている。職員数の 2 万人の EU の組織の中では決して大集団ではないが、欧州委員会の事務方のトップである 事務局長のほか官房スタッフ 200 人のうち 30 人を同校 OB が占めており、「EU の中では 一番出世に有利な学閥」といわれている53。このように欧州大学院大学を頂点とした教育的 巡礼が行われることで、今まで同じ共同体の構成者でありながら、未知の他者として認識 されていた人々が自分と同じであるという「われわれ意識」をもつことになるだろう。そ して、この中で注目すべきはスペイン、ポルトガルといった EU 周辺部の国々の学生たち のブリュッセルなどのベルギーの諸都市に位置するヨーロッパ研究のための高等教育機関 など EU の中心部への留学することで、ヨーロッパ関係の仕事に従事する人々が増えてい ること54など EU 機関での就職を頂点とする新たな教育、官僚巡礼圏が形成され、それがア イデンティティを形成につながっていくだろう。 また違う視点からいえば、エラスムスや大学院大学は大学生を対象とする高等教育が中 心であったが、中等・生涯教育に関しても同様のことがいえる。それを主に代表するプログ ラムはグルントヴィ(生涯学習を主な政策領域とする)、コメニウス(中等教育を主な政策 領域とする)である。中等教育は幼少期から EU を意識させ、また他の EU 構成国民と出 会うことで子どもたちのヨーロッパ意識の醸成に大きく影響を与えるだろう。生涯学習に 関しても、自国民としてすでに確固とした自国に対するアイデンティティを持っていても、 EU としての教育的巡礼に再度参加することで今まで他者と認識していた人々に対しても 同じ巡礼の過程を行っていると意識し、それが自国民としてのアイデンティティ以外に多 元的に EU という一つの対象をもとに他者と自分とを含めたアイデンティティを得ること を可能にさせるだろう。 ・コミュニケーション理論を参考に考える EU は ECSC という組織で石炭・鉄鋼を共同管理するところから始まった。その後、EC へと発展し、ヨーロッパ各国はひとつの共同体としてまとまりをみせ、特に経済分野での 利益追求を行ってきた。その過程で構成国間で関税が撤廃され、国境の自由移動を確保し、 共通の経済政策を打ち出し、そして共通の通貨を流通させることに成功してきた。このよ うに EU 構成各国は経済交流を密にしてきた。また通信や情報に関しても同様のことがい 53 54 『朝日新聞』2005 年 2 月 15 日付、朝刊第 6 面。 梶田、前掲書、1996 年、73 ページ。 54 える。人的交流に関しても国境の自由移動が保障されたことで国境を越えての人々の移動 はより拡大した。 この人の移動に関して教育の視点からみてみる。ソクラテス計画にふくまれるエラスム ス・プログラムは簡単に言えば人材交流プログラムである。これは直接的に人々の移動を促 進させ、その結果として交流の機会を提供している。交流をすることが相互に理解するき っかけとなり、相互の行動の予測性が強まり、それだけで相互信頼の程度が高くなる。こ れが敵対意識から仲間意識への変化を生み出す。未知の対象であった人々を既知の存在、 理解しあっている存在として認めることで「われわれ意識」が醸成される。この「われわ れ意識」が本論文でいう共同体としてのアイデンティティと捉えることができるだろう。 この意識は帰属意識としてというよりはむしろ相手を敵としてではなく、仲間として「認 識」することという意味においてである。その「認識」を共有された一つのアイデンティ ティと考えることができるだろう。 またリングア・プログラムも「われわれ意識」をつくり出す上で、重要な働きを持ってい るのではないだろうか。リングア・プログラムは外国語学習促進プログラムである。コミュ ニケーションを行う上で言語は非常に大きな役割をもっている。言語を使いこなせること は経済活動を円滑にすすめる手段としてもだが、相手を一番よく理解する手段として直接 会話をすることの根本をなす能力といえるだろう。相互理解を可能にさせるために言語学 習は不可欠な努力である。EU はすべての EU 構成国民に少なくとも 2 つ以上の EU 言語の 習得を奨励している。リングアはその最たる例であるが、言語習得を奨励することで他者 理解をすすめる術を確保し、それにより相互に敵対意識ではなく仲間意識としての「われ われ意識」を生み出すことにつながるだろう。 ミネルバ・プログラムも「われわれ意識」の醸成に役割を果たしていると考える。ミネル バはコンピュータやインターネットを教育に取り入れることを EU 大で行うことを奨励し ているプログラムである。エラスムスで多くの学生が留学をし、言語を学び、交流を深め ていることは事実だが、その限界としてすべての学生がそれに参加することが達成されて いるわけではない。なかには留学そのものに興味を抱かない学生もいるだろう。そこでミ ネルバである。このプログラムによって遠隔地教育が可能となっている。移動のコストや 時間をかけずとも自国の教室で他国の学生と交流を図ることが可能なのだ。それが新たな 言語学習の動機になる可能性もあるし、相互理解をすすめるきっかけにもなるだろう。そ の相互理解が「われわれ意識」の醸成につながるということができる。 また The College of Europe(欧州大学院大学)、European University Institute(ヨー ロッパ大学院)も直接的な交流の場としてその存在意義がある。ヨーロッパを学ぶ場とし て集まってきた他のヨーロッパ人と交流することで、お互いにヨーロッパという枠組みで 55 自分たちを一つの集団として認識するようになるだろう。 学習プログラムだけでなく職業訓練プログラムに関しても同様の観点からのその有益性 をみることができる。レオナルド計画は労働者が新しい職場環境に早期に対応できるよう 職業訓練の機会を拡充することもその範疇だが、それと並行して国際的な交流とノウハウ や経験、技術の共有化のためのプロジェクトも支援している。学習段階にある者だけでな く、実際に労働従事者に対しても交流の機会を設けている。仮にまったく外国との接点の ない仕事に就いている人々であっても、そこで使われているノウハウや経験を共有するこ とが政策として奨励されていることで外国との接点が生まれ、それが相互理解や認識への きっかけとなるだろう。そして、その段階において外国語学習の必要性を感じた場合など その要求を満たすプログラムとして成人教育を奨励しているグルントヴィ・プログラムが 用意されているのではないだろうか。このように学習面からも職業面からも相互に関連し ながらコミュニケーションを増大させることで「われわれ意識」を生み出されていく。 第6節 教育と統合の結びつき これまでみてきたように教育とアイデンティティ、アイデンティティと統合(共同体形 成)は密接に関連していることが明らかになった。教育は国民国家形成時においてその国 民の創設、そして人々のなかに国民という意識をつくり出すことをその役割としてきた。 それが国民国家を分裂させずに社会統合する手段であった。また、今まで国民国家のみが 唯一のアイデンティティのよりどころとされていたが、それでは戦争という事態を避けら れないことが判明し、そのアイデンティティを別の主体に移行させる必要性があることに 統合の課題、存在意義がある。これによりアイデンティティが統合にとって不可欠な要素 であることが明らかになった。では、最も重要なテーマであった教育と統合との関係性で あるが、アイデンティティを媒介としてその二つの関係性をみると以下のことがいえる。 統合にとって人々に異なるアイデンティティを新たな共同体に対して持たせることは統 合の存在意義という点から必要不可欠のことである。ただ、新たに持ったアイデンティテ ィのみの存在を認めるのではなく、既存のアイデンティティも同時に肯定し、多元的なア イデンティティを持たせることが重要となる。それは EU の事例をみてもあきらかであろ う。そして、そのアイデンティティは教育という手段、具体的には教育巡礼圏、コミュニ ケーション理論によって人々の中につくり出されていく。仮説は 「教育が共同体にとって重要なアイデンティティ(認識)を創り出す役割をもっているの ではないか」 であった。教育によってつくり出されたアイデンティティは統合にとって必要不可欠な要 56 素である。その意味で、統合にとって教育は統合の存在意義、また新たな平和秩序の構築 という統合の原初的目的を達成する上で不可欠な要素をつくり出す役割をもっているとい うことができる。 57 結論 現在、世界の多くの地域で国民国家を主体とした地域統合が進展している。その中でも EU は戦後いち早く共同体の形成に動き出した。設立当初の目的は経済分野の統合を行なう ことでの不戦共同体の実現を目指すことであった。歴史の中で統合の停滞を経験したもの の、現在、経済分野だけでなくその他の分野でも共通政策を実現させるなどその統合は深 化している。その EU が教育分野にも共通性をもって政策を実行していると知ったとき、 EU 主導の共通の教育政策など本当に実現可能なのだろうかという純粋な疑問がでてきた。 そこで、本論文では統合と教育の関係性を明らかにすることをその目的としてきた。 まず確認すべきはそもそも「統合とは何か」ということであった。従来の国民国家体系 では実現され得なかった平和の実現を国際統合は統合現象の政治過程を通して新たな国と 国の関係をつくることで、国際社会に「戦争の非制度化」としてつくり出す試みであった。 その統合の動きに対応する形で国際統合理論が発展したが統合の捉え方、統合と国家との 関係について議論が大きく分かれる結果となった。しかし、共通して言えたことはどの研 究者も統合により何らかの共同体が形成されること、統合を平和実現の手段としたことで あった。 これを踏まえた上で、次に EU についてみることにした。EU の歴史的過程を見れば明ら かなように国益と共同体の利益の衝突が深刻な統合の停滞を招いたが、現状において EU はその権限と影響力を増し、新たな国家間関係が出来上がりつつある。その統合を支える 思想として二度と戦争を引き起こしたくないというフランス、ドイツの人々の意識があり、 それをヨーロッパの範囲まで拡げようとしたことがあった。平和の実現の手段としての EU である。 その EU が取り組んでいる一つの分野に教育分野がある。教育に関する議論は ECSC 発 足当初からなされてはいたが実際的な政策として実現されてこなかった。しかし、経済分 野を補完する形で教育の必要性が説かれ、一般教育に対して依然として抵抗があったもの の次第に EC 主導の政策が行なわれていった。そして、統合の進展に伴い教育政策の領域は 拡大していった。ソクラテス計画の中のエラスムス・プログラムに代表される学生の域内 移動の奨励、リングア・プログラムの範疇である外国語学習促進など EU の教育政策はよ り多くの人々に対して行なわれるようになってきた。 その教育政策が統合という現象とどうかかわっているのか。それを明らかにする手段と して「アイデンティティ」という概念をあげ仮説を立ててみた。 「教育が共同体にとって重要なアイデンティティ(認識)を創り出す役割をもっているの ではないか」 である。 58 統合という共同体形成の過程において、各構成国の国民のもつアイデンティティを一部 ではあるが別の主体である共同体に移行させることが重要であり、それが将来的な戦争の 発生を抑制するということであった。つまり、統合とアイデンティティの関係は統合の存 在意義という点で密接に関係していたのだ。現状を確認する限り EU に対してアイデンテ ィティをもっていると感じる人々は存在するし、私自身の経験としてもそうだといえる。 この自国へのアイデンティティと EU へのアイデンティティが並存していることは、一見 奇妙であるが西欧諸国特有の状況によって説明することができた。また教育とアイデンテ ィティの関係であるが、これは国民国家形成の事例からその関連性を導き出した。しかし、 ここで一番重要となるのが具体的にどう教育がアイデンティティを生み出すかである。本 論文では B・アンダーソン『創造の共同体』の中から「教育巡礼圏」という考え方を取り 入れた。文化的一体感を維持・強化するための客観的条件を教育として、巡礼という移動 を行なうことで他者との間に「われわれ意識」が醸成されるとしている。これに EU の教 育政策をあてはめると人の移動を奨励するプログラムが存在し、また同じ政策の中で経験 を共有する機会を得ることで他者との間に「われわれ意識」がうまれることが考えられる だろう。 もう一つアイデンティティを生み出す方法として「コミュニケーション理論」を取り上 げた。これは K.W.ドイッチュの理論だが、彼は国家社会間のさまざまなレベルでのコミュ ケーションやトランザクションの増大によって人々の交流の心情や態度の面で「われわれ 意識(we-feeling)」が実際に起こるとした。そして、国々は貿易を中心として経済交流を 深め、通信や情報、人的交流を増大せしめることによって、政府主体や市民同士の間に心 情レベルにおいて質的な変化(敵対意識から仲間意識へというように)が発生するとして いる。これも同様に EU にあてはめてみると人の移動が実際に教育政策として行なわれ、 コミュニケーションを高めるための語学学習も促進され、またそれは学習者のみにいえる ことではなく労働者についてもコミュニケーションが取れる機会が確保されている。これ により人々の間に「われわれ意識」が生み出され、一つのアイデンティティが獲得されて いくだろう。 調査が進むにつれて各国で行なわれているヨーロッパに関する教育「ヨーロッパ教育」 の存在を知ったが今回調査することができなかった。同様にアイデンティティ形成の具体 的手法なども他の選択肢があったはずだが、直接扱うことができなかった。しかし、今ま での調査、分析を踏まえて言えることは、統合にとって教育は、統合の存在意義、また新 たな平和秩序の構築という統合の原初的目的を達成する上で不可欠な要素であるアイデン ティティをつくり出す役割をもっている、ということだ。 59 おわりに 今回、このテーマで論文を書き進められたのは、他でもない、自分の経験がそのベース にあったからです。ひとつの決断として留学をし、そこで感じた EU という主体に好奇心 をかき立てられ、またそこで出会えた人によってそれは更に刺激を受けました。この経験 なしにこの論文は存在しません。 この論文を通して発見できたことはたくさんあります。統合という現象、それに刺激を 受け発展した理論、EU についての知識、アイデンティティについてなど本当に多くを学び ました。その中でも最も印象に残っていることに統合の思想があります。人々の平和を希 求する想いが統合という新しい国家間関係の成立に国家を動かしたのです。自己の反省の 上に統合があり、そしてそれは現在の安定だけでなく将来の平和もその射程としていまし た。これは本質的な統合の理解といえるかもしれません。そして、アイデンティティとい う人々の気持ちを手がかりとして、国家や超国家組織の力学、その教育との関係性を研究 できたことにもとても満足しています。もちろんやり残したことはあります。ただ、研究 を通して自分の経験を違った角度から捉えられたことは今後の自分の生活に必ず活きてく ることだと思っています。 「EU」と「教育」。このふたつは私にとって分岐点であり、将来です。EU という歴史上 類をみない主体は今後どう変化を遂げていくのか。それが問題をはらんでいることも事実 ですが、一人でも多くの人がその恩恵に与るような変化が起こることを期待したいです。 私自身も自分の分岐点としてのその場所に今後も関心を向けつづけていくことは間違いの ないことです。また、教育についてもその果たす役割、重要性、責任、そして影響力の大 きさをあらためて認識することとなりました。だから、自分自身をもっともっと成長させ ながら、常に教育というものに向き合っていこうと強く思います。今までの自分を振り返 り、これからの自分を見据え、両者を結びつけるという意味でこの研究は卒業論文であり、 同時に人生のひとつの区切りのレポートのように、今あらためて感じています。 最後になりましたが、この論文を完成させる上で、資料や具体的な助言を下さった竹村 卓先生、論文の流れや分析の手がかりを示して下さった林夏生先生、質問やアドバイスだ けでなくこの大学 4 年生という時間をかけがえのないものにしてくれた比較社会論コース 4 年生のみんな、2・3 年生のみんな、直接的なきっかけを下さったヴァンニさん、そして 今まで出会えたすべて人、いつも支えてくれた家族に、心から感謝しています。本当にあ りがとうございました。 60 参考文献 <文献> A・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店、2000 年 有賀貞・宇野重昭・木戸蓊・山本吉宣・渡辺昭夫編『講座国際政治 3 現代世界の分離と統合』 東京大学出版会、1989 年 A・グリーン『教育・グローバリゼーション・国民国家』東京都立大学出版会、2000 年 W・ウォーレンス『西ヨーロッパの変容』岩波書店、1993 年 衛藤瀋吉・渡辺昭夫・公文俊平・平野健一郎『国際関係論 第二版』東京大学出版会、1997 年 大嶽秀夫・鴨武彦・曽根泰教『政治学』有斐閣、1996 年 岡部達味『国際政治の分析枠組』東京大学出版会、2000 年 梶田孝道『新しい民族問題』中公新書、1993 年 同 『統合と分裂のヨーロッパ』岩波新書、1993 年 同 『国際社会学のパースペクティブ』東京大学出版会、1996 年 同 編『国際社会学 国家を超える現象をどうとらえるか』名古屋大学出版会、1996 年 樺山紘一・長尾龍一編『ヨーロッパのアイデンティティ』新世社、1993 年 鴨武彦『国際統合理論の研究』早稲田大学出版部、1985 年 同 『ヨーロッパ統合』NHK ブックス、1992 年 同編『講座・世紀間の世界政治 第 2 巻 ヨーロッパの国際秩序』日本評論社、1993 年 同 『岩波講座 社会科学の方法 11 グローバル・ネットワーク』岩波書店、1994 年 久野弘幸『ヨーロッパ教育 歴史と展望』玉川大学出版部、2004 年 小林康夫・船曳建夫編『知の技法』東京大学出版会、1994 年 J・ラフィット、P・アルジェン『ヨーロッパ統合』創元社、2005 年 田中俊郎『EU の政治』岩波書店、1999 年 田中俊郎・庄司克宏編『EU と市民』慶應義塾大学出版会、2005 年 D・ヒーター『統一ヨーロッパへの道』岩波書店、1994 年 西川長雄・宮島喬編『ヨーロッパ統合と文化・民族問題』人文書院、1995 年 日本国際政治学会編『国際政治』第 110 号「エスニシティと EU」、1995 年 馬場伸也『アイデンティティの国際政治学』東京大学出版会、1986 年 B・アンダーソン『増補 創造の共同体』NTT 出版、2001 年 森井裕一編『国際関係の中の拡大 EU』信山社、2005 年 三浦信孝編『多言語主義とは何か』藤原書店、1997 年 宮島喬『ひとつのヨーロッパ いくつものヨーロッパ』東京大学出版会、1992 年 宮島喬『ヨーロッパ統合のゆくえ』人文書院、2001 年 61 百瀬宏『国際関係学』東京大学出版会、1994 年 山影進・岩田一政・山本吉宣・寺田彰編『国際関係研究入門』東京大学出版会、1996 年 K.W.Deutsch, The Analysis of International Relations, (3rd) Prentice Hall, USA, 1988 <辞典> 阿部齊・内田満・高柳先男編『現代政治学小事典 [新版]』有斐閣、1999 年 川田侃・大畠英樹編『国際政治経済辞典』東京書籍、2000 年 <新聞> 『朝日新聞』 <冊子> European Commission, Key facts and figures about the European Union, 2004 _, Guide to programmes, 1997 駐日欧州委員会代表部『europe』第 242 号、2005 年 <ウェブサイト> 欧州連合(EU)公式ホームページ 外務省公式ホームページ http://europa.eu.int http://www.mofa.go.jp 62
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