第 1 章 序論 1.1 研究の背景 現在までに打ち上げられた人工衛星の数は約 5,000 機であり、現在地球上空を周回中の 人工衛星は約 2,600 機である[1]。 人類の生活に欠かせない通信や気象観測をはじめとして、 天体観測や宇宙開発に至るまで、人工衛星はその目的に応じて様々な用途に運用されてお り、その恩恵は計り知れないものである。さらに今後、宇宙工場・宇宙ホテル・太陽発電 衛星といった宇宙空間の産業利用に向けた大型宇宙プラットホームへと展開していくと考 えられる。実際に、世界の静止軌道人工衛星開発状況をみると、通信容量の増大、複数ミ ッションの搭載等によるミッションペイロード重量の増加、大電力化、長寿命化の方向に 向かっており、今後の宇宙活動を展開していくためには大型衛星バスの開発が不可欠であ る。現在では、衛星の発電電力は 10kW超の規模に達しており、このような大電力を効率 的に運用するため、衛星のバス電圧は 100Vを採用しているものが多い。 人工衛星の運用軌道は、宇宙環境の違いから、高度数百kmの低地球軌道(Low Earth Orbit、 以下LEO)と、低地球軌道の中でも軌道傾斜角が 90 度(順行)または 270 度(逆行)に近い軌 道を極軌道(Polar Earth Orbit、以下PEO) 、また、高度 36,000kmの静止軌道(Geostationary Earth Orbit、以下GEO)に大別できる。LEO環境では、主に太陽からの紫外線により電離 された原子状酸素イオンからなり、最大密度 1012m-3程度のプラズマが存在する。PEO環境 に関しては、地球地場の影響で、高エネルギー電子が降り注いでいる。GEO環境において は、密度 106m-3程度の水素イオンによる薄いプラズマが存在しており、太陽風の変動に伴 う地球磁場撹乱によるサブストーム(磁気圏嵐)現象が特徴的である。サブストームが発 生すると、数 10keVもの高エネルギー電子フラックスが流入してくる。 このような環境では、人工衛星のバス電圧が増加すると共に、太陽電池アレイ上での放 電が発生し、宇宙機の安定運用を脅かすことが明らかになってきた。近年、GEO環境での プラズマによる衛星搭載太陽電池アレイの帯電放電事故が報告され[2]、宇宙プラズマ環境 と太陽電池アレイの相互作用により発生する放電の影響は深刻である。太陽電池アレイ上 1 で発生した放電は、回路を短絡させ、衛星の発電能力を低下、さらには運用不能に陥らせ る。 これらの帯電放電事故を防ぐために、打ち上げ前の地上試験により太陽電池アレイの耐 宇宙環境性を評価することが重要視されている。本研究室においても、独立行政法人宇宙 航空研究開発機構(JAXA)の委託を受けて、打ち上げ前の耐宇宙環境性能評価試験や、事故 を起こした衛星の不具合の原因究明の検証試験などの地上試験が行われてきた。地上試験 では、アークプラズマの特性を正確に模擬することが必要であるが、これらの模擬方法に ついては未だ諸説があり、世界的に異なった方法が用いられている。 1.2 放電原理 宇宙機の電位は、宇宙機に流出入する電流のバランスによって決まり、周囲のプラズマ 環境、日照条件、表面物性などに依存する。静止軌道環境においては、宇宙機には図 1-2-1 のように電流が流出入する。 イオンは電子に比べ質量が大きく、 移動度が格段に小さため、 宇宙機が周辺プラズマに対して持つ電位は、入射電子と光電子、二次電子の均衡によって 決まる。衛星の日照中は、光電子の放出が支配的になり、機体電位は数 V 程度である。日 陰中では、外部からの電子により数 kV 負に帯電する。また、日照中であっても、磁気嵐 (サブストーム)に遭遇すると、高エネルギーの電子が多量に流入するため、入射電子、 二次電子が支配的になり、電位は大きく負に沈む(絶対帯電) 。 ここで、太陽電池アレイの説明をする。図 1-2-2 に示すように宇宙用太陽電池は、導電 性の基盤の上に絶縁体のカプトンシートが貼られ、その上に RTV(Room Temperature Vulcanization)シリコン系接着剤により太陽電池セルが接着され、一番上には太陽電池セ ルの放射線による劣化を防ぐためのカバーガラスがある構造となっている。 各太陽電池は、 特異な形状をしたインターコネクタによって電極間が繋がれている。これは、軌道上での 熱サイクルによる膨張・収縮を緩和するための形状で、空間に露出される必要がある。こ のように、太陽電池アレイ上には、電界が集中する導電体‐絶縁体‐プラズマ空間の接す 2 る電気的三重接合点(トリプルジャンクション)が存在する。 宇宙機が絶対帯電(衛星構造体の電位が周辺プラズマに対して負電位を持つ)している 際、二次電子放出係数の違いにより、図 1-2-3 に示すように、カバーガラスなどの絶縁体 と宇宙機本体の導電体の間に電位差が生じる(局所帯電) 。この時、カバーガラスの電位の 方が高くなることを逆電位勾配という(図 1-2-4(a)) 。さらに、トリプルジャンクションで 電界集中が起き、金属表面から電界放出によって電子が放出され、カバーガラス側面に衝 突し、そこから二次電子が放出される(図 1-2-4(b)) 。これにより更にトリプルジャンクシ ョン近傍での電界が強められ、フィードバック効果によって、電界放出電流は増大する。 電界放出電流が増えるにつれて、カバーガラス側面を叩く電子が増えるために、カバーガ ラス側面に吸着していたガスが脱離し、薄いガス層を形成する(図 1-2-4(c)) 。そのガスの 中で電離が起きて放電が発生する。放電によってインターコネクタには正電荷が流れ込ん で放電電流となり、周辺のカバーガラスに蓄えられた電荷は放電プラズマによって中和さ れる(図 1-2-4(d)) 。カバーガラスの電荷が中和された後は、入射電子の流入により再帯電 し、再び同じ過程を繰り返し放電に至る。 このような単発の放電である静電気放電(Electrostatic discharge)がきっかけとなり、次 に記す二次的な放電が引き起こされることから、単発の放電をトリガ放電(Trigger arc, Primary arc, Primary ESD)とも呼ぶ。トリガ放電が発生すると、太陽電池セルが損傷され、 出力電力の低下が懸念される。また、太陽電池アレイ上に塗布された RTV 付近でのトリガ 放電は、シリコン蒸気を発生させ、カバーガラス表面にコンタミを形成することがある。 さらには、搭載機器の誤作動をもたらす電磁干渉などの原因にもなり得る。 このようなトリガ放電は単発な現象であるが、これよりもさらに懸念されるのは持続放 電である。太陽電池アレイは限られた面積に出来るだけ多く太陽電池セルを敷き詰めるた めに、図 1-2-4 に示すように、回路がパドル端で折り返されている。このため、正極端と 負極端が 1mm 以下のギャップに 1 回路分の出力電圧差がかかる箇所が存在する。その近 傍でトリガ放電が発生すると、アークプラズマを介して列同士が短絡し、永続的な電流が 3 流れ続けることがある。これを持続放電(Sustained arc)という。この短絡電流は、発電し ている太陽電池アレイ自身により供給されるので、持続放電中はその回路の出力が失われ る。持続放電の継続時間はプラズマの導電率や列間電圧、距離等によって決まる。図 1-2-5 のように、太陽電池セルと導電性基盤との間はカプトン等の絶縁体シートで絶縁してある が、短絡電流が流れ続けるとシートが熱で破損、又は炭化し、太陽電池セルと導電性基盤 の間に恒久的な電流経路ができる。こうなると、太陽電池アレイの回路の正極端が負極端 と短絡するために、アレイ回路の出力電圧が失われ、負荷側の搭載機器等に出力を取り出 せなくなり、衛星の損失にもつながりかねない。 図 1-2-1 衛星に対する各電流の流出入 Fig. 1-2-1 Influx of each current for satellite. 図 1-2-2 太陽電池アレイの断面 Fig. 1-2-2 Cross section of the solar array. 4 図 1-2-3 サブストーム発生時の宇宙機とカバーガラスの電位 Fig.1-2-3 Potential of spacecraft and coverglass when substorm occurred. (a) (b) (c) (d) 図 1-2-4 放電のメカニズム Fig. 1-2-4 Arc mechanism. 5 (a) (b) 図 1-2-5 持続放電の電流経路 Fig. 1-2-5 Current route of the sustained arc. 6 1.3 研究状況 人工衛星搭載の太陽電池アレイの放電現象に関して、トリガ放電プラズマの進展によっ て二次アーク、持続放電に至り、放電プラズマは周辺の物質からの放出ガスが影響を及ぼ すことが分かっている。そこで、放電光や放出ガスの検討をすることで、宇宙空間におい ての放電プラズマの状態が解明されると思われる。ここでは、真空中での放電における放 電光や放出ガスについての研究状況を紹介する。 Boris Vayner氏ら[3]は、低軌道環境を模擬したチャンバーで試験を行った。観測された放 電痕の大きさから、放電は 1 種類の原子からの電離によるものではなく、分子の放出によ るものが大きいと考えた。また、バイアス電圧を一定にし、外部キャパシタンスを変化さ せて分光測定を行った結果、Hαのラインが外部キャパシタンスと強い相関があることを見 つけた。図 1-3-1 に電荷の損失に対するHαの強度を示す。 B.L. Upschulte氏ら[4]は、太陽電池アレイを用いて放電の分光測定を行った。図 1-3-2 にス ペクトルを示す。この図から、銀のラインが出ていることが分かる。ただし、このデータ は複数のショットの放電データから得られたものであり、測定範囲は 200-400nmである。 L. Levy氏ら[5]は、GaAs太陽電池セルを用いて二次アークの分光測定を行った。図 1-3-3 に二次アークによる発光スペクトルを示す。これは、42 発の二次アークのデータから構成 されており、高速ゲートを用いていないため、スペクトルは全放電時間に亘る積分となっ ている。この図から、銀、ゲルマニウム、砒素、ガリウム等の金属原子が確認された。 このように真空中の放電現象に関して、研究が盛んに行われているが、1 発の放電光に 対して時間分割したスペクトルを取得している例はあまりないというのが現状である。 7 図 1-3-1 外部キャパシタンス電荷の損失に対するHαの強度[3] Fig. 1-3-1 Measured intensity of Hα spectral line strongly depends on bias voltage and capacitance. [3] 図 1-3-2 太陽電池セルの放電の発光スペクトラム[4] Fig. 1-3-2 Emission spectrum of discharge on solar cell. [4] 8 図 1-3-3 GaAsセルにおいての発光スペクトラム[5] Fig. 1-3-3 Optical spectrum on GaAs solar cells. [5] 9 1.4 研究目的 前述のように、地上試験により、衛星搭載用太陽電池アレイの耐宇宙環境性を評価する には、静止軌道環境を適切に模擬する必要がある。しかし、試験条件をむやみに厳しくす ることは歓迎されず、そのような試験結果に基づく過剰な対策設計を行うことはコスト増 につながりかねない。さらに、各国独自の試験基準で行われている現状を打破すべく、適 切な試験方法が必要とされている。現在、太陽電池アレイのカバーガラスに蓄えられた電 荷を模擬する外部キャパシタンスについて議論されており、本研究は外部キャパシタンス の適正値の提唱を最終目的としている。 外部キャパシタンスとは、真空チャンバーに入りきれない他の太陽電池セルのカバーガ ラスの静電容量を模擬するものであり、トリガ放電のエネルギーとなる。よって、外部キ ャパシタンスによって、トリガ放電によるアークプラズマのパラメータが決定されると考 えられる。持続放電に至る場合、トリガ放電によって周辺に拡散した放電プラズマを介し て隣り合う列が短絡するため、持続放電に至るかどうかを判断するためには、放電プラズ マの導電率が重要になる。また、外部キャパシタンスの容量が大きい程、放電電流は大き く、且つ長く流れるため、供試体に大きなダメージを与える。しかし、トリガ放電から二 次アークに移行する過程の詳細が明らかではないので、外部キャパシタンスの適正値を見 つけるのは容易ではない。 本研究は、宇宙空間においての放電プラズマの状態を解明するために、任意のタイミン グで分光器により放電光のスペクトルを取得し、放電時に析出している物質の特定をする ことで放電光や放出ガスの検討を行う。さらに、スペクトルから放電プラズマの温度を導 出することで、二次アークへの移行の可否とプラズマ状態の相関についてのデータを取得 することを目的とする。 10
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