スケッチ旅行会作品展。フランス美術 - 西宮ロット・エ・ガロンヌ交流市民

Bulletin de l’Association Les Amis de Lot-et-Garonne à Nishinomiya
西宮ロット・エ・ガロンヌ交流市民の会
2014年5月28日 Vol.121 発行者:森田正樹 編集:広報部
〒662-0911 西宮市池田町 11-1 フレンテ西宮 4F 秘書国際課内
TEL:0798-35-3468 FAX:0798-32-8673 Mail:[email protected]
5 月 31 日(土)は平成 26 年度総会です
前号でご案内しましたように、5 月 31 日(土)は平成 26 年度 NLeG 総会です。
昨秋、今春とフランスからの来日団をお迎えし、今年の秋も来日団が来られる予定です。
26 年度総会を成功させ、今年も皆さんのご活躍で NLeG 活動を一層発展させましょう。
総会 5 月 31 日(土) 午後 3 時
フレンテ 4 階第 1 会議室
懇親会 5 月 31 日(土)午後 5 時
フレンテ 4 階第 1 会議室
参加費 1,000 円
(25 年度総会懇親会の様子)
平成 26 年度 ロット・エ・ガロンヌ&アジャンウィーク開催
西宮市と、ロット・エ・ガロンヌ県及びアジャン市との
友好都市提携日である 4 月 17 日にちなみ、そして、毎年 4
月に行われています「アジャンスケッチ旅行会作品展」開
催にあわせ、4 月 14 日から 21 日まで、西宮市、
(公財)西
宮市国際交流協会主催の「ロット・エ・ガロンヌ&アジャ
ンウィーク」を開催しました。
会場となった西宮市国際交流協会展示コーナーでは、美
しいロット・エ・ガロンヌやアジャンの風景や、これまで
の西宮市との交流をパネルなどで紹介しました。色鮮やか
な写真に吸い寄せられ、パネルの前で足を止める方がたく
さんいらっしゃいました。
さらに、4 月 17 日には、来日されていた西宮の友の会、
マリー・フィトン会長をゲストにお迎えし、
「フランス語で
エンジョイ」を開催しました。マリーさんからは、ロット・
エ・ガロンヌ県やアジャン市の紹介だけでなく、県の地図
や、プルーンを使った料理のレシピなどたくさんのプレゼ
ントも用意していただき、参加者の皆さんからは感嘆の声
が上がりました。そして、今回マリーさんと来日されてい
た、クリステルさんとナセラさんも参加して下さいました。
(秘書・国際課 岡林京子)
第 17 回アジャン スケッチ旅行会作品展
絵画25点、写真9点の力作
4月15日から20日まで、恒例の作品展が北口ギ
ャラリーで開催され、絵画部門11人、写真部門3人
の作品34点が並びました。
出品者が減り少しさみしくなりましたが、約600人
が来場されさまざまな表現に見とれつつ、訪れた地を
懐かしむ人、まだ見ぬかの地に思いを寄せる人でにぎ
わいました。
出品者からもまた訪問したいとの声もあがってい
ました。
提携記念日の17日には、マリーさん、クリステル
さん、ナセラさんが訪れ再会を喜びあい、また新たな
出会いに話が弾みました。
また、3 人は、国際交流協会の「フランス語でエン
ジョイ」にも参加され、ロッテガロンヌの魅力を
紹介されました。
マリー達訪日団とお別れパーティー
ロット・エ・ガロンヌとの提携記念日である 4 月 17 日(木)
、マリーさんをはじめ、フランスから来
られたマリーさんのご友人達(2 名)との懇親会が開催されました。
(場所:西宮北口 ふじや本店)
昨年、西宮ロット・エ・ガロンヌ交流市民の会に入会した私は、はじめて市民の会の懇親会に息子と
ともに参加させていただきました。
お食事と共に楽しい歓談が進む中、来日されたマリーさん、そしてマリーさんのご友人達へのインタ
ビューが始まりました。インタビューでは、今回訪れた日本の滞在先(夙川でのお花見、神戸、瀬戸内
海の直島、奈良、比叡山等、
)や日本の印象等について、お話ししてくださいました。私の息子の「新幹
線は好きですか?」という唐突な質問にやさしい笑顔で答えてくれたナセラさん、画家であり、次回は
特に日本の女性の絵を描きたいと語ってくださったクリステルさん、そして明るく、エネルギッシュな
マリーさん、3 人とも笑顔で、嬉しそうに今回の来日についてお話ししてくださいました。その様子から、
今回の来日も西宮ロット・エ・ガロンヌ交流市民の会の方々と共に、とても楽しく、充実された日々を
過ごされたのだなという印象を受けました。
楽しいお話の後は、歌を通しての交
流(カラオケ)が始まりました。「オ
ー・シャンゼリゼ」
、
「愛の賛歌」
、
「す
みれの花咲く頃」等フランスのシャン
ソンをはじめ、「島唄」、「銀座の恋の
ものがたり」など日本の歌を歌い、大
いに盛り上がりました。
ワインを飲み、お食事をし、歌って、
笑って、語って、楽しい時間は、あっ
という間に過ぎ、お別れが近づく頃、
皆さんで輪になって並び、
「青い山脈」
等々を歌い、マリーさん達との懇親会
は楽しく終了いたしました。
グローバル化時代といわれている
今日、十数年前と違い、国外への国際
交流だけではなく、日本を訪れる諸外
国の方々も増加し、国内での国際交流も盛んになってきました。相手のこと・相手の国を知りたいとい
う強い「好奇心」から異文化交流・異文化間理解が生まれると思います。マリーさん達は、
「日本」を、
西宮ロット・エ・ガロンヌ交流市民の会の方々は、
「フランス」を知りたいという純粋な好奇心からこの
市民会の交流が良い形で続いているのだなと思います。私も「フランスを知りたい、フランス語を学び
たい」と意欲から、この会に入会しました。この懇親会に参加してから、実際にフランスに出掛けてみ
たいという気持ちも強くなり、フランス語の勉強のモチベーションも上がりました。初めてフランス人
の方々に出会った息子も、帰宅後、ずっと「オー シャンゼリゼ オー シャンゼリゼ!!」と歌い、
「フ
ランスの新幹線、TGV、TGV!」と言って列車の図鑑をずっと見ていました。若干3歳の息子ですが、こ
のような幼いころからの国際交流体験が、何か実を結べばいいなと思っています。
そして、今回は、フランス人の方々との交流だけではなく、人生の先輩である会員の皆様との交流も私
と幼い息子にとって良い経験となりました。色々な「つながり」の形を体験する良いきっかけとなりま
した。今後もこの市民の会の交流会に参加していきたいと思います。
「オー シャンゼリゼ オー シャンゼリゼ
いつも 何か 素敵な ことが あなたをまつよ シャンゼリゼ♪♪」
(Naoko.H)
カランドリエ
「ピクニック」
先月号で、フランスからのマリーさんのご友人方に奈良をご案内した話を書きました。
ご友人方、クリステルさん達は、奈良公園でピクニックをしたいという希望あり、コンビニで買ったも
のを持ち込んで昼食をとったのでした。
ここで、ひとつフランス語の説明を…
ピクニックというと山や川などの風光明媚な屋外を散策し、お弁当を食べることだと皆さん理解され
ていることと思います。
奈良公園で鹿を眺めながらお弁当というフランス人の考えるピクニックは日本人の考えるピクニック
と同じです。
ピクニックを日本語で言い換えると、野掛けという古式ゆかしい表現です。どちらかといえば、ハイ
キングに近い感じです。
フランスにいる時、息子の学校でお手紙あり、
「明日は朝から市立図書館に行くのでピクニックの準備
してください」と告げられました。
図書館行くのに、ピクニックとはなんで??
と不思議に思い、クラスの付き添い保護者に立候補して その謎は解明しました。
当日 子ども達は 20 世紀初頭の豪商の元お屋敷だった市立図書館の建物を見学し、図書館の使い方を
学んで、お昼時間になると、図書館のお庭でお昼ご飯を食べたのです。
フランス人のいう pique-nique ピクニックは、お弁当の意味合いが強かったのでした。
そして、その後 たまに学校からのお手紙に「明日はピクニックの用意してきてください」とあると、何
の疑問もなくお弁当を準備することにしました。
フランス人(特に子ども)のお弁当とはどんなものだと想像しますか?
それは、サンドイッチです。
日本でサンドイッチといえば、薄い食パンに玉子や、レタスとハムをマヨネーズで和えたものが挟ま
っているものですよね。
フランスでサンドイッチといえば、バゲット(フランスパン)を半分に切り込みいれ無塩バターを塗っ
て、チーズとハムを挟んだ、とってもシンプルなものです。
それに、ポテトチップの小さい袋とリンゴを持ってきます。
チョコクッキーや果物を煮付けた市販のコンポートをデザートに持ってきたりもします。
水筒なんて持たないので、紙パック飲料や水のペットボトルを持参しています。
更に手抜きだと、ポテトチップとリンゴのみでサンドイッチなし。
とても準備簡単なものばかりです。
スーパーで三角サンドイッチを購入することも可能ですが、日本と比べると値段も高いし、賞味期限
も 5~6 日あり、保存料だらけかもと不気味に思えあまり積極的に食べたいとは思えませんでした。
日本風の玉子サンド(茹で玉子をマヨネーズなどで和えた具)は、現地の子どもたちには
馴染みがなく
「気持ち悪そうな食べ物だな」と言われたそうです。
気を取り直して、カツサンドにすると、
「カツレツかあ!美味しそうだな」カツサンドも
一般的ではありませんが、ミラノ風カツレツはフランス人にもお馴染みのメニューなので、
カツサンドの味が想像できるようです。
最近ニュースによると、フランスで日本のお弁当箱が、オシャレで面白い、と評判になっていると紹
介されていました。ここ数年はスーパーでも購入できるとのことでしたが、2012 年秋にアジャン市を訪
問した時は、お弁当箱などをお店で見かけなかったような気がします。
先日、thomas くんにメールで問い合わせてみたところ、
「みんなお弁当箱なんてスーパーで見たことな
いって言ってるよ」とのことでした。
パリのオシャレな人が集うお店にはあるのかもしれませんが、フランス地方都市に
はまだ普及していないようです。
バゲットにチーズとハムを挟んだだけのお弁当しか知らないフランス人には、色彩豊かなオカズが詰
まり、タコさんウインナーやウサギさんリンゴが目にも楽しい日本のお弁当を見たら、驚くこと間違い
ナシです。
日本に帰国して間もない頃、フランス風の手抜き弁当をうっかり息子に持たせてしまったことがあり
ました。
具を挟んだだけの簡単サンドイッチにリンゴ丸々一つ。
これはこれで、クラス中の注目を集めたらしく、教育実習生からのお手紙にも「お弁当のリンゴが印
象的でした」
と書かれてしまいました…。
(藤枝知子)
フランス美術あれこれ5
エコール・ド・パリ
Ecole de Paris
20世紀初頭から第二次世界大戦にかけての時代にパリで活躍した作家たちがいました。エコール・
ド・パリ、
「パリ派」ともいうべき人々で、モンパルナスの住宅兼アトリエ「蜂の巣」が活動拠点の一つ
でした。当時隆盛の前衛運動などの何らかの運動に加わることなく(影響は受けたでしょうが)
、無所属
の芸術家たちがそれぞれ自己の表現、独自の様式を確立しました。具象画という共通点がありますが、
いわば一人一派といえます。
パリ出身のユトリロ、フランスよりも日本での知名度の方が高いかもしれないマリー・ローランサン、
首の長い人物像で知られるイタリア人のモディリアーニ、ブルガリア出身のパスキン、故郷ロシアの伝
承を幻想的に描いたシャガール、ポーランド出身のキスリング、リトアニアのスーチン、日本画を思わ
せる線と乳白色の藤田嗣治といった人たち。東欧的、ユダヤ的文化背景という特色もあります。
モイーズ・キスリング Moise Kisling 1891〜1953
ポーランド南部の都市クラクフに生まれる。同市の美術学校
で学んだ後、1910 年パリに出てピカソらと交友。初期には印
象派やセザンヌに影響を受けたが、のちキュビズムにも感化
され、透明感あふれる色彩と哀愁の漂う独自の画風を確立し
ました。裸婦像や静物画を得意とし、エコール・ド・パリの
中でも最も早く成功した画家の一人です。1939 年に移り住ん
だモンパルナスではモディリアーニや藤田嗣治とも親交を結
びました。第一次世界大戦に義勇兵として出征し、その功労
によりフランス国籍を認められました。
単純化された構図とエキゾチックで官能的な女性像は早く
から評判を呼び、経済的には恵まれていました。さらに陽気
かつ快活、社交的な性格で「モンパルナスの王」と異名を取
るほどの世俗的成功を収め、毎週のように豪華な昼食会を催
し、そこに各界の名士たちを招待して交際していました。キ
スリングの絵は、エコール・ド・パリの作家たちの中では珍
しく、人生に対する讃歌も感じさせるものでした。 大きく
見開かれ、遠くを見ているようなメランコリックな眼差し、
絵の具をのばした筆跡で描かれた肌は、潤いがありはりつめ
充実しています。ショートカットの黒い髪もアクセントにな
って、暖く暗い落ちついた空間の中で、女性の確かな存在感
が感じられます。
「座った裸婦」1925 年
西宮市大谷記念美術館蔵
藤田嗣治と吉原治良(1905-1972 画家、吉原製油社長)
藤田は昭和9(1934)年3月にパリから2度目の一時帰国をして
甲子園ホテル(現武庫川女子大学甲子園会館)に滞在します。こ
の時吉原はホテルに毎日のように通い、桜見物がしたいという藤
田を京都に案内したりします。
吉原は大阪の会社の会議室に自作を並べて批評を請い「今度は
いいよ」
「よくここまでやったね」という言葉をもらいます。
実は、昭和4年の藤田の1回目の帰国のときは「他人の影響が
ありすぎる」という厳しい一言でした。オリジナリティや個性の
重要性を認識させられたこの言葉が、後年具体美術協会で掲げた
「人のまねをするな」の原点にもなったといわれています。
そういえば、佐伯祐三が 1924 年初めてパリに渡航し自作の「裸
婦」を見せたとき、ヴラマンクから受けた言葉も「このアカデミ
ックめ!」でした。この頃から佐伯の画風は変化し、パリの街角
や店先を荒々しいタッチで描く独自の表現を確立していきます。
藤田耕治の肖像
吉原治良をリーダーに、島本昭三、正延正俊、白髪一雄、村上
(イスマエル・ネリ、1930 年代)
三郎、元永定正、松谷武判、堀尾貞治とつづく具体美術協会に名
Wikipedia より
をつらねた作家たち、
「人の真似をするな、今までにないものをつ
くれ」の指導のもとで生み出された独自の作品の数々。今も世界中で「GUTAI」と言えば通じます。
マリー・ローランサン
La Calmant
鎮静剤
退屈な女より
もっと哀れなのは
悲しい女より
もっと哀れなのは
不幸な女より
もっと哀れなのは
病気の女より
もっと哀れなのは
捨てられた女より
もっと哀れなのは
よるべない女より
もっと哀れなのは
追われた女より
もっと哀れなのは
死んだ女より
もっと哀れなのは
堀口大學 訳
悲しい女です。
不幸な女です。
病気の女です。
捨てられた女です。
よるべない女です。
追われた女です。
死んだ女です。
忘れられた女です。
参考文献
「フランス VS 日本 近代絵画」 2012 年
西宮市大谷記念美術館
「阪神間モダニズム」
1997 年 阪神間モダニズム展実行委員会
「エコール・ド・パリ殺人事件」 2008 年
深水黎一郎