佐々木恵精 - 浄土真宗本願寺派総合研究所

浄土真宗総合研究 8
欧米における浄土真宗 の葬儀事情
︱ 葬 儀 の意 義 を求 め て ︱
一
はじめに ︱ 近年 の葬儀事情
佐 々木 悪 精
ある いは行事 ︶とし て、誕生、成人、結婚、葬儀などがあげられる。
人間の 一生にお いて節日となる出来事 ︵
これらはいずれも、対象となる人物本人 のため の行事 のようであるが、実 のと ころはそれよりも、本人を含む身
家族、親戚、ある いは村など︶ の営みであり行事 であると言えるであろう。そもそ
近な社会を形成する共同体 ︵
も、 ﹁
人間﹂と いう語は人 の世界、人の社会を意味すると いわれ、人間は社会的動物 であると いう視点からして、
そのように見られるのである。表向きには、本人を対象とする人生 の節目を通過する行事 のように見えるが、 こ
、
のような人生 の節目を見 つめることが人生そのも のを見 つめ、深め豊かにする場となると いう意味 では 対象者
本人も含めてその節目の姿、行事を通して共同体 の成員それぞ れが自己を、人生 の意義を見 つめ、深め て人生に
いろどりを つけると いう ことになる、それが このような行事 であり出来事 であ ると考 えられるのであ る。とりわ
け、人生最期 の死を迎え、生きること死ぬることに直面する出来事が葬儀 の場 であり、残る者 にと って故人を悼
むとともに人生そのも のを見 つめる大きな意味を持 つも のとし て重要 であ ると いえるだろう。人間だから こそ、
欧米における浄土真宗の葬僣事情
す な わち共 同体 を構成 し て生 き る存在 であ るから こそ、 構 成 員 の最期 を 見 つめ る営 みは重 要 であ り 不 可欠 であ る 8
と いう べき であ ろう。
と ころが、 最近 とりわけ葬 儀 は不要 であ ると いう声 が強 く な って いる。 そ れ は 、科 学技 術 の急 激 な 発達 によ っ
て、人 間を見 つめ るにも科 学的 知 識 のも と で捉 え、 ま た科 学技 術 の成 果 を得 てそ の利 便 の上 に、人 と人 の繋 が り
よりも 、優 れ て器具 ・機 械 を相 手 にす る こと にな り 、人 間 関係 が疎 遠 にな る傾向 が 見 ら れ る。 さら には そ のた め
だ ろう か、核家族 化 が進 ん で、家 族 や親 族 が 集 う と か、 共 同体 の成 員 が集 う と いう営 みが軽 視 さ れ てき て いるよ
う であ る。 かくし て、葬 儀 のよ う な行事 を軽 んず る傾向 が出 てき て いると み られ る。
そ こで、仏教 の教 義 か らす れば 、 ど のよう に見 られ るか。 た と えば 、 釈尊 は涅 槃 に入 られ る直 前 に ﹁
葬儀﹂ に
ご遺 体 をど のよう にした ら よ いの でし ょう﹂ と 尋ね る のに対 し て、次 のよう に指 示さ れ たと い
ついて、 阿難 が ﹁
わ れ る。
お前 たち は修行完成 者 ︵
如 来 ︶ の遺 骨 の供養 にか かず らう な 。 ⋮ ⋮正 し い目的 のため努 力 せ よ。 ⋮⋮修 行完
成者 ︵
如来 ︶ に対 し て浄 らかな 信 を抱 いて いる人 々が いる。 か れ らが 修 行完 成 者 ︵
如 来 ︶ の遺 骨 の崇 拝 を な
す であ ろう。
すな わち 、出家 し て仏道 を歩 む仏 弟 子 であ る比 丘 ・比 丘 尼 は葬 儀 にか かわ る ことな く 、自 ら の自 己解 脱 の修 行
に専念 す る べき であ る ことを 示さ れ た。 ただ し、
一般 人 と し て釈 尊 に尊崇 の こ ころ ︵
浄 ら かな信 ︶ を抱 く も のが
遺 体 の供養 を なす であ ろうと言 わ れ て、世 間的 な あ り方 と し ては葬 送 が な され る意 義 のあ る ことを 示 され た と み
ら れ、葬儀 など を全 く否定 され て いるわ け ではな いことが 知 られ る。実 際 、 仏弟 子たち は迦 葉 尊者 が ﹁
ブ ツダ が
常 々説 かれた よう に この世 が無常 であ る﹂ と説 く のを 聞き つ つ、 マ ッラ族 のも のが と りお こな う釈 尊 の火 葬 に立
ち合 って いる。
浄土東宗総合研究 8
また覚如 の ﹃
改邪紗﹄ には、没後葬礼をも って肝要とし、往生 の信心を軽んず ることを誠める中 で、宗祖は ﹁
閉
眼せば賀茂河にいれて魚 にあたふべし﹂と言われた ことが示され ている。 これもまた、仏教 の道を学ぶと いう こ
とからすると、葬儀などは第 一義的な営みではな いと いう ことを示していると いえるだろう。しかし、釈尊 の葬
儀 ︵
火葬 に付してストゥーパを建 てる︶を 一般 の仏教徒たちが執り行 い、仏弟子たちもその場にあ って釈尊 に礼
拝 の儀礼をなしており、宗祖 の葬儀 に ついても、末娘 の覚信尼 のもとで厳かに執り行われ、その後 の法灯を伝え
る機縁とな ったのである。葬儀と いう儀礼を厳修す ることが生死を深く受け止め仏法を身 に受ける大事な機縁と
なることは事実 であり、そ こに重要な意味があるのである。
そ こで、本小稿 で、海外念仏者 に出遇う機会を いくらか持 っている筆者として、海外、とりわけ欧米 の念仏者
たち の葬儀 の事情をうかが って、 このような葬儀 の意義を求め てみた い。ただし、欧米 のわずか の知人 であ る念
仏者 への問 い合わせに寄 るのみであるため、十分な考察が できていな いことをお断りしなければならな い。その
中 で、ドイ ツのデ ュッセルドル フにあ る感光 ハウ ス o日本文化セ ンターの青山隆夫所長が現地 で葬儀を執り行わ
れた事例をまとめてくださ ったので、その論稿を本小稿 に参考として添付し、欧米 の葬儀事情を紹介す る 一部と
する。
二 北米開教区での聞き取りによる葬儀事例
北米など、浄土真宗本願寺派 で開教区が開かれている地域 では、周知 の通り、す でに百年以上 の開教 区の歴史
があり、それぞれに伝統を持 っている。その中 で、北米開教 区 ︵
BCA︶ の ローダ イ仏教会 ︵
¨a c お一o〓c8 9
,
,
欧米における浄土真宗の葬儀事情
。0
o﹁r●含 ︶ の楠活也開教使より聞き取りさせていただ いたデ ータに寄りながら開教区 での葬儀 の事情を概観する ︲
、
葬儀 の事情 について、 二〇 一三年八月に北米開教区の開教使たちにアンケート調査をされ 二十七名 の開教使か
ら返答があ ったとのことで、その成果を含めての概観 であ る。
L oO日︼
﹃●●o
ュ〓8︶が設置されている。寺院
∞a ﹂〓o
﹃
北米開教区では、各寺院 ︵
O一r●8〓︶に、葬儀委員会 ︵
、開教使補、寺院 のメ ンバー ︵
日本 の門徒 にあ
開教使︶
によ ってその構成などに相違があ るが、主として住職 ︵
たる︶の代表などで構成しており、寺院 のメンバー の逝去 に際し て委員会が葬儀 の準備から執行に ついて来配す
ることになる。また、各寺院 で葬儀 の準備、手続きなど の基本的な説明をまとめた マニュアルとも いうべき葬儀
、
要綱 ︵
”●8﹃
L F♂員s●●●︶を用意しており、葬儀に先立ち遺族 にこれを差し上げ て葬儀 の前後 の準備 僧侶な
、
、
ど への対応を円滑に進めるようにされていると のことである。各寺院 によ っていくらか相違があるが そ こには
おおよそ次 のような事項が示されている。
連絡先を明記︶に連絡する。同委員会は、
① 家族に不幸が起 こった場合、直ちに住職と葬儀委員会委 員長 ︵
葬儀など の準備を支援するために、すぐにその家族を訪問する。
故
住職ら︶に連絡、僧侶は ︹
2︶僧侶 ︵
1︶医師か検死官 に連絡、︵
葬儀︶ のガイドライ ン= ︵
② 死者儀礼 ︵
自宅 での逝去 では家族が
3︶葬儀場に連絡 ︵
枕経﹂を勤行、連絡用の電話番号など確認、 ︿
人の枕元で︺﹁
、︵
近年は葬儀より追悼形式が好まれるがそ の場合は初七 日法要を追悼式 に含
4︶ ︹
医師、葬儀場に連絡︶
、
、
む ことがある︺葬儀では、遺族が初七日を葬儀直後に勤行するか 七日目にするかを決定する その上 で
希望する
す でに受領しているなら、僧侶に︺ の伝達、日系新聞 への死亡記事 ︵
葬儀の日程 の決定、法名 ︹
決められた表 に、故人名、葬儀導師名、喪主名、主な参列者、焼香
5︶葬儀情報 の提出 ︵
場合︶伝達、 ︵
、︵
火葬 ・土葬 の決定から役所 への届け、葬儀
6︶葬儀委員長の許 で葬儀全般を準備 ︵
順などを書き込む︶
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、︵
場に示す情報 の確定など︶
7︶お花 ・供物など の準備、 ︵
8︶お斎 の準備。
③ その後 の法要 ︵
中陰、百か日、祥月命日、
一周忌、さらに年 回忌︶ の日程など の決定。
④ お礼 のガイドライ ン= 一応 の目安として、お葬儀、中陰 では寺院 に四〇〇ドル、僧侶に 一〇〇ドル以上。
一周忌では寺院に 一〇〇ドル、僧侶に 一〇〇ドル以上。そ の他 の法要 では寺院 に 一〇〇ドル、僧侶に七 五
ドル以上。 これらはあくま で目安 に過ぎな い。
葬儀 にあた っては、葬儀次第を記したリー フレ ツト ︵
故人 の氏名と肖像写真、葬儀 の日時、場所、葬儀式 の次
第 のほか、故人に ついて略歴と追悼 のことば、法語、 ﹁
白骨章﹂ の英訳などをおさめる記念 の小誌︶を参列者 に
配布しているとのこと。また、遠近各地 の親族、知人たちが参列 できるように、亡くな ってから数 日後 の葬儀式
となる、あるいは二、三週間後に、さらにそれ以上経 ってから葬儀を行う ことがしばしばとのこと。カナダ開教
区もほぼ同様 の葬儀がなされているが、 ここでは省略する。
浄土真宗 の開教使たちが執り行う葬儀 であり、日本 国内と同様 に基本的 に葬儀規範 に基づ いた勤行次第となる
が、アンケート調査によると、次 のような諸点 に相違がみられる。
葬送儀礼として勤められるのは、浄土真宗本願寺派 の ﹃
葬儀勤行集﹄ ︵
そ の英語版 ﹁ヽヽo
キに
ミヽいo
l﹂
8 い︺
o
、納棺勤行、通夜勤行、出棺勤行、葬場勤行、火屋勤行、還骨勤行、
よる︶によ って、主 に、臨終動行 ︿
枕経︶
そして中陰 ︵
七七日法要︶が厳修されることにな っているが、BCAでは寺院 ︵
︶ の八
¨●一0〓o
一o〓●8ぎo
〇∼九五%が、納棺 ・通夜 o出棺 ・還骨 の勤行を省略し、臨終勤行、葬場動行、火屋勤行、中陰法要を厳修
するとしている。また、勤行は、葬場勤行に正信優を、そ のほかには重誓傷を読経するのがほとんど である
。米国の文化、風土 に応 じて、あるいは遺族 の状 H
︵
わずかに三奉請、念仏、 回向などを勤行する事例があ る︶
欧米における浄土真宗の葬饉事情
故人を偲ぶ、
2
開教使 の意見 では、
葬儀 の時間が長くなりすぎ、
況に応じて変更されるのであろうと思われるが、
1
短 い時間 の動行を選んでいると のことである。また、
そして仏法 に耳を傾けるため の集中力が失われるので、
開教使が、添引念仏、添引和讃などをし っかり修行できな いこともその理由 の 一つであり、さらに多くの遺
”Lo¨ヽ︶を次々と語ることになるので、
要oaoo﹁8ヨ0日σ墨●8︶や故人 への賛辞 ︵
族や知人が故人の思 い出 ︵
。
その時間を取りた いため短 い勤行にすると のこと︶
葬儀時間が長くなると いう ことであ った ︵
葬儀離れ﹂が進ん でいるとのことで、
全般的 に、米国にお いても、仏教系 のみならずキリスト教系など でも、﹁
お別 れ会﹂を行うとか、
宗教者抜き の F♂﹃
一
げ8LO●0﹁r滲 とか >一一aO
SLOう0﹁rLOなどと呼ば れ る ﹁
日L ぃ0
0
そのような会もしな いでただ火葬にして納骨だけ行う家族も現れてきている。ドイ ツからの報告 にもあるように、
このような事態 にど のように対応するべきか、葬儀 の意義をどう捉えるか、が喫緊 の課題である。
三 スイスの信楽寺での葬儀事例
浄土真宗協会﹂ ︵
●8 ︶と呼ぶ ことが出
∽〓●“a O お0>●
ヨー ロッパには現在七か国に小さ いながらも ﹁
82●
,
来 る念仏サ ンガが生まれている。その中 でも、 スイ スのジ ュネーブ、ベルギーのアントワープ には、ビルの 一角
であるが ﹁
寺院﹂と呼べる、本堂を持 つ施設があり、念仏道場としての活動がなされている。その中 で、 スイス
のジ ュネープ の事例を見よう。
ジ ュネープ の中心街にある マンションビルの 一角に本堂を開く信楽寺は、創立者 のジ ヤン ・エラクル ︵一九 二
デ ュコール ︵
西本願寺 で得度、教師を取得、存覚研究 で博士号取得︶
〇 ︲二〇〇五︶ の跡を継 いで、ジ ェローム・
住職︶として活動する。彼は日本語にも通じていて聖典を漢訳や日本文など の原語 で読み、また
が信楽寺代表 ︿
浄土真宗総合研究 8
フランス語に翻訳しており、葬儀 に関しては浄土真宗本願寺派発行 の ﹃
葬儀規範﹄を フラ ンス語訳して手元の葬
儀 マニュアルとしている。 これまで、滞在している日本人 の依頼を受け、または仏教 に帰依しているスイス人に
依頼されて、仏教徒 の葬儀を、あ るいは非仏教徒 の葬儀や、また無宗教 の故人 ・
遺族 の葬儀をも執り行 ってきた。
葬儀規範﹄ に基づ いて葬儀を厳修している。ただし、故人、遺族 の状況に応じて
実際 の葬儀にお いては、 この ﹃
葬儀の進め方は変更すると のこと。たとえば、家族 のほとんどがクリスチ ヤンであれば、初めにクリスチ ヤン方
式 でお葬儀を挙行 ︵
牧師が神に礼拝す る儀礼 によ って執行す る︶し、続 いて仏教式 でお葬儀を厳修する。もちろ
日本語 のまま の読経︶ である
ん、それは浄土真宗の規範に基づ いて執り行う。勤行は、 日本 の勤行と同じ方式 ︿
短時間で参列者が唱和
が、遺族たちが ﹁
正信念仏偏﹂などにまだ親しんでいな い場合は ﹁
讃仏掲﹂を勤行する ︵
しやす いからと見られる︶とのことである。最後 に、
法話を行うが、
クリスチ ャン方式 の葬儀をはじめに執り行 っ
法話 にあたる︶を いただき、それに続 いて僧侶としてデ ュコールが法話すると い
た場合は、初めに牧師 の言葉 ︿
大変素晴らし い話だ った﹂﹁
厳かな葬儀だ った﹂と称讃 のことば
うことになる。牧師は、仏教 の法話を聴関し、﹁
をかけてくれるとのことであ った。クリ スチ ャンの遺族たちも感銘 のほどを語 ってくれるとのことであ った。
ヨー ロッパでは、
一家族 の中 で、クリスチ ャン、プ ロテ スタ ント、イスラーム、仏教など、複数 の宗教帰依者
が混在している場合が増加している。彼等は、家族内 でお互 いに相手 の宗教 に ついて、それぞれ の帰依を尊重し
あ っていると いう。そのために、真宗サ ンガ のメ ンバー の葬儀 でも、家族がクリスチ ャン、プ ロテスタ ントなど
であれば、葬儀は、クリスチ ヤン方式、プ ロテスタ ント方式 の葬儀を執り行 い、続 いて仏教 ︵
真宗︶の方式 で葬
儀を行うと いうようにしていると いう のである。
四 ベ ルギ ー の慈 光寺 で の葬 儀 事 例
13
欧米 における浄土真宗の葬儀事情
4
慈光寺﹂とし て開設し、
一階 に阿 ︲
アントワープ には、築 一〇〇年余り の四階建 てビルの 一角を浄土真宗寺院 ﹁
弥陀如来立像を いただく本堂を、二、 三階 にセミナー室などを整 えている。創始者 のアドリアン ・ベル ︵一九 二
七 ︲二〇〇九。西本願寺 で得度、教師を取得、横超院繹至徳、 二〇〇九年九 月二十 日往生︶が設立当初から仏教
セミナー、真宗セミナーなどを開き、また北 フラ ンスからオラ ンダ 周辺ま で自家用車を走らせて伝道 にまわ って
いた。その後継者 のフオンス ・マルテ ンス ︵
西本願寺 で得度。繹大乗︶ のもとで寺院としての整備が進められて
いる。
葬儀に ついては、二〇〇六年 に二回の勉強会を持ち、慈光寺メ ンバーの葬儀を、ある いは当地近郊 で ﹁
お葬儀﹂
を依頼された場合に、その葬儀を、 いかに執行するべきかを、 日本や 米国で刊行され ている資料 によりながら学
習し、協議したとのことで、その結果、基本的に次 の七項目を執り行う こととしたと のことである。
、⑤納骨堂 ︵
、⑥法名 ︹
①枕経、②通夜、③葬儀、④法事 ︵
初七日、四十九日、百か日の法要︶
廟所。納骨︶
伝
、⑦院号 ︹
達 ・披露︺
伝達 。披露︺
本尊としての︶六字名号と三具足を備えた小さな仏壇を用意し て、
病院や、
遺族 の自宅 ︵
このうち、
①∼③は、︵
あ
三 つ折り程度 のリーフレ ツトで、故人 の肖像
るいは慈光寺︶ で葬儀を執り行うも のとする。故人を偲ぶしおり ︵
写真、略経歴、式次第、法 のことばなどを記す記念品︶を用意す る。火葬か土葬 ︵
埋葬︶かに ついては、故人あ
るいは遺族 の意思で決めていただく。 ⋮⋮以上 のような合意を得た。
勉強会 の席上、慈光寺創始者 のアドリ アン ・ベルは、﹁これら の行事 ︵
葬儀 の法要︶は、単に故人 のために執
あとに残る遺族や我 々のために行うものである﹂と強調されたと のこと であ った。
ベルの主張は、
り行うのでなく、
﹁
葬儀は、故人を供養する追善供養と いうも のでなく、遺族や我 々参列者が仏法 に出遇 い仏法聴 聞する場 であり、
その機縁を与えられる場 であ って仏法 に出遇 ったも のとしては、仏徳讃嘆、仏恩報謝する行事 である﹂と いう意
浄土真宗総合研究 8
義を強調されたも のとうかがう ことが出来る。クリ スチ ャンの葬儀が ︹
故人のためと いうのでなく︺﹁
神 に感謝
の礼拝をなす儀式﹂であると いわれるのと同様 の意味を持 つと いえるだろう。
ベルギー の慈光寺 での葬儀は、 二〇〇九年九月の、創設者 アドリアン ・ベルの葬儀が最初とな った。 スイ スか
ら信楽寺代表 のジ ェローム ・デ ュコール、ドイ ツの真宗協会 の代表者たちも駆け つけ て、右 にあげ るように日本
の浄土真宗葬儀とほぼ同様 の形式 で厳修されたと のことであ った。
マルテ ンスによると、ベルギー の宗二
塾争情はおおよそ、カソリ ックが人 口の五七%、プ ロテスタ ントが 一・
七 %、
ギリシャ正教会が〇 ・三%、イ スラームが四%、仏教が 二%、無宗教が三 一%で、教会離れ、宗教離れが進行し
ており、それが理由 に挙げられるかもしれな いが、﹁
葬儀離 れ﹂が進ん でいると のこと であ った。慈光寺 では、
仏教を学ぶ大事な機縁 である葬儀を重く受け止めていると いう ことであ つた。
五 ド イ ツで の葬 儀事 例
前述したように、ドイ ツにはデ ュッセルドルフの郊外に、
一九九〇年代に ︵
財︶仏教伝道協会 によ って恵光 ハ
ウ ス o日本文化センターが創設され てある。本願寺様式になる大本堂と日本家屋、日本庭園を備 えた 一大施設 で
ある。日本とヨー ロツパ の仏教文化交流 の拠点として設立されたも のである。
一九九 二年 に浄土真宗本願寺派 の
前門主が臨席されて入仏法要がなされ、
一九九 五年 には全施設が完成した。その第 二代 目の青山隆夫所長が ここ
ドイ ツでのお葬儀﹂ の事例 ︵
数年 の間に執り行 った ﹁
二回︶を紹介する報告記事を執筆し、当方 に提供 いただ い
た。 これを本小稿に参考として添付することを了承 いただき、 これによ ってドイ ツの葬儀 の紹介とする。
二事例 のうち、第 一の事例は土葬 の場合 で、埋葬場 ︵
当然 のことながら、クリスチ ヤン系 の墓地︶にある会堂 5
1
欧米における浄土真宗の葬僣事情
で執り行うので、六字名号と三具足を持参して葬儀を執り行 い、埋葬 用に開けられた穴 に遺体を埋葬 したとのこ 6
1
御文章﹂ ︵
白骨章︶を 日本語 で朗誦し、そ の後 の法話
讃仏儡 の読経︶ で、最後 に ﹁
と である。勤行は、日本式 ︵
の中 でその意味をドイ ツ語で伝えると いう ことであ つた。
場合 によ っては
第 二の事例は、火葬 で遺骨とな った後 で執り行う葬儀 であ った。火葬に されてから数 日して ︵
一、二か月後のこともあるとのこと︶ の葬儀 である。
交通事故 に合 って死期 の近 いことを知 った青年が、かね てから仏教式 の葬儀を願 っていて恵光 ハウスに葬儀を
白骨章︶ の拝読、そして法話を主
御文章﹂ ︵
願 い出てきたと いう ことである。第 一例と同じく、讃仏偏 の読経、 ﹁
一連 の ﹁
葬儀﹂となる。詳細は青山所長 の報告
とするものである。そして、遺骨 の瓶を墓地 に埋葬するまでが、
記事を参照された い。
六 結び にかえ て
欧米 における浄土真宗系 の葬儀事情 に ついて、わずかの事例、しかもた い へん大まかな紹介 であ るが、 ここに
紹介してきた。 いずれも、仏教に帰依 し、とりわけ浄土真宗 に帰依、あ るいは傾倒する故人や遺族がかかわる葬
儀 であり、基本的に日本国内 の浄土真宗本願寺派 の葬儀と変わらな いとも いえるが、それぞ れの国 の文化、伝統
厳粛な葬儀 の勤行に誠心誠意をも っ
遺族や知人が故人を偲ぶ心から、
によ って相違がみられる。大きな相違点 は、
て参列 ・参拝し法話に耳を傾けて、故人を偲ぶ言葉、思 い出を語る時 間を取 っていることであろう。そのために
勤行は比較的短 い讃仏偏、重誓偏を厳粛 に勤行するのである。
聞き取りの中 で、
浄土真宗総合研究 8
① 欧 米 は キ リ スト教文 化 圏 とし て、 そ の教 義 に基 づ き土 葬 に付 す る のが本 来 であ ったが 、 二〇 世 紀初 頭 あ た
りか ら火葬 が認め ら れ るよ う にな り 、今 や火葬 が大 勢 を占 め て いる。土葬 で埋 葬 す る には、 埋葬 場 が 限 ら
れ て いる こと、埋葬 に多 額 の費 用 が掛 か る こと も火 葬 が 多 く な ってきた 理由 の 一つと さ れ る。
② 欧 米 にお いても、 一般 的 に いわゆ る家 族葬 、直 葬 や、お別 れ会 な ど が増 え てき て いて、宗 教色 が希薄 にな っ
てき て いる。
と いう実 状 を知 らさ れた。 しか し、 北米 や、 ベルギ ー、 スイ ス、 ド イ ツなど の浄 土 真 宗 系 のわず かな葬 儀事 例
を うかが うだ け でも、身 近 な 人 の別 れ を 厳粛 に受 け止 め る場 と し て、葬 儀 が大 き な意 味 を持 って いる ことを知 る
ことが出来 る であ ろう。
科 学技 術 の急 激な 発達 によ って物 質 文 明を 謳歌 し て いる 現代 は、 人 と 人 のふれあ いが希 薄 化 し、 ほとんど す べ
てが機械 を相 手 とす ると いう生 活様 式 にな って いるが 、 冒 頭 に述 べた よ う に、社会 を 形成 し共 同体 を な し て こそ
人間 であ ると いわれ る の であ る。 そ の人 間 の営 み の最大 の節 目 であ る ﹁
死﹂ の問 題 を 、我 が こと と し て受 け止 め
るため には、家 族 、知 人 ら の共 同体 によ って ﹁
葬 儀﹂ を 厳 粛 に執 り行 う ことが大 事 であ る と考 え る の であ る。 故
人の ﹁
死﹂ を受 け とめ て、 人 間 の ﹁
生 死﹂ を 深く 見 つめま とも に受 け止 め る、 そ の大事 が ﹁
葬 儀 ﹂ に凝縮 さ れ て
いると いえ る であ ろう。
︻
註︼
︵1︶和辻哲 郎 ﹃
人 間 の学 と し て の倫 理学﹄ ︵一九 二 四年 、岩 波 全 書 ︶ に 、本 来 ﹁
人 間﹂ と いう語 が社 会 、 世 界 を意 味 す ると し、 人 間
。
が社会 的 存在 であ る ことを基 礎 にし て
じ
倫
理
学
を
論
ら
た
れ
こ
と
は
高
い
名
︵
2︶ ミに ︲
さ卜
ョ
ヽ
︵
︼
ミ
ヽ
ミ
ヽ
ヽ
ヽ
h
S
ヽ
ロ ロ“コ”Z寿“ヽ”・くor目・”H∽・い000︶ ・0● o・キ︼
ヽ
o
ブ ッ.ダ最 後・
ヽ
0 ¨中村 元一
訳﹃
の一旅﹄ ︵
岩 波・
文・庫、
・
一
九 八〇 年 ︶ 一〓〓 頁。 ︵
⋮︶ は,
筆者 の追 加 .
17
欧米における浄土真宗の葬僣事情
ブ ツダ 最後 の旅﹄ 一七 一,一七 三頁。
8
︵
3︶前掲 ﹃
1
。
﹃
註釈版﹄九 二七頁︶
改邪紗﹄第十六条 ︵
︵
4︶﹃
︵
5︶ ローダ イはカリ フォル ニア州 のサ ンフラ ンシス コから東 へ 一〇〇 キ ロ入 ったあ たり の街。
一、 二週 間後 あ る いはさら に 一か 月ほど を経 てから営ま れ
︵
6︶ 一般的 に、故 人 の遺体ととも に勤め る のを葬儀、火葬 に付 した後、
、
、
る葬送 の儀を追悼式 と呼ぶようだ が、後者 は勤行 を比較的短く し て弔辞 、法話 に続 いて親族 知 人 の追悼 思 い出 の ことばな
、
どが長くな る。後述す るように、離れ て居住す る親族 らが参集 でき るよう、死去 の後 一、 二週間し てから の葬 送 の儀 とな るが
それ でも葬儀法要として葬儀規範通りに厳粛 に勤行される こともあ る。
ウェ
ミR゛ヽ、、ヽ蜃o北米 開教 区 ︵
BC A︶など で発行 し て いる葬儀 関係 の資料、
ヽ3一
葬儀規 範﹄や ヽ︺
︵
7︶浄土真宗本 願寺派発行 の ﹃
プ上 に公開されて いる資料など。
、
︵
8︶米 国などと同様 に、各地 に住む遺族 や知人が参列 でき るよう に、 日程を 選ぶ ため 逝去 の日から相当 遅れ てか ら の葬儀とな る
と のこと。
注 記︺葬儀 の事 情 に関す る情 報
︹
、
二 容ヽ
0■二 ″つ8 oおヽ
訂 やoooR ヽ 一
︵
″
o﹁a 工 上 で 諸 宗 教 にお け る葬 儀 事 情 が 概 観 さ れ て いる ¨〓6ヽヽ
,
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② ここでは、左 の諸 氏 への聞き 取 り によ って小 稿 と し た。 こ こに深謝 す る。
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,
浄土真宗総合研究 8
︹参 考 ︺
ドイ ツにおけ る葬 儀
恵 光 ハウ ス o日本 文 化 セ ンタ ー 所 長
青 山 隆 夫
壁 にかか り、孫 と自転車 で原野を走 って いる写真 がテープ ル に
飾 ってあ った。遺族 は、奥 さん、息 子夫婦 、娘夫婦 とそ の二人
の子ど もたち であ った。 電話を よ こした息 子さんは南 ドイ ツ ・
ミ ュン ヘンで保険会社 に勤 務、夫 人はイ ラ ン人。娘 さん夫婦 は
仏教 、
近く の町 でレ ストラ ンを 開 いて いると のこと。﹁
我が家 は、
カトリ ック、プ ロテ スタ ント、 イ スラム の宗教が混 じ った家 族
一家 族 に多宗 教が混在す
構成 です﹂ と、 電話 でも 聞 いて いた。
る ことは、現在 のドイ ツの宗教事情を表 したも のである⋮⋮。
さ て、 ケヴ ェラール の基地 にあ る会堂 で の仏式葬儀 には、故
す でに二〇〇 七 ︵
平成 二〇︶年六 月船橋 ・浄 明寺 ﹃
宝林﹄永
代経特 集 に ﹁
巡礼 の町での葬 儀 ﹂ と題 した次 の報 告 を したが、
私 にと ってドイ ツ人 への初 め ての仏式葬儀だ った ので、 以下 に
人 ゆかり の人 々が五、六十人参加された。私たちは自衣 に黒衣、
がや ってく ると いう。 この町 で、父親 の葬式 を仏式 でや ってほ
イ ツば かり でなく ベネルク ス、 フラ ンスか ら五〇 万人 の巡礼者
リ ック教徒 の巡礼地 である。今 も毎年 聖母 マリア の礼拝 に、 ド
こはラ イ ン河 を さ ら に下 った オ ラ ンダ と の 国境 の町 で、 カ ト
車 で 一時 間 ほど のケヴ ェラールと いう町 へ葬 儀 にでかけた。 そ
と いう法名 を つけた ことを説 明し て法話 とした。
故 人 の好 んだ音楽 が会堂 に響くな か、喪主 は故 人 の生 涯を振
程善念 ﹂
を 示し、仏教 に帰依 す るに いた った こと にちなん で、 ﹁
ら こ の葬 儀 にき た こと を述 べ、故 人 が 長 年 東 洋 の思念 に理 解
ら私 は、遺族 にお悔 や みの言葉 とデ ュセルドル フの仏教 寺院 か
かれた棺 の横 のテープ ルに、お名 号と 三具 足 で察壇 をし つらえ
て、讀 仏偏 を読 誦した。山 田が自 骨 のご文 章をあげ た。 それか
五条袈 裟 と いう装東 で式 場 に入 った。会堂 の正面より右 手 にお
途中を省略し て再度紹介し ておきた い。
し いと いう電話 での依頼を受けた のは 一週間前 のことだ った。
りか えり、 しめ やか に挨 拶を お こな った。 最後 に参列者 一同 に
一、
今年 ︵二〇〇 七︶ 一月 二八 日、デ ュ ッセ ルド ル フか ら
カトリ ック巡礼 の聖地 で仏式葬儀 を行う こと に、 いささか奇
一
主 の祈 り﹂ の言葉 が称 えられ て、葬儀 はおわ った。
よ って ﹁
月末 の暖房 のな い会堂 は寒 か った。
離 れた埋葬 の場所 にむか った。 ニメー トル ほど の深き の穴 がす
9
でに掘 られ てあり、 ロープ で棺 がゆ っくりと地中 におろされた。
1
棺を故 人 の友人 たち 四人が肩 にか ついで、 三百メート ル ほど
妙 な感 じを覚 えたが、ともかくお名 号、 三具足、引襲 をも って
若 い同僚 の山 田と でかける ことにした。
故人は癌 で亡 くな った六七歳 の元教師 で、イ ンド、タイ、ヴ ェ
トナムをはじめ、チベ ット ヘ旅 をし、仏教 への関心を ふかめた。
自分 でも絵を かく趣味人 で、住ま いにはそ の筆 にな る風景画が
欧米における浄土真宗の葬餞事情
0
喪 主 は、そ の後 私たちを巡礼 の会堂 へと案内 し てくれた。
一
2
六 四 二年に 建 てられた小さ い祠は、
一六 五 四年 に立派 な正六角
ここで私たち は、 三帰依文をとな えて合掌 した。参列者 はそれ
形 の会堂 となり、安 置された小 さな銅版 画 マリ ア像 は、見事な
銀細 工の中 に飾 られ てあ った。
以上私 にと っては、カトリ ック の巡礼 地 で、仏教徒 の葬儀を
ぞ れが手 にした花 を手向 け、 シャベル でひとすく いず つの上 を
立ち会う機会 は初め てだ った。故人 の長年 の友人 から、 これま
行 い、 さら に基所 で棺 が土中 に埋葬 され る儀式 に立 ち会 った こ
とは記憶 に残 る こと であ った。 しかも マルチカルチ ュア的な宗
棺 にかけ て、しず かに基地を去う た。
で経験 のな い仏式葬儀べ感謝 の言葉をかけられた。
それにしても、マリ ア信仰 の巡礼地 で仏式葬 儀を行 う こと で、
教事情 がド イ ツでアク チ ュアルな現象 とな って いる こと に、気
づ かされた ことだ った。
映画 でみなれたキリ スト教 の埋葬 の場面 であ ったが、自分 が
仏教 が ドイ ツにお いても受け 入れ られ つ つあ る ことを実 感 し、
デ ュツセルドル フに浄土真宗寺院があ る こと の意 義 に ついて改
述 べ、ドイ ツにおけ る仏教徒 の埋葬 の例 とす る。
も う 一つ、今 年 行 った火葬 によ る埋葬 に ついて簡単 に
二、
そ の後、近く のレ ストラ ンで遺族 、参加者 と軽食 の場が もた
れ、 そ こでイ スラム教 であ る喪 主 の夫 人 と も話 を す る機 会 を
交 通事故 で亡 くな った 二十代 の青年 の葬 儀 の依頼 であ る。く わ
め て考 えた。
も った。年 に 一度 はミ ュンヒ ェンか ら夫 の故郷を訪 れ、仏教徒
であ る舅ともよく理解しあ っていた と の ことだ った。 いず れ患
しくは母親 に話を 聞 いてはし いと の ことだ った。 翌 日母親が恵
二〇 一三年 五月上旬 に隣市 にあ る葬 儀社 から 電話 があ った。
光寺 も訪ねた いと いう。
儀をお願 いした い、故人 は半年 の間 に自 分 の埋葬 の希望を作成
光 セ ンタ ー にみえた。息 子ジ ヤン ・ピ エー ルは昨秋交 通事故 に
あ い、 ことし 四月末 に亡くな った、生前 の遺 言 に従 い仏式 の葬
に受 け入れられ てから半世紀を へて、イ スラム教徒が徐 々にふ
え、各地 にモスクが作られ て いる。 日下、隣 のケ ル ン市 に大 き
したと、 写真 入り の文書を置 いて いかれた。
それ によ ると、ジ ャ ン ・ピ エー ル 二八歳 は十 月中旬 の事故 に
一九六〇年代 西ドイ ツに外 国人労働者 と し てト ル コ人が大 量
な モスク建 設 の計 画があり、市 民 の複 雑な 反応が 問題とな って
いる。
新 た な存 在﹂ となり、す でに自分 のお骨 入れを ワイ マー
より ﹁
には、自分 とゆ かりをも つ人 々と の、永遠 の愛 が こめられ て い
る。柔術 ︵
日本 の武道 ?︶の稽古 の前 に精神を集中す る術を学び、
ル に注文 し て いる。 写真 にあげ られた黄金色 の ハートを 示す瓶
イ スラム過激派 によ るテ ロヘの警戒 はあ るが、 ヨー ロッパ世
界 にイ スラ ム教 がま す ます ひろま って いく こと は 明 ら か であ
る。 ヨー ロッパはす でに マルチカルチ ュアの世 界 であ る。仏教
が ヨー ロッパ に定着する ことも、同様 にすすむ こと であろう。
浄土真宗総合研究 8
える教 えにひかれたとある。
やが て東洋 の瞑想 に触れ、ダ ライ ・ラ マの著書 から心 の平安を
瓶 を据 え、 フラ ンス ・ノル マンデ ィか ら持 って こられたと いう
では、私 は 三帰依文 をあげ 合掌 した。小 さく掘 られた基 の穴 に
立 ち続 けた。小柄な老 人が、感銘 深 い儀式 であ ったと 〓言のベ
砂 を母親 、 兄弟が少 しず つかけ、参列 の人 々もそれ にしたが っ
た。大勢 の人が ひと つか み の砂 を添 えるま で私 たちは基 の前 に
父親 はドイ ツ人、 母親 は フラ ンス人、 ノル マンデ ィ海岸 でタ
日を掌 に受 け とめ て いる写真 の上方 に、 ﹁
わが告 別 のため ﹂と
︲
由来 す る火葬 をと るに至 って いる。また埋葬 は樹木葬、海上葬 、
2
に失 われ、多 く の人がキリ スト教 の伝統 であ る土葬 より仏教 に
ドイ ツのみならず ヨー ロツパ諸 国 で埋葬 の宗教 的意 義が次第
れた。
と題す るセミナー に恵光 セ ンタ ーも協力 を し てほし いと要請 さ
と いう方 か ら、メールで ﹁
埋葬文 化︱△7日のキリ スト教 と仏教﹂
二〇 一〇年 にボ ンにあ る福音 派 アカデ ミー教授 リー ・リ ンケ
ミナー で取り扱 う機会をも った ので簡 単 に紹介す る。
三、
次 にド イ ツにお け る葬 儀 に ついて、恵 光 セ ンタ ー のセ
間に十 一回葬 儀を行 った。
ル フの意 光 日本文 化 セ ンター に来 ては や十 〓年にな るが、そ の
私 は薗 田宗 人教授 の後を うけ て二〇 〇 二年 夏 にデ ュッセルド
に感 心す るば かりだ った。
せた骨瓶 を フラ ンス海岸 の砂 でうめ、去 って行 った青年 の覚悟
だき、仏式 の葬 儀を行 い、自分 の好 きだ った曲を ながし、多く
の知人 と の別れ の場を 用意 し て、特別 に ワイ マールからとりよ
半年 の病床 で平穏な心を たもち、自 分 の埋葬 に ついて心をく
て去 った。
書 いてあ る。
私 は、 フラ ンスで教育を うけたと思われ る この青年 のプ ロー
ク ンなドイ ツ語 の文章 に心をうたれた。交 通事故 で病床 にあ る
恐れ、嘆き の葛藤 は 一切な い。黄金色 の光 に包 み込ま れた平安
が のべられ、自ら の生と死を穏やかにとらえ ている。
例年 になく肌寒 い五月下旬 の曇空 の朝 、私 は連 れ の若 い僧侶
江 田と自衣 ・布抱 に草履で隣市 の墓地付 属 の礼拝堂 へむか った。
式 は+上 時 に始 ま った。故人が好 んだ曲 が会 場 に流 れ、 それ
が終わ ると私たちは名号をかけ た祭壇 に向 か い讃 仏個 のお勤め
をし、江 田が自骨 の章をよんだ。
故人 は仏教 に帰依 し、そ の遺志 に こた え て ここに仏 式葬 儀を
行う ことを話し、自骨 の章をドイ ツ語 で説 明し て、光 に包まれ
た阿弥陀仏 の西方浄土 へ、故人 は旅立 ったと のべた。
ま たしば らく曲がながれ、柔術 の先生 が故 人を し のぶ言葉 を
のべた。母親、 兄弟がまず祭壇 にむか い 一人ず つ別 れ の黙礼 を
し、参列 の客が順 にそれに続 いた。満 員 で後 ろ に立 ち続 け て い
た若者たちま で残 らず前に進 み出た。そ の間曲 は何度 か繰 り返
された。
今 にも雨 にな りそうな中を、母親 と兄弟 によ って抱 えられた
瓶 に従 って、私たち は数百メート ル先 の墓所べ むか った。そ こ
欧米における浄土真宗の葬儀事情
平成 ﹃
お
また ﹃
中央 公論﹄五月号 では ﹁
と いう シリーズ で特集 し、
ど 参加者 に寺院紹介と仏教 の埋葬 に ついて話す こと にした。
の
人・
脈 ・記﹂
朝 日新 聞﹄が この年 四月 に ﹁
ち ょうと 日本 でも、﹃
日午 後 二時 から五時ま で恵光 セ ンターを会場 とし て、 四十 人 ほ
の伝統 とす る仏教 のあり方 を示す のも大事 と考 え、八月 二十 八
とは、まさ に信仰 にもと る こと であ ろう。 この際 に火葬 を埋葬
死後 の復活を信じ るキリ スト教徒 にと って遺体を 灰 にす る こ
のだ と いう。
こでキリ スト教、仏教 の現今 の在 り方 に ついてセミナ ーを開く
宇宙葬等 々におよび、葬儀費用も重要な 問題 とな って いる。そ
フにご縁 のあ った方 々の分骨をお守りでき るようにした。
倶会 一処 ﹂ の石碑 の下 に安 置堂 を設け、デ ュツセルド ル
また ﹁
埋め、南 無 阿弥陀仏、名前、没年 を刻 んだ ほぼ 二十 五セ ンチ 四
方 の石板を上 におく。現在 は三人 の方 の骨瓶が埋葬 され て いる。
地 に移す こととされた。墓碑を建 てるには狭 いので、骨瓶を直 に
恵光寺 の基地を認め、個人埋葬 は 二十年 、それを超 えると共 同基
地 として、そ こに骨瓶を埋葬す る。デ ュッセルドル フ市公安 局は
われる ことが テレビ でも報 じられ て いる等 々。
最後 に恵光寺 の埋葬場 を紹介 した い。本堂 の左側 の緑地を墓
費 用負担 と いう経済 的な問題 からも、直葬 と称す る ことさえ行
員 の喪 失 を惜 し み、人柄 を し のぶ機 会 が失 せ つつあ る。 ま た、
られたようだ。 最終的 な報告 をボ ンから得 て いな いが、仏教 の
セミナ ー参加者 たちはドイ ツの葬 儀 とくら べながら耳を傾け
葬儀がメデ ィ
葬式﹄入門﹂とし ていく つかの論考があげ られ て、
立場を伝 える良 い機会 とな ったと思 って いる。
ア のテー マとされ て いた。 二〇〇 八年外 国映 画オ スカー賞 を滝
おくりび と﹄ が得 た ことから、
田洋 二郎監督、本木雅弘主演 の ﹃
儀業 の成立 を迎 えた。 二十世 紀 にな っても葬儀業教育 は個 々 の
たが、衛 生 ・民事上 に厳 し い規 程が制定 され ると、個人とし て
一八七〇年 ころ都会 で自 営 の葬
はも はや対 応 できなくな って、
一九世 紀 に入 るま では、 死者 の取り扱 いは家族 の役割 であ っ
のことを報告す る。
以下 にイ ンター ネ ット検索等 によ り得 た資料 から、おおよそ
て いる のだ ろうか。
伝統 をも つドイ ツで、葬 儀業 が職業 とし てど のよう に営業 され
さ て、手 工業 におけ る徒 弟︰ マイ スター制 と いう職業教育 の
葬儀 はもはやタプー ではなくな って いた のであろうか。
さ て、仏教 の葬 儀 に ついてスライドも交 えた講 演 に、ド イ ツ
の葬儀会社 の経営者 が多数を占めた参加 者 は、仏教 の葬儀 の意
義とあり方 に ついて違和感 もなく理解されたようだ。
﹃
おくりびと﹄ の映画 のよう に、死者は清 められ て納棺され、
親族 、友 人が別 れ の場 とな る通夜、葬 儀 に ついて のべ、火葬 、
骨あげ七 日法 要、中陰法要を へてお骨瓶を基 に納 め るま で、遺
族が故人をしのぶ仏教 のしきたりに ついて話した。
一九 四五年 日本 の敗戦 以降、新憲 法 で公教育 にお いて宗教教
育 が禁止され、
一九六〇年代 から大都市 への人 口集中、核家 族
化、農村 の過疎化 に伴 い、か つての共 同体意識 がうすれ、構成
つ一
一
,
浄土真宗総合研究 8
者と 認められる こととなり、 二〇〇 三年 八月 一日から葬儀業 は、
自治体 の手 工業会議所が行う職能試験 に合格 したも のが葬儀業
業者 によ って行われ てきた。 つい 一九九六年 以降、それぞ れ の
す るが、公式 には火葬 の選択も認め る ことにな った。
教会 は火葬を 野蛮 な仕来 りとし て否定 し、教会 での火葬者 の葬
が でき た のは 一八七 八年ゴータ市 で、
一八八六 年 にカト リ ック
エー ル のよう に、近年 では火葬 が増 え て いる。 ドイ ツで火葬場
管理施設 にお いて三年間 の実地教育、 そ の間 に全 国 で三カ所 に
は旧 西ドイ ツにお いて三八 。 一%、旧東 ドイ ツでは七 五 ・三%
ドイ ツ葬 儀協会連 盟 の統計 資料 によ ると、
一九九九年 に火葬
儀 は受 理しなか った。 しか し戦後 一九六 三年 には、土葬 を推奨
国から公的 に認可された教育 による職業 と規定されるに至 った。
すなわち義務教育 八年 以上を修 了したも のが、葬儀社 と墓 地
あ る専 門職業 学校 でも、 二、 三週 間 のプ ロ ック授業 を 受 け る。
火葬 を選 ん で いる。地域的 にみるとプ ロテ スタ ント の多 い北ド
一九九〇年 代終 わ
め る地域 でも、 両者 の比率 は拮 抗 し て いる。
イ ツ、東 ドイ ツでは火葬 が、カトリ ック の優勢 な南 ドイ ツでは
いまだ に土葬が多 い。 しかし次 第 にカトリ ック教徒が主流を し
であ った。 二〇 一一年 の資料 では、ますます多数 のドイ ツ人が
この三年 間に、初年次 には月額 四〇〇 ユー ロ、二年次 四五〇 ユー
ロ、 三年次 五〇〇 ユー ロの手当 てと、さ ら には専 門職業 学校 へ
の交 通費、宿泊費、食費等 の支給を うけ る。 こうし て試 験 に合
二〇 一〇年二 月 一日から、 さ ら に専 修施 設 で の研修 によ り、
年 にはドイ ツ全土 で五五%とな っており、特 に東 ドイ ツだ けを
格すれば、葬儀業 の職人となる。
葬儀 マイ スタ ー﹂ の称 号を得 る ことが でき
経済省規程 によ る ﹁
るよう にな った。 そ のカリキ ュラム には、墓所 と基地 に関す る
みると八十 %を超 し て いる。
ミ ュン ヘン市 厚生委 員会報 告 によれば 、 ミ ュン ヘン市 にあ る
談話を簡単 に紹介す る。
〓年 二月 のミ ュン ヘン市 埋葬 係、 ベーター ・コツバウ アー氏 の
具体的 にミ ュン ヘン市 の数値 をあげ てみよ う。 以下に 二〇 一
り ころまだ 三分 の 一であ った火葬が、 二〇〇 八年 から 二〇 一一
経 理上 の知識、 死者 の衛生上 の処 置法、葬 儀 におけ る弔意 の心
以上 のような葬儀 の職種 に関す る新 たな法 的な措 置 に、従来
理学、遺族 と の対応 の仕方等 に ついて教授される。
の業 界も対応 を迫 られる こととな った のであ ろう。上述 の二〇
二十九 カ所 の基地 で これま で十九 年間 に、空墓 所が 二七、〇 〇
一〇年 に葬 儀業者 がボ ンにおけ るセミナ ー に参加 した ことも、
この措 置と呼応 して いると考 えられ る。 従来 の葬儀業者 も、今
〇 か ら 四〇、OO Oな って いる。墓所 の充 足率 は九 四 ・五%か
ら 八 五 ・九 % に下が った。 そ の理由 は ます ま す の高 齢 化社 会、
3
外 国 での埋葬 等があげ られ る。 ミ ュン ヘンの若者 は エゴ イ スト 2
それに伴 う死者 の減少、また離嬌 者 の増大、若年親族 の土地離 れ、
後 は認定葬儀者、 マイ スター等 の上級資格 証明を目指 す こと に
なる。
さ て、 仏式 葬 儀 と骨瓶 の埋 葬 を 自 分 の遺 志 と した ジ ャ ン ・ピ
欧米における浄土真宗の葬饉事情
な のだ ろうか、 二〇代 から 四〇代 の親 族 ではますます少数 の人
同市 の環境 厚生当 局は、 二〇 二五年 には空墓所 が七六、 五〇〇
るが、 骨瓶 の方 は 四九 ユー ロとな り、 経費 の面 でも 差 があ る。
とな った。十年 間土葬墓所を占有 す る費 用は年六九 ユー ロであ
仕 事 はしたくな いのだ、 まさ にド ラ マチ ック だ と 同氏 は いう。
一九九〇年 にまだ 三七 %だ った火葬が、 二〇〇九年 には 五八 %
社会福祉 施 設等 の運営費 にもな って いる。 信徒 は生 涯ず っと教
が自動的 に差し引 かれる。す べてが教会収 入 にな る のではなく、
た改善が はかられ る ことを期待 した い。
ドイ ツでは州 によ っても違 うが、教会 税 とし て所得税 の九 %
をお いて葬儀 が行 われ て いる。今 後 日本 の火葬方 式を参考 とし
う に感 じた。実際ジ ヤ ン ・ピ エール の場 合も ほぼ二 か月近 い間
い。 それ故 に教会 での葬 儀 ではなく、ただ故 人を とも にし のぶ 4
2
集 いとす る ことも少 なくな いと いう。
これを 聞 いて、 ここにドイ ツの火葬 にかかわ る問題があ るよ
になると推定 し ている。 二〇〇六年 から墓地 で の樹木葬 を行う
しか墓所 の手入れをしな い傾向があ る、遺産 は受け取れ るのに、
て いるが、それ によ って墓地内 の森 の歩行が制 限されるに いた っ
泥 た る思 いを持 つとし ても やむを得 な いこと であ ろう。 ここ数
会 をまも りながら、死 に面し て不本意 な選択を す る こと に、性
た。 いく つか の墓地 ではす でにイ スラム埋葬場 所が設け られた
し、 この秋 には火葬 の無名墓所が計画され て いるのだ と。
年教会 を離 脱す る人も増 え て いる。都会 では教 会を 公民館 に変
えたり、 イ スラム のモ スク に転し た りす る ことが話 題とな って
同時 にあげ られた数表 によると、土葬 と火葬 の対 比 は 二〇〇
三年 ではす でに 四八%対 五 二%と火葬 の方 が多 くな り、 二〇〇
いる。 ドイ ツでも生 と死を とりむすぶ仕来 りが、徐 々 に変 わ っ
てき ているのであ る。
九年 では、さらに四二%対 五八%と差が ひろが って いる。
︻
註︼
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ドイ ツ葬儀業協会連盟、新 聞社 のイ ンターネ ット等 による。
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最後 に今 年肉 親 を な く した恵 光 ド イ ツ人職 員 の意 見を あ げ
る。父親 はカトリ ック教徒 で、
の強 い
と ころであ る。亡くなる前 に父は土葬 でなく、火葬を希望 した。
固 い信仰心をも った父が、棺 の埋葬 でな いことを息 子とし ては
残念 に思 って いる。しかし土葬 で墓所 に埋葬 され る場合、例 え
ば 五、○○○ ユー ロの占有費用が必 要 であ る。 これま で遺族 は
故 人を弔う 一連 の仕来 りを持 った のだ が、火葬 のため に遺体 は
ど この火葬場とも分からな い所 に運ば れ て いく。およそ十 日間、
遺族 は悼 み の時 間を中断させられ る。 骨瓶 が家族 のもと に戻 っ
てき てようやく葬儀 とな るが、 このような空自 の状態 は忍び難