仏 教 の女 性 性 否定 源 淳 子 ・儒 教 の中 に指 摘 さ れ て いる。 そ し て、 近 年 で は仏 教 に もそ 三九 六〇 年 代後 半 か ら、 フ エミ ニズ ム の理論 は 西洋 文 化 思 性 は、 仏 教 の ﹁平 等 思 想﹂ の中 で 埋 没 さ せ ら れ て い る。 そ の 人 も 否 定 す る こと は でき な い。 し か し、 現 実 に は、 そ の差 別 のよ うな 指 摘 が 見 え始 め た。 ﹁女 人 五 障 ﹂ な ど の差 別 性 は 何 想 史 の男 性 中 心 的 ・女 性抑 圧 の文 化 パ ラ ダ イ ム の構 造 分析 を よう な 仏 教 の ﹁平 等 思 想﹂ を フ ェミ ニズ ム の視点 か ら 解析 す はじ め に 徹 底 的 に行 な い、 キ リ スト教 の相 対化 の作 業 を遂 行 し た。 そ 一 の結 果、 ﹁フ エミ ニスト神 学 ﹂ を 生 み出 し た。 ﹁フ モ・ こ 一スト てき たと 指 摘 でき る だ ろ う。 そ し て、 そ れ で は仏 教 の救済 も る と、 そ の思 想 に は、 差別 性 と平 等 性 が 二元 論 的 に 展開 さ れ 神 学 ﹂ が 創 造 さ れ た背 景 に は、 キ リ スト教 が も って い る父 権 こ の小 論 文 にお いて は、 仏 教 のも つ男 性中 心 的 ・女 性抑 圧 徹 底 し たも のと い え な いだ ろ う。 知 す る こと が でき ょ う。 そ の点 で は、 日本 の宗 教 ・思 想 に は 的 パ ラダ イ ムを 女 性 性否 定 と いう 点 に絞 って考 察 し て み た 的 な 性格 が 日常 的 営 み の隅 々に影 響 を及 ぼ し て い た こと を 察 キ リ スト教 のよ う に明確 な 父権 的 三神 教 が 存 在 しな か った こ い。 性 否 定 の も つ 音心味 求 め る修 行 者 であ る生 き方 を 選 ぶ こと であ る。 出 家 以 外 の道 は い う ま でも な く、 家 庭 的 世 俗 的 な 執 着 ・束 縛 を離 れ て 道 を 仏 教 の基 本 的 立 場 と し て、 ブ ッダ は 出 家 を説 いた。 出 家 と 二 と と も関 連 し て、 日 本 の フ ェミ ニズ ム理論 の構 築 は、 宗 教 ・ 思 想 の分野 で遅 れ を と って いる。 宗 教 ・思 想 を含 め た 日本 の 文 化 パ ラ ダ イ ムを 相 対 化 し、 日 本 独自 の文 化 パ ラダ イ ムを 解 明 す る こと で、 日本 の フ ェミ ニズ ム理論 の構 築 は 可能 だ ろう と考 え る。 卒成元年十二月 日 本 の宗 教 ・思 想 のも つ男 性 中 心 性 ・女性 抑 圧 性 は、 神 道 印度學佛教學研究第 三十 八巻第 三號 -323- 説 かれ た こ と に な る。 そ れ は、 性 差 否 定 の無 性 化、 平 等 性 仏教 の女性性否定 (源) で はわ ざ わ いが 多 く て、 仏 道 を 修 行す る のに妨 げ と な ると い る よ う であ るが、 そ う で は な く て、 男 性 優 位 の性 へのす り か が、 男 性 優 位 に考 え ら れ た こ と であ って、 無 性 化 に よ る 性 の え であ った のであ る。 こ う し た男 性 優 位 の典 型 的 な 例 は、 初 う 意 味が 説 か れ る。 出 家 に は当 然、 性 の否 定 が 含 ま れ て い 出 家 は仏 を めざ す 男 女 両 性 に課 さ れ た。 そ の点 で は、 男 性 期 の仏 教 教 団 の男 性中 心主 義 にも み られ る こと は、 改 めて 論 三元化 は、 実 は、 男 性 性 を肯 定 しな が ら 達 成 し た と い う こと の中 の男 性 性 も 女 性 の中 の女 性 性 も 三切 認 め られ な い の であ じ る ま でも な い。 そ のよ う な 男 性中 心主 義 は、 現 代 の日 本 に で あ る。 禁 欲 主義 と いう 性 否定 は、 性 差 のな い平 等 を 表 明 す る。 性否 定 は性 差 を 無 く し、 両 性が 平 等 であ る こと を 意 味 す に成 ろ う とす る の であ るか ら、 ブ ッダ は禁 欲 主 義 を 課 した。 る。 仏 道 と は、 男 性 性 も 女 性 性 も なく し、 真 実 に目 覚 め たも ま で 及 ん で いるが、 単 に制 度 的 な問 題 であ ると、 切 り 捨 て る た。 人 間が も って い る煩 悩 を 克 服 す る こ と で、 仏 と いう 覚 者 のに 成 って いく こと であ る。 ブ ッダ は そ の厳 しさ ・困難 さ を 教 義 の面 で、 男 性中 心 性 ・女 性抑 圧 性 を 明 確 に 示 し た の こと は でき な いだ ろ う。 が、 ﹁女 人 五 障 説 ﹂ であ る。 女 性 が 仏 に成 れ な い とさ れ た こ った 見抜 き、 ﹁性 の交 わ りを 断 つ﹂ こと も 強 く 説 か ね ぽ な ら な か し かし、 男 女 の無 性 化 は 平等 と いう わけ に は い か な か っ ま た、 後 に出 てき た ﹁変 成 男 子説 ﹂ も 同 様 に、 女 性 が 女 性 の教 え は、 女 性 を 三方 的 に否 定 し た点 で、 女 性 を 排除 した こ と 性 の交 わ り を行 い た いと い う欲 望 さ え も 起 らな か った。 大 そ のも のを 否定 し て 男 性 に変 身 し なけ れ ぽ 成 仏 でき な いと い た。 ブ ッダ の性 否 定 に は、﹁わ れ は (昔さとりを開 こうとした時 小 便 に満 ちた こ の ( 女が)そ も そ も 何 も のな のだ ろ う。 わ た う も の であ る。 女 性 の成 仏 の可 能 性 を提 示 した も の で あ る と にな る。 く し はそ れ に足 で触 れ る こと さえ も 欲 しな い。﹂ ﹁美 し い か た が、 男 性 の性 への 三元 化 を 意 味 し て い る点 で は、 明 ら か に男 に)、愛 執 と嫌 悪 と 貧 欲 (と いう 三人 の魔女) を見 ても、 かれ ら ち に愛着 を お こす な。﹂﹁婦 女 は聖 者 を 誘 惑 す る。 婦 女 を し て 性 中 心 的 であ り、 女 性 性 が 否 定 さ れ て 女性 抑 圧 的 であ る。 し (3) (1) か れ を誘 惑 さ せ るな ﹂ な ど に みら れ る よう に、 女 性 を 修 行 の かも、 こ の ﹁変 成 男 子 ﹂ は、 女 性排 除 を決 定 づ け る と 共 に、 (2) 妨 げ と して み て いる こと は明 ら か であ る。 つま り、 女 性 を 慶 女 性 に女 性 であ る こ と を 厭 わ せ た点 で問 題 は大 き い。 そ れ 男 性 の男 性 性 否定 に よ る 無 性 化 は、 女 性 性 の否 定 を も って は、 女 性 の不浄 観、 罪 悪 観 へ連 結 し て いく も の にな る から で め る こと によ って、 禁 欲 主義 が 成 立 し て い る。 -324- ﹁女人 五 障 ﹂ ﹁変 成 男 子 ﹂ に つ いて は、 別 に詳 細 に論 じ る あ る。 必 要が あ る。 これ ら から 考 え ら れ る 女 性 排 除 の条 件 は次 の よう に な る。 ま ず、 女 性 が ﹁五 障 の身 ﹂ であ る ことが あ げ られ る。 こ れ は イ ンド の初 期 の仏 教 に出 てき た も ので、 女 性 に は五 つ の障 り 仏 教 の女性 性 否 定 が、 日本 で最 も 顕著 に 示さ れ たも の の 一 拙 き 身 にだ に も 成 ぜず、 いか にい は ん や仏 の位 を や。 申 す に ( 中略)天 上 天下 は な ほ賎 し き 生 死有 漏 の 果 報、 無 常 生 滅 の ﹁仏 に成 る こと は男 子 な ほ 難 し、 い か に い は んや 女 人 を や。 うも の であ る。 法 然 は仏 にな れ な い女 性 を説 明 し て い る。 が あ り、 梵 天 王、 帝 釈 天、 魔 王、 転輪 王、 仏 にな れ な いと い つを 例 に挙 げ て分 析 し て み た い。出 家 思 想 を 根 本 にも つ仏 教 揮 り あ り、 思 へぽ 恐 れあ り。 ( 中略)女 人 の身 は諸 経 論 の中 に 女 人 禁制 は、 日本 仏 教 と な って も、 そ の性格 を急 変 す る こと はな か っ 嫌 はれ、 在 々所 々に積 出 せ ら れ た り、 三 途 ・八 難 に あ ら ず 三 は性 否定 のま ま 伝 え ら れ た。 し か し、 日本 仏 教 は 日本 独 自 の た。 出家 者 はあ く ま で も 妻 帯 し な い こと が 原 則 であ り、 仏 教 り。 三悪 道 に等 しく し て、 永 く 女人 の跡 を 削 る。 天 親 菩 薩 の ば、 趣 く べき 方 も なく、 六趣 ・四生 にあ ら ず ぽ、 受 く べき 形 往 生 論 の中 に は、 ﹃女 人 お よび 根 欠、 二乗 の種 生 ぜ ず ﹄ と 云 歩 み方 を 採 って いく傾 向 も 見 せ た の であ る。 女 性 性 を 否 定 す 女 人 禁制 が 行 われ た 理 由 は、 次 の時 代 に出 た 法 然 によ って って、 根 欠 敗 種 に 同 じく し て、 遠 く 往 生 の望 み を 絶 つ と 云 も な し。 し か れぽ 則 ち 富 楼 那尊 者 の成 仏 の国 に は、 ﹃も ろも 具 体 的 に知 る こと が でき る。 法 然 は ﹁日 本 国 にさ し も 貴 き 無 々。 諸仏 の浄 土 に は思 ひ寄 る べ から ず。﹂ これ は 法 然 以前 の ろ の女 人あ る こ と なく、 ま た も ろも ろ の悪 道 な し﹄ 等 と 云 へ 止 の霊 地霊 験 の瑚 に は皆 悉 く ⋮ 嫌は れ た り﹂ と し て、 比叡 山、 女 性 成仏 の捉 え 方 であ る。 成 仏 は男 性 でも 難 し い のに、 女 性 る方 法 も 独自 な も のが あ る。 そ の 一つを あ げ る と す る なら、 高 野 山、 東 大寺、 崇 福寺、 金 峰 山、 醍 醐 寺 な ど を 女 人 禁制 の は いう ま でも な い、 と まず 女 性 の成 仏 は男 性 の外 にあ る こと 奈 良、 平 安仏 教 の諸 山 寺 の女 人 禁 制、 女 人 結 界 であ る。 寺 と し てあげ、 比叡 山、 高 野 山 の理由 を次 のよ う に 明 か し て を 証す。 そ れ は、 女 性 が 諸 経 論 に嫌 わ れ て いる か らだ と し、 (7) いる。 ﹁五障 の雲 聾 ゆ る こと な く、 三味 の谷 深 く し て、 三従 (4 ) の水流 る る こと な し﹂ ﹁三 密 の月 輪 普 く 照 ら す と い へ ど も、 女 性が 生 ま れ て いく と こ ろ は、 仏 国 土 でも浄 土 でも な く、 迷 (5) 女 人 非 器 の闇 を ば 照 らさ ず。 五 瓶 の智 水 等 しく 流 ると い へど い の世 界 し か な い こと を いう。 女 性 は完 全 に救 い の対 象 か ら (6) も、 女身 垢稼 の質 に漉 が ず。﹂ 仏教 の女性性否定 ( 源) -325- 仏教 の女性 性否定 ( 源) 以 上、 法 然が あ げ た 女人 禁 制 の理 由 を 分 析 した の で あ る 女 性排 除 を行 な い、 あ た かも 性 否 定 が 性 差 否 定 のよ う にみ せ 除 外 さ れ て いた と いう の であ る。 こ の こと は、 日本 でも イ ソ か け たが、 こ のよ う な 性 の 一元 化 が と り も な おさ ず男 性 の性 が、 ど の理 由 を と って も、 女 性 を 差 別 した も の であ る。 女人 次 に、 女性 は ﹁三 従 の身 ﹂ であ る か ら と いう。 女 性 は結 婚 ド と 同 じく、 女性 が 仏 に成 れ な いと 考 え ら れ て い た こと を 示 前 は父 に、結 婚 後 は夫 に、 夫 の死 後 は息 子 に従 う べき だ と い への 三元 化 のし か け であ る こ と は明 確 であ る。 女 性 排 除 の理 禁制 は、 性 否定 を 実現 化 す る場 で、 いろ いろ の理 由 を つけ て われ て、常 に男 性 の支 配 下 に隷 属 す るも の であ ると いう 考 え 由 はイ ンド 仏教 か ら の流 れ を引 い て い る こと も 三目瞭 然 であ し て いる。 であ る。 女 性が 三従 の身 であ る と 決 めら れ、 そ の た め に女 性 る。 法 然 は 女 人禁 制 を 批判 し たけ れ ど も、 法 然 も 女 性 性 の否 ま た、 イ ンド の仏 教 に、 女 性 の不 浄 視 が 出 て こな いわ け で は聖 な る宗教 領 域 か ら排 除 さ れ た の であ る。 男 性 に従 属 し な は な い。 ﹁大 小 便 に満 ち た こ の女﹂ と 表 現 さ れ た中 に は、 女 定 を 克 服 し た わ け では な い。 コニ従 の教 え ﹂ は イ ソド の ﹃マヌ法 典ハ ﹄ に載 って いて、 当 性 の不浄 視 が あ った。 ﹁設 ひ我仏 を得 ん に、 十 方 無 量 不 可 思 け れぽ な ら な いも のは救 い の対 象 外 だ った の であ る。 で は な いが、 イ ンド の仏 教 にも 採 用 さ れ、 経 論 に出 てく る。 議 の諸 仏 世 界 に、 其 れ 女 人有 り て、 我 が 名 字 を 聞 き て、 歓 喜 時 の女 性 の生 き 方 を呪 縛 し た も の であ った。 仏 教 独 自 のも の 日本 で は、 ﹁三 従 の教 え ﹂ は儒 教 の教 え であ る と捉 えが ち で 信 楽 し て、 菩 提 心 を発 し、 女 身 を 厭 ひ悪 ま ん﹂ ﹁女身 を 厭 患 (8) あ るが、 す で に平 安 期 に お いて、 仏 教 の考 え 方 に存 在 し て い せ ん﹂ など と、 女 性 の身 を厭 う 言 葉 が 知 ら れ て い る。 し か な い。 女 性 は 何 の器 で はな いと いう のだ ろ う か。 これ は や は 深 いと 考 え ら れ る。 仏 教 伝 来 以 前 に存 在 し た 女 性 に関 す る 不 日本 の場 合 に 不浄 観 が 強 く 出 てく る の は、 神 道 と の関 係 が れ な い。 し、 そ れ ら は 日本 に み られ る不 浄 視 と 同 じ であ ると は 考 え ら (9 ) た こ とが わ か る。 さ ら に、 女 性 は ﹁非 器 ﹂ であ る か ら、 結 界 さ れ て いる と い り 五障 と 関 係 が あ って、 成 仏 の器 で はな いと いう こ と で あ う。 三 密 の月輪 はす べ てを 照 ら す の に、 女 性 だ け が 照 ら さ れ る。 女性 が 成 仏 の道 か ら排 除 さ れ て いる こと を いう。 当 然 繊 れ て い るも の自 身 も 清 浄 にな る ま で神 事 に関 わ れ な い し て、 繊 れ に接 し た ら神 社 参 拝 や 神 事 に関 わ れ な い。 ま た、 浄 観 は、 月 経、 出 産 であ った。 後 の神 社 神 道 に は、触 繊 と 称 そ し て、 ﹁女 身 垢 繊 ﹂ の理 由 は、 女 人 禁 制 を 成 り立 た せた。 浄 繊 二 元論 で決 定 さ れ る女 性 の不 浄 視 であ る。 -326- 7 6 4 に同 じ 4 に同 じ 七七 と いう ﹁物 忌 令 ﹂ が定 め られ た。 そ れ 以外 でも、 懐 妊、 流産 ﹃如 来 会 ﹄第 三十 五願 ﹃無 量 寿 経 ﹄ 第 三十 五 願 (大 谷 女 子 大学 非 常勤 講 師) フ ェ、 ・ 二 一ズ ム、 性 差 否 定、 性 の 三元 化 七六 な ども 入 って お り、 女 性 に対 す る繊 れが 目を 引 く。 し かし、 8 く キ ー ワー ドV 9 そ のいず れ にも繊 れ の期間 が 決 め ら れ、 そ の期 間 を 過 ぎ る と 神 社参 り も 可能 だ った。 そ の点 は仏教 の女 人禁 制 と 異 な る。 仏 教 の場 合 は、 女 性 そ のも のを 繊 れ と し て 聖 地 か ら結 界 し 曳救 い の対 象 から 外 し た のであ る。神 道 の影 響 を受 け た と は い え、 女性 性 を全 面 的 に 否 定 した のは 仏 教 であ った。 そ し て、 女 性も 自 身 が 女 性 であ ると いう 理 由 で わが 身 を厭 い、 わが 身 を罪 な るも のと 自 覚 し て い った。 平 安 文 学、 仏 教 説 話 な ど に は、 そ う し た数 多 く の 女性 のせ つな いま で の吐 露 が 描 き だ さ れ て い る。 ま た、 そ う し た不 条 理 な生 き 方 の中 に、 信 仰 と 救 いが あ った こと を 我 々 はど のよ う に考 え た ら い い のだ ろう か。 こ のよ う に 日本 の性 差 別 の特 徴 は、 女 性 の ﹁身 ﹂ を垢 繊 で あ ると慶 め たと こ ろ にあ る。 そ れ は、 キ リ ス ト教 の女 性抑 圧 と 決 定 的 な違 いを も た ら し、 男 と 女 の関 係 にさ ま ざ ま な形 で 影 響 し、 所 謂 日本 的 な 男 と 女 の関 係 性 を 形 成 し て い った と考 え ら れ る。 1 ﹃ス ッタ ニ・パー タ﹄ 八三五 2 同 九四 三 3 同 七〇三 4 法然 ﹃無 量寿経釈 ﹄﹃法然上 人全集 ﹄七七 5 4に同じ 仏教 の女性性否定 (源) -327-
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