大きな肺塞栓を形成してい

<第 26 回 担当:佐藤桜 Case9-2016>
<鑑別診断>
患者はもともと健康なスポーツマンの29歳であり、大きな肺塞栓を形成してい
たが、明らかな静脈血栓症のリスクはなかった。この患者の肺塞栓の鑑別診断
を考える前に、彼に突然の血行動態の悪化や死の危険があるかを判断し、緊急
の治療介入が必要であるか決定するために、どのような追加情報が必要である
か考えなければならない。
【肺塞栓患者の初期評価】
一つの検査や画像では肺塞栓による代償不全の可能性を正確に予測すること
はできない。この病院では、広範な肺塞栓のケースに関して、学際的な肺塞栓
チーム(PERT)で検討することとしている。本例では、塞栓による負荷や右室不
全の程度を評価するだけでなく、どの程度彼が病気らしく切迫感があるかを判
断することになるだろう。さらに、悪性腫瘍などの基礎疾患があるのかどうか
検討することになる。チーム(PERT)は肺塞栓の予後を予測するのは難しいとい
うことを学んできた。多くの患者は元気そうに見えて実際は深刻な病状であ
る。肺塞栓の患者、特にこのケースのように若い患者の場合は、代償性に見え
て急激に悪化することがあり、臨床的な直感には騙されてしまうことがある。
本例は、嘔気や頭痛、移動する痛みなどの症状が数週間単位で増減してお
り、その症状は微小な塞栓によるものである可能性がある。ピンポン球と表現
された痛みが生じたのは、肺動脈に大きな塞栓が起こったサインであったので
はないかと推測される。胸膜性の胸痛、咳、労作時呼吸困難は肺梗塞を示唆し
ており、心肺予備能の低下に至った。バイタルサインは正常範囲内ではあった
が、HR 80-90は優秀なスポーツマンとしては相対的に頻脈である。同様に、呼
吸数20回/分、酸素2L投与でSpO2 98%というのも正常ではない。肺塞栓の患者
においてトロポニンの上昇は右室心筋の障害を示唆し、NT-proBNPの上昇は右
室肥大を示唆するが、この患者ではいずれも正常であった。Dダイマーの上昇
や白血球増多など他の検査所見は、予後的に特異性があるわけではない。
傍胸骨拍動とII音肺動脈成分の亢進は、右室肥大の可能性を示唆しており、
心エコーでは右心系の評価が重要である。右心不全は肺塞栓患者における死の
主因となるため、本例で見られたような右室不全や拡張の所見は、安定してい
るように見える患者で緊急の治療介入が必要かどうか決めるために重要であ
る。
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本例では、造影CTにて肺塞栓が明らかとなった。塞栓の大きさや分布を評価
することは予後的に重要である。多くの研究者は血栓の大きさに基づいたスコ
アリングシステムを作ろうとしたが、それは必ずしも予後予測につながらなか
った。さらに、塞栓子が静脈血栓なのか、別のものであるのかということが重
要になる。
本例の現症に関して、急速に代償不全に陥る危険性はあるだろうか?彼の血
行動態は安定しており窮迫しておらず、酸素化は妥当、トロポニンやBNPも正
常であった。しかし症状は進行しており、バイタルサインもスポーツマンとし
ては正常ではなく、確実に右室負荷を認めている。もっとも重要なのは、可動
性のある大きな心内の腫瘤が、さらなる塞栓を起こしうるということだ。
【肺塞栓の原因】
・静脈血栓症
肺塞栓の最も多い原因であり、足や骨盤内の深部静脈血栓が、下大静脈、右
房、右室を経由して肺動脈へ移動することによって起きる。時折、移動中の血
栓が右室内や下大静脈弁に付着しているのを可視化できることがある。静脈血
栓症に関連する凝血塊は内部不均一であり、急性および慢性の要素が混在して
いる。
この患者の現症からは、典型的な深部静脈血栓症以外の診断も示唆される。
彼は大きな既往歴のない健康な29歳である。以前、飛行機で下肢痙攣があった
とのことだが、以前から何回も起こっており、関連があるかははっきりしな
い。また、血栓塞栓症の既往や、寝たきりなどの身体的要因、下大静脈や腸骨
静脈の狭窄といった機械的要因、CVカテや下大静脈フィルターなどの異物留
置、血栓形成傾向や過凝固状態となる生物学的・遺伝的要因など、明らかなリ
スクファクターはない。彼の祖母はSLEに関連した静脈血栓塞栓症があったと
のことだが、他に血栓症の家族歴はない。彼の病歴からは、外傷が血餅形成に
つながっている可能性もある。入院の3ヶ月前にクリートで怪我をし、仕事で
は小さな胸の怪我をしているが、いずれも血栓症を起こすとは考え難い。
もっとも注目すべき点は、心エコーでの心内腫瘤の所見が典型的な静脈血栓
症としては非典型的であるということだ。大きさ、無構造で分葉状の形態、不
均一なエコー描出、可動性、三尖弁に固定されているというのは、すべて静脈
血栓塞栓症としてはかなり珍しい所見である。静脈血栓塞栓症と関連する血栓
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はふつう、血栓が形成された静脈の円柱形を示すような立体あるいはソーセー
ジのような形態をしている。また、その血栓は右心腔を占めるよりも肺動脈へ
移動してしまう。これらを加味すると、この患者では他の肺塞栓の原因を考え
なければならない。
・心内膜炎
心内膜炎による疣贅が三尖弁に付着している可能性が考えられる。しかしこ
の患者の腫瘤は心内膜炎でみられるものよりも大きく、発熱・発汗などその他
の身体症状がなく、他に診断を支持する所見がない。
・良性心臓腫瘍
大きな肺塞栓を認める症例において、肺塞栓チームはいつも良性心臓腫瘍、
原発性の心臓悪性腫瘍、あるいは心転移による塞栓の可能性を考える。粘液腫
などの良性腫瘍が心臓腫瘍の25%を占めるが、それらはたいてい心房中隔に付
着しており、80%が左房内、20%が右房内に存在する。本例において不均一な
エコー描出は粘液腫として矛盾しないが、付着部位が一致しない。心臓弁の腫
瘍では乳頭状弾性線維腫がもっとも頻度が多く、イソギンチャクのような形を
しており、本例の腫瘤をいくらか連想させる。しかし弾性線維腫としては大き
く、年齢も若い。脂肪腫と線維腫は一般的に可動性がない。横紋筋腫は子ども
に多い。平滑筋腫、血管腫、奇形腫はまれであり、分葉状の形態とは一致しな
い。
・悪性心臓腫瘍
非常に稀であるが、肉腫やリンパ腫がある。本例では原発性の肉腫の可能性
はあるが、他の原発性心臓腫瘍は可動性の高い腫瘍は形成しない。
・悪性腫瘍の転移
稀ではあるが、心内に転移巣を形成する癌がある。肺癌、乳癌、腎癌、肝
癌、副腎癌、胚細胞腫瘍、メラノーマ、肉腫、リンパ腫、扁平上皮癌、甲状腺
癌などである。主に腎癌や肝細胞癌などの心外腫瘍が、下大静脈を通って心臓
や肺動脈に浸潤することがあるが、本例の腫瘍は腎静脈や下大静脈と近接して
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いない。いくつかの胸部原発癌は、心臓へ直接浸潤することがある。原発巣検
索のために、腹部と骨盤部のCT、精巣の超音波検査を検討した。
心内腫瘤の不均一で不整形のエコー所見、付着部位、臨床像に基づき、CT血
管造影と心エコーで認めた大きな占拠性病変は、静脈血栓症よりも心臓転移の
可能性が高いと考えた。そうすると、反復性の肺塞栓による亜急性の症状、散
在性の肺梗塞、体重減少や血小板減少などの多発する非特異的な異常について
も説明がつく。
大きくて脆弱な腫瘤が存在していることと、右心系に中等度の血行動態異常
があること、肺梗塞の存在からは、この患者にはさらなる塞栓あるいは右室流
出路の閉塞によって急激な代償不全に陥るリスクがある。そのため、腫瘤は原
因にかかわらず、外科的な肺塞栓除去によってすぐに取り除く必要がある。腫
瘤を除去し病理学的検査を行うことで診断に至ると考えられた。手術が行わ
れ、経食道心エコーでは、上大静脈に進展する腫瘤が確認された。
術後、LDHは低下したが、hCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)は966IU/l(正
常<0.7)に上昇、AFPも374ng/ml(<6.1)に上昇した。頭部から骨盤部までの
CTと、陰嚢のエコー検査が行われ(Fig.4)、精巣摘出術が行われた。
肺塞栓除去術の8日後、精巣摘出術の2日後に、彼は退院となった。エトポシ
ド、イホスファミド、シスプラチンによる化学療法が行われた。4ヶ月後、縦
隔リンパ節と後腹膜腫瘤の増大のため、後腹膜腫瘤切除が行われた。病理では
悪性胚細胞腫瘍から発生した肉腫の転移とわかった。最初の状態から2年後、
右房、左房、上大静脈に腫瘤が見つかり、さらに2回の心臓手術が必要となっ
た。フォローアップの画像検査では新たに複数の肺塞栓と、右室乳頭筋上およ
び下大静脈弁の小さな腫瘤が認められたが、慢性的な塞栓であると思われた。
4年半後、腹水のコントロールがつき、活発な身体活動を再開し、最近結婚し
た。
診断:転移性胚細胞腫瘍による肺塞栓と心内腫瘤
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