英米文化論講読Ⅰ ――カメラや写真の発明が、我々の文化をどう変えたのか―― ス ー ザ ン ・ ソ ン タ グ の "ON PHOTOGRAPHY" の 冒 頭 に 、 "To collect photograph is to collect the world."(写真を収集することは世界を収集すること である。)という一文がある。だが、これは物事のほんの一部をとらえたに過ぎ ない。確かに彼女の言うように、カメラの発明は我々が想像を絶するほど、壮 ... 大な世界を我々の手中に収めることを可能にした。しかしその一方で、写真の .. 方が我々のものの見方を支配し始めているのも事実なのである。 十九世紀前半から、産業化とともにカメラは発展してきた。ここでキーワー ドになってくるのが「大衆化」である。このカメラの「大衆化」は、我々の文化に 利益と同時に不利益をももたらした。 まずは利益から見てみよう。今我々は、カメラから様々な恩恵を受けている。 それは、カメラの三つの役割を見ていくことで明らかになる。まず一つ目は、「記 録に残すこと」。一般的に、カメラは絵画に比べて事実をそのままとらえるとさ れているので信憑性が高い。そのことから写真は、事件の重要証拠になったり、 過去の歴史を記録したりすることに広く役立っている。 二つ目は、「収集する・所有すること」である。写真を撮るという行為は、一 種の人間の欲望の表れと言ってよい。カメラのおかげで、我々は所有しておき たい描写を写真に記録しておくことができるようになった。それゆえ被写体は 我々の欲望の鏡であると言える。逆の言い方をすれば、我々が何をどのように 撮るかを見ることで、我々の望んでいるものを知ることができる。 そしてもう一つの役割は「解釈を与えること」。写真は一見事実を客観的に映 し出しているように見える。しかしそこには必ず撮る側の解釈が含まれている。 見ることは選択である。それゆえ、写真の歴史をみていくことで我々のものの 見方を辿ることができるのである。 では、カメラの「大衆化」が我々の文化にもたらした不利益とは何か。写真は 我々のものの見方だけではなく価値観までも大きく変えてしまった。そのこと は三つの危険性を生み出した。 まず、大衆が同じ考えを植えつけられる可能性である。カメラの登場とと もに、メディアも大きく変化してきた。文字や言葉で表現する新聞やラジオに 英米文化論講読Ⅰ 変わり、写真を扱う記事や映像で伝えるテレビが主流となった。事実を客観的 にとらえることで評価を得ている写真や映像は、今までの文字や言葉のメディ アよりも我々の価値観に与える影響は大きい。なぜなら、見ている側はそれが . 物事のほんの一面をとらえているにもかかわらず、その映像がまるで事象の全 .. 体像をとらえているような錯覚に陥りやすいからだ。そこに映像を提供する側 の解釈が入っていることをつい忘れてしまう。これは少し間違うと大変危険で ある。メディア戦略によって、国家が国民に彼らの都合のよい価値観を涵養す る危険性が生じてくる。北朝鮮がよい例である。 もう一つは、写真に変わって絵画や文学などの一部の媒体が価値を失う危険 性である。そのなかでも最も影響を受けたのは絵画だろう。誰にでも簡単に撮 れる写真に対して、絵画は専門性と莫大な時間を必要とする。さらに、今では 複写技術も発達しているからなおさらである。時間に追われるこの時代、物事 を表現したり伝えたりする媒体として、絵画より写真が多様化される傾向は強 い。 だが、絵画には写真にはない恍惚とした人間の理想を描く素晴らしさがある。 例えばピカソのゲルニカがそうである。単にスペインの内戦を写実的に描くの ではなく、彼自身の頭で描いたものを絵画によって表したからこそ、この作品 にはどこか人々の心に訴えるものがあり、今日まで評価を得ているのではない だろうか。 そして最後は、人間の匿名化の危機である。ウォーカー・エヴァンズの作品 は、まさにこのことを物語っている。高いところから撮影した写真に写った人々 は単なる点に過ぎないものであり、帽子を被った人物の写真ではその人物の顔 や中身はどうでもよいものとされ、街を歩 いている女性(写真左は写真右の怪物とど こか似ている。)はもはや怪物同然の表情で あって、どの写真に写った人物も人間とし て扱われていない。カメラの「大衆化」は、 このように人間の温かみを削ぎ、物質化さ せてしまう危険性もはらんでいるのである。 このように、カメラや写真の発明は我々の文化を大きく変えた。それは「記 録に残すこと」、「収集する・所有すること」、「解釈を与えること」といった三つ の役割を軸に、我々の生活を便利にすると同時に危険性も与えることになった。 確かに産業化やグローバル化がますます進展している今、写真などの映像メ ディアが果たす役割は大きい。 『三四郎』に登場する広田先生がこの恩恵を受け 英米文化論講読Ⅰ ... てわざわざ洋行することなく写真で西洋を研究していたように、広い世界を知 る上では非常に便利な存在である。 その一方で、technological determinism(決定論)の考えに基づいて考えるなら ば、映像メディアが我々の哲学や思想に一種、危険な先入観を与える危険性が あることも事実である。これらのことをよく理解した上で、我々は写真と上手 く付き合っていかなければならない。 Photograph is just on moment in time. Portrait isn't like photograph. Paint shows the soul. 写真はその人物の一瞬をとらえるに過ぎない。 だが肖像画は写真とは違う。人の魂までもとらえるのだ。 by Oscar Wilde
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