1 要約 日本人とキリスト教――その複雑な関係 16世紀

要約
日本人とキリスト教――その複雑な関係
16世紀中葉以降、日本ではキリスト教の伝道が顕著になされてきた。ところが日本は
今も世界において、最も福音化されていない国の一つである。本書に示されている通り様々
な統計によれば、日本におけるキリスト者人口はいまだに、わずか 1.40~1.54%にすぎな
い。それゆえ当論文の中心的設問は、次のものである。
「キリスト教はなぜ日本で成功していないのか? その主な理由は?」
以下は、各章の要約である。
はじめに(第1章)
本章では、まず当研究の枠組みが示される。研究のための中心的設問、それに答え得る
仮説の大枠が示される。日本におけるキリスト教の社会的、文化的、歴史的、宣教学的、
さらには政治的な様々な要因について概観する。さらに「キリスト教」「日本文化」などの
用語が本書で持つ意味についても特定する。本章は第2章以後の全章の基礎的な解説であ
る。
歴史的要因(第2章)
本章では、日本におけるキリスト教史が概観される。16 世紀、日本にローマ・カトリック
が入ったときのこと、以後とりわけ徳川時代(江戸時代 1603-1868 年)においてなされ
たキリシタン弾圧の歴史、さらには日本のプロテスタントの歴史についてである。また明
治時代(1868-1912 年)にキリスト教が再紹介されたときのこと、第2次世界大戦後の日
本でのキリスト教史についても、簡単に見ていくことにする。
世界観の要因(第3章)
本章では、日本人と西欧のキリスト教徒の世界観の相違について考察する。日本人の持
つ独特な文化的、宗教的観念についてである。とりわけ「和」「内」「義理」「本音」「甘え」
など、いわゆる日本的観念について、本書設問の面から論議していきたい。
日本人の宗教的観念についても見ていくことにする。とくに西欧キリスト教会の観念と
は異なるものについてである。「神」や「無宗教」の観念について、さらに既存宗教である
「仏教」「神道」「儒教」との共存の観念についても論議する。
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神学的要因(第4章)
日本人の世界観と西洋的キリスト教が出会うところ、神学的な問題が浮き彫りになる。
幾つかの神学的な観念――「罪」「死後生命」「先祖供養」、また日本人の文化的・宗教的面
から見たキリスト教の独自性などについて。それらの神学的観念が、日本の宗教的風土に
おいて福音的にどう理解できるかを、本章では検証していきたい。日本で起こっている「死
後のセカンドチャンス論」(死者の回心の機会)に関しても、見ていくことにする。
宣教学的要因(第 5 章)
本章では、日本をキリスト教化する試みに関し、宣教学的な諸問題に光を当てる。歴史
的にみて、キリスト教はいかなる形で日本人に紹介されてきただろうか。かつて日本人を
改宗させようとしたやり方は、ときに日本文化と衝突しただけではなかった。すでに日本
人キリスト者となった者たちの倫理的、社会的責任と対立することすらあったのである。
「なぜキリスト教はいまだに日本で広まっていないのか」という問題に対する一つの答
えは、多分に、西洋の宣教師がキリスト教を日本人に伝える際の「やり方」にあったと言
えるだろう。
本章は大きく3つの部分から成る。はじめの2つは、カトリックおよびプロテスタント
双方の日本宣教に関してである。さらに、西洋の宣教師が日本でおかした3つの過ちにつ
いても論議している。その過ちとは、(1)欧米中心主義、(2)日本の伝統文化への無知、
(3)教派的不和 である。
社会的要因(第6章)
本章では、キリスト教がなぜ日本で広まっていないかについて、その社会的要因を考察
する。
たとえば社会的地位、家族的義務。さらに、ほとんどの日本人は地域において自分の職
業や、教育に応じた責任をになっている。平均的な日本人がフルタイムで献身的キリスト
者生活を送ることの困難さは一体どこにあるのか、それについても見ていく。
政治的要因(第7章)
本章では、日本のキリスト教とのかかわりにおいて政治が果たしてきた役割について、
新しい見方を紹介する。西欧のキリスト教はこれまで多くの場合、その政治的野心と一緒
に動き、活動したため、日本ではあまり受け入れられなかった。多くの日本人未信者が口
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にする事柄といえば、世界史におけるキリスト教徒による侵略戦争や、キリスト教徒同士
の争いである。これら政治と軍隊、キリスト教と日本文化の関係について、本書の中心的
設問の観点から論議していく。
日本へのキリスト教の功績(第8章)
本章では、日本の文化/社会に与えたキリスト教の功績という、プラスの面について取
り上げたい。とりわけその4つの側面――教育、社会正義、神学、また知的人生に関して
である。日本人芸術家、また人権活動家などが日本の文化/社会において得た地位につい
ても述べられる。キリスト教が日本で起こした対立ばかりでなく、日本の文化/社会に与
えた良い影響というプラスの面も述べることにより、バランスある日本宣教観を展開する。
最後の所感(第9章)
前章までの事柄に基づき本章では、なぜ日本におけるキリスト教が信者数を伸ばせず、
量的に伸びなかったかについて、最終的所感と結論を語る。信者数の面ではキリスト教は
日本でいまだに成功していないというのは、明らかな事実だろう。しかしながら、量的成
功だけが成功ではない。質的影響という観点からみた成功もある。量的成功は、質的影響
の成功の上を行くものではない、とも言えるだろう。
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