イギリス文化論B 1

イギリス文化論 B 第 1 回
岩井
9 月 22 日
ハドリアヌスの長城
ハドリアヌスの長城はイングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。ローマ
帝国は 1 世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされてい
た。そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122 年に工事が開始される。完成には
10 年の歳月がかかった。作業者は、ローマ帝国の支配地から動員された。領土拡張を続け
ていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造
物の一つである。完成当時は、ニューカッスル・アポン・タインからカーライルまでの 118km
にも及んだ。壁の高さは 4 から 5m、厚さ約 3m。後の方で建設された部分は約 2.5m に狭
くなっている。完成当初は土塁で、その後に石垣で補強されたと考えられている。約 1.5km
の間隔で監視所も設置されていた。また、6km 間隔で要塞も建築され、要塞には 500 人か
ら 1000 人のローマ兵が配備されたと推定されている。この長城は文化的境界ではなく、あ
くまで軍事上の防衛線として建設されたが、スコットランドに対する防御壁として、ロー
マ帝国の支配が及ばなくなった 4 世紀後半以後も、17 世紀まで使用されていた。このため、
イングランドとスコットランドの国境として半ば固定化し、現在のイングランドとスコッ
トランドの境界線にも大きな影響を与えている。
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ヴィンドランダ要塞跡
要塞跡から発掘されたさまざまな出土品から、ローマ帝国の版図が最大に達し、繁栄の頂
点にあった時に、北辺の前線で始まっていた兵士たちの異変から、帝国滅亡の兆しを読み
解いてゆきます。ハドリアヌスの長城に設けられた要塞の一つ、500人の兵士が駐留し
たヴィンドランダ要塞の跡では、70年にわたって発掘調査が続けられてきました。これ
までに発掘された武器やテント、鉄製のスパイクなどからは、ローマ軍が恵まれた装備を
誇っていたことが分かりました。2万点に及ぶ出土品の中には意外な物が含まれていまし
た。1000足以上の子どもの靴や女性のサンダルです。当時、軍の規則では独身が義務
づけられていました。しかし、要塞に駐留していた兵士たちの多くが家族を持っていたの
です。さらに、ラテン語で軍の機密が書かれた木片が数多く発見されました。そこには、
「脱
走兵」や「除名」などの文字がありました。当時、ローマ帝国の版図は極限にまで広がり、
兵士たちは戦場から戦場へと移動させられました。移動すれば家族と離ればなれになる。
兵士たちは家族と会うために逃走したと考えられています。北辺の前線で始まった兵士の
異変。それは繁栄の頂点に現れた滅びの兆しでした。
イギリス芸術と歴史
イギリス、ロンドンを流れるテムズ川、1834 年この
川のほとりで、あるものが発見された。
ちょうどそのころテムズ川にかかる橋、ロンドン橋が
新しく造り直され、川岸では古いロンドン橋を取り壊
す作業が行われていた。
作業員たちは瓦礫や泥を
片付けるという単調な作
業をしていた。
そんな中、彼らは驚くべ
き発見をした。
作業員たちが見つけたのは古代ローマ皇帝ハドリアヌスをか
たどったブロンズ製の彫刻の一部分だった。
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それは頭の部分だった。
とても保存状態がよく、髪の毛や眉、目、立派な鼻、そして顎までしっかり残っていた。
ローマ、その昔ヨーロッパ大陸をほぼ手中に収めた巨大な帝国があった。
かつてはイギリスもローマ帝国の支配下にあった。
ローマ人が初めてイギリスに攻め入ったのは紀元前 55 年、その
お よ そ 100 年 後 ロ ー マ 帝 国 の 第 4 代 皇 帝 ク ラ ウ デ ィ ウ ス
(BC.10~AD.54)がイギリスの完全に征服した。
ローマ帝国のヨーロッパ制服をたたえるモニュメントはたくさ
んあるが、ローマ帝国がイギリスを征服したことを示すものは 1
つ、1巨大な石碑の断片。
ローマ帝国第 4 代皇帝クラウディウスが現在のイギリス南部に
あったブリタニアの王を降伏させたことを記念するものだった。
ここにはクラウディウス帝がイギリス海峡の向こうから征服し
た国の人々を連れてきたと書いてある。
ローマ帝国は権力を武器にイギリスに様々な要求を突き付けた。
パンテオン、ローマ神話の神々を祀る神殿、現代に残るローマ
芸術の最高傑作。
ローマ帝国が支配した国や領土は属州と呼ばれ、イギリスもそ
の 1 つだった。
属州にはそれぞれの国や領土を象徴した女性像があった。
イギリスの場合はブリタニアと呼ばれる女神。
2 世紀に作られたコインの片面には女神ブリタニアの姿が描か
れている。
なんだか悲しんでいるように見える。
このブリタニア、現在のイギリスの 50 ペンス硬貨にも描かれている。
片面がエリザベス女王で、もう片面がブリタニア、こちらのブリタニアはなんだか堂々と
しているようだ。
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さらにかつてローマ帝国の東の端であった場所に
は、今では忘れ去られたブリタニアの古い彫像が
残っていた。
トルコ西部の町アフロディシアス、1 世紀頃ここに
は腕の良い芸術家がたくさんいた。
このあたりで切り出される大理石を使って彫刻家
達は美しい作品を生み出した。
見事なコレクション、ローマ神話の神々が生き生
きと表現されている。
イギリスから遠く離れたこの地の人々にローマが
イギリスを支配したことを知らせるために作られ
た彫刻、倒れているのはイギリスの女神。
右のほうにギリシャ語で BRETANNIA と書いて
あり、もう一方にはローマ皇帝クラウディウスの
名前がある。
ブリタニアはうちひしがれている。
殺されると知って命乞いをしているのかもしれない。
髪の毛を振り乱しとても悲しそうな表情をしている。
一方クラウディウス帝は右手を高く上げ、左手でブリタニアの神をひっぱり、まるで喉を
かき切ろうとしているかのようだ。
さらにクラウディウスは膝でブリタニアの体を押さえつけている。
今にも殺されそう。
こうしてローマに敗れたイギリスの姿を表現している。
イギリス人は決して奴隷にはならにという歌があるが、イギリス人はかつてこうしてロー
マ帝国に屈していった。
From the Roman occupation of 2,000 years ago to our own day, the story of Britain is
revealed through art.
参考文献
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%
83%8C%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%9F%8E
http://poyoland.jugem.jp/?eid=650
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards093.html
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イギリス文化論B第 2 回
岩井
9 月 21 日
ローマ帝国の国境線
ローマ帝国の国境線はユネスコの世界遺産登録物件名である。ローマ帝国の繁栄と衰退を
残す文化的景観が評価されて、1987 年にイギリスのハドリアヌスの長城が単独で登録され
た。その後、2005 年にドイツのリーメスを拡大登録した際に現在の名称となり、2008 年に
はイギリスのアントニヌスの長城も含まれることが決定した。
ハドリアヌスの長城は、イングランド北部、スコットランドとの境界線近くにある。ロー
マ帝国は 1 世紀半ばにブリタニアまで領土を拡大させたが、ケルト人の侵入に悩まされて
いた。そこで皇帝ハドリアヌスが長城の建設を命じ、122 年西海岸から東海岸までに工事が
開始される。完成には 10 年の歳月がかかった。
作業者は、ローマ帝国の支配地から動員された。領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡
張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的な建造物の一つである。完成当
時は、ニューカッスル・アポン・タインからカーライルまでの 118km にも及んだ。
壁の高さは 4 から 5m、厚さ約 3m。後の方で建設された部分は、約 2.5m に狭くなってい
る。完成当初は、土塁であった。その後、石垣で補強されたと考えられている。約 1.5km
の間隔で、監視所も設置されていた。また 6km 間隔で要塞も建築され、要塞には 500 人か
ら 1000 人のローマ兵が配備されたと推定されている。
長城は文化的境界ではなくあくまで軍事上の防衛線として建設されたが、この防衛線がス
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コットランドに対する防御壁として、ローマ帝国の支配が及ばなくなった 4 世紀後半以後
も 17 世紀まで使用されていた。このためイングランドとスコットランドとの境界として半
ば固定化し、現在のイングランドとスコットランドの境界線にも大きな影響を与えている
と言える。
1世紀半ば、ブリテン島にまで版図を拡大したローマ帝国は、ケルト族の攻撃に悩まされ
ていました。要塞跡から発掘されたさまざまな出土品から、ローマ帝国の版図が最大に達
し、繁栄の頂点にあった時に、北辺の前線で始まっていた兵士たちの異変から、帝国滅亡
の兆しを読み解いてゆく。ハドリアヌスの長城に設けられた要塞の一つ、500人の兵士
が駐留したヴィンドランダ要塞の跡では、70年にわたって発掘調査が続けられてきまし
た。
これまでに発掘された武器やテント、鉄製のスパイクなどからは、ローマ軍が恵まれた装
備を誇っていたことが分かりました。2万点に及ぶ出土品の中には意外な物が含まれてい
ました。1000 足以上の子どもの靴や女性のサンダルである。当時、軍の規則では独身が義
務づけられていました。
しかし、要塞に駐留していた兵士たちの多くが家族を持っていたのである。さらに、ラテ
ン語で軍の機密が書かれた木片が数多く発見されました。そこには、「脱走兵」や「除名」
などの文字がありました。
当時、ローマ帝国の版図は極限にまで広がり、兵士たちは戦場から戦場へと移動させられ
ました。移動すれば家族と離ればなれになる。兵士たちは家族と会うために逃走したと考
えられている。北辺の前線で始まった兵士の異変。それは繁栄の頂点に現れた滅びの兆し
でした。
ローマ
AD43 クラウディアステイが制圧
7 人のブリティッシュキングをとらえたという文書が残っている。
パンテオン
パンは招く、テオンは神。パンテオンは、ギリシア語の「すべての神々」という言葉に由
来し、ある特定の宗教や神話、たとえばヒンドゥー教やギリシア神話、北欧神話、シュメ
ール神話、マヤ神話、日本神話などにおけるすべての神々を意味する。
パンテオン神殿
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最初のパンテオンは紀元前 25 年、初代ローマ皇
帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウ
ス・アグリッパによって建造された。ローマ市内
の建築物についてアウグストゥスとアグリッパ
は明確な役割分担を持っており、
アグリッパが建
造した神殿はこのパンテオンのみである。このた
め、
パンテオンは元々アウグストゥスを奉ること
を予定していたが、市民の反発を避けるため、万
神殿に変更されたとの説もある。
このパンテオン
は、後に火事で焼失している。
2 代目のパンテオンは 118 年から 128 年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建
された。現在、ローマで見ることが出来るのはこの再建されたパンテオンであるが、正面
にはアグリッパに敬意を表し M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子
マルクス・アグリッパが、3 度目のコンスルの際に建造)と記されている。
ブリタニアとコイン
AD2のコインには片面にブリタニアの嘆いている姿が描かれている。現代では、シール
ドを持った力強いブリタニアが描かれている。
海神オケアノス
ギリシャ神話に登場する神の1柱。英語で大洋を意味する
「ocean (オーシャン)
」は、オケアノスの名に由来する。
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牧神パーン
ギリシア神話に登場する神の一柱である。アイギパーン(山羊のパーン)とも呼ばれる。
出典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AA%E3%
83%B3_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E)
https://plus.google.com/103288697121625391005#103288697121625391005/about
http://00mil.com/sub7_11.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AA%E3%
83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%A2%E3
%83%8E%E3%82%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E3%82%AE%E
3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1)
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イギリス文化論 B
岩井
10 月4
京都大原
Venetia Stanley Smith(ベニシア・スタンリースミス)
Toast finger(トーストフィンガー)
イギリスの定番の朝食
卵の黄身にトーストをつけて食べる
Venetia’s herb note
Wanting to breathe the fresh air, I went
outside to pick the last stems of stevia
before the first frost arrives, for they do
not like the cold.
Since I was a child, I have always had a sweet tooth. So stevia for me is a
wonderful way to satisfy a craving for something sweet without using sugar.
Stevia is a natural sweetener that is calorie-free and does not affect blood sugar
levels.
Native to the highlands of northern Paraguay and southern Brazil, it was used
by the Indians as a sweetener for medicinal teas.
I sat for a moment outside and listened to the stillness. The cool temperatures
of autumn mysteriously intensify the sweetness of the plant. I went inside and
hang the stevia to dry.
光り
Turning on the lights in the house, I prepared dinner and waited for my family
to come home. I sat at the window gazing at the moon. The air was full of music
and the sky was full of stars.
Inside the house was quiet. The soft, gentle, warm lights that surrounded me
filled me with a sense of balance and inner peace.
Light and shadow, Yin and Yang, never ending, they balance each other
through the constant flow of the universe.
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イギリス文化論 B
岩井
10 月 13 日
万里の長城
世界最大の建築物、万里の長城は中
華人民共和国にある遺跡。東は河北
省、渤海湾の山海関から西は甘粛省
の嘉峪関まで、全長 6000 キロメー
トルの大城壁。紀元前に北方民族の
侵入を防ぐために城壁を造ったのが
その始まりで、秦の始皇帝が 30 万
の軍兵、数百万の農民を動員し、修
復、連結したといわれている。その
大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていたが、2004 年 12 月 8 日に宇宙空
間から肉眼で観測することはできないと中国科学院により否定された。ユネスコの世界遺
産(文化遺産)に登録されている。
城壁の間の建物は敵楼と呼ばれる砦で滝を監視する役目
があった。
敵楼の壁面にある窓は銃眼と呼ばれ、敵から身を守り、
攻撃されにくいように、外側が狭くなるように造られて
いる。
【山海関・天下第一関】
万里の長城最東端にあたる軍事要塞の城。14 世紀明代、長城を築いた際に設置されたもの
で北方の異民族から領土を守るのが目的。北の燕山と南の渤海にはさまれていることから
山海関と命名された。
周囲 4.3km の堀を取り囲む城壁には、それぞれの意味を持つ 4 つの門を設置。唯一現存す
る東門は天下第一関。高さ 12m の天下第一関は、かつて長城東部における重要な関門であ
った。ここから遙か彼方まで続く長城を一望できる。
【老龍頭長城】
万里の長城の東の果て。ここより端を発した長城は延々8500km 余り、西の果て嘉峪関まで
続く。
長城の最先端は海より始まり、西端は砂漠に終わる。
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浜辺から海より出る長城の姿はまるで大型戦艦のような威風堂々とした佇まい。
【角山長城】
500 年前の築造当時のままの長城。坂が急で段差が大きい部分もあるが、上からの眺めは、
略的要衝の地とはとても思えぬほどの絶景。
【金山嶺長城】
金山嶺長城は長城の中で最も代表的な場所で、河北省の滦平県と北京市の密雲県の境界に
ある。西の竜峪口から東の望京楼まで、全長 10.5 キロあり、建築様式が異なっている望楼
が 67 個あり、烽火台が2つあり、関所が5つある。現代まで最もよく保存された明代の長
城で、専門家に明長城の精華と呼ばれている。
金山嶺長城は明朝洪武元年(公元 1368 年)から、大将の徐達によって建てられた。隆慶元
年(公元 1567 年)倭寇に抵抗した名将薊鎮総兵隊長戚継光と薊遼総督譚綸は徐達によって
建てられた長城を基に延長し、改築した。この長城は山を要衝に、水を要塞に建設した。
打ち破ることができない堅固で壮大な城壁。望楼が兵士護衛のために林立し、「一夫当関、
万夫莫開」と言える。広い視野、密集した望楼、独特な防御体系機能で名高い。
出典
http://www.osumi.or.jp/sakata/pekin/0banri45.JPG
http://www.arachina.com/culture/greatwall/jsl/
http://www.osumi.or.jp/sakata/pekin/banrityouzyou.html
http://www.tabigoku.cn/beijing/local/show_detail/mode:daytour/id:78
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