J-NOTE 1

8-3
ペルー ~ ボリビア
国境越え
ボリビアのふざけた移民局員
※
ペルー ~ ボリビア国境
ペルー~ボリビア間の国境は橋で繋がっていて今まで見た事がないくらい人だらけだった。
早朝5時にもかかわらず、長い列に並んでペルー出国スタンプを貰うのに4時間もかかった。
その原因は、ペルーとボリビアの物価の違いにある。
既に4章ボリビアで述べたが、ボリビアの物価はとても安いので、ペルーの商人達は国境を越え
て買出しに行き、大量に持ち帰ってそれを売りさばく。両国の国境周辺は、人、人、荷物一杯のワ
ゴン、そして小型トラック、ごった返して歩くのも一苦労だ。
ペルー側の移民局は商人と地元の人達で長蛇の列をなしている。出入国の手続きは朝の8時から夜
の8時までと事前に情報を得ていたが、実際には朝6時には始まっていた。
これがペルーの商人達がボリビアへ買出しに行くラッシュアワーの時間帯だ。
何故こんなに早いのかと言うと、それはペルーとボリビアの時差が理由だ。ボリビアはペルーよ
り時計の針が一時間早く進む。買出しに行くペルーの商人達はボリビア時間に合わせて仕事を始め
る。これが第一のラッシュアワーだ。
逆に、同じ時間帯でもボリビアからペルーに入国するのはスムーズだ。そしてペルーの商人達がボ
リビアからペルーに戻る時間帯が第二ラッシュアワーで、ペルーの移民局が閉まる夜の8時頃とな
る。もしも、スタンプを貰う前に 8 時になってしまったら大変だ。何時間も列に並んでいたにも関
わらず、移民局の窓口目前で時計の針が8時を指した途端、「Cerrado para hoy!」(今日は終わり
だ!)と言われる事になる。
自国に帰るだけのペルー人は翌日に貰えば済むけど、南米大陸を旅行している外国人旅行者は途
方に暮れる事になる。なぜなら、ペルーの街を散策している時に運悪く警官などにパスポートを見
せろと言われて、入国のスタンプがパスポートに無いと不法入国者扱いとなり、最悪の場合は拘置
所行きになり、罰金を取られた挙句の果てには強制送還になる。
大体、まともな宿もなく泥棒だらけのこの国境地帯で野宿なんかしたら、パンク(悪ガキ)共や
物乞いの餌食にされてしまう。あまりピンとこない人は日本のアニメの北斗の拳の世紀末状態をイ
メージして欲しい。
話は戻って、ペルー人とボリビア人が国境付近で用事を済ませるだけなら、出入国の手続きのよ
うなものは必要なく、自国の身分証明証だけで事は済ませられるが、東洋人、白人、それに黒人と
いった明らかに現地の人には見えない容姿の人がウロウロして、入国の証明を示すスタンプがパス
ポートに無いのを国境警察に知られると、お巡りさんのお小遣い稼ぎの標的にされるらしい。
4時間後、ようやく僕はペルー移民局で出国スタンプをもらい、30分後にはボリビア入国のス
タンプを貰う為にボリビア側の移民局に辿り着いた。これがろくに手入れもしていない少し緑がか
ったねずみ色のとんでもなく貧相な建物で、まるでスラム街の公衆便所だ。
※
ボリビア移民局(本文とは別)
僕がその移民局の建物に入ろうとすると、ふざけた事に、移民局の制服を着た男が掌を広げてお
金を要求してきた。ニタニタしているので初めは冗談だと思い、愛想笑いをしながら中に入ろうと
すると「お金を寄こさないと入れてやらない」と言われた。
彼はいたって真剣だ。
他の欧米人やペルー人は素通りで中に入れていたが、僕にはしつこくお金を要求してきた。これ
が噂の役人が請求する賄賂だ。
僕はこの瞬間までインターネット上のうわさ話だと思っていた。
払う気などサラサラない僕は、橋の近くにあった国境警察まで戻ってこの話を説明すると、一緒
に移民局まで来てくれて賄賂男に事情を聞いてくれた。
するとこの賄賂男はスペイン語で出鱈目を抜かして、僕が勘違いしていると言いやがった。掌を差
し出したのは、
「パスポートを見せろ」という意思で、お金など要求していない、とぬかしたのだ。
余談になるが、サンパウロの宿で知り合った韓国人のフィルは、スペイン語が話せないことと外
国の地に居る不安とが重なって、この同じ場所で言われるままにたかられたと言っていた。デジタ
ルカメラだけは渡すのを拒否したそうだ。
僕は国境警察の協力で移民局の中には入れたが、すぐに別の問題が発生した。
ボリビアに入国するのにビザが必要なのをおもいっきり忘れていた。僕はアメリカ人だ。賄賂男は
僕のパスポートにビザがないのに気づくとジェスチャーで「シッシッ」とペルーに戻れと言わんば
かりに追い払おうとした。
僕はついに切れた。
カッチーン。
Motherfuck!
(マーダーファック:この野朗)
出国スタンプを押す局員が、アメリカドルで140ドル、或いはそれに相当するボリビアかペル
ーの貨幣で払えばビザは発行できると教えてくれたが、賄賂男がふざけた事に自分に楯突いたので
僕にはビザを発行してやるべきではないとぬかしやがった。
それで僕は他の局員達に賄賂を要求された事を説明すると、分かっているが立場的な事や仕事仲
間でもあるので、困った顔をしてそっぽを向き始め、それ以上話を聞いてくれなかった。
別部屋に連れて行かれ、ペルーに戻るように言われたが、僕は失礼な事はしていないし嘘も尽い
ていないと何度も繰り返し、隘路を要求された事も訴えた。
僕の話を黙って聞いてくれていた一人の女性がいたので、一縷の望みを感じ取った僕は彼女に
「上司と話させてください」と嘆願してみた。すると彼女は「無理だろうが訊くだけは訊いてみる」
と言ってくれた。
30分ほど待っていると、彼女の上司が現れた。
「いったいなんだ?」といった態度で僕の前に立った。
僕は一言、
「ボリビアのビザを発行してほしい」
、そう告げると「必要な金さえ払えば発行してや
る」と言われ、これで一件落着になった。
5年間有効のボリビアのビザを発行してもらって気分良く出口に向かうと、あの賄賂男が出口で待
っていた。今度は建物を出るのにお金を払えと言ってきた。僕が彼の言う事を無視して出口を抜け
ると、背後からこんな罵声を浴びせられた。
「Pinche Americano, puto chino!」
(糞アメリカ人、薄汚い東洋人野朗!)
Puto とは Puta(メス豚、或いは売春婦)の男性名詞だがこの文章では豚のように薄汚いとか、下
等と言う意味)
政府の役人が移民局の入口(と出口)でこんな下品な言葉を使ったので、それを聞いた通行人が立
ち止まり呆然としていた。
こんな無教養な馬鹿でも一応は移民局員なので、もめると僕のほうが不利だ。悔しいが聞こえなか
ったふりをしてその場を去る事にした。ボリビアのビザを取ったのだからもう用はない。あとは逃
げるが勝ちだ。
僕はクスコのバス会社の人に言われた事を想いだした。
「Sabe que los Bolivianos no les gustan los Americanos?」
(ボリビア人はアメリカ人が嫌いなんだよ、知っているのかい?)
もう問題は解決したとホッとしていたら今度は国境から30分程走ったあたりでバスが止まり、
僕を含めた乗客全員がバスから降ろされた。よりによって軍警察のドラッグコントロールだ。
コロンビア~エクアドル間国境越えの悪夢が頭の中を過ぎった。
またもや僕だけが怖い顔をした軍人さん達によって建物の裏に連行された。しかし意外な事で難
を逃れる事ができた。
連れて行かれた軍警察所の裏で、農民らしきおじさんが野糞をしていたからだ。これに激怒し発狂
した軍警官達は僕の事などどうでもよくなったらしく、ジェスチャーでバスの方角を指さし、待っ
てろみたいな事を言った。
僕が乗り込むとバスはすぐに出発してくれて、面倒臭い事にならずに済んだ。どうやら「うん」が
良かったようだ。
余談だがペルーからボリビアへの陸路国境越えは大まかにユングヨ(Yunguyo)と、デサグアデロ
( Desaguadero)の二つのルートがあると言われている。リマやクスコで欧米人バックパッカー達か
ら得た情報では、Desaguadero ルートは移動費が安く早くボリビアに入国できると聞かされていた。
対して Yunguyo ルートは時間も金もかかるが、はるかに安全だと聞かされていた。
☆
Googleマップ(ユングヨルート)
☆
Googleマップ(デサグアデロルート)
自分の目で確認したわけではないが、Puno(ペルーの街)からの Yunguyo ルート国境越えはた
しかに安全だが、金がかかるだけの観光ズレした街だと僕は判断した。これでは腐敗した南米の国
境地帯の取材対象にはならないと思い、あえて旅の経験者達の助言に反した Cusco からの
dsaguadero ルートの国境越えに挑んでみたんだ。
その結果をここで書いたと言う訳だよ。
他にも南米ならばどこの国境付近でも日常茶飯事に起こるボッタクリやタカリ、それに賄賂の要
求などといった話はいくらでもあるが、ここではとても書ききれない。
他の小さなエピソード、今回の旅で記憶に残った人達と出来事、そして書ききれなかった事などは
別にまとめて番外編として記述することにするよ。
「10章 フラッシュバック南米」
(デサグアデロの国境の橋)