2012年7月15日 - めぐみルーテル福音キリスト教会

「迫害は福音を広め、信仰を鍛える神の道具です」
使徒 7 章 54 から 8 章 1 節
2012/7/15
聖霊降臨節第 7 主日
説教者:芳賀弥男
この時期になると、憂鬱になるクリスチャンの方もたくさんいるかと思います。もうすぐお盆があり、クリスチャンであることで
様々な迫害を受けることがあるかと思います。お盆だけではなく、葬儀や法事、地鎮祭やお祭り、宗教がからんだ日本の行事で、
または学校や職場、家庭で迫害を受けることがあるかと思います。それは地方、田舎に行けばいくほどひどくなる傾向にあります。
迫害がある時、クリスチャンは自分の信仰を放棄し、世と歩調を合わせ、主を悲しませます。(イエスを三回否定したペテロのよう
に) 中には、迫害のゆえに、神の子供、天国、永遠のいのちさえも放棄してしまう人もいます。しかし、いじめに会う子を放って
おく親がいないように、私たちの主が迫害にあう、愛する子供を放っておくでしょうか? 今日、私たちはクリスチャンへの迫害を
主はどのように取り扱うかを学び、慰めと希望と平安をもって帰りましょう。
7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。 7:55 しかし、聖霊に満たされてい
たステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、 7:56 こう言った。
「見なさい。天が開けて、
人の子が神の右に立っておられるのが見えます。
」 7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。 7:59
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。
「主イエスよ。私の霊をお受けください。
」
7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者
はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
ユダヤ人の指導者、長老、聖書学者、祭司たちはイエスのことを物凄く憎んでいました。人間の努力と善行によって神に受け入
れられると教えていた彼らにとって、人間の行いではなく、ただ神の恵みと信仰によって救われると説いていたイエスは邪魔者で
した。社会的に地位のある彼らに対して、臆することなく罪を断罪するイエスは邪魔者でした。民衆の人気と注目もイエスに集ま
っていたので、イエスは邪魔者でした。そして、
「わたしは神自身である」とはっきりと宣言するイエスは、神を冒涜する憎むべき
存在でした。ですから、イエス・キリストの名によって教えを説く弟子のペテロやヨハネを捕えて尋問し、
「いっさいイエスの名に
よって、語ったり、教えたりしてはならない」と彼らは命じました。(使徒 4 章 18 節)
しかし、そのような圧迫は、イエスの弟子たちを黙らせることができませんでした。弟子たちはイエスの教え、様々な奇跡、聖
書の全てを成就すること、よみがえりをとおして、イエスが全世界の救い主だとはっきりと確信したのです。ですから、彼らは全
世界中にイエス・キリストが成し遂げたすばらしい御業を宣べ伝えるようになったのです。
「神に聞きしたがうより、あなたがた(人
間)に聞きしたがう方が、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわ
けには行きません」(使徒 4 章 18,19 節) もし、あなたの家にイエス・キリストが来て、永遠のいのちを与える水を無償でくださ
ると言うならば、あなたはすぐに、できるだけ多くの人に知らせるでしょう。それと同じ喜びと希望が弟子たちの動機でした。
さて、先週の話を覚えていますか? 教会の最大の危機について学びましたね。初期教会において、イエスを救い主として信じる
人は爆発的に増えました。教会が大きくなるにつれていくつかの問題が必ず起こります。使徒たちの教会も、地上的な必要物(衣食
住など)を備えることで忙しくなり、教会の本来の役割である霊的必要物(神の言葉、永遠の命など)を分け合えることがおろそかに
なろうとしていました。それこそ、キリスト教会の最大の危機です。そこで、
「御霊と知恵とに満ちた評判の良い人たち」7 人を選
んで、主に地上的な必要物のために仕えるリーダーとし、使徒たちは主に御言葉の宣教と霊的な仕事に専念するようになったので
す。
その7人のリーダー、私たちの教会で言うところの長老の一人がステパノでした。彼は神の恵みと力とに満ち、知恵と御霊によ
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って語っていたので、反対者たちが対抗することさえもできませんでした。(使徒 6 章 10 節) しかし、イエスの名を嫌う人々がそ
そのかしてステパノを捕え、議会に引っ張り出し、偽りの証言を並べ立てたのです。これはまるで数ヶ月前に、エルサレムで起こ
ったイエスの裁判と似た状況ではありませんか? イエスは罪がないのに議会に連れ出され、いいがかりや偽証言によって責められ、
神を冒涜した罪で処刑を言い渡されました。
今日は読みませんが、ステパノは少しも弱ることなく、かえって生き生きと、はっきりと、高らかにイエス・キリストの名を用
いて神の言葉を反対者たちの前で説教しました。彼の説教は 7 章 1 節から 53 節まで続きます。その中には疑いや恐れ、弱さは微
塵も感じられません。かえって、彼の主イエスへの絶対なる信頼と聖書についての豊かな知識が見られます。彼の説教は旧約聖書
の要約であり、はっきりと旧約聖書の神の主張を捉えています。それでいて、神の言葉から逸れた指導者たちの罪をはっきりと断
罪しています。つまり、悔い改めを説いているのです。しかし、これを聞いた議会の人々は「歯ぎしり」するほどに怒り、ステパ
ノに殺到し、彼を石で打ち殺しました。それは裁判ではなく、虐殺でした。
ここまでを見ると、キリスト教は何と弱く、みじめで、あわれに見えるでしょう。聖書に書いてある通り、クリスチャンたちは
羊のように無力に見えるでしょう。神がクリスチャンを守り、導くと約束している言葉が嘘のように聞こえるでしょう。私たちも
これほどではありませんが、似たことをこの日本と言う様々な異教と迷信、偽教えが勢力を持つ国で経験したことがあるでしょう。
会社や学校、家庭でクリスチャンがひとりである場合、教会に行っていること、自分がクリスチャンであること、食事の前に祈っ
ていることでバカにされたこと。仲間はずれ、村八分にされたこと、変人扱いされたこと….「もう、教会に行くのはやめよう。イ
エスを信じて従うのは止めよう。または隠れて自分の信仰をひっそりと持とう」と何度も考えたことがあるかもしれません。
しかし、そのように臆病になる人は、聖書の神の言葉をよく読んでいません。イエス・キリストを真に信頼していません。その
人の心の焦点は神に合っているのではなく、この世に合っています。それこそ罪であり、悪魔の思うつぼです。
今日の御言葉をよく読みなさい! ステパノの、イエス・キリストの、そしてキリスト教会の大勝利しか書かれていません!
1)
キリストへの信仰の勝利
ステパノは迫害によって自分のイエスへの信仰、天国の希望を弱められることも、失うこともなく、
かえって確信をもって地上でのいのちを終えました。また、虐殺者たちを憎み、敵対して罪を犯すことなく、平安と罪の赦し
と隣人愛を示してこの世を去りました。まさに聖書にこのように書いてあります。
「また、わたしの名のために、あなたがたは
すべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マタイ 10 章 22 節)
ステパノは最後の最後にイエ
スを怨みつつ、地獄に行くことがありませんでした。迫害と敵に対して愛によって勝利し、天国の平安とよみがえりの希望に
よって死に勝利し、天国の永遠の住まいに入ると言う究極の勝利を得ました。かえって、イエスを憎み、拒んだこの議会の人々
の方が永遠の敗北者なのです。
2)
宣教の勝利
仕事を最後まで忠実に果たすならば、それ自体が勝利と言うことができましょう。ステパノは「全世界に福音を
宣べ伝えよ」という主の聖務を忠実に実行しました。迫害と圧迫によって、神の言葉を曲げて伝えるようなこともしませんで
した。ステパノを始め、多くの偽の裁判の前に立たされてきたクリスチャンたちは、それを死の前触れとしてではなく、大き
なチャンスだと認識していたでしょう。実際に、このような裁判の機会は、国や民の指導者たちの前で公に堂々と御言葉を伝
えるチャンスでした。国のトップが回心するならば、その地域の多くの人々に御言葉を伝える機会が増え、救われる人も増え
るでしょう。神がときどき時代の中で迫害を用いて、クリスチャンたちを裁判の前に立たせるのはこのためなのです。実際に
歴史の中で迫害の強い時代と地域においては、この方法が一番影響を与える伝道方法だったのです。
8 章 1 節で、
「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地
方に散らされた。」とありますが、この迫害はクリスチャンたちをエルサレムと言う大都市から、諸地方の田舎に分散させる機
会となりました。それぞれの地域で、クリスチャンたちはステパノのように自身の信仰を告白し、このようにして福音は瞬く間
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に全世界に広まっていったのです。
3)
影響を与える勝利
ステパノの最後の信仰の情熱と説教は、そこにいたパリサイ派の若い議員サウロに影響を与えたでしょう。
サウロはキリスト教を軽蔑していました。キリストの教えに従う者など、ただの流行に乗っただけの軽はずみのペテン師の集
まりのように考えていたかもしれません。しかし、ステパノのような信者がいました。死を恐れぬ態度、命乞いするわけでも
なく、恐れに駆られて信仰を捨てることもせず、議会に媚を売るようなこともしないで殉教したステパノの姿は、パウロに大
きな疑問を投げかけたかもしれません。
みなさんがご承知のようにこのサウロという議員は後の世界伝道者パウロです。サウロもはじめはパリサイ派に属し、彼ら
の教えが真実だと思いこみ、イエス・キリストを憎み、クリスチャンや教会を破壊し、迫害していました。しかし、まるでオ
リンピックの灯火がランナーからランナーに渡されるように、ステパノからサウロに宣教の御言葉と宣教の情熱の炎がバトン
タッチされたのです。
主イエス・キリストを通して、迫害を眺めてみましょう。
イエス・キリストはもっともひどい迫害を受けた方です。では、イエスは何のために迫害を受けましたか? それは神に背き、
神が遣わした救い主を迫害をしている全人類、あなたのために迫害を受けました。イエスはあなたを真心から愛しているので、
全ての迫害を耐え忍ぶことができました。そして、その大きな迫害と苦しみと死を通して、あなたのために永遠の命、罪の赦
しを獲得されました。それを真に知り、イエスを愛し、感謝する人は、イエスのゆえに迫害をされることは喜びとも感じられ
るはずなのです。
そればかりか、私たちの主は全ての苦しみと迫害を受けられたので、今日、迫害を受ける私たちの苦しみと悲しみと痛みに
心から同情してくださいます。(へブル 4 章 15 節)
クリスチャンであることの迫害を恐れすぎて、楽なクリスチャン生活を
送ろうとする人は、真にイエスに従っていない人、天の御国から自分を閉めだしているのです。
迫害に負けてしまっているクリスチャンの方。使徒ペテロも迫害を恐れてイエスをのろい、否定しまし、イエスから離れま
した。(マタイ 26 章) しかし、イエスはよみがえりの後にペテロに現れてくださり、彼の罪を赦し、受け入れてくださいまし
た。そのイエスの罪の赦しの愛が、ペテロを大胆な説教者、初期教会のリーダーに変えたのです。ですから、弱さゆえに迫害
に負けてしまっても、主のもとに戻りましょう。素直に自分の弱さと罪を告白しましょう。主はあなたを愛しています。ご自
身のゆえにあなたを無条件で赦し、受け入れてくださいます。
最後に迫害下にいる私たちへの大きな慰めと希望を聞きましょう。
「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、またありもしないことで悪口雑言を言われたりする時、あなたがたは幸
いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなた方より前に来た預言者たち
も、そのように迫害されました。
」(マタイ 5 章 10,11 節)
私たちがイエスへの信仰のゆえに、様々な迫害を受ける時、私たちが確かにイエスに従っていると言う証拠、神の子供であ
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る証拠、天国の永遠の平安の持ち主である証拠なのです!! アーメン